佐藤幸則君が当選

4月26日は、統一地方選挙後半戦の投票日でした。私は区議会議員選挙と区長選挙の投票に行ってきました。そして千葉県市川市でも、市議会議員選挙の投票がありました。この市議選には気仙沼高校の同年生で〈けせもい会〉のメンバーである佐藤幸則(ゆきのり)君も立候補していたのです。そして、見事に2度目の当選を果たしました。画像は、市の選管が公開していた選挙公報。幸則君の〈7つの約束〉が掲げられています。

選挙公報
市川市選挙管理委員会/選挙公報より

幸則君は津谷中学の出身です。ことし1月31日に〈けせもい会〉の新年会で会ったときに、4月には選挙だと語っていました。このブログでの紹介をとも思ったですが、ネットを利用した応援の規則もよく知らないので躊躇(ちゅうちょ)し、力になることはできませんでした。幸則君、ごめんなさい。

市川市は、東京都江戸川区に隣接する東京のベッドタウンとしても発展してきました。人口は約47万人、議員定数は42。一方、気仙沼市は人口6万7千人、議員数は平成26年4月の選挙から定数削減をし、30人から24人になっています。

47万人が暮らす市川市の市議会議員として、佐藤幸則君が果たすべき責任は大変大きいと思いますが、しっかりと仕事をしてくれるでしょう。任期は4年です。

幸則君、当選おめでとうございました。
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五十年前の田中前

4月13日のブログで、〈昭和26年の四反田、田谷地区〉がうつる気仙沼小学校の花見遠足の写真を紹介しました。あの写真は、『目で見る気仙沼の歴史』に掲載されていたものですが、同書では、同じ田中前(たなかまえ)地区を撮ったつぎの写真も紹介しています。

昔の45号線
『目で見る気仙沼の歴史』掲載写真(クリックで拡大)

上の写真は〈昭和36年ころのゴボー土堤〉。つぎの説明があります。「左側で、エントツから煙を出しているのが、ゴミ焼却場。橋は気仙沼線の鉄橋。中央に昭和36年1月23日、“構内を汽車が走る”旧校舎から移転の鼎校。右手に不動の沢駅が写っている」。引用は以上

この写真の中央に太く白く見えるのが本町橋で、その先が4本に分岐しています。時計の11時方向が国道45号線。2時方向が気仙沼高校に向かう道で不動の沢駅がうつっています。ゴボー土堤(土手)というのは私もその名を聞いたことがあるものの、どこを指すのかよくわかりません。大川沿いの土手のことでしょうか(追記:45号線のことだそうです。別名ゴンボ土手)。いずれにしても、50年ほど前の田中前の風景はこんな感じ。なお、説明文中の〈構内を汽車が走る〉というのは、八日町に校舎があったとき、すぐ近くに国鉄大船渡線の線路があったことを指しているのでしょう。

下の写真は〈昭和41年6月の東浜街道〉。説明文を引用します。「右の丘の上(砥石鼻)に、総事業費3億3千万、県北最大の総合病院、公立気仙沼総合病院。左手に亀山と内の脇の工場地帯が写っているが、一面の田んぼで、国道45号線も舗装されていない。4〜5年後、ここに自動車工場、警察署、ボーリング場、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、統計事務所、アパートが密集するとは思わなかった。30年以降の魚市場前とならんで変化の激しいのはこの場所ではないだろうか。」引用は以上。

『目で見る気仙沼の歴史』は昭和47年に気仙沼ライオンズクラブが発行したもの。それからさらに43年が経過しました。あとは余計な説明など必要ないでしょう。この写真をながめていると、この一帯の変貌に、今さらながら驚くばかりです。

4月13日ブログ「64年前の花見遠足」

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大島中学校の校歌

気仙沼の地元紙『三陸新報』の連載企画に〈学校紹介〉があります。4月26日の29回目は大島中学校。そこにつぎの校歌が紹介されていました。

大島中学校歌
4月26日付け三陸新報より

作詞は大島出身の詩人・童話作家の水上不二(みずかみ ふじ)さん、作曲は芥川也寸志(やすし)さんです。芥川さんは著名な作曲家で、小説家芥川龍之介の三男です。

私の目を引いたのは、3番の2行目です。

〈電波は夢を織りなす〉

どんな〈電波〉なのだろう。すぐに思いつくのは〈漁業無線〉ですが。記事中の沿革を見ると、この校歌が制定されたのは、昭和32(1957)年。私が5歳ごろのことです。もしかすると、大島に漁業無線用のアンテナ塔が建てられて、それを誇らしくつづったのかもしれない。4行目の〈真珠の灯台〉みたいに。それとも、レーダーの画像か。未来的なイメージ。違うか。3行目の〈星へとぶ魚〉というのもなんか電波に関係しているようにも思えてきた。

