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「ひまわり」の記憶

本日も気仙沼大島大橋に関する話です。橋が開通した日の翌日、4月8日の読売新聞都内版朝刊では、〈気仙沼の離島 命の橋〉との見出しで4段1/2の記事を掲載していました。写真は開通式典での渡り初めの様子でした。

そして同日夕刊を開いて驚きました。全15段つまり1頁を使って、大島の臨時船「ひまわり」の運航終了を伝えていたからです。写真ルポルタージュ「ズームアップ」。見出しは〈命つないだ 島の記憶〉です。

読売新聞
読売新聞の4月8日夕刊より


紙面の上半分を占める大きな写真は、大島を出港し気仙沼港へと舵を切る「ひまわり」。読売新聞 鈴木毅彦さんによる3月19日の撮影です。

気仙沼は朝刊のみのセット版ですから、この「ズームアップ」の扱いがどうだったのかよくわかりませんが、鈴木さんによる記事も少し紹介しましょう。その多くは、写真にもうつる「ひまわり」の船長、菅原進さん(76)についてです。

〈「ひまわり」は、主にフェリーの運航が終わった夜間、臨時船として島と本土間の約7kmの航路を片道15分ほどで行き来した。最後の船は3代目で、1986年に就航。夜中の急病人や産気づいた女性を運ぶこともあった〉

東日本大震災のとき、菅原さんは津波から船を守ろうと、港に係留されていた「ひまわり」を沖に出します。いわゆる〈沖出し〉。そして壁のような大津波を懸命な操船で乗り切り、島に戻ったのは翌朝でした。本土と大島を往来するフェリーも被害を受けており、島民が海をわたる交通手段が「ひまわり」に託されました。菅原さんはすぐに運航を決断し、フェリーの運航が再開されるまでの約20日間、島民の食料や救援物資などを運び続けたのです。

この功績を残そうと、大島出身の菊田栄四郎さん(66)が「臨時船『ひまわり』を保存する会」を結成して募金活動をおこなってきました。菊田さんは〈「島民の命を救った船。大島に震災遺構がほとんど残っていないなか、「ひまわり」で震災を伝えたい〉と語っています。

以上が読売新聞の記事内容ですが、「ひまわり」の運航終了については、4月9日の三陸新報も伝えています。大島の浦の浜で行われた最終運航のセレモニーには、住民約100人が参加して、「ひまわり」と菅原さんに感謝の気持ちを伝えたとのこと。記事には、〈震災2日後に運航を再開。約8カ月間、乗客や救援物資を無償で運ぶなど、島の復旧にも尽力した〉と記されています。

同日の論説欄でも、その功績をたたえるとともに、「臨時船『ひまわり』を保存する会」への支援を呼びかけていました。〈資金面で苦労する同会に、温かい目を向けたい〉と。

これらの記事を読むと、架橋によって失われていくものごとへのさびしさなど複雑な感情を覚えながら、その役割をおえた「ひまわり」そして菅原さんにおくる大島の人びとの拍手の音が聞こえてくるようです。

こうして4月7日、大島汽船による定期航路と同じく、臨時船「ひまわり」もその運航を終えたのです。菅原船長、多くのご苦労があったことと思います。長い間、ありがとうございました。


昨年12月17日の読売新聞夕刊「ズームアップ」では、気仙沼の佐藤信行さんの奥様 才子さんの遺骨が見つかったことに関しての記事を掲載していました。つぎのブログで紹介しております。

2018年12月18日ブログ「7年半の捜索努力」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ひまわり 菅原進 気仙沼大島大橋

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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