仙台への直通快速

JR大船渡線と東北本線を経由した気仙沼〜仙台間の直通臨時快速列車が運行されることになりました。9月14日の三陸新報が伝えています。

9:14仙台直行2
三陸新報9月14日記事の一部イメージ

記事によれば、これは10月と11月の期間限定での運行で、気仙沼市が気仙沼線のBRT(バス高速輸送システム)を受け入れる際にJRに要望してきたもの。運航日はつぎの通り。各日1往復、所要時間は約3時間、運賃は片道3020円です。途中乗降はできません。

◎10月:9(月・祝)10(火)17(火)18(水)
◎11月:3(金・祝)4(土)10(金)11(土)

◎上り:気仙沼08:12発〜仙台11:10着
◎下り:仙台18:09発〜気仙沼21:14着

運行日は平日が多いなという印象ですが、まずは一歩前進ということでしょうか。市によれば、JRからは今回の利用状況を見て今後の運行を検討するとの回答を得ているとのことです。一定の利用実績によって、さらに便利な運行ダイヤが実現できればなと思っております。

なお、大船渡線と東北新幹線を利用しての気仙沼〜仙台間の往復割引切符の10月から来年9月30日までの導入はすでに決定しています。往復大人7700円(子供3850円)で通常(9720円)より約20%の割引となります(9月20日の三陸新報/論説で、この運賃を片道としていたのは誤記だと思います)。ただし往路は気仙沼発に限ります。気仙沼と陸前高田、盛の各駅のみどりの窓口でのみ販売とのことです。

この記事で、あらためて気仙沼〜仙台間の所用時間や運賃を知りました。新幹線を使用しなければ、気仙沼と仙台の時間距離感は、私が気仙沼で暮らしていたころと大きくは変わっていないのだなあと感じました。
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世界女王/谷真海

気仙沼出身の谷(佐藤)真海さんが、オランダのロッテルダムで開催されたパラトライアスロン世界選手権で初優勝を果たしました。

真海さん
サントリー公式サイト内「チャレンジ・アスリート 谷真海」より(クリックでサイトにジャンプ)

真海さんの優勝は、9月15日の日刊スポーツが記事にしてヤフーも配信していました。記事の見出しは〈 谷真海が日本人初V!結婚、出産「ド素人」から頂点 〉。なお、日刊スポーツの記事中にリンクされているゴール写真は昨年4月のアジア選手権のものです。

日刊スポーツ9月15日/ヤフー配信記事

同記事によれば真海さんは、女子PTS4クラスで、日本選手として初めて世界選手権の頂点に立ちました。この記事を読んで気になったことがありました。8月11日のブログで、7月にカナダのエドモントンで開催された世界パラトライアスロンシリーズでの優勝を紹介していたので、今回の〈初出場・初優勝〉との見出しに、アレッと思ったのです。優勝は2度目ではないのかと。

調べてみると、ITU(国際トライアスロン連合)の2017世界トライアスロンシリーズは8大会が開催され、今回のロッテルダムで行われた大会がグランドファイナル(最終戦)でした。シリーズでの成績によって最終戦への出場権が得られるのでしょう。サントリー公式サイト記事によれば真海さんは7月までの4戦を負けなしで終え、ポイントによる世界ランキングも2位で迎えた最終戦でした。

PTS4というクラスは、ITU基準のひとつです。「PTS」は肢体不自由で立位。数字は障がい程度をあらわし、2(重い)から5(軽い)まで4区分となっています。車椅子使用はPTHC、視覚障がい選手はPTVI。日刊スポーツの上記記事ではPTS4(運動機能障がい)としていましたが、昨年4月の関連記事では、PTS4(低度の下肢切断など)としていました。正確に説明しようとすると複雑になってしまいますね。最後に日刊スポーツ記事の結びを引用します。

〈2013年パラ陸上世界選手権の幅跳びで獲得した銅メダルを上回る金メダル。東京パラリンピックの実施種目は未定で、谷のPTS4が行われない可能性もあるが「私が決められることではないし、今は練習するしかない」と話す。「(転向から1年目で)順調な滑り出しができた。もっと強くなれると思うので、強くなってまた世界シリーズに戻ってきたい」と言い切った谷は「スポーツの力」を信じて泳ぎ、漕ぎ、走る。〉(引用は以上)

同記事によれば、真海さんは、今回の世界選手権大会で元世界女王のサリー・ピルビーム選手(オーストラリア)に32秒の差をつけての優勝です。2017年世界女王として谷真海さんのゴールにたくさんの拍手がおくられたことでしょう。

真海さん、世界選手権の制覇、本当におめでとうございました。気中同窓生はもちろんのこと、気仙沼の多くの人が喜んでいると思います。くれぐれも怪我や故障に気をつけて、さらなる活躍を。かげながら応援しています。

8月11日ブログ「真海さんの「復帰」」
本ブログ真海さん関連記事リスト

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長峯教授の講演会

10月1日(日)に、気仙沼高校関東同窓会が主催する文化講演会のご案内です。講師は気高28回生(気中26回)で関西学院大学副学長の長峯純一さんです。

文化講演会
関東同窓会サイから(画像クリックでサイトにジャンプ)

