新年会写真6年分

本日も〈けせもい会〉新年会の話。昨日は、1月28日当日の写真のみ掲載しましたが、今日は2012年以降の各回写真を紹介します。2011年は、2月5日に新橋〈松竹梅〉で新年会を開催し、2月12日には気仙沼で〈還暦祝い同年会〉を行っています。その1カ月後に大震災となりました。

まずは2012年。会が始まる前にビル入口で私が撮りました。


2013年。左側奥に熊長/武敏君(気中3年4組)がうつってますね。
2013.jpg

2014年。右手前で両手をあげているのは中井君(同8組)。
2014.jpg

2015年。右側の赤いセータ姿は村上教行君(唐桑中)
2015.jpg

2016年。中央で恒四郎君(6組)を支えているのは岩渕君(5組)。
2016.jpg

2017年。きのう紹介した写真をふたたび。
2017けせもい会

各写真とも画像クリックで拡大します。2012年からの経年変化、いかがだったでしょう。あまり変わっていないようにも思うし、渋さが増しているようにも(笑)。こうして写真を見ていると、5年経つのがあっという間のことに感じられるのです。それが良いことなのか、そうでもないのか。それはよくわかりません。


各回のブログ記事は下記に。
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
スポンサーサイト

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 けせもい会

けせもい会新年会

1月28日(土)〈けせもい会〉の新年会。24名が銀座の千葉憲二君の店〈まかない 㐂いち〉に参集しました。〈けせもい会〉は、気仙沼周辺地区出身者の在京同年会。今回参加者の出身中学でいえば、気仙沼中、唐桑中、大島中、津谷中、階上中などです。

午後4時半に開始。会長の鈴木徳一君(気中3年3組)や千葉憲二君(同4組)の挨拶のあと乾杯。幹事役としていつも諸事万端をつとめてくれている菊田裕美君(1組)からは、今回の欠席連絡メールには体調を崩している人も見受けられるので、健康にはくれぐれも注意するようにとの指導も(笑)。64〜65歳という年齢や時節がらということでしょうか。あとは、歓談というか雑談を楽しくワイワイと最後まで。会のおわりに撮った記念写真はこんな感じです。

2017けせもい会

翌日、憲二君がみんなに送ってくれたメールを紹介しましょう。参加者の気持ちを代弁してくれているように思います。上の写真でいうと右側の一番手前のわたくし小田に手をかけているのが憲二君。その後は恒四郎君です。

〈昨日はお疲れさまでした。久しぶりに仲間たちと会い、一瞬の間でも無邪気になって昔に戻れる瞬間がなんて心地よいんだろう。その余韻が家に帰ってきてからも残っています。それが僕の大きな財産のひとつであることを確認できたひと時でした。来年もまたお待ちしております。ありがとうございました。これからも気仙沼魂で頑張ります。気仙沼生まれで幸せです!!〉

裕美君によれば、〈けせもい会〉は1994年12月に日暮里で行われた発起人会から始まるそうです。憲二君は、有志の集まりとしては1992年に始まり、この年は自分がラーメン店〈ちばき屋〉を開店した年なのでよく覚えているとのこと。みんなの応援が心強かったといいます。いずれにしても20数年間も続いているのですね。

震災後、2012年からの新年会写真を紹介しようと思ったのですが、ちょっと長くなりましたので、明日にでも。

新年会では、とても楽しい時を過ごすことができました。お世話役の方々、それから〈㐂いち〉の皆様にお礼を申し上げます。みなさん、ありがとうございました。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 けせもい会 まかない㐂いち

大島架橋手順紹介

気仙沼の本土と大島を結ぶ大島架橋の架設日が3月26日と決定しました。1月24日の三陸新報が伝えています。

1月24日架橋
三陸新報1月24日記事の一部イメージ

朝日埠頭(ふとう)/商港岸壁で行われていた本体アーチ部の組み立ては既に終了しており、残る作業も来月中に完了する見込み。2月26日、3月4・12・19・26日の計5日間で架橋工事が行われ、最終日3月26日に念願の大島架橋が実現します。

アーチ部の運搬などがどのように行われるのか、宮城県土木事務所が発行している「大島かけはし」第38号(昨年8月1日発行)掲載の図で紹介します。(両図ともクリックで拡大)

まずは朝日埠頭で組み立ての完了した中央径間(本体アーチ部)を3000トン級の大型クレーン船で吊り上げて運び出します(浜出し)。そして大島方向に少し進み、進行方向の右に舵をきった後に後進して架設地点である大島瀬戸に到着します。

浜出し

つぎは、本土側と大島側にすでにできあがっている橋台・橋脚に、中央径間を架設します。その後、配管工事などをして完成です。

完成

三陸新報によれば、3月25日の午後11時から26日午前4時30分まで朝日埠頭で吊り上げ作業、そして午前5時30分まで1時間かけて架設地点に曳航(えいこう)、午後4時までに現地での架設を終える予定。

県は、3月26日に市民向けの架設見学会を予定しています。道路なども含めた完成は2018年度内のこととなりますが、〈悲願の橋〉ともいわれた大島架橋がいよいよ姿をあらわすことになります。

なお、この大島架橋の正式名称は「気仙沼大島架橋」。そして愛称は「鶴亀大橋」です。大島に伝わる龍宮伝説にちなんだもので、2014年のブログにも書きました。こちらもご覧いただければと。

2014年11月21日ブログ「気仙沼の龍宮伝説」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 大島架橋

