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奥原しんこ作品展

「気仙沼のほぼ日」さんは、明日 11月1日が〈お開きの日〉。本日から40名のお客さまを迎えての「マジカル気仙沼ツアー」もはじまっています。その一泊二日の様子がテキスト中継されています。是非ご覧ください。

マジカルツアー
ほぼ日/テキスト中継サイトより

ほぼ日/テキスト中継サイト


さて、気仙沼の内湾地区で10月26日から「風待ち・まちなか美術館」が開催されています。市民文化祭の一環として「気仙沼風待ち復興検討会」が主催するもので、会場は武山米店店舗、三事堂ささ木、角星店舗、小野健商店土蔵の4か所です。


まちなか美術館
三陸新報10月28日記事より


武山米店2階ギャラリーでは、気仙沼市出身のイラストレーター奥原しんこさんの作品展「故郷の旅」が開催されています。

◎奥原しんこ作品展「故郷の旅」
魚町/武山米店2階ギャラリー
10月26日~11月9日
10:00~16:00
日曜休館(ただし4日は開館)

重松清著『希望ヶ丘の人びと』のカバー/装幀画や、畠山美由紀さんのCDジャケットに使用された作品なども展示されるそうです。

奥原しんこさんについては、このブログで何度か紹介しています。そのひとつが、2013年1月の奥原さんの個展「あたたかいところ」。会場は、気仙沼市八日町のマルト齊藤茶補でした。

気中20の同級生にとっては、〈気中のアラン・ドロン〉としても知られる奥原道樹先生の姪にあたるといえば親しみがわくでしょう。

私は2008年に、上野の近く谷中の銭湯跡を利用したギャラリーで開催された個展「眠る人」に行き、ご本人とも話をすることができました。そこで、奥原先生がしんこさんのおじさんであることを確認できたのです。2011年5月30日のブログでそのことを少し書きました。記事タイトルは「紫さんの奥原さん」。(奥原先生と同じ)ご実家が、南町の紫さんの坂途中にあったからです。

三陸新報の記事にも紹介されている重松清さんの『希望ヶ丘の人びと』の装画をAmazonからお借りします。

希望ヶ丘

Amazon『希望ヶ丘の人びと』より

私はこのカバーに描かれた絵に、気仙沼の紫さんの坂を連想するのですが、いかがでしょう。ちょっと無理筋でしょうか。紫さんをのぼると、そこに希望がありました、みたいな(笑)。

作品展「故郷の旅」は11月9日(土)まで。どうぞお出かけください。

と、いったんは書いたのですが、別件でメールのやりとりがあった武山健自(けんじ)さん(気中41回生)から〈正解〉を教えてもらいました。あのイラストレーションは、小説中の「希望ヶ丘中学」を母校である気仙沼中学を重ねて描いたものだったのです。

気高同窓会をはじめ、東京での気仙沼関連の催しのお世話をしてくれている健自さんの実家は武山米店。そんなことで、健自さんからは、作品展での『希望ヶ丘の人びと』装画の説明パネル内容も送ってもらいました。文庫版『希望ヶ丘の人びと』での重松清さんのあとがきなどです。話が少し長くなりましたので、これらの話は、あらためて紹介しようと思います。

そんなことで、結びをもう一度。作品展「故郷の旅」は11月9日(土)まで。どうぞお出かけください。

2011年5月30日「紫さんの奥原さん」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 奥原しんこ

気仙沼仏教会催事

10月22日の三陸新報に、こんな広告が掲載されていました。

仏教会10月22日
三陸新報10月22日掲載広告


落語会かなにかなと思ったら、気仙沼仏教会が主催する〈仏教講演会〉でした。

◎ほとけに親しむひととき Ⅱ
主催:気仙沼仏教会
期日:11月3日(日)
 開場 13:30 開演 14:00
会場:ゲストハウス気仙沼アーバン 2F
(気仙沼市本郷22-5)
入場無料

第1部 落語で仏教
 落語家:三遊亭楽大さん(円楽一門会)
第2部 続 たのしく学ぶ仏像入門
 講師:門脇佳代子先生
( 東北福祉大学教育学部教育学科講師)

今回の催しは、昨年11月4日に開催された同名催事の第2回目にあたります。

主催する気仙沼仏教会は、2017年3月22日に設立されました。広告に掲載されている23寺が加入しています。併記されている企業や店舗は賛助会員的な加盟でしょうか。ご参考までにそれぞれの名を記しておきます。

海蔵寺・観音寺・興福寺・光明寺・洪龍寺・地福寺(唐桑)・地福寺(階上)・松岩寺・淨勝寺・浄福寺・浄念寺・少林寺・清護寺・清泉寺・青龍寺・清涼院・仙翁寺・長命寺・寶鏡寺・法玄寺・峯仙寺・補陀寺・満福寺

アーバン・有山葬祭・及川石材店・割烹「世界」・新みやぎ農業協同組合・石秀苑・舟屋葬祭・メモリーライフ

市内有名店ペアお食事券や商品券などが当たるお楽しみ抽選会もあるのですね。手作り感のある広告など、日頃のお寺さんのイメージとはことなり、なにか商店街イベントのような趣ですが、私はきらいでありません。一人でも多くの人に来場してもらい、仏教の世界に触れてほしいという気持ちが感じられるからです。

檀家や宗教を問わず、気軽にお越しくださいとのことです。興味がある方はぜひに。整理券が必要ですが、お問い合わせは下記事務局へ。

◎気仙沼仏教会事務局
清龍寺(22-2045)仙翁寺(44-3305)淨勝寺(42-2515)

2018年8月14日ブログ「気仙沼仏教会23寺」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼仏教会

「美の壺」再放送

昨年2月2日に放送された気仙沼ニッティングが登場するNHK「美の壷」が10月31日(木)に再放送されます。昨年はNHKのBSプレミアムでの放送でしたが、今回はNHK Eテレです。

◎美の壺「セーター」再放送
NHK Eテレ
10月31日(木)午前11:00~11:30

昨年の放送にあたっては、このブログでも紹介しました。放送内容は同じだと思いますので、画面画像も含め主要部を再掲します。


2018年2月2日ブログ
◎美の壺「セーター」

美の壺

2018年放送時の番組サイトから紹介動画の一部イメージ


番組サイトから紹介文を引用します。

「セーターは素材ひとつで風合いも着心地もさまざま。「繊維の宝石」とうたわれるカシミヤセーターの“ふんわり感”の秘密とは!?気仙沼で作られる予約2年待ちの手編みのセーターが登場!極上のあったかセーターを生み出す編み手の技には、港町ならではの意外なルーツが。傷ついたセーターをかわいく直せるテクニックも紹介。さらに伝統的なセーターの柄に込められた先人たちの知恵や思いをひもとく」(引用は以上)


「美の壺」の進行役は草刈正雄さん。私たちの世代は、資生堂「MG5」の広告ではじめて知りました。Wikipediaによれば1952年9月の生まれですから、私たちの一学年下になりますね。MG5のCM登場は1971年(番組サイトでは1970年としています)のことといいますから、気中20回生が19~20歳のころの話。MG5の広告といえば、まずは団次郎さんと精悍な犬のポスターが印象に残っていますが、草刈さんは団さんの弟分としての登場だったようです。

若手モデルとして人気を博した草刈さんもすでに65歳。いまでは俳優としても大活躍。「美の壺」では枯れた味わいにちょっと奇妙な面白さを加えたナレーションを聴かせてくれます。(再掲内容は以上)


昨年のブログで草刈正雄さんについて〈俳優としても大活躍〉と書いたのは、NHK大河ドラマ「真田丸」で演じた真田昌幸を意識してのことでした。今は、NHKの朝ドラ『なつぞら』での好演も付け加えなければいけないでしょう。

10月31日(木)午前11時から。どうぞご覧ください。
 

なお、下記のブログで、気仙沼ニッティング代表の御手洗瑞子さんが地元新聞三陸新報に寄稿した、「わたしの好きな気仙沼弁」と題する文章を紹介しております。こちらもお読みいただければと。

10月10日ブログ「御手洗さんの随想」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 気仙沼ニッティング 美の壺

「宮登」新店舗開店

10月25日の三陸新報に、気仙沼「宮登」さんの移転新築店舗のオープン広告が掲載されていました。


宮登
三陸新報10月25日掲載記事より


震災後、田中前に移転して8年とのこと。南町での42年とあるのは気仙沼市南町のマンボ通りのお店のことでしょう。

マンボ通りのお店を利用したことがあるかどうか、記憶が定かではありません。しかし(経営者の推移など詳しいことはわからないものの)その前の店には一度いった覚えがあるのです。

小学生のころ、たぶん父が出張していたときに母と私そして兄と3人で行ったような。場所は、南町なのか八日町なのかよくわかりませんが、振商会通り。清龍寺への登り口反対側の小路をちょっと入ったところだったと思います。入口の角は床屋さんだったかな。〈ちゃんこ鍋〉とはどんなものか。そんな母の好奇心からのことだったのでしょう。唐辛子かなにかでちょっと辛味があったようなことだけ覚えています。