◎講演会
日 時:10月1日(日)AM10:00〜12:00
講 師:関西学院大学 副学長 長峯純一氏(気高28回生)
テーマ:気仙沼で育まれた経済学者への道
場 所:明治大学 駿河台キャンパス アカデミーコモン9F 309B教室
東京都千代田区神田駿河台1-1
JR・地下鉄「お茶の水」から3分、地下鉄「新お茶の水」から5分、「神保町」から6分。
参加費無料 どなたでもご参加になれます
参加申込みフォーム

◎懇親会(定員40名)
講演会後、長峯純一氏を囲んで懇親会を開催します。(12:30~15:00)
参加ご希望の方はお申し込みフォームへご入力ください。
会場:居酒屋かのう屋
(千代田区神田小川町3-20-1 日比ビルB1F TEL:03-3518-9666)
会費3,000円(飲み放題)

関西学院大学の教授で副学長もつとめていると聞くと、ちょっと堅苦しい感じがするかもしれません。しかし、私たち気中20回生の6年後輩と思えばちょっと印象も違うでしょう。気仙沼の菅原茂市長や私の妻も気中同級生です。さらに、お父様である長峯英雄さんは日本バプテスト気仙沼教会の牧師さんでした。同教会は愛耕幼稚園も経営していましたね。いまは反松にある教会や幼稚園ですが、昭和31年から53年までは三日町にありました。私たちの同級生でお世話になった人も多いのではないでしょうか。

気仙沼市史第7巻によれば、長峯英雄さんは昭和30年から61年まで気仙沼教会にいらっしゃいましたが、その間、昭和40年代後半からは尚絅(しょうけい)女学院や関東学院の経営にも関わっています。昭和54年には尚絅女学院の理事長に就任しました。

こうしたお父様の経歴をながめていると、その息子の純一さんが、プロテスタント/ミッション系大学である関西学院の教授そして副学長であるということもごく自然なことのように感じてくるのです。

なお、近畿地方の4大私立大学〈関関同立/かんかんどうりつ〉(関西、関西学院、同志社、立命館)のひとつである〈関西学院〉は〈かんせいがくいん〉。略称は関学(かんがく)です。〈かんさいがくいん〉と読んで笑われないよう、くれぐれもご注意を(笑)。

それでは、10月1日の講演会、そして懇親会でお会いしましょう。

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月立小児童の鹿踊

きのうのブログに続き、9月17日の〈目黒のさんま祭〉の報告です。本日は、気仙沼市立月立(つきだて)小学校の児童による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」です。私が撮影した2分24秒の映像を紹介します。



早稲谷鹿踊については、昨年8月26日のブログでも書きました。宮城県指定無形民俗文化財に指定されており、地域の繁栄を願って厄災や疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養するものです。毎年、旧暦6月24日の前後に早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典で奉納されます。

目黒のさんま祭では、2012年からNPO法人目黒ユネスコ協会さんが、伝統芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼市内の小学校児童を毎年招待してくださっています。月立小学校は、2012年、2015年と招かれ、今度で3回目となります。9月16日の三陸新報が、さんま祭に向けて練習にはげむ様子を紹介していました。

9:16月立小鹿踊
三陸新報9月16日記事の一部イメージ

記事によれば、上京した児童は月立小5・6年生の8人とのこと。映像にもうつっていますが、踊りの最後に鹿のかぶりものをとって挨拶した子供らがとても可愛かった。無事におどりおえてホッとした様子がうかがえました。晴天で時間に余裕があれば、早稲谷鹿踊の由来なども紹介できたのでしょうが、いまにも本降りになりそうな天気では無理というものです。

月立小学校は、鹿折小学校の北西方向の八瀬(やっせ)地域にあります。児童数30名で、新城小学校(児童数236)との統合が計画されていますが、教育委員会と保護者らとの意見が対立しています。松岩小学校(児童数323)への統合を計画している水梨小(児童数20)も同じような状況。いずれも、すでに一年延期されての2018年4月の統合は極めて困難で、再延期される見通しとなっています。

そうした統合をめぐる事情は別として。月立小学校の児童の皆さんや関係者、そして早稲谷鹿踊保存会の皆様、ご苦労さまでした。そして、目黒ユネスコ協会の皆様の例年のご支援に対しても心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2016年8月26日ブログ「早稲谷鹿踊の伝承」

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目黒さんま祭報告

9月17日(日)の〈目黒のさんま祭〉の様子を紹介します。台風の接近であいにくの雨天となりましたが、10時の開場前から長蛇の列ができていました。9時30分からは、さんま祭を含む〈目黒区民まつり〉全体の開会式。菅原気仙沼市長のご挨拶は例年通りですが、今回は気仙沼出身の小野寺五典防衛大臣も出席されました。菅原市長は〈今年は昨年水揚げされた新鮮なさんまの冷凍を解凍したものだが、今季にみなさんがこれ以上大きなサンマを食されることはないでしょう〉と語っていました。来賓の挨拶のあとは、気仙沼の皆さんによる〈どや節〉が披露されました。こんな感じ。

どや節

その後は、目黒の殿様に気仙沼のさんまや大分県臼杵市のカボスを贈る〈献上式〉。青木区長が〈さんまは気仙沼であがったものに臼杵(うすき)のカボスを添えて目黒で食べるにかぎるのお〜〉みたいなことを語るのがお約束です。

