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守屋洋さんの投稿

三陸新報に興味深い投稿記事が掲載されていました。筆者は、守屋洋(もりやひろし)さんです。10月27・28・30日・31日・
11月1日と5回にわたって掲載されました。

1回目の記事を紹介します。

守屋さん投稿

三陸新報10月27日記事の一部イメージ



守屋さんは、気仙沼市階上出身。気仙沼高校3回生ですから、私たちの19年先輩です。守屋さんの肩書きに「中国文学者」とあります。Amazonの「守屋洋」著者別ページを見てもらえれば、その著作数の多さにみな圧倒されることでしょう。

Amazon「守屋洋」ページ

Amazonでの著者プロフィールはつぎのとおり。

1932年、宮城県生まれ。東京都立大学中国文学科修士課程修了。現在、中国文学の第一人者として著述、講演等で活躍中。研究のための学問ではなく、現代社会の中で中国古典の知恵がどう生かされているのかを語り、難解になりがちな中国古典を平易な語り口でわかりやすく説く。SBI大学院で経営者・リーダー向けに中国古典の講義を続けるなど、広く支持されている。(引用は以上)

中国文学者、著述家として長く活動している守屋さんのプロフィールにいつのころだったか「SBI大学院教授」という記述が加わりました。その経緯が、1回目の投稿に記されていました。SBIホールディングスの北尾𠮷孝さんとのご縁だったのですね。北尾さんの中国古典好きはよく知られた話。守屋洋さんの著作の愛読者のひとりでもあったのでしょう。

私が驚いたのは、守屋さんの年齢が88歳と記してあったことです。投稿記事の冒頭に〈これまで本業としてきた書くことや、話すことからは、ほぼ引退した〉と書かれていましたが、文章からはまだまだお元気な様子がうかがえます。なによりのこと。

記事の末尾にはつぎのように記されていました。

〈今しばらくはこんな仕事を続けながら、老いと向き合っていこうと、覚悟を固めているところである〉

なお、守屋さんの投稿記事タイトルは「残目録あれこれ」。「残日録(ざんじつろく)」は知っていたものの、「残目録」という言葉は初めて目にしました。不勉強で、どのような意味なのかはわかりません。

本日ご紹介したのは、第1回目の投稿記事ですが、各回とも興味深い内容でした。あらためて紹介しようと思っています。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 守屋洋

震災遺構ひまわり

東日本大震災のときに、気仙沼港と大島をつなぐ唯一の連絡船となった「ひまわり」の民間震災遺構としての公開が11月23日に始まりました。

11月24日の三陸新報がつぎのように伝えています。

ひまわり2

三陸新報11月24日記事の一部イメージ


三陸新報では、公開を間近にした11月15日にも、関連記事を掲載しています。


ひまわり

三陸新報11月15日記事の一部イメージ


この記事によれば、「ひまわり」は1970年から大島と本土をつなぐ夜間臨時船として運行を開始。震災後の約8か月間は、無償で住民や物資を運び続けました。

個人で保存、展示することを決めたきっかけは、「ひまわり」の活躍を知った当時の市内小学生からの「菅原さんとひまわりの存在を伝えていってほしい」という手紙だったそうです。

河北新報11月24日の配信記事もこの民間震災遺構「ひまわり」公開を紹介しています。

この記事では、「保存する会」は12月末まで、敷地内の通路などを整備する資金をクラウドファンディングで募っていることを紹介していました。つぎのサイトです。

「ひまわり」クラウドファンディング

このクラウドファンディングのサイトには、「ひまわり」に関する情報が詳しくまとめられています。

リンクが多くなってしまいますが、昨年4月のブログでは、読売新聞夕刊での「ひまわり」運行終了についての記事を紹介しました。

運行終了は、2019年4月6日夜のこと。翌日、4月7日には、大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が開通したのです。

2019年4月11日ブログ 「ひまわり」の記憶

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ひまわり 震災遺構

布袋さんに感謝を

11月23日、NHKお昼の首都圏ニュースを見ていたら、ギタリスト布袋寅泰(ほていともやす)さんのアーチスト活動40周年を記念するイベントを紹介していました。布袋さんの出身地群馬県高崎市「Gメッセ群馬」で、布袋さん使用の歴代ギター40本が展示されているとのこと。

布袋寅泰さんは、1981年にBOØWYのギタリストとしてデビューしました。それから数えて来年/2021年で40周年を迎えるのですね。

最新アルバム「Soul to Soul」は、その〈40周年イヤーのイントロダクション〉として制作されました。14年ぶりのコラボレーションアルバムでもあります。


布袋寅泰

Amazon/布袋寅泰「Soul to Soul」より


本日紹介するのは、布袋寅泰さんと吉川晃司(きっかわこうじ)さんが、東北の被災地に寄付してくださった総額6億5千万円もの義援金についてです。そのなかから気仙沼市の産業支援のために、7500万円が贈られました。2012年6月のブログでそのご支援内容を紹介しておりますので再掲します。


◎布袋さん吉川さん

2012年6月5日ブログ再掲

6月2日の河北新報が、〈吉川晃司さんらの寄付金活用 ベンチャー企業支援 気仙沼市〉と伝えていました。

吉川晃司さんと布袋寅泰さんは、昨年7月に音楽ユニット「COMPLEX(コンプレックス)」を21年ぶりに一度だけ復活させ、東京ドームで震災復興支援ライブ「日本一心」を開催しました。



復活ライブ1曲目「BE MY BABY」(約8分)

昨年末には、公演やグッズ、関連DVDの売り上げから、総額6億5千万円を義援金として寄付すると発表されました。そして今年2月、つぎの寄付先がまずは発表され、そのなかに気仙沼市も含まれていたのです。

岩手県「いわての学び希望基金」:1億円
宮城県「東日本大震災宮城こども育英基金」:1億円
宮城県石巻市 :7500万円(中心市街地復興支援)
宮城県気仙沼市:7500万円(産業支援)
福島県いわき市:7500万円(震災孤児遺児支援)

河北新報によれば、気仙沼市はこの寄付金7500万円を活用し、金融機関から融資を受けにくいベンチャー企業を支援します。「創造的産業復興支援事業」として、起業や地域資源などを活用した新事業展開をめざす中小企業に1000万円を上限に経費の一部を助成するということです。7、8月にも募集をおこない、専門家による審査委員会で審査したうえで年度末にも交付するとしています。これらの関連予算は8日に開会する気仙沼市議会6月定例会に提出されます。

布袋さん、吉川さん、そしておふたりのファンや関係者の皆様、ありがとうございました。

再掲内容は以上です。

◎創造的産業復興支援事業

上のブログのなかで紹介した気仙沼市の「創造的産業復興支援事業」については、2019年3月29日ブログ「鶴亀の湯クラウド」でも紹介したことがあります。

ブログでは、「AbemaTV」紹介記事のなかにあった次の記述を引用しました。〈銭湯の開業には資金が3000万円必要。1000万円は市から助成金を受け、1400万円は気仙沼の企業から集める予定だが、残りの600万円はネットを使ったクラウドファンディングで集める〉。

