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気高 若松武徳先生

仙台近辺を中心とする同年会「KSS42」(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)の新年会が2月13日に開催されました。会場は銀座ライオン 青葉通り一番町店です。KSS42のサイトですでに紹介されていますので、すでにご存じのかたも多いことでしょう。

今回はとてもなつかしい方がゲストとして招かれていました。気仙沼高校の数学教諭であった若松武徳先生です。私にとっては、気高1年3組のときの担任でしたから大変お世話になり、思い出も多い先生です。

まずは当日のメンバー集合写真から。前列右から2人目が若松先生です。

全員


KSS42のサイトには、同会の会長を2018年2月に小山達朗君(気中3年9組)から引き継いだ吉野信雄君(同3年1組)の文章が掲載されていました。了解を得て引用します。

◎KSS42代表 吉野信雄

お疲れ様です。2月13日の新年会の折は、またまたお世話様でした。

今回は、特別ゲストとして、元・気仙沼高校数学教諭だった若松武徳先生をお招きし、楽しいひと時を過ごすことができました。

みなさん、それぞれの話題で思い出に浸っていたかと思いますが、私からは、いろいろな先生方のお名前を交えながら、公立高校管理運営のこと、私立学校管理運営のこと、仙台育英学園の諸事情などをお話しし、先生からは、気仙沼高校勤務の6年間が、その後の仙台三高・仙台一高・石巻高校など、教員生活全体を通しての礎となったことを教えていただきました。

また、高橋泰君から提供された気仙沼高校当時の生徒会誌「香陵」も、生徒会長だった門馬亨君の記事などがあり、花を添えていただきました。

今回の開催に当たり、若松先生の御快諾はもとよりですが、気仙沼高校以外の出身者の方々にも御同意いただき、一同楽しく過ごさせていただいたことを深謝いたします。

さて、今回も、平野君のおかげで、素敵な写真集をお送りすることができました。感謝です。新年会の盛り上がりを存分にお楽しみください。

それにしても、若松先生はお若いですね。私が独身の安養寺時代に、帰途のバスで再会したことも鮮明に覚えておいででしたし、会の後、lineのやりとりで、若松先生より若く見えるのは女性陣だけだという投稿も、なるほどと思われました。

なお、中学時代の二年間だけの同級生だった伊藤知春君(伊藤英造・元気仙沼高校長の御長男)が、若松先生のご媒酌で結婚され、私も同席させていただきました。今は亡き、知春君を懐かしむ貴重なひと時となりました。

ほんでまず。(引用は以上)


お世話役の平野秀明君(3年3組)から送ってもらった写真のなかにあった吉野君と若松先生のツーショットはこんな感じです。公立高校や私立学校の管理運営における諸課題について互いの意見を交換したあとでしょう(笑)。

吉野君

吉野君の文章中にもありますが、若松先生は気仙沼高校の後に仙台三高、仙台一高、石巻高校などで教鞭をとられたあと、仙台育英学園に招かれています。気仙沼高校のときにも、優秀な先生であるとの評判を聞いておりました。

ネットで調べてみると、仙台育英学園が2003年に設置した中高一貫教育校である秀光中等教育学校の副校長としてのメッセージがありました。そこには「日本一の中高一貫校を目指して」と。若松先生はとても明るく、考え方も前向きでしたから、学校経営や運営においても大いにリーダーシップを発揮されたことでしょう。

その若松先生がこのたび仙台育英学園を完全に退職されたことから、今回の集まりにお招きすることとなったようです。

当日の写真のなかに懐かしい冊子がうつっていました。気仙沼高校の生徒会誌「香陵」。「香陵」とは、気高の所在地旧称「香久留が原」のことだったと思います。生徒会誌「香陵」を手にして、学校教育の現場からみた新時代の教師像を語る泰君と若松先生。左は千葉一夫君(7組)です。

泰君

香陵を持参したのは高橋泰君です。陸前高田からの〈汽車通〉。学力優秀で人望もあり応援団長もつとめました。写真をみると、ハンサムぶりにさらに渋い磨きがかかっていますね。

たしか宮城教育大学を経て仙台で中学校の教員に。震災後2012年にメールでやりとりしたことがあったのですが、そのときは仙台市立五橋(いつつばし)中学の校長をつとめていました。五橋中学といえば、仙台を代表する中学のひとつ。五橋中学から仙台一高、そして東北大学に進んで県庁か東北電力へといったあたりが、仙台の秀才が歩む王道だったと思います。いまはまた事情が変わっているかもしれませんが。

今回は高橋泰君の発案でKSS42に若松先生をお招きできたと聞いています。先生と同じ仙台の教育界にいたので、お互いにその消息を知っていたのでしょう。

気高22回生の卒業アルバムに若松先生はうつっていません。先生が気仙沼高校を去ったのはいつだったのだろう。私が気高2年のときまでいたかどうか。いずれにしても先生が転任することを知ったとき、私をはじめ多くの生徒が残念に思ったことをおぼえています。

そうしたみんなの敬愛を受けた若松先生です。約50年ぶりにお会いすることができた仙台/KSS42の皆さんがうらやましい。私はこの場を借りて、中学生から高校生になったばかりの私に多くのことを教えてくださった若松武徳先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
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テーマ : 気仙沼
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tag : 若松武徳

「渡辺謙と気仙沼」

はじめに連絡があります。3月15日に予定されていた目黒区の東日本大震災復興支援コンサートや関連イベントは開催中止となりました。新型コロナウイルス感染予防・拡散防止のための措置。残念ですが現在の状況を考えればしかたなしと静かに受け止めています。主催者である目黒区芸術文化振興財団(めぐろパーシモンホール) の皆さまや後援している目黒区など関係者の皆さまの苦渋、ご心労、いかばかりかと。

さて本題。本日は、Yahoo!ニュース 特集編集部による2月25日配信記事を紹介します。「復興」の旗が忘れ去られていないかーー震災から9年、渡辺謙と気仙沼。


ヤフーニュース

当記事サイト画面より

Yahoo!ニュース2月25日配信記事

リード文章を引用します。

俳優の渡辺謙(60)は、2013年から宮城県気仙沼市でカフェを経営している。日本にいる時は毎月訪れ、海外滞在中もファクスで直筆メッセージを届ける。東日本大震災直後から、応援の声を集めるウェブサイトを立ち上げ、避難所を回るなど、さまざまな形で復興支援に携わってきた。震災から9年、どんな思いで被災地と関わってきたのか。現在地をどう見ているのか。気仙沼でカフェを切り盛りする渡辺を訪ねた。(引用は以上)