校歌は〈未来ははてなし〉と結ばれているのですが、〈電波〉への疑問はてなしという感じです(笑)。

2014年12月3日ブログ「水上不二 記念詩集」

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千葉和夫君一周忌

きのう4月26日は、同級生 千葉和夫君(3年11組)の命日でした。前日の25日には、気仙沼から和夫君の兄夫婦も上京して、和夫君の一周忌と、和夫君より14年前に45歳で逝った奥さんを追善する法要を行いました。あらためて二人の戒名が並んで記された位牌をながめていると、生前に二人が入る墓苑を手当てした和夫君の気持ちはどんなだったろうかなどと、ちょっとしみじみしたものを感じました。

つぎの写真は、和夫君のブログに今も残る最後の写真「水路の春」。

水路の春
千葉和夫君のブログより(写真クリックでブログへ)

つぎの文が添えられています。
「今日は通院の日だったのでお茶ノ水の水路をチラリと眺めました。風は冷たくて春はもう少し先という天気でしたが、淡い色に染まった土手は何とも言えない風情が漂っていました」

通院していた病院はお茶の水の順天堂医院。この写真をとったのは3月7日ですが、その月末には中野富士見町にあるホスピス/緩和ケア病棟に入院しました。それから約1カ月。3月には、和夫君も〈余命〉ということを意識していたと思います。

昨年、東京の桜の季節は短かった。そんな中で私がみたのが、ホスピスの近くを流れる神田川の桜でした。病室の窓から見る桜の花は和夫君の脳裏にどのようにうつっただろうか。写真「水路の春」を見ていてそんなことを思っておりました。


和夫君のお兄さんと私は、妻同士が姉妹という関係です。そんなことでの皆様へのご報告とさせていただきます。いろいろとありがとうございました。

2014年4月30日ブログ「千葉和夫君の訃報」

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植木実君のあの日

三陸新報で3月11日から始まったシリーズ「3.11 あの日を語り継ぐ」。その第1回目の小山(斎藤)容子さん(3年5組)の話は以前このブログでも紹介しました。そして昨日4月23日の第4回目に、植木実君(3年9組)の話が紹介されていました。

植木実君
4月23日付け三陸新報記事の一部イメージ

記事を引用します。

「 三陸新報が発行した写真集「故郷永久」で、私が屋根に乗って流されている写真を見たとき、誰が撮ったのかなあと思いました。
 地震の時は川口町の、自宅兼工場でしたが、午前中で仕事は終わっていたので、家にいたのは私と母親だけ。揺れ始めてすぐ表に出たら、液状化で側溝と道路の間から、砂水がジワーッと噴き出してきました。あそこは埋め立て地ですからね。あれっと思っているうちに、たちまち長靴ギリギリまで水が上がってきたので、一段高くなっている工場の方へ上がりました。なんだ?と思っているうちにすーっと水が引いて、怖いなと思いました。その直後に池原自治会長さんに「避難しましょう」と声を掛けられ、母親をお願いしました。
 その後、軽トラを避難させようとしましたが、渋滞していたのであきらめて工場に戻りました。6メートルの津波と聞いても、せいぜい1メートルぐらいだろうと思って、機械は無理でも、濡らしちゃいけないものをテーブルに上げていたら、表の方からガラガラガッシャーンという、ものすごい音が聞こえました。何だろうと思って戸を開けた瞬間、黒い水がドーッと押し寄せ、国の合庁(合同庁舎)前に停めていた自社の軽トラが、目の前を流れていきました。その時は完全にパニックになっていましたね。
 家に入ってガラス戸を両手で押さえていましたが、すぐに黒い水が増してピシッ、ピシッという音で我に返り、慌てて階段を駆け上がったんですが、そのあとバリバリバリバリッと何軒もの家が壊れる、ものすごい音がしました。反射的に開いていた窓から、傾いた隣の家の屋根を足場にして、自宅の屋根に出たとしか思えませんが、その辺の記憶がほとんどありません。」(中略)


