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気仙沼の2020年

気仙沼中央公民館の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補28項目が決まりました。12月26日の三陸新報が紹介しています。報道機関や各公民館長など16人による会議で決定したとのこと。


上
下

三陸新報12月26日掲載記事より


この〈五大ニュース〉は昭和20年に始まりました。私の計算では今年で74回目。

この28候補に対する市民の投票で五大ニュースが決定されます。投票は1月8日から21日まで。投票箱は、各公民館や公共施設など67カ所に設置されるとのこと。五大ニュースの的中者8人には、賞状と記念品が贈られるそうです。

私も選んでみたのですが、トップニュースはやはり「新型コロナ」ではないかと。ダントツの1位。〈「おかえりモネ」の舞台に決まる〉もビッグニュースでしたが、コロナと比べるとね。

きのう12月29日(火)には、気仙沼市民1人のあらたな新型コロナウイルス感染が発表されました。70代女性で既感染者との接触歴があるとのことです。気仙沼市累計16人となりました。

毎年、〈あっという間の一年〉と言っておりますが、今年はさらに加速したような気がします。なかなか先が見通せない感じがありますが、少しでも希望を感じる新年を迎えることができればと。

今年もこの気中20ブログをお読みいただき、ありがとうございました。どうぞ、よい年をお迎えください。

2019年12月30日ブログ「気仙沼の2019年」
2018年12月28日ブログ「気仙沼の2018年」
 
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tag : 五大ニュース

「かなえおおはし」

気仙沼湾横断橋(正式名)の「愛称」が「かなえおおはし」に決定とのことです。

まずは河北新報の12月29日ツイート記事から。



そして、三陸新報の記事。

かなえおおはし

三陸新報12月29日記事の一部イメージ


年内に決定内容を発表とのことでしたが、昨日まではとくに報道もなく、どうなっているのだろうかと思っておりました。

私はこのブログでもお伝えしてきた「気仙沼ベイブリッジ」で応募しました。市の募集要項に示されている応募内容・基準への疑問はあったものの、各基準ごとにちょっと長い説明文を記しておきました。字数制限がなかったことに甘えて。

三陸新報の記事によれば、鼎が浦をモチーフにした案が多く、「夢、希望をかなえる」という意味をこめた「かなえおおはし」に決定したとのこと。これにならんで多かったのは気仙沼ベイブリッジやそれに類似したものとのこと。

すべてひらがなにした「かなえおおはし」での応募はなかったようです。記事に、決定した愛称に近い「かなえ大橋」「鼎大橋」と書いた9人に、地元物産品の詰め合わせを贈ったとありました。

年末にしつこい話は避けますが、愛称が「かなえおおはし」と決まっても、正式名「気仙沼湾横断橋」が多用されるような感じもいたします。地元の人は「横断橋」かな。それと、英文名はどうなるのでしょうか。「KANAE OHASHI」ですかね。

どうしても、「気仙沼大島大橋」(正式名)の愛称「鶴亀大橋」のことを思い出してしまうのです。名称としてよくても、使われなければはじまりません。

なお、以前のブログで、「気仙沼ベイブリッジ」とすれば、正式名称の英文名と一致させることができるのではないかと書きましたが、気仙沼市の公式英文Facebook「
KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」の12月20日記事では、「Kesennuma Bay Crossing Bridge」の表記としていました。これが国交省としての正式英文名称がどうかはわかりません。

私は愛称が「かなえおおはし」に決まったいま、正式英文名を「Crossing」をはぶいた「Kesennuma Bay Bridge」にしてほしいと思っております。

そして、おれだぢは英語でよぶべし(笑)
 

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tag : 気仙沼湾横断橋

サユミのPlayList

12月26日(土)と27日(日)連続で、あらたな気仙沼在住者の新型コロナウイルス感染が発表されました。26日が40代と50代の男性会社員と未就学男児1人の計3人。27日が60代男性会社員1人です。これで気仙沼市累計15人となりました。両日の4人とも既感染者との接触歴があるとのことです。

ここからが本題です。12月26日から、ほぼ日さんの年末年始特別読み直し企画が始まっています。「私のほぼ日プレイリスト」。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の創刊から22年にわたる膨大な記事/読みもののなかから、ほぼ日さんに縁のある11人がそのお気に入りを紹介するという企画です。




私のほぼ日プレイリスト」より


第1回目は、古賀史健さん、2回目は、画家の笹尾光彦さんでした。そして本日更新の3回目はなんと気仙沼の〈サユミ〉さんが登場です。

3 サユミちゃんのプレイリスト

〈サユミちゃんのプレイリスト〉のタイトルは、〈サユミの「東北においでよ」プレイリスト〉です。「牡蠣の一代さん」にはじまり、5つの読みものが紹介されています。

それぞれの内容はお読みいただくことにして、ここでは、サユミさんが冒頭に記したメッセージを引用させていただきます。

みなさん、こんにちは! 気仙沼のサユミです。
気仙沼のほぼ日がおひらきになってから早1年です。
みなさん、覚えてますか〜。
ちょっとお忘れの方! よろしければ、
私の書いた気仙沼実録漫画「沼のハナヨメ。」をご覧いただければ幸いです。
全212話とそれなりの数がありますので、
おヒマな時にどうぞ。
今やただの「気仙沼のサユミ」なのに、
こうしてほぼ日のコンテンツに呼んでいただけて
嬉しいです。ありがとうございます。
さて、私は、ほぼ日を卒業後も、
気仙沼に住んでおりますので、今回は
「東北関連コンテンツ」の中から
好きなものを5つ選びたいと思います。

引用は以上です。「沼のハナヨメ。」は〈気仙沼実録漫画〉だったのですね(笑)。

サユミさんが紹介してくれた東北に関する読み物はそれぞれ読みごたえがありますよ。すでに読んだよという方も、是非にもう一度。私もそうするつもりです。

どうぞよろしく。

6月16日ブログ「サユミさん新連載」
 
 

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tag : サユミ ほぼ日

畠山保雄さんの話

きのう12月24日、あらたな気仙沼市民2人の新型コロナウイルス感染が発表されました。20代と40代の男性会社員とのこと。これで気仙沼市累計11人となりました。東京は同日888人でした。なかなか落ち着きませんね。

さて。11月30日のブログで、中国文学者である守屋洋さんの三陸新報投稿記事を紹介しました。

11月30日ブログ「守屋洋さんの投稿」

守屋さんは1932年生まれで気仙沼高校3回生。この投稿では、気仙沼高校時代の同期生の思い出話などを4回にわたってつづっています。

本日紹介するのはその2回目「思い出すままに 畠山保雄君のこと」です。


10:28畠山保雄さん
三陸新報10月28日記事より


畠山保雄(もりお)さんが所属していたのは、企業法務を中心としている丸の内総合法律事務所。多くの著名企業を顧問先としていることで知られています。

守屋さんの文章のなかで私が驚いたのは〈彼は企業弁護士としては日本でもトップクラスであった。ついには最高裁判事の候補に挙げられ、最終選考まで残っている〉という記述です。これは伝聞情報でしょうが、畠山弁護士が代表パートナーをつとめていた丸の内総合法律事務所に関する情報をみて、なるほどと納得しました。

