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青年会議所50周年

気仙沼青年会議所が創立50周年を迎えました。9月24日には、ホテル観洋で記念式典が開催されたそうです。

気仙沼で青年会議所(Junior Chamber/JC)が63名の青年によって結成されたのは1969年。初代理事長はその後に気仙沼市長もつとめた男山本店の菅原雅さんです。第2代も菅原さんで、第3代目は気仙沼商会の高橋脩さん。

9月23日の三陸新報には気仙沼JC50年の歩みとともに、現在の第50代 尾形長治さんまでの歴代理事長の名が記されていました。第11代は、臼井真人(まこと)君(3年2組)です。真人君はOB会の会長をつとめているようです。

歴代理事長
三陸新報9月23日記事より(クリックで拡大)


この日の三陸新報には、理事長OBの名刺広告も掲載されていました。このなかに真人君の広告がありませんが、市議会議員をつとめている関係かもしれません。

理事長広告
三陸新報9月23日掲載広告(クリックで拡大)

同日の三陸新報では上記広告面のほかにも50周年を祝う各社広告が掲載されていました。そのなかには、社名とともに理事長OBの名が記されているものもありました。私が気づいたものとしては、第10代/佐藤亮輔・第19代/佐藤進(カネダイ)、第13代/藤野尚吾(藤喜商店)、第22代/岡本寛(岡本製氷冷凍工場)、第34代/生駒正博(東北安田)、第46代/吉田明昇(舟屋葬祭)さんらです。念のため記しておきます。(すべて敬称略)

親子で気仙沼JC理事長をつとめた方も何人かいらっしゃいました。菅原雅さん(初代・2代)と昭彦さん(30代)、高橋脩さん(3代)と正樹さん(33代)、臼福本店の臼井賢志さん(11代)と壮太郎さん(41代)です。

気仙沼商会の高橋正樹さんも理事長をつとめたことがあるのですね。このブログで、気仙沼とポーランドのご縁を紹介したことがあります。その中で、1996年4月にポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督に鯉のぼりを贈呈したり、翌年に高橋正樹さんらがポーランドを訪れたりしたことを記しましたが、これらは当時の気仙沼JCの活動として行われたことです。

6月27日ブログ「ポーランドとの縁」

気仙沼には青年会議所のほか気仙沼商工会議所もありますが、両者は組織のつながりはありません。上部団体の日本青年会議所と日本商工会議所も同じく成り立ちは別。商工会議所には青年部(YEG)というのもありますので、ちょっとまぎらわしい。気仙沼商工会議所青年部(気仙沼YEG/Young Entrepreneurs Group)は昨年に設立30周年を迎えています。現在の会長は、(株)菅原工業の菅原渉さんです。

毎年おこなわれる気仙沼みなとまつり。そこでの〈海上うんづら〉は青年会議所(JC)、〈インドネシアパレード〉は商工会議所青年部(YEG)によるものです。こうして気仙沼の青年たちが祭を盛り上げようと毎年がんばっているのですね。

気仙沼青年会議所さんの創立50周年のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。これまでの気仙沼のまちづくりへの貢献にお礼を申し上げるとともに、会員の皆様のますますのご活躍を願っております。
 
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造り直しに応じず

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題。気仙沼市は9月15日に、見た目の高さを抑える背後地のかさ上げを先行して実施する考えをすでに明らかにしていますが、9月25日に県の動きがありました。村井知事が9月25日の記者会見で、「内湾地区復興まちづくり協議会」が求めていた防潮堤の造り直しはしないと表明したのです。9月26日の三陸新報の記事はこのような内容。

三陸新報
三陸新報9月26日記事

この記事では菅原市長のコメントを掲載していました。「市はこれまで住民合意による解決を県に求めてきた。合意のないまま謝った高さで整備を進めるということなので、事業の期限もあると思うが、とても残念。決断に至った経緯、原因と経過、責任と処分について丁寧に説明をしてもらう必要がある。市としてはまち協(内湾地区復興まちづくり協議会)、県への協力は全力で行っていく」とのこと。

県の今回の決定については、河北新報が詳しく伝えています。本日は、同紙が9月26日に配信した3本の記事を紹介します。一定期間でリンクがきれてしまうので、長くなりますが、主要部を引用させてもらいます。(赤字クリックで記事にジャンプ)

9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」①
住民「知事あまりに乱暴」高さ不変に地元猛反発

 気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、村井嘉浩知事が25日に防潮堤を造り直さないとする最終判断を下したことに関し、地元の地権者や住民団体は一斉に反発した。一貫して造り直しを求めた地元の意向を無視された形となり、住民は「あまりにも乱暴だ」と怒りをあらわにしている。
 「協議会としての要望が受け入れられなかった。非常に残念だ」。中心市街地の再生を議論してきた住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の菅原昭彦会長が無念の思いを吐露した。午前9時半ごろ、村井知事から直接、電話で造り直さないことを伝えられたという。
 菅原会長は「県に対する不信感は残ったままだ。協議会としてどうするのか、今後、検討したい」と話した。近く会合を開き、対応を話し合う。(中略)
 協議会の場でも「住民との合意がない防潮堤を気仙沼には造らない」との持論を強調していた菅原茂市長は、「住民合意がないまま、誤った高さの防潮堤が整備されることは非常に残念。(県には)住民の思いを真摯に受け止め、対応してほしい」と注文を付けた。


9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」②
知事、造り直しに応じず 安全確保を重視

 (前略)村井嘉浩知事は25日の定例記者会見で、住民が求める防潮堤の造り直しには応じないと表明した。整備が遅れることで、地域の安全性確保や予算執行に影響が生じかねないと最終的に判断した。休止中の工事を近く再開し、本年度内の完成を目指す。
 村井知事は、理由として(1)街づくりの安全性確保の懸念(2)背後地での市の土地区画整理事業への影響(3)技術面の難しさ(4)入札不調となった場合のさらなる工事の遅れ-の4点を挙げた。
 防潮堤工事の事業費は年度をまたぐ「繰り越し」の手続きを2回続けた。3回目は認められないため、本年度中に事業を終える必要があるとして「(判断の)タイムリミットだった」と理解を求めた。
 村井知事は「住民に多大なる迷惑と心痛を掛け、深くおわびする」と重ねて陳謝。「ミスの原因や経緯などは誠意を持って説明する。設計、施工各業者、県職員は基準に基づいて適切に処分する」と述べた。
 菅原茂気仙沼市長と、住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の菅原昭彦会長には同日午前、電話で方針を伝えた。2人から「納得したわけではない」との返事があったと明かし、「できるだけ早く出向き、おわびしたい」と話した。(後略)


9月26日配信記事「気仙沼・防潮堤施工ミス」③
宮城県と住民の溝埋まらず 議論平行線、対立深まる

 気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、村井嘉浩知事は25日、住民が求めた造り直しには応じず、22センチ高い防潮堤の建設を進める最終判断を下した。ミス発覚から203日。県と住民との間にできた深い溝が埋まることは一度もなかった。(気仙沼総局・大橋大介)

 防潮堤を巡る議論の経過は表の通り。県と住民の対立が決定的となったのは、5月18日に気仙沼市であった地元住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」の会合だった。
 県は当初、(1)造り直し(2)背後地かさ上げ(3)現状のまま設置-の3案を示し、住民の意向を選択する方針だった。会合で住民は「造り直し」を求めたが、出席した村井知事は時間や経費を理由に却下した。
 ある協議会関係者は「住民が選んだ意見を覆した。知事の強気な姿勢も不信感を大きくした」と明かす。
 その後、「造り直し」を求める住民と県の議論は平行線をたどった。この間、県は誤解を招くような住民の意向調査結果を示したり、施工ミスに気付いた時期を住民よりも前に県議会に示したりするなどして何度も住民の反発を買った。
 今月15日にあった会合で協議会は造り直しの方針を県に示したが、その10日後、県は最終決定を下した。防潮堤背後地の魚町の地権者(44)は「県はどれだけ住民の感情を逆なでするつもりなのか」と憤る。
 住民の中には、かさ上げ案を受け入れざるを得ないとの意見ある。それでも、県と住民の感情的対立が解消される可能性は極めて低い。

