大島巡航船の軌跡

1月15日のブログ「1953年の鼎ヶ浦」で、昭和28年当時の気仙沼湾の写真を紹介しました。これは、気仙沼周辺の地域情報誌「浜らいん」2016年新年号に掲載されていたものですが、この号には特集記事に大変興味深い写真が沢山紹介されていました。

特集テーマは、〈大島汽船110年の航跡を辿る〉。明治39(1906)年に知事免許を受けて手漕ぎの渡船業を開始後、大正15(1926)年の「気仙沼内湾汽船組合」や昭和23年の「大島汽船株式会社」の設立などを経て、現在に至るまでの歴史をたどっています。

記事では、見開きで〈懐かしの大島巡航船〉を紹介しています。

巡航船
「浜らいん」2016年新年号より(クリックで拡大)

私が特に印象的だったのは、左下の2隻。〈大島汽船の船と共に島民や渡航者の足として活躍した市営汽船の二隻の巡航船〉。まずは〈やすなみ〉。小学生のころにのりました。

やすなみ

そして〈たつまい〉。近代的というか、ずいぶん立派な船ができたと感じたものです。記事に記載がなかったので、〈気仙沼文化史年表〉で調べたら1964年7月の進水です。東京オリンピックの年。私は気仙沼中学1年生。

たつまい

〈大島汽船〉のほかに〈市営汽船〉というのがあったのですね。知りませんでした。〈やすなみ〉については、小学校時代の地区海水浴などの思い出を2011年のブログ「浜辺のエレキ」で書きました。〈やすなみ〉の写真をみるだけで、小学生だったころにタイムスリップするような気分になるのが不思議です。

なお、大島汽船は、大島浦の浜〜エースポート間の一般旅客航路(定期航路)を、平成30年度の大島架橋開通に合わせて廃止することをすでに決めています。

2015年7月27日ブログ「大島定期船廃止へ」


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5大ニュース2015

昨年末12月30日のブログで〈あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース〉候補22項目を紹介しました。そして昨日1月28日の三陸新報に、その得票結果ベスト10が紹介されていました。なお、投票応募人数は2369人。

5大ニュース
三陸新報1月28日記事より

1位は畠山健介選手のラグビー・ワールドカップでの活躍でした。2014年の「五大ニュース」では、フェンシングの千田健太さんの活躍(仁川アジア大会団体で金、全日本2連覇)が5位だったことを考えると、昨年のラグビー人気がいかにすごかったかということでしょう。

私が印象的だったのは、4位のサンマの不漁。2位の生鮮カツオ水揚げ19年連続日本一は、たしかにすごいことなのですが、ちょっと慣れてしまった感があり、むしろサンマの不漁が強く印象に残りました。

三陸新報の記事には、項目以外の自由記入内容に「気仙沼線大船渡線の鉄路復旧問題」や「かもめ食堂再開」などもあったと記されていました。「かもめ食堂再開」は候補項目に入っていませんでしたが、たしかに2015年の明るい話題のひとつでしたね。これをわざわざ記入してくれた方、ありがとうございます。同級生とか関係者の人だいが(笑)。

なお、畠山健介選手が、イングランド最高峰リーグ、プレミアシップのニューカッスルに期限付きで移籍すると昨日27日に発表されました。テレビニュースでも報じられましたので、ご覧になったことも多いことでしょう。移籍期間は2~4月の予定。活躍を期待しています。

2015年2月11日ブログ「5大ニュース2014」

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祝!つばき会受賞

気仙沼つばき会が企画・制作した〈漁師カレンダー〉が〈全国カレンダー展〉で2度目の受賞を果たしたことは昨年12月29日のブログでお伝えしました。そして同会がまた新たな受賞です。今回は、〈JTB交流文化賞〉の優秀賞。〈漁師が帰りたくなる港へ―気仙沼つばき会による女性目線の観光・まちづくり〉に対して授与されました。

交流文化賞
「JTB交流文化賞」サイトより(画像クリックでジャンプ)


活動内容の詳細は、同賞サイトでご覧いただきますが、そこに〈活動概要と評価のポイント〉の記述がありましたので紹介します。

◎概要と評価のポイント

【概要】
遠洋漁業の基地としての賑いを取り戻そうと、漁師の家族で行う「出船送り」に、一般市民・観光客も含め参加できる仕組みを女性有志で作り上げた。オリジナル大漁旗や漁師カレンダーの販売、魚市場での朝めしイベントなどを通し、観光客増や気仙沼港の水揚げ向上にも寄与。

【評価のポイント】
・大勢の市民が参加しており、そのことが観光客の参加意欲の喚起につながっている。
・見送りの風景を想像すると行ってみたくなる。
・漁師のなり手を見つけるのが難しい中、市民と観光客の両方で明るく漁業を盛り上げており、漁船の方も応えて汽笛を鳴らすなど、民間主体の取り組みとして素晴らしい。(引用は以上)

この賞は、日本最大の旅行会社である株式会社JTBが、〈地域に根ざした持続的な交流の創造と各地域の魅力の創出、地域の活性化に寄与すること〉を目的として、2005年に創設し、今回で第11回目となります。

〈気仙沼つばき会〉は、2009年4月に発足しました。もうすぐ7年となりますが、震災をはさんでの活動の継続はいろいろと大変なことがあったでしょう。会長の高橋和江さんはじめ関係者の皆様に御礼とお祝いを申し上げます。これまでのご尽力、ありがとうございます。そして今回の受賞、おめでとうございました。

