5・5 ちょいのぞき

ゴールデンウィークということで、気仙沼のイベント紹介です。〈しごと場あそび場 ちょいのぞき気仙沼〉については、4月12日のブログ〈Newば!ば!ば!〉でもご紹介しましたが、次回は5月5日(木)に開催されます。4月24日には三陸新報に広告が掲載されていました。

4月24日
三陸新報4月24日掲載広告(クリックで拡大)

〈ちょいのぞき気仙沼〉は、〈ば!ば!ば!の場〉と同じく、リアス観光創造プラットフォームが企画しているものですが、4月23日の三陸新報記事によれば、市内の若手事業者でつくる〈観光チーム気仙沼〉とのタイアップ企画。チーム代表には廣野一誠さんのお名前がありました。〈アサヤ〉さんですね。

今回は、漁具芸人!?と遊ぼう!、函屋探検、氷屋探検、メカジキ解体ショー&BBQ、魚市場の復興物語、漁師ぐらし体験(ウニ)、徳仙丈ツリーハウスピクニックの7種のプログラムが用意されています。イベント詳細はこちらから

この〈ちょいのぞき〉は、月に一度の開催を計画しているとのことです。企画や運営も大変だと思いますが、気仙沼観光の定番メニューとして定着すればなによりのことと思っております。

「ちょいのぞき気仙沼」公式サイト
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益男君が教育長に

気仙沼高校の美術部で一緒に活動した同級生、齋藤益男(ますお)君が教育長に選ばれたという三陸新報2月27日の記事。紹介しようと思いながらあっという間に2カ月経ってしまいました。

2月27日益男

三陸新報2月27日記事の一部イメージ

記事の見出しに〈新制度で〉とあるのは、教育委員会制度が新しくなったため。教育長と教育委員長を一本化して教育委員長は廃止されます。その新制度での新教育長に益男君が就任ということ。市議会の同意を得て市長が任命というのも新制度になって初めてのことだそうです。

益男君は気仙沼高校3年6組(理科系)の同級生。松岩中学出身、温厚で学業も優秀、美術部では部長をつとめました。高校卒業後は国立山形大学教育学部に進学。その後は各地の中学校や県教育委員会などを経て、平成24年3月に気仙沼小学校の校長を最後に退職とのこと。25年5月に教育委員長となったときには、このブログでも紹介しました。

ちょっと懐かしい思いがして高校の卒業アルバムを開いてみました。

美術部
気仙沼高校22回生卒業アルバムより

美術部員の写真。前列左端が益男君、後列右端がわたくし小田です。前列右端が美術担当教師でもあった斉藤克己先生。以前、斉藤先生が亡くなったということを聞き、お元気なうちに近況をお知らせしておけばよかったと悔やみました。大変お世話になったのです。

美術部の写真は美術室で撮影しました。いまはもうないのでしょうが、カットしたバウムクーヘンみたいに机が半円形に並べられていました。後方にはデッサン用の石膏像が収められた戸棚が。ヴィーナス、ブルータス、アグリッパなどの像名を思い出します。高校を卒業してから46年。美術部のみんなとも長いあいだ会っていませんが、元気にやっていることでしょう。

益男君が新制度の教育長として仕事を始めるのは5月25日。気仙沼市の教育行政は小中学校の統廃合をはじめ様々な課題をかかえていますが、よき教育環境づくりのため力をつくして欲しいと願っております。

2013年5月29日ブログ「松岩の齋藤益男君」

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千田選手から御礼

4月24日(日)の三陸新報に、フェンシングの千田健太選手後援会が4月21日付けで解散したとの記事がありました。

4月24日千田1
三陸新報4月24日記事の一部イメージ

記事によれば、リオデジャネイロ五輪の予選の結果、団体・個人ともに出場権を逃したことなどから解散とのこと。当面は、フェンシングの普及活動に力を入れていく方針。将来的には、後進の指導に当たることを考えており、地元・気仙沼での活動も視野に入れているといいます。

後援会は昨年5月に発足し、リオ五輪出場を目指す千田選手をバックアップしてきました。このたびの解散決定は、千田選手の意向を受けて後援会役員会で協議した結果とのことです。

後援会のオフィシャルサイトには、千田選手からの報告と皆さんからの応援に対する御礼のメッセージが掲載されています。その一部を引用します。

「今回の戦いを通じて、皆様に良い結果をご報告できなかったこと、そして五輪本大会への出場を報告できなかったことは、非常に残念でなりません。リオデジャネイロ五輪への出場の夢は残念ながら叶いませんでした。しかしながら、昨年6月のアジア選手権銅メダル、10月のサンフランシスコワールドカップ銀メダルをはじめ、国際舞台において上位入賞し、メダルを獲得できたことは、ご後援いただいた皆様方のご支援・ご声援の賜物であり、深く感謝申し上げます。そして何よりも、国を背負って戦うことの素晴らしさや、真剣勝負の舞台で本気で金メダルを目指す過程で得られた経験は、私の生涯の財産になったものと思っております。」(引用は以上)

千田選手は、2008年の北京五輪日本代表、そして2012年ロンドン五輪ではフェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得しています。本年のリオデジャネイロ出場こそかないませんでしたが、トップクラスのフェンシング選手として30歳まで本当によく頑張ったと思います。素晴らしい。

千田選手のメッセージは、選手生活を支え応援してくれた方々へのお礼であるとともに、長い競技人生をおえて新たな道を歩みはじめることのお知らせであると感じました。

これまでの千田健太さんのたゆみなき努力に惜しみなき拍手を。


なお、後援会サイトのリンクページに、フェンシングに関するこのブログの4つの紹介されています。連休中のお時間があるときにでもお読みいただければと。

2015年4月22日「美代子先生の訃報」
2015年5月18日「千田選手の後援会」
2015年5月19日「アスリートの魂」
2015年5月22日「気仙沼/剣の源流」

