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藤田純一の仕事論

2月22日のブログ〈ワカメで「恩送り」〉で、株式会社さんりくみらいのクラウドファンディングを紹介しました。その翌日2月23日には三陸新報さんが紹介記事を掲載していました。見出しは、〈震災時の「恩送り」〉です。


2:23恩送り

三陸新報2月23日記事の一部イメージ


記事の写真にうつっているのが、「さんりくみらい」そして「藤田商店」の代表、藤田純一さんです。記事のなかに、このクラウドファンディングを始めるきっかけが次のように記されていました。

〈思いついたのは恩を返すのではなく、別の人に送る「恩送り」。ある時に見ていたテレビ番組で、子供食堂を利用する子供たちの姿が、避難所で配給の列に並んだ自分と重なって見えたという。〉(引用は以上)


本日紹介するのは、2019年4月4日のブログです。リンクを貼るだけにしようかなとも思ったのですが、1人でも多くの方に読んで欲しいと思い再掲することにいたしました。一部の年号表示追記を括弧書きでおこなっています。



◎藤田純一の仕事論

2019年4月4日ブログ再掲


本日ご紹介するのは、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)の「東北の仕事論。」最新連載記事です。(2019年)3月11日から5回にわけて掲載された「気仙沼 藤田商店篇」、話すのは藤田純一さん。ぜひ皆さまにもお読みいただきたく。


仕事論

ほぼ日サイトより(画像クリックで記事にジャンプ)


ゼロから立ち上がる会社に学ぶ/東北の仕事論。
気仙沼 藤田商店 篇

1:ワカメがこんなにうまいとは。
2:殻付きウニが自宅に届く。
3:地震が起こったときのこと。
4:筏に残っていた希望。
5:漁師の魅力を伝えたい。

気仙沼市の階上(はしかみ)地区にある藤田商店で純一さんの話を聞くのは、ほぼ日の奥野さん。ガイド役は山田康人さんです。山田さんについては、またのちほど。

私が藤田さんにはじめてお会いしたのは2016年11月26日。東京・南青山のほぼ日「TOBICHI2」で開催された「漁師って、カッコいい!」展トークイベントでした。そこでの純一さんの話のうまさ、面白さには本当に驚きました。その日のことはこのブログでも書きました。

今回のほぼ日の記事も興味深い話が多いのですが、3回目での東日本大震災の話を読むとやはり粛然とします。階上地区の被害の大きさは、震災遺構として残された気仙沼向洋高校旧校舎がこの地区にあることでもご理解いただけるでしょう。

藤田さんは自宅も仕事場もすべて津波で失い、避難所で寝起きしながら消防団の一員としての活動をはじめます。ご遺体の収容とか。〈 俺の地元の階上では、ものすごく多くの人が犠牲になったんです。みんな知り合いだし、家族同然みたいな感じだったし、ご遺体に、流されてきた毛布をかけながら、ごめんね、後できちんと運んでやるからねって言って 〉

5日目ごろに船で40人ぐらいが大島に渡り、亀山周辺で起きた火事の消火をおこなう話なども語られます。放水のポンプがあるわけでもなく、翌日には引き上げてきたそうです。無力感を感じたことでしょう。深刻な話なのですが、このあたりは藤田さんの語り口を知っているだけに読むだけでおかしみを覚えて困ってしまいます。そうした消防団の活動が1か月ほど続きました。

震災後のファンド参加の話のなかに、今回の取材のガイド役である山田康人さんが登場します。山田さんは宮城県職員。気仙沼に赴任していたときには、〈コヤマ菓子店〉の小山裕隆さんらと〈気楽会〉をたちあげて気仙沼のまちづくり活動にも参加しています。震災時には仙台で県庁に勤めながら、地域活動をおこなうNPO法人ファイブブリッジの事務局長としても活動していました。現在も継続しているはずです。仲間うちでは〈やまちゃん〉。

震災後まもなく、山田さんとのご縁でミュージックセキュリティーズさんがたちあげたのが、セキュリテ被災地応援ファンドです。まずは、斉吉商店、アンカーコーヒー、石渡商店、山内鮮魚店、八木澤商店の皆さん6ファンドでスタートしました。山田さんは藤田さんに、この最初の6社とおなじタイミングで参加の声をかけたそうですが、藤田さんは、ワカメがまた採れるようになるかどうかわからないことなどもあって断りました。

しかし、地震から3か月ほどたったとき、流されていた養殖筏(いかだ)にメカブが残っているのを見つけました。そこから種を採ってワカメ養殖再開の一歩とすることができたのです。〈それまでの、なんとなくの「どうすっぺ?」っていう感じが、「やっぺ」「もっとやっぺ」って空気になった〉。そして山田さんから声をかけてもらったファンドにも参加することになったのです。1月12日の三陸新報の記事によれば、藤田商店〈ウニわかめファンド〉には500人もの人たちが協力してくださったそうです。

インタビューのなかで藤田さんは、アイリスオーヤマの大山健太郎会長にあと押しされて2017年12月に設立した新会社のことに触れています。これは〈株式会社さんりくみらい〉のこと。そして同社が展開するネット販売サイトが〈極上市場「三陸未来」〉です。このブログで何度も紹介しているので詳細は略します。

極上市場「三陸未来」

本日は藤田さんの話に加え、山田さんについてもちょっと詳しい話を記しています。これには理由があるのです。ほぼ日の記事でガイド役をつとめたとき、山田康人さんは女川(おながわ)町役場に赴任中でしたが、先日(2019年)4月1日からは仙台の県庁に復帰しているのです。山田さんのブログで知りました。5年5か月にわたる女川でのお仕事、ご苦労さまでした。そのことを一言申し上げたく。

山田さんとセキュリテ被災地応援ファンドのことについてはつぎのブログにまとめたことがあります。糸井さんと気仙沼との関わりにも触れています。「ほぼ日気仙沼支社」の構想は、2011年7月9日に糸井さんと山田さんらが話しているなかで生まれたのです。リンクが多くなってしまいますがご参考まで。

2011年10月28日ブログ「ほぼ日in気仙沼」

そして最後になりましたが、今回の藤田純一さんのインタビューをまとめてくださったほぼ日/奥野さんにもお礼を。素晴らしい記事をありがとうございました。

(再掲内容は以上です)

東日本大震災で以上のような経験をした藤田さんたち。震災から10年を迎えようとしているこの時に企画したのが〈ワカメで恩送り〉です。すでに初期目標の30万円はクリアしていますが、ネクストゴールの100万円に向けて活動しているとのこと。応援いただければと思い紹介いたしました。どうぞよろしく。

「ワカメで恩送り」
クラウドファンディングサイト
 
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tag : さんりくみらい クラウドファンディング

全国まちづくり会議

本日はオンラインイベントのご案内です。全国まちづくり会議/気仙沼分科会。参加無料です。


まちづくり会議


◎全国まちづくり会議 気仙沼分科会
気仙沼で震災10年を振り返る
〜気仙沼のまちづくりの土台と復興、その先にあるもの
(オンライン/参加無料)

詳細やチケット(無料)申し込みはつぎのサイトから。

Peatixチケットサイト

【開催趣旨】
 東日本大震災から10年目を迎え、気仙沼市は港町として栄えてきた歴史文化を背景に、特色ある復興を遂げつつあります。そして震災を機に、様々な分野で新しい動きも生まれており、未来の気仙沼を語るうえで興味深い取り組みが多く見られます。
 本分科会では、気仙沼の特色ある復興の取り組みを振り返るとともに、その土台にあるもの、さらにその先にあるものを考える講話およびトークセッションを開催します。

【開催概要】
日時:2021年2月27日(土)13:00~17:00
会場:オンライン配信(参加無料)