昭和30年の森廣

本日も気仙沼の銭湯の話。以前このブログで、南町にあった銭湯「森広」のことに触れました。気仙沼の地域情報誌「浜らいん」に掲載されたこの写真についてです。

大堀銀座
「浜らいん」2014年初冬号(11・12月)より(クリックで拡大)

2014年12月5日ブログ「大堀銀座 in 1955」

詳しくは以前のブログを読んでいただくことにしますが、写真中央の建物が和泉自転車屋、その右が森廣(森広)湯です。写真説明には昭和20年代の大堀銀座の風景とありましたが、映画看板や横断幕から昭和30年(1955年)であると判断しました。森廣湯の部分を拡大してみましょう。看板の文字は右から左に書かれているので「湯廣森」となっています。

森廣湯


私の小さな頃に利用した森広が、この建物のままなのか少し変わっているのかはわかりません。この向かいには龍崎果物店がありましたね。店先にはいつもバナナがつるされていました。その龍崎が実家だった経子さん(5組)は詳しく知っているでしょうね。今度の土曜日28日に銀座〈㐂いち〉でおこなわれる同年会〈けせもい会〉に彼女が来ていれば聞いてみましょう。

写真にうつる、サクランボ型の照明灯が印象的です。これが風景の年代判断にも役立つのです。和泉自転車屋の前のノボリには〈ノーリツ号〉という当時の自転車や、〈マツダランプ〉〈トウトランプ〉といった電球の商標名も見てとれます。

私たち気中20回生が3歳とか4歳だったころの南町/大堀銀座風景。単なる〈レトロ〉といった言葉を越えた〈リアル〉な時の流れを感じます。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 森広 亀の湯

「銭湯の想い出」

きのうのブログ「『亀の湯』閉店へ」に、〈31回生3年11組20番〉さんからコメントの投稿をいただきました。気中31回生でしょうから、現在は53〜54歳の方です。気仙沼にあった〈千代の湯〉〈森広〉〈気仙沼湯〉といった銭湯の想い出が記してあり、大変おもしろい。気付かないと見落とししてしまう方も多いと思い、以下に再掲します。

◎銭湯の想い出

こんにちは。亀の湯、そうなんですか。お湯がチョロチョロとしか出なくて(笑)。魚町に引っ越した時には、家風呂もできたんですが、倉庫も兼ねた使用だったので、時々利用してました。進学後~就職してからも帰省時には何度か使ったんで、回数はともかく利用期間としては一番長かったと言うことになりますね。弟はヘビーユーザーだったはず。

気仙沼での銭湯利用遍歴は、八日町に住んでいた家風呂がなかった頃の千代の湯(南町のカトリックに上がる坂の角)に始まって、森広〜気仙沼湯(小田さんの書かれてる海岸郵便局の所と思います)〜そして亀の湯です。スポット的に新町の薬湯とか友の湯とか。

それぞれに想い出があって、 千代の湯はやたら熱くてシャワーが無かったのであんまり好きじゃ無かったです(笑)。行儀作法にうるさいおんちゃんが居て、お湯をうめると怒られたり、湯槽の底の方に熱いお湯が出る所があって、うっかり近付いて火傷したりしたなあ。記憶がないころからで言えば一番通った銭湯なんだと思います。

一人でも行くような年齢になって森広にも足を運ぶようになった頃に閉店したんですよね。小2か小3くらいですかね。森広は入り口の角にマツヤという駄菓子屋があって、そこにもよく通ったなあ。プラモデルが流行ってて、戦艦大和を作って湯舟に浮かべたり、この頃からは親と行くより、友達と行くことの方が多かったですね。ちっちゃい子供のやつだと思いますが、○んこが浮かんでた事もありました(笑)。

あの一角が、プラージって建物になることが決まって廃業してからは気仙沼湯。気仙沼湯は仲間うちでは、通称けぶろと呼んでました。機械の上の楕円形のガラスの器のなかにジュースが舞う自販機があって、紙コップをあてがって飲むやつ。今思うと、小学校の3年辺りから6年生辺りまでは、遊びの一つとして、銭湯さいぐべしっていう選択肢があったような気がします。

で、銭湯と言えば、映画のポスター! 旭とか、南映とかでかかるやつ。番台のおんちゃんやおばちゃんに、終わったらけらいね!って、いち早く予約しといてゴジラとかのをよくせしめてました。南映のは興味は満々ですが、持って帰れんポスターが多かったんで、もっぱら文信堂や白萩辺りでその類いの載った雑誌を立ち読みしてました。ジャンルは詮索はしないで下さい!(笑)

昨春、実家の引越に伴い整理に帰った際、残ってたなかに栄光のル・マンやエクソシスト、燃えよドラゴンなどに混じって、エマニエル夫人があったのには笑いました。裏に、○○くんと書かれてあったのは兄のなんですけどね。

今でも銭湯は好きで、近くの2軒を偏りがないように通ってますが、どちらかと言えば人気が劣る方に通ってます。廃業されても困りますしね……。実家が商売をしてて、前回はこっちで買ったんで今回はこっちのお客さんの所から、みたいな感覚を植え付けられてるのも、その要因のひとつです。 (投稿引用は以上)

銭湯の想い出だけでなく、ジュースの自動販売機(あれはたしか現在のホシザキの初期製品ですね)や、〈南映〉〈文信堂〉〈白萩〉などの名もなつかしい思いがいたしました。ひとつわからなかったのが、〈プラージ〉という建物の名です。丸光デパートが〈ビブレ〉になって、その後は〈イコーレ〉にという流れは知っているのですが。

