柏崎市での一周忌
4月8日は母の故郷である新潟県柏崎市へ。叔母の一周忌でした。お寺での法要の後やお斎(おとき)でご住職といろいろとお話することができました。気仙沼で地震といえば、東日本大震災のことになるのでしょうが、柏崎では2007年(平成19年)7月16日の新潟県中越沖地震のこととなります。柏崎市でも震度6強だったといます。多くの寺院が被害を受け、単独での復興をあきらめたところもあるとのこと。本堂など建物が古かったり屋根が重いなどという事情もあるのでしょう。復興のための支援や補助を受けるにしても、一般企業の事業所などとは違う様々な困難があったようです。
話のなかで、気仙沼の葬式では火葬を葬儀の前におこなうと語ったところ、ご住職の奥様の故郷である秋田県能代市でもそうですとのこと。地域によっていろいろだと。父が亡くなったとき、柏崎からも叔母や叔父が最後のお別れにとわざわざ気仙沼に来てくれたのですが、すでにお骨になっているのを知って驚いていたことを思い出します。その叔母も昨年亡くなったわけですが、92歳の叔父夫婦が柏崎で元気に暮らしているのはなによりのことです。
柏崎に一泊し、帰りは兄の車に乗って仙台へ。94歳でさすがに足腰が弱くなり妹の一周忌には参加できなかった母に、息子(私)の元気な顔を見せにいきました。昨年秋、秋保温泉に私たち兄弟家族など一族郎党が集まってから半年ぶりの再会を喜んでくれました。
そして帰京。仙台から東京へは2時間もかかりません。きのう仙台に向かう車のなかで兄が、小学生だったころは気仙沼から柏崎までは12時間もかかったと懐かしく話していました。一ノ関で東北本線に、郡山で磐越西線、新津で信越本線。乗換時間もあるしねえ。
柏崎から仙台に向かう高速道路のパーキングエリアでは、土産に笹団子を購入。私が小学生のころ、季節になると柏崎の祖母がたくさんの笹団子とチマキを送ってくれたことを思い出しました。祖母にとって、娘や孫が暮らす気仙沼はどんなにか遠い場所だったことでしょう。
新潟県柏崎と気仙沼の柏崎(かしざき)さらには紫神社との関係についてはつぎのブログに記しております。
2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」
話のなかで、気仙沼の葬式では火葬を葬儀の前におこなうと語ったところ、ご住職の奥様の故郷である秋田県能代市でもそうですとのこと。地域によっていろいろだと。父が亡くなったとき、柏崎からも叔母や叔父が最後のお別れにとわざわざ気仙沼に来てくれたのですが、すでにお骨になっているのを知って驚いていたことを思い出します。その叔母も昨年亡くなったわけですが、92歳の叔父夫婦が柏崎で元気に暮らしているのはなによりのことです。
柏崎に一泊し、帰りは兄の車に乗って仙台へ。94歳でさすがに足腰が弱くなり妹の一周忌には参加できなかった母に、息子(私)の元気な顔を見せにいきました。昨年秋、秋保温泉に私たち兄弟家族など一族郎党が集まってから半年ぶりの再会を喜んでくれました。
そして帰京。仙台から東京へは2時間もかかりません。きのう仙台に向かう車のなかで兄が、小学生だったころは気仙沼から柏崎までは12時間もかかったと懐かしく話していました。一ノ関で東北本線に、郡山で磐越西線、新津で信越本線。乗換時間もあるしねえ。
柏崎から仙台に向かう高速道路のパーキングエリアでは、土産に笹団子を購入。私が小学生のころ、季節になると柏崎の祖母がたくさんの笹団子とチマキを送ってくれたことを思い出しました。祖母にとって、娘や孫が暮らす気仙沼はどんなにか遠い場所だったことでしょう。
新潟県柏崎と気仙沼の柏崎(かしざき)さらには紫神社との関係についてはつぎのブログに記しております。
2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア