リオ・パラ閉会式

9月も本日でおしまいですが、18日(現地17日)のリオデジャネイロ・パラリンピック閉会式はご覧になりましたでしょうか。

私はNHKの中継を録画して見たのですが、東京スタジオのゲストとして気仙沼出身の佐藤真海(まみ)さんが出演していたのでびっくり。真海さんは、走り幅跳びでパラリンピックに3回出場し、東京大会招致にあたってはプレゼンターをつとめました。久しぶりのテレビ登場と思いますので、その映像スナップを。(クリックで拡大)

真海さん1 真海さん2

真海さんは2014年9月に結婚し、昨年4月に男の子のお母さんとなりました。番組での紹介は、〈アスリートの谷真海さん、旧姓佐藤真海さんです〉、画面での氏名表記は〈谷真海(旧姓 佐藤)〉となっていました。

閉会式では、2020東京大会への引き継ぎ式〈フラッグハンドオーバー セレモニー〉が行われました。コンセプトは〈POSITIVE SWITCH〉です。公式サイトには〈障がいがあることは、新しい可能性をもつことでもあるんだ。そう言える東京を目指して〉というサブコピーが記してありました。演出の佐々木宏さんは〈ひとつの障害がむしろ、新しい人生のポジティブな変革のきっかけになる。そんなテーマを、東京大会は打ち出していきたい〉と語っています。

東京PRのパフォーマンス冒頭、日本初の〈義足モデル〉と呼ばれるGIMICO(ギミコ)さんが、舌を出して登場したのには驚きました。かなり〈パンク〉です。真海さんが〈GIMICOとは友達なんです。クールに決めてびっくりした。かっこよかった〉と語っていました。

ギミコ
リオ2016パラリンピック/フラッグハンドオーバー セレモニーTokyo2020より

時代は変わったな、というか、時代を変えていく、というか。私は4年前のロンドン大会を前にしての〈パラリンピック選手写真展〉を思い出しました。地下鉄「表参道」駅コンコースでの展示には佐藤真海さんの写真もありました。10年前にはこのような写真展はなかったと思う。4年前ぐらいにやっと実現したという感じでしょう。そして、真海さんに対してもそうですが、写真にうつる女性に対して使われた代表的な言葉が〈凛(りん)として〉。障害があることを感じさせない毅然とした美しさがあるというような形容句です。

真海さん3
2012年8月31日ブログ「真海さんin表参道」より

その4年後、2016年には〈凜として〉どころか、舌を出しての登場です。演出的には冒険だったと思いますが、結果としては自然に受け入れられたように思います。4年間でのこの変化を考えると、4年後はどうなっているのでしょうか。というよりも2020年までには、私たちの意識や認識というものを大きく変えることができるように思ったのです。

〈ポジティブ・スイッチ〉という言葉。ネガティブ/後ろ向きになることなく、ポジティブ/前を向いて明るい未来を目指し、(ちょっとパンク風に言えば)俺じゃなくて、お前の胸のそのスイッチをいま押せっ!つう感じでしょうか。

NHK中継番組の最後で、真海さんはつぎのように語っていました。

〈「大切なものは失ったものではなくて、いま実際にあるもの。その力を最大限に引き出すことこそ大切なことだ」というメッセージをより多くの人に伝えられるのがパラリンピックであると思います〉

真海さんは、4年後の東京大会にトライアスロンで出場することを目指しています。

8月5日ブログ「イエスアイキャン」
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米山さんへの感謝

9月23日のブログで、羽田神社のお山がけを紹介しました。その記事を書く際に、私がお山がけにいったことがあるかどうか、仙台に暮らす母へ電話しました。記憶どおり、私はお山がけに行っていなかったのですが、故郷の柏崎にもお山がけと同じような風習があったと母が言うのです。

母は新潟県柏崎市で生まれ育ちました。柏崎市と気仙沼の柏崎(かしざき)の因縁は以前このブログにも書いております。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

柏崎には、有名な三階節(さんがいぶし)で〈米山(よねやま)さんから雲が出た〉と唄われる米山があります。その米山さんに11歳のときに登ると、頂上まで神様が連れて行ってくれるというので、自分も登ったと。そして、なんとか登りついたとき、かごの中に水をいれたコップが並べてあったので、急いでそれを飲みのどの乾きをいやしたそうです。しかし後で知ったところによれば、それは売り物の水。「20」という数字を覚えているので、20銭だったのだろうかと。

山に登るときには、青年団の人たちが綱(つな)で引っ張ってくれるなどいろいろお世話をしてくれたそうです。その一人は背中に大きな荷物を背負っていました。ほかの仲間から〈仏壇でもかついできたのか〉とからかわれていましたが、それは蓄音機でした。休憩するたびにゼンマイを巻いてレコードで音楽をかけてくれたそうです。

〈いい話だね〉と少しからかって電話をきった後に、ネットで調べてみましたら、つぎのようなことがわかりました。

柏崎には、数えで12歳になると〈初登り〉と称して米山にのぼる習俗があるのだそうです。登りきれば一人前の男の子。そして母の話にあった神様というのは、薬師如来でした。米山にまつられている薬師如来には12の菩薩がついており、その菩薩様が初登りの子の手を引いてくれるといいます。12菩薩と数えの12歳を重ね合わせているのでしょう。母が11歳の時といっていたのは満年齢だと思います。柏崎の〈初登り〉も本来は男児の通過儀礼のようですが、当時は女児も一緒に登ったようです。

〈羽田のお山がけ〉は、父親以外の大人がつきそいます。柏崎〈初登り〉はどうだったのでしょうか。とはいうものの、母は幼いころに父親を亡くしておりその顔も写真でしか知りません。ですから、そもそも一緒に登ることはできないのです。

本来は男児のみだけど女児の登山も許されたというユルい感じからすると、〈父親同行も可〉ということだったのではないか。もしそうだとすると、ほかの子供たちに付き添うお父さんたちを見て、母がどう感じたか。うらやましかったのではないか。頼もしい父親の代わりに青年団の人達の印象が強く胸に刻まれているのでは、などと妄想が止まりません(笑)。

数字の「20」の記憶など、本当は「10」かも知れずあてにはならないのですが、母の記憶は細かな話というかエピソードがよくできています。93歳。足腰がおぼつかないところはあるものの、頭はしっかりとしているようです。これも、数え12のときに登った米山さんに座す、薬師如来さんや12菩薩さんのおかげに違いありません。


最後になりましたが、柏崎市の海岸沿いから望む〈米山さん〉の写真を。

米山さん
http://www.panoramio.com/photo/32537177より拝借

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食彩の王国:メカ

本日はテレビ番組のご紹介です。テレビ朝日系列「食彩の王国」の10月1日放送は、気仙沼を舞台にしたメカジキの物語です。

食彩の王国
番組ホームページより(画像クリックでジャンプ)

◎テレビ朝日「食彩の王国」
◎10月1日(土)午前9:30〜9:55
◎テーマ「メカジキ」

・豪快!カジキの「突きん棒漁」
・気仙沼に伝わる昔ながらのメカジキ料理
・魚屋三代目に教わる、メカジキの絶品料理
・メカジキで気仙沼を盛り上げる

〈食彩の王国〉は、さまざまな食材を丁寧な取材でとりあげる、私の好きなテレビ番組のひとつです。そして〈メカジキ〉については、昨年9月に〈気仙沼メカジキブランド化推進委員会〉も組織され、パンフレットやPR映像などを通じてのプロモーションが展開されています。今回の〈食彩の王国〉での取り上げも、その成果のひとつといってよいのではないでしょうか。

8月4日ブログ「メカの動画と冊子」

気仙沼でのテレビ朝日系列の局は東日本放送だなと思い調べてみたら、〈食彩の王国〉は2011年10月ネット放送を中止しています。残念。その代わりと言ってはなんですが、番組ホームページに掲載されていた、取材先のリストを紹介しておきます。