震災後の田中前のお店には一度だけ行きました。2011年9月2日、震災後は仙台に暮らしていた母、そして兄夫婦、私と妻と息子の6人で、気仙沼へ。魚町坂口の家を引き払うためです。みんなで片付けをおえた3日の夜、予約していた宮登さんに行きました。母を囲んでの気仙沼〈最後の晩餐〉でした。料理がとてもおいしかったことを思い出します。

宮登さんの現在のブログタイトルは、「気仙沼ちゃんこ宮登三代目日記」です。南町マンボ通りの店は二代目のお店だったのでしょうか。唐辛子かなにかスパイスがきいた味は、初代の味付けだったのかもしれません。60年ほど前の味の記憶です。

宮登さんの移転新築店舗オープンのお祝いを申し上げます。おめでとうございました。

2015年6月24日のブログに、雑誌「考える人」で写真家の長野陽一さんが紹介してくれた「宮登」店主の熊谷博之さんと吉次(キンキ)の煮付けについて記しております。お手すきのときにでも。

2015年6月24日ブログ「考える人の気仙沼」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 宮登

旭が丘の名称由来

10月19日の三陸新報に「旭が丘学園の名称由来について」という投稿記事が掲載されていました。投稿者は社会福祉法人 「旭が丘学園」理事長の菅原昭さんです。


10月19日旭が丘
三陸新報10月19日掲載記事より


菅原理事長は「児童養護施設旭が丘学園」の名称由来などを質問されることがよくあるといいます。同学園に身を置いて60数年、いまその由来を知るのは自分ぐらいかと思い、多くの方の記憶にとどめてもらうための記録として投稿したそうです。

はじめは旭が丘学園の沿革が紹介されます。まずは、司法大臣の認可をいただき「本吉少年訓練所」「本吉少年農場」「拓濤園」などの名称を経て、1949(昭和24)年 児童福祉法により、「養護施設拓濤学院」となりました。財団法人化の後1952(昭和27)年に社会福祉事業法の制定によって、社会福祉法人に組織変更して「養護施設 旭が丘学園」と改名、厚生大臣の認可を受けました。

養護施設に認可される前は国からの補助などはなく、自活のためにいろいろな事業を子どもたちの職業訓練に合わせておこなっていたそうです。「拓濤院」の時代には、鹿折・浪板地区の埋め立て事業や、養豚のための市内での残飯集めなども、入所児童の仕事になっていました。

ここからが学園の名称由来になります。旭が丘学園が、現在の舘山(たてやま)2丁目に移転したのは1967(昭和42)年で、それまでは本町の中央自動車学校があった場所にありました。そしてそこが「旧跡・旭が丘舘」であったことから「旭が丘学園」の名称とさせてもらったと。この由来については、菅原さんが、学園の創設者である黒澤次夫(文超)氏とその頃の職員の方から聞いたそうです。

「旧跡・旭が丘舘」の詳しい説明がありませんが、後半に土器が出土した話などがありますので、「旧跡」というよりも「遺跡」のイメージでしょうか。気仙沼市史/補遺編の考古・古文書等資料における市内遺跡調査の記述では、「平館」(たいらだて)、「猿喰東館」(さるはみひがしたて)、「陣山館」(じんやまたて)など、「舘」ではなく「館」の字を用いて、「だて/たて」と読ませています。「旭が丘舘」の記述はありません。

「旭が丘舘」の「舘」も、「たて/だて」と読むのでしょう。現在の住所表記「舘山(たてやま)」をふまえれば、「あさひがおかたて」が自然かもしれません。学園名のみならず「舘山」の由来も知ることができました。なお、調べてみると、ざっくりいえば「舘」は俗字で「館」が正字なのだそうです。逆かと思っておりました。

「旭が丘舘」について念のためと思い、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)を調べてみると、「市内遺跡(貝塚、古墳)分布図」(p12)に記述がありました。「旭が丘遺跡(縄文前期)」として「自動車学校の北側から出た。土器はきわめて粗製で、色は赤味をおびた土色でもろい」との説明も。

菅原さんの文章には続きがあります。約60年前に聞いた補陀寺(ほだじ)千葉裕和 和尚のお父様の話です。500年前に補陀寺があった場所は、以前の旭が丘学園や中央自動車学校があったところだと語っていたそうです。しかし、土手の前が海で、その浸食によって危険になり現在の古町に引っ越したのだと。

この話を読んで、45年ほど前、大学の夏休みで帰省中のときに中央自動車学校へ通ったことを思い出しました。めでたく運転免許合格となったときに、運転コースの裏山に設けられたお不動様の寺院というかお堂のようなところで、自動車学校を経営していた黒澤文超さんによる祈祷を受けたような気がします。交通安全祈願というようなことでしょう。

なお、気仙沼文化史年表にも、本吉少年訓練所にはじまる旭が丘学園に関する多くの記述がありますが、その原点ともいうべき項目は「昭和15年(1940)12月30日 黒澤次夫 西風釜に司法保護団体事務所を設立」との記述です。ご参考まで。西風釜(ならいがま)は南町の旧称。黒澤さん経営の丸拓は南町の小野良組の並びにあったことを思い出します。

旧跡・遺跡、そして寺院もあった「旭が丘舘」。とても古い歴史をもった場所だったのですね。知らない話が多く、とても興味深く読ませていただきました。菅原理事長、ありがとうございました。

2016年12月29日ブログ「あたたかなきもち」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 旭が丘学園

コヤマ閉店セール

本日は、故 小山隆市君(3年6組)の店「コヤマ菓子店」閉店セールのご案内です。とはいっても、店をやめるわけではなくて、新店舗に移転する前の商品売り尽くし。一部商品を除き、20〜50% OFFとのことです。セールは閉店日の10月30日(水)まで。10月22日の三陸新報での広告です。


コヤマ
三陸新報10月22日掲載広告


震災の津波で仲町にあった店舗が流され、現在の田中前(旧市立病院下)の店舗で営業を再開したのは、2011年8月4日のことでした。もう8年3か月近くになりますね。仲町の旧店舗近くに建設中の新店舗は引き渡しが10月31日とか。オープンは 11月16日(土)とのことです。詳しくはまたお伝えすることにしましょう。

そして、このコヤマの広告の左隣に、同級生の名が記されたつぎの広告も掲載されていました。


キルト展
三陸新報10月22日掲載広告


キルトスタジオフウの「基本のキルト展 2」です。新!方舟祭2019のなかの催事として本日から10月27日(日)までリアス・アーク美術館で開催されます。2017年にも出展していますから方舟祭で2度目ということでしょう。

そして広告中の同級生の名はのんちゃん/臼井(斎藤)典子さん(3年1組)です。元気にキルトを続けているようでなによりです。今年はどんな作品でしょうか。

キルトスタジオフウを主宰する臼井房惠さんは一年先輩。気中19回生。魚町の人にとっては〈臼福の房惠さん〉といったほうが通りがよいかも。震災の津波では、魚町の教室も被災し、長年にわたって収集してきたであろう多くの布や資料が流されてしまいました。それでもこうして教室を継続していることに感心します。

ということで、コヤマのセールに寄ってからリアス・アークのキルト展へということでいかがでしょうか。どうぞよろしく。

2017年10月26日ブログ「基本のキルト展」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : コヤマ 方舟祭

10/27 産業まつり

10月27日(日)に気仙沼市魚市場で第35回「気仙沼市産業まつり」が開催されます。


産業まつり

画像はすべて 気仙沼さ来てけらいん/催事サイト より


昨年の産業まつりを紹介したのがついこの前のことのように思われるのですが、あっという間に一年が過ぎました。今年は新魚市場の完成を記念し、4年ぶりに「ジャンボのり鉄火巻き大会」が開催されます。約1300名が参加して330mのジャンボ鉄火巻にチャレンジするそうです。


◎市場で朝めし。

市場で朝めし

「市場で朝めし。」も同時開催されます。時間は8:00~13:00。ピカピカ新米のサンマ炭火焼定食(炭火焼きさんま・さんますり身汁・新米ごはん/南三陸米ひとめぼれ)を味わうことができます。1500食が用意され、前売り:700円 当日:800円。

この「市場で朝めし。」の第1回目は〈気仙沼つばき会〉さんが企画して〈さんま寄席〉の日2013年9月29日に開催されました。今年で7回目。すっかりおなじみのイベントになりました。


◎気仙沼七輪広場

七輪

これは、気仙沼商工会議所青年部(気仙沼YEG/Young Entrepreneurs Group)と「みしおね横丁」が協賛イベントとして開催するもの。場所は「みしおね横丁」。魚市場会場やみしおね横丁で購入したものをその場で焼いて食べられるそうです。時間は10:00~16:00。YEGの皆さんは昨年、「ホルモン横丁」を開催していましたね。


