やまと食堂の閉店

6月25日(日)の三陸新報にこんな広告が掲載されていました。

やまと食堂
三陸新報6月25日掲載広告

気仙沼市魚町2丁目の〈やまと食堂〉さんが、魚町地区の土地区画整理事業に伴い7月10日をもって閉店するとの知らせです。昭和26年の開店といいますから、昭和26年4月〜27年3月生まれの気中20回生とほぼ同じ。

私たちより一学年下のm-soneさんも、25日の自身のブログでこの閉店広告のことを書いています。その中に〈南町、魚町界隈のそば屋さんと云うと、丸仁、大島屋、かもめ食堂、そしてやまと食堂と云うことになります〉との記述がありました。m-soneさんの実家は、元のエースポートの向かい、喫茶店の亜紀があったあたりでしたから、この 4店が思い出の食堂なのでしょう。エースポートからもう少し駐車場のほうにいったところには丸枡食堂もありました。その並びには黒田拓夫君(3年2組)の実家〈黒田商店〉がありましたが、その後は弁天町に移りました。

私は、やまと食堂にはいった記憶がありません。忘れているだけかもしれませんが、小中学校のころに外の食堂を利用するというのは滅多になかったように思う。私の記憶にある魚町の近所の食堂は海岸通りではなく、ひとつ中に入った通り、カネシメイチの向かいにあった丸常と藤村、そして洋食のマルサンです。私の父が夜の準急〈室根号〉で出張から帰ってきたとき、丸常から出前のうどんをとったことを思い出します。私も一緒にかしわうどんなどを。室根号は夜の9時半頃に気仙沼駅着でした。朝は6時半頃に気仙沼発。仙台まで3時間だったかな。

洋食のマルサンと書いて思いだしたのですが、南町の角星や田中砂糖屋の向かいには洋食の〈ワタブン〉がありました。こう考えると、昔は結構多くの食堂があったのですね。気仙沼の魚市場が南町海岸にあったころは、相当に繁盛したのでしょう。屋台の店もずいぶん並んでいたらしい。しかし、その魚市場も昭和31年/1956年3月に現在地に移転します。

こうして、〈やまと食堂〉閉店のお知らせを見ながら、幼かったころの魚町や南町の様子を思い出しておりました。
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気仙沼高校同窓会

7月9日(土)は気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会。6月30日(水)が参加申込み締切となっていましたので、再度ご案内します。

関東同窓会

◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

◎日 時:2016年7月9日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12:10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:九段下・ホテルグランドパレス
◎会 費:(懇親会費+年会費1000円):
 〜平成16年卒業:9,000円(年会費込み)
 平成17年〜26年卒業:3,000円(年会費込み)
 平成27年〜28年卒業:無料(年会費込み)
 母校への寄付:一口1,000円〜
 当会運営費カンパ:一口1,000円〜
◎お申込:
メールでのお申し込みは、お名前(旧姓)、卒業学校名、卒業年、お電話、住所等を記入の上で下記まで。
kantou@khs-doso.com
FAX:042-401-1369
◎会費振込 郵便振替口座
(口座番号)00130-6-615097
(口座名)宮城県気仙沼高等学校関東同窓会
◎申込み締切:6月30日(木)
詳細は次のサイトをご覧ください。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して開催。なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。両校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も同様です。

再掲内容は以上です。実は私もまだ申し込んでおりませんでした。以前、同窓会事務局の方が話していました。〈気仙沼の人はギリギリになんないとやんないだでば〉と。お互い気をつけましょう(笑)。

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婦人画報の応援団

6月20日のブログ婦人画報の気仙沼」で、雑誌『婦人画報』7月号の気仙沼関連記事を紹介しました。その写真クレジットに〈2015年12月号掲載〉とありましたので、同号をさっそく図書館で申込み、先日手にすることができました。

5頁にわたる特集でした。まずは左頁の魚市場にならぶメカジキの写真から始まります。右頁は、フランスの高級宝飾ブランド〈BOUCHERON〉(ブシュロン)の広告です。気仙沼ブランドのメカジキとの対照が素敵だ(笑)。

画報1

つぎの見開きの見出しは〈はまらいんや〉です。

画報2

左頁が気仙沼の廿一(にじゅういち)地区のツリーハウスツリーハウス〈Merry〉です。この写真を見て思い出しました。以前、東北ツリーハウス観光協会のサイトにこの雑誌での掲載が紹介されていました。写真で樹上にうつっているのは同協会事務局長の斉藤道有さん。右頁の写真はK-portです。オーナー渡辺謙さんからのファックスも紹介されています。つぎの見開きは両頁とも唐桑関連で、左が〈折石〉、右が〈もまれ牡蠣〉です。これらの写真は、先日紹介した本年7月号でも使われていました。以上の5頁が、婦人画報の連載特集「この郷(クニ)をゆく」の第81回でした。

画報3

婦人画報の2013年12月号では、気仙沼ニッティングを紹介しています。気仙沼ニッティングのウェブサイトに誌面イメージの画像がありました。特集名は、〈世界が微笑むギフトを贈る〉です。

こうして何度も気仙沼のことをとりあげてくれて、編集部に応援団があるのではと思うくらいです。こうした特集を通じて、婦人画報の読者の方々に気仙沼が強く印象づけられたことでしょう。関係者の皆様、ありがとうございました。

なお、東北ツリーハウス観光協会と気仙沼ニッティングは共に、〈気仙沼のほぼ日〉の事務所をオフィスとして使っています。27日(月)に更新された〈沼のハナヨメ。〉42話では、その話を紹介していました。こちらも是非ご覧ください。

気仙沼のほぼ日/沼のハナヨメ。

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市議会での茶番劇

6月20日、気仙沼市議会6月定例会の一般質問で、質問の事前通告をおこなっていた熊谷雅裕議員が、ほかの議員の退席によって質問できず、〈質問取り下げ〉に至りました。気仙沼の多くの人はすでにご存じのことと思いますが、市外の方などに向けて成り行きを紹介します。

6月21日の三陸新報は、一面記事で一般質問の内容を報じているのですが、その冒頭は、この熊谷議員の〈質問取り下げ〉についてでした。

6月21日トップ
三陸新報6月21日一面トップ記事イメージ

記事の冒頭部を引用します。

「 この日の一般質問では、5番目に熊谷雅裕氏が登壇する予定だったが、他の議員の退席によって質問できない事態となった。飲酒運転疑惑による辞職勧告を受け入れないことに対する不満が背景にあるものとみられ、昨年12月定例会に続いて2度目。
4番目の議員の一般質問が終わった直後、熊谷伸一議長に対し、秋山善治郎氏(共産)が熊谷氏の弁明を求める動議を提案。起立採決の結果、賛成多数で可決された。
休憩を経て再開された本会議では、秋山氏が説明を求めた「『記憶がない』ということは事実だったのか」という点について、熊谷氏は「事実です」などと説明。熊谷氏が質問席に向かおうとしたところ、各議員が次々と議席を離れ、議場を後にした。
その後、休憩中に熊谷氏が質問を取り下げた。」(記事引用は以上)

