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尾形将さんの絵画

サッカーW杯。日本はポーランド戦に勝利することはできませんでしたが、決勝トーナメント進出を決めました。まずはよかった。ポーランドは日本に勝ち、日本は決勝トーナメント進出ということで、両国の親善関係づくりにつとめる駐日ポーランド大使館のヤツェク・イヅィドルチク特命全権大使もほっとしたことでしょう。最後の10分間のポーランドも積極的には攻めてこなかったように感じましたが、あれは、もしかして昨日のブログで書いた〈ポーランドの恩返し〉だったのでしょうか(笑)。

東京はきょうも晴天で暑い。気象庁は本日午前11時、関東甲信地方の梅雨明けを発表しました。きのう6月28日も同じような天気と暑さでしたが、銀座のギャラリーにでかけてきました。気仙沼小・中・高の先輩にあたる尾形将(まさし)さんが所属するグループ絵画展のご案内を頂戴していたのです。

尾形さんは、気仙沼を元気にする会や、気仙沼サポートビューロー主催の会で面識を得ておりました。私たちの6コ上の気中14回生。実家は気仙沼の太田ですから魚町のご近所です。(とはいえ、ご両親はすでに亡くなっており、気仙沼に帰ってもホテルに泊まるとのこと)まずは尾形さんと出展3作品をご紹介しましょう。


緒方さん展覧会


尾形さんは現在73歳。56歳から絵をはじめたそうです。10人ほどが出展していたのですが、私は尾形さんに小声で〈一番いいですね〉と。左側にうつる作品はちょっと作風が違いますが、中央の裸婦や右側の玩具を描いた作品などは色彩や描法に個性を感じます。油彩画ではなくカタカナの〈イラストレーション〉として見ると、また別の魅力がわいてくるような気もします。

このグループ展の名は〈遊々展〉。尾形さんをはじめ、皆さんの作品を拝見していると〈悠々自適〉を連想しました。いわゆる趣味の絵画ということなのでしょうが、皆さんがとても贅沢な時間を過ごされているなと。絵そのものよりも、その絵を描いた人の過ごしている時間の質をうらやましく思ったのです。

この展覧会を見て、〈絵画〉という言葉は、描かれた作品を指す名詞ではなく、むしろ〈絵を画く〉という動詞としてとらえたいと思いました。これは絵に限らず、〈音楽〉でも同じことでしょう。といったことを書いているとまた長くなってしまいますので本日はこの辺で。

「遊々展」はあした6月30日(土)まで。尾形さんは本日29日はいらっしゃらないようですが、最終日30日は在廊とのこと。どうぞ、ご都合の許す方は是非おでかけください。


◎遊々展
6月28日~30日(土)
ギャラリー青羅
東京都中央区銀座3-10-19 
美術家会館 1階
03-3542-3473
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 尾形将

「波蘭の恩返し」

いよいよ今日はサッカーW杯の日本対波蘭(ポーランド)戦です。本ブログも、きのうに引き続きポーランドと気仙沼に関わるお話。

気仙沼に関する話の前に、ポーランドの歴史を少しふりかえってみましょう。18世紀、ポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)は3度にわたってプロイセン(ドイツ)、オーストリア、ロシアの3国によって領土を分割されます。いわゆる〈ポーランド分割〉です。

ポーランドが独立を回復するのは、第一次世界大戦後1919年のことですが、当時、ロシア革命の関係でシベリアにはポーランド孤児が残されていました。そして日本は、1920(大正9)年と1922(大正11)年の2度にわたり、計765名の孤児を救済し日本に滞在させました。手厚く看護した後にポーランドへ送り届けたのです。日本赤十字社が中心となっての活動だったようです。今に至る、日本とポーランドとの友好関係の原点のひとつといってよいでしょう。

ここからが本題。2012年12月25日のブログで「ポーランド回顧」と題して記事を書きました。気仙沼の鮎貝家に生まれた歌人、国文学者の落合直文とポーランドの関わりについてです。以下に再掲します。


◎ポーランド回顧        

週刊新潮11月29日号に気仙沼ゆかりの人の名があったので紹介します。その記事は「藤原正彦の管見妄語(かんけんもうご)」の〈ポーランドの恩返し〉。冒頭見開き頁を使った人気連載です。藤原正彦さんは、数学者でエッセイスト。



記事では、ポーランド人が親日的であることの背景を紹介します。明治25年、ベルリン駐在武官だった福島安正少佐は帰国に際し、馬にのりシベリアを1年4カ月もかけて横断したそうです。ドイツ国境を出て東へ進んだ彼は、ある寒村でみすぼらしい農夫に尋ねました。

「ここはどこですか」
「昔、ポーランドと呼ばれた所です」

1975年、長い歴史を誇ったポーランドは分割されて消滅し、ロシア、プロイセン、オーストリアの領土となったのです。農夫の悲しげな表情に祖国を失う悲哀を感じ涙した福島少佐は、帰国後の新聞インタビューでこのことを語りました。これは国民の感動をよび、それを〈落合直文が詩に書き〉、「波蘭(ポーランド)懐古」という歌にまでなったということです。

やっと出てきましたね「落合直文」。気仙沼市松崎片浜の煙雲館、鮎貝家に生まれた歌人、国文学者です。近代短歌と詩の革新運動の先駆者で、明治36年に亡くなっています。

私が驚いたのは、藤原正彦さんが〈読者の方々すでにご存じの〉といった調子で、特に説明することもなく〈落合直文が詩に書き〉と書いていたこと。260万部を越えるベストセラー『国家の品格』の著者にとって、落合直文は説明の必要がない人なのだなあと思い、うれしくなったのです。

さて、ポーランドの話の続き。大正9年(と大正11年)、日本はシベリアに残されたポーランド孤児765名の救出や孤児院の建設などを行ったそうです。そして阪神大震災のときには、その恩返しとして被災児数10名がポーランドに招かれました。そして藤原さんは、両親や兄弟を失った被災児のリュックに入っていた形見や遺品のことなど書いているのですが略します。

私はこの話を読みながら、このたびの大震災における台湾の人達の支援のことを思い出しました。忘れてはいけない記憶であると思います。(再掲内容は以上)


長くなりましたが、ポーランドと気仙沼の親密な関係やその背景がご理解いただければ幸いです。

本日のブログのタイトル「波蘭の恩返し」は、上記の藤原正彦さんのコラム記事タイトル〈ポーランドの恩返し〉からとりました。孤児救済などへの恩返しとしてゲームで負けて欲しいという意味ではまったくありません。誤解なきように(笑)。

本日午後11時キックオフ。うれしい結果となることを祈っています。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

ポーランドとの縁

サッカーW杯の日本とポーランドの対戦はいよいよ明日。この対戦に際して、日本とポーランドの関係がいろいろと紹介されています。たとえばポーランドは親日国であるといったこと。そこで本日は、ポーランドと気仙沼の親しい関係についてです。河添恵子さんによる「世界は日本が好き」第8回に気仙沼とポーランドの関わりが詳しく記されていましたので、本日はこれを元にして補足しつつ紹介します。皆さんよくご存じの気仙沼の人の名がたくさん登場します。

