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シェルの貝殻物語

きのうのブログでは90年前のサンライズ石油(のちのシェル石油)気仙沼油槽所のことを記しました。本日はサンライズ石油をつくったサミュエル商会や創業者であるマーカス・サミュエルについてです。

私は、企業のアイデンティティやブランディングといったことを仕事のテーマのひとつとしています。そんなことで、シェル石油のマークの歴史についてはある程度知っておりました。たとえば、英国シェルのサイトに掲載されているつぎの変遷図など。

シェル変遷
シェル英国サイトより


本日はこのマークの歴史を簡単に紹介しようと思っていたのですが、シェル石油の創始者といってよいマーカス・サミュエルのことを調べていたら、これがとても面白い。シェルの貝殻は日本にルーツをもつものであったのです。

ロンドンのユダヤ人の家に生まれたマーカス・サミュエルは、18歳のときに5ポンド(現在の5万円程度)だけをもち横浜にやってきます。三等船室の片道切符で。そして湘南の三浦海岸できれいな貝殻を集めて加工し父親に送ります。この貝製品の商いは大成功し、ロンドンでの商いを広げていきました。

1876年、マーカスが23歳のとき、横浜にサミュエル商会を開業します。貝殻の輸出にはじまった事業は、工業製品の輸入やアジア各国への米や石炭の輸出、そしてインドネシア/ボルネオ島での石油採掘事業へと発展していくのです。

1897年、44歳のマーカスは、ロンドンに本社をおくタンカー会社に「シェル」の名を使いました。シェル・トランスポート&トレーディング・カンパニー。日本の海岸で貝殻をひろっていた時代を忘れないためにとのこと。マークは当初ムール貝でしたが、1904年にホタテ貝に変更しました。出資者の家紋がヨーロッパホタテであったこととも関係しているようです。

1900年、石油を日本で販売するため設立した会社がライジングサン石油です。日本国内では照明用の灯油などを販売しました。そして世界ではじめてとなるタンカー船をつくります。その船名は「ミュレックス号」。アッキ貝のことだそうです。その後のタンカー船にも日本の海岸で自分が拾った貝の名前をつけたとか。

1907年(明治40年)には、シェルとロスチャイルド・フランス家のロイヤル・ダッチが合併し、「ロイヤル・ダッチ・シェル石油」が生まれました。

以上、かなり複雑な内容を簡単にまとめました。また、日清戦争のときのサミュエル商会の役割などについても、話が長くなるので割愛しました。

話を戻しましょう。サミュエル商会から生まれたサンライズ石油が気仙沼に油槽所をつくったのは1929年のことでした。気仙沼の石油タンクに、冒頭の変遷図上段中央のマークが表示されていたかもしれません。

そしてマーカスがその生涯を閉じたのが1927年。74歳でした。

マーカス・サミュエルが72歳ぐらいのときに、Kesennuma/気仙沼の名を聞いていたかもしれないというのが、きょうのブログのポイントなのですが、ちょっと話がしつこくなりました。

シェルのマークを見たときに、日本の湘南海岸にゆかりがあることをちょっと思い出していただければ幸いです。今週はこれにて。
 
6月27日ブログ「シェル石油との縁」
6月26日ブログ「朝日町の石油タンク」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : シェル石油

シェル石油との縁

きのうのブログ「朝日町の石油タンク」で気仙沼市朝日町の「気仙沼油槽所」竣工について記しました。その記事を書くために気仙沼商会さんのサイトをながめていたとき、同社沿革が目にとまりました。

その冒頭項目は、同社の設立について。来年で100周年を迎えます。初代社長の高橋幸市さんは現社長高橋正樹さんの曾祖父にあたると思います。

〈1920年(大正 9年)3月 会社成立 初代社長 高橋幸市 資本金20万円 株主総数99名。ライジングサン石油株式会社(現・昭和シェル石油)の特約店として、石油製品及びその他の燃料油の売買を目的とし営業開始〉

そしてその成立/設立から9年後につぎの記述が。

〈1929年(昭和 4年)ライジングサン石油株式会社気仙沼油槽所の完成を契機とし、その後業績は向上の一途をたどり、市場占有率70~80%となる〉

ライジングサン石油が「気仙沼油槽所」を完成させたのが、ちょうど90年前のことだったのです。気仙沼文化史年表(荒木英夫著)にも記述がありました。項目の出典は当時の地元新聞「大気新聞」です。

1929(昭和4)年12月7日、ライジングサン石油株式会社の気仙沼油槽所竣工(大気新聞)

ライジングサン石油はその後のシェル石油です。同社はさらに昭和シェル石油へ、そして本年4月には出光興産と経営統合して出光昭和シェルとなっています。

この90年前の気仙沼油槽所はどこにあったのでしょう。私が小学生のころの〈商会の石油タンク〉は柏崎下にありました。お魚いちばの近く。道路はまだ狭かった時代です。90年前もたぶんあの柏崎下だったと思うのですが。

私が驚いたのは、1929(昭和4)年という年。昭和の気仙沼大火の年です。1929年2月23日に八日町で出火し、南町や魚町一帯を焼き尽くしたのです。そのわずか9カ月後に「気仙沼油槽所」が竣工しました。工事中のときに大火を迎えたのかもしれません。

『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されている昭和の気仙沼大火の写真を掲載しておきます。本年2月25日のブログなど、何度も紹介している写真です。


『目で見る気仙沼の歴史』掲載写真(クリックで拡大)


気仙沼商会の多くの顧客会社があったであろう魚町や南町にはまだ大火後の惨状が残っていたことでしょう。90年前12月の竣工式には、気仙沼商会の高橋幸市社長もも出席されていたと思います。一体どのような気持ちだっただろう。9カ月前の焼け跡がまだ残る町にできた油槽所を前に、大きな不安を感じつつも、未来への希望や復興への熱意を胸に抱いたのではないでしょうか。

こうして、サンライズ石油/シェル石油と気仙沼の結びつきは一世紀にもわたります。そして震災時にも昭和シェルさんには大変お世話になったのです。

現社長の高橋正樹さんは昭和シェルでの勤務経験(正樹さんご本人によれば「修行」経験)があります。震災時には、以前の上司であった亀岡常務(その後の同社社長)と衛星電話がつながり、タンクローリーなどの緊急手配をお願いすることができました。そうしたやりとりや、当時の亀岡常務や香藤(かとう)会長の気仙沼に対する格別のご配慮については、下記のブログでも紹介しています。

2013年6月7日ブログ「気仙沼エネルギー」

昭和4年に竣工したライジングサン石油気仙沼油槽所は気仙沼の漁業用燃油供給の大きな力となりました。気仙沼商会さんの今にいたる発展もそれがあってのことでしょう。令和元年竣工の気仙沼油槽所が、これからの気仙沼の漁業の発展を力強く支えてくれることを心から願っております。