献上式

この後、来場者のみなさんへの焼きさんまの提供が始まりました。焼き台の列はこんな感じです。例年はこの焼き台の前に来場者が座って焼き上がりを待つのです。しかし今年は雨でしたので、それは省略。

焼き台

サンマのすりみ汁は毎年大人気ですが、今年もこんな感じの行列です。一杯100円。今年も同級生の荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに上京してくれました。

すりみ汁

つぎは物産展。手前側が気仙沼物産のテントです。傘もささずに気仙沼の観光パンフレットなどを配っている方がいたのでご苦労様ですと声をかけましたら、気仙沼市役所の産業部観光課長の榊原さん。この4月に県から気仙沼市にいらっしゃったとのことです。

物産展

会場内の広場では、例年いろんなイベントが行われますが、今年は雨天のため、大幅にプログラムを変更したようです。私は、気仙沼市月立(つきだて)小学校の児童による「鹿踊り」(早稲谷鹿踊/わせやししおどり)を楽しみにしていたのですが、この雨では中止かなとも。しかし、そう思っているうちに引率の先生らしき方が先導して月立小の皆さんが入場してきました。雨が少し小降りになったときを見計らっての演技決行でしょう。この鹿踊りについては回をあらためて紹介しますが、まずは写真を2枚。

鹿踊り1

鹿踊り2

これが晴天であったらどんなにかよかっただろうとも思いましたが、雨のなか懸命に踊る児童たちの姿に趣を感じないでもありません。皆さん、本当にご苦労さまでした。とてもよかったよ。

今回のさんま祭には、気仙沼〈あさひ鮨〉の〈さんま姿寿し〉販売で、佐々木徹君(1組)も上京しました。人気商品で早くも完売。その後に休憩スペースでビールを飲みながらなんやかやと。そして会場に戻り、荒木容子さんにも声をかけて写真を撮りました。右から2人目が徹君、3人目が容子さん。右端、物産展で購入した気仙沼産品をぶらさげているのがわたくしであります。

5人で

さんま祭では、出身者も含め多くの〈気仙沼人〉と会えるのも魅力のひとつです。最後にそんな出会いの写真を一枚だけ。

鈴木さんら

右側は、唐桑の崎浜大漁唄込保存会の戸羽芳文さん。2012年7月の渋谷駅ハチ公前広場でのイベントではじめてお会いしました。そして左側は鮪立(しびたち)大漁唄込保存会の鈴木伸太郎さん。というよりも、唐桑鮪立の旧家〈古館〉(こだて)のご当主といったほうが早いでしょう。唐桑の(つまりは気仙沼の)鰹一本釣り漁法は、古館の先祖 鈴木勘右衛門が延宝3年(1675年)に紀州漁師から導入したといわれています。

ブログを書きながらこの写真をながめていて気付いたのですが、お二人がはおっているのは大漁旗を利用した法被(はっぴ)ですね。このブログでも、唐桑中学の〈よさこいソーラン〉の話で紹介しました。

おっといけない、また話が長くなってしまった。サンマ不漁の話に始まって、カツオも不漁だったという話でしめようと思ったのですが、うまくまとまりません(笑)。

さんまの水揚げや天候の不順もありましたが、いつもと変わらぬさんま祭関係者の皆様のご厚意、ご努力に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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tag : 気仙沼 気中20 さんま祭

明治末の内湾風景

きのう17日に開催された〈目黒のさんま祭〉の話は明日にして、本日は9月15日のブログ「明治時代内湾風景」の続きです。前回は「明治時代の内湾風景」とされる写真の撮影時期を推測してみました。もう一度掲載しておきましょう。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

この写真中央の五十鈴神社左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっていますが、「目で見る気仙沼の歴史」(1972年刊)の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真には、同じ缶詰工場がうつっていないことが不思議だったのです。その、「目で見る気仙沼の歴史」の写真頁を紹介します。

明治44年の内湾
「目で見る気仙沼の歴史」より(クリックで拡大)

説明文の最後につぎの記述があります。「この明治44年の港内写真を見ると、右手に郡立水産学校。手前に大堀下流(いまの漁協付近)が写っている」。

この大堀下流、つまり三日町や八日町を経て流れていた大堀の内湾への流出口が、冒頭の「明治時代の内湾風景」にはうつっていません。そして風景がかなり違います。これらの情報を総合して〈明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう〉と前回は書きました。

正直なところ、よくわかりませんね。「目で見る気仙沼の歴史」の写真の明治44年撮影という記載が誤りであることも考えられるのです。しかしそれ以前でも、郡立水産学校の落成が明治40年であることを考えるとさほど前のことではないでしょう。このふたつの写真の撮影時期の確定には新たな判断材料が必要かと思いますが、今や郷土史研究家でもある私(笑)にとってはとても面白いテーマです。

話は変わります。前回のブログ紹介ツイートに気仙沼の千田基嗣さんから返信をいただきました。

「この散策ガイドと、もともとの内湾の観光解説板は、私が観光課時代に担当して作製したもの。文章は、川島秀一現東北大学教授と私が分担して書いて、私がアンカーマン的に統一し、イラストは山内宏泰にお願いした。震災後は、五十鈴神社境内の、猪狩神社の解説板の一枚のみが残っています」

