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「海の市」で写真展

「気仙沼漁師カレンダー2021」の完成と販売を記念して写真展が10月31日(土)から11月30日まで気仙沼「海の市」で開催されます。

本日10月29日の三陸新報がこの催しを紹介しています。


写真展

三陸新報10月29日記事より


◎写真展概要

日時:10月31日〜11月30日
会場:「海の市」1階ホール
主催:気仙沼つばき会
入場無料

漁師カレンダーとして7作目となる2021年版については、このブログで何度も紹介していますので、皆さますでにご存じのことと思います。今回の撮影を担当してくださった写真家は幡野広志さんです。

三陸新報の記事にも紹介されていますが、漁師カレンダー2021の写真展は、東京で既に開催されています。渋谷パルコでの写真展「幡野広志、気仙沼を撮る。」です。

7月3日ブログ「幡野さんの写真展」

私もこの写真展にいきました。7月29日。とてもよかった。ちょうど3か月前のことになるのか。ついこないだのような気がするのですが。

この写真展についてはつぎのブログで紹介しました。展示されている出船送りの写真に菅原(及川)徳子さん(3年11組)がうつっていることなどを記しております。

7月30日ブログ「令和の出船送り」


◎ありがとう!漁師まつり

今度の日曜日、11月1日には、魚市場前「みしおね横丁」で「ありがとう!漁師まつり」が開催されます。


日時: 11月1日(日)9:00〜15:00
会場:気仙沼魚市場前「みしおね横丁」
お問い合わせ:気仙沼つばき会

漁師カレンダー2021の写真を撮影してくださった幡野広志さんのサイン会と書籍や写真集の販売のほか、幡野さんのトークイベントも予定されているとのことです。時刻ほか詳細が明らかになれば、ここに追記しておきます。(10/31追記:31日の三陸新報によればトークイベントは午後2時30分からとのことです)

このトークイベントには、漁師カレンダーのプロデュースを担当している竹内順平さんも登場するようです。順平さんは、気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんと10月2日に結婚したばかり。新婚ホヤホヤぼーやです(笑)。

10月12日ブログ「千晶&順平の結婚」


この漁師まつりには、さまざまな飲食や物販も予定されているので楽しいイベントとなることでしょう。詳細は、気仙沼公式観光サイト「気仙沼さ来てけらいん」をご覧ください。

日時: 11月1日(日)9:00〜15:00
会場:気仙沼魚市場前「みしおね横丁」
お問い合わせ:気仙沼つばき会

気仙沼公式観光サイト「気仙沼さ来てけらいん」

先週土曜日10月24日は、気仙沼南町商業施設エリア「ないわん」で、「気仙沼オクトーバーフェスト」が開催され、多くの来場者でにぎわったようです。

そして今度の日曜11月1日は、みしおね横丁の「ありがとう!漁師まつり」でお楽しみください。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 幡野広志 みしおね横丁

スタインウェイ体験

11月8日に気仙沼市民会館で開催される「スタインウェイ体験会」については、10月19日ブログ「佐賀からのご支援」で紹介しました。

そのブログでは、申し込みは10月15日で終了していると書いたのですが、本日10月29日の三陸新報につぎのような記事がありました。


体験会
三陸新報10月29日記事より



定員は20人ということでしたが、まだ定員に達していないということでしょう。

市の記者発表資料から体験会の概要を記しておきます。

1 日 時/ 11月8日(日) 午前10時〜午後2時30分
2 会 場/ 気仙沼市民会館 大ホール
3 対 象/ 市内在住の方(中学生以下の方は保護者同伴でお願いします)
4 定 員/ 20人(先着順)
5 内 容/ 大ホールでのグランドピアノの演奏を1人10分間体験していただきます。 6 申込方法/ 電話、FAX、E メール、郵送のいずれかでお申し込みください。

せっかくの機会ですので、気軽に応募、参加してみてはいかがでしょうか。グランドピアノを寄贈してくださった佐賀県の皆さんのご恩に報いることにもなるでしょう。

参加は無料です。問い合わせは気仙沼市民会館(電話 22-6616)まで。どうぞよろしく。

10月19日ブログ「佐賀からのご支援」

 

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tag : スタインウェイ 佐賀県

気仙沼仙台間直結

一昨日は、三陸沿岸道路(三陸道)の気仙沼湾横断橋/愛称募集について紹介しました。本日も三陸道の話です。

三陸道の小泉海岸IC(インターチェンジ)と本吉津谷IC間(2.0km)が11月21日に開通すると10月22日に発表されました。これにより、気仙沼中心部と仙台を結ぶ高速道路が全通/直結することになります。

10月23日の三陸新報でも大きく紹介されました。


10:23三陸道開通

三陸新報10月23日記事に一部イメージ


河北新報も同日、このニュースを配信していました。記事に掲載されていた開通区間地図がとてもわかりやすい。

路線図

河北新報10月23日配信記事より


この地図でよくわかるように、小泉海岸と本吉津谷の両IC間が11月21日に開通しますが、気仙沼ICと唐桑小原木(からくわこはらぎ)IC間は未通で、2020年度中、つまり2021年3月末までの開通予定となっています。

河北新報記事から一部引用します。

〈開通区間は2012年10月に着工。歌津-本吉津谷IC間の総事業費は約703億円。未開通区間は国道45号の2.1kmを利用していたが、よりスムーズな通行が可能になると同時に津波浸水域を回避できる。

東日本大震災後の三陸道の延伸で、仙台と気仙沼両市間の所要時間は約50分短縮され約2時間となった。物流・観光面で東北自動車道からの切り替えが進んでおり、来月の開通でさらに利便性が向上する。〉(引用は以上)


上掲の地図でいえば、少しずつ赤色の破線が青色の実線に変わっていきますね。関係者の皆さまに心から御礼を。残る工事、どうぞ安全第一で、よろしくお願いいたします。

三陸道の気仙沼中央IC〜気仙沼港IC間は本年2月24日に開通しました。その開通式典の様子はつぎのブログで紹介しております。

2月25日ブログ「開通式典のお祝い」
 

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tag : 三陸道 三陸沿岸道

古本リサイクル市

本日10月27日から11月9日(月)まで「読書週間」です。その関連行事として、気仙沼図書館で「古本リサイクル市」が11月8日(日)まで開催されます。

古くなって廃棄する本・雑誌と寄贈本などが希望者に無償で提供されます。マイバックの持参をお願いしますとのことです。

きのう10月26日の気仙沼市LINEに、リサイクル市に出す雑誌の予定表がありました。雑誌はいつも人気らしく、こうした形で混雑緩和をはかっているのでしょう。

古本リサイクル


図書館のサイトや上記画像の情報を総合しておきます。

◎日時:10月27日(火)〜11月8日(日)10:00〜17:00
 11月2日(月)は休館ですのでご注意ください。
◎場所:気仙沼図書館 玄関前ピロティ(サイトでは多目的室となっていました)
◎内容:古くなって廃棄する図書館の本・雑誌と寄贈本などをお譲りします。お好きな本をお持ち帰りください。マイバックの持参をお願いします。

密接・密集防止のため、読書週間期間中は毎日開催します。来館者が多い場合は入場制限をする場合があります。

情報引用は以上です。

なお、「気仙沼市図書館」は、気仙沼図書館と本吉図書館、そして唐桑分館(唐桑コミュニティ図書館)の3館の総称です。上記の古本リサイクル市は気仙沼小に隣接する「気仙沼図書館」の催事内容ですが、本吉図書館と唐桑分館でも、同様の「古本リサイクル市」を開催するとのことです。詳細は各館にお問い合わせください。

引き取る方がいなければ廃棄処分される書籍や雑誌です。気中20回生の皆様におかれましては、この催事を利用して、〈知のリサイクル〉を試みてはいかがと。68〜69歳ともなると、体だけでなく頭のほうもいろいろとね(笑)。

また、私たちの小さなころでいえば〈市立図書館〉までの坂をのぼるのもよい運動になるのではないかと思います。そんな感じで、どうぞよろしく。
 

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tag : 気仙沼図書館

横断橋の愛称募集

気仙沼湾に架かる橋梁の正式名称が「気仙沼湾横断橋」に決定したとの発表が10月9日にありました。そして10月23日、気仙沼市による横断橋の愛称募集が始まりました。

愛称募集

愛称募集案内(PDF)より


◎応募要項

応募要項の主な内容を気仙沼市ホームページの愛称募集内容から引用します。

①募集期間

 10月23日から11月9日まで

②応募資格

 気仙沼市 在住・在勤・在学・出身の方

③応募方法

 つぎのどちらかの方法で。
 1. 市ホームページ内にある愛称募集の応募フォームから
 2. 応募用紙に必要事項を記入し応募箱に投函

気仙沼市HP/「気仙沼湾横断橋」愛称募集

④応募内容・基準

 1. 橋のコンセプトや特徴がイメージできる愛称であること。
 2. 気仙沼市のイメージにふさわしい愛称であること。
 3. 覚えやすく親しみやすい愛称であること。
 4. 他地域の橋の名称などに類似していない愛称であること。
 5. 漢字・ひらがな・カタカナ・数字を使用し、最大で10文字程度までとすること。

 応募要項の引用は以上。

◎気仙沼湾横断橋のコンセプト

上記中の「橋のコンセプト」がなにかということになりますが、「橋のデザインコンセプトほか」としてつぎの記述がありました。

・ 自然と調和させるため、橋の色は彩度の低い白色系とした。
・ 年間を通じて、自然と調和しつつ、復興の象徴となるよう、橋の色は明度の高い白色系とした。
・ 橋全体に一体感を持たせ、自然と調和するフォルムとなるように設計した。
・ 全国の漁船が出入港する玄関に相応しく、橋桁裏面に国際信号旗で「貴船の安全航海を祈る 」「貴船の帰港を歓迎する 」を表記し、出船・入船の歓迎を表している。