2月25日ブログ「昭和の気仙沼大火」
 

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tag : 気仙沼紹介 シェル石油

朝日町 石油タンク

気仙沼市朝日町に建設されていた漁業用燃油備蓄出荷施設「気仙沼油槽所」が6月21日に竣工しました。これは気仙沼市が整備した土地に(株)気仙沼商会が建設したもの。漁船用のA重油タンク計5基(各990キロリットル)が設置されました。今後は気仙沼商会をはじめ市内石油販売会社10社が共同で利用します。竣工当日の三陸新報に掲載された広告を紹介します。


竣工広告
三陸新報6月21日掲載広告の一部イメージ


朝日町の石油タンクというと、気仙沼の多くの人が東日本大震災のことを思い出すことでしょう。津波で被災したタンクから流れ出た石油はその後の火災の原因のひとつとなりました。報道によれば、朝日町だけでなく気仙沼湾沿いにあった民間タンク23基のうち22基が津波で流失して貯蔵されていた重油やガソリン約1万1500キロリットルが海に流れ出たのだそうです。

そうしたこともあって、このたび完成した各タンクの外側は特殊なコンクリートを用いた壁で囲われ、津波や漂流物の衝突にも耐えられる構造としてあります。この壁は市が整備したもの。

21日におこなわれた竣工式で、関係者の皆さんは〈やっとこの日を迎えることができた〉との感慨をいだいたのではないでしょうか。さかのぼれば、2015年7月に気仙沼市としての施設の基本設計がまとまったとの報道がありました。燃油タンクは8基。概算事業費は31億5千万円で2015年度内の着工、16年度末の稼働を予定していると。

しかしその計画実行は遅れたようです。着工に際しての地鎮祭がおこなわれたのは2017年9月1日。この時点で施設完成は 2018年度末、つまり2019年3月とされました。


着工式
三陸新報2017年9月2日記事の一部イメージ


この記事では、建設されるタンクの数は5基となっています。市が整備する土地を借りて気仙沼商会が建設するとし、建設費は約18億円ですこの費用は市の負担を含まないタンク建設のみの費用ということでしょうか。

地鎮祭がおこなわれたのは9月でしたが、気仙沼市が造成工事費の増額予算を計上したのは同年12月のことです。予想以上に被災宅地の基礎が残っていたり、予期しなかった杭が埋まっているなどしたための増額そのほかです。

そして迎えた6月21日の竣工式。22日の三陸新報によれば、県や市、市内の水産関係者のほか、工事、石油元売り関係者ら約100人が出席したとのことです。

テープカット

三陸新報6月22日記事の一部イメージ


この記事によれば全体事業費は26億円で、国の復興交付金やグループ化補助金などを活用したとのことです。上に紹介した記事中の建設費や事業費が変動するのは、その内訳(土地・タンク・壁など)のほか、事業主体(市・気仙沼商会)の違いなどがあるとは思いますが、そのご苦労の片鱗がうかがえます。市の関係者、そして国の交付金や補助金関連部署の方々も、使える制度やその条件のやりくりや調整では多くのご苦労があったことでしょう。

また長くなってしまいました。要は当初計画から竣工までには本当にいろんなことがあったということ。

高橋正樹社長はじめ気仙沼商会の皆様、そして市や国など多くの行政関係者の皆様にお祝いを申し上げます。このたびの朝日町「気仙沼油槽所」の竣工、おめでとうございました。

なお、90年前に竣工した「気仙沼油槽所」のことも書こうと思っていたのですが、日をあらためます。それは気仙沼の〈昭和の大火〉の年12月7日のことでした。
 

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tag : 気仙沼商会 気仙沼油槽所

「編み物スクール」

きのうは西城健一君の詩文を紹介しました。きょうも〈ことば〉の話です。

6月23日の三陸新報に、気仙沼ニッティングの広告が掲載されていました。

気仙沼ニッティング
三陸新報6月23日掲載広告


「編み物スクール」開始の告知広告です。気仙沼ニッティングさんはこれまでも三陸新報に何度か広告を出稿していますが、いつも上品で気持ちがいい。今回も同じく。

毛糸玉や編み棒の、なんというか〈挿絵〉と呼びたくなるようなイラストや、オーソドックスなレイアウトも素敵です。

〈うちのでよければ、お使いください〉という毛糸は、あのとても軽くてあったかい上質な糸のことでしょう。〈親切に教えてくれる先生〉たちのやさしさが伝わってくるようです。

ここまでにしておきます。余計なことをいうのは、やぼというものでしょう。

毎週木曜日の18:30〜19:30で7月4日(木)スタート。月謝は5000円です。申し込みは随時。高校生以上で、はじめてでも、ご安心くださいとのこと。

「編んでみたい」という気持ちだけ、
どうぞ忘れずお持ちください。

 

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tag : 気仙沼ニッティング

西城健一「大都会」

三陸新報に〈ひだまり〉という詩文欄があります。6月22日の同欄に、気仙沼高校の同級生だった西城健一君の詩が掲載されていました。

西城健一
三陸新報6月22日掲載記事より



意識して詩を読む機会があまりない私ですが、この西城君の詩/ことばには感ずるものがありました。

西城君が〈不透明な未来の明りを探しに〉来た大都会は東京でしょうか。そこで彼は〈大きなエネルギー〉を感じます。〈大都会の力〉。そして〈未来へ挑戦する力が 嵐の海へと飛び込む心が 沸いてきた〉と。

私はとても新鮮な印象を受けました。気仙沼から大都会に出かけ、その喧噪に疲れ、やはり気仙沼の我が家がサイコ〜というのがよくある話です。あるいは、いつもは高層ビルのなかで働く人が、スローな時の流れる気仙沼を訪れ、疲れていた心が癒やされましたとか元気をもらいましたとか。

健一君がここに記しているのは、それとは違う、真逆ともいえる心情ですよね。その率直さに驚いたし、うたれた。

こうしてブログを書きながら思いついたのですが、この〈大都会〉がニューヨークだとしたらどうなるか。私は勝手に東京だろうと想像しましたが、実はNew Yorkだったと。気仙沼から久しぶりにNYを訪れた健一君。そんな読み換えをしてみるのも面白い。

また、〈日々野山に囲まれて〉という部分を削除あるいは言い換えれば、東京で暮らす私がニューヨークを訪れて記した詩文としても成立するかもしれません。しかし、そうした読み換えや言い換えをしても、結びの文は変わらないでしょう。〈不透明な未来は自分が作っていた 殻を破り脱皮し続けるのだ〉。

この三陸新報の掲載の西城君の詩は、霧笛129号からの転載です。詩誌「霧笛」の再出発については2017年4月のブログに記しました。気仙沼中学同級生の熊谷康雄君(3年5組)のことなども。康雄君が亡くなってそろそろ4年が経ちますね。