・プログラムオーガナイザー
 三浦 友幸(一般社団法人プロジェクトリアス)・三浦 千草

3部構成です。各部の登壇者名を下記に。詳細は上記サイトをご覧ください。

第1部 13:00~14:10
「港町気仙沼の歴史文化、震災と内湾地区の復興」 
山内宏泰氏・菅原昭彦氏・阿部俊彦氏

第2部 14:15~15:15
「多面的な方向性から見た気仙沼の復興」
畠山信氏・菅原茂氏

第3部 15:25~16:55 トークセッション
「復興の先にあるもの、気仙沼の未来」
小山裕隆氏・小山弘二氏・廣野一誠氏・大森美和氏

【主催・共催・後援】
(主催)認定特定非営利活動法人 日本都市計画家協会(共催)気仙沼まち大学運営協議会(後援)気仙沼市 

概要は以上です。私もすでに申し込んでいます。当日は午前中に別件があるため開始時刻に間に合うかどうかちょっと心配ですが、そこはそれ、オンラインですし気軽に。皆さまも是非に。
 

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横断橋ライトアップ

すでに皆さまご存知のことですが、3月6日(土)に開通予定の気仙沼湾横断橋「かなえおおはし」のライトアップ点灯と打ち上げ花火が3月1日(月)夜に実施されます。これを伝える2月17日の河北新報オンライン記事の写真がとてもきれいでした。これは市の提供写真で朝日埠頭からの撮影です。


記事や市の発表によれば、ライトアップは3月1日(月)の午後7時に計80基の白色LED照明を点灯し、橋の主塔とケーブルを照らします。そして、その後の約30分間、ナイアガラ花火と約400発の打ち上げ花火で夜空と橋を彩るとのこと。

記念花火は、気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業「Remember 3.11彩れ!未来への架け橋」実行委員会(構成団体:気仙沼ライオンズクラブほか)と市の共催で行います。 東日本大震災の犠牲者への追悼、復興支援に対する感謝と更なる関係継続・発展、復興の発信とまちの賑わいの創出を目的としています。

当日はユーチューブで映像が配信されるということなので、東京でもリアルタイムで見ることができそうです。ライトアップは、1日以降も日没から午後10時まで常時実施されます。


◎開通記念ハイウエーウオーキング

2月21日(日)には、開通前の気仙沼湾横断橋で「開通記念ハイウエーウオーキング」が開催されました。公募で選ばれた市民や関係者が4回に分かれ、同市小々汐側から500mほどで折り返す約1キロを歩いたそうです。

一般参加者の募集は1月27日から13日間おこなわれました。2月23日の三陸新報によれば、当初予定の一般参加公募枠は300人でしたが、応募が3200人と多数となったため500人に増枠したそうです。関係者約300人は三陸道促進団体や土地提供者の皆さんなど。

河北新報オンラインのツイートを紹介します。


この記事によれば、開会セレモニーでは、郷土芸能「浪板(なみいた)虎舞」や三陸道延伸の要望活動をしてきた「気仙沼人力車木遣(きやり)会」による木やり歌も披露されました。上のツイート画像をクリックすれば浪板虎の舞動画投稿もあります。

開通後は人が歩行することはできませんから、このイベント参加者は貴重な体験ができたことになりますね。

なんか、いよいよという感じがしてきました。気仙沼のみんなも待ち遠しいことでしょう。

2月1日ブログ「横断橋3/6に開通」

 

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tag : 気仙沼湾横断橋

海神様の紙上参上

今年で35回目となる気仙沼の「海神様」は、新型コロナウイルス感染防止のため、神事のみとりおこない、各家庭などの訪問は取りやめとなりました。しかし、2月20日の三陸新報には、こんな広告が。


海神様新聞広告
三陸新報2月20日掲載広告


「疫病退散」と「令和三年立春大吉甚六鬼の会」の文字を揮毫(きごう)したのは、書家の武山美加(みゆき)さん(3年9組)です。雅号は櫻子(おうし)。広告下部の応援企業・団体のなかにも名がある「苑書会」を主宰しています。訪問したご家庭や商店にお渡しする木札への干支の墨書も武山さんによるもの。

気仙沼版「なまはげ」として、子供たちの健やかな成長を願う「海神様」は、昭和62年/1987年に始まりました。小山隆市君(3年6組)が友人3人で始めたといいます。それが現在の「甚六鬼の会」につながっています。隆市君は2013年1月に亡くなりました。その後を受けて現在の代表はずっと一緒にこの活動を続けてきた鈴木賢司さんです。

2013年2月6日ブログ「隆ちゃんの海神様」

隆市君の長男でコヤマ菓子店の現代表をつとめる小山裕隆(おやまひろたか)さんの2月20日のブログによれば、同日に五十鈴神社でのご祈祷を受けて、昨年の訪問先に木札をお届けしたとのことです。

新聞広告には〈来年行くぞ!よい子でいろよ!〉とありました。今年の海神様は中止ではなく、三陸新報の紙上から参上ということで。どうぞよろしく。

甚六鬼の会の皆さまをはじめ、海神様の活動にご協力とご支援をいただいている多くの皆さまに心から御礼を。いつもありがとうございます。多くの人が来年の海神様訪問を楽しみにしていることでしょう。

気仙沼公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」の2月3日記事で「海神様」が紹介されています。こちらも是非に。

気仙沼さ来てけらいん2月3日記事

 

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tag : 海神様

ワカメで「恩送り」

本日はクラウドファンディングのご案内です。このプロジェクトを企画したのは「株式会社さんりくみらい」さん。同社は、気仙沼産品を作り手からお客さまに直接とどけるネット販売サイト〈極上市場「三陸未来」〉を展開しています。代表は、階上(はしかみ)地区でワカメ養殖などをおこなっている藤田商店の藤田純一さんです。このブログで何度も紹介していますのでご存じの方も多いことでしょう。

クラウドファンディング(CF)のプロジェクト名は「ワカメで恩送り」です。

クラファン

画像クリックでCFサイトにジャンプ


サイトの冒頭には、つぎのメッセージが記されていました。

東日本大震災からもうすぐ10年を迎えます。震災直後は、想像を絶する被害に絶望しかありませんでしたが、様々な方のご支援と「応援しているよ」という気持ちに押され、ここまでこれました。その感謝を忘れず、今度はわたしたちが応援する側になります!皆様、子ども達へ希望を届けるため、ご支援よろしくお願いします。(引用は以上)

皆さんのご支援の具体的な使いみちですが、「こども食堂」や「子ども支援団体」に、気仙沼の「ワカメ」をメインとした食材を届けるということです。支援金額は3000円から。

サイトには〈応援してくれている人たちがいると感じられたことは、どれだけ心強かったか。子ども食堂に通う子どもたちにも、応援している人がいるんだよ、ということを感じてほしくて〉と。

東日本大震災の大津波で、階上地区のワカメ養殖は壊滅的な打撃を受けました。しかし、多くの方々のご支援があって養殖を再開し、今では震災前にも負けない立派なワカメを出荷できるまでになりました。あれから間もなく10年。今度は受けたご恩を返す番と考えたのでしょうね。

目標金額は3月15日までに30万円です。すでに目標を達成しているようですが、少しでも支援金額をうわのせできればうれしいですね。

◎株式会社さんりくみらい

藤田純一さんが代表をつとめる株式会社さんりくみらいの創業メンバーは3人。そのうちの1人はカネヒデ吉田商店の吉田健秀さんです。つまり、気中20回の同級生である吉田久雄君(3年6組)の息子さんです。会社設立は2017年12月ですから、もう3年経ったのですね。

なお、吉田久雄君はいま、「南気仙沼復興の会」の代表をつとめています。藤田さん、吉田さんについてはつぎのブログでも紹介しました。

2019年1月16日ブログ「ワカメの藤田さん」
2019年2月7日ブログ「カネヒデ吉田商店」

◎恩送り

私は「恩送り」という言葉を知りませんでした。誰かから受けた恩に対して、その人に恩返しするのではなく、別の人に送ることをいうのだそうです。そうした善意の連鎖への期待が込められているようです。

