「御手洗 WORLD」

NHKの海外向け放送「NHK WORLD」でいま、気仙沼ニッティングの代表をつとめる御手洗瑞子(みたらい たまこ)さんのインタビュー映像が紹介されています。気仙沼市海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」の5月26日投稿で知りました。


画像クリックで、5月26日投稿にジャンプ

NHK WORLD 「Knitting the Future by Hand」

15分間の映像では、御手洗さんのインタビューのほか、編み手の皆さんとのやりとりの様子やセーターなどの商品も紹介されています。ブータン滞在時の写真のほか高校時代の剣道着姿なども(田園調布雙葉に剣道部があるのが意外でしたが、鼎が浦高校のフェンシング部を思い起こし、驚くことではないなと思い直しました)。ナレーションや字幕はもちろん英語ですが、気仙沼の人であれば映像だけでも十分に楽しめる内容となっていますので、是非ご覧ください。

映像を見ていて私が感心したのは、インタビュー画面の色彩です。御手洗さんの緑のセーターと、背景にうつる赤のセーター。そのコントラストというかコーディネーションというか、それがとても素晴らしい。カメラマンやディレクターが意図して画面のカラーイメージをつくりあげているのでしょう。

この気仙沼ニッティングの映像は、5月1日の公開から一年間、2019年5月までいつでも視聴することができます。世界中のひとりでも多くの人が気仙沼の編み手さんたちの活動に関心をもってくれれば何よりのことと思います。御手洗さんはじめ、NHKワールド関係者の皆様にお礼を申し上げたく。

「NHK WORLD」は、昨年3月にも気仙沼市唐桑地区でのボランティアの皆さんの活動を28分間にわたって紹介してくれました。その内容については、下記のブログで紹介しております。お手すきのときにでもお読みいただければと。

2017年3月15日ブログ「唐桑 WORLD」
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ヴァンガードLIVE

6月3日に気仙沼市南町のジャズ喫茶〈ヴァンガード〉でのジャズユニット「かれいどすけーぷ」ライブを紹介します。5月25日の三陸新報に紹介されていました。

ヴァンガード
三陸新報5月25日記事の一部イメージ


◎「かれいどすけーぷ」LIVE
6月3日(日)18:30〜
前田祐希(Vo) 松井秋彦(P,G,etc.)
気仙沼市南町「ヴァンガード」
料金:2000円

三陸新報の記事を少し引用します。
〈同喫茶店(ヴァンガード)は1967年創業の老舗で、マスターの昆野好政さんを慕い、地元をはじめ、全国から多くの人が足を運んでいる。時折、ライブが開かれていた店舗は、東日本大震災で被災したが、ファンからの支援や後押しで再開。南町地区に復興のあかりを灯してきたが、昨年9月に昆野さんが他界した。ライブは、市内福見町のピアノ教師・吉田惠子さんと本町の今川和子さんの2人が企画した。東京都を中心に活動する「かれいど すこーぷ」は、今回が15回目のライブ。震災前から昆野さんと交流があり毎年、気仙沼でのライブを楽しみにしてきた〉(引用は以上)

この記事にはちょっと補足が必要かもしれません。ヴァンガードのマスターというと、私は川原尚さんの表情や語り口が思い浮かびます。それも50年近く前の若い川原さん。店のあるビルがたしか〈川原ビル〉でしたから、「ヴァンガード」のオーナー&マスターだったということでしょう。その川原さんが2016年に亡くなった後も店を続けていた昆野好政さんも昨年9月に亡くなりました。店の存続があやぶまれたわけですが、今年1月9日の河北新報によれば、昆野さんの友人だった今川富保さんとジャズドラマーの小松さんが店を再開しました。サイホンでのコーヒーは一杯260円のままとのこと。

かれいどすけーぷさんは、これまで14回も気仙沼でライブをおこなってくれているのですね。昆野マスターとの永く厚い親交が感じられます。三陸新報によれば、昨年6月のライブの終わりに次回のお願いをしたとき、昆野さんは「はじめまして」をテーマにして欲しいと語ったそうです。その約束を守るため、来月3日にヴァンガードで演奏します。

2人のユニット名は〈かれいどすけーぷ〉。カレイドスコープであれば〈万華鏡〉。それに〈スケープ/風景)を加えてのユニット名ですから万華鏡のような風景/万華鏡のような世界。〈万華境〉といった感じでしょうか。AMAZONでは、「かれいどすけーぷ」をつぎのように紹介しています。

クラシックの世界で活動してきてジャズ界に迷いこんできた前田祐希(Vo)と、ジャズ界から進化してはみ出してきた松井秋彦(マルチパフォーマー/P,G,B,Dr)が真逆のところから対峙して、あらゆるジャンル(ジャズ、クラシック、ポップ、ボサノバ、サンバ、ラテン、レゲエ、音楽劇、フリージャズなど)のあらゆるさじ加減の音楽をなるべく豊富に寄り道しながらも徹底的にこだわって繰り出すマルチカラーユニット(引用は以上)

なんか、やたらよさげで、気仙沼に聴きにいきたいくらいです。今回のライブの企画者のひとり吉田惠子さんは気中同級生(3年8組)。旧姓が岩渕なので〈ぶっちゃん〉。私とは気中3年8組だけでなく、気小1年と2年でも同じ8組でした。そんなこともあってとても親しく、このブログでの登場も多いかも。

チケット問合せ先は下記のとおりですが、予約なしでの当日来店も可とのこと。どうぞ今度の日曜日6月3日は南町のヴァンガードへ。ジャズというよりもフュージョン、つうかなんというか、よくわかりませんが、とても楽しい音楽がそこにあると思います。気中20推薦ライブということで、どうぞよろしく。

(今川)090-3646-9655
(吉田)090-7793-7120

かれいどすけーぷCD「時空旅行」もご参考まで

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ライオンズの寄付

5月24日の三陸新報に気中同級生の姿がうつっていましたのでご紹介します。武山美加(号:櫻子/おうし)さん(3年9組)です。彼女は現在、気仙沼ライオンズクラブの会長をつとめているのですが、その活動の一環として市に50万円を寄付したことを伝える記事。

5月24日武山
三陸新報5月24日掲載記事より


記事によれば気仙沼ライオンズクラブは先月、チャリティライブ「綾小路きみまろ笑撃ライブ」を開催しましたが、その収益金の一部に同クラブからの善意を加えた50万円を市に寄付したとのこと。

武山さんがライオンズクラブの会長となったことは昨年知りましたが、いつの時点だったのかわからずにおりました。しかし、この記事に〈昨年7月からの新体制で子育て支援を目標に掲げて活動しており〉とありましたので、その時点での会長就任だったのでしょう。今回の寄付金も、子育て支援に役立てて欲しいと、5月21日に菅原市長に手渡されました。

気仙沼ライオンズクラブは、一昨年に結成55周年を迎え、記念事業のひとつとして「目で見る気仙沼の歴史」の復刻版の発行なども行っています。また昨年10月には、新気仙沼市立病院1階の待合室「うみねこモール」設置の大型テレビを寄贈、先日はバイパスの道路清掃活動の記事も目にしました。さまざまな地域活動の展開、ありがとうございます。

なお、武山さんは書家。季節の話題との関連でいえば、2007年に建立された徳仙丈山頂近くの石碑に刻まれた佐々木梅吉さんの歌6首は、彼女の揮毫(きごう)によるものです。市立病院へのテレビ寄贈については、下記のブログでお伝えしました。気仙沼小学校入学時の美加(みゆき)さんの姿とあわせてご覧いただければと。

10月13日ブログ「武山櫻子ライオン」

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元気にする会報告

5月26日(土)、東京・大手町で、「気仙沼を元気にする会」が開催されました。今回も菅原市長においでいただき、気仙沼の復興状況や今後の計画などについて、わかりやすく説明をいただきました。パワーポイントのプリント資料も配布されました。こうした毎年の復興状況を市長から直接に説明してもらえる機会は気仙沼市内でもなかなかないのではないかと。会の案内文に〈復興祈念公園キックオフ〉とのテーマが示されていましたが、これについては、諸計画のうちのひとつということでの説明でした。