植木君はその後、タンクローリーの屋根に乗って流されていた木下さんという方と一緒に自宅の屋根に乗って、川口町から南郷まで流されました。そして、漂着した南郷地区の渋抜川公園近くの倉庫の2階で、ほかの家の屋根の下から出てきた村上さんご夫婦と4人で2泊3日を過ごすのです。水も食物も、もちろん暖をとることもできません。3日目の朝に4人は、神山川の土手を目指して歩き出します。途中で木下さんや村上さん夫婦と別れ、植木君は上田中へ。〈妹夫婦の家が見えたとたん、涙がこぼれて止まりませんでした〉。記事はつぎのように続きます。

「 直後は、やる気をすっかり失い、再建する意欲は湧かなかったですね。妹夫婦のところは電気屋だったので仕事を手伝いながら、これからどうしようかと考えていました。そのうちに水産業界の人たちが、組合を復活するために集まるようになり、息子も手伝ってくれるというのでやってみようかという気になりました。
 現在は、前浜の仮設の工場ですが、仮設は5年間なので、それ以上続けるとなれば、民有地なので地主さんと話し合いをしなければならないし、期間を過ぎてから出て行く場合は、さら地にして返さなければならない。それにも5〜600万はかかるわけですよ。流された土地は居住区だけでなく、全て買い取ってほしいですね。仕事をするのにお金が要ります。移転して工場を建てたくとも、身動きができません。市と話し合いを重ねながら、最善の道を探していきたいと思っています。
 それにしても、防潮堤より、幅広い逃げる道を造ってほしいですね。今はみんな、車で逃げるという人が多いから、そういう地域づくりをしてもらえればいいんですけどね。防潮堤を造ったって、またあんな大きな津波が来たら、役に立つかどうか安心できないし、景観も悪くなって、観光のまちでもなんでもなくなってしまいます。本当の意味での住民の意見を吸い上げて、将来のために住みいい町づくりをしてほしいですね。」引用は以上。

植木君が震災当時にこんな過酷な体験をしていたとは知りませんでした。一時はやる気を失ったものの、息子さんの手伝いを得て復活させたのが〈秋刀魚昆布巻〉だったのですね。

壊れずに植木君を乗せて流れ、その命を救った自宅の屋根。それは、震災の前年に亡くなったお父様が、亡くなる少し前に「屋根を直せ、屋根を直せ」というので鉄骨を使って直したものだそうです。それで植木君は〈おやじに救われたんだな〉と思ったとのこと。

父親に命を救われ、息子も仕事を手伝ってくれるという。植木君が生還したからこそ聞けた〈ちょっといい話〉だなと思いました。

1月8日ブログ「植木実君の昆布巻」
3月20日ブログ「あの日を語り継ぐ」(小山容子さん)

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加瀬さんの思い出

加瀬邦彦さんが4月21日に亡くなったというニュースには驚きました。74歳だったそうです。報道でその死因を知ったとき、なにかせつない気持ちになりました。

加瀬さんといえば、ザ・ワイルドワンズ。そのデビュー曲『思い出の渚』は、私たちにとっての代表的な〈懐メロ〉です。YouTubeにあがっていたテレビ録画を紹介します。1987年頃の映像ということです。



『思い出の渚』は1966年11月の発売とのこと。私たちは中学3年生。当時の日本経済は〈いざなぎ景気〉といわれていました。気仙沼も遠洋漁業が好調で好景気にわいていたと思います。気仙沼中学校のブラスバンドが、PTAなどの寄付によってあっという間に結成されたのもこの年のことです。

紹介した映像に登場するメンバーを紹介しておきましょう。順番を無視しても、名前をあげれば、皆すぐに思い出すことでしょう。

加瀬邦彦(ギター)、鳥塚繁樹(ギター)、島英二(ベース)、植田芳暁(ドラムス)、渡辺茂樹(キーボード)。久しぶりに名前を見るだけでなつかしい。キーボードの渡辺茂樹さんは結成から2年後、1968年からの参加です。当時16歳。

加瀬さんは高校から大学まで慶應でしたから、ワイルドワンズの前は加山雄三さんの〈ランチャーズ〉の一員だったと思っていたのですが、調べて見たら違っていました。ただ加山さんとのつきあいは深く、ワイルドワンズ(野生児)の命名も〈若大将〉によるものです。加瀬さんはいわば加山さんの〈弟分〉でした。