気仙沼市本吉図書館長もつとめた千田基嗣さんの、気仙沼市の観光課時代の仕事だったのですね。それと猪狩神社の解説板が震災後も残ったと。たしかに、猪狩神社はお神明さんの浮見堂近くの階段をのぼったところにあります。そう言われてみると、震災の年5月に気仙沼を訪れたときの五十鈴神社をおまいりしたときを思い出します。石柱などが倒れロープなどが張ってあったものの、同じ境内にある猪狩神社に大きな損傷はなかったように見えました。

そんないろんなことを考えると、明治時代の写真にうつる五十鈴神社/神明社/お神明さんの〈鎮守の森〉は、今でも大きく変化することなくそこにあります。とてもありがたく、これからもそこにあり続けて欲しいとあらためて感じました。

9月15日ブログ「明治時代内湾風景」

「目で見る気仙沼の歴史」については、つぎのブログにて。
2016年12月8日ブログ「気仙沼の歴史復刻」

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tag : 気仙沼 気中20 目で見る気仙沼の歴史

明治時代内湾風景

今週は新聞記事の紹介が続いたので、本日はちょっと趣向を変えましょう。〈明治時代の内湾風景〉です。

内湾市外全景
「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」より(クリックで拡大)

これは、気仙沼市観光受け入れ態勢整備推進協議会が12年前の2005年3月に制作した「気仙沼 港まち恋人スクエア 散策ガイド」に掲載されていた写真です。このガイドは、A2サイズの用紙両面に印刷して折りたたみ、A4判8頁に相当する内容となっています。なかなかの力作です。私がいつ入手したのかおぼえていないのですが、お盆の帰省時にもらったのでしょう。表紙部分はこんな感じです。

恋人スクエア

ガイド発行当時、内湾17カ所にイラスト付きの〈港まち恋人スクエア〉解説板が設置されていました。散策ガイドはその内容を再構成し、解説を詳しくしたものと思われます。イラストは、リアス・アーク美術館の山内宏泰さんによるものです。この解説板は、震災時の津波で被災し今はもうありません。

冒頭に紹介した写真は、ガイド中の⑨「内湾の歴史」部分に掲載されています。私はこの写真に見覚えがありました。2016年2月13日から3月21日まで東京の目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史」展で、ガラスケースの中に何点か置かれていた写真の一枚だと思います。初めて見る写真でした。静かできれいな内湾の原型イメージを見るような思いがしたものです。とてもいい写真。現在も、リアス・アーク美術館の常設展に展示されているのではないでしょうか。

写真下部には小さな文字でつぎのように記されています。「宮城懸氣仙沼港内及市街全景」。〈富田本店製〉の文字もありました。富田本店は絵葉書や地図なども発行していましたので、そのひとつでしょう。タイトルやシリーズ数字が2つあるところをみると、2枚の写真を合成しているのでしょうか。

ガイドのキャプションには〈明治時代の内湾風景〉とありました。明治のいつごろだろうかと興味がわいてきます。うつっている建物がヒントになりますね。右手の柏崎(かしざき)下の建物は本吉郡立水産学校(明治40年落成)。左手前に少し大きな船が停泊しているのは、三陸汽船の桟橋だと思います。

写真中央の神明神社の左側には遠間章次氏経営の缶詰工場がうつっています。これがちょっと気になるのです。「目で見る気仙沼の歴史」の〈明治44年の気仙沼内湾〉という写真(P91・92)には、遠間の缶詰工場はなく、以前の漁協前あたりには三日町や八日町を流れていた大堀の湾への流出口がうつっています。しかし、散策ガイドの写真には見当たりません。以上の情報を総合すると、明治時代であれば明治末。大正はじめという可能性もありますが、その場合でも大正4年の大火以前でしょう。

〈港まち恋人スクエア 散策ガイド〉からずいぶんと話がとんでしまいました。〈気仙沼の歴史散策〉ということでお許しいただければと。どうぞよい週末を。

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さんま水揚げ不調

気仙沼港をはじめ、今季のサンマ水揚げが思わしくないというのは、皆さんご存じのとおりです。きのう9月13日の三陸新報のトップ記事もこの話題でした。下は三陸新報ニュースサイトから。

さんま水揚げ


気仙沼魚市場への生鮮サンマの水揚げが、10日間途絶えているというのです。記事によれば、漁場が遠い上に漁獲が思わしくなく、現状では気仙沼に入るメリットが少ないためとみられるとのこと。「サンマ船が入ってくるのはいつなのか」。買い受け業者やイベントを控える関係者などから心配の声が出ているというのです。

今週末9月17日には、目黒区での〈目黒のさんま祭〉が。そして、福島県相馬市では、立川志の輔師匠をお迎えしての〈相馬で気仙沼さんま寄席〉も開催されます。いずれも気仙沼で水揚げされた新鮮なサンマが焼かれる予定です。

一週間前の品川区の〈目黒のさんま祭り〉は、いつもは岩手県宮古市からのサンマが焼かれるのですが、不漁のために北海道産のサンマが提供されたそうです。17日に向けて、気仙沼の関係者の方々の心労、ご苦労、いかばかりかと。

