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内海武 君の訃報

気中同級生の訃報です。内海武君(3年5組)が1月30日に亡くなったとのことです。

内海武君訃報
三陸新報1月31日掲載訃報広告


訃報広告には、〈永らく療養中のところ〉とありました。

実は、故 小山隆市君(3年6組)の長男 裕隆さんのブログに、〈父の友人の突然の訃報を聞いた〉とあり、同級生ではないかと心配しておりました。内海君のことかどうか定かではありませんが、武君の自宅も隆市君の以前の自宅も同じ幸町です。ご近所の同級生ということもあり親しくしていたことでしょう。

卒業アルバムの3年5組のクラス写真を見てみると、担任だった杉目俊夫先生の左上に内海武君の元気な姿がありました。震災で亡くなった2人の同級生のひとり、及川保規君も5組だったんですね。熊谷康雄君(2015年8月)、藤村進君(2017年11月)と、このブログでも訃報をお伝えした同級生もならんでいます。杉目先生も、震災時に入院していた病院で2011年3月21日に亡くなっています。

明日2月1日は、東京近辺の同年会「けせもい会」の新年会があります。気中同級生をはじめ多くの仲間が銀座の千葉憲二君(3年4組)のお店「㐂いち」に集まります。そんな矢先の同級生の訃報でした。明日は、武君の思い出話なども出ることでしょう。

内海武君のご冥福を謹んでお祈りいたします。
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 訃報 内海武

市議会特別委員会

きのうに続き、気仙沼市の新庁舎建設地について。本日1月30日の三陸新報が、1面トップに続報を掲載していました。市の決定に対し、市議会特別委員会が距離を置いているというのです。

特別委員会

三陸新報1月30日記事の一部イメージ


きのう1月29日、気仙沼市当局は、市議会新庁舎建設調査特別委員会(村上進委員長)に、新庁舎建設地を市立病院跡地に決めたことを説明しました。

その席上、建設地を市立病院跡地に「決定します」とした発表文書について、委員から「決定事項なのか」との質問があり、菅原市長は「市の方針を決定した。これをベースに基本計画を作る」と述べたそうです。村上委員長は「昨日公表したのは市の決定。議会としては(決定に)至っていない」と語ったとのこと。

市当局は2月に3会場で市民説明会を開いた後、建設地を含む基本構想案を有識者会議にはかり、決定する考えと記事は伝えています。

本日の三陸新報の頁をめくり(といってもデジタル版の購読ですのでパソコン上ですが)最終面を見て驚きました。そこは市による一面(全面)広告となっており、1月28日記者会見資料の全文が掲載されていました。市による広告です。記者会見資料は1月28日付けですが、この広告中の菅原市長名の日付は1月30日となっています。

広告
三陸新報1月30日最終面掲載広告の全体イメージ


こうした広報活動はとても大切ですね。私がきのうのブログで記者会見資料のリンクをはっておいたのも、賛否両論あるテーマの議論にあたっては、正確な情報共有が大切と思ったからです。新聞記事を前提とした議論は往々にして妙な方向に向いてしまうことがあります。市のサイトを見てくださいといっても、見られない人もいるという反論があるでしょう。


市議会の新庁舎建設調査特別委員会の委員構成はどうなっているだろうと思い、市のサイトをみてみました。委員長は記事にもあるとおり村上進さん。副委員長は小野寺修さん。そして委員は「議員全員で構成」とありました。なんのことはない議員24名全員が委員なのですね。

そうであればなおさらのこと、この新庁舎建設地決定については、議会としてもはっきり決めて、決定した理由を市民にしっかり説明してほしいなと思います。そもそも、市議会としてはどのように〈決定に至ろう〉としていたのでしょうか。

そして市長をふくむ市当局にもさらに市民や議会への説明に努力をと。微妙なテーマであるからこそ、そうあって欲しい。東京都民ですが、出身者としてそのように思っています。

記者会見資料のリンクを含むきのうのブログは下記から。

1月29日ブログ「市役所建設発表」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

市役所建設地発表

気仙沼市はきのう1月28日に、新市庁舎の建設地を旧市立病院跡地とすることを発表しました。

私が昨日のお昼ごとにこの発表を知ったのは、菅原市長のつぎのツイートを見てでした。午前中の記者会見での発表後、12:24にツイート投稿したのでしょう。



昨日の建設地発表を本日の三陸新報はつぎのように伝えています。

新庁舎建設

三陸新報1月29日記事の一部イメージ

この建設地については、基本構想策定有識者会議が昨年12月26日に、市立病院跡地が妥当とする提言書を市に提出しています。これに対して八日町の市役所現在地での建て替えを求める声もさまざまな立場からあがっていました。三陸新報の記事から、現在地建て替えを要望する立場からの反応を引用します。

気仙沼商工会議所の菅原昭彦会頭は「市庁舎の位置はまちの骨格・構造を大きく左右するものだが、昨年に市へ提出した要望書でも回答を求めていた、市全体のまちづくりビジョンが示されず残念です。誰もが理解と納得できるビジョン・説明はなく、議論不足の中で時期尚早な決定。今後の進め方次第では、市に対して再考を求めることもあるかもしれません」と。菅原会頭は、昨年12月27日のブログにも記しましたが、市立病院跡地が妥当とする提言書をまとめた有識者会議10名のうちのひとりですから、複雑な立場ですね。

そして「市役所新庁舎の現地建て替えを推進する会」の村上力男さんは、「どんな理由があってもここ(現在地)にと望んできただけに、大変残念です。決定した以上は跡地をいかに活用するか、行政と最善を尽くしたいです。まちの活性化は甘くありません。移転して良かったと思えるような結果にするためにも、これまで以上に力を注入して考えるべきです」と語っています。

このほか三陸新報の記事には、「旧市立病院跡地に気仙沼市役所新庁舎建設を要望する会」の佐藤優会長の〈大変喜んでいます〉とのコメントも紹介されていましたが詳細は略します。ほかにも、階上地区、本吉町、唐桑町の各市民の声がそれぞれ掲載されていました。

市民のさまざまな意見が今後さらに新聞などに掲載されることでしょう。当ブログでの紹介はとりあえずここまでに。

なお、河北新報での関連記事および市の発表資料はつぎのリンクにて。

河北新報1月29日配信記事
1月28日記者会見資料(PDF/全8頁)

有識者会議の答申などについてはつぎのブログに記しております。ご参考まで。

2019年12月27日ブログ「新庁舎建設候補地」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

福寿水産の「会長」

本日1月28日、気仙沼市は、新しい市庁舎の建設地を旧市立病院跡地とすることを発表しました。これについてはまた明日にでも。

さて本日の話題。新聞の広告形式に、定型のスペースに企業名と代表者の名前が記された「名刺広告」があります。なんというか、おつきあいで出稿していますという感じもあって、地元の人はさほど興味をもたないのではないかと思います。しかし、私のように気仙沼をはなれて暮らしていると、三陸新報の名刺広告に興味をひかれることがあります。これまでも何度か紹介してきました。