表
(引用は以上)


最後に引用した記事は、河北新報気仙沼総局・大橋大介さんの署名記事です。その中に、協議会関係者の言葉として「住民が選んだ意見を覆した。知事の強気な姿勢も不信感を大きくした」とありましたが、知事の強気な姿勢こそが不信感を大きくした原因だと私は思います。

知事は「できるだけ早く出向き、おわびしたい」と話しているそうですが、もう少し別の段取りがあってもよかったような気がします。大橋さんの記事の末尾に〈県と住民の感情的対立が解消される可能性は極めて低い〉とありました。残念ながら同感。としか言いようがありません。

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tag : 気仙沼 防潮堤 施工ミス

一景嶋神社の神輿

きのうのブログ「一景嶋神社の祭典」を書くにあたってネットでいろいろと調べていると、つぎのような記事がありました。

タウンニュース

「タウンニュース」高津区版2012年8月24日号の一部イメージ


川崎市高津区北見方にある白髭(しらひげ)神社の神輿(みこし)が、一景島神社に寄贈されたという記事です。9月27日の一景嶋神社祭典でかつがれるのはこのお神輿でしょう。

白髭神社では2009年に神輿を新調しましたが、先代の神輿も大切に保存していたそうです。一方、気仙沼の一景嶋神社は大震災の大津波で一基あった神輿が流失しました。

その間の縁を川崎市川崎区の稲毛神社さんがつないでくださって、先代の神輿が一景嶋神社に寄贈されることになったのです。2012年8月9日には白髭神社境内で、それまで神輿を管理してきた北見方町会(吉田豊町会長)による引渡式が行われました。寄贈にあたっては、神輿の一部を修復するための費用も添えられたそうです。

寄贈された神輿は1955年に、地元有志の大工さんらが3年以上の月日をかけ作り上げたものです。仕事を終えてからの作業は夜間に及び、飾り物は浅草まで何度か足を運んで調達したとのこと。

引渡式には、神山正志宮司、副総代長の猪狩栄寿さん、総代の熊谷義弘さんが出席しました。引渡式で猪狩さんは「神輿を末永く大事にしたい」と謝辞を述べた。また神山宮司は「何もないところにご厚意を頂戴し、感謝の気持ちでいっぱい。復興への大きな力にしたい」と語りました。

また白髭神社の長崎宮司は「一景島神社では神社の中心となるものが何もない状態と聞いた。大工が丹精込めて作った神輿が再び世に出ることになったのも神のおかげ。気仙沼の繁栄につながれば最高に嬉しい」と話していたそうです。

白髭神社さん、稲毛神社さん、北見方町会の皆様、一景嶋神社へのお神輿の寄贈に対し心から御礼を申し上げます。おかげさまで今年9月27日の祭典でも神輿が弁天町を巡ることができます。地域の人たちが、お神輿だけでなく、皆様のご厚意も永く伝えていくことでしょう。ありがとうございました。
 

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tag : 気仙沼 一景嶋神社 白髭神社

一景嶋神社の祭典

9月22日の三陸新報に、一景嶋(いっけいじま)神社祭典の案内広告が掲載されていました。

一景島祭典
三陸新報9月22日掲載広告


案内文によれば、一景嶋神社の例大祭は大震災後は9月第四土・日におこなっていたそうですが、昨年度からは震災前に戻し、9月27日におこなっているそうです。案内文に、〈お下がりいたします〉とあるのは、神輿(みこし)の渡御、巡行のことを指しているのでしょう。

一景嶋神社については、このブログでも何度か書いています。先日は、一景嶋神社/一景島公園にある気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板のことを紹介しました。

本日は、2016年11月11日のブログ「大正5年の一景島」で紹介した画像を再掲します。1997(平成9年)の「気仙沼かほく」に〈港の守護神〉との見出しで掲載された一景島神社の写真です。

記事内容も再掲しておきます。

〈大正5年に撮影した。気仙沼市弁天町にある現在のホテル一景閣付近から、当時は海と大島の景観が広がり、すぐ前には一景島が浮かんでいた。一景島には「弁天様」と親しまれる一景島神社がある。昔から「港の守護神」として信仰を集めてきた。一帯は昭和30年に埋め立てられ、現在の一景島公園になった。しかし、一景島神社とともに、左の岸から架かる橋「神橋」は公園内に現在も残されている。(気仙沼市弁天町・斉藤徹さん所蔵)〉(引用は以上)

2016年のブログでは、この写真の所蔵者であるホテル一景閣の斉藤徹さんのことについても記しております。

2016年11月11日ブログ「大正5年の一景島」

一景嶋神社の主祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。宮城県神社庁のサイトでは、〈市伎島姫命〉と表記しています。同サイトの由緒はつぎのとおり。「往古より弁財天を鎮座すと伝えられているが、不詳。慶長16年の大津波で社殿、縁記が流失。金華山小金山神社と同一の弁財天を奉るとも伝えられている。別名「魚取島」とも言われた。」

慶長16年に起こった慶長三陸地震による大津波は、ウィキペディアの記述では田老や大船渡で最高20m前後の高さであったとも。気仙沼地区での被害も相当なものだったでしょう。江戸時代、第2代将軍 徳川秀忠の時代です。伊達政宗は地震当時に44歳。

慶長16年の津波で社殿が流失したとの話は初めて知りました。そしてそれが、東日本大震災からちょうど400年前のことであることにも大変驚きました。慶長16年10月28日は、1611年12月2日とのことです。

ちょっと話が長くなりました。一景嶋神社の神輿については、 明日のブログで記すことにいたします。

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紫神社の鳥居新設

9月9日におこなわれた気仙沼市浜見山の紫神社祭典については、9月5日のブログでご紹介しました。その記事で私は、神社の所在地を南町と書いてしまいましたが、浜見山なのですね。そういわれればそうです。

その紫神社の鳥居の鳥居の建て直しが計画されているとの記事が、9月21日の三陸新報に掲載されていましたのでご紹介します。

紫神社鳥居

三陸新報9月21日記事の一部イメージ


記事によれば、戦前に建てられたとみられるコンクリート製の鳥居は震災での被災後に年々ひびが目立つようになってきたそうです。そのため、「次に大きな地震があれば崩壊の恐れが」と、総代や氏子、世話人らで会合を開き、鳥居、擁壁などの新設・改修をおこなう境内整備事業を決めたそうです。来年の元日までに整備を終えたいとのこと。

記事のなかに、紫神社の菅原秀絃宮司のお名前がありました。気仙沼市新町の北野神社の宮司さんです。このブログでは以前、羽黒神社由緒の記事や、気仙沼市九条の気仙沼高校近くにある中納言神社再建の記事のなかで菅原宮司のお名前を紹介したことがあります。北野神社が宮司が常駐している本務神社だと思います。紫神社や羽黒神社は兼務神社ということではないでしょうか。

三陸新報の記事には、菅原宮司の「子どもたち参拝者の安全のため、年内には整備を終えたい。市民の皆さんにも寄進の協力をお願いしたい」との話もありました。寄進希望者は菅原宮司までご連絡ださい。記事掲載の電話番号を記しておきます。

