みなとでマルシェ

5月30日(土)は、いよいよ第3回〈気仙沼さんま寄席〉です。

ほぼ日/気仙沼さんま寄席 公式サイト

開演は午後3時30分から気仙沼市民会館にて。大勢のお客さまが遠くから気仙沼を訪れることでしょう。そして17にものぼるワークショップほか、関連するイベントがさまざま行われます。本日はその一つ、〈みなとでマルシェ。〉を紹介します。

みなとでマルシェ。
「みなとでマルシェ。」マップ(画像クリックでページにジャンプ)

◎たのしい朝市『みなとでマルシェ。』
◎日時:5月31日(日)7:00〜12:00
◎場所:気仙沼市港町 気仙沼プラザホテル下
◎主催:気仙沼つばき会
◎後援:気仙沼市・気仙沼商工会議所

プラザホテル下のエリアにふたつの屋台エリアが設けられ、約20のお店が出店します。マップには周辺のK-portや、磯屋水産、復興屋台村気仙沼横丁、気仙沼ニッティングのメモリーズなどの位置も示されています。

前回のさんま寄席では、「市場で朝めし。」が開催されましたが、これと同様の〈おもてなし企画〉となっているようです。寄席への来場者だけでなく、地元の人も楽しめるイベントですので、皆様もどうぞ足をお運びください。

このほか、徳仙丈山での東北ツリーハウス観光協会〈ツリーハウスで遊べます!〉の企画では、コヤマ菓子店の小山裕隆さんも協力してツリーハウスカフェが設けられます。5月31日(日)10:00~16:00/ツリーハウス1号。コーヒーや焼き菓子が供されるようですが、ツリーハウスでのカフェと聞けば、気中20回生は裕隆さんの父で一昨年1月に亡くなった小山隆市君のコヤマ2階〈珈琲山荘〉を思い出すことでしょう。もちろん、裕隆さん自身が、誰よりもそれを強く意識しているはずです。ツリーハウスでいれられるコーヒーは、なつかしの隆ちゃん〈珈琲山荘〉ブレンドに違いありません。

立川志の輔師匠をお迎えしての〈さんま寄席〉はもちろんのこと、土曜日曜にわたって開催される催しや企画が、多くの皆さんに喜んでいただけるようにと願っております。

あ、それから、先日もお知らせした渡辺謙さんのNHKテレビ「プロフェッショナル」は、本日29日(金)の深夜24:55からです。こちらもどうぞよろしく。

4月7日ブログ「奇跡のような「会」」
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のんちゃんとの話

このブログでも紹介したフェンシングの千田健太選手の後援会が5月25日に発足しました。26日の三陸新報が伝えています。

千田選手後援会
2015年5月26日付け三陸新報記事の一部イメージ

この記事を読んで、あれっと思ったのは、役員紹介にあった会計監査の名前。二人のうちのひとりが臼井典子さん(3年1組)だったのです。旧姓は斎藤。臼井真人君(2組)の弟さんと結婚して現在の姓となりました。〈のんちゃん〉こと典子さんは旧 鼎が浦高校のフェンシング部員で、現在も統合後の気仙沼高校フェンシング部OBOG会のお世話などもしているようです。

ブログでまちがったことを書いてはいけないと思い、メールした後に電話し、10分ほど話しました。高校当時、千田健太選手の父上である健一さんが鼎が浦高校に練習に来ると、典子さんらは〈健坊〉と呼んでいたという話など、いろいろと面白い話が沢山あるのですが、省略します。

話の最後に私は、震災の年2011年2月12日に気仙沼で行った〈還暦祝い〉のときに、典子さんと鷺(庄司)良子さん(私と同じ8組)が久しぶりに会ったとうれしそうに話している様子をよく覚えていると典子さんに伝えました。ふたりは親戚でした。そしてその一カ月後、良子さんは嫁ぎ先の陸前高田で、震災の津波によって亡くなったのです。

そして驚いたのは、典子さんから返ってきた言葉。〈私も津波のあとは、ついこの間まで、きちんと海を見られなかった〉というのです。こわいと。震災当時は、弁天町に暮らしていたそうです。

もう4年以上たつのに、大津波を経験した人の気持ちというか記憶というのは、そんなにつらいものなのか。想像もしていなかった言葉にグッとくるものがありました。〈まあさ、我々の年齢になると、大事なことも忘れるようになるから大丈夫だよ〉と冗談で返したものの、自分の理解の至らなさを思い知らされたような気がしたのです。

そして、〈それじゃあね。また会える日を楽しみにしています〉と、10分ほどの典子さんとの電話をおえました。

5月18日ブログ「千田選手の後援会」

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あきらめないこと

一昨日5月25日夜のNHKテレビ「プロフェッショナル/仕事の流儀」をご覧になりましたでしょうか。事前に知らず、このブログでの案内ができませんでしたが、渡辺謙さんをとりあげていました。

謙さん
番組ホームページより(画像クリックでページにジャンプ)

とてもよかった。ブロードウェイミュージカル「王様と私」に挑戦する謙さんを半年間にわたって取材した内容はとても深いものがあったと思います。英語、歌、演技、そのすべてにわたって謙さんは努力し続け、試行錯誤を重ねます。その真摯な姿勢と率直な態度には本当に打たれました。見逃した方は、ぜひ今度の金曜深夜の再放送をご覧ください。

番組最後の〈プロフェッショナルとは〉との問いに、謙さんはこう答えます。〈あきらめないことだよね。とにかく何があろうが与えられたものに関してはあきらめないこと。その与えられた環境の中で与えられた自分の状況の中でベストを尽くすということ。それができるかできないか。ということじゃないかと思いますね〉