関連企画も充実してすっかり恒例のイベントとなったこの「産業まつり」。今度の日曜日はぜひみなさんで気仙沼市魚市場へお出かけください。

2018年10月26日ブログ「産業まつりの沿革」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 産業まつり 市場で朝めし。

「巨釜半造 春の海」

10月7日の三陸新報に、気仙沼向洋高校に自身の絵画作品を寄贈した同校OBの話が紹介されていました。

絵画寄贈

三陸新報10月7日記事の一部イメージ


絵を寄贈したのは東京都調布市の金野英文さん(76)です。向洋高校の前身である気仙沼水産高校の漁業科を1962年に卒業後、船員生活や会社員生活を送りながら趣味で絵画を描き続けてきたそうです。震災前の旧校舎時代にも複数の作品を寄付しているとのこと。

写真にうつっているのは、2枚組の「巨釜半造 春の海Ⅰ・Ⅱ」。地元在住の同窓生10人に囲まれている前列右から3人目が金野さんです。

76歳のいまも趣味で絵を描き続けているというのが素晴らしい。

昨年11月にも、向洋高校に絵画を寄贈したOBの方を紹介したことがあります。埼玉県富士見市の菅原清さんです。当時87歳。菅原さんが寄贈した絵は岩井崎の潮吹き岩でした。

気仙沼を離れて東京で暮らすおふたりが描く巨釜半造(おがまはんぞう)や岩井崎。筆を運ぶときに脳裏に浮かぶ風景を想像すると、絵を見ずとも深い味わいを感ずるような気がいたします。


2018年11月1日ブログ「菅原清さんの絵画」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 金野英文 気仙沼向洋高校

論点はサンマ不漁

10月18日(金)の毎日新聞「オピニオン/論点」欄に 「目黒のさんま祭」気仙沼実行委員会会長/松井敏郎さんのインタビュー記事が掲載されていました。テーマは「続くサンマ不漁」で、松井さんの話を受けて〈もはや大衆魚でなくなった〉の見出しも。


毎日新聞

毎日新聞10月18日記事の一部イメージ


松井さんの話の一部を引用します。

〈 今年も恒例の「目黒のさんま祭」を9月15日に無事に開くことができた。直前まで「生」を運べるかどうか、やきもきさせられたが、直前になって船頭さんらの努力で23トンを気仙沼に水揚げし、えりすぐりの7000匹を目黒に届けることができた。(中略)

落語の「目黒のさんま」にちなんだ思いつきで1996年に始めた祭りだが、当時はサンマなんて大衆魚も大衆魚。気仙沼では秋になればたっぷりと脂が乗ったサンマが大量に押し寄せ、我々の食卓は来る日も来る日もサンマばかり。見るのも嫌になるくらいで、わざわざ金を出して買う魚ではなかった。そんなサンマでも東京の人たちが喜んでくれるのなら、ぜひ生きのいいのを楽しんでもらおう。そんな思いで始め、今年で24回目を迎えた。 〉(引用は以上)

このあとの話は、東日本大震災の年のこと、そして今年の不漁についてと続き、〈もはやサンマは必ず楽しめる三陸の秋の味覚でも、安価で楽しめる大衆魚でもなくなってきているのだ〉と。

今後の「目黒のさんま祭」はどうなっていくのだろう。松井さんは話をつぎのように結びます。〈四半世紀に及ぶ積み重ねの中ですっかり生活の一部になった秋の祭りをやめるわけにはいかない。これは関係者の一致した思いだ〉。


聞き手は毎日新聞編集委員の森忠彦さん。写真も森さん撮影とのことですが、松井さんのプロフィール写真は今年の目黒のさんま祭会場で撮られたものです。このブログで紹介したさんま祭の写真にうつる松井さんの姿と〈照合〉してみましたが間違いなし(笑)。目黒での取材に加えて、気仙沼でも松井さんの話を聞いてくれたのかもしれません。

森さん、丁寧なインタビュー記事にまとめてくださって、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

9月17日ブログ「目黒のさんま祭報告」
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 松井敏郎 さんま祭

追悼 和田誠さん

10月16日の読売新聞朝刊に、イラストレーターやエッセイストなどとして活躍している南 伸坊(みなみしんぼう)さんの和田誠さん追悼の文章が掲載されていました。主要紙の和田さん訃報記事にちょっと物足りなさを感じていた私は、南さんの文章を読み、なにかホッとした気分をおぼえました。追悼しつつ和田さんの(言葉はちょっと固いのですが)功績をしっかりと記してくれていると。


追悼

読売新聞10月16日朝刊記事の一部イメージ


南さんは、〈日本のイラストレーションの父、和田誠さんが亡くなった〉と文章を始めます。そしてつぎのように続けます。〈1964年、三人の若手デザイナー、宇野亞喜良、横尾忠則、和田誠が立ち上がって、東京イラストレーターズ・クラブを設立した〉〈そして1965年、雑誌『話の特集』が創刊されるや、無給のアートディレクター兼副編集長となった和田さんは、まったく新しい雑誌作法を創り出したのだ〉

南伸坊さんは、1947年6月生まれということなので、私たちより学年でいうと4つ上ですが、高校生のときにこの雑誌を手にしたといいます。〈自分たちのための雑誌。夢にも見ていなかった現実が出現したくらいによろこんだ〉。

私も高校2年生のころだと思いますが、気仙沼の文信堂書店で『話の特集』を見つけて、それ以来ずっと読み続けました。大学生になってからは神保町や高田馬場の古書店などで古い号を買ったりして、創刊から15号ぐらいまでは手に入らなかったものの300冊以上が手元にありました。

表紙は横尾忠則さん、グラビアが篠山紀信さんと立木義浩さん。南さんは〈横尾さんでさえ、世間的にはまだ無名だったのだ。が、広告業界ではそれぞれが大立者だったはずだ。デザインや写真の分野では一線で活躍する人々も、一般の雑誌には進出していない。それらのキラビヤカな才能を、一挙にあつめて、無給のアートディレクターは、めざした「新しい雑誌」を創出した〉と。

和田さんの最大の〈功績〉はそこにある思います。南さんは追悼文をつぎのように結んでいます。〈そんなに売れ行きもよくなかった『話の特集』の読者に蒔(ま)かれた種は一気に広がったのだった〉。

まさにこれ。〈蒔かれた種〉。私が、東北ツリーハウス観光協会/100 TREE HOUSEのロゴに見いだすビジョンのひとつは、蒔かれた種が育ち、枝を伸ばし、幸せな暮らしが営まれているであろう小さな家を支えているというものです。枝が描く同心の円弧は外への広がりも感じさせます。




ほぼ日「100のツリーハウス」サイト


南伸坊さんの追悼文のタイトルは〈「新しい絵」 世にまいた種〉。〈新しい絵〉には〈新しい世界〉との意も感じます。

和田誠さんを追悼するにふさわしいすばらしい文章です。南伸坊さん、ありがとうございました。

10月14日ブログ「和田誠さんに感謝」
 

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tag : 和田誠 南伸坊 話の特集

熊谷達也文学講演

11月10日(日)午後1時から気仙沼図書館で、熊谷達也さんの文学講演会が開催されます。

熊谷達也講演会
三陸新報10月15日記事より


熊谷達也さんは「直木賞作家」と一言で紹介されることが多いのですが、詳しくは2004年にマタギをテーマにした小説『邂逅の森』で「直木賞」(上期)そして「山本周五郎賞」も受賞しています。つまり「直木賞&山本周五郎賞作家」です。これはとてもすごいことですね。

三陸新報の記事によれば、11月の講演会は10月27日から始まる「読書週間」の一環で、気仙沼図書館の新館1周年記念として開催されます。今回は、「仙河海サーガ制作秘話」と題し、創作活動や取材エピソードを語るとのこと。

〈サーガ〉は、〈シリーズ〉といったような意味で、熊谷達也さんがつぎの寄稿文で、「仙河海シリーズ」を〈人によっては「仙河海サーガ」と呼んでいるようだ〉と記しています。

講談社PR誌「本」2016年12月号寄稿文

仙河海(せんがうみ)は小説中に設定された架空の街ですが、気仙沼をモデルにしています。気仙沼の人なら、〈あの人だな〉とか〈あそこだな〉と感じる人物や場所が多数登場します。講演会では、そうした気仙沼の人には特別な解説が作者自身によってされることでしょう。

熊谷さんは仙台市で生まれ、登米町で育ちました。佐沼高校、東京電機大学を卒業後に埼玉県で中学校の教員となります。そして、インタビュー記事によれば〈30歳になるかならないか〉の頃に宮城県に戻り、気仙沼中学校で3年間勤めて最後の年に結婚したとのことです。

私は2016年9月3日に東京で熊谷達也さんのお話を聞きました。気仙沼サポートビューロー(KSB)主催のKSB復興フォーラムです。とても興味深い話をたくさん聞くことができました。この会にも、気仙沼中学時代の教え子が何人か来ていましたが、今度の講演会でも同様かと。