この記述から、コンセプトワード的な内容をひろえば、「復興の象徴」「自然との調和」、そして付随的に「歓迎と安全祈願」といったことでしょうか。

ただ、これをストレートにネーミングに反映させることが適当かどうか。復興ブリッジやハーモニー大橋、ウェルカムブリッジみたいなことになりはしないかと。


◎前例「鶴亀大橋」を念頭に

気仙沼大島大橋の愛称は「鶴亀大橋」です。しかし、この名称が「愛称」として機能しているかというとちょっと疑問です。メディアでの使用、露出も「気仙沼大島大橋」が多いように思います。

愛称単独では気仙沼の橋であることが表現できないため、たとえば気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)といった表記にとどまっているようです。

今回の愛称においては、メディアや観光プロモーションで正式名称「気仙沼湾横断橋」の表記なしに、単独で機能するような名称であって欲しいと思います。「橋のコンセプトや特徴をイメージできる」ことよりも、そうした機能的基準が重要であるように感じています。


◎愛称選考委員会

愛称の決定は、「応募状況等を参考としながら、気仙沼湾横断橋愛称選考委員会において審査のうえ、決定」することになっています。

選考委員の構成などはまだ発表されていませんが、審査にあたっての要望があります。「応募内容・基準」項目ごとに選考委員が評価点数(たとえば1〜5点など)をつけて、その合計点で選考することは避けて欲しいなと。やるにしてもあくまで参考ということで。

評価項目が妥当かという問題がつきまといますし、その重要度の違いを反映しにくいのです。是非、上記基準などを参考にしつつ、気仙沼湾横断橋の愛称としてふさわしい案を〈総合的〉に評価・選考していただきたいと思っています。特に「コンセプトの反映度」といった評価を重視するのは、今回の場合、適当でないように思います。

といったようなことでいろいろとありますが、本日は愛称募集のお知らせと若干の所感ということでおしまいに。またあらためて、具体案などを示しながら愛称のあり方を考えてみたいと思います。

この横断橋愛称募集は気仙沼市内にお住まいの方は新聞記事なのですでにご存じのことと思いますが、私をはじめ気仙沼出身者の応募可能なので是非ご応募をということでお知らせしました。どうぞよろしく。

10月15日ブログ「横断橋の正式名称」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼湾横断橋

「気仙沼のコンペ」

10月7日のブログ「大西隆先生と震災」で、日本学術会議の元会長である大西隆先生が、気仙沼市の震災復興会議の構成員であることを紹介しました。

再度記しておくと、大西隆さんは22期と23期の日本学術会議の会長をつとめました。2011年10月から2017年9月までの6年間です。24期は前京都大学総長の山極寿一さん。現25期は2015年にノーベル物理学賞を受けた梶田隆章さんです。

本日ご紹介するのは、大西さんが一般社団法人日本建設業連合会の雑誌「ACE 建設業界」2012年8月号に寄稿した文章「気仙沼のコンペ」です。



気仙沼のコンペ

日本建設業連合会サイトより寄稿文一部イメージ


文章全体は、日本建設業連合会サイトのこちらでPDFファイルをお読みいただけます。


大西さんが紹介しているコンペの正式名は「気仙沼市魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」です。文章はつぎのように始まります。

〈 4月末に気仙沼市の内湾地区という、入り込んだ湾の最奥部にある小湾とその周辺地区(魚町・南町)を舞台にした復興まちづくりのコンペが行われた〉

このあとに続く文章によれば、大西さんは2011年4月初めに気仙沼を訪れています。一ノ関からの国道で気仙沼市内に入り、まず出会ったのはこの内湾地区の被災した光景でした。〈船が打ち上げられ、桟橋が水没し、家々が流されていたり、半壊していた〉と。

このあとは、県が定めた6.2mの防潮堤計画への地元の反応や、復興まちづくりコンペ実施の経緯などが紹介されます。そしてつぎのように続けます。

〈 経緯からみて当然であるが、提案の大きなポイントは、防潮堤とまちを如何にして調和させるかであった。

防潮堤をまち中の建築物と一体化させる方法、海岸沿いに防潮堤を造るが大規模施設や商業施設と一体型とする方法、防潮堤を丘状の公園の一部とする方法、さらに特殊な工法で可動式の防潮堤を湾内の海中に造り、陸には設けない方法など多様な工夫が並んだ。

審査は、多くの地元の方々と、我々のような外部の専門家がそれぞれ一票を投じて行われ、結果は両部門で可動式防潮堤がトップになるというものであった。コンペの結果は、事業に直接結び付くものではなく、参考とされる。

何十年にも及ぶ平穏な暮らしの中に、突然襲う津波に対する備えを如何に調和させて組み込むか、今回の舞台は気仙沼内湾地区であったが、共通性を持つ被災地は多い。コンペでの諸提案が、他の地域にも参考となることを願っている。〉

引用は以上。改行は小田によるものです。

冒頭にも記したように、この文章が掲載された雑誌は2012年8月号です。大西さんの肩書きは、東京大学教授・日本学術会議会長となっています。

気仙沼市の震災復興会議は2011年年6月に第1回が開催されました。市のサイトでの同会議議事録掲載は2015年11月29日の第10回が最後です。その後は開催されていないのかどうかといった詳しいことはわかりませんし、大西さんの会議への出席の状況も読み取れません。

しかし、この文章を読んで、気仙沼のより良い復興のかたちを会議委員のひとりとして考えてくださっていたということを強く感じました。また、地元気仙沼の人たちの復興やまちづくりへの取り組みを好意的に見ていることもうれしかった。

昨今の「日本学術会議」をめぐるさまざまな議論は、情報も錯綜して私には難しすぎます。

そうしたこととは別に、8年前に大西隆先生が「気仙沼のコンペ」と題する文章を寄稿していたことを知っていただきたく紹介させていただきました。

10月7日ブログ「大西隆先生と震災」
2012年3月24日ブログ「大西隆教授の話」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大西隆 日本学術会議

日本民俗学会会長

きのう10月21日の三陸新報にうれしいニュースが掲載されていました。気仙沼出身の川島秀一さんが、日本民俗学会の会長に選任されました。これはすごいことでしょう。


川島さんが会長に

三陸新報10月21日記事の一部イメージ


川島秀一さんは一つ下の気中21回生。魚町のご近所でしたからよく知っています。それだけに、この会長選任の報にふれて驚き、そして喜んだのです。


◎日本民俗学会

記事によれば、川島さんは2014年から同学会の理事をつとめており、このほど開かれた総会で会長に選ばれたそうです。

同学会のサイトを見てみると、総会は10月11日に東京で開催されたようです。会長は、評議員会の推薦を得て、理事会の決議によって理事のなかから選任されます。任期は2年。

同学会は1949年(昭和24年)に発足しました。民俗学研究者の全国的な学会として、現在、約2300名の会員を擁しています。

その前身は、1935年(昭和10年)に柳田國男(やなぎた くにお)の還暦を機に開催された民俗学講習会に参集した、全国の研究者の要望によって結成された「民間伝承の会」とのことですから、わが国の民俗学の歴史とともにあった学会です。


◎川島秀一さん略歴

三陸新報記事では川島さんの略歴をつぎのように紹介しています。

〈川島さんは元気仙沼市職員で、リアス・アーク美術館の副館長などを務めた。現在、福島県相馬郡新地町在住。日本カツオ学会会長も務めている〉

ちょっと略歴すぎるかな。私の知る範囲で補足しておきましょう。

生まれも育ちも気仙沼市魚町。気仙沼小・気中・気高から法政大学へ。卒業後、東北大学附属図書館の司書をつとめたあと、市職員として気仙沼市史編纂室へ。18年間で計10冊の市史の編集を担当したとのこと。そして気仙沼市図書館司書を経て、リアス・アーク美術館に勤務し、東日本大震災時には副館長でした。2010年には、博士号(文学)を取得しています。

震災後、2012年4月に神奈川大学特任教授として日本常民文化研究所に属しましたが、2013年4月には東北大学 災害科学国際研究所の教授となり、5年後2018年3月に定年で退官しました。現在は同研究所のシニア研究員です。


◎新地町の秀ちゃん

2018年4月、川島さんは福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めました。漁師町に暮らし、そして漁にも従事しながら、〈海の習俗/漁師の民俗〉の研究というか体験と記録をおこなっているのでしょう。このあたりのことはつぎのブログで紹介しました。地元では「秀ちゃんは新地の宝」との声も。

2018年4月9日ブログ「川島さんの再出発」

新地町での暮らしもすでに2年。その様子は、三陸新報での連載寄稿「漁村を訪ねて」でも報告されています。7月には〈新地の食と暮らし〉と題し、新地の漁や食文化について記していました。

こうした新地町での川島さんの活動や行動は、民俗学におけるフィールドワーク(現地調査)やエスノグラフィー(行動観察調査)といったことに対する私の印象をはるかに超えたものです。なにか川島さんの研究の新しい世界が切り拓かれつつあるのだろうと感じています。


◎「野の学問」としての民俗学

記事では、川島さんの抱負をつぎのように紹介していました。

〈 コロナ禍の新たな時代を迎え、会議の持ち方や研究、学会の形を模索しなければならない。「野の学問」であったはずの民俗学が、地方では衰微しつつある。オンラインが普及し、地方の研究者が参加しやすくなったことでコロナ禍を逆手に、東京中心ではない本来の民俗学の在り方を考えることができれば 〉と。

〈「野の学問」であったはずの民俗学〉という言葉が印象に残りました。

いろいろと大変なことも多いなかでの日本民俗学会の会長選任。〈おめでとう〉という言葉はなにか似つかわしくありませんね。しかし、私をはじめ、川島さんを知る気仙沼の多くの人が喜び、そして誇りに思っていることでしょう。

秀一さん、歴史ある日本民俗学会の会長選任を知り、大変うれしく思いました。さらに忙しくなることと思いますが、どうぞ健康にも留意されて、益々のご活躍を。どうぞよろしく。


2018年7月に日本経済新聞文化欄に掲載された川島さんの寄稿文についてはつぎのブログにて。

2018年7月27日ブログ「川島秀一 日経寄稿」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 川島秀一 日本民俗学会

気仙沼の松茸豊作

紹介が遅くなってしまいましたが、10月10日の三陸新報に気仙沼の松茸(マツタケ)に関する記事が掲載されていました。今年は〈豊作〉とのこと。

マツタケ

三陸新報10月10日記事より


50年前に高校を卒業して気仙沼を離れるまで、地元産のマツタケが食卓にのぼったという記憶がないのです。気仙沼でマツタケがよくとれるというのを知ったのも震災後であったような気がします。