渡辺謙さんと気仙沼の関わりについては、これまでも多くのメディアで紹介されていますが、その中でも充実した内容であると感じます。震災から9年を迎えようとしている現時点での謙さんの思いがよくわかります。そしてそれがありがたい。

なお、記事には多くの写真が配されていますが、これは写真家の野村佐紀子さんによるものです。

既にお読みなっている方も多いでしょうが、念のためのご紹介です。どうぞよろしく。
 

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tag : 渡辺謙

化粧坂近辺の風景

2月20日の三陸新報1面トップ記事。「化粧坂ほぼ直線に」という見出しです。


化粧坂

三陸新報2月20日記事の一部イメージ


あらためて説明するまでもないのですが、気仙沼の化粧坂(けしょうざか)は本町(もとまち)と新町(あらまち)や三日町を結ぶ道路です。記事によれば、県道気仙沼唐桑線の一部。その道路改良工事が始まりました。

記事の写真がわかりやすいですね。下方向が本町や田中前方向、右上部が新町・三日町方向です。大きくカーブしていたのを直線にする計画であることがよくわかります。

気仙沼の人から笑われそうですが、本町橋が新しくなったのに伴い、道路の取り付けも変わっているのですね。写真下部の左側に気仙沼中央交番と記してあるあたりが旧道でしょう。

私が気仙沼高校に通っていたころは、魚町からこの化粧坂を通ってほとんど歩いて通学していました。ですからこの付近の風景をよく覚えています。旧道と新道の間、坂の下には卓球センターがありましたね。また、この写真の左下角のあたりで、菊池福治郎さんが立ち、道行く人に頭を下げていました。

Wikipediaによれば、菊池福治郎さんは1963年に衆院選旧宮城2区に立候補するも、落選。その後も負けても負けても立候補を繰り返し、4回目の落選後は「登米郡の票の伸びが芳しくなかった」と、登米郡の街頭に1年365日毎日立って手を振り、人呼んで「人間地蔵」と評されるまでになったとのこと。

登米郡の街頭だけでなく、本町橋の近くでもということだったのでしょう。しかし、挑戦5回目の1976年(昭和51年)、新自由クラブの公認を得て初当選。その後、離党した同党幹事長・西岡武夫の後を追って離党、自由民主党に移籍し鈴木派に所属。その後、落選も経験しましたが当選7回を果たしました。

菊池福治郎さんは、2004年(平成16年)、心不全により神奈川県逗子市の自宅で死去したとのことです。78歳でした。気仙沼の漁業・水産業の振興に尽くしてくださいました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

話を戻しましょう。この化粧坂の工事ですが、県としては7月までに工事用道路を整備して山の切り土を進め、完了時期ははっきりとしないものの2022年度内には通行可能にしたい考えとのことです。

卓球センターや菊池福治郎さんの記憶もすでに半世紀前のこととなりました。私の知らぬ間に、化粧坂近辺の風景も大きく変わっていきます。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 化粧坂 菊池福治郎

開通式典のお祝い

東日本大震災の復興道路として整備が進められている三陸道(三陸沿岸道路)の気仙沼中央インターチェンジ(IC)〜気仙沼港IC間が2月24日午後3時30分に開通しました。

気仙沼港ICは、仙台方面との行き来、つまり仙台方面から来た車が下道に出たり、逆に市内の通常道路から仙台方面に行く車が入路することができるハーフICです。2月23日の三陸新報によれば、魚市場や水産加工団地からの加工品の輸送はこれまで、気仙沼中央ICが利用されてきたそうです。しかし、気仙沼港ICから三陸道が利用できるようになることで利便性が増すとのこと。なお、気仙沼中央ICは両方向とも利用できるフルICとなりました。

2月23日の三陸新報に掲載されていた三陸道のルート図を紹介します。赤い破線、事業中の区間が減ってきました。

区間図
三陸新報2月23日記事より


開通式典は、24日午前11時30分から気仙沼港IC付近の本線上でおこなわれました。式典に参加した菅原茂気仙沼市長が、ツイッターにその動画を投稿しています。羽田芸能保存会の皆さんによる羽田打ばやしと虎舞、そして気仙沼人力車木遣会の皆さんの三本締めです。景気づけに本ブログでも。



関係者の皆さま、おめでとうございました。お祝いを申し上げます。

2019年8月13日ブログ「三陸道開通見通し」

テーマ : 気仙沼
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tag : 三陸道

熊谷健一君の訃報

熊谷健一君(3年2組)が2月21日に亡くなりました。きのう23日の三陸新報に訃報広告が掲載されていました。


訃報熊谷健一君
三陸新報2月23日掲載訃報広告


健一君とは、一緒のクラスになったこともありました。愛称は〈熊健/くまけん〉。

22日に訃報を知らせてくれた同級生によれば、健一君は気仙沼消防署に勤務していたとのこと。すでに退職していたかどうかなど、詳しいことはわかりませんが、もしそうだとすれば、2014年10月16日に亡くなった菊田雄三君(3年8組)の同僚だったのかもしれません。東日本大震災のときにはいろんな苦労もあったことでしょう。訃報広告のなかには〈病気療養中〉とありました。

気中20回生の卒業アルバムを開いてみました。3年2組。健一君の右隣には阿部健樹君がいます。健樹君は2012年12月7日に。

今年10月24日には、気中20回生の古稀祝いが計画されています。元気でいればみんなと顔を合わせることができたでしょうに。残念です。

熊谷健一君の本通夜は本日24日(月)午後2時~6時、葬儀は25日(火)午前11時より。アーバンメモリアルホールにて。

熊谷健一君のご冥福を心からお祈りいたします。

2012年12月10日ブログ「阿部健樹君の訃報」
2014年10月17日ブログ「菊田雄三君の訃報」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 熊谷健一 訃報