私は所用があり40分ほど遅れて会場に到着したのですが、入口で係の方から声をかけられました。5月23日に気仙沼市役所で復興祈念公園アイデアコンペの表彰式が催され、アイデア賞を受けた私にもご案内を頂戴していたのですが、出席できませんでした。そうしたこともあり、その表彰状を市長の話の後に手渡したいと。突然のことで驚きましたが、了解。

40分後、皆さんの前で市長より表彰状を頂戴しました。ちょっとてれくさかった。その後に会は懇親会へとうつりました。その場で、東京近辺の同年会「けせもい会」のメンバーらに市長も加わってもらい撮った〈記念写真〉がこれ。気中からはわたくし小田(3年8組)と裕美君(1組)と道子さん(11組)です。

IMG_3186.jpg

身長164cmでもともと大きくない私ですが、この写真はさらに小さくうつっています。後で思い出したのですが、写真を撮ってくれた〈武山米店〉の武山健自さんから〈小田さん、少しかがんで〉と言われたことを思い出しました。後の人の関係かなと思って膝を曲げておりました。〈なんだべ、オダくんもすっかりちゃっこぐなってしまってがらに〉と誤解されないよう、念のため(笑)。

懇親会では今回もいろんな方とお話しすることができました。それでも今になってみると、後でお話しようと思いながらそのままになってしまった方々のお顔がたくさん浮かびます。またの機会に是非。

第10回目となった「気仙沼を元気にする会」。気仙沼サポートビューローをはじめ、関係者の皆様には今回も大変お世話になりました。お礼を申し上げます。ありがとうございました。

3月22日ブログ「アイデア賞を受賞」

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菅原茂市長の対応

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題は、先行きが不透明です。5月18日の村井知事の強硬姿勢に対して住民などの反発がとても大きいのです。そうしたことが背景にあるのでしょう、菅原市長は5月22日(火)の定例記者会見で、住民合意のない防潮堤を市内に造るべきでないとの考えを示しました。これに関する、三陸新報、河北新報、NHKの報道内容を要約します。

◎1:三陸新報5月23日記事

まずは地元紙の三陸新報から。

5月23日市長会見
三陸新報5月23日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

菅原市長の発言内容をピックアップします。

「県が住民の選ばなかったものをやりたいとしたのは住民もショックで、私も驚いた。通常の県政では見たことがない」「市としては住民合意のない防潮堤を市内に存在させてはならない。これまで変わらない原則で、県もそうしてきた。そのことに向けて努めていきたい」

記事では、この市長の発言に加えて、5月21日に県農林水産部長宛に「ワーキングが総意として決定、選択した案を覆し、知事が工事をそのまま継続すると示したことは、住民や権利者にとって理解しがたく反発しており、県政に対する県民の信頼を損なうものととらえている」などとする文書を送付したと報じています。この内容については、つぎの河北新報が詳しく伝えています。


◎2:河北新報5月23日配信記事

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河北新報5月23日配信記事より(画像クリックでサイトにジャンプ)


市から県に対しての文書の内容に関する部分を引用します。

〈市によると、県農林水産部長宛てに「魚町防潮堤について」との文書を21日にメールで送った。18日に住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」が開いた会合で協議会は「造り直し」を求めたが、村井知事が「現状のまま設置」を提案したことへの市の見解をまとめた。

県は当初、①造り直し②背後地かさ上げ③現状のまま設置-の3案を示し、住民の意見を尊重するとしてきたが、村井知事は造り直しに2億~3億円の費用がかかり、県民全体の理解が得られないことなどを理由に協議会の総意を覆した。

文書は村井知事の判断に「住民や地権者には理解しがたく、県政に対する県民の信頼を著しく損なう」と反論した。さらに①「造り直し」は内湾地区の総意②市内に造る防潮堤は住民合意が前提③市は県と住民が合意するよう努める-との考えを示した。〉(引用は以上)

河北新報の記事では、村井知事が気仙沼市を再訪する意向を示したことへの市長の反応にも触れています。菅原知事は「また同じやりとりを繰り返すべきではない」と述べ、住民と県、市が事前に調整する必要性を訴えたそうです。


◎3:NHKニュース宮城

NHK宮城も定例会見の内容を伝えています。

河北
NHKニュース宮城5月22日配信記事より(画像クリックでサイトにジャンプ)


NHKニュースの内容は、上記の各紙記事と同様でしたが、それらにはない情報もありました。菅原市長が「防潮堤の後背地をかさ上げし、見た目の高さを維持する案も一時は検討された。市としても、よりよい解決策を示せないか努力する」と述べ、県と住民の間にたち調整を進める考えを示したというのです。

これは、初期に県が示した対応案/選択肢3案①②③のうちの②案。協議会の検討においては、地区のかさ上げ工事が遅れるなどの理由でほぼ排除された案でした。しかしこうなってくるとかさ上げを急いで、土地の引き渡し時期への影響を最小限にしつつ、防潮堤の見た目の高さを計画どおり、あるいはそれに近いものにするというのも解決案として再検討の価値があるでしょう。


以上、3種のメディア報道を要約紹介しました。いずれにしても、地元の反発は〈造り直しをしない〉ことへの反発よりも、当初は地元の意見を尊重するとしていたにもかかわらず、地元の方針案を聞いた直後にそれは採用しがたいと語る〈知事の強硬姿勢〉に対してのものと思います。そうした知事の(私にはちょっと奇妙に感じられる)リーダーシップが地元の人の感情を刺激してしまったのでしょう。

復興を急がなければならない。そして無駄のお金を使うわけにもいかない。それはみなわかっているのです。しかし結果として、知事のあの姿勢と言葉によって余計な時間とコストが必要な事態を招いているように感じられてなりません。

5月21日ブログ「住民意見採用せず」

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チリ地震津波の日

1960(昭和35)年の本日5月24日午前3時前ごろ、チリ地震津波が気仙沼をはじめ三陸地方沿岸を襲いました。国内での死者行方不明者は142人にのぼったそうです。『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ発行)には、当時の気仙沼市内の死者は2名と記されています。2017年5月24日のブログ内容を再掲します。

チリ地震津波の気仙沼被災写真は、このブログで3度紹介してきました。本日は、その計6枚の写真をあらためて掲載します。

まずは「津波フィールドミュージアム」から魚町の海岸の被災写真。ある意味でなつかしい当時の〈屋号通り〉です。写真はクリックで拡大します。

チリ津波左 チリ右
「津波フィールドミュージアム」掲載写真

「津波フィールドミュージアム」

つぎは、『目で見る気仙沼の歴史』からの4枚。まずは〈港町第二東映(その後はカンダ用品店)付近〉。

南映

つぎは〈南町気小校登り口(谷村菓子店)付近〉。気仙沼小学校にあがっていく〈紫さん〉の坂を背にして〈男山〉方向を撮影。

谷村

3枚目は〈旧魚市場前〉。以前のエースポート脇の市営駐車場の向かい側です。

魚市場前

最後は、旧エースポート(その前はレストハウス)の場所にあった汽船乗り場です。



当時、私は気仙沼小学校3年生でした。魚町の海岸通りが水に浸かった風景をいまでもよく覚えています。その日は学校は休みになったはずですが、翌日には道路には打ち上げられた様々なものをながめながら通学したように思います。(再掲内容は以上)

昨年のブログはつぎのように結びました。〈6年前の大津波にくらべれば、と今では思います。失われた魚町や南町の街並みがなつかしく感じられるのです。57年前のことになりました〉。それからまた1年経ちましたので、〈7年間の大津波〉〈58年前のこと〉となりますが、その思いは変わりません。