そんなことで、毎年秋に気仙沼のマツタケの話題をきくと、2013年10月に書いたつぎのブログのことを思い出すのです。


◎松茸への思い入れ

2013年10月4日ブログ再掲

昨日は柿(の種だけど)、本日は松茸の話。

ちょうど10年前、2003年10月の三陸新報〈リレー随想〉に、気仙沼高校美術部の一年先輩である小松良四郎さんが文を寄せていました。

良四郎さんは気仙沼の大島出身。筆者紹介によれば、良四郎さんは1984年に歯科医の夫人と気仙沼市田中前に〈ファミリー歯科〉を開業しています。

良四郎さん
三陸新報2003年10月8日付記事のイメージ


寄稿文の一部を紹介します。

「今から40年前のことですが、私が育った大島の外浜には赤土と赤松の林が多く、亀山の北側斜面では松茸がたくさん採れました。その頃は松茸採りをする人は多くなく、子どもたちが学校の行き帰りに、道路のそばの松林に入って採るぐらいなものでした(大島では松茸狩りとはいわず、松茸採りといっていた)。

私が松茸採りに本格デビューしたのは、三歳年上の兄に連れられて山に入った小学四年生の頃だったと思います。休みの日、まだ薄暗い早朝に、早足で歩く兄の後ろを寝ぼけ眼で必死についていったものです。

兄は、今まで入ったことのないような所にまでどんどん進んでいきました。あの道路のあの場所から左に入って、ずーっと下ったあの松の下、それから右に曲がってあの松の周り、というように道順を覚えながら探していくと、そこにはちゃんと松茸が生えているのです。

「おめえー、この辺を探してみろ」と言って、兄はどこかへ行ってしまいます。言われた通りに探してみるのですが、一本も見つけられないでいると、「あったがあー」と言いながら兄が現れてその辺を探すと、そこにはやはり松茸が生えているのです。(中略)

午前中回ると、だいたい20本ぐらい採れたように記憶しています。家に帰ると、さっそく採り立ての松茸を縦に割って、フライパンで少し黄色になるまで焼き、しょうゆをちょっとつけて食べます。口に入れた瞬間の、あの香りとコキコキする歯ざわりは最高のものでした。今なら、さしずめここで日本酒をキュッと一杯というところでしょうか。」

〈緑の真珠〉大島は〈松茸の宝庫〉でもあったのです。今はどのようになっているのだろう。大島のことは浦の浜〈宮古屋〉に聞け。気仙沼高校の同級生 熊谷雅裕君に電話で聞きました。

「俺たちのときは、通学路のわきでいくらでも採れたんだよ」(なるほど)「昔は松林の下草を刈って燃やしたりしていたんで、松茸にとっての環境がよかったんだろうね。でも今はそれをしないんで林がすっかり荒れちゃって」(やっぱりね。いまはだめなんだ)「それでも商売にしている人は結構採ってるんじゃないかな。今日もちょっと寄ったら、いいとこに来たと言われて5〜6本もらってきたけどね」(なんだ、採れてんじゃん)

ということのようです(笑)。ま、あまり売り物にならないものをもらってきたということでしょうけれど。

〈松茸への思い入れ〉と題された良四郎さんの文をもう少し。

「私を連れて山歩きをしてくれた兄も、50歳という若さであの世へ行ってしまいました。そんな思い出がある松茸だからこそ、人工栽培などで簡単に育ってもらいたくないという思い入れがあります。(中略)

秋の長雨がしとしと降る日の朝などは、空を見上げて「あー、こんな日は松茸がよく採れんだよなー」と、ふっとあの頃を思い浮かべます。」

引用は以上です。

いい文章ですよね。10年前に読んだときもそう思って切り取っていたのでしょう。

今週はこれにて。良い週末を。

再掲内容は以上です。


良四郎さんは元気にしてるかなあ。気高卒業後は一度もお会いしていないのです。そして今年の大島、マツタケの作柄というか生育状況はどうでしょうか。三陸新報の記事にあったように豊作だとよいのですが。

来春放送の〈おかえりモネ〉で、気仙沼大島の秋の食卓にマツタケが登場する日も近いのではないかと夢想しつつのブログ紹介でした。
 

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tag : 松茸 小松良四郎

臼眞倉庫竣工広告

先日、ひさしぶりに臼井真人(まこと)君(3年2組)と電話で話しました。そのなかで、真人君は岩沼市に新しい倉庫が完成したといいます。三陸新報での広告を見なかったなあと思っていたら、10月16日の河北新報に協賛広告が掲載されたとのこと。早速その画像を送ってもらいました。

臼眞倉庫竣工広告
河北新報10月16日掲載広告の一部イメージ



真人君は、株式会社臼眞倉庫の代表です。気仙沼市の市議会議員もつとめています。また本年5月には、公益社団法人宮城県トラック協会の副会長に就任しました。

河北新報広告の挨拶文を紹介します。

〈 弊社は東日本大震災により、気仙沼・仙台港・仙台空港倉庫の全てが流失・全壊いたしましたが、本日の竣工をもちまして、全施設復旧することができました。

これもひとえに関係者各位の絶大なるご支援の賜物と、厚く御礼を申し上げます。

新しい倉庫は、旧施設より大幅に増床し、お客様のあらゆるニーズにお応えできるよう整備いたしました。

コロナ禍の厳しい経営環境の中にありますが、将来を見据え、復旧にとどまらず、復興への一歩となりますよう、社員一同緊張感を持って取り組んでまいりますので、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。〉(引用は以上)


真人君にこの広告をブログで紹介したいとメールで伝えたところ、すぐに了承との返信がありました。そのメールのなかにつぎの文章がありました。

〈震災当時のことを考えると信じられない思いです、あいさつ文を書いていて涙がこぼれました。これからも大変ですが、体力づくりをしながらまだ頑張ります。よろしく〉と。

震災で気仙沼・仙台港・仙台空港倉庫のすべてを失ったけれど、こうして3拠点の復旧を果たすことができたという感慨。震災直後の心境を振り返ると、ここまで復旧できたことが〈信じられない〉と。それだけに、多くの皆さんの〈絶大なるご支援〉への感謝を伝えたいということでしょう。

このメールは、魚町の仲間で小さなころから知る私にあてた〈私信〉でしたが、〈真人の涙〉を皆さんにもお伝えしたく。

真人君、岩沼臨空倉庫の竣工、おめでとう。社業の益々の発展と公職での活躍を心から願っております。

株式会社臼眞倉庫/サイト
 

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tag : 臼眞倉庫 臼井真人

佐賀からのご支援

11月8日に、気仙沼市民会館で「スタインウェイ体験会」が開催されます。

体験会

10月1日付け気仙沼市記者発表資料より


10月9日の三陸新報でも紹介されましたので、ご存じの方も多いことでしょう。申し込みは10月15日までで既に終了しています。

本日紹介するのは、この市民会館の市民会館のスタインウェイ&サンズ社製グランドピアノについてです。

三陸新報の記事にも、〈2013年、東日本大震災復興支援として佐賀県から同館と はまなすホールに寄贈された〉との記載がありましたが、もう少し詳しく紹介しておきましょう。

2016年4月22日のブログに、この佐賀県からのピアノ寄贈について記しておりますので再掲します。冒頭には同年4月14日の熊本地震で被災した阿蘇在住の畠山誠太郎君(3年1組)の避難状況などを記しておりますが、再掲内容では割愛いたしました。


◎佐賀からのピアノ

2016年4月22日ブログ再掲

本日は九州の佐賀県に関する話です。4月8日の三陸新報のコラム「記者席」につぎの記事がありました。

4月8日ピアノ
三陸新報4月8日記事のイメージ(クリックで拡大)


気仙沼市民会館のピアノが、弾き込み不足のため音色が固いというのです。そして、このピアノは〈スタインウェイ/Steinway & Sons〉で、3年前に佐賀県から贈られたもので1台2千万円。その魅力を引き出せないでいるのは、あまりにもったいないと。

佐賀県から贈られたピアノについては、以前に聞いたことがあるような気もしますが、忘れていました。そして、あらためて調べてみておどろきました。震災後に佐賀県から総額9000万円以上にもなるピアノが気仙沼に贈られていたのです。

このピアノ支援の原資は、2011年10月から県内の全20市町で販売した「佐賀きずなプロジェクト/義援金付きプレミアム商品券」で、はじめから気仙沼の支援を目的としたものでした。

義援金の趣意書に「被災地である気仙沼市の意向も踏まえながら、国等の復興支援策では手の及ばないきめ細かい部分や、復興のシンボルである子供たちの教育環境の充実等に活用するものを購入する資金に充てます」と明記されていました。

そして2013年3月27日付けの「佐賀きずなプロジェクト」サイトによれば、「義援金付きプレミアム商品券」の義援金総額は、9233万円にものぼりました。そして〈ピアノプロジェクト〉として気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られたのです。その内容を記しておきましょう。

◎2011年度
○グランドピアノ/11台
松岩小学校、松岩中学校、階上小学校、階上中学校、小泉小学校、鹿折中学校、大島中学校、面瀬中学校、新月中学校、葦の芽幼稚園、葦の芽星谷幼稚園
○アップライトピアノ/3台
落合小学校、中井小学校、気仙沼中学校

◎2012年度
○グランドピアノ(スタインウェイ)/2台
気仙沼市民会館、はまなすホール
○グランドピアノ/6台
東稜高校、本吉響高校、気仙沼西高校、気仙沼向洋高校※、気仙沼市立病院※、気仙沼中央公民館※
○アップライトピアノ/1台
愛耕幼稚園
○電子ピアノ/1台
気仙沼支援学校

※印については義援金を積み立て、施設の再建後にピアノを購入。このほか、気仙沼市内の26の小中学校・幼稚園に楽器120点を寄贈。

2013年3月17日には、本吉町はまなすホールで、寄贈ピアノの初演奏となる熊谷育美さんのコンサート「光」が開催されました。上記プロジェクトサイトにあった、コンサートに際しての〈佐賀県民のメッセージ〉はつぎのように結ばれています。

