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気仙沼小学校校歌

9月27日の三陸新報〈学校紹介〉は気仙沼小学校。その記事から沿革を引用します。

「明治6年1月、鼎浦小学校として創立。以後、気仙沼尋常高等小学校や気仙沼国民学校などと校名が7度変わり、昭和28年の市制施行に伴って現在の気仙沼市立気仙沼小学校に改称。教育環境の充実を図りながら、今年で開校142年を迎えた。同33年のピーク時の児童数は3400人以上で、県内一の「マンモス校」だった。少子化の影響などで現在は10分の1以下まで減少したが、地域を担う優秀な人材を育成する学校方針は今も変わりない。」(引用は以上)

昭和33年(1958年)は私たちが気仙沼小学校に入学した年。あの時が3400人だったのか。4つ上の兄が気小5年のとき。学芸会は、校庭につくられた舞台で2日間にわけて開催されたと語っていたことを思い出します。記事では〈県内一〉と書いていますが、私たちがよく聞かされたのは〈全国有数のマンモス校〉という形容句でした。

9月27日校歌
三陸新報9月27日記事より(クリックで拡大)

なつかしいこの校歌は、沿革によれば昭和5年に制定されています。作詞 小倉博、作曲 田村虎蔵とありますが、どのような方々でしょうか。小倉博さんについてはわかりませんでしたが、作曲の田村虎蔵さんについてはウィキペディアに記載がありました。

1873年(明治6年)生まれの言文一致唱歌を提唱した作曲家であるとのこと。「きんたろう」「はなさかじじい」「うらしまたろう」「一寸法師」などの唱歌のほか、宮城県古川高等学校の校歌も作曲していますから、気小の校歌もこの方の作曲とみて間違いないでしょう。

私がわからなかったのは、二番の歌詞の〈あする〉という言葉。調べてみたら古語に〈浅す〉がありました。〈あす〉と読んで、海・川・池などが浅くなることや、干上がることだそうです。〈てる日にも あすることなし〉は、日がどんなに照り続けても、干上がることがないということでしょう。小学生のときに教えてもらったことがあるはずですが、さすがに忘れています。

なお一番の〈安波山〉は、〈あんばさん〉ではなく〈あ〜ん〜ば〜や〜ま〜〉、鼎浦は〈かなえがうら〉ではなく〈か〜な〜え〜う〜ら〜〉と歌います。

オダクン、カダンナクトモ ワガッカラ イガス

そうじゃないかなとは思ったんだけど、念のため(笑)。

気仙沼中学校の校歌についてはつぎのブログにて。
2013年8月16日ブログ「気仙沼中学校校歌」
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テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼小学校 校歌 田村虎蔵

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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