なお、昨年同様ですが、各写真を紹介した3本のブログ記事はつぎのとおりです。周辺情報なども記しておりますので、おてすきのときにでも。

2014年6月3日「チリ地震津波の時」
2014年6月4日「チリ地震津波写真」
2014年7月31日「汽船乗り場の津波」

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徳仙丈ツツジ動画

本日は、徳仙丈山(とくせんじょうさん)のヤマツツジ満開の空撮動画を紹介します。5月17日に投稿された気仙沼市公式フェイスブックページ「はまらいんや!気仙沼」紹介していたもの。下の画像をクリックするとフェイスブックにジャンプします。無音声で約1分の動画です。

徳仙丈
「はまらいんや!気仙沼」5月17日投稿より(画像クリックでページにジャンプ)

ドローンで5月16日に撮影されたものだといいます。その後の19日は雨になったりと天候に恵まれなかったようですが、この撮影日あたりは最高の景観だったでしょう。現在の徳仙丈は、ツツジが少し散り始めているとのことです。

この「はまらいんや!気仙沼」の動画は、YouTubuでの公開はされていないようです。権利関係の問題などがあるのかもしれませんが、ちょっともったいない。ちょうどよい機会なので、2014年5月29日のブログで紹介した動画も再度紹介しておきましょう。2009年5月25日にYouTubuに投稿された約1分30分の映像です。こちらは軽快な音楽つき。


youtubeからの徳仙丈のツツジ動画(1分30秒)2009年5月25日投稿映像

これらの映像を見ているとか〈約50万株の国内最大級ヤマツツジ群生〉というキャッチフレーズもうなづけます。私は一度も見たこともありませんが、毎年紹介しているうちに脳内で満開のツツジ風景を再生できるようになりました(笑)。

5月11日ブログ「徳仙丈つつじ地図」

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強硬姿勢ふたたび

きのうのブログ「住民意見採用せず」に続き本日も気仙沼市魚町の防潮堤に関してです。5月18日(金)の内湾地区復興まちづくり協議会/ワーキング会合での、村井県知事の発言内容を知って、2013年8月6日におこなわれた内湾地区防潮堤計画に関する市民と村井知事との意見交換会のことを思い出しました。2013年8月8日の三陸新報の記事はつぎのようなものでした。


2013年8月8日
三陸新報2013年8月8日記事の一部イメージ


当時、魚町・南町の内湾地区防潮堤は5.2mで計画されていたのですが、これに対し、気仙沼市は余裕高(1m)の引き下げや海中に設置する浮上式防潮堤の採用などを県に要請していました。これに対し村井知事は、余裕高(1m)の引き下げに応じず、浮上式防潮堤は実験段階であることを理由に「私の目が黒いうちは絶対に採用しない」と完全否定したというのです。

私は2013年8月9日ブログでこの知事の姿勢について記しました。

2013年8月9日ブログ「県知事の強硬姿勢」

ブログの末尾では、つぎのように書きました。〈いやあ驚いた。なんで村井知事はここまで強硬なんだろう。内湾地区に限らず、「防潮堤を勉強する会」の活動は、いたずらに反対運動に片寄ることのないよう配慮されていたと思います。そうした丁寧な議論のうえでの意見交換会だったわけですが、こうした知事のかたくなな姿勢に対しては大きく防潮堤反対の声をあげていくのではないでしょうか。3時間にわたったこの意見交換会は市民の知事に対する失望と対決姿勢を強めたように感じます。「オレの目の黒いうちは絶対に」といって防潮堤に反対する声が大きくなったら、県はいったいどうするつもりなのでしょうか。〉(自ブログ引用は以上)

県の行政の長として今回の施工ミスを陳謝した上で、地元の人に迷惑をかけるが造り直しをせずに工事続行をなんとか受け入れてもらえないだろうかとの表明を受けて、さらに地元の意見をとりまとめるという限られた時間ではあっても丁寧な協議のやり方は今回もあり得たはずなのです。しかし、知事の強硬なもの言いによってそれもできなくなりました。地元の人にすれば、まさに〈おだづなよ〉(ふざけんな)という感じでしょう。今の私の思いは、5年前と同じ。本当にやりきれない気持ちとしか言いようがありません。

昨日5月21日ブログ「住民意見採用せず」

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住民意見採用せず

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題について、5月18日(金)の内湾地区復興まちづくり協議会/ワーキング会合の内容を、三陸新報と河北新報が報じていました。協議会が決めた方針に対し、村井県知事が伝えた施工ミスのまま工事を進めるとの方針に住民の反発が高まっています。少し長くなりますが、資料として記事内容を引用紹介します。

◎1-1:三陸新報5月19日の記事

5月19日

三陸新報5月19日記事の一部イメージ


三陸新報の記事から村井知事の方針説明に関する部分などを引用します。

「村井知事は、協議会員や住民を前に「これまで、防潮堤の高さ決定やフラップゲートの採用などまちづくり協議会と協議を重ねてようやくまとまった計画だが、このような事態となり、本当に申し訳ございません」と陳謝した。

県の方針としては、フラップゲートを含めた造り直しは高度な技術が必要なこと、安全性が高まった防潮堤の造り直しに県民の理解が得られないこと、造り直しに多額の費用が掛かることから「見直し前の高さのまま完成させたい」と説明し、理解を求めた。

一方、席上で地元の魚町2区自治会(藤田淳逸会長)が、地区民の総意として①防潮堤の造り直しを求める②土地区画整理事業を遅滞なく進める③対策決定プロセスを住民へ丁寧に説明する--を求める旨の要望書を、40人分の署名と共に(内湾地区復興まちづくり協議会の)菅原(昭彦)会長へ手渡した。(引用は以上)


◎1-2:三陸新報5月20日記事

19日の三陸新報の記事では、協議会としての対応方針がどのように決まったのかがわかりませんでした。見出しでの〈地権者--造り直しを〉という意見は協議会ではなく、あくまで魚町2区の地権者要望です。そう思っていましたら、翌日5月20日に続報が掲載されました。

5月20日
三陸新報5月20日記事の一部イメージ

記事の主要部を引用します。

「協議会内ではミス発覚後、「造り直し」と「現状維持」とで意見が分かれていたが、魚町2区自治会から要望を受けたことで、姿勢を造りなおしに一本化。知事との対話に臨んだ。これに対し村井知事は①造り直しは高度な技術が必要で完成時期が遅れる②より安全性が高まった防潮堤を造り直すことに県民理解が得られない③2~3億円と多額の費用が掛かる-の3点を挙げたほか、「『このままで良い』との声もあり、造り直しが総意ではないと受け止めている」と語った。その上で、「県全体の利益を考えると、このまま進めた方が良いと判断した。すでに意思決定しており、ミスも含めた全責任は私にある」と強調した。

協議会は「これまでの協議が無駄ではないか」「住民感情をくみ取っていない。怒りを覚える」と強く反発。しかし、村井知事は「皆さんの考えと逆の言葉を言っていると承知しているが、復興は立ち止まっていては進まない」と方針を固辞した。菅原会長は「会の意見の重さを受け止めて欲しい。知事の考えを受け、再度検討を行うが、時間は掛けられない。今月中にも知事と意見を交わす場を設ける」として閉会した。

報道陣の取材に対し、村井知事は「他案も検討するが、大きく方針が変わるような案は難しい。担当者には、このまま準備をするよう指示する」と答えた。出席した地権者の一人は「あまりに横暴な対応に言葉が出ない。全く納得できない」と怒りをあらわにした。

・区画整理事業は再開へ

席上、市は対応の一つとして挙がっていた「防潮堤背後の土地区画整理事業地内のかさ上げ」案を、協議会も県も考えていないことを確認した上で、「土地区画整理事業を進めさせて欲しい」と求め、了承を得た。これにより、施工ミス対応の結論を待たずに済み、宅地の造成がこれ以上遅れることは避けられる見通しとなった。」(引用は以上)