〈私たちは、皆さまとのご縁を大切にし、音楽をはじめとした文化や芸術を通してより一層絆を深め、今後も気仙沼の未来を末永く応援していきます。気仙沼市の一日も早い復興を祈って。〜佐賀県民一同〉

本吉町のはまなすホールにあるスタインウェイは、コーラスグループの練習で週一回は使われているとのことです。三陸新報の記事にも書いてありましたが、気仙沼市民会館のピアノももっともっと活用してほしい。それが、佐賀県の多くの皆さんのご厚意にこたえることにもなるでしょう。

佐賀県のみなさまに、あらためてお礼を申し上げます。多大なご支援、本当にありがとうございました。

再掲内容は以上です。

三陸新報の記事によれば、体験会は2017年に始まり、今回が3回目とのこと。初回2017年の体験会はこのブログでも紹介しました。

弾き込み不足のため音色が固いという問題などはその後どうなったかなとも思いますが、これはまた別の話。

現在の気仙沼市民会館の館長は、以前は気仙沼商工会議所の専務理事をつとめていた春日利春君(3年9組)です。

管理のむずかしさなど、現場での苦労もいろいろあることと思いますが、今後も体験会やコンサートなどで、このグランドピアノを十分に活用していただきたいと思います。それが、佐賀県の皆さんのご厚意に報いることにもなるでしょう。

春日館長、どうぞよろしくお願いいたします。

末尾になりましたが、佐賀県の関係者の皆さまに、あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2016年8月25日ブログ「春日利春君の随想」
 

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海の男は美しい!

週刊文春のグラビアといえば、巻頭の「原色美女図鑑」がよく知られています。9月24日号では、草彅剛さんが映画「ミッドナイトスワン」の主人公役の女優として登場し話題となりました。

本日紹介するのは、昨日15日発売の10月22日号巻末グラビア。〈気仙沼漁師カレンダー傑作選〉が6ページにわたって掲載されています。タイトルは「海の男は美しい!」。

私は昨日、この記事を〈斉吉〉さんのツイートで知りました。斉吉商店の斉藤和枝さんは、このカレンダーを企画・発行している気仙沼つばき会の現会長です。

この記事を広告費に換算したらといったPR会社みたいな露骨な話はやめにしておきますが、週刊文春のグラビア全6頁というのは、文春さんの気仙沼に対するご厚意、ご支援だと思います。お金では買えない6頁。まさにプライスレス。

斉吉さんのツイートを埋め込む形でこのグラビアを紹介させてもらいます。ツイートの埋め込みはツイッターの公式機能なのでとても便利です。





気仙沼漁師カレンダーは、初回が2014年版で、幡野広志さんが撮影してくださった2021年版で7作目となります。

最後のページに記事が掲載されています。まずは「気仙沼漁師カレンダー」を企画・販売している「気仙沼つばき会」の紹介。そして、その制作の契機をつぎのように記していました。引用します。

〈 現会長である斉藤和枝さんが漁師カレンダーの制作を思い立ったのは、東日本大震災の大津波に襲われた年の夏の終わりだった。斉藤さんには、今も鮮やかに浮かぶ光景がある。

「気仙沼の街が重油と泥で真っ黒に覆われた二日後、沖に避難していた真っ白な無傷の漁船が港に入ってきたんです。その強烈なコントラストに、思わず涙がこぼれました。実家の海鮮問屋(小田注:これは回船/廻船問屋だとおもいます)は土台しか残っていなくてすべてをなくしたと思っていたのに、ああ、私たちには海があるじゃないか、魚を獲ればいいんだって」

想いは、斉藤さんだけではなかった。三カ月後には早くも瓦礫が残る魚市場に震災後初めて鰹が水揚げされ、復興の礎を築いた。気仙沼は昨年まで23年間、鰹の水揚げ量日本一を誇る国内屈指の漁港。その中心にいる漁師たちをもっと知ってもらいたい、尊敬してほしい、それがカレンダーを作ろうと思った理由だ。

なにより、漁師はかっこいいのだ。大海原に漕ぎ出て、大漁になるもならぬも自分の腕しだいで決まる。そのたくましさは、ときに陸でも発揮される。大震災後の電気もガスもない中、流木を燃やして飯を炊き、風呂を沸かし、灯りにした。

何もなくても、工夫しだいで生活できる事を教えてくれたのは漁師たちだった。

「海に出れば、いろんな場面に遭遇します。ときには嵐にも遭う。それでも彼らは漁をする。どんな状況でも前を向こうとする素の人間力に驚かされました」 〉(引用は以上)

このあと、文章は漁師カレンダーの撮影を担当してくださった7人のカメラマンの紹介に続きます。第一線で活躍する皆さんのプロフィールをつぎのように端的にまとめてくれました。

〈 数多くの広告写真賞を受賞した藤井保氏に始まり、公開中の二宮和也主演映画「浅田家!」のモデル浅田政志氏、小誌「原色美女図鑑」でもおなじみの川島小鳥氏、奥山由之氏、前康輔氏、新進気鋭の竹沢うるま氏、来年版は文筆家としても著名な幡野広志氏だ。〉

そして文章の最後には、〈いまだ復興半ばの気仙沼の生命力、漁の厳しさ、魚が獲れる海のありがたみを感じてほしい〉という斉藤和枝さんの言葉を引用しながら、つぎの購入サイトのURL紹介を。

気仙沼漁師カレンダー2021/購入サイト

こうして7作にわたる漁師カレンダーの〈集合写真〉を見ていると、各年単独で見ていたときとは違った印象もわいてきますね。

タイトルページ最初の写真は、今年2020年版の前康輔さんが〈ぐでんぐでんに船酔いしながら撮った〉カツオ一本釣りの決定的瞬間です。7月6日のブログでも紹介しました。

3/4Pの見開き、初回2014年の藤井保さんの写真もさすがにすばらしい。二人がはおった大漁万祝(まいわい)/看袢/看板(かんばん)の大・漁・祝の文字や下部の魚(鮪かな鰹かな)。そして左上にはウミネコかカモメ2羽がとんで、右下には雲が。すべての配置に細やかな配慮がうかがえます。

2014年最初のブログでは、この写真の掲載月1月のカレンダーを〈謹賀新年2014〉ということで紹介しました。

上の画像もそうですが、通常の雑誌/紙版での見開きの写真は、中とじ部分がちょっと気になります。しかしサブスクの配信デジタル版をPCディスプレイで見ると一枚の大きな写真。明るくてとてもきれいです。

こうしてそれぞれの写真を語っていくときりがありませんね。これぐらいにしておきましょう。

なお、この6ページにわたる漁師カレンダー紹介記事の〈編集と文〉ご担当として、稲川正和さんのお名前がありました。

稲川さんや週刊文春編集部の皆様にお礼を申し上げます。気仙沼への応援、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


このブログでの漁師カレンダー7人の紹介はつぎのブログにて。

7月28日ブログ「7人の漁師写真家」

 

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横断橋の正式名称

気仙沼湾横断橋(仮称)の正式名称が、10月9日に発表されました。(仮称)がとれて「気仙沼湾横断橋」です。順当な決定でホッとしました。

国道交通省東北地方整備局仙台河川国道事務所などによる記者発表資料の上部はこんな感じ。


発表資料

記者発表資料より(PDF)


8月末から2週間にわたって実施されたアンケート調査については、このブログでも紹介しました。その中で私は、「気仙沼湾横断橋」を強く推しておりました。その理由は、今回の名称はあくまで「正式名称」であって、これとは別に市は「愛称」の設定を予定していたからです。

10月10日の三陸新報は、これらのことを踏まえて、「正式名称に決定」との見出しにしています。


10:10横断橋名称
三陸新報10月10日記事の一部イメージ


アンケートの回答総数は1178票でした。このうちの1票はワタクシです。示された3案に対しての各票数は公表されていません。あくまで決定のための参考情報ということで、これも適切な扱いでしょう。


◎市の愛称募集方針

三陸新報の記事で気になったことがあります。「市は後日、愛称を募集することにしている」との記述です。

正式名称に関するアンケートを紹介した9月1日の三陸新報の記事では、「市は、正式名称の決定後、愛称に関するアンケートの実施を予定している」とありました。それを読み、正式名称のアンケートと同様に、いくつかの案を示して市民らの意向をたずねるのだろうと想像していました。しかし今回の記事では「愛称募集」。ちょっと心配です。

企業の社名変更プロジェクトに参加すると、社員から社名案を募集してはどうだろうかとの意見がかならずといってよいほどでてきます。目的は社員参画意識の醸成。

それに対しての私の意見は、あまり賛成できませんが、実施するのであればあくまで〈イベント〉にしましょうということ。応募案から必ず採用するということではありませんよと事前にはっきり示しておきます。

なぜ賛成できないかといえば、新しい社名に求められる機能的な条件や意味・イメージといった前提条件を十分に理解してもらうことがなかなか難しいからです。また、社名(商号)であっても、固有部分の商標登録ができることが重要な条件になってきますから、社名案情報を社外に漏らしたくないということもありますね。

つまり、社名の案出と選定、決定には一定の専門性が必要とされるのです。これは社名に限らず、ロゴマークのデザインなどでも同様です。今回のテーマは橋の愛称ですが、案出や選定に関しての留意点としては重なることが多いように思います。

◎結果発表の難しさ

多くの応募案から愛称を決めたとしましょう。当然のことながら、その選定理由を示さなければなりません。これはそんなに難しいことではありません。

なかなかやっかいなのは、多くの不採用案に対する説明です。採用案がAだとすると、B案やC案のほうがよかったという人が一定数でてきます。BやCにしなかった理由を説明することが求められるのです。D案やE案の人も〈私の案のほうがよかったのに〉と。

得票数など結果の発表を約束しているとさらに面倒です。いずれにしても、得票結果で決めることを約束するのは避けたほうがよいでしょう。あくまで参考。貴重なご意見ということで。

