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最近の「モネ」情報

来春放送のNHK連ドラ「おかえりモネ」に関しての動きがいろいろとありますね。簡単なまとめということで紹介します。


①10月2日(金)公開シンポジウム

既に本ブログでもお伝えした公開シンポジウム「おかえりモネに、はまらいんや!」です。案内チラシを紹介します。

シンポジウム


事前申し込みが必要で、明日10月1日(木)が締め切りとなっています。詳細は下記ブログにて。

9月22日ブログ「モネにはまらいん」


②10月3日(土)事業者向け勉強会

これは前日のシンポジウムでお迎えした帯広観光コンベンション協会の皆様を講師としての勉強会です。

勉強会


申し込みや問い合わせは、画像下部記載の気仙沼観光コンベンション協会まで。


③9月29日クランクイン

9月28日に「おかえりモネ」の撮影がドラマの舞台のひとつ宮城県登米(とめ)市ではじまりました。

9月28日の東北NEWSWEBが、ロカールニュース映像を紹介していました。

東北NEWSWEB9月28日配信内容


④新たな出演者発表

主人公百音(ももね=モネ)の同級生ら、新たな出演者が発表されました。



若き漁師「及川亮」の父親で、かつて天才漁師と言われた男「及川新次」を演ずるのはなんと浅野忠信さんです。いやあ驚いた。モネの父・耕治の親友です。

前回発表の出演者についてはつぎのブログにて。

9月14日ブログ 「モネの家族」発表
9月15日ブログ 京香「気仙沼伝説」


⑤佐藤千晶さんも方言指導を

「おかえりモネ」の方言指導に、気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんも携わることになったそうです。ご本人が9月29日のツイートで報告していました。

レギュラー番組をもっているなどのこともあり全撮影への立ち会いは難しく、チーフの方についてのサブ的な役割とのことですが、適役ですね。

千晶さんは、鼎が浦高校(現 気仙沼高校)卒業。大学卒業後に東日本放送に入社、その後はメーテレ(名古屋テレビ放送)に。いずれもテレビ朝日系列局で、アナウンサーとして活躍しました。その後はフリーアナウンサーとなり、現在は文化放送「走れ!歌謡曲」の木曜日パーソナリティもつとめています。

情報のまとめは以上です。

東北NEWSWEBのニュース映像を見ると、新型コロナ感染予防のための配慮がいろいろとされています。従来の撮影とは違った様々な苦労がありそうです。

気仙沼での撮影開始がいつかはわかりませんが、地元の人はみな楽しみにしていることでしょう。

10月2日(金)の公開シンポジウムの案内には、〈気仙沼市民の総決起集会〉との語句もありました。どうぞお出かけください。申し込みは明日10月1日(木)締め切りです。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ

漁師暦2021完成

漁師カレンダー2021年版が完成したそうです。9月26日の三陸新報が伝えています。


漁師カレンダー

三陸新報9月26日記事の一部イメージ


2021年版カレンダーには、写真家 幡野広志さんが撮影した約60枚の写真が掲載されています。1部1870円(税込み)。

記事によれば、制作部数は4500部。10月2日から市内約15店舗で購入できるそうです。気仙沼の人は店舗購入が便利と思いますが、専用ウェブサイトでの注文も可能です。税込1870円に郵送料全国一律550円の計2420円に気仙沼信用金庫口座への振込手数料がかかります。

気仙沼漁師カレンダーサイト

私は、渋谷PARCO8階「ほぼ日曜日」での写真展「幡野広志、 気仙沼の漁師を撮る。」開催時におこなわれた先行予約を利用して注文済み。届くのを楽しみにしております。

なお、10月2日は大安。本日のブログ見出しを「漁師暦」としたのは、基本8字としている方針におさめるためでしたが、発売日を大安の日としたのは「暦/こよみ」を大切にする漁師の作法といったところでしょう。

最後に、斉吉商店さんの9月15日のツイートを紹介します。漁師カレンダーを企画・発行している気仙沼つばき会での漁師カレンダー/ポスター披露。ボイスドラムロールの後、ポスターがジャーン!と取り出されます(笑)。皆さんお元気でなにより。なお、現在の気仙沼つばき会/会長は斉吉商店の斉藤和枝さんです。




下記のブログで紹介した幡野さんの「note」サイト投稿「気仙沼漁師カレンダー2021」でも、気仙沼で撮影された写真をたっぷりと味わうすることができます。ぜひご覧ください。

7月16日ブログ「幡野広志ワールド」
7月28日ブログ「7人の漁師写真家」
 
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 漁師カレンダー つばき会 幡野広志

南気仙沼の竣工式

南気仙沼地区の土地区画整理事業の全工事が6月に完了。その竣工式が9月26日に同地区大川公園で開催されました。9月25日の三陸新報では、〈復興へ また一歩〉との見出しを掲げてつぎの記事を掲載しています。


南気仙沼

三陸新報9月25日記事の一部イメージ


記事によれば、南気仙沼地区土地区画整理事業は、2013年3月に事業が認可され、同年7月に着工しました。事業を受託したのは独立行政法人UR都市機構です。当初は2017年度末の工事完了を目指していましたが、地下埋設物の撤去などに時間を要したため、本年度まで3年ずれ込みました。

記事では、工事の経過を紹介していました。工事はまず、災害公営住宅の用地整備を先行し、2014年10月に、災害公営住宅の幸町住宅と内の脇住宅の土地を引き渡しました。そして2018年度には、全体の半分を引き渡し、住宅や商店の建設も徐々に進んだとのこと。

今年3月には最後の宅地が引き渡され、6月に内の脇1丁目地内の大川公園で工事を終了。これにより7年をかけた工事のすべてが完了しました。竣工式は、新型コロナの影響で先延ばしにされ、やっと9月26日に開催することができました。

なお、総事業費は約306億円。盛り土量の増加や撤去する基礎ぐいの数量増加などにより、当初の3倍となったそうです。

記事には、「南気仙沼復興の会」の会長をつとめる吉田久雄君(3年6組)の「多くの方々の努力のおかげ」との言葉が紹介されていました。「これからがまちづくりの本番。住民と共に暮らしやすく、多くの人が集う南気仙沼地区になるよう役割を果たしていきたい」とも。

竣工とはいえ、これはあくまで土地区画整理事業の工事が完了したということ。久雄君の言葉どおり、まちづくりはこれからが本番となりますね。

工事関係者の皆さまに、御礼とお祝いを申し上げます。竣工、おめでとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

なお、きのう9月27日の河北新報配信記事でも、この南気仙沼の区画整理事業完了を伝えています。記事の後半では、「地域の恩 味で報いる 菓子店5代目小山さん、現地で再起」との見出しで、コヤマ菓子店の小山裕隆さんの話を紹介しています。そのなかで、2013年1月に亡くなったお父さん小山隆市君(3年6組)のことも語られていますので是非お読みください。

河北新報9月27日配信記事
3月27日ブログ「南気仙沼 造成終了」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 南気仙沼 土地区画整理事業

千葉勝衛氏追悼文

9月1日の三陸新報に、「千葉勝衛先生を悼む」と題する投稿文が掲載されていました。


追悼文1
追悼文2

三陸新報9月1日掲載記事より


7月30日にお亡くなりになった千葉勝衛さんを追悼する水上忠夫さんの文章です。水上さんは、以前は大島漁協運営委員長や市議会議員もつとめ、「大島漁協文庫の会」会長として大島の漁業史をはじめ郷土史の研究をされている方です。

私は千葉勝衛さんの名を気仙沼大島関連の記事などでお見かけすることはありましたが、詳しくは存じ上げません。

文中では、大島郷土史研究の第一人者として紹介され、〈教職時代〉〈小学校の先生〉との記述もあることから、大島小学校をはじめ、市内小学校での教壇にたっておられたのでしょう。

気仙沼文化史年表には、昭和61年のエッセイ集『有事集』発行と、平成9年に大島公民館の館長に起用されたことが記されていました。

水上さんは追悼文のなかで、千葉先生の功績のなかでも〈特筆大書すべきは「大島誌」の刊行と「大島漁協文庫」創設であろう〉と記しています。

「大島誌」は、企画から19年をかけて昭和57年に大島郷土誌刊行委員会が刊行したもの。委員には、各地区各分野の代表約200人が網羅されているそうです。その1000頁におよぶ「大島誌」の編纂を千葉先生が統括したとのこと。