◎2:河北新報5月19日記事

5月19日の河北新報は、協議会としては「防潮堤背後地の土地区画整理事業には影響がない」などとして造り直しを求める方針でまとまった直後、村井知事はその協議会方針を採用せずに現状のまま設置する方針を断言したといいます。三陸新報記事にはなかった、菅原市長の「県の方々には、住民に対して聞く耳を持ってほしい」と口調を強めたとの記述がありました。配信記事はふたつにわかれていますが、以下につなげて引用します。

〈気仙沼・防潮堤施工ミス〉①
「宮城県全体の利益考慮」知事、現状維持案を提示

 東日本大震災で被災した気仙沼市内湾地区の魚町に建設中の防潮堤を宮城県が計画より22センチ高く造っていた問題で、村井嘉浩知事は18日、防潮堤を現状のまま設置する方針を明らかにした。同日、市役所であった住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」で、県の最終案として提示した。しかし、協議会は「防潮堤背後地の土地区画整理事業には影響がない」などとして造り直しを求める方針を決めたため、了承は得られなかった。

 村井知事は現状のまま設置する理由として(1)既に半分以上、工事が進んでいる(2)一部に設置済みの(津波襲来時に浮力で立ち上がる)フラップゲートの再設置には高い技術力が必要で時間がかかる(3)造り直しには2億~3億円の費用がかかる-の3点を挙げた。
 村井知事は「全ての責任は私にあり、おわびする」と謝罪した上で、「(工事の)進行状況が50%を超えており、県全体の利益を考えると後戻りせずに進めたい」と理解を求めた。造り直しには費用負担が生じる点にも触れ、「不安全な方向なら他の県民も納得するが、(高さが増し)より安全度が高まる防潮堤への税金支出は理解してもらえない」と説明した。

 県は今後も協議会との話し合いに応じる考え。今回示した最終案について村井知事は「最終の意思決定であり、大きく方針を変えることはない」と強調した。

〈気仙沼・防潮堤施工ミス〉②
「結論ありきか」住民不満噴出
1ヵ月議論した「造り直し」意見採用されず


住民の意向を無視するような宮城県政トップの姿勢に、内湾地区の住民が怒りを爆発させた。住民団体が約1カ月の議論を重ねて出した「造り直し」の意見を採用せず、村井知事は間違った高さのままでの建設を断言。住民たちは「これまでの議論は何だったのか」と不満をぶつけた。

「皆さんの総意とは正反対の意見かもしれないが、県全体の利益を考えて選択した。理解してほしい」。住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」が会合で協議し、「造り直し」の意見でまとまった直後、村井知事はこう切り出した。4月14日にミスが発覚後、住民団体は意見集約を続けてきた。「造り直し」か「現状のまま設置」かで割れる中、防潮堤の背後地にある「魚町二区自治会」が造り直しを強く求めたこともあり、最終的に造り直しを求める方針を決めた。

それと全く反する知事の発言。出席者からは「結論ありきだったのか」「われわれが評価しない物を造るのか。負の遺産が残る」など批判が噴出。菅原茂市長も挙手して発言を求め、「県の方々には、住民に対して聞く耳を持ってほしい」と口調を強めた。魚町二区自治会の藤田淳逸会長は「憤りを感じている。こんな横暴が許されるわけがない」と怒りをあらわにした。(引用は以上)

5月1日と2日に計3回ひらかれた住民への説明会で示された県の対応策は、①防潮堤の造り直し②背後地のかさ上げ③現状のまま設置の3案でした。そしてこれに対する住民の意見は①か③への二分された形となりました。

いずれの案になるにしても、その後の住民・地権者の異論や反論が生じるだろうことが容易に想像されました。私は、協議会の前日17日の河北新報配信記事で、県が防潮堤を現状のまま設置する案を提示する方針であることを知りましたが、その提示の仕方がこんな強硬姿勢を感じるものになるとは思ってもみませんでした。

村井知事が〈最終の意思決定であり、大きく方針を変えることはない〉と〈断言〉したという記事を読み、2013年8月6日に気仙沼で行われた市民と村井知事との防潮堤計画に関する意見交換会で、村井知事が、海中に設置する浮上式防潮堤は実験段階であることを理由に完全否定したときの言葉を思い出しました。「私の目が黒いうちは絶対に採用しない」と。結果としては、方式が異なるフラップゲート式が採用されたわけですが、このような強硬な物言いではまとまる話もまとまらないでしょう。

長くなりました。2013年8月のときの話は明日にでも。本日はこの辺で。しかしなんというか、今回の県の施工ミス、そして知事の対応姿勢にとても驚いています。これまで魚町や南町の内湾関係者が様々な課題を県の担当者らと時間をかけて協議し、なんとか合意に達した計画であるだけに本当に残念です。

5月4日ブログ「魚町防潮堤説明会」

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大島浦の浜の現在

気仙沼市や南三陸町の復興状況を写真で紹介する三陸新報「今を見る『途上の街』」シリーズ。本日は5月14日の記事に掲載されていた気仙沼大島/浦の浜の今を紹介します。

浦の浜
三陸新報5月14日掲載記事より


記事を引用します。

「東日本大震災では、全住宅の3分の1に当たる約1200軒が津波被害を受けた気仙沼市大島。島内にある仮設住宅は休暇村気仙沼大島に残りわずかにあるだけで、住宅再建はほぼ完了し、震災前の様相を取り戻しつつある。

フェリーの発着所があり、玄関口である浦の浜には、県が7.5mの防潮堤を計画。景観に配慮した2段階の防潮堤となる予定で、現地では2020年3月までの完成を目標に事業が進む背後地には、津波で失った商業施設や観光拠点となるウェルカム・ターミナル(仮称)が整備される。工程の甘さや県、市との調整不足などの問題もあったが、2019年内の完成を予定している。

大島大島開通後には、ターミナルの一部と浦の浜に設けられる臨時駐車場合わせて約360台分の駐車スペースが確保される見通し。ターミナルからは、亀山までのシャトルバスも運行する計画で、風景や生活、観光スタイルはがらりと変わっていきそうだ。」(引用は以上)

ウェルカム・ターミナルは市の事業、防潮堤は県による事業です。防潮堤については、3年5か月にもわたる話し合いによって2015年12月、2段階・高さ7.5mで行政と住民側が大筋で合意に達しました。県と地域住民との間を市が調整する形であったようです。それから2年4か月。やっとその計画が現実のものとして姿を現してきました。

気仙沼大橋の開通も含め、時間がかかったけれど、手間をかけただけのことはあったと多くの人が思えるような新しい大島になることを願っています。

2015年12月15日ブログ「浦の浜防潮堤合意」

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tag : 気仙沼 大島 浦の浜

TBS ニュース映像

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題について、TBSの5月16日放送のニュース映像が配信されていました。「復興への日々」の324回。地元の人のインタビュー映像などもありましたので紹介します。

TBS NWES 5月16日配信ニュース

主要画面と各氏の発言内容を紹介します。まずは画面順①の右上にうつっているのが魚町防潮堤工事。②は4月16日の村井嘉浩県知事の陳謝場面。「本当に深くおわびしたい。内湾地区の皆さまに対する責任は県が負わなければならない」

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画面③のテロップにあるように、当初の計画を22cm下げることで県と住民が合意していました。④は2012年に気仙沼を訪れた村井知事。左にうつっているのは〈あさひ鮨〉の村上力男さんです。高すぎる防潮堤には反対という立場だったと思います。

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⑤は〈磯屋水産〉の安藤さん。「(防潮堤を)ちょっとでも下げて圧迫感を少なくしようと精一杯やってきた中で、『約20センチ間違えました。すみません』では、本当にがっかりですよね」。⑥は〈菓子舗サイトウ〉の齋藤さん。「早くつくってもらわないと、どんどん街がすたれていく気がする」

