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江戸時代の本町橋

気仙沼の本町(もとまち)から三日町・新町(あらまち)を結ぶ県道途中にある「化粧坂」が道路改良工事によってほぼ直線になると紹介したのは、2月26日のブログ「化粧坂近辺の風景」でした。

そこで紹介したのは三陸新報2月20日の記事ですが、3月2日の同紙論説にも化粧坂に関する記述がありました。見出しは「化粧坂改良 一日も早く難所解消を」。



三陸新報3月1日記事の一部イメージ


論説記事のテーマは、安全第一に、一日も早い工事完了を願うものでしたが、そのなかに旧本町橋に関する記述がありました。

〈化粧坂は、旧本町橋が完成した1934年当時から、勾配や幅員はほとんど変わっていないとされる。戦前生まれの人の中には「子供の頃から変わっていない道路」と語る人は多い〉と。また、県が本町橋の掛け替えに着手したのは2002年。しかし、完成が見えてきた時に東日本大震災があり、供用を開始したのは2013年2月になったそうです。

旧本町橋が完成した1934年/昭和9年はいまから86年前。それ以前はどうなっていたのだろうか。

例によって「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)を調べてみると、1934年/昭和9年8月4日に「本町橋がコンクリート架橋となった」と記されていました。それまで木造だった橋をコンクリート造にしたということでしょう。

そうだとすれば、その木造橋はいつできたのだろう。そう思い文化史年表をさらに調べてみると、享保15年/1730年10月に「本町川に橋をかける」との記載がありました。出典は気仙沼町誌です。本町川は大川のことだと思います。架橋の場所が定かではありませんが、現本町橋近辺と考えるのが自然でしょう。

これは290年前、江戸幕府は8代将軍 徳川吉宗の時代。この年には本居宣長が誕生しています。文化史年表には、2年後の享保17年「鹿折村に藩直営製鉄業開始」との記述もありました。出典は市史第4巻。仙台藩(伊達藩)直営の製鉄所ということなのか。

江戸時代、300年近く前の本町橋はいったいどんな橋だったのか。気仙沼の町から橋をわたった向こう岸、今でいえば田中前、それ以前には〈ごんぼ土手(ごぼう土手)〉の先にはどのような風景がひろがっていたのでしょう。ちょっとのぞいてみたいような気がします。

昨今のコロナ禍、なかなか先が見えません。ここはひとつ、300年前の気仙沼に思いをはせてみるのも一興かと。

2015年4月29日ブログ「五十年前の田中前」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 本町橋

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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