北野神社(菅原宮司) 0226-22-0694

紫神社から見下ろしたところには、〈南町紫神社前商店街〉があります。その名に神社名をいただく商店街としても、南町のまちづくりを考えていくなかで、紫神社の整備は課題のひとつとしてあったことでしょう。順調に整備が進むことを願っております。

 

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tag : 気仙沼 紫神社

魚町復興途上風景

三陸新報のシリーズ記事〈今を見る「途上の街」〉は、気仙沼市と南三陸町の復興経過を写真で紹介しています。私など気仙沼を離れて暮らすものにとっては大変ありがたい企画です。8月12日に紹介されていたのは、気仙沼市の魚町と南町。つまり内湾地区の風景でしたから、なおさら興味深くながめました。



三陸新報8月12日記事の一部イメージ


私の実家があった魚町坂口の裏山方向から撮った写真ですかね。なかなかいいアングル。左下から右上に向かってうつっているのが、県のミスで22cm高く施工された防潮堤です。南町の海岸に少し波打つ屋根の建物が内湾商業施設「ムカエル(迎)」。その左側で「(仮称)南町海岸公共・公益施設」の工事が進んでいます。

昨日のブログでもお伝えした、施工ミス22cmに対応するかさ上げは、写真にうつる平たい地面の上に盛り土する感じなのでしょうかね。その右側の道路や建物との高さの違いはどうなるのだろう。なかなか全貌がわかりません。

中央下側にうつる建物は〈福よし〉さんです。現在は工事のために営業を休止しているはずですが、今後はどのようになっていくのでしょうか。写真でいえばその左側にあった、屋号でいえばイチジュウさんやカクダイさんの建物は撤去されていますね。

この写真を見て感ずるのは、失われた懐かしい風景への郷愁ではありません。いろいろ課題はあるでしょうが、そこに暮らす人たちが希望の持てる新しい魚町そして南町であって欲しいという願いのみ。

まちづくり協議会の皆さんや行政関係者、そしてなにより住民、地権者の方々にとってはまだまだ大変なことも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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かさ上げ先行実施

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題に関して、市に新たな動きがありました。9月15日の「内湾地区復興まちづくり協議会」の会合で、菅原茂市長は見た目の高さを抑える背後地のかさ上げを先行して実施する考えを明らかにしました。9月16日の三陸新報記事もつぎのような記事で伝えています。

かさ上げ先行

三陸新報9月16日記事の一部イメージ


記事によれば、会議前日の9月14日夜に魚町地区の権利者会を開いて市のかさ上げ案を示したそうですが、出席した地権者16人から異論は出なかったそうです。15日の協議会後、菅原昭彦会長は、「区画整理は権利者の問題。権利者が最悪の事態を避けたいという思いから市のかさ上げに理解(を示)したのだと思う。尊重したい」と話したそうです。

9月16日配信の河北新報も詳しく報じています。一部を引用します。

〈 菅原市長は、県に加えて県議会内でも造り直しへの賛同は得られない見通しという現状認識を報告。「市として県が造り直す可能性はないと判断した」と述べた。その上で、区画整理事業を計画通り実施するに当たって「時間の限界が来た」と、県が提案するかさ上げ工事に週明けから着手する考えを示した。費用は県側が負担する。14日に魚町の地権者に説明し、「異論はなかった」と報告した。

 菅原市長は会合後の取材に「土地のかさ上げも行われない、防潮堤の高さも下がらないという最悪の事態は避けたい。残念だが行政として客観的に判断した」と説明した。ただ、「高さのミスを容認したわけではない」と述べ、県が引き続き住民との合意形成に努めるよう求めた。

 協議会の菅原昭彦会長は「地権者の選択は尊重していきたい。だが県への不信感は依然残っており、造り直しの結論を覆すことはできない」と話した。
 県によると、盛り土などに見込まれる費用は数千万円。ミスの責任割合に応じ、業者側と分担して市に支払う。武藤伸子県農林水産部長は「(市の判断に)感謝している」と述べた。〉(引用は以上)


記事を読んでいてちょっとわかりにくいなと思ったところがありました。造り直しを強く求めていた魚町の人の中には、地権者も多くいたはずで、その方々と14日夜の権利者会出席者の重なりや違いがわからないのです。造り直しを強く求めていた人もかさ上げには異論がなかったということなのでしょうか。

なお、9月18日配信の東日本放送ニュースによれば、村井知事は今回の結論について、「地域の皆さまや尽力いただいた気仙沼市に感謝したい。防潮堤の造り直しについても誠意を持って丁寧に説明したい」とコメントしているそうです。

村井知事が5月18日のまちづくり協議会で高飛車な言葉を発することなく誠意をもって丁寧に対応していればこんなことにはならなかったのにとあらためて感じています。

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松圃虎舞の皆さん

9月16日におこなわれた「目黒のさんま祭」の話の続きです。

開会式がおわって、焼きサンマの提供がはじまったころ、会場脇に行くと気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞メンバーが出番を待っていました。何時からですかとたずねたついでに写真撮影をお願いしたら快諾してもらえました。

松圃虎舞メンバー
松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さん(クリックで拡大)


松圃虎舞保存会と気仙沼市立中井小学校の皆さんです。左のほうに衆議院議員の片山さつきさんもうつっていますが、無理矢理はいりこんで来たわけではなく、近くを通りかかったのでこちらから声をかけました。

この写真を撮ったときには気づかなかったのですが、気仙沼に移住して気仙沼のまちづくり活動を展開している一般社団法人まるオフィスのメンバーがずいぶんうつっています。代表の加藤拓馬さんや根岸えまさんなどのメンバーがうつる復興庁のポスターは、7月10日のブログで紹介しました。まるオフィスの拠点は松圃にあり、虎舞保存会の活動に参加していることも知っていたのですが、目黒で皆さんに会えるとは思っていませんでした。驚いた。

私がうれしく思ったのは、気仙沼の外から移住してきてくれた人たちが、こうして地元の民俗芸能継承の力になってくれているということです。なかなかできないことでしょう。上の写真を見ればわかると思うのですが、なんていうんだろう、一体感というか仲がよさそう。

気仙沼市唐桑町松圃地区は、唐桑半島の南西部です。そして中井小学校は、半島の中央から少し東寄りにあります。唐桑町の小学校はいま、唐桑小学校と中井小学校のふたつで、中井小の学区は唐桑地区南部といってよいでしょう。

いま、気仙沼市は小中学校の統合計画を進めています。2018年度に計画されていた「小原木小→唐桑小」は統合を完了しましたが、「月立小→新城小」「水梨小→松岩小」は地元の反対などで統合が延期されました。

中井小は2021年度に唐桑小への統合が計画されています。2018年度の同小の児童見込み数は全校で64名。小原木小が統合された唐桑小は99名です。旧唐桑町地区の2校合計が163名ですね。

参考まで申し上げれば、わが母校の気仙沼小学校は243名です。3000人以上の時代を知っている身からすると〈すっかりちゃっこくなってしまって〉という印象。市内で児童数最多は松岩小の329名。ついで九条小の309名です。

2018年3月13日ブログ「小中校児童数見込」

話が小中学校統合問題にとんでしまいましたね。話を戻しましょう。今回の中井小学校の皆さんを(そしてたぶん保存会の皆さんも含めて)目黒区民まつり/目黒のさんま祭に招いてくださったのは目黒ユネスコ協会さんです。

同協会は2012年から毎年、地元民俗芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼の小学校児童を招待してくださっています。私なりにまとめるとつぎのとおり。演技場所はさんま祭会場だったり区民ホールだったりといろいろです。雨天で変更を余儀なくされることもありました。