なお、JTBさんは、震災後の気仙沼を継続的に応援してくださっています。昨年で8回目となる〈東北ふるさと課(化)〉プロジェクトは、2014年の〈ツアーグランプリ〉で、観光庁長官賞(国内・旅行訪日部門)を受賞しています。この場を借りて御礼申し上げます。

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愛と希望ラーメン

きのうのブログで、23日〈けせもい会〉新年会の様子を紹介しました。その会の冒頭、千葉憲二君の挨拶のなかで〈今度の日曜日、TBSテレビで、かもめ食堂をとりあげた番組が放送されます〉との話がありました。本日はその番組を紹介します。TBC(東北放送)制作で、TBSなどJNN9局ネットです。

サイト
「愛と希望のラーメン」番組サイトトップページ(クリックでジャンプ)

◎これが東北魂だ
愛と希望のラーメン
1月31日(日)午後4:00〜4:54
TBC(東北放送)、TBSなどJNN9局ネット

東北の復興・再生を願う「これが東北魂だ」シリーズの5作目となるこの番組のテーマはラーメン。女川町〈金華楼〉と気仙沼〈かもめ食堂〉をとりあげます。かもめ食堂の紹介は、後半の30分かな。山形弁でおなじみの〈ナマドル〉佐藤唯さんがお店を訪れたり、魚町の海岸でお神明さんを背景にして千葉憲二君の話を聞いたりするようです。

憲二君
番組サイトのかもめ食堂紹介イメージ(クリックでジャンプ)

番組サイトを見ると、被災地気仙沼の支援や、〈かもめ食堂〉復活にあたっての全国のラーメン店の皆さんの応援なども紹介されるようです。以前の炊きだしの映像が使われるとすれば、澤井充君や臼井弘君の顔がまた見られるかも(笑)。

〈金華楼〉はサンドウィッチマン、〈かもめ食堂〉は佐藤唯さんがレポートするのですが、サイトの出演者写真にも出ているベッキーさん担当の〈あの震災の中での「一杯のラーメン物語」〉は〈近日公開〉となっています。最近の彼女をめぐる報道の余波がこんなところにもと少し驚きました。消された〈一杯のラーメン物語〉も気になるところ。

ということで、今度の日曜日夕方4時からのラーメン物語を是非ご覧ください。

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けせもい会新年会

1月23日(土)は、気仙沼中学はじめ周辺中学・高校などの首都圏同年会「けせもい会」の新年会でした。会場は、例年どおりに千葉憲二君(3年4組)の店、銀座〈まかない喜いち〉です。気仙沼からの参加者も含めて24人が参集しました。

会長の鈴木徳一君(3組)の挨拶のあとは千葉憲二君から。

憲二君

彼は、人気ラーメン店〈ちばき屋〉も経営していますが、昨年11月19日に気仙沼〈かもめ食堂〉を復活開店させました。そんなことを報告してもらったあとで、乾杯! あとは楽しくわいわいと。詳細は略して会のおわりに撮った写真だけを紹介しておきます。前列まん中でふざけているのは、いつもどおりに恒四郎君です。クリックで拡大(笑)。

2016けせもい会

午後5時に始まった会でしたが、あっという間に8時半。おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。みんなありがとう。また集まりましょう。

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目は臆病 手は鬼

きのう1月21日、朝日新聞朝刊一面の連載記事「折々のことば」で、気仙沼の斉吉商店さんの〈ことば〉が紹介されました。

折々のことば

内容を朝日新聞デジタルより引用します。

折々のことば 鷲田清一

目は臆病 手は鬼

三陸地方に伝わることば

 気仙沼のある魚問屋でのこと。大にぎわいの宴席のあと、下げた食器の山を見てため息をついていると、一家の母がこう言ったという。途方もない量の片付け仕事を前に怖(お)じけているときも、とりあえず手を動かせば存外すんなり事はなる。震災後、すさまじい瓦礫(がれき)の山を前にしてボランティアの人たちがこのことばを立証した。「斉吉(さいきち)魚問屋便り」(2013年2月)から。(引用は以上)

「折々のことば」は、昨年4月1日からはじまった連載。「天声人語」の上部に掲載され、多くのファンをもつ人気コラムです。1979年から足かけ29年間連載された詩人・大岡信さんの「折々のうた」を受け継ぐものといってよいでしょう。筆者の鷲田清一(わしだ きよかず)さんは大阪大学総長などを歴任した哲学者です。

鷲田さんがとりあげた斉吉さんの言葉は、2013年2月の「斉吉魚問屋便り」(現在は「斉吉気仙沼便り」)で紹介されたもの。この便りは、印刷物としてお客さまに配布されますが、斉吉さんのウェブサイトでも見ることができます。2013年2月1日の便りNo.65「目は臆病 手は鬼」は、つぎのように始まります。

〈「目は臆病 手は鬼」っておかあさんが、よく 言ってだでば、と祖母からの伝言であるように 母から聞かされていた。目の前の 圧倒されるような ボリュームの仕事を見て いやだなあ と思ったとき、 始めると手は いつかやり遂げるということを教える言葉です。〉

後に続く文章はつぎのサイトでご覧ください。

斉吉商店サイト/斉吉気仙沼便りNo.65

筆者は専務の斉藤和枝さんでしょうから、文中の母とは〈ばっぱ〉こと貞子さん。便りに添えられている墨絵も、〈さ〉とありますから、貞子さんが描かれたものだと思います。お上手です。

それにしても、鷲田さんが3年前のこの便りのことばをよくぞ見つけ紹介してくれました。斉吉さんの商品のファンなのかもしれません。〈金のさんま〉とか。もしそうであればさらにうれしい。