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⑦⑧は〈臼福本店〉の臼井壮太郎さん。会議の映像は5月1日の説明会でのものと思います。「納得しない。全然納得できないです。全然説明も納得できないし、なぜこのようなことが起きたのか、まずそれが納得できない」「まずは、つくり直すこと。予定どおり、計画どおりに直してもらいたい。防潮堤をつくり直すからといって、住宅や会社の再建というのは私は絶対遅らせるべきではないと思います」

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TBSのニュースでは、防潮堤の高さの情報が不足しているので整理しておきましょう。当初は海抜5.1mで、このうち余裕高1mをフラップゲート化し、背後地の盛り土によって陸側からの見た目が1.3mとする計画でした。2015年7月に着工しましたが、2017年3月に地盤の隆起分22cmを防潮堤の高さから差し引く計画に変更し、見た目の高さは1.08mとなる予定でした。これが22cm高いままの1.3mで施工されたということ。

ニュースは、〈住民の間でも意見が分かれるなか、県は寄せられた声をもとに、近く対応策を1つに絞り、提示する予定ですが、今回のミスで町全体の復興が遅れてはたまらないと、被災地に困惑が広がっています〉と結んでいました。

5月18日(金)の〈「内湾地区復興まちづくり協議会」ワーキング会合で県から提示される対応案がどのような内容かわかりませんが、内湾地区(魚町・南町)の人たちの困惑や混迷がさらに広がることを心配しています。

なお、本日5月17日の三陸新報では、魚町2区の地権者が18日の協議会ワーキングにおいて、防潮堤の造り直しを求める要望書を提出する予定と伝えています。

5月16日ブログ「魚町防潮堤の経過」

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tag : 気仙沼 防潮堤

魚町防潮堤の経過

気仙沼市魚町の防潮堤が県のミスで22cm高く施工されてしまった問題について、5月14日夜に内湾地区復興まちづくり協議会の運営会議が開かれました。この会議は非公開でしたが、5月15日の三陸新報がその内容を伝えています。

5月15日三陸
三陸新報5月15日記事の一部イメージ


会議終了後に県農林水産部の後藤寿信次長が、5月18日の会議では地権者約50人を対象に行ったヒアリングの結果を示すとともに、〈県としての考えも出せるよう検討したい〉と語ったそうです。

5月18日は〈ワーキング〉と呼ばれる会議です。三陸新報の記事には14日の〈運営会議〉の写真が紹介されていました。コの字型に座っているのが協議会の幹部と県の担当者でしょうか。

運営会議
三陸新報5月15日記事掲載写真

河北新報もこの会議について5月15日に記事を配信していました。その中で、県は5月18日の会合で最終案を示し、住民に理解を求める考えとしています。また、〈協議会も県の考えを踏まえ、早ければ同日(5月18日)中に結論を出す見通し〉としています。

5月18日(金)のワーキングでの協議内容や最終案がどのようになるか多くの人が感心を寄せていることでしょう。以上、魚町防潮堤施工ミス問題の経過報告ということで。

5月4日ブログ「魚町防潮堤説明会」

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tag : 気仙沼 魚町 防潮堤

極上市場 三陸未来

きのう5月14日のブログで三陸新報に掲載された(株)さんりくみらい代表の藤田純一さんの記事を紹介しました。同社は、今年4月にインターネット販売(EC)サイト/極上市場「三陸未来」を開設しました。〈極上市場〉は〈ごくじょういちば〉と読みます。そのロゴマークがこれ。

ロゴ

このロゴデザインは私がお手伝いしました。(株)さんりくみらいの設立やサイト開設にあたっての支援コンサルタントのひとりが、私が前につとめていた会社の同僚だったのがご縁となりました。私が気仙沼出身ということをよく知っており、ロゴをデザインしてもらえないかと依頼されたのです。私は〈気仙沼のことなら喜んで!〉と。

昨年9月に一度だけでしたが気仙沼に出張してミーティングに参加しました。夕方に到着して滞在は3~4時間ほど。それでも久しぶりに地元気仙沼に〈帰ってきた〉という気持ちを感じることができたのはなによりでした。当時は、サイト名を検討している頃だったと思います。藤田純一さん、吉田健秀さん、千葉豪さんらと、支援にあたっているコンサルタント2名も含めた真剣な議論を聞いていると、気仙沼における〈経営未来塾〉の成果のひとつがここにあるのだなと実感しました。

2012年4月に始まったプロジェクト「東北未来創造イニシアティブ」の活動のひとつ人材育成道場「経営未来塾」は、アイリスオーヤマの大山健太郎社長(7月から会長とのこと)が塾長をつとめていました。経営未来塾は2017年3月末にその活動を終えましたが、気仙沼・南三陸地区では全5期で86名の塾生を送り出しています。さんりくみらいの3人はその最後の第5期生。「日経ビジネス」3月5日号の特集「3・11/ 7年が生んだ未来」では、(株)さんりくみらいも取り上げられているのですが、その設立のきっかけとなった大山さんの「ちまちま考えずに、一緒にやれ」という言葉も紹介されています。

話が長くなる前に、極上市場「三陸未来」のサイトを紹介しておきましょう。トップイメージはこんな感じ。


極上市場
極上市場「三陸未来」サイトのトップイメージ

極上市場「三陸未来」サイト
極上市場「三陸未来」Facebookページ

(株)さんりくみらいの企業サイトはこちらから。

(株)さんりくみらい/企業サイト

気仙沼産品のネット販売サイトはこれまでもいろいろあると思いますが、極上市場「三陸未来」は業務用などへの対応など新しい領域にチャレンジしています。スタートしてまだ間もなく課題も多いことと思いますが、試行錯誤を重ねながら多くの顧客から信頼されるサイトへと成長させていくことでしょう。皆様がたの応援をたまわることができれば幸いです。どうぞよろしく。

5月14日ブログ「(株)さんりくみらい」

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tag : 気仙沼 極上市場三陸未来 さんりくみらい

(株)さんりくみらい

三陸新報のシリーズ記事「この地で歩む/頑張る人たち」。その5回目となる5月12日の記事では、(株)さんりくみらい代表の藤田純一さんが紹介されていました。昨年12月に設立された〈さんりくみらい〉は、気仙沼の新鮮な魚介類を生産者、加工者から顧客に直接提供するネットサイト「極上市場『三陸未来』」を運営しています。

三陸新報 2018:05:12
三陸新報5月12日掲載記事(クリックで拡大)


記事を引用します。

この地で歩む/頑張る人たち⑤
◎鮮度良い魚届けたい。
さんりくみらい代表 藤田純一さん(40)

 昨年12月に、サメ類を扱う仲買人の吉田健秀さん(43)(カネヒデ吉田商店)、サンマやサバなどの加工業を営む千葉豪さん(42)(MCF)と共に立ち上げた会社で、代表を務める。

 今年4月にはインターネットサイト「極上市場『三陸未来』」を開設し、契約生産者、加工業者から各家庭に商品を直送している。現在はサメフライ、ゆでカニ、ワカメ、メカブなどが主な商品。首都圏でも24時間以内に届ける(注記:記事では「届ける」とありましたが、正確にいえば「24時間以内に出荷できる」とのことです)。

 ワカメ養殖やウニ、アワビ漁などを行う生産者(藤田商店代表)でもある。「東京で食べる魚介類は、気仙沼で水揚げされてから3、4日たっているので鮮度が落ちている。それと、中間業者が入るので価格が高い」と以前から感じていた。

 生産者、加工業者、仲買人がスクラムを組むのは「全国的にも珍しい」。それぞれのプロが集まることで「互いに持っているスキル、情報を共有でき、より良いものを消費者に届けられる」と語る。

 3人は市などが以前開いていた経営未来塾の第5期生。塾長を務めていたアイリスオーヤマの大山健太郎社長(現会長)に「連携すれば面白くなる。組みなさい」とアドバイスを受けたことが、会社設立のきっかけになった。