11月10日の開催ですからちょっと先のことなのですが、定員は50人ですので整理券の入手はお早めに。気仙沼図書館と唐桑分館、本吉図書館で配布しています。参加費は無料です。問い合わせは気仙沼図書館(電話:22-6778)まで。

2016年9月5日ブログ「熊谷達也先生の話」
 

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tag : 熊谷達也 仙河海

新宮市と気仙沼市

気仙沼市と新宮市との交流都市締結1周年を祝い、新宮市の歴史研究家らを迎えた「歴史探訪フォーラム2019」が10月20日(日)に開催されます。10月9日の三陸新報が伝えています。

歴史フォーラム
三陸新報10月9日記事より


◎歴史探訪フォーラム2019
主催:
新宮市・気仙沼市交流推進実行委員会
唐桑大漁唄込復活推進実行委員会
日時:10月20日(日)13:30〜6:00
会場:気仙沼市鹿折公民館ホール

記事では、フォーラムのテーマをつぎのように紹介しています。〈1300年前に紀州・熊野(現 新宮市)から海路によって運ばれた神霊が唐桑町鮪立に上陸し、そこから陸路をへて室根神社(岩手県一関市)にまつられた歴史を再認識し、両市の「歴史・文化・産業」を通じた相互発展の在り方を考える〉。

一年前、2018年10月27日に両市で交わされた協定書の前文にも同様のことが記されています。

〈和歌山県新宮市と宮城県気仙沼市は、ともに太平洋の豊かな資源に恵まれたまちであり、海が取り持つ縁で、古くは養老2年(西暦718年)の熊野神 勧請と延宝3年(西暦1675年)の鰹溜め釣漁法の伝授など長い交流の歴史の中で産業や文化を育んできた。本年の熊野神勧請1300年室根神社特別大祭を機に、両市の交流をこれまで以上に推進することにより、文化の振興と産業の発展に寄与することを目的に、以下のとおり協定を締結する。〉(引用は以上)

鹿折公民館ホールで開催されるフォーラムでは、講演のほか、創作落語「熊野詣」やアトラクションとして崎浜大漁唄込、唐桑濱甚句十手踊りなどの披露も予定されています。詳しいプログラムは、つぎのラヂオ気仙沼のサイトに掲載されていますのでご覧ください。

ラヂオ気仙沼/歴史探訪フォーラム2019

昨年3月24日には、東京・目黒区民センターで「歴史探訪フォーラム」で開催されました。翌日には、からくわ物語「海の古道」東京公演があり、その前夜祭としての催しでした。川島秀一さんの基調講演や、唐桑町古館家当主の鈴木伸太郎さんなど6氏によるフォーラムも大変興味深いものでした。2018年3月27日のブログにその様子を紹介しております。

気仙沼市唐桑と紀州・熊野との歴史的な関わりはずいぶん知られるようになってきたと思いますが、さらに広く深く知られる価値があると思います。20日(日)午後1時半より。鹿折公民館ホールに是非おでかけください。

2018年3月27日ブログ「黒潮に運ばれた道」
 

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気仙沼の小さな家

きのうのブログで、和田誠さんのデザインによる東北ツリーハウス観光協会のロゴのことを紹介しました。本日紹介するのも同協会に関係する催事。「笹尾光彦さんの111枚のちいさな絵」展が10月18日から気仙沼図書館で開催されます。


笹尾さん
TOBICHI東京/イベントサイトより

TOBICHI東京/イベントサイト

TOBICHI東京の イベントサイトによれば、〈赤の画家〉として知られる笹尾光彦さんは、かねてより「100のツリーハウス」プロジェクトに心を寄せ、ご自身でも何らかの形で参加したいとずっと思っていたとのこと。そのお気持ちが、今回「気仙沼のために、絵を描き下ろす」ことに結実したといいます。笹尾さん、ありがとうございます。

「ほぼ日」さんが主体となって、つぎの3か所で展覧会が開催されます。

◎笹尾光彦 ~111枚の小さな家~

◎気仙沼図書館
10月18日(金)〜11月1日(金)
(最終日の展示は正午まで)
気仙沼図書館エントランス壁面
(気仙沼市笹が陣3-30)
◎TOBICHI京都
11月8日(金)~11月13日(水)
◎TOBICHI②(東京・南青山)
11月22日(金)~11月26日(火)

展示される作品は販売され、必要経費をのぞいた利益の部分が東北ツリーハウス観光協会へ寄付されます。気仙沼図書館での販売は難しいため、展覧会終了の翌日、11月2日(土)の14時くらいから、「気仙沼のほぼ日」で販売会を開催するそうです。

◎気仙沼の販売会
日時:11月2日(土)14時〜17時
場所:気仙沼のほぼ日
住所:気仙沼市神山5-19

この販売会の日程を記したあとにアレッと思いました。たしか「気仙沼のほぼ日」はことし11月1日で〈お開き〉になるのでは。そして、10月31日から11月1日にかけては「マジカル気仙沼ツアー2019」も開催されるはず。

そうか、この笹尾光彦さんの「111枚の小さな絵」展も、沼のハナヨメ/サユミさんがいう〈「気仙沼のほぼ日」おひらきのフィナーレ」〉のひとつなのか。

そう考えると、気仙沼のほぼ日が、〈小さな絵〉ならぬ、〈小さな家〉に思えてきます。そして2011年11月1日に開所した気仙沼のほぼ日がお開きになっても、気仙沼に始まる100のツリーハウスの活動はこれからさらに大きく広がっていくんだなあと。

そんなことを思いながら、和田誠さんデザインの東北ツリーハウス観光協会/100 TREE HOUSEのロゴをあらためて見てみると、そこにさまざまなビジョンが込められていることにきづきます。

気仙沼図書館での10月18日(金)からの展覧会に是非おでかけください。そして11月2日、お開き翌日の「気仙沼のほぼ日」にも。どうぞよろしく。

10月14日ブログ「和田誠さんに感謝」
 

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和田誠さんに感謝

昨日そして今日と日が経つにつれて、台風19号による被害の大きさが明らかになってきています。被災された方々にお見舞いを申し上げます。

18日の金曜日、台風19号接近に関する情報がいろいろと流れるなか、和田誠さんが死去とのニュースを見て驚きました。代々木公園駅近辺でお見かけすることがなくなり、担当していた週刊文春の表紙のイラストレーションが旧作の〈アンコール〉となったのはずいぶん前のことです。心配しておりました。奥様の和田レミさんによれば、1年ほど前から体調を崩し自宅で療養していたとのことです。

和田誠さんには気仙沼もお世話になりました。2014年9月23日ブログにそのことを記しておりますので再掲します。

◎和田誠さんに感謝
2014年9月23日ブログ

先週金曜日、9月19日午前10時過ぎ。仕事場に向かうために地下鉄代々木公園駅で降りて階段をのぼりました。雑誌を読んでいて駅をひとつ乗り過ごし、時間をロスしたなと思いながら。そしていつもと違うルートを選び小田急線代々木八幡駅を右に見ながら少し歩くと、その人がこちらに向かって歩いてきました。和田誠さん。近くの代々木上原にお住まいです。これまでも、ふた月に一度くらいの頻度でお見かけすることがありました。

あらためて説明の必要もありませんが、デザイナーでありイラストレーター、そして映画の監督もというお方。その和田誠さんが、昨年11月に〈東北ツリーハウス観光協会〉のマークをデザインしたことを、〈ほぼ日〉の「100のツリーハウス」サイトで知っておりました。




ほぼ日「100のツリーハウス」サイト


失礼と思いつつも、声をかけ、つぎのようなことを話した(つもり)。

「突然すみません。オダと申します。多摩美(術大学)の後輩です。実は気仙沼の出身でして、ツリーハウスのロゴなど、和田さんの気仙沼へのご支援に一言お礼を申し上げたいと思っておりました。奥様にも気仙沼のイベントでのメニュー開発などをしていただいて。本当にいろいろとありがとうございます」

奥様の和田(平野)レミさんはシャンソン歌手そして料理愛好家としても知られています。そして、昨年9月のさんま寄席の日に開催された〈市場で朝めし。〉の〈ほぼ日〉ブースで販売された〈平野レミさんの海カツサンド〉を糸井重里さんと一緒につくりあげてくれたのがレミさんです。

和田さんは、「糸井君と……」知り合いということもあって頼まれたなどと語ってくれました。突然に声をかけられて驚いたことと思います。なにか急に話しかけられ、早口でよくわからなかったけれど、とりあえず〈気仙沼〉と〈ありがとう〉だけはわかった、みたいな(笑)。

〈これからも、気仙沼をどうぞよろしくお願いいたします〉と和田さんに直接お伝えすることができたのはなによりでした。電車を一駅乗り過ごして大事な時間を失ってしまったと思っていましたが、そのおかげでうれしい出会いを得ることができました。

和田夫妻の気仙沼へのご支援にあらためてお礼を申し上げます。

(再掲内容は以上)