1:「マンガ館」の鯉のぼり    

はじめは、22年前の話です。1996年4月に気仙沼青年会議所(JC)の主催で女性向け講演会が開催されました。講師は、メジャーな興行とはなりにくい名作の上映を心がけている東京・岩波ホールのディレクター大竹洋子さん。JCのOB松井敏郎さん(現・目黒のさんま祭気仙沼実行委員会 会長)とのご縁があったそうです。

大竹さんは話の中で、ポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の努力で1994年にポーランドの古都クラクフに完成した日本美術技術博物館(マンガ館)に気仙沼から鯉のぼりを贈ってはと提案したそうです。それを、JC会員で講演会の司会をしていた気仙沼商会の高橋正樹さんが引き受ける形となったのです。このマンガ館については日をあらためて紹介することにしますが、その名は現代の漫画ではなく葛飾北斎の北斎漫画に由来します。

そして同年10月頃、アンジェイ・ワイダ監督夫妻が来日しました。これを機会に、当時の気仙沼JC理事長 昆野龍紀さん(現在はラヂオ気仙沼社長)と高橋正樹さん、松井敏郎さんらが上京し、まずは鯉のぼり1セットを贈呈することができました。

鯉のぼり贈呈式

川添さんの文章に添えられたワイダ監督への鯉のぼり贈呈の様子(松井さん提供写真)
左から昆野さん、ワイダ夫妻、松井さん、高橋さん


その後、200匹ほどの鯉のぼりが集まりマンガ館に送りましたが、鯉のぼりの揚げ方などを相談されます。そこで、正樹さんらが鯉のぼり掲揚の費用20万円ほどや、知人に頼んで作成した掲揚方法のイラスト入り英文説明書などを持参してポーランドを訪れました。クラクフのマンガ館では、館長やアンジェイ・ワイダ監督夫妻にも大歓迎されたそうです。このポーランド訪問が1997年4月のこと。それから14年後の東日本大震災。クラクフのマンガ館関係者が集めてくれた義援金が気仙沼に届けられることになるのです。


2:芽星谷芽星谷幼稚園への支援  

つぎは東日本大震災後の話。震災後、ポーランドの議会は「日本との連帯」表明を全会一致で採択し、様々な支援活動が展開されました。NGO「ポーランド人道アクション」が、ポーランド大使館と在日ポーランド商工会議所の協力を得て行った気仙沼の幼稚園再建プロジェクトもそのひとつです。

このポーランドによる支援の話は、東京のリトルリーグ関係者を経由して気仙沼の市議会議員(現在は県議)だった守屋守武さん、そして、2つの幼稚園を経営する「あしのめ学園」副理事長で市議の熊谷伸一さんへと伝わりました。そのときに提示された支援金額は120万ズウォティ。当時の為替レートで5000万円近い額でした。その後のレート変動で3000万円ほどになったそうですが、これを3回に分けて援助するとの申し出です。これを受け、1年目は葦の芽星谷(あしのめほしや)幼稚園の多目的ホール再建に、2年目は屋根の修繕に、3年目は半壊状態だった葦の芽幼稚園の多目的ホールの再建に、それぞれ約1000万円ずつを援助してもらったそうです。

以上が、河添恵子さんの寄稿内容からのまとめです。ここからは、ポーランドからの葦の芽星谷幼稚園をはじめとする気仙沼への支援活動のネット情報をベースにしたまとめです。

2012年4月16日には、アンナ・コモロフスカ大統領夫人が葦の芽星谷幼稚園多目的ホールのオープニング式典に参加し、「ヤヌシュ・コルチャック博士ホール」と命名する記念プレートの除幕などを行いました。2013年9月9日には、駐日ポーランド大使と駐日ポーランド商工会議所会頭が、葦の芽星谷幼稚園において「世界一大きな絵 in ポーランド & 日本」の作成を観覧しています。2014年3月9日、ポーランドの歌姫アンナ・マリア・ヨペックさんらが気仙沼市民会館にてコンサートを行いました。アンナ・マリアさんは、「V4+日本」交流年ポーランド親善大使もつとめています。10日には葦の芽星谷幼稚園を訪問しました。ポーランド大使夫人も同行しています。

本日はこれくらいにしておきますが、ポーランドと気仙沼の親密な関係はご理解いただけたと思います。なお、昨年2017年2月にはヤツェク・イヅィドルチク特命全権大使が新たな駐日ポーランド共和国大使として着任しました。そして本年5月15日には、同大使が夫人と子供、大使館一等書記官と共に葦の芽星谷幼稚園を訪問しています。翌日の三陸新報によれば、全園児によるポーランド民謡「畑のポルカ」の合唱に顔をほころばせたとのことです。私が驚いたのは、前日5月15日に松岩地区の古谷館八幡(こやだてはちまん)神社を訪問し、境内にある東日本大震災慰霊碑に献花されたこと。同神社のブログに大使夫人と息子さんらの姿が紹介されていました。実に細やかな配慮だと、ありがたく感じました。

ポーランド大使

三陸新報5月16日記事の一部イメージ


明日は以前にもこのブログで紹介した、気仙沼の鮎貝家に生まれた歌人・国文学者の落合直文とポーランドの関わりについてです。本日はこれにて。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 ポーランド

エスポアール姉妹

きょうも同級生に関する話題です。きのう6月25日の三陸新報〈復興へ一歩 いらっしゃいませ〉に、気仙沼図書館内にオープンした「cafeエスポアール」が紹介されていました。

エスポアール1
三陸新報6月25日記事より


この図書館のお店は、喫茶エスポアールが出店したもの。エスポアールは齋藤(広沢)高史君(3年8組)が代表ですが、店長は奥様のみき子さんです。そして図書館のcafeは、写真にうつる娘さんふたりが担当しています。たぶん左が姉の愛さん、右が妹の美幸さんでしょう。

記事には、一番人気のメニューはハニーチーズトーストとありました。また、喫茶エスポアールの定番メニューも用意されているそうです。なお、気仙沼クルーカード加盟店ですので、来店の際にはぜひご利用ください。

高史君が震災前に南郷で経営していたスポーツジム「K&B」は震災で被災しましたが、現在は利府町にてジムを再開しています。5月27日に仙台で開催されたKSS42の懇親会の記念写真には、バットマンのTシャツを着た元気そうな高史君がうつっていました。娘さんたちが、姉妹仲良くお店をきりもりをするようになったことをうれしく思っていることでしょう。

どうぞ、図書館においでのおりには是非お立ち寄りくださいますように。

◎cafeエスポアール
気仙沼図書館1階
電話24-4180
営業時間:
火〜金 午前10時〜午後6時
土・日 午前10時~午後4時
定休日:月・祝・第4木曜
駐車場は図書館・児童センターと共有