 現在は主にネット販売で、「手応えはまだない」と苦笑い。まずは地元で知名度を上げ、つながりを広げていく方針。当面の目標は販路を増やすことだ。「漁師や加工した人の顔が消費者に見えるように販売できれば」

 鮮度・品質の良い気仙沼産の魚介類を当たり前のように食べられるようにするほか、後継者育成や、人口流出の歯止めなどにも取り組む考え。「捕る、作る、食べる、みんなが笑顔になれる環境をつくっていきたい」と意気込む。(引用は以上)

藤田さんには、一昨年11月に東京・南青山のほぼ日「TOBICHI2」での漁師カレンダーPRイベント「漁師って、カッコいい!」展のトークイベントではじめてお会いしました。とにかく話が上手で面白い。斉藤和枝さんと小野寺紀子さんとの話のかけ合いも絶妙でした。

2016年11月29日ブログ「藤田純一さんの話」

それとこの記事で注目して欲しいのは写真の左後にうつる吉田健秀さんです。気中の同級生である吉田久雄君(3年6組)の息子さんなのです。健秀さんは、一昨年3月にテレビ朝日系列「新婚さんいらっしゃい」に10歳年下の奥さんと登場したことがあります。吉田久雄君が経営するカネヒデ吉田商店が、2012年5月に仮設作業場でサメ肉加工を始めた様子を紹介したNHKローカルニュースはこのブログでも紹介しました。

2012年5月8日ブログ「吉田久雄君の話」

記事中に藤田さんの〈手応えはまだない〉とのコメントが紹介されていました。〈すでに多くの引き合いをいただいている〉と答えるのがよくあるパターンですが、この正直さが藤田さん、そして〈さんりくみらい〉の持ち味なのでしょう。

以上のような縁がある(株)さんりくみらいさんなのですが、これとはまた別の縁があり同社のインターネットサイト「極上市場『三陸未来』」のロゴデザインをお手伝いしました。これについては、長くなるのでまた明日。別にもったいぶっているわけではありません(笑)。

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徳仙丈つつじ地図

気仙沼はいまツツジの季節。きのうは田束山(たつがねさん)を紹介しましたが、本日は徳仙丈山(とくせんじょうさん)を。どちらも今週末からが見頃とのこと。きょう5月11日の三陸新報には、5月27日(日)に開催される〈徳仙丈山つつじ祭り〉の広告がありました。そこに掲載されていた散策マップを紹介します。昨年とほぼ同じですが、新たな情報が少し加えられています。画像はすべてクリックで拡大します。

散策マップ
三陸新報5月11日掲載広告より

つぎに同広告中の〈アクセスマップ〉を少し拡大して示します。

アクセスマップ
三陸新報5月11日掲載広告より


昨年の徳仙丈のツツジに関するブログでも書いたのですが、気仙沼市街から徳仙丈へ車で向かう道というのはちょっとわかりにくいように思います。昨年もそうでしたが、私がネットで調べてみてなんとか使えそうだと思ったのは、気仙沼市公式サイト中の〈徳仙丈山つつじ開花情報〉にリンクがあるふたつの地図でした。まずは〈交通案内〉を紹介します。


市/交通案内

気仙沼市公式サイトより「徳仙丈山への交通案内(気仙沼側・本吉側)」(PDF)

つぎは、〈アクセスマップ〉です。

市/アクセスマップ

気仙沼市公式サイトより「徳仙丈山アクセスマップ」(PDF)

いずれも主要交差点の詳細を示して、なんとか迷わないようにして欲しいという気持ちが感じられます。ただし、気仙沼市公式サイトでの〈平成30年徳仙丈山つつじ開花情報〉に開花情報は掲載されておらず、気仙沼観光推進機構のホームページ「気仙沼さ来てけらいん」へリンクによって誘導されます。そこには本日お昼現在であれば5月7日に更新された開花情報が5枚の写真で紹介されています。

そのほか、「気仙沼さ来てけらいん」では、徳仙丈の特集ページが設けられ、気仙沼クルーカードのキャンペーンなども紹介されています。私がちょっと不思議に思ったのは、アクセス地図情報がグーグルマップのみの掲載であったこと。上記の気仙沼市公式サイト中にある2種の地図へのリンクがあれば便利ではないかと。いろいろ事情があるのかもしれませんが、市外から車で徳仙丈に行ってみようという観光客視点ということで。

私は一度も徳仙丈のツツジを見たことはありません。さまざまなメディアで紹介されるあの素晴らしい景観を一度は是非にと思っているのですが、いまだ果たせず。どうぞ皆様、今週末は徳仙丈山や田束山などのツツジを存分に楽しまれますように。


徳仙丈のツツジの育成や保護に尽力された佐々木梅吉さんや、梅吉さんのことを文中で紹介している御手洗瑞子さんの『気仙沼ニッティング物語』のことなどはつぎのブログに記しております。

2016年5月18日ブログ「慰霊のヤマツツジ」

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田束山ヤマツツジ

きのうの夕方、ヤフーのニュースサイトを見ていたら、記事脇に赤く彩られた山肌の写真が目に付きました。もしかしたら徳仙丈(とくせんじょう)かなと思って確認したら田束山(たつがねさん)のヤマツツジでした。


ヤマツツジ

河北新報配信記事の一部イメージ(画像クリックでサイトにジャンプ)


河北新報が12時41分に配信した記事で、9日夕方時点で、「ヤフーニュース」サイトの写真アクセスランキング(国内)第1位でした。本日お昼時点ではランキングからはずれていますが、これはなかなかにすごいことではないでしょうか。記事を引用します。

宮城県南三陸町と同気仙沼市にまたがる田束山(たつがねさん)(512m)で群生するヤマツツジが例年より早く開花し、山肌を赤く染めている。山頂には約5万株が自生し、樹齢100年超の古木もある。晴れ間がのぞいた8日、咲き誇るツツジと眼下に広がる太平洋が織りなす景色を家族連れなどが楽しんでいた。

気仙沼でヤマツツジといえば、徳仙丈(とくせんじょう)がとりあげられることが多いように思いますが、この田束山のツツジもかなりのものですね。気仙沼観光ポータルサイト「気仙沼さ来てけらいん」では、つぎのように説明しています。

気仙沼市の南部、南三陸町との境界上に位置する標高512mの山です。古くから修験(しゅげん)の山として有名で、奥州藤原氏が信仰した霊山とも伝えられています。それを裏付けるように、山頂付近にある経塚群からは藤原氏が納めたという青銅製の経筒と経巻(法華経)が発見されました。ツツジの名所としても知られ、毎年5月中旬から6月上旬の満開の時期には、赤やオレンジの鮮やかな装いをまといます。山頂から望める太平洋の大パノラマが素晴らしいビュースポットです。(引用は以上)

河北新報の記事によれば、開花は昨年より10日ほど早く、今週末にかけて見頃を迎えるとのことです。なお、徳仙丈のツツジについては「気仙沼さ来てけらいん」に特集ページが設けられており、開花情報が紹介されています。こちらもどうぞ。気仙沼はツツジが美しい季節になってきたようです。

「気仙沼さ来てけらいん」徳仙丈特集

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tag : 気仙沼 田束山 ツツジ

昭和40年頃の坂本

きのう5月7日のブログ「昭和26年大堀銀座」では、武山米店の左側にあった佐々木金物店の写真を紹介しました。本日は右側。これも気仙沼の地域情報誌「浜らいん」の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダーから。



〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダーより(クリックで拡大)


この写真は、2014年11月のブログで紹介したのですが、そこではつぎのように記しました。

〈大堀銀座交差点から入沢の入口方向をながめたもの。左端が家電製品やレコードを扱っていた〈坂本商会〉。その隣、みつ豆や氷の看板がうつっている店が菓子店の〈松月堂〉。そのまた右隣が〈長井〉だと思います。長井時計店のイメージが強いのですが、以前は電気製品も扱っていました。