2012年:月立(つきだて)小/早稲谷鹿踊(わせやししおどり)、2013年:水梨小/羽田神楽、2014年:新城小/廿一(二十一)I田植踊り、2015年:月立小、2016年:馬篭小/馬篭(まごめ)ばやし、2017年:月立小、2018年:中井小/松圃虎舞

これらの小学校のうち、馬篭小は2017年に月立小は津谷小に統合されていますが、月立小と水梨小の統合は上述したように延期されています。今後、統合が進められても、各地区の伝統芸能の継承については各統合校で進めていくとの市教育委員会の方針も伝えられています。是非そうあってほしい。さんま祭で撮影した写真にうつる松圃の皆さんの元気な笑顔をあらためてながめ、そんなことを考えておりました。

最後になりましたが、目黒ユネスコ協会さんの継続的なご支援に対し、心から御礼を申し上げます。今度ともどうぞよろしくお願いいたします。
 

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目黒さんま祭報告

9月16日(日)の目黒のさんま祭。前日に気仙沼で水揚げされた500尾のさんまが炭火で焼かれ、長い行列をつくって待ってくれた来場者にふるまわれました。

9時半からの開会式は、目黒区民まつり全体のものなので、ご来賓の方々の挨拶が続きます。それが終わってからはさんま祭関連の式次第。気仙沼メンバーによる〈どや節〉が披露された後に、目黒区長が殿様に扮しての献上式。

焼きサンマの提供が始まったのは10時15分ころでした。会場の中央には焼さんまなどの飲食用のテントが張られているのですが、その隣が開会式もおこなったイベントスペース。そこで、まずは気仙沼出身の日本舞踊家である花柳寿々菊さんの舞踊研究所の皆さんによる踊りが披露されました。東京と気仙沼に教室がありますが、今回も気仙沼から沢山の門下生らが上京してくれました。

社中踊り

子供踊り

続いては、私が楽しみにしていた気仙沼市唐桑の松圃(まつばたけ)虎舞です。保存会の皆さんによるうちばやしが披露された後に虎舞が登場。通常は長いハシゴにのぼるとのことですが、今回の会場ではかなわず。メンバーには市立中井小学校の児童や、気仙沼に移住してまちづくり活動に従事している皆さんも。この唐桑メンバーについては日をあらためてまた紹介しようと思います。

太鼓

虎舞

今年も気仙沼あさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が〈さんま姿寿し〉の販売で上京。早々と完売しましたが、ほかの物産の手伝いで忙しかったようです。それでも休憩時に気仙沼関係者が集まった喫茶スペースに来てくれました。ビールで乾杯。右下が徹君です。

喫茶スペース

会場に戻り、例年通りさんまのすり身汁のお手伝いで上京した荒木容子さん(10組)を呼んで皆さんと。左から3人目はさんま祭気仙沼実行委員会の松井敏郎会長です。かがんでいるのが私と妻(菅原市長と気小・気中の同級生)。

同級生

最後に、目黒区の青木区長と菅原市長とご一緒に。右から5人目が青木区長。その左は菅原市長の奥様です。すり身汁のお手伝いに。右から2人目は松井会長の奥様の恵美子さん。小さなころは私と魚町のご近所さんでした。

みんなで

以上取り急ぎ、当日のスナップということで。楽しい時間を過ごしたことが少しでも伝わったでしょうか。

さんま祭の関係者の皆さんにお礼を申し上げます。さまざまな準備と当日の運営は本当に大変だったことでしょう。ありがとうございました。
 

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tag : 気仙沼 目黒のさんま祭

ブッツヤの修司君

きのうの目黒のさんま祭では大変楽しい時間を過ごすことができました。ここ数年は雨の心配などをしながらの開催でしたが、今年は天気に恵まれての開催となりなによりでした。写真の紹介などはまたあらためて。

さて、三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目の勝倉漁業さんを14日に紹介しましたが、本日は9月5日掲載の第5回目を。(株)カネシメイチさんです。私たちの同級生である小山修司君(3年5組)が昨年まで社長をつとめていました。今は相談役となっています。

カネシメイチ2
三陸新報9月5日掲載記事


6代目にあたる修司君によれば、カネシメイチの創業は1834年(天保5年)とのこと。年表を見てみると、新選組局長の近藤勇が生まれた年ですから、ずいぶん昔の話です。初代の小山吉内さんは、魚町で魚の塩蔵加工やかつお節などの商売をしていたそうです。その頃にはすでに〈荷印〉としてカネシメイチを使っていたとされています。

仏師だった2代目の𠮷五郎さんの時代に、仏具屋に転業しました。その名残(なごり)から、その昔は「ブッツヤはん」の愛称で呼ばれることが多かったといいます。懐かしい呼び名ですね。〈ブッツヤ〉は仏屋でしょうかね。記事では、〈その昔〉としていますが、私が小中学校生徒だったときにでも、魚町の年配の人がごく普通に〈ブッツヤ〉の名を呼んでいたように思います。当時、その名が仏師からきていることを聞かされて驚きました。

カネシメイチはその後、海運業に回船問屋、焼ちくわ製造の水産加工を経て、5代目の亀吉さんが1964年(昭和39年)に近海のカツオ一本釣り船「第3亀洋丸」(39トン)を建造して漁船漁業に乗り出しました。修司君のお父さんです。問屋業で縁のあった三重県のカツオ船関係者からノウハウを学んだそうです。

小山亀吉さんは、その長身の姿や声を今でも思い出すことができます。気仙沼魚漁協組合長をはじめ気仙沼の水産関連団体の要職をつとめましたが、震災の年2011年1月12日に亡くなりました。その2か月後に気仙沼は大津波に襲われました。魚町で育った私たちにはとても懐かしいあのカネシメイチの建物も被災。修司君の奥さん容子さん(5組)は、屋根の上に避難したのですが、自宅が浮いたのが分かったそうです。そのことはつぎのブログで紹介しました。

2015年3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」

その魚町のカネシメイチさんも今は鹿折地区の錦町に移りました。臼井弘君(4組)の〈福寿水産〉などと共に気仙沼鹿折加工共同組合に属しています。以前も紹介しましたが、この組合のサイトで修司君の素敵な笑顔を見ることができますので是非に。

記事の写真にうつる〈焼ちくわ〉の商標がいいですね。ちくわの梱包の箱や包みに貼ったラベルでしょう。「第3亀洋丸」の写真も時代を感じさせます。建造は修司君が小学6年生ぐらいのことではないでしょうか。修司君がこれらのラベルや写真を見るとき、自分が継承し、そしてまた時代に継いだカネシメイチの歴史を感ぜずにはいられないでしょう。

気仙沼鹿折加工共同組合サイト/(株)カネシメイチ

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かくいち勝倉漁業

8月21日の三陸新報の連載「わが社の屋号」第4回目は勝倉漁業さんでした。所在地が〈弁天町〉となっていますが、震災前までは魚町の海岸通り、文字通り〈屋号通り〉に社屋がありました。津波で被災し、弁天町に新事務所を設けたのですね。


勝倉漁業
三陸新報8月21日記事


記事によれば、屋号の呼び名は〈かくいち〉。私にとって同社は〈勝倉さん〉であって、この〈かくいち〉はあまりなじみがありませんでした。創業は大正時代で、初代の勝倉和平さんが魚町に勝倉商店を設立、鮮魚仲買と回船問屋業を営んでいたそうです。