宮城県漁協気仙沼支所大島出張所(旧 大島漁協)が保存してきた漁業資料を収蔵する「大島漁協文庫」は、平成28年2月に完成しました。前年27年9月27日に内覧会が開催されたとの三陸新報記事をこのブログでも紹介しました。その中にも記しましたが、同文庫の建設にあたっては、神奈川大学日本常民文化研究所と三井物産環境基金の支援がありました。

追悼文の冒頭で、水上忠夫さんが、去る2月末に千葉勝衛さんが「宮城県気仙沼大島における遠洋漁業の歴史的変遷に関する研究」を出版されたばかりと書いておられます。

神奈川大学国際常民文化研究機構のサイトによれば、同書は神奈川大学日本常民文化研究所調査報告 第27集として昨年2019年2月28日に発刊されたもので、副題には「震災救出資料を中心として」とありました。

220頁にわたる調査報告書の目次をみると、6章すべてに千葉勝衛さんのお名前があります。水上さんは〈ほとんど先生1人の執筆という驚嘆すべき筆力〉と書いています。

お亡くなりになる前に、近年の研究成果を世に出すことができたのはなによりのことでした。

なお、三陸新報8月2日の訃報広告によれば、千葉勝衛さんがお亡くなりになったのは7月30日。〈93歳の天寿を全うし〉とありました。水上さんの追悼文を読んだあとのせいか、千葉勝衛さんの気仙沼大島の歴史研究は、天から与えられた役割だったのかも知れないなと感じております。

千葉勝衛さんのご冥福をお祈りいたします。

2015年10月13日ブログ「大島漁協文庫完成」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 千葉勝衛 大島漁協文庫

水梨小の歴史映像

きのう9月23日のブログでは、かつて水梨小学校が立てられていた3カ所に小学校跡地であることを示す木碑が設置されたことを紹介しました。

気仙沼市立水梨小学校は2019年3月に閉校しましたが、同年12月1日には、旧校舎校門脇に記念碑が設置されています。

この記念碑には、校歌と沿革が記されているほか、ふたつのバーコードが表示されています。そのコードをスマホなどで読み取りネットにアクセスすると、最後の卒業生が歌った校歌と同校の歴史を振り返る動画が再生されるとのことでした。

このブログで記念碑設置をお伝えしたときに、この動画については調べてあらためて紹介すると記したのですが、そのままになっておりました。遅ればせながら、本日、その歴史映像をご紹介します。

◎映像「水梨小学校の思い出」

三陸新報の記事では歴史を振り返る動画とされていたのは、写真(静止画)に説明ナレーションを加えた映像です。水梨小が独立する前の分教場時代の卒業生である佐々木徳朗さんが制作したもので、ナレーションも佐々木さんです。約19分間の映像です。





佐々木徳朗さんは、1935年生まれ。家業の農業に従事しながら、水梨地区の人々の暮らしと風景を今に至るまで記録し続け、これまで4冊の写真集を発刊している地元写真家です。古い写真の複写は別として、佐々木さんの撮影による写真もたくさん含まれているのでしょう。

一枚だけ写真を紹介させてもらいます。昭和54年の写真です。学校林を間伐して、野球とバレーボールのユニフォームをつくったといいます。PTAの皆さんが総出で作業にあたったそうです。


間伐

上記映像10:00すぎの画像より


そして、この地区の人たちの気持ちのこもった真新しいユニフォームを着て松岩地区の少年少女球技大会に出場した女子バレーボールチームは、見事に初優勝を果たしたそうです。すばらしい。

この写真集映像の最後に、「水梨小学校閉校記念事業実行委員会」として、つぎの言葉が記してありました。

「地域の学校として親しまれ、支えられてまいりました。閉校にあたり長い間のご支援、ご協力に感謝申し上げます。」


水梨地区の人たちがいかにこの小学校を大事にし、共に育ち、育ててきたか。この記念映像を見てよく理解できました。

水梨小学校の歴史を多くの人の記憶にとどめて欲しいとの思いからこの記念映像を紹介させていただきました。

なお、水梨小学校校歌はこちらから。統合直前の子どもたちと先生がたによる歌唱です。

2019年12月4日ブログ「水梨小閉校記念碑」
9月23日ブログ「水梨小跡地の木碑」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 水梨小学校

水梨小跡地の木碑

気仙沼市立水梨小学校が、惜しまれつつ閉校したのは2019年3月のことでした。146年の歴史に幕をおろし、松岩小学校と統合されたのです。その閉校記念碑が旧校門跡に建てられたという話をこのブログでも紹介しています。

そしてこのたび、水梨小学校校舎が建てられていた3カ所に、小学校跡地を示す木碑(もくひ)を設置したとの記事が9月20日の三陸新報に掲載されていました。


9:20水梨小JPG

三陸新報9月20日記事の一部イメージ


この碑を設置したのは、市内水梨コミュニティ推進協議会(尾形幹男会長)です。

記事によれば水梨小は、1873(明治6)年に「老松小学校水梨子支所」として開校し、昨年3月の閉校までに3回移転しているそうです。これまでも各所に木碑が置かれていたそうですが、老朽化がひどかったため、新たに設置したとのことです。

少子化に対応して、気仙沼市の小中学校統合計画については、これまでも様々な議論、検討がおこなわれてきました。これからもその対象となる各校に関しては賛否いりまじる声がさまざま聞こえてくることでしょう。

私は、三陸新報の記事を読み、しみじみとしたものを感じました。閉校やむなしとしても、母校の歴史についての記憶が地域に末永く残って欲しいという気持ちはとてもよくわかります。

今回の木碑設置は、同小の閉校記念事業費を活用しておこなったと記事にありました。今後の統合計画の実行にあたっては、閉校となる学校の歴史を後世に伝えるための方策をしっかりと考えて、必要な予算措置もおこなって欲しいと感じております。

水梨小に関しては、水上不二作詞、磯部俶作曲の校歌についてなど、つぎのブログでも紹介しております。お時間がございましたらこちらも。

2019年3月26日ブログ「水梨小学校の校歌」
2019年11月8日ブログ「磯部さんとのご縁」
2019年12月4日ブログ「水梨小閉校記念碑」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : 水梨小学校

モネにはまらいん

来春放送のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会が8月26日に設立されました。9月11日には、モネを取り巻く「気仙沼の家族」も発表されています。

そして来週末10月2日、連ドラ「なつぞら」の舞台となった帯広の観光関係者を招いての公開シンポジウムが市民会館で開催されます。9月19日に菅原市長がつぎのツイートで伝えています。



画像にある記者発表資料は9月18日(金)付けになっています。私は土曜か日曜の三陸新報でこのシンポジウムの内容が紹介されるだろうと考えていたのですが、掲載はなし。月曜は休刊日ですから火曜日かなと思っていたら、これもなし。ありゃま。

この連休の関係で三陸新報は明日9月23日が休刊となりますが、さすがに24日には紹介されるでしょう。

もうひとつどうなっているのだろうと思ったのは、市長のツイートに画像として紹介されている記者発表資料が、市のサイトでは本日9月22日午後1時半時点では公開されていないのです。

そんなことで、画像をみながらシンポジウム内容を紹介します。

◎公開シンポジウム
「おかえりモネに、はまらいんや!」

日時:10月2日(金)午後6:30〜午後8:00
会場:気仙沼市民会館 大ホール
定員:先着500名

内容:
第1部 先行事例紹介
 仮題:「朝ドラで地域はこう変わる〜「なつぞら」の舞台 十勝・帯広」
 話者:一般社団法人 帯広観光コンベンション協会 松田 里奈

第2部 気仙沼プロジェクトの概要説明
 仮題:「おかえりモネ」気仙沼プロジェクトが目指すもの
 話者:「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会
  実行委員長 気仙沼市長 菅原 茂

第3部 パネルディスカッション
 仮題:「おかえりモネ」への「なつぞら」からのエール
 モデレーター:NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」広報展開プロデューサー 川口 俊介
パネリスト:
 気仙沼市長 菅原 茂
 帯広観光コンベンション協会 理事 真鍋庭園代表 眞鍋 健太郎
 帯広観光コンベンション協会 事務局 松田 里奈
 大島婦人会 会長 白幡 やしよ
 気仙沼つばき会 会長 斉藤 和枝
 シンガーソングライター 熊谷 育美