40分以上にわたる謙さんの努力の姿を知った後の〈あきらめないこと〉というメッセージに納得。うわっつらの言葉に聞こえませんでした。

昨日26日の渡辺謙さんのツイートも紹介しておきましょう。なお、謙さんのツイッターアカウントのアイコンは気仙沼の謙さんのカフェ〈k-port〉の外観です。

〈 professional、多くの方からの感想ありがとう。こちらの組合との兼ね合いがあって中々入れない所、流せないシーンが多々ありました。俳優としても、もっと大きな発見や驚きもありました。でも結局は舞台の上で起きたことが全てです。舞台裏は手品のネタと同じ。それはまたいずれどこかで 〉

最後になりましたが、再放送予定は次のとおり。金曜深夜ですのでお間違えなく

◎プロフェッショナル/仕事の流儀
◎渡辺謙55歳、人生最大の挑戦
◎5月29日(金曜)深夜24:55〜25:43
(5月30日午前0:55~午前1:43)
◎NHK総合テレビ

念のために申し上げますが、渡辺謙さんがまた気仙沼に〈帰省〉してきたとき、〈プロフェッショナル、見てませんでした〉っつうわけにはいかんでしょう。やっぱり。そこんとこ、くれぐれもよろしくお願いいたします(笑)。

5月1日ブログ「謙さんの王様と私」

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美由紀ハイボール

まずは、5月22日にYouTubeで配信が開始されたサントリーウイスキー〈角ハイボールつくりましょ。〉TVCMをご覧ください。


井川遥 サントリーウイスキー角瓶『つくりましょ』篇 30秒 角ハイボールCM

そうです、バックに流れる歌声は、気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんです。

この曲「ウイスキーが、お好きでしょ」を最初に歌ったのは、もちろん石川さゆりさん。ウィキペディアによれば、1990年に「サントリークレスト12年」のCMソングとして制作され、2007年に小雪さん出演のサントリー角瓶CMソングとしてリバイバル使用されました。石川さゆりさんの後は、ゴスペラーズ、竹内まりや、田島貴男(ORIGINAL LOVE)と歌いつがれ、今回の美由紀さんに至ったというわけです。

レシピがわりに、小さなバーの店主役をつとめる井川遥さんのナレーションを紹介しておきましょうね。

まず、氷はぎっしり。
角はよく冷やして。
1対4。
角が1。ソーダが4、くらい。
そーっとなでて、一回だけ。
(追記:「なでて」はやはり「まぜて」かな。何度も聞いたのですが微妙なんですよね)
(再追記:気中の後輩さんから「サントリーのホームページを見ると〈混ぜて〉が正解とのコメントをいただきました。ありがとうございました)

これでできあがり。
美由紀ハイボール。
飲み過ぎにご注意を(笑)。

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KSS42春の懇親会

5月16日(土)に、仙台方面の同年会であるKSS42(昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会)の総会と懇親会が、仙台で開催されました。すでに同会のホームページでその様子をご覧になっている方も多いと思いますが、事務局の許可を得て、写真と文章を転載いたします。報告と撮影は幹事のひとり平野秀明君(3年3組)です。

KSS42:2015春
2015年5月16日KSS42総会・懇親会(クリックで拡大)

平成27年5月16日(土)午前11時30分。仙台では、朝からの小雨もあがり第31回仙台・青葉まつりが始まりました。そんな、街が賑やかになってきたころ、一番町の銀座ライオンビアホールでは、KSS42第2回定期総会と第4回懇親会が開催されました。

参加者が予想以上に増えて、北は盛岡、気仙沼、南は東京方面からも、そして仙台近辺から、合計45名もの同年生たちが集まりました。

総合司会 矢嵜(やざき)さんの進行で始まり、代表の小山さんの開会の挨拶、正俊さんの総会の報告も無事終わり、懇親会は、壽さんの乾杯で始まりました。正俊さん、しず子さんの、巧みな進行で盛り上がってきた頃に代表者3名のすばらしいスピーチ。東京からの徳一さんの「今日は感謝の意味も含め、恒四郎をつれて来ました~!」で、皆すごい盛り上がり。続いて真人さん、小春さんのスピーチも無事終了。ありがとうございました~!

次はゲームアトラクションのビンゴゲームとジャイケンゲーム。賞品はなんと純子さん手作りの素敵な織物が全員に渡されました。純子さんは日本生涯学習協議会日本染織協議会認定手織り技術者です。いつも本当にありがとうございます。また、ゲームをさらに盛り上げていただきました美加さん、素敵な大声で大変助かりました。ありがとうございます。

そして午後2時ごろには、修二さんの終宴の〆(しめ)。その後、皆で記念撮影です。この時間は唯一僕の腕の見せ所。いいアングルが決まったところで、小山代表が「ケーィエスエスヨンジュ~ニ~~ッ!」で皆が素敵な笑顔になりました。

二次会は国分町のライブハウス「レモンカントリー」へ! この店のオーナー渡辺さんは、同年齢(63才)ですが、故 小山隆市君と一緒に高校から大学の学生時代に山登りをした山仲間だったこと。そんなご縁に大変驚きました。
そしてレモンカントリーの後の三次会は、「カラオケ」でまた盛り上がったとか……。

今回も皆さん元気でなによりでした。同年会は人をつなぐ場所であり、今後も永く続けることが大切だなと今回改めて思いました。皆さん、ありがとうございました。(報告引用は以上)


多くの仲間達が集まって、楽しい時間を過ごしたようですね。今回は東京から斎藤恒四郎君(6組)も参加したとのこと。上の写真で前から2列目あたりの中央でVサインを出して〈おだってる〉のが恒四郎君です。知らない人はいないとは思うのですが、念のため(笑)。詳しいお名前は略しますが、写真にうつる仙台や気仙沼からの顔ぶれを見て、大変なつかしい思いがいたしました。平野君も書いていましたが、こうして元気に集まれるというのはなによりのことでしょう。小山達朗代表(9組)はじめ、関係者の皆様、ご苦労さまでした。