◎さて、どうするか

私は、正式名称アンケートと同様に愛称案を3〜5案示して、適当と思うものに投票してもらうのが一番よいと思います。この案をつくるのも結構たいへんですから3案でよいような気がします。

しかし愛称案の募集が必要ということであれば、上記の選択肢回答の下に設けた自由回答欄に案を記入してもらうという形式でどうでしょう。

しかし、市ではすでに愛称募集の方法などを決めているかもしれませんね。気仙沼湾横断橋は今年度中に開通予定ですから、この愛称決定もいそがなければなりません。

私はすでにいくつか案を考えています。愛称の募集要項などが発表されたならば、それらを示しつつ、いろいろと考えてみようと思います。なにごとも、一緒に楽しまないとね。

どうぞよろしく。

9月3日ブログ「横断橋名の選択肢」
 

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サンマの初水揚げ

10月10日(土)、気仙沼港に今季初となるサンマが水揚げされました。翌日の三陸新報の紙面です。地元の喜びというか、ホッとした気分が伝わってきます。

水揚げ

三陸新報10月11日記事の一部イメージ


気仙沼港で初水揚げが 10月になったのは記録が残る1974年以降はじめてのことだそうです。この日、水揚げしてくださったのは福島県いわき市の水産会社丸中漁業の第11権栄丸(ごんえいまる)さんでした。ありがとうございました。


◎2011年のサンマ初水揚げ

本日ご紹介する〈初水揚げ〉は、東日本大震災後のサンマ初水揚げです。当時のテレビ朝日系ANNのニュース映像がYouTubeにありました。





2011年8月24日に震災後初となるサンマ18トンを水揚げしてくださったのは石巻の第6安洋丸さん。

同船は、震災時の津波で鹿折地区に打ち上げられましたが、大型クレーンでつり上げて海に戻されました。その後に気仙沼で修理されて8月12日に出港したのです。

なお、当時、第6安洋丸をはじめとする陸上に打ち上げられた5隻の漁船回収を担当したのは五洋建設さんです。大型クレーンや大型キャリアなどの重機を駆使した〈前代未聞の陸上サルベージ作業〉であったと同社サイトにありました。ご参考まで。

ANNニュース映像には、当時の気仙沼漁協組合長、〈カネダイ〉佐藤亮輔さんがうつっています。被災した魚市場の復旧など多くの課題をかかえるなかでのこの水揚げをどんなにうれしく思ったか。

それから9年。10月10日の水揚げでは、入港を歓迎するセレモニーがおこなわれ、菅原市長や気仙沼漁協の現組合長〈福洋水産〉齋藤徹夫さんが水揚げに感謝する挨拶をおこない、記念品を手渡したとのことです。

気仙沼港でのサンマやカツオの初水揚げは、魚市場だけではなく街全体を活気づけてくれます。

その中でも2011年8月24日、そして2020年10月10日のサンマ初水揚げは、特別というか格別というか、まさに〈待ちに待った〉喜びに満ちたものだったでしょう。
 

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大島漁港文庫 記事

9月25日のブログ「千葉勝衛氏追悼文」で、水上忠夫さんが三陸新報に投稿した文章を紹介しました。

追悼文のなかで、7月30日にお亡くなりになった千葉勝衛さんの功績のひとつとして気仙沼大島での「大島漁協文庫」の創立が掲げられていました。

本日は同文庫の内覧会を紹介した2015年10月のブログ記事を再掲するとともに、翌年の同文庫落成の新聞記事をあらたに紹介することにいたします。


①2015年9月26日/内覧会

2015年10月13日ブログ再掲

◎大島漁協文庫完成

ちょっと前の話題になりますが。気仙沼大島の旧 大島漁協(現 宮城県漁協気仙沼支所大島出張所)が保存してきた漁業資料を収蔵する「大島漁協文庫」が島内の大向地区に完成、9月26日に内覧会が開催されました。


9月27日大島

三陸新報9月27日記事より


文庫の完成については、三陸新報のほか、読売新聞や河北新報も伝えています。それらの内容を総合してお伝えします。

明治時代からの約5千点にものぼる旧大島漁協の資料は2011年の東日本大震災で浸水しました。しかし、神奈川大学日本常民文化研究所と大学院歴史民俗資料研究科による救出作業が行われ、文化庁の文化財レスキュー事業の支援も受けて再生整理されました。そして、これらの資料を収蔵・閲覧・研究する施設として、同大学工学部建築学科重村・三笠研究室により設計された大島漁協文庫が完成し、4年ぶりに貴重な資料が戻ってくることになったのです。文庫の建設にあたっては、日本常民文化研究所と三井物産環境基金の支援がありました。本当にありがたいことです。

内覧会の前日9月25日には、資料の活用策を探る「漁協文庫の未来にむけてのシンポジウム 漁村文化と大島の未来」が大島公民館で開かれました。これには、川島秀一東北大教授(気中21回)、山内繁・気仙沼市文化財保護審議会委員長(気中18回)らも参加しました。(以上が新聞記事ベースの話)

日本常民文化研究所は、1921年に渋沢敬三(渋沢栄一の孫)が創設した私設博物館〈アチック・ミューゼアム〉がルーツ。民具や古文書の収集・整理、漁業史研究などをおこない、1982年に神奈川大学の付属研究所になっています。上記の川島秀一さんも2012年から同研究所の特任教授をつとめました。

独特の中世史観で知られる歴史学者 網野善彦さんも日本常民文化研究所に属していたことがあります。奥様の真知子さんは同研究所の同僚でした。真知子さんの兄の息子が、宗教学者 中沢新一さんです。

また話が細かくなりすぎましたね。要は、ご支援をいただいた日本常民研究所が民俗学研究における歴史と実績をもっていること、そして旧 大島漁協が保存してきた資料の大きな価値をお伝えしたかったのです。網野善彦さんが資料返却のために奥様とともに気仙沼を訪れた話はまた別の機会に。

最後になりましたが、日本常民文化研究所、三井物産さんはじめ、資料保存、文庫建設のためにご支援とご協力をいただいた関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。

河北新報9月18日配信記事(配信終了)
読売新聞9月27日配信記事(配信終了)

再掲内容は以上。


②2015年9月25日/落成式

上記の記事は、2015年9月26日の「大島漁協文庫」内覧会の紹介でした。そして翌年、2016年2月25日には、同文庫の落成式がおこなわれました。2月26日の三陸新報がその様子を伝えています。

漁協文庫
三陸新報2016年2月26日記事より

記事によれば、この落成式では、資料復旧屋文庫建設に中心的役割を果たした神奈川大学(日本常民研究所)と、建設用地提供者に感謝状を贈呈したとのこと。

私がこの大島漁協文庫の建設をうれしく感じたのは、日本常民研究所(常民研)とのご縁がさらに確かなものになったとの思いからでした。

2015年のブログにも書きましたが、常民研の前身は渋沢敬三さんが創立したアチックミュージアムです。そして渋沢敬三さんの祖父が渋沢栄一。

「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマ「晴天を衝け」(せいてんをつけ)は来年1月放送開始。そして渋沢栄一が新1万円札の〈顔〉となるのは2024年度です。

かなりさかのぼれば渋沢栄一ともかすかにつながる「大島漁協文庫」をどうぞよろしく。
 

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tag : 大島漁協文庫

千晶&順平の結婚

佐藤千晶さんと竹内順平さんが10月2日に結婚されたとのことです。

第一報は、10月2日午後8:43の千晶さんのツイートでした。〈この度、かねてよりお付き合いしていた方と結婚いたしました。出会いのきっかけは、故郷、宮城県気仙沼市でした。故郷のご縁に感謝です〉と。

続いて同日午後10:07には順平さんがツイート。〈このたび結婚することになりました。お相手は気仙沼出身の佐藤千晶さんです。漁師カレンダーの関係で知り合いました〉。

いやあこれには本当に驚きました。気仙沼出身のフリーアナウンサー千晶さんについては、9月30日のブログで、NHK連ドラ「おかえりモネ」の方言指導にも携わるとお伝えしたばかりでした。

そしてお相手、気仙沼漁師カレンダーのプロデューサーでもある竹内さんに関しては、7月27日のブログ「竹内順平さんの話」を紹介していたのです。

そんなことで、突然の結婚の知らせにとても驚いたわけです。しかし、すこし落ち着いてくると、このお二人はとてもお似合いだなあと。〈よかったよかった〉との思いがわいてきました。


◎走れ!歌謡曲

そして、10月8日早朝午前3時。文化放送「走れ!歌謡曲」の放送が始まりました。
パーソナリティは木曜日担当の千晶さん。私はラジコを利用してのタイムシフト聴取。

佐藤千晶

文化放送「走れ!歌謡曲」サイトより


リスナーからいろいろとお祝いのメッセージも届いていたようで、まずは結婚したことの報告が。

その後、リクエスト曲をかけながら、メールで寄せられた質問などにも答えます。そのなかには、おつきあいのはじまり、きっかけはなんですかとの問いもありました。

それに対しての千晶さんの話を紹介しましょう。走れ!歌謡曲風にいうと、こうなりますかね。

〈それでは聞いてください。千晶&順平の「なれそめ」〉

おつきあいが始まるきっかけは、順平さんのツイートにもあるように気仙沼漁師カレンダー。ということは、このカレンダーを企画・発行している会(気仙沼つばき会)のメンバーお二人が来てのトークイベントかなあ。

これは難問。特定するのが案外むずかしい。もしかすると、2014年2月18日に東京・代官山の蔦屋書店で開催された、つばき会の当時の会長 高橋和江さん(京染たかはし)と斉藤和枝さん(斉吉商店/現会長)のトークイベントでしょうか。

そうだとすると、結構ながいおつきあいですね。千晶さんの話によると、お酒にしても食事にしても音楽にしても、ふたりの趣味がとても重なっているとのこと。ついでに言えば、順平さんは千晶さんの4歳年下だそうです。


(追記:10/ 12 13:30 本ブログ投稿後に千晶さんに確認したところ、最初のきっかけは、2018年2月15日に東京「わたす日本橋」でおこなわれた「東京のけせんぬま会」だったそうです。これは、気仙沼市移住・定住支援センターMINATOが開催したもので、順平さんと千晶さん2名がゲストとして招かれていました。私は参加できなかったのですが、このブログでも紹介しました。