◎三代続く老舗の魚屋
魚武
住所:神奈川県厚木市小野2150
電話:046-247-0732
店舗HP

◎新鮮な気仙沼の魚
足利本店
店舗HP
http://k-sozaiya.com/

◎気仙沼の海産物を買うなら
斉吉商店
住所:宮城県気仙沼市本郷6-11
電話:0226-22-0669
店舗HP

◎気仙沼産にこだわる和食
旬の味 こうだい
住所:宮城県気仙沼市南町1-1-9
電話:0226-24-8337
店舗Facebook

◎東京で味わう気仙沼のメカジキ
アンティカ・オステリア・デル・ポンテ
住所:東京都千代田区丸の内2-4-1 丸の内ビルディング36F
電話:03-5220-4686
店舗HP

気仙沼での放送がないのが残念ですが、東京はじめ視聴可能な方は是非ご覧ください。

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同年会の概略報告

9月24日(土)の気中20回生〈あれから50年同年会〉。きのうは記念写真撮影の様子を紹介しました。きょうは、参加できなかった方のために当日の様子をざっとご紹介します。

会場は気仙沼ホテル観洋で午後5時開始。司会は美加さんと藤田君。開会に先立って3グループに分けて記念写真の撮影を行いました。撮影は、故 熊谷孝良君のスタジオアートを引き継いでいる奥様と息子さんです。

そして開会に先立って物故者の冥福を祈って黙祷。受付時に配られた物故者名簿には61名のお名前がありました。

開会後、まずは実行委員長 臼井真人(まこと)君の挨拶。話のなかで復興の見通しなどにも触れていました。その後は、式次第によれば〈感謝のことば〉。司会者が、同級生のための情報発信のブログがなんとかと語りはじめました。そして、〈小田さん、ご登壇ください〉と。いやあ驚きました。まさにダチョウ倶楽部の〈聞いてないよ〉状態。壇上で容子さんが、震災後のこのブログ〈気中20プラス〉などへの過分な感謝のことばを。記念品まで頂戴しました。恐縮の極みです。

そして、お待たせしましたということで乾杯。発声は、東京近辺〈気中20支援会〉会長として徳一君です。その後は、しばし歓談。

懇親時間中には、アトラクションも準備されていました。まずはフラダンス。登喜子さんがハワイの女王のような雰囲気を感じさせながら〈センター〉をつとめます。2曲目だったかな、曲が〈ブルーハワイ〉になると、〈ちばき屋&かもめ食堂〉憲二君がボーカルで参加。いつものことながらとてもうまい。三日町育ちのプレスリーです。その次は、3年2組メンバーによるピンキーとキラーズ〈恋の季節〉。はっぴを着て、例の帽子をかぶって踊ります。真人君と旧姓 森田さんがボーカル担当。

フラ ピンキラ

この後は、気仙沼市内ではなく、遠方からの参加者が壇上に呼ばれて一言ずつ。はじめは裕美君、恒四郎君、憲二君など、震災直後の同級生支援活動に尽力した東京近辺の同級生です。続いては、フランスのパリから参加した、まさえさん。ボンソワール/おばんですという感じの写真を下に。そして、仙台周辺で気中以外も含めた同年会〈KSS42〉の代表である達朗君や亀一君からも話をいただきました。その後は、2011年2月の還暦祝いに参加できずに今回は参加という方が呼ばれて一言ずつ。

まさえさん 前回欠席

この後の順番が定かではないのですが、〈はまらいんや〉をみんなで踊って、気中校歌「平和の象徴(しるし)波安の〜」を唄ったかな。

そんなこんなやっているうちに、宴もたけなわではございますが、という美加さんの声が聞こえました。最後は、実行委員会副委員長としての牧恵さんからの挨拶。

ざっとこんな感じです。なんか抜けているような気がしないでもないのですが。この後は1階のラウンジ〈鯱(しゃち)〉で2次会。それが終えた後、まだ余裕のある方は3次会ということで気仙沼の街に散らばっていきました。私は南町バレンタインへ(詳細略)。

私が頂戴した記念品ですが、楽しみにとっておいて、東京に戻ってから包みをあけました。気仙沼〈SHARKS/シャークス〉の名刺入れでした。とってもうれしい。妻は財布、私はキーホルダーを愛用中ですが素材感があって軽くとてもいいのです。記念品の中身を書くのは不調法(ぶちょうほう)かとも思ったのですが、お礼の気持ちをこめてあえて記しました。

感謝のことばもそうですが、挨拶を求めるお声がけなど、始めから終わりまで、〈ありがとう〉という気持ちに満ちた会だったように思います。

〈フラ〉や〈ピンキラ〉をはじめ、いろいろと準備が大変だったと思います。久しぶりにみんなで集まる会のためにお世話をいただいた実行委員会はじめ関係者のみなさんに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。本当に楽しかった。また会いましょう。

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同年会の記念写真

9月24日(土)は、気仙沼中学20回生の〈あれから50年同年会〉でした。

150名以上が参集してとても楽しい会になりました。私は当日に気仙沼に入り、昨日帰京。休みあけで仕事がばたばたしておりますので、本日は記念写真の紹介にとどめます。3グループに分かれての撮影でした。正式な記念写真とはちょっと違う記念写真撮影風景ということでご覧ください。画像クリックで拡大します。

同年会1

同年会2

記念写真4

あらためてこの写真を見ていると、本当にたくさんの同級生たちが集まったんだなあと感じます。3枚目の写真は小松亀一君(3年6組)に撮影してもらいました。亀一君はすでに自身のブログで2回にわけて同年会報告をおこなっています。こちらもご覧ください。

亀一君の同年会報告1
亀一君の同年会報告2

亀一君も書いていましたが、私たちの学年ですでにお亡くなりになった方はわかっているだけで61名です(亀一君は、弁護士らしく「判明した物故者」と書いていました)。それを考えると、ひさしぶりの同年会に元気に集まることができるというのはとても幸せなことなのでしょう。同年会についてはまたあらためて書こうと思っています。

末尾になりましたが、9月24日は菅原賢一君(3組)の命日でした。2年前のこと。合掌

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羽田の「お山がけ」

明日9月24日(土)は、気仙沼中学を卒業してから半世紀がたったことでの〈あれから50年同年会〉です。私も参加しますが、飲み過ぎないようにしないと(笑)。

さて、9月15日と16日の両日、気仙沼市赤岩上羽田の羽田(はた)神社の伝統行事「お山がけ」がおこなわれました。7歳になる男児が、甘えを断ち切るために祖父や親戚など、父親以外の大人と一緒に羽田山(標高460m)を登るもの。約400年の歴史があるといわれ、2000年12月に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

三陸新報は、9月16日に記事を掲載し、18日の写真特集〈ズームアップ〉でもとりあげていました。

9月18日おやまがけ
三陸新報9月18日記事の一部イメージ

気仙沼市の国指定文化財は2つ。いずれも無形民俗文化財で、〈室根神社祭のマツリバ行事〉と〈羽田のお山がけ〉です。念のため記せば、宮城県指定無形民俗文化財は、〈新城の田植踊〉〈早稲谷鹿踊〉〈廿一田植踊〉の3つです。

〈羽田のお山がけ〉については、つぎの文化庁のデータベースに詳しい解説が記されています。

文化庁「国指定文化財等データベース」解説

しかし、この解説はちょっと長いので、ここでは「気仙沼市史」第7巻「民俗・宗教編」における記述を以下に引用いたします。

「 羽田のお山がけは、旧暦8月16日の朝から一日をかけて、七歳の男子のグループが何度かに分けられ、羽田山(460m)に登拝する行事である。気仙沼地方の広範囲から参加をするが、登拝中途の神社を参拝しながら、頂上の月山神社を拝み、オハチ巡りと呼んで、お宮の回りを左回りに三度回ってから、宮司からご祈祷を受ける。男の子の付き添いに父親がいっしょに行ってはならないとされ、親類のおじさんなどが男子について登る。