千田家住宅の修復

気仙沼市南町の「千田家住宅」の修復工事が本格化しているそうです。2月13日の三陸新報が伝えています。

千田家住宅
三陸新報2月13日記事の一部イメージ


「千田家住宅」の主家は、「昭和の大火」の翌年1930年/昭和5年に建てられたそうです。2016年7月8日ブログ「気仙沼デパート史」で、つぎの写真を紹介しました。


千田家住宅
「千田家住宅」(文化遺産オンラインより)


三陸新報の記事では、この千田家住宅の歴史をつぎのように紹介していました。引用します。

建設資材問屋の「冨貞商店」が建造。戦前に千田家が所有し、ロープの製造販売、タクシー業の後、被災するまではテナントとして利用されていた。(引用は以上)

私が気仙沼小学校に通っていたころは、仙台に本店をもつ百貨店「藤崎」の気仙沼支店がテナントとして入居していました。上記2016年7月のブログはその時の記憶を記したものです。

その「藤崎」がうつる写真も紹介しておきましょう。2014年6月4日ブログ「チリ地震津波写真」で紹介しました。『目で見る気仙沼の歴史』(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載された、〈南町気小校登り口(谷村菓子店)付近〉です。左側が藤崎気仙沼支店/千田家住宅です。


谷村


三陸新報の記事にある「冨貞商店」は、「とみてい商店」と読むのでしょうかね。これは新しい情報です。この千田家住宅の修復をはじめ、気仙沼の歴史文化資源の活用を復興に活かすための活動を展開している一般社団法人気仙沼風待ち復興検討会サイトの千田家住宅の説明文内容と違っていたからです。同サイトでは、「冨貞商店」ではなく、大正から昭和にかけて建設資材問屋を営んでいた「富田商会」が建てたと記しています。

気仙沼風待ち復興検討会サイト

(2/22追記:その後、さらに調べたら、風待ち復興検討会の昨年10月発行のPDF資料(風待ち/まちなか美術館で配布されたものかもしれません)に次の記述がありました。三陸新報での紹介文とほぼ同じですね。〈「建物を建てたのは「冨貞商店」といい、大正から昭和にかけて建設資材問屋を営んでいたそうです。戦前に千田家が所有し、縄やロープの製造販売、タクシー業などを営み、近年はテナントに利用されていました。屋号は「胆沢屋」〉(追記は以上)

気仙沼市史第5巻「産業編(上)」p313に、大正11年の「最新気仙沼案内」に掲載されている主な商店41店が紹介されています。その中に、この「冨貞商店」がありました。ただし、業種は「洋粉、砂糖、乾物」。

この市史記述では、さらにさかのぼって、明治44年10月に冨田本店が発行した『気仙沼案内』に協賛広告を掲載した地元企業、商店名などを紹介しています。そしてその中に「砂糖掛物麦粉商」として〈冨田貞次郎〉の名がありました。業種は「洋粉、水飴、菓子種」。冨田貞次郎の頭文字をとっての「冨貞」商店と推測したのですが当たっているかどうか。〈さだじろう〉であれば〈とみてい〉ではなく〈とみさだ〉か。

三陸新報の記事によれば、今回の「千田家住宅」修復は1階部分が中心で基礎改修、外壁補修、耐震補強をおこなうそうです。外壁は、被災前の着色状態ではなく、創建当時の「モルタル洗い出し仕上げ」で復元されるそうです。この仕上げこそが、私の記憶にある藤崎の外壁でしょう。

風待ち復興検討会のサイトやニューズレターを参照すると、この千田家住宅修復の第1期工事は、昨年11月29日に着工しました。男山本店店舗の修復と同様に、本年2021年春の完成を目指しているそうです。

風待ち復興検討会の皆さまが修復に取り組んでいる気仙沼の歴史的建造物のそれぞれは、私にとって気仙沼で育ったころの記憶と重なり合うとてもなつかしい建物です。それは私だけでなく、気仙沼の街の記憶として大きな価値をもつものでしょう。

この千田家住宅を建てたのが冨田商会なのか冨貞商店なのか。それはいずれ明らかになること。それはそれとして、この修復第1期工事の無事の完工を願っております。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 千田家住宅 風待ち復興検討会

メモリアルイベント

3月11日が近づいてきましたね。本日紹介するのは、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の「3.11メモリアルイベント」です。

気仙沼市の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」掲載の案内チラシを紹介します。



memorial-202003-u.jpg


震災遺構・伝承館は、昨年/2019年3月10日に開館しました。気仙沼向洋高校旧校舎を震災遺構としての施設です。昨年の3月11日前後には、テレビなどでこの震災遺構の紹介映像をたくさん目にしました。あれからもう一年たつのですね。

イベント内容の詳細は、「気仙沼さ来てけらいん」に詳しく紹介されていますので、こちらをご覧ください。

同サイトのイベント案内文を引用します。

東日本大震災から9年。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館もオープンから1年を迎えます。この3月、東日本大震災遺構・伝承館では「3.11メモリアルイベント」を行ないます。月を通し、様々な催しを企画しておりますので、是非ご来館ください。お越しになられた皆様に東日本大震災を振り返ると共に災害への備えについてもう一度考えていただく機会となることを願っております。(引用は以上)

私も含め、気仙沼を離れて暮らしている人はなかなか訪問も難しいのですが、震災から9年を迎えるにあたってこうした催しが現地でおこなわれるということをお知らせしたく。

メモリアルイベント。記念イベントといった意味で広く使われる言葉ですが、気仙沼の人にとっては、震災の記憶を広く伝え、伝承するためのイベントになることでしょう。

気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 公式サイト
2019年3月13日ブログ「震災遺構・伝承館」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 東日本大震災遺構・伝承館

クルーズ船乗船中

本日はクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」の話。

私は、同船乗客のひとり「ダイヤモンドプリンセス乗船中」さんのツイッターアカウントをフォローしています。この方のお歳など詳しいことはわかりませんが、私はそのツイート/投稿内容がいつも前向きなことに驚いています。

とても大変な状況であると思うのですが、クルーの方々などにより手配される食事や、多くの企業のご厚意で提供される差し入れなどに対しての感謝の言葉など、いつも感心させられます。

本日紹介するのは2月15日午後3時ごろのツイートです。




「新聞が届きました」という短いメッセージの下の画像に驚きました。これは朝日新聞の土曜日別冊版「be」なのですが、そのトップ記事「フロントランナー」に、気仙沼の高橋和江さんがうつっていたからです。たかはしきもの工房代表。気仙沼漁師カレンダーや出船送りをはじめとする活動を展開している女性たちのグループ「気仙沼つばき会」の会長でもあります。