私の家での家電製品は坂本商会から買っていました。小学校のころ、縦10センチ横20センチぐらいの東芝のカタログをながめては、次はこれがいいねなどと夢をふくらませていたものです。ゆで卵器やアイスクリーマーなども買いました。我が家に家庭電化の時代がおとずれていたのです。電気掃除機は日立。父が〈モーター製品は日立がいい〉とこだわった。たしか当時は、〈モートルの日立〉と呼ばれていたのではないでしょうか。

この光にあふれた〈坂本〉〈長井〉両店の向かいには映画館〈ロマンス座〉がありました。私たちが小学生だったころの魚町の通り。ながめていると、いろんなことが思い出されて、なにか不思議な感じがしてくるのです〉。(再掲内容は以上)

カレンダーのキャプションには昭和40年代の写真とあるのですが、私は昭和30年代末あたりではないかと思っています。そんなことで、ブログタイトルは〈昭和40年頃の坂本〉としました。

この3回にわたる写真紹介で、佐々木金物店、武山米店、坂本商会がならぶ大堀銀座/魚町の一角の〈昭和の風情〉を感じていただければうれしいです。

2014年11月11日ブログ「魚町の静かな夜景」

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tag : 気仙沼 武山米店 坂本商会

昭和26年大堀銀座

5月2日のブログ「武山米店復元完了」で、つぎのように記しました。〈左右にならぶ商店も思い出します。左側には真知子さん(3年4組)の実家〈佐々木金物店〉そして〈麻屋〉〈白萩書店〉が、右側には家電やレコードの〈坂本商会〉や菓子屋の〈松月堂〉〈長井時計店〉など〉

そういえば、以前にこのブログで〈佐々木金物店〉の写真を紹介したなと思い出しました。調べてみたら、〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダー2015年版11月12月の写真でした。〈昭和26年、魚町大通りの気仙沼風情〉。67年前1951年の風景です。



〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダーより(クリックで拡大)


左端の建物が佐々木金物店で、その右側にちょっとかげになるような感じでうつっているのが武山米店です。2015年11月20日ブログ「64年前の大堀銀座」の一部を再掲します。

〈気仙沼中学20回生は昭和26年4月〜27年3月生まれですから、私たちの生まれた当時といってよいでしょう。〈大堀銀座〉の交差点です。左にうつる大店(おおだな)は佐々木金物店。真知子さん(3年4組)の実家です。右側が武山米店、つぎにレコードや家電の坂本商会、つぎがお菓子の松月堂と続きます。写真の右端は、玩具の長沢。

交差点の中央に台がありますが、ここに警察官が立って手信号で交通整理をしていました。私ははっきりとした記憶がないのですが、4歳上の兄ははっきりと覚えているそうです。信号機ができたのはいつだったのかな。

佐々木金物店の左隣は漁具や船具の麻屋でしたね。そのまた左は白萩書店だと思うのですが、この当時にすでにあったのかどうかはちょっとあいまい。いずれにしても、この大堀銀座の交差点は、東京でいうなら銀座4丁目の交差点です。そこに店を構えていた佐々木金物店の繁盛振りがしのばれます。店の様子がトラックにちょっとかくれているのが残念ですが、雰囲気はわかります。鍋や釜、シャベルなどがぶらさがっている様子は、私が高校生の頃も同じだったような気もします(笑)〉 (再掲内容は以上)

本日の写真は武山米店の左側でしたが、右側の坂本商会などの写真も以前に紹介していました。これは明日にでも。本日はこれにて。

2015年11月20日ブログ「64年前の大堀銀座」

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tag : 気仙沼 佐々木金物店 武山米店

5/26元気にする会

5月26日(土)に第10回目となる「気仙沼を元気にする会」が東京の大手町で開催されます。



上の画像クリックで、同会サイトにジャンプします。以下に、案内文を引用します。

気仙沼の陣山に「復興記念公園」が整備される計画が進んでいます。先の市長選挙にて3度目の当選を果たされた菅原市長にお越しいただき、その計画についてお話いただきます。また、気仙沼の特産や日本酒をご用意しております。皆様のご参加を心からお待ちいたします。

実行委員長 熊田利英子

◎第10回「気仙沼を元気にする会」

テーマ:陣山の復興祈念公園キックオフ会

日時:平成30年5月26日(土)
   11:00 〜12:00(開場 AM10:30)
会場:銀座ライオン大手町ファーストスクエア店
   東京都千代田区大手町1-5-1
   大手町ファーストスクエアB1
   TEL : 050-3491-0733
講演:菅原 茂(気仙沼市長)
会費:無料

◎懇親会(同日・同会場)
時間:12:05 〜14:0
会費:一般:5,000円 学生:2,000円
  (ランチ・飲み物込み)
◎二次会(同日・同会場)
時間:15:00 〜17:00
会費:2,000円

主 催:気仙沼を元気にする会実行委員会
共 催:一般社団法人 気仙沼サポートビューロー

申込みページで〈第二部のみ参加〉という項目があるのですが、これは二次会のみ参加する人のチェック項目だと思います。元気にする会や懇親会に参加した人の二次会参加意向は特に記入の必要はないのでしょう。

〈キックオフ〉という趣旨がちょっとよくわからないのですが、復興祈念公園アイデアコンペのモニュメント部門でアイデア賞を頂いた私たち夫婦としては欠席するわけにはいかないでしょう(笑)。所用があり少し遅れますが、皆さんと会場でお会いしましょう。どうぞよろしく。

3月22日ブログ「アイデア賞を受賞」

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tag : 気仙沼 気仙沼を元気にする会 復興祈念公園

魚町防潮堤説明会

気仙沼市魚町地区の防潮堤が、県のミスで22cm高く施工されてしまったことに関する住民や地権者への説明会が市役所ワンテン庁舎で開かれました。内湾地区復興まちづくり協議会(菅原昭彦会長)の主催で、5月1日の昼夜と2日の計3回。1日は魚町関係者、2日は南町関係者ということのようです。河北新報によれば、1日は昼夜2回の合計で約50人が出席とのこと。両日の様子を三陸新報はそれぞれつぎのように報じています。

説明会2

三陸新報5月2日記事の一部イメージ


説明会1

三陸新報5月3日記事のイメージ


説明会で県から示された対応案は3つです。①造り直し(費用2〜3億円)②背後地を22cmかさ上げ③22cm高いままとする代わりに地域振興策を検討。三陸新報をはじめ各紙の報道を見ると出席者の反応は、①の造り直しか③のそのままとして地域振興策のいずれかということらしい。

気になったことがあります。河北新報によれば、説明会に参加していない住民への聞き取り調査も実施する予定とのことですが、〈アンケート〉ではなく〈聞き取り〉なのでしょうか。本当にそうだとするとちょっと心配。第三者的な調査員の聞き取りであれば別ですが、各地区の人が調査を担当するのであれば、住民の率直な意見を引き出すことはできないでしょう。

それと、説明会出席者各人への聞き取りが行われていないとすれば、不参加者からだけではなく、参加者も含めた聞き取りにするのが調査としての原則だと思います。そうしたことを考えると、もし調査を実施するとすればですが、県が示した3案に対するアンケート形式による悉皆(しっかい/全員)調査が現実的でしょう。その回収率がたとえば20%程度の低いものだったとしても調査としては成立すると思います。記名か無記名かについては、どちらかといえば無記名としたほうが調査をスムーズにおこなえるような気がします。

まちづくり協議会としては5月中旬までに意見をまとめる考えとのことです。この日程がどういう事情によるものかわかりません。しかし、説明会で聞き取り調査の実施をすでに表明しているのであれば、必要な調査期間を確保した上で結論を得るようにして欲しい。