本年元旦の三陸新報にも目を引く広告がありました。まずは5面下部の広告全体から。


福寿水産
三陸新報1月1日掲載広告より


中段中央の阿部長商店、カネシメイチ、勝倉漁業、足利本店といったならびに、福寿水産の広告が。あれっと思ったのは代表者名です。「代表取締役 臼井祐介」とあります。一昨年あたりにカネシメイチの代表が小山修司君(3年5組)から息子の克郎さんになったのは知っていましたが、福寿水産も社長交代か。そのうち、〈元社長〉の臼井弘君(3年4組)に聞いてみよう。

そう思っているうちに、1月16日。三陸新報の寄付欄につぎのような記事が掲載されていました。

寄付
三陸新報1月16日記事より


気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」へふかひれスープを寄贈したという記事です。これはとてもいい話なので、〈見たよ〉と伝えると同時に社長交代のことも聞いてみようとメールしました。

間もなく弘君から返信があり、それによれば、昨年2019年4月1日に社長交代をおこなったとのこと。しかし、まだ〈代表取締役会長〉役とのこと。そして、〈年賀状の類いは、私の名前も書いておかないと死んだって思われるから二人連名で出してるんだけどね〉と。この〈死んだって思われるから〉というあたりが、臼井弘君のもつ独特の味というかユーモアです。

弘君のメールは 〈いずれにしても一日も早く自由になりたいと思ってる今日この頃なのです〉 と結ばれていました。

気仙沼では家業として事業をおこなっているところが多く、会社をどう引き継いでいくか、つまり事業の承継/継承について多くの人が悩み、苦労しているところでしょう。

1月21日には、気仙沼市とみやぎ産業振興機構による事業承継セミナーがまち・ひと・しごと交流プラザで開催されました。三陸新報によれば、約80人の参加があったとのことです。

そうしたことを念頭に冒頭に紹介した広告をながめてみれば、その背景に事業承継というなかなか大きな課題が透けてみえるというか浮かびあがってくるような気もするのです。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 福寿水産

「77」南町店舗開店

七十七銀行の気仙沼支店が、震災前の場所に新店舗を新築し本日1月27日に業務を開始しました。昨日1月26日の三陸新報に告知広告が掲載されていました。まずは広告の左半分をご紹介。

七十七銀行
三陸新報1月26日掲載広告より


七十七銀行気仙沼支店は長く南町にありましたが、震災の津波で被災したために、三日町1丁目の仮設店舗で営業を再開しました。

新店舗は元の場所とほぼ同じですが、南町は魚町とともに土地区画整理事業の対象地域となっているため、その住所は、「気仙沼年計画事業魚町・南町地区被災市街地 復興土地区画整理事業施行地区内 16街区1画地、2画地」となっています。長い。

そうした移転先住所を含め、広告に右半分には地図も掲載されていました。現在の南町復興の現状を知ることができます。

マップ

七十七銀行が南町に戻るという話は、話は何度か紹介しました。そして昨年4月18日のブログでは、明治43年6月1日に七十七銀行の出張所が八日町に開店して以来の沿革を紹介しました。

2019年4月18日ブログ「七十七銀行 南町へ」

明治43年は1910年。つまり今年、七十七銀行が気仙沼で営業を開始してから110周年となるのです。同行が長く気仙沼の地域経済を支える存在であったことはあらためて言うまでもないことですが、一世紀をこえる営業というのはすごいことですね。

七十七銀行さん気仙沼支店の南町店舗新築移転、おめでとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 七十七銀行

EMMAラジオ出演

まずは昨日のブログの後日談から。

昨夜、帰宅後にBSテレ東「なんでも鑑定団」再放送を録画でみました。しかし、その内容は2019年10月22日の再放送。がっくり。てっきり2日前の地デジ番組が再放送されるもの思っておりました。誤情報となってしまい申し訳ありません。

そんなことで、見るのを我慢していた番組サイトの「OPEN THE PRICE」をクリックしました。はたして生島隆さんのお宝「千宗旦の茶杓」の鑑定額は。

なんと中島誠之助さんの評価額は500万円。いやはや、茶道具そして茶の世界の深さ、というようりは恐ろしさをあらためて感じました。

さて本題。1月22日のお昼前、吉田(岩渕)惠子さん(3年8組)からLINEの着信がありました。仕事場に向かう電車のなかだったので、到着後に連絡してみました。惠子さんは、気仙沼出身のDJ EMMA(エンマ)さんラジオ出演情報を教えてくれようとしていたのです。

惠子さんが前日21日の夜にNHK FMのMISIA(ミーシャ)さんの番組を聴いていたら、来週のゲストがDJ EMMAさんだと語っていたらしい。早速しらべてみたらつぎの情報がありました。


番組サイトより

◎MISIA「星空のラジオ」
NHK-FMラジオ
1月28日(火)23:00~23:50

番組サイトにMISIAさんのメッセージが。

「次回は、2020年1月28日(火)のオンエアです。第70回NHK紅白歌合戦にも一緒に出演してくださったDJ EMMAさんと共に、紅白の裏舞台(注:舞台裏ではなく裏舞台となっていました。ミュージシャン言葉としてひっくりかえすのかもしれません/笑)のお話などをお届けします。お聴き逃しなく♪」

同じくサイトにはMISIAさんのプロフィールがつぎのように紹介されていました。

7月7日長崎県生まれ。1998年に「つつみ込むように…」でデビュー。その小さな体から発する5オクターブの音域を誇る圧倒的な歌唱力とジャンルを問わない表現力を持ち、「Queen of Soul」と呼ばれる日本を代表する女性歌手。日本国内にとどまらず、その歌声はASIAを越え世界でも賞賛の声を浴びる。また、デビュー15周年にはのべ77本のロングツアーを成功させる等、卓越したライヴパフォーマンスにも定評がある。

2012年の「第63回NHK紅白歌合戦」では、ナミビアの砂漠から「Everything」「明日へ」の代表曲2曲を熱唱し、日本を沸かせた。

音楽活動以外にも、国連より「生物多様性条約第10回締約国会議・名誉大使」に任命、第五回アフリカ開発会議(TICAD V)のJICA-TICAD Vではオフィシャルサポーターに就任する等、世界規模の社会貢献活動にも熱心に取り組んでいる。(引用は以上)

吉田ミュージックセンターの〈ぶっちゃん〉惠子さんとは気中3年8組ばかりか、気仙沼小学校1・2年8組の同級生。そんなことで、EMMAさんの話の後はなんやかやと。お互い今年も元気に楽しく過ごしましょうと長い話をおえました。

1月28日の「Queen of Soul」と「King of House」の話。EMMAさんはどんな声で紅白の舞台裏話を語るのでしょうか。お聴き逃しなく♪

なお、DJ EMMAさんについての詳しい話はつぎのブログにて。

1月8日ブログ「紅白のEMMAさん」
1月9日ブログ 気仙沼人「EMMA」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : MISIA EMMA

「なんでも鑑定団」

1月21日のテレビ東京「なんでも鑑定団」に、気仙沼出身の生島隆さんが出演することは知っていたのですが、すっかり忘れて見逃してしまいました。しかし、BSテレ東での放送が本日1月23日(木)19:55からあるので、これを見ようと思っています。気仙沼でも同じ日、1月21日に東日本放送で放送されたはず。