上の写真では隠れていますが、見出しは「着物の未来 肌着で切り拓く」。中央の高橋さんを囲む皆さんは〈自社工場でのものづくりを支える従業員たち〉とのこと。

頁をめくって左側の3面に記事の続きが掲載されています。イメージだけお伝えしておきましょう。見出しは「伝統も時代にあった変化をしてこそ」。


朝日新聞

朝日新聞2月15日「be」P3の一部イメージ


記事によれば、高橋和江さんは23歳で気仙沼に戻りお母様の店を手伝います。2009年春にはその後を継ぎ、有限会社たかはし社長になりましたが、家業を受け継ぎ店を改装して10か月後に東日本大震災。商品は全滅。

しかし、2013年には震災で閉鎖することになった地元の縫製工場を職人さんとともに引き取り自社工場としました。そして震災で抱えた4千万円の赤字を4年で返上したそうです。この後には、商品の初期不良で商品200枚がリコールとなった話などが続きますが略します。

朝日新聞「be」のこの記事は、同じく乗船中の多くの方が読んでくれたことでしょう。苦況をのりこえたこの高橋和江さんの話が少しでも力になってくれたならばよいのですが。

「ダイヤモンドプリンセス乗船中」さんから、元気に下船したという報告ツイートが届くことを願っているところです。


2/22追記:「ダイヤモンドプリンセス乗船中」さんは2月21日に無事下船されました。家族と相談し現在は別荘でひとり、自主的な隔離生活をおくっています。2月21日付けのブログ「応援して下さった全ての皆さまへ。」にはつぎの記述がありました。

「この検疫期間を乗り越えられたのは、間違いなく皆さまのお陰です。人生で最高に最悪の体験でしたが、人の優しさ、温かさ、思いやりに触れる事の出来た、最高に幸せな時間でもありました」(引用は以上)

同じような環境におかれたとき、この方(女性であるようです)と同じような心境でありたいとは思うのですが、ちょと自信がありません。しかし〈かくありたい〉と強く感じています。
 

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ワカメの季節到来

気仙沼市の菅原市長がツイッター投稿をはじめたのは昨年10月1日のことでした。そしてこれまで毎日、時には複数の投稿を休むことなく続けています。忙しいなか大変だと思うのですが、話題も市の行政的な内容から季節の話題などバランスがとてもいい。

自分で撮影したと思われる写真もなかなかのものですが、最近は動画の投稿も始まりました。本日はふたつの動画投稿を紹介します。

まずは2月14日の投稿から。海藻の松藻(まつも)を紹介しています。


ふたつめは2月15日の投稿。今度はメカブ。ワカメのいわば「根っこ」にあたる部分です。


菅原市長も書いていますが、これを好みの大きさに刻んで食べたり、しゃぶしゃぶにしたり。おいしいですよね。大好きです。東京でもスーパーなどで手にはいりますが、あの濃い茶色のメカブがゆでるとこんなに鮮やかな緑になることを知らない人も多いかもしれません。

気仙沼では、養殖ワカメの収穫が最盛期を迎えているとのことです。ヤフーニュースが2月13日に配信した東日本放送テレビニュースでも、そのボイル作業などが紹介されています。そのなかに、階上(はしかみ)のワカメ生産者/藤田商店の藤田純一さんの姿がありました。

藤田さん
東日本放送テレビニュース画面より


今年のワカメの生育状況を聞かれての答だと思うのですが、藤田さんは「例年よりほんとにあの〜色つやもよくて、やっといまおがりについてきたんで、これがらほんとに期待しています」と。

「やっと今おがりについてきた」。「おがってきた」ではなく「おがりにつく」。気仙沼のワカメ生産者にとっての専門用語/テクニカルタームですかね。ニュース画面の字幕では(育ってきた)と。

久しぶりに藤田純一さんの元気な様子に触れて、気仙沼のワカメシーズンの到来を感じることができました(笑)。

2019年1月16日ブログ「ワカメの藤田さん」
 

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勝浦のおもてなし

国内での新型コロナウイルス感染問題については、連日さまざまな報道がなされています。ここ数日の報道をみると、局面が大きく変わってきたような印象ですね。そんな、なんというか落ち着かない日が続いていますが、2月15日(土)の三陸新報にこんな記事が掲載されました。


記者席
三陸新報2月15日記事より


同紙の記者によるコラム記事「記者席」です。

中国・武漢市から帰国し、千葉県勝浦市のホテルに滞在していた人たちを、勝浦市民が温かく見送ったことについて記しています。後半を引用させてもらいます。改行は省略。

〈勝浦といえば、生鮮カツオの水揚げで毎年、気仙沼と日本一を争っているライバル同士だ。受け入れたホテルの英断もさることながら、同じく一本釣り船を迎える港町として、「おもてなしの精神」が地域に根付いていることを感じさせた。心から拍手を送りたい。〉(引用は以上)

記事の末尾に筆者として(一)と記してありました。なにも付け加えることがありません。まさに同感。心からの拍手を送ります。
 

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tag : 勝浦 コロナウイルス

気仙沼駅の開業日

2月11日のブログで、JR気仙沼線の開通から今年で63周年を迎えたと記しました。ここで問題です。気仙沼駅ができたのはいつのことでしょうか。はじめに答を書いておきましょう。気仙沼駅は昨年/2019年に開業90周年を迎えました。

昨年10月13日の三陸新報で、「鉄道の日」10月14日におこなわれるJR気仙沼駅開業90周年イベントが紹介されていました。記事では、気仙沼駅の開業について次のように記しています。

気仙沼駅は、大船渡線(一ノ関~盛間)の延伸に伴い、太平洋戦争前の1929(昭和4)年7月に開業した。当時の住民は悲願の鉄路開通を喜び、町の発展に期待した。大船渡線の全線開通を経て、1957(昭和32)年には気仙沼線(気仙沼~本吉)も開業。前谷地までの全線開通は1977(昭和52)年で、仙台圏が近くなったことにより、大船渡線と合わせて人口交流が一層盛んになっている。(引用は以上)

◎目で見る気仙沼の歴史

たしか、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に、気仙沼駅の開業当時の写真が掲載されていたはずと思い探してみました。ありました。これです。