この市からの助成金1000万円は、気仙沼市の2018年度創造的産業復興支援事業によるものだったのです。ブログではつぎのように文章を続けました。

「 話がちょっと横にずれますが、この気仙沼市の創造的産業復興支援事業は、吉川晃司さんと布袋寅泰さんの音楽ユニット「COMPLEX」からの寄付金7500万円を受けて2012年度に創設されました。同年度に41件の申請から選考された10事業者に対して交付されています。その後の2015、17、そして今回の18年度は別の予算措置がなされていますが、吉川さんと布袋さんの復興支援の意思が今回の銭湯復活企画にもつながっていると言ってもよいでしょう。お二人にあらためてお礼を申し上げます。」(引用は以上)

気仙沼の魚市場前みしおね横丁の「鶴亀の湯」をはじめ、さまざまなアイデアで気仙沼を元気にしようという試みを、布袋さんや吉川さんが応援してくれたことをあらためてお伝えしたく。

布袋寅泰さんと吉川晃司さんに心からの御礼を。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 布袋寅泰

仙台への高速直結

三陸道(三陸沿岸道路)の小泉海岸IC(インターチェンジ)と本吉津谷IC間が11月21日に開通するとの発表はすでにこのブログでも紹介しました。

10月28日ブログ「気仙沼仙台間直結」

そして迎えた11月21日。無事の開通により、仙台港北ICから気仙沼港ICまでの高速道路が直結しました。11月22日の三陸新報はつぎのように伝えています。

開通

三陸新報11月22日記事の一部イメージ


記事によれば、仙台港北ICから気仙沼港ICまでの所要時間は約1時間20分とのこと。また、記事にあった菅原市長のコメントには、〈仙台空港とも直結したことで、気仙沼のものを日本、世界中に送り出し、多くの人を迎えられるようになることは大きな価値〉との言葉もありました。

仙台空港ICのある仙台東部道路と三陸道路の接続によって、〈仙台空港とも直結〉したわけですね。

最後に菅原市長の開通式典当日のツイートを紹介しましょう。



ツイートの最後に〈次は気仙沼湾横断橋を含む県内最終区間の開通、来年3月予定です。お楽しみに〉とありました。

この残る区間の開通日と3月11日との関係はどうなるのでしょう。関係各所で調整中といったところでしょうか。

なお、この気仙沼と仙台の高速道路直結による経済的効果などについて、河北新報11月22日配信記事が詳しく伝えています。筆者は河北新報気仙沼総局の鈴木悠太さんです。

河北新報11月22日配信記事
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 三陸道

5人目の感染発表

きのうの夕方、気仙沼市居住者1名の新型コロナ感染発表を知りました。8月6日以来、3カ月半ぶりとのことで、気仙沼市では5人目の感染者ということになります。

このことは、三陸新報で詳しく報じられると思い、本ブログでは簡単に触れるつもりでした。しかし、本日11月24日の三陸新報(デジタル版)ではまったく触れられておりません。ということで、事実関係を以下に。

まずはきのう11月23日付けの気仙沼市からの記者発表資料です。


市発表

つぎは、市の発表資料2頁目に添付されている県からの発表資料。表の一番下、No.1107が気仙沼市居住者。

県発表

要約すれば、気仙沼市居住の感染者は60代男性で地方議会議員。感染経路はNo.1079の濃厚接触者として。現在は療養中で重篤ではないとのこと。No.1079の感染者とは、県の資料によれば大崎市の地方議会議員です。大崎市では、11月21日に伊藤康志市長の新型コロナ感染が発表されています。

きのう夕方にはNHKニュースでも本件が報道/配信されました。それによれば、上記で地方議会議員とされていたのは、宮城県議会議員でした。

本日11月24日の河北新報も詳しく伝えています。宮城県議会の最大会派自民党・県民会議の議員8人が新型コロナウイルスに感染したと。

概要は以上です。


気仙沼市の60歳代の自民党会派県会議員ということで、すぐに個人が特定されます。それだけに、報道機関ではその扱いにちょっと悩むところかもしれません。本日の三陸新報に本件に関する記事がなかったのもそんな事情があるのかなと想像しています。

最近のニュースで宮城県内の新型コロナ感染者の増加を知っておりました。気仙沼も油断できないなと思っておりましたが、やはり。

以上、うわさ話ではなく、市や県の発表内容などの共有が大事と思いお知らせしました。

東京も同じく油断ができません。お互いに、感染予防の基本を守りながらの日常行動をということで。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 新型コロナ

亀山リフトの再建

「ZOZO」の創業者で前社長、前澤友作さんの11月19日のツイートが話題になっています。ふるさと納税8億円の寄付先を募集するというのです。

前澤さんは昨年12月にも、ふるさと納税制度を使って、台風15号で被害を受けた千葉県館山市に20億円を寄付しています。

11月19日のツイートには大きな反響があり、多くの自治体などから寄付を求める沢山のツイートが寄せられました。その中に、気仙沼市の菅原市長からのこんなツイートがありました。



気仙沼大島「亀山リフト」の復旧への支援希望です。このリフトは東日本大震災で被災して現在は撤去されています。震災後、地元からもこの亀山リフトの復旧、復活を望む声があがりましたが、復興関係の予算を利用することが難しく、市としての取り組みが難しいという回答だったように記憶しています。

前澤さんの寄付活動に対して、さまざまな声があることは皆さんご存じのとおりです。今回の菅原市長の希望表明についても賛否両論があるのではないかと。

私は悪くないと思いますよ。市民のリフト復旧要望に対して市としての予算措置ができないのならばほかの方法でということでしょうから。少なくとも、亀山リフトを復活というか、より良い形で再建したいという気持ちはよくわかりました。

◎1967年5月開業

あの亀山リフトはいつできたのか。気仙沼市文化史年表によれば、1967/昭和42年5月5日に開業しています。祝日、こどもの日。私が気仙沼高校1年生のときですね。はじめてリフトにのったときは、その景色、展望のよさにおどろきました。往きもよし、帰りもよし。

亀山というと、気仙沼中学2年生のときにクラスの10人で遊びに行ったことを思い出します。2017年12月のブログでその時の写真を紹介しました。主要部分を再掲します。


2017年12月22日ブログ再掲

◎2年7組記念写真

本日紹介するのは、ことしの新年会で気仙沼から参加してくれた斉藤みゆきさん(3年6組)から頂戴した写真です。まずは見てもらいましょうか。

中2亀山

気仙沼大島の亀山頂上展望台にて(クリックで拡大)

1965年。場所は気仙沼大島の頂上にあった展望台です。そこにうつっているのは気仙沼中学2年7組の同級生たち。季節は10月とか11月でしょうかね。

男子は前列からわたくし小田(3年8組)、河野(7組)、そして少しかくれていますが及川(6組)君。女子は名のみ紹介しましょう。前列左から、ひろ子(2組)恵久子(1組)、後列も左から登喜子(5組)みゆき(6組)しず子(9組)徳子(11組)美知子(5組)さん。

なぜこの写真の紹介が遅くなったかというと、私もこの写真ともう一枚の写真を持っており、2枚まとめて紹介しようと思っていたのです。しかし、その頂上レストハウスでお昼を食べているスナップ写真がみつからない。このままいくと一年たってしまうと思い本日の紹介といたしました。