この三陸新報の記事の下には、つぎの囲み記事が掲載されていました。

6月21日
三陸新報6月21日一面囲み記事

この記事は〈茶番劇と言わざるを得ない光景だった〉と始まっています。そして記事の末尾にこう記します。〈熊谷議員に対する不満はあるにせよ、会議規則に逆らい、議長の制止呼び掛けを振り切ってまで退席した対応は適切だったのか。一般質問は誰のために行うものなのか。市民不在の対応に疑問だけが残る結果となった〉。まったく同感。

〈飲酒運転疑惑〉をもたれるようなことを擁護する人は誰もいないでしょう。しかし、大島の仮設住宅に住むという住民から匿名で市議会に告発があったという、この一連の騒動はなんか気持ちが悪い。いつのことだったかと思い調べてみたら、飲酒があったとされたのは2年前の2014年6月25日。そして同年10月1日の辞職勧告決議案可決に至ります。

熊谷雅裕君は、気仙沼高校の同級生でした。どうしても擁護というか応援の気持ちが働いてしまうのですが、それはそれとして、今回の市議会の動きには疑問があります。もちろん、この問題については、自身の飲酒運転疑惑に対して〈記憶がない〉というばかりでその疑惑を明確に払拭できない雅裕君が一番よくない。また私の勝手な推測ですが、今回の弁明の場でも、熊谷議員の説明が〈反省が感じられない〉ものだったのではないかなとも。まさに雅裕君の不徳のいたすところ。桝添都知事の問題で話題となりましたが〈違法ではないが不適切〉ということでしょう。しかし、こうしたことを再来年4月まで、残る2年の任期中ずっと続けるのでしょうか。

6月14日の三陸新報によれば、熊谷議員の一般質問通告は、防潮堤計画の見直しや、大島架橋に関するものです。全議員24名のうち当日の出席者数はわかりませんが、議場を退席した15名はこうした重要なテーマに関する質問と市長をはじめとする行政側の答弁の機会をうばうこととなりました。

議員にいろんな意見があるのは当然のこと。しかし、私が今回一番気になったのは、15人が〈会議規則に逆らい、議長の制止呼び掛けを振り切ってまで退席〉したことです。規則の大事さ、議長の権威というもとをどう考えるのか。

週のはじめ、面倒な話はこの辺で。このブログを書くにあたって、あえて雅裕君には連絡をとりませんでした。後で電話でもしてみようと思っています。

今週が皆様にとってよい一週間でありますように。

2014年10月2日ブログ「熊谷雅裕君のこと」
2015年12月17日ブログ「不徳の致すところ」

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今日は「UFOの日」

今朝、電車のなかでツイッター情報を見ていたら、国立公文書館が「今日(6/24)はUFOの日。1947年のこの日、米国で初めて空飛ぶ円盤が目撃されたことに由来するそうです」と教えてくれました。そうか今日だったか。この〈UFOの日〉については、2011年のブログで書き、その後に再掲もいたしました。私にとっては、なつかしい〈国際円盤デー〉。ということで2011年7月14日のブログを以下に再録します。


「 昨日のブログで気仙沼中学校の体育館にちょっと触れました。5月にその体育館の避難所をたずねたとき、昔と変わってないなと感じた一方、気中のグラウンドは仮設住宅がならび、風景が一変していました。今日は、その気中グラウンドにまつわるお話です。

中学2年生のときだと思いますが、空飛ぶ円盤がちょっとしたブームでした。何人も「見たことがある」というのです。「そんなばかな」という私に、UFO体験者の一人が「実は空飛ぶ円盤を研究する会があるんだ」と。オダも いぐが ? 。

半信半疑でしたが、4~5人でその研究会に行ってみました。気仙沼小学校の第2校舎を河原田方向に抜ける道の途中にその家はありました。そして20代なかごろの若い人(松下さんっていったかな)がいろいろとスライドや機関誌を見せてくれたのです。

そして研究会に2回くらい行った後の6月24日の夜、気仙沼中学校のグラウンドに研究会メンバー10人ぐらいが集まりました。その日は、「国際円盤デー」。1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が自家用機で飛行中に空飛ぶ円盤を発見したとされています。私たちはグラウンドの中央で手をつなぎ円陣を組みます。そして、みんなが心のなかで、こうつぶやくのです。

「地球付近を航行中の空飛ぶ円盤がいましたら、地球人にそれとわかるようにコンタクトしてください」

これを1時間くらいやってたかな。一時は、雲のうしろでぼーっと光った月を「来たっ!」といって喜んだときもあったんだけど。結局、円盤は来てくれませんでした。

研究会の団体名は「CBA」。いまネットで調べてみるとCosmic Brotherhood Association(宇宙友好協会)の略称なんですね。まあ、なんというかある種伝説的な団体だったみたい。ここまで書いて、大震災のときにこそ宇宙人が円盤にのって飛来していたのではないかと思い、検索してみました。

やっぱりね。結構たくさん来てるようですよ(笑)。」(再録内容は以上)

冒頭で紹介した国立公文書館のツイートでは、つぎの画像を紹介しています。



説明には「画像は「弘賢随筆」中の挿絵。常陸国(現茨城県)沖を漂流していたあやしい船と、中にいた女性の絵だそうですが・・・」とあります。右上の文字というか図形がとても味わい深い。

CBA/宇宙友好協会の機関誌には、これに似た話がたくさん紹介されていました。縄文時代には宇宙人がたくさん来てましたから、その姿が土偶として残っているわけです。ピラミッドの作り方を教えてくれたのは誰か、それはもう説明不要でしょう。みたいな(笑)。

気仙沼中学のグラウンドで円陣を組んだ同級生は誰だったかな。さすがに半世紀も前のことなので忘れてしまいました。地球付近を航行中の宇宙人がいたら教えて欲しいと思う今日この頃です。どうぞ皆様、良い週末を。

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2CVをどう読むか

きのう22日のブログで、熊谷育美さんのベストアルバム「Re:Us~」発売を紹介しましたが、その夜、ツイッターで育美さんが結婚したことを知りました。ファンの祝福メッセージに熊谷育美スタッフ @ ‪kumastaff‬ が〈ありがとうございます〉と返信していましたので間違いないでしょう。遅ればせながら、おめでとうございました。めでたし。

きのうのブログでは、この「Re:Us Navigation」ミュージックビデオも紹介しました。



ブログの中で私は、〈シトロエン 2CVが走り回る〉と書いたのですが、皆さんはこの〈2CV〉をどう読んだのでしょうか。本日は、私の読み方の変遷を。

45年ほど前、大学生のときに初めて〈2CV〉の文字を見たときには〈ニーシーブイ〉と読んでいたのです。しかし友達との会話のなかで〈あれはフランス語だからドゥーシーボーと読まなくちゃ〉と笑われました。なるほどね。

同じように、ドイツ車BMWは〈ビーエムダブリュー〉ではなく〈ベーエムベー/ベンベー〉。さらに、フォルクスワーゲンの〈VW〉をマニア/愛好家は〈ファーベー〉と読むと聞いたときにはさすがに驚きました。メンドクセー。