開通式

『目で見る気仙沼の歴史』より(P148・149)


説明文を引用します。

今の世は自動車優先であるが、大船渡線をしく昭和4年ころは、鉄道は「文化の母」「産業の父」といわれ、大歓迎された。昔から、“鉄道が欲しい”の声は、気仙沼だけでなく、沿線すべての人の願いだった。一の関までの磐仙鉄道(私設)、佐沼方面への登米軽便鉄道、本吉縦貫鉄道案、いろいろ政治、経済問題がからみ大論争となったが、ついに、昭和4年7月31日、気仙沼駅が開通した。大船渡線は、典型的な政治路線で、「なべつる線」と政治の横車がいまだに語られている。(引用は以上)

菅野青顔さんが筆をとったと思われる同書の説明文は、ときに独特の言い回しが気になることがあります。たとえば引用した文章中の「気仙沼駅が開通した」。開通ではなく開業だろうと思ったのですが、調べてみるとそう単純な話ではありませんでした。

◎気仙沼文化史年表

いつも利用させてもらっている「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)につぎの記述があります。

昭和4年6月30日 大船渡線気仙沼駅開業
昭和4年7月31日 大船渡線が気仙沼駅まで開通 町内祝賀で賑わう

ともに出典は「大気新聞」。つまり、気仙沼駅開業は6月30日で、大船渡線が開通したのは7月31日なのですね。三陸新報の記事で気仙沼駅は7月に開業としているのも正確ではないことになりますが、JR東日本/気仙沼駅の発表にしたがうなどしているのでしょう。

◎ウィキペディア

ネットのWikipediaの記述を見てみましょう。

1929年(昭和4年)7月31日:鉄道省大船渡線の駅として開業。

〈鉄道省大船渡線〉だったのですね。なにせ戦前の話。日本国有鉄道の発足は1949年です。

◎気仙沼市史

気仙沼市史にはどう書かれているのか。まずは第4巻「近代現代編」(p398)。〈大船渡線開通〉の項に、〈7月31日、ついに気仙沼駅の開業式が行われた〉との記述がありました。そして第5巻「産業編(上)」(p470)には〈町民待望の気仙沼駅開業は昭和4年7月31日だった〉と。

市史ではWikipediaと同じく7月31日開業としています。どうしよう。困ったなと思ったのですが、市史第5巻に掲載されていた昭和4年7月31日付け〈大船渡線開通の大気新聞記事〉写真に正解と思われる記述がありました。〈本日挙行される鉄道開通式〉との見出しで、催しの予定などが細かく書かれています。

これで「大船渡線7月31日開通」がはっきりしました。すると6月30日の気仙沼駅開業ってなんだという疑問もわいてきます。6月24日には、英国製の蒸気機関車が気仙沼駅に到着していますから、実質的な駅の業務が始まっていたことにまちがいはないのですが。

なんか、ここまで書いてきて、大船渡線気仙沼駅は1929年(昭和4年)7月31日開業でいいような感じがしてきました。「開業」の定義の問題かも。さらには「7月31日、気仙沼駅が開通した」でもいいかとさえ(笑)。

念のため申し上げれば、こうした細かなことを書き連ねるのは、誤記をあげつらうためではありません。歴史的事項の確定というのは本当に難しいということのあくまで一例として。私は企業の歴史/社史関連の仕事をすることもあるのですが、その難しさをいつも痛感しています。そして間違えることも。

なお、市史第5巻で〈町民待望の気仙沼駅開業は昭和4年7月31日だった〉とした第5章執筆者は、上述した「気仙沼文化史年表」の著者でもある荒木英夫さんです。現在の荒木さんだったら、気仙沼駅開業日をどう記すか。ちょっと聞いてみたいような気もします。また、「気仙沼文化史年表」の大船渡線気仙沼駅開業の項の4行上には、「6月18日 菅野青顔 大気新聞の文芸部長となる」とありました。菅野青顔さんが気仙沼市立図書館の館長だった時代に、荒木さんは長く副館長をつとめていたはずです。こうした人と時代の交錯が実に面白い(と思うのは私だけかもしれませんが)。

はじめは、『目で見る気仙沼の歴史』の写真だけを紹介するつもりだったのですが、横道にそれたあげく、気づかなかった落とし穴にはまってしまったようです。このへんで失礼いたします。

なお、この記事のほとんどは昨年10月13日の三陸新報記事を見た後にまとめてあったのですが、紹介の適当なタイミングが見つからずにおりました。そんな中、南気仙沼駅や気仙沼線の話題が登場したので、これ幸いにと。お蔵入りすることなく、日の目をみることができて原稿もよろこんでいることでしょう(笑)。

2月11日ブログ「気仙沼線 63周年」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼駅

「ペンターン女子」

気仙沼市唐桑の〈半島移住女子「ペンターン女子」〉が、復興庁きもいりの「新しい東北」復興・創生顕彰を受賞しました。2月12日の三陸新報が伝えています。

復興創生

三陸新報2月12日記事の一部イメージ


「新しい東北」復興・創生顕彰サイトの選定結果発表にはつぎの写真が紹介されていました。三陸新報の記事でも同じ写真を掲載しています。

サイト写真


唐桑の「ペンターン女子」については、あらためて説明の必要もないと思いますが、その活動内容を三陸新報の記事から引用します。

「ペンターン」とは、半島を意味する「Peninsula」と、移住を意味する「Iターン」を組み合わせた造語。首都圏をはじめ北陸、関西、中国地方などから移住してきた11人で2015年から活動している。

メンバーは、唐桑町内のシェアハウスに住み、会社員、団体職員、市嘱託員などとして働きながら、郷土芸能の松圃虎舞や唐桑浜甚句に参加するなどして〝半島生活〟を堪能。その様子をブログで発信して移住者を呼び込み、仲間の輪を広げている。地元の男性と結婚して子育てしている人もいる。(引用は以上)

顕彰サイトでの活動紹介内容もこの記事と同様ですが、冒頭にはつぎの記述がありました。〈震災のボランティアを通して初めて地域を訪れ、「まちのパワー」を感じて唐桑半島に移住した女性たちが、「ここから何か始めたい」という人たちとともに活動している〉と。