同事務所は、1950年に松本正雄法律事務所として設立されましたが、1967年に松本弁護士が最高裁判事に就任したことにより、事務所名を「丸の内総合法律事務所」に改称し、畠山保雄弁護士を代表とするパートナー制の事務所となったそうです。

多くの弁護士が所属する法律事務所で、その代表に就任したということは、力量、識見にすぐれ、人望もあったということでしょう。

なお、気仙沼高校同窓会名簿によれば、畠山保雄さんは東北大学に進んでいます。気仙沼高校から東北大に、そして弁護士ということは、小松亀一君(3年6組)の大先輩ですね。

◎えひめ丸事故

守屋さんは、畠山さんから聞いた話のひとつとして、〈日本の漁船がハワイでアメリカの潜水艦に衝突されて死者を出すという事件〉を紹介しています。これについては、少し補足が必要です。

この事件というか事故は、2001年に愛媛県立宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」が米海軍潜水艦「グリーンビル」に衝突され教員5人と生徒4人が亡くなった事故のことです。畠山さんは、「(愛媛)県・被害者グループ弁護団」の団長として米海軍との補償交渉にあたりました。

時事通信によれば、交渉から1年半で米海軍と正式和解が成立し、米側が総額1390万ドル余(約16億7000万円)の賠償金を支払うことになったそうです。

投稿文の末尾に〈保雄君とは小学校時代から一緒だった〉とありました。階上(はしかみ)小、階上中ということでしょう。そして〈思い出すたびに感謝の念がこみあげてくる〉と結んでいます。

新聞報道によれば、畠山保雄さんは2011年9月17日に78歳で亡くなりました。肝臓がんだったとのことです。
 

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tag : 畠山保雄 守屋洋

郷土の歴史を知る

気仙沼での郷土史に関する講演会や学習会が開かれたという新聞記事を目にすることがあります。さほど珍しいことでもないのでしょう。しかし、地元紙「三陸新報」さんの同日紙面に、ふたつの催事が紹介されることはちょっとめずらしいのではないかと。

12月8日の三陸新報に掲載されたふたつの記事を紹介します。


◎田束山の歴史を紐解く

田束山(たつがねさん)は、本吉郡南三陸町と気仙沼市本吉町にまたがる山です。気仙沼市立小泉公民館で開かれたのは、郷土史講話「田束山の歴史を紐解く」。講師は、歌津地区復興支援の会「一燈」の小野寺寛代表でした。


12:8田束山

三陸新報12月8日記事の一部イメージ


田束山は、山岳信仰の霊山としても知られています。小野寺さんによれば、奥州藤原家は、清水寺、寂光寺、金峰寺の3寺院を建てるなどして修験者を受け入れ、多いときで千人ほどが修行していたとのこと。千人という数字に驚かされました。

また、田束山一帯から採れる「本吉金」が「気仙金」「磐井金」と並んで奥州藤原氏の黄金文化を支えたとも。そして、現在は仙台市博物館に収蔵されている武蔵坊弁慶の長刀(薙刀/なぎなた)は、もとは寂光寺にあったものだそうです。ネットで調べてみると、寂光寺に伝来していたものを伊達家が召し上げたものであるようです。


◎気仙沼大島/崎浜ものがたり

12月5日に大島の長命寺で開かれたのは、崎浜美和会による文化講演会「崎浜ものがたり」です。講師は、地区の民俗誌「崎浜の民俗」を刊行した神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科の小野寺祐紀さん。崎浜地区は気仙沼大島の南西部。住所でいうと気仙沼市駒形などです。

12:8崎浜

三陸新報12月8日記事より


小野寺さんによれば、日本に残る文献のなかで「崎浜」が登場したのは1700年代とみられ、その頃から地域の呼称として親しまれていたのではないかと。これはあくまで大島の崎浜のことだと思います。

「崎浜」という地域名称は唐桑町にもありますし、全国各地にある地域名。そんな「崎の浜」の意味なども語られたことでしょう。

講演会では、1970年代に地区内で撮影された岩ノリ採りの記録映像も紹介されたそうです。半世紀前の映像を見て、自分の若かりしころを思い出した方も多かったのではないでしょうか。

なお、「崎浜美和会」の「美和」の読みが「びわ」であることを知ったのは、このブログで美和太鼓を紹介したときのことでした。気仙沼にあまたある太鼓、うちばやし団体の活動も、地域の歴史や文化伝承の大きな役割を担っているのでしょう。

2017年11月10日ブログ「民俗芸能の集い2」

 

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tag : 田束山 崎浜

経済産業大臣賞!

「気仙沼漁師カレンダー2021」が、第72回 全国カレンダー展で経済産業大臣賞・金賞を受賞しました。きのう12月22日付けで発表されました。素晴らしい。

この全国カレンダー展は、一般社団法人日本印刷産業連合会とフジサンケイ ビジネスアイが主催するもので印刷やデザイン関連業界のなかでとても歴史のあるコンクールです。

第3部門は、出版・小売販売・既成カレンダーという区分で、経済産業大臣賞は同部門の最高賞。受賞作品リストを紹介しておきましょう。一番上が気仙沼漁師カレンダーです。


受賞リスト

日本印刷産業連合会サイトより


気仙沼漁師カレンダーは2014年版から始まり2021年版で7回目の発行となります。そしてこれまで、2014年版が経済産業大臣賞(金賞)、2016年版がフジサンケイビジネスアイ賞(銀賞)、2018年版が審査員特別賞(銀賞)、2019年版が経済産業大臣賞(金賞)を受賞。今回は通算5度目の受賞、3度目の経済産業大臣賞(金賞)ということになります。

発行者である気仙沼つばき会(会長 斉藤和枝さん)、企画制作を担当した(株)バンブーカット(代表 竹内順平さん)、そして撮影を担当してくださった写真家の幡野広志さん。また、今回も印刷を担当したであろう(株)三陸印刷さんなど、すべての関係者の皆さまに心からお祝いを申し上げます。

このたびの経済産業大臣賞・金賞受賞、おめでとうございました。

7月3日ブログ「幡野さんの写真展」
7月28日ブログ「7人の漁師写真家」
 

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前澤さんの「納税」

前澤友作さんのふるさと納税8億円の寄付先募集に、気仙沼市の菅原市長が提案応募したことは、11月23日のブログでお伝えしました。テーマは大島の亀山リフト再建でした。その寄付先発表はいつかなと思っていたのですが、きのう12月21日に前澤さんのツイートで発表されました。

それに対して、菅原市長はつぎのように投稿しています。


前澤さんの寄付先募集に対しては、156の首長および自治体から提案があったそうです。そして今回は、提案があったすべての自治体向けに各500万円(総額7.8億円)のふるさと納税をするとの発表です。