2CVといえば矢作俊彦さんの小説『スズキさんの休息と遍歴』を思い出します。その副題が〈またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行〉。〈スズキさん〉とは、この小説が連載されていた雑誌『NAVI』の編集者だった鈴木正文さんのこと。鈴木さんは現在『GQ Japan』編集長ですが、二玄社の『CAR GRAPHIC』『NAVI』を経て、新潮社『ENGINE』の編集長もつとめた自動車文化に詳しい方。ですから、2CVの日本語表記〈ドーシーボー〉は、当時の標準的なものだったのではないでしょうか。今みると堂々とした感じさえします。ドーシーボー。

なお、2CVは〈2馬力〉という意味。ジブリの宮崎駿さんがこの車が大好きで個人事務所〈株式会社二馬力〉の名もこれに由来します。そんなことで宮崎監督の『ルパン三世 カリオストロの城』にも2CVが登場したわけです。

今は2CVをどう読むか。ちょっと欧州車にうるさい感と仏語臭をただよわせながら〈ドゥセボ〉かな。ついでに仏語臭といえば〈ケツクセ〉。これはケスクセ/これはなんですか?ですね。〈コマンタレブー〉というのもありました。お元気ですか。

それから、〈セシボン〉(すばらしい)と聞いて、コメディアンの世志凡太(せしぼんた)さんを思い出すのは何人ぐらいいるのか。今や少数派か。世志凡太といえば、東京ぼん太さんもなつかしい。夢もチボーもないよ。と話にきりがないので、本日はこれまで。

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熊谷育美ベスト盤

本日6月22日(水)、気仙沼を拠点として活動しているシンガーソングライター熊谷育美さんのベストアルバム「Re:Us~(リアス)」が発売されましたのでご紹介。

リアス

◎熊谷育美ベストアルバム~Re:Us
【初回限定盤】CD+DVD 価格:¥3,500(税込)これまで発売されたシングル曲のミュージックビデオを収録したDVD付
【通常盤】CD 価格:¥3,000(税込)未発表音源1曲収録

収録内容などの詳細は下記のアマゾンリンクでどうぞ。



以下は、アルバム紹介文から。

◎気仙沼から世界へ。
◎熊谷育美 初のベストアルバムをリリース!
東日本大震災から5年。今も地元・気仙沼を拠点に、故郷を歌い続ける熊谷育美。そんな彼女の歌の軌跡を一枚のアルバムに凝縮しました。シングル楽曲、タイアップ楽曲を網羅し、コアユーザーはもちろん、潜在的なグレイユーザーにも広く訴求できる作品となっています。

配信シングル「Re:Us Navigation(リアスナビゲーション)」のミュージックビデオ(MV)も紹介しておきましょう。6月11日に公開されました。



この楽曲は国道45号線のドライブをモチーフにしていますが、シトロエン 2CVが走り回るMV撮影地は気仙沼大島です。ドローンによる空撮映像は、いつもとはちょっと違った大島の風景を見せてくれます。お時間の許すかたはつぎのメイキング映像も是非に。愛耕幼稚園の子供たちをはじめ、気仙沼の多くの人が参加して制作されました。

メイキング映像v0l.1
メイキング映像v0l.2
メイキング映像v0l.3

この曲はベストアルバムにも収録されていますが、配信情報など詳細は下記にて。

テイチク配信情報

ベストアルバム発売ということもあって、育美さんはラジオ各局でのプロモーションなど、忙しい毎日が続くようです。6月24日(金)午後1時からの文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」にも出演するそうです。

育美さん、梅雨の季節で暑い毎日が続きますが、どうぞ体調に気をつけながら頑張ってください。みんな応援していますからね。

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KSS42懇親会報告

仙台方面の同年会「KSS42」(昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会)の総会と懇親会が6月4日(土)に開かれました。そのときの参加者集合写真はKSS42ウェブサイトに先行掲載されており、私も見ておりました。この写真です。

KSS422016懇親会
2016年6月4日懇親会(クリックで拡大)

KSS42ウェブサイト

そして先日、代表の小山達朗君(気中3年9組)が当日の様子を伝える文章を送ってくれましたので以下に紹介します。

6月4日、KSS42の総会と懇親会が盛大に開催されました。仙台の繁華街一番町通りのビアホール「銀座ライオン」に35名もが参集し11時30分に開始。代表挨拶のあと総会の報告とつづき12時より懇親会でした。参加者紹介のあと気中3年3組の平野秀明君が制作した7分間のスライドショー「KSS42のayumi」を上映しました。平野氏は「たまには変化を付けて、こういうのもいいかと思いました」とのこと。

サプライズコーナーでは、KSS42事務局としての多大な貢献に感謝して弁護士の6組小松亀一君に感謝状を贈呈。4組大竹純子さんから感謝状が手渡されました。ビンゴゲームの後は男女2名を抽選で選び、平野君が色紙に似顔絵を描きました。3組の鈴木徳一君と、8組の吉田恵子さんです。また、いつも遠方より参加してくれていることに対する感謝の意味も含め3組の鈴木徳一君と、毎回楽しいゲームを仕切ってくれる9組の熊谷しず子さんへも、前日に描いたという似顔絵が贈られました。平野君は本業でも絵を描いているだけに素晴らしい出来ばえ。よい記念になる楽しい時間でした。

その後の2次会は国分町のショットバーでカラオケとダンスで盛り上がり。3次会は、国分町の イタリアレストラン「ノバッテ」で気仙沼出身の経営者兄弟と一緒にワインと料理を堪能しました。まだ足りなかったのか、締めということで居酒屋での4次会まで行ったとか? こうして昼間から夜遅くまで「パーティー」が続きました。本当に皆さんが64歳とか65歳なのかと思うような、元気と若さあふれる同年会でした。(報告引用は以上)

今回も大勢の同級生たちが集まりましたね。上記の報告文に登場する方がすべて気中だったために、クラス情報が気中3年時のものになっていますが、念のために申し上げれば、KSS42は仙台周辺をはじめ宮城・岩手にまたがる三陸地区にくらす各校同年生の会。参加を希望される方はぜひ、同会までご連絡ください。

今回もみんなの元気な様子がうかがえてなによりでした。でもね、飲み過ぎにはくれぐれもご注意を(笑)。

なお、昨年10月の懇親会の様子は下記のブログからどうぞ。これまでの懇親会のリンクもはってあります。

2015年11月3日ブログ「KSS42秋の懇親会」

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婦人画報の気仙沼

10日ほど前に、妻が〈図書館で見た雑誌「婦人画報」の7月号で気仙沼が4頁にもわたって特集されていた〉と教えてくれました。これは自宅近くの図書館の話。そして翌日、私は仕事場近くの図書館で同誌を手に取りました。でも、気仙沼に関する記事はほんのちょっとだけ。おかしいなあ。妻は、見落としたんじゃないのと笑いますが、どうも話がかみあいません。ちゃんと見たんだけどなあ。謎だ。(追記:そう思ったのは勘違いで、後で見たら、通常版にも同じ内容が掲載されていました。失礼)

日曜日12日に二子玉川の大型書店でその謎がとけました。「婦人画報」は創刊111周年を記念して、7月号では連載記事「この郷(くに)をゆく」のスベシャル特集を実施。通常版とは別に特集内容と表紙が異なる各エリア版6冊を同時発売していたのです。

