三橋美智也の歌声

明日からは8月。そして1日(土)、2日(日)は、いよいよ気仙沼みなとまつりです。昨年、〈けせんぬまさいがいエフエム〉のまつり中継を聴いていて印象的だったのが〈気仙沼音頭〉。耳にしたとたん、一気に昔の気仙沼にタイムスリップしたかのようでした。

昨年8月のブログでも紹介しましたが、YouTubeにあがっていた三橋美智也さんの歌声を今年もどうぞ。


気仙沼音頭/三橋美智也(YouTube)

歌詞はつぎのとおりです。

気仙沼音頭


ハアー
みなと気仙沼 一度はお出で
前に大島 岩井崎
(ドントナ ドント ドドント 輪になって踊れ サテ)
気仙沼音頭で 踊りゃんせ
(ホンによいとこ よいみなと)
(以下唄ばやし略)

ハアー
積んだ鰹は 万々両よ
あれは気仙沼 灯が見える

ハアー
安波亀山 花見の化粧
間(あい)のみなとが水かがみ

ハアー
土佐も熊野も 鹿島の灘も
超えて来たぞえ 気仙沼

ハアー
解いたともづな 情けでつなぐ
一夜泊まりが ふた泊まり

気仙沼音頭は、1968(昭和43)年8月の第18回みなとまつりで発表されました。詳しくは昨年のブログをご覧いただければと。私は今年も東京にてネット経由で〈けせんぬまさいがいエフエム〉の中継を聴き、少しだけおまつり気分を味わおうと思っております。

2014年8月4日ブログ「気仙沼音頭の歌詞」
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唐桑中学校の校歌

三陸新報7月26日(日)の学校紹介は、気仙沼市立唐桑中学校。そこに校歌が掲載されていました。

唐桑中学校歌
三陸新報7月26日記事の一部イメージ(クリックで拡大)

昭和32年に制定されたこの校歌の作詞は、大島中学や松岩中学の校歌も作詞している大島出身の詩人・童話作家の水上不二(みずかみ・ふじ)さんです。ここまではなんの不思議もないのですが、作曲者の名に驚きました。末広恭雄(すえひろ やすお)さん。

末広恭雄さんは、東京大学農学部水産学科教授としての学術活動の一方、魚に関する様々な随筆を通して〈お魚博士〉としても知られていました。記憶があいまいですが、気仙沼の地元紙にも連載をしていたことがあったような気がします。少なくとも、私が中学や高校の頃から、そのお名前を目にしておりました。

その末広博士が、作曲もしていたとは。ネットで調べてみたら、ウィキペディアに、〈作曲家としては山田耕筰の弟子であり、サトウハチローの詞による童謡『秋の子』がよく知られている〉という記述がありました。余技ではなく本格。魚類の学者であり、作曲家でもある。すごいなあ。かなりかっこいい。なお、末広さんの作曲の師である山田耕筰さんは、気仙沼中学の校歌を作曲しています。

末広さんは1988年7月、84歳で亡くなられました。唐桑中学の校歌を作曲していたことを知り、あらためて気仙沼との縁の深さを感じたのです。ありがとうございました。合掌

4月28日ブログ「大島中学校の校歌」
7月1日ブログ「松岩中学校の校歌」

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気仙沼かつおの日

7月25日(土)に〈カネシメイチ〉の小山修司君(3年5組)から電話がありました。8月1日を〈気仙沼かつおの日〉にしようと準備を進めているというのです。ポスターなどもつくったとのこと。こんな感じです。

ポスター1 ポスター2

昨日28日には報道関係者への発表が行われ、本日29日の河北新報も配信していました。記事を引用します。

「 気仙沼市の気仙沼商工会議所水産流通部会が、来年から8月1日を「気仙沼かつおの日」に制定しようと準備を進めている。同市は18年連続で生鮮カツオの水揚げが日本一。市の魚にも指定されており、地域のさらなる盛り上がりを狙う。
 8月1日は気仙沼港での水揚げ量が多く、観光シーズンと重なることから選んだ。海の日の7月20日から約1カ月間は「気仙沼かつお祭り」期間とする。
 部会メンバーで準備委員会をつくり、今後は行政や観光業界などと連携して検討を進めていく。
 水産流通部会長の小山修司さん(63)は「水揚げをする漁船に感謝の気持ちを伝え、市内外に気仙沼カツオをアピールする日にしたい」と話し、のぼりやポスターで周知する考えだ」引用は以上。

修司君の話では今年からというように聞こえたのですが、来年の正式制定に向けて実質的な活動を開始したということのようです。ポスターなどは、そのための事前プロモーションということなのでしょう。来年の制定に向けて、気仙沼商工会議所の水産流通部会と観光サービス部会が中心となって準備委員会が発足したそうです。

電話で修司君は、〈8月1日は八月朔日(八朔/はっさく)で、縁起もよい〉と語っていました。そして、〈ポスターには恵比寿さんも入れといたから〉といって笑いました。私たちが生まれ育った魚町の浮見堂で、内湾を向いて立っていた恵比寿さんのことを思い出しながら私も笑いました。大漁祈願の恵比寿像は、大震災の津波で流出し今はその姿がありません。

8月1日は〈気仙沼かつおの日〉。関係者の協力と賛同を得て制定されるようにと願っております。

6月25日ブログ「亀洋丸の新聞記事」

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帰ってきた謙さん

きのう7月27日午後4時過ぎの渡辺謙さんのツイート。

謙さん
渡辺謙さん(@harryken311)の7月27日のツイート(画像クリックでジャンプ)

「 帰って来ましたK-port。仲間のプレゼント 似顔絵ケーキでサプライズ! 遅ればせながら、新メニューの試食をバタバタしてたら、体重がすっかり元通りに でも仲間とスタッフがしっかり守ってくれたK-port 。みなと祭りに向けて準備中です! 」

7月13日に〈王様と私〉の最後のステージを終えて、14日に帰国の途についた渡辺謙さん。トニー賞のミュージカル主演男優賞の受賞は逸したものの、アンナ役のケリー・オハラさんの主演女優賞をはじめ4部門で受賞するなど、この作品は高く評価されました。