そんないろんなことを思い出させる西城健一君の「大都会」でした。

2017年4月17日ブログ 再出港の「霧笛」
2018年4月24日ブログ 「西城健一君の詩集」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

千厩町の白石隆一

気仙沼市古町の古美術骨董店「車屋」さんの広告が、三陸新報で月に一度(たぶん第3木曜日に)掲載されます。このブログでも、広告に登場した本田鼎雪さんの絵や菅野青顔さんの書について記したことがあります。本日まず紹介するのは、車屋さんの4月18日の広告です。


4月18日白石隆一
三陸新報4月18日掲載広告より


白石隆一(しらいしりゅういち)の「気仙沼港」。この絵を描いた白市隆市さんという方を不勉強で知らなかったのですが、調べてみると一関市千厩町(せんまやちょう)出身の洋画家でした。これは面白いとブログで紹介しようと思ったものの、あっという間に1か月が過ぎてしまいました。本当に〈まぬけ〉な話。そして迎えた5月15日、また白石隆一の絵が紹介されていました。今回の絵は「めぬけ」です。


めぬけ
三陸新報4月18日掲載広告より


一関市公式サイト「博物館だより22」で、白石隆一の「千厩小学校」という作品が紹介されています。その中の、白石隆一のプロフィールを引用します。

〈 明治37(1904)年に生まれ、東磐井郡千厩町(現一関市千厩町)の白石家、屋号「構井屋」の跡継ぎとして育てられた隆一は、千厩尋常小学校を卒業後、旧制一関中学校に入学し、ここで絵に強く興味を持ちます。

18歳で上京して川端画学校で洋画を学び、昭和4(1929)年に卒業。翌々年から洋画家・清水良雄に師事します。画壇デビューは画学校時代の昭和3(1928)年。水彩画「田園初秋」で帝国美術院展覧会(帝展)へ初入選を果たしました。以降も帝展や光風会展で入選を重ね、昭和17(1942)年に光風会会員となりました。

東京で着実に歩を進める隆一でしたが、東京大空襲で自宅も作品も焼失してしまい、昭和20(1945)年5月から千厩で暮らし始めます。戦後の代表作を次々と生み出しますが、さらに画境を深めるためより刺激を受けようと、昭和29(1954)年に一関に移ります。精力的な制作に加え、後進の指導や美術啓蒙に尽くした隆一は、地元に基盤を置く実力画家として広く知られるようになりました。

昭和40(1965)年の欧州旅行から戻ると、再び郷里千厩での生活に戻り、制作に情熱を傾けます。晩年は病と闘いながら絵を描き続け、昭和60(1985)年に80歳で死去しました。〉(引用は以上。以下略)

この後は、「千厩小学校」についての説明が続くのですが、その中に〈隆一の描く魚は大変人気があり、「魚の画家」とも呼ばれました〉との記述がありました。ネットで調べたなかには、〈日本一の魚の画家〉との呼称も見受けられました。


また一関市博物館では、2016年にテーマ展「没後30年 白石隆一~あこがれの欧州」を開催しています。そのポスターを紹介します。



一関市博物館サイトより


この展覧会では、還暦を迎えた白石隆一が夫婦で出かけたヨーロッパ旅行の際に描いたスケッチ約350点が初展示されたそうです。

白石隆一と気仙沼にはどのような縁があったのだろう。その答が、盛岡タイムズ2007年3月1日の記事のなかにありました。〈魚をモチーフの中心に据えるきっかけとなったのは戦前、妹の嫁ぎ先の気仙沼で、三陸の魚に出合ったこと〉であったと。妹さんは気仙沼のどこに嫁いだのかはわかりませんが、「気仙沼港」や「めぬけ」を描いた背景がわかりました。なお、上記の一関博物館の記述では出生地の記述はありませんでしたが、盛岡タイムズの記事に北上市生まれとの記述がありました。母親の実家とかそんなことでしょうか。

気仙沼の人には説明不要ですが、千厩は、JR大船渡線の一ノ関と気仙沼の中間にある駅ということもあり、とてもなじみ深い土地です。車屋さんの広告で白石隆一さんという画家の存在を知ったことで、さらに距離が縮まったような感じがいたします。車屋さん、ありがとうございました。


2016年12月15日ブログ「日本画家 本田鼎雪」
2018年1月25日ブログ「菅野青顔さんの書」
 

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tag : 白石隆一 車屋

気仙沼 in Stereo

オーディオ専門誌「Stereo」を(図書館で借りて)毎月読んでいます。管球(真空管)アンプや自作スピーカー、マニアのお宅拝見記事でそのオタクっぷりを笑ったりするいわば空想的オーディオマニアです。

そのStereo誌の冒頭4頁の「SOUND FOCUS」という記事。ミュージシャンが登場してオーディオとの関わりが紹介されるのですが、6月号はジャズピアニストの小川理子(みちこ)さんでした。




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いずれも「Stereo」誌2018年6月号より


小川さんについてはこれまで何度かテレビ番組でも紹介されているので、知っている人も多いのではないでしょうか。慶應義塾大学理工学部を卒業して松下電器産業(現パナソニック)に入社し音響研究所に配属されたあと、その後のオーディオブランド「テクニクス」復活の陣頭指揮をとった方です。

小川さんは同社100年の歴史のなかで2人目の女性役員とのことですが、ジャズピアニスト、ヴォーカリストとしても活躍しています。記事で紹介されているアルバム「Balluchon」(バルーション)は、通算15作目のリリースとなります。Balluchonはフランス語で〈旅立ち〉とのこと。

得意とするピアノの演奏スタイルはストライドです。歴史的にはラグタイムのつぎに登場する奏法でしょう。いずれも左手で強くリズムを刻みます。聴けば、あああれかとすぐわかると思いますが、以下省略。ネットで検索して聴いてみてください。

前置きが長くなりましたが、本日のブログ記事タイトルは〈気仙沼 in Stereo〉。上記の記事のなかに気仙沼ゆかりの人が隠れていたのです。ふたつめの画像の左下に小さく記されているアルバムのパーソネル/演奏者名に注目。


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バイソン片山(ドラム)。そうです、片山光明さんがこのレコード10曲中5曲のドラムを担当していたのです。片山さんが気仙沼の階上にある地福寺/片山秀光住職の弟さんであることは皆さんご存じのとおりです。気仙沼みなとまつりの〈はまらいんや踊り〉では、バイソンバンドとして毎年ドラムをたたいてくれますし、〈みなと気仙沼大使〉のおひとりでもあります。