ちょっと失礼して、気仙沼の特集頁を撮影したのでご紹介。

5頁にわたる特集は左頁から始まります。まずは唐桑の巨釜半造(おがまはんぞう)の折石(おれいし)です。メインタイトル〈気仙沼〉の脇に、〈東北のあの「味」は今?〉と記されています。写真クレジットに〈2015年12月号掲載〉とありました。昨年末に特集してくれていたのですね。

婦人画報1

つぎの右頁では〈はまらいんや〉の見出しで、渡辺謙さんのK-Portや先日の熊本の地震被害に対する支援活動が紹介されています。左頁には唐桑の〈もまれ牡蠣〉の話。

婦人画報2

そして4頁目では気仙沼魚市場の写真などが紹介されて終了しますが写真は省略。

婦人画報では震災直後、連載「この郷をゆく」で東北各地を訪れて記事とし、〈希望の糸口を紹介することで、精一杯のエールを送った〉とのこと。そして昨年秋にあらためて気仙沼を訪れ、そこで出会ったクニコトバが「一緒に仲間に入りましょう」を意味する「はまらいんや」だったということです。それが昨年の記事になったのですね。

婦人画報の7月号は、通常版に加えてエリア別のMOOK/ムック版6冊で計7冊が発売されたのですね。気仙沼の書店ではどのような扱いになっているのでしょうか。

私たちが知らぬところ、気づかないところで、気仙沼への応援のメッセージがこうして語られている。本当にありがたいことだと思います。ハースト婦人画報社はじめ関係者のみなさま、ありがとうございました。

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沖ノ下の河川堤防

きのう6月16日のブログ「謙さんの見た堤防」で気仙沼の本吉地区にある沖ノ下川に建設されている堤防について書きました。私自身がよく知らぬ話でしたので、本日は少し調べてみた内容を記します。

まずは、4年前2012年6月26日に地元住民・地権者に対して行われた事業説明会概要書に掲載されている内容を紹介します。宮城県気仙沼土木事務所が作成したもの。

事業説明会概要書(PDFファイル)

まず沖ノ下川の位置ですが、下の地図の赤い四角で囲まれた部分です。大谷海岸の北東の海岸で、地図を見ると西(左)から東(右)野々下、沖ノ田、杉ノ下と地区名が変わります。私たちには懐かしいお伊勢浜海水浴場は杉ノ下海岸になるようです。

地図

つぎに上の四角の部分、沖ノ田川の河川堤防計画概要を示しましょう。

概要図

あくまで2012年時点で、その後の変更もあるかもしれませんが、全体の長さは800m。高さは、河口から313m(A区間)が高さ海抜9.8m、その上流部487m(B区間)が海抜9.3mです。

つぎは空撮動画です。「Shiro Neko」さんがYouTubeで公開しているものですが、12日のNHK番組で使われた動画はこの一部だと思います。(1分31秒)



いやはやものすごい。地権者の賛同が早期に得られて工事が進んだようです。そして今回いろいろと調べてみてわかったのですが、以前このブログでも紹介した野々下海岸の9.8mの防潮堤というのは、沖ノ田海岸の防潮堤に連続するものだったのですね。これらの防潮堤についても、「Shiro Neko」さんが先日6月12日に投稿した映像がありました。(29秒)


映像説明を引用します。「海側から内陸を見て、正面左側は宮城県土木部が管理する防潮堤(沖の田地区海岸)。中心付近から右側(海を背に見て)は林野庁宮城県北部森林管理署が管理する防潮堤(野々下海岸)。林野庁と宮城県、隣り合った防潮堤を建設したが、形状の異なる防潮堤を建設したため防潮堤の接地面が合わず、約8,000万円の追加予算(国費。林野庁負担)を浪費した。」

地図でみた地区名でいうと、左が沖ノ田で右が野々下かと思っていたのですが、海岸名の順序は違うようです。こうしたことは土地勘がないとなかなか難しい。それと、海岸防潮堤と河川堤防の違いとか所管する役所の違いとか、かなり面倒な話です。

また長くなってしまいましたが、土日を控えた金曜日ということでお許しを。あれやこれやいろいろありますが、どうぞ良い週末をお過ごしください。

2014年2月10日ブログ「大谷防潮堤の現在」

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謙さんの見た堤防

6月12日(日)のNHK総合テレビ「明日へ」の「渡辺謙 僕に、できること 第4回 再会」はご覧いただけましたでしょうか。約50分の放送のうち冒頭15分が気仙沼関連の映像でした。見逃した方は、今週金曜日の再放送を是非に。記事の末尾にその放送予定を示しておきます。

気仙沼関連部分の後半、防潮堤に関しての内容を以下に紹介します。

渡辺謙さんは、気仙沼魚市場や阿部長商店の新しい加工場をたずねたあと、入沢にある「男山」の酒蔵をたずねます。そしてその後は、水産加工などの新しい事業所が建っているのを見ながら、朝日町地区の防潮堤建設現場に向かいます。案内するのは、(株)男山本店の社長で気仙沼商工会議所会頭でもある菅原昭彦さんです。

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ここからは、謙さんと菅原さんの言葉を文字に起こしてみました。(NA)は渡辺謙さんによるナレーションです。

(NA)震災から6年目。復興への確かな足音を感じられるようになった気仙沼。しかし、市民の間でともどいが広がっていることがありました。

(渡辺)ああ〜、こうなってるんだ

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朝日町地区防潮堤建設現場

(NA)住民と行政との間で議論となっていた防潮堤の建設。懸案だった高さは、5mから、高いところで15mと決まり、工事が始まっていました。しかし、住民の多くが求めてきたのは、海との共生。にもかかわらず、行政の姿勢は一貫して防潮堤ありきだった、と菅原さんは語ります。

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朝日町地区防潮堤をながめる2人

(菅原)僕らがやっぱり学んだことというのは、自然の力には誰も勝てないということ。それをなんとかしようという、そもそもの考えがおかしいと思うんですよ。こうやってできていって、確かにこっちには産業エリアが広がるんで、これはこれでいいとしても、実際に暮らしや生活の場と近いところは、できるだけ圧迫感をなくして欲しいとか、そういう調整をいろいろやってもらっているところですね。

(NA)さらにもうひとつ案内された場所がありました。全長およそ5kmの沖ノ田川につくられた堤防です。

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沖ノ田川 河川堤防1

(渡辺)これはいったい、どこまでこれを続けるつもりなんですか。
(菅原)ずっとこう、川沿いに上のほうまで、上流のほうまで続けるんでしょうね。

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沖ノ田川 河川堤防2

(NA)震災のときは、高さ10mをこえる津波が川をさかのぼった場所でした。そのことは、菅原さんも十分に理解をしているのですが……。

(菅原)我々から見れば、すごいバカですよね。ほかのやり方がなかったのかというような。

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沖ノ田川 河川堤防3

(NA)再び起きるかもしれない災害への備えと、日々の暮らしを豊かにしたいという願いがせめぎあう。それが、目に見える形になってきたのも、6年目の現実でした。(放送内容紹介は以上)

沖ノ田川は、大谷海岸の北東側にある沖ノ田海岸に向けて流れる河川です。この川の名は初めて知りました。それにしても、わずかな川幅の両側に大きなコンクリートの堤防が続く光景には驚かされました。