帰国すれば、気仙沼の謙さんのカフェ〈K-port〉にもいらっしゃるのだろうと想像はしておりましたが、〈帰って来ましたK-port〉で始まるツイートには正直おどろきました。プレゼントのケーキは、故 小山隆市君(3年6組)の〈コヤマ菓子店〉長男、裕隆君の手になるものでしょう。26日に〈K-port〉で謙さんを迎えてのパーティーがあったようです。

きのう27日にはスポーツ報知も気仙沼の内湾を背景にかき氷を食べる謙さんの写真とともに、気仙沼や〈王様と私〉の話などを紹介していました。

それにしても、ツイート文中にあった、〈仲間〉そして〈みなと祭りに向けて準備中です〉という言葉にとてもあたたかいものを感じました。渡辺謙さん、いつも本当にありがとうございます。

スポーツ報知7月27日配信記事

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大島定期船廃止へ

きのうの東京も暑かったけど、きょうも36度まであがるらしい。この先どうなるんだろうと心配になってきます。気仙沼も暑いみたいなので、海水浴びよりではないでしょうか。

さて、7月22日付けの三陸新報によれば、気仙沼市の大島汽船は、大島浦の浜〜エースポート間の一般旅客航路(定期航路)を、平成30年度の大島架橋開通に合わせて廃止することを決めました。

大島汽船

三陸新報7月22日記事の一部イメージ

廃止の理由は、架橋開通によって利用が減り、経営が成り立たなくなるためですが、廃止後、観光船業務で営業を継続するとのこと。

記事の一部を引用します。
「大島の巡航船は明治39年に運行を開始し、110余年の歴史を持つ。本土と大島を結ぶ重要な足として多くの人に利用され、平成26年度は約66万人、約8万台の車両を輸送している。(中略)
定期航路の廃止によって、高齢者など交通弱者の足の確保が課題になる。市商工課は「今後、ミヤコーバスと協議していくことになると思う。乗り合いバスの可能性も含めて、対応していきたい」と話す。」(引用は以上)

私が小さなころの夏の海水浴は、大島の小田の浜に行くことが多かった。4年前のブログにも書きましたが、古くは〈やすなみ〉とか〈新やすなみ〉、その後には〈たつまい〉などにのって。船着き場も近かったしね。また、夏の帰省時に小さな息子を連れて大島に行ったときも、ウミネコへのかっぱえびせんのエサやりで楽しみました。

記事だけではわかりませんが、廃止するのはあくまで定期便で、夏の観光シーズンには臨時便として船を出すのではないでしょうか。もしそうだとしても、旧エースポート付近の風情がちょっと変化するでしょうね。

記事の左側には、〈内湾のにぎわい再生へ〉という見出しで、南町、八日町、魚町の4カ所に建設される災害公営住宅や店舗などが一体となった施設の着工が報じられていました。新たな建設のつち音が聞こえる一方で、静かに役割をおえていくものもある。頭ではわかっているつもりですが、ちょっとさびしい感じもしたのです。

2011年7月21日「浜辺のエレキ」

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大谷翔平と気仙沼

スポーツ雑誌「ナンバー」に日本ハムの大谷翔平選手と気仙沼の縁が紹介されていました。「大谷翔平とプロ野球新時代。」と題して大谷選手を特集した同誌7月16日号。現在発売中のものの前号となります。

大谷翔平
雑誌「ナンバー」881/7月16日号記事の一部イメージ

〈「バッター大谷」天才少年伝説。〉というタイトルで書かれた記事の冒頭を引用します。

打球が柵の奥で弾むたび、観客席からは「はぁー」というため息交じりの感嘆の声が上がった。「あれはもはや芸術品でしたね」
岩手・水沢リトルリーグの創設者であり、元事務局長の浅利昭治は言った。水沢リトルリーグは日本ハムの大谷翔平が小学2年から中学1年生まで所属した硬式野球チームである。

2006年秋、場所は気仙沼市営野球場だった。東北地区6チームが集まって開催された大会で、決勝戦前に「ホームラン競争」が開かれた。リーグの取り決めで、外野に設置された70mの柵を越えればホームランだ。各チーム1人ずつ出場し、15スイング中の本塁打数を競った。

他の5チームはすべて中学1年生が選ばれたが、水沢リトルは小学6年生の大谷が出場することになった。その頃の大谷の身長はまだ170cmに到達しておらず、体重も50kgあるかないか。ひょろひょろの体型で、ユニフォームにも大きなシワが何本も寄っていた。

他チームの強打者たちは、緩いボールを力一杯振った。そのためラインドライブがかかり、飛距離が出ない。他の5名は15スイングして、柵を越えたのは1本か2本だった。そんな中、大谷の打ち方だけは異彩を放っていた。浅利が思い出す。「フルスイングしないんですよ。引きつけて、軽くバットに乗せる感じなんです」

ふわりと上がった打球は、はかったかのように右中間の柵を越える。大谷は11本塁打を記録し、ダントツで優勝した。(引用は以上)

これは気仙沼では有名な話なのでしょうか。私は息子に教えられてこの記事を知りました。なんか、大谷翔平選手が一気に身近な存在に感じられてくるような、そんな気がしてきました。

表紙の特集タイトルの副題には〈パワー+スピード+頭脳〉とあります。2006年秋に気仙沼市営野球場のグラウンドに立った大谷翔平選手。そのさらなる活躍を期待しております。

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肝油ドロップの肝

小学校はいま夏休みです。50年以上前、私が気仙沼小学校に通っていたときの夏休みで思い出すことのひとつが〈肝油ドロップ〉。固いゼリーというか〈グミ〉みたいな食感でした。1カ月前くらいに注文をとって、夏休みが始まる前日、1学期の終了日に配られたのではなかったか。あまり早く配るとみんなすぐに食べちゃうから(笑)。

調べたら、ヤフーオークションに〈カワイ肝油ドロップ〉の缶が出品されていました。

肝油ドロップ
ヤフーオークション出品イメージ(画像クリックで該当ページへ)

たぶん私たちのときもこんな感じの缶だったのでしょう。確かな記憶はないのですが、なぜか懐かしい。3000円からとのことですが、本日昼近くの時点では、まだ入札がありません。