結果的に156の分散納税になりましたが、前澤さんもいろいろと迷ったのではないでしょうか。まとめてドカンととか、数カ所に数億ずつということも念頭にあったでしょうから。

気仙沼市への500万円納税はとてもありがたいこと。亀山リフトの再建というわけにはいきませんが、市長の投稿にもあったように、大事にしっかりと使わせてもらうことになるでしょう。

前澤さん、ありがとうございます。甘えたり、おねだりするわけではありませんが、今後とも気仙沼をどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 前澤友作 ふるさと納税

男山の花婿さんは

前回12月18日のブログの続きです。「目で見る気仙沼の歴史」に紹介されていた嫁入行列の行き先についてです。行列の写真を再掲しておきます。


嫁入行列

「目で見る気仙沼の歴史」p148より


12月18日ブログ「男山への嫁入行列」

斉直商店を出た花嫁が向かう先は男山本店ですが、花婿はどなたなのか。前回のブログでは、男山本店の現代表、菅原昭彦さんの祖父にあたる菅原克己さん、つまり、気仙沼市長もつとめた菅原雅(まさし)さんのお父様ではないか、と記しました。それは、気仙沼市史の記述からの推測でした。

気仙沼市史第5巻「産業編(上)」の「醸造業の変遷」(p393)での男山菅原家に関する記述を引用します。

◇男山菅原家 (現 (株)男山本店)

男山は明治10年の創業で、初代菅原嘉吉は、気仙沼町八日町に居をかまえ、石灰業を主業としていた。

2代目昭治は石灰業の行き先に不安を感じ、山の権利を譲渡して酒造業に転換して行く。明治36年あたりから酒小売業を営んでいたが、明治41年に濁酒製造免許を受けて醸造を始めた。そして大正元年町内入沢に酒蔵を建て清酒醸造に乗り出した。(この後の、屋号、酒銘にもなっている「男山」の由来は略します)

昭和20年に3代目(酒造の2代目)克己が免許を継承、経営の伸長に努め、4代目雅が気仙沼市長を勤めた48年から現役に復帰して第一線の指揮をとったこともあった。

現在は4代目雅である。(以下略。引用は以上)


つまり、菅原家は、嘉吉〜昭治〜克己〜雅、そして現在の社長である昭彦さんへと継承されてきたことになります。

ということになると、昭和3、4年に斉直商店からお嫁さんをもらうとなると、昭治さんでは古すぎるし、雅さんでもないし。そんなことから、お婿さんは、菅原克己さんに決定。

とはいうものの、なにか勘違いしている可能性もありますね。どなたか、菅原昭彦さんにお会いしたら、こうたずねてもらえませんでしょうか。

〈あんだいのお祖母さんは、斉直さんからだったべが〉

どうぞよろしく。


男山本店ウェブサイト

 

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tag : 男山本店

男山への嫁入行列

12月16日の2人につづき、昨日17日も気仙沼市居住者2人の新型コロナウイルス感染が発表されました。いずれも40代男性会社員。東京は822人でした。引き続き、感染予防に留意することにいたしましょう。

ここからが本題。12月1日のブログで、唐桑の「花嫁行列」映像を紹介しましたが、本日は、昭和初期の気仙沼における嫁入(よめいり)行列を。

「目で見る気仙沼の歴史」(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)にこんな写真が掲載されています。

嫁入行列

「目で見る気仙沼の歴史」p148より


菅野青顔さんが書いたと思われる解説文を以下に引用します。

〈 昭和4、 5年ごろの嫁入行列。

婚礼当日、貰い方は、くれ方に行き結婚式をあげ、ご馳走になって嫁(又はムコ)をつれ、帰宅する。

くれる方に行く人は、媒酌人(ばいしゃくにん)2名、御諸親夫婦2名(おもらい)、左諸親夫婦2名、ムコ、御客様夫婦2名、ムコ、1人、仲間2人が4名(タンス、長持かつぎ)、若者1名(タル、他の土産持ち)となっている。

これは、その家の貧富、身分によって違うが、写真は、斉直商店から男山本店に嫁入した時のもので、貰い終って帰ると、歌をうたいながら、いせいよくモチ(あるいは大根)をつき、台所から迎える。〉(引用は以上)

いかにも青顔さんの文章なのですが、内容がちょっとわかりにくい。文中に〈ムコ〉が2度登場するのはなぜなのか。〈仲間2人が4名〉とはなんなのかとか。そんなことで、昭和4、 5年ごろという年代も確たるものではないかも。

諸親(もろおや)は両親のことだそうですが、左諸親というのがどのようなことなのかわかりません。当時の気仙沼での婚礼のしきたりの貴重な記録だとは思うのですが、ちょっと惜しい感じがします。

◎斉直商店

文中の男山本店については説明不要でしょう。一方、お嫁さんを出した斉直商店はどこにあったのだろう。〈斉直〉さんという名は聞いたことがあるのですが。

ヒントは、写真にうつる看板。醤油醸造元販(売)。それを手がかりに気仙沼市史を調べてみました。

ありました。気仙沼市史第5巻「産業編(上)」の「麹・味噌・醤油造り」(p395)の記述に紹介されている、昭和4年「町勢要覧」、昭和28年「気仙沼町誌」のいずれにも、〈内の脇の斎藤直吉〉の名が。

市史では、当時の主要な醸造者に関して個別の説明を記していました。斎直商店のほか、浜田屋本店(八日町)、大藤屋商店(魚町)、菊武商店(新町)、平野本店(三日町)の計5店です。

斎直商店についての記述を引用します。


◇斎直商店(現 気仙沼市幸町3-3-8 斎藤召伸)

初代直吉は魚町で呉服太物商を営み、3代目直吉も後を継いだが、大正4年頃、内の脇に工場を建てて醤油醸造を始めた。
3代目信一は、太平洋戦争中の出征もあったが、同家の勤め人たちの努力もあって戦時を無事切り抜け、昭和40年代まで醸造を続けていた。
4代目(現)召伸の代に、◎(注:下記参照)から醤油を仕入れての加工販売に切り替えた。(引用は以上)

上記で◎印としたのは、登米町の醸造者とのことなのですが屋号で記載されていました。山(ヤマ)に叶。たぶん〈ヤマカノ〉だろうと思い、しらべてみると、登米町寺池にヤマカノ醸造(株)が今もありました。

大正4年頃、内の脇(ないのわき)に工場を建てたとありますが、上の写真にうつる家屋風景は内の脇ではないような。初代が呉服太物商を営んだ魚町とみるのが自然であると思います。