番組で紹介された渡辺謙さんの言葉は抑制されてはいるものの、その胸にあるのは巨大防潮堤に対する大きな疑問でしょう。ドローンでの撮影と思われる河川堤防の映像を見た多くの視聴者も、同じような気持ちをいだいたのではないでしょうか。

この沖ノ田川の堤防についてはまたあらためて。本日は番組内容の紹介にとどめます。

◎再放送情報
・明日へ/渡辺謙 僕に、できること 第4回 再会
・6月17日(金)午後2時05分~2時53分
・NHK総合テレビ

2012年4月16日ブログ「安藤さんの言葉」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 渡辺謙 僕に、できること 沖ノ田川

岩佐さんの講演会

本日は週末のイベント紹介です。6月18日(土)19日(日)、日本青年会議所の宮城ブロック大会が気仙沼で開催されます。


大会の案内チラシ表面(クリックで拡大)

当日は、地元企業・施設体験の「ちょいのぞきツアー」、地元の飲食・物販ブースが集まる「復活!みなと朝市&朝飯」、そして、新潟・南魚沼の人気宿・里山十帖(さとやまじゅうじょう)のオーナーで、そのデザインや空間構成も自らおこなった岩佐 十良(いわさ とおる)さんの講演会も行われます。

岩佐さんは、雑誌『自遊人』の創刊編集長としても知られていますが、2004年にはその編集拠点を東京から新潟に移して話題になりました。里山十帖も、(株)自遊人が展開する事業。つまり岩佐さんは、編集やデザインだけでなく、食文化をはじめとする新しいライフスタイルを提案するクリエイティブ・ディレクターといってよいでしょう。

講演会は、6月19日(日)の午前10時からホテル観洋にて。定員300名で入場無料。事前申し込みも不要です。

案内文では岩佐さんを評して、私のきらいな〈仕掛け人〉という言葉を使っていました。ちょっと違いますよ。岩佐さんは、武蔵野美術大学(インテリアデザイン専攻)在学中にデザイン会社を起こし、その後2000年に雑誌『自遊人』を創刊、2004年には新潟に移り、2014年に「里山十帖」をオープンさせています。リスクをひきうけずに〈仕掛け人〉をきどるその辺のコンサルタントとは違います。すべて当事者として新しい道を切り開いてきた方です。

岩佐さんの話は、気仙沼の人にとても参考になるものだと思います。そして、それ以上に私が期待したいのは、岩佐さんに気仙沼のことをよく理解していただくこと。単なる講師として話を聴くだけではもったいない。

話がちょっと長くなってしまいましたね。以下にイベントメニューを簡単に。

◎6月18日(土) 14:30~ 「ちょいのぞきツアー」
 地元企業・施設の舞台裏を体験できます(有料予約制)
 詳細は気仙沼観光コンベンション協会(0226-22-4560)まで

◎6月19日(日) 6:00~12:00 「復活!みなと朝市&朝飯」
 地元の飲食・物販ブースが集まります
 場所: 気仙沼プラザホテル駐車場

◎6月19日(日) 10:00~11:40 「特別無料講演会」
 人気宿・里山十帖の仕掛人である、岩佐十良氏が語ります
 場所: サンマリン気仙沼ホテル観洋

気仙沼青年会議所の2016年度理事長は、神興冷機株式会社の菅原俊輔さんです。今週土日の大会開催に向けて、理事長はじめ会員の皆さんの準備もたけなわといったところでしょう。多くの人の参加を得て、大会や催事が成功するよう願っております。どうぞ皆様、おでかけくださいますように。

詳細は、気仙沼青年会議所/大会関連サイトにて

気仙沼青年会議所/Facebook

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言葉の復興とは?

震災から5年3カ月となった6月11日にウェブメディア「バズフィード」が糸井重里さんのインタビュー記事を配信しました。タイトルは、〈糸井重里さんと3月11日 「言葉の復興」を考える理由〉(追記:末尾にも記しましたが、このタイトルは何度か変更され、14日19:00時点では〈糸井重里さんが考える震災と言葉 「きれいにまとめない言葉」からみえてくること〉となっています)。気仙沼の人にも是非読んでいただきたい内容と思いご紹介します。

バズフィード
バズフィード6月11日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)

この記事の冒頭部で、今年3月11日にNHKテレビの特集番組に出演した糸井重里さんの言葉が紹介されます。被災地の復興を追った映像のナレーションに対して、〈悲しみしか伝わってこない〉と率直な印象を語り、きれいな言葉による予定調和的な雰囲気を一変させたのです。私も当日の番組を見ておりとても印象に残る場面でした。

「ハフィントンポスト」6月13日の配信記事によれば、糸井さんは「変なことを言いますけど」と前置きしてつぎのように語りました。

「8割が復興したという話をされても、2割の悲しみしか伝わってこない。悪いけど、こういう撮り方は、地元の人はやめてくれと言っている。ナレーションにしても、普通に言えることがあると思う」

その録画部分のナレーションを担当していたのは、当日の進行も担当していた伊東敏恵アナウンサー。日曜美術館の司会もするベテランアナですが、糸井さんの言葉を受けて〈実は私たちもどのように語ったらよいのか、悩んだり、疑問に思いながらやってきたんです〉というようなことを語っていました。そして翌日の番組は、「おはようございます。元気に挨拶してみました」と笑顔で(そしてちょと冗談めかして)始めたのです。私はとても感心しました。前日の糸井さんの言葉によって、11日・12日両日のNHKの特集番組がとてもいきいきとしたものになりました。

バズフィードの記事の印象に残った糸井さんの言葉を紹介しようとも思ったのですが、〈きれいにまとめた言葉〉になってしまいそうでやめました。ぜひ、記事本文をお読みいただければと。下に、見出しのみ紹介しておきます。

◎「言葉の復興」ってなんだろう
◎きれいにまとめない言葉が必要なんです
◎隣に座ってアイディアをだすこと
◎アイディアの力
◎被災地支援を理由に褒め合うのはダメ
◎「ティング」に込めるアイディア
◎福島の今後をデザインする
◎儀式の意味 岩田聡さんの死が「3月11日」とつながる
◎忘れるということ
◎「半端、大好き」

「バズフィード/BuzzFeed」は、米国のウェブメディア企業で、日本では日本のヤフーとの合弁で今年1月から配信サービスを開始しました。そして、本日紹介した糸井さんのインタビューを担当した石戸諭(いしど・さとる)さんは、毎日新聞を経て今年1月にバズフィードジャパンに移籍しました。既存の記者クラブに属さないネットメディアとしての苦労も多いとは思うのですが、先日の熊本など九州地区の地震に際しても、〈押しかけボランティア〉問題を熊本・御船町の現場で当事者を取材するなど、大手メディアにはない機動性を感じさせる記事を配信していました。

なお、紹介したバズフィードの記事のタイトルは、当初〈「紋切り型の言葉」を乗り越える〉だったものが、本日みてみると〈「言葉の復興」を考える理由〉となっています。糸井さんの語った内容はとても多面的で、全体のタイトルをどうするかはとても難しかったと思います。いろいろ考えて、変えたほうがよいと思えばタイトルも変えちゃう。それができるのもネットメディアの特性ですね。(追記:このタイトルは何度か変更され、14日19:00時点では〈糸井重里さんが考える震災と言葉 「きれいにまとめない言葉」からみえてくること〉となっていました。石戸さんに、その変更に関する問い合わせのツイートをしたところ、「その日だけのニュースだと思われないこと、より多くの方に読んでいただけるような工夫です」との返信をいただきました。多くの人に読んでもらうための努力にあらためて感心しました)

