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マルナリ植木実君

気仙沼市が、商工業の発展に寄与した技能者を表彰する「技能功労者」、今年は6名が選出されたとのこと。そしてその中に、同級生 植木実君(3年9組)の名がありました。11月29日の三陸新報に記事が掲載されていましたので紹介します。

11:29植木実
三陸新報の11月29日記事の一部イメージ

記事を以下に引用します。

〈 父の成次さん(故人)が創業した「マルナリ植木商店」(現マルナリ水産)に従事したのは21歳の時。それまでは横浜で自動車整備工をしていた。「店が軌道に乗ってきたので父から帰郷を勧められて。長男の宿命だね」と笑う。
 以来、サバやイカなどの酢漬け、マグロやワカメのつくだ煮など、気仙沼港産の水産物を使った加工品の製造に携わり、技術を磨いた。
 現在、主力となっている「さんま昆布巻」は、1990年に自身が開発した商品。魚が苦手な子供たちのために骨まで軟らかいものを---と作ったが、思いのほか年配者から好評を得た。今も年末年始の贈答品として人気がある。
 東日本大震災で川口町の工場が全壊し、その1年半後に松崎前浜の仮設施設で再開した。販路を失い、一時はやめようかと考えたが、客が寄せた注文の電話で奮起した。
 仮設施設は狭く、酢漬けのたるが置けない。現在は昆布巻だけの製造だが、本設に向けて日々汗を流している。「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」と語る。〉(引用は以上)

植木実君の昆布巻については、これまでも紹介してきました。たとえば次のブログ。

2015年1月8日ブログ「植木実君の昆布巻」
2016年12月2日ブログ「さんま昆布巻受賞」

1990年に実君自身が開発した商品とのことなので、もう27年にもなるのですね。ロングセラーというか気仙沼物産の定番商品のひとつでしょう。

私は実君の「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」というコメントが気に入りました。実に彼らしい言葉。その表情を声とともに思い出します。表彰式は本日11月30日、サンマリン気仙沼ホテル観洋にて。植木実君のこのたびの受賞を心からうれしく思いました。受賞者の皆様にお祝いを申しあげます。おめでとうございました。
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tag : 気仙沼 気仙沼中学 マルナリ水産 植木実

けあらしいつから

11月24日のブログで「気仙沼のけあらし」のことを書きました。


東北放送
東北放送11月22日配信記事イメージ(写真画像クリックでサイトにジャンプ)


そこで私は、〈「けあらし」という言葉を知ったのは、ここ10〜20年ぐらいのことではないでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが、なにか余所(よそ)から輸入された言葉のような気がします〉と記したのですが、それは間違っていたようです。

そのブログをアップした24日の夜に開催されたKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムのなかで〈けあらし〉の話が出ました。その際に私が、〈気仙沼にいたころは、けあらしという言葉を知らなかった〉といったら、〈いやいや、お祖父さんがよく言っていた〉との声があがりました。

その声の主は、KSBの会員である中村勝子さんという女性です。気仙沼のご実家は、以前の谷村蒲鉾店。谷村家は気仙沼で十数代も続く旧家で、現在はアーバン(株)を経営されています。中村さんは、アーバンの先代社長である谷村明夫さんのお姉さんか妹さんではないでしょうか。そのお祖父さんが、〈けあらし〉という言葉を使っていたというのですから、古くから使われていたことに間違いないようです。自分が聞いたことがないから、余所から輸入された言葉ではないかなど、まるで〈外来語〉であるかのように語った私が浅はかでした。訂正してお詫びいたします。

この後、〈谷村のお祖父さん〉が整備した陣山の庭の話があるのですが、長くなるので回をあらためて紹介いたします。本日はこれにて。

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5組藤村進君訃報

先週末、菊田裕美君(1組)からのメールで、気中3年5組だった藤村進君の訃報を知りました。裕美君も5組同級生から教えてもらうまで知らなかったとのこと。その同級生に奥様から届いた喪中欠礼のはがきには、10月23日永眠と記されていたそうです。

進君とは何度か同じクラスになりました。昨年9月24日に気仙沼で開催された「あれから50年同年会」でも元気な顔を見せてくれたのですが。千葉県袖ヶ浦市在住でしたから、三陸新報など気仙沼での訃報広告はなかったと思います。そんなことで、皆様にもお知らせをと。

満66歳だったと思います。藤村進君のご冥福を心からお祈りいたします。

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生島さん兄弟の話

11月24日(金)は、このブログでもご案内した生島淳さんが講師となってのKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムでした。会は午後7時開始。参加者は定員30名を大きく越え、生島さんが話す場所がちょっととりにくい状態でした。しかし、会場に到着した生島さんはすぐにキッチン内に立って話しましょうと自ら提案し、カウンターの向こう側に入っていきました。そして、軽くビールなど飲みながら話を聞いてもらえればと、飲み物が配られまずは乾杯。こうした動きや配慮に、スマートなフットワークを感じました。生島さんの話す姿はこんな感じ。



話の中身は、会の案内にご自身が記していたように、〈東京暮らしの時間が長くなってしまった人間の、気仙沼との「距離」について〉といったことで、とても共感するものでした。これは、会場にいた多くの人が感じた気持ちでしょう。また、生島さんの得意分野であるスポーツに関しても、気仙沼がらみでのフェンシングのほか、大リーグから大相撲まで大変面白い話を聞かせてくれました。質問なども含め40〜50分ほどでしたでしょうか。

話のあとは、みんなの席のなかに入ってなんやかやと。私は幸いにも近くの席だったので、いろいろと話をすることができました。生島さんに〈スポーツはもちろんのこと、落語や歌舞伎などもとても詳しいけれど、いつのことからなのか〉と聞いたところ、〈落語は気仙沼にいたころはラジオでよく聞いていた〉とのこと。なるほど。また〈語りのスピードのコントロールや間がとてもよくて驚いた〉と伝えると、笑いながら〈落語をよく聞いているからかも〉と。

この日、会場には淳さんのお兄さんである生島隆さんもいらっしゃっていました。長兄の生島ヒロシさんも所属する生島企画室の代表取締役社長です。隆さんともいろいろと話すことができました。震災後まもなくの〈気仙沼を元気にする会〉で初めてお会いしておりますが、その時に感じた穏やかな印象を思い出しました。