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ほにほにぽやぽや

きのうのブログ〈ほまづかせぎ〉で、『けせんぬま方言アラカルト』の解説文を紹介しました。

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『けせんぬま方言アラカルト』(増補改訂版)表紙イメージ

いつものことなのですが、この本のページをめくるたび、探している言葉の周辺に目がうつります。その面白さ、懐かしさに、つい笑ってしまうのです。今回でいえば〈ほ〉の収録語。たとえば、こんな言葉。

【ほでがす】
そうです。「(問)○○さんすか」「(答)ほでがす」
【ほどる】
あたたまる。適度の心地よいあったかさを言う。「やっと朝晩ほどってきぁすた」
【ほにほに】
ほんに。まぁまぁ。「ほにほに このわらすぁどの いたずらにゃ 参ったや」と目を細める。
【ぽやぽや】
ぽやらぽやらとも。体がほてるさま。「一杯飲んだっけ ぽやぽやなったやぁ」

例文がまたいいよね。〈このわらすぁどの〉〈一杯飲んだっけ〉といった設定というか、いかにも気仙沼にありそうな/あったようなシチュエーション。

〈ぽやぽや〉は〈ぽやらぽやら〉ともいうとの解説文にも感心しました。なお、原文では〈ぽやぽやなったやぁ〉の〈ぽやぽや〉の後には小さな〈ん〉が挿入されているのですが、パソコンでは入力できず省略しております。この辺の微妙なニュアンスを文字にすることはとても大切ですがなかなか難しい。冒頭文例の〈ほでがす〉の〈ほ〉と〈で〉の間にも、かなり小さな〈ん〉が入るような入らないような。

九州方面がいろいろ大変なときに、〈ん〉の微妙なニュアンスをとやかくいうのもなんだかなという感じもいたしますが、まずはきのうの続きということで。

『けせんぬま方言アラカルト』購入はこちらから
三陸新報社出版案内
A5判 176ページ 2006年7月刊 定価1,300円

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「ほまづかせぎ」

4月21日のブログで、大島の老人会メンバーによるツバキ油の瓶詰め作業を紹介しました。このニュース映像を見て思い出した言葉が〈ほまちかせぎ〉。気仙沼弁的な発音でいえば〈ほまづ稼ぎ〉でしょう。

『けせんぬま方言アラカルト』(菅原孝雄 編 三陸新報社刊)に出ているだろうかと調べてみると、〈ほまづ〉として収録されていました。

ほまづ
『けせんぬま方言アラカルト』より(クリックで拡大)

【ほまづ】
国語辞典では「帆待ち」で、臨時の収入、へそくりとある。出帆を待つ間の船頭の稼ぎの意という。気仙沼には、この「帆待ち」を語るエピソードがいろいろある。(例文)「マツダケで ええほまづ稼いだでば」

例文にあるマツタケも大島の亀山あたりの話かもしれませんね。カットの絵に添えてある言葉もなかなかです。「ええ ほまづかせぎ すたでば」。以上の解説文に加えて、〈ほまづ〉に関する囲み記事で、つぎのように記しています。

「藩政時代、江戸通いの帆前船(ほまえせん)が、暴風雨が近くなると最寄りの島かげなどでなぎるのを待った。その日数が長引くにつれて水夫たちは荷の一部を持ち出し、小遣いにあてたという。船頭などもまじり半ば公然と行われたとも。気仙沼の大島・横沼の沿岸には、その帆待ちした個所(島かげ)が随所にあった。このほか「帆待ち」は陸地でもあり、懇町田(ほりまちだ)説、穂待ち説などもある。」(引用は以上)

なるほどね。元々は、ちょっと悪事のにおいもあったようですが、私が知る気仙沼弁としては、あくまで臨時収入や小遣いかせぎといったニュアンスでしょう。

先日のツバキ油が、大島のご老人の方々にとって、そこそこの〈ほまづ〉になったとすればうれしいです。大島の椿の恵みといったところでしょう。

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佐賀からのピアノ

阿蘇に住む同級生 畠山誠太郎君のその後を心配しておりましたが、本日15日昼に誠太郎君ご一家についての情報をいただきました。現在は簡保のホテル(小田注:「かんぽの宿 阿蘇」と思われます)に、被災されたご老人の方々と一緒に避難されているそうです。家の崩壊は免れましたが部屋がめちゃめちゃで、毎日、家に戻り部屋の中の片付けをされているとのことです。まずは報告ということで。

本日は九州の佐賀県に関する話です。4月8日の三陸新報のコラム「記者席」につぎの記事がありました。

4月8日ピアノ
三陸新報4月8日記事のイメージ(クリックで拡大)

気仙沼市民会館のピアノが、弾き込み不足のため音色が固いというのです。そして、このピアノは〈スタインウェイ/Steinway & Sons〉で、3年前に佐賀県から贈られたもので1台2千万円。その魅力を引き出せないでいるのは、あまりにもったいないと。

佐賀県から贈られたピアノについては、以前に聞いたことがあるような気もしますが、忘れていました。そして、あらためて調べてみておどろきました。震災後に佐賀県から総額9000万円以上にもなるピアノが気仙沼に贈られていたのです。

このピアノ支援の原資は、2011年10月から県内の全20市町で販売した「佐賀きずなプロジェクト/義援金付きプレミアム商品券」で、はじめから気仙沼の支援を目的としたものでした。

義援金の趣意書に「被災地である気仙沼市の意向も踏まえながら、国等の復興支援策では手の及ばないきめ細かい部分や、復興のシンボルである子供たちの教育環境の充実等に活用するものを購入する資金に充てます」と明記されていました。

そして2013年3月27日付けの「佐賀きずなプロジェクト」サイトによれば、「義援金付きプレミアム商品券」の義援金総額は、9233万円にものぼりました。そして〈ピアノプロジェクト〉として気仙沼市内の学校や公共施設に計24台のピアノが贈られたのです。その内容を記しておきましょう。

