6月から、〈けせんぬまさいがいエフエム〉の生放送枠が拡大されたことは
6月7日のブログで紹介しました。その生放送の午前10時から11時までは、〈推(おし)ラジ〉ということで、斉藤大樹(ひろき)さんが担当しています。キャッチフレーズは、〈気仙沼の「過去」「現在」「未来」を様々な角度で捉えてピックアップ!あなたも時代の目撃者〉です。そして、新しい番組編成となって間もないころ、その放送を妻がネットで聞いて私に教えてくれました。〈気仙沼に丸光デパートができたころの話をしていた〉と。
それを聞いて、このブログ用に気仙沼のデパート開店の変遷などを調べていたことを思い出しました。本日はその内容を整理してご紹介します。
まずは、例によって『気仙沼文化史年表』(荒木英夫 編)から、藤崎に関する2つの記述です。
◎1955(昭和30)年7月5日
藤崎デパート気仙沼出張所が魚町一区に開店
◎1956(昭和31)年5月12日
南町に藤崎デパート開店
魚町の出張所というのはよくわかりませんが、昭和31年の南町での開店は、文信堂書店の向かいの角の〈千田家住宅〉ではないでしょうか。大堀銀座交差点角に丸藤デパートが開店した後も、外商部や一部物販をおこなっていたように思います。なぜか楽器を扱っていて、陳列棚のなかにフルート(ピッコロかも)がありました。なぜかこれが欲しかったことを覚えています。〈千田家住宅〉はいまもあり、そのクラシックな風情の建物は男山本店などと同じく〈登録有形文化財〉に指定されています。
「千田家住宅」(文化遺産オンラインより)つぎの4項目は私たちのよく知る藤崎や丸光に関して。
◎1962(昭和37)年5月5日
丸藤(藤崎)デパート 八日町に新築開店
私が気仙沼小学校5年生のときですね。気仙沼ではじめてエレベータを備えた店舗だったと思います。大堀銀座交差点の角。もとは藤野食料品店でした。果物や缶詰などを売っていたかな。南町のフヂノ薬局とは、ご主人どうしが兄弟でした。
◎1966(昭和41)年6月10日
南町に丸光気仙沼店 開店(のちビブレと改める)
丸光には気仙沼ではじめてのエスカレーターが設置されました。中学3年生のときのこと。この後、丸光はつぎの新装開店や店名変更などをおこないます。
◎1978(昭和53年)12月18日
丸光デパート新装開店
◎1995(平成7)年3月16日
ダックシティ丸光気仙沼店が「気仙沼ビブレ」と店名を変更
これ以降については、ウィキペディアの「ビブレ」説明中に関連記述がありましたので、整理して紹介します。
◎2002(平成14)年1月10日
気仙沼ビブレ閉店
◎2002(平成14)年5月9日
気仙沼ビブレの閉店後、元従業員たちを中心として「イコーレ気仙沼」として再開業
◎2007年(平成19)年5月11日
イコーレ気仙沼、業績不振から閉店
年表事項は以上です。南町にあった藤崎の店舗がなくなったのがいつのことだったのかがわかりませんでした。なお、現在もある藤崎のギフトショップ気仙沼店は、1997(平成9年)にオープンしています。
この年表事項をながめていると、2000年あたりの南町の商店街のことを思い出します。夏休みなどで気仙沼に帰省すると、シャッターを閉めた店も増え、人通りも少なくなっていきました。魚町も同様で、もともと少なかったお店がさらに少なくなって。
ここまで書いて、ジャスコ(現イオン)の開店がいつ頃だったろうかと頭にうかびましたが、長くなるのでここまでにしておきましょう。
一昨年4月のブログで、「丸藤」開店の年1962(昭和37)年に屋上で行われた壁画大会の写真を紹介しました。気仙沼小学校5年代表の4名がうつっています。ひさしぶりに写真をながめてみると、4人の中のふたり、小山隆市君、千葉和夫君がすでにいないことを思い知らされます。
2014年4月3日ブログ「丸藤屋上壁画大会」
テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア
tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 けせんぬまさいがいエフエム 藤崎 丸光