●参加申し込み

10月1日(木)までに、ご参加される方の氏名(ふりがな付き)、年齢、ご住所、お電話番号を添えて下記あてEメールまたはお電話にてお申込みください。

気仙沼市震災復興・企画部地域づくり推進課
電話 0226-22-3409
Eメール monemone@kesennuma.miyagi.jp

発表内容の引用は以上です。発表資料にはあった敬称を勝手ながら略させていただきました。

画像がちょっと不鮮明でEメールアドレス中の「monemone」冒頭が「m」かどうかがちょっと不安ですが、ほかの文字は考えにくいので、これで間違いないでしょう。

なお、会場内でのマスク着用など、新型コロナ感染症予防のためのお願い事項なども資料中にありましたが、ここでは省略します。後日、市サイトや三陸新報などでのご案内があるでしょう。

以上、シンポジウム概略のご紹介ということで。

しかしなあ、市のサイトでの本件発表がなされていないというのはちょっと気になります。あとで担当部署に確認してみることにいたします。

まずは取り急ぎ。

(追記:気仙沼市役所に確認の電話をしてみたのですが、祝日のため警備室につながりました。各部署ともお休みとのこと。念のためと思っただけで、これは当然のこと。メールにて連絡してみます)

8月31日ブログ「モネの実行委員会」

(追記2:メールは無事に届き、ご担当者からも連絡をいただきました。メールアドレスは上記のとおりです。また、市サイトに記者発表資料が掲載されました。下記のpdfをご覧ください)

9月18日記者発表資料(pdf)

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ

岸壁ナンバリング

内湾地区にある気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザの建物に掲げられている「PIER7」(ピアセブン)という名称が、7番埠頭(ふとう)を意味するということは知っていました。しかし、なぜこの建物にこの名称がという疑問が私にはありました。

1か月以上前のことになりますが、8月5日の三陸新報に関連記事が掲載されていました。


8:5埠頭番号
三陸新報8月5日記事の一部イメージ


記事によれば、気仙沼市の震災復興計画のなかの事業のひとつに、このナンバリング事業があるのだそうです。浜町から港町までの岸壁に1〜11番(4番と9番は欠番)と番号が割り振られており、この番号に埠頭を意味する「PIER」(ピア)を冠して表示しようというもの。

記事に示されている例としては、コの字岸壁はPIER3、神明崎はPIER5となるそうです。現時点で表示/看板設置が実現しているのはPIER7のみ。

記事によれば、漁港管理者としての県としては「震災前にはなかったものなので、復興財源を充当できず、財源確保が厳しい」としています。今後は、岸壁修繕などをおこなう際に関連事業として設置していきたいと考えているそうです。


◎市震災復興計画

本件が震災復興計画のなかの事業のひとつということなので、同計画を見てみました。

たしかに、2011年10月策定の「気仙沼市市震災復興計画」に示された194の重点事業のひとつになっています。該当部分はつぎのとおりです。


P127.jpg
気仙沼市市震災復興計画(P127)より



「重点事業12」とあるのは、「産業再生と雇用創出」のための「日本一活気溢れる水産都市の実現」にあたっての26事業のうち12番目ということ。

実施期間は、平成23〜25年度/2011〜2013年度としてありますから、ほとんど進んでいないといってよいでしょうね。

現状に関して気になる記述がありました。〈気仙沼漁港内の岸壁は、地域固有の呼称で呼ばれることが多く、必ずしも地区名と一致していないことから、市外からの入港船、関係者及び観光客に、分かりづらく不便なものとなっています〉と。

入港船、関係者がそういうのならばそうなのでしょう。しかし、それが観光客にとって分かりづらく不便なものになっているのかどうか。

ちょっと疑問ですね。コの字岸壁はPIER3、神明崎はPIER5としたところで、観光客はかえって混乱するような気がします。(ところで、神明崎の岸壁というのはどこのことをいうのだろう?)



◎交流プラザの愛称は、創(ウマレル)

今回の三陸新報の記事を読んで、ちょっと頭がすっきりしたことがあります。それは、「PIER7」が、あくまで、市まち・ひと・しごと交流プラザの建物壁面を利用して表示された埠頭番号であって、建物を指し示すものではないということ。

そうであれば、同プラザのサイト/施設紹介にあるつぎの説明とも一致します。

〈 隣接するウォーターフロント(商業)施設は,観光客のゲートをイメージして愛称を「迎(ムカエル)」としており,「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」は市民一人一人が主体的にまちを創造していく起点となるエリアとして愛称を「創(ウマレル)」とします。

併せて,震災復興計画の重点事項に掲げている「気仙沼漁港のナンバリング」として,県が定める7番岸壁が当施設前のエリアに当たることから,建物壁面に「PIER7(ピアセブン)」の表示を施しています。 〉(引用は以上)

この説明文は、まち・ひと・しごと交流プラザがオープンしたときの記者会見資料内容をふまえたものですから、市としての公的な見解といってよいでしょう。

しかしあらためてこの説明文を読むと、〈建物壁面に「PIER7」の表示を施しています〉というあたりに、ご担当者の苦労も感じます。また、「創」に対して「ウマレル」という読みを記すときの心情たるや。

さらに申し上げれば、交流プラザの愛称については、ムカエルなど3つの商業施設と同様の一文字の設定などせずに「PIER7」でよかったのではないかと。それと、「PIER7」が交流プラザの愛称のように使用されている例もあり、それがわかりにくさにつながっているのではないかとも。しかし、すでに遅し、もう済んだことということかもしれません。

長くなりました。ここまでにしておきましょう。本件担当の方が、〈人の苦労も知らないで〉と感じられたようでしたらごめんなさい。仕事で、こうしたネーミングの表現やシステムについて考えることも多いために、どうしても気になってしまうのです。ご理解いただければと。
 

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tag : PIER7 ウマレル

編物みたいな会社

8月10日の気仙沼ニッティングさんのツイートで、週刊新潮の8月13・20日夏季特大号に、同社社長の御手洗瑞子(みたらいたまこ)さんのインタビューが掲載されていることを知りました。記事の画像も添付されていましたが、あとでしっかりと読むことにしました。

最近は週刊新潮にしても週刊文春にしても、自宅のiPadで「楽天マガジン」を利用して読むというか見ることが多いのです。いわゆるサブスク(リプション)の有料読み放題サービス。ですから、御手洗さんの文章もこれでと思っていたのです。

しかし考えが甘かった。この記事は広告なので同サービスでは見ることができず。広告だけでなく、記事でも特ダネ的なトップ記事は閲覧できないことがあります。

しかたがありません。図書館からの貸出を待つことにしました。そして手にした週刊新潮にこの企画記事広告がありました。


週刊新潮

週刊新潮8月13・20日夏季特大号より


これは「新しい時代を切り拓く5つのキーワード」と題する新潮社広告部の特別企画で、5つの会社それぞれに対応したキーワードをテーマに5人の著名人の文章がまとめられています。

御手洗さんのページの広告主は、みずほフィナンシャルグループさん。キーワードは「未来の世界へ」です。上記のツイートには〈インタビュー〉としてありましたから、取材した内容をライターがまとめたものでしょうか。

その文章では、気仙沼ニッティング設立の経緯や、現在約60人いる編み手さんに対しての〈リスペクト〉の気持ち、そして企業目標などがコンパクトにまとめられています。そのなかに、印象に残る言葉がありました。

ひとつは、〈世界的なブランドになるだけでなく、将来は伝統工芸のように地域に根ざしたものになっていくといいな、と思っています〉ということ。

そしてもうひとつ。〈編み物は縫って作る洋服と違い、一段ずつしか進みません。私の会社はまさに編み物みたいだ、と考えています。一段ずつバランスをとり、未来の世界へ向けて、地域の役に立ちながら、会社を編んでいきたいと思っています。〉

私は、掲げられている目標や理想の高さと同時に、そこへと向かう歩みはゆっくりとしたものにならざるを得ないという宿命的なものも感じました。

御手洗さんはご自身の著書『気仙沼ニッティング物語』で、〈100年続く会社をつくりたい〉と記しています。これは、100年にわたって、お客さまそして編み手さんはじめスタッフからも信頼される会社にという思いを込めた言葉であると思います。しかし、編み物にたとえた会社経営ということを考えると、〈100年つづく〉というよりも〈100年かかる〉とも思えてくるのです。