◎2011年度
○グランドピアノ/11台
松岩小学校、松岩中学校、階上小学校、階上中学校、小泉小学校、鹿折中学校、大島中学校、面瀬中学校、新月中学校、葦の芽幼稚園、葦の芽星谷幼稚園
○アップライトピアノ/3台
落合小学校、中井小学校、気仙沼中学校

◎2012年度
○グランドピアノ(スタインウェイ)/2台
気仙沼市民会館、はまなすホール
○グランドピアノ/6台
東稜高校、本吉響高校、気仙沼西高校、気仙沼向洋高校※、気仙沼市立病院※、気仙沼中央公民館※
○アップライトピアノ/1台
愛耕幼稚園
○電子ピアノ/1台
気仙沼支援学校

※印については義援金を積み立て、施設の再建後にピアノを購入。このほか、気仙沼市内の26の小中学校・幼稚園に楽器120点を寄贈。

2012年3月17日には、本吉町はまなすホールで、寄贈ピアノの初演奏となる熊谷育美さんのコンサート「光」が開催されました。上記プロジェクトサイトにあった、コンサートに際しての〈佐賀県民のメッセージ〉はつぎのように結ばれています。

〈私たちは、皆さまとのご縁を大切にし、音楽をはじめとした文化や芸術を通してより一層絆を深め、今後も気仙沼の未来を末永く応援していきます。気仙沼市の一日も早い復興を祈って。〜佐賀県民一同〉

本吉町のはまなすホールにあるスタインウェイは、コーラスグループの練習で週一回は使われているとのことです。三陸新報の記事にも書いてありましたが、気仙沼市民会館のピアノももっともっと活用してほしい。それが、佐賀県の多くの皆さんのご厚意にこたえることにもなるでしょう。

佐賀県のみなさまに、あらためてお礼を申し上げます。多大なご支援、本当にありがとうございました。

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大島のツバキ2題

本日は気仙沼大島のツバキの話題をふたつ。

ひとつめは「つばきマラソン」。33回目となる大会が4月17日(日)に大島で開催されました。あいにくの空模様でしたが、1600人のランナーがハーフの部をはじめ、10km・5km・3kmの4つの部門にわかれ島内のコースを走りました。アテネと北京のふたつのオリンピックのマラソンに日本代表として出場した土佐礼子さんがゲストランナーとして参加してくれました。

仙台放送のニュース映像を紹介します。



ふたつめの話題は「ツバキ油」。仙台放送では4月12に大島地区老人クラブの皆さんによる「ツバキ油」の瓶詰め作業を紹介しています。(映像配信は終了しました)



今年はツバキの実が不作だったことから、120ml入りの瓶で600本にとどまったとのこと。1瓶1000円で、つばきマラソンの会場でも販売されたようです。

2013年4月のブログでは、震災後初3年ぶりの開催となった〈つばきマラソン〉を紹介しました。ひさしぶりに見てみると、4月21日に雪やみぞれのなか1748名が元気に走ったと記しています。春の到来をまつこの時期は、いつも天候が不順なのかもしれません。ランナーの皆様そして大会関係者の方々、おつかれさまでした。毎年ありがとうございます。

2013年4月22日ブログ「つばきマラソン」

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ふたつの「絆」支援

熊本をはじめとする九州地区の地震被害に対して、さまざまな企業の支援が始まっていることが報じられています。これからさらに本格化することでしょう。本日紹介するのは、東日本大震災で被災した気仙沼への企業・団体からの支援です。4月8日の三陸新報にふたつの支援がならんで紹介されています。いずれも活動名に〈絆〉の文字が含まれていました。

まずは4月8日の三陸新報の記事。

4月8日絆支援
三陸新報4月8日記事のイメージ(クリックで拡大)

左側の記事から紹介しましょう。キリングループは4月7日、「気仙沼メカジキブランド化推進委員会」に支援金2500万円を贈りました。キリングループは、震災の復興支援の一環として、平成23年7月から「復興応援キリン絆プロジェクト」を展開しており、今回の支援もそのひとつです。4月8日に市役所で行われた贈呈式の様子も翌日の三陸新報が伝えていました。
「気仙沼メカジキブランド化推進委員会」は、メカジキの知名度向上やブランド化を図ることなどを目的に昨年9月に設立されました。委員長は商工会議所の菅原昭彦会頭です。

右の記事は、全国の信用金庫が展開するNPO応援寄金「しんきんの絆」復興応援プロジェクトの助成についてです。第3回目の助成(総額7487万円)対象22件のなかに、気仙沼市と南三陸町の2団体プロジェクトが含まれていました。

ひとつは気仙沼市唐桑地区でまちづくりに取り組んでいる一般社団法人「まるオフィス」(加藤拓馬代表理事)で、〈漁師ぐらしを次世代に伝える「すなどり先生」プロジェクト〉に約480万円。もうひとつは歌津地区を中心に活動しているNPO「夢未来南三陸」の地域連携プロジェクトに約500万円が、それぞれ贈られました。記事写真にうつる会場は気仙沼信用金庫です。

「しんきんの絆」復興応援プロジェクトの内容を調べてみると、全国で販売した「『しんきんの絆』復興応援定期積金」総額の0.25%を日本NPOセンター内に設置した同名のプロジェクトに寄付するもの。定期積金の募集総額は580億円で、寄付金額は1億4500万円にのぼりました。

記事を読み、あらためて企業・団体の社会貢献活動の継続力というものに驚かされました。経営としてやると決めたことは確実に実行していくという意思が感じられます。

これらの支援・助成金は各企業・組織の懸命の活動によって絞り出されたものです。支援を受けた各団体とも、確実な成果によってその期待にこたえて欲しいと思います。

キリングループそして全国の信用金庫など関係者の皆様に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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別府APUとの縁

4月12日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。

4月12日APU
三陸新報4月12日記事の一部イメージ

大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)と気仙沼市が4月11日に友好協定を結びました。APUは、2000年に設立された日本初の国際大学で、約6000人の学生のうち半数が外国からの留学生とのことです。