それはそれとして、9月17日(日)目黒区での〈目黒のさんま祭〉は、お昼12時にJR目黒駅改札にて待ち合わせという我々の段取り。台風など天候が心配なのですが、ご都合の許す方は是非お出かけくださいますように。どうぞよろしく。

7月4日ブログ「相馬でさんま寄席」
8月31日ブログ「ふたつのサンマ祭」

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気仙沼にエールを

本日は、内輪の話題。三陸新報に〈古里へメッセージ/出身者より激励投稿〉という不定期連載記事があるのですが、きのう9月12日に私の妻まゆみの投稿が掲載されました。はずかしながらのご紹介。

9/12激励メッセージ
三陸新報9月12日掲載記事

この投稿、気仙沼の同級生からお声がけをいただき、せっかくのお話ということで引き受けたようです。ちょっと長くなりますが、投稿記事を以下に転載します。

◎気仙沼の明るい底力にエール
気仙沼市南町出身 小田まゆみ(60)

 先日、法事で気仙沼に帰りました。新幹線に乗り込んで、四角いビルの中を抜け、緑の田園地帯が広がる頃、自分の中のネジが次第に緩んでくるのがわかります。大船渡線に乗り換えると、スイッチは切り替わります。
 風にそよぐ木々、川面に映る光、ピーッと鳴る汽笛、私の産土(うぶすな)気仙沼に到着する頃には、すっかり気仙沼モード。駅の改札を出ると、かすかに潮風を感じます。「ただいまー」帰ってきたよ。

◎震災と母達のこと
 震災で南町の実家は全壊、魚町の夫の実家も被災しましたが、一人暮らしの姑、施設に入居中の母は、二人とも避難し無事でした。姑はご近所の助けを借りて、高台の保育所に避難しました。座る場所もないほどの混みようでしたが、缶詰工場で働く中国の女性達がやさしくしてくれたそうです。その後は仙台の義兄宅に避難し、今は近くの施設で穏やかな晩年を過ごしています。
 実家の母は施設から中学校の体育館に避難していました。迎えにいった親戚によれば、その時、履く靴を持っていなかったそうです。靴もなく瓦礫の中をどうやって避難したのでしょう。「誰かにおんぶをされたかもしれない……」と言いますが、認知症の母には、震災時の細かい記憶はありません。
 母は避難所から親戚の家、東京の私の家に避難しました。そして、焼津の姉夫婦の家に落ち着き、震災から2年後、姉達と共に、元気に気仙沼に戻りました。姉達が静岡から迎えに来た時、母は夫と私、息子の手を一人ひとり握って「大変お世話になって……どうもありがとう」と丁寧にお礼を言いました。
 親からあらたまってお礼を言われるのは、照れくさいものですが、母が亡くなった今となっては、良い思い出です。震災の大混乱の中、高齢の母たちを優しく助けてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

◎おでってのこと
 震災後、東京では、復興支援活動が始まっていました。解体予定の銀座TSビルに気仙沼のお店ができたというので、夫と出かけました。気仙沼出身の若い方々が中心となって「気仙沼コンシェルジュ」というボランティアグループがつくられており、早速、仲間にいれてもらいました。お客様と震災の話をしたり、気仙沼の商品を勧めたりしました。目黒のさんま祭、さくら祭、エコまつりなどにも出かけ、屋台で蟹ばっとうや、気仙沼ホルモン、みりん干しを焼いたりしました。気仙沼コンシェルジュは、気仙沼出身者のほかに、気仙沼ファンの若者達も加わり、200人を超す大きなグループになりました。平日は仕事をし、休みになると手弁当で「おでって」に駆けつける頼もしい若者たちが大勢いたことを紹介させていただきました。

◎未来が楽しみ
 震災後しばらく、魚売り場から三陸の魚が姿を消しましたが、今ではめかぶや生若布、殻付きほや、ムール貝など、以前は見かけなかった魚介類が並び、震災前より賑やかです。
 新商品も次々に届き、気仙沼の皆さんの頑張りが伝わってきます。やっぱり気仙沼には、豊かな海と明るい底力がある!きっと、さらに住み良い街になると信じています。(投稿内容は以上)

ホヤぼーやと一緒にうつっている写真は、2016年2月に東京・目黒のパーシモンホールで開催された東日本大震災復興支援コンサートでの物産展における〈おでって〉の合間のスナップです。

身内の話だけでもなんですので、こぼれ話をひとつ。写真にうつるホヤぼーやの中の人は、妻と気仙沼中学の同級生(気中26回生)だった関西学院大学総合政策学部教授 長峯純一さんのお嬢さんです。〈みなと気仙沼大使〉でもある長峯純一さんは気仙沼市震災復興会議委員もつとめていますが、これも行政レベルでのお手伝い〈おでって〉といってよいのかもしれません。長峯さんは、関西学院大学の副学長でもあります。

震災から6年半。妻にとってこの投稿記事は、震災時に実母や私の母を助けてくださった多くの(私たちが見知らぬ方々も含めての)皆様に感謝を伝えるよい機会になったと思います。私からも重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

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内湾復興事業遅滞

きのうのブログでは、南気仙沼地区のまちづくり説明会について記しました。本日は、気仙沼市の内湾地区である魚町と南町の土地区画整理事業の遅れについてです。まずは9月9日の三陸新報の記事から。