4月2日ブログ「cafeエスポアール」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 エスポアール

気中ロータリアン

サッカーW杯の日本対セネガルは、勝てたかもとも思えるゲーム内容でしたが引き分け。しかし、ゲーム前の厳しいゲームを予想する声が多かったことからすれば御の字でしょう。次はポーランドと対戦。なんとか決勝トーナメントに進んで欲しいと思っております。きょうの東京は晴天。ただ、とても暑いです。

ここからが本題。6月23日の三陸新報の記事をながめていたら、気仙沼南ロータリークラブが気仙沼市教育委員会に防災読本を寄贈したという記事が目に入りました。記事には、同クラブの成田徳雄会長(左)が齋藤益男教育長(右)に本を寄贈する写真も。

防災読本

三陸新報6月23日記事より


この記事を紹介したのは、写真に気中同級生がうつっていたからです。中央部のふたり。右の白髪が澤井充君(3年4組)、その左が吉越宏一君(5組)です。それぞれ、澤井製作所、吉越組の代表として活躍していることはみなさんご存知のことでしょう。拡大してみましょう。

拡大

ふたりのことはつぎのブログでも紹介しました。ひとつめは澤井君が上京したときのこと。ふたつめは高校のときに吉越君が自作したアマチュア無線の送信テストの顛末(てんまつ)についてです

2012年4月6日ブログ「澤井充君、上京」
2011年8月18日ブログ「われら電波少年」

以上が気中20回生ロータリアンの話ですが、松岩中の齋藤益男君も含め3人とも気仙沼高校の同級生です。益男君が気仙沼高校美術部の仲間だったということは前にも書きました。つぎのブログでは、卒業アルバム掲載の美術部員たちの写真も紹介しています。

2016年4月28日ブログ「益男君が教育長に」

なんかきょうは過去ブログの引用だらけになってしまいましたね。ごめんなさい。

ところで、市教委に寄贈された本は「教育現場の防災読本」。東日本大震災の反省を基に、大学教授や防災関係者、医師など37人が執筆したそうです。気仙沼南ロータリークラブの成田会長は、市立病院脳神経外科長をつとめており、この読本の執筆者のひとり。県災害医療コーディネーターとして震災直後からさまざまな活動に関与してきたのこと。

大震災の経験を生かしての防災教育というのは、とても大事なことだと思います。このたびの気仙沼南ロータリークラブさんの読本ご寄贈、ありがとうございました。末尾になりましたが、お礼を申し上げます。

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tag : 気仙沼 気仙沼南ロータリークラブ

アサヤの会社案内

気仙沼のアサヤ(株)さんが「2018日本BtoB広告賞」企業カタログ部門で最高の金賞を受賞しました。6月17日の三陸新報が伝えています。

アサヤ受賞
三陸新報6月17日記事の一部イメージ

この賞は、一般社団法人日本BtoB広告協会が主催するもので、今回が39回目。〈BtoB〉とは、〈Business to Business〉で法人向けの事業のこと。一般消費者(Consumer)向けは〈BtoC〉。

「日本BtoB広告賞」は、法人向けの新聞広告、雑誌広告、製品カタログ、企業カタログなど全13部門が設けられ、今回は計394点の応募があったそうです。アサヤさんが受賞したのは「江戸時代から続く 漁具屋と漁師の物語。」と題する同社の会社案内です。

私の手元に、このアサヤさんの会社案内があります。今年2月に〈ちょいのぞき気仙沼/モニターツアー〉に参加したとき、アサヤ専務の廣野一誠さんから〈こんなものもつくったので〉と頂戴したのです。ホテルに戻ってゆっくりと拝見したのですが、その充実した内容に驚きました。私も仕事で会社案内の制作に関わることがありますが、多くの人に丹念なインタビューをおこなうなど、丹念な取材をベースにした全52頁への頁展開はまさに〈金賞〉にふさわしい。

漁船・養殖・定置網など、部門別の事業紹介や、江戸時代末期1850年に始まる同社の歴史など実に読み応えのある、まさに〈漁具屋と漁師の物語〉。たとえば漁船部門の4頁分はこんな感じ。




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写真もとてもいい。なんとこれは、アサヤ常務取締役をつとめる、気仙沼高校(気高22回生)の同級生 藤野茂康君が撮影したものなのです。最終頁のスタッフ紹介にその名がありました。三陸新報記事の写真で右が廣野さんですが、左が藤野君。お得意先だけでなく、社員の皆さんや関係者の方々の写真も沢山紹介され、どれもが素晴らしい。ツイッターにときおり投稿される藤野君の写真をいつも楽しませてもらっているのですが、あらためてその力量を感じました。藤野君は気仙沼の写真集団「鼎」にも所属しています。

スタッフ紹介冒頭には、〈プロデュース:柏木克己〉との記述がありました。柏木さんはたしかコピーライターで、リクルートさんから出向しリアス観光創造プラットフォームや経営未来塾などの支援にあたっていた森成人さんとの関係を通じ、なにかと気仙沼を応援してくださっています。以前、このブログでも柏木さんの講座開催をお伝えしたことがありました。

編集の(株)スーパーエディションさんに並んで、デザイン担当として気仙沼デザイン(株)佐々木義洋さんのお名前もありました。東京での仕事を経て2014年に気仙沼にUターンしデザイン会社を設立しました。気高44回生。〈ちょいのぞき〉のリーフレットなど、チャーミングな仕事は皆さんもご存知のことでしょう。

そんなこんな、アサヤさんの〈漁具屋と漁師の物語〉は、廣野一誠さんの社内外の多くの縁をさらにつないでつくりあげた作品なのだなという思いを新たにしております。このたびの〈金賞〉受賞、本当におめでとうございました。関係者の皆様に心からお祝いを申し上げます。

ところで、〈アサヤ〉が以前は魚町大堀銀座交差点にあった〈麻屋〉(麻屋商店)で、一誠さんが気仙沼市長をつとめた廣野善兵衛さんの曾孫にあたるということは説明不要ですよね。最後になってちょっと心配になりましたので念のため(笑)。

アサヤ(株)企業サイト

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tag : 気仙沼 アサヤ 廣野一誠

熊谷雅裕君の登壇

高知県船籍の第68廣漁丸が沈没したことについて、きのうのブログに〈18人全員が救助されたの知らせにホッとした人も多いことでしょう〉と書きました。気仙沼港を出て、また気仙沼に帰ってくる予定だったということを知り、心配している気仙沼の関係者も多いだろうと思ってのことです。