協定締結により、今後は市内の再建事業所でのインターンシップ受け入れや気仙沼の高校生が別府のAPUキャンパスを訪問することなどを検討しているとのことです。また、大学のゼミを通じて、気仙沼市の課題解決に向けたフィールドワークを行うことも見込まれています。

三陸新報記事の写真の後方に皆さんよくご存じの方々もうつっていました。左から気仙沼ニッティングの御手洗社長、アンカーコーヒーも営むオノデラコーポレーション小野寺靖忠専務。そのまた右は気仙沼商工会議所の菅原昭彦会頭です。記事にあった再建事業所でのインターンシップ受け入れの関係者ということでしょうか。御手洗さんは、2014年6月にAPUにて「チェンジ・メーカーとしての生き方―マッキンゼー、ブータン、気仙沼」と題した社会連携セミナーをおこなっています。

また、APUと〈ほぼ日〉糸井重里さんは、2000年に開学する前からの関係があります。糸井さんは4月17日の〈ほぼ日/今日のダーリン〉で、APU副学長の今村正治さんからのメールを紹介していました。今村さんは「つい数日前に、APUと気仙沼市と友好協定を締結したばかりなのに、なんという巡り合わせでしょう」と。

幸いにもAPUの学生・教職員の被害はなく、建物の損壊も免れたそうですが、学生寮は学生の避難所となり、20日まで休講とするなど、スタッフの方々は対応に追われているとのことです。

〈ほぼ日〉糸井重里さんとAPUのご縁が、気仙沼にも広がってきたなと感じて間もなくの大きな地震でした。〈被災〉と〈支援〉の関係が一方的なものではなく、その関係がいつ逆転するかもしれない。〈明日はわが身〉。まさにお互いさまの関係にあるのだなあと強く感じています。

なお、誠太郎君の阿蘇での被災について書いた昨日18日のブログに、東京の多摩市で誠太郎君一家と親しくされていた小林さんという方からコメントをいただきました。安否がわからず心配していたが、このブログで無事を知り一安心したとのこと。小林さんには、当方より別途ご連絡をいたしました。まずはご報告まで。

東日本大震災のときもそうでしたが、大きな災害があると人の縁の不思議さ有り難さがいつも以上に感じられます。私だけではないでしょう。

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誠太郎くんの被災

熊本で地震というニュースを知ったとき、私の友人や知人の中に熊本出身や在住の人は思い当たらず。ましてや同級生がいるなどと想像もしておりませんでした。

しかし今朝、菊田裕美君(3年1組)からメール。同じ1組だった畠山誠太郎君が熊本県阿蘇市に住んでおり、今回の地震で被災したというのです。そう聞いて、誠太郎君が阿蘇にいると以前に聞いていたことを思い出しました。すっかり忘れていたのです。

本人とご家族が無事であることは、1組同級生の佐々木徹君や平塚一信君が電話にて確認。裕美君もメールしたところ誠太郎君からつぎの返信があったそうです。

「地震で家の中がメチャメチャです。余震が分刻みで起きています。家は倒壊していないけれど、今は避難しています。心配していただきありがとうございます。また、元気で会いたいですね。連絡くれてありがとう」

裕美君によれば、3月12日に1組のクラス会がありました。会場は気仙沼の新京本郷店で担任だった奥原先生も参加してくれたそうです。そしてその場から阿蘇の誠太郎君に電話をして、奥原先生や同級生らが、9月に開催予定の同年会で会おうと話したばかりとのこと。

詳しいことはわかりませんが、テレビニュースなどを見ると被災現場そして避難場所の状況は刻々と変化しているようです。私たちにできること、しなければいけないことがあれば裕美君ら1組同級生が連絡をくれるでしょう。いまは状況を静かに見守りたいと思います。

これ以上被害が広がることなく、一日も早く平穏な日常が戻るようにと願っております。

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舞根の生命の再生

きのう14日夜の地震には大変驚きました。熊本では震度7、亡くなった方もいらっしゃいます。現地では現在も救助等の活動が懸命に進められており、まずは被災された方々へのお見舞いのみ申し上げておきます。

本日も、遅ればせながら3月11日近辺の記事の紹介。3月8日の読売新聞朝刊です。

読売重篤さん
読売新聞3月8日朝刊より(クリックで拡大)

これは、3月23日のブログで紹介した山浦玄嗣さんの記事と同じく〈震災5年〜息吹を求めて〉シリーズのひとつです。気仙沼市唐桑町舞根(もうね)の畠山重篤(はたけやま しげあつ)さんの言葉がまとめられています。冒頭部を引用します。

「 あの日の夕方、裏山から見た光景は地獄絵図そのものであった。大津波の峠は越したものの、ゴーゴーと音をたてて潮が急流のように行ったりきたりしていた。余震も続いていた。

 海抜二十五メートルの高台に建つ我が家は辛うじて助かったようだが、風景の一部である海辺の家が全部姿を消していた。殆(ほとん)どの家が畠山という同一姓の地区なので各戸に屋号がついていた。

 二百年は続いていただろう旧家の寺釜(気仙大工が建てた赤瓦の大きい家)、釜の前(昔は塩を炊いていたので屋号になった。最近増築したばかりだ)。釜の前の上、中新、釜の前の下。横峰、前港、後港、貝浜別家、大岩、角、中、中新屋、中新屋別家、荒浜、上新屋、丸光、横峰隣。夕暮れの中でこれだけ数えられた。」(引用は以上)

西舞根地区のほとんどが〈畠山〉姓なので各戸を屋号で呼んでいたと。そしてその屋号が詳しく紹介されています。〈角〉とか〈中〉とかも。

この屋号の話を私は面白く読みましたが、その後には、集落52世帯のうち44世帯が流されて4人が亡くなったという話が続きます。そして老人ホームでお世話になっていたお母様の小雪さんも亡くなったと。火葬まで2週間を要したそうです。