三陸新報の記事では、2月14日に仙台市でおこなわれる顕彰式に代表で出席する根岸えまさんと男乕祐生さんの言葉を紹介しています。「唐桑で暮らしたいという私たちの思いを受け入れてくれた地元の皆さんのおかげで感謝の気持ちでいっぱい。唐桑の皆さんと受賞の喜びを分かちあいたい」。

平成28年度に始まり、今回の令和元年度で4回目となるこの顕彰には147件の応募があり、9件が選定されました。発表そのものは、昨年12月23日だったようです。2月14日に仙台でおこなわれる顕彰式では受賞団体に復興大臣賞として賞状と盾が授与されます。

なお、気仙沼の関係団体がこの顕彰を受けるのは2度目のことだと思います。一昨年、平成29年度には「観光チーム気仙沼」が受賞しています。「しごと場・あそび場 ちょいのぞき」を展開し、3年で6000人超を動員するなどしたことなどが評価されました。これについては、2018年2月22日のブログで紹介しております。ご参考まで。

話を戻します。「ペンターン女子」の皆さま(という言い方でいいのかどうかちょっと迷うところではありますが)、このたびの受賞、おめでとうございます。また、気仙沼のまちづくりをはじめとする様々な活動への協力についても、ありがとうございます。ご苦労もあることとは思いますが、楽しく元気に活動を続けてくださることを願っております。

公式サイト「Pen. turn〜ペンターン女子の休日」
2018年2月22日ブログ「隆市君おめでとう」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ペンターン女子 まるオフィス 唐桑

「パークゴルフ場」

本日紹介するのは、三陸新報の元旦特集記事です。紹介しようと思っているうちに今日はもう2月12日。本当に月日が経つ早さには驚かされます。と、つい弁解がましくなりますが、そんなブログ材料がかなりたまっているのです。こうして紹介しておかないと、また新しい年を迎えそうです。


パークゴルフ場

三陸新報1月1日記事の一部イメージ


旧気仙沼向洋高校の校庭跡地に整備中のパークゴルフ場です。右上にうつっているのが、旧気仙沼向洋高校。現在は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館となっています。

被災した校舎などを含めて県有地でしたが、市に譲渡されて今は市有地。ここに、気仙沼市の建設会社である小野良組さんが創立100周年を記念してコースやクラブハウスなどを整備して市に寄贈します。

このパークゴルフ場整備については、震災遺構に隣接する施設として適当かどうか、そして維持管理費用などを懸念する声もあったように記憶しています。しかし、震災遺構や伝承館の整備について議論してきた岩井崎プロムナードセンター整備検討会議や階上地域まちづくり振興協議会との検討などを経て、受け入れが正式に決まりました。

私はネットにあがっていたパークゴルフ場の計画図などを見てはおりましたが、空撮写真を見たのはこの三陸新報の記事がはじめてでした。もうこんなにできあがっているんだと驚くとともに、地元の皆さんの理解が得られたことにちょっとホッとしたのです。

パークゴルフについて詳しくは知らないのですが、北海道が発祥で、近年は高齢者を中心に愛好者が拡大し、震災後は県内各地でコースがつくられていると記事にありました。

旧気仙沼向洋高校の校庭は、大震災後にはがれきの焼却処理の拠点ともなりました。小野良組さんは、それらの処理事業に共同企業体の一員として加わったそうです。そして創立100周年の節目にあたって地域への恩返しをと、パークゴルフ場整備事業を計画しました。そして、その場所については〈長期にわたってがれきを燃やし続けることに協力してくれた、階上地区に整備したかった〉と。

完成後はうまく活用して、記事の見出しにあるように〈健康、交流、生きがいの場に〉なって欲しいですね。今年9月ごろのオープンを予定しているそうです。そのときにまた詳しく紹介することができるでしょう。本日は、空から見たパークゴルフ場整備状況のご報告ということで。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : パークゴルフ場 小野良組

気仙沼線 63周年

岩手銀行気仙沼支店が本年4月に魚町に戻ってくることを2月7日のブログでご紹介しました。本日紹介するのは、南気仙沼駅が、元の場所に戻ってくるという話。1月23日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。


南気仙沼駅

三陸新報1月23日記事の一部イメージ


震災後、JR気仙沼線は鉄路ではなくBRT/バスでの運行となっています。記事によれば、現在は一般の道路などを走行している松岩~不動の沢間について、旧鉄路を専用道化し3月14日に供用が開始されるそうです。これにより、柳津から気仙沼間の専用道化率は約84%となります。

現在のBRT/南気仙沼の駅というか停車場所はどこにあるのか私にはよくわからないものの、地元の人が長くなじんできた以前の場所に戻るというのは、まずは明るい話題ということだと思います。

ただし、記事には一般道を走って市立病院駅を経由する上り下り合わせて現行14本を6本に減らすとのことで、不便になることもあるのかもしれません。一般道を利用することのメリットというのもあるでしょうし。この辺はなかなか難しいところ。

記事のなかにある「不動の沢」駅の名もなつかしい。気仙沼高校への通学で、化粧坂を下り大川の本町橋をわたって右に折れ真っ直ぐ歩いていくと踏切がありました。その右側が不動の沢駅。汽車通学、つまり「汽車通」の生徒にとっては思い出深いプラットフォームでしょう。汽車とはいっても当時はもちろん蒸気機関車ではなくディーゼル車/気動車です。

69年前、昭和26年/1951年当時の(今でいうところの)不動の沢駅近辺がうつっている写真を紹介しましょう。2015年4月13日のブログでも紹介した『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)掲載写真です。

花見遠足
『目で見る気仙沼の歴史』掲載写真(クリックで拡大)

2015年4月13日ブログ「64年前の花見遠足」

右上の木立の下あたりが不動の沢駅、左方向が南気仙沼駅方向ですが、この当時はまだ駅がありません。国鉄/気仙沼線の気仙沼~本吉間の開通は、気仙沼文化史年表によれば1957年/昭和32年のこと。開通式は2月11日のことでした。私たち気中20回生4~5歳のころ。記憶にない(笑)。

つまり本日2月11日でちょうど63年。鉄路ではなくBRTではありますが、廃線となることなく運行されていることに感謝したいと思います。祝 気仙沼線開通63周年。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼線 不動の沢