再掲内容中の、ほぼ日「100のツリーハウス」サイトには、ほぼ日/スガノさんが、5年前の和田さんの元気な姿がうつる写真とともに(和田誠さんは100のツリーハウスの「顧問」なんです)と記しています。

2014年のブログでは、東北ツリーハウス観光協会のロゴを同協会サイトから拝借したのですが、今回は和田誠さんの公式サイトからお借りしました。現在の公式サイト中に紹介されているロゴの仕事は15種ですが、そのなかにこのロゴが紹介されています。

糸井重里さんの発案に始まり2013年10月に発足したこの協会は気仙沼の斉藤道有さんが代表理事。数ある仕事/作品のなかから、このロゴを選んでくださっていることにも配慮を感じています。

高校時代から購読し大きな影響を受けた雑誌「話の特集」もアートディレクターという役割を越えての和田さんの仕事がなければ、あの素晴らしい内容を実現できなかったことでしょう。1か月ほどまえに読んだ本のなかで、同誌の創刊編集長だった矢崎泰久さんが和田さんの貢献を語っている話を読んだばかりでした。こうした形でも、和田さんには大変お世話になったんだなと。ほかにもいろいろと思い出すこと、語りたいことがありますが、ここにわざわざ書くこともないでしょう。

和田誠さんのご冥福を祈ります。ありがとうございました。
 

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tag : 和田誠 ツリーハウス

グッドデザイン賞

気仙沼の皆さん、とりわけ南町や魚町の人にとってはまさに朗報。気仙沼の〈復興デザイン [気仙沼内湾ウォーターフロント・「迎」ムカエル・「創」ウマレル(PIER7)]〉が、2019年度グッドデザイン賞を受賞しました。10月2日の発表。


グッドデザイン賞
グッドデザイン賞サイトより


「復興デザイン」2019年度グッドデザイン賞サイト


本件での受賞企業・団体等はつぎのとおりです。内湾地区復興まちづくり協議会・LLC住まい・まちづくりデザインワークス (東京都) ・株式会社アール・アイ・エー (東京都) ・有限会社オンサイト計画設計事務所 (東京都) ・ぼんぼり光環境計画株式会社 (東京都) ・宮城県・気仙沼市です。記録として受賞概要を引用しておきます。詳細は同賞サイトをご覧いただきます。


◎概要
東日本大震災で被災した気仙沼市の中心街・内湾地区では、みなと文化を継承するため、復興まちづくり協議会(住民、産業人)が、デザイナー・県・市との協働により、防潮堤と一体型の海岸公園、スローシティ観光商業施設「ムカエル」、まち・ひと・しごと交流プラザ「ウマレル」を整備し、海とまちが連続した景観を創出した。
◎デザインのポイント
1.震災前からのみなと文化を継承するための海とまちの連続性の確保可能な防潮堤の景観デザイン 2.防潮堤と一体型の観光商業施設・交流拠点施設の整備による「にぎわい」と「いとなみ」の復興デザイン 3.建築・土木、地域住民・地元産業人・宮城県・気仙沼市など、多主体事業連携を可能にしたデザイン調整
◎プロデューサー
内湾地区復興まちづくり協議会 会長 菅原昭彦、同 公共施設・観光部会長 宮井和夫、宮城県、気仙沼市
◎ディレクター
早稲田大学都市・地域研究所 阿部俊彦
◎デザイナー
住まい・まちづくりデザインワークス(阿部俊彦、津久井誠人)、アール・アイ・エー(村山寛、増見収太、今井圭)、オンサイト計画設計事務所(長谷川浩己、須貝敏如)、ぼんぼり光環境計画(角舘政英、竹内俊雄)

受賞対象の詳細がとてもよくまとめられています。引用します。

◎背景
気仙沼市内湾地区は、水産都市気仙沼の中心街である。魚市場の移転後、産業や商業は新市街地への移転が進み、人口減少や高齢化により地域経済が衰退しつつあったが、海とまちが連続する美しい港町の景観は、観光客も訪れる魅力になっていた。 東日本大震災の津波による被害を受け、多くの建物が流出した。復興計画の策定が急がれる中、宮城県より高さ4.4m(TP6.2m)の防潮堤の計画が示され、多くの住民は、美しい港町の景観、文化、営みが失われてしまうことを恐れ、防潮堤の計画に反対した。  これを契機に、海とまちの連続性を確保するために、気仙沼市によるまちづくりコンペが開催され、専門家やデザイナーの協力を得て、内湾地区復興まちづくり協議会による防潮堤計画に関する宮城県との協議、ウォーターフロントの復興デザインの検討が進められた。

◎経緯とその成果
海とまちの連続性の確保のためには、防潮堤と一体型の海岸公園、ムカエルとウマレルが、シームレスな空間に再生することが求められていた。  そこで、内湾地区復興まちづくり協議会において、建築・ランドスケープ・照明の各分野のデザイナーの協力のもと、ワークショップを通じてデザインが検討された。その内容は、防潮堤の海側に斜面緑地・ステップガーデン・回廊などを設置、まち側に建築(ムカエル、ウマレル)を配置、さらに建築から片持ちで張り出したデッキで防潮堤を覆うことで両側の連続性を確保するものであった。これをもとに、宮城県や気仙沼市の担当者及び土木設計・工事関係者とのデザイン調整会議が繰り返された。  その結果として、本地区では、「海と生きる」という地域の文脈を継承し、港町にふさわしい景観とともに、「にぎわい」と「いとなみ」を取り戻すことができた。(引用は以上)

私は、特に審査委員の評価をうれしく読みました。その中には〈未来の風景に向けた提案である〉と記されています。なお、本件の担当審査委員は、永山 祐子・浅子 佳英・林 厚見 ・山梨 知彦の4氏です。ありがとうございました。

◎審査委員の評価
現在、東北の湾岸部を歩いていて驚くのは、その防潮堤の巨大さである。暴論を承知で言えば、安全のために必要とはいえ、震災後の防潮堤は、震災時以上に大きく風景を一変させているとすら感じるほどだ。この計画では、防潮堤の海側を階段状のステップガーデンで覆い、内陸側にテラス付きの店舗を設け、ステップガーデンとテラスをドッキングさせることで、防潮堤を覆い隠し、防潮堤の機能は残したまま、海と内陸側をつなげている。未来の風景に向けた提案である。(引用は以上)

グッドデザイン賞は、1957年に開始されました。受賞デザインに付される亀倉雄策さんデザインのシンボルマーク「Gマーク」はみなさんご存じのとおり。ただ、シンボルは変わらないものの、〈グッドデザイン〉の定義というか意味するものは大きく変化しています。〈復興デザイン〉が受賞対象となるというのも、その変化のひとつでしょう。といったいろんなことを思い起こしましたが、また回をあらためて記すことにいたします。

内湾地区復興まちづくり協議会をはじめ多くの関係者の皆様に心からお祝いを申し上げます。このたびのグッドデザイン賞受賞、本当におめでとうございました。

2018年11月19日ブログ「祝!内湾ムカエル」
2019年4月17日ブログ「気仙沼交流プラザ」
 

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御手洗さんの随想

三陸新報で毎週1回掲載される「リレー随想」は、筆者が次回の筆者を指名する形でつないでいきます。先週の筆者は、国土交通省から出向して気仙沼市副市長をつとめている留守(るす)洋平さんでした。その留守さんが指名したのは、気仙沼ニッティング代表の御手洗瑞子(みたらい たまこ)さん。そして10月9日(水)に御手洗さんの〈リレー随想〉が掲載されました。


リレー随想
三陸新報10月9日掲載記事より


タイトルは「わたしの好きな気仙沼弁」です。気仙沼に来て7年経った御手洗さんがいろいろと教えてもらいながら覚えた気仙沼弁がいくつか紹介されていました。たとえば、「おしょすい」「あっぺとっぺ」「かばねやみ」など。

また、「気仙沼は、ぎりすびゆるぐねーがら」と言われたときは、さっぱり意味が分からなかったそうです。祝儀・不祝儀など義理立ての出費が楽でない/ゆるくないといったところでしょう。なにかをわたせば、またそのお返しがと、まさに〈やったりとったり〉。

御手洗さんが特に好きな気仙沼弁は、「かえってどうもー」だそうです。〈親切なことが一往復してから出てくる言葉であるところが、なんとも好きだ。気仙沼の人は、実に軽やかにこの「かえってどうもー」を言う。それはきっと、それだけ親切なことの「やったりとったり」が、気仙沼の中では当たり前にあるということだろう〉と。

私が面白いと思ったのは、〈気仙沼弁の中には、かつて京都を中心に使われていた古語が、たくさん消えずに残っている〉と述べていたこと。これは気仙沼でよく聞かれる話です。その理由として語られるのが、約1200年前に相模の国司だった三位中納言昭次(あきつぐ)卿が、気仙沼の現在の九条地区に館を構えていたからという説。そのあたりのことを2017年8月21日ブログ「中納言神社の再建」に書きましたので、主要部分を引用しておきます。