話が長くなるので、ご両人の細かな話は略しますが、私がとてもうれしかったのは淳さんと隆さん、そして博さんも含め生島三兄弟の仲の良さが感じられたこと。それだけに、淳さんや隆さんがお姉さんの喜代美さんを震災の津波で失った悲しみの深さも。仲のよい姉妹であったろうと。

会のおわりに、淳さんと隆さんにお願いして写真を1枚。右側にうつる隆さんによれば、〈この2ショットは案外珍しいかも〉とのこと。貴重な写真です(笑)。

IMG_2814.jpg

生島淳さん、そして隆さん。24日はおかげさまでとても楽しい会となりました。またお会いする機会があればと思っております。また、この会を企画、運営してくださったKSB関係者の皆様にもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

11月9日ブログ「講師は生島淳さん」

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気仙沼のけあらし

東京でもかなり冷え込んだ11月22日(水)の朝、気仙沼湾では「けあらし」が見られたそうです。23日の三陸新報がこれを伝えています。つぎのカラー画像は、三陸新報ニュースサイトから。

三陸けあらし
三陸新報11月23日配信画像


記事によれば、日の出前には既に立ちこめ、午前7時30分過ぎまで続いたそうです。今季に何度か見られたそうですが、魚市場で水揚げ作業をしていた方によれば「きょうが最も濃かった」とのこと。

この22日早朝のけあらしは、TBC東北放送もテレビニュースで伝えました。これをヤフーニュースも配信したため、多くの人の目に触れたようです。タイトルは〈気仙沼で「幻想的な霧」〉。私の妻はテレビで見たということなので、TBS/JNN系列局でも紹介されたのでしょう。つぎの画像をクリックしてサイト内の動画映像をどうぞご覧ください。


東北放送
東北放送11月22日配信記事イメージ(写真画像クリックでサイトにジャンプ)

河北新報も11月23日にこのニュースを配信していました。

河北
河北新報11月23日配信写真(クリックでサイトにジャンプ)

〈けあらし〉は、夜間に冷やされた陸上の空気が暖かい海上などに流れ出し、水面の水蒸気を冷やすことによって発生する霧とのこと。俳句では冬の季語としても用いられるそうです。

私は高校卒業まで気仙沼で暮らしており、内湾の霧やモヤはよく知っているつもりですが、「けあらし」という言葉を知ったのは、ここ10〜20年ぐらいのことではないでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが、なにか余所(よそ)から輸入された言葉のような気がします。

まあ、そんな話は別にして、この気仙沼の「けあらし」は本当に美しい。なかなか出現の予測がつきにくく、観光資源にはしにくいのでしょうが。それだけに、このなんともいえない美しい風景を見ることができた人は運がいい。けあらしは幸運のきざしということで。どうぞよろしく。

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恵子さんの「音楽」

きのうのブログ「気仙沼においでよ」で、34年前の矢野顕子さんと気仙沼のコンサート実行委員会メンバーとの記念写真を紹介しました。きのうは写真のみでしたが、元の2004年3月23日付け三陸新報記事「とっておきの1枚」はこんな感じ。再度のご紹介です。


三陸新報2004年3月23日付(クリックで拡大)

2013年7月8日ブログ「とっておきの1枚」

2004年3月23日の三陸新報で、このとっておきの1枚を紹介しているのは、〈ぶっちゃん〉吉田恵子さん。私とは気仙沼中学3年8組のほか、気仙沼小学校の1年と2年のときにも同じ8組でした。

恵子さんが気仙沼で〈吉田ミュージックセンター〉という音楽教室を主宰していることはみなさん知ってのとおりです。その発表会が11月12日(日)に気仙沼プラザホテルで開催されました。前日のメールのやりとりのなかで明日が発表会だと教えてくれました。

恵子さんは、1970年からヤマハ音楽教室で10年ほど教えてから独立し、自分の音楽教室をもちました。今回の発表会が34回目です。すごい。

当日は、熊谷育美さんがサプライズで参加してくれたそうです。先日、恵子さんに頼んで写真を送ってもらいました。そのなかに会のフィナーレを撮った一枚がありました。生徒さん全員で歌う育美さんの楽曲「僕らの声」。生徒の皆さんはもちろんのこと、育美さんも喜んだことでしょう。そしてなによりも恵子さんの喜びたるや。泣いたな、きっと(笑)。

発表会

写真を送ってくれたときの恵子さんのメールにつぎの言葉がありました。〈34回目にして初めて見えた景色がありました〉と。

当日の司会は、育美さんと同じく〈うを座〉出身の葵(あおい)さん。以前は〈吉田葵〉の名で活動していた俳優さんです。みんな、恵子先生のためなら、と協力を申し出たのでしょう。

ぶっちゃん、34回目の発表会を無事おえることができて本当におめでとう。会場にひびきわたったのは、まさに吉田〈ぶっちゃん〉恵子の「音楽」だったと思いますよ。これからもどうぞよろしく。

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気仙沼においでよ

11月1日、〈気仙沼のほぼ日〉さんが6周年を迎えました。この日の前後3日間は、〈ともだちになれてありがとう〉をテーマに、糸井重里さんをはじめ、〈ほぼ日〉の皆さんが気仙沼のともだちをたずね、その様子がテキスト中継されました。

その中継の最後は、様々な場所で気仙沼の人たちが歌う「気仙沼においでよ」でした。〈ほぼ日〉のスガノさんによるウクレレ伴奏で歌われるこの曲がちょっとなつかしく感じられ、YouTubeでも公開されている矢野顕子さんご本人が歌う「気仙沼においでよ」を久しぶりに聴いたのです。これです。



とてもいい。2011年11月1日の〈気仙沼のほぼ日〉スタートにあたって、矢野顕子さんがこの曲をつくってくれたことをあらためてありがたく思いました。そして矢野さんが今も気仙沼のことをなにくれとなく気にかけ、応援してくれていることは皆さんご存知のとおりです。