アルバム「Balluchon」は、高音質を実現するために10曲収録としたアナログレコードのほか12曲収録のCDも制作されました。下に両方のAmazonリンクをはっておきましょう。バイソン片山さんが参加しているのはアナログ盤でいえばA面です。記事によれば、A面のメンバーは小川さんが長年にわたって共演してきた気心の知れた皆さんとのこと。

以上、バイソン片山さんが参加した小川理子さんのアルバムが雑誌Stereoに紹介されていたという話。ただそれだけのことなのですが、私はとても驚いたし、うれしかった。その気持ちをお伝えしたく。

今年の気仙沼みなとまつりは、8月3日と4日です。3日夜のはまらいんや踊りでは今年もバイソンバンドが演奏してくれるのでしょうか。もしそうであれば、打ち上げのときにでも次の言葉を片山さんにささやいてください。〈バルーションA面のドラムがいがったよ〉 と。

6月11日ブログ 「地福寺」の御朱印


 

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tag : バイソン片山 地福寺

鶴亀への寄付募集

気仙沼市魚市場前に整備される「みしおね横丁」に設置される銭湯「鶴亀の湯」については、このブログでも紹介してきました。その工事がいま進められており、7月下旬にオープン予定とのことです。6月16日の三陸新報が伝えています。


みしおね横丁

三陸新報6月16日記事の一部イメージ


みしおね横丁に銭湯や食堂を設置するのは一般社団法人「歓迎プロデュース」(小野寺紀子代表理事)。記事によれば、銭湯には4~5人が入浴できる浴槽とシャワー8台、洗濯機、ロッカーが完備され、入浴料は440円とのこと。そして同法人ではいま、設備費に充てる寄付金の協力を呼びかけています。記事を以下に引用します。

「 開設資金は、市創造的産業復興支援事業を活用し、インターネットでは寄付金を募るクラウドファンディングでは、目標の600万円を達成した。

トレーラーハウスを利用することにより、コスト削減を図っているものの、安定運営を続けていくために資金が不足しており、市内の事業者、市民らから寄付金を募っている。

寄付金は一口5千円で、1万円以上の寄付者は銘板に名前を刻む。5万円以上は縦15cmx横60cm、10万以上は縦15cmx横1.2m(サイズ変更の場合あり)で、トレーラーに掲げ、寄付者への謝意を表す。

同法人では「漁師の憩いの場となる銭湯が気仙沼には必要。入港してきた漁師を温かく迎えるためにも趣旨に賛同いただき、協力をお願いしたい」と話している。」(引用は以上)

銭湯や食堂の開設資金を募るクラウドファンディングは、上記の記事にもあるようにすでに終了していますが、このプロジェクト専用の振込用紙が、気仙沼信用金庫本店と各支店に用意してあるそうです。この「鶴亀」プロジェクトは、魚市場前に漁師さんのための銭湯を復活させようというもの。お力添えいただける方がいらっしゃれば是非に。どうぞよろしく。

3月29日ブログ「鶴亀の湯クラウド」
 

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tag : 鶴亀の湯 みしおね横丁

シャークス/JAWS

読売新聞の土曜日夕刊写真コラム「LENS 被災地発」では、これまで何度も気仙沼の話題を紹介しています。6月15日もそんな気仙沼シリーズのひとつ。サメ革製品でおなじみの「シャークス」さんをとりあげてくれました。

シャークス
読売新聞6月15日記事より


記事を引用します。見出しは〈特産 上手に発信〉です。

「宮城県気仙沼市の特産として知られているサメ。「シャークス」は、サメに関連した商品を取り扱う地元の専門店だ。東日本大震災で甚大な被害を受けた旧フェリー乗り場前の複合商業施設内にあり、多くの観光客が足を止める。

店内には、ヨシキリザメを使った財布やベルトなどの革製品のほか、食品やぬいぐるみなど約150種の商品が並ぶ。社長の熊谷牧子さん(59)が2011年12月に起業。仮設店舗を経て昨年、今の場所に店舗を移した。熊谷さんは「サメで気仙沼の魅力を発信したい」と意気込む。 」(引用は以上)


SHARKS/シャークス代表の熊谷牧子さんは、何度も書いていますが、渡邊まさ子さん(3年5組)の妹です。そして記事に店舗の場所が旧フェリー乗り場前の複合商業施設とありますが、これは「ムカエル」のこと。グランドオープンは昨年11月でしたが、施設が完成したのは6月でしたから、ほぼ1年経ちました。

この連載記事のタイトルにLENS(レンズ)とあるのは、写真コラムだからです。今回の記事の担当は小林武仁さん。東京本社 写真部所属のようです。小林さん、ありがとうございます。

小林カメラマンが撮った写真は、するどい歯が残るサメの口から牧子さんや店内をのぞきこむという構図です。遊びがあって面白い。キャプションをつけると〈シャークスの商品を買わないと、お前もたべちゃうぞ〉か。広角レンズで牧子さんや店内にピントを合わせつつ、サメの歯もそれなりにしっかりとうつすというのは、カメラマンとしての技のひとつなのでしょう。

店内の手前にうつっているのは、サメ革の小銭入れです。2016年にNHKのテレビニュースがこの商品を取り上げてくれたときのブログにもこの商品を紹介しました。

2016年7月26日ブログ 気仙沼「SHARKS」

映画「ジョーズ」(JAWs/あご)を連想させるこの小銭入れは気仙沼の話題としてメディアも紹介しやすいのでしょうね。まさにSHARKSのシンボル商品といってもよいでしょう。定価はいくらかなと思ってSHARKSサイトをのぞいてみたら、商品名は〈サメ革JAWS小銭入れ〉となっていました。やっぱりね。価格は6千円です。

最後になってしまいましたが、記事の見出しの〈特産 上手に発信〉の〈上手〉は JAWSだったのですね。記事を読んだときやブログを書いている途中には気づかず、文章の締めを考えているときにやっと気づいたというお粗末な話。 JAWSの口から笑いが漏れましたとさ(笑)。

気仙沼シャークス
気仙沼市南町海岸1-14 内湾商業施設ムカエル1F
SHARKSショップサイト
 

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tag : シャークス

深刻な少子化問題

本日紹介するのは、6月15日の三陸新報の第1面トップ記事。気仙沼市教育委員会がまとめた市内小中学校の児童・生徒数の推移予測です。加速する少子化に対応しての早急な対策が必要としています。

少子化

三陸新報6月15日記事の一部イメージ


推移予測は、小学生については2025年度まで、中学生は2031年度までとなっています。今後の予測内容のなかで〈特に深刻〉とされているのは大島中学です。本年度は全校で26人が在籍していますが、2031年度には8人(1年生3人・2年生3人・3年生2人)まで減少します。

