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水上不二の解説板

きのうに続き、気仙沼大島に関する話。大島出身の水上不二についてです。

水上不二(みずかみ ふじ/1904〜1965)は、気仙沼大島出身の詩人・童話作家です。水上不二がその詩文のなかに記した〈みどりの真珠〉という言葉は、いまや大島のキャッチフレーズといってもよいでしょう。

ちょっと前の話題になりますが、1月31日の三陸新報に、水上不二の生涯を伝える解説板が島内に設置されたことを伝える記事が掲載されていました。


1:31水上不二

三陸新報1月31日記事の一部イメージ


この解説板を製作、設置したのは大島の水上不二研究会(菊田榮四郎会長)で、設置場所は亀山中腹、大島神社の裏側にある「海はいのちのみなもと」詩碑(1961年建立)の脇とのことです。

解説板では、水上不二が大島の長崎地区で生まれ、中央文壇での活躍を目指して上京したエピソードや、1930年の処女詩集「私の内在」の刊行、童話童謡雑誌「昆虫列車」創刊、そして母校の大島中学校をはじめ9校の校歌を作詞したことなどを記しているとのこと。

なお、三陸新報の記事では、「(水上不二の)母校の大島中学校」としていますが、これは誤記だと思います。大島中は不二の母校ではありません。

大島中学は昭和22年/1947年4月に大島村立大島中学校として開校しました。開校時に不二は43歳ぐらいのはず。あくまで記事の誤りで解説板の記述に間違いはないと思いますが、念のため記しておきます。

不二の母校は大島中学校ではなく、現在の大島小学校の前身である大島尋常高等小学校だと思います。大島小学校では平成17年/2005年に「水上不二100周年記念事業」をおこないました。同校卒業生としての記念事業だったのでしょう。

母校ではありませんが、水上不二が大島中学の校歌を作詞したことは事実です。昭和32年/1957年4月に制定されました。作曲は著名作曲家芥川也寸志(やすし)さん。小説家 芥川龍之介の息子さんですね。

なお、大島小学校の校歌は、同校サイトによれば水上不二の作詞ではなく、芦田惠之助によるものです。明治30年制定。芦田惠之助は著名な国語教育・作文教育家とのこと。

最後に、解説板わきの詩碑に刻まれている詩文を紹介しておきます。改行は碑文表記にしたがいました。


海はいのちのみなもと
波はいのちのかがやき
大島よ
永遠にみどりの真珠であれ


「緑の真珠」と表記されることも多いようですが、碑文は「みどりの真珠」となっています。また、Wikipediaの「水上不二」の記事に、〈「永遠」は、「とこしえ」と読むと、生前、不二が語っていた記録が残っている〉との記述がありました。その記録の出典は不明ですが、ご参考まで。

きのう紹介した気仙沼大島観光PR映像は、「大島ウェルカムターミナル」内のディスプレーで流されるとのことですが、2017年11月時点での基本計画には、水上不二に関する展示もおこなうなどの案が示されていました。

ウェルカムターミナルは、新型コロナ感染拡大防止のため、5月31日まで休館期間を延長しているそうです。そうしたこともあり、落成を記念してのオープン行事などはさらに先のことになるかもしれませんね。

今後のことになるかもしれませんが、水上不二に関する基本的な情報や詩碑への道案内などはぜひ実現してほしいと願っています。

2014年12月3日ブログ「水上不二 記念詩集」
 
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 水上不二 気仙沼大島

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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