この禁忌の由来を伝える伝説が、山の五合目にある姥石に因(ちな)んである。昔、親子でお山をかけたときに、この場所で父母を見失い、「トトや、カカや、ホーイホーイ」と呼び続けたという。そのために、今でも「親子お山」は禁じられているという。

子供は当日に社務所でカケマブという笈摺(おいずる)を着て、しめ縄を肩から掛け、鉢巻をして竹杖を持って出かける。これらは全部、今では神社で用意をするが、もとは各子供の家で作ったものである。竹杖は山から降りるときに、杖を納める場所に納めてくる。子供の家では、この後、親類や近所の家の人々を招いてお振舞(おふるまい)をしている。

明治から昭和30年頃には、遠くから子供を馬に乗せてきて、午前二時にお山へ出発したという。これを「一番お山」と今でもいうが、「三番お山」はご来光を仰ぐことができるために人気があった。また、古くは、お山がけの山は愛宕山(633m)まで登ったという。」(市史引用は以上)

私自身は、お山がけの経験はないのですが、少し下の世代の魚町の方が思い出話を書いたりしていますので、上記の解説にあるように気仙沼地方の広範囲からの参加があったのでしょう。河北新報の記事によれば、今年は地元や仙台市、埼玉県から17人が参加したとのことです。

気仙沼に暮らしていたころには特に関心ももたず、いまは東京に暮らす身で、勝手な物言いになるとは思いますが、江戸時代から続くというこの行事がこれからも伝承されていくことを願っております。


羽田神社の場所さえよく知りませんでした。同神社のホームページ掲載の地図をのせておきます。(クリックで拡大)

羽田神社

羽田神社ホームページ

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キャロラインさん

キャロライン・ケネディ駐日米大使が9月17日に気仙沼大島や唐桑町舞根を訪問しました。これは、ケネディ大使が復興支援サイクリングイベント「ツール・ド・東北2016」の「気仙沼ワンウェイフォンド」(気仙沼から石巻まで)参加に合わせてのものです。

大島訪問については河北新報が伝えています。大震災で米軍が展開した支援活動「トモダチ作戦」に感謝する島民と共に桜を植樹し、相互交流の誓いを新たにしたとのこと。

ケネディ大島
河北新報9月18日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)

唐桑町舞根では、NPO「森は海の恋人」を訪問しました。三陸新報の記事をご紹介。

舞根のケネディさん
三陸新報9月18日記事より

記事によれば、〈ケネディ大使は「故郷のマサチューセッツも養殖を行っていたが、こんなに大きな貝は見たことがない」などと語り、初めて食べたホヤにも「とてもおいしかった」と笑顔〉を見せたとか。

前日16日には、手作りアクセサリーに取り組んでいる〈アクアラボ気仙沼〉なども訪れたとのことです。なお、昨年の〈ツール・ド・東北〉参加のおりには、気仙沼ニッティングも訪問しています。

気仙沼ニッティング/キャロライン・ケネディ駐日米国大使のご訪問

なおケネディ大使は今回、気仙沼から石巻に向かう途中で、児童ら84人が震災の津波の犠牲となった石巻市立大川小学校の慰霊碑に花を捧げています。

ケネディ大使のお父様であるJ.F.ケネディ米国大統領が不幸な死をとげたのは1963年11月22日でした。私は気仙沼小学校6年生。キャロラインさんが6歳の誕生日を迎える5日前のことです。私たちと同じ世代の多くの人が、葬儀の時のまだあどけない姿をおぼえていることでしょう。

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FM局舎改修支援

本日は、午前11時20分ごろから10分間、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の電話取材コーナーに登場させてもらいました。『横田真美子のGOODDAY GOODDAY』という番組。月曜から金曜日までの毎日午前11時から午後1時までの放送です。

話のテーマは、先日18日の目黒のさんま祭です。きのうのブログで紹介したようなことを話したのですが、結構緊張するもんですね、うまくしゃべれたかどうかかなり心配(笑)。そして、〈けせんぬまさいがいエフエム〉については、9月18日(日)の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。

滋賀県立大学
三陸新報9月18日記事の一部イメージ

滋賀県立大学の学生らによるスタジオの改修工事を紹介した記事。同大学の環境建築デザイン学科の構造デザインゼミ履修生を中心とする有志23人が〈三方組格子〉による装飾壁などを制作しているとの記事ですが、きのう20日に完成したようです。

この工事などの関係で、さいがいエフエムは13日から20日まで変則放送となっていましたが、本日21日から改修が済んだスタジオからの通常放送となりました。

三陸新報の記事でも紹介されていましたが、滋賀県立大学の皆さんはこれまでも気仙沼の復興支援に取り組んでくださっています。本吉町では日門〈竹の会所〉、大谷〈浜の会所〉などの仮設建築支援も。このうち〈竹の会所〉は、2014年日本建築学会作品選奨を受賞しました。

滋賀県立大学サイト/〈竹の会所〉受賞について

こうした継続的な支援活動の一環として、今回のさいがいエフエム局舎の改修も行われたのでしょう。

本日のさいがいエフエムの電話取材で私は、(うまく伝わったかどうかは別として)目黒のさんま祭が大勢の皆様の善意や好意によって支えられているということをお伝えしようと思いました。そして今回のエフエム局舎改修もそうですが、メディアで紹介されなければ知ることのなかった多くの支援活動がたくさんあるのだなあとあらためて感じています。本当にありがたいことです。

滋賀県立大学の関係者の皆様の気仙沼に対するさまざまなご支援に対しお礼を申し上げます。ありがとうございました。

けせんぬまさいがいエフエムのブログ中、9月21日の記事にも局舎改修工事完成の様子が報告されていました。こちらも是非ご覧ください。

ブログ/けせんぬまさいがいエフエム日記
けせんぬまさいがいエフエム公式サイト

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目黒さんま祭報告

本日は、おととい9月18日(日)に行われた〈目黒のさんま祭〉の報告です。今回は、〈あさひ鮨〉の佐々木徹君が上京せずということで、私たちも時間を決めての参集はせずにそれぞれにということにいたしました。私は9時半の開会式からお昼すぎまでを会場で過ごしました。祭の様子を写真とともに紹介します。(写真は画像クリックで拡大)

開会式には気仙沼から菅原市長と熊谷市議会議長、さんま祭気仙沼実行委員会からは松井会長が出席。市長の脇に座っている人は誰かなと思ったらタモリさんでした。座っているときのイメージは、目黒区在住の森田一義さん(71)といった感じ。今回は6月に就任した「めぐろ観光まちづくり協会」名誉会長としての出席です。

1 3人 2 タモリ

座っているときには地味なフツーの感じでしたが、挨拶に立つとやはりさすがでした。まずは例の中国語(風)で話を始めます。これは先に挨拶にたった区立中学の生徒ふたりが後半の話を英語で行ったことを受けたもの。話の詳細は略しますが、さんま祭の行列について、〈サンマ1匹のために、いったい何人の人が集まるんだろう。戦後は、まだ終わってないなと思いました〉との言葉にはみんな大笑い。これはフジテレビのニュースでも紹介されたようです。5分ほどの話だったと思いますが、引き受けた役割を期待通りにきちんと果たすという姿勢に感心いたしました。