マグロ船による漁業経営に乗り出したのは1945年(昭和20年)のことだといいます。終戦の年。和平さんの長男、和太郎さんが2代目・和平を襲名したのを機に、木造カツオ船「第1勝栄丸」(しょうえいまる)(150トン)を建造しました。現在は会長をつとめる3代目の勝倉敏夫さん(77)は「2代目の父にはよく、『乗組員にうそを言ったり、だましたりしてはいけない』と言われた。乗組員が働きやすい環境を第一にという考えは、今も変わらない」と語っています。

現在の社長は4代目の勝倉宏明さん。4隻の勝栄丸船団で遠洋まぐろ延縄漁を展開しています。各船の活動の様子は、〈勝栄丸ブログ〉で詳しく紹介されています。同ブログでは、自社船団だけでなく、問屋としてお世話する漁船のことや気仙沼の漁業・水産業なとの動きが紹介されています。こちらも是非ご覧ください。

勝栄丸ブログ

勝倉さんの屋号「かくいち」をながめていて、魚町の漁業家で四角の中に文字を記した屋号をいくつか思い出しました。まずは菅原家「かくだい/角大」、それから畠山家「かくじゅう/角十」。佐々木徹君(3年1組)の家の左隣には「かくへい/角平」さんもあったなあ。

こうして思い出した3つの屋号で現在まで漁業を継続しているところはありません。私が高校生のころでしょうか、気仙沼の遠洋漁業経営がなかなか難しい時代になってきていて、漁業経営から撤退する会社が相次ぎました。今回の連載記事で紹介される屋号は、そうした難しい時代を生き抜いた屋号/会社ということになるのでしょう。

この三陸新報の連載「わが社の屋号」は、そうした気仙沼の漁業、水産業の歴史の一端を読者に興味深く知らせる良い企画であると感じています。

勝倉漁業(株)ホームページ
 

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メカジキ突きん棒

テレビ朝日系列9月15日(土)午後6:30からの「ごはんジャパン」で気仙沼の突きん棒(つきんぼ/つきんぼう)によるメカジキ漁が紹介されます。宮城県内は東日本放送にて。前編が先週放送されたのですが、当日に放送を知り、ツイッターではお知らせしたもののブログでの紹介ができませんでした。


つきん棒
   番組サイトの紹介動画より


先週放送分の番組紹介を抜粋して引用します。


2週に渡って、宮城・気仙沼の“メカジキ”に注目!150キロ超の大物を狙って航海を続けるメカジキ漁の“匠”たちの5日間に密着する。

最高のメカジキを求めて現地を訪れるのは、焼き魚にこだわりを持ち、8年連続でミシュランの星を獲得している日本料理の“匠”、小林雄二さんと渡辺徹。小林さんがメカジキの風味を最大限に引き出すべく、和食の技を使って焼き上げる……!

2人が訪れたのは、気仙沼市(唐桑地区)の小鯖(こさば)漁港。そこで出会ったのが、メカジキの“突きん棒漁”の“匠”、佐々木夫一(ささき・ゆういち)さんだ。突きん棒漁とはメカジキを見つけたら舳先の突き台から、長さ5メートルのモリで仕留めるという、昔ながらの豪快な漁のことだ。

今回の航海は5日間。佐々木さんを含め、5人の乗組員と船で寝泊まりしながら、漁を続けるという。午前3時半、まだ真っ暗な太平洋へ船を出し佐々木さんたちが狙うのは、黒潮に乗って北上するメカジキ。夜が明けて海水の温度が上がるとメカジキは海面近くに上がってくるという。

午前8時、乗組員が配置につくが、初日は天候が悪く、早々に漁を終了。2日目の午前7時、見張りを始めると…背ビレのようなものが見えてきた!佐々木さんたちが狙うのは150キロを超える大物だというが、はたして大物メカジキを仕留めることができるのか…!?(引用は以上)


先週の放送では、なかなか大物をしとめることができませんでした。そしていよいよ150キロを超えるメカジキをしとめたかというところで、続きは来週となりました(笑)。

佐々木夫一さんの船は、第18一丸(かずまる)。佐々木さんは、唐桑を拠点とする社団法人まるオフィスをはじめ様々なまちづくり活動にも協力し、気仙沼の漁師の世界を多くの人に伝えてくれています。東京でのトークイベントにも登場したことがあるはずです。私はテレビ番組を通じて、佐々木さんの姿を何度か拝見しています。いつもざっくばらんな語り口で、漁業の面白さや素晴らしさとともに、危険と隣り合わせの仕事の厳しさを語っていました。

数年前の番組では、たしか唐桑地区でのまるオフィスが催したイベントだったと思うのですが、魚介類のバーベキューだったかを楽しく終えたあとの佐々木さんが強く印象に残りました。道具の始末などの後片付けがなってないと強くスタッフをしかったのです。面白い話などでその場をもりあげるのも上手そうな佐々木さんが見せた厳しい一面でした。それを見て、なかなかの方だなと感じました。

ネット配信記事のなかに2016年3月に66歳とありましたから現在は68か69歳でしょう。今でも仲間と沖に出てメカジキを追っています。その突きん棒漁の様子を今度の土曜日6時半からぜひご覧ください。
 

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「目黒のさんま祭」

気仙沼から送られる5000尾のさんまが焼かれる〈目黒のさんま祭〉が、9月16日(日)に開催されます。

さんま漁は、8月28日の気仙沼での初水揚げ後の数日間は好調だったものの、9月3日からは不調となっています。魚体も小さくなっているなど心配な状況で、さんま祭の関係者は気をもんでいるのではないかと。それはそれとして、本日はさんま祭スケジュールのご案内です。

チラシ

日時:9月16日(日)10:00〜15:30
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

品川区側の目黒駅東口のさんま祭りは9月9日に行われました。これは宮古水揚げの(後で知ったのですが、宮古ではなく大船渡水揚げのさんまを宮古が提供した)さんま。そして9月16日(日)が正真正銘(笑)の目黒のさんま。「目黒区民まつり(目黒のSUNまつり)」のメインイベント「目黒のさんま祭」です。

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図


今年も気仙沼から大勢のお手伝いの人達が上京します。参加者がお金を支払って参加するボランティアです。今年もふるさと物産展の手伝いで荒木容子さん(3年10組)、あさひ鮨の佐々木徹君(1組)も参加予定。会うのを楽しみにしています。

どうぞ皆様もおでかけください。会場でお会いしましょう。
 

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うを座20周年公演

気仙沼演劇塾「うを座」が今年で20周年を迎えます。これを記念しての公演「海のあしおと」が9月16日に行われますのでご紹介します。


うを座

気仙沼演劇塾うを座Facebook より


気仙沼演劇塾 うを座 20周年記念
「海のあしおと」

◎日時:9月16日(日)
 午前の部 11:00~
 午後の部 15:00~
 (開場は30分前)
◎会場:ゲストハウスアーバン マリア・チャペル
  気仙沼市陣山1-125
◎チケット:
  前売 1500円 当日1800円(いずれも税込)
◎取扱店:
  浜の家(東新城)、CORVO(南町)、京染たかはし(神山)
◎お問い合わせ先/うを座事務局 070-2433-3431


「海のあしおと」については、9月5日の三陸新報「論説」でも、〈20周年公演を見よう!〉との見出しで紹介していました。単なる〈紹介〉ではなく〈応援〉といってよいでしょう。この論説記事によれば、気仙沼演劇塾うを座が誕生したのは1998年4月。初稽古が、市総合市民福祉センター「やすらぎ」(当時)で行われました。小学2年生から高校3年までの60人が集まったのです。

座長は気仙沼小劇場という劇団の代表だった鈴木恒子さん。鈴木さんは以前から気仙沼に住む子供たちの劇団を立ち上げる構想を抱いていたそうです。スポーツ少年団があるように、芝居を一緒に楽しむ“文化少年団”があってもいいんじゃないかと。