この写真は誰が撮ったのだろう。それともセルフタイマーか。たぶんそうでしょうね。画面が右に寄っていたり、登喜子さんが少し下を向いていたり、誰かが撮っているとしたら、ちょっと違うショットになっているでしょう。

この写真を見ていると、ふざけて私の頭が首をいじっている河野君に、〈やめろよコーノ、いてえよ〉とか言いながら大袈裟にはしゃぐ私の心情が手にとるようにわかります。

いま考えてみると、この〈グループ交際〉メンバーはどのように選ばれたのだろうか。この写真をみて、〈知らなかった〉〈誘ってもらわなかった〉などという同級生がいるのではないかと心配になります(笑)。などと、いろんな思い出をつづっていけばきりがありません。これぐらいにしておきましょう。

気中2年7組の担任は、小松勝幸先生。体育担当で、ご実家は大島でした。2015年9月にお亡くなりになったことを、このブログでもお伝えしました。颯爽と歩く姿をなつかしく思い出します。2年7組。いいクラスでした。52年前の思い出写真です。

2015年9月24日ブログ「小松勝幸先生訃報」


再掲内容は以上。

菅原市長のツイートの希望内容には、〈ペアリフト等設置〉とありました。これまではシングルシートです。そのほかには、中腹駐車場拡大、満点の星が自慢の展望施設とカフェ等建設を希望と。

この前澤友作さんへの希望がたやすくかなえられるとは思っていませんが、これをきっかけにして、気仙沼大島/亀山リフト再建を望む声がさらに強まるような気がしております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 亀山リフト

気仙沼みらい造船

まずはテレビ番組情報から。11月22日(日)の午前10:05からのNHK「あの日、そして明日へ」は、〈教えてください あの日のことを 気仙沼 中学生の語り部たち〉。若き「語りべ」として震災伝承を担おうとしている、気仙沼市階上(はしかみ)地区の中学生が紹介されます。是非ご覧ください。

NHK番組サイト

ここからが本題。

渋谷パルコ8階「ほぼ日曜日」で写真展「幡野広志、気仙沼を撮る。」が7月16日から約2週間にわたって開催されました。この写真展で展示された出船送りの写真に菅原(及川)徳子さん(3年11組)がうつっていることは7月30日のブログでお伝えしました。

この写真展会場は撮影が許可されていたので、気に入った作品を何枚か写真におさめました。本日紹介するのは、そのうちの一枚です。


みらい造船


幡野さんがこの写真に添えたメモは、〈造船所〉というタイトルで〈 Iターンで気仙沼に移住した女性〉という言葉ではじまっています。撮影場所は、「みらい造船」です。

気仙沼漁師カレンダー2021年版では、11月の写真としてこの女性を撮影した別のカットが掲載されています。このカレンダーでは、写真とともに幡野広志さんによる文章が掲載されていますが、11月の文章は〈気仙沼に移住したくなる理由がすこしわかった〉と題し、つぎのようにはじまります。

「みらい造船で働く彼女は気仙沼に移住をして来た。造船所を案内してくれるときの表情がとても明るい」

そして、渋谷の写真展でのコメントにも記されていた彼女の〈彼氏〉についての話がつづきます。その引用は差し控えますが、幡野さんの文章はつぎのように結ばれていました。

「好きな街で暮らして、好きな仕事について、好きな人とすごす。たくさんの好きを重ねているから表情が明るいのだろう」

どうですか、彼女の〈彼氏〉について知りたくなってきませんか。

◎「海の市」での写真展

いま、気仙沼「海の市」で、「気仙沼漁師カレンダー2021」の写真展が開催されています。10月30日のブログでも紹介しました。海の市で、渋谷パルコ「ほぼ日曜日」で展示された写真を見ることができるのです。〈造船所〉の彼女の写真も展示されています。

ぜひ「海の市」会場で、生の写真の右下に貼られた幡野さんの言葉のメモと11月のカレンダーに掲載された幡野さんの文章をお読みください。そこに〈彼氏〉についての情報が記されています。

・「気仙沼漁師カレンダー2021」写真展

日時:10月31日〜11月30日(月)
会場:気仙沼「海の市」1階ホール
主催:気仙沼つばき会
入場無料

◎みらい造船

私が感心したのは、カレンダーを企画した気仙沼つばき会の皆さんが、みらい造船を撮影場所のひとつとして選んだことです。2021年版で7作目となる漁師カレンダーで初めてのことではないでしょうか。

気仙沼の浪板(なみいた)地区にあった造船4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)などが合併した「株式会社みらい造船」の新工場は、国内3例目となる「シップリフト」方式を導入した最新鋭の造船所です。

気仙沼に移住してきた彼女が元気に働く〈みらい造船〉。気仙沼の漁業/漁師たちのより良き未来をともに創り出していく企業としての成長を願っています。

2019年9月11日ブログ「みらい造船新工場」
 

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tag : 漁師カレンダー 幡野広志

気仙沼市の「分校」

きのうのブログで紹介した旧落合小学校太田季節分校は、昭和30年代に9年間だけ開設された市内唯一の季節分校でした。

11月18日ブログ「太田季節分校OG」

〈分校〉と聞いてすぐに連想するのは、私が気仙沼小学校に通っていたころにあった〈九条分校〉ですが、その成り立ちなど詳しいことはなにも知りません。ということで、気仙沼市史第6巻「教育・文化」編を調べてみました。

p194にありました。教育編 第4章第1節「小学校教育」のなかの「分校の独立と新設校」。


市史教育
気仙沼市史第6巻「教育・文化」編より


分校関連の記述を引用します。

〈 新学制発足当時、気仙沼地方には5つの分校があった。九条・落合・白山・浦島・水梨の分校である。これらの分校は明治学制以来、児童数僅少のため分教場・分校と呼ばれ、通学も3年生ぐらいまででそれ以降は遠距離通学で本校に行って学習するという不便があった。分校での生活を九条小学校の記念誌『銀の雲』に次のように寄せている。

(略:九条 小山正明さんの寄稿文「九条分教場時代の思い出」の引用は略させていただきます)

終戦後、児童数の増加により、これらの分校は独立校としての条件を満たすようになり、逐次独立していくのである。まず、昭和22年7月26日に、落合分校が落合小学校として独立し、9月1日に開校式をあげた。25年4月1日に浦島小学校、27年4月1日に水梨小学校、28年4月1日、白山小学校がそれぞれ独立校として開校した。九条分校も39年、市議会で学校設置が議決され4月1日、九条小学校となり市内には分校がなくなった。〉(後略)引用は以上

市史の記述はこの後、児童数3000人を越える〈マンモス校〉であった気仙沼小学校における第2小学校建設計画について記しています。この小学校が昭和42年4月12日に児童数710名、18学級で開校した「南気仙沼小学校」です。これが気仙沼市における最初の新設校だったそうです。次いで、昭和59年4月1日には、面瀬小学校が開校しています。児童数516名、24学級。