〈 嵯峨天皇時代(809〜822年)に相模の国司だった昭次卿(あきつぐきょう)は、豪族の娘・玉姫と結婚して息子を授かった。しかし、玉姫に思いを寄せていた有力者の陰謀によって隠岐の国に流され、妻子も襲撃を受けて消息不明になったとされる。

その後、朝廷より許された昭次卿は新たな任地である陸奥を目指し、「香久留ケ原」に館を建設。現在の羽黒神社の社地に観音像を祭り、妻子の無事と再会を一心に願った。そのかいあってか、気仙の髙田(陸前髙田市)で「しもべ」になって農作業をする妻子と再会。昭次卿は感謝の気持ちをもって羽黒神社を興したとされる。 〉(自ブログ引用は以上)

この物語が気仙沼における「中納言伝説」です。「香久留ケ原」(かくるがはら)は、「中納言原」とも呼ばれました。旧 気仙沼高校の校歌のなかでも「香久留ケ原に聳(そび)え立つ」とうたわれているように、気高の所在地近辺です。

中納言伝説は、気仙沼の人にもっと知られていい話と日頃から感じているので、この機会に関連ブログを末尾に掲げておきます。お時間のあるときにでも。

話を戻します。新聞や雑誌などマスメディアに登場する機会の多い御手洗さんですが、地元メディアへの寄稿は案外めずらしい。そしてその随想のテーマが気仙沼弁であったことを大変うれしく思いました。かなりいい感じのローカライズが進行しているようです。

おっといけない。書き忘れるところでした。御手洗さんが次回の筆者に指名したのは、ラーメンでおなじみの〈まるき〉熊谷一政さんです。これも楽しみですね。

2017年8月21日ブログ「中納言神社の再建」
2017年8月28日ブログ「羽黒神社」の由緒
2017年9月6日ブログ「中納言神社鎮座祭」
 

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市長のツイッター

気仙沼市の菅原茂市長が10月1日からTwitter(ツイッター)を始めました。〈市長が「つぶやき」ます〉と題された9月27日の記者発表資料の表現にしたがえば、〈Twitter(ツイッター)に菅原茂(気仙沼市長)アカウントを開設し、10月1日(火) より運用を開始〉しました。


ツイッター

菅原茂(気仙沼市長)プロフィール画面より


同資料によれば、市長自らが、市政や市内の最新情報、隠れた情報などを始め、「気になる」話題への想いや感想も含め発信するとのこと。10月1日から8日までで13ツイートが投稿されています。私もさっそく菅原市長をフォローしてツイートを見ておりますが、硬軟のバランスや写真の扱いなど、なかなかいい感じ。

10月8日午後3時半のツイートは、村井宮城県知事の「みらい造船」視察でした。新聞報道で知る情報とはちょっと違った角度というか、リアルな印象を受けました。

参考まで申し上げれば、このツイートの末尾で菅原市長は〈同社のキャッチ「100年先の未来へ」のとおりの発展を期待しています〉としていましたが、正確には「震災から100年先の未来へ」です。ツイートは140字制限があるので簡略化したのでしょう。

市長のツイッター投稿が多くの人の目に触れるようになると、この私のような〈面倒くさい/メンドクセ〉反応がいろいろあると思います。地元新聞や市議会との距離感といったこともあるかもしれません。しかし、そうした反応に学びつつ、鍛えられつつツイートを継続して欲しいと思います。

連想するのは、千葉市長の熊谷俊人さんのツイートです。議会、市民、メディアなど、とりまく様々な行政や政治環境のなかで積極的な情報発信をおこなっています。ときにはメディア報道に対する反論なども。菅原市長もツイッター開始にあたって、参照していると思いますが、ひとつの参考モデルといってよいでしょう。

ちょっと話が横にそれましたが、菅原市長がどんなことをつぶやいているのか。どうぞのぞいてみてください。菅原市長のツイッターアカウントは下記に。

菅原茂(気仙沼市長)

ついでに私のアカウントも(笑)。主に本ブログのお知らせや気仙沼関連のリツイートなどをおこなっています。

気中20/小田
 

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かねせんの新店舗

気仙沼の〈かねせん蒲鉾店〉さんが、震災後4年間営業してきた田中前店を閉じて、10月7日に魚町に新店舗をオープンすることは9月24日のブログでお伝えしました。そしてきのう10月6日(日)の三陸新報に、新しい店舗の写真とともにオープン告知の広告が掲載されていました。

かねせん
三陸新報10月6日掲載広告より


新店舗は魚町1丁目5-6です。広告右下の地図には〈※震災前の場所です〉との説明がありました。

先日のブログで、以前のかねせんさんの店について〈震災前は魚町、太田入口の山友薬局の右側にありました〉と書いたのですが、いまは〈吉花堂さんの右側〉といわなければいけなかったのですね。さらに右側には菓子店の〈ブリアン〉さんがありました。さらに右側のほうの角には果物の〈細谷青果〉さん。陣山への小道をはさんで〈熊谷煙草屋〉さん、何軒かすぎて〈弁龍屋豆腐店〉さん。弁は難しい方の漢字/正字の辨だったかな。辨龍屋。といったならびの店の名を思い出そうとするのですが、なんか記憶があやしくなっており、この辺にしておきます。

広告には7日8日のオープン記念の特典が記されています。③番目の「さつま揚げ」はわかりますが、「タコ唐」というのはなんでしょう。タコの唐揚げだろうとは思うのですが、蒲鉾店がつくるタコ唐というのが面白いし美味しそう。数量限定とのことですが、どうぞお出かけいただいて私の代わりにご賞味いただければと。

かねせんさん、元の場所に戻っての新店舗オープン、おめでとうございました。益々の盛業、繁盛を願っております。
 

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商工会議所女性会

気仙沼商工会議所女性会が創立40周年を迎え、10月3日に記念式典がおこなわれました。5日の三陸新報が伝えています。

女性会

三陸新報10月5日記事の一部イメージ


女性会の会長は、武山美加(櫻子/おうし)さん(3年9組)です。櫻子は書家でもある美加(みゆき)さんの雅号。

商議所の女性会は1979年に婦人会として創立されたそうです。式典では、創立時からの会員で2代目会長を務めた菅原倭子特別顧問(86)に感謝状が贈られたとのことです。また、記念事業として、子供たちの教育のために、気仙沼図書館に児童図書約200冊を寄贈しました。

婦人会/女性会としては40周年ですが、気仙沼商工会議所はいつ設立されたのでしょう。気仙沼文化史年表(荒木英夫 著)を調べてみたら、69年前の1950(昭和25)年10月20日に創立総会がおこなわれています。初代会頭として魚町〈木田屋〉木田(きだ)豊吉さんが選出されました。木田豊吉さんは、それまでに県会議員もつとめていたはず。漁協組合長など要職を歴任しています。

なんとはなしに年表の項目を目で追っていたら、1952(昭和27)年10月31日「商工会議所会頭に広野善兵衛を推薦」とありました。2代目会頭ということでしょう。「麻屋」(現 アサヤ)社長で、1957(昭和32)年から4期16年間は気仙沼市長をつとめています。

なお、10月2日の三陸新報に、任期満了に伴う気仙沼商工会議所の1号議員選挙で38人が無投票当選したとの記事が掲載されていました。1号議員とは会員および会員以外の特定商工業者の投票によって選ばれます。同級生では、カネシメイチ/小山修司君(3年5組)、臼眞倉庫/臼井真人君(3年2組)のふたりが引き続き務めます。1号のほかには部会員から選ぶ2号議員、会頭の指名ほかの方法で選ぶ3号議員がありますが、詳細は略します。

ちょっと話がとんでしまいましたが、武山さんが商工会議所女性会の会長としても活躍していることをお伝えしたく。書家としての活動もありますからいろい忙しいこととは思いますが、魅力あるまちづくりのために頑張ってほしいと思っております。

なお、武山さんは本年、毎日書道展/近代詩文書の部の最高賞とされる〈会員賞〉を受賞しました。大金星。つぎのブログに記しております。こちらも是非に。

7月19日ブログ「武山櫻子受賞記事」
 

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tag : 武山櫻子 商工会議所

「神様あそばせ」

きのうのブログ「早馬神社の800年」の末尾に、2016年2月16日のブログ「「日篭・神様遊ばせ」」のリンクを貼っておきました。そして、その記事の末尾には同年2月8日ブログ「神様をあそばせる」のリンクも。

このふたつのブログを久しぶりに読み直してみたのですが、結構おもしろい。ということで、これを機に、ひとつの記事にまとめておくことにしました。長くなりますが、お手すきのときにお読みいただければと。


2016年 2月8日ブログ

「神様をあそばせる」     


前回2月 5日のブログの結びに「〈神様が喜ぶ〉と書いたら、気仙沼の〈神様あそばせ〉という行事というか集まりの名を思い出しました」と記しました。本日はこの話。

私が中学生だったころの記憶は、〈きょうは、だれそれさんちで、神様あそばせがあるんで行ってくる〉と言う母に、それってなあにと聞いたこと。〈神様をあそばせる〉という言葉が面白く感じられたのです。その後は〈おぢゃこのみ〉(主婦らのお茶飲みの会)的な集まりと理解しておりました。