なお、呉服は絹織物、太物(ふともの)は綿織物や麻織物です。呉服太物商は、広義の織物商といってよいでしょう。

さて、青顔さん流に言えば〈くれる方〉の斎直商店さんについての概略はわかりました。一方の〈もらう方〉男山本店さんのお婿さんはどなただったのか。

私は、男山本店の現代表、菅原昭彦さんの祖父にあたる菅原克己さんではないかと思っています。つまり、気仙沼市長もつとめた菅原雅さんのお父様。

少し話が長くなりますので、これについてはまたあらためて。

昭和4年(1929年)の2月23日には南町や魚町一帯を焼き尽くした「昭和の気仙沼大火」がありました。大震災で被災したものの再建を果たした男山本店の建物は、この昭和4年の大火後に建設されたもの。

それを考えると、「目で見る気仙沼の歴史」の説明文にある〈昭和4、5年ごろの嫁入行列〉の行き先が気になってくるのです。

2019年2月2月25日ブログ「昭和の気仙沼大火」
 

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tag : 斉直商店 男山本店

メガソーラー完成

きのう12月16日に、気仙沼市在住者40代男性2名の新型コロナ感染が発表されました。11月23日に1名の感染が発表されてから3週間。市内累計7人となりました。このところの宮城県内での感染拡大傾向のなかにあって、無縁ではいられないのだなと感じます。東京都は678名でした。

さて。11月もあっという間に過ぎて、もう12月もなかば。今年もあと2週間を残すのみとなりました。記事にしようと思いながらも紹介しないままになっている話がずいぶんあるのですが、本日はその中からひとつ。

気仙沼市本吉町に県内最大級の大規模太陽光発電施設(メガソーラー)が完成し、10月22日に現地で竣工式がおこなわれました。10月23日の三陸新報が伝えています。


10:23太陽光発電

三陸新報10月23日記事の一部イメージ


この記事と同日の河北新報配信記事を総合すると、メガソーラーが建設されたのは、本吉町の漆原(うるしばら)地区と泉沢(いずみさわ)地区です。この2カ所に約17万枚のソーラーパネルを設置。年間発電量は約5589万kWhで、一般家庭1万5900世帯分に相当し、県内で最大級とのこと。

この発電事業は、再生可能エネルギー開発のリニューアブル・ジャパン(東京)と、東急不動産(同)が共同出資して、2018年2月に工事が始まりました。

建設地の漆原地区約62ヘクタール(ha)、泉沢地区約39haはいずれも市有地で、年3千万円で運営会社に貸借されます。すでに10月10日から発電所が稼働し、東北電力に売電されているとのことです。事業期間は2040年までで、事業費は約200億円。

以上が報道内容の紹介です。

太陽光発電、それも県内で最大級のメガソーラーと聞いて、環境問題を思い起こした方も多いのではないでしょうか。三陸新報の記事写真をみても、山野を切りひらいて大規模なパネル設置です。

各地でメガソーラーの自然環境破壊が問題となっているとの報道も目にするわけですが、私は東急不動産さんが事業に参画していることでちょっとホッとしました。環境に対する企業の責任が大きく問われるなか、東急不動産さんが関係しているのであればまずは安心と。

東日本大震災後、東急不動産さんは気仙沼をさまざまな形で支援してくださっています。そのご支援内容や、震災時に同社の社長をつとめ、現在は東急不動産ホールディングスの取締役会長をつとめる金指潔(かなざわきよし)さんについて、つぎのブログで紹介しております。

2017年7月26日ブログ「金指さんのご厚意」

気仙沼市の菅原市長が竣工式当日10月22日につぎのツイートを投稿していました。



この投稿にある〈地域貢献活動にも感謝〉という言葉は、これまでの東急不動産グループの多くのご支援に対してのものでしょう。

なお、この投稿文のなかにある「リニューアルジャパン」さんは、「リニューアブル」(再生可能)とすべきところのミスタイプ。〈リニューアルジャパン〉といいたい気持ちが伝わってきました。

東急不動産さんのこれまでのご支援に御礼を申し上げるとともに、この太陽光発電事業が気仙沼の将来にとってより良きものとなるように。どうぞよろしくお願いいたします。

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tag : メガソーラー 東急不動産

「モネ」の独自ロゴ

来春放送開始のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の〈独自ロゴ〉の原型デザイン公募が始まっています。12月15日の三陸新報もこれを紹介していました。


ロゴ公募

三陸新報12月15日記事の一部イメージ


「独自ロゴ」とはなんなのかと思った人も多いと思います。これは、NHKがすでに発表している番組タイトルロゴとは別の、気仙沼プロジェクト独自のロゴマーク。

NHKのタイトルロゴの使用は様々な規制があるうえ、番組終了後は使用できないとのこと。そうしたことから、観光や物産振興などのプロジェクトで継続的に使用できるロゴマークを準備するそうです。

市の「おかえりモネ」サイトにある公募内容を見てみました。その中で、デザインを考えるうえで一番やっかいだなと思ったのは、気仙沼市だけでなく登米市や宮城県でも統一的な運用をおこなうということ。気仙沼だけで通用するシンボル表現は好ましくないでしょう。

別紙仕様書に、先行事例として、福島市の〈「エール」の舞台 古関裕而のまち〉や、北海道十勝の〈なつぞらの舞台 北海道十勝〉の独自ロゴが紹介されています。それぞれの地域の皆さんが、いろいろと工夫しているんだなと感心しました。

◎「エール」の事例

エール関連のロゴをネットからお借りするとこんな感じですね。

まずはNHKのタイトルロゴ。NHKドラマサイから。


エール


これは、佐々木俊(しゅん)さんのデザインです。事務所名は、AYOND。佐々木さんは、1985年仙台生まれ。詩人・小説家、最果タヒ(さいはてたひ)さんのブックデザインなどでも知られています。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の2020年JAGDA新人賞も受賞しました。

そして、福島市の独自ロゴがこれ。古関裕而のまち特別サイトより


古関裕而のまち


上に示したロゴは、横や縦など3種の組み合わせのうちのひとつ。タイトルロゴのカラーを引用しながら、音符をはじめ音楽イメージをおりこんで楽しいロゴになっています。デザイナーはわかりませんが上手ですよね。

「おかえりモネ」の独自ロゴは、シンボル(図形)とロゴタイプ(文字)の組み合わせを基本としているので、この福島市/エールとは構造が違うものの、狙いというか実現したいことがよくわかります。

◎原型デザイン

今回の公募内容では、ロゴの〈原型デザイン〉としてあります。デザイナーに対しては〈プロトタイプデザイン〉といったほうがわかりやすいかもしれません。

必ずしも最終形として精緻化したデザインではなく、そのデザインの狙いが明解であればよいということ。採用された方のみ、デザインを整えていけばよいわけですから、応募のハードルが低くなります。原型デザイン募集としたのは賢明というか順当だと思います。