負け惜しみみたいになりますが、「恩送り」は知らなかったものの「Pay it forward(ペイ・イット・フォワード)」は知っていました。広告制作など、徒弟的な文化が残る会社などで、食事や飲食代をいつも先輩に払ってもらう、つまりペイしてもらっていた若者がいたとします。その若者が先輩の指導のせいもあってそれなりに稼げるようになったら、今度は誰か後輩の面倒をみてあげてよといった感じかと。

階上のワカメ漁師の皆さんをはじめ、株式会社さんりくみらいとしても、こうして恩送りを計画できるようになったのですね。


どうぞ多くの皆さまのご協力とご支援をお願いいたします。私はさきほど、わずかながら支援ボタンを押したところです。どうぞよろしく。

「ワカメで恩送り」CFサイト
 
◎新規コロナ感染者

2月20日に気仙沼市での新規感染者3名が発表されました。40代女性(会社員)2名と20代女性(団体職員)です。そして2月21日にも2名の感染者発表。70代女性と70代男性でいずれも既感染者との接触歴ありとのことです。
 

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港町ブルース物語

2月16日のブログで、震災で被災した港町ブルースの歌碑の再建計画を紹介しました。本日は関連記事ということで、森進一さんが歌う「港町ブルース」に関してこれまでに書いた2つのブログを再掲します。

1つ目は2016年5月10日ブログ「港町ブルース逸話」です。先日のブログ末尾にリンクを貼っておいた同年5月9日「港町ブルース歌碑」翌日のブログ。つまり、5月9日から11日まで3回連続で港町ブルースのことを書いたことになります。


◎港町ブルース逸話

2016年5月10日ブログ再掲

きのう5月9日のブログで〈港町ブルース歌碑〉のことを書きましたが、本日はその続きということで、この曲をめぐるいくつかの逸話(いつわ)、エピソードを。まずは2011年10月の朝日新聞記事。


朝日新聞

朝日新聞2011年10月22日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)


森さんが2000年10月9日の歌碑除幕式に列席されたことは昨日も書きましたが、震災後の2011年10月22日にも気仙沼を訪問してくれたのですね。朝日新聞によれば、雨の降るなか、津波で傾いた歌碑の前で150人ほどのファンに地元の人100人が加わり、〈港町ブルース〉を合唱したとのことです。森さんは震災後の5月にも気仙沼を訪れています。

つぎは作詞者の話。深津武志さんというお名前に聞き覚えがないなと思っていたのですが、ウィキペディアによれば雑誌『平凡』による歌募集への応募作なのですね。その歌詞をなかにし礼さんが補作しました。

そして、私が気仙沼高校3年になった1969年4月に森進一さんの〈港町ブルース〉がシングル・レコードとして発売されたのです。この曲は5週間にわたりオリコンチャートの第1位にランクされるなど、森さんのシングル盤では最高の100万枚をこえるいわゆるミリオンセラーとなりました(売上250万枚との報道もあるらしい)。同年開催の日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を、日本有線大賞では大賞をそれぞれ受賞しています。

また森さんは、震災の年2011年のNHK紅白歌合戦で、震災復興支援をテーマとして1969年以来42年ぶりに〈港町ブルース〉を歌いました。

歌碑の建立は「港町ブルース歌碑建立実行委員会」(委員長は当時の商工会議所会頭の臼井賢志さん)を中心とする地元有志によっておこなわれたそうです。なお、あのプロペラスクリューが印象的な歌碑のデザインは、気仙沼で美術家としても活動している常山俊明さんの作品です。常山さんは私たちより5学年下となります。

ウィキペディアの記述に、発売6年後1975年3月の面白いエピソードがありました。NHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールで行われ、特別来賓として出席した昭和天皇・皇后両陛下を前に森さんが〈港町ブルース〉を披露したのですが、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2回繰り返して歌ってしまったというのです。森さんにとっても、2番最後の〈けっせんんっぬまぁ〜〜〉が、キメの歌詞として脳に刻みこまれていたのでしょう。

私にとっては、〈気仙沼〉が2度繰り返されたという、面白いというかほほえましい話なのですが、森さんご本人にとっては〈やってしまった〉感が強かったことでしょう。いまだに忘れられない〈港町ブルース〉だと思います。森さん、いろいろとありがとうございました。(再掲内容は以上)

2つ目の再掲記事は、翌日5月11日のもの。前日のブログを見た「(気中)31回生11組20番」さんのコメントを紹介しました。題して「思い出のブルース」。そこには私の知らなかったエピソードが記されていたのです。以下に再掲します。

◎思い出のブルース

2016年5月11日ブログ再掲

きのう5月10日のブログ「港町ブルース逸話」に、「(気中)31回生11組20番」さんからコメントを頂戴しました。それによれば、森進一さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に〈港町ブルース〉を披露したときに、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2度繰り返してしまったというのは有名な話とのこと。以下にコメントを再録させてもらいます。  


・港町ブルースの思い出

こんにちは。 ご無沙汰しています。 2度繰り返したエピソードは有名ですよね。当時テレビで観ていて、2回歌った!と、びっくりした記憶があります。

このレコードは、初めて定価で買ったレコードで、5年の時だったと思います。定価と理(ことわり)を入れたのは、藤崎の催しで、ジュークボックスの払い下げのレコードを買ったのが初レコード購入だったからです。ちなみに購入したのは、ぴんからトリオの女のみちと、あのねのねの赤とんぼの唄です(笑)。1枚100円でした。

また、真偽は定かではありませんが、元歌詞は、宮古・釜石・大船渡だったのを、渡辺プロダクションとつながりを持つ土地の有力者が、気仙沼に換えさせた!と、父から聞いてます。

港町としての大船渡の知名度が、当時どういう位置付けかは判りませんが、1969年(昭和44年)の気仙沼港は、魚市場開設以来初の100億円を越え、サンマの水揚げも全国一をキープし(翌年花咲港に首位を譲りますが…)、少なくとも漁港としての格は気仙沼の方が上だったことを思えば、箔を付けるためのネタだった要素も否めませんが…?

レコードリリースが4月で、5月31日には、海難防止チャリティーショウにゲストで招かれ気中体育館で歌の披露もあったようです。(商工20年のあゆみ 昭和46年8月発刊より)

港町ブルースは、気仙沼に生まれ育ったことを、意識させてくれた唄だったように思います。(コメント引用は以上)

このコメントの中にある渡辺プロダクションとのつながりというのは、境和夫さんのことでしょう。気仙沼高校2回生ですので私たちの20年先輩にあたる方で、渡辺プロダクションの幹部だったと聞いています。

調べてみると、1975年から1981年までTBS系列で放送された渡辺プロダクション制作のテレビ番組「笑って笑って60分」のプロデューサーとして境和夫さんのお名前がありました。このバラエティ番組は、小松政夫さんと伊東四朗さんによるコント〈小松の親分さん〉でも有名ですね。ニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョ(笑)。

コメントにあった歌詞の変更についての真偽について私はわかりません。しかし、森進一さんは渡辺プロダクションに所属していましたから、歌詞について境さんの意向が働いたというのもありうる話です。1969年5月の海難遺児救済チャリティーショーの開催やその後の気仙沼訪問なども境さんと森さんの関係があってのことかもしれませんね。

31回生さん、おかげさまで気仙沼と〈港町ブルース〉との関係について理解が深まったように思います。ありがとうございました。(再掲内容は以上)