内湾の復興遅れ
三陸新報9月9日記事の一部イメージ

気仙沼市が魚町・南町で進めている土地区画整理事業は、2018年度完了を予定していましたが、最大1年半遅れることがわかったということです。

記事によれば、完成予定時期が遅れるのは、魚町、南町両地区の宅地や事業所、店舗、駐車場、資材置き場などとして土地を利用する系21街区のほか、市道5路線。区域内の宅地完成は、来年度内を予定していたそうですが、1年遅れの2019年度に、道路や公園は来年度から1年半後上期(4月〜9月末)に見直されました。なお、旧エースポート周辺に計画されている商業施設や、市営駐車場跡に整備される観光・交流施設と勤労青少年ホームについては、すでに土地の引き渡しなどが済んでおり影響はありません。

遅れの理由ですが、市によれば、他事業との工程調整に加え、幹線道路の整備に伴う迂回路の交通処理調整、建物の移転を余儀なくされる地権者の移転先確保など補償に時間がかかったためとのことです。

土地区画整理事業は、換地などをはじめ土地の権利関係を法律に基づいて調整していく作業ですから、簡単な仕事ではありません。遅れは好ましいことではありませんが、誰かを責めてすむ話ではないでしょう。

本ブログを検索してみましたら、2014年10月13日に、内湾地区の土地区画整理事業の開始を紹介していました。事業費は99億5000万円です。地区内には93棟の建物があり、区画整理に伴う移転補償費は63億7000万円と記していました。

気仙沼市の南気仙沼地区、鹿折地区の土地区画整理事業は、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)に委託されています。魚町・南町はどうだったっけ。そう思って調べてみたら、共同企業体/ジョイントベンチャーでした。〈双葉・エイト日技・アジア航測・日測地 気仙沼市魚町・南町地区被災市街地復興土地区画整理事業 事業計画等推進業務 共同企業体 代表者 株式会社双葉 東北支社 支社長〉。

共同企業体であることでの業務進行の停滞がなければよいけれどなどと、余計な心配がちらっと頭をよぎるのです。といっても誰を責めているわけではないのです。それぞれの立場でみな一所懸命やっていることは承知のうえで。どうぞよろしくお願いいたします。

2014年10月13日ブログ「内湾復興事業開始」
9月11日ブログ「南気仙沼の説明会」

さらに関心があれば、気仙沼市の大震災調査特別委員会資料(平成26年9月12付)をご覧ください。(PDFファイル)
気仙沼市建設部都市計画課/業務委託契約資料

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tag : 気仙沼 気中20 土地区画整理事業

南気仙沼の説明会

本日9月11日で、震災から6年と6カ月経ちました。

さて、9月7日のブログでも紹介した南気仙沼地区のまちづくり説明会が9月8日に気仙沼市民会館で開催されました。9月10日の三陸新報がその様子を伝えています。

まちづくり説明会

三陸新報9月10日記事の一部イメージ

当日は、住民や地区内の事業所、団体関係者ら約130人が参加。菅原茂市長や市当局、そして土地区画整理事業を受託して進めているUR都市機構から計画を説明したとのことです。

本日のブログでこの説明会を再度紹介したのは、説明会を主催した「南気仙沼復興の会」の会長として、吉田久雄君(3年6組)の名があったからです。同姓同名ということもあるので、臼井真人君(3年2組)に確認したところ間違いなし。

まちづくり団体「南気仙沼復興の会」は、今年4月に設立されました。サメ肉を扱う「カネヒデ吉田商店」を経営する久雄君は、市議会議員の経験もありますから、こうした地域住民団体の代表にはぴったりでしょう。三陸新報の記事の最後に、久雄君のコメントが紹介されていました。「住民の皆さんは地域の復興に関する情報に飢えている。地域の課題や将来像を、市と住民で共有したり、考えたりする機会を今後もつくっていきたい」と。

行政と市民/住民という立場や、住民それぞれの意見や考え方の違いなど、会の運営にはさまざまな課題があるでしょうが、そこに会の役割や存在価値があるのだと思います。いろいろと大変なことも多いでしょうが、期待に応えて頑張って欲しいと願っております。

9月7日ブログ「南気仙沼復興の会」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

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詩人 梶原しげよ

8月31日の三陸新報に気仙沼市唐桑出身の詩人、梶原しげよさんに関する記事が掲載されていました。

8:31梶原しげよ
三陸新報8月31日記事の一部イメージ

唐桑の早馬(はやま)神社の敷地内に梶原しげよさんの功績を伝えるギャラリーが完成しました。早馬神社は、しげよさんの生家でもあるのです。同神社サイトによれば、32代宮司 梶原重義さんの妹、現在の33代梶原忠敏宮司 の叔母さんにあたります。

同サイト中の〈梶原しげよ〉紹介ページの内容を要約して紹介します。

しげよさんは、1920年に二男七女の末っ子として生まれました。唐桑尋常小学校、唐桑高等小学校を経て、気仙沼実科高等女学校(旧 鼎が浦高校、現 気仙沼高校)に入学し、短歌や詩を書き始めます。卒業後は、津山町柳津小学校や唐桑国民学校などで教壇にも立ちました。1953年には、フランス文学者の高村智(たかむらさとる/のちに東京都立大学教授)と結婚。1959年の第1詩集『生と死のうた』(書肆ユリイカ)に始まり2011年の第16詩集『ゆうぐれの野路』までを刊行。2011年11月に95歳でその生涯をおえています。