そして1999年。劇団四季出身の俳優・壌晴彦さんの演出・脚本で、旗揚げ公演「海のおくりもの〜竜宮伝説 ’36」を市民会館大ホールで上演。3回公演のいずれも超満員となりました。

今回の公演「海のあしおと」は、これまでの作品の中から、歌やダンス、語りやセリフを再構成しての20周年特別バージョンとのこと。これまでの作品とは、1999年「海のおくりもの」、2000年「夢つむぎの詩」、2002年「鳥の物語」2008年「宇宙の祈り」です。

うを座の塾生は震災後にだいぶ減って現在は4人となりましたが、大人も加わっての〈市民劇団〉としての活動を始めています。今回の公演に出演するのは、小学3年生・5年生2人、高校1年生4人、うを座OB・OG12人(19~36歳)です。

私は一度だけ「うを座」公演を見たことがあります。お盆の帰省時に市民会館で。1999年の「海のおくりもの」でしょうね。〈のんちゃん〉こと臼井典子さん(3年1組)が受付のお手伝いをしていました。あれから19年か。

20年間の活動の継続は本当に素晴らしいこと。いろんなご苦労もあったことでしょう。代表の鈴木恒子さんや壌晴彦さんをはじめ、うを座関係者の方々に敬意を表するとともに御礼を。

9月16日、陣山での「うを座」20周年記念公演にどうぞおでかけくださいますように。


なお、会場マリア・チャペルの駐車可能台数は限られているそうなのでご注意ください。本郷アーバンさんからの連絡バスがつぎの時刻に発車しますのでご利用ください。終演後も本郷アーバンさんまで運行するそうです。

午前の部 ①10:10発 ②10:45発
午後の部 ①14:10発 ②14:45発

最近2年間の公演についてはつぎのブログで。

2016年10月24日ブログ「青鬼、なぜ泣くの」
2017年11月8日ブログ「うを座」発表会
 

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マンボの岩本さん

気仙沼出身の漫画家 村上茂雄さんの〈3.11 気仙沼紫市場物語〉は全6話を目標に2013年12月から始まりこれまで5話が公開されていました。そして、8月3日、残っていた〈喫茶マンボ〉店主 岩本秀之さんの話がサイトにアップされました。

  マンボ
3.11 気仙沼紫市場物語/喫茶マンボ 店主 岩本秀之さんの冒頭イメージ


作中に登場する〈マンボ通りのマンボ〉はもちろんですが、秀之さんが子供のころに自分の庭のように駆け回ったという〈丸光デパート〉もいまではとても懐かしい。秀之さんと村上さんは幼稚園時代からの友達だそうです。

村上茂雄さんの実家は南町の気仙沼〈あさひ鮨〉です。気中39回生。早稲田大学を卒業して漫画家の道を歩みました。代表作「花寿司の幸」は、実家である「みなと鮨」の看板娘だった幸が鮨職人として成長する物語です。自らの経験や実感が物語の背景にあるのでしょう。

アマゾン/「花寿司の幸」Kindle版

村上さんはサイトで、〈これからも、震災の記録として、頑張っている店主さんたちへのエールとして、この漫画を描きたしていこうと思っています〉と記していましたが、まずは当初の目標とした6話が完結しました。多忙ななかでの制作で大変だったと思います。第2期の展開は、(復興のスピードに合わせて)どうぞゆっくりと。ありがとうございました。

全6話のリンクを下記に。どうぞご覧ください。なお、シリーズナンバーと投稿順は異なっています。

1.「交流空間・フリーダム」千葉秀宣さん
2.「アッシュヘッド オノトラ」小野寺一雄さん
3.「とんかつ勝子」小野寺耕さん
4.「喫茶マンボ」岩本秀之さん
5.「居酒屋まるきん」鈴木光浩さん
6.「本間屋酒店」浅野恵一さん

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谷真海さんの苦渋

北海道の地震に関する報道を見ていると、東日本大震災のとき、母と地震直後に電話で話した後で連絡がとれなくなり、ひどく心配したことを思い出します。現地の被害がこれ以上広がらないように願っています。

さて、ちょっと前のことになりますが、8月23日の読売新聞に気仙沼出身のパラリンピアン谷真海さん(旧姓佐藤)のインタビュー記事が掲載されていました。地域面の記事なので宮城県版では掲載されたかどうかはわかりません。


真海さん記事

読売新聞8月23日記事より


〈ふるさと〉というシリーズ記事。気仙沼小学校では水泳部、気仙沼中学校では陸上部に属し練習に励んだことなどが記されていますが、記事の最後の部分では今のつらい心境について語っています。真海さんは、東京パラリンピックにトライアスロンで出場を目指していますが、目標としていた種目が実施されないことが8月6日に決定したのです。

〈東京大会では、トライアスロンの出場を目指していますが、今月、私が目標にする種目が外れることが決まりました。戦わずして道が閉ざされることはショックですが、救済措置で出場できることを願っています。可能性がある限り諦めません。今は9月の世界選手権に向けて頑張ります。〉(引用は以上)

このパラリンピックの実施種目について報道内容を総合して補足しておきます。

8月6日、国際パラリンピック委員会(IPC)が、2020年の東京パラリンピックで実施される22競技のうち、未決定だったトライアスロンの8種目を発表しました。しかしその種目のなかに、真海さんが出場を目指していた「女子立位PTS4(運動機能障害)」はありませんでした。国際トライアスロン連合(ITU)は、男女各6カテゴリーの実施を求めてきましたが、種目数を制限したいIPCとの調整が難航し、種目決定が引き延ばされていたそうです。

日本トライアスロン連合(JTU)などは、より障害の軽いPTS5との統合を目指すそうです。これが読売の記事で真美さんが〈救済措置〉と呼んでいたことだと思います。しかし、その見通しは不透明です。

6月18日のブログで紹介した読売新聞5月24日の記事で〈「PTS4」が東京大会で行われるかどうかは未定で、他クラスと統合される可能性もある〉との記述を目にして、ちょっと心配はしていたのです。

産経ニュースの8月19日配信記事では、論説委員・別府育郎さんの「あまりに残酷で理不尽 東京パラ 谷真海の不出場はこのままでいいのか」との記事を配信していました。

そのなかで別府さんは〈(女子の)中度障害のPTS4は除外されたが、男子は実施される。取捨選択は、競技人口が考慮されたのだという。自身でコントロールできない障害の程度によって戦わずして門戸を閉ざされるのは、あまりに理不尽ではないか〉と。同感。

真海さんは、9月12日からオーストラリアのゴールドコーストで開催されるパラトライアスロン世界選手権に出場するそうです。とてもつらい状況にあると思いますが、日々の厳しいトレーニングで培った力を出し切り、連覇を果たして欲しい。

最後に読売新聞インタビュー記事の結びを紹介しておきます。なんか泣けてきます。

〈ふるさとは自分を育ててくれた大切な場所。秋には3歳の息子を連れて、気仙沼の美しい海が見える安波山に登る予定です。〉

2017年9月22日「世界女王/谷真海」
2018年6月18日「谷真海さんの近況」
 

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村井知事のお詫び

一昨日9月4日のブログで、9月3日に宮城県のホームページに掲載された「県民の皆様へ」と題する村井知事名での文章と7つの資料についてご紹介しました。ブログタイトルとした「いわれのない批判」は、知事の文章中の〈地域の皆様が,全く非がないにも関わらず,いわれのない批判を受けているとのお話を頂戴いたしました〉から引いたものです。