来賓の方々の(ちょっと長い)話の後は、殿様に扮した目黒区青木区長がさんまを食し〈さんまは気仙沼にあがったものを目黒で食べるにかぎるのう〉みたいなことを言う献上式で開会式は終了。それを受けて気仙沼の〈どや節〉が披露され、さんま焼きが開始となりました。当初は5000尾予定だっと思いますが、当日のNHKやTBSのニュースによれば7000尾が提供されたとのことです。少し小ぶりなので量を増やしたか(笑)。

3 どや節 4 さんま焼き

この日の午前中は小雨が降ったりあがったりという天気でした。そのため、さんまを食べるテント脇でのイベントも空模様をながめながらの進行になりました。それでも、私が楽しみにしていた〈馬篭(まごめ)ばやし〉と〈明戸(あけと)虎舞〉を見ることができました。

まずは馬篭小学校の児童による〈馬篭ばやし〉です。菅原市長は開会式で挨拶のなかで、馬篭小学校は来年4月に津谷小学校に統合されるが、うちばやしなどの伝承はしっかりとやっていきたいと語っていました。東京の人たちにどれだけ伝わったかは別として、この紹介はとてもよかったと思う。

5 馬篭小学校 6 男子

馬篭ばやしの後半には虎舞が登場。2匹目の虎の中に入っていたのも馬篭小の生徒だったようです。馬篭小としての最後の演技ということもあってか、私の隣に立っていた菅原市長もさかんに拍手をおくっていました。

7 虎入場 8 虎2匹

9 握手 10 虎記念

空模様をながめながらのしばしの休憩のあと、今度は岩井崎の明戸(あけと)虎舞です。一昨年のさんま祭にも来てくれました。そのときに知り合ったご年輩(2枚目の写真の後方の方)のお話では、震災の津波で沢山の太鼓が流されてしまったが、様々な支援を得てこうして太鼓をたたけるようになったとのことでした。

11 明戸 12明戸男

13明戸虎 14後から

以上が気仙沼のふたつの伝統芸能の披露。天気がよければ2度の演技を予定したようですが、雨模様のために1度のみ。太鼓の皮に雨があたると大変です。

こうした演技の一方、会場には気仙沼をはじめ各地の物産販売ブースがならび、どれも沢山の人でにぎわっていました。そのブース前に会場の外まで続く行列は気仙沼のさんまつみれ汁を待つ人達。一杯100円。いつも大人気です。

今年も同級生の荒木容子さん(3年10組)がお手伝いに来ていました。人混みの様子をながめながら、少し手があいたときに声をかけました。写真の右側は、松井会長の奥様えみこさん。毎年、本当にご苦労さまです。そして、さんま焼きの入口あたりに行ってみると、大勢の皆さんがさんまの焼き上がりを待っていました。

15荒木さん 16行列入口

気仙沼物産ブース前に、カネダイの佐藤俊輔さんがいたので声をかけました。彼が一所懸命にPRしていたのが〈気仙沼ホヤ醤油〉。〈kesemo(ケセモ)〉ブランドを展開する気仙沼水産資源活用研究会が、「気仙沼ホヤソース」の姉妹商品として開発しました。菅原市長の開会式挨拶の中でも、本日発売で食事スペースにも置いてあるので是非ご賞味をと紹介していました。

kesemo/気仙沼ホヤ醤油

お昼を過ぎ、そろそろ引き上げようかと思い、イベントスペースのほうに行くと、さきほど話をした明戸の年配の方が煙草を吸っていました。ご苦労さまでしたと声をかけ、〈岩井崎のあたりは津波でずいぶんやられてしまいましたね。被害はどうでしたか〉と聞くと、〈かあちゃんと孫をひとり亡ぐしたもの〉と。〈愛するかあちゃんを〉と少しおどけながら。余計なことを聞いて申し訳なかったなと思いながら〈それは大変でしたね〉というと、〈息子には考えすぎんなよと、かだってんだけんと〉と、母親と子供を失った息子さんをきづかいます。

私は〈どうぞ気をつけて気仙沼に帰ってください〉と伝えるのが精一杯。帰りの電車のなかで、〈皆さんのおかげで太鼓をたたけるようになった〉という言葉を思い出しました。どんな気持ちで太鼓をたたいていたのだろうかと。

ちょっと長くなりましたが、震災後6度目となった目黒のさんま祭の報告でした。

9月8日ブログ「目黒区のさんま祭」

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南気仙沼復興地図

9月17日の三陸新報に、南気仙沼地区の「まちづくりマップ」が掲載されていました。9月15日発行の気仙沼市「復興ニュース」第100号に掲載されている内容ですが、三陸新報の図のほうがわかりやすく整理されているので、これをご紹介。

南気仙沼復興マップ
三陸新報9月17日記事より(クリックで拡大)

以下に、記事内容を引用します。

気仙沼市は、被災市街地復興土地区画整理事業を進めている南気仙沼地区の「まちづくりマップ」を作成した。JR東日本のBRT(バス高速輸送システム)南気仙沼駅なども表示した。

南気仙沼地区は「商業ゾーン」「住宅ゾーン」「低地ゾーン」「水産加工施設等集積地」の4エリアに分かれている。気仙沼大橋に接続するメーンストリートの魚市場中谷地線沿いには商業ゾーン、その周辺には住宅ゾーンが整備される。

商業ゾーンにはすでに、スーパーマーケットや書店、美容室などの出店が決まっている。幸町、内の脇両災害公営住宅を含む住宅ゾーンは、L2の大津波に対応できる高さまでかさ上げすることで住宅が建てられる。

低地ゾーンは災害危険区域に指定されているが、すでにホテルなどが事業を再開している。

水産加工施設等集積地には56事業所が入る予定で、現在は 5割以上の事業所が稼働している。水産加工のほか、鮮魚仲買、製氷、漁具などの業種が集中する。

大川沿いには、(仮称)復興市民広場や防災公園、グラウンド、中央公民館が整備される。造成完了は来年度の予定。市都市計画課では「商業ゾーンでは、コンビニエンスストアや飲食店などが出店を検討しており、にぎわいが期待できる。マップは鹿折、魚町・南町に続いて今回で最後。ホームページでは各地区マップを随時更新し公開していきたい」と話している。(引用は以上)


56事業所が入る予定で、現在は 5割以上の事業所が稼働しているという〈水産加工施設等集積地〉がなんとか先の見通しがたっているような感じがしますが、ほかはまだなんともという印象。

9月13日には、南気仙沼地区の区画整理事業についての説明会があったようです。まちづくりマップは9月15日発行の復興ニュースに掲載されますので、その前にということなのでしょう。

コヤマ菓子店の故 小山隆市君の長男 裕隆さんも参加したそうです。説明会翌日の自身のブログに〈五里霧中、誰も何も見えない、だから何も進まない〉と書いていました。自分の土地がいつ引き渡されるかがわからない。〈5年半経ってこれだもの。この先、一体どうなるの?どうしたらいいの?〉と。まさに実感でしょう。ちょっと疑問があったのは、マップのなかの以前は1F〈コヤマ〉2F〈珈琲山荘〉があったあたりに〈コーヒーショップ〉と記してあったこと。これはなんなのか。あとで裕隆さんに聞いてみましょう。

しかしなあ、私自身がいま、〈3年後ぐらいには〉そして〈さすがに5年も経てば〉という見通しの甘さを強く感じています。


内湾と鹿折の〈まちづくりマップ〉については、下記のブログをご覧ください。

8月9日ブログ「内湾の復興MAP」
8月17日ブログ「鹿折の復興MAP」

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「東洋経済」の記事

雑誌『週刊東洋経済』の8月27日号の記事を紹介します。特別リポートの見出しは〈チームで創る「観光都市」〉。全6頁/3見開きの全体イメージはこんな感じ。

東洋経済1

東洋経済2 東洋経済3
いずれも『週刊東洋経済』8月27日号より(クリックで拡大)