波に向かって叫んでみても
もう帰らないあの夏の日

ひさしぶりにこの歌詞をつぶやけば、気仙沼で過ごした中学や高校生時代を思い出します。私たちの世代にとって、まさに〈懐かしのメロディー〉です。

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美代子先生の訃報

4月19日付けの三陸新報、一面下のコラム〈万有流転〉に、ひとりの女性の訃報が記されていました。鼎が浦高校(現 気仙沼高校)の体育の先生だった佐藤美代子さんが4月16日(木)に亡くなったというのです。

万有流転
三陸新報「万有流転」の一部イメージ

先生は〈美代子ばっぱ〉という愛称で呼ばれていたと聞いたことがあります。記事にも書かれていますが、美代子先生が鼎が浦高校でフェンシング同好会を始めなければ、いまの気仙沼におけるフェンシングの隆盛はなかったはず。本吉町長もつとめた千葉卓朗さんをコーチに迎えたのも功績のひとつでしょう。

私は、千田健太選手、菅原智恵子選手がロンドンオリンピックに出場したとき、気仙沼のフェンシングの源流ともいうべき佐藤美代子さんと千葉卓朗さんの名を紹介するメディアが少ないなと感じました。気仙沼でなぜフェンシングが盛んなのかという疑問を持っている人も多いと思うのですが。

私なりに調べた内容はあらためて紹介することにして、本日は〈万有流転〉の記事を引用しておきます。

「旧鼎が浦高校で、昭和27年にフェンシング同好会を創設、28年に創部し、県高校総体を制覇、第1回インターハイで団体優勝に導いた。「鼎が浦高校にフェンシングあり」と全国に名を轟かせた立役者、佐藤美代子先生が16日、幽冥境(ゆうめいさかい)を異(こと)にした◎ 美代子先生は現役時代、体育の教諭として鼎生を指導。先生の授業で、どうしても通らなければならない道があった。「創作ダンス」である。曲に合わせながら、自分のイメージでダンスを創作、発表するというものだった◎ 先生の教えが加わって創作すると、かなり激しくインパクトの強い踊りに出来上がった。友人、知人の中にはその授業が苦痛で、最終授業後に体操着を脱ぎ捨てたという人もいる。生徒指導も厳しく、抜き打ち検査にはいつもドキドキさせられた◎ しかし、そういうことがあったお陰で高校を離れても、誰にとっても忘れられない先生の一人となった。同級生が集まり高校時代の話になると、真っ先に美代子先生の思い出話に花が咲いたものだ◎ 大人になり結婚して子供を持って初めて、厳しい先生の指導がいかに大切だったかを噛みしめる。多くのご指導に感謝しご冥福を祈りたい。あす20日、葬儀が営まれる。」引用は以上

私はお会いしたことはないのですが、気仙沼におけるフェンシングの歴史において、忘れてはならない方でしょう。そう思い、あえて全文を引用させていただきました。佐藤美代子先生のご冥福を祈ります。

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気仙沼ミッフィー

先週は、気仙沼でのイベント紹介が続きましたが、本日は東京での催しを。

4月15日から東京・銀座の百貨店「松屋」で〈ミッフィー展〉が開催されています。オランダの絵本作家ディック・ブルーナさんの手によって生まれたミッフィー(うさこちゃん)の生誕60周年を記念しての催しです。

この展覧会では〈ミッフィー・アートパレード〉という企画で、日本のクリエータ15組が制作した特別なミッフィー像が展示されています。そしてそこに、なんと〈気仙沼ニッティング&ほぼ日刊イトイ新聞〉も参加しているのです。その展示にいたる経緯について、〈ほぼ日〉サイトでの全3回のレポート〈気仙沼で編んでもらったミッフィーちゃん〉も4月15日から開始されました。

ミッフィーちゃん

ほぼ日「気仙沼で編んでもらったミッフィーちゃん」より(クリックでページにジャンプ)

ネット情報を見ると、この〈気仙沼ミッフィー〉は大人気のようです。レポートを読むと、この手編みカーディガンを担当したのは、田村純子さん。自宅である仮設住宅で長い時間をかけて編みました。180cmもある大きなミッフィーに着せるためのカーディガンを編むのは本当に大変なのですね。また、東京から気仙沼に運ぶのも一苦労。詳しくはレポートをお読みください。全3回のうち今は2回まで掲載されています。

ブルーナーは私も大好きなアーチストです。この展覧会にはかならず行きます。〈気仙沼ミッフィー〉に会ってきます。


◎誕生60周年記念「ミッフィー展」
◎松屋銀座8階(中央区銀座3-6-1)
◎2015年4月15日(水)〜5月10日(日)午前10時〜午後8時
◎入場料:一般1,000円、高大学生700円、中学生500円、小学生300円