肝油は、タラやサメ、エイなどの肝臓から抽出した脂肪で、ビタミンAやビタミンDが豊富に含まれているそうです。そして明治44年に現在の河合製薬が肝油のドロップ化に成功し、戦後は学校給食などの栄養補助として用いられたとのこと。ただし、現在の〈カワイ肝油ドロップ〉は魚油からではなく、各種ビタミンから製剤されているらしい。

私の勝手な想像ですが、当時の肝油の原料となる魚油を気仙沼も供給していたのではないでしょうか。サメ/フカから抽出したコラーゲンを利用した健康食品や化粧品などが気仙沼でも開発されています。それと同様に、昭和の時代にサメから抽出した気仙沼産の肝油がドロップに利用されていてもおかしくはないでしょう。

そう思って調べてみたら、気仙沼市のホームページ「観光・イベント」のなかの「サメ物語」にその記述がありました。

「サメの利用は練り製品の原料にとどまらず、サメの種類によっては、肝臓からビタミンAなど豊富に含む油が獲れるため、戦前から物資不足の戦後にかけては、栄養補給用の肝油などの原料として、また、戦時中は機械油(潤滑油)など軍需素材としても活用されていました」

やっぱりね。しかし、肝油の話のあとに戦時中の軍需素材としての利用が書かれていたのには驚いた。気仙沼に水揚げされるサメは、戦時中は機械の潤滑油に、そして戦後は子供達の栄養になるなど、さまざまな物語や歴史を背負っているようです。


紹介した「サメ物語」は、気仙沼のサメの話がコンパクトにまとめられています。是非ご覧ください。

気仙沼市HP/気仙沼のサメ物語

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鉄路復旧は難しい

東日本大震災で被災したJR気仙沼線と大船渡線の不通区間の復旧方針をめぐり、JR東日本が鉄路復旧を断念し、バス高速輸送システム(BRT)を存続させる方針を固めたと河北新報が伝えています。

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河北新報7月21日配信記事の一部イメージ(クリックで記事にジャンプ)

河北新報7月21日配信記事

記事によれば、6月にあった沿線自治体首長会議の初会合で、JR東日本は両線の復旧に掛かる費用が計1100億円に上るため、全額負担は困難との考えを表明。震災前から両線の利用が低迷しており、鉄路復旧に消極的な姿勢を示していました。これに対し首長側は「次回会合までに方向性を示してほしい」とJR東に要望していました。その次回会合が国土交通省で24日に開かれますが、JR東日本から鉄路復旧の断念が提案される見通しです。

記事に現在のBRT運行の現状図が掲載されていました。大船渡線は気仙沼〜盛がBRT運行。気仙沼線は気仙沼〜柳津がBRT運行、柳津〜前谷地が6月27日から鉄道とBRTの並行運行となっています。

この記事を読んでの印象は〈まあしかたがないかな〉と。地元に鉄路復旧の声があることもわかるのですが、私企業であるJR東日本に採算が保障されない巨額の投資を迫っても限界があるでしょう。国に補助を求めるにしても、国民にどれだけの納得が得られるか。

今後は、便数の増加や路線の拡充など、BRTの特長を活かしての利便性向上に努力して欲しいと思っております。

しかし、大船渡に行かない〈大船渡線〉と、気仙沼に行かない〈気仙沼線〉となると、その路線名を変更するのかどうか。ちょっと考えてみたのですが、この暑さのせいか、妙案が思いつきません(笑)。

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八日町「お日市」

気仙沼の八日町で行われていた「お日市(おひいち)」をご存じでしょうか。私は知らなかったのですが、八日町の愛宕神社の祭典日に行われ、最盛期の明治時代には町最大のお祭りとして賑わったそうです。

今度の土曜日7月25日、この〈お日市〉が復活します。そして、その運営資金の一助とするため、インターネットを利用した資金調達〈クラウド ファンディング〉での募金がおこなわれているので紹介します。今回、八日町の皆さんが利用しているクラウドファンディングは〈Makuake(マクアケ)〉で、調達目標は20万円です。

マクアケ
Makuake/お日市プロジェクトページより(クリックでジャンプ)

Makuake/お日市プロジェクトページ

まずはイベントの概要を紹介しておきましょう。

◎7月25日(土)
◎17:00〜21:00
◎主催:八日町商店街振興組合
◎場所:気仙沼市八日町一帯
(気仙沼市役所の隣のドラゴンパークがメイン会場になります)
◎概要:
八日町の歴史ある呉服店で浴衣をレンタルして、まちなかを歩いたり様々なイベントに参加したりして夏を楽しむお祭りです。
◎イベント内容:
・呉服店で浴衣をレンタル
・老舗探訪(八日町の色々な老舗を探索します!)
・八日町2区婦人会によるフリーマーケット
・ビアガーデン
・「まんぼう行灯」の展示
・ステージでのパフォーマンス
・ガチャガチャ&金魚すくい
・その他

そして〈クラウドファインディング〉ですが、冒頭の画像かプロジェクトの赤字をクリックして、会員登録をして、クレジットや銀行振り込みなどの手続きを行います。千円や2千円から3万円コースまで、金額に応じての返礼が用意されています。千円はお礼の手紙。私が参加した3千円コースは、勝正商店さんの〈極上かつおふりかけ65g〉です。あくまでプロジェクト支援の献金ですから、こうした返礼は〈感謝の気持ち〉ということでしょう。

すでに昨日20日午後3時には目標金額20万円達成の連絡がありましたが、24日まで受け付けているそうなので、応援しようという方がいらっしゃいましたら、是非ご協力を。

19日(日)に「南町紫市場」で開催された〈復興グルメF-1大会〉も多くの人出があったようです。そして今週土曜日は八日町〈お日市〉。さらに来週の土日、8月1・2日は気仙沼みなとまつりとイベントが続きます。この夏、魚町、南町、八日町など、気仙沼の内湾地区が多くの笑顔で満たされればなによりのことと思っております。

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効果促進事業とは

7月17日の三陸新報に、国からの復興交付金に関する記事が掲載されていました。見出しには〈問われる復興手腕 交付金90億円が使途未定〉とありますが、記事を読むと、行政姿勢を問うものではなく、残り少ない交付金を有効活用しましょうということのようです。