矢野さんと気仙沼のご縁は、34年前1983年4月2日にさかのぼります。この日、気仙沼で矢野顕子さんのコンサートが開かれたのです。つぎの写真は、実行委員会メンバーとの記念写真。前列中央が矢野さん、その右側が私たちの同級生〈ぶっちゃん〉こと吉田恵子さん(3年8組)です。

矢野さん

この写真も、恵子さんが三陸新報の記事〈とっておき この一枚〉で紹介したものです。以前も紹介したこの記事はまた明日にでも。

話を戻します。〈気仙沼のほぼ日〉サイトに掲載されている「気仙沼においでよ」の歌詞を読んでみると、あらためて心にしみるものがあります。作詞 矢野顕子+糸井重里。そして最後はつぎのフレーズ。

みんな おいでよ ともだちだもの
みんな おいでよ いつでもおいで

これが、6周年のテーマ〈ともだちになれてありがとう〉につながっているのですね。気仙沼のほぼ日6周年で歌われた「気仙沼においでよ」はつぎの特設サイトにて。とてもいい感じのウクレレ伴奏や動画編集は〈ほぼ日〉のスガノさんです。ありがとうございました。

気仙沼のほぼ日6周年サイト

最後になりましたがテレビ番組のご紹介を。11月24日(金)の22:00~22:59 NHK BSプレミアム「the Covers」に矢野顕子さんが出演します。ゲストは糸井重里さんです。どうぞご覧ください。

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気仙沼酒蔵生原酒

1月19日の三陸新報に、気仙沼のふたつの酒蔵「角星」と「男山本店」の生原酒発売の広告が掲載されていました。

まずは同級生 小山(斉藤)容子(3年5組)さんの実家でもある角星さん〈水鳥記〉(みずとりき)から。

角星

つぎは、男山本店さんの〈蒼天伝〉(そうてんでん)。

男山


〈水鳥記〉〈蒼天伝〉、いずれも人気のお酒。その生原酒と聞いただけで、味わってみたくなりますね。それぞれの公式ショッピングサイトは次の通りです。

「角星」公式サイト
「男山本店」公式サイト

気仙沼の新酒を味わう会について、このブログで書いたことがあったなと思って調べてみると、2011年5月28日の記事「三陸新報を読む」という記事のなかにつぎの一節がありました。

(三陸新報には)同級生がたまに登場するんですよね。震災のほんの少し前には、新酒を味わう会の記事で澤井充君(3年4組)と吉越宏一君(5組)がうまそうに飲んでいる写真が紹介されていました。数ヶ月前には小山容子さんがカネシメイチ直伝のさんま寿司の作り方を解説しています。(引用は以上)

ちゃんと容子さんも登場していました(笑)。

生原酒の広告は毎年のことなのでしょうが、ふたつの銘柄の広告が同じ日だったためかなぜか気になり本日の紹介となりました。そして、気仙沼のお酒についてはあまり書いたことがなかったなとも。是非、またの機会に。

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鮎貝家煙雲館庭園

11月18日(土)の三陸新報に、きれいな紅葉の庭園写真が掲載されていました。気仙沼の松岩地区(松崎片浜)にある「煙雲館(えんうんかん)庭園」が国の名勝に指定されるというのです。

煙雲館
三陸新報11月18日記事より


この話題は、同日に毎日新聞も配信していました。その記事を一部引用します。

「 国の文化審議会は17日、気仙沼市松崎片浜の「煙雲館(えんうんかん)庭園」を国の名勝に指定するよう文部科学相に答申した。
 煙雲館は仙台藩上級家臣、鮎貝氏の旧居館。気仙沼湾を望む小高い丘に建つ。庭園は江戸時代前期の寛文年間(1661〜73年)、仙台藩茶道頭を務めた石州流二代目、清水動閑(どうかん)により造られたとされる。池の周囲に園路が配置された池泉回遊式庭園で、大きな築山を囲む池泉、背景の樹木などで構成される。気仙沼湾の大島、岩井崎を借景とし、雄大な景観をつくり出している。東日本大震災では、津波が近くまで迫ったが、ぎりぎりで被災を免れた。」(引用は以上)

鮎貝家が、明治時代の国文学者で歌人の落合直文(なおぶみ)の生家であることは皆さんご存知のとおりです。落合直文の元の名は鮎貝盛光。国学者落合直亮の養子となり姓が変わりました。13歳ごろのことと思います。また、その弟で古代朝鮮の歴史や民俗の研究でも知られた歌人 鮎貝房之進(槐園(かいえん))も忘れてはいけないでしょう。二男が落合直文、三男が鮎貝房之進、長男の鮎貝盛徳は初代気仙沼町長で、2代目の松岩町長もつとめています。

三陸新報や毎日新聞の記事では、鮎貝氏を仙台藩上級家臣としています。これは、仙台藩(伊達氏)御一家筆頭のこと。直文らの父親である鮎貝太郎平盛房は、戊辰戦争において新政府軍との戦いにも参加しました。気仙沼市史には、「安政年間に洋式軍隊の調練をした大隊長で、戊辰の役でも活躍した」との記述があります。その後、松岩村の初代村長もつとめたようです。鮎貝家については、別の機会にまとめることにいたしましょう。

煙雲館は、気仙沼小学校時代の遠足で見学に行ったはず。しかし、情けないことに〈なんか庭を見たような〉記憶しか残っていないのです。今となれば、そのお庭などを是非とも拝見したいと思っているのですが、なかなかその機会が得られません。

煙雲館は、11月18日から26日(日)まで一般公開されています。入場は無料です。どうぞ皆様、江戸時代から300年以上の歴史をもつお庭などを是非この機会に。


なお、一般公開日以外の見学は事前に連絡が必要です。問合せ先などを以下に。

◎煙雲館
所在地:気仙沼市松崎片浜197
問合せ:電話0226-22-1318
館主 :鮎貝文子さん
時間 :9:00~16:00

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公立病院歴史写真

11月7日のブログで市立病院の歴史を記した後に、気仙沼市史を調べてみたところ、第4巻「近代 現代編」に公立病院開設の経緯が記されていました。本日はその内容を含め、公立病院の歴史に関する写真2点を紹介します。