応募は、市民や市内在住者などといった限定はありません。採用者への業務委託料は、15万円とけっして多額ではありませんが、これが役所的な予算額なのでしょう。

ここはひとつ、「おかえりモネ」のためにひと肌ぬぐ感じで、応募してみるのもおもしろいのではないでしょうか。

気仙沼市/独自ロゴマーク原型デザイン公募サイト
 

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気分は漁師!体験

気仙沼の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」の新しい記事を紹介します。「気分は漁師!」。




画像クリックでサイトにジャンプ


体験&見学おすすめスポットとして、気仙沼市魚市場の水産情報等発信施設や、シャークミュージアム、リアス・アーク美術館などが紹介されています。

それぞれの写真紹介も興味深いのですが、もうひとつの見どころは、元 気仙沼のほぼ日/沼のハナヨメこと、サユミさんが登場していること。

魚市場紹介でキャップをかぶっている姿は、魚市場職員か漁協関係者といったところ。後半はベレー帽をかぶって登場します。

2015年11月1日に気仙沼のほぼ日で始まった連載「沼のハナヨメ。」が終了したのは、ちょうど4年後2019年11月1日のことでした。当時、気仙沼のほぼ日の〈おひらき〉とともに、この連載終了をとても残念に思ったものです。

しかし、現在も「気仙沼のほぼ日」サイトに全212話がすべて残っているのは本当にありがたい。ほぼ日さんのご厚意によるものでしょう。ありがとうございます。

気仙沼のほぼ日「沼のハナヨメ。」

赤のボーダーシャツにベレー帽は、サユミさんの漫画やイラストで自身のキャラクターとして登場します。noteで始めた「サユミのノート」でもおなじみです。

サユミのノート

「気仙沼さ来てけらいん」で、サユミさんの元気な様子を拝見し、なによりと思っての紹介でした。

市魚市場の水産情報等発信施設についてはつぎのブログでも。

8月25日ブログ「水産情報発信施設」
 

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tag : サユミ 沼のハナヨメ

Gマーク受賞記事

12月9日の三陸新報に、グッドデザイン賞で気仙沼から2件の受賞があったとの記事が掲載されていました。これは10月1日の発表で、同紙でもすでに報じられていたと思っていたのですが。


グッドデザイン賞
三陸新報12月9日記事の一部イメージ


2020年度グッドデザイン賞を受賞したのは、株式会社SUGAWARAさんのインドネシア料理店「ワルンマハール」と、臼福本店さんの「第一昭福丸」です。

10月5日のブログで紹介しましたので、詳しい内容はこちらをご覧ください。

10月5日ブログ 2つの「Gマーク」

三陸新報の記事でうれしかったのは、インドネシア料理店「ワルンマハール」の受賞者として、株式会社SUGAWARA(代表取締役 菅原渉さん)とともに、ディレクターとして携わったKaibaデザインノード株式会社と認定NPO法人「底上げ」の名が記してあったことです。

グッドデザイン賞の発表内容には、Kaibaデザインノード株式会社の代表/前田圭悟さん、そして「底上げ」の理事/成宮崇史さんのお名前が明記されています。

「底上げ」さんは、地元中学生と連携してメニュー開発などに協力したと三陸新報の記事に記してありました。この記事をみて、関係した中学生の皆さんも喜んだことでしょう。

このグッドデザイン賞受賞は、2020年の気仙沼の明るい話題のひとつですね。おめでとうございました。

なお、三陸新報の見出しに〈今年も〉とあったのは、気仙沼の〈復興デザイン [気仙沼内湾ウォーターフロント・「迎」ムカエル・「創」ウマレル(PIER7)]〉が、2019年度グッドデザイン賞を受賞しているからです。つぎのブログで紹介しております。おてすきのときにでも。

2019年10月11日ブログ「グッドデザイン賞」
2019年12月17日ブログ 「迎」と「創」の受賞
 

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ジャンル : 地域情報

tag : グッドデザイン賞

和田さんのピック

11月15日まで渋谷PARCO8階の「ほぼ日曜日」で、『表紙はうたう 完全版』刊行記念原画展「和田誠さんと。」が開催されていました。週刊文春の表紙絵の展覧会です。私は11月13日に滑り込みセーフ。

会場には、週刊文春の表紙を飾った和田さんの絵がいろいろと。会場は、写真撮影が許可されており、そのブログ紹介も構わないとのこと。

本日は、会場で私が気に入った一枚を紹介します。週刊文春1991年8月8日号の絵。タイトルは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」です。


和田誠さん作品

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(週刊文春 1991年8月8日号表紙原画)


このタイトルはもちろん、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」。ジョージ・ハリソンの作詞・作曲で、ギターソロはエリック・クラプトン。

この絵、ギターピックがとてもきれいですね。私は、友達からもらったFender/テレキャスターを持っています。そして、それに合わせたわけでもないのですが、絵の中にあったFenderピックの色違いを持っています。琥珀模様。なぜか気に入りました。150円ぐらいだったでしょうか。Fenderのロゴがなんかかっこいいと思ったのでしょう。

この絵に描かれたいろんなピックは、和田さんのものとも思えません。私は長男の唱(しょう)さんの持ち物を借りたのではないかと。

◎和田唱さん

和田唱さんは、バンドTRICERATOPS(トライセラトップス)でギターとボーカルを担当しています。私が唱さんを知ったのは、2001年に始まった小田和正さんのテレビ音楽番組「クリスマスの贈り物」です。2011年に唱さんが登場していますから、きっとこの回を見たのでしょう。

昨年12月25日深夜(クリスマスイブの深夜)放送の「クリスマスの贈り物2019」にも登場。3回目だったようです。唱さんらの「ムービーハーモニー」を聴いて、映画が大好きで自ら監督をつとめたこともある和田誠さんを思い出した方も多かったでしょう。10月7日に亡くなったばかりでしたから。

唱さんはギターもうまいしボーカルもいい。顔は父親と母親/平野レミさんが半々という感じ。ほかのミュージシャンとのハーモニーも実にいいのです。なんというか、私はさすがだなと。アーチストの血筋というものを感じました。

唱さんは1975年生まれのようです。すると、紹介した週刊文春の絵が描かれた1991年のときは、16歳ぐらいでしょうか。なんかいい感じですね。いろんなピックをああでもないこうでもないと試すお年頃。

あくまで私の妄想に過ぎないのですが、そんな息子さんのピックを55歳ごろの和田誠さんが借りて絵を描いたと。私にはそんな風景が見えてくるのです。

週刊文春では毎号、「表紙はうたう」と題して和田誠さんによる絵の解説が記されています。このギターピックの絵、そして「While My Guitar Gently Weeps」についてどのようなことを書いていたのでしょうか。それが知りたい。

11月9日ブログ「和田誠さんの葉書」

最後に訂正。11月9日のブログで、〈私は和田誠さんが1977年に週刊文春の表紙を書き始めたときから毎週、活版頁を抜き取って表紙とグラビア部分を数年間にわたって保存してきました。大学生のときのこと〉と書きました。しかし計算し直すと、1977年時は25歳。就職間もないころでした。