7月17日

三陸新報7月17日記事一部イメージ

少し長くなりますが、資料として記録しておきたいので、記事を引用します。

「 気仙沼市は、復興交付金効果促進事業の配分状況をまとめた。先月の第12回交付までに275億2千万円(交付金ベース)が配分されており、114事業に充てられている。このうち先渡しされている90億5千万円の使途は確定していない。今後、国が配分額の上限を引き上げるのに伴い、さらに交付される分もあり、有効活用が求められている。

 効果促進事業は、災害公営住宅整備や防災集団移転などの基幹事業に関連する事務、事業に充てられる。基幹事業費の20%分が事前に交付される「一括配分型」と、事業ごとに国と協議した後に交付される「一件審査」型がある。

 一括配分されるのは、漁業集落復興効果促進事業と市街地復興効果促進事業の二つ。「漁業集落」は漁業事業だけに限られるが、「市街地」は災害公営住宅整備や防集など5事業が対象になっている。市にはこれまで一括配分型で216億6千万円(事業費270億7千万円)が交付された。このうち「漁業集落」の8事業7億3千万円は漁港へのタラップ設置や避難路整備など、「市街地」の71事業118億8千万円は神山川の横断歩道橋整備や追悼・祈念施設整備の基本構想策定事業などに使われた。
 一括配分型の「漁業集落」は9億3千万円、「市街地」は81億2千万円が残る。使用する場合は国への書類提出などが必要だが、市の意向によってある程度使える財源でもあり、課題解決に向けた有効活用が求められる。「市街地」はすでに配分の上限額に達しているが、国は28年度以降の5年間の復興事業の見直しの中で、上限を引き上げる方針を示している。これによって配分されていなかった約60億円が今後交付される見通しだ。

 「一件審査」型では、これまで58億6千万円(事業費 73億4千万円)が配分された。災害公営住宅の駐車場整備や南気仙沼復興市民広場整備事業、震災遺構保存整備事業など35事業に充てられている。

 28年度以降、効果促進事業は1%が地元負担になる。市財政課は「27年度内までに配分されたものを有効活用していく」と話している。」(引用は以上)

ここで疑問がわいてきました。〈復興交付金効果促進事業〉ってなんだろう。ちょっと調べてみました。

まず、被災した地方公共団体に国から配分される復興交付金には、2つの種類があります。ひとつが〈基幹事業〉で復興に必要なハード事業です。もうひとつが〈効果促進事業〉で基幹事業と関連して実施する事業。比較的使い道の自由度が高い資金とされています。なるほど。紹介した記事の内容は、このうちの〈効果促進事業〉で、交付金総額が275億円です。つぎの疑問がわいてきます。気仙沼市の〈基幹事業〉はどれくらいなんだろう。

調べてみたら、復興庁の6月25日付けの資料に数字がありました。気仙沼市への復興交付金配分額/事業費は3020億円です。すると、基幹事業の交付金額は、3020−275=2745億円です。計画が白紙に戻された新国立競技場の当初計画費用が2520億円ですから、それと近い金額ですね。おぼえやすい(笑)。それにしても気仙沼市にこれだけ大きな交付金が税金を基にして交付されているのかと、あらためて驚きました。

ちょっと話が長くなっていますが、以上はあくまで気仙沼市に対するもの。国や宮城県が行う防潮堤や橋の建設はまた別の話です。その金額は調べてみないとわかりません。ちょっと頭がいたくなってきたので、本日はこれまで。

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「復興グルメ」大会

7月19日(日)に、気仙沼復興商店街「南町紫市場」で〈復興グルメF-1大会〉が開催されます。この大会は、2013年1月に南町紫市場で第1回目が開催されました。その後、被災3県の仮設商店街などで催され、記念すべき10回目をまた気仙沼で開くことになりました。まずは案内リーフレットを紹介。(クリックで拡大します)

7月3日表 裏

◎第10回復興グルメF-1大会
◎7月19日(日)
◎10:30〜15:00(雨天決行)
◎気仙沼復興商店街「南町紫市場」

大会では、10カ所の復興商店街が各1品を販売して、来場者の投票で順位を決定します。価格は1品300円。南町紫市場の出品メニューは〈ブラックめかカレー〉です。

イベントも開催されます。

10:45〜開会式
11:00〜気仙沼市民吹奏楽団
12:00〜八幡太鼓 は組
13:00〜よさこい 祭りや
14:00〜SCKガールズ
15:00〜表彰式 餅まき

震災から4年4カ月。被災地の仮設商店街への客数が減少し、どこも集客に苦労しています。そんななかでの努力と工夫のひとつがこの〈復興グルメ〉イベント。ぜひ、多くの人が訪れて、楽しいイベントになってくれればと願っております。

復興グルメ F-1大会 公式Facebook

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内湾災害公営住宅

7月15日の三陸新報が、気仙沼の内湾地区で計画されていた災害公営住宅が着工の見込みとなったことを伝えています。

7月15日内湾災害公営住宅

三陸新報7月15日記事の一部イメージ

記事を引用します。
「 気仙沼市内湾地区の土地区画整理事業区域内で共同化事業として整備される災害公営住宅が、早いところで今月中にも着工されることになった。4地区に予定されており、いずれも地元住民らによる合同会社、組合が災害公営住宅と店舗や事務所などが入る建物を建設。市が災害公営住宅の部分を買い取る。

共同化事業が行われるのは南町1丁目、同2丁目、魚町2丁目、八日町2丁目。このうち南町2丁目を除く3地区の災害公営住宅などを市が地元団体から買い取る議案が、14日に開かれた市議会臨時会で可決された。

南町1丁目は鉄筋コンクリート造り4階建て1棟と6階建て1棟。1階がデイサービスセンターや店舗、かまぼこ工場などで、2階以上が災害公営住宅36戸。合同会社・気仙沼南町復興まちづくり(村上力男代表)が建設する。

八日町2丁目は、鉄筋コンクリート造り4階建てで、災害公営住宅は1〜4階まで11戸。地区集会所やコミュニティカフェも入る。八日町地区共同住宅建設組合(鈴木敦雄代表)が整備する。

魚町2丁目も鉄筋コンクリート造り4階建て。2階以上に災害公営住宅15戸を整備。1階に店舗が入る。魚町2丁目地区建設組合(菅原隆文組合長)が建てる。

いずれも土地は、所有する建物の面積に応じて市と店舗経営者らが持つ。3地区合わせた事業費は約27億円で、市は住宅や土地などを約23億5千万円で買い取る。南町と八日町は今月中、魚町は8月にそれぞれ着工。災害公営住宅は28年5〜8月に入居開始となる予定だ。