なお、当日の様子は、KSS42の事務局が置かれている弁護士小松亀一君(6組)の事務所ホームページでも紹介されています。こちらも是非ご覧ください。

小松亀一法律事務所ホームページ
KSS42ホームページ

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気仙沼/剣の源流

気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜなのか。その理由や背景について書こうと思いながら、さぼっておりました。しかし、来週月曜の5月25日には、千田健太選手の後援会も設立されることだしと思い、まずは取り急ぎ。はじめに、『気仙沼市史』の中のフェンシングに関する記述を紹介します。

鼎フェンシング部
『気仙沼市史 補遺編/スポーツ・芸術編』より
左端は佐藤美代子先生、右端はコーチをつとめていた千田健一さんでしょう。


『気仙沼市史 補遺編/スポーツ・芸術編』p202

◎フェンシング競技

・競技の発足
 気仙沼市における初めてのフェンシング競技は、昭和27年11月1日、宮城県フェンシング協会会員6名が、元気仙沼公民館(現市役所の地)で開催した公開競技である。もっとも宮城県鼎が浦高校教諭の佐藤美代子が同年4月同校へ着任し、昭和27年の国民体育大会(宮城、福島、山形共催)フェンシング競技女子フルーレの出場選手として同校体育館で、一人で練習をしているのを生徒達が不思議そうな顔で見ていたのだ。
 その頃の同校体育館は天井が低く、普通教室三つ続けた大きさ広さ、床は力強く踏んだら今にも抜けそうな感じ、実際に生徒が床を抜いたこともある位であった。また校庭は、バスケット1面しかとれない広さ、バスケット班とバレー班が交互に使用している状態であり、その当時の県知事が視察に来られて、これが県立高校かと驚いて帰られたとか。その後、何とか生徒達に広い校庭、校舎をと建設の問題が出るのであるが、それは別の問題として、この狭隘(きょうあい)な校地、校舎で、生徒達が「井の中の蛙」にならぬようと願わないものはなかった。そこで一人ででも、少し狭くとも練習が出来、市外、県外も見聞きできるスポーツとして県フェンシング協会副会長の中島英一と相談し、前述の公開競技開催となったのである。
 このエキジビジョン以来、生徒達の同好会ができ、毎日、7、8人ずつ集まって練習が始まったが、用具はマスク一箇、剣一本、グローブ一箇と言うことで、県協会創設の時と同じように竹を剣のように平に削って代用し、フットワークから始めた。女の子が長いものを振り廻すということで父兄からも苦情が出ることもあったが、生徒達は剣を布や風呂敷に包み、見えないようにして街を歩いたことも、今は昔の物語りである。生徒達の熱心な練習により、県内での新人戦に出場し、3年千葉淑子優勝、同 佐藤司子2位等の成績があがると、生徒達も自信を持つようになり、昭和28年の松山国民体育大会に千葉淑子が出場することとなった。(引用は以上)

市史の記述の最後に、〈鼎が浦高校フェンシング班の沿革と戦績〉が年表形式でまとめられています。初期の要点のみ抜粋します。

昭和27年11月1日 フェンシング公開試合 同年12月 フェンシングクラブとして同好者が集まり練習を開始 昭和28年5月 生徒会の正式な班として発足 同年8月 夏季強化合宿に明大フェンシング部員千葉卓朗氏をコーチに依頼 昭和30年4月 明大卒業生の千葉氏を正式なコーチとして依頼(抜粋要約は以上)

ここで登場した千葉卓朗さんは、旧・本吉町津谷で古くから〈カネセン〉印の味噌醤油醸造を行っている〈徳田屋〉さんの長男。ネットで調べてみると、進学した仙台一高では、昭和25年秋にフェンシング同好会を創立しています。その後の明治大学でもフェンシング部に所属しました。明大フェンシング部の戦績に、昭和30年全日本選手権エペで3位の成績があります。その後、昭和33(1958)年には、全日本フェンシング選手権・男子個人フルーレで優勝を果たしていますが、これは上述した鼎が浦高校のコーチに就任した後のことだと思います。

卓朗さんが津谷に帰郷したのは、父親が亡くなったためとのことですが、たぶん同じ津谷に育った佐藤美代子先生がその話を聞き、同郷のよしみでコーチを依頼したのでしょう。昭和42年4月には、千葉卓朗さんを会長とする気仙沼フェンシング協会が創立されています。美代子先生は副会長のひとり。こうして卓朗さんは、家業やフェンシングをはじめとするスポーツ振興に尽力するとともに、昭和54年からは4期16年にわたり本吉町長もつとめました。しかし震災の年、2011年5月31日に逝去。心筋梗塞だったそうです。享年七十七。

気仙沼市史の気仙沼フェンシング協会に関する記述の中に、千田健太さんの父、千田健一さんの名もありました。気仙沼市南町、当時の気仙沼警察署にあった武道館でフェンシングの練習が行われていましたが、その中にいた一人が小学5年生だった千田健一さん。実に練習熱心で、試合が近づくと鼎が浦高校に行って千葉コーチに稽古をつけてもらっていたとのことです。

これくらいにしておきましょう。ちょっと長くなってしまいましたが、気仙沼でなぜフェンシングが盛んなのか、その背景はご理解いただけたと思います。千田健太選手の活躍をはじめ、今に至る〈気仙沼フェンシング〉の源流とも言うべき佐藤美代子さんと千葉卓朗さんの名を、気仙沼の多くの人の記憶にとどめていただければと思いこの一文としました。お二人のご冥福をあらためてお祈りいたします。


千葉卓朗氏(気仙沼市ホームページより)