ちょっと長くなりましたが、土日もあるから、ま、いいかと。私が「港町ブルース」について知っている、二、三の事柄ということで。今週はこれにて。

歌詞の補作をしてくださった、なかにし礼さんについての思い出話はまたあらためて。

2月16日ブログ「港町ブルース再建」

◎新規コロナ感染者

きのう2月18日、気仙沼市での新規感染者1名が発表されました。県の発表によれば10代女性とのこと。既感染者との接触歴ありとのことです。2月6日に3名の感染が発表されてから12日ぶりのこと。累計感染者数を示すことの意味はあまりなくなってきましたが、66例となりました。
 

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カードゲーム発売

昨年3月の「全国高校生マイプロジェクトアワード」全国大会で、気仙沼高校3年生のふたりが最優秀賞「文部科学大臣賞」と、参加高校生の投票で選ばれる「高校生特別賞」のダブル受賞を果たしました。これについては、昨年4月のブログでも紹介しています。

2020年4月27日ブログ「気仙沼クエスト」

受賞したのは、畠山瑛護(えいご)さんと吉城拓馬(よしき たくま)さん。松岩中学時代からの親友とのことでした。受賞プロジェクトは「気仙沼クエスト〜『内輪受け』が起こす観光革命」です。

当時の報道でも、スマホゲーム「気仙沼クエスト」と「気仙沼カードゲーム」の2種があり、実在する人物に出会いながら気仙沼の街を巡ることができるとのことでした。

そしてここからが新しいニュース。このふたりが制作したカードゲームが、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ内のスクエアシップで、1月から販売されているそうです。三陸新報さんが2月2日の記事で伝えてくれました。


カードゲーム

三陸新報2月2日記事の一部イメージ


販売されているカードゲームが、昨年の受賞プロジェクト時のものと同じなのか少し違うのかがちょっとわかりませんが、観光地カード10枚、地元民カード20枚から構成されているそうです。20人の〈地元民〉は、選ばれし者たち(笑)。

価格は税込み500円。2月2日時点では品切れ中とのことでしたが、スクエアシップに問い合わせたところ追加分が入荷したとのこと。お手頃な価格ですし、内湾近辺におでかけのときにでも是非お求めを。

余談になりますが、畠山瑛護さんは気仙沼高校美術部所属と聞いております。今年8月に「気仙沼クエスト」の特別版「気仙沼みなとまつりクエスト」を公開したときの情報では、大学受験準備のためにしばらくゲームづくりはおあずけとのことでした。

その後どうしているかなあ。旧気仙沼高校美術部OBとしてはちょっと心配。元気にやってるかあ。応援してるぞお〜(かげながら)。

カードゲームのお問い合わせは、スクエアシップへつぎのメールアドレスにて。どうぞよろしく。

info@square-ship.com
 

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元艦長の公開書簡

2月12日のブログ「尾形英夫さんの話」のなかで触れようと思いながら、長くなるのでとりあえずやめた話があります。本日はそのことを。

2月10日で、「えひめ丸」の事故から20年となったそうです。多くのメディアがそのことを伝えていました。この日、ハワイでは慰霊の式典がおこなわれたそうです。ここで紹介するのはNHK国際部のツイートです。


愛媛県の宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカ軍の潜水艦「グリーンビル」に衝突され、教員5人と生徒4人が亡くなったのは2001年2月10日のことでした。

そして当時、「(愛媛)県・被害者グループ弁護団」の団長として米海軍との補償交渉にあたったのが、守屋洋さんの三陸新報投稿記事2回目で紹介されていた気仙沼出身の弁護士、畠山保雄(もりお)さんです。気仙沼高校3回生。私の19年先輩にあたります。

2020年12月25日ブログ「畠山保雄さんの話」

守屋さんは投稿記事のなかで、えひめ丸に関する畠山さんとのやりとりをつぎのように紹介していました。

「アメリカ側との交渉で最も苦労したのは何かね」と尋ねたところ、「文化の違いだね。日本の常識はアメリカには通用しないし、アメリカの常識は日本側としては受け入れがたい。そのあたりを摺り合わせるのに苦労したよ」ということだった。(引用は以上)

◎元艦長の公開書簡

2月9日の愛媛新聞ONLINEでは、事故時の原潜艦長だったスコット・ワルドさん(61)から犠牲者、遺族、被害者への公開書簡を紹介しています。

愛媛新聞ONLINE2月9日配信記事

そのなかでワルドさんは、「もっと早く会えるよう努めるべきだった。申し訳ない」と謝罪しています。事故後、直接謝罪しないワドル氏に遺族らは憤り、関係者からは日米の文化の違いとも受け止められたとのことですが「上官に止められていた。もっと謝罪の機会を求めるべきだった。速やかな謝罪が重要なことは十分理解していた」と悔いたそうです。

これらの記事を読むと、20年前に日米文化のはざまにあって畠山弁護団長がどんなに苦労されたかと。そして、この元艦長の書簡を畠山さんが読むことができたならばなあとも。

畠山さんは、えひめ丸事故の10年後2011年9月にお亡くなりになりました。78歳。まだまだ、その活躍を期待されていたことでしょう。あらためて、ご冥福を祈ります。
 

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tag : 畠山保雄 守屋洋 えひめ丸

ブルース歌碑再建

気仙沼の「港町ブルース」歌碑が再建されるそうです。2月13日の三陸新報記事で知りました。


港町ブルース
三陸新報2月13日記事の一部イメージ


「港町ブルース」の歌碑があったのは、南町海岸「港ふれあい公園」。私にとっては、〈エースポート脇の広場〉です。

近くに人が立つとメロディーが流れるこの歌碑は2000年10月に建立されました。しかし東日本大震災の津波で被災。現在は市の「クリーン・ヒル・センター」で保管されているそうです。

記事によれば、再建にあたっては台座の上に歌碑を鎮座させる予定で、いかりやスクリューなどは設置しない方向とのこと。

ありゃま。それでいいのかなあ。せっかくスクリューやいかりが残っているのだからそれを活かしての再建という考えもあるのではないかと。ステンレス製であれば磨けばいいし、記事にもある「内湾地区復活のシンボル」としての意味も明確になるのではないでしょうか。正直にいって、〈台座の上に歌碑を鎮座〉させるだけではちょっとつまらない。

記事にはありませんが、あの歌碑の作者は弁天町〈ヤマヨ常山商店〉の常山俊明さん。お会いしたことはないのですが、常山さんは家業のかたわら絵画などの作家活動もしているはずです。

この再建にあたって、常山さんに相談しているのでしょうか。私は、この歌碑が常山さんの〈作品〉だからスクリューなども活かすべきだと言っているのではありません。それらを活かしてこその〈再建〉だろうし、残ったものを作家自身が再構成してもよいでしょう。

記事には、再建費用には東日本大震災復興支援寄付基金繰入金を活用する計画で、開会中の市議会2月定例会に設置費用を提案しているとありました。費用ほかいろいろなことがあるとは思いますが、〈原型復旧〉の方向もご検討いただきたく。

なお、2016年5月のブログで、被災した歌碑のことを書いております。

このほかにも「港町ブルース」にまつわる話を書いているのですが、あらためて紹介することにいたします。

2016年5月9日ブログ「港町ブルース歌碑」

 

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3/11祈念公園開園

一昨日13日の地震には本当に驚いた。東京でも相当なゆれで、怖さを感じながら気仙沼、東北は大丈夫かと心配になりました。余震の可能性などもあるとのことですので、どうぞ気をつけてお過ごしください。

ここからが本題。気仙沼市の東日本大震災追悼式を3月11日の午後2時半から市総合体育館「ケー・ウェーブ」で開催することが、2月12日に市より発表されました。昨年は、新型コロナの影響で中止となっており、今年の開催がどうなるかと気をもんでおりました。

2月13日の三陸新報ではこのように伝えています。

追悼式

三陸新報2月13日記事の一部イメージ


今回の追悼式は、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、例年は約860席だった椅子の配置を550席に減らすなどしての開催となります。