市史の「分校の独立と新設校」の項は、つぎの記述で終わっています。「新設校の設置とともに、児童数が減少傾向となり、市内各校は概ね適正規模となっていった。」

分校の独立や新設校の開校といった当時の話。少子化の影響で小中学校の統合が避けられない今となっては、若い人などにはちょっと想像しにくいかもしれませんね。

いまの状況を新たな市史に記すとすれば、見出しは「小中学校の統合と閉校」でしょうか。

なお、気仙沼市史第6巻の発行は平成4年/1992年2月。紹介した教育編 第4章「昭和時代の教育」第1節「小学校教育」の執筆者は大島郷土史研究で知られる千葉勝衛さんです。千葉さんは、今年7月30日に死去されました。つぎのブログで水上忠夫さんによる追悼文を紹介しております。

9月25日ブログ「千葉勝衛氏追悼文」

 

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tag : 分校

太田季節分校 OG

11月17日の三陸新報に、旧落合小学校の太田季節分校の校舎を解体することになったとの記事が掲載されていました。


太田季節分校
三陸新報11月17日記事の一部イメージ


記事によれば、太田季節分校は冬場の過酷な通学を解消するため、旧落合小の本校舎(市内象ヶ鼻/ぞうがはな)から2kmほど離れた川上地内に1955年(昭和30年)に開設されました。冬期、12月から翌年3月までの利用だったとのこと。(追記:記事には落合小学校の本校舎と季節分校の距離が2kmほどとありましたが、のちほど紹介する実木枝さんによれば約7kmも離れていたそうです)

当初は民家の一角を借りていたが、1958年に木造平屋の専用校舎が建てられたそうです。記事の写真がそれでしょう。

季節分校は1964年に閉鎖され、集落の児童は本校舎併設の寄宿舎(1976年閉鎖)に移行したそうです。

分校舎そのものは6年間(季節利用なので実質24カ月)の使用でしたが、その後は集会所として長く親しまれたそうです。しかし、集落住民の減少で利用が少なくなり傷みも激しくなったとのこと。

市としては、来年1月15日までに解体作業を終わらせる計画です。

私が驚いたのは記事の最後です。「季節分校で学んだ児童は、9年間で約20人」として、そのひとり「6年間通った小野寺実木枝さん(69)」の言葉を紹介していたのです。

これは小野寺(萩原)実木枝さん(3年4組)に違いないと思い、すぐにメール確認したところ、やはりそうでした。実木枝さんは、太田季節分校のOGだったのです。記事にある実木枝さんの言葉を紹介します。

「当時、分校の様子は新聞なので広く報道され、全国から注目された。スキー客が慰問を兼ねて文房具などを届けてくれるのがうれしかった。解体は仕方ないが、なくなると思うと寂しい」

実木枝さんのメールにも、「寂しくもあり、懐かしくもあり、複雑な思いで新聞記事を読みました」とありました。そして、「記事の写真の一番うしろに写っているのが私です」とも。

なるほど、そういわれるとそんな感じ。1963年頃の写真とのことで、実木枝さんによれば小学5年生のときだそうです。

落合小学校は、気仙沼市の小中校統合計画/第1段階として平成25年/2013年度に新城小学校と統合しています。

実木枝さんは、太田季節分校舎解体の計画を知り、2013年に落合小学校が閉校したときと同じようなさびしさを感じたのではないでしょうか。

三陸新報記事の見出しに〈開拓集落の学びと交流〉とありました。太田季節分校の話を知ると、実木枝さんという名が開拓集落の地にふさわしい名であるように思えてきました。

〈実・木・枝〉。名付けたのは萩原家のご両親でしょうか。子供の名に託した希望や願いを感じずにはいられません。

なお、実木枝さんが寿司処「一心」をご主人の登さんと営んでいることは皆さんご存じのとおりです。本年6月の新店舗オープンはつぎのブログでお伝えしました。

6月22日ブログ「一心の新店舗開店」

ネットに、2014年3月の落合小学校最後の卒業式の様子を「2人だけの卒業生 落合小学校」として伝えている気仙沼市在住の写真家かとうまさゆきさんのページがありました。ご参考までに。

2人だけの卒業生 落合小学校

 

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tag : 落合小学校 分校

震災拾得物の返却

気仙沼市は、東日本大震災の津波で流されて持ち主がわからない〈震災拾得物〉の返却を来年2月で終了すると11月13日に発表しました。

この発表の1日前、11月12日の三陸新報は一面トップ記事でこのことを伝えています。

返却

三陸新報11月12日記事より


記事によれば、市は震災直後の捜索や復旧作業の際に見つかった写真などを回収し保管してきました。最大で写真100万枚、それ以外のものは1万8千点になったとのこと。

委託を受けた気仙沼復興協会が管理して、常設展示をおこなうなどして持ち主に返却してきました。写真68万9千枚、それ以外が1万3300点にのぼるそうです。現在残っているものは、写真11万1000枚、位牌やトロフィー、絵画、置物、楽器など1700点。

拾得物の常設展示による返却は2016年度で終了し、現在は旧小原木(こはらぎ)中学校に保管されています。拾得物はすべて画像データ化されており、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で閲覧できます。市では、期限内の来場をよびかけています。

11月13日の夕方には、「NHK生活・防災」がつぎのNHKニュースをツイートしていました。



ニュース内容は三陸新報記事と同様ですが、保管中の写真や、地区別に分けられた保管物ファイルなどの画像が掲載されています。旧小原木中学校で撮影されたものと思います。

東日本大震災から来年3月で10年。拾得物の保管・返却をはじめ、〈これを区切りとして〉という言葉が、さまざまな場面で聞かれるようになることでしょう。
 

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tag : 震災拾得物

気仙沼カレンダー

気仙沼のカレンダーといえば、「気仙沼漁師カレンダー」を連想する人が多いと思いますが、本日ご紹介するのは、2021年版「気仙沼市民憲章カレンダー」です。

11月13日の三陸新報にも紹介されていたのでご存じの方も多いことでしょう。

このカレンダーは、市民憲章推進協議会が主催した「気仙沼市民写真コンクール」の入賞作品が掲載されています。

その表紙をかざっているのは、最優秀賞に選ばれた吉田真一さんの「朝焼けの魚市場」です。気仙沼市サイトからその画像を引用します。


カレンダー


サイトでの紹介文によれば、気仙沼市民写真コンクールへの応募は99作品。表紙には最優秀賞、そして2か月ごとに6人の優秀賞作品が掲載されています。また最終2ページには入賞者以外の応募者34人の作品が1点ずつ掲載されているとのこと。

◎価格:1部500円
◎販売部数:250部
◎サイズ:A3判2つ折り(上部写真と下部カレンダーともにA4横サイズ)
◎販売場所:気仙沼市役所地域づくり推進課、唐桑総合支所総務企画課、本吉総合支所総務企画課、各公民館。

上に紹介した吉田真一さんの写真「朝焼けの魚市場」がすばらしい。気仙沼魚市場からながめた気仙沼湾横断橋、そしてその奥に気仙沼大島大橋。入港してきた小型船やウミネコ。朝焼けを受けてシルエットになっている大島の亀山。全部のせ(笑)。