◎気仙沼ニッティング東京

話は変わります。8月5日をもって「気仙沼ニッティング東京」が閉店となりました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、東京と気仙沼の行き来が難しくなってきたことや、お客さまの健康や安全を考慮してのことといいます。

同店は、2018年11月17日に東京の渋谷区千駄ヶ谷にオープンしましたから1年9か月でのクローズです。ある意味で現状を厳しくみての機敏な対応ともいえるでしょう。

気仙沼ニッティングさんのサイトでの同店閉店についてのお知らせから、結びの言葉を引用します。

コロナウイルスの感染拡大が収束し、また「気仙沼ニッティング東京」を出店させていただける日を心待ちにしております。

それまで、新しいスタイルで、どうかよろしくお願いいたします。

2020年8月 (引用は以上)

そして9月17日、東京と京都に、気仙沼ニッティングの商品を手にとって見ることができる取扱店さんができるとの発表が同社からありました。東京は、大丸東京6階の「サニー&カンパニー」さんで9月23日から。詳細は、こちらにて。

いろんな動きがありますが、これを編み物にたとえれば、セーターをいったんほぐして編み直すみたいなことかもしれません。

2018年11月13日ブログ「うれしいニュース」
 

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tag : 気仙沼ニッティング 御手洗瑞子

浮見堂まんじゅう

大震災で被災した気仙沼市魚町/神明崎(しんめいさき)の「浮見堂」が再建されたことは皆さんご存じのとおりです。幼いころに浮見堂近辺で遊んでいた私にとって、とてもうれしいニュースでした。

そして9月1日。三陸新報に、浮見堂に関するもうひとつうれしいというか楽しいニュースが掲載されていました。「浮見堂まんじゅう」ができたというのです。


  9:1


  三陸新報9月1日記事の一部イメージ


このまんじゅうの販売を始めたのは気仙沼市田中前の菓子舗「うつみ」さんです。記事によれば、「うつみ」さんが、サンマの佃煮を製造販売する菅原義子さん(80)からオーダーを受けたのを機に商品化したとのこと。

菅原さんは、「ケイ」の代表。というよりも私にとっては魚町「カクダイ」の奥様といわれたほうがわかりやすい。毎年、目黒のさんま祭りの気仙沼物産ブースでお目にかかっていましたが、今年は中止となり残念です。

浮見堂の再建にあたって、気仙沼出身の熊谷寿夫さん(89)が2000万円もの寄付をしてくださったことはこのブログでも紹介しました。これも菅原義子さんが仲介してのことでした。そんなこともあって、菅原さんは熊谷さんに喜んでもらおうと、浮見堂を描いたまんじゅうを注文したとのこと。


そして9月13日の三陸新報には、うつみさんの「浮見堂まんじゅう」の広告が掲載されていました。


9:13まんじゅう

三陸新報9月13日掲載広告


上記記事によれば、中に入っている白あんは、程よいみその甘みとさわやかな大島産ユズの香りが特徴とのこと。ありゃま、私好みかも。おいしそう。

「うつみ」の内海榮子専務は、「気仙沼らしい菓子を作りたかったところに、菅原さんから注文をいただいた。気仙沼のお土産として、ゆっくり大事に育てていきたい」と話しているそうです。

ばら売りはなしで、10個入り1200円(税抜)。田中前の本店ほか、海の市店でも販売とのことです。

南町/紫神社には「紫まんじゅう」。魚町/お神明さん下の浮見堂には「浮見堂まんじゅう」。そういうことで、どうぞよろしく。

7月29日ブログ 再建「浮見堂」完成
8月3日ブログ「浪板の感謝の虎舞」

 

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tag : 浮見堂

舟山市への大漁旗

今年3月、気仙沼市が中国浙江(せっこう)省舟山(しゅうざん)市から医療用マスク2万枚の寄贈を受けたことはこのブログでもお伝えしました。

そして8月、この支援への御礼として、市が大漁旗を製作して舟山市に寄贈したことが9月11日に市から記者発表されました。9月13日の三陸新報もこれを伝えています。

この大漁旗は、気仙沼市との友好交流の証として舟山市の市立博物館の国際友好コーナーに展示されたとのことです。


大漁旗2

大漁旗を手にする舟山市職員(気仙沼市 記者発表資料より)


発表資料によれば、気仙沼市と舟山市は、気仙沼漁業協同組合の視察団が舟山市を訪問したことをきっかけにして市民レベルの交流がおこなわれ、1997年10月8日には友好都市協定が締結されました。震災前には気仙沼市から3回の公式訪問団の派遣、舟山市から4回の公式訪問団を受け入れ、2010年には気仙沼市内の中学生20名が舟山市を訪れてホームステイするなどの交流をおこなっています。


日本と中国との関係は、どうしてもその時々の両国外交方針によって変化しますが、気仙沼市と舟山市との友好関係がこうして継続していることをうれしく思いました。

舟山市の位置をWikipediaの地図を利用して示しておきましょう。

舟山市

全1391の島々(そのうち人が住んでいるのは103個)からなる舟山群島により構成され、総人口114万人とのこと。

舟山市からのマスク寄贈や、268年前にさかのぼる舟山市と気仙沼のご縁については、3月26日のブログでも紹介しております。

1752年/宝暦2年、現在の株式会社カネダイさんの先祖にあたる伝兵衛が船頭をつとめていた船「春日丸」が嵐にあって、舟山市の桃花島に漂着しましたが、現地の人たちから手厚い保護を受けて乗組員が無事に気仙沼に帰ってくることができたという話です。

大漁旗にはつぎの言葉が記されています。

「感謝舟山市政府的深情厚意」

ありがとうございました。


3月26日ブログ「舟山市からマスク」
 

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tag : 舟山市 大漁旗

京香「気仙沼伝説」

きのう9月14日のブログでNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」でモネの祖母を演じる竹下景子さんのコメント「気仙沼は大切な場所です。母のような人がいるところ」について記しました。本日はモネの母親役、鈴木京香さんについてです。


鈴木京香

NHK_PRサイトより


◎小林政広監督『気仙沼伝説』

京香さんが宮城県仙台市出身であることは皆さんご存じのとおりですが、気仙沼とのご縁もありました。小林政広監督の映画『気仙沼伝説』で主演しているのです。

この『気仙沼伝説』は、東北の全県で一本ずつ映画を制作しようという「ええじゃないか、ニッポン!」シリーズの宮城編として企画、制作されました。そして、2006年の「気仙沼映画祭」で上映されたものの、残念ながら一般公開に至っておりません。

この映画のストーリーですが、鈴木京香さんが地元の考古学ファン、杉本哲太さんが幼馴染の考古学者を演じ、隠れキリシタンの残した財宝を巡るラブコメディとのことです。おふたりのほか、小林監督が〈豪華キャスト〉と語る、倍賞美津子、國村隼、岸部一徳、香川照之といった皆さんのお名前がならんでいます。

なお、この映画のタイトルバック曲は、水越けいこさんが歌う「海潮音」(みしおね)です。


◎2012年/大阪での上映

2012年3月3日の大阪のシネ・ヌーヴォの東北映画特集で、本作が上映されたときにおこなわれた小林監督のミニトーク内容がネットにありました。

パラパラ映画手帖No898 『気仙沼伝説』

これによれば、〈2005年9月末から撮影に入り、約1か月半かけて気仙沼、仙台でロケ撮影、2006年に完成。春の気仙沼映画祭で、監督の全作品特集上映が実現し、市民会館で3回ほど上映後、資金問題からずっとお蔵入りしていた〉とのこと。

また、〈この作品で初めて気仙沼を訪れた監督は、ちょうど戻り鰹や秋刀魚の季節で、すっかり土地の魅力にはまり、翌年、気仙沼市内の唐桑に古い家を買って、そこを拠点に『ワカラナイ』(2009)『春との旅』(2010)をつくった〉とも。