◎復興祈念公園

三陸新報の記事にもあるように、3月11日には、市内陣山(じんやま)で整備が進められていた気仙沼市復興祈念公園が開園します。開園式は午前11時半より関係者限りでおこない、一般の方々の入園は午後1時からとなります。また、午後6時からは、同公園のモニュメント「祈りの帆(セイル)」の点灯式もおこなわれ、その様子をオンラインで配信する予定とのことです。

記事によれば、復興祈念公園は当初、2020年秋の開園を目指していたものの、新型コロナの影響で時期を2度見直したとのことですが、補足が必要でしょう。

新型コロナの関係で開園予定を見直したのは2度かもしれませんが、さかのぼれば4度目の開園時期見直しとなるのではないかと。

2016年3月に公園の整備場所が陣山に決定した時点では2018年度中の完成を目指すとしていました。しかし、基本計画がまとまった2017年6月時点では、2019年度内の完成を目指すと。そして、2019年のクラウドファンディングでの寄付募集開始時には2020年秋の完成見込みとなりました。それが今年1月には2月に開園を予定との報道。そしてこのたび3月11日にという経過です。

話がしつこくなっておりますが、魚町にあった実家の裏山/陣山が敷地ということもあり、復興祈念公園について私はちょっとうるさいのです(笑)。

3月11日の夜にモニュメント「祈りの帆(セイル)」の点灯式という企画はとてもいいですね。追悼式の開催を限定的にせざるをえないなかで、とてもシンボリックな催しとなることでしょう。2012年から18年まで連続7回おこなわれた「3月11日からのヒカリ」を思い出す人も多いことでしょう。

新型コロナウイルスの感染拡大が沈静化して、静かな3月11日を迎えられることを心から願っております。

2017年6月23日ブログ「震災復興祈念公園」
 

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tag : 復興祈念公園

尾形英夫さんの話

昨年10月から11月にかけて三陸新報に掲載された中国文学者守屋洋さんの全5回の投稿については、これまで3度紹介してきました。守屋さんが、〈コロナ騒ぎで家ばかりにいると、なぜか気仙沼高校で同期だった、友人たちのことが思い出されてならない〉として紹介しているのはまずは畠山保雄さんと田中仙吉さんでした。いずれも弁護士。

そして第4回目の投稿で紹介されているのは尾形英夫さんです。尾形さんは徳間書店の編集者として活躍された方。同社では常務取締役にも就任しています。

まずは三陸新報の投稿記事から。


尾形さん

三陸新報2020年10月31日記事より


冒頭に、〈尾形君は松岩、私は階上で、通う道が同じだった〉とあります。尾形英夫さんは、たぶん松岩小・中から気仙沼高校に進んだのでしょう。そして明治大学へ。

あるとき、ばったりと尾形さんに出会った守屋さんは、〈徳間書店で書籍の編集長をつとめていた村山さんという人物〉を紹介されることになります。

この村山さんは、出版局長をつとめた村山孚(まこと)さんだと思います。中国古典研究家として自著も多く、「神子侃」(かみこただし)という筆名も。

徳間書店の『中国の思想』全13巻は、徳間書店から「中国の思想」刊行委員会編として1973年から74年にわたって刊行されています。その後に改訂版も出て、現在では徳間文庫版も手に入ります。

村山さんと会ってから〈数年後になんとか完結〉という守屋さんの話からすると、尾形さんとばったり出会ったのは今から50年ほど前のことだったのではないかと。守屋さんは30代後半で、『中国の思想』の刊行が開始されたときは40歳ぐらい。まさに脂ののりきったころ。あるいは脂ののりはじめの頃でしょう。ちょっとマグロやメカのようなもの言いですみません。

守屋さんと尾形さんとの邂逅がこのシリーズ発刊の端緒となりました。そして、守屋さん自身も13巻中の第2巻「戦国策」を担当執筆します。〈この一冊がその後長い文章活動を続ける上で、大きな支えになってきた。そのきっかけをつくってくれたのが、尾形君に他ならない。感謝しても感謝しきれないものがある〉と。

◎「アニメージュ」創刊編集長

守屋さんはつぎのように続けます。

〈尾形君はその後も徳間書店にあって、宮崎さんといったか、アニメ界の元老と呼ばれるようになる人物と組んで、アニメ雑誌の編集長を務めた。いわばアニメ隆盛の基をつくった功労者の一人と言ってよい〉

この徳間書店のアニメ雑誌は『アニメージュ』です。尾形さんの発案で創刊されました。創刊のきっかけは、〈小学生だった息子がアニメ好きだったから〉との逸話が残されています。

『アニメージュ』を創刊することになったものの、尾形さんの準備は進みません。そこで白羽の矢がたったのは、現在はスタジオジブリの代表取締役プロデューサーである鈴木敏夫さんです。尾形さんは週刊誌『アサヒ芸能』の編集部時代に鈴木さんと一緒だったことがありました。

といった尾形さんに関する話は、鈴木敏夫さんの著書にいろいろと紹介されており、以前からこのブログで紹介しようと思っていました。しかし、面白い話が多すぎてどうにもまとまらない。尾形英夫さんという方は本当に変わった人だったようです。日をあらためて紹介することにします。本日は、尾形さんがいなければアニメージュに連載された宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』やそのアニメ映画化も、そしてスタジオジブリの設立もなかったということだけをお伝えしておきます。鈴木敏夫さんの話によれば、宮崎駿さんは尾形さんに連れられて気仙沼を訪れたこともあるようです。

話を守屋洋さんの投稿記事にもどしましょう。尾形さんは連載最終回となるこの投稿をつぎのように結んでいます。

〈尾形君よ、やるべきことはやったのである。もって瞑すべきではないか〉

尾形英夫さんは、徳間書店の常務取締役をつとめたあと1994年に退任/退社しました。その後、株式会社TMFという出版・映像などの自身の会社を設立して活動していましたが、2007年1月25日に亡くなりました。73歳でした。

私は、独立する前の会社で徳間書店の仕事をしたことがあります。徳間書店が主催する一大イベント「アニメグランプリ」で販売する「アニメージュ」グッズの開発です。同誌ロゴ入りのファンシー商品などを専門会社に手伝ってもらい20点ぐらいつくったでしょうか。

そのときに、私が気仙沼出身と知った宣伝部の担当者に〈たしか編集長が気仙沼高校だったなあ、紹介しようか〉と言われたことがありました。しかし、なんかそうした先輩後輩といったことが苦手なたちなので丁重にお断りしました。向こうも困るでしょうし。それがどうしたと。

そんなこんなの思い出も30数年前のこととなりました。

守屋洋さんにすれば、気仙沼高校で畠山保雄さんや田中仙吉、そして尾形英夫さんと同じときを過ごしたのは70年も前のこととなります。そのお三方もすでにおらず。いまの心境を思わずにはいられません。

最終回となる5回目投稿記事では、気仙沼高校で2年先輩だった熊谷晃さんのことを書いています。これはまた後日。

2020年11月30日ブログ「守屋洋さんの投稿」
2020年12月25日ブログ「畠山保雄さんの話」
1月12日ブログ「田中仙吉さんの話」

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tag : 尾形英夫

「モネ」は5/17から

気仙沼がドラマの舞台のひとつとなるNHK朝ドラ「おかえりモネ」の放送開始日が5月17日(月)ときのう2月10日に発表されました。これまでは、今年の春に放送開始としか発表されていなかっただけに、多くの人が待ちに待った正式発表です。


「おかえりモネ」の舞台のひとつに気仙沼が選ばれたというニュースが発表されたのは昨年5月27日のことでした。そのときの驚きを思い出すために、翌日のブログを再掲します。


◎気仙沼が朝ドラに     

2020年5月28日ブログ再掲

2021年春から放送予定のNHK朝ドラ「おかえりモネ」の物語の舞台のひとつが気仙沼にとのニュースには本当に驚きました。私は昨日16時すぎに気仙沼市のLINEで知りました。NHKの発表にあわせて広報が解禁になったのでしょう。