250部と部数も限られているので、希望者はどうぞお早めに。

◎気仙沼市民憲章

市民憲章ってどんな内容でしたっけ。私も含めてそんな人のために憲章内容を以下に。

気仙沼市民憲章

わたくしたちの気仙沼市は、豊かな海や山の恵みと、先人のたゆまぬ努力により栄えてきました。

わたくしたちは、このふるさとを大切にし、人と自然が輝き、活力に満ちたまちの実現をめざし、市民憲章をさだめます。

・ 自然を愛し、海と緑の美しいまちをつくります。
・ 心とからだを鍛え、健康で明るいまちをつくります。
・ 働くことを喜び、産業の盛んなまちをつくります。
・ いたわり、助けあい、きまりを守って安全安心なまちをつくります。
・ 学ぶ心を大切にし、文化の香り高いまちをつくります。

この市民憲章は、唐桑町と合併した1年後2007年3月7日に制定されました。新生気仙沼の目標として定めたのでしょう。

震災後、高すぎる防潮堤に反対する立場から、〈「自然を愛し、海と緑の美しいまちをつくります」という市民憲章の精神に反するのではないか〉との声があがったことを思い出しました。

下記のブログはご参考まで。

2012年6月25日ブログ「防潮堤は誰のため」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼市民憲章カレンダー

美由紀さんの新譜

畠山美由紀さんの初セルフプロデュース・カヴァーアルバム「Song Book #1」が9月16日にリリースされました。そして、これを記念して開催されたビルボードライブ公演のダイジェスト映像が11月6日にYouTubeにて公開されました。公開期間限定です。

9月1日のビルボードライブ大阪の映像では、「宵待草」「わが美しき故郷よ」「ロマンスをもう一度」の3曲。9月3日のビルボードライブ横浜の映像では「クレマチスよ」「星めぐりの歌」の2曲が紹介されています。いずれも後半3分の1ほどはビルボードライブのPR映像です。

◎9月1日:ビルボードライブ大阪
宵待草/わが美しき故郷よ/ロマンスをもう一度



◎9月3日:ビルボードライブ横浜
クレマチスよ/星めぐりの歌




ビルボードライブ大阪の映像2曲目は「わが美しき故郷よ」です。2011年12月7日にリリースされた同名のアルバムに収録されています。

何度も聞いているこの曲ですが、2020年9月1日の歌声はまたちょっと違ったニュアンスも感じられます。それが意識的なものなのかどうかはわかりませんが、これこそがライブのもつ面白さなのでしょう。

これからさらに10年経った美由紀さんは、いったいこの曲をどのように歌うのだろうか。そんなことを思いながらくりかえし映像を見ております。この週末、みなさまも是非に。

なお、ブログタイトルは「美由紀さんのニューリリース」とでも書くのが自然なのですが、勝手な基本方針である見出し8文字からあふれてしまうので〈新譜〉としました。

最近はこの〈新譜〉という言葉は使われているのだろうか。若い人には〈陳腐〉だったかもと心配しております。今週はこれにて。

追記:〈新譜〉が〈新曲〉と同じ意味であれば、今回の「Song Book #1」は新譜ではありませんね。カバーアルバムですから。いまさらブログタイトルを変えることはしませんが、どうすればよかったのだろう。すなおに「わが美しき故郷よ」かな。これでちょうど8文字。

しかし、過去のブログで使ったことがあるかもなと思い検索してみたら、やはりありました。

2013年12月17日ブログ「わが美しき故郷よ」

8文字もなかなかに難しい。ということでどうぞよろしく。

ビルボードジャパン/リリース記念インタビュー
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山美由紀

復興祈念公園経過

気仙沼市陣山で整備が進められている東日本大震災復興祈念公園は来年2月の開園を目指しています。本年8月に、モニュメント「祈りの帆(セイル)」が設置されたことはすでに紹介しました。本日はその後の動きをご紹介。

10月27日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。

祈念公園

三陸新報10月27日記事の一部イメージ


記事の写真には、公園の「追悼と伝承の広場」に設置される犠牲者銘板がうつっています。その奥には、「祈りの帆」が。

記事によれば、東日本大震災による市内の犠牲者は、直接死1246人と関連死109人を合わせて1355人とのこと。そして気仙沼市は昨年7月に、遺族に対して公園内の犠牲者銘板への刻銘に関しての同意書を送付しました。

10月26日までに同意が得られたのは1081人で、刻銘を望まないケースが39件。意向が確認できていないのは対象者の18%にあたる245人の遺族とのことです。

銘板は、プレートをはめ込むつくりになっており、開園後の追加も可能になっており、同意の期限は設けていないとのことです。

◎伝承のオブジェ

記事に、工事は全体の7割まで進んでいるとありました。私がちょっと心配しているのは、「伝承のオブジェ」のことです。秋田公立美術大学准教授の作家、皆川嘉博さんが制作するオブジェが「追悼と伝承の広場」に配置されることになっています。

このオブジェは、開園時にすべてが設置されるのではなく、追加設置される計画だったように記憶しています。

市による5月11日付け東日本大震災調査特別委員会資料によれば、開園時には、東日本大震災やその後の復興に関するエピソード・心象をあらわす3基の設置を立案中で、7月より本格的な制作に着手するとされているのですが。

表現に求める具体的なメッセージ性と、作家の表現における抽象化の作業とには結構な距離があるでしょう。それだけに、来年2月の開園時に3基設置という条件は作家にとって相当に厳しい条件であるように感じます。5月時点では7月から9月までの3か月の制作期間となっていますが、実際の進行に関する情報はありません。

復興祈念公園の開園予定は来年2月です。これに向けての公園整備スケジュールは来年1月末終了を目指しています。銘板関係の確認やオブジェ制作のほか、さまざまな作業が懸命に進められているのでしょう。

関係者の皆様、いろいろご苦労さまです。この時期、大変なことも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

8月13日ブログ「祈りの帆(セイル)」

 

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tag : 復興祈念公園

三井物産安永社長

11月2日のブログでは、気仙沼市と包括連携協定の締結をおこなった(株)モンベルの辰野勇会長と菅原茂市長のツーショットを紹介しました。

市長のツイートを見ていると、多くの行政関係者、政治家、そして経済人と会って、お願いをしたり、お礼を述べたりしていることがよくわかります。

お会いする方のなかには私なども知る著名人もいらっしゃり、モンベル社の辰野会長もそのひとりでした。

本日紹介するのは、菅原市長の7月10日のツイートです。




左が市長、右は三井物産の安永竜夫社長です。2015年に社長に就任。役員序列32人抜きでの最年少社長就任は大変話題になりました。

5大商社(私たちの世代でいえば3大商社という呼称になじみがあるのですが)のひとつ三井物産の代表がなぜに気仙沼に。

市長のツイートには〈震災直後から鹿折地区の水産加工を支援して頂いています〉とありました。気仙沼は三井物産さんに大変お世話になっているのです。

鹿折(ししおり)地区の水産加工業への支援のきっかけをつくってくださったのは、鹿折出身で三井物産出身の中井英一さんでした。つぎのブログに、中井英一さんと臼井弘君(3年4組)とがならぶ写真とともに詳しく紹介しました。

2013年11月20日ブログ「中井英一氏の挺身」

そして鹿折地区の水産加工会社19社でつくった「気仙沼鹿折加工協同組合」の共同冷蔵倉庫や事務所が、三井物産さん、そして住友商事さんなどの支援を受けて2015年5月に完成しました。