掲載されている推移予測表を引用します。


中学校

小学校
いずれの表も三陸新報6月15日記事より


記事によれば、児童・生徒数の減少で教員の配置が深刻化しているそうです。特に中学校では全9教科の教科担任がそろわず、本来の教科に加えて別の教科を受け持つ「免許外教科担任」や、非常勤講師による授業が常態化していると。

少子化への対応策が学校統合ですが、気仙沼市の小中学校統合計画の実行はたやすいことではありません。たとえば計画における第2段階中の、「水梨小→松岩小」「月立小→新城小」については地元地区の反対などもあり計画実行が先送りされ、水梨小は1年遅れて2019年4月に統合が実現しましたが、月立小についてはさらに遅れています。

統合計画の第3段階では、小学校3校と中学校3校を対象としています。2021年4月が統合時期。三陸新報の記事でも〈特に深刻〉とされている大島中学校もそのひとつで、鹿折中学への統合が計画されています。大島小の鹿折中への統合も同様です。2年後の4月。

市教育委員会は「推計が大きく変わる可能性は低く、近々に迫る現実として受け止めざるを得ない。市民全体で課題を共有し、統廃合を含めて教育環境の在り方を考えたい」と話しているそうです。同感。

三陸新報記事の見出しにも〈欠かせない市民の課題共有〉とありました。これは教育委員会の考えを受けつつ、三陸新報として市民に投げかけた言葉でもあるのでしょう。是非、地域の報道機関のひとつとしてこのやっかいな課題や問題の共有のために力を貸して欲しいと感じております。

(追記)三陸新報さんは上記記事の翌日6月16日にも、この問題を1面トップの〈ニュースを追って〉で取り上げていました。〈教育環境整備は全市的課題〉と見出しにありました。

2018年3月13日ブログ「小中校児童数見込」
 
 

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tag : 学校統合 少子化

鼈甲屋のサツキ展

きのう6月13日(木)の三陸新報の記事。見出しの〈サツキ〉と写真を見て、すぐに鼈甲屋のタカオちゃんだとわかりました。

鼈甲屋

三陸新報6月13日記事の一部イメージ


魚町地区のボランティアクラブ(小松洋子会長)による「さつき展」が、魚町坂口の鼈甲屋(べっこうや)の蔵で開催されているという記事です。写真にうつっている男性が昆野隆男さん、つまりタカオちゃん。私よりひとつ下(気中21回生)の幼なじみです。

会場の蔵は、鼈甲屋の家屋の裏側にありました。小さいときに蔵の中に入らせてもらったことがありますが、暗くて内部はよくわかりませんでした。この蔵は1907(明治40)年に建てられたもの。震災の津波で被災した後に、内部を再整備して集会の場としても利用できるようにしたとのこと。

以前にもサツキ展についてブログに書いたなと思い調べてみると、2015年6月10日の「隆男君のサツキ展」でした。久しぶりに読み直してみると、蔵のわきのスペースで缶蹴りやかくれんぼをして遊んだことや、家屋の後ろ側の部屋を借りていた三重県から来たとかいう〈餌買い〉さんの話などが書いてあります。いま読んでも本当になつかしい。

なつかしいといえば、2011年9月に魚町坂口にあった私の実家をすべてひきはらうときに隆男君を訪ねた話も書いてありました。そのときに隆男君が端正をこめて育てているというサツキを見せてもらったのでした。あのときはまだ隆男君のお母さんも元気だったのです。

そんなこんないろんなことを思い出させる鼈甲屋の蔵でのサツキ展。展示は6月17日(月)まで。15、16の両日午前10時からはお茶のみ交流会を開くそうです。私の母も佐々木徹君(3年1組)のお母さんも、鼈甲屋での〈オジャコノミ〉では大変お世話になりました。隆男君はこうして今でも地区の人たちのお世話をしてくれているのですね。

15日(土)午前11時からは市内の音楽ユニット「フラワー☆スカイ」のミニライブもあるそうです。展示会、交流会ともに無料とのこと。是非お出かけくださいますように。

2015年6月10日ブログ「隆男君のサツキ展」
2012年12月4日ブログ「鼈甲屋のケヤキ」
 

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tag : 鼈甲屋

新世代型マグロ船

気仙沼の勝倉漁業さんの新造船「第127勝栄丸」が6月9日に建造先の新潟から気仙沼に廻航して披露されました。6月11日の三陸新報の記事を紹介します。

勝栄丸

三陸新報6月11日記事の一部イメージ


記事の写真は、魚浜町のコの字岸壁で見学に訪れた関係者や市民約200人にお祝いの餅まきをしているところです。船上に掲げられた多くの大漁旗とともに、気仙沼らしいとても景気のよい風景といってよいでしょう。

三陸新報は、6月6日の1面トップ記事でもこの次世代マグロ船の完成を伝えています。

次世代型

三陸新報6月6日記事の一部イメージ


この記事によれば、遠洋マグロはえ縄船「第127勝栄丸」は、水産庁の「もうかる漁業創設支援事業」を活用して、船齢を重ねた既存船の代船建造として、昨年8月に新潟造船(新潟市)で着工されました。総工費は7億5千万円で、同12月に進水、今年5月30日に完成しました。業界の課題である労働環境改善や安全性向上などを重点的に考慮し、最新鋭の設備を兼ね備えた次世代型のマグロ船です。

労働環境改善については、市内の遠洋マグロはえ縄船の船主らが連携し、気仙沼市やトヨタ自動車東日本の支援を受けて取り組んできた「遠洋まぐろ延縄漁業カイゼン検討会」による改善策も採用されているとのことです。

居住環境についても、居室の天井を高くしたりネット利用のための船内LANも完備。野菜を長期保存できる専用のチルド保管庫もあるとのこと。

勝倉漁業としては震災後2隻目の新造船で所属船は計4隻に。同社の勝倉宏明社長(51)は「労働環境の改善で、若い人たちが望んで遠洋船に乗船してもらえるうようなモデルとなる船になれば」と期待しているそうです。

第127勝栄丸の披露については、6月10日の「勝栄丸ブログ」に詳しく紹介されています。同ブログは、毎日更新される記事がとても充実しており、私も愛読しています。宏明社長が書かれているのだと思いますが、遠洋漁業の様々な実務や周辺の日常がやさしい語り口でつづられていて素晴らしい。こちらも是非に。

勝栄丸ブログ6月10日記事

三陸新報6月6日の記事末尾には、臼福本店も次世代型の遠洋マグロ船の建造を進めており、早ければ年内の完成するとの記述がありました。これについては、昨年のブログでつぎの記事を紹介しました。デザイナーの佐藤オオキさんに内外装のデザインを依頼したといいます。