この記事は、考えさせられることが沢山ありました。石戸さん、糸井さん、ありがとうございます。

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三陸道開通見通し

6月9日の三陸新報のトップ記事は、三陸自動車道(三陸道)の「本吉気仙沼道路」のうち開通時期が未定だった仮称・本吉IC(インターチェンジ)〜大谷IC間が、平成30年度内に供用開始される見通しとなったというニュースでした。

6月9日記事
三陸新報6月9日記事より

三陸道に関する記事の中には、今回の「本吉気仙沼道路」はじめ、「気仙沼道路」とか「唐桑道路」といった名前が登場しますが、正直なところその全体像がよくわかりませんでした。しかし、記事にあった三陸道の計画図によって、私の頭の中がすっきりとしたように思います。図を拡大しておきましょう。

区間図拡大
三陸新報6月9日記事より(クリックで拡大)

記事のなかで、気仙沼の菅原茂市長のコメントが紹介されています。「三陸道の進捗が図られることは、震災からの復興にも一層弾みがつく。仙台〜気仙沼間が1本の高速道路でつながる日が一日も早くくることを望みたい」。

仙台〜気仙沼間で未定とされているのは、歌津北IC〜本吉IC間ですね。記事には、石井国交省大臣が〈今後の用地買収などの進捗状況を踏まえ、開通の見通しを公表していく考えを示した〉とありました。

なお、以上はあくまで仙台〜気仙沼間の話です。図をみると気仙沼以北では、気仙沼北IC〜唐桑南IC間が未定となっています。調べてみるとこの区間には2つのトンネルが計画されています。いずれまたその見通しに関するニュースなどもあることでしょう。

ほかの地方の高速道路計画の話を聞くと、ニュースの取り上げかたの影響もあってか〈税金の無駄づかい〉などと思うことも多いのですが、気仙沼のこととなると話は別。〈これまでが遅すぎた〉などと思ってみたりもして。ここはひとつ、笑わば笑えということで(笑)。

2014年6月30日ブログ「気仙沼湾横断橋!」

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気仙沼in芸術新潮

新潮社の人気雑誌『芸術新潮』5月号の特集は若冲(じゃくちゅう)でしたが、私が驚いたのはそちらではなく、展覧会批評の頁。「成相肇のやっかい もっかい てんらんかい」。今年の2月から3月にかけて東京・目黒区美術館で開催された「気仙沼と、東日本大震災の記憶〜リアス・アーク美術館」をとりあげていたのです。

やっかいもっかい

『芸術新潮』5月号掲載頁の一部イメージ(クリックで拡大)

筆者の成相肇(なりあい・はじめ)さんは、東京ステーションギャラリー学芸員で、専門はいわゆる現代美術とのこと。文章の冒頭で成相さんは、〈展示会をつくるとき、展示室の中に言葉を示すことは、いつも、どこかやましい〉と記します。そして〈見ることと読むことは、互いに互いを阻害する〉と。

その後に続く展覧会についての記述は略しますが、私にとって印象的だった後半3分の1ほどの文章を引用します。

◎展示室の言葉をゆらす

(前略)
 本展には一応順路があるものの、通常の展覧会のような完結したストーリーがない。いきなり始まって、写真と言葉を浴びせ続けて、終わる。なぜこのように抑揚なく未完結なのか。「ストーリー」を作るのもまた、他人であるからだ。リアス・アーク美術館はそれに抗い、ゲリラ的に微細な言葉を発信する。内側から他人を動かし、記憶に刻み、接した誰をも当事者に変えるために。

 つまり、ドキュメンタリーの方法である。出品資料の一部「被災物」に添えられた、方言まじりの涙を誘う物語が、美術館による「創作」であると終盤に知らされても驚くにはあたるまい。これも展示された一つの文体であり、正当性(もっともらしさ)を乱反射させるドキュメンタリーの技術なのである。

 人間どころか生命の影がほぼ登場しない展示にもかかわらず、壮絶に人間くさい展示だった。出来事の壮絶さは展示の壮絶さを保障しない。壮絶さを与えていたのは、残し伝えようとする学芸員による必死の言葉と展示手法の発明である。(引用は以上)


芸術新潮は、内容の深さと編集のたくみさで多くの読者をもつ月刊誌。その中の新連載第1回目に気仙沼関連の記事が登場したことに本当におどろきました。成相肇さんと編集部の皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


なお、リアス・アーク美術館については、つぎのブログでも書いております。お時間のあるときにお読みいただければと。それと、6月12日(日)午前10:05からのNHK総合「渡辺謙 僕に、できること」をお忘れなきように。今週はこれにて。

2月15日ブログ「震災未来イメージ」
2015年8月14日ブログ「高山登の教え子達」
2014年4月17日ブログ「震災記録展示図録」

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気仙沼高校同窓会

本年の気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会が7月9日(土)に開催されますのでご案内いたします。

関東同窓会

◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

◎日 時:2016年7月9日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12:10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:九段下・ホテルグランドパレス
◎会 費:(懇親会費+年会費1000円):
 〜平成16年卒業:9,000円(年会費込み)
 平成17年〜26年卒業:3,000円(年会費込み)
 平成27年〜28年卒業:無料(年会費込み)
 母校への寄付:一口1,000円〜
 当会運営費カンパ:一口1,000円〜
◎お申込:
メールでのお申し込みは、お名前(旧姓)、卒業学校名、卒業年、お電話、住所等を記入の上で下記まで。
kantou@khs-doso.com
FAX:042-401-1369
◎会費振込 郵便振替口座
(口座番号)00130-6-615097
(口座名)宮城県気仙沼高等学校関東同窓会
◎申込み締切:6月30日(木)
詳細は次のサイトをご覧ください。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して開催。なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。両校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も同様です。

多くの方々の参加をお待ちしております。会場でお会いしましょう。

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僕に、できること

おととい6日、渡辺謙さんのつぎのツイートが目にとまりました。

「ドキュメンタリーのナレーションを録って来ました。今までお目にかかって来た方々に再会し、6年目の悩みと明日への希望を伺って来ました。今やっているドラマにも通ずる、歳月の重みを受け止めています。12日朝10時からの放送、是非ご覧下さい。」

知らなかったので調べてみたら、「僕に、できること」第4回目の放送でした。

謙さん
番組サイトより

◎渡辺謙 僕に、できること
◎第4回 再会〜6年目の希望と苦悩
◎NHK総合テレビ
◎6月12日(日)午前10:05~10:53
(再放送)6月17日(金) 午後2時05分~

番組サイトの紹介文を引用します。

東日本大震災発生直後から支援活動を続けてきた俳優の渡辺謙。「明日へ」の初回・第2回放送では岩手・陸前高田市や、福島・葛尾村、宮城・気仙沼市などを訪ね、翌年の放送でも再び現場を訪ねた。6年目を迎えた今、取材した人々と再会、どんな手応えを感じ、何に悩んでいるのかを見つめていく。
気仙沼では、酒造会社と魚市場を訪ね、地場産業の復興の現状を探る。陸前高田では、震災直後に出産をした夫婦やカフェを経営する青年を訪ねる。葛尾では、避難指示解除に向けた若い酪農家などの思いに迫る。(引用は以上)