臨時会では、建設常任委員会(千葉慶人委員長)で議案を審査。市建設部の村上博部長は、「内湾地区の災害公営住宅の入居希望が多かったが、建設できる適地が見つけられなかった。事業を続けたい人もいる」と共同化を進めた理由を話した。委員からは、かつて同様の手法で整備され、経営難から最終的に建物すべてを買い取ったワン・テンビル(現・市庁舎)と同じ轍(てつ)を踏まないよう心配する声があった。

今回議案が提案されなかった南町2丁目については、市災害公営住宅整備課が「共同化として進んでいる。現在、参加する人の最終意思確認をしている」と説明した。」引用は以上です。

魚町には私の実家、南町には妻の実家がありました。そんなわけで、この内湾地区の再開発計画には大きな関心をもっています。記事を読むと、これからが大変だなあと感じます。グループ化補助金などを受けての事業ですが、それぞれの商店などの負担は小さなものではありません。内湾地区の商店にはたして客がもどってきてくれるのかなど、大きな不安をかかえながらのスタートとなるでしょう。

合同会社と建設組合の代表者に知った名前がありました。あさひ鮨の村上力男さん、そして鈴木金物店の鈴木敦雄さん。自らの商売の先行きを考えるだけでなく、事業に参加する方々の意見を調整していかなければなりません。まだまだ大変な役割を負っていくことと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。まずは、着工の見通しがたったことへのお祝いを申し上げます。

2月24日ブログ「内湾商店街の復興」

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みなとまつり日程

きょうの東京も暑い。きのうは、気仙沼36.7度まであがり、観測史上1位の暑さを記録したそうです。昨日14日の高校野球宮城県大会で戦う選手も大変だったと思いますが、気仙沼高校は、利府高校に0対9で7回「コールド」負けでした。雪辱を果たせず。残念。

話題を変えて、本日は気仙沼みなとまつりの日程をお知らせします。8月1日(土)2日(日)の2日間です。まずはポスターから。

みなとまつりポスター
第64回気仙沼みなとまつり ポスター(クリックで拡大)

◎第64回気仙沼みなとまつり概要

8月1日(土)

◎オープニングセレモニー
午後4:30〜5:15
◎はまらいんや踊り
午後5:30〜8:00
会場:田中前大通り

8月2日(日)

◎街頭パレード
午前11:00〜午後1:30
会場:三日町〜八日町〜南町
◎打ちばやし大競演
午後5:00〜8:30
会場:港町臨港道路
◎海上うんづら
午後5:30〜8:30
◎大流灯
午後7:10〜7:40
会場:気仙沼湾内
◎海上打ち上げ花火大会
午後8:00〜8:30
会場:気仙沼湾内

上記のまつり概要は、ポスターの掲載内容を見てキーボード入力。コピー&ペーストしやすいテキスト情報がネットに見当たらなかったのです。しかし、〈気仙沼みなとまつり〉のネット上での情報不足には驚きます。ポスターにも掲載されているホームページをのぞいてみても、〈これまでのおまつりの背景〉という昨年と同じ情報があるだけで、上に紹介した概要などの掲載もありません。まつりの主催団体のひとつ気仙沼商工会議所のサイト内に設けられているページなのですが、ちょっと貧弱な印象。(追記:その後、更新されて現在は、催事スケジュールや交通規制などを見ることができます)

みなとまつり公式ホームページ

ネットで〈気仙沼みなとまつり〉を検索しても、商工会議所のページか、過去のみなとまつりの情報だけで最新の情報が簡単には得られません。どうしてだろう。不思議です。

気仙沼にとって観光は大きな産業のひとつ。震災後も多くの支援を得ながら、さまざまな組織やグループが観光振興の方策をいろいろと練っているはず。それらのどこが役割を負っているのかわかりませんが、〈気仙沼みなとまつり〉のPRについては、改善の必要があるのではないでしょうか。気仙沼を離れている者が、地元の事情も知らずに〈えらそうな口をきく〉ことをつつしんでいるつもりなのですが、ちょっと気になりましたもので。言い過ぎていたら、ごめんなさい。今年のみなとまつりの成功を心から願っております。

2014年7月24日ブログ「気仙沼 港まつり」

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きょうの万有流転

まず高校野球宮城県大会についてですが、気仙沼高校は本日14日午前11時半からコボスタ宮城で利府高校と対戦です。利府には昨年の夏に敗れていますので、なんとか雪辱を果たしてほしい。頑張れ!

ここからが本題。本日7月14日の三陸新報一面コラム「万有流転」が、11日の気仙沼高校関東同窓会のことを書いています。関東圏の方は目にする機会が少ないと思いますのでここに紹介します。

7月13日三陸新報
三陸新報7月14日「万有流転」の一部イメージ

筆者は、来賓として出席されていた三陸新報社代表取締役の浅倉眞理さんだと思います。内容を引用します。

「 11日、「気仙沼高校関東同窓会」(小野寺孝成会長)総会と懇親会が開かれた。七夕のように、年に一度の“逢瀬”である。懇親会は例年、「向洋高校」と合同で行われ、旧交を温めあった◎向洋校は26年度卒業の新会員たちも参加、両校とも初参加の老若があって盛り上がった。スライド上映では、水産、旧気仙沼、鼎が浦時代の写真に歓声が上がり、その時代を知る人の解説が加わり、みんなで懐かしんだ◎実家女学校卒業生も数名参加、校歌斉唱では仲間と共に歌う姿が楽しげだ。古里を思い、現状を心配する同窓生は、気高、向洋両校の校長はじめ、気仙沼からの参加者に古里の今を聞いたり、写真を撮ったり、話は尽きない◎同会では会員に寄付を募り、震災後の母校に毎年寄贈を続けている。「個人、企業に関係なく、母校のために」と力説する会員もおり、できる限り続けていく方針を定めている◎古里ではさらに学校統合が進み、同窓会のあり方も変化していくだろう。しかし、取り仕切る若い幹事たちは頼もしく、未来を思いつつ、高らかに歌う“それぞれの”校歌に聞き入った◎閉会後も同級生の輪が崩れず、母校を同じくする人の心は、昔に戻って離れがたい様子だった。」引用は以上。