生島隆さんが鑑定を依頼した品はこちら。「千宗旦(せんのそうたん)の茶杓(ちゃしゃく)」です。


番組サイトより


番組サイトから生島隆さんのプロフィールと、この品のエピソードを引用します。

芸能事務所生島企画室社長。兄はフリーアナウンサーの生島ヒロシ、弟はスポーツライターの生島淳。元々は会計事務所で働いていたが、1989年兄がTBSを退社し独立した際、1年でいいから手伝って欲しいと頼まれ2人で事務所を興した。以来31年、今やアナウンサー、役者、文化人など約80名のタレントが所属する大手事務所に成長した。中でも優木まおみは自分が考えたキャッチフレーズ「エロかしこい」で大ブレーク。

お宝は一昨年事務所創立30年の記念に知人の社長がくれたもの。その方は大の骨董好きで馴染みの店で手に入れたらしい。しかしよく聞くと元の値段は100万円だった所を交渉の末50万円で買ったというのでちょっと怪しい気もする。(引用は以上)

本人評価額は100万円です。鑑定士は中島誠之助さん。中島さんの養父(伯父さん)が、特に茶道具の世界でよく知られていた骨董商だったこともあり、誠之助さんのこの分野での鑑定/目利きにも定評があります。

なお、この茶杓のエピソード中にもある事務所創立30周年については、つぎのブログにて。週刊文春や週刊新潮に紹介された記念パーティーの様子を紹介しております。

2019年1月23日ブログ「生島企画室30周年」

昨年9月3日放送のこの番組に気仙沼の方が出演したことがあります。古伊万里染付大皿。本人評価額は200万円でしたが中島誠之助さんの鑑定額は1万円でした。気仙沼ではよく知られている方ですが、なんというかこの結果にさぞかしがっかりしたことでしょう。その方のお名前を記すのは控えます。

話はもどって「千宗旦の茶杓」。はたして鑑定額はいかに。私は本物とみた。評価額は200万。だってさあ、頂き物だもの。隆さんはこれが〈結構なもの〉と知っていると思います。

結果がどうでるか、放送が終わっているのでサイトで鑑定額がわかるのですが、これは見ずに今夜の放送を楽しみにしています。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : なんでも鑑定団 生島隆

気仙沼婚活PARTY

本日は、1月16日の三陸新報に掲載された広告を紹介します。

婚活パーティー
三陸新報1月16日掲載広告(クリックで拡大)


2月23日に開催される婚活パーティーのご案内です。問い合わせ先に「気仙沼市震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室」とありましたが、主催団体としての表示ではなかったので、念のためにメールで確認いたしました。すぐに返信があり、主催は「気仙沼市震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室」とのことです。

この種の催しは民間でもおこなわれていますが、市が主催する婚活PARTYということで安心感を覚える方も多いことでしょう。

講師は吉井奈々さん。広告にあった講師紹介などを以下に。

◎婚活パーティー

●講師紹介/吉井奈々さん

一般社団法人JCMA代表理事/コミュニケーションYouTuber。元男性でありながら、女性として結婚をして幸せを手に入れる。10代から水商売・ショービジネスの経営にも携わり、結婚を機に水商売を卒業し、現在はコミュニケーション講師として活躍する。また、筑波大学や早稲田大学を始めとする数々の有名大学でも教鞭をとる。

●詳細・お申し込み

日時:2月23日(日)15:00~17:00(開場14;15)
会場:はまなす海洋館
 気仙沼市本吉町九多丸1
対象:45歳までの独身の方 定員:男女各15名
参加費:男性1000円、女性500円
お申し込み:お名前・性別・年齢・電話番号を明記の上、下記お問い合わせ先へ電話またはメールにてお申し込みください
問い合わせ先:気仙沼市震災復興・企画課けせんぬま創生戦略室(気仙沼市八日町1-1-1)
電話/0226-22-6600(内線316)・メール/ kikaku@kesennuma.miyagi.jp

婚活パーティーに参加される男性はこちらのスキルアップ講座も併せてご参加くださいとのことです。参加はパーティー参加者に限ったことではないと思います。

◎男性のためのスキルアップ講座

日時:1月26日(日)14:00~16:00
会場:市民福祉センター やすらぎ
 気仙沼市錦町1-2-1
対象:45歳までの独身の方
参加費:無料
お申し込みは上記の婚活パーティーと同じです。


なお、気仙沼市には、若い世代の結婚、出産、子育ての希望をかなえるため、民間団体等が実施する「婚活事業」を支援する補助金制度があります。関心のある方は、気仙沼市サイトのつぎのページをご覧ください。

気仙沼市婚活支援事業補助金

今回の婚活パーティーの参加対象年齢は45歳まで。私たち気中20回生は67~68歳なので対象外ですが、お子さんやお孫さんならば話は別。気にかけている方がいらっしゃれば、こんな催しがあるよと声をかけてみるのもよいかもしれません。どうぞよろしく。

(追記)
本日1月22日の三陸新報にこの婚活パーティーの紹介記事が掲載されていました。それによれば、男性は申し込みが定員に達したため受け付けを締め切ったとのこと。女性についてはまだ余裕があるそうです。
 

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tag : 婚活パーティー

1958の気中校舎

2015年8月に熊谷康雄君(3年5組)の訃報をブログでお伝えしました。それに対して、康雄君の甥っ子にあたる方から、お礼のコメント投稿をいただきました。康雄君には〈小さな頃からたくさん可愛がってもらいました〉とのこと。

その方〈仙台の吉田さん〉にはその後もいろいろとお世話になっています。気仙沼の街の地図情報などもそのひとつ。先日は、〈幡野木材店〉があった八日町の地図を送ってくれました。また幡野木材は、河原田の坂を下ったところ/河北ビル/現在の中央公民館の場所にもあり、その近辺の地図も。それを見て、当時のあの近辺の風景を思い出すことができました。

その吉田さんが昨年末に送ってくれたのが気仙沼中学の卒業アルバムにうつる気中校舎の写真です。お祖父さんの一番下の弟さんのものだとか。康雄君にとっては叔父さんにあたる方。1959年/昭和34年3月卒業ということなので、私たち気中20回生より8年先輩です。気中12回生。吉田さんは、このアルバムを津波が来た南郷の叔父さん宅2階から見つけたと。

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気仙沼中学 昭和34年3月卒業アルバムより


いやあこれは本当になつかしい。校舎のツートーンカラーも。しかし、校庭はまだ造成中という感じもしますし、私たちのころにはあった校舎と校庭の間をつなぐ3〜4段の階段もまだありません。あの階段は、校庭でおこなわれる試合の良き応援席でした。

そしてなによりも思い出深いのが左側にうつる丘というか小山みたいなところ。私たちが在学していたころにもありましたし、たしか登ることができたように思います。そこからはどんな風景が見えたんだろう。