4月22日ブログ「美代子先生の訃報」

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BST/血と汗と涙

今日の東京は、風が少しあるものの、気持ちの良い晴天です。さて、5月17日の日曜日、世田谷文学館で開催中の「植草甚一スクラップ・ブック」展に妻と行ってきました。

植草甚一さんは、映画や文学そしてモダンジャズなど、実に幅広い分野で活躍された評論家というか文筆家。私は気仙沼高校に通っていたころに読んでいた矢崎泰久さんの雑誌「話の特集」の連載「緑色ズックカバーのノートから」でその名を知りました。それ以来の植草ファン。

世田谷文学館では、2007年に「植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス」が開催されています。楽しい展覧会でした。第2回ともいっていい今回の展覧会は、世田谷文学館に寄贈された植草さんの草稿やスクラップ・ブックなどを中心としたものです。

会場の撮影は禁止されていましたが、一番最後の展示コーナー〈三歩屋〉だけは許可されていました。〈三歩屋〉は、植草さんが生前に構想していた古書店のイメージを展示室内に再現したものです。その一部はこんな感じ。

植草甚一展

ステレオは植草さんのものではなく、あくまで時代イメージの演出であるとのこと。ジャズ・ベーシストであるチャールズ・ミンガスの〈直立猿人(ピテカントロプス・エレクトス)〉が目立つように置かれていたのは想像の範囲内でしたが、驚いたのは、〈Blood, Sweat & Tears(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ)〉の同名アルバムがあったこと。「道化師」(チャールズ・ミンガス)ジャケットの左下です。

ここからはちょっと思い出話。高校まで暮らした気仙沼市魚町の実家には、妙に立派なモノラルのレコードプレーヤーはあったのですがステレオはありませんでした。それだけに、高校生のとき、南町の中華料理店〈新京〉のうしろにあった門馬亨君(3年11組)の家で聞かせてもらった〈バック・イン・ザ・U.S.S.R.〉の〈ステレオ感〉には本当に驚きました。「ザ・ビートルズ」(ホワイト・アルバム)の冒頭。このことは以前書きましたね。

その後、私は仙台で一浪生活。そして、3月の入試を終えたときに、仙台の名掛丁(なかけちょう)にあった小松電気2階で、〈オールトランジスタ〉のステレオアンプ組立キットを購入したのです。〈日本サウンド〉とかいうブランドで、たしか1万3千円。合格後、大学生の暮らしにはステレオ音響が欠かせないと思ったのでしょうか。しかし、結果は不合格で2浪生活へ。そこで勉学にいそしめばよいのですが、せっかく買ったことだしということでアンプを組み立て、〈CEC〉のプレーヤーと、安いヘッドフォンも手に入れます。そして、はじめて買ったLPレコードが〈Blood, Sweat & Tears〉でした。

ブラス・ロックの先駆けだったと思います。当時は〈シカゴ〉なども人気でしたが、私が選んだのは〈BST〉。2枚目として買ったのは、ビートルズの〈サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド〉です。

なんか話が長くなっていますが、ジャズなどでも〈前衛〉をこよなく愛した植草さんの展覧会で〈BST〉のアルバムを見るとは思わなかったということなのです。

あるいは、〈BST〉のアルバムジャケットを久しぶりに見て、私の19歳の頃の〈血と汗と涙〉に満ちた浪人生活を思い出しました、とか。これでなんとかつながったか。つながってないよねえ、たぶん(笑)。本日はこれにて。

2014年1月17日ブログ「明日は門馬亨君の命日」

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気仙沼高校同窓会

先日、気仙沼高校の関東同窓会の総会・懇親会の案内が届きました。少し先のことですが、紹介しておきましょう。

気高同窓会

気仙沼高校関東同窓会
総会・懇親会

◎日 時:2015年7月11日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12::10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:九段下・ホテルグランドパレス
◎会 費(懇親会費):
 〜平成15年卒業:9,000円(年会費込み)
 平成16年〜25年卒業:3,000円(年会費込み)
 平成26年〜27年卒業:無料(年会費込み)

詳細は次のサイトをご覧ください。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して行います。なお、気仙沼高校は、2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。両校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も同様です。

また、本日20日の三陸新報を見ておりましたら、気仙沼での気高同窓会総会の開催が紹介されていました。総会の後に懇親会が催されます。内容をネットで調べようと思ったのですが、ホームページが設けられておらず、詳細がわかりませんでした。概要のみ以下に。

◎日 時:2015年6月19日(金)18:00〜
◎場 所:サンマリン気仙沼ホテル観洋

話は変わるのですが、関東同窓会の案内に同封されていた同窓会報を見ると、本日紹介した東京(関東)と気仙沼のほかに、仙台同窓会の総会が9月に行われているのですね。仙台同窓会の副会長に気仙沼高校で同級生だった西村明男君の名がありました。明男君は(株)佐藤総合計画の常務執行役員/東北事務所長ですが、昨年度に気高1年生を対象とした社会人講話7名のひとりとして話をしたようです。ご苦労さまでした。

6月から各地で順次開催される気高同窓会。多くの方々の参加をお待ちしております。

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「アスリートの魂」

フェンシングの千田健太選手の後援会が設立されることを書いたきのう18日のブログで、ことし3月に放送されNHKテレビ「アスリートの魂」のことに触れましたが、その録画が残っていたので、画面イメージを紹介します。

準備

初稽古
いずれも2015年3月放送のNHKテレビ「アスリートの魂」より

上の画像は、気仙沼高校のフェンシング練習場で、父親健一さんの装具準備を手伝う健太選手。下は、その初稽古で剣を合わせる親子です。左が健太選手。きのうのブログでは、この練習が終わった後の健一さんの言葉を〈おまえ、強くなったな〉と紹介しましたが、見直したら〈強くなったな〉で、〈おまえ〉はなかった。お詫びして訂正します。