ミッフィー展公式ホームページ
ミッフィー展公式Facebookページ

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ふたつの御礼広告

ちょっと前の話になりますが、4月8日の三陸新報に、4月5日の熊谷育美コンサートが無事終了したことの御礼広告が掲載されていました。

4月8日育美御礼
4月8日付三陸新報掲載広告(クリックで拡大)

実行委員会の名で〈感動のうちにステージを終了できました〉とありました。そして育美さんも〈今までにない楽しい時間を過ごすことができました〉と。

そして4月11日には、〈3月11日からのヒカリ〉の御礼広告も。そこに示された協賛団体には、私たち〈気中20回生支援会〉や仙台近辺の同年会〈KSS42/昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会〉の名もありました。

4月11日光の支援者
4月11日付三陸新報掲載広告(クリックで拡大)

私がちょっと驚いたのは、その最後にあった協賛者名です。〈新宿ゴールデン街 気仙坂のお客様一同〉。〈気仙坂〉は私たちの一学年上の梶原悦子さんのお店。裕美君はじめ同級生にも多くの常連さんがいます。そのお店に来る方々が協力してくれたことを知って、うれしくなりました。その気持ちが本当にありがたい。

よく目にすることのあるイベントの御礼広告。あまり気にとめることがないのですが、少しでも関わりがあると、関係者の方々の〈おかげさまで〉とか〈ありがとう〉という気持ちがすなおに伝わってくるような気がします。

そして、このふたつの御礼広告を見て、むしろ私のほうが関係者の方々に〈ありがとう〉という気持ちを伝えたいと思ったのです。本当にご苦労さまでした。



なお、〈気仙坂〉については、〈リアス気仙沼〉サイトのシリーズ記事〈気仙沼勝手に応援団 〉に紹介があります。こちらもご覧ください。
気仙沼勝手に応援団 vol.11〜気仙坂

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気仙沼アーカイブ

4月1日から気仙沼市公式ホームページの〈震災復興〉サイトで、震災記録資料集/写真で見る震災「けせんぬまアーカイブ」が公開されています。震災の記憶、経験、教訓を風化させず後世に伝承するためのもので、市やボランティアの方々により撮影・収集された震災以前の街並みや、震災後の被災・復旧状況に関する写真資料1万500点が収録されています。

気仙沼アーカイブ
写真で見る震災「けせんぬまアーカイブ」(画像クリックでジャンプ)

このアーカイブは、単なる写真集ではなく、検索機能を充実させることで、様々な活用ができるように工夫されています。キーワード検索、地図検索のほか、キーワード+地図検索も可能です。

使い方に慣れるまではちょっととまどうかもしれませんが、まずはよく知る地元の地区名などで検索してみるのがよいでしょう。

気仙沼市の公式ホームページでは、「震災復興」のなかの「震災伝承・遺構」ジャンルの中からアクセスします。ちょっと階層が深くてわかりにくい印象がありました。みなさまは、下の赤字をクリックしてご利用ください。

写真で見る震災「けせんぬまアーカイブ」

震災の記録写真を保存し、後生に伝承していくことはとても大事なことです。それだけに、この「けせんぬまアーカイブ」を今後さらに改良し、写真資料のさらなる収集など、みんなで育てていくことが大切だろうと感じました。

なお、このサイトには〈マイアルバム〉という機能があり、選択した写真を自分用に保存することができます。あくまで〈観光記念写真〉ではなく、〈震災記録写真〉のアルバムなのですが。私はこの週末、魚町や南町周辺の写真を検索してみようと思っております。今週はこれにて。

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気仙沼と柏崎の縁

私は本日、新潟県柏崎(かしわざき)へ1泊2日の旅行です。柏崎は母が生まれ育ったところで、今も母の弟と妹が住んでいます。久しぶりに母と兄と私3人で訪れ、ゆっくりしようという趣向。そんなことで、今日と明日のブログは予約投稿です。

皆さんは、気仙沼と柏崎に江戸時代にさかのぼるちょっとした縁があるのをご存じでしょうか。それは〈柏崎〉の名。気仙沼プラザホテルなどが建つ〈柏崎(かしざき)〉は、新潟の柏崎に由来しているのです。