しかしこの気仙沼中学の校舎はいつできたのか。そう思い、手元にある「創立50周年記念誌」(平成8年11月発行)という小冊子で調べてみました。

「沿革の概要」からいくつか記述を拾ってみましょう。写真にうつる校舎は「西校舎」と呼んだらしい。

昭和28年5月29日
 西校舎建築工事着工
昭和28年12月9日
 西校舎建築竣工
昭和32年10月5日
 第1期校庭整地工事着工
昭和33年5月15日
 第1期校庭整地工事竣工
昭和34年4月12日
 校庭造成工事着工

末尾の校庭造成工事着工の竣工/完了の記述はありませんでしたが、卒業アルバムにうつる校庭は、第1期校庭整地工事後の風景ということですね。卒業年の前年昭和33年/1958年の校舎や校庭の写真といってよいでしょう。

写真に手書きの文字があります。右から〈室根山〉〈手長山〉そして〈亀山〉。はじめの2つはたぶん正しいのでしょうが、大島の亀山は方向が違います。ということは、写真の土がむき出しになっている小山を〈亀山〉と呼んでいたのでしょうか。通称〈かめこやま〉とか(笑)。

そんなこんな、細かなことがみな中学生のころの記憶を掘り返してくれて、とても楽しい。

私にとっては、写真にうつる雑草というか緑色の植物までもとてもがなつかしく思えるのです。みんなで並んで雑草とりをしたこともあったようななかったような。仙台の吉田さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

2015年8月17日ブログ「熊谷康雄君の訃報」
 

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tag : 気仙沼中学校

2019水揚げランク

1月18日の三陸新報1面のトップ記事は、気仙沼魚市場の2019年魚種別水揚げランキングについてでした。


水揚げ記事

三陸新報1月18日記事の一部イメージ


この水揚げ実績については毎年紹介されると思うのですが、サンマの不漁やカツオ初水揚げの遅れなどが念頭にあったためか、妙に気になりました。

2019年の水揚げランキングについて、記事のリード文を引用させてもらいます。〈首位は数量、金額ともにカツオで、数量は5年連続、金額は23年連続でトップ。数量では、歴史的不漁に見舞われたサンマが前年2位から5位と順位を大きく下げる一方、近年漁獲量を伸ばしているサバが2位、イワシは3位に上昇。魚市場の水揚げを支えた〉とのことです。

記事には魚種別水揚高トップ20の表が掲載されていました。


数表
三陸新報1月18日記事より


この表にある魚種が、気仙沼の魚市場に水揚げされる主要なサカナということになりますね。ながめているとなかなかに面白い。

「バチ・ダルマ」とひとくくりにされている魚種があります。「バチ」は「メバチ」いわゆるメバチマグロかな。そして若い小型のメバチが「ダルマ」だと思います。違っていたら教えてください。

この表を見ていると、ポップミュージックのランキングを連想します。たとえば米国ビルボード誌のHOT100とか。上昇期待曲は〈赤丸付き〉です。そんな感じで、気仙沼魚市場2019/TOP20をながめると、赤丸付きはサバそしてイワシ(笑)。

私の好きなアナゴは数量のトップ20には登場しませんが、金額では18位。数量や重量当たりの単価が高い。美味しさ/人気が価格に反映されているということでしょうか。同じく好物のタコも、数量 19位、金額17位となかなか頑張っています。

そしてオキアミの一種イサダが数量で7位、金額で13位とこれもかなりのもの。イサダ漁は春を告げる漁として気仙沼の季節の話題に必ず登場します。2月末から3月はじめにかけてかな。

気仙沼の冬、寒さの本番はこれからですね。イサダ漁が始まるまで、あと1か月半といったところでしょう。
  

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tag : 気仙沼魚市場

震災を詠む 2019

阪神淡路大震災から今日で25年。本日のブログは東日本大震災に関してです。

1月14日、NHK Eテレで「震災を詠む 2019」が放送されました。この放送予定を知ったのが当日で、ツイッターには投稿したものの、このブログでお伝えすることができませんでした。

この番組は、先日の「パプリカ in 気仙沼」と同じく、昨年12月1日にNHK「明日へ in 気仙沼」企画のひとつとして収録されたものです。見逃した方はつぎの再放送をご覧ください。

◎ハートネットTV「震災を詠む 2019」再放送
NHK Eテレ
1月21日(火) 午後1:05 ~1:35

番組サイト

いくつか番組画像を紹介します。まずはオープニング映像。手前は、JR大船渡線鹿折駅、その向こうには第18共徳丸が。

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その画像が現在の鹿折駅前の風景に変わります。鉄道に代わりBRTのターミナルになっています。そしてそこにタイトル「震災を詠む 2019」がオーバーラップします。

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今回、番組に寄せられた短歌はおよそ250首。番組では、気仙沼の後藤善之さん、渡部千鶴子さん、松下尚子さん、安藤明子さんの歌も紹介されました。みな気仙沼小学校の会場にもいらしており、歌の背景などを語っていました。

安藤明子さんは「磯屋水産」安藤竜司さんのお母様です。竜司さんは、同じ日の昼に渡辺謙さんをゲストに迎えた「ごごナマ」のビデオ映像にも登場していましから、親子でのNHK昼夜出演となりました。

後藤善之さんは、「震災を詠む 2017」でもその歌が紹介されています。三陸新報の連載「巨木巡行」の筆者でもあります。

私は、気仙沼高校の1年生、後藤華沙さんの歌が強く印象に残りました。

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わが町の 幼き記憶 薄れゆく
復興ではなく 上書き保存

ゲストの歌人 永田和弘さんも感心していましたが、私も「上書き保存」という言葉にとても感ずるものがありました。下の画面右端が永田さん。2人目が同じくゲスト/選者の生島ヒロシさん、3人目が副島淳さん。左端はキャスターの中野淳さんです。

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なんというか、この現代的な語句「上書き保存」から、パソコンなどで誤って上書き保存してしまったときの喪失感というか、もう元には戻せない絶望感といったものさえ伝わってきます。土地区画整理のためのかさ上げ工事を連想する人もいることでしょう。冒頭の鹿折地区の映像を思い起こします。

気高で取材したと思われる後藤さん。震災当時は小学1年生か2年生です。

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番組のはじめには、生島さんが、河原田あたりから以前に実家の食堂があった港町方面に向かいます。映像にうつる場所はどこがどこやら。あの辺も今はすっかり変わっているのでしょう。

最後に、松下尚子さんの歌を紹介します。松下さんは、震災当時に気仙沼市民会館の館長として避難所運営にあたった方だと思います。

あの店も あの道さえも 無き跡に
街は造られ 復興続く

「震災を詠む 2019」の再放送は、1月21日(火)。是非ご覧ください。

2017年7月12日ブログ「震災を詠む 2017」
 

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恵比寿像引き揚げ

一昨日1月13日に気仙沼市魚町/神明崎(しんめいさき)の恵比寿像が海から引き揚げられました。このニュースは、複数のテレビニュースが取り上げ、ネットでも配信されました。

1月14日の三陸新報の記事はこんな感じ。

三陸
三陸新報1月14日記事の一部イメージ


昨年12月23日のブログでお伝えしたように、浮見堂と遊歩道の整備工事中に海底に横たわる恵比寿像が発見されたのは昨年11月25日のこと。新聞などの報道は12月19日でした。