そして本日6月21日の三陸新報の関連記事のなかに、よく知る会社の名前がありました。〈同船の問屋であるカネシメイチによると……〉。小山修司君(3年5組)が代表をつとめていたカネシメイチが、気仙沼を基地/母港としてカツオ漁をおこなう第68廣漁丸の問屋をつとめていたのです。記事には小山惠三専務の〈とにかく乗組員が全員無事だったことにホッとしている〉とのコメントが紹介されていました。6月11日に気仙沼港で見送ったあとのこのアクシデントでしたから、相当に驚き、そしてホッとしたことでしょう。まずはよかった。

さて本日の三陸新報には気仙沼高校の同級生で市議会議員をつとめる熊谷雅裕君に関する記事も掲載されていました。

雅裕君
三陸新報6月21日記事より

初当選した前任期中、飲酒運転疑惑の説明責任を果たしていないとして市議会で辞職勧告を受けた後は議員の退席などを受け一般質問をおこなうことができずにおりました。そして4月の市議選の2度目の当選を果たした雅裕君が6月20日に、無事に一般質問の場に登壇することができました。

三陸新報では記事のほかに、コラム記事〈記者席〉でもそのことをとりあげています。それによれば、雅裕君の一般質問は初当選直後の1回しか質問できなかったので、4年ぶりのことになるといいます。

質問内容や市長の応答内容、そして熊谷議員の説明責任や退席議員や市議会議長の姿勢などについての私の考えなどは略します。まずは雅裕君が無事に質問席に登壇できたことに友人としてホッとしております。まずはよかった。

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tag : 気仙沼 熊谷雅裕 市議会

乗組員全員を救助

今朝、カツオ漁船の乗組員18人全員を救助というニュース報道がありました。NHKのほか、民放各社のテレビニュースも配信されていました。


NHK配信記事の一部イメージ


NHKの配信記事によれば、高知県のカツオ漁船が今日20日朝早くに沈没しはじめましたが、近くにいた仲間の漁船が救助にあたり船の乗組員18人は、全員救助されたとのこと。漁船は、高知県奈半利町の第六十八廣漁丸(所有は下田市の大榮水産)で、6月11日に気仙沼港を出港し、22日に気仙沼港に戻る予定だったそうです。18人の内訳は、高知県の乗組員8人、静岡県の乗組員4人、インド値下の漁業実習生6人です。

原因など詳しい状況はまだわかりませんが、18人全員が救助されたの知らせにホッとした人も多いことでしょう。こうした海難事故などのニュースに接すると、海上での仕事というものがいつも危険と隣り合わせであるのだなあと感じます。〈出船送り〉が、大漁を願うだけでなく、無事の帰港を祈るものであることをあらためて思い知らされた朝となりました。

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tag : 気仙沼 カツオ漁船

「北の桜守」上映会

6月24日(日)に気仙沼市民会館でおこなわれる「北の桜守」上映会のご案内です。6月7日の三陸新報に、この上映会を伝える小さな記事が掲載されていましたが、そのなかに問合せ先の事務局として昆野牧恵さん(3年11組)の名が記されておりました。

北の桜守

同映画公式サイト より

◎日時:6月24日(日)
◎会場:気仙沼市民会館
◎上映予定時間
  10:30~「北の桜守」1回目
  13:30~「北の桜守」2回目
◎入場料:前売券1000円(当日券1300円)
◎主催:ホタルの会
◎チケット販売:市民会館・宮脇書店

6月9日の三陸新報で〈ホタルの会〉の菊田清一会長が、このこの映画の紹介文を投稿していました。そこにも記載がありましたが、公式サイトにあるストーリーを要約して紹介します。


『北の桜守』は吉永小百合主演で北海道を舞台にした『北の零年』『北のカナリアたち』に続く“北の三部作”最終章。今回は大戦末期から高度経済成長期という激動の時代を生き抜いたある“親子の物語”。

1945年8月、本土が終戦に向かう中、樺太にはソ連軍が迫っていた。樺太に残る夫との再会を約束し、江蓮(えづれ)てつ(吉永さゆり)は二人の息子を連れて網走へと逃げ延びる。時は流れ1971年、次男の修二郎(堺雅人)はアメリカに渡って成功し、米国企業の日本社長として帰国する。15年ぶりに網走へ母を訪ねると、そこには年老いたてつの姿があった。修二郎は、母と共に暮らす決意を固めるが、てつは立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと一人網走に戻ろうとする。母に寄り添いたいと願う修二郎は、二人で北海道の各地を巡る。寒さと貧しさに耐え、懸命に生き抜いた親子の記憶。戦後の苦難を共にした懐かしく温かい人々との再会。幸せとは、記憶とは、そして親子とは。そして満開の桜の下で明かされる、衝撃の結末……(ストーリー紹介は以上)

6月9日の菊田清一さんの投稿文を 読んでいて驚いたことがあります。この「北の桜守」の録音は、気仙沼出身者の小野寺修さんなのです。小野寺さんは、2014年の映画『柘榴坂の仇討』により、第38回日本アカデミー賞優秀録音賞を受賞しています。小野寺修さんについては、回をあらためてまた紹介することとしましょう。

〈ホタルの会〉は、映画館のない気仙沼で映画文化を提供する機会をと17年前に市民有志で結成されました。会の名は、初めての上映会が高倉健さん主演の映画「ホタル」だったことに由来するそうです。これまで、牧恵さんをはじめ、小山容子さん(5組み)や武山美加さん(9組)らも会の運営に協力してきました。こうしたことも含め、2013年の「北のカナリアたち」と「あなたへ」の上映会については下記のブログで紹介しております。この上映会は震災後初の上映会となりました。

いまは家庭のテレビ画面も大型化して、さまざまな映画をネットやDVDを利用して気軽に楽しむことができるようになりました。とはいえ、大きな会場でほかの観客とともに大画面で見る映画はまた別の味わいがあることでしょう。6月24日(日)はどうぞ市民会館で久しぶりの映画館気分を是非に。

2013年2月20日ブログ「ホタルの会上映会」

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 ホタルの会 北の桜守

谷真海さんの近況

今朝の大阪近辺の地震には驚きました。すでに被害の報道などもあり心配しているところです。

さて。5月24日の読売新聞夕刊に谷真海さんに関する記事が掲載されていました。見出しは〈パラ谷 鉄人への挑戦〜世界トライアスロン 連覇狙う〉。谷さんはもちろん気仙沼出身のアスリート、旧姓・佐藤真海(まみ)さんです。


真海さん1
読売新聞5月24日記事より

真海さんはいま、走り幅跳びではなく、トライアスロンでの東京パラリンピック出場を目指しています。そして5月12日に行われたトライアスロン世界シリーズ横浜大会のパラトライアスロンの部/立位・PTS4クラスで2連覇を果たしたという記事。9月にはオーストラリアで世界選手権がおこなわれますが、ここでの2連覇を今季最大の目標にしているとのこと。