柏崎
昭和40年代はじめ頃の気仙沼/柏崎付近。〈浜らいん〉カレンダーより

宮城県神社庁のサイト〈紫神社〉由緒にはつぎように記されています。

「当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う」

慶長10年は西暦1605年、徳川秀忠が江戸幕府2代将軍に就任した年。柏崎の斎藤氏が気仙沼の笹が陣(気仙沼小学校や市民会館がある高台の一帯)に移住してきました。そのときにまつった紫明神と観音様の御堂はその後焼失します。しかし、気仙沼への移住から約40年後となる正保(しょうほう)(1645〜1648)年代に気仙沼湾の海辺高台に屋敷を移すとともに観音をまつり、その名を一族の出身地である柏崎にちなみ「柏崎観音」としました。というようなことです。

そして観音とともに勧請(かんじょう)した紫明神のほうは、同由緒によれば〈地続きの西風釜(ならいがま)鐙坂(あぶみざか)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う〉とのこと。これが今の〈紫神社〉。〈西風釜〉は南町の旧名です。

気仙沼の柏崎の名が、新潟の柏崎に由来することは知っていたのですが、今回くわしく調べてみて、紫神社との関係がよくわかりました。しかし、〈紫〉が柏崎から気仙沼に移り住んだ斎藤家の家紋である〈藤〉の花の色からきていたとは。知りませんでした。

今日と明日、母と兄と一緒にひさしぶりの越後柏崎を、叔父らと共に楽しもうと思っています。

2014年3月4日ブログ「昭和の気仙沼柏崎」

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「つばきマラソン」

きょうの東京は久々の晴天で気持ちいい。と思っていたら、昼からは雨など荒れ模様になるとの予想でがっかり。いやな雨の日が続きます。

さて本日もイベントの紹介。4月18日(土)「気仙沼バル」の翌日4月19日(日)には、河北新報主催の第32回「気仙沼つばきマラソン」が開催されます。大島でのマラソン大会です。

つばきマラソン
画像クリックで大会ホームページにジャンプ

この大会は東日本大震災で中断しましたが、一昨年2013年に、3年ぶりに復活しました。コースは昨年と同様で、大島小・中学校前を発着点として、ハーフマラソン、10km、5km、3kmなど様々な条件で19種目が設定されています。一部には海岸に沿って走る区間もあります。簡単にコースを紹介しましょう。

コース図
大会パンフレット掲載のコース図

ハーフマラソンでは、大島小・中学校前からスタートし、南に向かいます。そして折り返し、要害など西側を北上、浦の浜の東側あたりで今度は南下します。田中浜、小田の浜を左に見ながら。そしてふたたび南方を回って大島小・中学校前にフィニッシュです。

気仙沼の桜は今週の土曜日曜が満開との予想情報がありました。天候に恵まれて、多くの参加者そして応援の方々が気仙沼大島でのマラソンを楽しんでくれることを願っております。

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土曜は気仙沼バル

2013年4月20日にはじめて開催された「気仙沼バル」ですが、今度の土曜日4月18日に第4回目が開催されます。気仙沼市内の方はよくご存じですが、この催しは南町紫市場をはじめ、4つの商店街などが連携し、1チケットで〈楽しく食べ飲み歩いて参加店舗を「はしご」するグルメイベント〉です。

気仙沼バル
「気仙沼バル」ポスター(クリックで拡大)

◎気仙沼バル2015春
◎開催日時:4月18日(土)
◎開催場所
気仙沼復興商店街 南町紫市場
復興屋台村 気仙沼横丁
気仙沼鹿折復幸マート
福幸小町 田谷通り
その他周辺の飲食店
◎チケット
当日2500円(前売り2300円)
お好きな3店で特別メニューを(1フード、1ドリンク)

気仙沼バル公式ホームページ
公式Facebook

詳しくはホームページなどをご覧いただきますが、同級生が関係するお店も参加していますので紹介しておきましょう。まず南町紫市場では佐々木徹君(3年1組)が役員をつとめる〈あさひ鮨〉、そして復興屋台村気仙沼横丁では大友つき子(9組)さんの〈あたみ屋〉です。

ちょうど昨日の夕方、徹君が電話をくれました。〈オダ君と話したいから電話をしろとうるさいもんで〉と言う徹君に代わって、〈誰だがわがる?〉と登場したのが〈あたみ屋〉のつきちゃんでした。気仙沼小学校1年8組の同級生。〈わがったよ〉と私(笑)。