この後は、あまりにも大きな被害を受けての絶望感などや、〈海が生きていた〉ことを知り、全国からのご支援を得ながらの復興への歩みなどが語られますが、詳細は略します。

記事の左側に、取材を担当した文化部 松本由佳さんの文章が記されていました。松本さんは5年前の4月にも舞根で重篤さんの話を聞いたそうです。文章は重篤さんの願いなどを紹介しながら、つぎのように結ばれています。

震災後、新たに孫が生まれた。名前は凪(なぎ)。海の安らぎを願い、命はつながっていく。


この末尾の文章。舞根の海の再生と、その海辺に暮らす人々の生命のつながりが互いに呼応して、強い印象が残りました。

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頑張れ!富川悠太

「報道ステーション」のメインキャスターが古舘さんから富川悠太さんに代わりました。放送初日の4月11日には富川さんが震災後に取材した気仙沼の大島中学野球部員の5年後を紹介してくれてびっくり。

富川さん
「報道ステーション」番組ホームページより(クリックでジャンプ)


私は富川アナウンサーに恩義を感じています。5年前の3月11日、地震の直後には電話が通じ、気仙沼で暮らす母の無事を確認できたものの、その後の消息がわからず心配していました。しかし、2日後の13日午後11時、テレビ朝日の報道番組で(日曜日なので報道ステーションではないでしょうが)母の避難場所を知ることができました。富川さんが気仙沼市役所から生中継し、ロビーのホワイトボードに書かれた避難者名をゆっくりと紹介してくれて、母がホテル望洋に避難していることがわかったのです。

その数日後には、富川さんが積み重なる瓦礫を越えて、停電して照明もつかないホテル望洋をたずね、避難者に話を聞く映像も紹介されました。私は母がうつらないかと目をこらしたのですが登場せず。後で母にそのことを聞くと、〈ノーメイクだったので目立たないようにしていた〉と笑っていました。人の気もしらないで(笑)。

こうしたことがありましたので、報道ステーションで災害現場からレポートする富川アナを見るたび〈大変だろうに頑張っているな〉と感じておりました。スタジオよりも現場が似合う。そんな富川さんをかげながら応援していたのです。

新・報道ステーションは視聴率もよく、好調な滑り出しをしたようです。数多くの過酷な取材でつちかった現場感覚をいかして、よい番組にと願っています。

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隆一君と本マグロ

4月9日(土)の三陸新報にこんな記事が。

4月9日千葉
三陸新報4月9日記事より

気仙沼魚市場で8日、地元近海マグロはえ縄船が水揚げしたホンマグロ(クロマグロ)が、震災後の最高値となる1匹約230万円で取引されたというのです。全長1.8mほどで164kgの大物。

記事を読み進んでいくと、〈競り落としたのは市内弁天町のミツウロコの千葉隆一代表〉とのこと。ありゃま気中3年10組だった隆一君だ。ということは、写真で頭のてっぺんを見せているのがご本人でしょう。

記事には隆一君のコメントが紹介されていました。〈鮮度が良いホンマグロを水揚げしてもらいたい。これから定置網が始まるので楽しみだ 〉

このホンマグロは、地元の第37金栄丸が八丈島東沖周辺で漁獲して気仙沼港に水揚げされました。ネットで調べてみると、同船は119トンの近海マグロはえ縄船で、震災で被災した漁船の代船として木戸浦造船で建造され、2013年1月に進水しています。

築地市場に出荷されたというホンマグロにとっては災難でしたが、金栄丸さんや市場関係者にとってはうれしい話題だったことでしょう。写真にうつるのが隆一君との確証はないものの、元気なようでなによりのこと。気仙沼魚市場の明るいニュースということで紹介させていただきました。

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Newば!ば!ば!

3月31日の三陸新報につぎの広告が掲載されていました。

3月31日
三陸新報3月31日掲載広告

〈ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼〉公式サイトがオープンしたことの告知です。

ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼/公式サイト

気仙沼の一般社団法人「リアス観光創造プラットフォーム」が2014年8月から展開してきた〈ば!ば!ば!の場〉。これは、地元気仙沼の魅力を市民みんなで再発見しようとするワークショップ形式の活動です。昨年9月には、「ば!ば!ば!フェスティバル」として、一日に5つのプログラムを同時開催するなど、その活動を活発化させてきました。

私は今回の公式サイトを見て、〈ば!ば!ば!の場〉という名称をあえて使わないようにしているように感じました。〈ちょいのぞき気仙沼〉などの活動なども含む全体の活動を〈ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼〉として捉え直そうとしているのかも。活動の新しいステージが始まったということかもしれません。

〈ば!ば!ば!プロジェクト〉の新しいサイトの中には、現時点で4本の動画コンテンツが含まれています。その中に見知った顔があるとなんかうれしい。たとえば、以前このブログでも紹介した〈気仙沼再発見。古地図の旅〉では、講師役をつとめた2年上の山内繁さんや、1年下のSONEさんらの元気な姿がうつっています。4本ともサイトの〈企画紹介〉から見ることができますのでぜひ。

ば!ば!ば!プロジェクト/企画紹介

この〈ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼〉公式サイトの開設は、平成27年度の事業だったのではないでしょうか。年度内3月31日までに成果物とするために、いろいろ大変だったろうと勝手に推測しております。関係者の皆様、まずはお疲れさまでした。

気仙沼のこれからの観光を考えるうえで市民・住民の参加は大事な要件。〈ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼〉の今後の活動を大いに期待しております。


なお、リアス観光創造プラットフォームが展開する体験プログラム〈ちょいのぞき気仙沼〉が4月16日(土)、17日(日)にも開催されます。今回は、函屋探検、氷屋探検、魚市場の復興物語、メカジキ解体ショー&BBQ、漁具芸人!?と遊ぼう!、漁師ゴト。メカブ狩り、わくわくツリーハウスピクニックの8種のプログラムが用意されています。詳しくは下記のリーフレットをご覧ください。