そして6月5日の読売新聞朝刊にも真海さんが登場。上掲の記事の写真ではとても精悍な印象でしたが、こちらは私たちがよく知る真海さんの笑顔です。

真海さん2
読売新聞6月5日記事より

このインタビュー記事から真海さんの言葉を少し引用します。〈長く続けてきた走り幅跳び卒業し、現在は東京パラリンピックにトライアスロンでの出場を目指し、水泳、自転車、マラソンの練習に励んでいます。(中略)現在3歳の息子はやんちゃ盛り。子育てと仕事、トレーニングの三つをこなすのはなかなか大変ですが、毎日午前5時に起きて練習を始めます。私の姿を見て、息子はもちろんですが、多くの人の夢の持ち方、描き方に良い影響を与えられたらと願っています。〉

こうして読売新聞のふたつの記事をならべてみると、真海さんの〈鉄人と母親〉〈力強さと優しさ〉といった対照的なイメージが同時に伝わってきます。2020年のパラリンピックまであと2年。出場を目指して日々努力する真海さんを、気仙沼の多くの人が応援していることでしょう。


オランダで開催された昨年のパラトライアスロン世界選手権での初優勝についてはつぎのブログで紹介しております。

2017年9月22日ブログ「世界女王/谷真海」

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tag : 気仙沼 谷真海 佐藤真海

恵比寿像縮小原型

本日は2週間ほど前の話題です。気仙沼市魚町の神明崎に復活される三代目恵比寿像の縮小原型が完成し、5月29日に関係者に披露されました。翌日の三陸新報が制作者の翁観二さんと縮小原型の写真とともに伝えていました。

5月30日えびす像

三陸新報5月30日記事の一部イメージ


この恵比寿像については、本ブログでも何度か紹介してきましたが、今回の記事をもとにあらためて紹介しておきましょう。

全国でも珍しい神明崎の「立ち恵比寿」は、1932(昭和7)年12月に建立されましたが、戦時中の金属回収令で供出されました。1988年12月には2代目恵比寿像が建立されたものの、震災の津波で流出したため、その復元を求める声があがっていました。

2017年8月、気仙沼湾神明崎三代目恵比寿像建立委員会(臼井賢志委員長)が設立され、サッポロホールディングスから530万円の支援金が贈られたことから計画が具現化しました。3代目恵比寿像の制作者は、仙台市出身の彫刻家・翁観二さん。これまで、市役所の小山鼎浦像など市内数カ所にある銅像などを手がけているそうです。


左手にかかえているのはカツオ。本来の恵比寿像が持つべきは鯛/タイです。これを生鮮水揚げ連続日本一を誇る気仙沼ということでカツオに代えるという計画を聞いたときに疑問を感じました。そして昨年10月18日のブログでつぎのように書きました。「神像や仏像などには衣から持ち物にいたるまで、守らなければならない〈約束事〉があります。もしカツオを持たせたら、恵比寿に似て非なるものになるのではとのおそれを感じるべきでしょう」と。すでに決まってしまったことなのでここまでにしますが、今でもちょっと残念。

2017年10月18日ブログ「恵比寿像が持つ魚」


以上、ちょっと面倒なことも申し上げましたが、神明崎/お神明さん(五十鈴神社)のふもとに恵比寿像が戻ってくることは実にめでたく、ありがたいことだと思います。グループ事業会社がヱビスビールを展開しているサッポロホールディングスさんのご支援が大きな力となりました。同社グループ関係者の皆様にあらためてお礼を申し上げます。

新たな恵比寿像の完成は今年9月ごろとのことですが、設置場所の浮見海道の完成予定が来年8月ということなので、お披露目はそのときになるのでしょう。河北新報や毎日新聞でも来年夏としていました。魚町の皆さんはじめ、気仙沼の多くの人が楽しみにしていることでしょう。

これまでの経過はつぎのブログにて。

2017年9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」
2017年10月30日ブログ「河北の恵比寿記事」
2017年11月14日ブログ「ヱビスビールの縁」

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 恵比寿像 神明崎 翁観二

内湾商業施設完成

本日も気仙沼の内湾地区で整備が進められている商業施設の話題です。きのうはロゴが決定したという三陸新報6月1日記事を紹介しましたが、本日は施設完成を伝える同紙6月7日の記事を。

6:7 naiwan
三陸新報6月7日記事の一部イメージ

気仙沼地域開発(株)によるこの商業施設は昨年6月に着工し、このほど完成。記事によれば出店者にはすでに鍵が渡され、各店舗の内装工事も始まっています。完成した店舗から順次オープンし、全店オープンは11月の見通しとのこと。事業費は約4億6千万円で、県や市の補助金などを活用。市内の飲食店やカフェ、衣料品など6店舗がテナントとして入居するほか、3階部分には気仙沼地域開発の事務所が入るそうです。

この商業施設について、一昨年9月の段階ではテナント出店意向が計画よりも少なく、場合によっては施設規模を小さくする可能性なども語られていました。2016年9月2日のブログを読み直してみると、当時の事業費は約12億円とされていました。この事業費の範囲がどこまでなのかわからず、単純な比較はできないでしょうが、規模を小さくしたのかもしれません。それはそれとして、計画当時の「(仮称)内湾スロー村」の扱いが気になるところ。三陸新報の記事のなかに〈スロー〉の文字がなぜか見当たらないのです。ウォーターフロント施設とスローストリート、スローフードマーケットの関係とか、正直なところわかりにくい。

2016年9月2日ブログ「スロー村途中経過」

なお、この商業施設の隣、以前の市営駐車場側には市が整備する交流拠点施設として仮称〈南町海岸公共・公益施設〉が建設されています。考えてみると、こちらもまだ〈仮称〉なので、正式な名称がこれから決定されることになります。商業施設は〈旧エースポート跡地〉に建設されただけの話ですが、公共・公益施設は以前のエースポートと勤労青少年ホームの合築復旧ですから、〈エースポート〉名称を使うならこちらの方ということになるでしょう。愛称案の公募はしないのでしょうか(笑)。

2017年7月7日ブログ「内湾施設イメージ」

内湾地区の南町エリアの施設は具体的な形が見えてきました。一方、魚町エリアは防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題に直面しています。まだまだ課題の多い内湾のまちづくりですが、関係者の方々のご苦労とご尽力に敬意を表すとともに、内湾商業施設の完成を祝いたいと思います。11月のグランドオープンまでもうひと頑張りということで、どうぞよろしく。

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内湾商業施設ロゴ

気仙沼市南町の旧エースポート跡地付近で建設が進められていた商業施設のロゴマークが決定したと6月1日の三陸新報が伝えていました。私が驚いたのは、このロゴのデザイナーが飯守格太郎さん(82)だったこと。ロゴやシンボルのデザインで多くのすぐれた仕事をしており、私が敬愛するデザイナーのひとりです。まずは三陸新報の記事を。

湾

三陸新報6月1日記事の一部イメージ


この記事では、飯守さんの代表的な仕事として清水建設や日野自動車のロゴを紹介していましたが、気仙沼観光タクシーのシンボルマークや「HEART BEAT BEXI」のロゴも飯守さんのデザインです。2016年にそのロゴが発表されたとき、飯守さんのデザインと知り大変驚きました。どんな縁があってお願いできたのだろうと。