13日の恵比寿様引き揚げの画像を一番早くネットにあげたのは、誰でしょう。それは菅原茂市長です。自身のツイッターでつぎのように伝えました。


現場にいたのですからニュースが早いのも当然ですね(笑)。ほかには五十鈴神社の神山正志宮司や、気仙沼神明崎三代目恵比寿像建立委員会の臼井賢志委員長/臼福本店会長も引き揚げを見守りました。

なおこのツイートは、本日16日の正午現在で1900件のリツイート、5300件の「いいね」がついており、昨年10月1日に菅原市長がツイッター投稿を開始してから最多の反応がありました。

新聞社やテレビ各局が取材に来てくれたのは、気仙沼市産業部観光課の熱心なプレスリリースによるところも大きかったと思います。昨年12月17日に恵比寿像発見を発表し、本年1月7日には1月14日の引き揚げについての予定と取材場所などの指示がリリースされています。

12月7日のプレスリリースにはつぎの補足説明がありました。参考として引用しておきます。

◎恵比寿像/補足説明

①・初代は昭和7年(1932)に建立されたが、第 2 次世界大戦時の金属回収で国に供出。・二代目は昭和 63 年(1988)に再建されたが、東日本大震災で行方不明となっていた。・恵比寿様は座った姿が一般的であるが、五十鈴神社所有の恵比寿像は、初代・二代目いずれも珍しい「立ち恵比寿」で身長150cm程であった。

②・平成 29 年(2017)11月にサッポロHD上條努会長が来市し、建立委員会へ建立支援金として535 万円を贈呈。・建立委員会は基金を造成し、高名な彫刻家:翁観二氏に製作を依頼。既に完成し保管している。(翁氏は仙台市出身。勾当台公園の横綱谷風像や八木山動物園のベーブ・ルース像等も製作)・三代目も立ち姿で身長は170cm程。・生鮮カツオ水揚げ23年連続日本一が確実な気仙沼に相応しく、釣り上げて胸に抱える魚はカツオとした。

なお、NHKニュースの配信記事はこちら。同局の映像はこちらからが早いでしょう。

流失したと思われていた恵比寿様がしっかりと鯛をかかえた姿のまま海底から戻ってきたという話は、とにかく縁起がいい。後日、お神明さんに安置されるとのことですが、漁業関係者をはじめ多くの人からの人気を集めるのではないでしょうか。大漁や遭難救助の祈願ということで。

最後になりましたが、このたびの恵比寿像発見、そして引き揚げにご協力いただいた五洋建設さんに御礼を。ありがとうございました。

2019年12月23日ブログ「恵比寿像みつかる」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : 恵比寿像 浮見堂

NHK小山靖史さん

はじめに本日1月15日のテレビ番組紹介。午後1時からのNHK総合テレビ「ごごナマ」のゲストは俳優の渡辺謙さんです。話のなかでは〈毎日FAXを送る場所・気仙沼そして東北との関わり〉なども。K-portとの関わりで〈コヤマ菓子店〉小山裕隆さんの映像もちょっとだけでるかも。当日の紹介になりましたが、是非ご覧ください。

ここからが今日の本題。昨年末12月30日のNHK「明日へ つなげよう/ボクらが被災地に住む理由~移住者たちの本音」はご覧になりましたか。とてもよかった。その背景にはふたつの側面があったように思います。

1つは取材する側の問題意識の深さです。短期的な取材ではなく長期にわたって、多面的な課題を表面だけをなぞることなく扱えていたように感じます。

2つ目は、取材回数が増えることによって、取材する側とされる側の距離感がだんだん小さくなり、移住者たちの遠慮のない率直な考えを引き出せていたことです。距離感が小さくなることにはマイナスもあるかもしれませんが、今回はそれが成功していた例かと。

◎小山靖史さんトークセッション

本日紹介するのは、取材した側、つまりNHKのプロデューサー小山靖史(こやまやすし)さんをゲストに迎えてのイベントです。主催は、気仙沼市移住・定住支援センター「MINATO」。多くの人がご存じのようにMINATOの運営を委託されているのは一般社団法人まるオフィスです。つまり、取材された移住者たちですね。


トーク

MINATO公式Facebookより


MINATOの公式Facebookにはつぎの案内文がありました。

2019年12月30日、NHK総合にて「明日へ つなげよう『ボクらが被災地に住む理由~移住者たちの本音~』」という番組が放送されました。その番組では、「気仙沼にはなぜいま移住者が増えているのか?」何を求め、何をしているのか?」。そんな内容が実際の移住者のインタビューを通して描かれていました。

今回は、その番組のさらに先。「今起こっている移住者の増加を、どう気仙沼の未来に繋げていくのか?」そんな話を気仙沼のみなさんと考える会にしたいと思っています。当日は、番組プロデューサーであり自ら現場取材を行った小山靖史氏をお招きし、改めて番組を見ながら、「制作を通して知った移住者の真の姿とは?」「移住者を虜にしている気仙沼の魅力とは?」「地域と移住者とのさらなる良好な関係とは?」などをお話いただく予定です。

【トークイベント概要】

日にち:2020年1月22日(水)
時 間:19:00~21:00
会 場:内湾商業施設「拓(ヒラケル)」内コミュニティホール
(気仙沼市南町3丁目2-5)
ゲスト:NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー小山靖史氏
参加費:無料
定 員:80名
主 催:気仙沼市移住・定住支援センター MINATO
後 援:気仙沼地域開発株式会社

【タイムテーブル】
18:30 開場
19:00 オープニング
19:15 番組視聴
20:00 トークセッション
21:00 クローズ

【お申込み/お問い合わせ】
Facebookのイベントページ参加ボタンか、下記の問い合わせ先に電話にて。

<問い合わせ先>
気仙沼市移住・定住支援センター MINATO(定休日:日・月曜日)
TEL:0226-25-9119


◎小山靖史さんと気仙沼

小山さんはNHKエンタープライズのエグゼクティブ・プロデューサー。NHKエンタープライズは、NHKの番組制作会社です。そして小山さんは多くのプロデューサーを統括する立場のエグゼクティブ・プロデューサーですから、なんというか、制作幹部。その立場ゆえに、気仙沼/唐桑の多くの取材も自由度高くおこなえたのではないかと推測しています。

国連フォーラムのサイトに、2017年2月に小山靖史さんがスピーカーとして参加した勉強会の報告が掲載されていました。テーマは「巨大災害とメディア:日本・海外で<伝える>ために」。そこに、「渡辺謙“僕に、できること”再会 6年目の希望と苦悩」も小山さんが取材したドキュメンタリーであると記されていました。

2012年4月8日放送の第1回目は「世界に震災を伝える」。渡辺謙さんが、2011年11月にニューヨークの被災地支援オークションで朗読した「雨ニモマケズ」や、2012年1月のダボス会議でのスピーチを紹介しています。

4月15日の第2回目は「ただひたすら被災地へ」。このブログでは渡辺謙さんが磯屋水産の安藤竜司さんと防潮堤について語った内容を紹介しました。

2012年4月16日ブログ「安藤さんの言葉」

そして国連フォーラムの報告にある「渡辺謙 “僕に、できること” 再会 6年目の希望と苦悩」は、シリーズの4回目でした。2016年6月12日の放送です。渡辺謙さんを男山本店の社長で気仙沼商工会議所会頭でもある菅原昭彦さんが案内して防潮堤建設現場も巡ります。録画を見ながら謙さんの発言を文字に起こしてつぎのブログで紹介しました。