臼福本店

三陸新報2018年11月29日記事の一部イメージ

2018年12月3日ブログ「nendoのマグロ船」

 
三陸新報の記事で勝倉漁業さんの所在地市内弁天町となっていますが、震災前は臼福本店さんと同じく魚町の海岸通りにありました。気仙沼の遠洋マグロはえ縄漁業の両雄ならびたつといった感じ。その両社による次世代型のマグロ船建造は、気仙沼の今後の漁業にとって大事な取り組みといってよいでしょう。

6月9日。コの字岸壁に集まった200人の笑顔は、この新造船竣工のめでたさとともに、気仙沼の漁業の未来をそこに感じたからかもしれません。

勝倉宏明社長はじめ勝倉漁業関係者の皆様、第127勝栄丸の竣工おめでとうございました。今後の航海の安全と大漁を祈念しております。

(追記)6月14日の河北新報も、〈マグロ新船「働き方改革」〉の見出しで同船の取り組みを紹介していました。

河北新報6月14日配信記事
 
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 勝栄丸 勝倉漁業

三河湾の海の復活

土曜日の9:30からのテレビ朝日「食彩の王国」をいつも録画して見ています。6月8日のテーマは「車エビ」でした。話は、天然車えびの産地、愛知県西尾市から始まります。三河湾は、栄養豊富な上に車えびが生息する砂泥地が多く、絶好の漁場だといいます。老舗料理宿の車エビの鬼殻焼きがとてもおいしそう。

次の話が始まりました。なにげなく見ていたら、「森は海の恋人」という言葉とつぎの画面が。



IMG_3711.jpg
いずれもテレビ朝日「食彩の王国」6月8日放送画面より


番組サイトから、その要旨を引用します。

◎漁師が森へ!?知られざる奮闘物語

三河湾で車えび漁を営む鈴木修さん(60)は、この道40年のベテラン。父も漁師で、幼い頃から豊漁に沸く浜を見てきました。砂泥地に潜む車えびは、底引き網で捕獲します。ところが20年ほど前、海に異変が起きました。車えびを育む、浅瀬の「藻場」が減少していたのです。そして漁獲量も、最盛期の半分以下になってしまいました。危機感を持った鈴木さんは、解決方法を模索します。様々な資料を調べるうちに発見した言葉が、「海は森の恋人」。それは、東北の海を復活させた漁師のキャッチフレーズでした。それで気がついたのが、松くい虫で打撃を受けた湾内の無人島(小田注:梶島)のこと。鈴木さんは周辺の漁協にも声をかけ、植林事業に取り組みました。10年の歳月をかけて海を復活させた、鈴木さんと仲間達の奮闘に迫ります。(引用は以上)

冒頭に紹介した放送画面の1枚目は〈森は海の恋人〉の紹介、2枚目は2009年の無人島/梶島での植林を開始したときの写真です。植林当初は虫害で苦労したそうでですが、木酢液の散布などで改善したそうです。

今年も「森は海の恋人」植樹祭が一関市室根町の矢越山「ひこばえの森」で6月2日に開催されました。この植樹祭は畠山重篤さんら漁師で結成した牡蠣の森を慕う会が1989年から開催し、現在は重篤さんが理事長をつとめるNPO法人森は海の恋人と室根町の地元自治会の皆さんらが中心となって実施しています。毎年開催して今回が31回目となりました。

「食彩の王国」は2011年10月までは東日本放送が放送していたのですが、現在は見ることができません。2016年10月に気仙沼の「メカジキ」を特集してくれたときも気仙沼では視聴できず。

ということで、気仙沼の皆様に6月4日のこの放送のことをお伝えしたく、ちょっと詳しく紹介させていただきました。三河湾の車えびを食することがあれば、気仙沼「森は海の恋人」のことを思い出していただければと。

NPO法人 森は海の恋人サイト/植樹祭
 
 

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「地福寺」の御朱印

6月8日(土)の読売新聞(東京)夕刊に気仙沼の話題が紹介されていました。見出しには〈気仙沼の寺〉の文字が。

地福寺

読売新聞6月8日夕刊記事の一部イメージ


気仙沼の階上(はしかみ)地区にある地福寺(じふくじ)のご朱印が人気を集めているとの記事。写真にうつっているのはご住職の片山秀光さん(79)です。ご朱印帳の見開き2頁にわたり、約20分をかけて仕上げるそうです。だるまさんの絵に「めげない にげない くじけない」との言葉がそえられています。記事を少し引用します。

〈 寺は海岸から約800mで、震災で高さ約17mの津波に襲われ全壊した。墓も全て流され、檀家だんかの名前が記録された泥だらけの「過去帳」だけが残った。寺のある階上はしかみ地区の死者・行方不明者は182人に上る。「檀家のよりどころを取り戻したい」。片山さんは一周忌に合わせて本堂や納骨堂を再建するとともに、だるまなどの絵に復興への思いをつづったポストカードを販売してきた。絵を描く趣味を生かしたという。昨年5月、寺を訪れた愛媛県の女性から「ポストカードをインターネットで見た。ご朱印として描いてほしい」と求められた。要望に応じてご朱印を描いた 〉(引用は以上)

この愛媛県の女性がSNSやブログで地福寺のご朱印を紹介してくれたことで、全国からご朱印をいただきに参拝に訪れる人が増えたそうです。

地福寺は禅宗/臨済宗のお寺さんです。そしてダルマさんは、禅宗の開祖である達磨(だるま)大師ですから、朱印帳に描かれる禅画としては王道、くだけた言い方をすれば定番といってよいでしょう。

地福寺のサイトのなかに、ご朱印の案内も掲載されていました。また、昨年につづいて2回目となる寺子屋寄席を6月18日(火)に開催するとのお知らせもありました。


寺子屋寄席2019A4チラシ
地福寺WEBサイトより


達磨さんは「七転八起」ですが、寄席であれば「笑門来福」。6月18日は、だるまさんが転んだではなく、だるまさんも笑うだろうということで。おあとをよろしく。

ご朱印帳、寺子屋寄席、いずれも詳しくは下記のサイトをご覧ください。本日は6月11日。震災から8年3カ月経ちました。

地福寺WEBサイト
地福寺/ご参拝・ご朱印
 

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「ダイニ」大島商店

楽しみにしている三陸新報連載〈わが社の屋号〉がしばらくお休みしているな思っていましたら、5月30日に18回目が掲載されました。

ダイニ
三陸新報5月30日記事より


今回は弁天町の〈ダイニ大島商店〉さんですが、そのお兄さん、弟さんら3兄弟の話を興味深く読みました。

ダイニ大島商店の創業者/会長は大島茂雄さん(93)です。岩手県一関市出身で、実家は魚屋を営んでおり気仙沼から魚を買い付けていたそうです。その茂雄さんは陸軍の飛行隊に所属し中国で終戦を迎えましたが、復員後に魚の行商からスタートし、縁があった気仙沼でマグロなどの鮮魚仲買を始めたそうです。