4日のブログで、私は三陸新報記事の〈県がHPで謝罪〉という見出しはちょっと違うと記しました。知事文章のタイトルは〈県民の皆様へ〉であり、主旨は県民からの気仙沼住民に対するいわれのない批判を払拭するために、ミスの経緯を公表するというものです。もちろん、内湾地区住民や県民にお詫びもしていますがそれはあくまで付帯的なもの。

このようなことをあらためて記すのは、三陸新報の記事を見てから、知事の文章を読んで〈これでは、お詫びになっていない〉と反発する人もいるのではないかと思ったからです。新聞記事の見出しとするならば、〈県がミスの経緯を公表〉あたりでしょうか。

県からの村井知事名でのお詫びとお願いは、9月3日公表の資料7のPDFファイル「魚町地区防潮堤工事施工ミスの県の対応に関する協議会としての見解」に対する県からのお詫びとお願い」です。8月14日付けで、内湾地区復興まちづくり協議会に示されていますが、広く公表されるのは今回が初めてです。この内容が内湾地区住民にどのように共有されたのか、されなかったのかについてはわかりません。

そんなことで、本日はこの8月14日付け「お詫びとお願い」文書を以下に引用させてもらいます。

お詫び

  8月14日付けの「県からのお詫びとお願い」一部イメージ


内湾地区復興まちづくり協議会の皆様へ

「魚町地区防潮堤工事施工ミスの県の対応に関する協議会としての見解」に対する県からのお詫びとお願い

 この度の気仙沼漁港魚町地区防潮堤の建設に当たりまして、地域の皆様が幾度もの協議を経て、苦渋の選択をされ、現在の計画を受け入れていただいたにもかかわらず、県における不手際により防潮堤の高さを間違えるという、あってはならない事態を引き起こしたことに対しまして、深くお詫び申し上げます。

 また、その後の地域の皆様との話し合いにおいて、私の発言等によりお気持ちを傷つけましたこと、私どもの対応の至らなさにより大きな疑念と不信感を招く結果になりましたことについても、重ねてお詫び申し上げます。

 今月7日の貴協議会の記者会見資料を拝見させていただきましたが、「防潮堤不要論から苦渋の選択をし現在の計画を受け入れた住民と同じ想いを共有した上での発言がみられない」、「知事の発言及びその後の対応はあらためて被災地の地域住民に精神的な苦痛や心労を与える」、「説明会や運営会議では、県の不誠実、不親切な説明姿勢であった」など厳しいお叱りの言葉を頂戴いたしました。
 今後は、皆様からのお言葉一つ一つを真摯に受け止め、信頼関係を回復していただけるよう努力してまいる所存であります。

 今回、施工ミスに関わった設計業者、施工業者については、県の基準に基づき適切に処分を行ってまいります。県職員についても同様です。また、今回の対策にかかる費用についても、各業者に責任に応じた負担を求めてまいります。
 なお、このことについては、進捗状況を9月に報告させていただきます。

 現在、県が提案しているかさ上げ案について、県の対応に不信感が募る中であったにもかかわらず、皆様で御検討いただいたことにお礼申し上げます。

 「土地区画整理事業が2週間程度確実に遅れる」との御懸念については、土地区画整理事業を実施する気仙沼市と密に調整し、宅地完成に遅れを生じさせないことはもとより、一日でも早く宅地引き渡しができるよう、県としても全力を尽くしてまいります。

 「道路との格差が最大で75cmにもなるところ」については、段差が市で計画している70cmから追加のかさ上げに伴い75cmに拡大する宅地のことだと思われますが、段差が拡大する片浜鹿折線側から車両の乗り入れを御希望の場合は、建築計画、駐車場計画などをお聞きし、対応策を御相談させていただきます。

 「土地が狭いところの対処」については、車両の乗り入れに支障のないよう、かさ上げを行わないこととしておりますが、同様に御希望に応じて対応策を御相談させていただきます。

 「私有地境界同士の高低差が広がること」については、現在、追加のかさ上げを行わないこととしている宅地についても、御希望があれば、かさ上げを行うことで、高低差が広がらないようにいたします。

 道路から各宅地への乗り入れ等についても、市と協力しながら、個々の土地利用や建築計画に応じた対応を行ってまいります。

 かさ上げ案による「不必要な段差を生むことで、不利益を被る住民が出ること。そのことによって地域の分断を生む可能性があること」という御懸念については、かさ上げにより市の計画から段差が拡大する宅地ではその擁壁の増加費用について、県が費用負担を行うことといたします。

 県といたしましては、貴協議会における御懸念を踏まえて、かさ上げ案について上記の改善を図っていくことといたしますので、再度、説明の機会を賜りますようお願い申し上げます。

平成30年8月14日

宮城県知事 村井嘉浩  (引用は以上)

引用元ファイル:公表資料(5)「魚町地区防潮堤工事施工ミスの県の対応に関する協議会としての見解」に対する県からのお詫びとお願い(資料7 [PDFファイル/136KB]

県はこの文書を8月14日にまちづくり協議会に提示し、再度、説明の機会をつくって欲しいとお願いしています。また、設計業者、施工業者、県職員などの処分や対策に関する費用の業者負担についての進捗状況は9月に報告するとのこと。

県としては、これらのお願いへのまちづくり協議会の返答を待っている状態だと思うのですが、9月3日の宮城県ホームページでの県民への経緯公表の主旨が誤解され、魚町住民の新たな反発を招いている可能性もあるのではないかと心配しています。

この問題は、5月18日(金)の内湾地区復興まちづくり協議会で、協議会が決めた方針に対し、その場で村井県知事が施工ミスのまま工事を進めるとの方針を示したことに始まりました。その強硬な知事の姿勢に住民が反発したのです。これについては5月21日のブログに記しました。このときと同様に、村井知事が住民会合に急ぎ駆けつけて、心からのお詫びを伝えていれば、ここまでこじれることはなかったのにと。とにかく残念です。

5月21日ブログ「住民意見採用せず」

 

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紫神社祭典ご案内

9月4日の三陸新報に気仙沼市南町/紫神社祭典の案内広告が掲載されていました。

紫神社
三陸新報9月4日掲載広告


紫神社〈紫さん〉は、南町から気仙沼小学校にのぼる坂道の左側にあります。その坂の名も〈紫さん〉。私たちが中学のころでも帰りに寄って遊んで帰るなどした場所なのでとても懐かしい。震災時には、集会所が避難所となっていました。

紫神社の社殿というか社屋自体は簡素なもので、宮司の常駐もありませんが、しっかりとした歴史をもつ神社です。宮城県神社庁の「神社検索」サイトでは、この神社の由緒をつぎのように記しています。以前もブログに書きましたが、気仙沼の柏崎(かしざき)だけでなく、紫神社も新潟県の柏崎と縁があることがこの由緒からわかります。


当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う、また紫明神は地続きの西風釜(ナライガマ)鐙坂(アブミザカ)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う。昭和23年御社地を別当斎藤家より寄進され宗教法人紫神社となり、近辺、南町、柏崎地区を氏子とし、毎年の例祭はカボチャ祭りのむらさきさんと賑わっている。(カボチャ祭り)カボチャ(南瓜)まつりの起こりは定かではないが、言い伝えによれば、むかしはまつり師といって、祭りの山車等を作る職人がいた。紫明神の祭りに、そのまつり師の作った人形が境内に並べられたと云う、ところが江戸時代末期か明治時代初期のことか、折角準備した人形が火災により焼失したので、付近の若者たちが方々の畑より南瓜を集め来て、南瓜を頭にした人形を作り、境内に並べ飾ったことが大勢の人々の喝采を浴びたと云う、その時の美談や時代を諷刺したもの色々で、以来、祭りが近づくと、各地区の若者たちが出しものを秘密裡に作成しその出来栄を競った。現在も氏子地域、南町、柏崎青年会によって受け継がれている。(引用は以上)

