「私のしらす物語」

きのう4月18日の午後、気仙沼中3年8組(&気仙沼小1年8組)の同級生〈ぶっちゃん〉こと吉田恵子さんと電話で話しました(ぶっちゃんというのは、旧姓のイワブチに由来します)。LINE/ライン利用なので、料金を気にせずになんだかんだと。

話のなかで恵子さんが〈このまえ、(気仙沼の)近所の店でシラスを買ったときに小田君のブログを思い出した〉と言うのです。〈よく覚えているね〉と私。電話をおえて、ひさしぶりにその自分が書いたブログを読んでみました。2012年3月28日の「私のしらす物語」。もう5年も経つのかとちょっと驚きました。春の話題だし、私自身がとてもなつかしい思いがしたので以下に再掲します。

◎私のしらす物語

今日の東京は暖かく、いよいよ春の訪れを感じさせます。

気仙沼の春の味。そのひとつが〈しらす〉です。私たちが小さなころの魚町の朝。家の外から〈しらす、よござりすか~〉という声が聞こえてきます。これは、「しらすの用はございませんか」という意味ではないかと勝手に思っていますがどうでしょう。〈ござりす〉というのは、〈ございます〉という意味の丁寧な言い方。気仙沼の言葉には、あらっぽい言葉も多いのですが、こうしたきれいな響きを持った丁寧語も多いのです。

このしらす売り、気仙沼の鹿折地区浪板(なみいた)でとれたしらすを朝早く釜揚げしての行商です。声をかけるとしたら、なんて言ったんだろう。「しらす、けらい(ください)」か「しらす、もらうがら」あるいは「しらす、もらえっぺが(もらえますか)」か。なじみの家にはガラッと戸をあけての訪問販売かも。「おくさん、しらす、どうだべ」母「んで、もらうがな(それでは、もらいましょうか)」的な(笑)。

すると浪板のおばちゃんは、背負った荷から升(ます)でしらすを計ります。家のどんぶりかなにかに入れてもらったのでしょう。

私の記憶があいまいだったので、震災後は仙台で暮らす母に聞いてみました。
「値段は、結構したよ。でも、美味しいからね。うちで買っていたおばちゃんは、なにかゆで方に秘訣があるといって〈おらいのが、いぢばんうまいがら〉って自慢しながら、箸を使って一合升にフワッと空気をまぜるようにいれるんだよ。買うほうからすると、もう少し押し込んでもいいのになと思ったりして。そんなこともいまは懐かしいねえ(笑)」

〈浪板〉というのは、ホテル観洋とか気仙沼プラザホテルの対岸に見える地域です。その浪板のしらす売りの声もずいぶん前に聞かなくなったと母は言います。私も、2年ぐらい前になるでしょうか、実家から送ってもらっていた三陸新報で、浪板地区小々汐(こごしお)でしらす漁を続けていた最後の一軒が漁をやめたという記事を読みました。そこには、浪板地区で釜揚げしたしらすを朝に売りに出たのはたしか50~60年ぐらい前のことと書かれており、そんなに古い話ではないのだと驚いた記憶があります。

25日の「さんま寄席」の打ち上げは、2カ所で行われました。市民会館では八幡太鼓、アーバンでは浪板の虎舞が披露されたとのこと。その浪板は、気仙沼の春の〈しらす漁〉でも知られる地域だったのです。

浪板のしらすの思い出をなんやかやと話す母。最後は〈私のしらす物語はこれでおしまい〉といって笑いました。

春が近づいています。(再掲内容は以上)

〈シラスは気仙沼にかぎる〉などと言うつもりはありません。しかし、私の脳裏によみがえるシラスの味にまさるものはないでしょう。ぶっちゃん、いろいろとありがとう。
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 しらす 鹿折 浪板 小々汐

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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