2015年6月5日ブログ「鹿折の新施設落成」

三井物産の株主総会で気仙沼産品が土産として配られたということもブログで紹介しましたね。

それと、2015年に完成した「大島漁協文庫」の建設にあたっても三井物産環境基金の支援がありました。

また、鹿折加工協同組合の海外輸出事業の展開にあたっても同社のご支援をいただいています。

私のブログで追うだけでも以上のようなことです。ほかにも様々なお力添えがこれまでもそして現在も続けられていると思います。

7月10日の安永社長の気仙沼市役所訪問は、〈表敬訪問〉という形と思いますが、菅原市長は多くのご支援に対する御礼を述べたことでしょう。

私も出身者のひとりとしてそのご支援に対して、心から御礼を申し上げたく。

なお、鹿折加工協同組合に対しては、三井物産さんに加え、住友商事、キリングループ、農林中央金庫、日本財団などの各企業グループ・団体さんからのご支援もいただいております。あわせて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 三井物産

鹿折金山史話 発行

10月25日の三陸新報に、鹿折金山に関する証言記録をまとめた冊子「陸奥 気仙沼黄金郷 鹿折金山史話」が発行されたとの記事が掲載されていました。発行元は気仙沼市の鹿折金山資料館運営委員会(藤村範光委員長)です。


金山記録

三陸新報10月25日記事の一部イメージ


記事によれば、この冊子では、鹿折金山で最後の鉱山監督をつとめた中村源一郎氏の妻・はつえさん(故人)が語った全盛期の金山の思い出話や、中村家に関する資料の解説を紹介しているとのこと。また、一昨年に他界した鉱山研究家の村上安正氏が残していた「鹿折金山こぼれ話」も新たに掲載しているそうです。

この記事を見たときに、ちょっとおどろきました。ちょうど11日前、鹿折金山のことについて書こうと思っていたからです。


◎中村敬二氏訃報広告

10月14日の三陸新報につぎの訃報広告が掲載されました。

10:14 中村敬二氏訃報
三陸新報10月14日掲載の訃報広告


鹿折金山資料館の館長をつとめていた中村敬二さんが10月12日に亡くなったことのお知らせです。この広告の右側には、中村家としての訃報広告も掲載されていました。気仙沼市上東側根の住所の左に屋号として記してあったのは「金山」です。

この訃報広告のなかで、中村家の方々のお名前に続いて、友人代表として加藤宣夫さんのお名前がありました。

加藤さんは上記の記事の中にもお名前があった鉱山研究家村上安正氏を追悼する文章を昨年4月28日の三陸新報に投稿しています。つぎのブログでも紹介しました。なお、上記の三陸新報10月25日記事では村上安正氏を〈一昨年に他界した〉と記していますが、加藤宣夫さんの追悼文によれば昨年/2019年3月24日がご命日です。

2019年5月6日ブログ「追悼:村上安正氏」

このブログ中にも記しましたが、明治時代に鹿折金山の採掘権を所有していたことがあるのが中村亀治氏で、10月12日に亡くなった中村敬二さんはその子孫なのです。

鹿折金山最後の鉱山監督である中村源一郎さんは敬二さんのお父様なのでしょうか。同じ中村性ですが確認できません。

このたび発行された「鹿折金山史話」を読めば、その辺の話も含めて細かなことがいろいろとわかるのでしょう。

今回発行した100部は関係団体や個人に寄贈したそうですが、今後は増刷して販売することも検討していると記事にありました。その際には是非入手したいと思っております。

鹿折金山や同鉱山から産出されたモンスターゴールドについては、下記の2つのブログに記しております。お手すきのときにでも。

末尾になりましたが、鹿折金山跡や歴史資料の保存にご尽力された中村敬二さんへの敬意を表するとともに、そのご冥福をお祈りいたします。

2016年9月9日ブログ「モンスターGOLD」
2016年9月12日ブログ「怪物金塊諸説紹介」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鹿折金山

和田誠さんの葉書

ほぼ日さんのサイトで9月1日から全13回連載された「平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。」をとても興味深く読みました。

この連載にはうれしい関連企画がありました。ほぼ日/平野レミさんあてに記事への感想やメッセージを往復はがきで送ると、返信はがきに和田誠さんのスタンプを押して送ってくれるというのです。

私もさっそく応募。そして、10月中旬に返信はがきが届きました。とてもうれしかった。

はがき


海のうえをとぶ鳥がくわえた一枚の紙は、和田さんから届いた手紙や葉書のようにも思えます。ハガキではなく〈葉書〉と書きたい。
私が平野レミさんにあてて往信はがきに書いたことは、和田誠さんとレミさんの気仙沼に対するご支援への御礼でした。

和田さんは、2013年に東北ツリーハウス観光協会のロゴマークをデザインしてくださいました。同協会の代表理事は、気仙沼の斉藤道有さんです。そしてレミさんは同年の「市場で朝めし。」の〈ほぼ日〉ブースで販売する〈平野レミさんの海カツサンド〉を糸井さんと一緒につくりあげてくれました。

2014年9月19日、私は偶然ながら和田さんに直接お礼を申し上げる機会に恵まれました。そのあらましなどは、つぎのブログにまとめてありますが、そのことをレミさんへの往信はがきに記したのです。

2019年10月14日ブログ「和田誠さんに感謝」

10月22日から、渋谷PARCO8階の「ほぼ日曜日」で、『表紙はうたう 完全版』刊行記念原画展「和田誠さんと。」が開催されています。11月15日(日)まで。

私は和田誠さんが1977年に週刊文春の表紙を書き始めたときから毎週、活版頁を抜き取って表紙とグラビア部分を数年間にわたって保存してきました。大学生のときのこと。そして卒業するときだと思うのですが、それなりの分量で置き場所にも困って気仙沼の実家に送ったのです。保存版の重要資料として。高さにして50〜60cmぐらいは合ったと思います。

しかしその後、気仙沼に帰省したときに母に聞いたら、〈捨てた〉と。まあ、しかたがないと、それほど母を責めることはしなかったと思いますが、私の絶望感たるや。表紙だけでなくグラビア頁も一緒にとっておいたというのがポイントだったのですが。

そんなこんな、いろんなことを思い出しながら、和田誠さんの原画を拝見してこようと思っています。ご都合が許せばみなさんも是非に。

ほぼ日曜日/記念原画展「和田誠さんと。」

 

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tag : 和田誠 ほぼ日

愛称案を考えよう

気仙沼市による「気仙沼湾横断橋」の愛称案募集の締め切りは11月9日(月)です。11月4日の三陸新報によれば、ネット応募件数は11月2日時点で100件ほどであるとのこと。

10月26日のブログ「横断橋の愛称募集」では、〈あらためて、具体案などを示しながら愛称のあり方を考えてみたいと思います〉と記したものの、仕事で外出する日が続き、落ち着いた時間がなかなかとれません。

そうはいっても来週の月曜日が締め切り。応募予定の案を示しながら考えをまとめてみることにしましょう。

top01.jpg


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画像は、「国道45号 気仙沼湾横断橋朝日地区上部工工事」サイトより


◎応募予定案

私が考える愛称に求められる最優先の条件は、市民はもちろんのこと、メディアなどにおいても正式名称「気仙沼湾横断橋」のかわりに使用してもらえるような名称であることです。