案内リーフレット:表
案内リーフレット:裏

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あの日から5年、

4月8日のブログで、週刊文春3月17日号〈阿川佐和子の この人に会いたい〉での井重里さんとの対談内容を紹介しました。本日は、同じ号に掲載されていた座談会〈『つなみ』の子どもたちが語る〜あの日から5年、これからの5年〉を紹介します。

つなみ文春
週刊文春3月17日号より

タイトルにある『つなみ』とは、震災のおよそ3カ月後に文藝春秋臨時増刊として発行された『つなみ 被災地のこども80人の作文集』です。18万部を越えるベストセラーとなりました。その80人のその後を追った、週刊文春2013年3月14日号の〈「つなみ」の子どもたち 「絶望」と「希望」の狭間で 〉という記事はこのブログでも紹介しました。

今回の座談会はその続編的な内容で、80人のなかから宮城県出身の3人が震災後の5年を振り返っています。そのなかの一人が、気仙沼の南町にあった三束(みつつか)ふとん店の娘さん香織さんなのです。彼女の発言部分を抜粋して紹介します。司会と記事の構成は前回と同じく『つなみ』の編者である森健さんです。


森 みんなはどういう気持で作文を書いたの?

三束 私は迷うところがありました。震災体験を忘れないで生きてきたつもりですが、文章に書こうとすると苦しい部分もあったからです。私は友人を亡くしているのですが、その子のことは思い出したくなくても思い出してしまう。でも、そのことはやはり文字にはできませんでした……。それだけ引きずっている部分なんだなと自分で思いました。

森 三束さんの実家は気仙沼の内湾地区で3代以上続くふとん店でしたよね。事業再建を断念するとお父さんから聞いたときは。

三束 本当に悲しかった。頑張ってほしかった気持ちもあるんです。でも、大変な思いをしていたお父さんに「もう一度頑張って」なんて、とても言えませんでした……。

森 気仙沼ではこの5年間、防潮堤の高さを巡って県と住民でもめてきました。県と国が高さ10メートル規模の防潮堤計画を出したことで気仙沼の住民は反発。住民会議が各地で開かれ、行政と協議が行われました。結果、当初の計画より低く設置することになりました。この経緯は、他の地域の人から見ると、理解しにくいところもあったように思います。なぜ気仙沼の人は防潮堤を嫌がるのだろうと。

三束 震災のあと「元に戻す」という目標があったと思うんです。その目標からすると、海が見えない気仙沼は地元の人にとって別物に感じてしまう。長年海を見て暮らしてきたので、巨大な防潮堤は見たくない。その思いが反対につながっているのだと思います。もちろんまた津波が来たら、どうするのかという安全面の話もあるので、矛盾しているんですが……。本当にこれは悩ましいです。(後略)

司会の森さんが気仙沼の防潮堤に関して語っている部分は、内湾地区とほかの地区の話がまざっていて読者に誤解を与えそうなところもあります。しかし、〈気仙沼の人がなぜ防潮堤を嫌がるのだろう〉との質問は、実に根本的で大事な問いかけであるように感じました。

三束さんは震災後に大船渡の高校に進み、いまは仙台の専門学校に通っています。洋菓子づくりなどを勉強して、気仙沼で自分のお店を開きたいと、つぎのように語ります。

〈やはり元の家のあたりで。また津波が来るのは嫌ですけど、見慣れた土地にカフェを建てたいんです。お年寄りの方には持ち帰れるケーキを販売して、若い人には座ってゆっくりできる店をつくりたいと思っています〉

私が気仙沼で暮らしていたころには、南町の三束ふとん店の角を曲がると丸光デパートがあったなあ。1966年6月の開店です。私たちが中学3年のときでした。気仙沼ではじめてのエスカレーターを備えた店舗。その後は〈ビブレ〉、そして〈イコーレ〉となって2007年に閉店。南町もさまざまに変遷してきました。そして震災。

三束ふとん店があった〈元の家のあたり〉南町や魚町で進む新しいまちづくりのなかで、香織さんの夢が実現することを願っております。

2013年5月10日ブログ「絶望と希望の狭間」

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この人に会いたい

3月は大震災から5年ということで、新聞や雑誌などでも気仙沼関連の記事がいつもより多かったように思います。4月になってしまいましたが、〈こんな記事があったよ〉ということで順次紹介しようと思います。

本日は、週刊文春の3月17日号の人気連載〈阿川佐和子の この人に会いたい〉のご紹介。対談のお相手は糸井重里さんです。

この人に会いたい
週刊文春3月17日号より

糸井さんは、5年前の震災直後にもこの連載に登場して〈何かやらなきゃ〉と語っていたとのこと。阿川さんは、それからの5年間に糸井さんが何を考え、どう行動したかを聞いていきます。

詳細は略しますが、2011年11月の〈気仙沼のほぼ日〉設立や、〈気仙沼ニッティング〉のスタートなどについての話が続きます。そして〈100のツリーハウス〉プロジェクトや〈東北ツリーハウス観光協会〉のことなども。最後に、ステーキの話が紹介されました。その部分を引用します。

糸井 前から気仙沼には肉が足りないなあと思ってたんですよ。向こうは魚が豊富なので、農家に魚をあげて野菜をもらったりする。
阿川 物々交換なんですね。
糸井 僕、魚をきれいに食べるのは得意なんです。それを地元の人間は「ケチくさい」と笑うんです(笑)。それくらい魚が豊富で、肉が少ないわけ。そんな魚文化圏にあって肉といえばホルモン。これが気仙沼の名物なんです。そこで僕は考えたの。「ステーキ興し」をすれば絶対に流行る。ステーキハウスをつくれば、ちょっと気取った冠婚葬祭のときなんか、ネクタイ締めたおやじさんたちが来てくれるって。
阿川 そうしたら?
糸井 ある珈琲屋さんがやってくれました。(後略)