紫明神は西風釜(ならいがま/南町の旧称)の鐙坂(あぶみざか)にまつられたとあるのですが、鐙坂が現在の紫神社の場所かどうかはわかりません。柏崎と地続きのという記述がありますが、ちょっと距離がありますよね。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋である藤の花の紫より名付けたという話は以前も紹介しました。かぼちゃ祭についての説明も面白い。言い伝えで、祭の山車(だし)などをつくる職人〈まつり師〉がつくった人形を境内に並べたのが発祥とか。また案内広告には、名物〈紫まんじゅう〉の販売もあると書かれています。これも懐かしい。限定600袋だそうです。

震災後にオープンした仮設商店街は「南町紫市場」でした。そして昨年に本設としてスタートした商店街が「南町紫神社前商店街」。いずれもこの「紫神社」とのご縁を意識して名付けられています。9月8日の前夜祭・宵祭りでは、南町の中心街にて弘前ねぷたまつり運行も行われます。

なお、紫神社の主祭神は「屋船豊受姫大神」。〈やぶね とようけ ひめのおおかみ〉と読み、家屋守護の神様のようです。どうぞ南町紫神社前商店街に寄りながら、お参りくださいますように。


2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

 

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tag : 気仙沼 紫神社

いわれのない批判

本日9月4日の三陸新報に、気仙沼市魚町の防潮堤が権の施工ミスにより22cm高く施工されてしまった問題についての記事が掲載されていました。宮城県が、きのう9月3日日に県のホームページに、魚町住民への謝罪やミスが起きた経緯などを掲載したというのです。

9月3日

三陸新報9月4日記事より(クリックで拡大)


私は〈県がHPで謝罪〉という見出しなどから、8月14日付けで内湾地区復興まちづくり協議会に送られたというお詫びなどが、あらためてホームページで公開されたのだろうと推測しました。しかし県のホームページを見てみると、ちょっと違っていました。気仙沼の地域住民に対する県民からのいわれのない批判に対して、県から県民に対してきちんと説明しますという内容でした。ホームページ上の記事がちょっと見つけにくいのですが、つぎの赤字をクリックすればジャンプします。

宮城県9月3日更新「気仙沼漁港魚町地区防潮堤の施工ミスについて」

まずは「県民の皆様へ」と題する村井知事名での800字ほどの文章が掲げられています。私なりに主旨をまとめるとつぎのようなこと。

施工ミス以降、地域住民が県民からいわれのない批判を受けているとの話を受けた。そのような批判があるとすれば、県民に誤解を生じさせた私たち(県)の責任である。地域の皆さんには大変申し訳ない。ついては、県民に正確に理解してもらうために、これまでの経過、経緯をホームページ上でも下記のとおり公表することにした。早くからこのように公表すれば、地域住民への県民からの批判的意見は出なかったのではないかと反省している。内湾地区の皆様に多大なるご迷惑をおかけしていることに改めてお詫び申し上げるとともに,県民の皆様にご心配をおかけしていることにお詫び申し上げる。

そして公表された資料はつぎの5テーマ7資料です。
1) 防潮堤高さに関する内湾地区復興まちづくり協議会等との協議経過(資料1)
2) 魚町地区防潮堤工事の施工ミス概要図(資料2)
3) 魚町防潮堤工事の施工ミスに至った原因と経過(資料3・4・5 )
4) 施工ミスに関する内湾地区復興まちづくり協議会等との協議経過(資料6)
5) 「魚町地区防潮堤工事施工ミスの県の対応に関する協議会としての見解」に対する県からのお詫びとお願い(資料7)

上記の資料7が、8月14日付けで内湾地区復興まちづくり協議会に送られた県からのお詫びとお願い文書です。3頁の内容です。これについては、8月21日の三陸新報がつぎの記事を掲載していました。

詫び状

三陸新報8月21日記事より


この記事については、内湾まちづくり協議会からの反応があったときに合わせて紹介しようと思っていましたが、その前に県の県民への新たな情報発信がなされました。

また、きのう9月2日の三陸新報では、一面トップの〈ニュースを追って〉で、この魚町防潮堤施工ミス問題について〈県と住民が膠着状態/地元は「造り直し」揺るがず〉との見出しで記事を掲載していました。そのなかに、〈県のホームページに住民の名誉を回復させるための文章を載せて県民に広く発信する予定という〉との記述がありました。それが上記のホームページ記事だったのですね。

なお、この三陸新報の記事では、〈県民からの地域住民に対する批判〉ではなく、気仙沼市内からの魚町住民に対する異論を紹介しています。〈22cmぐらいいいのでは〉〈いつまで引きずるのか〉といった声。これに対して魚町地権者の〈魚町の住民はわがままを言っているという声もある。われわれの生の声や考え、思いが伝わらず、市民から浮いてしまっている〉との声も記していました。

魚町<南町<内湾(魚町・南町)<市民<県民という各層の意見の相違があって本当に複雑です。まさに〈膠着状態〉としか言いようがありません。本日は私としての考えは控え、9月3日の県の文書の紹介にとどめておくことにいたします。

8月10日ブログ「県の対策案を拒否」
 

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鹿折の復興マップ

8月23日のブログで、魚町・南町地区まちづくりマップを紹介しましたが、本日は鹿折(ししおり)地区のマップを。市の「けせんぬま復興ニュース」8月15日号(No.146)に掲載された6月末時点の内容です。4月15日号で3月末時点のマップを掲載していましたので、3か月での更新です。(画像はクリックで拡大します)

鹿折マップ
鹿折地区まちづくりマップ(2018年6月末時点)


ニュース記事には、栄町(さかえちょう)公園が完成したことが記されていました。8月下旬ごろに開園予定です。市では今後、鹿折に1カ所、南気仙沼に3カ所、魚町・南町地区に4カ所の公園を整備予定です。また、水道事業所と(仮称)鹿折コミュニティセンタ ー(鹿折公民館) の写真を掲載したとのことですが、私のPC環境では写真が表示されません。4月15日号では問題ありませんでしたので、今号のPDF化における不具合でしょう。

なお、マップの左下に魚町神山に計画中の復興祈念公園の表示がありました。そしてその右側に3棟の建物が表示されていますが、右側の茶色の屋根が臼井弘君(3年4組)経営の福寿水産でしょう。この場所は魚町なのですが、こちらのマップにありましたのであえてのご紹介。

鹿折コミュニティセンターについては、8月31日の三陸新報に関連記事がありましたのでご紹介します。

鹿折コミュニティセンター

三陸新報8月31日記事の一部イメージ


記事によれば、昨年12月から中みなと町で工事が行われてきた鹿折コミュニティセンターは9月末に完成予定ということです。同センターは、大震災で被災した鹿折公民館の再建施設。総工費は約3億5600万円で、震災復興交付金を財源にしています。事務所、会議室、研修室のほか、調理実習室、図書コーナー、バドミントンコート2面分の広さの軽運動場も。太陽光発電設備と蓄電池を設置しており、災害時などの避難所としての機能も備えています。また、コミュニティセンターにしたことで、以前の公民館ではできなかった物販活動も可能になりました。市の教育委員会では、コミュニティ形成を図る拠点施設にしていきたいと話しています。供用開始予定は11月です。

立派な施設ができあがるようです。その近くには、かもめ通り商店街もありますし、鹿折の多くの皆さんに活用される施設となるようにと願っています。

気仙沼市公式サイト「けせんぬま復興ニュース」


 

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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