茂雄さんのお兄さん忠一郎さん(故人)は鮮魚仲買業として二印大島水産を、そして弟さんの実さんはカネミ大島商店をそれぞれ気仙沼で創業しています。

創業者の兄弟順でいえば、「ニ印」「ダイニ」「カネミ」の大島グループ3兄弟ということになるわけですね。一関に実家があった3兄弟が気仙沼で事業を展開して今に至っているわけです。ニ印大島水産さんの創業は同社サイトによれば大正7年/1918年のこと。そうしたことを考えると、大島グループ創業100周年といってもよいのかもしれません。

記事の写真には、〈2013年に再建した事務所・工場〉とのキャプションが。弁天町ですから震災の津波で被災したのだと思います。

記事の冒頭には、毛利元就の〈三本の矢〉の教えが印されていました。そして、末尾には〈創業時に大切にした「三本の矢」の精神は、次の世代にも脈々と受け継がれている〉と。一関に始まり、3兄弟それぞれの子、そして孫へとつながる家族の歴史でしょう。
 

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志玲さんと気仙沼

蒼井優さんと山里亮太さんの結婚で驚いていたら、きのうはEXILEのAKIRAさんと、リン・チーリン(林志玲)さんが結婚とのビッグニュース。ということで、当ブログでもいそぎ予定を変更して(笑)この話題を。

というのも、チーリンさんは2012年の秋に気仙沼を訪れているのです。その時に気仙沼演劇塾「うを座」のメンバーとの交流がありました。そして2015年1月に、うを座が北海道の帯広で公演をおこなったときにもかけつけてアドバイスするなどしてくれました。

この2度にわたる交流については、NHKがBS放送で紹介しています。本日はその2度の放送を紹介した当ブログ内容を再掲します。それぞれ、チーリンさんに関係のない部分は省略しております。


①2013年1月22日「リンチーリンさん」 

本日1月22日(火)NHK・BS1「Tomorrow Beyond 3.11」では、台湾出身の世界的映画女優リン・チーリン(林 志玲)さんの気仙沼市を訪問しての保育施設や劇団「うを座」の子どもたちとの出会いなどを紹介します。

台湾女優

1月22日(火)14 :00〜14 :30
NHK・BS1「Tomorrow Beyond 3.11」
リン・チーリン(台湾/女優)〜希望の劇場

番組ホームページではつぎのように紹介しています。

「台湾出身の世界的映画女優リン・チーリンは、女優にならなければ学校の先生になりたかったほどの子ども好き。今回気仙沼市を訪ねたチーリンは、被災者向けに開設した託児所や児童保育施設や、演劇を通じて災害から立ち直ろうと気仙沼復興市場で稽古を積む児童劇団「うを座」の子どもたちと出会う。一見、底抜けに明るい「うを座」の子どもたちだが、心を開いてチーリンと話すうちに、それぞれが抱えている苦しみや悲しみが見えてくるのだった」

ネットのWIKI情報では、リン・チーリン(林 志玲)さんは、台湾のモデル兼女優で、「台湾一有名なモデル」といわれているそうです。ジョン・ウー監督『レッドクリフ』のヒロインにあたる小喬も演じています。2011年には私財を投じて慈善基金を設立。自ら会長に就任したうえで、かねてより取り組んでいた児童福祉の活動を本格化させたとのこと。身長174cm、体重52kg、38歳。雑誌『an・an』の「東洋美人」人気投票(2012年)では1位だったそうです。

録画してゆっくり見ます(笑)。


②2015年3月5日「うを座の子供たち」 

台湾出身の映画女優リン・チーリンさんと気仙沼の演劇塾「うを座」の子どもたちとの交流を紹介したNHK・BS1「Tomorrow」は、このブログでも書きました。一昨年1月のことです。そして今度の日曜日3月8日、その続編ともいうべき番組が放送されます。

うを座
番組ホームページからの画像

◎3月8日(日)午後1時00分~1時49分
◎NHK・BS1
◎TOMORROWスペシャル
思いを届けるミュージカル
~リン・チーリンがよりそう子どもたち~

番組ホームページから紹介文を引用します。

「台湾の映画俳優リン・チーリンと交流を続けている被災地の子どもたちがいる。宮城県気仙沼市、劇団“うを座”の子どもたちだ。一昨年、震災の風化を防ぐためのミュージカルを作り、リンさんが見守る中、舞台公演を行った。そしてこの冬、舞い込んできたのが北海道での公演依頼。テーマは「震災のつらい経験から何を学び取ったのか」。しかし、あれから2年で状況は変化。子どもたちの心の中でも震災の風化が始まっているというのだ。世間の関心の風化、自分たちの記憶の風化にあらがいながら舞台を作り上げていく子どもたち。そして本番当日、再びリンさんが舞台に立つ子どもたちの元に駆けつけた」引用は以上。

番組では1月11日に行われた北海道/帯広公演の模様を紹介するようです。うを座のフェイスブックには、その様子が写真とともに紹介されています。こちらもご覧ください。



うを座Facebook2015年3月8日投稿より


Facebook2015年3月8日投稿


再掲内容は以上です。どちらのブログにも番組サイトへのリンクをはっておいたのですが、すでにリンク切れになっていました。

上記のFacebookのなかのリーチン/志玲さんがうつる13カットは、なかなかの貴重な画像ですね。そこにうつる〈うを座〉メンバーの皆さんにとってはなおさらのことでしょう。

2012年の秋に気仙沼を訪れたとき、うを座メンバーが稽古していたのはたしか南町のcadocco(かどっこ)だったと思います。それから6年半が経ったのですね。

リン・チーリン/林志玲さんの気仙沼へのご支援にあらためての御礼とともに、AKIRAさんとの結婚のお祝いを申し上げます。ありがとうございました。そして、おめでとうございます。
 

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七十七の移転地図

4月18日のブログで、七十七銀行の気仙沼支店が南町に戻ってくるという話を紹介しましたが、5月31日の三陸新報が続報を掲載していました。

七十七銀行
三陸新報5月31日記事の一部イメージ


内容は前回お伝えした内容とほぼ同じですが、前回は来年1月としていた開店時期を来年1月27日を目指すとしています。この記事は、5月30日付けの七十七銀行ニュースリリースによるものです。同リリースを見てみると、移転場所の地図が掲載されていました。とてもわかりやすいので、引用します。


地図
(株)七十七銀行 5月30日付けニュースリリースより


道路の取り付けは少し変わるのでしょうが、ほぼ以前と同じ場所ですね。それと、スローストリートやスローフードマーケットの建設予定地との関係がよくわかります。駐車場は31台分が確保されるとのこと。