気仙沼の人には説明不要ですが、健太さんの父である千田健一さんは、35年前の1980年モスクワ五輪フェンシングの日本代表に選ばれました。しかし、日本の参加ボイコットによって試合出場はかなわなかったのです。

そんなことがあり、健一さんと健太さん親子を見ていると、どうしてもそこに〈夢をつなぐ父と子の物語〉を求めてしまいます。しかし、健太さんにとってそれは、なかなかにやっかいな物語だろうなと。あるいは既に乗り越えた過去の物語か。いずれにしても、このNHK「アスリートの魂」はいろいろなことを感じさせるドキュメンタリーでした。

ネットにこの番組映像があげられていましたので紹介しておきます。小画面ですが、ご参考まで。

アスリートの魂/フェンシング・千田健太(動画)

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千田選手の後援会

新しい一週間が始まりました。東京は少し雲がありますが今のところは晴天です。本日は、フェンシングの千田健太選手の後援会が設立されるとのニュースを紹介します。昨日17日の三陸新報の記事。

千田選手後援会
三陸新報5月17日記事の一部イメージ

記事を引用します。
「気仙沼出身のフェンシング選手・千田健太さん(阿部長マーメイド食品所属)の後援会が、市民有志によって設立されることになった。リオ五輪出場を目指す千田選手への支援やフェンシング競技の普及・振興などが狙いで、多くの市民の入会を歓迎している。
気仙沼高、中央大を卒業した千田選手は、ロンドン五輪で日本男子団体の銀メダル獲得に貢献したほか、全日本選手権2連覇を達成するなど、国内外で活躍。五輪での銀メダル獲得は、被災地の復興の大きな励みとなった。
後援会は、日本を代表する地元のアスリートを市民の力でサポートしていこうと、フェンシング協会や市内の関係者らで設立。激励会や報告会の開催、フェンシング教室の実施、海外遠征費や強化費の援助など、物心両面から選手活動を支えていく。
設立総会と発足祝賀会は、5月25日午後6時30分からサンマリン気仙沼ホテル観洋で開かれる。千田選手が駆け付け、近況や意気込みなどを語る。」引用は以上。

後援会の会費は個人が1口千円から、法人・団体などが1口1万円からとなっています。申込みは後援会事務局まで(電話 0226-226666)。

入会や25日の総会・祝賀会については、下記の後援会ホームページをご覧ください。

「千田健太」後援会オフィシャルサイト

このブログで紹介できませんでしたが、今年3月、NHKテレビ「アスリートの魂」でリオ五輪で個人メダルを目指す千田健太選手をとりあげていました。タイトルは〈剣士はあきらめない〉。外国人コーチのオレグさんの指導などを得て、後ろ足から踏み出す新しいステップにも取り組んでいました。厳しいトレーニングの日々の合間に訪れた気仙沼では、父親で元フェンシング日本代表でもあった千田健一さんとも剣を合わせます。その練習試合のあとに、お父さんが「おまえ、強くなったな」と息子に語りかけたのがとても印象的でした。

リオデジャネイロ五輪の開催は2016年8月。多くの気仙沼人が、千田健太選手の出場と活躍を応援していることでしょう。

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鹿折石橋風景写真

5月6日のブログで魚町と鹿折(ししおり)の境にある〈石橋の延命地蔵〉について書きました。その時に、たしか鹿折の石橋風景がうつる写真があったはずと。それがこの写真。

鹿折石橋
『目で見る気仙沼の歴史』より(クリックで拡大)

『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年/気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた写真です。説明文を引用します。

◎鹿折の石橋
「現鹿折郵便局前。左手の海のように見えるところは、明治42年廃止された塩田のあとで、湿地帯。安永9(1781)年の鹿折風土記には、御塩煮釜12区、塩田8町4反5畝11歩とある。」引用は以上。

残念ながら、上の写真の撮影時期についての記述はありません。ただ、周囲に掲載されているほかの写真は、明治末から大正時代にかけての撮影ですから、そのあたりとみてよいでしょう。写真の左下あたりが、現在の延命地蔵の場所だと思います。石橋は、橋というより堤防の道路という感じ。この時代には、ホテル望洋の下を通る道などはもちろんありません。

鹿折の塩田跡は、私が小学校にあがる前の頃は一面の田んぼだったように記憶しています。近所の人たちとイナゴをとりにいき、母がそれを佃煮にしてくれました。こわごわ食べましたが、こうばしい味だったような気がします。

震災の年の5月に気仙沼に帰ったときに鹿折にも行きました。鹿折郵便局付近にも大きな船が何隻も打ち上げられていました。昔の石橋の写真をながめていると、鳥のさえずりしか聞こえない、その不思議な風景を思い出します。

5月6日ブログ「石橋のお地蔵さん」

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かまぼこ校舎解体

きょうも東京は晴天。最高気温が30度を超えるとの予想です。

本日の三陸新報によれば、昨年3月に閉校した旧気仙沼女子高の校舎の解体が20日ごろから始まるそうです。昭和46年に建設された〈かまぼこ体育館〉もいよいよ姿を消すことになります。

KAMABOKO.jpg

三陸新報5月14日記事の一部イメージ

この校舎解体後の跡地利用についてですが、気仙沼市は、同校の敷地を含むこの入沢(いりさわ)地域に災害公営住宅を建設します。5階建てと4階建てが各1棟、2階建てが2棟の計4棟。61戸が整備されます。

三陸新報の記事には住宅の入居予定時期が書いてありません。いつなんだろう。ということで、気仙沼市のホームページを調べると、平成28年11月との記載がありました。あと一年半か。震災の時から数えれば、5年8カ月後のこととなります。下記のサイトに、4月末現在での災害公営住宅の入居予定年月などの進捗状況がまとめられています。ご覧ください。