冒頭頁の〈「観光チーム気仙沼」を引っ張る3人〉の写真は、左からアサヤの専務 廣野一誠さん、八日町マルト齊藤茶舗の斉藤道有さん、そして右端はリクルートから出向している森成人さんです。森さんは、経済同友会を通して気仙沼市役所に応援職員として派遣され、〈東北未来創造イニシアティブ〉や〈リアス観光創造プラットフォーム〉(以下、プラットフォーム)の活動をサポートしています。

はじめの2見開き4頁で、〈観光チーム気仙沼〉による市内観光プログラム〈ちょいのぞき〉や、プラットフォームの活動として〈ば!ば!ば!の場〉プロジェクト、そして道有さんが事務局長をつとめる東北観光ツリーハウス協会の活動が紹介されています。

その後半部では、本年3月に行われ、廣野さんや森さんも参加したスイスの観光地ツェルマットの視察を紹介しながら、観光戦略組織DMOの重要性が語られます。この中で、富士通から出向して森さんと同様にプラットフォームの運営に携わる小松志大さんの言葉なども紹介されています。

3見開き目の見出しは、〈水産業、ゼロからの悪戦苦闘〉。〈かわむら〉の川村社長の話をはじめ、気仙沼の水産関連事業の問題や課題の紹介です。その記事の最後は、川村社長が理事長をつとめる「気仙沼鹿折加工協同組合」について。この協同組合には、臼井弘君(3年4組)の福寿水産、小山修司君(5組)のカネシメイチ、それから鹿折中出身 高橋千尋君の高長商店も加盟しています。川村社長の言葉の中では、三井物産、住友商事、キリングループの皆さんのご支援が紹介されていました。

以上、東洋経済が6頁にもわたって気仙沼をとりあげていたよ、ということの報告でした。

〈気仙沼版DMO〉については、今年5月にテレビ東京〈ワールドビジネスサテライト〉も特集していました。たしか、森さんや小松さんの姿もうつっていたはずです。今回の東洋経済誌の特集もそうですが、観光庁が推進する〈日本版DMO〉のモデルケースとして後押ししてくれているのかもしれませんね。こうしたメディアでの取り上げを追い風として、気仙沼の活性化に役立てて欲しいと願っております。

5月24日ブログ「DMO先進地視察」

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果歩さんと気仙沼

9月になってはじめての日曜日、書店で一緒に雑誌を見ていた妻が〈なにげなくパラパラと見ていたら気仙沼が出ていた〉と教えてくれました。講談社の「おとなスタイル秋号Vol.5」に南果歩さんが気仙沼を訪れての8頁もの記事が掲載されていたのです。最初の見開きはこんな感じです。見出しは、〈私が通う場所、大切に想うこと。〉

南果歩さん
同誌サイト「試し読み」から(クリックでサイトにジャンプ)


はじめの2頁は〈出船送り〉。つぎの2頁はご主人である渡辺謙さんがつくったカフェ〈K-port〉の紹介。謙さんからのFAXにはしっかりと〈今日は取材で果歩がお邪魔しますのでよろしく〉といったメッセージが記されていました。そのつぎの見開きは、仲の良い気仙沼の女性陣との女子会の模様です。お店は魚町〈福よし〉さんです。そして頁をめくって驚きました。果歩さんがよく行く店や知人を紹介した8頁目の左上で果歩さんとうつっているのは、大友(小野寺)つき子さん(3年9組)。復興屋台村気仙沼横丁でラーメン店〈あたみ屋〉を営んでいます。果歩さんは気仙沼に行くたびにあたみ屋に寄り、つき子さんとも仲良しと書いてありました。

ご主人の渡辺謙さんだけでなく、こうして果歩夫人も気仙沼のことを引き立ててくれて。本当にありがたいことです。

そしにこの8頁の記事の写真撮影は、8月29日のブログで紹介した「大人の休日倶楽部」での謙さんの記事と同じく若木信吾さんでした。もう気仙沼といえば若木さんという感じでしょうか(笑)。

渡辺謙・南果歩ご夫妻、若木さん、そして講談社「おとなスタイル」編集部の皆様、ありがとうございました。

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唐桑大漁旗リレー

気仙沼市の海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」に大変おもしろい(といったら失礼なのか)動画が紹介されていました。唐桑(からくわ)の中学校で開催された運動会での大漁旗リレーです。フェイスブックのアカウントを持っていなくとも誰でも見ることができます。

大漁旗リレー
画像クリックでサイトにジャンプ。


9月3日に開催されたこの運動会のリレーでは、バトンの代わりに大漁旗を使っています。中学生の体にはちょっと重そうな、まさにthe heavy tairyo-bata flags。それでも風にたなびく旗のバランスをうまくとって、みんな懸命に走ります。応援の父兄の声もいい。

この大漁旗リレーは、唐桑で以前から行われていたものなのでしょうか。気仙沼小・中学校での記憶はありませんが、私が小学生のころに気小グラウンドで行われた市民運動会ではあったかもしれませんね。

こうして気仙沼の時の話題を海外に発信している「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE(未来の創造)」は市の委託を受けたボランティアチーム「The Great Challenge」が編集や翻訳などをてがけ2011年8月に気仙沼の公式ページとしてスタートしました。2012年1月発行の「広報 気仙沼」には、その時点で約26人により運営と記してありました。

この海外への情報発信プロジェクトの発案は、気仙沼市震災復興市民委員会の委員をつとめ、当時は日本マイクロソフト社員だった齋藤玲紀さんです。新月出身で気高41回生ですから私たちの19コ下になります。

広報の記事にあるメンバー名には、唐桑出身でミステリー小説などの翻訳で知られる熊谷千寿(ちとし)さんのお名前がありました。熊谷さんは、気仙沼高校38回生。東京外国語大学を卒業し、海外ミステリー小説などの翻訳で知られています。2010年3月に実家のある唐桑に活動拠点を移されたということですから、その1年後に震災を体験したことになります。

またメンバーの中に編集長として米国マサチューセッツ州バークシャー在住のDavid Robinsonさんのお名前も。奥様の律子さんは気仙沼出身で、気仙沼には何度も訪れているとのことです。ネット情報によれば、デイビッドさんは米国ナショナル・ジオグラフィック誌で25年間編集者を務めた方とのこと。素晴らしい。

以上のご紹介はスタート当時の情報ですから、5年の間に交代したり新たに加わったメンバーの方なども沢山いらっしゃることでしょう。また、ニュースの提供で三陸新報さんも協力されています。

それにしても、このニュースのクオリティを維持し、5年間も継続しているというのはものすごいことだと思います。なかなかできることではありません。この機会に、多くの関係者の方々にお礼を申し上げます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2012年1月1日発行「広報 気仙沼」(pdfファイル)

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支援金の使いみち

仕事を始めるまえに、本日13日の三陸新報(デジタル版)を読んでいたのですが、訃報広告欄でアレッと目が止まりました。気中3年8組の同級生だった中里(小山)悦子さんのご主人が亡くなったとの知らせ。悦子さんは8組のお世話役として、24日の同年会のクラス担当もつとめています。そんなことで、今回もお世話になりますということを伝えたく何度も電話をしていたのですがつながらずにおりました。本日の訃報を知り、そういうことだったのかと。まずは心からご主人のご冥福をお祈りいたします。


さて、その今月24日(土)に気仙沼で開催される「あれから50年 同年会」に関して9月7日、菊田裕美君(3年1組)からメールがありました。同年会の実行委員長である臼井真人君(2組)から、私たち気中20回生支援会の代表 鈴木徳一君(3組)あてに次の連絡があったとの報告です。

〈平成24年11月の気中20回生同年会「還暦祝い後1年・震災復興支援感謝の集い」開催にあたって、気中20回生支援会から頂いた義援金50万円を、今般の同年会アルバム作成費用に役立てさせてもらいます〉