いまは仙台で暮らす母に電話で聞いてみると、〈神様あそばせは、近所の女の人たちが集まるんだけど、どんなことをしたかなあ。思い出せないなあ。細かいことは忘れてしまったけれど、たしか、小正月のときにやるんだよ。年末や正月で忙しかった奥さんがたの慰労会みたいなところもあったんじゃないかなあ〉とのこと。先月末に満93歳となったので、記憶の衰えはやむを得ないでしょう。

ネットで調べてみると、気仙沼市唐桑町の宿浦にある早馬神社のホームページの年中行事説明で「日篭・神様遊ばせ」をつぎのように記しています。〈日篭〉ひかご?がどういうことなのかはわかりません。

◎日篭・神様遊ばせ
 神と人が一体となる神事、神と共に遊ぶ神事である神様あそばせ。
 年の始め、地域ごとに各家々の人達が集まり一年の家族、地域の無事を祈る志願祈祷を執り行い、神職の講話、後に御神酒、お茶、茶菓子、お煮しめを頂きながら地域の人達と和を広げ神、人と一体となってその時間を過ごす。
 この海に面した唐桑の土地柄男性は遠洋漁業など海上の仕事に従事したため女性が家を守り、安全を祈る役目であった。ゆえに参加する者のほとんどが女性である。また、女性が堂々と一日遊べる日でもあり楽しみにしている方も多い。
 年末には再び集まり一年の無事を感謝し、報賽の祈祷を行う。いつの時代から始まったのか不明であるが、昔から伝わる唐桑の習慣、伝統である。(引用は以上)

本吉唐桑商工会のホームページ(現在はみあたらず)の〈唐桑の歴史〉の中にも記述がありました。

◎神様あそばせ
「 常に自然と向き合ってきた唐桑の暮らし。突然に襲う天変地異や事故から家族を守るため唐桑の人々はいつも祈ってきた。そのひとつが『神様あそばせ』。部落内の1年間の幸せを願って、年の始めに家々の代表者が集い地区内の神社へお参りをする。
 宿地区では、毎年総勢2~30人で近くの諏訪神社、熊野神社をまわり、早馬神社でご祈祷を受ける。オガミサマ(巫女)信仰の厚い中区では、オガミサマに1年を占ってもらう。「○月頃火事があるかもしれない」。そんな言葉に身をひきしめる。そして1年を無事に過ごすと、年の終わりに“果たし”をする。再びみんなで集まり、神様に感謝するのである。古来から伝わる唐桑の暮らし方だ。いつの時代から始まったのか、その語源は何なのか、年配の人たちもわからないという。」(引用は以上)

なるほどね。だけど、これは私の知る昭和30~40年代の気仙沼市魚町の〈神様の遊ばせかた〉とはちょっと違うなあ。と思っていたら、鹿折(ししおり)中学36回生のブログ「鹿中36会」のなかに、私の記憶に近い説明がありました。

(前略/はじめに上述した早馬神社HPの説明の引用がありますが略します)ということらしいのですが、手っ取り早く言えばおばちゃんだずが40~50人くらい集まって騒ぎまくるということ。我々の母親くらいの世代の人が中心なので、お母さんが出席したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

白菜漬け、お煮しめ、ゆで笹かまにしょうゆと味の素かけたもの(激うま)等を食べながらの飲み会です。しむけんのバカ殿に使われるようなおばちゃんの笑い声が、2時間くらい続くので、自分が小さい頃はその異様な雰囲気に恐れをなしていました。

実家を出てからは、しばらくその声を聞いていませんが、おばちゃんの持つパワーというか、その世代の方々が持つ力強さを今ではとても懐かしく感じます。「負けでらんないね」(ブログ引用は以上)

鹿中36会は昭和42・43年生まれとのことですので、現在47~48歳の方々。16歳ほど私たち気中20より若いのですが、そのお母様がたの〈神様の遊ばせ方〉は私の母の世代と同じようですね。

でもなあ、鹿折も魚町も5年前の津波で大きな被害を受けました。小正月のあたりに地区の主婦が集まって遠慮のないおしゃべりをくりひろげた〈神様あそばせ〉も今は無理でしょう。神様を遊ばせる場所が今はないのです。という結びがうまいのかうまくないのか。よくわかりませんが、新しい週がはじまりました。元気にやっていきましょう。


2016年2月16日ブログ

「日篭・神様遊ばせ」     


2月8日のブログで〈神様あそばせ〉について書きました。その記事で〈気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社ホームページの年中行事の説明の中にある「日篭・神様遊ばせ」の〈日篭〉ひかご?がどういうことなのかはわかりません〉と書きました。そして、そのままにするのも気持ちが悪いので、早馬神社さんにメールで問い合わせたところ、丁寧な返信をいただきました。本日はその内容を紹介します。

早馬神社

早馬神社ホームページのイメージ(クリックでジャンプ)

ホームページでは〈日篭〉と略字を用いて書いてありましたが、〈日籠〉は〈ひごもり〉のことだそうです。以下、解説の文面を引用いたします。

◎日籠について

日籠(ひごもり)とは日中(昼間)、神社に籠(こも)って神様に祈願をすることを指します。個人個人で祈願される場合は手術の成功や病気平癒、大漁祈願を願うことが多くローソクを灯して祈願されます。昔は夜籠り(よごもり)も行われ、一晩中籠ってお願いをしました。

日籠の中でも年始と年末に行われ、地区ごとに毎年同じ日に行われる行事を「神様遊ばせ」とも言います。神様にお米やお酒、お菓子の他、種々のお供え物を供えて1年の安泰を祈願し、その後、お供えした食品をお下げして食べ、神様と人が神人共に時間を過ごします。神様が遊ばせになる、神様と共に遊ぶという意味があります。

日籠、夜籠の名称は全国的にあるかと思われますが、「神様遊ばせ」に関しては唐桑が発祥かと思われます。古くは「おかみさま」で行われていた行事を、神社近くの地域の氏子からの依頼により早馬神社でも始めることとなりました。そこから気仙沼に広がっていったと思われます。今現在では当時沢山いた「おかみさま」も唐桑では全員亡くなられ、神社でのみ行われています。

早馬神社での神様遊ばせは地区ごとに女性達が神社に集まり、新年には平穏無事を願い、12月には報賽(ほうさい/1年の感謝)を行います。ローソクを旧暦の月の本数灯し、御祈願を行った後、お菓子やお煮しめを食べながらワイワイ雑談をして楽しみ時間を過ごします。昔は女性達が前年の暮れからお正月のお松納めまで休みなく働き、神様遊ばせだからと胸をはって出掛けることができ、その慰労とストレス解消の意味もありました。また、同じ地区の人達同志の結びつきを強くする効果もあったようです。(引用は以上)


梶原忠利宮司さまがまとめてくださったとのことで恐縮しました。唐桑における〈神様あそばせ〉の由来、背景がよくわかりました。ありがとうございました。

説明のなかにある〈おかみさま〉は、たしか〈おがみさま〉とも呼ばれたはずです。東北地方北部では〈イタコ〉とも。私が小さなころの気仙沼市魚町では、近所の人が亡くなると〈口寄せ〉という集まりがあって、〈おかみさま/おがみさま〉に来てもらい、亡くなった人からのメッセージを拝聴する風習がありました。私自身に参加経験はないのですが、母が〈今日は誰それさんの家で口寄せがあるので行ってくる〉と語っていたことを覚えています。

1年ほど前だったか、一ノ関市で〈最後のおかみさま〉が亡くなったとの新聞記事を見て、このブログで紹介しようと思いつつそのままになってしまいました。また、〈神様あそばせ〉についても、遠野地方などでは〈オシラサマ遊ばせ〉を行うそうなので、両者の関連など興味がつきません。本日は、早馬神社さんにお教えいただいた内容の紹介にとどめますが、この話題についてはまたあらためて。

今回、早馬神社様には大変お世話になりました。かさねてお礼を申し上げます。

ブログ2種の再掲内容は以上です。

ブログ中に2016年1月に93歳になった母のことを記していました。以前の気仙沼のことをブログで書くときは、母になんやかんやと電話で聞いていたのです。その母も一昨年10月に亡くなりました。今月中旬には仙台で三回忌です。