この気仙沼地域開発(株)が内湾地区で建設する商業施設のロゴマークと愛称は、今年3月12日から28日の16日間にわたり同社が募集しました。私は3月19日のブログ「商業施設愛称募集」で、つぎのように書きました。

〈この期間の短さは置いといて、名前(愛称)も決まっていないのにロゴマークのデザインができるだろうかという大きな疑問を感じました。どんな名前になろうが、そこに添えておかしくないマーク的なものということでしょうか。そうしたデザインが不可能なわけではありませんが、ネーミングから着想されるデザインという大きな可能性を捨てることになりますね。それと、ネーミングの文字を主体としたロゴという方向もはじめから考えていない〉

この後、施設の完成予定が5月末と間もないこともあり、〈新「エースポート」でよいのではないかという気さえしてきます〉と続けたのです。ブログではこれを冗談のように記して終えたのですが、その後にいろいろ考えて私も募集に応募することにしました。愛称案は「エースポート」、ロゴ案は個性を持たせずにゴシックで「ACEPORT」。公募しておきながら「エースポート」にはしづらいでしょうが、応募作にその案があれば選択肢にしやすいのではないかと。私なりにいろいろと気をつかったわけです(笑)。しかし、4月19日付けで〈ご期待に添えない結果〉の通知がありました。ただし、文面は施設名称案に関してのもので、ロゴマークについては記述なし。

記事を読んで感じたたのは、愛称に関しての記述の少なさです。〈愛称はNAIWAN(ないわん)〉とありましたが、どなたの愛称案だったのでしょうか。それと〈ロゴマークは昨年8月1日から同9月11日まで募集。地元をはじめ、全国から38人計43点の応募があった〉との記述がありますが、愛称については記述なし。そして、愛称とロゴマークの募集は、昨年8月のことではなく本年3月12日から28日の16日間です。私は三陸新報の記事で募集を知りました。なにかほかのメディアを通じての募集があったのだろうかと思い、気仙沼地域開発のサイトを再確認しましたが、本年3月の募集しか記されていませんでした。

疑問点はここまでにして、今後の話をしましょう。せっかく飯守格太郎さんによるシンボルマークを得ることができたわけですから、これを前提条件にして「NAIWAN」のロゴ(文字)のあり方も飯守さんに相談して欲しい。というのも、清水建設の仕事において、飯守さんデザインのシンボルと英文ロゴの組合せのほかに、和文明朝体「清水建設」との組合せが登場して残念に思ったことがあるからです。ロゴマークの応募作は無償提案であるにしても、愛称ロゴやシンボルとの組合せなど、展開デザインには一定の予算を確保して欲しいなと思っています。「NAIWAN」という愛称や表記がベストかどうかはまた別の話。しかし、すでに決まったことであればしかたがありません。

話が長くなってしまいましたが、私がよく知る内湾のエースポート跡地に建つ施設や店舗で飯守格太郎さんの「湾」のシンボルがより良い形で活かされるようにとの思いをご理解いただければと。

最後になりましたが、飯守格太郎さんにお礼を申し上げます。30年ほど前、飯守さんによる「アイマーク」シンボルと「Shimz」のロゴをはじめて見たときの新鮮な印象をいまでも思い出します。記事の中にいま82歳との記述を見て驚き、〈かくありたい〉との思いを強く感じました。これからも気仙沼を、どうぞよろしくお願いいたします。

3月19日ブログ「商業施設愛称募集」

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tag : 気仙沼 内湾まちづくり 飯守格太郎

「あの日 わたしは」

今年3月10日、NHK「いつか来る日のために/震災7年 気仙沼の“あの人”は今」を多くの人がご覧になったと思います。サンドウィッチマンさんらが司会をつとめ、生島ヒロシさんやすがとよ酒店の菅原文子さんなどがゲストでした。

この番組のなかで、故 小山隆市君の長男裕隆さんの取材映像が紹介されました。震災時に河北新報のビルから裕隆さんが撮った映像のほか、震災後に営業を再開した店で裕隆さんと働く隆市君の姿も見ることができたのです。

その映像が6月7日(木)午前10:50から5分間、「あの日 わたしは~証言記録」として再編集・放送されました。画面録画がYouTubeにアップされていましたのでご紹介します。



3月の放送内容が少し短く編集されているようにも思いますがほぼ同じ印象。自分のお店〈コヤマ〉が津波で倒壊していくところを隆市君が撮影した写真も紹介されました。このときの隆ちゃんの気持ちを思うとちょっとね。隆市君は2013年1月に亡くなりました。それを知っていて放送を見ているこちらがわとしてはとてもせつなかった。

それにしても、裕隆さんと隆市君はとても似ています。親子だから不思議ではないのですが。間違う人がいるといけないので念のために。どうぞよろしく。仲町の〈コヤマ〉店舗跡付近の新しい風景に驚く人も多いのではないでしょうか。震災からきのうで7年3か月が経ちました。

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県への要望書提出

きょうで震災から7年3か月。本日のブログは魚町防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題の先週の動きです。6月6日(水)、内湾地区復興まちづくり協議会の菅原昭彦会長、菅原茂市長、菅原清喜市議会議長が県庁を訪れ、それぞれの要望書を川端副知事に手渡しました。これを伝える6月8日の三陸新報紙面を紹介します。写真は市より提供とのこと。

6月8日県への要望

三陸新報6月8日記事の一部イメージ


まちづくり協議会と市・市議会の要望書は、立場の違いもありそれぞれ異なっています。6月7日の河北新報記事を引用します。

〈菅原昭彦会長は、住民が県と議論を重ねて計画の高さを受け入れた経緯に触れ「(ミスで)約束がほごにされることは納得できない。明確な理由がない限り計画通りに進めてほしい」と求めた。菅原茂市長は「(県が)住民と同じ思いを持ってくれていない。正面から向き合うことが必要」と訴えた。菅原清喜市議会議長も、県に再考を促した。

公務の知事に代わり応対した河端章好副知事は「『海の見える生活を大切にしたい』という住民の思いを念頭に、方策を考えている」と答えた。取材に対し「(造り直さない)今の方針をベースに住民に理解される方策を検討したい」と強調した。

要望書で、協議会は「県全体の利益を理由に、非が地域住民の側にあるかのような意思が知事から示され、住民は全く納得していない」と批判。造り直しや高さを間違った原因の丁寧な説明など4項目を明記し、回答を求めた。市と市議会は造り直しの要望が内湾地区の総意とし、住民や地権者との合意を前提に、県が工事を進めることを強く要請した。

菅原会長は「われわれの要望にかなうかどうかは県が示す方策の内容次第だ。ボールは県側にある」と話した。菅原市長は「オープンな協議の場で県が示した案の中から住民が造り直しを選んだ。決してわがままではないことを理解してほしい」と述べた。菅原会長ら3者は県議会の中島源陽議長にも同様の要望書を提出した。〉(引用は以上)