気仙沼市HP/災害公営住宅整備進捗状況

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八十年前の八日町

本日早朝の地震には驚きました。東京でも、わずかな揺れながら長く続きちょっと気持ちが悪かった。テレビを見たら気仙沼でも震度5弱とのことでびっくり。特段の被害はなかったようでなによりでした。

本日は、〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダー5月6月の写真を紹介します。キャプションには〈商店が立ち並ぶ戦前の三日町八日町の大通り(昭和10年)〉とあります。1935年ですから、今から80年前の風景です。
浜らいんや5月

〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダーより(クリックで拡大)

たぶん八日町から三日町方面をながめていると思うのですが、建物の見当がつきません。右端の建物は、私の小さな頃にもあった〈麻屋〉さんの事務所かなと思ったのですが、〈星名刺〉という小さな看板がありますので印刷屋さんかなどと。

なにか資料がないかと思い、先日のブログでも紹介した〈千田満穂 五十年のあゆみ/不倒五十年〉にも紹介されている〈気仙沼町新市街図〉を調べてみました。これは昭和4年の商店名などが記された地図です。そしてわかりました。右端の事務所は〈麻屋印刷部〉でした。〈麻屋〉も〈印刷〉もあたっていた。しかしその左隣の店はわかりません。看板には〈洋菓子・砂糖・乾物〉の文字が見てとれます。上記の昭和4年の地図には〈片岡医院〉の名があるのですが。また、この写真にはうつっていませんが、麻屋印刷部の右隣は〈材木商 高橋◎次郎〉(◎は一字不明)そのまた右は〈町長 森田八郎宅〉となっています。

もし写真のお店などがわかるよという方は是非お教えください。私も調べてみようと思っています。宿題ということで(笑)。

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気仙沼の初がつお

きのう5月11日、気仙沼で今季初のカツオが水揚げされました。NHKテレビのローカルニュースでも紹介されました。

カツオ水揚げ
5月11日NHK配信ニュース(動画あり)のイメージ画像(クリックでジャンプ)(配信終了)

配信記事を引用します。
「日本一の生鮮カツオの水揚げ量を誇る気仙沼漁港で、去年よりも1か月ほど早くカツオの水揚げが始まりました。気仙沼漁港では、11日朝3時すぎに静岡県沼津市の巻き網漁船、「第16大師丸」が入港し、千葉県銚子沖でとれたおよそ70トンのカツオを水揚げしました。水揚げされたカツオは、網で船から港に水揚げされたあと次々とベルトコンベヤーに乗せられ、重さごとに分けられていきました。11日は、ことし初の水揚げを祝うセレモニーも開かれ、気仙沼市の菅原茂市長から漁船の船頭に記念品が贈呈されました。漁業関係者によりますと、ことしは海水温が高く、カツオが比較的早めに北上をしているということで、去年より1か月ほど早い初水揚げとなりました。気仙沼漁港は、震災の津波で大きな被害を受けましたが、18年連続で生鮮カツオの水揚げ日本一を誇っています。」

本日の三陸新報によれば、5月中旬のカツオ水揚げは、一本釣りや巻き網とも、データが残る昭和62年以降、一番早いとのことです。

田束山や徳仙丈ではツツジが咲き誇り、魚市場ではカツオの水揚げ。気仙沼では、コタツもやっと片付いて、新緑、青葉の季節を迎えているようです。

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田束山ツツジ満開

きのうの三陸新報が、気仙沼の田束山(たつがねさん)のツツジが満開と伝えています。三陸新報ホームページでも写真入りでニュースを配信していました。

つつじ満開

三陸新報5月10日配信画像(画像クリックでHPにジャンプ)

記事を引用します。
「気仙沼市と南三陸町にまたがる田束山で、ツツジが例年より早く見頃を迎えている。9日も多くの人が訪れ、深紅の花に囲まれての散策を楽しんでいた。
南三陸町観光協会によると、今年は暖かい日が続き、例年より10日ほど早く見頃になった。山頂付近には県内各地からの見物客が訪れ、咲き誇るツツジを見ながら登山道を歩いたり、家族で写真撮影したりする姿が見られた。
仙台市から訪れた夫婦は「地元の人に勧められて初めて来た。頂上の景色も良いし、一面が満開のツツジはとてもきれい」と顔をほころばせた。見頃は1週間ほど続くという。」

記事には、ツツジの開花が例年より10日ほど早いとありました。ちょっと気になったのは、同じく気仙沼地方のツツジの名所である徳仙丈山(とくせんじょうさん)のこと。5月30日に開催される〈さんま寄席〉でいろいろと企画されているミニツアーのひとつに、徳仙丈山のツリーハウス体験があるからです。遠くからいらっしゃる方に是非、徳仙丈の満開のツツジをご覧いただきたいと思っているのですが。

と、東京にいて心配している私は徳仙丈や田束山のツツジを見たことがないのです。その素晴らしさは新聞記事や週刊誌のグラビアなどを通じて知りました。一度でもその絶景をながめてみたいと思ってはいるのですが、なかなかかなえることができず残念です。


徳仙丈のツツジについては以前、その育成や保護に尽力なさった佐々木梅吉さんのことなどを含め、つぎのブログに書きました。おてすきのときにでもお読みいただければと。きょうの東京はからっと晴れてとても気持ちの良い天気です。新しい一週間が始まりました。

2013年6月5日ブログ「徳仙丈のツツジ」

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ミッフィー60周年

東京・松屋銀座で開催されている〈ミッフィー展〉。4月29日に、このミッフィー生誕60周年を記念しての催しに行ってきました。

会場では、〈かわいい!〉の声があちらこちらからあがっていました。その中でも〈気仙沼ニッティング〉の赤いカーディガンを着たミッフィーが〈一番人気〉。私のとなりで見ていた若い女性は、説明文を読んで〈きせんぬまニッティングだって〉と語っていました。〈き〉ではなく〈け〉ですと教えてあげようとも思いましたが、ぐっと我慢(笑)。