31回生さん、いつもありがとうございます。多くの同級生たちにとってもなつかしい話だろうと思い、あらためての紹介とさせていただきました。これからもよろしくお願いいたします。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 亀の湯

「亀の湯」閉店へ

1月20日の三陸新報に気仙沼の銭湯〈亀の湯〉が3月に閉店するとの記事。

1:20亀の湯2
三陸新報1月20日記事の一部イメージ

三陸新報サイトでもニュースを紹介していたので、その記事から一部を引用します。

「 気仙沼市魚町で、地域住民や漁船員などに親しまれてきた銭湯が3月末に閉店。131年の歴史に幕を下ろす。土地区画整理事業内(小田註:事業対象地区内ということですかね)にあって、新たな建設費用などを考えると、営業を続けていくのは難しく、店じまいを決めた。利用者からは惜しむ声が上がる。
 亀の湯(齊藤克之代表)は、1886年創業の老舗銭湯。戦後、多くの飲食店が連なった太田はじめ、魚町、陣山地区や、漁業基地である気仙沼港に水揚げした漁船の乗組員らが疲れを癒やし、肌が触れ合う社交場としてにぎわった。」(引用は以上)

創業した1886年は明治19年です。その頃の銭湯というのはどんな感じだったのか。また、亀の湯付近を入口として多くの店が連なっていた太田料飲街の明治時代の風景などにも興味がわくところです。

亀の湯には小学校あたりのときに1〜2度使ったことがあるぐらいです。少年野球大会の後にみんなで入ったとか、そんな感じ。むしろ小さなころの銭湯の記憶は〈森広〉(もりひろ)。南町の〈イコーレ〉があった場所にありました。近くにはしだれ柳の木。そのほか、南町の(煎餅坂に移る前の)海岸郵便局があったあたりにも銭湯がありましたね。

震災後の〈亀の湯〉の復活はテレビや新聞でもずいぶん紹介されました。多くのご支援もありました。そしてその歴史にも幕。魚町の土地区画整理事業がいよいよ本格化ということなのでしょうか。自分が生まれ育った魚町がどんどん変わっていきます。東京で暮らす者の郷愁とは知りつつも、新聞の記事や広告のなかに〈閉店〉という文字を見るとちょっとさびしくなるのです。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 亀の湯

気中20プラス賞

1月19日付けの三陸新報をめくっていたら(デジタル版なのですが頁送りの矢印を押すと、めくる音がするのです)、きれいな色が目に入ってきました。拡大してみると海上保安庁図画コンクールの受賞作品でした。

11:19絵画展
三陸新報1月19日記事より

上下の文字や枠線がちょっとうるさいので、これを削除して大きくしてみましょう。この絵の良さがはっきりとわかります。

記事なし絵画

この図画コンクールは、海上保安庁が主催するもので今年は17回目。全国の小中学生から3万3298点もの応募があったそうです。上の大島中学校1年生の高橋理央(りお)さんの作品は、海上保安協会気仙沼支部長賞を受賞しました。

このシンプルな絵には、なにか現代的なイメージを感じます。3色のハーフトーンで構成されていますが、筆のタッチが残っているために抽象的になりすぎていないところもいい。画用紙のサイズは四つ切(380mm×540mm)とのことなので、色を塗るのも結構たいへんだったと思います。

募集要項を見てみると、作品テーマは〈未来に残そう青い海〉で、つぎの5つのいずかを選んで絵を描いて下さいとのこと。①汚れた海を前にして困っている人々の様子②海を綺麗にしている人々の様子③綺麗な海で楽しく遊び、働いている人々の様子④海で元気に暮らす生き物の様子⑤綺麗な海を航行する船の様子。

理央さんの絵は、この5つの題材のどれにも直接的には該当しないのではないか。あえていえば、③綺麗な海で楽しく遊び、働いている人々の様子が、大島の海のように澄んだ心をもった人には見えることでしょう(笑)。しかし、〈未来に残そう青い海〉という大テーマをきちんと表現しており、この作品に賞を与えたことも素晴らしい。また、作者本人だけでなく、応募を勧めた指導の先生もなかなかのものと。

理央さん、受賞おめでとうございました。東京でこの絵に感心した人がいたということを知って欲しくブログの記事といたしました。私からの〈気中20プラス賞〉として。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 大島中学 高橋理央 海上保安庁図画コンクール

それぞれの年の瀬

昨年のことになりますが、「週刊新潮」12月29日・1月5日新年特大号の巻頭グラビアページに、気仙沼〈すがとよ酒店〉新店舗の開店が紹介されていました。

新潮すがとよ
「週刊新潮」12月29日・1月5日新年特大号より

記事の冒頭部分を引用します。

「 あの日から5年9カ月あまり。時間だけは誰にも平等というが、“復興”への歩みは、被災3県、一様ではない。

気仙沼市鹿折(ししおり)地区では、津波で街がほぼ壊滅した。創業97年の老舗『すがとよ酒店』を営んでいた菅原文子さん(67)は、店舗と一緒に切り盛りしていた夫の豊和さん、義父母の豊太郎さん、のり子さんを目の前で失った。約1カ月半後にコンテナハウスで営業を再開。文子さんが酒瓶に貼った手書きの『まけねぇぞ気仙沼』のラベルが評判を呼んだ。まだ行方不明だった夫への思いを綴った手紙が、その年の恋文大賞に選ばれ話題に。仮設店舗を移転しながら営業していたが、元の店のすぐそばにある豊和さんの遺体が見つかった場所で、2016年12月17日、新店舗の開店にこぎ着けた。」(引用は以上)