紹介文に〈初回・第2回〉とあるのは、2012年の放送です。初回は4月8日の「世界に震災を伝える」。渡辺さんが、前年11月にニューヨークの被災地支援オークションで朗読した「雨ニモマケズ」や、年明け1月のダボス会議でのスピーチを紹介。その1週間後4月15日の第2回目は「ただひたすら被災地へ」。男山本店の菅原昭彦さんや磯屋水産の安藤竜司さんなどと、魚町「福よし」でお酒を飲みながら復興について語り合いました。この2回目で、謙さんは安藤さんと気仙沼の防潮堤について話す場面があり、その言葉をこのブログでも紹介しましたので下にリンクをはりました。第3回目は「復興を見つめた2年」で2013年4月の放送です。

4年前の放送で安藤さんが店舗を再建するといって謙さんを案内した内湾の土地にはいま、磯屋水産の店と謙さんのカフェ〈K-port〉があり営業しています。被災地の何が変わり、何が変わっていないのか。まさにこの「渡辺謙 僕に、できること」のテーマでしょう。今度の日曜日の午前の放送。見逃すといけないので、録画予約しておこうと思います。皆様も是非ご覧ください。

2012年4月16日ブログ「安藤さんの言葉」

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災害FM番組改編

きのうは〈気仙沼のほぼ日〉ウェブページのリニューアルを紹介しました。同じように、この6月から内容を新たにしたものがあります。〈けせんぬまさいがいエフエム〉です。まずは5月31日に三陸新報に掲載された告知広告をご覧ください。

5:31災害FM
三陸新報5月31日掲載広告

けせんぬまさいがいエフエムHP

あらためて平日の月〜金の生放送番組を紹介しておきましょう。

◎7:00〜9:00
 佐藤りかの直送 朝一番!!
◎10:00〜11:00
 推(おし)ラジ(MC 斉藤大樹)
◎11:00〜13:00
 横田真美子のGOOD DAY GOOD DAY

以上3つの生番組が終了しての16:30からは、J-WAVE(ジェイウェイブ)のプログラムの放送。ピストン西沢さんのGROOVE LINE Z(グルーヴ・ライン・ゼット)や、JAM THE WORLDなど、東京でもおなじみの番組が続きます。

けせんぬまさいがいエフエムは、震災直後2011年3月23日に臨時災害FM局として放送を始めました。運営は、気仙沼市から業務委託を受けた特定非営利法人気仙沼まちづくりセンター(昆野龍紀理事長)です。

すでに5年2か月も放送を継続しているのですが、放送局としての運営、経営は決して楽ではありません。昨年5月26日の河北新報記事によれば、人件費の財源である国の緊急雇用創出事業の交付金が2015年度限りでなくなる見通しだというのです。そのため、資金を行政や地元企業から確保して、災害FM局からコミュニティーFM局に移行する方針であると。そして市は、国の復興交付金第12次申請に調査費430万円を要求したとも。

先週6月1日の三陸新報でも、〈生放送が5時間に〉との見出しで、記事が掲載されていました。その中に、〈コミュニティーFMとして、年度内の民営化を目指しており、企業などからの広告料で運営していく方針だ〉とありました。今回の生放送枠の拡大も、民営化を目指しての努力のひとつでしょう。今回の番組改編でさらに聴取者を増やし、コミュニティーFMへの移行を成し遂げてほしいと思っております。

なお、同局の気仙沼地域での放送周波数は、77.5MHzですが、ネットでの視聴が可能です。私もPCやスマホで聞いています。全国どこからでも〈気仙沼の今〉を感じることのできる〈けせんぬまさいがいエフエム〉をどうぞよろしく。

ネットでの視聴方法

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陰でもひなたでも

ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)の気仙沼支社「気仙沼のほぼ日」のウェブページが6月3日(金)にリニューアルされました。

沼のハナヨメ

「気仙沼のほぼ日」ウェブページの一部イメージ(クリックでページにジャンプ)

今回のリニューアルにあたってのテーマは「新しい観光」。「気仙沼に行きたいな!」と思ってもらえるような、「新しい観光」のサイトを目指すということです。そしてサユミさんが描く連載漫画「沼のハナヨメ。」もこのページに引っ越しました。毎週月曜日に更新して本日で39話目。今回のテーマは、気仙沼弁です。上の画像で一部イメージを紹介したように〈おだづまっこ〉や〈ばっけ〉などを紹介しています。

沼のハナヨメ=サユミさんは松島の出身。2012年3月から気仙沼に来て「気仙沼のほぼ日」で働くとともに、同ウェブページの管理人もつとめています。ついこの間までは気仙沼の外の人だったサユミさんが、中に入って気仙沼のさまざまな人や慣習といった文化に接して感じたことや変わっていく様子が率直に描かれています。この連載漫画が今回のリニューアルによって「気仙沼のほぼ日」のページから見ることができるようになりとても便利になりました。

そして今回あたらしく設けられたのが〈オススメ観光ガイド〉です。現在は、気仙沼ニッティングのお店〈メモリーズ〉、喫茶マンボ、アンカーコーヒー、ツリーハウス0号・1号、斉吉商店、安波山の5箇所ですが、これから追加されていくことでしょう。

糸井重里さん率いる〈ほぼ日〉さんにより「気仙沼のほぼ日」が始まったのは2011年11月1日。すでに4年と7カ月になります。この、陰(かげ)になり日向(ひなた)になりしてのご支援は本当にありがたいこと。今回のウェブページリニューアルに際して、あらためてお礼を申し上げます。(甘えるばかりじゃいけないけれど)これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(追記)6月6日は、ほぼ日刊イトイ新聞、18回目の創刊記念日。そして「気仙沼ニッティング」も創業して4年、会社設立3周年を迎えたとのことです。お祝いを申し上げます。おめでとうございました。

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古舘さんと気仙沼

「報道ステーション」のキャスターを12年間つとめた古舘(ふるたち)伊知郎さんにインタビューした5月31日の朝日新聞記事。〈圧力に屈して辞めていくということでは、決してない〉との部分が注目されていますが、本日みなさんに紹介するのは他のところ。3月31日の最後の放送でのあいさつに関する話の中に〈気仙沼〉が登場するのです。

朝日イメージ

朝日新聞5月31日配信記事の一部イメージ(画像クリックで記事にジャンプ)

〈気仙沼〉関連は、下記引用の最後の部分、〈そうした思い、最後の8分のあいさつで言い切れましたか〉という問いに答えるところです。全体の文脈をご理解いただくために、前段部分も引用しておきますが、読みとばしていただいて結構です。

◎古舘伊知郎さん
「敗北だった」 キャスター経験12年間

(前略)
――政治からの圧力は、本当になかったのですか。

 「僕に直接、政権が圧力をかけてくるとか、どこかから矢が飛んでくることはまったくなかった。圧力に屈して辞めていくということでは、決してない」

――それでも、何らかの圧力があったのではと受け止められた。

 「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある。実力が足りなかった。原発事故後の福島の甲状腺がんの特集も、ドイツのワイマール憲法の特集も、考え方が違う人は『偏っている』と言う。その気配を察して、僕を先頭に番組をつくる側が自主規制をしたきらいがないか。だれかから文句を言われる前に、よく言えば自制、悪く言えば勝手に斟酌(しんしゃく)したところがあったと思う」

――なぜそれほど慎重に?