河北新報6月7日配信記事

6月6日の要望書の内容については以上ですが、きのう6月10日の河北新報は、この<気仙沼・防潮堤施工ミス>の発端から現在までを概括する記事を配信しています。筆者は気仙沼総局の大橋大介さん。地元の人の意見をより身近に感じることができる立場からのまとめになっています。

河北新報6月10日配信記事

この記事を読んでも、5月18日に気仙沼で村井県知事がまちづくり協議会関係者を前に発した高飛車な言葉が不思議でしょうがない。県の行政トップとしての難しい判断が求められていることはわかりますが、それだけに慎重に丁寧に事を運んで欲しかった。理屈をこえて〈なにをえらそうに〉と住民が反発するのも無理はないでしょう。

6月6日の地元からの要望に対する県の対応がどうなるかに注目しています。

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森は海の恋人30年

6月3日(日)、「森は海の恋人 植樹祭」が岩手県一関市室根町の矢越山「ひこばえの森」で約1500人が参加して行われました。畠山重篤さんが代表をつとめる「牡蠣の森を慕う会」と地元の室根第12区自治会(三浦幹夫会長)が主催するこの植樹祭は今回で30回を迎えました。本日は〈続く未来へ/NPO「森は海の恋人」30年の歩み〉という約6分間の映像を紹介します。本年2月に公開されたものです。



この映像の中に、植樹活動を共におこなってきた一関市室根町第12区自治会長の三浦幹夫さんが登場します。三浦さんが、30年前に重篤さんに地区住民の集まりのなかで植樹活動の考え方を話してもらったときのことを語っていました。集まりで重篤さんは非難めいたことをなにひとつ言わず、山の方々への漁民としてのお礼を述べたそうです。それを聞いた人はみなびっくりしたといいます。そうした語り口が、人の心を動かしていったということなのでしょうね。

三浦さんの話を聞いて私はキリスト教におけるエバンジェリスト/伝道者という言葉を思い浮かべました。重篤さんはクリスチャンです。30年以上にわたる〈森は海の恋人〉の活動はまさに伝道、布教のようなものかもしれません。

畠山重篤さんらは、熊谷龍子さんによる「森は海の恋人」という実に魅力的な言葉を掲げ、森と川と海のつながりの大切さを語り続けてきました。植樹祭は30回目ですが、重篤さんが赤潮など海の異変を目にしたのは1960年代の終わりごろだといいます。活動の源をたどればいまから50年近く前のことになるのでしょう。

三陸新報によれば、6月3日の植樹祭で畠山重篤さんは、「私たちは人々の心にも木を植えてきた。植樹祭が始まった当初、子供だった人が親になり、その子供を連れて来ていることに大きな意義を感じる」などと語ったそうです。

30年以上にもわたるこの活動を支えてきた関係者の皆様に敬意を表するとともに、お礼を申し上げます。また、この活動が世代を越えて永く受け継がれていって欲しいと心から願っております。ありがとうございました。


なお、植樹祭30回目にあたり、畠山重篤さんの新著2冊が発売されました。詳細は下記のアマゾン情報をご覧ください。

 

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tag : 気仙沼 森は海の恋人 畠山重篤

気仙沼高校同窓会

7月14日(土)に開催される気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会をご案内します。今年4月、気仙沼高校は気仙沼西高校と統合し、新たな気仙沼高校となりました。これを受けて、関東同窓会も合流しての開催となります。これを記念して懇親会では熊谷育美さんのミニコンサートも開催されます。是非ご参集ください。



◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

◎日 時:2018年7月14日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12:10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:ルポール麹町(麹町会館)2Fロイヤルクリスタル
東京都千代田区平河町2-4-3 03-3265-4361
◎会 費:
年会費 :1000円
懇親会費:(年会費1000円含む):
 〜平成8年3月卒:8,000円
 平成 9年〜18年3月卒:5,000円
 平成19年〜28年3月卒:3,000円
 平成29年・30年卒:無料
◎お振込
郵便振替口座
(口座番号)00130-6-615097
(口座名)宮城県気仙沼高等学校関東同窓会
◎お申込:
下記サイトのお申込フォームからご登録ください。
◎お問合せはメールにて
kantou@khs-doso.com
FAX:03-5367-5863
詳細やお申込みは次のサイトにて。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して開催。なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。両校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も同様です。そして今年2018年4月に気仙沼西高校も統合したわけですが、同校の関東地区同窓会はこれまで特にはなかったとのことです。これを機会に、同校OBへの同窓会参加の呼びかけをお願いできればと。

今回の熊谷育美さんのミニライブはとても楽しみです。昨日のブログの関連でいえば、2013年10月のKSS42懇親会でも育美さんのミニコンサートをおこなっています。その様子は下記のブログにて。

多くの方々の参加をお待ちしております。会場でお会いしましょう。

2013年11月1日ブログ「KSS42懇親会報告」

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tag : 気仙沼高校 関東同窓会 気仙沼西高校

KSS42の仲間たち

東京での〈気仙沼を元気にする会〉の翌日、5月27日(日)は仙台で〈KSS42〉(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)の平成30年総会と懇親会が開催されたとのこと。本日は、同会サイトに掲載されている懇親会の記念写真をご紹介します。会場は店舗こそ違うものの、奇しくも〈元気にする会〉と同じ〈銀座ライオン〉。その一番町店です。



KSS42サイト(「情報/役員」をクリックしてください)より


KSS42の代表幹事は、会の設立から5年間にわたって小山達朗君(気中3年9組)がつとめてきましたが、今年2月に吉野信雄君(同1組)へ交代しました。会のなかで、達朗君に感謝状が贈呈されました。会のプログラムや出席者については、小松亀一君の5月29日のブログに記されています。今回は31名の参加だったそうです。

そして翌日30日の亀一君のブログには、KSS42のメンバーらの似顔絵が紹介されていました。これはKSS42サイト内にもリンクがはられていますが、イラストレーターの平野秀明君(3組)が作成したものです。全体的に少し若く描かれているような気がしますが(笑)、名前がなくとも同級生ならば誰かわかることでしょう。


1805301.jpg

こうして記念写真や似顔絵で懐かしい顔をながめていると、元気にこうして集まれることがとてもありがたく思われます。幹事の皆さん、ご苦労さまでした。

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tag : 気仙沼 KSS42

南気仙沼の郵便局

6月1日(金)の三陸新報に同級生が登場していました。気仙沼市の南気仙沼地区の住民を中心に組織する「南気仙沼復興の会」が郵便局再建を求めて署名活動を始めたという記事。記事の写真にうつっている吉田久雄君(3年6組)が同会の会長をつとめているのです。