まずは気仙沼市史の記述を要約します。明治13年5月に県立宮城病院の気仙沼分院として開設されたのが公立/市立病院の歴史の始まりです。病院は、藩政期に大肝入(おおきもいり)家であった八日町熊太家(跡地は現在の気仙沼郵便局付近)を借用しました(この肝入をつとめていたという〈熊太〉という家名はなんと読むのかはわかりませんが、松岩の古谷館(こやだて)八幡神社ゆかりの熊谷氏に連なる一族と思います)。明治19年12月、熊太家から旧小学校校舎(現在の市役所付近でしょう)へ、そして明治31年に、南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転します。この場所は、新沼(にいぬま)家が無償で土地を使用させたとのことです。この南町時代の公立気仙沼病院の写真が市史に掲載されていました。

南町病院

気仙沼市史 第4巻「近代 現代編」より

この後、市史での公立病院関係の記述は、別項での田中への移転に関してのものとなり、南町から河原田への移転に関する経緯や河原田時代の写真掲載はありません。また、田中への移転年月を市史では、昭和38年7月としていました。これについて、先日の三陸新報記事は昭和39年5月、「気仙沼文化史年表」でも昭和39年5月1日としています。いずれも「病院百年史」を出典とした年月ですから、市史の記述が誤りでしょう。

河原田に気仙沼町外七ケ村組合病院として移転したのは、「気仙沼文化史年表」によれば昭和7年11月20日。この移転への経緯は、「目で見る気仙沼の歴史」(気仙沼ライオンズクラブ発行)に記されています。

見出しは〈前の公立病院〉です。菅野青顔さんが書いたと思われる説明文には、こうした独特の言い回しがあります。地元感があふれているところはご愛嬌といったところ。今となっては〈前の前の公立病院〉です。説明文を引用します。

「新沼家の土地にあった病院が大正の火事で焼けたので、現在の宮城バス案内所のところに新築した。 ところが、ここも昭和の大火で焼け、八日町の元小学校舎の仮病院にうつった。 その後、昭和7年、今の電々局のところに建てたのがこの病院。 気小の土をけずって公立の土地を造成した。ここにはハモニカ長屋があった。」引用は以上です。河原田にあった公立病院の写真を紹介します。

公立病院

「目で見る気仙沼の歴史」より


これは新築当時の写真でしょうかね。右方向が河原田の小さな交差点になります。私の記憶で言えば、大鍋屋別館を背にして撮った写真。さすがに外観の記憶はあまりありません。かなり古くなった木造というイメージだったのですが。なお〈大正の火事〉とあるのは、大正4年3月30日の大火でしょう。当時、新月村の村長が宮城県庁に〈ケセンヌマ カジマルヤケ〉(気仙沼 火事丸焼け)と電報を送ったほどの大火でした。また〈昭和の大火〉は、昭和4年2月23日の大火。これらについては次のブログで紹介しています。

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」
2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」

「目で見る気仙沼の歴史」の写真を紹介するつもりが、気仙沼市史に関連記述を見つけたために長くなってしまいました。〈熊太家〉〈新沼家〉、そして今となっては〈宮城バス案内所〉などについても説明が必要かもしれないのですが、それはまた別の機会に。なお、以上の公立/市立病院移転の沿革を整理しておきます。今週はこれにて。

◎明治13年5月
県立宮城病院気仙沼分局として気仙沼町八日町熊太家に開設
◎明治19年12月
熊太家から旧小学校校舎に移転
◎明治31年
南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転
◎昭和7年11月20日
気仙沼町笹が陣(河原田)に移転
◎昭和39年5月1日
気仙沼市田中に移転し、全面開業
◎平成29年11月2日
新気仙沼市立病院外来診療開始

11月6日ブログ「市立病院診療開始」
11月7日ブログ「公立病院の歴史」

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読売の防潮堤記事

11月11日で、震災から6年8カ月となりました。読売新聞が毎月11日に掲載する〈大震災 再生の歩み〉では、〈防潮堤 砂浜に優しく〉との見出しで特集記事を掲載していました。

読売1

読売新聞11月11日朝刊掲載記事の一部イメージ


記事では2つの事例を紹介しています。一つ目は岩手県野田村の十府ヶ浦(とふがうら)海岸で、ハマナスの群生地として知られた景勝地でした。浜辺の植物を内陸に用意された場所に砂ごと移植し、防潮堤の完成後に再び浜に戻して群生地を再生しようとする試みです。

この紹介の後に、気仙沼市の大谷海岸の事例が紹介されていました。説明図がわかりやすいので拡大しておきます。

防潮堤2

〈住民が説得〉という小見出しで始まる記事部も引用します。

◎住民が説得

 地元のシンボルだった砂浜を守るため、建設地の変更を実現させた地域もある。震災で死者・行方不明者が75人に上った宮城県気仙沼市・大谷(おおや)地区は、美しい海岸が観光資源だった。海水浴場は環境省の「快水浴場百選」にも選ばれたが、地震による地盤沈下で大部分が姿を消した。

 砂浜全体を覆う形の防潮堤計画が持ち上がると、「砂浜が消滅してしまう」と住民の困惑が広がった。「建設の是非ではなく、砂浜を守ることを目標にしたので住民がまとまれた」。行政側と交渉した住民団体「大谷里海(まち)づくり検討委員会」メンバーの三浦友幸さん(37)は振り返る。

 建設地を内陸側に移動する案を作り、約4年かけて国と県、市を説得。2016年7月に合意にこぎつけた。建設地の変更で確保した沿岸部の土地に、震災前と同規模の約2.8haの砂浜を復活させる計画だ。

 三浦さんは津波で自宅を流され、母の経子さん(当時56歳)は今も行方不明。「防潮堤のあり方は、震災後の街づくりに直結する。時間をかけてみんなで考えるべき問題だ」と語る。(記事引用は以上)



私は、環境アセスメントに関する記述のなかのつぎの一節が印象に残りました。「防潮堤建設に伴う自然環境への影響は見過ごされがちで、大半の工事は当初計画通りに進んでいる。防潮堤計画が決まらないと、街づくり全体が先に進めない。復興を急ぐため、早く事業を確定させることを優先した事情が背景にある。」事前の環境アセスメント調査が、海岸の防潮堤の場合は対象外となっていることも背景にあるようです。