2016年6月16日ブログ「謙さんの見た堤防」

これらのドキュメントを取材/統括していたのが小山靖史さんだったのでしょう。

私が気仙沼に住んでいれば、小山さんの話を聞けるのになあ。いろいろと聞きたいことがあります。とても残念。どうぞ皆さま、私の代わりにご参加いただければと。会場は、内湾商業施設「拓(ヒラケル)」のコミュニティホールです。このホールがどんな具合になっているのかを確認できるよい機会でもあるでしょう。

22日のトークセッションにはうかがえませんが、気仙沼とこうして継続的に関わってくださっている小山靖史さんに心からの御礼を。本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 

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米津玄師 パプリカ

きのうのブログでは、Foorin(フーリン)の「パプリカ」を紹介しました。本日はこの楽曲を作詞・作曲した米津玄師(よねづけんし)さんのミュージックビデオ(MV)を紹介します。つまりセルフカバー。





いやあ驚いた。このMVが話題になっていることは知っていたのですが、今回はじめてしっかりと聴きました。そして見ました。すばらしい。

私は、2020応援ソングというよりも、2011追悼ソングというか追憶のイメージを強く感じました。懐かしく、そしてなぜか悲しい。

加藤隆(りゅう)さんによるアニメーションの舞台は、漁港というか漁師町でしょうかね。冒頭の港は、昔の(私が生まれる前の)気仙沼のイメージといってもそんなに無理はないでしょう。唐桑の人にとっては鮪立(しびたち)とか。その後に登場するY字路は私にとって、鹿折から魚町の坂口方面に向かうところに思えます。右の坂をのぼっていけば今はなきホテル望洋があり、さらに行けば私の実家(の跡地)が。左に行けばコの字岸壁です。左側遠方に見えるのは柏崎でしょうか。画面右側には、うつっていないけれど〈石橋のお地蔵さん〉が座しているはずです。

また、後半に登場する花火のシーンを見れば、多くの人が〈気仙沼みなと祭〉を連想するでしょう。そして最後、〈心遊ばせあなたにとどけ〉という米津さんの歌声とともに魚や鳥そして小船が空をとびます。

米津さんによる歌詞や、アニメーションについて、ネット上では様々な解釈が紹介されています。その中で私がおどろきながら納得したのはパプリカの花言葉でした。パプリカには、「同情」「あわれみ」のほかに「君を忘れない」という花言葉があるというのです。あまりにもわかりやすいというか、今風にいえば〈わかりみ〉が深い。

そしてアニメーションに登場する彼岸花ですが、その花言葉は、「情熱」とか「再会」とか「悲しい思い出」など。「パプリカ」の米津玄師バージョンは、NHK「みんなのうた」2019年8月・9月の曲でした。お彼岸の季節。それは生まれ育った町に帰る帰省の時節でもあります。帰っていくのが場所なのか過去という時なのか。あるいはそれらをみな含めての記憶の世界でしょうか。

以上が私の米津版パプリカ物語。東北人である私は、〈宮澤賢治〉や〈遠野〉を強く連想しました。

きょう1月14日は、コヤマ菓子店/小山(おやま)隆市君の命日です。2013年でしたから7年経ちました。そして1月18日は門馬亨君の。1997年のことですから23年前のこと。

親しかったふたりのことを思いながらの、米津玄師「パプリカ」です。

1月13日ブログ「パプリカ in気仙沼」
 

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tag : 米津玄師 パプリカ

パプリカ in気仙沼

子どもたちに大人気の「パプリカ」。先日のNHK紅白歌合戦の冒頭でも、多くの出演者も参加してダンスを踊っていました。

この「パプリカ 」は米津玄師(よねづけんし)さんの作詞・作曲で、小学生5人組のFoorin(フーリン)が歌います。

このFoorinが、気仙沼で80人近くの子どもたちと一緒に歌って踊ってくれました。このブログでも紹介したNHK「明日へ in 気仙沼」企画のひとつです。

その昨年12月1日の収録内容が5分の番組に編集され既に1月4日に放送されています。そして本日1月13日の昼と夜に再放送されますのでご紹介します。5分間の番組です。

パプリカ

◎明日へつなげよう × パプリカ in 気仙沼

1月13日(月・祝)
NHK総合テレビ
①午後0:40~0:45
②午後6:40~6:45

番組サイト

「パプリカ」は、NHK2020応援ソングプロジェクトの曲として、一昨年7月に発表されました。そしてNHK「みんなのうた」2018年8月・9月の曲にも。さらに米津玄師さんのセルフカバーは2019年8月・9月の曲でした。1年半にもわたるまさに大ヒット。昨年末には日本レコード大賞も受賞しています。

2020応援ソングプロジェクトは、「あしたにたねをまこう!」とのメッセージをかかげ、2020年とその先の未来に向けて頑張っているすべての人を応援していくプロジェクトとのこと。東京オリンピックの直接的な応援ソングということではないようですが、同プロジェクトは東京2020公認プログラムとして認証されています。

営利目的での販売ができないことから、ソニーミュージックレコーズのCD販売収益や米津さんへの印税(著作権使用料)などは「スポーツ振興基金」へ寄付され、次世代アスリートの育成などに使われるそうです。

最後に、NHKがYouTubeに公開した映像をあげておこうと思ったのですが、うまく埋め込みができません。こちらからどうぞ。

なかなかいい曲ですよね。視聴回数はなんと1億6千万回近くになっています。

ほんではオレも、ラジオ体操がわりにちょっと踊ってみっぺが。あんだもやってみらいん(笑)

なお、米津玄師さんのパプリカ/ミュージックビデオについては、いろいろと感ずることが多く、明日あらためて。

2019年11月4日ブログ「明日へ in 気仙沼」
 

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防災マップ/洪水

1月1日の三陸新報元旦号は特集も含めると全38頁の編成でした。本日紹介するのは、その中で興味をそそられた記事のひとつ。昨年10月の台風10号の襲来などを踏まえ、気仙沼市が公開している「洪水ハザードマップ」の活用法についてです。記事では、つぎの防災マップ/洪水を掲載していました。


洪水マップ
三陸新報1月1日記事より


このマップは市の公開内容をベースに三陸新報が施設名などを強調表示したものです。

気仙沼市防災マップ 洪水(pdf)

左上につぎの記述があります。「この地図は、宮城県が大川と鹿折川について 50年に1度の大雨を設定し、堤防が複数の箇所で決壊したと仮定し、どこまで、どのくらいの深さで浸水するかを、「想定」掲載(シミュレーション)して表示したものです」。

私が驚いたというか、やっぱりなと思ったのは、洪水による浸水地区が大震災の津波による被災地区と見事に重なっていたからです。津波だけでなく、河川の洪水でもこれだけの被災が予想されるのかと。