右上の写真キャプションには〈長男一家(左〉、次男一家、三男(右端)に囲まれた文子さん〉、左上の小さな写真には〈震災直後、長男次男で看板を守った〉と記してありました。

記事は、文子さんの言葉をつぎのように紹介しています。

「震災後は極限状態で、どうしたらいいかわかんなかったんです。でもどん底だと思っても命があればなんとかなる。悲しみの中で出会った人たちがたくさんの力をくれました」

すがとよ酒店の話を書いた昨年12月のブログでは「店舗名〈すがとよ〉は、菅原豊和さんの名からとったものだと思います」と書いたのですが、週刊新潮の記事に義父の名が「(菅原)豊太郎さん」とありました。店名は豊和さんのお父様の名にちなんでいるようです。

週刊新潮の宮城県気仙沼市に関する記事は、すがとよ酒店の歴史と被災を短くまとめながら〈よかったね〉とのメッセージを伝えてくれました。一方で、岩手県大槌町については身元のわからない遺骨の話、福島県浪江町に関しては福島県警による行方不明者の捜索についてでした。見出しは〈被災3県それぞれ6度目の年の瀬〉。まさにそれぞれの年の瀬、そして新しい年ということでしょう。

2016年12月26日ブログ「すがとよ本設開店」
2011年11月11日ブログ「文子さんの手紙」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 すがとよ酒店 鹿折

MINATO/湊とは

きのう1月18日のブログで、2月5日開催の気仙沼を元気にする会を紹介しました。本日は、第1部の講演会の講師のひとり小林峻さんが所属する〈気仙沼市 移住・定住支援センター〉をご紹介します。まずは昨年2016年9月29日の三陸新報の記事から。

minato.jpg
三陸新報2016年9月29日記事の一部イメージ

〈海の市〉2階に〈移住・定住支援センター〉が10月1日に開設されるとの記事。その内容を少し引用します。

「同センターは、「海の市」内のテナントの空きスペースを活用。市内の移住者らで組織する一般社団法人「まるオフィス」が市の委託を受けて運営にあたる。市によると、移住・定住を目的とした拠点施設の運営を民間に委託する自治体は、県内では大崎市に次いで2例目だという。(中略)メーン業務の空き家情報の提供では、窓口や専用のウェブサイトを通して、市の登録制度「空き家バンク」の利用促進を図る。」(引用は以上)

気仙沼市 移住・定住支援センターの愛称は〈MINATO〉(湊/みなと)です。専用サイトはこんな感じ。


 minatoサイト
「気仙沼市 移住・定住支援センターMINATO」公式サイト一部イメージ

画像をクリックするとサイトにジャンプします。サイトの中には、運営メンバーの紹介もありました。センター長は、まるオフィス代表の加藤拓馬さんです。加藤さんは、2014年6月の第6回「気仙沼を元気にする会」で、気仙沼に移り住んだ若者のひとり〈兵庫県出身・からくわ丸 事務局長〉として登壇しています。

ひとつ気になったことがあるので記しておきます。サイトのコピーに、〈『湊』には水があつまるところ、という意味があります〉とあるのですが、ちょっと違うんじゃないかなあ。水があつまるところといえば、湖沼や池、そして河川あたりではないのか。

手元の漢和辞典を調べてみると、〈湊〉には大きくふたつの意味があるようです。ひとつは〈みなと、みなとまち〉、もうひとつは〈あつまる。あつめる〉です。『広辞苑』(第4版)では、〈港/湊〉は〈「水の門」の意〉であるとして、〈河海などの水の出入り口〉と、〈港や河口を利用し、また防波堤を築いて、船が安全に碇泊(ていはく)できるようにしたところ〉というふたつを記しています。念のためと思い『字統』(白川静著)の〈湊〉の記述をみると、「説文解字」の字義〈水上の人の會まる(あつまる)所なり〉を紹介していました。「説文解字」は西暦100年代の最古の漢字字典で、現在の漢字字典の原点ともいえるもの。

こうしてみると、やはり〈水があつまるところ〉というのは無理があるのでは。あえていえば、〈人があつまるところ〉あるいは〈人があつまる港〉か。〈『湊』には人があつまるみなと、という意味があります〉みたいな。

ごめんなさいね。決して細かなことにケチをつけようというんじゃないんです。ちょっと気になって調べたら、私の知らないことがあり面白く、皆さまにもおすそわけと思ったのです。

それにしても、久しぶりに取り出した広辞苑の字はとても小さかった。そして重かった。視力と体力がないとちょっと無理かも(笑)。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼市 移住・定住支援センター

2/5 元気にする会

本日は東京での気仙沼関連催事のご紹介。2月5日に、第9回〈気仙沼を元気にする会〉が開催されます。

元気にする会
「気仙沼を元気にする会」サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)


第9回 気仙沼を元気にする会
日 時:2月5日(日)10:00〜(開場 AM9:30)
会 場:関東ITソフトウェア健保会館
TEL 03-5925-5333 東京都新宿区百人町2-27-6

テーマは〈気仙沼を想う。まだまだみんなで応援するよ!〉。第1部は講演会で、菅原茂気仙沼市長と小林峻(しゅん)さんのお話。小林さんは、気仙沼市移住・定住支援センター「MINATO」の〈ターン・コーディネーター〉。震災後のボランティア活動や支援活動がきっかけで、自らも気仙沼に移住して活動を続けています。そして第2部は懇親会。