三陸新報の浅倉社長も、同窓会の集まりを取り仕切ってくれた若い幹事の皆様を頼もしく感じたようです。その気持ちを多くの関係者の方々に知っていただきたく、全文を引用させていただきました。浅倉眞理さん、ありがとうございました。

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気高同窓会の報告

今日の東京は朝から30度を超えてかなりの暑さです。水を飲むなど、熱中症にならないよう気をつけましょう。

本日、まずは12日の高校野球宮城県大会の結果から。本吉響高校の2回戦は利府高校に11対0で敗退。そして気仙沼高校の初戦は、仙台高専広瀬を13対0で破り2回戦に進んでいます。よかった。

さて、土曜日7月11日に東京の九段下・ホテルグランドパレスで気仙沼高校関東同窓会が開催されました。気仙沼向洋高校(旧・水産高校)と合同での懇親会の写真を紹介します。校歌斉唱の場面です。

まずは旧・気仙沼高校関係。2枚合成でパノラマ風に。(すべてクリックで拡大)

気高

つぎは、旧・鼎が浦高校関係。そして気仙沼向洋高校関係の皆様。

鼎ヶ浦 水産

最後に新・気仙沼高校の卒業生の皆さん。そして、私たち同年生らでの2次会の様子も。

新気高 2次会

懇親会で、気仙沼高校の小山淳校長とお話しする機会がありました。そこで、現在の校歌について10日のブログで〈読み方に自信がない〉と書いた部分のことをお聞きしたところ、間違いないとのこと。〈烟る〉は〈けむる〉、青葉光は〈あおばかげ〉です。

いつも感じることですが、同窓会の会長や幹事をはじめ関係者の皆様の準備や運営は本当に大変だと思います。今回も大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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気仙沼高校 校歌

今日の東京は本当に久しぶりの晴天です。気持ちいい。生き返るような気持ちがします。そして明日7月11日は、東京の九段下・ホテルグランドパレスで気仙沼高校関東同窓会が開催されます。お天気も心配ないようですので、多くの同窓生が集まることでしょう。

同窓会ではいつも、校歌をみんなで歌う場面がありますね。あれがどうも苦手です。気仙沼中学の校歌はテンポもよくて好きなんだけど、〈遠くは雲居の室根山〉と始まる気高の校歌は、ちょっとどんよりとしていて(って言うとおこられそうだけど)。

これを機会に統合前の、気仙沼高校と鼎が浦高校の校歌を紹介しておきましょう。

◎旧・気仙沼高等学校/校歌

1.遠くは雲居の室根山
  高さを学べと聳えたり
  近くは蒼波の鼎浦
  清さを習えとたたえたり
  うまし自然を海山を
  四方にあつめて中納言
  香久留ケ原に聳え立つ
  我が高校に栄えあれや

2.我が気仙沼高校の
  学生我等のモットーは
  至誠勤勉質実と
  剛健協同この五つ
  五つの標語に導かれ
  海山自然をのりとして
  久遠の光仰ぎつつ
  雄々しく進まんいざ進め

◎旧・鼎が浦高等学校/校歌

1.鼎が浦に のぼる日に
  波も静けく とぶ鴎
  海幸ほこる 一湾を
  のぞみてたてる 我が母校
  集うわれらに 理想あり

2.安波のふもと 明媚なる
  里に生いたち すこやかに
  永却なる真理 もとめつつ
  新しき道 ともにゆく
  むつむわれらに 誠実あり

3.希望の空は 輝きて
  力のかぎり はげむとき
  花それぞれに 咲き競う
  学びの園に 栄あれ
  まなびの園に 栄あれ

最後に、2005年に気仙沼高校と鼎が浦高校が統合して誕生した新・気仙沼高校の校歌を紹介します。

作詞は熊谷龍子さん、作曲は加古隆さん。熊谷龍子さんは、旧 新月(にいつき)村廿一(二十一/にじゅういち)の歌人 熊谷武雄さんのお孫さんです。〈森は海の恋人〉という畠山重篤さんらの活動の名も龍子さんの歌から名づけられたもの。そして加古隆さんは、みなさんよくご存じの作曲家・ピアニスト。以前、鼎が浦高校のイメージ曲「咲き競う花の憧れ」を作曲してくださったご縁がありました。以下に歌詞を紹介します。読みにくそうな漢字には下記の歌唱を聴いてひらがなをふりましたが、青葉光(あおばかげ)はちょっと自信がない。それと、〈けむる〉は〈けぶる〉かなとか。在校生に教えを請えればと。

◎現・気仙沼高校 校歌

1.萌黄(もえぎ)に烟(けむ)る 山脈(やまなみ)の
  香久留ケ原(かくるがはら)は 真秀ら郷(まほらさと)
  理想を胸に 集いきて
  刻む歴史の 一ページ
  いま悠久の 扉(と)を開(あ)けむ

2.水清らかなる 大川の
  汀(みぎわ)に映(は)ゆる 青葉光(あおばかげ)
  ともに学べる 春秋に
  友愛の輪の 芽吹く校庭(にわ)
  いま悠久の 道住かむ

3.鼎が浦に 広がれる
  世界を繋ぐ 波の綾
  学びの窓に 培(つちか)いし
  飛翔の翼 ひらく時
  いま悠久の 空駆けむ

  ああ 気仙沼高校


上記歌詞内容は、下記の気仙沼高校 関東同窓会のサイトから。3曲とも歌唱も聴くことができます。それでは明11日にグランドパレスにて。みんなで元気に歌いましょう(笑)。

気仙沼高校 関東同窓会/校歌サイト

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1962年夏・甲子園

全国高校野球選手権宮城大会が7月7日に開幕しました。気仙沼向洋高校(旧・気仙沼水産高校)が生徒の不祥事で参加を辞退したのは残念ですが、気仙沼高校はじめ地元各校の活躍を期待しています。なお、本吉響高校は8日の初戦で蔵王高の猛追を耐え、8対6で勝利しています。

さて、53年前の1962(昭和37)年夏の高校野球。気仙沼高校は初の甲子園出場を果たしました。初戦は強豪チーム作新学院。当時のことを7月6日の河北新報が回顧しています。