4年前の南三陸町ホテル観洋での同年会開催にあたっては、被災した同級生も多いだろうということで、支援会から50万円をおくりました。しかし、実行委員会の皆さんは、まずはその気持ちだけを頂き、この支援金に手を付けずに預かり置いたうえで、会を〈復興支援感謝の集い〉として開催してくれたのです。そして2年後の今回、その支援金を同年会アルバムの費用にということになったようです。

この支援金は、首都圏、関東圏の同級生だけでなく、さまざまご縁をもつ多くの方から寄せられた浄財を基にしたものです。この場を借りて、ご支援をいただいた多くの方々に、あらためてのご報告と御礼を申し上げます。


裕美君からのメールと同じ日、一通の封書が届きました。開けてみると、新宿ゴールデン街「洗濯船」40周年を祝うパーティーへのお誘いでした。

洗濯船

まさに奇遇。洗濯船/吉成由貴子さんは、当会支援者のおひとりなのです。お店に募金箱を置き、気仙沼に向けての支援金を集めていただきました。また祝う会の発起人の一人でもある古今亭志ん彌さんにも、落語会での募金などご支援を頂いております。

洗濯船の吉成由貴子さんや志ん彌さんをはじめ、気仙沼へのご支援をいただいた多くの方々にお礼を申し上げます。そして、洗濯船40周年のお祝いも。おめでとうございます。


なお、当会の支援者の皆様のお名前や、上述した同年会への支援金については、2012年のつぎのブログにも記しております。どうぞご覧ください。

2012年11月16日ブログ「支援者の皆様」

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怪物金塊諸説紹介

前回9月9日のブログ「モンスターGOLD」の話の続きです。本日紹介するのは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年/気仙沼ライオンズクラブ発行)における〈鹿折金山〉と〈怪物金〉についての記載内容です。紹介は2頁にわたっています。

まずは1頁目。

鹿折金山

つぎに2頁目。右上の写真が〈モンスターゴールド〉、左上はセントルイス万国博覧会への出品者 徳永博士におくられた感謝状です。

モンスターゴールド

いずれも『目で見る気仙沼の歴史』より(クリックで拡大)

1頁目には、最盛期の鹿折金山の作業員は300名だったと記されています。2頁目〈怪物金〉の説明文を以下に引用します。

◎含有量85%の怪物金

怪物金が、アメリカのセントルイス世界博覧会に出品され(鉱石600匁(もんめ)で、金が500匁)、鹿折の怪物金と人気を呼んだ。出品者の徳永博士に感謝状がおくられ、政府発行の公債発売に大いに役立った。黒くうつっているのが、金のカタマリ。(引用は以上)

右上の写真が、1904年に米国で開催されたセントルイス万国博覧会に出品された金塊の写真です。〈NUGGET,“MONSTER”〉と記されています。NUGGET(ナゲット)は金属塊のこと(市史ではヌゲットと書いていました。チキンヌゲットか/笑)。

説明文に〈政府発行の公債発売に大いに役立った〉とありますが、これには諸説あるようです。気仙沼市史第5巻/産業編(上)に、つぎの記述がありました。以下に引用します。

「 時あたかも国運を懸けた日露戦争の最中で、日本政府は戦争遂行のため外債募集に腐心していたので、この金塊の産出が外債募集を容易にしたという話が伝わっている。

 この話には、ロンドンで外債募集に当たっていた日本銀行副総裁高橋是清の交渉を容易にしたという話と、伊東博文に依頼されたアメリカで親日的世論を高める工作に努力していた金子堅太郎の活動に役立ったという話と、大蔵大臣曽根荒助の財政演説に引用されたという話と三種あるが、『日露戦争回顧座談会』陸戦篇(昭和10年)の大島健一陸軍中将の実話には「戦費調達に困っていた明治38年秋頃秋田に途方もない良質の金鉱が発見されたことが大きく新聞に報道されたことがある。参謀総長山県有朋が曽根財相を呼んで確かめたところ、戦費調達のため海外に聞かせる宣伝だった。」という話が出ており、この秋田というのは当時金の良鉱を多産していた鹿折の誤りとして中村亀治の子息の次郎が「大気新聞」に紹介し地元に知られるようになったようである。」(引用は以上)

区切りがなくやたらに長い引用文の最後に登場する中村亀治については、秋田県阿仁町の人で明治32年に鹿折で探鉱し鉱脈を発見し、採掘権を得て旧抗の一部の開発にあたったとの記述が前段にありました。この名は、前回のブログで紹介した毎日新聞の記事でも子孫の中村敬二さんの名とともに登場しています。

怪物金塊をめぐる話はまさに諸説紛々。前回では、当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話を紹介しましたが、真相はやぶの中といった感じですね。

高橋是清、金子堅太郎、山県有朋、桂太郎など、わが国の歴史上の人物が多数登場するあたりは、まさにモンスター/怪物金塊のなせる技といったところでしょう。


なお、昭和初期に日本屈指の金産出量を誇った気仙沼市の大谷鉱山について、つぎのブログで書きました。全盛期には1300人が働いていたといいます。

2014年12月17日ブログ「気仙沼の大谷鉱山」

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モンスターGOLD

9月3日の三陸新報に鹿折(ししおり)金山産出の〈モンスターゴールド〉の記事が掲載されていました。

9月3日鹿折金山
三陸新報9月3日記事の一部イメージ

気仙沼市の鹿折金山で1904年に産出された巨大金塊「モンスターゴールド」の里帰り展示が実現しそうだというのです。リアス・アーク美術館内に専用スペースを整備して常設に近い形で展示していきたいという菅原市長の意向も紹介されています。

記事を少し引用します。〈モンスターゴールドは、重さ2.25kgの巨大金鉱石。金含有量は83%で、通常の金鉱石1トン分の金が含まれており、産出当時は世界を驚かせた。分割されて大部分が行方不明になったが、6分の1のかたまりが地質標本館(茨城県つくば市)で保管、展示されている〉(引用は以上〉

この記事だけではモンスターゴールドのすごさが、ちょっとわかりにくいと思います。毎日新聞/地方版〈みちのく建物探訪〉7月9日配信記事が鹿折金山資料館をとりあげていますので、以下に引用します。

「 鹿折金山は平安時代に開山し、奥州藤原氏の黄金文化を支えた金山の一つとされる。江戸時代に入り、伊達政宗の命で金の採掘が盛んになり、いったん閉山したものの、明治新政府の下で開発を再開した。「モンスターゴールド」が採掘されたのは、再開から4年後の1904(明治37)年だった。

 その存在は、国内外に広く知られるところとなる。「モンスターゴールド」は同年開催の米国・セントルイス万国博覧会に出展され、青銅メダルを受賞。当時の桂太郎首相が金塊の産出を日露戦争の前線部隊に伝えるよう命じ、兵士の士気を高めようとしたという逸話が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。

 ところが博覧会終了後、「モンスターゴールド」は突然、姿を消す。気仙沼観光コンベンション協会の加藤宣夫会長(74)は「行方不明となった時期も場所もまったく分かっていない。まさにミステリーのような話です」という。

 1939(昭和14)年、採掘当時の技師長を務めていた徳永重康・早大教授が「モンスターゴールド」の一部(約362g)を保存していることを論文で紹介。その後、徳永氏の遺族が工業技術院地質調査所地質標本館(茨城県つくば市)に寄贈し、現在、産業技術総合研究所の地質標本館(同)に保管されているが、残りの金塊の行方はいまも分かっていない。