◎第1部 講演会
時間:10:00〜11:50(開場9:30)
会場:健保会館内/会議室A+B室
講演:
 菅原 茂(気仙沼市長)
 小林 峻(気仙沼市移住・定住支援センター)
会費:一般/1000円 学生/無料

◎第2部 懇親会
時間:12:10〜14:00(開場12:00)
会場:上記健保会館内/中華「桜華楼」
TEL : 03-5925-5333
会費:一般:3000円 学生:1000円
(ランチ・飲み物込み)

会場の「関東ITソフトウェア健保会館」は、JR総武線「大久保駅」北口改札より徒歩0分、JR山手線「新大久保駅」徒歩4分です。参加申込みは、下記の「気仙沼を元気にする会」サイトの申込みフォームをご利用ください。フォームからお申込が出来ない場合は、メールにつぎの内容を記載してお申込ください。・お名前・ふりがな・性別・一般/学生・両方参加/第一部のみ参加/第二部のみ参加

「気仙沼を元気にする会」サイト
メール:genki@ksn-b.com

皆様の参加をお待ちしております。また、会場でお会いしましょう。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼を元気にする会

小中学校統合問題

きょう1月17日で、阪神・淡路大震災から22年がたちました。あの日の自分がどこにいて何をしていたのかを思い出し、あれからもう22年の月日が流れたのかという思いをいだいた方も多いことでしょう。

さて本題。1月1日の三陸新報の特集版には興味深い記事がたくさんありました。そのひとつが、気仙沼市内小中学校の統合計画についてです。本日はその話。

今春には、馬籠(まごめ)小が津谷小に、小泉中が津谷中に、それぞれ統合します。しかし、2018年度をめどに計画されている水梨小(→松岩小)、月立小(→新城小)の統合は、市教育委員会と保護者・地域住民の議論が平行線のまま現在にいたっています。その難しい議論の経過については、私も知っておりましたが、記事に示されていたつぎの児童数推移の予測を見て、あらためて驚きました。

生徒数推移
三陸新報1月1日記事より(クリックで拡大)

水梨小と月立小の( )内数字、つまり各年の新入学児童数が一ケタとなっています。あまりにも少ない。つぎのステップで鹿折中への統合が計画されている大島小にしても、10人ほどで推移しています。

各地区の方々の気持ちもよくわかるのですよ。ただ、子供たちの将来のことを考えると、一定の児童数によるクラスを構成しての教育を受けさせるべきではないのか。私としては、統合に向けて、新たに生ずる問題の解消を相談するような議論にならないものかと思っています。

この記事には、市教育委員会による小中学校統合の計画表が示されていました。太字は統合または決定済み、それ以外は未確定です。まずはご覧ください。

統合計画
三陸新報1月1日記事より

21年度をめどにしての統合計画では、大島小中の鹿折小中への統合が計画されています。それと、条南中学は気仙沼中学に統合と。これはなかなか大変な課題ですね。大島地区や条南中学区の方々からの反対、反発が容易に想像されます。

ちょっと話がややこしくなってきましたね。本日はこれにて。

2016年7月7日ブログ「小中学校統合計画」
2016年7月6日ブログ「小中学校の統廃合」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 小中学校統合計画

シャークスの受賞

気仙沼のサメ皮を使ったオリジナル商品を企画・販売している〈シャークス〉が「新しい東北」復興ビジネスコンテストで、仙台銀行地方復興創生応援賞を受賞しました。このコンテストは、復興庁が設立した「新しい東北」官民連携推進協議会が、被災地における地域産業の復興や地域振興に資する事業の活性化を目的に開催するもの。今回が3回目となります。

ビジネスコンテスト
復興ビジネスコンテスト公式サイトより(クリックでサイトにジャンプ)

今回は、239件の応募のなかから大賞1件、優秀賞3件、協賛企業が選定する賞11件が受賞。シャークスに対する賞は協賛企業のひとつ仙台銀行さんによるものです。コンテスト結果は昨年11月11日に発表され、12月16日に郡山市で表彰式が開催されました。

受賞式2
シャークス熊谷牧子さん(右)と仙台銀行 佐藤彰常務取締役(上記サイトより)

なお、大賞は株式会社 JDSoundの「被災地石巻でMade In Japan のオーディオ製品を作ります」。スピーカー付き小型DJ機器「GODJ Plus」を製造・販売する事業です。

(株)シャークスの代表は熊谷牧子さん。私たちの同級生である渡辺まさ子さん(3年5組)の妹さんです。私は昨年2月に目黒パーシモンホールでの気仙沼物産展でお目にかかったこともあり、今回の受賞を大変うれしく思いました。

シャークスについては、昨年のブログでも紹介しました。我が家では、長財布、名刺入れ、キーホルダーを愛用していますが、とてもいい。なお、南町紫市場にあった店舗は、昨年9月に福幸小町田中通り105(気仙沼市田中前4-2-1 電話0226-24-5760 )に移転しています。どうぞよろしく。

シャークス/ネットショップ

2016年7月26日ブログ「気仙沼「SHARKS」」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 シャークス 復興ビジネスコンテスト

南小歩道橋の復活

昨年12月27日の三陸新報にこんな記事。

学童橋
三陸新報2016年12月27日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


気仙沼の内ノ脇地区と南郷地区を結ぶ〈南小歩道橋〉が復旧されました。旧・南気仙沼小学校(南小/なんしょう)の多くの児童が利用したことから〈学童橋〉と呼ばれていたそうです。1967年に開校した南小は2012年3月で気仙沼小学校と統合して閉校、45年の歴史の幕を閉じました。復活した歩道橋は今後、内ノ脇と本郷のふたつの災害公営住宅を結ぶ橋となります。

