再出港の「霧笛」

4月13日(木)に菊田裕美君(3年1組)からメールが届きました。〈今日の三陸新報の投稿「霧笛121号の船出」の西城健一君は、気仙沼高校の同級生です。私は、「霧笛」の創刊号を熊谷康雄君から送ってもらい読んだ記憶があります。気仙沼の文化を同級生が継承していることに感心しました〉。その投稿記事はこれです。

4:13霧笛投稿

三陸新報4月13日記事の一部イメージ

西城健一君の名を聞いて、すぐには顔を思い出せず、気高の卒業アルバムを開きました。3年2組に西城君はいました。投稿は、詩誌「霧笛」についてです。西城君は創刊者のひとりで、現在は「霧笛の会」代表をつとめています。投稿文の冒頭に、この詩誌に関する経緯が記されていましたので引用します。

〈詩誌「霧笛」は、1984年(昭和59年)の創刊号から、通算で121号の発行を迎えました。2005年(平成17年)、80号をもっていったん解散、次を第2期創刊号とし、会の名も新・霧笛の会としていましたが、昨年末第40号を発行したところで、再び区切りとしようということになりました。〉

文中にもうひとりの創刊者、小野寺仁三郎さんのお名前がありました。病気でお亡くなりになったと。そして、刺激を受けた方として故 西田耕三さんのお名前も。

投稿文のタイトルは〈霧笛121号の船出〉。会の名を〈霧笛の会〉に戻しての再出発です。第3期のはじまりといってもよいのかもしれません。121号は同人全員の明日に向かっての船出になると書いたあと、西城君は〈元同人の故熊谷康雄さん、故村上誠治さん、「霧笛」の歴史の中に2人の人生の詩が輝いています〉と続けています。

文中に2015年8月に亡くなった気仙沼中学同級生の熊谷康雄君(3年5組)の名があったことをうれしく思いました。康雄君については、一昨年のブログに記しました。

ちょっとしめっぽくなってしまったかな。最後に、西城君の投稿文のなかに私がしみじみとしたものを感じた一節がありましたので引用します。

〈 詩を一編書くことによって自分自身の何かの区切りにしたいと思うことがあります。寂しさ、悲しみ、孤独の中にいる時、このままでは駄目だと思いながらただ引きずって生きている時、そんな時、詩を書き、孤独の思いを書き綴ります。

書き終えて、本になり世に出ていくことで乗り越えたような気になります。また前を向いて生きて行けるのです。詩が人生の励みになり、羅針盤になり、いつしか体の一部にもなりました。〉

私は〈詩とはなにか〉ということになんの関心もありませんが、この一節を読んで西城健一君にとっての詩の意味や意義がとてもよくわかりました。そして、そこにたしかな詩を感じたのです。郵便配達をしていた熊谷康雄君のありし日の姿も重なりました。

「霧笛」121号の新しき船出を、菊田裕美君そして故熊谷康雄君とともに祝いたく、この一文といたしました。

2015年8月17日ブログ「熊谷康雄君の訃報」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 霧笛 西城健一 熊谷康雄

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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