その作品は、フランスやイタリアをはじめとする海外各国でも翻訳され高い評価を得ました。早馬神社のサイトには多くの受賞歴が記されています。なお、唐桑小学校の校歌は、梶原しげよさんが作詞したものです。

最後に紹介ページの中にあった、しげよさんの若き日の写真を拝借し紹介します。気仙沼実科高等女学校時代の写真でしょうか。

梶原しげよ
早馬神社サイト/梶原しげよ紹介ページより

気仙沼市唐桑の地にてその感性を育んだ詩人 梶原しげよ。私はその名を知ってはいたものの、表現活動の詳細は知らずにおりました。このたび完成したギャラリーが、その足跡と功績を多くの人に知らせ、後代に伝えるよき場となることを願っております。

早馬神社サイト/梶原しげよ紹介ページ
サイト「詩人 梶原しげよ」第1〜第16詩集/作品選集

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南気仙沼復興の会

9月6日の三陸新報に掲載されていた広告を紹介します。

南気仙沼
三陸新報9月6日掲載広告より

〈私達のまちは、どう変わって行くの?〉と問いかけての、南気仙沼地区のまちづくり説明会の案内広告です。

◎南気仙沼地区まちづくり説明会
第1回景観ワークショップ
9月8日(金)午後6:30〜
気仙沼市民会館2階 中ホール

案内文を引用します。〈南気仙沼地区の土地区画整理が進められていますが、「今どうなっているの?」「これからどうなっていくの?」と疑問に思っているのが住民の現状です。そこで、市の都市計画課とUR都市機構の方を招き、説明会を行うことにしました。南気仙沼地区の今後に関心のある方もお気軽にお越しください〉(引用は以上)

このブログでは、私の生まれ育った魚町や、隣接する南町のまちづくりについて紹介することがどうしても多くなってしまいます。その一方、南気仙沼地区の今後の姿がなかなか見えてこないなあというのが実感。漁業や水産関係の事業所などが復興しているのは知っているのですが、震災前にさまざまな暮らしが営まれていたまちの新たなイメージがわいてこないのです。この催しは、市民や地域住民が行政の担当者と意見を交換するよい機会になるでしょう。

主催は「南気仙沼復興の会」。広告には、つぎの地区名や団体名が記してありました。〈幸町住宅、内の脇1区、南が丘、河原田1区、河原田2区、港町自治会、南気仙沼まちづくり振興協議会、南気仙沼商店会、気仙沼大川桜並木を保全する会〉。事務局は宮城三菱自動車さんに置かれています。これは千田茂穂さんが代表をつとめる宮城自動車販売ですね。

行政が主導・主催する会合ではなく、市民、住民が南気仙沼のまちづくりを共に考える会。是非ご参加くださいますように。

◎南気仙沼復興の会/事務局
0226(23)5595(宮城三菱自動車 内〉

2016年9月19日ブログ「南気仙沼復興地図」

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中納言神社鎮座祭

このブログでは、中納言菅原昭次(あきつぐ)卿の妻子発見にまつわる〈中納言伝説〉や、昭次卿を祭る〈中納言神社〉、そして妻子との再開に報謝して社殿を建立した〈羽黒神社〉など、3回にわたって紹介してきました。本日は4回目、〈中納言神社〉鎮座祭のニュースです。

9:5中納言神社鎮座祭
三陸新報9月5日記事の一部イメージ

8月21日のブログでもお伝えした中納言神社の再建が無事終了し、9月3日に竣工鎮座祭がおこなわれました。50人以上が出席するなか、羽黒神社に一時保管されていたご神体が新たな神社に鎮座されそうです。玉串がささげられるなどした後、氏子総代会の熊谷活男会長、菅原秀紘宮司がそれぞれ感謝の言葉を述べたということです。

菅原秀紘宮司は、北野神社が本務神社ですが、同神社サイトには兼務神社として羽黒神社と紫神社も奉務していることが記されています。これらに中納言神社も含まれるということなのでしょう。

中納言神社は、気仙沼高校などがある旧称「香久留ヶ原」(かくるがはら)で移転をくりかえした後、校舎東側の一角でコンクリート製の祠(ほこら)となっていたそうです。そして今回、羽黒神社の氏子や地域住民の皆さんのご努力によって、見事に再建されました。関係者の皆様に敬意を表するとともにお祝いを申し上げます。これからも1200年前にさかのぼる中納言伝説のシンボルのひとつとして、多くの人の崇敬を集める神社であり続けるようにと願っております。おめでとうございました。

8月21日ブログ「中納言神社の再建」
8月22日ブログ「中納言神社」遷座
8月28日ブログ「羽黒神社」の由緒

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tag : 気仙沼 中納言神社 菅原昭次 中納言伝説

「気仙沼という町」

気仙沼ニッティングさんのウェブサイトが、8月31日に新しくなりました。サイトのなかには、目指すこと/これまでの物語/商品ラインナップ/編み手さんたち/デザイナー三國万里子さん/といったテーマでのページが設けられています。本日紹介するのは、6つ目のテーマ〈気仙沼という町〉。