貯まった抜き取りを気仙沼の実家に送ったのは、卒業後に住んだ三鷹から荻窪に引っ越すタイミングだったかも。お詫びして訂正します。どうぞよろしく。
 

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赤間さんポスター

12月8日、(元 気仙沼のほぼ日)サユミさんが「4枚たまった」とつぎのツイートを投稿していました。



サユミさんが紹介してくれたのは、気仙沼新中央商店会の年末年始スタンプラリー告知ポスターです。今回/2020-21年版に加え、2019、2017、2013の計4年分/4枚の画像がたまったということでしょう。上記画像をクリックし、ツイッター上でご覧ください。

さらに、このサユミさんのツイートに〈まるき〉の熊谷さんが返信で、5枚目として2018年版を追加していました。

気仙沼新中央商店会は、田中前大通りなどの商店街です。こうして年末年始の5種のポスターをまとめてみると、とても面白い。その年の話題を駄洒落のように取り入れ、さらにはコスプレというか変装まで。

この毎年のポスターに登場する方は、株式会社アカマ店装の会長で、現在は気仙沼新中央商店会の名誉会長をつとめる赤間文彌(ぶんや)さんです。

昨年、2019年10月5日の三陸新報「この地で歩む 頑張る人たち」58回目に登場していました。


赤間さん

三陸新報2019年10月5日記事より


この昨年の記事によれば赤間さんは、歌津町(現 南三陸町)出身で、手先の器用さを生かして市内の家具店に弟子入り後、25歳で独立。来春で創業60年を迎えるとのこと。

気仙沼新中央商店会は1995年に設立されたといいますから今年で35周年。スタンプラリーは、夏と年末年始におこなっています。対象店舗には、時事ネタを取り入れた姿で〈商店会の顔〉として登場しているそうです。

今年のポスターの時事ネタは、ガールズグループ「ニジュー(NiziU)」、鬼滅の刃、半沢直樹、フワちゃんといったところでしょうか。

細かくみていくと、特賞の20万円分賞品券の賞名は「あなたをMake you happyニジュー万円賞」。NiziUのデビュー曲タイトルをしのばせるなど小技がきいてます。

そして千円分他ジャンル用賞品券は「なんだりかんだり」賞です。3千円分アクセサリー衣類等賞品券は「めんこぐなるで」賞。笑えます。

なお、スタンプラリーには、田中前地区に限らず、内湾周辺店舗をはじめ沢山のお店が参加しています。詳しくは本日12月10日の三陸新報をご覧ください。広告だけでなく、記事でも紹介されています。

赤間さん、毎年ありがとうございます。どうぞまたスタンプラリーポスターで気仙沼の人を楽しませてください。そして、アカマ店装さんの創業60年、おめでとうございました。
 

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tag : 赤間文彌 気仙沼新中央商店会

魚町土地区画整理

気仙沼市の魚町・南町地区土地区画整理事業における全宅地の引き渡しが完了したそうです。12月8日の三陸新報が伝えています。


引き渡し
三陸新報12月8日記事の一部イメージ



引き渡しが残っていたのは、神明崎に近い魚町地内の4区画です。これが11月27日に地権者に引き渡されたことにより、全289区画の引き渡しが完了したとのこと。

この最後の4区間のあたりは、小さな頃に遊んだ神明崎やお神明さんの近くですからよく知っています。

記事写真の右側から左手前の順にいえば、角に海藻類を扱っていた斉富商店さんがあって、全漁連の冷凍庫ビル、遠間さん宅、製氷会社(確定できませんが、市史に「朝日製氷所」の名があります)などが並んでいたはず。(追記:3年2組の臼井真人君の話では、私たちが知る当時の製氷工場はニチレイで、その後、内の脇に移転したとのこと。いろいろと変遷があるようです)


◎遠間の缶詰工場

遠間家宅がここにあったことになんの不思議もありません。私の記憶にはないのですが、昭和初期、ここには遠間さんの缶詰工場があったのです。遠間章次さんが、合名会社遠間缶詰所を設立したのは、気仙沼文化史年表によれば昭和3年/1928年のこと。工場建設もそれから間もないことではないでしょうか。

遠間章次さんは、南町の劇場・映画館「鼎座」をつくったことでも知られています。

2014年7月18日ブログ「気仙沼の映画館史」でも紹介しましたが、遠間さんらは大正3年8月に株式会社鼎座を創立し、南町に鼎座を新築しましたが、開館をまたず大正4年3月の大火で焼失。その後、仮小屋で営業しましたが、これも昭和4年の大火で焼失。しかし翌年/昭和5年11月に新たな建物を再興し、多くの映画や芝居・演劇を上演しました。昭和39年4月に閉館。

気仙沼市史第4巻では、明治期の実業家のひとりとして遠間章次さんを紹介していますが、その中に〈大正3年 長男章一(明治40年生まれ)のため映画劇場鼎座を建てた〉との記述がありました。

そんなことで、鼎座があった南町の丸光デパート近辺や、土地区画整理での最後の引き渡し宅地となった神明崎あたりは、遠間章次さんの事業展開ゆかりの地であったのです。

震災後に気仙沼に帰り神明崎近辺を歩いたときに、ああ、斉富さんちも遠間さんちもすっかり津波でやられてしまったんだなあと感じたことを思い出します。

震災から間もなく10年。魚町の神明崎付近の新しい風景を楽しみにすることといたしましょう。

7月14日ブログ「魚町復興経過写真」
 

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鎌倉ビールの進出

11月28日の三陸新報1面トップ記事を見て驚いた人も多いのではないでしょうか。

神奈川県のクラフトビール醸造会社「鎌倉ビール醸造」さんが、気仙沼市本吉町の小泉町区にビールの醸造・出荷施設の建設意向を示しているというのです。

鎌倉ビール

三陸新報11月28日記事の一部イメージ


記事によればこの話は、11月26日夜に開かれた本吉地区市政懇談会で市が明らかにしたそうです。

まだ確定した話ではなく、国の企業立地補助金などの活用を前提、具体的な手法を検討している段階です。順調に進めば、年明けをめどに地元向けの説明会を開きたい考えとのこと。

私が驚いたのは、気仙沼の内湾商業施設「拓(ヒラケル)」には、クラフトビールを醸造・販売する「ブラック・タイド・ブリュワリー」が昨年12月にオープンしており、「鎌倉ビール」はこれと競合することになるのだろうかと思ったからです。

しかし記事に、製造されたビールは、主に神奈川県内など首都圏に出荷される見込みとありましたから、直接的にぶつかる心配はないようです。

「ブラック・タイド」はいわば〈気仙沼ビール〉ですから、〈鎌倉ビール〉とは土俵が違うということかもしれません。

もうひとつ私が驚いたのは、〈鎌倉ビール〉を気仙沼でつくるということ。同社のホームページをみると、〈鎌倉という街から生まれた 鎌倉ならではのクラフトビール〉とのメッセージもあり、そのあたりの関係がどうなるのかなと。