この2店のほか、復幸小町田谷通りでは斎藤(広沢)高史君(8組)の奥様みき子さんの店〈エスポアール〉も参加しています。気仙沼バルのFacebookには、気仙沼産いちごと自家製ジャムで作ったいちごパフェがフードメニューとして紹介されていました。なお、高史君が気仙沼で経営していたジムは震災後に利府町に場所を移して復活、元気にやっています。

そんなこんな、気中20回同級生らも参加しての〈気仙沼バル〉をぜひ多くの方に楽しんでいただければ幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

〈エスポアール〉については、以前のブログでも書きました。こちらもぜひ。
2011年10月3日ブログ「愛の復興大作戦」

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64年前の花見遠足

先週の後半から、気仙沼でも桜の開花が始まったようです。市立病院の桜がいつも早いらしく、8日には開花したとか。

皆さんは小学生のときの花見をかねた遠足を覚えているでしょうか。ちょっとあいまいなのですが、気仙沼小学校の1年か2年生のとき、九条にある気仙沼高校付近の桜並木の花をながめに行った記憶があります。こんな感じ。

花見遠足
『目で見る気仙沼の歴史』掲載写真(クリックで拡大)

これは、『目で見る気仙沼の歴史』(昭和47年 気仙沼ライオンズクラブ発行)に掲載されていた写真です。〈昭和26年の四反田、田谷地区。今は、道路が舗装され、不動の沢駅と、工場、商店、住宅が並んでいる。気小児童が九条に遠足〉との説明があります。

気仙沼高校の卒業生はわかると思いますが、奥に続く道を行くと、通称〈追い越し坂〉などを経て気高に至ります。手前左右方向の道路は国道45号線で、右方向には本町橋(今はかけ直しされて位置が違いますが)があります。

それにしても児童数が多い。奥の方まで連なっています。この写真が撮影された昭和26年当時の児童数がわかりませんが、手元の『三十年のあゆみ』(昭和53年 気仙沼小学校PTA発行)には、昭和23年度の一年生が508名、昭和24年度の全校児童数が2715名との記述があります。私の記憶では〈気仙沼小学校は児童数3000名で日本有数のマンモス校〉でした。

昭和26(1951)年といえば、私たち気中20回生が生まれはじめた年で64年前のこと。田んぼしかなかったこの地区は、その後に新しい商業地域へと変貌し、震災後はさらに大川の流れをのぼるように開発が進んでいます。津波による沿岸地区の被災がこの地区の開発スピードを加速させたのです。

話を戻しますが、私の記憶にもあるこの九条地区への恒例の遠足が花見の季節だったのかどうか。まあ、そういうことにしておきましょうか。小さな子供にとってはちょっと遠くまでの長い道。その先には満開の桜の花があったと思いたい(笑)。

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仙台からの応援団

4月5日に気仙沼で開催された熊谷育美さんのコンサートに仙台からかけつけた6名の応援団。その団長ともいうべき小山達朗君(3年9組)が当日の様子をメールで教えてくれました。達朗君は、仙台周辺地域の同年会「昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会」(KSS42)の代表でもあります。

「4月5日、雨の降る日でしたが仙台から同級生6名で気仙沼に向かいました。

満員の市民会館で、一流ミュージシャンの演奏をバックにした育美さんの歌は魅力にあふれ、カッコイイとしか言えません。本当に最高のライブを楽しむことができました。

会場には気仙沼の同級生の吉田恵子さん(3年8組)、林小春さん(2組)、昆野牧恵さん(11組)、高田登喜子さん(5組)、高橋二三さん(3組)、植木実君(9組)、武山美加さん(9組)、小野寺英子さん(3組)、千葉恵子さん(2組)、斉藤みゆきさん(6組)、小山澄子(7組)さんなど沢山の同級生が来ていました。

なかでも吉田恵子さんは今回のライブの実行委員長としてサポート活動をしており、チケットが完売にいたるまで、どれだけの努力をしたのかと頭が下がります。恵子さん本当にお疲れ様でした。

ライブが終了し、俳優の渡辺謙さんがつくったカフエ「K-port」に移動し、総勢14名(仙台から6人、気仙沼から8人)でピザとパンケーキでお茶こ飲み(お茶会)をしました。あまりの盛り上がりに他のお客さんにご迷惑をおかけしたのではと、後から心配になりました。

天気の悪い一日でしたが、楽しい同級会と素敵なライブ演奏を楽しむことができました。本当に良い一日を過ごせた気がしています。ヤッパリ、故郷気仙沼は明るく元気な同級生が暖かく迎えてくれる場所です。同級生の皆さんありがとう。楽しかった!!」