今回の記事は、〈人命と自然〉という二つの軸で防潮堤の問題をとりあげていました。私はこの記事をありがたいと思いつつ、気仙沼で建設が進行する巨大防潮堤の問題は、〈自然〉というよりは、むしろ震災前と同様に普通の海が見える景観や暮らしなどではないかと感じました。大谷の人にとっては、それが砂浜であったと。その気持ちが、とてもよくわかります。

震災後6年8カ月。巨大防潮堤問題が、〈自然環境保護〉という観点のみの議論に集約されていくのではないかという危惧を少し感じたのです。そして、読売新聞をはじめとする3大新聞は、この問題を実際のところどのように考えているのだろうかとも。

8月1日ブログ「大谷防潮堤着工へ」

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共徳丸の「廃船」

雑誌「芸術新潮」9月号の頁をめくっていて「おっ」と目が止まりました。共徳丸か。

不染鉄
雑誌「芸術新潮」2017年9月号より

結論から申しあげれば違いました。〈幻の画家〉とも呼ばれた不染鉄(ふせん・てつ)の『廃船』という作品とのこと。

不染は明治24年に東京の浄土宗の寺の子として生まれました。紹介されている作品を見ると、日本画というカテゴリーを越えた自由な作風と画境を感じます。不染は23歳のときに伊豆大島にわたり、3年ほど漁師をするなどして暮らしました。生涯にわたって海や漁村を描いたそうです。84歳で亡くなっています。

紹介した作品『廃船』は78歳の頃の作品。雑誌の2頁見開きで見ると相当に大きな絵を想像しましたが、横幅は約1m。

気仙沼の鹿折(ししおり)地区にうちあげられた第18共徳丸が解体されたのはいつだったか。このブログ内を検索してみると、2013年10月28日に三陸新報の記事を紹介していました。第18共徳丸の解体作業が27日で終了したとの内容。〈崩れた擁壁の跡などが、そこに重量330トンの大型船があったことを物語るのみとなった〉。

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三陸新報2013年10月28日記事の一部イメージ(クリックでブログにジャンプ)

そうか、もう4年たつのか。解体は9月9日に開始されました。約2カ月かけてその姿が小さくなっていったのでしょう。

〈廃船〉と題された不染鉄の絵を見て、様々な思いや記憶を喚起する圧倒的な存在感をはなっていた第14共徳丸のことを、久しぶりに思い出したのです。

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ヱビスビールの縁

気仙沼市魚町の神明崎の恵比寿像復活に関する続報です。まずは11月7日の三陸新報の記事から。

11:7恵比寿

三陸新報11月7日記事の一部イメージ


サッポロホールディングスさんが11月6日、気仙沼湾神明崎三代目恵比寿像建立委員会に支援金530万円を贈呈したとの記事です。

当日は、同社の代表取締役会長である上條努氏がわざわざ気仙沼を訪れて、建立委員会の臼井賢志委員長に支援金を手渡してくださいました。

サッポロホールディングスさんは、恵比寿ガーデンプレイスで開催しているビヤフェスティバル「恵比寿麦酒祭り」での生ビール売上金相当額を、東北をはじめとする復興支援の寄付などにあてています。今回の恵比寿像復活支援金約530万円もその一環で、委員会による建設費募金活動における第1号の寄付となりました。

また、同社のニュースリリースによれば、〈恵比寿像の2019年度内完成に向けて、全国の恵比寿像ならびにヱビスビールファンの皆様に広くご支援いただけるよう、再建に向けた機運を盛り上げる取り組みを実施する予定〉とのことです。これも楽しみですね。

11月9日には、毎日新聞が恵比寿像再建に向けての動きを紹介していました。この記事の中でも、「復興支援を続けているサッポロホールディングスも「ヱビスビール」を販売する縁で協力する」との紹介がありました。

毎日新聞11月9日配信記事

ヱビスビールがご縁となってのサッポロホールディングスさんのご支援に、心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」 (三陸新報記事紹介)
10月18日ブログ「恵比寿像が持つ魚」(読売新聞記事紹介)
10月30日ブログ「河北の恵比寿記事」(河北新報記事紹介)

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 恵比寿像 サッポロホールディングス

内湾商店街復活へ

11月11日(土)、気仙沼市の南町紫神社前商店街(村上力男会長)と魚町内湾商店会(菅原隆文会長)が、グランドオープンしました。まずは11月10日の三陸新報の記事をご紹介します。

記事
三陸新報11月10日記事(クリックで拡大)

南町紫神社前商店街は、仮設の「南町紫市場」で営業してきた店舗などを中心に、災害公営住宅に併設された共同店舗と周辺の個別店舗で組織されています。共同店舗は22店舗のうち今回は15店舗がオープンするとのことです。一方、魚町内湾商店会は、災害公営住宅の1階に入居する3店舗と周辺の個別店舗4軒で組織されています。

記事の下には、両商店街の広告が掲載されていました。こんな感じ。なつかしい店の名がならんでいます。

広告
三陸新報11月10日掲載広告(クリックで拡大)

記事にある南町の商店街の写真ですが、どの方向から撮ったものかちょっと迷います。右端に写っているのが猪苗代病院でしょうか。そうすると、中央部が以前はマンボ通りがあったところなのかなあ。自信がありません。魚町の商店会のほうは、〈角星〉が写っていたので、方向がわかりました。手前にうつりこんでいるのは防潮堤の建設現場です。これからスロープのような形状へと工事が進むわけですが、背後の商店群とどのような関係となっていくのか、ちょっとわかりません。広告中の案内地図を拡大しておきます。クリックで拡大します。

地図

開店をこれから迎える店舗もあり、商店街としてはこれからの賑わい復活に期待していることでしょう。内湾商店街の復活を目指す多くの人の尽力によって、グランドオープンの日を迎えられたことはなによりのことです。南町そして魚町の関係者の皆様、おめでとうございました。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」

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民俗芸能の集い2

10月28日の三陸新報に「けせんぬま民俗芸能のつどい」の紹介記事が掲載されていました。
10-28 伝統芸能
三陸新報10月28日記事

◎けせんぬま民俗芸能のつどい
日時:11月12日(日)午後1時〜
会場:気仙沼市民会館
記事に記載はありませんでしたが、入場無料のはずです。

この催しは、文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」として昨年から実施されており、2回目となる今年はつぎの4つの保存会が出演します。参考情報としてネット情報のリンクもはりました。

塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
宿(しゅく)打ち囃子獅子舞/唐桑
要害(ようがい)七福神/大島
岩井崎明戸(いわいさきあけと)虎舞/階上(はしかみ)

なお、コメンテーターは、昨年と同じく気仙沼市魚町出身の東北大学災害科学研究所 川島秀一教授(気中21回生)です。

念のために昨年の出演内容を記しておきます。塚沢神楽は今年も出演します。

浪板(なみいた)虎舞/鹿折
神止(かどまり)七福神舞/唐桑
美和(びわ)太鼓/大島
塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
大石倉(おおいしくら)打ちばやし/赤岩
早稲谷(わせや)鹿踊/八瀬
鮪立(しびたち)大漁唄込/唐桑
廿一(にじゅういち)田植踊/落合


以上が本題。最後に雑談を。11月8日、気仙沼の地域FM局「ラヂオ気仙沼」のツイートに、この集いの紹介がありました。催事名は「けせんぬま民族芸能のつどい」。民俗ではなく〈民族〉となっていたことをとても愉快に思ったのです。念のため〈けせんぬま民俗芸能のつどいですね。民俗。〉とツイートしたのですが、後で、ちょっとしたミスをあげつらうめんどくさいおじさんと思われたのではないかと反省。あくまで、〈気仙沼民族のつどい〉の楽しい語感が気に入っただけなのです、とこの場を借りて弁明を。

どうぞ皆様、12日(日)の午後は市民会館へ。気仙沼民族大移動(笑)

2016年11月9日ブログ「民俗芸能のつどい」

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講師は生島淳さん

一般社団法人 気仙沼サポートビューロー(KSB)主催の第6回KSB復興フォーラムが11月24日(金)に東京で開催されます。今回は、気仙沼出身のスポーツライター・スポーツジャーナリストである生島淳さんを講師にお迎えします。

スクリーンショット(2017-11-09 10.46.19)
KSBサイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

◎開催日時
 11月24日(金)
 19:00〜21:30(開場18:30)
(受付は18:50までにお願いします)
◎会場
 赤坂ダイニング ままや
 東京都港区赤坂2丁目13−23 トミヤビル2F
 電話: 03-3584-8822
◎会費:5,500円(食事・飲み物込み)
◎定員:30名(申込み先着順)
◎お申込み
下記のKSBサイト内の申込フォームにて、あるいは、お名前・ふりがな・メールアドレス・生島淳さんへのメッセージ(ひと言)を記載のうえ、下記のアドレスにメールにてお申し込みください。
KSBサイト
メール宛先:forum@ksn-b.com

〈復興フォーラム〉というと堅苦しい感じですが、定員30名の小さな飲食店でおこなわれる〈生島淳さんを囲む会〉のようなものです。前回は直木賞作家の熊谷達也さんが講師でしたが、とても和やかな雰囲気で楽しめました。

生島淳さんの経歴などはサイトにも掲載されているのでそちらをご覧いただき、ここでは淳さんの2人のお兄さんと1人のお姉さんについて紹介しておきましょう。

長男の生島博(ヒロシ)さんは説明不要でしょう。私達よりひとつ上の気中19回生。二男の隆さんはヒロシさんも所属する(株)生島企画室の代表で気中24回生。三男の淳さんは気中36回ですから、私達より16学年下ということになりますね。そして博さんと隆さんの間に生まれた長女が喜代美さんです。気中22回生で、私は気中時代にベルマークの整理をしてくれていた姿を記憶しています。淳さんは、震災の津波で亡くなった喜代美さんのことについて、2015年の第3回「気仙沼さんま寄席」の開催にあたって寄稿した文章のなかでも触れています。私はこの文章にとてもしみじみとしたものを感じました。是非お読みいただければと。

「気仙沼さんま寄席」生島淳さん寄稿文

開催案内のなかで生島さんは〈東京暮らしの時間が長くなってしまった人間の、気仙沼との「距離」について考えていきたいと思います〉と書いていました。11月24日は、同じ思いをもつ人たちの集いとなるのでしょう。会場でお待ちしております。

2011年11月29日ブログ「生島淳さんの本」

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「うを座」発表会

11月12日(日)に気仙沼の演劇塾「うを座」の発表会があるのでご紹介。まずは案内チラシから。

うを座

◎気仙沼演劇塾「うを座」発表会
11月12日(日)2回公演
午前の部11:00〜、午後の部2:00〜
(開場は開演30分前)
場所:気仙沼ホテル観洋 ベルサイユの間
料金:1000円(税込)
チケット取扱店:御誂京染たかはし、双葉保育園、めん八珍
問合せ:うを座/事務局070-2433-3431
うを座Facebook

演目は、「SNOWGOOSE(スノーグース)」と「虎斑猫の譜(とらねこのふ)」。いずれも脚本は壌晴彦さんで森一馬さんが演出します。

「スノーグース」を調べてみたのですが、ポール ギャリコ原作のお話でしょうか。もしそうだとすれば、灯台小屋に住む孤独な男と少女のひそやかな心の交流を描いた作品とのこと。チラシの絵を見ると、グースはガチョウというよりも雁(がん)かな。白雁。そして、絵にも描かれているヨットは物語の最後に登場するようです。渡り鳥であるスノーグースはどこに向かうのでしょうか。年をとるにつれ涙腺がゆるくなってきた私などは、劇のラストでたぶん泣くでしょう。あくまで原作にまちがいがなければですが。

「虎斑猫の譜」は、気仙沼大島に伝わる民話のようです。チラシに描かれているのは〈亀山〉でしょうか。〈譜(ふ)〉というからには、亀山に暮らしていた、とら猫一族の物語か。手元にある「気仙沼大島の民話・伝説」を調べてみましたが、猫の話を見つけることはできませんでした。北斎漫画を思わせる猫の踊りはどんな意味があるのでしょう。亀山のマツタケでも食べて〈おだっている〉のか(笑)。