「神様あそばせ」のときもそうでしたが、母が気仙沼の〈昔話〉をした後はいつも、ひさしぶりに思い出したといって笑っていたことをなつかしく思い出します。

早馬神社のホームページとFacebookはつぎのとおりです。

早馬神社ホームページ
早馬神社Facebook
 

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早馬神社の800年

9月29日の三陸新報に気仙沼市唐桑町の早馬(はやま)神社の広告が掲載されていました。「早馬神社御鎮座八百年 奉祝記念事業完遂報告」。

早馬神社
三陸新報9月29日掲載広告より


冒頭には早馬神社の由緒などが記されています。少し引用します。

「早馬神社は1219年、鎌倉武将 梶原景時(かげとき)の兄である梶原景実(かげざね)により創建されてから、御鎮座八百年の佳節を迎えました。衣食住の守護神の他、鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』には、初代、景実が源頼朝公の直々の命によって、ご夫人である北条政子の安産祈願を執り行う中、無事、男子(2代将軍源頼家公)を出産したことが記され、史実より今も多くの安産祈願・成長祈願の参拝者が訪れます。」(引用は以上)

ネットのWikipediaの「梶原氏」の説明文のなかにも、「唐桑梶原氏」の項目がありましたので引用します。

◎唐桑梶原氏
宮城県気仙沼市唐桑町。梶原姓が100軒を超える日本最大の梶原姓の集落。梶原景時の兄で、鶴岡八幡宮(鎌倉若宮)の臨時別当に就任した梶原専光坊景実(かげざね)が梶原一族の没落、和田氏、畠山氏の没落の後に鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指す途中、本吉高衡(藤原高衡)ゆかりの宮城県気仙沼市唐桑町石浜に土着した。景実は梶原一族の冥福を祈り、菩提を弔うため梶原堂(梶原神社)を建てた。のち一族の梶原景茂の子、大和守景永は景実の所在を尋ねてこの地に至り、景実の猶子となって神職となり早馬神社を創建した。以来33代、子孫が現在まで連綿と続いている。(Wikipedia引用は以上)


当代の梶原忠利宮司からさかのぼると鎌倉時代の梶原景実にいきつくということに驚きます。また景実が、鎌倉の鶴岡八幡宮の臨時別当をつとめていたことがあるというのも興味深い。

10月6日(日)の八百年大祭における神輿渡御では、いかにも唐桑らしく船を用いての渡御がおこなわれます。宿浦港を出て鮪立(しびたち)港へ、そして小鯖(こさば)港に寄って宿浦に戻ります。また、奉納芸能もすばらしい。鮪立大漁唄込、宿(しゅく)打ち囃子獅子舞、松圃(まつばたけ)虎舞、崎浜大漁唄込と続きます。このように神社の祭に奉納される芸能こそがまさに「芸能」の名にふさわしいように思います。

早馬神社の8世紀にもわたる歴史のなかには、東日本大震災をはじめ多くの災難もあったことでしょう。そうした難局を、代々の神職はもちろんのこと、氏子をはじめ地域の皆さんの力でのりこえてきたに違いありません。このたびの拝殿屋根替えほかの八百年奉祝記念事業もその歴史のなかの一里塚となることでしょう。

そんなこんな、鎌倉時代から令和のいまに至る歴史に思いをはせつつ、早馬神社御鎮座八百年のお祝いを申し上げます。

以前にこのブログで早馬神社に関係する話を何度か書きました。ひとつは詩人 梶原しげよさんの話。32代宮司 梶原重義さんの妹、現在の33代梶原忠利宮司の叔母さんにあたります。もうひとつは唐桑だけでなく気仙沼の人なら懐かしく感じるだろう「神様あそばせ」についてです。お手すきのときにお読みいただければと。

2017年9月8日ブログ「詩人 梶原しげよ」
2016年2月16日ブログ「日篭・神様遊ばせ」
 

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tag : 早馬神社 唐桑

2015年1月の鹿折

きのう9月30日のブログ「鹿折の区画整理竣工」の続きです。鹿折地区の土地区画整理事業は、2013年7月に着工しました。当初は2017年度末の事業終了を目指していたことはきのうもお伝えしました。

本日紹介するのは、2015年1月16日のブログ「鹿折地区かさ上げ」です。この中で、着工から1年半ほど経った鹿折地区の空撮写真を掲載した三陸新報の記事を紹介しているのです。4年8か月前のブログになりますが、以下に再掲します。一部月日に年表示の追加をおこないました。


◎鹿折地区かさ上げ
2015年1月16日ブログ

三陸新報の連載〈再興するまち~上空から見る〉、(2015年)1月8日の第3回目は〈鹿折地区〉。

鹿折空撮
2015年1月8日三陸新報記事より


記事を引用します。
「津波と火災で大きな被害を受けた鹿折(ししおり)地区。土地区画整理事業による大規模なかさ上げが本格化している。事業の進捗に欠かせない盛り土の搬入率は4割を超えて順調に推移。海抜1.8~5.5mの地盤高を基本とする新たな市街地が、平成29年度完了に向け着々と形作られている。2度目の入札で建設業者が決まった災害公営住宅は、今春から工事が始まる見通し。一方、南側区域10.8haは別事業による水産加工施設集積地の造成が完了し、被災した加工場の再建が急ピッチ。集積地内には22社の立地が決定している。」引用は以上。

空撮写真だと、かさ上げの規模がなかなかわからないのですが、海抜1.8~5.5mの地盤高といいますから、相当な高さです。この地区に打ち上げられていた第18共徳丸は、2013年10月27日に解体を終了して今はありません。〈あれっ、どこにあったんだっけ〉と思われる方も多いのではないでしょうか。

鹿折地区では、鹿折中学31回生が中心になって被災した家屋跡地などにヒマワリを植えていました。この「鹿折に花を」プロジェクトについては、以前も何度かこのブログで紹介しました。そのヒマワリが植えられていた跡地の多くで今、かさ上げが進んでいるのです。鹿中31回生のブログを見ると、昨年は、鹿折唐桑駅付近のほか、ホーマックさんや浄念寺さんの場所を借りて、ヒマワリを育てたようです。鹿折唐桑駅では発泡スチロール箱をプランターにして、チューリップや水仙、ギガンジュームなども。その球根は、また浄念寺などに植えられました。今年もきれいな花を咲かせてくれることでしょう。

あと2カ月で震災から4年。鹿折のかさ上げが進む地域に育ち、暮らしていた人達の気持ちはどんなだろう。この空撮写真をながめていると、〈復興のつち音〉とは別の、もっと複雑で深さと重さを持った、多くの人の思いが伝わってくるようです。

再掲内容は以上。

写真にうつるのは震災から3年10か月の鹿折地区です。8年半後、先日9月28日に土地区画整理事業が完了しました。2015年のブログのなかで鹿折中学31回生の皆さんの「鹿折に花を」プロジェクトを紹介しています。久しぶりにそのブログ「鹿折中学校31回生+m」をのぞいてみると、鹿折の浄念寺さんに植えたひまわりのお世話のことが記されていました。かさ上げ工事のために、同級生の自宅跡などに植えたひまわりを工事の影響を受けない場所に植え替えて今もお世話しているのです。

4年8か月前のブログを読み返してみて、書いた当時とはまた違った感慨をおぼえました。そのことをお伝えしたく。

なお、「鹿折中学校31回生+m」2015年1月17日記事では、前日の当方ブログを紹介したうえで、上掲の震災後の鹿折写真と、同じ角度からの震災前写真を掲載していました。こちらも是非お読みいただければと。

「鹿折中学校31回生+m」2015年1月17日記事
 

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tag : 鹿折 土地区画整理事業

鹿折 区画整理竣工

気仙沼の鹿折(ししおり)地区で進められてきた土地区画整理事業の工事がやっと終了しました。9月28日に東みなと町公園でおこなわれた竣工式の様子を三陸新報が伝えています。


鹿折

三陸新報9月29日記事の一部イメージ


鹿折地区の土地区画整理事業は2013年に着工。沿岸部の低地ゾーンを海抜1.8m以上、住宅地となる盛り土かさ上げゾーンを海抜3m以上に造成しました。事業は、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が受託しました。三陸新報の記事が「UR都市計画機構」としていましたが誤記でしょう。

区画は547区画で、完成したところから地権者に引き渡しています。総事業費は248億円で国の復興交付金を活用しました。河北新報によれば、当初計画(108億円)の2.3倍にまで膨らんだそうです。2013年7月に着工した工事は当初、2017年度末の事業終了を目指したそうですが、被災建物の撤去や水道管などの移設工事の調整などに時間がかかったといいます。事業費が増えたのもそうした事情が関係しているのでしょう。記事では、2017年9月に土地が引き渡されるはずだった理容店「鹿折軒」の小野寺さん親子の話を紹介していました。

気仙沼市内での土地区画整理事業は、鹿折のほかに3地区でおこなわれています。それらの工事完了予定は、「南気仙沼」が本年度内、「魚町・南町」と「松崎片浜」が来年度内を見込んでいるとのことです。来年度内というと2020年度内、遅ければ2021年3月の可能性ということですね。

皆さんが一所懸命に取り組んでいらっしゃるわけですが、まだまだ時間がかかるんだなとあらためて感じました。

鹿折の工事、いろいろとご苦労があったことと思います。関係者の皆様、ありがとうございます。このたびの竣工、おめでとうございました。
 
河北新報9月29日配信記事
 
 

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tag : 土地区画整理事業

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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