つまり、蔦屋でのトークイベントかもと書いたのは誤り。お詫びして訂正します。やはり難問でした。なお、この後に紹介するめぐろパーシモンのコンサートは、「東京のけせんぬま会」の約一年後。〈熱い視線〉に修正の必要はないでしょう 笑) 追記は以上


二人のなれそめで、私がもしかするとあれかなと思ったのは、2019年3月17日のめぐろパーシモンホール「東日本大震災復興支援コンサート」です。千晶さんは司会をつとめ、順平さんは併催されていた気仙沼漁師カレンダー企画展で展示説明などをおこなっていました。

コンサートで順平さんの席は私のすぐ後だったのですが、舞台を見つめる順平さんの熱い視線を背中に感じたことをきのうのことのように思い出します。ホンマカイナ。

そんなことで私は、パーシモンホールの関係者控え室か楽屋があやしいとにらんだのですが(笑)。

これくらいにしておくかな。「なれそめ」は。


◎彼のお父様

放送のなかごろで千晶さんは、質問にこたえる形で順平さんのお父様についてつぎのように話していました。

〈 さて、メッセージもいただいていたんですけれども……。そうなんです、お相手のお父様は落語家なんです。実は気仙沼に震災後、何度も足を運んで落語会を開いてくださっているんです。

去年、気仙沼で開かれた会のときは、私の母と熊谷育美ちゃんも一緒に見に行ったんですけれど、私の母も「久しぶりに、泣くほど笑った」と、手をたたいて大爆笑して。気仙沼のみんながすごく笑って、楽しい会だったんです。

そのときに、彼がはじめて、「おやじ、おれ、気仙沼出身の人とつきあってるんだ」って、お父様に話したらしいんですね。それで、そのあとに「走れ!歌謡曲を担当していてね」って話をしたら、「え!演歌歌手の方なのか」って、お父様が聞いたんですって。

「いやいや、違うよ、アナウンサーだよ」って、彼が言ったそうなんですけれど。その話を聞いて、「走れ!歌謡曲」の存在を知ってくださっていて、さらに、演歌歌手の方がパーソナリティをしているっていうこともご存じなんだなというのを知って、うれしかったという思いがあるんです。

いやあ、「走れ!歌謡曲」を担当しているどんな人なのかというのを思ったときに、パッと演歌歌手が出るっていうのが。それだけ長いあいだ、50年以上続いている番組だからこそなんだなあというふうに思いました。〉

千晶さんの話は以上です。


昨年の落語会というのは2019年9月7日の「志の輔らくご in 気仙沼」。そうなんです。順平さんのお父様は、立川志の輔師匠です。

2012年、13年、15年と、〈目黒のさんま祭〉のさんま代を稼ぐことを目的に、志の輔師匠をお招きして「気仙沼さんま寄席」が開催されました。気仙沼の有志メンバーによる実行委員会を、志の輔師匠はもちろんのこと、糸井重里さんをはじめ「ほぼ日」の皆さんがバックアップしてくださったのです。

さんま寄席の利益は、第1回が348万9597円、第2回が465万1068円。第3回目が297万853円です。これが気仙沼の実行委員会に〈さんま代〉として寄付されたはずです。金額の話は、ちょっとはしたないかもしれませんが、気仙沼だけでなく全国から志の輔師匠の話を聴きに気仙沼に来てくださった多くの方々の気持ちの大きさを知っていただきたく。

そして3度の「さんま寄席」に続くかたちで、2016年と2019年に開催されたのが「志の輔らくご in 気仙沼」でした。つまり、志の輔師匠の気仙沼での落語会は震災後、5度にのぼります。

竹内順平さんが志の輔師匠の息子さんであることは、2018年1月放送の「マツコの知らない世界」で順平さんも登場した〈梅干しの世界〉をテーマとした回でも話されているので、知っている方も多いはずです。しかし、そのことを彼のプロフィールとして語ることは、ご本人をはじめ周囲の方も抑制しているように感じております。

千晶さんの放送でも師匠のお名前は明らかにしていませんでしたが、竹内父子の気仙沼に対するご支援を知ってもらいたく紹介させていただきました。

なお、千晶さんのお父様は、私たちの6つ下、気仙沼中学26回生。私の妻の気中同級生です。


◎彼のリクエスト曲

放送のなかで千晶さんは、リクエストにこたえるかたちで曲をかけたわけですが、この日の曲目はウェディング気分に満ちたものでした。一曲だけ紹介しておきましょう。

竹内まりや、2001年の曲「毎日がスペシャル」。

毎日がスペシャル
毎日がスペシャル
Every day is a special day

いかがでしたでしょう。ほかの曲も〈オシテシルベシ〉ですが、もう一曲。

千晶さんが最後にかけた曲は〈ダンナさん〉だったか〈彼〉だったかのリクエストです。和田アキ子さん1972年の曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」。お聞きください。

あなたに逢えてよかった
あなたには希望の匂いがする

以下省略。

あの鐘の音が私にはキンコンカンではなく、新婚感と聞こえます。おあとがよろしいようで。

千晶さんと順平さん。おめでとうございます。おふたりのご結婚を心からうれしく思っております。どうぞ、末永く、仲良く、楽しく、お幸せに。
 

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町民歌発表会写真

気仙沼町民歌の復元については、10月2日と6日の2度にわたって紹介してきましたが、本日は3度目。ちょっとしつこいか(笑)。

本日ご紹介するのは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた、町民歌発表会の写真です。


発表会
『目で見る気仙沼の歴史』(p168)より


写真左側の説明文は、本書の編集委員会の委員長で気仙沼図書館初代専任館長だった菅野青顔さんが書いたものでしょう。文章を引用します。

〈指揮をとっているのが、作曲家の栗原勉先生。アコーディオンの尾形銀一、歌手の菅原和一、熊谷進アンコヤ夫人(福見町)も写っている。昭和22年ころ。鼎座〉

〈熊谷進アンコヤ夫人〉というちょっと荒っぽい語り口、書きっぷりがまさに〈青顔流〉。それと、〈昭和22年ころ〉は誤りで正しくは昭和17年。昭和22年だと戦後の話になってしまいます。どうして勘違いしたのか。さらに、〈尾形銀一〉さんは気仙沼市史や気仙沼文化史年表によれば〈尾形銀二〉さんです。


◎熊谷進アンコヤさんとは

文中に〈福見町〉とあったので、同町にいまも住む〈ぶっちゃん〉こと吉田(岩渕)惠子さん(3年8組)に電話してみました。

そして〈アンコヤ〉さんについて聞いたところ、熊谷さんちは惠子さんちのご近所とのこと。昔はアンコを炊くにおいがしていたそうですから間違いなし。

それと、熊谷さんのオンチャン(進さんのことと思います)は、青空鼓笛隊の結成にあたってのお世話役のひとりだったと。さらには、オンチャンには娘さんが3人いて、ご長女は「気仙沼演劇塾うを座」をつくった鈴木(熊谷)恒子さんであるとも。

いやあ、聞いてみるもんですね。おもしろい。

知らない方のために付け加えておくと、「青空鼓笛隊」は、新町(あらまち)や福見町(ふくみちょう)の子どもたちをメンバーとして昭和35年に結成されました。この鼓笛隊については、あらためて紹介することにして本日の説明は省略。


◎昭和17年の時代背景

話を戻します。説明文から、熊谷進さんはこの発表会のステージにはいないと考えてよいでしょう。また、上の写真にうつるどなたが熊谷夫人なのかよくわかりません。中央で歌っているのが菅原和一さんだと思いますが、その右側にうつる和服の女性は誰なのか。

そうした細かなことはわかりませんが、この太平洋戦争開戦から約一年経った昭和17年11月25日の鼎座(かなえざ)には、戦意高揚の気分が満ちていたはずです。

「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)より、町民歌に関連する事項を記します。菅野青顔さんに関する記述もありましたので付け加えました。また昭和20年に、町民歌と同じく土井晩翠の作詞で「大島村漁業会の歌」がつくられていましたので加えております。同会はいわゆる「大島漁協」の前身だと思うのですが。


1940/昭和15年
この年、町制50年記念に気仙沼町民歌の作詞を土井晩翠に依頼する

1941/昭和16年
5月 土井晩翠 気仙沼町民歌作詞の依頼を受け来町

1941/昭和16年
10月1日 菅野青顔、町立図書館嘱託となる(気仙沼町誌)
12月6日 ダダイズムの文人 辻潤再度来町 菅野青顔宅に寄宿(気仙沼町誌)
12月8日 太平洋戦争 開戦
この頃 栗原勉・尾形銀二ら鼎浦楽団結成(月日不明)

1942/昭和17年
11月25日 気仙沼町民歌(土井晩翠作詞・栗原勉作曲)発表会 鼎浦楽団出演

1945/昭和20年
4月 土井晩翠の作詞で大島村漁業会の歌出来る(大島誌)


◎NHK連ドラ「エール」

現在放送中のNHK連ドラ「エール」を録画して見ています。今週のテーマは「歌の力」です。

作曲家の古関裕而をモデルとした主人公裕一は、予科練の若者たちのための曲を依頼され「若鷲(わかわし)の歌」を作曲します。「若い血潮の予科練の」ではじまる詞の作者は西條八十(やそ)。実際のレコード発売は1943年9月とのことですから町民歌発表の10か月後ですね。

先週から今週にかけてのドラマのテーマは、戦時中に曲をつくることの意味(そして二階堂ふみさん演じる妻「音」にとっては歌う意味)であったように思います。

そのことが念頭にあったため、この「気仙沼町民歌」の時代背景が気になったのかもしれません。

10月2日のブログにも記しましたが、このたびの気仙沼町民歌復元は、こうした歴史や時代背景を再認識するよいきっかけになったように思います。ありがとうございました。

10月2日ブログ「気仙沼町民歌復元」
10月6日ブログ「2つの町民歌復元」
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼町民歌

鹿折の新道路開通

国道45号線から気仙沼大島へのアクセスがさらに便利になりました。県道大島浪板線の東八幡前から浪板(なみいた)にかけての区間が10月5日に開通しました。
また新たな架橋「錦大橋」を含む市道区間も同時に供用を開始しました。10月6日の三陸新報が伝えています。


