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早馬神社の800年

9月29日の三陸新報に気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社の広告が掲載されていました。「早馬神社御鎮座八百年 奉祝記念事業完遂報告」。

早馬神社
三陸新報9月29日掲載広告より


冒頭には早馬神社の由緒などが記されています。少し引用します。

「早馬神社は1219年、鎌倉武将 梶原景時(かげとき)の兄である梶原景実(かげざね)により創建されてから、御鎮座八百年の佳節を迎えました。衣食住の守護神の他、鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』には、初代、景実が源頼朝公の直々の命によって、ご夫人である北条政子の安産祈願を執り行う中、無事、男子(2代将軍源頼家公)を出産したことが記され、史実より今も多くの安産祈願・成長祈願の参拝者が訪れます。」(引用は以上)

ネットのWikipediaの「梶原氏」の説明文のなかにも、「唐桑梶原氏」の項目がありましたので引用します。

◎唐桑梶原氏
宮城県気仙沼市唐桑町。梶原姓が100軒を超える日本最大の梶原姓の集落。梶原景時の兄で、鶴岡八幡宮(鎌倉若宮)の臨時別当に就任した梶原専光坊景実(かげざね)が梶原一族の没落、和田氏、畠山氏の没落の後に鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指す途中、本吉高衡(藤原高衡)ゆかりの宮城県気仙沼市唐桑町石浜に土着した。景実は梶原一族の冥福を祈り、菩提を弔うため梶原堂(梶原神社)を建てた。のち一族の梶原景茂の子、大和守景永は景実の所在を尋ねてこの地に至り、景実の猶子となって神職となり早馬神社を創建した。以来33代、子孫が現在まで連綿と続いている。(Wikipedia引用は以上)


当代の梶原忠利宮司からさかのぼると鎌倉時代の梶原景実にいきつくということに驚きます。また景実が、鎌倉の鶴岡八幡宮の臨時別当をつとめていたことがあるというのも興味深い。

10月6日(日)の八百年大祭における神輿渡御では、いかにも唐桑らしく船を用いての渡御がおこなわれます。宿浦港を出て鮪立(しびたち)港へ、そして小鯖(こさば)港に寄って宿浦に戻ります。また、奉納芸能もすばらしい。鮪立大漁唄込、宿(しゅく)打ち囃子獅子舞、松圃(まつばたけ)虎舞、崎浜大漁唄込と続きます。このように神社の祭に奉納される芸能こそがまさに「芸能」の名にふさわしいように思います。

早馬神社の8世紀にもわたる歴史のなかには、東日本大震災をはじめ多くの災難もあったことでしょう。そうした難局を、代々の神職はもちろんのこと、氏子をはじめ地域の皆さんの力でのりこえてきたに違いありません。このたびの拝殿屋根替えほかの八百年奉祝記念事業もその歴史のなかの一里塚となることでしょう。

そんなこんな、鎌倉時代から令和のいまに至る歴史に思いをはせつつ、早馬神社御鎮座八百年のお祝いを申し上げます。

以前にこのブログで早馬神社に関係する話を何度か書きました。ひとつは詩人 梶原しげよさんの話。32代宮司 梶原重義さんの妹、現在の33代梶原忠利宮司の叔母さんにあたります。もうひとつは唐桑だけでなく気仙沼の人なら懐かしく感じるだろう「神様あそばせ」についてです。お手すきのときにお読みいただければと。

2017年9月8日ブログ「詩人 梶原しげよ」
2016年2月16日ブログ「日篭・神様遊ばせ」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 早馬神社 唐桑

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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