なお、三陸新報の記事の中で、南町海岸商業施設を「迎(ムカエル)」ではなく「ムカエル」としていたのは、この七十七銀行のリリース内容の表記どおりとしたのでしょう。これが自然だと思います。そして、「ムカエル」や交流プラザ「ウマレル」前の海に沿ったデッキなどのスペースは〈気仙沼漁港南町公園〉というのですね。

三陸新報の記事に、七十七銀行さんのコメントが紹介されていました。「元の場所に戻るのは、内湾地区のにぎわいづくりに役立ちたいという思いから。今後もますます、復興や地域発展に貢献できるように努めていきたい」と。

最後にちょっと細かな話ですが、同銀行気仙沼支店の電話番号は22-6770。中にちゃんと「77」がしこんであるのですね。小ワザがきいてます(笑)。


4月18日ブログ「七十七銀行 南町へ」

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気仙沼高校同窓会

先日、気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会の案内が届きました。今年は7月13日(土)です。ちょっと先のことなので、またあらためて紹介しますが、まずは取り急ぎということで。



◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

◎日 時:2019年7月13日(土)
◎総 会:11:30~12:00(受付11:00~)
◎懇親会:12:10~(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:ルポール麹町(麹町会館)2Fロイヤルクリスタル
東京都千代田区平河町2-4-3 03-3265-4361
◎会 費:
年会費 :1000円
懇親会費:(年会費1000円含む):
 ~平成9年3月卒:8000円
 平成 10年~19年3月卒:5000円
 平成20年~29年3月卒:3000円
 平成30年・31年卒:無料
◎お申込:
下記サイトのお申込フォームからご登録ください。
◎お問合せはメールにて
kantou@khs-doso.com
FAX:03-5367-5863
詳細やお申込みは次のサイトにて。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して開催されます。なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。両校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校も同様です。そして昨年2018年4月には気仙沼西高校も気仙沼高校に統合されています。

気仙沼西高校は、1985(昭和60)年4月に開校しましたから33年間の歴史を刻みました。このブログでは2014年7月に両校の統合計画を紹介しています。そのブログを見ると、30周年を迎えた2014年3月の卒業生が3963人ですから統合時には4000人を越えています。同校OBの方が身近にいらっしゃいましたら、どうぞ同窓会参加をお声がけください。

最後になりましたが、同窓会を準備や運営を引き受けてくださっている役員はじめ関係者の皆様に御礼を申し上げます。毎年、本当にありがとうございます。本年もお世話になります。どうぞよろしく。

2014年7月2日ブログ「気高と西高を統合」
 
 

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気仙沼天旗浮世絵

5月26日、気仙沼の岩井崎園地で「気仙沼天旗(てんばた)まつり」が開催されました。昨年は9月に予定されていましたが台風24号の接近が予想されために中止となり、今回は2年ぶりの開催となりました。31回目となるはずです。

5月24日の三陸新報にこの天旗まつりの案内広告が掲載されていたのですが、そこにつぎの凧あげの浮世絵が掲げられていました。公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」内のチラシ画像にも同じものがありました。「気仙沼天旗空之水族館」です。


天旗まつり

気仙沼観光コンベンション協会のチラシ画像より


気仙沼伝統の日の出凧をあしらいながら、空にはカツオやサンマなどの凧もあがっています。ホヤぼーやは空だけでなく陸にも。すでにある凧揚げの浮世絵/錦絵を素材として気仙沼の絵柄を組み込んでいるわけですが、無理がなく自然な感じで素晴らしい。

絵の下につぎの引用説明がありました。「この浮世絵は、『東京名所四十八景』「筋違御門うち凧あそひ」昇斎一景 画と、『子供遊び凧の戯』 一交斎小芳盛 画より引用し作成しました」と。なるほど。原画を知りたくなりました。調べてみたらつぎの2点です。


まずは『東京名所四十八景』「筋違御門うち凧あそひ」昇斎一景 画を。出典

signboard41_l_201905281603497ce.jpg


つぎに『子供遊び凧の戯』部分 一交斎小芳盛 画を。出典

asobi2_l_20190528160348cef.jpg


上の絵を背景にして、下の絵にある子供たちを組み込み、空を水族館に見立てて魚を配したというわけですね。うまいよねえ。画像処理ソフトを使って、切り抜いて貼り付けるということでしょうが、口でいうほど簡単ではないでしょう。消したり足したり重ねたり、そしてなじませたり。

凧揚げの浮世絵を使って気仙沼の天旗風景を再構成しようというアイデア。それを実際に形とするテクニック。両方がそろって見事な〈作品〉ができあがりました。

この浮世絵イラストは昨年2018年の天旗まつりポスター/チラシでも使われていました。この年の催事そのものは残念ながら中止となりましたが、この〈浮世絵〉は評判がよくて今年もといったところでしょうか。どなたがつくったものかわかりませんが、本当に感心しました。ご存じの方がいらっしゃれば是非そのようにお伝えいただければと。

昨年の天旗まつりに際しては、三陸新報に掲載された、角星さん、プラザホテルさん、ホテル観洋さんの屋号凧をうまく使った広告のことをブログに記しました。これも遊びがあってとてもよかった。

天旗まつり関係者のなかになかなかの趣味人、才人がいらっしゃるのかもしれませんね。おかげでこうして楽しませてもらいました。


2018年10月1日ブログ「天旗まつりの広告」

 

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tag : 天旗まつり 浮世絵

写真の日にあたり

6月1日は「写真の日」だったそうです。日本写真協会のサイトによれば、この記念日は日本の写真家のさきがけとして知られる上野彦馬が1841年6月1日に島津斉彬を撮影したことに由来し、1951年に制定されました。その後の調査でこれらの事柄が誤りであることが確認されたそうですが、同協会は引き続きこの日を記念日として各種行事をおこなっているそうです。

気仙沼でもこの「写真の日」にちなむ催事がおこなわれています。5月31日の三陸新報の「写真の日」告知広告のなかにあった案内を紹介します。


写真展
三陸新報5月31日掲載広告より


熊谷孝良君(3年3組)の「スタジオアート」による「ありがとう平成!写真展」です。6月1日から9日までの10日間、海の市2階で開催されています。この催事は30日の三陸新報が記事としても伝えていました。「平成」と書かれた額縁を手にした笑顔の市民らの写真約70点が展示されているそうです。なお、広告にうつっているのは、十人十色不動産の一色法人(いっしきのりひと)さんだと思います。

この写真展についてはきのう6月2日も三陸新報が紹介していました。

写真展

三陸新報6月2日記事の一部イメージ


記事によれば、6月1日はスタジオアートの開業記念日でもあるそうです。その創業者である熊谷孝良君が亡くなったのは2014年3月4日。62歳でした。早かった。気仙沼高校に通っていたころから写真を一生懸命やっていたことを思い出します。

奥様の珠美さんや息子さんがこうして元気に活動していることを孝良君も喜んでいることでしょう。
 

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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