新年1月8日の三陸新報〈論説〉でも、この歩道橋のことをとりあげていました。

学童橋論説
三陸新報1月8日論説の一部イメージ(クリックで拡大)


南郷地区や南小の歴史などにもふれながらつづられたこの論説は、なにか心にしみるような感じがいたしました。筆者はこの橋を利用するなど内ノ脇や本郷地区をよく知る方なのでしょう。以下に引用します。

「 (前略)正式名称は「南小歩道橋」。1967年(昭和42年)に開校した南小が建つ南郷は当時、一帯が水田だった。公立病院(現市立病院)が河原田から田中に移転して3年ほど。本郷や田中前も同様で、住宅はまだまだ少なかった。

 南小に通学していた児童の多くは、大川を挟んだ内ノ脇、幸町、仲町など、開校前は気仙沼小学校区の子供たち。南小歩道橋は、子供たちの通学には無くてはならない橋だったのである。

 初代は木造の橋だ。子供たちの姿は当時、休みの日でも絶えなかった。カマキリやザリガニ、フナなどを捕りに行ったり来たり。橋の上ではハゼなどを狙って釣り糸を垂らす子供のほか、大人の姿もあった。

 高度経済成長とともに、南小周辺をはじめ田中前は住宅や商店、事業所が建ち始めた。通学のほか、買い物や通院など、大人にとっても日常生活で欠かせないものになっていく。

 開校から8年後の75年(昭和50年)、コンクリート製の橋に架け替えられた。津波で流出した旧歩道橋である。子供たちの安全確保のため、両側の金網が高く張られるようになっても、子供たちの元気な声は変わらなかった。春ともなれば、大川左岸の桜並木に花見客が繰り出し、にぎやかな時間は夜まで続いた。」(引用中断)

ここまでは〈学童橋〉ができてから震災までの歴史。その後はつぎのように続きます。

「 旧橋の流失する光景は、南小に避難した多くの市民が目にしたことだろう。家屋などの建物や自動車を巻き込み、大川をさかのぼってきた津波は、橋をものみ込んだ。橋は激流にあらがうこともできず、いとも簡単にのみ込まれた。

 あれから6年近くたっての復活。しかし、たもとにあった南小は、気仙沼小に統合されてなくなった。代わって両岸には災害公営住宅が建った。復興事業が進む内ノ脇には、運動施設の整備が予定され、気仙沼大橋も架け替えられる。

 街並みは表情を変えていく。新設された「学童橋」は「南小」という名前は残ったものの、その役割は街並みと同じく変わらざるを得ない。新たな市立病院が赤岩杉ノ沢に完成すれば、住民の往来は増すだろう。前の橋と同様、地域に愛される橋となることを願う。 」(引用は以上)

〈学童橋〉36年間の歴史とこれからがとてもうまくまとめられていて省略が難しく、長い引用となりました。ご容赦いただければと。

南小歩道橋両岸地域の変遷を述べたこの論説には、失ったものに対する郷愁の思いがにじんでいました。〈論〉というよりも〈情〉を感じさせる文章であったように思います。

南小には、小山隆市君をはじめ、幸町や仲町、内ノ脇に暮らす私たちの同級生の息子さんや娘さんも通いました。そうした南小出身者や父兄にとって、学童橋復活に対する思いは格別のものがあるでしょう。

末尾になりましたが、明日1月14日は小山隆市君(3年6組)の命日。4年たちました。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 南小歩道橋 南気仙沼小学校

南町商店街の復活

1月8日(日)の三陸新報、一面下につぎの広告が掲載されていました。

あさひ広告
三陸新報1月8日掲載広告より

気仙沼のあさひ鮨さんが成人の日にあたって掲載したものです。私の目を引いたのは、右上の〈南町二丁目災害公営住宅と商店街イメージ〉です。拡大してみましょう。

魚町2丁目商店街

広告文の中にはつぎの記述がありました。〈本年はいよいよ南町商店街と共に四月下旬の開店を目指して、南町猪苗代病院様向かいにあさひ鮨本店の新築準備に入っております。気仙沼内湾地区の復興は未だ道半ばですが、南町商店街の復活で、内湾地区に本格復興の明りを灯したいと願っております〉

〈南町商店街の復活〉という言葉にあさひ鮨 村上力男さんの強い思いを感じます。南町では、一丁目の災害公営住宅が昨年10月末に既に完成、入居が済んでいます。場所は以前のあさひ鮨本店や花久さんあたりと言えばわかるでしょうか。そして南町二丁目災害公営住宅は、元の福建楼や丸和のガソリンスタンドあたりからマンボ通りを含めてフジノ薬局の方までじゃないでしょうか。かなり推測がまじります。

日刊建設新聞によれば、イメージ図の道路側は2階建ての店舗棟。向こう側は5階建ての住居棟で1階には商店が、2〜5階は気仙沼市が買い上げての24戸の災害公営住宅となります。デッキで結ばれた複合ビル全体で24軒の商業店舗が入居するとのことです。完成とオープンは本年4月15日を予定しています。

そしてあさひ鮨本店は災害公営住宅に隣り合う形でできるのではないでしょうか。猪苗代病院の向かいと書いてありますから、元の佐々木写真館あたりでしょうか。震災後は復興商店街南町紫市場で営業を続けてきましたが、震災後6年を経て独立店舗での営業を開始することになります。