誤解のないように申し上げておけば、今回の鎌倉ビールさんの気仙沼進出計画を大変よろこんでおります。気仙沼には黒潮のビールもあれば鎌倉のビールもあるよということで。

三陸新報の記事には、将来的には原料のホップ栽培なども視野にいれているとあり、これも楽しみです。

計画がさらに具体的になれば、詳しい記事も出てくることでしょう。まずは第一報ということで。

鎌倉ビール公式ホームページ
2019年3月5日ブログ「気仙沼内湾醸造所」
 
 

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けせもい会新年会

「けせもい会」は、東京近辺の気仙沼出身者同年会です。毎年、1月下旬が2月下旬には「新年会」ということで集まっています。

しかし2021年の新年会はなしということに。先週なかば、けせもい会の幹事役である菊田裕美君(気中3年1組)から連絡がありました。

けせもい会の会長である鈴木徳一君(3年3組)と相談した結果、新型コロナ感染拡大の状況から、〈中止やむなし〉と判断したとのこと。

この判断は賢明というか順当であると思います。やはり、みんなが気持ちよく集まれる会でなくちゃね。

ということで本日は、これまでの〈けせもい会新年会〉の回顧編。2012年から2020年まで9年分の集合写真を紹介しましょう。会場はすべて、千葉憲二君(3年4組)の店、〈まかない 㐂いち〉銀座本店です。


2012年


2013年
2013.jpg

2014年
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2015年
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2016年
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2017年
2017けせもい会

2018年


2019年
2019_202012051707220b4.jpg

2020年
2020.jpg


こうして9枚の写真をながめていると、いつものメンバーでかわりばえしないような感じもします。しかし、こうして気軽に集まりにくい状況になると、とても〈有り難い〉会であったように思いますね。

この新型コロナによる難しい状況が改善し、またみんなで集まる機会がもてるよう願っています。

2月3日ブログ (2020年)けせもい会新年会
 

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tag : けせもい会

君をたたえる碑文

きのう12月3日のブログの続きです。

気仙沼の岩井崎に「小野寺清雄君をたたえる碑」があります。岩井崎を訪れた際には是非お立ち寄りいただきたいと思います。しかし、なかなか現地には行けないという方も多いことでしょう。

本日は、その石碑に記された文章を紹介します。気仙沼市史の第8巻「資料編」に紹介されていました。


市史
気仙沼市史第8巻「資料編」p572-573


以下に引用します。


小野寺清雄君をたたえる碑

 小野寺清雄君は宮城県気仙沼水産高等学校1年に在学中 昭和37年11月29日午後9時30分 八戸港の漁船金保丸が暗礁の点在する岩井崎沿岸に航行してくるのを発見したので 暗夜と強風の中を大声と灯火で懸命に危険信号を送った
 しかし同船はこれに気づかず沖合100メートル付近で座礁し救助を求めたので 君はただちに同僚と共に荒天をかえりみず小舟をこぎ出し金保丸に近づき離礁の方法を伝え終えた瞬間 激浪のために海中に転落し同船のプロペラに巻き込まれ人命救助に一身をなげうったのである 君は明朗剛健で責任感が強く 水産人として大いに将来を期待されていたが 惜しくも波浪の間に16才の生涯を終えたのである
 この行為は人々に深い感銘を与えたので君をたたえる心を長く世に伝えるためこの碑を建てるものである

昭和38年6月

気仙沼市
宮城県気仙沼水産高等学校


引用は以上です。市史では、碑文本文に続けて「(建碑年代 昭和38年6月)」と記していますが、ネット上にある石碑画像を確認し、年月および建碑者としての気仙沼市と水産高校の名を当方が加えました。また、碑文の表記は漢数字ですが、洋数字に変換しております。

碑文のなかの〈君をたたえる心〉という言葉が印象に残りました。その行為を讃えるとともに、なんというのだろう、16歳でこの世を去った小野寺清雄さんを惜しむ人たちの気持ちがそこに感じられます。

小野寺清雄さんの尊い行為が、こうして気仙沼市史に記録されていることを皆さんにもお伝えしたく紹介いたしました。

小野寺清雄さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。

12月3日ブログ「悼 小野寺清雄さん」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小野寺清雄 岩井崎

悼 小野寺清雄さん

座礁した漁船の乗員を救助しようとして亡くなった水産高校生徒についての石碑が岩井崎にあります。潮吹き岩に向かっていくと右側ににあったはず。何度か碑文を読み、そうした若者がいたことは知っておりました。

11月26日の三陸新報に、その高校生、小野寺清雄さんの追悼法要がいとなまれるとの記事が掲載されていました。


追悼法要

三陸新報11月26日記事より


この記事のリードを引用させてもらいます。

1962(昭和37)年11月、気仙沼市岩井崎沖で座礁した漁船の乗組員を救助しようとした、気仙沼水産高校1年の小野寺清雄さん(当時16歳)が波にのまれ命を落とした。勇気ある行動は石碑に刻まれているが、事故から60年近くがたち、この出来事を知る人が少なくなった。小野寺さんの同級生有志が11月29日に追悼慰霊法要を企画。冥福を祈るとともに、後世に伝承する。(引用は以上)

記事によれば、事故は58年前の11月29日のこと。座礁したのは八戸市のイカ釣り船で15人が乗り組んでいたようです。小野寺清雄さんは、護岸工事のアルバイトをしていたほかの2人と小舟に乗って救助に向かいます。

一人はイカ釣り船に乗り移ったものの、小舟は小野寺さんら2人を乗せたまま大波を受けて転覆し海中に投げ出されました。小野寺さんは、翌日の30日に明戸浜にて遺体で見つかったとのこと。もうお一人は救助されたのでしょう。

11月29日の追悼法要は、昭和39年度の気仙沼水産高校(現 気仙沼向洋高校)卒業生でつくる実行委員会が企画したとのこと。

12月2日の三陸新報が、当日の様子を伝えてくれました。

法要記事

三陸新報12月2日記事の一部イメージ


記事によれば、29日当日、法要参列者は岩井崎に移動し、清雄さんをたたえる石碑の前で気仙沼水産高校の校歌を歌い、亡き同級生に思いを届けたそうです。

この記事では、清雄さんの妹、小野寺きよ子さん(71)の言葉を紹介しています。「58年たっても皆さんに支えていただきありがたい。母親思いで優しい兄だった。皆さんに思われ、亡くなった母も喜んでいると思う」と。

なお、12月1日には河北新報も、この追悼法要を報じています。

河北新報12月1日配信記事

12月1日の三陸新報には、この追悼慰霊法要実行委員会による御礼広告が掲載されていました。

御礼広告
三陸新報12月1日掲載広告

1日の河北新報記事に、実行委員長の小野寺次徳さんの言葉が紹介されていました。「長年の胸のつかえが取れ、清雄君に顔向けができそうだ。彼の崇高なスピリットを、後輩たちも語り継いでほしい」。