◎2017年/小林監督の言葉

小林監督はご自身の会社「モンキータウンプロダクション」サイト中の2017年2月26日付けの記事〈『気仙沼伝説』について〉で、この作品について語っています。

小林監督 『気仙沼伝説』について

この中に次の言葉がありました。

(いろいろな経緯を経て) 〈こうして、ボクは『気仙沼伝説』を監督しました。予算の縛りがあるものの、撮影は順調に進みました。気仙沼の人たちの全面協力があったからです。〉そして〈この映画には、東日本震災前の気仙沼が、あますことなく活写されています〉とも。

私が驚いたのは、小林監督が、〈本作のフィルムのありかもわからない〉と書いていたことです。その言葉を引用しておきます。

〈今現在、フイルムの在り処も判らないことに強い憤りを感じています。何せ、スタッフのほとんどは、この映画を観てないのですから!スタッフだけに限らず、キャストも同様です。〉

キャスト(出演者)も同様に見ていないということは、鈴木京香さんも完成した「気仙沼伝説」を見ていないのでしょう。


◎2017年/仙台での上映

しかし、このフィルムのありかについては心配無用だったようです。小林監督が上記の文を記した9か月後、2017年11月に、仙台市の仙台桜井薬局セントラルホールでの「カナザワ映画祭」で「気仙沼伝説」が上映されました。同時に小林政広監督のトークショーもおこなわれています。

2006年の気仙沼映画祭で上映されたとはいえ、15年前の鈴木京香さんの姿とともに、「気仙沼伝説」にうつる震災前の気仙沼を今また見てみたい思う気仙沼の人も多いことでしょう。しかしフィルムがあっても、著作権や上映権など、商業映画には様々な権利が関係します。それだけに、そう簡単なことではないと思います。

しかし2017年には仙台での上映も実現していることですし、鈴木京香さんがモネのお母さんを演ずることをきっかけに、なんとか再度の気仙沼での上映を実現できるといいですね。

なお、気仙沼の唐桑で撮影された小林政広監督の映画『ギリギリの女たち』(2012年公開)については、つぎのブログで紹介しました。このなかでは「気仙沼伝説」について、慶長遣欧使節船「サンファン・バウティスタ」にまつわる伝説の宝物を探す女性(鈴木京香)の活躍と、ちょっと訳ありの中年男女の恋物語と紹介していました。

さらにこのブログでは、本作を〈いわば「幻の作品」〉と書いたのですが、これまでの上映の経緯を知ると、むしろ〈伝説的な作品〉と呼んだほうがよいのかもしれません。

2012年7月26日ブログ「ギリギリの女たち」
 
 

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「モネの家族」発表

9月11日の午前11時、NHKから来春放送の連続テレビ小説「おかえりモネ」で主演する清原果耶さんを取り巻く新たな出演者が発表されました。NHKの発表には、〈ヒロインを取り巻く「気仙沼の家族」決定!〉とありました。


気仙沼の家族

NHK_PRサイトより(画像クリックでサイトへ)


百音の父は内野聖陽さん、母は鈴木京香さん。そして妹は蒔田彩珠さんで祖父が藤竜也さん、祖母が竹下景子さんです。詳しくはNHKの発表をお読みください。

11日に発表された菅原市長のコメントに〈宮城にゆかりのある方もおり〉とありましたが、仙台出身の鈴木京香さんのことを指しているのでしょう。京香さんについてはあらためて書くことにして、本日はモネの祖母役とともに〈語り〉もつとめる竹下景子さんについて。

竹下景子さんのコメントはつぎのとおりです。〈気仙沼は大切な場所です。母のような人がいるところ。この役をいただいたとき、運命を感じました。モネの清原果耶さんを真ん中に愛しい家族になれますように。陸奥の人の温かさと優しさと強さを語りを通して伝えられればと思います。海の中から愛をこめて。応援よろしくお願いします。〉

気仙沼にいる母のような人とは誰だろう。気仙沼の多くの人がそう思うことでしょう。

私は、気仙沼大島の〈宮古屋〉熊谷すん子さんではないかと推測しています。そうです、気仙沼高校の同級生で、現在は市議もつとめる熊谷雅裕君のお母さん。

私は2011年11月5日のブログで竹下景子さんのことを書きました。ブログタイトルは「景子さんが来た」。

このブログでは翌日のテレビ番組を紹介したのです。2011年11月6日放送の大正製薬HumanScienceスペシャル「風邪に負けないSP」。竹下景子さんは、この番組の取材のために気仙沼を訪問しました。そこで、4年前の旅番組で知り合った熊谷すん子さんとの感動の再会があったというのです。

なにせ9年前のテレビ番組なので、その再会の様子を思い出すことができないのですが、〈感動の再会〉という言葉からその親しさがうかがわれます。

果たして正解はいかに。今後のドラマ制作の経過報告や紹介のなかではっきりすることでしょう。

ブログ「景子さんが来た」のなかにリンクを貼ってあった「宮古屋の雅裕君」というブログのなかで、熊谷すん子さんの俳句を紹介していました。

「命得ればこそ 老鶯(ろうおう)の谷渡り」

すん子さんが雑誌『環』に寄稿した文章など、9年前のブログを久しぶりに読んで、記事を書いていたときの気分をちょっぴり思い出しました。

2011年10月27日ブログ「宮古屋の雅裕君」

 

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週末TV放送紹介

きょうは気仙沼関連のテレビ番組情報をふたつ。


①明日へ つなげよう     

まずはNHK総合「明日へ つなげよう」から。昨年9月27日に放送された「ふるさとの絆を守れ~住民主導の高台移転」が再放送されます。

12日(土)午前2:30からですから、きょう11日(金)の深夜ということですね。ご注意ください。


舞根

番組サイトより


◎明日へ つなげよう/証言記録▽気仙沼市
「ふるさとの絆を守れ~住民主導の高台移転」
NHK総合テレビ
9月12日(土)午前2:30〜3:13

気仙沼市唐桑町舞根地区の防災集団移転に関するドキュメントです。昨年9月の後にも再放送されたような記憶があります。今回は〈選 証言記録〉としてたぶん3回目の放送でしょう。優れた内容と評価されてのことだと思います。

放送内容紹介を引用しておきます。

津波で家屋の大半が被災した舞根地区。住民たちは故郷の絆を守りたいと、安全な高台へともに移転する方針を決定。行政の支援を受けられる、防災集団移転制度の適用を気仙沼市に求めた。しかし、市は財政破綻の恐れなどから動き出せず、時間が経つにつれ離脱する世帯も現れた。住民たちは市の先手を打ち、移転先の用地確保や宅地造成費削減などの具体策を提案。事業費を大幅に抑えて高台移転に成功した。住民主導の取り組みを追う。(引用は以上)

この放送をまだ見ていないという方は是非この機会に。

2019年9月27日ブログ「舞根地区高台移転」


②日本のチカラ           

二つ目の番組も唐桑関連です。

◎日本のチカラ
ペンターン女子~半島で私らしく生きる!
東北放送(宮城県内)
9月13日(日)午前6:00〜6:30

公益財団民間放送教育協会(民放協)の番組です。東京地区では8月29日にテレビ朝日で放送されましたが、宮城県域では9月13日(日)早朝に東北放送にて。この回は、東北放送制作でしたから、制作局放送という枠なのでしょう。


唐桑

民放協サイトより


民放協サイト/番組紹介

私は先月、テレビ朝日の放送を録画して見たのですが、なかなかよかった。唐桑地区への移住女子に関してはこれまでも様々に紹介されていますが、確かな取材を感じさせるドキュメントでした。

民放協サイトに、この番組の担当ディレクターである東北放送の清野優理さんの〈編集後記〉がありました。その末尾の言葉を引用させてもらいます。

「東日本大震災」と「移住」。ペンターン女子のように、ボランティアをきっかけにその地域の魅力に気づき移住する方もいれば、地元の方が様々な理由から被災を離れ、別の地域へ移住することもあります。そんな中、移住者と地元の人のパワーが化学反応を起こして、新しいものがどんどん生み出されている。それが気仙沼という町なのかなと思います。そんな町のパワーが少しでも伝われば、幸いです。(引用は以上)

番組中では、〈鶴亀食堂〉で忙しく立ち働く、根岸えまさんも紹介されますが、単に明るく元気に働く姿だけでなく、悩みというか迷いを、唐桑の第18一丸(かずまる)佐々木夫一(ささき・ゆういち)さんに相談する場面も。