10:6道路整備

三陸新報10月6日記事の一部イメージ


10月5日に開通したのは県道と市道それぞれ1区間です。市道には新しい架橋「錦大橋」も含まれます。

記事にある地図を見てもはじめはよくわかりませんでした。よくみると、左側が北方向になっているのですね。頭を左に傾けてやっと土地勘がもどってきました。

地図部分だけ回転してみましょう。上方が北になります。

地図



県道、市道それぞれの概要を以下に。

①県道/大島浪板線

国道45号分岐点(のマイヤ気仙沼北店付近)から浪板橋付近までの1kmが開通し、大島大橋への接続がスムーズになりました。

②市道/都市計画道路 鹿折駅浜線

上記県道開通の前日10月4日には、鹿折川に新しく架けられた「錦大橋」の開通式がおこなわれました。

錦大橋は延長63mで、錦町と浪板地区を結びます。橋を含む270mの市道は10月6日に上記県道とともに供用が開始されました。

開通式の日10月4日の菅原市長のツイートを紹介しておきましょう。



「錦大橋」はとても立派な橋ですね。三陸新報の記事には、大島と市街地を結ぶ主なルートだった浪板橋の混雑緩和にもつながるとありました。

地域の皆様、そして市や県の工事関係者の皆様、新道路の開通、おめでとうございました。


なお、この県道/大島浪板線の愛称をおぼえているでしょうか「気仙沼大島龍宮海道」です。その途中にある気仙沼大島大橋の愛称は「鶴亀大橋」。あらためて〈愛称〉のむずかしさを感じます。これらのネーミングにまつわる気仙沼の「龍宮伝説」についてはつぎのブログにまとめておりますのでお手すきのときにでも。

2019年4月19日ブログ 気仙沼「龍宮海道」
 

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tag : 錦大橋 大島浪板線

大西隆先生と震災

日本学術会議の会員候補6人が任命されなかった問題が注目を集めています。きのう10月6日の朝、テレビ朝日「モーニングショー」でもこの問題をとりあげていました。

冒頭部分を見逃しましたが、画面には日本学術会議の会長をつとめたことがある大西隆さんの顔がうつっていました。スタジオ出演ではなくリモートでの参加です。

大西さんは22期と23期の日本学術会議の会長をつとめました。2011年10月から2017年9月までの6年間です。その後の24期会長は前京都大学総長でゴリラ研究でも知られる山極寿一さん。現25期は2015年にノーベル物理学賞を受けた梶田隆章さんです。

大西さんは、テレビ朝日社員コメンテーター玉川徹さんらの質問に対して、明解かつ的確に答えていました。番組が用意したパネル中の予算額など、視聴者が誤解しそうなことに対しては発言を求めてわかりやすく説明するといったことも。

玉川さんは、大西さんが会長をつとめていたときに、政府(官邸)から求められて会員定員以上の候補者名簿を提出したかどうかについても質問していました。

これはきのうの朝に新事実として報道されたこと。これについても大西さんはきわめて率直にその経緯と当時の会長としての自身の判断、官邸とのやりとりを話されていました。

その会長としての考えに対する評価は人によっていろいろでしょうが、私は科学者の言葉というのはこういうものなのかと感心しました。発言内容など細かなことは省略します。


そして番組がつぎの話題に移ったころ、突然思い出したのです。〈大西さんは、気仙沼市の震災復興会議メンバーではなかったか〉と。

やはりそうでした。2011年6月19日に第1回会議が開催されていますが、その構成員名簿をみると、大西さんの名が7人の学識経験者のひとりとして名簿の上から3人目にあります。名簿は五十音順でしょう。この復興会議の4か月後に日本学術会議会長となりました。

会議メンバー

市サイト/第1回 気仙沼市震災復興会議より


そして、2012年3月18日には日本計画行政学会の復興フォーラムが気仙沼で開かれましたが、この学会の会長をつとめていたのも大西さんでした。復興フォーラムについてはつぎのブログで記しています。

2012年3月24日ブログ「大西隆教授の話」

私は、このブログで大西さんをつぎのように紹介しました。

〈この学会の大西隆会長は、東京大学教授で国土計画や地域開発、都市開発が専門です。政府の東日本大震災復興構想会議委員もつとめるなど、この分野での権威者のひとりといってもよいでしょう。昨年10月には、日本を代表する科学者団体「日本学術会議」の会長にも選出されました。そして大西教授は、気仙沼市の震災復興会議の委員もつとめてくださいました。〉

そして、復興フォーラムについての三陸新報記事をうけてつぎのように。

〈大西教授は、過去の大津波の教訓が生かされなかった事例を紹介しながら、「宮古市田老の巨大防潮堤のように、津波を人工的に防ごうとしてもできなかった。防災施設と避難、まちづくりを合わせた『減災』の考え方が重要」とアドバイスしたといいます。また、公的資金を活用して新産業を立ち上げる「復興まちづくり会社」の設立も提案したとのこと〉

この8年前の自分が書いた文章を読むと、当時の〈巨大すぎる防潮堤〉への疑問というか懐疑的な気持ちを思い出します。ブログ記事をつぎのように結んでいます。

〈防潮堤の限界と〈減災〉の考え方の大切さを語る大西教授。そのアドバイスは、きょう24日午後一時からの「魚町・南町まちづくりコンペ」審査にどのように反映されるでしょうか〉

参考まで付け加えておくと、この「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」の2012年4月29日の審査委員会で最優秀とされた案は、大林組と建設コンサルタント会社・エイト日本技術開発が共同で提案した「直立浮上式防波堤」を設置する案でした。

しかし、この案がそのまま実施案になったわけではありません。市は最終選考に残った5案を中心に具体的な検討に入り、住民とのまちづくりの協議に生かすことになったのです。

「直立浮上式防波堤」案は久しぶりに思い出しました。本当にいろんなことがありましたね。

モーニングショーの話から、ちょっと話が長くなってしまいました。この辺にしておきましょう。

最後になりましたが、大西隆先生の気仙沼復興へのご支援に御礼を申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2015年12月8日ブログ「震災復興会議とは」
  

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tag : 大西隆 日本学術会議 気仙沼市震災復興会議

2つの町民歌復元

10月2日のブログで、気仙沼市内の有志が、1942/昭和17年に気仙沼町制50周年記念として発表された「気仙沼町民歌」を復元したという話を紹介しました。

有志による「土井晩翠作詞『気仙沼町民歌』を復元させる会」 (以下、「復元される会」と略記します)が結成されたのは2010年です。

私のブログ記事は三陸新報の記事内容を中心としたものでしたが、ネットで調べてみると、2010年4月に「気仙沼町民歌 CDに復元」との記事が三陸新報に掲載されていることがわかりました。

宮城県図書館の電子図書館「叡智の森Web」の地域資料関係記事のなかに、下に示す三陸新報2010年4月7日記事の要約があったのです。


叡智の森
「叡智の森Web」より


宮城県図書館「叡智の森Web」当該記事

記事見出しは「気仙沼町民歌CDに復元 : 作曲者の息子栗原秋夫さん」。注記としてつぎの内容が記されています。

〈昭和初期に作られた「気仙沼町民歌」が、作曲した故・栗原勉さんの四男栗原秋夫さんによってCDに復元された。気仙沼町民歌は気仙沼町制50年の記念に作られたもので、土井晩翠が作詞、栗原勉さんが作曲した〉(引用は以上)

10月2日のブログで紹介したように、市内の男性がこの町民歌を歌うのを藤田さんが聞いたのは2010年10月のこと。それが復元する会結成のきっかけになりました。震災により活動を休止していましたが、今年の4月ごろに30〜70代の12人で活動を再開したといいます。

たぶん藤田さんをはじめ会の皆さんが2010年4月の三陸新報記事を見落としていたのでしょう。もし知っていれば、新たな復元の活動をはじめることもなかったのではないかと。

私の勝手な推測ですが、9月27日の三陸新報記事を読んで、2010年に同じような記事が掲載されていたよと同紙に伝えた人がすでにいるかもしれません。

もしそうであれば、この町民歌復元にまつわるアナザーストーリーをぜひ読みたいところです。栗原秋夫さんの復元CDと「復元する会」の復元過程の情報を総合することで、「町民歌」復元の現代的な意義がより明確になると思うのですが。

なお、町民歌の発表会の写真が『目で見る気仙沼の歴史』に掲載されていました。この紹介は日をあらためて。

10月2日ブログ「気仙沼町民歌復元」
 

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tag : 気仙沼町民歌

2つの「Gマーク」

2020年度グッドデザイン賞を、気仙沼のふたつの企業が受賞しました。10月1日に発表されました。ひとつは、株式会社SUGAWARAさんのインドネシア料理店「ワルンマハール」。もうひとつは、臼福本店さんの「第一昭福丸」です。

グッドデザイン賞は「Gマーク」としておなじみの賞。日本デザイン振興会/グッドデザイン賞サイトからふたつの受賞内容を引用紹介します。


①地域コミュニティづくり

「ムショラを併設したインドネシア料理店ワルンマハール」


グッドデザイン賞
グッドデザイン賞サイトより


グッドデザイン賞サイト/本件紹介

概要:
気仙沼には、多くのインドネシア人が暮らしています。彼らは、技能実習生として私たちの産業を支えているパートナーです。彼らの多くはムスリムで、礼拝や食事などの生活面で多くの課題を抱えています。本施設は、そんな彼らが故郷の味を安心して食べられるムスリムフレンドリーなムショラ(小さな礼拝所)併設のインドネシア料理店です。

プロデューサー:株式会社SUGAWARA 代表取締役 菅原渉
ディレクター:Kaibaデザインノード株式会社 代表取締役 前田圭悟/認定NPO法人底上げ 理事 成宮崇史

(サイトからの引用は以上)