鷲田清一さん、ありがとうございました。

斉吉商店ウェブサイト

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守るもの失うもの

きのう1月20日の三陸新報の一面記事。気仙沼市唐桑町での〈荒谷前防潮堤が完成〉を伝えていました。

荒谷前防潮堤
三陸新報1月20日記事(クリックで拡大)

唐桑の大沢地区荒谷前というのは、地図でみると岩手県境に近い地域のようです。記事を一部引用します。

(宮城)県が、気仙沼市唐桑町大沢地区の荒谷前で進めていた防潮堤整備工事が完了した。(中略)防潮堤は、荒谷前地区海岸災害復旧工事として整備。高さ海抜11.3m、幅217mの傾斜護岸を建設した。工事は、市内の小野良組が請け負い、平成25年10月に着手し、今月6日に完了した。主に港地区の家屋を津波被害から守るのが目的。海岸環境の破壊を懸念する声もあったが、比較的早い段階で住民側が合意した。(引用は以上)

私がおどろいたのは、防潮堤の写真です。はじめは出来の悪い完成予想図かと思いました。広角レンズで遠近感やボリューム感が強調されているかもしれませんが、圧倒的な大きさ。単なる高さだけでなく、その底面や深さを考えると工事に2年2カ月を要したのもうなずけます。ナンボかかったのか。記事には費用が書かれていませんでした。

この防潮堤は県が行ったもの。国の予算を受けてのもので、市の費用支出は基本としてはないはずです。しかしなあ、この防潮堤の目的が、主に港地区の家屋を津波被害から守るためというのを聞くと、その家屋がどれだけあるのかと問いたくなるのです。大きな費用をかけるのであれば、なにか別の方法もあるだろうにと。

記事には、本日21日の竣工式には、宮城県気仙沼土木事務所の所長や唐桑地域自治区の区長、小野良組の社長ら約20人が出席して神事を行うとありました。竣工を祝う人が約20人か。

〈守るもの〉の片方で〈失うもの〉。なにかを得ようとすれば、なにかを捨てなければならない。そのバランスが適正なのかどうか。この記事の写真を見て、そんなことを考えさせられました。

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昭和5年頃の柏崎

1月15日のブログ記事「1953年の 鼎ヶ浦」で、昭和28年当時の気仙沼内湾風景の写真を紹介しました。そこにうつる柏崎(かしざき)をながめていて、南町から柏崎の下を通って港町にぬける道はいつできたのだろうと疑問がわいてきました。

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫編)にその記述がありました。〈昭和8年(1933年)7月30日 柏崎下の護岸工事完成。南町と現在の港町が繋がる(出典:大気新聞)〉

さらに『目で見る気仙沼の歴史』にはつぎの写真が掲載されていました。(クリックで拡大)

柏崎
『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)より(クリックで拡大)

上の写真の説明文を紹介します。「昭和5年ころ。砕石が北海道室蘭につみだされた。山の上、杉の木と並んで信号所が写っている。これは、その日の天候を知らせ、出船の利用に便利にするためで、強風のときは赤球を、強風雨は円筒状のものを、暴風雨の予報は円錐形のものをあげた。これはすべて石巻測候所から、電報か電話で警察署に連絡があって、毎朝揚げさげしていた。」

右下の写真は「柏崎からバタ崎(蜂ケ崎)を:昭和8年、南町から港町までの道路ができる間、柏崎はこのような状態だった」との説明。撮影年ははっきりとしませんが、向こう側の海に帆船が見えます。

左下の写真は「昭和8年の柏崎」です。第1次漁港修築で、道路ができたとの説明。

杉の木や信号所があった柏崎山に気仙沼プラザホテルが開業したのは昭和48年(1973年)7月7日。唐桑町鮪立(しびたち)の旧家〈古館/こだて〉鈴木家の経営でした。そして平成18年、ホテル観洋も営んでいた阿部長商店がその経営を継承していまに至ります。

上の写真の撮影年である昭和4年は1930年。86年前。柏崎の風景も大きく変貌しましたが、それと同じく魚町や南町も大きく変わりました。その前年、昭和4年2月23日には気仙沼大火があり、魚町や南町は壊滅的な被害を受けているのです。

柏崎をふくめ、魚町や南町などの内湾地区は今後どのような変貌をとげていくのかなあ。86年後の気仙沼の風景。それがこの地に暮らす人達が愛し、誇りを持てるものであって欲しいと願っています。

2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」

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三上忠文君の記事

きのうの朝、菊田裕美君(3年1組)からメール。〈今日は、首都圏が雪景色ですね。16日の三陸新報6面の連載記事「今を伝える」で、気仙沼高校の同級生でフィッシング部の、三上忠文君をとりあげていました〉。この記事です。

1月16日三上
三陸新報1月16日記事より(クリックで拡大)

私も裕美君と同じく、三陸新報のオンライン版を購読しているのですが、たぶん〈小田が見落とすといけない〉と思っての連絡でしょう。その配慮がありがたい。

しかし〈フィッシング部〉ってなんなんだ。気仙沼高校に〈釣り部〉はありませんでした。これはもちろん〈フェンシング部〉。フェンシングと頭ではわかっていても指がフィッシングと動いてしまう〈気仙沼脳〉の症状としてご紹介しておきます。これが悪化すると、〈一本釣り部〉や〈定置網部〉などが登場します。〈遠洋漁業部〉が出てきたら入院が必要でしょう(笑)。