珈琲屋さんがステーキも始めたという話は、気仙沼の舘山にあるアンカーコーヒー マザーポート店のことでしょう。こうした調子で、気仙沼の話を中心として糸井さんとの対談内容が5頁にまとめられているわけですが、阿川佐和子さんも〈気仙沼応援団〉のおひとりであることは皆さんご存知のとおりです。銀座の商業団体の皆様による復興支援〈やっぱ銀座だべ〉プロジェクトの実行委員長は阿川さんがつとめてくださっています。

糸井重里さんと阿川佐和子さん。このお二人の気仙沼に対するご支援は本当に得難いものと思います。あらためて御礼を申し上げます。そして最後になりましたが、ありがとう文春!(笑)

2015年2月16日ブログ「銀座いきなり市場」
2013年4月3日ブログ「やっぱ銀座だべ」

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吉田正文君の訃報

今朝、佐々木徹君(3年1組)から電話。〈朝からごめんね。同級生の訃報なんだよ〉と。吉田正文君(1組)が4月4日に亡くなったというのです。

正文君訃報
4月7日三陸新報掲載の訃報

徹君と同じ気中3年1組。〈若いときからちょと病気がちではあったんだけど。まだ65歳は早いよね〉と徹君。

4月生まれの気仙沼中学20回生は、今月で65歳です。私は先月64歳になったばかりなのですが。いずれにしても体に不調をおぼえることも多くなる年齢。それだけに同級生の訃報はちょっとこたえます。

正文君は〈永らく病気療養中だった〉とのこと。独身で、喪主はお姉様です。本通夜は本日7日、葬儀は明日8日。

吉田正文君のご冥福をお祈りいたします。

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堤幸彦気仙沼大使

震災前から気仙沼をいろんな形で応援してくれている映画監督の堤幸彦(つつみ ゆきひこ)さんが「みなと気仙沼大使」を引き受けてくれました。4月2日配信の河北新報記事を紹介します。

堤監督
 河北新報4月2日配信記事より(クリックでジャンプ)

記事を引用します。

〈 気仙沼市は2日、東日本大震災後に気仙沼市でドキュメンタリーの撮影に取り組む映画監督の堤幸彦さん(60)に「みなと気仙沼大使」を委嘱した。

 市役所を訪れた堤さんは菅原茂市長から委嘱状を受けた。「気仙沼は特別な場所になった」と堤さん。「独特な魅力を持つ港町気仙沼を舞台に、いつか古き良き時代の子どもを主人公にした映画を撮りたい」と語った。
 堤さんは2007年公開の映画「自虐の詩」で市内各地でロケを展開。震災後は市内でボランティア活動をし、フリーアナウンサーの生島ヒロシさん(同市出身)の息子を主人公としたドキュメンタリードラマを毎年撮り続けている。
 菅原市長は「これからも応援してほしい」と期待した。気仙沼大使は民間人に気仙沼の魅力を広く発信してもらうのが狙いで、委嘱は堤さんで76人目。〉(引用は以上)

4月3日の三陸新報によれば、菅原市長が堤監督に委嘱状を手渡した2日には、気仙沼プラザホテルで堤さん監督作品の上映会が開催されました。「Kesennuma,Voices.5 東日本大震災復興特別企画〜2015 堤幸彦の記録」。堤監督が気仙沼を舞台に描くドキュメンタリードラマの第5弾です。このドラマでは、生島ヒロシさんの二人の息子さんと気仙沼の関わりを追っていますが、今回の気仙沼での上映会では、長男の勇輝さんと堤監督のトークショーもおこなわれました。

堤幸彦さんの気仙沼に対する思いやご支援については、このブログでも何度も記してきました。今回の「みなと気仙沼大使」委嘱についてのお願いについても、こころよく引き受けてくれたのでしょう。

堤監督の「独特な魅力を持つ港町気仙沼を舞台に、いつか古き良き時代の子どもを主人公にした映画を撮りたい」とのコメントが紹介されていましたね。時間がかかってもいいから是非実現して欲しい。古き良き時代の気仙沼の風景が津波で流されても、私たちの記憶の中にはしっかりと残っています。それを映像としてまた見てみたい。そう願うのは私だけではないでしょう。

堤監督にあらためてお礼を申し上げます。どうぞこれからも気仙沼をよろしくお願いいたします。

なお、このニュースについては、仙台の平野秀明君(3年3組)が〈もう、知っていると思いますが〉と前置きして、紙面の画像を添えたメールを送ってくれました。元気な様子でなによりです。いつもありがとう。

2012年3月3日ブログ「堤監督に感謝!」

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写真「孫だくさん」

独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が主催する東日本大震災「復興フォト&スケッチ展2015」の作品集が先日届きました。

UR都市機構は、東日本大震災で被災した地域の復旧・復興活動に取り組んでおり、気仙沼でも鹿折と南気仙沼地区の市街地整備事業や災害公営住宅建設などをおこなっています。フォト&スケッチ展は、そうした復興への歩みの広報活動の一環として2014年度から開催されています。

ページをめくっていくなかに私が驚いた写真がありました。つぎの写真に写っているおばあちゃんは、気仙沼高校の同級生 大島〈宮古屋〉熊谷雅裕君のお母様すん子さんです。(画像はクリックで拡大します)

孫だくさん

この作品は、大賞を含む〈復興の歩み賞〉写真5点のうちの1点で、
UR都市機構の職員投票により最多得票を獲得したとのこと。〈孫だくさん〉と題されたこの写真の説明文を引用します。

「孫がたくさんできた」と喜ぶ宮城県気仙沼市大島在住のおばあちゃんと立教大生ら。立教大学コミュニティ福祉学部「東日本大震災復興支援プロジェクト」では毎月、大学生が大島中学校仮設住宅などを訪問して、住民の皆さんと交流を続けています。島のおじいちゃん、おばあちゃん、また歓迎のアーチを作りに帰るから待っててね! (引用は以上)