気仙沼大島大橋の愛称「鶴亀大橋」がなかなか使われないというか定着しないことを考えると、大変重要な条件であると思います。

それを踏まえた私の応募予定愛称案は「気仙沼ベイブリッジ」です。

◎正式英文名称の和訳

正式名称「気仙沼湾横断橋」の英文名は発表されていないようですが、「Kesennuma Bay Bridge」でしょう。これをまた和文表記にして、愛称「気仙沼ベイブリッジ」にするというアイデアです。英語での発音は正式名称も愛称も「ケセンヌマベイブリッジ」となります。

これにより、愛称由来の正統性が確保できますので、メディアも使いやすいのではないかと。

◎応募内容・基準

この案の問題は、市の募集にあたっての応募内容・基準に適合するかどうかです。募集要項にはつぎの内容が示されています。

①橋のコンセプトや特徴がイメージできる愛称であること ②気仙沼市のイメージにふさわしい愛称であること ③覚えやすく親しみやすい愛称であること ④他地域の橋の名称などに類似していない愛称であること ⑤漢字・ひらがな・カタカナ・数字を使用し、最大で10文字程度までとすること

◎「気仙沼」は必須

私は愛称の中での「気仙沼」使用は必須であると思います。正式名称のかわりに使用されても、気仙沼を端的に表現することができます。これによって、〈気仙沼市のイメージにふさわしい〉ということにしましょう。ちょっと無理矢理ですが。

◎「ブリッジ」に込めた意味

橋のコンセプトや特長がイメージできるかどうかですが、ベイブリッジの現代的な語感が気仙沼の発展的なイメージを表現することができるでしょう。また、現在から輝かしい未来へのブリッジ/架け橋の意味も付与できます。

◎類似名称

類似名称としては、「横浜ベイブリッジ」「青森ベイブリッジ」がありますが、ベイブリッジそのものは一般名称ですので、これに地名「気仙沼」を付加しても大きな問題にはなりません。むしろ、横浜と青森にならぶ3例目のベイブリッジとして数えられるプラス面があるのではないでしょうか。「ベイブリッジ3兄弟」的な(笑)。

また、ベイブリッジの先行例があることもあいまって、覚えやすく親しみやすい名称であると思います。案の審査にあたって、ほかにも「ベイブリッジ」使用例があるからと選択からはずさないことを願うばかりです。

◎文字数

「気仙沼ベイブリッジ」の文字数は9文字です。最大で10文字程度までとの条件をクリア。

私はこの10文字程度までとの条件を見て、市の関係者は愛称における「気仙沼」利用を想定していないのではないかと感じました。気仙沼で3文字です。残りは7文字。ブリッジを使うと残りは3文字のみですからね。

それと、気仙沼湾=気仙沼ワンということで「気仙沼ワンブリッジ」というのも考えましたが、ワンブリッジってなんだという問いにうまく答えられず。「ワンという語句で橋のコンセプトである一体感を表現」といったところで通じませんね。

◎ほかの愛称案

すでに100件ほどの応募があるとのことですので、さまざまなネーミングが提案されていることでしょう。

応募要項内容からキーワードをいくつかあげてみましょう。

ハーモニー(調和)・ホープ(希望)・ドリーム(夢)・リアス・かなえ(鼎)・ウェルカム・サンクス(感謝)

「ドリーム」あたりはすでに多くの提案があるのではないかなと。「ドリームブリッジ」。これで8文字。「気仙沼ドリームブリッジ」とすると11文字ですね。そして込めた意味は「夢の架け橋」。そして「夢よ、かなえ」の願いを込めてとかなんとか。

しかし、「気仙沼ベイブリッジ」のわかりやすさとか、正式名称との関係からの使いやすさと比べるといまひとつという感じですね。

◎みなさんも是非に

といったようなことで、もう少し考えたうえで、9日までに応募しようとおもっております。皆さんも頭の体操がわりに是非どうでしょう。

参加することに意義があるのはオリンピックだけではありませんよ。どうぞよろしく。

なお愛称決定の審査は、市民らで構成する気仙沼湾横断橋愛称選考委員会がおこなうとのことです。


10月26日ブログ「横断橋の愛称募集」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼湾横断橋

県「文化の日表彰」

宮城県の「文化の日表彰」受章者が発表されました。この表彰は、地方自治、産業、教育、民生、その他県下の各分野において、多年にわたり県勢の進展、県民福祉の増進,芸術文化の向上等に寄与された方(団体)で,功績顕著及び他の模範となる方(団体)に対して年1回おこなわれるもの。

11月4日の三陸新報が気仙沼市・南三陸町の受章者を紹介していました。いつもはさほど気にすることもないのですが、今回はよく知る名がその中にありました。臼井真人(まこと)君(3年2組)です。

表彰

三陸新報11月4日記事の一部イメージ


真人君は〈地方自治功労〉での受章です。記事にあった紹介文を引用させてもらいます。

〈2001年の市議選で初当選し、10年に議長就任。現在、議会運営委員長を務める。東日本大震災では自宅や経営する事業所が被災。震災後、県内の市議会議長らと行った初めての中央要望では、産業復興への支援を強く訴えた。「被災した人たちの顔が浮かび、必死だった」と振り返る。「こうして認められたのは、応援してくれた人や家族の支えがあったからこそ」と感謝する。〉(引用は以上)

記事のなかに〈2001年の市議選で初当選〉とありました。もう20年近くになるのですね。議長もつとめました。そうしたことが認められての表彰でしょう。

ほかの受章者で名前を知っている方では、〈県治功労〉での宮城県議会議員で唐桑・鮪立「恵比寿棚」の畠山和純さん、〈産業功労〉で、唐桑のカキ養殖に従事してきた唐桑・宿浦「鳥羽平」畠山政則さんなどがいらっしゃいました。政則さんは〈やっくん〉こと政也さんのお父様です。

表彰式はあした11月6日に仙台市の東京エレクトロンホール宮城でおこなわれます。ブログ紹介のまえに真人君本人の〈喜びの声〉をきこうかなとも思ったのですが、〈そいづはいいがら〉あるいは〈そいづはやめっぺし〉と言われると思い、やめにしました(笑)。

真人君、「文化の日表彰」受章、おめでとうございます。10月16日の岩沼臨空倉庫竣工での臼眞倉庫の3施設復旧完了など、慶事がつづきますね。ますますのご活躍を願っております。

10月20日ブログ「臼眞倉庫竣工広告」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 文化の日表彰 臼井真人

大島大漁旗リレー

10月31日、気仙沼市立大島小学校と大島中学校の合同運動会が開催されました。新型コロナ対策として練習時間を短縮したために、徒競走とリレーを中心に実施されたそうです。

11月1日の三陸新報では、中学生による大漁旗リレーの様子が写真で紹介されていました。


大漁旗

三陸新報11月1日記事の一部イメージ


この〈大漁旗リレー〉は以前にこのブログで紹介したことがあるなと思い検索してみると、2016年の唐桑中学校大漁旗リレーの話題でした。気仙沼市の海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」で紹介された動画も含めて再掲します。


2016年9月14日ブログ再掲

◎唐桑大漁旗リレー

気仙沼市の海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」に大変おもしろい(といったら失礼なのか)動画が紹介されていました。唐桑(からくわ)の中学校で開催された運動会での大漁旗リレーです。フェイスブックのアカウントを持っていなくとも誰でも見ることができます。