この記事は、〈今を伝える〜震災から復興へ歩む人たち〉の116回目。三上君は、リアス唐桑ユースホステルのオーナーで、震災直後は施設を避難所として提供して被災者を受け入れ、その後は全国からのボランティアなどが施設を利用し続けたと記事にありました。震災翌年から唐桑町観光協会長をつとめています。

三上君のことは、2013年11月のNHK/Eテレ〈東北発☆未来塾〉に登場したことをこのブログでも「同級生の恵比寿顔」として紹介しました。いろいろと課題の多い気仙沼市唐桑地区の観光振興についていろいろ元気にやっているようで、なによりです。

菊田裕美君のメールにはつぎの番組情報もありました。

◎アツアツ!フーフー!東北鍋ストーリー
◎1月23日(土)
午前10:30~11:25
◎日本テレビ系列(気仙沼はミヤギテレビ)

番組サイトによれば、「熱々の太川陽介&藤吉久美子夫婦が宮城・気仙沼を訪問し、伝説漁師夫婦が作る絶品メカジキ鍋を堪能する!冷々おひとり様ペア井戸田潤&スザンヌは青森・南部町で一波乱 !?」といった番組とのこと。どうぞご覧ください。

ちょっとからかってしまいましたが、裕美君、いつもありがとう。今度の土曜日、〈けせもい会〉新年会もよろしく。

2013年11月25日ブログ「同級生の恵比寿顔」

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30回目の海神様

新しい週のはじまりです。先週木曜日は小山隆市君(3年6組)の命日でした。そして本日は門馬亨君(3年11組)。平成9年ですから19年前、45歳でした。それにしても若かった。冥福を祈ります。

2012年1月21日ブログ「門馬君の思い出」

さて、1月15日(金)の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。

海神様
三陸新報1月15日記事の一部イメージ

気仙沼版“なまはげ”として、子供たちの健やかな成長を願う冬の風物詩「海神様」が今年、30回目を迎えるとの記事。これを実施してきたのが〈甚六鬼の会〉。その発起人が小山隆市君であったことは皆さんご存じでしょう。隆市君亡き後は、鈴木賢司さんが代表をつとめていると記事にあります。

それにしても、30回目を迎えるのか。すごいなあ。なかなかできることではありません。2013年3月にも海神様のことを書いたのですが、これをひさしぶりに読むと、一番はじめは隆ちゃんが友達と3人で始めたのですね。

三陸新報の記事にもあるように、海神様は秋田の伝統的民俗行事〈なまはげ〉を下敷きにしてつくりあげたもの。決して気仙沼に古くから伝わる行事ではありません。しかし、30年も続けば、以前も書きましたが〈新しき伝統行事〉といってよいのではないでしょうか。

五十鈴神社(お神明さん)で〈魂入れ〉して、各家を回ります。訪問したご家庭や商店にお渡しする木札には、その年の干支の文字が書かれているのですが、この書は例年、書家の武山美加(雅号は櫻子)さん(3年9組)が手伝っていたはず。毎年ご苦労さまです。

今年は、2月20日(土)に行われます。訪問先募集の詳細がわかりましたら、また紹介しようと思います。

甚六鬼の会をはじめ海神様関係者の皆様、お祝いを申し上げます。30周年おめでとうございました。


なお、16日の祝賀会の様子は、隆市君長男 裕隆さんのブログで紹介されています。是非ご覧ください。写真には、同級生の黒田君や牧恵さん、美加さんもうつっていました。

2013年2月6日ブログ「隆ちゃんの海神様」

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1953年の 鼎ヶ浦

本日は、昭和28年(1953)当時の気仙沼湾の写真を紹介します。昨年末に届いた気仙沼周辺の地域情報誌「浜らいん」2016年新年号から。

浜ライン1月写真
「浜らいん」2016年新年号より

この写真は初めて目にしました。撮影者はスーパーマーケットのハマダを経営していた濱田茂穂さんです。安波山からの撮影でしょう。神明崎、柏崎、蜂ヶ崎の3つの〈崎〉が古代中国の三足の器に似ていることから、気仙沼湾は〈鼎ヶ浦〉とも称されてきました。その地理的な特徴がよくわかる写真です。向こう側にうつるのは大島の亀山です。

解説文につぎの記述がありました。「昭和28年頃、階上(はしかみ)の沿岸には海苔芝があり、現在の商港がある朝日町はまだ海だった頃である」。

たくさんの牡蠣筏(かきいかだ)もうつっています。船の航行に不便ではないかと心配になるくらい。魚市場は旧エースポート(それ以前はレストハウス)があった場所にありました。

昭和28年といえば私が生まれた年の翌年。満1歳ごろの風景と思ってながめると興趣が尽きません。63年前の気仙沼湾です。

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今日は隆市君命日

きょう1月14日は小山隆市君(3年6組)の命日。3年経ちました。

コヤマ菓子店は現在、長男裕隆さんがお母さんとともに頑張ってきりもりしています。昨年12月のクリスマスの売れ行きも好調だったようでなによりです。

本日は、裕隆さんが震災後毎日更新しているブログを紹介します。

裕隆さんブログ
裕隆さんのブログのイメージ(画像クリックでサイトにジャンプ)

裕隆さんは一昨日1月12日のブログでつぎのように書いていました。

◎被災1768日めの気仙沼

朝は寒さで目が覚める。
アパートのぼくの部屋ね、ホント寒いよ。
部屋の中でも息は白いし、窓ガラスは凍ってる。
川の近くだから、吹き付ける風が冷たいんだよね。

だから、これから家を建てるなら、どういう希望がある?って聞かれたら、今は迷わず寒くない家だね。あと、お風呂はゆっくりは入れる感じで。

冷静に考えたら、意外とそんなもんだったり。家に対して多くは求めないっていうか、小さくてもいいから兄弟たちが帰ってこられる場所であればなんでもいい。

こう言ったらアレだけど、早く家が建つなら、何年か後に地盤沈下しても仕方ないし、多少なら手抜き工事でも構わない。今年中に見通したてたい。

さーて、家を建てるためにケーキを作ろう!