NHKドラマ番組サイト

この「おかえりモネ」について、NHKのサイトではつぎのように紹介しています。

〈“朝ドラ”第104作は、今を生きるすべての人に捧げたい、「現代ドラマ」です!「海の町」宮城県・気仙沼で生まれ育ち、「森の町」同・登米(とめ)で青春を送るヒロインが、“気象予報”という「天気」にとことん向き合う仕事を通じて、人々に幸せな「未来」を届けてゆく、希望の物語。安達奈緒子さんの脚本による、オリジナル作品です。〉

そして、気象予報士という仕事にとりくむヒロインと気仙沼の関係についてはつぎのように。

〈その根っこにあるのは、故郷・気仙沼と、家族への思い。ヒロインのふるさとは、気仙沼湾沖に浮かぶ緑豊かな島。嵐の夜、産気づいた母を皆が命がけで船で運び、なんとか生まれたヒロインは、島が大好きでした。しかし「3.11」の時、気仙沼は大きな被害を受けました。その日、ある理由で島を離れていた彼女は「自分は何も出来なかった」と後ろめたさを抱き、やがて内陸の登米(とめ)へと移り住みます。以来、ずっと誰かの役に立ちたいと思っていた彼女は、生き方を模索する中で、天気予報の可能性と出会うのです。

懸命に努力して、気象予報士の資格を獲得したヒロイン。東京の気象予報会社に飛び込み、「空の未来を予測して、人々を笑顔にすること」の魅力を知りながら、経験を積んでいきます。時を経て、一人前の気象予報士となった彼女は「気仙沼にかつての活気を取り戻したい」との目標を胸に、故郷の島へ。予報士ならではのアイデアで、家族や幼なじみたちと力を合わせ、ふるさとに貢献する道を探します。〉(引用は以上)

ヒロイン永浦百音(ながうら ももね)役は清原果耶(きよはら かや)さんです。2019年度前期放送の朝ドラ「なつぞら」で、広瀬すずさんが演ずる「奥原なつ」の生き別れになった妹「千遥(ちはる)」役でした。登場回数は多くはありませんでしたが、なんというか特別感がありました。所属事務所はアミューズ。雑誌「Seventeen」のモデルとしても活躍しているとのことです。アミューズにとって次世代のスター候補でしょう。

しかし本当に驚いた。この気仙沼を舞台のひとつとするNHK朝ドラの話は、気仙沼でどれくらい知られていたのでしょうか。少なくともうわさとしてはあったと思うのですが。

たとえば、〈あんだだげに教えでおぐけんと、だれにも言うんすなよ〉みたいな話が、かなり蔓延していたとか(笑)。

この「おかえりモネ」に関する話がこれからいろいろ聞こえてくることでしょう。とても楽しみです。本日はとりあえずの速報ということで。(再掲内容は以上)

そしてモネをとりまく「気仙沼の家族」が発表されたのは昨年9月11日のことでした。つぎのブログで紹介しました。

2020年9月14日ブログ「モネの家族」発表

8月26日には、ドラマ放送の効果を、観光や物産をはじめ最大限に引き出すことを目指し、官民による「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会も設立されました。放送開始日が決まったことで、様々な準備活動が本格化することでしょう。

2020年8月31日ブログ「モネの実行委員会」

そしてなんといっても大変なのは、NHKのドラマ関係者の皆さんです。放送開始まで、あと3カ月。コロナ禍にあっての進行は、本当に苦労が多いことと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : おかえりモネ

階上の「お伊勢浜」

三陸新報のシリーズ記事「今を見る『途上の街』」は、震災後の気仙沼市や南三陸町の復興による風景の変化を写真で伝えてくれます。

2月6日の同記事での写真は、階上(はしかみ)地区のお伊勢浜の風景です。

お伊勢浜

三陸新報2月6日記事の一部イメージ


私が知るお伊勢浜の風景とはかなり違うながめ。震災前、夏に帰省すると、まだ小さかった息子も連れてお伊勢浜にいきました。松林のなかにある食堂でのラーメンや、スピーカーから流れる地元のおじさん/おじいさんの声が懐かしい。

写真にうつる「お伊勢浜海水浴場」では、林野庁による海岸防潮堤の工事が昨年末までに完了して砂浜も復活したそうです。防潮堤は520m、海抜9.8mとのこと。

背後地にはシャワールームやトイレ、駐車場も完備され、昨夏には震災後初の海開きを予定していましたが、新型コロナの感染拡大を受けて、今夏に延期されました。

風景は変わったものの、これはこれとして新しい景観のなかで海水浴を楽しむことができればと。

記事によれば、東日本大震災の津波で、このあたり波路上杉ノ下(はじかみすぎのした)地区では住民300人が犠牲になりました。近くには、震災犠牲者慰霊碑があります。

◎「階上」観光ガイドブック

前日2月5日の三陸新報にも階上地区の話題が紹介されていました。観光ガイドブックが完成したとのこと。


階上ガイドブック

三陸新報2月5日記事の一部イメージ


この気仙沼「階上」観光ガイドブックは、気仙沼市階上観光協会(畠山勝弘会長)が制作しました。カラーA2判の折りたたみ式。地図の掲載面では、「龍の松」などがある岩井崎、お伊勢浜海水浴場、震災犠牲者慰霊碑が設置されている杉ノ下地区、そして特産品などを紹介。

もうひとつの面では気仙沼市震災遺構・伝承館やパークゴルフ場、飲食店、宿泊施設などを掲載しているそうです。

県の補助金を活用して5000部を制作したとのことです。機会があれば、どうぞ手に取ってご覧くださいますように。同協会のホームページも近く完成予定とのことです。これはまた紹介することにいたしましょう。

この夏、地元の人たちが心待ちにしているお伊勢浜海水浴場の海開きが無事おこなわれるようにと願っております。

お伊勢浜海水浴場の被災水門の保存についてはつぎのブログで紹介しました。この水門は、冒頭記事の写真でいうと左方向にあるのでしょうか。なにがなにやら見当もつきません。

2018年2月13日ブログ「被災水門保存異論」
 

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tag : 階上 お伊勢浜海水浴場

角星の白山製造所

気仙沼の酒造会社「角星」(かくぼし)さんが、2015年3月末に閉校した白山(はくさん)小学校の旧校舎や体育館を活用して、新たな醸造工場「白山製造場」を新設するそうです。

河北新報の2月5日のツイッター投稿を紹介します。(クリックで記事にジャンプ)


記事によれば、2月5日に着工し、9月中旬の工事完了、11月からの醸造開始を目指すとのことです。

角星さんの醸造所は皆さんよくご存じのように、市内魚町から安波山のほうに少しのぼった太田(おおた)にあります。しかし、震災による梁(はり)への亀裂や、老朽化などもあり、このたびの完全移転を決断したとのことです。

2月6日の三陸新報は、つぎのように報じています。


角星

三陸新報2月6日記事の一部イメージ


記事によれば、改修にかかる総工費は約7億円で、このうち3億円は経済産業省の津波立地補助金を活用したとのこと。土地は市から購入しましたが、建物は無償譲渡されました。

清酒はこれまでの倍となる量を製造するほか、市内の八瀬(やっせ)産などのブドウを使ったワインや、鹿折など地元産を原料にしたリンゴ酒(シードル)の製造も計画しているとのことです。どんなワインやシードルができあがるのか、とても楽しみですね。

このかなり積極的な事業計画の陣頭指揮をとるのは、斉藤嘉一郎社長(62)です。小山容子さん(3年5組)の弟さん。

三陸新報の記事には、新型コロナの影響で設計に時間がかかり着工が約半年遅くなったとありました。これだけ大きな投資をしての新製造場建設ですから気が気でなかったことでしょう。