 モンスターゴールド採掘にわいた鹿折金山だったが、金の産出量は1908(明治41)年の約64kgをピークに年々減少。1971年に閉山となった。それから30年後の2001年、明治時代に一時採掘権を所有していた中村亀治氏の子孫の中村敬二さん(78)や鹿折金山跡保存会が、現在の資料館の前身となる展示室を設置。さらに市が2012年10月、「東日本大震災で被災した人たちに何かしらの力になれば」と同資料館を建設した。」(以下略/引用は以上)

鹿折金山はちょっとしたブームのようですね。JR東日本の東北新幹線車内誌「トランヴェール」6月号に〈宮城に吹く金色の風。〉として特集されました。また7月31日(日)には、〈ば!ば!ば!の場! 黄金のロマンを巡る!鹿折金山トレイル!〉として、金山跡の散策のほか砂金採り体験もできるワークショップも開催されています。2012年に資料館が整備されたことで観光スポットしても価値も増したようです。市民の方も一度おとずれてみる価値が大いにあると思いました。場所などは、下記の市のサイトをご覧ください。

気仙沼市サイト「鹿折金山資料館」

『目で見る気仙沼の歴史』にも、鹿折金山の写真が掲載されているのですが、これは来週にでも。今週はこれにて。

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目黒区のさんま祭

9月4日(日)のテレビで、〈目黒のさんま祭〉のニュースをご覧になった方も多いでしょう。これを見て、目黒のさんま祭は終わってしまったと勘違いされる人もいらっしゃるのではないでしょうか。ご心配なく、目黒区のさんま祭は9月18日(日)に開催されます。

さんま祭

〈目黒のさんま祭〉がふたつあるわけで、ほんとわかりにくい。これは、JR「目黒」駅の西口側は目黒区、東側は品川区であるため。そして毎年はじめに行われるのが品川区側の〈さんま祭り〉。テレビでも季節の話題ということで各局が紹介するわけですが、2週間後にまた〈さんま祭〉のニュースを見て〈あれっ〉となってしまう。細かいことをいえば、目黒は〈祭〉、品川は〈祭り〉と、表記が少し違います。

ふたつの〈さんま祭〉の概要を紹介しておきましょう。

◎目黒区のさんま祭

「目黒区民まつり」(別称「目黒のSUNまつり」)のメインイベントが「目黒のさんま祭」です。気仙沼からのさんま5000尾の炭火焼きが無料でふるまわれます。区民まつりとしてはほかに「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」などのイベントも開催。

日時:9月18日(日)
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会
目黒区公式イベントサイト

◎品川区のさんま祭り

こちらは、目黒駅東口の品川区側。いつもは岩手県宮古港からのさんまが提供されるのですが、今年は不漁のために北海道のさんまを宮古がとりよせて提供という形になりました。

日時:9月4日(日)すでに終了
会場:JR・地下鉄目黒駅東口「目黒駅前商店街」
主催:目黒駅前商店街振興組合青年部

18日の〈目黒のさんま祭〉には、気仙沼からも〈さんま焼き隊〉やすり身汁ほかの提供などの大勢のお手伝いの方々が上京します。スタッフの方々は3000円の参加費を自分ではらってのお手伝いです。本当にありがたい。

例年は、気仙沼物産ブースで〈あさひ鮨〉の佐々木徹君も〈さんま姿寿し〉の販売をするのですが、今年ははずせない所用があり不参加とのこと。残念ですが、9月24日は気仙沼での同年会がありますから、そこで会うことができるでしょう。

9月18日の目黒のさんま祭。是非おでかけください。

そういえば、明日9月8日(木)は、〈志の輔らくご in 気仙沼〉の開催日ですね。沢山の方が集まっての楽しい会になることでしょう。

2015年9月21日ブログ「目黒さんま祭報告」(2015)

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海を望める高さに

9月3日(土)の三陸新報が、気仙沼の内湾地区の防潮堤の高さ引き下げに関する記事を掲載していました。県が地盤隆起分を低くすることを検討しているというのです。

9月3日内湾防潮堤
三陸新報9月3日記事

南町・魚町地区の防潮堤の高さは当初、海抜6.2mで計画されましたが、その後の住民要望などもあり5.1mに引き下げられました。そしてその内の余裕高1m分は起立式のフラップゲートが採用されますので、平時の高さは4.1mとなります。また、市が背後地を2.3mまでかさあげするため、見た目の高さは1.3mとなるというのがこれまでの計画です。

今回の設計見直し検討は、これまでの計画からさらに地盤隆起分だけ低くしようというもの。詳細は検討中ということですが、確認されている隆起分は25cmといいます。菅原市長は「内湾にとっては仮に25cm下がるだけでも、見た目には非常に大きい。子供でも海を望める高さになるだろう」と歓迎しているとのことです。

わかりにくいのは〈地盤隆起〉についてです。震災前からよく言われてきたのは、気仙沼は〈地盤沈下〉の影響で、大潮などのときには陸上への浸水があるということ。これに対して最近いわれているのは〈地盤隆起〉です。どうなっているのだろう。

この疑問は、9月3日の河北新報の配信記事で解決しました。震災後の県内の防潮堤建設計画は、国土地理院が2011年10月に改訂した水準点に基づき進められているのだそうです。そして今年2月時点では20cm前後隆起していると。つまり、震災前までは沈下傾向だったが、その後は隆起しているということでしょう。

しかしなあ、この地盤隆起があって新しい防潮堤がこれまでよりも高くなり漁業関係の仕事がしにくくなったという指摘は以前からなされていたはず。沈下と隆起についての問題は市議会でもとりあげられました。今回の内湾防潮堤は県の事業ですが、市が主導する防潮堤計画においてこの問題がどうなっているのか。ちょっと気になるところです。

と、いろいろありますが、内湾の防潮堤が菅原市長のいう〈子供でも海を望める高さ〉になるというのは良いニュースと思いご紹介しました。

河北新報9月3日配信記事

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空から 郷土一望

8月31日に三陸新報から新しい写真集が出版されました。書名は「郷土一望」。

9月1日空撮
三陸新報9月1日広告

表紙と思われる写真にうつるのは被災した内ノ脇地区ですね。広告には〈懐かし過ぎる町並み、そして未来に向かいつつある地域の今を空から記録〉とありますので、被災前の写真も収録されているのだと思います。

空撮写真は、通常の視点ではとらえきれない風景を私たちに見せてくれます。そして震災前の内湾の空撮写真は、今になってみれば失われた風景の写真なのです。昨年6月のブログにも書きました。

2015年6月19日ブログ「失われた風景写真」

このほか本ブログでは、三陸新報に掲載された空撮写真を紹介してきました。下記に主要な記事のリンクをはりましたのでご覧ください。

3月18日ブログ「復興状況空撮写真」
1月5日ブログ「南気仙沼空撮写真」
2015年2月27日ブログ「内湾地区空撮写真」
2015年1月16日ブログ「鹿折地区かさ上げ」
2015年1月7日ブログ「空から見る気仙沼」

「郷土一望」。どうぞ気仙沼市内書店でお求めください。市外の方のためにアマゾンのリンクを貼っておきます。


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熊谷達也先生の話

先日の土曜日9月3日は、気仙沼サポートビューロー(KSB)主催のKSB復興フォーラム。気仙沼中学校での教師経験をお持ちの直木賞作家・熊谷達也さん(というか熊谷先生というほうが自然な感じ)をお招きしての会でした。

貸し切りの会場は、定員30名を越える人で満席状態。午後6時からの会は、気仙沼をモデルにした「仙河海(せんがうみ)」シリーズ誕生の背景についての熊谷先生の話から始まりました。こんな感じです。ご本人に事前許可を得て撮影いたしました。

熊谷先生

震災直後、先生が気仙沼を訪れたのは4月1日のこと。そして〈言葉を失う〉というのはこういうことだったのかというほどの衝撃を受けたといいます。それからしばらくは、文字をあつかう作家であるにもかかわらず、小説はもちろん新聞も読めなかったそうです。