今日も1日頑張りますp(^^)q

引用は以上です。小さくてもいいから、寒くない家。ゆっくり入れる風呂。そしてふたりの弟たちが帰ってこられる場所が欲しいと。

ちょっと説明が必要なのですが、店と自宅を津波で流されて現在暮らすアパートの風呂は、3年前に壊れてシャワーだけが使える状態。昨年から続く裕隆さんの腰痛も、ゆっくり風呂にでも入れば回復も早いのではと思うのですが。

コヤマのお菓子がもっと売れて、少しでも早く暖かい家を建てられるようにと、下にコヤマ菓子店のショッピングサイトのリンクを貼っておきます。

隆市君の冥福を祈りつつ、コヤマ菓子店の売上げ向上を願っております。

コヤマ菓子店/ショッピングサイト
〒988-0053 宮城県気仙沼市田中前1-4-8
TEL/FAX 0226-22-0868
営業時間 10:00~19:00(日曜日定休)

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人知れず流した涙

気仙沼出身のパラリンピアン佐藤真海さんが、2020年の東京パラリンピックを視野にトライアスロンへ本格転向するというニュースは、皆さんすでにご存じのことと思います。これは、真海さんが1月6日に都内で開かれたフォーラムで明らかにし、同日のNHKテレビや翌7日の各紙が記事として伝えていました。

しかし、この真海さんのトライアスロンへの転向は、すでに1月3日に産経新聞が配信しています。気仙沼の関係者にはぜひこちらの記事を読んで欲しいので紹介します。

産経真海さん
産経新聞1月3日配信記事のイメージ(画像クリックでサイトにジャンプ)

真海さんは、2014年9月に結婚し、昨年4月末に第1子の長男を出産しました。結婚によって、姓名が谷真海さんになっていますが、アスリートとしての活動は佐藤姓を用いるようです。産経新聞の記事で私が感じ入ったのはつぎのところ。

〈 産後2カ月で再開したトレーニングは当初、高い壁にぶち当たった。出産でホルモンバランスが崩れ、体力も低下した。子供がいることで、気分転換の外出もままならず、自宅で人知れず涙を流したこともある。「出産は大変なことだと改めて思った」。そんな中でも、「置かれた状況で柔軟に競技に打ち込もうと思った」と振り返る。

 夫が育児面をサポートしてくれることで、早朝からプールに通うことができ、子供が寝た後の深夜にも自宅周辺でランニング。昼間は週に一度、長男を託児所に預け、陸上時代から見てくれるトレーナーの指導を受けるためにジムにも通う。 〉(引用は以上)

〈人知れず涙を流したこともある〉。私はここにじんときた。いつもポジティブな笑顔を見せてくれる真海さんですが、これまで何度も涙したことがあるでしょう。そうした様々な局面を自らの努力で切り拓いてきたことに多くの人が共感するのです。

これからもいろいろと大変なことがあると思います。しかし、優しいご主人や、幼い息子さんのたぶん真海さんゆずりの笑顔の応援もあることでしょう。ぜひ2020年のパラリンピックへの出場を実現し、元気な姿をみんなに見せて欲しいと思っています。

産経新聞の記事にはつぎの記述もありました。

〈 復帰には、先駆者としての思いもある。「日本では、現役を続けるために婚期が遅れたり、出産のために競技を断念する女性アスリートがまだまだいると聞く。私自身も20代のころは、出産したら引退かなと思っていた。若いアスリートに、出産の先にも現役の選択肢があることを示していければいい」 〉

記事は、佐藤真海さんのトライアスロンへの転向だけでなく、女性アスリートにとっての結婚や出産という、ある種の〈壁/垣根〉についても述べています。それがとてもいい。記事の文末に〈田中充〉とある署名記事。田中充さんは、これまでも真海さんに関する様々な記事を書いています。応援してくれているのだと思う。そうしたつながりがこの記事の他紙にはない深さになっているのでしょう。ありがとうございました。

真海さんは1月現在で33歳とのこと。気中20回生だと64歳だから64−33=31。私たちより31学年下、気中51回生かな。気仙沼の多くの人が応援していることでしょう。頑張って!

産経新聞1月3日配信記事
2013年12月26日ブログ「真海さん文春対談」

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魚市場新施設起工

気仙沼魚市場の新施設が建設されることになり、1月7日に起工式がおこなわれました。三陸新報はじめ各紙で伝えていますが、仙台放送のテレビニュースを紹介します。



ニュース内容を引用します。
宮城・気仙沼市は、魚市場の既存の施設に加え、新たに高度衛生管理型の施設を建設する。その起工式が、7日、現地で行われた。起工式には、市や水産関係者などおよそ80人が出席し、工事期間中の安全を祈願したあと、くわ入れで着工を祝った。

新たに建設される施設は、老朽化にともない建て替えが計画されていた、2棟の荷さばき場で、震災で全壊したことから、高度な衛星管理型の市場として整備される。総事業費は、およそ190億円で、壁で仕切られた閉鎖型の荷さばき場や、鮮度を保つための低温売り場が新設される。

気仙沼市の菅原 茂市長、「気仙沼の水産業が、真の復興を遂げるように、その起爆剤となることを、この魚市場に期待したい」と述べた。新しい施設の完成は、2017年3月の予定。(引用は以上)