この公演の主催はもちろん演劇塾うを座ですが、つぎの団体が協賛、助成くださっています。その名を記すとともに、心からお礼をもうしあげます。

協賛:仙台レインボーロータリークラブ、大阪リバーサイドロータリークラブ、大阪西ロータリークラブ
助成:公益社団法人「企業メセナ協議会」GBFund芸術・文化による災害復興支援ファンド

「うを座」(鈴木恒子座長)は、1998年に旗揚げして子供ミュージカル劇団として活動してきましたが、来年に劇団創立20周年を迎えるのを機に大人を加えた〈市民劇団〉として活動を始めています。その新しい〈うを座〉の舞台を、一人でも多くの皆様にご覧いただければと。どうぞよろしく。

昨年の発表会「泣いた青鬼」については、次のブログにて。

2016年10月24日ブログ「青鬼、なぜ泣くの」

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「公立病院」の歴史

きのうのブログで紹介した三陸新報11月2日の記事には、市立病院の沿革が掲載されていました。

病院沿革
三陸新報11月2日記事より

この沿革から主要事項を抜粋し、一部を補足して紹介します。

◎明治13年5月
宮城病院気仙沼分局として気仙沼町(現気仙沼市八日町)に開設
◎明治17年10月
宮城病院の廃止に伴い、本吉郡立気仙沼病院となる
◎昭和7年11月
気仙沼町笹が陣(河原田)に新築移転
◎昭和28年6月
1市5村(気仙沼市、唐桑村、大谷村、階上村、新月村、大島村)の組合病院となる
◎昭和30年4月
1市2町(気仙沼市、唐桑町、本吉町)の組合病院となる
◎昭和39年5月
気仙沼市田中に新築移転。公立気仙沼総合病院に改称する
◎平成18年3月
気仙沼市、唐桑町の合併で気仙沼市立病院となる
◎平成22年8月
市が新病院の基本構想・基本計画を策定
◎平成26年9月
新病院新築移転工事着手
◎平成29年4月
新病院完成
◎平成29年11月
新病院外来診療開始

昭和28年から昭和39年までに〈組合病院〉という言葉が登場します。気仙沼市単独の市立病院ではなく、あくまで1市5村や1市2町で構成する組合による病院経営だったということでしょう。しかし、昭和27年3月生まれの私は〈組合病院〉という呼称を聞いたことがありませんでした。

私達の世代にとっては小さな頃から〈公立病院〉です。さらに略して〈公立〉。〈どごさ行ぐの?〉と問われて、〈公立さ/公立病院へ〉みたいな(笑)。

その〈公立〉は、河原田(かわらだ)の今は(小さな頃に電話局と呼んでいた)NTTが建っている場所にありました。入口に向かう左付近には〈大鍋屋旅館〉の別館があったと思う。病院のちょっと奥に入ったところには、2階への階段ではなく、板張りのなだらかなスロープがあったように記憶しているのですが。

この河原田時代の公立病院の写真がないかと思い、「目で見る気仙沼の歴史」を開いてみたら、ちゃんと紹介されていました。これについてはあらためて紹介することにしましょう。本日は〈公立病院〉という名の懐かしさのみ記して、おしまいにします。

11月6日ブログ「市立病院診療開始」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 市立病院 公立病院

市立病院診療開始

新気仙沼市立病院の外来診療が11月2日に開始されました。地元の方々はすでにご承知のことですが、気仙沼を離れている方のために三陸新報の記事をご紹介。

市立病院

三陸新報11月2日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


この記事の写真では駐車場の様子がわからないので、10月23日のブログで紹介した三陸新報の記事写真を再掲しておきましょう。

9:14市立病院空撮
三陸新報9月14日掲載記事(クリックで拡大)

市立病院の歴史は、明治13年5月に気仙沼町(現気仙沼市八日町)に開設された宮城病院気仙沼分局に始まるといいます。その気仙沼町は、周辺の村や町と合併して現在の気仙沼市となりました。その発展の歴史とともにあった市立病院の新たな歩みがいま始まったということでしょう。

多くの人の努力で、2年8カ月の工事を経て、この日を迎えられたことを皆さんと共に祝したいと思います。新病院の診療開始、おめでとうございました。

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 新市立病院

写真集団「鼎」展

リアス・アーク美術館で開催中の「新!方舟祭」について、10月28日のブログで〈基本のキルト展〉を紹介しましたが、11月1日の三陸新報に、つぎの広告が掲載されていました。


鼎
三陸新報11月1日掲載広告


◎写真集団「鼎(かなえ)」第36回写真展
リアス・アーク美術館 圏域ギャラリー④
11月2日(木)〜5日(日)
9:30〜17:00(入館は16:30まで)

この写真展を紹介したのは、出品者のなかに気仙沼高校の同級生だった藤野茂康君の名前があったため。私は、ツイッターにときおり投稿される藤野君の写真をとても楽しみにしているのです。震災前の気仙沼の風景に加え、最近ではその後の様子なども。

藤野君は、鹿折中学出身でした。高校のときは魚町の我が家の前を自転車で駆け抜けていったのをおぼえています。地学部で天体観測などもやっていたはず。佐々木徹君(気中3年1組)などもメンバーだった地学部のいわば〈天体班〉です。

写真集団「鼎」の名は、三陸新報の紙面でよく目にします。佐々木徳朗さんのお名前などは特に多いように感じます。このブログでも紹介した覚えがあるなと思い、ブログ内検索をしてみたら、2015年12月7日の記事にその名がありました。

2015年12月7日ブログ「表参道での写真展」

東京の表参道で開催された写真展「震災をこえて…海と山とわたしの家族」についてです。佐々木さんの義父が撮影した大正末期から昭和初期までの家族写真のほか、佐々木さんをはじめ「鼎」のメンバーが震災後に撮影した家族写真など約100点が展示されました。私も足を運びましたが、2年前のことになるのですね。

そして、この記事を書いている途中で驚いたことがあります。11月2日の三陸新報に、「新!方舟祭」の最終展示や発表内容を伝える小さな記事があったのですが、そこには「鼎」の写真展などと並び、上記の表参道の写真展を企画してくれた青山学院大学総合文化政策学部黒石いずみ教授の研究室による映像作品上映会も記されていたのです。いやはや驚いた。