「仙河海」シリーズの最初の作品は、『小説宝石』2012年11月号から連載が始まり翌年12月に単行本が刊行された『リアスの子』です。そして、熊谷さんが気仙沼をモデルにしたその小説を構想したきっかけは、佐藤泰志(やすし)さんの小説『海炭市叙景』に触れたこと。この作品は、函館市とおぼしき架空の街「海炭市」を舞台にした短編集ですが、こうした方法もあるなと思い始めたというのです。このほか、シリーズの各作品について、その登場人物のモデルなどのエピソードや興味深い話が続くのですが、詳細は略します。

1時間ほどの先生の話の後は、会場のセッティングを変えてお酒やつまみなどをいただきながらの懇親会。参加者の中には気仙沼中学時代の教え子などもいますし、実に和気藹々というかリラックスした雰囲気でした。後半は参加者の自己紹介や熊谷先生への質問などが続き、6時に始まった会の終了は10時を回っていたように思います。

いろいろとご紹介したい言葉が沢山あるのですが、会のおわりに一言と求められて熊谷先生がおっしゃった言葉だけを記しておきます。強く印象に残りました。

〈書くことがあるというのは、もの書きとして幸せなことかもしれない。いまは、生かされているんだなという感覚がある。死者の魂に対して恥ずかしくないものを書いていきたいと思っている。〉

熊谷達也先生、貴重なお話を本当にありがとうございました。また、熊谷先生が〈これまでで一番あったかい空間〉と語っていたほどの素晴らしい会を企画・運営してくださった、齋藤岳大さんはじめ気仙沼サポートビューローの皆様にお礼を申し上げます。

(追記)KSBのオヤマさんのブログ「オヤマ日記飴」でも当日の様子が紹介されています。どうぞご覧ください。

オヤマ日記飴 9月3日記事

「仙河海」シリーズ既刊6冊のアマゾンリンクを下に貼っておきます。先生お勧めの読書順は、あえていえば『リアスの子』『希望の星』あとはお好きな順にとのことでした。


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スロー村途中経過

8月25日の三陸新報にちょっと気になる記事がありました。気仙沼市の内湾地区に計画されている新商業エリア「(仮称)内湾スロー村」のテナント出店意向が募集の半分以下にとどまっているというのです。

8 月25日スロー村
三陸新報8月25日記事より

8月23日の〈内湾地区復興まちづくり協議会〉における菅原昭彦会長の説明内容など、記事の一部を以下に引用します。

新商業施設は、南町の区画整理事業区域内に飲食・物販、屋台村など3つのエリアに分かれている。報告によると、募集する計31区画のテナントのうち、現在までに12区画で地元業者を中心に出店に前向きな意向を示していることを明らかにした。

全体事業費約12億円の財源については、国の津波立地補助金に加え、県の補助メニューなどを組合せることも検討しながら、資金確保に努めていく。

被災事業者を中心に、テナント料や再建時期などが合わないなどの理由で慎重に検討している事業者も多いものとみられる。気仙沼地域開発の社長も務める菅原会長は「場合によっては家賃を下げることや施設規模、建設コストの見直しも検討したい」と話している。(引用は以上)

31区画のうち、まだ19区画の見通しがたっていないというのは心配ですね。それと、私が気になっているのは、気仙沼市が内湾地区を対象に策定中の「まちなか再生計画」です。その後どのようになっているのかの報道があまりないのですが、これが国に認定されれば、商業施設整備に国の補助金を活用できることとなります。しかし、この補助も構成店舗の事前確定や各店舗の収支計画など様々な条件があるはずなので、簡単な話ではありません。

なお、三陸新報の記事の冒頭で、〈民間会社が内湾エリアに計画している新商業施設〉との記述がありましたが、気仙沼地域開発(株)は、気仙沼市も出資するいわゆる第3セクターです。資本金1000万円のうちの市の出資比率はわかりませんが、あえて〈民間会社〉と書く必要はないと思いました。

この新聞記事を読んで、この施設計画に関わっている方々の苦労は並大抵のものではないなと感じています。各種補助金の内容が定まらなければテナント出店を決断できないし、テナント内容が定まらないと補助の申請もできないといった、どっちが先なのかという話。

菅原昭彦会長/社長も施設規模の見直しに触れていましたが、今後の状況によっては、よりコンパクトな計画に修正することも求められるのかもしれません。

当初の計画がなんの問題もなく実現するようなことはそうあることではありません。今回のテナント募集への反応も、計画に対する貴重なリサーチ結果と受け止め、今後の実施計画に反映して欲しいと思っています。内湾を見て育った魚町出身者として、より良い商業施設となることを願っています。

7月1日ブログ「内湾の未来計画図」

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藤田さんの「蒼空」

きょうから9月ですね。本日も催事関係のご案内などをふたつ。どちらも9月3日、今度の土曜日です。

1:蒼空〜空どこまでも蒼く     

まずは、気仙沼出身の舞台俳優 藤田信宏さんが主宰する演劇集団「インディゴ・プランツ」の「蒼空(そうくう)〜空どこまでも蒼(あお)く」。三陸新報の復刊70周年記念公演として開催されます。

青空
三陸新報8月23日広告より(クリックで拡大)

(紹介文より)終戦間際……。神風特別攻撃隊。片道の燃料と爆弾だけを積み、敵艦船へ体当たり攻撃を加える。明日の未来と決別し、命を散らせていく大勢の若者たち。しかし彼らは、いま目の前にある生をまぶしいくらいに輝かせていた。蒼い空に生命と希望をかけた、秀逸な人間ドラマです。

◎日時:9月3日(土)
◎会場:気仙沼市民会館
開場 12:30
本編 13:30〜15:55
演舞 16:10〜16:30
◎入場無料

この公演、事前のハガキでの申込みが必要となっていますが、8月31日時点では若干の残席があるようです。当日の会場にて残席がある場合は入場可能とのことですので、ご覧になりたい方は開場前に市民会館にお出かけください。

藤田信宏さんの実家は港町の藤田製函店さん。震災前はたしか弁天町でしたでしょうか。「蒼空」は、東京、鹿児島、宮崎の3県5都市の公演を大好評のうちに終えて、大千秋楽を藤田さんの故郷 気仙沼で迎えることになります。沢山の観客を前に、よりよい舞台となりますように。

2:ドローン撮影エキストラ     

つぎはお手伝い、気仙沼でいうところの〈おでってぇ〉募集。同級生の故 小山隆市君(3年6組)の三男晃宏さんからのお知らせです。

晃宏さんの勤務する人材系の総合代理店インビジョン株式会社(本社:東京・中目黒)の新卒内定式を彼の企画により気仙沼で行います。つぎのようなことらしい。

9月2日(金)夜に気仙沼に入り、その日は「唐桑御殿つなかん」で一泊。翌朝、気仙沼魚市場を見学し、魚市場の岸壁に来港する漁船をドローンで撮影。そのまま唐桑で漁に挑戦。内定書贈呈式はもちろん船上。上空にはドローン。そして、この漁の後に唐桑半造広場で気仙沼とインビジョンのプロモーション撮影を予定しているとのこと。

その際に、〈空中に飛んでいるドローンに向かって傘を開くとか、ドローンに手を振るなど、老若男女問わず、たくさん、いっぱい、人が映ってほしい〉と。要するにエキストラということでしょう。

◎9月3日(土)13時〜15時
◎気仙沼市唐桑・半造広場

そういうことなら手伝ってやろうという方は是非、下記までメールを。詳細をお伝えするとのことです。

a.oyama0529@gmail.com

本件についての晃宏さんのブログ

なんか、9月3日は忙しい一日になりそうですが、どうぞ、よろしく。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 藤田信宏 蒼空

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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