大漁旗リレー
画像クリックでサイトにジャンプ。


9月3日に開催されたこの運動会のリレーでは、バトンの代わりに大漁旗を使っています。中学生の体にはちょっと重そうな、まさにthe heavy tairyo-bata flags。それでも風にたなびく旗のバランスをうまくとって、みんな懸命に走ります。応援の父兄の声もいい。

この大漁旗リレーは、唐桑で以前から行われていたものなのでしょうか。気仙沼小・中学校での記憶はありませんが、私が小学生のころに気小グラウンドで行われた市民運動会ではあったかもしれませんね。(後略)


このあとには、この気仙沼市公式Facebookの編集や翻訳などをおこなっているボランティアチーム「The Great Challenge」の紹介が続きます。ここでは省略しますが、つぎのブログをご覧いただければと。

2016年9月14日ブログ「唐桑大漁旗リレー」

大島小・中学校運動会の話に戻ります。三陸新報の記事で目を引いた記述がありました。参加者数です。小学生58人、中学生26人。

あくまで運動会参加者ですから児童・生徒数ではありませんが、その少なさにあらためて驚かされます。平均すると1学年9人といったところですね。

念のために本年4月の三陸新報で紹介された市教育委員会による2020年度の児童生徒数見込み数を見てみると、大島小58人、大島中26人となっています。運動会参加者数と一致していますね。

2017年当時には、大島小・中学校はそれぞれ鹿折小・中学校と統合するとの計画が示されていました。しかし、その計画実施は現実的ではありません。ほかの小中学校も含めての正式な第3段階統合計画の見直しはまだなされていないと思いますが、これはなかなかにやっかいな問題です。

大島中と鹿折中が統合された場合、この大漁旗リレーはどうなるのか。ごくごく小さなこととは思うのですが、ちょっと気になりました。

そうしたことは別として、大島そして唐桑の地に、〈大漁旗リレー〉はホントよく似合いますね。

4月23日ブログ「児童生徒数見込み」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大漁旗 大島

化粧坂改良本格化

気仙沼の「化粧坂」(けしょうざか)の道路改良工事が始まったということは、2月26日のブログで紹介しました。

この改良工事は、本町橋北側から三日町・新町(あらまち)交差点までの460mをほぼ一直線に結ぶ計画です。

その改良工事が本格化しているとの記事が10月30日の三陸新報に掲載されていました。


化粧坂

三陸新報10月30日記事の一部イメージ


記事によれば、現在の工事は、本町側から連合宮城気仙沼地域協議会などが入るマンション手前までの約320m区間で先行着手しているとのこと。

計画全体の工事規模が大きく、すべての工事完了をまって開通させるまでには時間がかかるため、この先行着手区間を2022年度末に暫定供用する予定です。

残る化粧坂交差点側140mの整備はその後に進める計画とのことですが、気仙沼土木事務所によれば、その完了時期は今のところ示すことができないそうです。いろいろと大変なことも多いのでしょう。

2月のブログでこの工事を紹介したときには、完了時期ははっきりとしないものの2022年度内には通行可能にしたい考えとされていました。現時点では全区間の工事完了は難しいという判断なのかもしれません。


なお用地の買収率は9月末現在で50%、建物の移転補償に関する契約は70%になっているそうです。道路工事についての知識がほとんどないのですが、買収と工事が並行しておこなわれるのですね。

化粧坂は気仙沼高校への通学路でした。それだけに、この改良工事の結果、あの近辺の風景がどのように変わるのだろうかと、とても関心があるのです。

それと、改良後の旧道の扱いはどうなるのでしょうか。なくなるわけではないのでしょうね。観音寺の裏門的な入口もありますし。私の古い記憶では金属ゲートの上に「観音寺セッツルメント」の表示がありました。今はどうなっているのだろう。

あとで、グーグル/ストリートビューで確認してみましょう。私の記憶を重ねあわせながら楽しむ〈化粧坂ツアー〉です。

2月26日ブログ「化粧坂近辺の風景」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 化粧坂

モンベルとの連携

気仙沼市は10月30日、株式会社モンベルさんと包括連携協定を締結しました。これについては、市からの10月23日付け記者発表資料で知っていたのですが、30日当日の菅原市長のツイートを見て、ちょっとおどろきました。菅原市長とモンベル辰野さんとのツーショット。



クリックしないと見えないかもしれませんが、2枚目の写真の左側にうつっているのが、モンベルの創業者/会長である辰野勇さんです。

辰野さんは、アウトドア界のレジェンドのひとりといってよいと思います。1969年、21歳のときにアイガー北壁登頂に世界最年少で成功するなど登山家としても知られています。

1975年28歳のときには、登山経験を活かした高性能の登山用品を開発・販売するモンベルを二人の山仲間と創業しました。今や「mont・bell」ブランドは日本を代表するアウトドア用品ブランドとして多くの人に愛されています。くわしい紹介は不要でしょう。

ひとつ付け加えておけば、モンベル/montbellはフランス語の「mont/山」と「belle/美しい」を元にしたネーミング。「美しい山」という意味。

(株)モンベル/創業者プロフィール

気仙沼市はこれまでもモンベルの「フレンドエリア」登録などで同社と関係をもっていましたが、今回の包括連携協定によって、アウトドア活動等の促進を通じた地域の活性化と市民生活の質の向上をはかりたいとしています。

モンベル社サイト「包括連携協定について」によれば、協定を結んでいるのは今回の気仙沼市を含めて57市町村です。

そして10月29日の三陸新報にはつぎの記事が掲載されていました。


モンベル協定
三陸新報10月29日記事の一部イメージ


気仙沼市は、国民宿舎「からくわ荘」跡地活用策のとりまとめを、モンベルの関連会社に委託しているとの記事。市はアウトドア拠点としての再整備を視野にいれているということです。

市の記者発表資料によれば、協定では、①自然体験の促進による環境保全意識醸成②子供たちの生き抜いていく力の育成③自然体験の促進による健康増進④防災意識と災害対応力の向上⑤地域の魅力発信とエコツーリズム促進による地域経済活性化⑥農林水産業の活性化⑦高齢者、障がい者の自然体験参加の促進という7項目での連携をはかることとしています。

今回の記事は、モンベルさんと包括連携協定を締結したことが主な内容となっています。唐桑での具体的な動きについてはあらためて報じられることになるでしょう。

ちょっと余談を。7年前のことになりますが、ある会社の周年記念誌の制作を手伝っていたことがあります。そのなかで、大阪本社に出張しての社員インタビューがあったのですが、休憩中に窓からみえたのが「mont・bell」の名を掲げた12〜13階建てのビルでした。そのときは、モンベル社が入居しているのだろうくらいに思っていたのですが、そこがモンベルの本社であったことを今回知りました。

そのビルを思い出してみると、1975年の創業から現在に至る大きな成長と、それを支えてきた辰野さんをはじめとする経営者の力というものをあらためて感じます。

「モンベル」と唐桑をはじめとする気仙沼地区はとても相性がいいと思います。海もあるし山もある。

モンベルさん、これからも気仙沼をどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : モンベル

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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