鹿折地区についていえば、私が小学生にあがるぐらいの時、オレンジの地域には田んぼが広がっていました。そして南気仙沼地区は、内の脇(ないのわき)で潮干狩りをしましたから干潟が広がっていたはずです。一景嶋神社は島にあったわけですし、現在の朝日町にいたる地域は埋め立てによって造成されました。付け加えれば、田中前の多くは田んぼでした。

こうした気仙沼の歴史をふりかえるとき、いつも複雑な気持ちがわいてきます。地域経済の発展と人口の増加に対応して開発された事業用地や宅地が、津波や洪水といった災害に対しては脆弱でした。地域の発展の裏側にひそむ危うさです。しかし、防災に対する万全の対応をおこなっての用地開発は高コスト。つまり地価が高くなりすぎて宅地や事業用地としては採算があわないでしょう。

しかし、震災で甚大な被害を受けたこれらの地域は、復興のための大きな投資によって生まれ変わろうとしています。リスクと可能性/将来性というのは表裏一体。防災マップに示されたオレンジの地域は被災リスクをはらんだ地域だったかもしれないけれど、いまは大きな可能性をもった地域になろうとしているのではないか。また、是非そうあってほしいと。

そんなことを三陸新報の元旦記事を読んで感じたのです。なんかうまくまとまらないのですが、そんなことを思ったということをお伝えしたく。

なお、気仙沼市サイトにおける防災マップはつぎのリンクにて。

気仙沼市防災マップ
 

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tag : 防災マップ

気仙沼人「EMMA」

きのうの話の続きです。昨年末のNHK紅白歌合戦に登場したDJ EMMAさんが気仙沼出身だという話。

私がEMMAさんを知ったのは、震災前の三陸新報記事。たしかシリーズ記事〈リレー随想〉だったと思います。その回の筆者はDJを趣味としていて、地元気仙沼の先輩に有名なDJ EMMAさんがいると書いていたのです。10年以上前のことです。探せばその記事のスクラップがあるはず。

そして高校生だった息子に〈DJ EMMA〉を知ってるかと聞いたところ、知ってるよと。ハウスとかクラブ系のDJだよね、みたいなことだったと思います。その当時、ネットで調べたら著名なディスコの名がならんでいるので驚きました。

Wikipediaの記述を一部要約すればつぎのようなことです。

〈1985年より音楽活動を始め、主に東京のクラブにてDJとして活動を行う。1990年にはスペインのイビサ、1991年以降にはイタリア、イギリスにてプレイを行い、名実ともに日本を代表するハウスDJとしての地位を獲得。さらに、1994年には当時の日本でも屈指のディスコと呼ばれていた芝浦GOLDのレジデントDJに就任し、GOLDが閉鎖されるまでDJプレイを行っている〉

レジデントDJというのは、ゲストDJに対しての名称で、ディスコやクラブなどのハコ付きという意味あいでしょう。所属とか専属的な。Wikipediaの記述にはその後、六本木VELVET、西麻布YELLOW、新宿LIQUID ROOMなど、華やかな名前が続きます。

1995年にはいまも続くミックスアルバム「EMMA HOUSE」の1作目を、2016年には、同シリーズ20作目となる「EMMA HOUSE XX ~30th Anniversary」をリリースしています。これらの作品紹介でEMMAさんに冠せられるのは「日本のハウス・シーンの重鎮」「KING OF HOUSE」など。



Amazonサイトより

EMMAさんが気仙沼で「jamming with DJ EMMA」と題してのライブセッションを催したことがあります。2016年4月16日のこと。会場は、南町の主婦の店跡地2階(菓子舗サイトウ)でした。この年に50歳となりました。

この後にも(記憶がちょっと定かではないのですが)、気仙沼の南町「バレンタイン」(同級生にひもづけておくと、3年4組/熊谷武敏君のお兄さんの店)での地元ゆかりのミュージシャンらのライブセッションに参加したことがあるはずです。三陸新報の小さな記事がその様子を紹介していたのです。ジャズピアニスト岡本優子さんもいたはず。私がおどろいたのは記事に〈DJ EMMAさんも歌声を披露した〉というような記述があったこと。そりゃあ、EMMAさんも歌うだろうけど。もしかしてDJのEMMAさんが歌ったということがニュースなのか(笑)。

前置きが長くなりましたが、気仙沼出身のEMMAさんの実家はどの辺だったのか。詳細は略しますが、いろんな情報を総合しての私の推測を記しておきます。

地区は鹿折(ししおり)だと思います。普通に考えて鹿折小学校から鹿折中学。高校は気仙沼高校。37回生。私たちは22回生ですので、15年後輩です。年齢は53歳。ここまでにしておきます。繰り返しますがあくまで私の推測。

私が知る鹿折地区の実家住所情報からは、大震災の津波での実家/ご家族の被災がとても心配になりますが、詳しいことはわかりません。

2013年3月の「Mastered」(以前のEYESCREAM.JP)サイトのインタビュー記事のなかに震災/復興に関する記述がありました。EMMAさんが仙台で新たにスタートさせたイベント「EMMA HOUSE興」に関する質問に次のように答えています。

DJ EMMA:「困っている人たちを助けたい」とか「東北地方を元気にしたい」というよりは、「もう後悔するのは嫌だな」と思ったんです。あの震災をきっかけに自分が出来なかったこととか、やろうとは思いつつも先延ばしにしてきたことがいっぱい蘇ってきて。3.11以降、自分の中でも色々なことが変わったんですが、そういうやり残したことを埋めたい衝動から生まれたのが『EMMA HOUSE興』というイベントです。もちろん、東京と比較すれば絶対数も圧倒的に少ないけれど、それでも頑張ってクラブを続けたり、DJをやろうとしている人たちがいて、そういう人達と”地方でもちゃんと出来るんだ”ってことを一緒に示したかった。(引用は以上)

このEMMAさんの言葉は、気仙沼で音楽をやっている人たちにも心強いメッセージになると思います。

GOLDやVELVET、YELLOW、LIQUID ROOMなど、華やかなディスコ/クラブ名がならび、2019年末は紅白のステージへ。鹿折の同級生たちが〈EMMAも、とおぐさ行ってしまった〉と思ってもしかたがないパターンですが、どうも違うようです。気持ちの根っこには自分が育った気仙沼の風土がしっかりとあるように感じます。

きのうのブログで〈紅白に出てたDJ EMMAが気仙沼出身だって知ってましたか〉ぐらいの感じで書き始めたのですが、調べているといろんなことがわかってきて長くなってしまいました。

最後に紹介したインタビュー記事などを読むと、EMMAさんの長い音楽活動と社会の変化というのはやはり無縁ではないのだなと感じます。そして、紅白出演に対してのネット上での反応を見ると、DJ EMMAさんやMISIAさんが、LGBTの人たちの活動にこれまでも共感をもって接してきたことがうかがわれ大変うれしく思いました。 

大トリの白組「嵐」の前にこのMISIA/DJ EMMAのステージをもってきたNHKの度量にも拍手。冒険だったとおもいますよ。〈嵐の前の静けさ〉どころか、レインボーフラッグを背景にしての嵐のような強いメッセージでした。