ネットで調べてみたら、この立教大学のプロジェクトでは、気仙沼大島の仮設住宅に暮らす高齢者の方々との交流のほか、小中高生への勉強やリクリエーションを通した交流を継続的におこなっています。ありがとうございます。

もう一点、入賞作品を紹介します。タイトルは〈待ってました!気仙沼のサンマ〉。

サンマ

これは私の妻の作品。そんなことで作品集が届いたわけです。絵のできはそんなに悪くないと思うのですが、復興というテーマとサンマの結びつきがちょっと弱いかな。それでも作品集のなかに掲載された絵やスケッチ5点のうちの1点となり本人も喜んでおりました。入賞の記念品として選んだ東北の地酒3本セットもおいしくいただきました(笑)。

なお、都市再生機構(UR都市機構)というのはあまり聞き覚えがないなという方には、以前の〈日本住宅公団〉が前身といえばおわかりいただけるでしょう。2004年に地域振興整備公団と統合して新発足しました。

なお、作品展示会は東京、岩手、宮城、福島の各地で開催されていますが、気仙沼での展示がなかったのが残念です。以上、ご報告まで。

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桜まつり報告など

今週のブログは、土日の報告から。

土曜日4月2日は、目黒の田道公園〈桜まつり〉へ。ちょっと曇りの天気でしたが、大勢の花見客でにぎわっていました。気仙沼の物産ブースはテント脇の良い場所にありました。私たちはなんとか席を確保してビールなどを。会場では見知った顔をたくさん見かけましたが、その中に気仙沼からの松井敏郎さんが。〈目黒のさんま祭〉の気仙沼実行委員会会長です。声をかけ、いつもご苦労様ですということで乾杯。1枚目の写真はその松井さんと菊田裕美君です。2枚目の写真は、買い物(私は新物の生わかめと海苔)も済ませて、目黒川沿いに中目黒に向かうときに撮ったもの。

松井さん 記念写真

そしてきのう日曜日は、3月30日のブログで紹介した気仙沼在住のガラス作家 菊田佳代さんの個展に妻と。満開の桜の下で宴会状態の人たちでにぎわう自由が丘から7〜8分。奥沢駅を過ぎたあたりのギャラリーが会場です。一足先に、この個展を教えてくれた鈴木修君夫妻も来てくれたとのこと。菊田さんにガラス作品のさまざまな技法などを解説してもらえたのはなによりでした。菊田さんと作品のワンコーナーを紹介します。

菊田さん 展示

この個展は今度の日曜日まで。9日(土)10日(日)は、菊田佳代さんが再度上京してギャラリーにいらっしゃるとのことですので、皆様も自由が丘の散策がてら是非おでかけください。

3月30日ブログ「菊田佳代さん個展」

以上、土日の〈気仙沼めぐり〉報告でした。なお、参考までに両日の歩数を記しておくと、2日が9300歩、3日が8600歩でした。平日は6000歩程度ですから、まあまあの成績かと。ということで、今週も元気に楽しくいきましょう。

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お母さんへの手紙

きのう3月31日、臼井真人(まこと)君(3年2組)から電話がありました。〈きのうの三陸新報の連載〈大切な人へ〉の文章を書いた熊谷香代子さんは、俺と同じ2組だった斎藤香代子さんだよ。ほら、魚町の入沢の入口にいだっちゃ〉。私もその記事を読んではいたのですが、気づきませんでした。

330.jpg
三陸新報3月30日記事より(クリックで拡大)

〈大切な人へ〉は、震災で亡くなった方をしのび手紙の形で語りかける連載記事です。その第11回目、香代子さんの〈手紙〉を紹介します。


大好きな お母さんへ

 あれから、もう5年。震災から3日後に、やっと会えましたね。「春圃」の皆さんのお世話で、綺麗なお顔のままで旅立たれました。数日後、46年前、59歳で突然逝ったお父さんの遺影だけが、奇跡的に実家の兄の元に届いた時、きっと慌てんぼうのお母さんが心配で、迎えに来てくれたのだと思いました。

 大好きなお父さんと、仲よく過ごしていますか。実家のあった魚町は、今は大型の復興トラックが行き交い、あの「気女高」も姿を消しました。復興住宅が建つとか。今、実家の跡地は駐車場です。その後に何年かかるのか、生まれ変わった気仙沼をきちんと見届けてから報告に行くつもりです……。一日でも早く、犠牲者の方々を弔う慰霊塔が建てられ、いつでも手を合わせられる場所が出来る事を願っています。

 私の3歳の孫とムキになって言い争っていたお母さん。あの孫も、もう中学生ですよ。お母さんの「卒寿のお祝い」の時、集合した8人の曾孫が、今では13人。今年の4月にまたひとり誕生しますよ。
 「歳をとれば、わかるよ」と、身をもって教えてくれましたね。私も3人の嫁の姑となり、6人の孫を授かり、教えてもらった気持ちがよくわかる、そんなお年頃になりました。

 兄ちゃん達も、姉ちゃんも、ばあちゃん大好き、孫達も、それぞれ幸福な家庭を築き、皆、お母さん譲りの笑顔で、一日、一日を感謝の気持ちを忘れずに、前を向いて歩んでいます。見守っていて下さいね。

 私も64歳になりました。仕事も、お客様達に支えられながら、もう少し続けてみようかな、と思っています。誕生日を迎えるたびに、感謝しています。生んでくれて有り難う。わがまま娘で心配ばかりかけ、本当にすみませんでした。夢でいいから、もう一度会いたいです。お母さん。



引用は以上です。〈夢でいいから〉とつづった香代子さんの気持ち。よくわかりますなどと簡単には言えません。真人君も感ずるところがあって、私に連絡をくれたのでしょう。その気持ちはよくわかります。付け加える言葉はなにもありません。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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