斉藤社長、待ちに待った着工、おめでとうございます。白山でのあらたな醸造開始を無事に迎えられますよう願っております。
 

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tag : 角星 白山小学校

新著 『春を待つ海』

本日は書籍の紹介。気仙沼出身の川島秀一さんの新著『春を待つ海』が2月5日に冨山房インターナショナルから刊行されました。2月7日の三陸新報が伝えてくれました。


春を待つ海
三陸新報2月7日記事より


秀一さんは、同じ魚町(さかなまち)で育ち気小・中・高校のいっこ下。気中21回生です。そんなことで、こうした活躍の様子を知るととてもうれしい。

川島秀一さんは、東北大学災害科学国際研究所教授を2018年3月末に定年で退官しました。その後、4月4日から福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めたとの読売新聞記事を見たときには本当におどろきました。つぎのブログでそのときのことを記しました。

2018年4月9日ブログ「川島さんの再出発」

もう少しで新地町での暮らしも3年になるのですね。『春を待つ海』には、そこに住むことなしには知り得ない、そして記録することができない多くのことが記されていることでしょう。

さっそくAmazonで注文したので明日には届くはず。案内文も引用しておきます。

東日本大震災・福島原発事故から10年ーー福島の漁業は…… 本書は、震災の津波で流されて跡形もなくなり、さらに、原発事故で漁業が制限された福島県相馬郡の釣師浜(つるしはま)の漁師の以前の生活と、震災後の動向を描いています。 日本の文化と伝統を調査・記録してきた民俗学者が、漁師と共に暮らし、実際に漁業に携わりながら、海と人間の生活、自然のなかの生命を考えます。「漁業」には、漁獲量や漁法などだけでは決してとらえることができない、海と共に生きるための奥深い生活があります。 自然の中の人間という位置を、悲しみのなかで再認識した10年前の大震災と原発事故ーー人間が自然の海を管理できると思うのではなく、この列島でながいあいだ伝えられてきた漁師たちの文化を大切にして、目の前の海で生活できる漁業の幸せこそ、守るべきものだと語ります。(引用は以上)

川島さんは、昨年6月にも『「本読み」の民俗誌』を勉誠出版から上梓しています。幸いなことにご恵贈いただきました。このブログでも紹介しようと思いながら、〈本読み〉そして本書でいうところの〈本〉を簡単に説明するのがなかなか難しく、そのままになっておりました。これについてはまたあらためて。そんななかで新たな著書のニュースに接しました。

なお、三陸新報の記事にもあるように、川島さんは昨年10月に日本民俗学会の会長に選任されています。つぎのブログで紹介しました。学会の仕事もいろいろとあるだろうなかでの新著です。

2020年10月22日ブログ「日本民俗学会会長」

書名もいいですね。『春を待つ海』。あと1カ月で震災から10年。春を待つ福島の漁師たちの民俗というか文化、というとちょっと堅苦しければ、仕事や暮らしがそこに記されているはずです。川島秀一さんの新著 『春を待つ海』を、どうぞよろしく。



◎新規コロナ感染者

2月6日に気仙沼市での新規感染者3名が発表されました。2月4日にクラスター認定された気仙沼向洋高校での感染ではありません。3名のうち1名は市教育委員会職員とのことです。
2月7日には、20代の男性(アルバイト)1名の感染が発表されています。市によれば、1月26日にクラスター(感染者集団)と認識された市内の事務所(食料品製造業)滞在者とのこと。累計感染者数は65例となりました。
 

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tag : 川島秀一

鮎貝家の落合直文

1月25日のブログで、初代気仙沼町長をつとめた鮎貝盛徳さんの書/屏風を紹介しました。

1月25日ブログ「鮎貝盛徳 屏風半双」

このブログのなかで、盛徳の次弟が、明治時代の国文学者で歌人としても知られる落合直文(なおぶみ)であることを記しました。直文は、国学者・落合直亮(なおあき)の養子となったことにより落合姓となっています。

下記に紹介する河北新報の記事によれば、直文7歳の時に仙台藩が戊辰戦争で敗れます。直文の父は、仙台藩伊達家重臣の鮎貝太郎平盛房です。実家、つまり鮎貝家は困窮したということです。養子となったことの背景のひとつといえるかもしれません。

落合直文は1861年11月に生まれ1903年に43歳でなくなりました。今年は、生誕160年ということになります。

三陸新報元日号の企画頁につぎの記事が掲載されていました。後藤美咲さんの署名記事。


落合直文

三陸新報1月1日記事の一部イメージ


落合直文の功績については、この記事にも紹介されていますし、ネットでも多くの情報を得ることができますので細かな話は省きます。ここでは、直文が古来の和歌の世界を改革し、近代短歌の源流を生みだした一人であることのみ記しておきます。つぎの河北新報の記事もご参考まで。気仙沼総局/鈴木悠太さんによる記事です。

河北新報2020年5月1日配信記事

◎近現代歌人系譜

三陸新報の記事には、明治26年/1893年に落合直文が結成した短歌結社「浅香社(あさかしゃ)」から始まる近現代歌人系譜が掲載されていました。

系譜
三陸新報1月1日記事より


短歌についてよく知りませんが、与謝野鉄幹『明星』の下には、与謝野晶子、石川啄木、高村光太郎、北原白秋など、私でも知る人の名が連なります。また、尾上紫舟の下の名をたどっていけば、若山牧水や前田夕暮(ゆうぐれ)の名も。さらに前田夕暮『詩歌』には気仙沼の歌人、熊谷武雄の名も記されています。

落合直文は、つまりこういう人でした。

◎近代短歌における「恋人」

三陸新報の記事で落合直文は、「恋人」という言葉を短歌で初めて使ったと紹介されています。みなさんよくご存じのつぎの歌。

砂の上に わが恋人の名をかけば 波のよせきて かげもとどめず

短歌ではじめてというのは、あくまで近代短歌ではじめてということでしょう。こうした表現ができるような短歌の世界を落合直文らが創造したということかもしれません。この歌は明治33年に直文の弟子である与謝野鉄幹が発行した『明星』に掲載されたそうです。

「恋人」という言葉がこの短歌で初めて使われたとの話は、前田透の『落合直文』に記されていることのようです。歌人前田透は、前田夕暮の長男。夕暮の死後に『詩歌』を継承しています。

◎JR南気仙沼駅前の歌碑

昭和63年/1988年9月、気仙沼南ロータリークラブが創立20周年記念として、この「恋人」の歌碑をJR南気仙沼駅前に建立しました。この碑には〈「近代短歌史上「恋人」という翻訳語名詞を日本で最初に使った落合直文の歌〉とあります。これが正確な紹介なのかもしれません。

今、この歌碑はどこにあるのか。〈波のよせきて かげもとどめず〉ということではありません。草がはえるだけの駅前広場にこの碑がうつる2013年の画像をネットで確認できるのです。しかしいまもそこにあるのかどうか。市の総合体育館「ケーウェーブ」の近くにあると聞いたような覚えもあるのですが。

◎落合直文生誕160年祭

気仙沼の落合直文顕彰会は、今秋に「落合直文生誕160年祭」を企画しています。顕彰会の現会長は、このブログでも大変お世話になっている『気仙沼文化史年表』の著者で元気仙沼図書館長の荒木英夫さんです。

三陸新報元日号の記事のなかに、荒木さんのインタビュー内容がありました。そのなかで、お気に入りの一首をと求められた荒木さんがあげた短歌を紹介します。

父と母と いづれがよきと 子に問へば 父よといひて 母をかへりみぬ

いいね。この歌も、短歌革新のひとつの成果ではないかと。

◎新規コロナ感染者

きのう2月4日、気仙沼市での感染者1名の発表がありました。70代男性です。県の発表によれば接触歴は調査中とのこと。累計感染者数は56例です。

(2/5 午後7時追記:本日夕方に、気仙沼市での感染者5名の発表がありました。県からの発表内容に校名はありませんが、2月3日に発表された1名の感染者と同じ気仙沼向洋高校の生徒です。県内66例目のクラスターとして認識されたとのこと。累計感染者数は61例となりました。)

