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港町ブルース逸話

きのう5月9日のブログで〈港町ブルース歌碑〉のことを書きましたが、本日はその続きということで、この曲をめぐるいくつかの逸話(いつわ)、エピソードを。まずは2011年10月の朝日新聞記事。

朝日新聞
朝日新聞2011年10月22日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)


森さんが2000年10月9日の歌碑除幕式に列席されたことは昨日も書きましたが、震災後の2011年10月22日にも気仙沼を訪問してくれたのですね。朝日新聞によれば、雨の降るなか、津波で傾いた歌碑の前で150人ほどのファンに地元の人100人が加わり、〈港町ブルース〉を合唱したとのことです。森さんは震災後の5月にも気仙沼を訪れています。

つぎは作詞者の話。深津武志さんというお名前に聞き覚えがないなと思っていたのですが、ウィキペディアによれば雑誌『平凡』による歌募集への応募作なのですね。その歌詞をなかにし礼さんが補作しました。

そして、私が気仙沼高校3年になった1969年4月に森進一さんの〈港町ブルース〉がシングル・レコードとして発売されたのです。この曲は5週間にわたりオリコンチャートの第1位にランクされるなど、森さんのシングル盤では最高の100万枚をこえるいわゆるミリオンセラーとなりました(売上250万枚との報道もあるらしい)。同年開催の日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を、日本有線大賞では大賞をそれぞれ受賞しています。

また森さんは、震災の年2011年のNHK紅白歌合戦で、震災復興支援をテーマとして1969年以来42年ぶりに〈港町ブルース〉を歌いました。

歌碑の建立は「港町ブルース歌碑建立実行委員会」(委員長は当時の商工会議所会頭の臼井賢志さん)を中心とする地元有志によっておこなわれたそうです。なお、あのプロペラスクリューが印象的な歌碑のデザインは、気仙沼で美術家としても活動している常山俊明さんの作品です。常山さんは私たちより5学年下となります。

ウィキペディアの記述に、発売6年後1975年3月の面白いエピソードがありました。NHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールで行われ、特別来賓として出席した昭和天皇・皇后両陛下を前に森さんが〈港町ブルース〉を披露したのですが、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2回繰り返して歌ってしまったというのです。森さんにとっても、2番最後の〈けっせんんっぬまぁ〜〜〉が、キメの歌詞として脳に刻みこまれていたのでしょう。

私にとっては、〈気仙沼〉が2度繰り返されたという、面白いというかほほえましい話なのですが、森さんご本人にとっては〈やってしまった〉感が強かったことでしょう。いまだに忘れられない〈港町ブルース〉だと思います。森さん、いろいろとありがとうございました。

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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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