◎青山学院大学黒石研究室映像作品上映会
「気仙沼を支える想い」
11月3日(金)〜5日(日)
①午前11時②午後2時の2回上映

9月28日から様々な展示や発表がおこなわれてきた「新!方舟祭2017」も11月5日(日)で終了です。気中や気高の同級生ふたりが関係する展示会しかご紹介できませんでしたが、ほかにも多くの同級生の作品が発表されていたことでしょう。日々の忙しい暮らしのなかにあって、なにかしらの表現の時間が持てるというのは本当に素晴らしいことだなと感じております。お時間の都合がつく方はどうぞおでかけください。

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 方舟祭

みなとでマルシェ

震災前には、気仙沼市港町で〈日曜朝市〉が開かれ、多くの市民に愛されていました(とはいえ、私は東京で暮らしているので一度も行ったことがないのですが)。そのにぎわいをとりもどそうと企画された〈気仙沼みなとでマルシェ。〉が11月4日(土)に、旧朝市広場隣を会場にして開催されます。



同イベント公式Facebookより


◎気仙沼みなとでマルシェ。
11月4日(土)午前7時〜午後1時
旧朝市広場隣(港町503-1付近)

この催事のきっかけは、2015年5月30日の第3回〈気仙沼さんま寄席〉の関連イベントとして翌日の31日に開催された〈みなとでマルシェ。〉です。主催は〈気仙沼つばき会〉さん。その後、これを定期的に開催しようということで、つばき会のメンバーや気仙沼観光コンベンション協会の関係者有志で実行委員会が組織され、新たな〈気仙沼 みなとでマルシェ。〉の第1回目が今年8月13日に開催されました。11月4日の開催は第2回目にあたります。

案内チラシを見ると、地元魚介焼き、炭火焼BBQ、気仙沼ホルモン、天然酵母パンのほか、タイマッサージやミニボーリングなどもあるようです。そのほか、小物や雑貨、地元産の旬のものがたくさんならびます。〈フィンランドサウナ〉とあるのは、〈気仙沼のほぼ日〉6周年の企画で気仙沼にやってきた移動式サウナ〈サウナトースター〉でしょうか。このサウナ、本日2日は唐桑の鮪立(しびたち)の民宿〈つなかん〉前で大活躍していました。その様子は〈ほぼ日〉の特設サイトのテキスト中継でも紹介されています。

この〈みなとでマルシェ。〉は、市民有志とボランティアの皆様によって運営されています。連休中の土曜日4日、皆さんもどうぞ港町の旧朝市広場隣におでかけくださいますように。

2015年5月29日ブログ「みなとでマルシェ」

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6周年/感謝の日

きょう11月1日、〈気仙沼のほぼ日〉さんが6周年を迎えられました。できてからちょうど6年が経ったのです。まずは、おめでとうございます。そしてそれよりもなによりも、これまで本当にありがとうございます。

◎「気仙沼のほぼ日」6周年

糸井重里さんが10月31日のツイッターでつぎのように語っていました。「11/01は、「気仙沼のほぼ日」ができて6周年の日。最初は1年とか2年でスカッとたたむと言ってたけど、まだまだ続くよ。今夜、ぼくも気仙沼に入ります」と。

〈気仙沼のほぼ日〉は2011年11月1日に、〈ほぼ日刊イトイ新聞〉の気仙沼支社的な活動としてスタートしました。当初は2年間ということだったと思います。「気仙沼のほぼ日」サイトの〈「気仙沼のほぼ日」とは?〉には、2011年10月末の糸井さん〈談〉として、つぎの内容が記されています。「(前略)つまり、2013年11月1日まで、2年間。そこまで続けて、理想的なことをいえば、自分たちが続けてきたものを「居抜き」の状態で残していきたい。できれば、「ありがとう」って言われるようなものをつくって、置いていきたい。そんなふうに考えています。」(引用は以上)

そして2013年の11月には、さらに2年間の活動延長を発表し、その期限2015年11月を過ぎても活動を継続してくれていたのです。

◎ほぼ日さんの善意

私は2015年10月30日のブログで、4周年を迎える〈気仙沼のほぼ日〉さんについてつぎのように書きました。今でも同じ気持ちを感じていますので、引用します。

「いまでは気仙沼にすっかりとなじんで、ある意味〈あってあたりまえ〉の存在となった〈気仙沼のほぼ日〉。その運営には当然のことながらお金が必要ですが、なにか収益を生む事業を直接てがけているわけではなく、〈ほぼ日〉さんの善意によって支えられているといってよいでしょう。これから気仙沼は、そのご支援を手がかりにしつつも、けっして甘えることなく、自立的な復興と新しい町づくりをめざしていかなければならないと感じております。」(自ブログ引用は以上)

2年前には〈ほぼ日さんの善意〉と書きましたが、今は〈株式会社ほぼ日〉となり、糸井代表をはじめとする経営陣は株主に対しての説明責任を負っています。〈気仙沼での活動は今後の収益に対してどれだけ寄与するのか〉との問いに答えなければなりません。直接的な問いかけはなくとも、経営者はいつでも答えられるように自問自答していることでしょう。それだけに、糸井代表取締役の〈まだまだ続くよ〉とのメッセージを非常に重く、とてもありがたいことと感じるのです。

◎ホカホカの6周年 テキスト中継

きのう31日、〈ほぼ日〉に新しいコンテンツができていました。

サウナ

ほぼ日/気仙沼のほぼ日 ホカホカの6周年サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

移動式サウナが唐桑にやってきたり、いろんなことが計画されているようです。そんな10月31日から11月2日までの出来事が写真とテキストで中継されます。テーマがいいですね。〈ともだちになれてありがとう〉。気仙沼から、そして気仙沼へという二重の意味が込められているのでしょう。お互いにありがとうと思える関係が気仙沼という場を介して生まれているとすれば本当にうれしい。この中継は2日まで随時更新されていきますので、是非ご覧くださいますように。

最後にあらためて、糸井重里さんはじめ〈ほぼ日〉関係者の皆様の6年間にわたるご支援に気仙沼出身者のひとりとして心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。まだまだ〈居抜き〉で去ることができない状況ということかもしれませんが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

2015年10月30日ブログ「ほぼ日さんに感謝」
2017年10月27日ブログ「ほぼ日さんの種子」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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