水産高校時代の同級生、小野寺次徳さんは73歳。水産高校1年生だった当時から58年という月日がたちました。妹さんの言葉はもちろんのことですが、この次徳さんの〈長年の胸のつかえが取れ〉という言葉も胸にしみます。

(12/4追記:岩井崎にある「小野寺清雄君をたたえる碑」の文章をつぎのブログで紹介しました。

12月4日ブログ「君をたたえる碑文」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 小野寺清雄 岩井崎

佐藤和彦君の訃報

先週、菊田裕美君からの連絡で、気仙沼小学校の同級生、佐藤和彦君が今年5月5日に亡くなったことを知りました。

裕美君は、和彦君の奥様からの喪中欠礼葉書でそれを知ったとのこと。

和彦君の実家は、気仙沼市南町の佐藤小児科でした。中学から仙台に移りました。高校も仙台だったと思います。大学は東京で医学部に進みましたが、実家の医院を継ぐことはせずに勤務医に。

宮城県の白石市の病院に勤務していると聞いたのは震災前のこと。仙台近辺の同級生らの同年会「KSS42」昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会の幹事のひとりでもありました。幹事会の写真に和彦君の姿を見て、小学校のときの記憶がよみがえりました。

和彦君は、白石市の大泉記念病院の内科医そして副院長として活躍していました。ネットで見つけた、宮城県蔵王町発行「広報ざおう」の健康PRページに、和彦君による〈健康一口メモ〉が掲載されています。


和彦君
「広報ざおう」より

和彦君は、ガンをわずらっていたと聞きました。医師ですから、日頃から注意して検査などもおこなっていたと思いますが、それでも病を避けられなかったということですね。上掲の画像、和彦君のプロフィール写真の下に〈健康が1番!〉とありました。これを佐藤和彦君からの言葉とすることにいたしましょう。

最後に、和彦君の思い出を記した2011年のブログを再掲します。


◎医者の息子たち

2011年8月17日ブログ再掲

今朝のテレビで、小学生の夏休み研究について取り上げていました。やりましたね、私たちも。

気仙沼小学校5年か6年のとき、夏休みの研究で優秀だった生徒の発表会が屋体(おくたい)で行われました。

発表者のひとりが佐藤和彦君。実家は南町の佐藤小児科です。発表テーマは植物栽培で水やりの水をいろいろ替えて、成長の違いを観察するというもの。私の記憶ではこうです。

植物はアサガオ。水やりは、真水、食塩水、砂糖水、酢。そしてなんと、「小便」。

いやあ驚きました。「おしっこ」でもなく「お小水」でもなく、「小便」。「尿」でもなかった。みんな笑ったんじゃないかな。カズヒコが〈ショウベン〉とか言ってるよって。

しかしそんなガキどもの笑いを気にもとめず、和彦君は成長の違いを線グラフに示しながら発表を続けました。

私は、その「小便」という言葉に、なにか〈研究っぽさ〉というか〈専門用語〉的なにおいをかいだような気がしました。やっぱ、医者の息子は違うなと。

南町の隣、魚町には佐々木小児科の佐々木隆(字があってるかな)君もいました。角星のならび田中砂糖屋の隣にあった病院の脇には、いつもフォルクスワーゲンがとめてありました。みんな「外車」と呼んでましたね。あいづはドイヅのクルマだべ。

そしてたまにドアから出てくるコリー犬。それを見て私たちは言います。「ラッシーだ、ラッシーだ」って。「名犬ラッシー」。なんか思い出すだけで恥ずかしい(笑)。

そんなふたり、カズヒコもタカシも、中学から仙台の学校に行ってしまったので少し縁遠くなりましたね。元気にやっているでしょうか。

魚町や南町がまだ、あの魚町、南町であったときの思い出です。

再掲内容は以上。

和彦君は68か69歳でした。まだまだ医師として活動できたはず。残念です。

佐藤和彦君のご冥福を心よりお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 佐藤和彦

唐桑の「花嫁行列」

気仙沼市唐桑町で11月22日、昔ながらの花嫁行列が行われました。三陸新報では翌日23日に一面の記事、さらに11月28日には〈ズームアップ〉欄で写真特集として紹介していました。

本日紹介するのは、三陸新報の「花嫁行列」YouTube投稿映像です。




結婚したのは、唐桑町出身の山口貴生さんと、6年前に兵庫から移住した佐々木美穂さんです。美穂さんは、いわゆる「ペンターン女子」のおひとりですね。

22日の記事によれば、この花嫁行列は約350mを30分かけておこなわれました。200人ほどの住民が行列の後ろについて一緒に歩いたそうです。映像にうつる踊りは〈浜甚句〉。御崎(おさき)神社では、松圃虎舞(まつばたけとらまい)保存会の皆さんが太鼓でおふたりの結婚を祝います。

行列をいろどる浜甚句、そして太鼓。3分半の映像には、唐桑の皆さんの喜びとお祝いの気分が満ちています。

映像にも登場する松圃虎舞の皆さんが、2018年の目黒のさんま祭で太鼓や虎舞を披露してくれました。そのときにお願いして撮った写真がこれです。


松圃虎舞メンバー
松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さん(クリックで拡大)


2018年9月19日ブログ「松圃虎舞の皆さん」

写真の上部、左側の生ビールのぼり旗の下が、気仙沼市移住・定住支援センター MINATOのセンター長をつとめる加藤航也さん。そのまた左下がたぶん佐々木美穂さんでしょう。

そのMINATOサイトに、2017年3月の佐々木美穂さんインタビューが掲載されています。

MINATO/佐々木美穂さんインタビュー


◎魚町の花嫁行列

私の記憶に残る花嫁行列は、佐々木徹君(3年1組)のお姉さんヨシエちゃんの結婚のとき。あさひ鮨/村上力男さんの奥様、良恵さんです。

たぶん私が高校生のころだと思います。50年以上前のこと。花嫁衣装の良恵さんが魚町の佐々木家を出て、近所の人たちが行列をつくってカネシメイチの前を通っていくというイメージ。新郎が一緒に歩くわけではなく、花嫁が花婿の家に向かうということだったと思います。力男さんの実家は、南町の鮮魚店〈カネシチ〉さん。(12/2追記:佐々木徹君がお姉さんの良恵さんに確認したら、行列は式場の南町/割烹「古川屋」に向かったとのこと。徹君は、古川屋で皆さんを待ち受ける準備で行列は見ていないそうです。式場が古川屋さんと聞けば、当時の気仙沼における格式というものを感じますね)

良恵さんは、魚町でも有名な美人。さらに性格もいいということで、力男さんが是非にこの人をと思ったのも無理はありません。そして、めでたくご結婚。

どうぞ、あさひ鮨で良恵さんを見かけたら、〈魚町の花嫁行列〉のことを聞いてみてください。

話を戻します。

山口貴生さん、佐々木美穂さんにお祝いを申し上げます。ご結婚、おめでとうございました。

2月13日ブログ「ペンターン女子」

 

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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