この番組、先月のテレビ朝日もそうでしたが早朝の放送です。どうぞ予約録画などして是非どうぞ。

テレビ放送紹介は以上です。

気仙沼市では9月9日に、市内小中学校などの爆破や、市役所、駅への引火性ガス散布を9月11日におこなうとの予告がありました。そのため本日11日は、全小中学校が臨時休校となっています。本件の河北新報配信記事はこちら。

いやな話ですね。何事のないようにと願うばかりです。今週はこれにて。

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道の駅「大谷海岸」

気仙沼市本吉町の道の駅「大谷海岸」の新築工事が年内完成を目指して順調に進んでいるとのことです。8月27日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。


道の駅記事
三陸新報8月27日記事の一部イメージ


記事によれば、道の駅「大谷海岸」のプレオープンは来年2月、グランドオープンは3月が予定されているとのことです。

道の駅「大谷海岸」復旧整備事業については、令和1年10月18日の第24回気仙沼市震災復興推進会議資料のなかに計画が示されています。この資料に、2つのイメージが添付されていますので紹介します。事業イメージと施設完成イメージです。


事業イメージ

施設イメージ


資料によれば、震災前の「道の駅」は、震災前のはまなすステーション(物販・飲食施設)、農林水産物直売センター(産直施設)、農林水産物加工センター(加工販売施設)などが別棟でしたが、今回の復旧にあたってはこれを一つの施設として整備します。また、その場所も防潮堤や背後の国道45号線と同じ高さで一体的に整備する背後地に移転します。事業費は、約15億5300万円を見込んでいます。

かなり大きな投資をしての大きな施設です。相当数の集客を目指すかなり攻めた計画といってよいでしょう。

三陸新報の記事によれば、産直・物販スペースは営業中の仮設店舗の約3倍になるため、運営事業者の「道の駅大谷海岸」は「オール気仙沼の豊富な品ぞろえ」をテーマに商品の充実を図るとのことです。なお、駐車場は大型車用8台を含む90台分を確保するそうです。

震災復興推進会議資料には、道の駅「大谷海岸」の「コンセプト・スローガン」が掲げられていました。

いつでも帰れる場所 大谷海岸
〜砂浜を守る想いから始まるまちづくり〜

◎大谷海岸防潮堤

大谷海岸の防潮堤については、昨年1月23日のブログで3枚のイメージパースなども含めて紹介しました。同年1月20日に防潮堤などの復興事業着工式がおこなわれたのです。この防潮堤は県の事業、そして「道の駅」の整備は市の事業となっています。

昨年のブログの末尾を再掲します。

大谷海岸は、高校や大学時代の帰省時に中井殖君(3年8組)とよく行きました。中井茶舗の配達用軽4輪にのせてもらって。それだけに、地元の皆さんの努力で防潮堤計画が見直され、このたびの工事開始となったことをうれしく思っています。2021年夏の大谷海水浴場再開を目指しているとのことです。(再掲内容は以上)

「道の駅」そして防潮堤の工事が無事に進行して完成の日を迎えることを心から願っております。

2018年1月23日ブログ「大谷防潮堤の着工」

 

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tag : 大谷海岸 道の駅

「けせもい展」開催

本日9月9日の三陸新報にちょっと小さなこんな記事が。へたをすると見逃すところでした。


けせもい展
三陸新報9月9日掲載記事


気仙沼・本吉地区高校美術展「けせもい展」が本日9月9日(水)から9月13日(日)までの5日間、リアス・アーク美術館で開催されます。
  
◎けせもい展

会期:9月9日(水)〜13日(日)
会場:リアス・アーク美術館
(気仙沼市赤岩牧沢138-5)
時間:9:30〜17:00(最終日は14時まで)
入場無料

何度も書いていることですが、私は気仙沼高校の美術部に所属していました。そして当時の「けせもい展」は、旧 気仙沼高(男子校)と旧 鼎が浦高(女子校)の2校が合同しての開催。

その後、2005年には両校が統合し男女共学との気仙沼高校になっていますし、けせもい展も気仙沼高校だけでなく、本吉響、志津川、東陵など各校合同での開催となっています。

今回で58回とのことですが、現在の私は68歳。高校生だったのは 50年以上前のことですから、私の経験したけせもい展は始まって間もないころの展覧会だったのですね。

そういえば、ゲーム「気仙沼クエスト」で全国高校生マイプロジェクトアワード/文部大臣賞を受賞した気仙沼広告3年の畠山瑛護(えいご)さんは、たしか気高美術部だと聞いたような。

瑛護さんは、今回のけせもい展に作品を出しているのでしょうか。出展しているとすれば「ドット絵」でしょうか(笑)。

と書いて締めにしようと思っていたのですが、ドット絵をモチーフあるいは手法として、一定の大きさの平面作品にするのは十分にありうる発想なので、(笑)は余計でした(笑)。

もしそうした作品であれば、そのタイトルは「気仙沼クエスト」か「みなとまつり」ですかね。

今回のけせもい展での作品展示数は40点以上と記事にありました。昨年は約100点とのことでしたから、今回は少なめ。なにか、新型コロナウイルスなどとの関係があるのでしょうか。

しかし、なんとか中止になることなく開催されてよかったです。どうぞ皆様、マスクなどして是非おでかけください。

2019年9月13日ブログ「第57回けせもい展」
4月27日ブログ「気仙沼クエスト」
 
 

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tag : けせもい展

学べる復興ガイド

気仙沼市議会議員の今川悟さんが、「海と生きる気仙沼『学べる復興ガイド』」を自費出版したとの記事が、8月19日の三陸新報に掲載されていました。そして4日後の8月23日には朝日新聞宮城県内版の記事も配信されていました。


朝日新聞

朝日新聞8月23日配信記事の一部イメージ



今川さんのホームページでの紹介によれば、この復興ガイドは2014年から2018年まで毎月発表してきた気仙沼復興レポートの総集編で、最新の内容に書き直しているとのことです。

このブログでも何度か紹介することがありましたが、今川悟さんのサイトでの記事は、防潮堤の問題をはじめ、震災後の現状や課題について、詳しく深く伝えてくれます。私は今川さんのメールアドレスを知っていたのですぐに申し込み、間もなく復興ガイドが手元に届きました。

A4判46頁で価格はなんと税込300円。一冊あたりの単価を下げるために2000部の発行としたそうです。結構な部数ですが、少しでも安くして一人でも多くの人に読んで欲しいということでしょう。ご自身も〈実費プラス販売手数料〉での設定としています。実際に手にとって内容を見て、これは本当に実費レベルの値付けだろうと感じました。復興ガイドの裏表紙の価格表示の下には、〈収益が出た場合は増刷費用に充てさせていただきます〉と記されていました。

気仙沼市内での販売は、宮脇書店、昭文堂書店、気仙沼プラザホテル、市役所売店、東日本大震災遺構・伝承館、そして南三陸町ではホテル観洋さんでも販売しているそうです。

また、今川さんに連絡すれば、郵送でも対応するとのこと。送料は1冊250円、2冊以上で370円で、代金は到着後の振込となります。三陸新報および朝日新聞記事に記されていた問い合わせ先は携帯電話090-1883-0108です。

なお、9月4日から25日まで気仙沼市議会定例会が開かれています。今川市議も忙しい時期と思いますのでご承知おきください。

朝日新聞の配信記事のなかに、今川さんと大震災との関わりについてつぎのような記述がありました。

〈今川さんは震災時、地元紙・三陸新報社の記者だった。母文子さん(当時63)が行方不明になった。「復興に直接関与したい」と立候補し2014年4月に初当選、現在2期目だ。〉

なお、朝日新聞の記事でも末尾に書かれていますが、この復興ガイドの全頁が今川さんのホームページにも掲載されています。内容はそこで確認できるわけですが、是非に印刷物を手にとっていただければと。一家に一冊、学べる復興ガイド。どうぞよろしく。

今川さんHP/復興ガイド紹介ページ
 

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萬有流転「小野良」

先週金曜日のブログで、小野良組の創業者である小野寺良助さんについて、気仙沼市史の中にあった良助翁胸像の銘文を紹介しましたが、もうひとつ大変興味深い文章を見つけていました。それは菅野青顔さんによる追悼の文章です。