6年経ってやっとですね。そして、この新しい〈商店街〉完成の前の3月末、南町紫市場の退去期限を迎えます。新商店街に移る店もあれば、ほかの地区に移ったり、これを機に閉店というところもあるのかもしれません。

南町二丁目の複合ビル完成まであと3か月です。無事にオープンの日を迎えられますようにと願っております。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 あさひ鮨 南町二丁目災害公営住宅

ミッフィー里帰り

気仙沼ニッティングによる真っ赤な帽子とカーディガンを着たミッフィーの人形が気仙沼に里帰りしています。この話題は昨年12月24日の三陸新報も報じましたが、河北新報も1月8日に紹介してくれました。

河北ミッフィー

河北新報1月8日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

河北新報の記事を以下に引用します。

 宮城県気仙沼市で手編みのニット商品を製作・販売する気仙沼ニッティングの店舗「メモリーズ」で、真っ赤な帽子とカーディガンで身を包んだ「ミッフィー」の人形が展示されている。(中略)人形は高さ180センチの特大サイズ。大きな耳が隠れる帽子をかぶり、ボタンが印象的なカーディガンを着ている。衣装は生誕60周年記念の全国巡回展に合わせ、気仙沼ニッティングが作った。
 巡回展は昨年末で終了。人形はチャリティーオークションに掛けられ、落札者の厚意で衣装の里帰りと共に公開が実現した。「耳の曲線を包むのが難しかった」と製作に携わった田村純子さん(60)。御手洗瑞子社長(31)は「ニットでさらにかわいくなったミッフィーを間近で見てほしい」と言う。(引用は以上)

私は2015年4月に東京・松屋銀座で開催された〈ミッフィー展〉で、この〈気仙沼ミッフィー〉を見ています。会場では数あるミッフィー人形の中でも一番人気(気中20調べ)でした。なお、三陸新報の記事はこんな感じ。

12:24ミッフィー
三陸新報2016年12月24日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

この記事では、御手洗社長が「気仙沼から素晴らしい作品が出ていることを多くの人に知ってもらいたい。気軽に足を運んで欲しい」とのコメントが紹介されています。「メモリーズ」ってどんな感じかなと思いながらも、商品を買わずに見るだけというのもなんだかなあという方も多いことでしょう。この機会に是非、ミッフィーちゃんを見に、柏崎「メモリーズ」に足を運ばれてはいかがでしょうか。

見学は無料で土日・祝日の午前11時~午後5時。メモリーズの所在地は気仙沼市柏崎1の12。連絡先は0226(25)7326です。どうぞよろしく。

気仙沼ニッティング「メモリーズ」地図
2015年4月21日ブログ「気仙沼ミッフィー」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼ニッティング 御手洗瑞子

梅村さん紹介映像

きのう1月10日のブログで、ニット製品などで気仙沼の母親たちの雇用創出に努める梅村マルティナさんの、「the Positive Awards 2016」受賞を紹介しました。本日はその続き。同賞授章に際して、NGO「ポジティブプラネットグループ」が制作したマルティナさんの紹介ビデオ。約2分半の動画です。



賞名が「THE POSITIVE CITIZEN AWARD」となっていますね。「THE POSITIVE AWARDS」の中の「THE POSITIVE CITIZEN AWARD」ということなのでしょう。ポジティブ市民賞。

冒頭の空撮風景は以前にマルティナさんのアトリエがあった唐桑だと思います。ふたつの湾がうつっていますが、どこの海岸か。はじめにうつったのは只越(ただこし)湾でしょうか。

後半に登場する梅村Hiroshiさんは、マルティナさんの〈mari〉であるとのフランス語のキャプション。ご主人ですね。その右は、「三陸復興トモダチ基金」の気仙沼信用金庫さん関係者だと思うのですが。

下記のマルティナさんの気仙沼FSアトリエのホームページには、これまでの活動の経緯が詳しく記されています。その中のブログでは、今回の「THE POSITIVE AWARDS」における受賞の様子やほかの受賞者などの活動も紹介されています。どうぞご覧ください。

ホームページの記述によれば、気仙沼FSアトリエの〈FS〉は「Friedenssocken」=平和の靴下という意味とのこと。 気仙沼からお届けする毛糸にふれていただくことで、みんながしあわせに……という願いを込めているそうです。

梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ公式HP

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 梅村マルティナ ポジティブプラネット

祝マルティナさん

気仙沼でニット製品づくりなどをてがける梅村マルティナさんが、開発途上国で金融支援などに当たるNGO「ポジティブプラネットグループ」(本部パリ)が主催する「the Positive Awards」に選出されました。下の写真は、12月7日にパリのルイヴイトン財団で開かれた授賞式の様子。前列の右寄りにマルティナさんがうつっています。

梅村さん
「ポジティブプラネットジャパン」公式サイトより

昨年12月29日の三陸新報も紹介していました。

12月29日マルティナ
三陸新報12月29日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

三陸新報の記事を引用します。

小規模事業で成果をあげた世界各地の起業家を表彰する「the Positive Award(ポジティブアワード)」で、ニット製品作りなどで、母親たちの雇用創出に努める気仙沼市の「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」の梅村マルティナさん(57)が表彰された。市内では、2012年に表彰されたピースジャム代表の佐藤賢さん以来、2人目。