河北新報によれば、事業費の約190億円の大半は国が負担するとのこと。着工時期は用地取得に時間がかかるなどしたため、予定より1年以上遅れたそうです。

魚市場は、気仙沼の漁業や水産加工業の要ともいうべき施設。来年3月の新施設の完成で、気仙沼の復興にはずみをつけて欲しいと思う一方で、魚市場近辺の防潮堤計画についての疑問の声はその後どうなったのかが気になりました。少し調べてみようと思います。

河北新報1月8日配信記事

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銀河鉄道のGotto

8日のブログで、1月6日の読売新聞朝刊〈気仙沼発 ニットに誇り〉の記事を紹介したばかりですが、7日(木)の読売新聞夕刊には、また〈気仙沼〉の文字が。「銀河鉄道999」などで知られる漫画家の松本零士さんが、気仙沼の(株)パルポーさんの洋菓子「Gotto(ゴット)」の包装紙をデザインしたという話は、三陸新報での事前の広告や記事で承知しておりました。しかし、あらためて読売の大きな記事をみたときには大変驚きました。気仙沼では8日掲載かもしれません。

読売パルポー

読売新聞1月7日夕刊記事より

この松本零士さんとのコラボ商品誕生のきっかけをつくったのは、パルポーの小野寺社長と幼なじみで、昨年5月にがんで亡くなった斎藤元博さん(当時67歳)。「銀河鉄道に乗って旅をしたい」と願った斎藤さんの夢に応えようと、松本さんが色紙を贈ったことに始まります。

以下、記事の主要部分を引用します。

〈 松本さんがデザインしたのは、津波で工場や店の一部が流された「パルポー」のチョコレート菓子の包装紙。幻想的な女性を中心に、復興への希望を込め、地球や星、海を描いている。

 同社社長の小野寺恵喜(けいき)さん(68)は昨年2月、同市の居酒屋で小学校から親友だった斎藤さんから夢を打ち明けられた。腎臓がんが全身に転移し、医者から「2月末までの命」と宣告されていた斎藤さんを励まそうと、中学校時代の同級生約30人と開いた激励会でのことだった。
 「もと」の愛称で慕われていた斎藤さんは高校卒業後、郵便局に勤務。震災後は仕事の合間や休日に、バイクで避難所を回り、おにぎりを配るなど「困っている人をみたらほっておけない性格だった」と妻の恵子さん(67)は語る。計6人の息子や娘の影響で「999」のファンとなり、山あいの自宅から星空を見上げるのが日課だった。

 小野寺さんは激励会直後、松本さんにメッセージを依頼するメールを送ると、1週間後、「先生が引き受けたいと言っています」とスタッフから電話があった。届いた色紙には、直筆で<銀河鉄道999 生涯永久乗車券1号 夢は永遠の力。夢をあきらめるな 時間は夢を裏切らない!!>としたためられていた。
 「うそだろ。ありがとう」。青白い顔の斎藤さんはじっと色紙を見つめ、満面の笑みを何度も浮かべた。恵子さんは「歩くのもやっとだった頃。急に元気になり、子どものように喜んでいた」と振り返る。

 斎藤さんは色紙が飾られた病床で静かに旅立った。小野寺さんが経緯を記した手紙をチョコレート菓子と一緒に松本さん側に送ると、「これも何かの縁。無償で包装をデザインさせてください」と打診された。被災地を明るくしたいと思っていた松本さんが希望したという。

 小野寺さんは「きっと『もと』からのプレゼント。日本一のお菓子にして、被災地を盛り上げたい」と話している。〉記事引用は以上。 なお、この読売の記事では、松本さんが包装紙をデザインしたと書かれていますが、パルポーさんの情報では包装紙ではなく、箱そのものに絵がデザインされているとのことです。

記事の最後には、問い合わせ先としてパルポーの電話番号とともに、「松本零士オフィシャルECサイト」でも購入できると記しています。ここでは、念のために1月7日の三陸新報掲載広告を紹介しておきましよう。

1月7日パルポー
三陸新報1月7日掲載広告(クリックで拡大)

「Gotto」は、パルポーの通販と市内直営3店、そして仙台の藤崎本館でしか販売されていないのですが、その名は広く知れ渡り、全国区の人気を誇っています。テレビでもその手作りの様子が紹介されたことがあります。そうして定評ある洋菓子ですから、松本さんも安心して「東北震災復興応援商品」コラボ商品とすることができたのでしょう。

松本零士さんの気仙沼復興へのご支援に対して、また記事としてとりあげてくださった読売新聞さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

「Galaxy Gotto」のご注文、お問い合わせは下記まで。気仙沼市内では、パルポー直営のKeiki Sinjo店、Keiki神山店、レストランエトワアルで発売中です。

松本零士オフィシャルECサイト/Galaxy Gotto
株式会社パルポーHP/Gotto
〒988-0053
宮城県気仙沼市田中前1-5-3
電話 0226-23-8445

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 松本零士 パルポー Gotto

気仙沼発のニット

1月6日の読売新聞朝刊を見ておどろきました。社会面のトップ記事に〈気仙沼発 ニットに誇り〉の文字が。シリーズ記事〈震災5年〜支える〉の5回目は、気仙沼でニット/編み物の会社を運営するおふたり、「気仙沼FSアトリエ」の梅村マルティナさんと、「気仙沼ニッティング」の御手洗瑞子さんの活動を紹介する記事でした。

読売1月6日
読売新聞1月6日朝刊より(クリックで拡大)

本記事1月8日にオンライン読売配信内容

それぞれの活動を紹介したメディアはたくさんありますが、〈気仙沼発のニット〉というテーマでふたつ同時に扱った記事は少ないように思います。是非お読みいただきたく、以下に引用させていただきます。

◎震災5年〜支える<4>
働く場 紡ぎ出す
気仙沼発 ニットに誇り

 支援物資を仕分けしていた避難所の女性スタッフの手が止まった。色鮮やかなドイツ製の毛糸と、編み針が詰まった箱があった。

 まだ東日本大震災から1か月の宮城県気仙沼市。「衣服や食料が必要なこの時期に、趣味の道具なんて場違いではないか」。女性はそう思ったが、避難所のお年寄りらは楽しみが出来たことに喜んだ。ならば追加を頼もうと、送り主に電話で連絡を取った。

 京都市在住の梅村マルティナさん(56)は、電話がうれしくて涙が出た。ドイツ出身で、医学を研究しようと1987年に来日し、日本人の夫と息子2人と暮らす。被災者の姿をニュースで見て「つらい気持ちが少しでも紛れてくれれば」と、編み物セットを送っていた。

 「一緒に編みたい」という気持ちを抑えきれず、6月、初めて気仙沼を訪ねた。がれきだらけの街に「働く場」を紡ぎ出すことになるとは、思いもしなかった。



 気仙沼では1262人が死亡、不明。津波で重油タンクが倒れて火災が広がり、市場や水産加工場など女性の職場の多くが失われた。

 マルティナさんは月に1度、気仙沼に通って編み物の手ほどきをした。避難所で漏れる「仕事がない」という言葉に心配が募る一方、編み物が得意な女性が多いことに気付いた。漁網を直したり、海に出る夫の上着を編んだりした経験が家庭で受け継がれている。「彼女たちの技術を生かせば、安心して働ける場所を作れるのではないか」――。

 2012年3月、ニット製品を製造・販売する「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」を市内に設立。住民票も気仙沼に移した。各地の百貨店の催事などで靴下やネックウォーマーが売れるようになり、従業員は3人から9人に増えた。

 津波で自宅と勤務先の水産加工場が全壊し、求人票を見て同社に入った伊藤恵子さん(52)は言う。「自分たちが仕上げた商品が全国に届くのは、やりがいがある。こうした職場があれば若い人も地元に残れる」



 同じ気仙沼の、海を見下ろす高台に「気仙沼ニッティング」の店舗はある。手編みのセーターやカーディガンは4種類とも19万~7万円台と、かなり高い。

 社長の御手洗瑞子さん(30)は13年に設立した同社を持続させるため、価格設定にこだわった。被災地発だからと買ってもらえる時期はいずれ終わる。「それでも欲しいと思ってもらえる品質を目指さないといけない」と考えたからだ。

 東京出身で、震災時はヒマラヤ山麓のブータンで産業育成に取り組む「首相フェロー」をしていた。国際協力に携わる夢をかなえた仕事だったが、かつて訪れた町が被災した映像を見て「日本のために働きたい」と、約5か月後に帰国した。

 商品の付加価値を高めるやり方は、インドと中国に挟まれて観光に活路を見いだしたブータンで学んだ。パチンコ店がにぎわいを見せていた被災地に、「誇りを持って頑張れる場所を作りたかった」と話す。

 今では30人以上の編み手を抱え、オーダーメイドの商品は、140人以上が2年以上先の納品を待つ。



 急ピッチで進む復興工事は、マルティナさんには思わぬ試練をもたらした。海に近い工房は、土地のかさ上げで今年中に移転を強いられ、代替地は見つかっていない。催事で気仙沼製だと紹介しても、被災地だと分からない人が増えてきたのも気がかりだ。

 原発事故直後に帰国を考えた時の、小学6年だった長男の言葉を胸に刻んでいる。「ドイツなら安全かもしれないけど、友達を捨てて行っても幸せじゃない」。気仙沼の女性たちとずっと一緒に編み続けるつもりだ。(安田龍郎、門間順平)引用は以上です。


梅村マルティナさんについては、昨年11月29日(日)の午前9時からのBS-TBSテレビ『こころ ふれあい紀行~音と匠の旅』が詳しく取り上げていました。私のツイッター(@ kechu20)ではお知らせしたのですが、このブログでは紹介できませんでした。番組を見ながら、そういえばマルティナさんの活動を知りながら、このブログで紹介する機会がなかったなあなどと思っておりました。

なお、この連載記事は東京本社版と北海道支社版で掲載され、大阪本社と西部本社版での掲載はないようです。

〈気仙沼発のニット〉というテーマでのこの記事は、気仙沼にとって、とてもありがたい。勝手ながらの全文引用で申しわけないのですが、読売新聞さん、ありがとうございました。

なお、読売新聞は昨年10月にも〈論点スペシャル〉という解説面の記事で御手洗さんの意見を大きく取り上げています。つぎのブログで紹介いたしました。こちらもどうぞ。

2015年10月21日ブログ「自立という課題」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼FSアトリエ 梅村マルティナ 気仙沼ニッティング 御手洗瑞子

柏木克己さん講座

1月5日(火)の三陸新報につぎの小さな記事がありました。

柏木さん
1月5日三陸新報記事のイメージ

◎気仙沼市民活動支援センター
「つたえる講座キャッチコピー編」
講師:柏木克己氏
1月20日(水)午後1:30〜
気仙沼魚市場会議室
定員20人(先着)参加無料
問い合わせ:気仙沼市民活動支援センター
電話0226-22-6600