菅野青顔さんは、気仙沼図書館初代専任館長であったと同時に、三陸新報1面コラム「萬有流転」(ばんゆうるてん)を長く執筆した方としても知られています。私は、もしかすると青顔さんが小野良さんのことを書いているかもしれないと思い、手元にある「菅野青顔の萬有流転」(昭和55年3月 三陸新報社刊)を調べてみたのです。

やはりありました。下巻のP332-333。

萬有流転

「菅野青顔の萬有流転」より


◎1977年2月5日「萬有流転」

これは昭和52(1977)年2月5日三陸新報「萬有流転」の文章です。前半部を引用します。

〈 全国的に知られている大土建屋《小野良組》の創立者小野寺良助翁は病気療養中だったが、3日午前3時45分、急性心不全のため88年の生涯の幕を閉じた。丈夫で居れば本紙(三陸新報)連載「矍鑠」欄を飾る筆頭の人物だったのにと惜しまれるものがある。

小野良翁は青年時代から一方の雄として有名だった。太っ腹で、親分肌で、才腕の美丈夫。これが《小野良》という人物を形成してきた根幹ではなかったか!。こういう男に惚れない女があったら片輪者にきまっている。《小野良》という我等の大先輩は、いわば男ぼれのする男の中の男であった。晩年にいたるまで。あらゆる分野にわたって尽くしてきた数々の功績に就いては、他に語る人が沢山あろうから、余はここに、強いて余の恥をさらすようなことを書いて故人を偲ぶよすがとしたい。〉(後略、引用は以上)

一部、近年は使用が不適当とされる用語もありますが、あえて原文のままとしております。また、三陸新報の連載名「矍鑠」は〈かくしゃく〉ですね。元気なご老人を紹介する記事があったのでしょう。

さて、引用部の続きですが、要約すればつぎのようなことです。

青顔さんが大気新聞の記者だった頃の話。小野良組に3名の暴れん坊がおり、毎晩のようにレストラン「世界」にあらわれてはあらしまわっていた。

ある夜、その3人と渡り合いになった青顔さんらは、勝つには勝った。しかし、青顔さんはコガネ洋服店にて16円50銭で買ったばかりの三つ揃いをワカメのようにされてしまった。

翌日、大気新聞社に訪ねてきた三浦百郎さんと昨夜の乱闘事件について話していると、3人があらわれて、勝負をつけるから決闘の場所を指定しろという。

百郎さんが「やんべ、やんべ」というので、夜の8時と定め、少林寺山の釈迦堂前で待っていったが、相手の3人は姿を見せなかった。

なぜかといえば、この出入りを知った小野良さんが事前に3人を呼んで、決闘を中止させたのだ。小野良さんは、「きさまたちが、たばになってかかっても、あの二人には勝てないぞ、下手をすると殺されるぞ!」と、青顔さんと百郎さんの実力とは逆のことを言ったとのこと。

もし小野良さんがいなかったらどうなっていただろう。いま思ってもゾッとするものがある。といったような話です。


◎昭和初期/気仙沼町の風景

三浦百郎(ひゃくろう)さんは、歌人としても知られた方。気仙沼町総務課長などを経て町教育長や、文化財保護委員会委員長、市史編纂委員長などもつとめた、気仙沼を代表する文化人のおひとりです。

小野寺良助さんは明治22年生まれ。青顔さんは明治36年生まれですから14歳ほど年下です。

青顔さんが大気新聞にいたのは昭和4年から14年/36歳ぐらいまでのことですから、まだまだ若かったころの話です。その青顔さんが、というかあの青顔さんが〈才腕の美丈夫〉〈大先輩〉〈男の中の男〉と評するのですから、その人物像が胸像銘文よりもリアルにうかびあがってきます。

また、こうした良助さんの話を知ると、その子息であった俳優「小野良」こと小野寺良正さんもさぞかしと思えてくるのです。そうでなければ日活の俳優として活躍することもなかったでしょう。

萬有流転文中に登場する〈コガネ洋服店〉や〈世界〉といった店名もなつかしい。現在の〈割烹 世界〉さんは、当時、レストランだったのですね。店主の坂本恪さんは明治23年生まれといいますから、小野良さんのひとつ下。気仙沼の〈風流人〉として知られていた方です。青顔さんは〈オヤジ〉として親しく接していたそうです。

なお、上掲の「菅野青顔の萬有流転」画像の右頁に一部がうつる追悼文には、「摩訶止観」(まかしかん)「竹林無想庵」「辻潤」などの書名、人名が見てとれます。これは、小野寺良助さんと同じ昭和52(1977)年の1月11日に74歳で亡くなった、気仙沼の天台宗別格本山「観音寺」貫主であった鮎貝真観大僧正を追悼するものです。

ずいぶんと話が長くなってしまいました。ここまでしておきましょう。

小野寺良助さんや菅野青顔さんがまだ若く元気だった時代。「萬有流転」の文章のなかに、昭和初期における活気にみちた気仙沼町の空気を感じることができました。その気分を少しでもお伝えしたく。

9月4日ブログ「小野良組100周年」
2016年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」
 

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tag : 小野寺良助 菅野青顔

小野良組100周年

本日も気仙沼市パークゴルフ場についての話です。一昨日は市の記者発表資料からの空撮写真を紹介しましたが、本日は8月29日の三陸新報に掲載された小野良組創立100周年の見開き2ページの広告を。


小野良組
三陸新報8月29日掲載広告より


広告の左上に〈株式会社小野良組 役職員一同〉としての挨拶文が掲載されていました。私はその冒頭部を興味深く読みました。以下に引用します。

〈 「元来私は事業というものは、その地域社会への奉仕であると考えて参りました。吾々が生活をさせていただいているその地域社会への御礼の気持ちがなかったなら、その事業は決して永く反映することが出来ないと存じます。」(創立50周年社内報 初代社長故小野寺良助挨拶より)

この「創業の心」は、大正、昭和、平成と受け継がれ弊社は令和2年8月1日創立100周年を迎えることができました。〉 (後略、引用は以上)


◎創業者 小野寺良助

創業者である小野寺良助さんの言葉は創立50周年のときのものといいますから、50年前1970年のとき。たぶん81歳前後だと思います。

小野寺良助さんはどのような方だったのか。お名前はよく知っていますが、詳しくは知りません。よい機会だと思い調べてみましたら、鹿折(ししおり)地区に縁が深い人でした。

気仙沼市史第8巻 資料編第5節「頌徳碑・墓碑」に、小野寺良助翁顕彰会による小野寺良助胸像に記された銘文の記載がありました。その要旨を私なりにまとめるとつぎのようなことです。

小野寺良助翁は明治22年生まれ。翁は鹿折地区の開発に情熱を注ぎ、耕地整理にあたっては組合長として十数年間にわたり組合員個人の負担を求めることなく取り組んだ。そうして開発されたのが、現在の鹿折の中心ともいうべき本浜町、錦町、新浜町である。

良助翁は次いで全般的建設事業に着目し、株式会社小野良組をつくった。また、在郷軍人分会長、消防組頭などにも推され、大東亜戦争時代には鹿折村長の要職にもついた。しかし、終戦と同時に一切の公職を退き、もっぱら福祉活動と教育施設充実の陰の力となり、極力、表面にたつことを避けた。(後略、銘文要旨は以上)

若干の補足をしておくと、Wikipediaの「鹿折村」記載内容によれば、小野寺良助さんの鹿折村長就任期間は、1944年(昭和19年)2月から1946年(昭和21年)11月。終戦後約1年間の混乱期も村長として尽力したということでしょう。


◎良助翁を継いだ人たち

小野良組2代目社長は良助さんの子息、小野寺信雄さんです。1970年に社長に就任しましたが、1971年宮城県議会議員となったためなのでしょう、この年に同社会長となりました。信雄さんは県議6期中の1991年には県議会議長をつとめています。1993年からは1期4年間、気仙沼市長として市政を担いました。衆議院議員の小野寺五典さんが信雄さんの娘婿であることは皆さんご存じのとおり。

1971年4月に小野良組3代目社長となったのは信雄さんと同じく良助さんの子息、小野寺良正さんです。良正さんが、日活の映画俳優〈小野良〉として活躍したことは、私たちの世代はみな知っているでしょう。俳優「小野良」については、話が長くなるのでまた別の機会にでも。