すでに住民の意見は大別/二分されています。いずれの結論になっても、自分は反対の意見だったという人がかなりいることでしょう。それだけに、住民や地権者の意見はこうだったという一定の調査データを得たうえで、協議会としての方向性を定めて欲しいなと思っております。

それにしても今回の宮城県の失態は本当に残念。まちづくり協議会関係者の皆さんの苦渋は想像を超えたものでしょう。しかし今しばらく、気仙沼内湾/魚町・南町地区のより良き復興のためにもうひとふんばり。どうぞよろしくお願いいたします。

(追記)
本日5月4日の三陸新報によれば、協議会は〈来週中に再建予定者を中心に個別のヒアリングなどを行い、20日ごろまでに一定の方針を決めたい考え〉とのことです。今後は、複数の会合を経ながら早ければ今月中にも全体会議を開き、住民に方針を示すことにしていると。なお、上記の2日間3回の説明会出席者は、案内を出した232人のうち約3割にとどまったそうです。協議会は2日中に欠席者に向けて資料などを送付したと三陸新報は伝えています。

河北新報5月1日配信記事
仙台放送5月1日配信ニュース(ヤフー/動画あり)
NHK東北5月1日配信ニュース(動画あり)

4月25日ブログ「まちづくり協議会」

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福よし in BRUTUS

本日紹介するのは雑誌「BRUTUS」4月15日号の記事。気仙沼市魚町「福よし」さんが、特集「おいしい魚が食べたくて」のトップ記事として紹介されていました。

福よし1

福よし2
いずれの画像も「BRUTUS」4月15日号より


最初の画像が特集の扉ページですが、〈福よし〉の焼き魚/吉次(キチジ)です。次の見開き頁の記事冒頭を引用します。

〈東日本大震災から1年半後、津波の傷跡がまだ生々しく残る宮城県・気仙沼に、復興第1号店舗ができた。それがここ〈福よし〉だった。「日本一の焼き魚」の呼び声高い店である。何が、どこが日本一なのか。こればかりは食べてみなきゃわからないと、気仙沼まで。天晴れなその味わいを、骨の髄まで食べ尽くした。〉

この後は、大将・村上健一さんが話す囲炉裏やキチジの焼き方についてなどの話が続きます。そして、編集者も焼き上がったキチジを味わいつくし〈そうか、これかぁ〉と納得。

店舗情報に次の記述がありました。〈8月末には再開発のため、すぐそば(2mほど離れた場所)に移転する。そのため1年近く休業する。行ってみたい方、急いで!〉。これは、魚町地区の土地区画整理事業のための移転です。私の理解では、震災から1年半後に開店したいまの場所は、区画整理対象地区ですから本来であれば新たな店をつくることはできません。しかし、移転が必要になれば店を移動するということでいまの場所で営業を再開したという経緯がありました。当初の約束だからしかたがないといったところでしょうか。

しかしなあ、この4月に明らかになった県のミスで魚町防潮堤が22cm高く施工されてしまったことによって、この移転時期もちょっとわからなくなってきましたかね。県が行う防潮堤工事の対応の違いによって、市による土地区画整理、かさあげ工事の内容や進行スケジュールにも変化があることでしょう。それと〈2mほど離れた場所〉というのは本当でしょうか。わずか2mなのか。

「BRUTUS」の西田善太編集長は、〈気仙沼さんま寄席〉などで少なくとも2度ほど気仙沼を訪れているはずです。〈福よし〉訪問は編集者の方と思いますが、こうして気仙沼の店の話を大きく扱ってくれたことがとてもうれしい。BRUTUSさん、ありがとうございました。

2012年5月23日ブログ「BRUTUSさん」



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武山米店復元完了

震災の津波で被災した気仙沼市魚町の武山米店の復元工事が完了し、4月30日に復元店舗での営業を開始しました。4月29日の三陸新報に掲載されていた広告を紹介します。

武山米店復元完了
三陸新報4月29日掲載広告の一部イメージ

この復元工事完了については、4月28日の三陸新報でも記事として紹介していました。

4:28武山

三陸新報4月28日記事の一部イメージ

記事によれば、武山米店は〈昭和の大火〉翌年の1930年に建設されました。津波で1階部分が損壊しましたが、内湾地区の文化財群の修復・復元を進めている気仙沼風待ち復興検討会や国内外からの支援で昨年から復元工事が進められてきました。以前より西側に移った店舗と蔵の間にはイベントスペースを増築し、蔵は、炊飯と食の博物館にするといいます。

広告や記事の写真を見ると、この武山米店の店舗は本当によく復元されています。米の袋が積み上げられている様子など、ちょっと見ただけでは震災前の店舗写真と見間違うかもしれません。左右にならぶ商店も思い出します。左側には真知子さん(3年4組)の実家〈佐々木金物店〉そして〈麻屋〉〈白萩書店〉が、右側には家電やレコードの〈坂本商会〉や菓子屋の〈松月堂〉〈長井時計店〉など。

広告でも紹介されていますが、気仙沼風待ち復興検討会では、国登録有形文化財4棟〈三事堂ささ木〉〈小野建商店〉〈角星〉〈武山米店〉の修復・復元完了を記念し、4月30日から内湾地区でスタンプラリーを実施しています。どうぞおでかけください。

武山米店の店主である武山文英さんは気中16回/私たちの4学年先輩で兄の同級生。ながく消防団の団長もつとめていました。2年前だったかの〈目黒のさんま祭〉のお手伝いで上京された文英さんにお会いすることができました。こうして復元が無事おわりホッとしていることでしょう。

武山米店の皆さん、復元店舗での営業開始、おめでとうございます。そして気仙沼風待ち復興検討会をはじめ、4棟の修復・復元に尽力されている関係者の皆様にもお礼を申し上げたく。ありがとうございました。

2016年10月27日ブログ「角星」建築復元

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼 武山米店 気仙沼風待ち復興

観光ポータルサイト

ゴールデンウィークということで、気仙沼を訪れている人も多いことでしょう。そんなことで本日は観光の話題。気仙沼観光推進機構が新たに開設した観光ポータルサイト「気仙沼さ来てけらいん」についてです。4月21日の三陸新報で紹介されていました。

4/21けらいん
三陸新報4月21日記事の一部イメージ

このサイトは、これまでに市や観光コンベンション協会、商工会議所などが発信していた気仙沼の観光情報を一元化する窓口として開設されました。気仙沼観光推進機によるサイトですが、実質的にはこれまでの気仙沼観光コンベンション協会のサイトを衣がえしたという感じでしょうか。そして同協会のホームページはfacebookに一本化したのだと思います。

ポータルサイトとは、情報入手の入口/玄関(ポータル)となるサイトのこと。「気仙沼さ来てけらいん」はこんな感じ。画像クリックでサイトにジャンプします。


来てけらいん
「気仙沼さ来てけらいん」サイトイメージ(クリックでジャンプ)

三陸新報の記事にも記してありましたが、サイト内で6月刊行予定の最新版「気仙沼じゃらん」を先行閲覧できます。全32頁の充実した内容となっていますので、こちらもどうぞご覧ください。

「気仙沼さ来てけらいん」を開設した気仙沼観光推進機構は、昨年4月に設立されました。サイト内の説明にもあるように〈観光で稼げる地域経営と地域経済の循環拡大をめざし,行政や観光,産業,経済団体などが一体となって設立した組織〉です。代表は菅原茂市長。副代表は、気仙沼観光コンベンション協会の加藤宣夫会長と気仙沼商工会議所の菅原昭彦会頭です。「気仙沼じゃらん」の発行元も現在は同機構となっています。

このサイト内容を見ていて、いくつか感じることがあったのですが、それはあらためての話といたします。なお、〈気仙沼さ来てけらいん〉とは、〈気仙沼に来てください〉といういう意味。気仙沼の人には説明不要ですが、〈なにかだってんだが、わがんね〉という人のために念のため(笑)。

テーマ : 東日本大震災支援活動
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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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