耳の部分も含めて180cmもあるミッフィーが、赤いカーディガンを着て会場にたたずんでいる姿は、なんていうのか〈じーんっ〉とくるものがありました。〈ミッフィー・アートパレード〉としてほかのアーチスト作品も展示されていましたが、この〈気仙沼ニッティング&ほぼ日刊イトイ新聞〉のミッフィーがまさに〈ダントツ〉。丁寧な仕事によって生み出された細やかなニュアンスと暖かい印象が見る人に伝わってきます。

この気仙沼ミッフィーの姿を写真でお伝えしたいところですが、撮影禁止でした。その代わりに、ショップで購入したポストカードをフレームに入れてご紹介。

ミッフィー

これはディック・ブルーナーが、1955年に初めて出版したミッフィーの絵本の一頁。この第一版のみ長方形の判型で、それ以降はみなさんご存じの正方形となりました。

私は、2004年に板橋区立美術館で開催された〈ディック・ブルーナー展〉にも行きました。ブルーナーが描いた111冊の絵本全冊と、2000冊におよぶペーパーバック装丁からの主要作品が展示されていました。今でも強い印象が残る展覧会。今回の〈ミッフィー展〉は、それに比較して少しものたりない印象がありましたが、気仙沼ニッティングのカーディガンをまとったミッフィーを直接見るだけで十分に満足しました。

松屋銀座での〈ミッフィー展〉は5月10日(日)まで。ぜひご覧いただければと。

◎誕生60周年記念「ミッフィー展」
◎松屋銀座8階(中央区銀座3-6-1)
◎2015年4月15日(水)〜5月10日(日)午前10時〜午後8時
(最終日10日は、午後5時閉場・入場は閉場の30分前まで)
◎入場料:一般1,000円、高大学生700円、中学生500円、小学生300円

赤いカーディガンを着たミッフィー像は下記のサイトにてご覧ください

ほぼ日「気仙沼で編んでもらったミッフィーちゃん」
4月21日ブログ「気仙沼ミッフィー」

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仮設住宅4年経過

ゴールデンウィークもおわり、今日から久しぶりに仕事という人も多いことでしょう。さて、きょうの三陸新報のトップ記事は、気仙沼市の仮設住宅入居から4年がたったことについて。

仮設住宅5月7日

三陸新報5月7日記事の一部イメージ

気仙沼市での応急仮設住宅は、一関市を含め93団地に3504戸が建設されました。4年前の平成23年5月2日、市民会館に近い気仙沼公園(106戸)で、入居が開始されたそうです。そして今年3月末現在、仮設住宅で暮らす人は90団地(92カ所)2559世帯/5922人です。そしてアパートなど「みなし仮設」で生活する人が2818人いますので、合計すると8740人が仮の住まいに。気仙沼市の人口は、約6万7千人ですから、約13%が仮設住宅やみなし仮設に住んでいるということになります。

今後、災害公営住宅や防集団地(防災集団移転促進事業による住宅団地)の完成が進むにつれて、仮設入居者の数は減っていくでしょう。しかし、その一方で、仮設住宅の集約化によって転居をせまられる方もいますし、住宅そのものの老朽化などの問題も指摘されています。

市など行政側もいろいろと努力しているとは思うのですが、2011年の震災直後に〈3〜4年も経てば〉と想像した復興後の姿と、大きく異なっていると思わずにはいられません。

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石橋のお地蔵さん

4月29日の三陸新報に、気仙沼市魚町のお地蔵様を囲う〈さや堂〉再建の話が紹介されていました。小さなころから知っているお地蔵さんの話だったので、この記事を大変うれしく読みました。

地蔵様
三陸新報4月29日記事の一部イメージ

記事を引用します。
「震災の津波で壊された気仙沼市魚町地区の「石橋延命地蔵菩薩」さや堂の再建工事が始まった。住民が地域繁栄への願いを込めて建設しているもので、完成後の6月に落慶法要を予定している。
約400年前にまつられ、地域の発展を見守ってきた地蔵菩薩は、津波でさや堂とともに流された。地蔵菩薩はがれきの中から見つかったが、地蔵菩薩を保護してきたさや堂は壊れたままだった。
市内魚町「すがとよ酒店」の菅原文子さんが、全国各宗派の僧侶で組織する「仏教クラブ」と、同クラブ会長の松浦俊海さん(壬生寺貫首)から計200万円の支援を受け、住民有志とともに建設準備を進めてきた。地元住民や菅原さんの知人などからも「お地蔵さんのために」と約60万円の善意が寄せられ、これまでに地蔵菩薩を載せるコンクリート製土台の設置が終わり、27日から木造のさや堂建設が始まった。5月末の完成予定で、その後、仏教クラブ会員や地域住民を招いて落慶法要を行う。」引用は以上。

この石橋のお地蔵さんの場所は、私の実家があった魚町の坂口をのぼり、ホテル望洋をすぎて下った鹿折地区との境にあたるところ。〈石橋〉の名は、付近の地域がまだ海だったころにあった橋の名に由来するものでしょう。夏には小さな祭があったようにも記憶しています。首から胸にかけて赤い布が飾られ、様々なお供えものなど、地域の人が大事にしてきたことがうかがわれる地蔵菩薩でした。

約400年前にまつられたものと初めて知りました。1615年とすると、大阪夏の陣で徳川家康の江戸幕府が豊臣家を滅ぼした年。ずいぶん古い時代のお地蔵さんだったのですね。