という感じで、2回にわたってしまったエンマさんの話は終了です。

EMMAさん、NHK紅白はお疲れさまでした。ますますのご活躍を期待しております。ありがとうございました。

1月8日ブログ「紅白のEMMAさん」
 

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tag : EMMA MISIA

紅白のEMMAさん

昨年大晦日の第70回NHK紅白歌合戦。気仙沼出身者が登場していたことをご存じでしょうか。DJ EMMA(エンマ)さんです。それは、女性陣/紅組の最後/トリとして出演したMISIA(ミーシャ)さんのステージ。画面を見ていた妻が〈あっ、DJ EMMAが出てる〉と教えてくれました。

MISIAさんの曲目は「アイノカタチメドレー」です。〈愛の力と歌ですべてを超えるメドレー〉というテーマで3曲を続けて歌いました。1曲目が「アイノカタチ」。そしてEMMAさんの画面での登場は2曲目「INTO THE LIGHT」から。MISIAさんのうしろにDJブースが設けられています。画面写真はヘッドフォンをつけようとしているところ。この後、レコード盤(があったかどうかは別として)を回しているというか、つまみを回しているというか、いわゆるDJ的な動きがうつります。


エンマ

そして3曲目はおなじみの「Everything」です。MISIAさんの後、EMMAさんの前にレインボーフラッグが大きくうつしだされます。紅白は2色ですが、多色/マルチカラーでもいいじゃないかというメッセージでしょう。

ミーシャ

この6色の旗は、「LGBT」(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)など性的少数者の尊厳や権利の確保、差別禁止などを求める活動の象徴としてよく用いられています。ステージ演出としても、2曲目でのダンサーはドラァグ・クイーンを強調し、3曲目でははミッツ・マングローブさんたちの音楽ユニット「星屑スキャット」が踊りながらコーラスを。

ミッツ

てなことを書いてはおりますが、これらはあとで録画を見てから気づいたこと。2019年もおわりに近づいているときのNHK紅白の画面展開はとても速くまぶしかった。

しかしなんでMISIAのステージにEMMAなのだろう。調べてみたら、MISIAさんは2017年に「君のそばにいるよ- DJ EMMA REMIX」をリリースするなど、これまでもEMMAさんと一緒にやっているのですね。

つまりは、今回のMISIAさんのステージも〈DJ EMMAリミックス〉ということ。レコード盤やミキサーのつまみを回すということではなく、紅白当日までにEMMAさんの仕事のかなりの部分は終わっていたのでしょう。

リミックスという言葉と、LGBTやジェンダー/性、ダイバシティ/多様性といったテーマはなじみがいいですね。親和性があるというか。そんなことを考えると、〈アイノカタチメドレー〉という曲目は、MISIAさんやEMMAさんにすれば〈愛のカタチ REMIX〉あるいは〈LGBTリミックス〉にしたかったんじゃないかなあ、とも思います。

また長くなってしまいました。〈オダ君、LGBTはわがったけんと、エンマは気仙沼のどごの人なのっさ〉という天の声が聞こえてきます。それはまた明日ということで(笑)。

なお、第70回NHK紅白歌合戦公式サイトのMISIAさんプロフィールには〈社会貢献活動にも積極的で、特に子どもの教育支援に尽力〉とありました。ご参考まで。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : EMMA

宮川商店南町移転

1月5日の三陸新報に、気仙沼の内湾地区での店舗オープン広告が掲載されていました。これまでは田中前の気仙沼さかなの駅で営業してきた宮川商店さんが、気仙沼スローマーケット「拓」(ヒラケル)内に移転して1月6日に「MIYAKAWA」としてオープンしました。

宮川
三陸新報1月5日掲載広告


宮川商店さんは野菜や果物のお店だと思いますが、新しい店舗は18時まではスムージー、それ以降20時まではバーとしての営業です。バーは1月9日頃からとのことです。

この広告には内湾地区の4施設の地図が掲載されていました。私にとってはこれはとてもありがたい。

地図

三陸新報1月5日掲載広告より


ウマレル(創)は気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ。もうひとつの名がPIEA7(ピアセブン)です。ムカエル(迎)は観光集客拠点としての商業施設で、アンカーコーヒーやシャークスなど、飲食店と物販店がテナントとしてはいっています。

そしてヒラケルとユワエルがスローストリートとして整備が進められ、その南隣の区画が気仙沼スローマーケット拓(ヒラケル)です。北隣がユワエル(結)。なお、以前は〈(仮称)スローフードマーケット〉とされていましたが、広告の住所を見ると〈スローマーケット〉になったようです。

なお住所表示については、ムカエルとウマレルは南町海岸、ヒラケルとユワエルは南町3丁目となっています。


ヒラケルには、MIYAKAWA/ミヤカフェのほか、気仙沼生鮮館やまひろ、クラフトビールを醸造・販売する「ブラック・タイド・ブリュワリー」、そして多目的コミュニティーホール(80席)が設けられています。詳しくは下記のブログにて。

ヒラケル(拓)のプレオープンは、昨年12月20日のことでした。そしてこのたびのMIYAKAWAさんのグランドオープンです。年末年始のことでいろいろと大変だったと思いますが、新店舗オープンのお祝いを申し上げたく。このたびは、おめでとうございました。

2019年12月24日ブログ「拓がプレオープン」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ヒラケル 気仙沼地域開発

市民会館 50周年

あけましておめでとうございます。とはいっても、すでに1月6日で、正月気分というわけにはいきませんね。本年はじめてのブログです。

三陸新報の元旦/新年特集号を見ていたら、〈気仙沼市民会館50周年〉の特集記事がありました。今年6月で開館50周年を迎えるとのこと。


50周年
三陸新報1月1日記事より


市民会館は、旧気仙沼市の市制施行10周年記念事業として計画され、1970年に開館しました。あの場所は、私たちが気仙沼小学校3年生のときに学んだ、気小第2校舎があったところです。記事のなかの年表には1968年に市民会館建設予定地が気仙沼第2校舎跡地に決まったとの記述がありました。第2校舎はいつまで使われていたのだろうかという疑問も浮上。これは調べてみないとわかりません。

本日この記事を紹介したのは、ふたりの気中20回の同級生の名があったからです。一人は現在の館長、春日利春君(3年9組)です。気仙沼商工会議所の専務理事をつとめたあとに就任しています。付け加えれば、昆野牧恵さん(11組)が館長をつとめていたこともあります。

そして元旦記事、二人目の登場は〈謙ちゃん〉小山謙一君(9組)です。ご夫婦で登場。1979年に市民会館を結婚式場として利用したというのです。こちらは今年で結婚41周年。

市民会館
三陸新報1月1日記事の一部イメージ


謙一君は気仙沼市の職員でした。当時の職員の間では、「式場は市民会館で」という雰囲気があったそうです。結婚式場が今ほどなかった時代で、式・披露宴会場としても重宝されたとのこと。

記事の写真にうつる謙一君は若々しい。小中高の頃からずうっとこんな感じではないかな(笑)。記念のアルバムを手にしてのふたりの写真からは仲の良さもうかがえてなによりです。

今年もみんな仲良く元気に過ごしたい。そんな願いを込めての本年初ブログです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 市民会館

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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