菅原渉さんは、インドネシアでのリサイクルアスファルト事業の展開や、同国から日本への研修生受け入れなどに積極的に取り組んできました。

そうした関わりのなかから生まれたのが、気仙沼魚市場前/みしおね横丁内のインドネシア料理店「ワルンマハール」そして、礼拝所「アル・ラウダー」でした。

これまで本ブログでもいろいろと紹介させていただきました。下記の記事をご覧いただければと。

3月13日ブログ「気仙沼のサラメシ」
2019年8月20日ブログ「みしおねの礼拝所」


②遠洋まぐろ延縄漁船

「第一昭福丸」

昭福丸
Photographer:Takumi Ota


上の画像は、グッドデザイン賞サイトでの該当頁画像が使えないので、以前も紹介したnendoさんサイトのニュース掲載写真を拝借しました。

グッドデザイン賞サイト/本件紹介


受賞企業:株式会社臼福本店
概要:
遠洋まぐろ延縄漁船の第一昭福丸は「人が集まる魅力ある漁船」をコンセプトに建造しました。世界の大海原でも安全に操業ができるよう、また洋上での長い生活を少しでも快適に過ごしてもらえるように、乗組員ファーストを意識した次世代型の漁船です。

プロデューサー:株式会社臼福本店 プロジェクト事業部(社長:臼井壯太朗)
ディレクター:有限会社nendo 佐藤オオキ氏+株式会社乃村工藝社 青野恵太氏

(サイトからの引用は以上)

nendo/佐藤オオキさんは、2010年以降たびたびグッドデザイン賞を受賞していますので、今回もさほどの驚きはないのですが、「遠洋まぐろ延縄漁船」での受賞というのは異色ではないでしょうか。

「第一昭福丸」については下記のブログでも紹介しております。

5月15日ブログ 「nendo」と昭福丸
2018年12月3日ブログ「nendoのマグロ船」


以上が受賞内容の概要です。


◎拡張する「デザイン」の意味

数十年前の「グッドデザイン賞」の対象は製品/プロダクトデザインが中心でした。いわば狭義のデザインといってよいでしょう。しかし近年は「デザイン」の概念が造形や視覚的な要素も含みながら、人とモノやコトとの関係を計画することも包含するようになってきており、「グッドデザイン賞」もそうした広義のデザインを対象とするようになっています。

今年度のグッドデザイン賞は、デザインにおいて他者や社会、環境などについて考え、それに応えることを示す「交感」をテーマに応募を受け付け、4,769の審査対象の中から、1,395件の「グッドデザイン賞」を決定したとのこと。

「ワルンマハール」は、気仙沼で働くインドネシアの人たちのために、飲食やイスラム教礼拝施設の提供によって、「交感」を実現しているといってよいでしょう。

そして、「第一昭福丸」のコンセプトは「人が集まる魅力ある漁船」でした。外装のビジュアルデザインはそのひとつの要素ですが、むしろ居住空間やWi-Fi設備の完備といったことが、漁船員と船舶そして漁労との新しい関係を生み出すための大きなテーマになったと思います。

第一昭福丸を審査対象として臼福本店さんのクロマグロはえ縄漁が、〈マリンエコラベル/海のエコラベル〉とも呼ばれる「海洋管理協議会(MSC)」認証を取得したのは、8月10日のことでした。

今年度のグッドデザイン賞の応募締め切りは6月2日でしたから、応募内容にMSC認証取得のことを付け加えることはできなかったと思います。しかし、もし間に合えば、このMSC認証という事実はグッドデザイン賞を受賞するうえでのさらなる好材料になったと思います。


昨年は、気仙沼の〈気仙沼内湾ウォーターフロント・「迎」ムカエル・「創」ウマレル(PIER7)〉が2019年度グッドデザイン賞を受賞しました。

2019年10月11日ブログ「グッドデザイン賞」

私はとてもうれしくて、11月3日に東京ミッドタウン六本木で開催された受賞展を見にいきました。今年ものぞいてみようかなと思って調べてみたら、新型コロナウイルスの関係でしょう、中止となっていました。残念。


最後になりましたが、菅原渉さんや臼井壯太朗さんをはじめ、関係者の皆さまにお祝いを申し上げます。これからの活動への大きな励みになりますね。このたびの受賞、本当におめでとうございました。
 

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気仙沼町民歌復元

9月27日の三陸新報に、「気仙沼町民歌」が復元されたとの記事が掲載されていました。


町民歌

三陸新報9月27日記事の一部イメージ


記事によれば、「気仙沼町民歌」は気仙沼町制50周年記念として、1942/昭和17年に発表されました。当時は、学校の授業でも歌われていたとのこと。作詞は瀧廉太郎作曲「荒城の月」の作詞でも知られる仙台出身の詩人・土井晩翠。作詞は当時気仙沼に住んでいた栗原勉さんです。

町民歌を復元したのは、2010年に市内の有志で結成された「土井晩翠作詞『気仙沼町民歌』を復元させる会」です。事務局長をつとめる藤田孝子さん(70)が、同年10月に市内の男性がこの町民歌を歌うのを耳にしたことが発足のきっかけとのこと。

歌詞については、書家の加藤清翠さんが記した歌詞のコピーがあったようですが、楽譜は残っていないということのようです。そこで、男性の歌うメロディを譜面におこし、デモテープをつくりました。

会のメンバーは、その譜面やデモテープを手にして歌ったことのある人をたずね復元内容の修正を重ねたそうです。主にメロディの修正でしょうか。

そして陸上自衛隊音楽隊に所属していた経験のある藤田孝子さんの歌唱を録音してCDに収めました。編集は、市内で音楽活動をする小田雅秋さんが担当したそうです。小田さんは私と同姓ですが、親戚ではありません。雅秋さんが気中で私の一年上、一年下にはその弟さんもいましたね。

CDは実費500円で販売。問い合わせは藤田さんまでとのことです。

以上が三陸新報記事の内容です。

記事では触れられていませんでしたが、作詞の栗原勉さんは、「気仙沼小唄」の作曲もされていますね。念のためいえば、1968年発表の「気仙沼音頭」(歌:三橋三智也)ではなく、1952年発表と思われる「気仙沼小唄」です。

上記記事に掲載されていた歌詞を以下に紹介します。


◎三陸新報掲載 歌詞内容

気仙沼町民歌

作詞 土井晩翠
作曲 栗原 勉


萬里の波にいさなとる
漁業に添ひて生産の
工業更に日に振い
月に進みてあらたなる
あゝ気仙沼栄えあれ


亀山 早山 安波山
彼と此れとを仰ぎ見て
一湾しずか藍の水
鼎浦をわけ行けば
太平洋は天ひたす


無双の勝地時を得て
今昭代に光浴ぶ
人また和して邦のため
町民ともに一斉に
勤め励みてやまざらん


私は、〈添ひ〉〈振い〉など、歴史的仮名遣い(旧かな)と現代仮名遣いがまざっているのが気になりました。

また、〈静か〉を〈しずか〉としていますが、旧かなであれば〈しづか〉ではないかとか。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」での、〈イツモシヅカニワラッテヰル〉のように。

そんなことで、気仙沼市史に掲載されている歌詞内容はどうなっているのか確認してみました。


◎気仙沼市史掲載内容

市史 補遺編 スポーツ・芸術(P334)


萬里の波に勇魚とる
漁業にそひて生産の
工業さらに日にふるひ
月に進みて新なる
ああ気仙沼栄あれ


亀山早山安波山
かれとこれとを仰ぎみて
一湾しづかあゐの水
鼎浦を分け行けば
太平洋はあまひたす

(以下略)

市史では(以下略)として、これ以降の歌詞の記載はありません。なお、1番2番とも、市史では1行目と2行目を改行なしとしていますが、三陸新報掲載内容に合わせて当方が改行を加えました。

また、歌詞の前の説明文は「昭和15年、気仙沼町制50年を記念して土井晩翠に作詞を依頼し、栗原勉が作曲した。」のみの記述です。

私の推測ですが、市史掲載内容も、土井晩翠さんが書いた歌詞の表記を変えたりしているのではないでしょうか。たとえば元々は〈彼と此れ〉と書かれていたものを、〈かれとこれ〉とひらがなにするなど。記事にある、書家加藤清翠さんが記した歌詞の表記がどうなっているかを知りたいところです。

以上のようなことも含めて、資料が少ない中での〈復元〉は実に難しいということですね。それだけに、今回の藤田さんをはじめとする市民有志による町民歌復元の試みは貴重だと思います。ありがとうございました。


◎1942年当時の戦況

気仙沼町民歌が発表されたのは1942/昭和17年。気仙沼文化史年表によれば、11月25日のこと。

太平洋戦争中のこの年、ガダルカナル島をめぐって日本軍と連合軍/米軍との激戦がありました。そして同年12月31日、大本営はガダルカナル島撤退を決定するのです。

同島に上陸した日本軍約3万人のうち死者・行方不明者は2万人を超えたといいます。そのうち1万5千人は餓死や戦病死であったとも。

〈人また和して 邦のため〉と歌っていたこの時期から、戦況は下降線をたどっていくのです。町民歌復元は私にとって、こうした歴史を再認識するよいきっかけになりました。

なお、この記事を書くにあたって調べている途中、2010年4月に「気仙沼町民歌 CDに復元」との記事が三陸新報に掲載されていることを知りました。今回の復元とは違う話のような感じがいたします。これについては週明けにでも。今週はこれにて。
  

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tag : 気仙沼町民歌

「モネ」出演者一覧

きょうの三陸新報(デジタル版)の最終面を見て驚きました。


三陸記事
三陸新報10月1日記事より


NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の主な出演者がでそろったからだと思うのですが、百音(ももね/モネ)を含め計16人の出演者と役柄を紹介しています。

それぞれの詳しい紹介はつぎのNHKドラマサイトをご覧ください。

①気仙沼の家族(9/11発表)
②百音が登米で出会う人々(9/14発表)
③百音の同級生たち(9/28発表)

こうして一覧として見ると、まさに豪華メンバー勢揃いという感じですね。地元での盛り上がりの一端をお伝えしたく、紹介させていただきました。

10月2日(金)18:30から気仙沼市民会館で開催されるシンポジウム「おかえりモネに、はまらいんや!」の事前申し込みは今日が締め切り。こちらもどうぞよろしく。

9月30日ブログ 最近の「モネ」情報

 

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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