大阪をベースに活躍するコピーライターの柏木克己さんは、私の記憶では〈リアス観光創造プラットフォーム〉はじめ、気仙沼の観光などについて、いろいろとご支援くださっているはず。あまり、そのお名前が表に出てきませんが、それも本人のご意向であろうと推察しておりました。

〈キャッチコピー〉がテーマとのことですが、単なる文章術ではなく、伝えたいメッセージは何か、それを誰に伝えたいのかといったコミュニケーションについて詳しく教えてくれる講座なのでしょう。

三陸新報の記事には、〈市内や近郊でNPO、市民活動団体に関わっている人などが対象〉とありましたが、関心を持たれた方は是非参加なさってはいかがでしょうか。

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 柏木克己

向洋生徒の発願文

元旦、新年の初詣はどこにしようか、等々力(とどろき)不動か浄真寺か。ちょっと迷いましたが、少し運動するのもよいかと思い、妻とふたりで二駅分を歩いて世田谷区奥沢にある浄真寺へ。3堂にそれぞれ3体ずつ、計9体の阿弥陀如来が安置されていることから通称は〈九品仏〉(くほんぶつ)。隣接する最寄り駅も東急大井町線の〈九品仏〉です。

自宅に戻って、寺でいただいた浄土宗総本山知恩院の会報「華頂」新年1月号をながめていたら、〈気仙沼向洋高等学校〉の名が目に入ってきてびっくり。

華頂
『華頂』表紙の一部イメージ
向洋写経
写経体験紹介記事

気仙沼向洋高校(旧 気仙沼水産高校。平成元年に現校名に変更)の生徒が京都の知恩院にて写経を体験したというのです。記事を引用します。

「 昨年12月2日、宮城県気仙沼市にある気仙沼向洋高等学校が知恩院に来山され、慈教殿において写経を体験しました。同校は東日本大震災の被害を受け、現在も仮設の校舎で授業が行われているそうです。

今回登嶺(とれい)されたのは情報海洋科の2年生33名。佐藤和春くんが「初めての写経なので大変でしたが、とても心が落ち着きました」というようにみな復興への願いを込めて、善導大師ご撰述の「発願文(ほつがんもん)」の写経に勤(いそ)しみました。

写経の後は法然上人御堂での法要に参列しました。法要後は北川一有執事長より記念品の贈呈と激励の挨拶があり、一同気持ちを新たにしたのではないでしょうか。」(引用は以上)

向洋高校の生徒さん33名が写経した「発願文」は、たぶんこの経文だと思います。

発願文
(画像クリックで出典へ)

〈臨終に際して阿弥陀仏の極楽浄土に往生させて頂きたいと願いを発すことば〉とのことですが、気仙沼の復興を願いながら経文を写せば、その思いがきっと阿弥陀如来に届くことでしょう。

新年にお参りしたお寺でいただいたものの中に、〈気仙沼〉の文字を見出すというのもなにかのご縁。このありがたき〈大吉〉気分を皆様にもと思いご紹介しました。

南無阿弥陀仏

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼向洋高校 知恩院

南気仙沼空撮写真

1月1日付けの三陸新報には、特集記事がたくさん掲載されていました。さまざまなテーマの記事も興味深いのですが、最近の私は紙面に連なる〈名刺広告〉の商工団体と代表者の名をながめるだけで、〈気仙沼〉を感じることができるようになりました(笑)。

そんな私にとって最も印象的だったのは、一面トップの写真。〈復興へ、一歩ずつ〉の言葉とともに掲載されていた南気仙沼地区の空撮写真です。

南気仙沼空撮
三陸新報1月1日記事より(撮影協力:NPOオールラウンドヘリコプター)画像クリックで拡大

海に面する魚市場。そして右下方向にうつる茶色の建物は〈海の市〉でしょう。その左上にあるのは、旧・河北新報ビルか。するとそのちょっと左上が小山隆市君のコヤマ菓子店があった所かな。

土色に見えるところがかさあげされているところだと思います。空撮写真だとその高さがわかりませんが、地上からの写真をみると結構な高さを感じるはず。

左のほうにある建物は漁業・水産加工関係の事業所でしょうか。それなりのまとまりを感じます。そして、左方向のこの写真にうつっていないところ、朝日町には造船会社や関連事業者が集団移転しての造船団地「みらい造船」が計画されています。これに対しては、水産加工業者から、作業に伴う粉じん飛散や、その風評被害を懸念する声があり、昨年4月には三陸新報に計画見直しを求める全面広告が掲載されました。

また、その朝日町の〈商港岸壁〉には海抜7.2mの直壁防潮堤の建設が進められています。以前このブログでもお伝えしましたので皆さんご存じのことでしょう。

そんなこんな、単なる復旧ではなく、新しい時代をみすえた新しいまちづくりをしようとすれば、異論もある。つまりは賛否両論ということ。

本年3月で震災からまる5年。この写真を見ていると、〈まだまだ〉との感が強いのですが、それもある意味で必要な時間、期間なのか。三陸新報記事の大見出し、〈復興へ、一歩ずつ〉という言葉が妙に胸にしみる新年です。

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謹賀新年2016

明けましておめでとうございます。今年の我が家の年賀状の画題は、唐桑/御崎神社のはじき猿。こんな感じ。「ま」の印は絵を描いてくれた妻の名の頭文字です。

ブログ年賀

御崎さんの〈はじき猿〉については、何度かこのブログでも書きました。私にとっては、小さなころの記憶を思い出させてくれるアイテムのひとつです。

2012年1月7日ブログ「御崎神社パワー」
2012年1月18日ブログ「御崎さんの風車」

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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