畠山美由紀ライブ

気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんの気仙沼でのライブが3月9日におこなわれます。2月7日の美由紀さんスタッフツイートで知りました。

ライブ



◎畠山美由紀 with 小池龍平

日時:3月9日(月)
open 19:00 / start 19:30
チケット:前売 4000円 当日 4500円
*別途ドリンク代が必要となります
会場:気仙沼スローフードマーケット拓イベントスペース
(気仙沼市南町3丁目2-5)
チケット販売店:シャークス (0226-24-5760) ランダーブルー (0226-24-5760) リアルクローゼット (0226-25-7201)
お問い合わせ: 090-7931-0363 (小野寺)


私は、畠山美由紀さんと小池龍平さんのステージを4年前に見ています。2016年2月28日の東京/めぐろパーシモンホールで開催された東日本大震災復興支援コンサートです。

このコンサートでは、美由紀さんと小池さんに織原良次さん(Base)が加わってのトリオでした。小池さんは美由紀さんのボーカルにときおりハーモニーをからませていくのですが、これが絶妙でとてもよかった。

会場のスローフードマーケット拓(ヒラケル)は昨年12月20日にプレオープンしました。イベントスペースは、シアター設備もあるコミュニティホール。80席ですから、とてもいい感じだと思います。

上記のツイートには約1年ぶりの地元でのライブとありました。昨年のライブは、小島大介さん(Guitar)とのユニット「Port of Notes」として3月2日、会場は2018年11月にできたばかりの内湾商業施設ムカエル(迎)の中にあるアンカーコーヒー内湾店でした。

Port of Notes、直訳すれば〈音たちの港〉といったことでしょうか。ただ、notesには音調のほかにパヒュームなどの香り/香調の意味もありますから、音の香りというニュアンスがこめられているのかもしれません。的はずれだったらごめんなさい。

ちょっとひっくりかえしてみましょうか。Notes of Port。港の音。港の香り。

ことし3月9日、内湾近くでのライブ。まさにNotes of Port/美由紀さんと龍平さんによる気仙沼港での心地よい音楽を楽しむことができるでしょう。

素晴らしさ間違いのないこのライブ。どうぞお出かけください。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山美由紀

岩手銀行、魚町へ

七十七銀行気仙沼支店が1月27日に震災前の場所、南町の新店舗で業務を開始しました。そして、今年4月には岩手銀行が魚町に戻ってきます。

昨年12月25日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。現在は古町で営業している岩手銀行が、今年4月に震災前と同じ魚町地内に復旧・移転することを決めたとのことです。


岩手銀行
三陸新報2019年12月25日記事の一部イメージ


記事によれば、岩手銀行気仙沼支店は震災の津波で全壊し、一時的に千厩支店に間借りして営業したそうです。その後、2011年7月に現在地である古町に移転して営業を再開しました。12月から工事に着手し、3月中の完成、4月の営業開始を目指しているとのことです。

この機会に岩手銀行気仙沼支店の沿革をしらべてみたので紹介します。

まずは「気仙沼文化史年表」から。同年表では、気仙沼市史第5巻を出典として、昭和7年/1932年に「岩手殖産銀行支店開店〈市史V〉(昭和35年 岩手銀行となる)」としています。市史巻数表示のVはローマ数字の5です。

そしてその「気仙沼市史」第5巻産業編(上)を調べてみると、岩手銀行気仙沼支店の歴史は、明治30年に気仙沼町字釜の前に設けられた八十八銀行の気仙沼支店にさかのぼります。同支店が昭和13年に陸中銀行と改称し、昭和16年に岩手殖産銀行の支店となりました。その後、昭和33年に旧店舗の隣接地である魚町2丁目1-5に新築移転し、昭和35年には岩手銀行に改称。さらに昭和48年、同所に新店舗を新築したとしています。

困ったなあ。「気仙沼文化史年表」での記述は市史を出典としているわけですが、その市史には岩手殖産銀行の支店となったのは昭和16年としています。なにが正解なのかはわかりませんので、両方の記述を引用しておくにとどめます。

魚町2丁目1-5という住所は、坂本商会や武山米店の向かい側です。私の記憶に残る岩手銀行の正面にはちょっとしたショーウィンドウがあって、ちょっとした展示もおこなわれていました。広野画塾の子どもたちの作品展で私の描いた水彩画も展示されたことがあります。10点ぐらい並べられていたような。

広野画塾は、広野先生が読んでくれる童話などをモチーフにして絵を描くのですが、その時の私の絵は、木を積み重ねた上にお姫様だったかを寝させて火をつけるという残酷なシーン。私は大きな炎を人の形に見たてて描いたのですが、広野先生がほめてくれたことがとてもうれしかったことを覚えています。小学3年生ごろのことだと思います。

1月26日には七十七銀行が南町に。そして4月には岩手銀行が魚町に。魚町・南町の土地区画整理事業の終了は来年度(2020年4月~)内の見込みですが、こうして順次、以前そこにあった銀行が戻ってきてくれることを、地元の人たちもうれしく思っていることでしょう。

2019年4月18日ブログ「七十七銀行 南町へ」
1月27日ブログ 「77」南町店舗開店

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 岩手銀行

五大ニュース2019

紹介するのがちょっと遅くなりましたが、1月30日の三陸新報に、気仙沼市「あなたが選ぶ五大ニュース」の決定内容が紹介されていました。得票ベスト10はつぎのとおり。


5大ニュース
三陸新報1月30日記事より


ニュース候補29項目は、昨年12月30日のブログで紹介しましたが、これに対しての投票が1月10日から22日までおこなわれました。応募総数は2185票だったそうです。

2019年12月30日ブログ「気仙沼の2019年」

三陸新報の記事によれば、1位の「気仙沼大島大橋が開通、大島航路は廃止」が応募総数の約8割を占めたそうです。まあ、この結果にはみんな納得でしょう。ほかの4つにしても、順番はともかくも順当。震災遺構・伝承館の開館よりもNHKのど自慢が上位というのは。ま、それはそれということでしょうか。

さてここで問題です。2018年の「五大ニュース」の第1位はなんだったか覚えているでしょうか。正解は、「大島でクマの目撃情報。大島瀬戸を泳ぐ姿も。市内各地で目撃情報相次ぐ」でした。私はすっかり忘れていました。