400年の間には大きな地震や津波が何度もあったことでしょう。そのたびに、地域の方をはじめ地蔵菩薩を大事に思う人たちが、今回と同じような努力をしてきたに違いありません。そのことを思うと、この石橋の〈延命地蔵〉がとてもありがたく感じられてくるのです。

〈仏教クラブ〉や地域の方々はじめ関係者の皆様に深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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真海さん無事出産

気仙沼出身のパラリンピアン佐藤真海さんが5月末に出産予定であるとのニュースをブログで紹介したのが1月20日のことでした。そして、4月27日に無事に男の子を出産したと自らのFacebookで翌日に伝えています。

真海さん出産
佐藤真海さんFacebook(画像クリックでジャンプ)

報告内容を引用します。
「ご報告です。
一昨日4/27、3076gの男の子を出産しました!
予定日より2週間早い出産となりましたが母子ともに健康です。
運動を妊娠中も継続できたことも幸いし、破水&陣痛開始から出産まで2時間半という安産で、赤ちゃんが勢いよく飛び出してきてくれました!
13年前に病気をして以来、自らの命を輝かせようと必死に頑張ってきました。
新たな命を授かったとわかった時、今度はこの大切な命を輝かせられるように、と思っていましたが、
無事に産まれてきた我が子の顔を見て、その思いを一層強くしました。
もう宝物です!愛しい!
夫婦で助け合い、この尊い命を大切に育んでいきたいと思います。  谷(佐藤)真海 」引用は以上。

そうか、結婚したので〈谷(佐藤)真海〉さんなんですね。

無事に健康な赤ちゃんが生まれて本当によかった。気仙沼でも、〈いがったごど〉という多くの喜びの声があがったことでしょう。真海さん、おめでとうございました。

1月20日ブログ「真海さんおめでた」

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「みどりの文化賞」

気仙沼の〈森は海の恋人〉の活動で知られる畠山重篤さんは、今年2月に「KYOTO地球環境の殿堂」入りしたばかりですが、また新たな受賞です。今回は、公益社団法人国土緑化推進機構の第25回「みどりの文化賞」です。4月20日に発表されました。

みどりの文化賞
公益社団法人国土緑化推進機構プレスリリースより

同機構は、全国植樹祭の実施や緑の羽根募金運動などを展開し、会長には衆議院議長が、最高顧問には参議院議長がそれぞれ就任しています。そして「みどりの文化賞」は、緑豊かな国土と新しい森林文化の創造に資する観点から平成2年に創設されたものです。同機構のプレスリリースから、受賞理由の一部を引用します。

「 畠山重篤氏は、家業の牡蠣養殖業に従事する中で、海の環境を守るには、その上流山間部の森を守ることが必要との考えから、平成元年に漁師仲間とともに「牡蠣の森を慕う会」を結成(平成21年に NPO法人「森は海の恋人」に改変)した。
気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山で、漁民による広葉樹の植林活動を開始し、これまで20年以上にわたってこの活動を継続している。その活動は歌人熊谷龍子の短歌の一節から「森は海の恋人」運動と名付けられ、小中高等学校の教科書にも取り上げられるなど全国に広がっている。
 植林と同じくらい大事にしているのが、「人々の心に木を植える」ための活動で、平成2年から人と自然のつながりを体験する環境教育を実践し、多くの子供たちに自然を感じ、自然を知る機会を提供している。これまでにこの体験学習に参加した子どもたちは1万人を超え、次代を担う世代に対する教育にも尽力している。」引用は以上。

この賞の第1回受賞者は〈緑化の父〉と称された徳川宗敬氏、第2回は法隆寺棟梁で、薬師寺金堂などの再建もてがけた〈最後の宮大工〉西岡常一(つねかず)氏。畠山重篤さんは、第24回受賞者として、これらの方々と名を連ねることとなったわけです。5月9日に〈みどりの感謝祭〉式典において名誉総裁である秋篠宮殿下から表彰状を授与される予定です。

畠山重篤さん、そして〈森は海の恋人〉はじめ各活動の関係者の皆様、「みどりの文化賞」の受賞、おめでとうございました。

2月9日ブログ「地球環境の殿堂へ」

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謙さんの王様と私

渡辺謙さんが主演するミュージカル「王様と私」が、米国の演劇界で最高の栄誉といわれる「トニー賞」9部門でノミネートされたと28日に報じられました。このニュースに、謙さんと「K-port」でご縁がある気仙沼では多くの人が喜んだことでしょう。

謙さん
シネマトゥデイ配信記事より(画像クリックでジャンプ)

小説「アンナとシャム王」を原作とした「王様と私」は、1951年に初演されたミュージカル。その後のミュージカル映画としても有名です。ウィキペディアやニュースの記事を総合すると、あらすじはこんな感じ。

19世紀のシャム(現在のタイ)の王様(国王ラーマ4世)が、子どもたちの教育係として英国人アンナを招きます。王様とアンナは、文化の違いに悩まされますが、しだいにひかれあうようになっていくのです。そして、シャムが文明国であることを示すためのパーティーの後、王様とアンナの話はシャムとイギリスの結婚についての考えの違いにおよびます。そして、アンナは初めて社交界にデビューしダンスに誘われたときのことを歌うのです。それが主題曲「Shall we dance ?」。

ミュージカル映画「王様と私」(1956年)の中の「Shall we dance ?」映像がYoutubeにありましたので紹介しておきます。



この映像でわかるとおり、ユル・ブリンナーが演ずる王様はスキンヘッド。今回の渡辺謙さんの頭もこれを踏まえているのでしょう。

トニー賞の発表・授賞式は6月7日とのこと。ノミネートだけでも快挙と思いますが、こうなったら是非とも主演男優賞を。そう願う気仙沼人は私だけではないでしょう。

2013年10月23日ブログ「謙さんカフェ完成」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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