河北野球
河北新報7月6日配信記事より(クリックで記事にジャンプ)左が熊谷さん、右が郷古さん。

河北新報7月6日配信記事

記事によれば、気仙沼高校は作新学院と〈互角の熱戦を繰り広げた。延長11回、1-2で惜敗したが、無名校が存在を全国に知らしめた。その後、作新学院は甲子園史上初の春夏連覇を成し遂げる。もし気仙沼が作新学院に勝っていたら、球史が変わっていただけに、気仙沼市民の胸は誇らしい気持ちで満たされた〉。

河北新報の記事では、気仙沼の甲子園出場時のエースで主将の熊谷猛郎さん(71)と、一塁手の郷古良英さん(70)が気高グラウンドで語り合っています。詳しくは、上記の配信記事をお読みください。

この気仙沼高校の甲子園出場については、このブログでも何度か書きました。とても懐かしい。1962年8月。私たちが小学校5年生の夏のことでした。

なお、気仙沼高校の初戦は、7月12日(日)に仙台高専広瀬と。鹿島台中央野球場にて12:30からです。頑張れ気高!

2014年3月20日ブログ「甲子園の熊谷投手」
2014年3月24日ブログ「八日町やまざきや」

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横断橋海上部工事

三陸新報によれば、7月6日、三陸沿岸道路「気仙沼道路」の一部となる気仙沼湾横断橋(仮称)で未着工だった海上部工事の安全祈願祭が市内の橋脚建設予定地で行われました。1344mの横断橋のうち、陸上部分はすでに昨年6月に着工されていますが、気仙沼湾をまたぐ680mの橋脚工事がこれから始まります。

7月7日横断橋
7月7日三陸新報より(クリックで拡大)

なお、橋脚14基のうち1基が気仙沼湾内に建設されるのに伴う漁業権消滅や漁業制限のために、県漁協気仙沼地区支所の鹿折地区の漁業者117人を対象とした約8400万円の補償金契約も6日に調印されています。この補償契約が成立したことで、海上部分の工事着手が可能となりました。

橋の完成時期は未定ですが、国は事業化が決まった2011年度から10年以内の完成を目指しているとのことです。2021年度、6年後ぐらいということでしょう。なお、宮城県が事業を進めている大島架橋のほうは、2018年度の完成を目標にしています。

昨年の横断橋着工式については、つぎのブログで紹介しました。おてすきのときにご覧ください。

2014年6月30日ブログ「気仙沼湾横断橋!」

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岩井崎の潮吹き高

7月2日の三陸新報に、気仙沼の岩井崎に関する記事が掲載されていました。震災の地盤沈下の影響を受け、潮吹きの高さが低くなっているというのです。

7月2日岩井崎

三陸新報7月2日記事の一部イメージ

記事の一部を引用します。
「潮吹き岩は、打ち寄せた波が岩盤内部の空洞に入り込むことで、海水が吹き上がる。その昔には多数の穴があったものの、付近一帯の農作物が塩害に遭ったため、地元の人たちが穴をふさぎ、二つだけ残したと伝えられている。
歳月がたつに連れて、徐々に潮の吹き方が弱くなり、昭和40年代には観光資源の復活を望む声が聞こえるようになったため、昭和50年に1カ所の穴を狭くする工事を実施。穏やかな日でも高さ10mほど憤潮が上がるまで回復した。」引用は以上。

岩井崎の潮吹き。懐かしいなあ。小さい頃に潮吹きの穴の近くまでいってのぞきこんだりしていると、〈シューッ〉という圧縮された空気の音が聞こえてきた後に〈ヴァッシャッー〉と潮が吹きました。10回に1回ぐらいはとても大きい。逃げきれなくて濡れるんだけど、それがうれしかった。楽しかった。幼かった。

ところで、多数の穴があって付近に塩害をもたらしたという記事に驚きました。それぐらい吹き上がっていたのか。小学生のときの広野画塾〈海と緑に親しむ会〉などで行った頃はかなり吹いていた記憶があります。でも、中学のころにはあまり吹かなくなっていたように思います。

地元の階上地区はじめ気仙沼の観光関係者からは〈憤潮〉(この言葉、はじめて知りました。ふんちょう)復活を望む声が高まっているとのことですが、私も賛成ですね。塩害をもたらした当時の何本もの潮吹きというのも見てみたいような気がしますが、ここはひとつ、震災前の2割増しということで、いかがでしょうか(笑)。

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魚町の武者勢揃い

3日のブログ「1953年 武者行列」で、昭和28年8月の港まつりの風景を紹介しました。あの写真にうつっていたのは南町の子供たちですが、本日は魚町の〈小さな武者たち〉を紹介します。

魚町武者
2004年1月28日付け三陸新報記事のイメージ(クリックで拡大)

これは、2004年1月28日付けの三陸新報の連載記事〈とっておきこの一枚〉。見出しは〈りりしい武者姿/昭和28年 市制施行みなとまつり〉です。写真の持ち主は、魚町2丁目の〈ヤマジュウイチ〉佐藤八重子さん。私たちの一年先輩 佐藤秀一さんのお母様です。記事を引用します。

「 登米町から嫁いできたのが昭和25年。翌26年に長男(秀一)さんを出産した。気仙沼市制が施行されたのはその2年後。

写真は市制施行記念のみとまつり。パレードに参加するため、地区内の子どもたちが武者姿で魚町大通りに集合している。写真・矢印の女性が八重子さん。前列の長男を心配そうに見つめる。カメラ好きだった夫の市太郎さん(故人)が、知らない間に撮影し、自分で現像したもの。「希望者にはコピーして譲りたいと思います」

当時は生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった。合併直後だっただけに、希望に満ちあふれていた中での祭りだった。「港の心意気を示そうと、みんな一生懸命でした」と振り返る。魚町通りには、あらゆる種類の商店が軒を連ねていた。市経済の玄関口である港と魚市場があったからだ。「漁船は、町にとって宝船だったんです」。今もその思いは変わらない。」引用は以上。

記事に〈生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった〉とあります。終戦/敗戦からちょうど8年。漁業を中心としての気仙沼の産業発展や生活レベルの向上などを、子供の成長に重ね合わせて実感し始める時代だったのでしょう。