6月1日郵便局
三陸新報6月1日記事の一部イメージ


記事によれば、昨年9月に設立された「南気仙沼復興の会」は、内の脇1区や幸町住宅、河原田、南が丘、港町の6自治会と南気仙沼まちづくり振興協議会、南気仙沼商店会で構成されています。

震災前、南気仙沼地区には「魚市場前郵便局」がありました。しかし、震災後7年を過ぎても地区内での郵便局再建のめどが立っていません。これに対して、〈住民の生活向上のために一人でも多くの声を届けたい〉と署名活動を開始したそうです。

この記事を読んで、気仙沼市内の郵便局のことをいろいろと思い出しました。魚町で暮らしていたときに一番多く訪れたのは八日町にある気仙沼郵便局(本局)で、魚市場前郵便局にはあまり縁がありませんでした。南町郵便局は震災前には煎餅坂(せんべいざか)の途中にありましたが、その前は以前の気仙沼警察署(その後は交番になりました)に向かって左側の銭湯の隣にあったと思います。

鹿折(ししおり)郵便局もありました。私がおぼえているのはホテル望洋の前の坂を鹿折方向に下ったところ、五十番タクシーの左側ですが、ネットで調べてみるといまは鹿折小学校の近くにあるのですね。この移転が震災後のことなのか震災前なのか、ちょっと思い出せません。

話が脇にそれてしまいましたが、今後の南気仙沼のまちづくりの中で、郵便局の再建をきちんと位置付けて欲しいという地区のみなさんの気持ちはとてもよくわかります。以前の郵便事業は民営化されて日本郵便(株)となりました。そんなこともあって行政の関与がなかなか難しいところもあるのでしょうが、今回の署名活動を契機に、将来像が明確になってくれればなと思っています。

署名は自治会長や事業所を通じて各地区で行っています。6月末には署名を回収し、日本郵便(株)東北支社に届けることにしているそうです。署名の希望者は、下記の「南気仙沼復興の会」事務局まで。どうぞよろしく。

◎南気仙沼復興の会/事務局
0226(23)5595(宮城三菱自動車 内〉

2017年9月11日ブログ「南気仙沼の説明会」

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tag : 気仙沼 南気仙沼復興の会 郵便局

三陸新報の「論説」

気仙沼市魚町の防潮堤施工ミス問題については、5月25日のブログ「菅原市長の対応」をまとめてからは特にとりあげずにおりました。その後の動きを簡単に言えば、造り直しはしないとする村井知事の姿勢に対し、内湾地区復興まちづくり協議会だけでなく、市も議会も県に再考を求める動きを強めています。6月2日の三陸新報によれば、6月6日にはまちづくり協議会の菅原昭彦会長、菅原市長、菅原清喜議長が県庁におもむき、県と議会にそれぞれの要望書を提出するとのことです。

こうした動きのなかにあって、三陸新報は6月1日の〈論説〉で、〈気仙沼市が仲立ちを〉との見出しで防潮堤施行ミス問題をとりあげていました。

6月1日社説
三陸新報6月1日「論説」記事(クリックで拡大)


この〈論説〉では、住民と県が対立する様相となっている現状をまとめた上で、つぎのように述べています。

〈住民が時間をかけてきた話し合いを台無しにするようなミスに、憤りを覚えるのは当然だ。責任はミスをした県側にあり、村井知事の頑(かたくな)な態度を疑問視し、「住民の意見を尊重すべき」「3案以外もあるのでは」と指摘する声が聞かれる。 一方、「造り直しを求めなくても…」と県の方針に理解を示す人がいるなど、住民、県それぞれの主張を支持する声がある。 このままどちらも譲らなければ、対立を深めさせ、感情論に発展しかねない。復興の遅れが懸念されており、住民合意を前提にする気仙沼市に、県と住民との仲立ちを強力に求めたい。〉(引用は以上)

この意見、主張に私も同感です。対立関係をこれ以上つよめることは、できれば避けて欲しい。その仲介役をつとめることができるのは市ということになるでしょう。〈論説〉はつぎのように文を続け、結びとしています。

〈市民の間でもう一つ心配されるのは、県と市の関係が悪化すること。市内の県事業や復興工事、県からの各種支援などに、何らかの悪影響が及ぶことがあってはならない。互いにより大所高所から話し合い、早期に“落とし所”を探るべきだろう。〉(引用は以上)

村井知事のあの高飛車な姿勢に対する反発感情はとてもよくわかる。そして、工事を続行する代わりということで様々な施策など交換条件が示されても〈金の問題ではない〉との新たな反発もあるでしょう。しかしそれでは問題は長引くばかり。〈落とし所〉という表現がよいかどうかは別として、現実的な〈妥協点〉を見出す努力も必要ではないかと。反対を貫く姿勢にくらべると、ちょっとかっこ悪いけどね。そんなことを思いながら、新しい週が始まりました。

5月25日ブログ「菅原茂市長の対応」

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追憶ヴァンガード

きょうの東京は快晴。カラットしていてとても心地よい。さて本題。今度の日曜日6月3日の〈かれいどすけーぷ〉ライブを紹介した一昨日のブログ「ヴァンガードLIVE」を書いていて、千葉和夫君が撮ったヴァンガード店内写真を思い出しました。2012年3月18日に自らのブログに投稿した写真。震災の津波でヴァンガードも被災しましたが、約一年後に復活した店内の写真です。




2012年3月のヴァンガード


和夫君が写真に添えた文章を引用します。〈ここ気仙沼のヴァンガードは、多くの地元出身のミュージシャンに影響を与えてきた、文化の発信源の老舗であります。今回訪れたときには、完全ではないのですが復活していました。去年の惨状を思えば奇跡の復活ともいえます。ブレンドコーヒーがいまだに260円で、昔ながらの旨さを保っています。気仙沼を訪ねた際には是非〉

写真に写っているのは、当時のマスター昆野好政さんでしょう。昨年9月に亡くなりました。千葉和夫君は、ヴァンガードのオーナー/マスター川原さんの義弟です。私が大学生だったときの夏休み、帰省時にヴァンガードにいくと、和夫君がお店を手伝っていました。手があいたときに席にきてくれて話をしたときに、お互いの好きな写真家について話したことを思い出します。たしか和夫君は〈濱谷浩〉(はまやひろし)が好きだと語っていました。

和夫君は気仙沼市新町(あらまち)の千葉写真館の次男。東京・青山で仲間とデザイン会社を営んでいました。カメラもずっと続けていたのです。和夫君のブログには、つぎの写真も掲載されています。2011年4月の被災した店内です。よく知るヴァンガードの惨状を知って、どんな気持ちだったか。それだけに、1年後の復活をうれしく思ったことでしょう。



2011年4月のヴァンガード


その和夫君も、2014年4月に亡くなりました。もう4年経つのですね。和夫君の2012年3月18日のブログタイトルは〈復活ヴァンガード〉ですが、私にとっては〈追憶のヴァンガード〉です。

千葉和夫ブログ2012年3月18日投稿

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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