 「『偏っている』というだけの論法は、そんなに怖くない。ただ、東日本大震災後の福島の風評被害で、親戚の子どもが学校でのけ者扱いされた人からの『マスコミは徹底的に福島と心中する気もないくせに、なぜ中途半端に偽善者ぶるんだ』という声には正直、ひるみました。中途半端な言葉は見透かされる。大震災を境に、言うことを控えたという自分の反省と、言うこと控えて何が悪いのかという思いの葛藤の日々でした」

――そうした思い、最後の8分のあいさつで言い切れましたか。

 「無理、無理。思いが強すぎて。楽屋であいさつを稽古したときは18分30秒あったんです。本当は、宮城・気仙沼の漁師さんに『ありがとうございました』と伝えたかった。それは何かというと、震災後、あまりのすさまじい現実、悲しみや怒りの極致にいる人たちを前に、俺にはしゃべる資格がないと思った。だったら被災した方に、せめて一瞬でもガス抜きしてもらうのが役割だと思い、漁師さんに言ったんです。『自分はテレビの側で偉そうに言って帰る前提で聞いています。思いっきり私に怒ってください』。すると、水産加工場を見せてくれた。ウジ虫で真っ白な床。異臭。腐った魚を湾に捨てる作業。そして本音で語ってくれた。傲慢(ごうまん)で上っ面だけでしゃべれば何とかなると思っていた自分が、多少なりとも変われた瞬間でした」(後略)引用は以上

〈本当は、宮城・気仙沼の漁師さんに『ありがとうございました』と伝えたかった〉という古舘さんの言葉におどろきました。震災後の気仙沼で見たすさまじい現実と聞いた言葉。それが、古舘さんを変えたというのです。

そんなことがあったとは。3月31日に放送で語られることはありませんでしたが、古舘さんが気仙沼の漁師さんなどに伝えたかったことは、この朝日新聞の記事でよくわかりました。

以上、古舘さんの思いを一人でも多くの人に知っていただきたいと思い紹介いたしました。

5月31日朝日新聞デジタル配信記事
(全文閲覧は無料ですが会員登録が必要です)
4月14日ブログ「頑張れ!富川悠太」

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鼎が浦高校記念碑

鼎が浦(かなえがうら)高校は、2005(平成17)年4月に気仙沼高校と統合し、その校名は今ありませんが、校舎があった現在の気仙沼警察署敷地内に記念碑が建立されました。5月29日に除幕式が行われたと、5月31日の三陸新報が伝えています。

記念碑
三陸新報5月31日記事の一部イメージ

この記念碑は、同窓生らでつくる建立委員会(斉藤貞子会長)が15年ほど前から検討をはじめ、このたびの建立に至ったとのことです。斉藤会長は、「約1万6千人の同窓生の思いが込められた記念碑。これを見て校舎で過ごした青春の日々を思い起こしてほしい」と話したそうです。

記事の写真、右から3人目が斉藤会長。斉吉商店さんの〈貞子ばっぱ〉としても知られていますね。右端はサンマのつくだ煮で知られる魚町〈ケイ〉の菅原義子さんです。〈ケイ〉さんは、私など気仙沼の魚町で育ったものには旧〈カクダイ/菅長水産〉さんといったほうが早いでしょう。

気仙沼高校のウェブサイトから鼎が浦高校の主な沿革を紹介します。

◎大正12/1923年3月
 気仙沼町立気仙沼実科高等女学校設立認可(気仙沼尋常高等小学校に併設)生徒定員100名
◎大正13/1924年10月
 県名冠称認可。宮城県気仙沼実科高等女学校となる
◎昭和18/1943年4月
 宮城県気仙沼高等女学校と改称
◎昭和23/1948年4月
 学制改革により宮城県気仙沼女子高等学校に移行
◎昭和26/1951年3月
 校名変更「宮城県鼎が浦高等学校」
◎平成17/2005年4月
 宮城県気仙沼高等学校と統合

鼎が浦高校(女子校)と気仙沼高校(男子校)が統合して男女共学の気仙沼高校となり、すでに11年が経つのですね。なお、サイトの見出しは「旧鼎ケ裏高校沿革」となっていますが、正しくは〈ケ〉ではなく〈が〉です。ここは鼎が浦高校の方々がちょっと気にするところなので、修正したほうがよろしいでしょう。

そういえば、両校統合後は同窓会もひとつになりましたが、その気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会の案内が届いていました。7月9日(土)いつもと同じ九段下のホテルグランドパレスです。あらためて詳しく紹介します。本日はこれにて。

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カツオの初水揚げ

5月30日朝、気仙沼漁港に今年初めてのカツオが水揚げされたというニュースは、すでに皆さんご存知でしょう。東京でも、30日の読売新聞夕刊が社会面で大きく伝えていました。

かつお水揚げ
読売新聞5月30日夕刊より

読売の記事を引用します。

19年連続で生鮮カツオの水揚げ量日本一を誇る宮城県気仙沼市の気仙沼漁港で30日朝、今年初めてのカツオが水揚げされた。

 伊豆諸島・三宅島沖で操業した静岡県沼津市の巻き網漁船「第28浜平丸」(285トン)が午前 6時半頃に入港、水揚げされた約50トンが次々とベルトコンベヤーで運ばれた。「さっぱりとしていて食感が良い」と、仲買人の評価は上々で、昨年の平均取引額の倍以上にあたる1キロ763円で取引された。

 気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長(75)は「東日本大震災があっても一丸となって復旧を急ぎ、日本一を守った。20年連続を目指したい」と力を込めた。水揚げは10月頃まで続く。(引用は以上)

この読売新聞の写真は、5月25日朝刊の徳仙丈のヤマツツジの記事と同じく、冨田大介さんの撮影でした。

読売新聞オンライン5月30日配信記事

話は変わります。同じ30日には、鳥取県の境港(さかいみなと)にも今シーズン初のクロマグロ(本マグロ)が水揚げされてニュースとなっていました。新聞でもテレビでも〈初夏の訪れを告げる水揚げに漁港は活気づいた〉と報じていますが、決して明るい話だけではないのです。漁業関係者はよく知っていると思います。

この時期のクロマグロは産卵期。一本釣りなどがマグロに産卵させるため漁を自粛するなか、大手企業の子会社などが巻き網で捕獲したわけです。6月から漁獲枠規制が始まる前にということらしい。ひどい話です。

カツオも同じ問題をかかえています。近年は、日本近海での漁獲が減少しており、その資源保護が大きな課題となっているのです。カツオも、一本釣りはまだしも、巻き網漁ではまさに〈一網打尽〉にしますからね。

これくらいにしておきましょう。要は、生鮮カツオの水揚げの20年連続トップを狙うのもよいのですが、あくまで限りある資源を守りながら漁業の持続的な発展があっての話。

気仙沼でのカツオ初水揚げの報に喜びながら、そんなことを考えておりました。

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気中20回生支援会

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東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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