2017年11月20日ブログ「鮎貝家煙雲館庭園」
 
 

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tag : 落合直文 鮎貝家 煙雲館

2040年 人口目標

きょう2月4日の三陸新報を見ておどろいた人も多いのではないでしょうか。気仙沼市は、第2次総合計画における2040年時点での将来人口目標を4万2千人にする方針だというのです。


人口目標
三陸新報2月4日記事の一部イメージ


この人口目標は、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計より3700人多いとのこと。つまり、社人研の2400年人口推計は3万8300人。まさかの3万人台です。

この将来人口推計は以前にも紹介されていて、そのときもちょっと驚いたことをおぼえています。なんとなく気仙沼市の人口は約6万人という思い込みが強いものですから。合併前となるとさらに少ないでしょうね。

2018年1月のブログで、3市町合併後の人口推移グラフを紹介しましたが、なかにあった2009年時点人口は7万5000人でした。

2018年1月15日ブログ「気仙沼市人口減少」

三陸新報記事によれば、データ作成のベースとなっている2015年時点での人口は6万5千人。しかし、進学や就職を機会とする若者の転出などによって人口が半数近く減ると予測したそうです。

気仙沼にかぎらず、日本の少子化という傾向はわかっているものの、こうして20年後は4万人台ときくと、正直なところ驚きます。

この人口目標を記した第2次総合計画の後期基本計画は、2月15日から1カ月間でパブリックコメントを受付、市総合計画審議会を経て、4月以降に市議会の議決を得て正式決定するそうです。

◎新規コロナ感染者

きのう2月3日、気仙沼市で感染者1名の発表がありました。本日の三陸新報で報じられているように気仙沼向洋高校の生徒です。これにより、2月3日から5日まで、向洋高校は臨時休校となりました。累計感染者数は55例です。
 

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tag : 人口目標

高速道路の使い方

3月6日に気仙沼湾横断橋が開通すると2月1日のブログでお伝えしました。

2月1日ブログ「横断橋3/6に開通」

そのなかで、記者発表資料から気仙沼湾横断橋を含む三陸道「気仙沼道路」(気仙沼中央IC〜唐桑半島IC)の説明図を紹介したのですが、掲載にあたって削除した図がありました。4つのインターチェンジ(IC)の利用/乗り降り方法です。本日はそのご紹介。

まずは前回紹介した三陸道「気仙沼道路」の図から4つのIC部分を拡大します。


拡大図

画像はすべて1月29日付け記者発表資料より


各ICについて、図の左から順に、乗り降りの可否を言葉でまとめるとこんな感じ。

①浦島大橋IC
 岩手方面への乗り降りはできません。
②気仙沼鹿折
 仙台方面への乗り降りはできません。
③唐桑半島(出口)
 岩手方面へのみ降りることができます。
④唐桑半島(入口)
 仙台方面へのみ乗ることができます。

つぎに以前のブログでは紹介しなかった乗り降りの説明図です。
赤矢印は〈三陸道へ入る〉、青矢印は〈三陸道から出る〉です。


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私が混乱したのは、○○方面へ降りるという説明。これは、〈下道〉としての国道○○方面道路にスムーズに接続できるということなのでしょうね。

たとえば、仙台方面に向かおうとしていた車が、岩手方面へのみ降りることができる③唐桑半島(出口)ICを出てしまっても、国道45号線のどこかでぐるっと回れば仙台に向かうことができるということなのでしょう。違いますかね。

面倒くさい話になっているかもしれませんが、なんか初期には混乱がありそうと思ったもので。たとえば、その多くはすでに69歳となった気仙沼の同級生/気中20回生は大丈夫かなと。

本日きこえてきた声は〈どうすべえ。なんぼいわれでも おら わがんね〉。ま、頭の体操だと思って(笑)。

首都高速を走っていて、降りるはずの出口を通り過ぎてしまいアタフタしたことを思い出しながら書きました。あわててひとつ前の出口で降りたこともあったなあ。そんな私ですが、今後ともどうぞよろしく。
 

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tag : 気仙沼湾横断橋 三陸道

鹿折金山史話 増刷

鹿折金山(ししおりきんざん)についての冊子「鹿折金山史話」発行については昨年11月のブログでも紹介しました。

2020年11月10日ブログ「鹿折金山史話 発行」

この鹿折金山に関する証言記録をまとめた冊子「陸奥 気仙沼黄金郷 鹿折金山史話」はA4判で全31頁。発行元は気仙沼市の鹿折金山資料館運営委員会(藤村範光委員長)です。

100部を作製し、関係団体や個人に寄贈したとのことでしたが、増刷して販売することも検討していると記事にありました。

そして年があけて1月23日の三陸新報に、地域住民からの要望を受けて100部の増刷がおこなわれ、一般向けの販売がされているとの紹介記事がありました。

鹿折金山史話

三陸新報1月23日記事より


記事によれば、一般販売に向けて、以前よりも文章の表現を変えるなどして読みやすくしているとのこと。

価格は2000円(税込)。希望者は鹿折金山資料館で購入するか、鹿折公民館(電話0226・22・6937)まで問い合わせとのことです。

さっそく先週末に鹿折公民館に電話で問い合わせ、メールで詳細情報をお教えいただいたところです。A4判31頁で2000円。欲しいのは鹿折金山資料館の資料図録的なものなので、どうしたものかと。

どこからか〈小田くん、けちくさいこと言わないで買えばいいっちゃ〉という声が聞こえます。

そうだね。前向きに検討したく(笑)。

2019年5月6日ブログ「追悼:村上安正氏」
 
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 鹿折金山

横断橋3/6に開通

気仙沼湾横断橋が3月6日(土)15時30分に開通と1月29日に発表されました。三陸道(三陸沿岸道路)のうち「気仙沼港IC〜唐桑半島IC」間の供用開始による宮城県内全線開通で、仙台市と宮古市が高速道路で直結します

これを伝える1月30日の三陸新報の一面。

横断橋開通

三陸新報1月30日記事の一部イメージ


地元の喜びが伝わってくる紙面です。記事にある菅原茂市長のコメント冒頭には「2011年11月の全線事業化から10年での完成は、国内で前例のないほどの早さ。国をはじめとする関係者の皆さんの尽力に心から感謝する」とありました。国が「復興道路」と位置づけて整備をつづけた成果といってよいでしょう。

仙台河川国道事務所・県・市の記者発表資料から、気仙沼湾横断橋を含む三陸道「気仙沼道路」(気仙沼中央IC〜唐桑半島IC)の説明図を紹介します。

道路地図

1月29日付け記者発表資料より


河北新報の1月29日配信記事によれば、この気仙沼道路の計9.0kmの総事業費は1365億円とのことです。

なお、開通式典は、新型コロナ感染拡大防止の観点から、一般からの参加を取りやめ、関係者のみでおこなうとことです。残念ではありますが、感染状況からいたしかたなし。

開通日3月6日は土曜日。そして5日後は3月11日。震災から10年を迎えます。

◎新規コロナ感染者

1月29日(金)夕方にも気仙沼市内での感染者3名の発表がありました。10代男性、40代女性、50代女性です。いずれも会社員。10代男性と40代女性は、同日に公表された燃料小売業施設滞在者とのこと。1月27日に発表された20代男性も同じ施設に滞在していたということです。

そして1月31日(土)には、1名の発表。60代女性です。すでに陽性として発表された方との接触歴ありとのこと。これまでの発表のしかたを見ていると、燃料小売業施設や食料品製造業施設などとの直接的な関わりはないように思います。累計感染者数は54例となりました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼湾横断橋 三陸道

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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