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「マルニ」磯屋水産

三陸新報の連載「わが社の屋号」第9回目は気仙沼市港町の磯屋水産さんでした。


磯屋水産

三陸新報11月9日記事より


記事のはじめに〈もともとは果物屋として始まった〉とありました。つぎのようなことです。創業者の安藤八千代さんは、魚町の「磯屋商店」で働いていました。同店は八千代さんのお姉さんが営む果物屋さんです。そして1936(昭和11)年に、八千代さんは同商店の分店を南町に開業したそうです。その後、戦後の混乱期に果物の仕入れが困難になり、目の前に(旧)魚市場があったこともあり、鮮魚を扱う「磯屋魚店」に転換しました。1980(昭和55)年には(現)魚市場前に店を移転したのを機に現在の社名「磯屋水産」としたそうです。鮮魚の小売だけでなく、卸・問屋などの業務が「水産」の語句に込められているのでしょう。

魚町の〈磯屋商店〉も懐かしい。男山本店の向かって左側二軒目の角地。大きな看板がついていました。道路をはさんでさらに左の角地は老舗の魚問屋「村米(むらよね)」さんでした。その後は精工堂本店となりました。

記事には現在の屋号「マルニ」となるまでの経緯が記してあります。「磯屋分店」の時代には「○」の中に「若二」と記された「マルワカニ」だったそうですが、魚屋に転業する際に現在の「○二」(マルニ)としたそうです。

記事にある写真は昭和40年当時の南町の店舗。私の記憶にある磯屋さんです。道路をはさんで向かい側の通りには美味しいタコを扱う魚屋さんもありましたね。一信君(3年1組)の平塚商店のならび。磯屋の右側にうつっている店はどこだったかなあ。その後は、ラーメンの「くるまや」になったことがありました。左側は出羽(でわ)精肉店。この並びの向かい側は若生餅店、そして角は丸桝(まるます)食堂です。私の妻の母親の実家なのでよく知っています。

旧魚市場があったこともあり、以前のこの近辺は魚屋さんが多かった。築地の場外のようなものかもしれません。磯屋さんに向かって右に行って左に折れると、カネシチさん。あさひ鮨/村上力男さんの実家です。さらに行けば唐桑屋さんも。ひとつ内側に入った通りの日野屋旅館の左には、同級生の琴ちゃんや栄子さん(7組)の実家「石垣魚店」もありましたね。

現在の「磯屋水産」社長はみなさんよくご存じの3代目、安藤竜司さんです。震災を扱った番組などで竜司さんが登場するとき、そのかたわらにお母様の明子さん(75)もうつっていることがよくあります。明子さんは2代目の勝之さんと結婚しました。記事にその明子さんの言葉が紹介されています。〈震災後はゼロからのスタートだったが、お客さんに恵まれてここまでくることができました〉と。

磯屋さんの店が南町にまだあった頃、母が〈値段は少し高いけれどモノがいい〉と評していたことを思い出します。扱う魚の確かさが、〈福よし〉さんをはじめ、多くの料理店のプロからも信頼されるゆえんでしょう。

磯屋水産さんの公式サイトには、〈磯屋水産の歴史〉というページがあり、安藤八千代さんにはじまる詳しい話が紹介されています。三陸新報記事の写真もトリミングなしで掲載。その冒頭に大きく紹介されているのは、1950年代の大船渡沿線の顧客との集合写真です。たぶん平泉/中尊寺金色堂の覆堂前で撮ったものだと思いますが、磯屋さんの盛業ぶりがうかがえる写真です。

磯屋水産HP/磯屋水産の歴史

磯屋水産さんは、今年で創業82年とのこと。南町、魚市場前、そして港町と場所こそ変わりましたが、これからも気仙沼港に水揚げされる素晴らしい魚介類をプロの料理人や家庭に届けてくれることでしょう。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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