表彰は、開発途上国で金融支援などに当たるNGO「ポジティブプラネットグループ」(本部パリ)が主催。(中略)梅村さんは、ドイツ出身。医学研究のために来日し、京都に在住していたが、東日本大震災後から被災地で支援活動を展開。2012年3月に仮設住宅の主婦らとともに毛糸の輸入販売やニット製品を製造販売する事業をスタートさせ、唐桑町にアトリエのほか、気仙沼駅前に直営店をオープンさせた。現在、アトリエは市内松崎下赤田に移転。市内在住の母親8人を雇用している。(引用は以上)


「ポジティブプラネットグループ」の日本拠点「ポジティブプラネットジャパン」は、気仙沼信用金庫と「三陸復興トモダチ基金」を2011年11月に創設しました。三陸新報の記事によれば、 これまで梅村さんの会社をはじめ、気仙沼信金管内の事業者約430件に支援を行っているとのこと。この基金については、あらためて紹介することにいたします。

梅村マルティナさんの気仙沼での活動に敬意を表するとともに、今回の受賞のお祝いを申し上げます。おめでとうございました。


なお、梅村マルティナさんの活動については、昨年1月に気仙沼ニッティングの御手洗さんとともに読売新聞でとりあげられ、このブログでも〈気仙沼発のニット〉として紹介しました。こちらもご覧いただければと。

2016年1月8日ブログ「気仙沼発のニット」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 梅村マルティナ ポジティブプラネット

謙さんと鶴瓶さん

本日夜のテレビ番組紹介です。笑福亭鶴瓶さんのTBS「A−Studio」に渡辺謙さんが登場します。

渡辺謙
番組HPより(画像クリックでジャンプ)

◎TBSテレビ系列(気仙沼はTBC東北放送)
◎1月6日(金)23:15〜23:45
◎A−Studio

・背中けとばす!? 妻の役割
・大親友&気仙沼との絆

以下は、TBS番組紹介文から。

笑福亭鶴瓶が自ら事前に極秘取材を行い、ゲストの素顔に迫るトーク・バラエティー!

今年最初のゲストは6年半ぶり2回目の登場となる渡辺謙!実は鶴瓶とはデビュー当時NHKの時代劇で共演した旧知の仲!気心の知れたリラックス・ムードのなか、ハリウッド俳優の日常生活や素顔が次々と明らかに !? 一昨年には『王様と私』でついにブロードウェイに主演、作品はトニー賞の4冠を達成!昨年は病を克服し再演も果たした渡辺だったが、そこに至るまでには過酷な舞台裏と隠された苦悩があった。鶴瓶は一方、渡辺が“マブダチ”と語るロス在住の親友を取材。せっかちでビビり(!?)なハリウッド俳優のプライベートとは !?

さらに鶴瓶は渡辺が経営する宮城県・気仙沼のカフェも訪問。震災を乗り越え未来を見つめる仲間たちとの絆。さらに南果歩に鶴瓶が訊く……“世界のケン・ワタナベ”の妻でいることの想いと本音とは…!?(引用は以上)

気仙沼での取材映像は番組後半からですかね。謙さんのカフェK-portを紹介しながら、気仙沼の人たちと鶴瓶さんのやりとりもあるようです。楽しみですね。どうぞ皆様もご覧ください。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 渡辺謙

三陸の日の出写真

1月1日付け三陸新報(地元では「三陸」と呼びます)のトップ記事写真。

1:1日の出

三陸新報1月1日記事の一部イメージ(クリックで拡大)


これは、よくある新春のイメージ写真ではありませんね。キャプションには「気仙沼市古谷館八幡神社から朝日を望む。松崎片浜、御崎地区では河川堤防の建設が進むが、片浜地区の将来像は見えていない(左手写真奥は大島・亀山)」と。

震災時、松岩地区の古谷館八幡(こやだてはちまん)神社には近隣の多くの人が避難しました。そこから、多くの家屋や事業所が津波に流されていくのを目の当たりにしたのです。三陸新報の写真下部の暗闇には、いまだ多くの被災の跡が残っていると思います。

記事のリード文に〈震災から7年目になる今年〉とありました。そうか、3月11日を過ぎると7年目を迎えるのか。震災から3年とか5年とか、いろいろ語られてきましたが、2017年は震災から6年を経て、7年目を迎える年なのですね。

〈良い写真〉と呼ぶと怒られるでしょうが、いろんなことを考えさせてくれる〈三陸の日の出写真〉でした。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学

謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。ゆっくりとお正月を過ごし、本日が仕事はじめです。

元日は、初日の出をながめに多摩川へ。自宅から坂を下って10分もすれば川辺に出るのですが、まさにはじめての初日の出。まぶしいばかりの金色の耀きに神々しいものを感じました。日の出を見てから、帰り道にあるお不動さんに初詣。

あいにくバッテリーがきれて初日の出の写真は撮れませんでした。その代わりといってはなんですが、2日の夕方に二子玉川の駅からながめた夕陽の写真を。実に素晴らしい色でした。ホームの向こうは多摩川。そのまた遠く中央部にあるマンションの右側の陰影が冨士山です。

日の入り

そして本日4日。仕事場の最寄り駅についたとき、近くの神社への初詣を思いつきました。代々木八幡。かなり長い行列ができていましたが、途中でひきかえすわけにもいかず、列に加わりました。参道の両側には近隣小学校児童の書がたくさんかざられています。「希望の朝」「新春の光」。私が書き初めをするとしたらなんと書くだろう。ちょっと長いけれど「青春の光と影」でしょうか(初笑)。

本年も元気に楽しく過ごすことができればなによりです。どうぞ、みなさまにとりましてもより良い年となりますように。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
12 | 2017/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示