この三陸新報の記事は、7年前に亡くなった父が一週間に一度まとめて送ってくれたものから切り抜いておきました。11年前にも、この記事に、懐かしいなにかを感じたのでしょう。私にとっても〈とっておきの一枚〉だったのです。

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1953年 武者行列

本日ご紹介するのは、〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダー7月8月の写真。〈旧気仙沼魚市場前をねり歩くみなと祭りの風景/昭和28年8月〉。

カレンダー7/8月
〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダーより(クリックで拡大)

昭和28(1953)年8月だと、私が2歳のときですね。〈気仙沼文化史年表〉を調べてみましたら、この年の6月1日に気仙沼町・鹿折町・松岩村の2町1村が合併して気仙沼市が誕生しています。そのためにこの年のみなと祭は、〈市制記念〉として8月15日に開催されています。

写真にうつるのは南町の小さな武者たちですが、魚町からも〈出陣〉しています。その写真を紹介した新聞記事のスクラップが手元にありますので来週にでも紹介しましょう。

それにしても、子供たちが身に付けている鎧(よろい)には驚かされます。各家が準備したものとは思えませんので、市か地区が借りたものでしょうか。いずれにしても立派な装束で、当時の南町や魚町の漁業家、商家の景気の良さがしのばれます。

なお、上記年表によればこの日、昭和28年8月15日には、魚市場前に水族館が開館しています。また〈三陸物産展〉も開幕していますから、この日はまさに〈おまつり状態〉。このカレンダーの写真を見ていると、大友病院の診療所前から〈こいづを見だら、水族館さ行ぐべし〉という中学生の声が聞こえてくるようです。

2014年9月10日ブログ「気仙沼市営水族館」

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防潮堤説明会問題

気仙沼魚市場周辺の防潮堤について、県が6月8日に開いた説明会では、参加者から説明不足などが指摘され、整備についての合意は得られませんでした。6月29日のブログでその話を紹介した際に〈宮城県は北桟橋から朝日町付近までの約1.3kmを5mの防潮堤などで整備する計画です〉と書きましたが、具体的なイメージがわきにくかったと思います。本日は、私がブログを書くときに参照した情報を紹介します。気仙沼市議会議員の今川悟さんのホームページ記事。

今川議員ブログ
今川さんのHP記事画像(クリックでページにジャンプ)

今川悟議員ホームページ/6月9日配信記事

今川さんは6月9日配信の記事で、説明会で配布されたと思われる資料を紹介しています。冒頭の文章を引用します。

「宮城県が気仙沼魚市場周辺に計画している防潮堤(海抜5m)は、景観や利便性への影響が大きく、8日の説明会でも合意に至りませんでした。賛否が渦巻く防潮堤問題を通して、行政が主催する説明会の課題が浮き彫りになっています。求められているのは、「説明」ではなく「話し合い」です。」引用は以上。

内湾を含む気仙沼湾を囲む赤線や、河川沿いの青線を見て、気が重くなるのは私だけではないでしょう。

詳しくは今川さんのホームページを読んでいただきますが、気になる記述がありました。6月8日の説明会では7人からの質問はありましたが、今川さんが見る限り賛成意見はひとつもでなかったそうです。しかし、県側が「概ね了承したと判断していいでしょうか」と締めくくろうとしたので、騒然となったというのです。

これまでも、本吉地区をはじめ、説明会で疑問や反対の声があるにもかかわらず、強引とも思われる進行で合意が形成されたという報道がありました。6月8日の説明会で県の担当者が行ったことと同様のことが各地区で行われたことが想像されます。

県として計画を先に進めたいという気持ちもわかりますが、結果としては問題を複雑にして合意形成が遅れるのではないか。今川さんも先日の市議会で、説明会のていねいな進行を求めたようですが、是非より良い形での説明会にして欲しいと思います。

地元紙を読んでいても、最近の防潮堤計画の全体像が見えにくいように感じられましたので、本日のブログといたしました。東京にいる私が、現地情報に触れていないだけならよいのですが、念のため。

6月12日ブログ「三陸新報6月9日」
6月29日ブログ「港町の5m防潮堤」

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松岩中学校の校歌

今日から7月。早いですね。今日の東京は雨。

さて、6月28日(日)付け三陸新報の学校紹介は、気仙沼市立松岩中学校でした。そこに校歌が紹介されていました。

松岩中学校歌
三陸新報6月28日記事一部イメージ

作詞は、大島出身の詩人・童話作家の水上不二(みずかみ・ふじ)さん。大島中学だけではなく松岩中学の校歌も作詞していたのですね。そして作曲は、なんと中田喜直(なかだ・よしなお)さんでした。〈雪の降るまちを〉や、〈夏の思い出〉(夏が来〜れば思い出す はるかな尾瀬 とおい空)、〈ちいさい秋みつけた〉(だ〜れかさんが だ〜れかさんが)などの曲でも知られる著名な作曲家です。この校歌制定は、昭和38年とのこと。

記事の冒頭には昭和22年の松岩中学校創立の経緯がつぎのように記してありました。

「同校の開校は厳しい財政にある中で、当時の鮎貝盛益村長の勇断と村民の熱意によって実現した。校舎は、地域住民が何代にもわたって育ててきた村有林を投入し、郷土発展を願う村民の労力奉仕によって建設された。同28年の気仙沼市との合併に伴い、気仙沼市立松岩中学校に改称した。」引用は以上。

財政環境は厳しくとも、郷土の発展を担う息子や娘、孫たちのために村民が協力して中学校を建設したのですね。今ではあって当然の小中学校ですが、その創立の歴史を知ることも大事かと。松岩中学に限らず、当時の多くの中学がこうした地域の熱情によって生まれたのでしょう。水上不二さんの詞の3回のリフレインを下に。

奮え ちから 磨け こころ

〈力と心〉。中学生に向けてのメッセージとしてとてもいい。〈奮え〉は〈ふるえ〉と読むのでしょうね。

気仙沼高校では、松岩中学出身の友人も沢山いました。みんな、力がみなぎり、その心は磨かれたように澄んでいました。この校歌の効果だと思っています。なんちゃって(笑)。

4月28日ブログ「大島中学校の校歌」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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