そんなトップをはったこともあるクマさんでしたが、昨年2019年のニュース項目「クマの目撃情報相次ぐ。人的被害も」は第8位とランクダウン。この結果に、クマさんは残念がっているのではないでしょうか。今年のクマさんが、ベスト5入りを目指して頑張ったりしないことを願っております(笑)。

2019年2月8日ブログ「五大ニュース2018」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

海を渡る「海神様」

気仙沼版〈なまはげ〉といったほうがわかりやすいかな。「海神様」が今年もおこなわれます。まずは今回のPRポスターから。井坪 美喜乃さんのツイートから拝借しました。




1月29日の三陸新報にも紹介記事が掲載されていました。私が面白いなと思ったのは見出しです。「今年は大島にも〝参上〟」。

三陸記事

三陸新報1月29日記事の一部イメージ


なるほどね。気仙沼大島大橋が、昨年4月7日に開通したことで、海神様も船をつかうことなく、大島に渡ることができるようになりました。

記事によれば、この「海神様」は市民有志でつくる甚六鬼の会(鈴木賢司代表)が1987(昭和62)年から始め、今年で34回目。2月15日当日は、魚町の五十鈴神社で魂入れを行った後、午後1時ごろに神社を出発します。神社での市民や親子の見学も可能とのこと。

訪問を希望する家庭や福祉施設、事業所などの申し込みの締め切りは2月10日(厳守)。問い合わせは、ポスターにも記載がありますが、事務局(小山 090-5235-6641、三浦 090-9533-5429)までとのことです。


「海神様」をおこなっている「甚六鬼の会」の発起人が故 小山隆市君(3年6組)であることは多くの同級生が知るとおり。はじめは3人の仲間ではじめたそうです。それがもう34回を数えるまでになりました。甚六鬼の会、そして協力者、関係者のご努力に敬意を表します。

なお、ポスターの「海神参上」の書は武山櫻子さん(3年9組)によるもの。右下にある「櫻」の雅印がその証しです。訪問先に配る木札への揮毫なども櫻子さんが協力しているはずです。いつもありがとうございます。

今年、大島からも訪問希望があって、海神様が無事に大島大橋をわたることができるようにと願っています。

4年前、30回目の海神様や隆市君のことなどを下記のブログで記しております。

2016年1月18日ブログ「30回目の海神様」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

「福よし」営業再開

1月27日に七十七銀行気仙沼支店が、震災前の所在地、南町に戻ってきたことはすでにお伝えしました。本日は、魚町での店舗営業再開の話題です。

焼き魚などで広く知られる「福よし」さんが、本日2月4日にほぼ元と同じ場所で営業を再開しました。まずは三陸新報に掲載されていた広告から。

全体
三陸新報2月4日掲載広告より


広告の店舗写真の後ろ側にはアーバンのチャペルがうつっていますね。店舗概観も以前と同じようなイメージです。ピロティ構造で1階部分を駐車スペースにしているのは津波など防災も考慮してことでしょう。

広告の左半分には、〈再開にあたり〉という文章が掲載されています。〈福よし 一同〉としてありますが、店主である村上健一さんが記したものでしょう。拡大してみます。


挨拶


2015年に武山櫻子さん(3年9組)が河北書道展の近代詩文の部で「東北放送賞」を受賞しましたが、その書「水平線」の詩文が村上謙一さんの作品であることを知ったときには大変おどろきました。2015年8月24日のブログでも紹介しましたが、再掲します。

題:水平線

決して海を見ていた訳でもない
だからと言って空を見ていた訳でもない
かぎりなく交わることのない空と海
そのあいだに過去と未来が
ぼんやり見えるような気がした水平線

ケンイチの詩  櫻子

福よしの〈大将〉村上健一さんは、魚を焼くだけでなく、詩を書く方でもあることを知っていただきたく、紹介いたしました。

なお本日、福よしさんは漫画「美味しんぼ」で〈世界一の焼き魚〉と紹介されたと記しているツイートをみかけましたが、「美味しんぼ」第86集第3話で紹介されたときには〈日本一の焼き魚〉です。細かな話で申し訳ない。あくまでも念のため(笑)。

福よしさんについては、何度も書いていますが、雑誌「BRUTUS」4月15日号に掲載されたときのブログを紹介しておきましょう。

2018年5月3日ブログ「福よし in BRUTUS」

気仙沼の名店として全国に知られるお店が魚町に戻ってきました。内湾地区復興の歩みのひとつといってよいでしょう。

魚町「福よし」さんの営業再開、おめでとうございます。

(追記)上記の BRUTUS記事が、 同誌のウェブサイトで公開されていました。素晴らしい写真と文章を是非に。

BRUTUS「日本一の焼き魚。」

 

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tag : 福よし 村上健一

けせもい会新年会

東京近辺の気仙沼出身者同年会「けせもい会」の新年会が2月1日(土)にありました。会場はいつもの千葉憲二君(気中3年4組)の店、〈まかない 㐂いち〉銀座本店です。付け加えるまでもありませんが、憲二君は、人気ラーメン店「ちばき屋」各店、「㐂いち」赤坂店、気仙沼「かもめ食堂」なども営んでいます。

まずは会のおわりに撮った記念写真を紹介しましょう。

2019新年会


今回も沢山あつまってくれました21名。気仙沼からは今年も齊藤みゆき(同3年6組)さんが来てくれました。

けせもい会の会長は鈴木徳一君(同3年3組)です。冒頭の挨拶では、体調が思わしくなく参加できなかった同級生らをいたわるとともに、お互いこの一年を健康に過ごしたいものですとの挨拶がありました。みな67~68歳ですからね。一同、同感。

みなよく知ったもの同士の話ですから、なんやかやととりとめもなく。要約すれば、こうして元気に集まれてよかった。来年もそうありたい。そういったところでしょう。

まずは取り急ぎの記念写真の紹介ということで。

会長の鈴木徳一君、そしていつも幹事役をいとわず引き受けてくれている菊田裕美君(1組)、そして今回も会場やおいしい料理でお世話になりました千葉憲二君(4組)にあらためてお礼を申し上げます。いつも本当にありがとうございます。

なお、昨年と一昨年の新年会については、下記のブログにて。2018年のブログでは2012年以降の新年会写真を紹介しております。

2019年新年会
2018年新年会

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : けせもい会

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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