◎2005年の再建/再生

小野良組は大正9年/1920年8月の創業で、昭和32年/1957年12月に法人化しました。周年事業や社史の仕事において、この「創業」「創立」の使い分けが課題となることがあるのですが、その経験からいえば小野良組さんの場合、通例としては「創業」100周年かなと思います。しかし、50周年のときに「創立」を用いているために「創立100周年」としたのではないかと推測しています。細かな話ですがご参考まで。

私が上記広告の小野寺良助さんの言葉を興味深く思ったことには理由があるのです。それは、現在の小野良組が前述した良助翁の血筋をひく小野寺家をオーナーとする会社ではないからです。

私の同級生世代であれば、2005年に (株)小野良組が民事再生法による再建を図ることになったことをご存じでしょう。負債額は約98億とのことでしたから、地域経済への影響も大きかった。しかし、多くの債権者の協力もあり、ライト工業の支援を得ての再建計画が認可され、いまの小野良組さんにつながっています。現在はライト工業の連結子会社ですし、再建計画の段階で、小野寺家一族は同社の経営からは退いたはずです。

それから15年。今回のパークゴルフ場整備寄贈は、創業者小野寺良助翁の「創業の心」にもそった良き記念事業となったのではないでしょうか。また、広告の挨拶文に「創業の心」を掲げたことで、社内外にその企業精神を伝えるよい機会にもなったことでしょう。

8月29日の広告の挨拶文に記された社名の下に記されているのは、社長のお名前ではなく「役職員一同」。そして広告のパークゴルフ場右下には、その役職員の皆さんでかたちづくったと思われる「100」の数字が。

小野寺良助さんに始まる小野良組100年の歴史をふりかえった後にこの広告をながめると、また違った感慨を覚えます。

ちょっと話が長くなってしまいました。最後になりましたが、小野良組さん100周年のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

小野良組サイト/会社沿革
9月2日ブログ「市パークゴルフ場」
 

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横断橋名の選択肢

三陸沿岸道路の(仮称)気仙沼湾横断橋の正式名称についてのアンケートがおこなわれています。9月1日の三陸新報でも紹介されていました。つぎの画像は、国土交通省仙台河川国道事務所、県、市による記者発表資料から。


アンケート


(仮称)気仙沼湾横断橋は6月21日に両岸からの橋桁がつながり、2020年度末、つまり2021年3月末までには開通予定となっています。

国土交通省仙台河川国道事務所が始めたアンケートは、この橋の正式名称決定にあたっての意見を求めるもの。選択肢は上記画像にもある3案です。

A:気仙沼復興大橋
・大震災からの復興に向けたリーディングプロジェクトの一環として整備された橋梁。
・気仙沼をはじめとする三陸沿岸地域の架け橋、復興のシンボルとして、歴史が後世に伝わる。

B:気仙沼リアス大橋
・気仙沼をはじめとする三陸沿岸地域の代名詞「リアス式海岸」。
・「リアス」は市の施設名や地域PRにも用いられ、親しまれている。

C:気仙沼湾横断橋
・計画時から仮称として用いられ、広く知られている。
・気仙沼湾を横断している、という所在を端的に示している。


三陸新報によれば、アンケートは9月14日まで。その結果を踏まえて、国、県、市による審査、検討を経て9月下旬頃に結果を公表するとのこと。

また、同記事によれば、気仙沼市は、正式名称の決定後に愛称に関するアンケートの実施を予定しているとのことです。この愛称については、上記のアンケートにおいては説明がありません。あくまで国が定める正式名称であって、愛称は地方自治体としての市がおこなうものということでしょう。

しかし、愛称が設定されることを前提にするならば、正式名称の選択は絞られてきますね。私ならばCの「気仙沼湾横断橋」で決まりです。リアスとか復興とか修飾的な語句は必要ないでしょう。

そして、愛称は「気仙沼ベイブリッジ」でよろしいのでは。そうすれば、正式名称も愛称も英文は「Kesennuma Bay Bridge」ひとつですみますしね。わかりやすい。地元での略称、通称は「ベイブリッジ」。

といったようなことで、私はアンケートで「C」を選び、下記のサイトでネット投票をおえております。ほかの案になると、いやなので(笑)。

アンケートはネットのほか、気仙沼市内21カ所のほか県内「道の駅」などにも調査票と回収箱を設定しているとのことです。

みなさまも、つぎのアンケートサイトから、どうぞよろしく。

河川国道事務所/アンケートページ
6月24日ブログ「湾横断橋接続完了」

 

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tag : 気仙沼湾横断橋

市パークゴルフ場

9月1日に、「気仙沼市パークゴルフ場」がグランドオープンし、開場式や始打式がおこなわれました。まずは市の記者発表資料にある全景写真を紹介します。8月1日撮影とのこと。


パークゴルフ場空撮

気仙沼市8月26日付け記者発表資料より


場所は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の隣地。左に見えるのが、震災遺構・伝承館。つまり旧気仙沼向洋高校のグラウンド跡地にパークゴルフ場ができたのです。

かなり大きいですね。公益社団法人日本パークゴルフ協会公認コース36ホール(9ホール×4コース)。コース名は、田束山(たつがねさん)コース、岩井崎コース、徳仙丈コース、巨釜半造(おがまはんぞう)コースとなっています。

このパークゴルフ場は、(株)小野良組さんが創立100周年を記念して地域貢献活動として整備し、市に寄贈されました。8月29日には、小野良組の主催で贈呈式がおこなわれています。

2月12日のブログでも紹介しましたが、この場所は向洋高校の敷地などを含めて県有地でしたが市に譲渡されて今は市有地となっています。震災後は、がれきの焼却処理の拠点ともなり、小野良組さんは、共同企業体の一員としてその作業に加わりました。

そうした経緯があり、がれきの受け入れなど処理事業に協力してくれた階上地区への恩返しをと、小野良組さんが創立100周年事業としてパークゴルフ場の整備を計画したのです。構想を始めてから3年かかったとのこと。

2月12日ブログ「パークゴルフ場」

8月29日の三陸新報に、このパークゴルフ場の空撮写真を使った小野良組創立100周年の見開き2ページの広告が掲載されていました。これについては、日をあらためて紹介することにいたします。パークゴルフ場ご利用の予約など、詳細は下記の公式サイトにて。

気仙沼市パークゴルフ場 公式サイト

 

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「産業まつり」中止

今年の気仙沼みなとまつりは、新型コロナウイルス感染拡大防止のために開催中止となりました。そして、例年であれば10月に開催される「気仙沼市産業まつり」も今年度は中止です。


産業まつり

三陸新報8月25日記事の一部イメージ


8月25日の三陸新報によれば、8月24日の気仙沼市産業まつり実行委員会(会長:菅原市長)でこの中止が決定されたそうです。大震災の2011年以来2度目の中止になるとのこと。開催となれば第36回目となるはずでした。

実行委員会では対策を施しながらの開催を模索したものの、イベント規模も大きいため、来場者の動きを制限するのが困難と判断。安全を確保したうえでの開催は難しいとし、中止することが妥当だとしました。出席した関係団体は中止の判断について「いたしかたない」との意見で一致したそうです。

昨年は10月27日(日)に開催されました。気仙沼市魚市場を会場にして大勢の人が気仙沼の海のもの山のものなど、秋の味覚や様々なイベントを楽しみました。


◎市場で朝めし。

記事に記載はありませんでしたが、産業まつりと同時開催されていた「市場で朝めし。」はどうなるのでしょうか。2013年に初回開催され、昨年で7回目を数える人気イベントです。

産業まつりはなくとも、「市場で朝めし。」だけを魚市場でというのも想像しにくいので、ちょっと難しいですかね。今後、開催についての方針が示されることでしょう。

このほか、商工会議所青年部の皆さんによる協賛イベント「気仙沼七輪広場」などもありました。昨年は「みしおね横丁」でおこなわれましたね。

気仙沼の秋の味覚を楽しむことができる「産業まつり」も今年はお休み。こうした現状を知るにつれ、10月24日に予定されていた私たち気仙沼中学20回生の「古稀祝い」の来年への延期もしかたないね。そんな思いを新たにしております。

なお、昨年10月27日の産業まつりや「市場で朝めし。」については、つぎのブログで紹介しております。

2019年10月23日ブログ「10/27産業まつり」
2018年10月26日ブログ「産業まつりの沿革」

 

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tag : 産業まつり 市場で朝めし

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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