文章は、一ノ関から大船渡線で気仙沼に向かう様子からはじまります。代表の御手洗瑞子(みたらい たまこ)さんが書かれたものでしょう。気仙沼という町について、とても丁寧なやさしい筆致でつづられています。そして驚いたのが背景に流れる映像。まさに流れるように大船渡線の列車から見る風景が1分半ほど続くのです。そのワンシーンはこんな感じ。

大船渡線
気仙沼ニッティングのウェブサイトより

途中、右手下には新月渓谷がちらりと見えたりして。映像の最後、トンネルが見えてきます。列車がトンネルに突入し出口が見えてきて、視界が明るくひらかれると、そこは……。

私は、気仙沼ニッティングのイベントで頂戴したポストカードを2枚もっていて自宅にかざっています。どちらも気仙沼の風景写真で、ひとつは内湾、もうひとつがこの大船渡線からの風景です。ウェブサイトの映像も含め、御手洗さんの視点でとらえられた気仙沼の風景の新しい魅力といってよいでしょう。ありがとうございます。

百聞は一見にしかず、ぜひ皆様も気仙沼ニッティングの新しいサイトをご覧ください。そして是非、〈気仙沼という町〉においでください。

気仙沼ニッティング/気仙沼という町
気仙沼ニッティング/トップページ

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼ニッティング 御手洗瑞子

週刊現代の徳仙丈

8月31日の三陸新報に、気仙沼土木事務所が、気仙沼市の「徳仙丈のつつじを愛する会」(小野寺富夫会長)に感謝状を贈呈したという記事が掲載されていました。同会は2009年から徳仙丈山のツツジのシーズンに、臨時観光案内所を開設したり、周辺の清掃と除草作業を行っています。

これで思い出したのが、週刊現代5月27日号の巻頭カラー連載「絶景日本遺産」第406回目のこの記事でした。

徳仙丈
週刊現代5月27日号より

徳仙丈を紹介してくれているなと思いページの写真を撮っておいたものの、ツツジのシーズンもあっという間に終わり、紹介の機会がないままになっておりました。記事を引用します。

◎気仙沼で見る日本屈指のツツジ大群落

5月下旬、50万本のツツジが気仙沼の山を真っ赤に染める。気仙沼湾から10kmほど内陸にある、標高711mの徳仙丈山(とくせんじょうさん)はヤマツツジとレンゲツツジに覆われた全国有数のツツジの名所だ。

もともと自生地ではあったのだが、40年以上前、地元有志がツツジに絡まるツタを刈るなど手入れを始めたところ、みるみるうちに美しく成長。その後賛同者が増え、保護団体が組織されて活動が継続し、ついに東京ドーム10個分の山肌が花で埋め尽くされるまでになった。気仙沼側、本吉側、ふたつの登山道から山頂までは、いずれも片道約40分。山頂から見る、花景色の大パノラマは地道な努力の賜なのだ。(写真:横手英樹、構成:増田明代)引用は以上

この記事は、写真もとてもよいのですが、風景の素晴らしさだけでなく、地元有志の努力をきちんと紹介してくれているのがとてもうれしい。

週刊現代関係者の皆様、ありがとうございました。そして「徳仙丈のつつじを愛する会」の皆様、いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2013年6月5日ブログ「徳仙丈のツツジ」

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tag : 気仙沼 気中20 徳仙丈 ツツジ 徳仙丈のつつじを愛する会

「浮見堂」の再建

きょうから9月ですね。さて、8月31日の三陸新報に、気仙沼市の内湾のシンボルでもあった「浮見堂」の再建に関する記事が掲載されていました。

8:31浮見堂

三陸新報8月31日記事の一部イメージ

気仙沼市浪板(なみいた)出身で、現在は東京都在住の熊谷寿夫さん(86)が、浮見堂再建に役立てて欲しいと2千万円を市に寄付したという記事。熊谷さんは、木戸浦造船で船大工として働いた後、1969年に都内に建設会社「気仙沼建設」を設立し、住宅建築や不動産経営に携わってきたといいます。

なかなかできないことですね。本当にありがたいことだと思います。記事の写真右端にうつっているのは、熊谷さんの知人で、さんまつくだ煮で知られる〈ケイ〉の菅原義子さんです。菅原さんの浮見堂を描いた絵はがきを見て、〈思い出の場所の復興に自分も力になれれば〉と、菅原さんを通じて寄付を市に申し出たといいます。義子さんは、菅原市長の伯母さんですから、市に話を通ずるのも早かったのではないでしょうか。

この記事で知ったのですが、浮見堂の再建は、気仙沼市が2019年度復旧を目標に準備を始めているのですね。すでに基礎調査をおえており、本年度は魚町側に整備する遊歩道と合わせたに設計準備に入るそうです。概算事業費は1億9千万円を見込み、寄付金のほか、国の復興交付金などを充てます。魚浜町側の遊歩道は管理する県が整備します。

熊谷寿夫さんの故郷気仙沼のためにというお気持ちに敬意を表すとともに、小さなころに浮見堂で遊んでいた者の一人として、心からお礼をもうしあげます。ありがとうございました。

2012年8月23日ブログ「浮見堂いまはなく」
2015年1月6日ブログ「浮見堂いつできた」

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tag : 気仙沼 気中20 浮見堂 熊谷寿夫 気仙沼建設

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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