そしてメールには、コンサート後にK-port(ケイポート)に集まった同級生たちの写真が添付されていました。

K-PORT茶会
左端が小山達朗君、正面左の男性が千葉正俊君(クリックで拡大)

達朗君のメールには〈あまりの盛り上がりに他のお客さまにご迷惑をおかけしたのでは〉と疑問形で記してありましたが、この顔ぶれを見ると、かなりうるさかったのは間違いないでしょう(笑)。

ということで、仙台からの6名にとって、4月5日はとても楽しい一日になったようです。そして気仙沼に住む同級生はもちろんのこと、コンサートに仙台からも応援団がかけつけてくれたことに、昨年3月4日に亡くなった育美さんのお父さん熊谷孝良君(3年3組)もきっと喜んでくれたと思います。

熊谷育美コンサート、そしてK-portの〈お茶こ飲み〉にご参集いただいた同級生の皆さん、ありがとうございました。またみんなで集まりたいですね。

K-portホームページ

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 熊谷育美 KSS42

4/12日は柏市で

4月5日の気仙沼でのコンサートを無事おえた熊谷育美さんですが、今度の日曜日4月12日には千葉県柏市でも歌います。

柏イベント
(画像クリックでイベントHPにジャンプ)

◎第4回チャリティミュージックフェス〜絆 2015
◎期日:4月12日(日)10:00~17:00
◎会場:千葉県立柏の葉公園(千葉県柏市柏の葉4-1)
◎出演:キング・クリームソーダ(ゲラゲラポーのうた)・中西圭三・ 神田聖子(ものまね)・ 熊谷育美(気仙沼アーティスト)・市立柏高校吹奏楽部、その他
◎ライブ料金:無料
気仙沼復興支援ブース
ふかひれスープ・気仙沼ホルモン・焼きさんま・サメの解体ショー・パネル展示ほか
◎ステージ予定の一部
15:10〜15:40 中西圭三
15:50〜16:20 熊谷育美
16:30〜17:00 キングクリームソーダ

育美さんについてはすでに皆さんご存じと思いますので、中西圭三さんについてちょっとだけ説明を。中西さんは、「Choo Choo TRAIN」や「Woman」で知られるシンガーですが、震災後は気仙沼とのご縁もあるのです。2011年8月12日には、気仙沼小学校の復興祈念広場でチャリティライブを行いました。そして昨年3月には気仙沼女子高の卒業式・閉校式でもミニライブを、気仙沼クリスマスイルミネーションプロジェクト/ONE-LINE実行委員会からのプレゼント企画として行っています。

このイベントで集まった義援金は、気仙沼の復興支援にもあてられるとのことです。気仙沼を選んだ理由は、このイベントの主催団体である柏創生ライオンズクラブが「柏市民の会」のメンバーで、2011年7月・8月にボランティアスタッフとして気仙沼を訪れていることがきっかけとなっているそうです。そうした活動のなかで知ったのが「気仙沼ふかひれブランドを守る会」。昨年も本年も、同会と協力してふかひれスープの販売などを行います。

この「気仙沼ふかひれブランドを守る会」のメンバー6社には、福寿水産とカネヒデ吉田商店も含まれています。それぞれ、気中の同級生である臼井弘君(3年4組)、吉田久雄君(6組)が経営する会社。守る会の活動では、両者とも息子さんが頑張っているようです。

熊谷育美さんが歌うだけでなく、いろんな気仙沼との縁があるこのイベント。柏近辺の方をはじめ、ご都合の許す方はぜひおでかけください。また、末尾になりましたが、柏市の関係者の皆様にお礼を申し上げます。毎年、本当にありがとうございます。

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入学と卒業の風景

きょうの東京はかなり寒い。冷たい雨です。きのう4月7日の朝も結構寒かったのですが、駅の近くで、中学校の入学式に向かう母子2組を見かけました。どちらの男の子もちょっと大きめの学生服を着せられていました。なんか懐かしいというかほほえましい風景。

一昔前の気仙沼であれば、〈母ちゃん、こいづはなんぼなんでも大ぎすぎんでないべが〉という息子に、〈なにかだってんの。すぐおがっから、いいんだでば。はやぐ、いぐべし〉(なに言ってるの。すぐ育つから、それでいいのよ。早く行きましょう)とだまし&せかす母親という感じでしょうか。

ここからは〈卒業〉の話題。〈ちばき屋〉千葉憲二君(3年4組)が新横浜ラーメン博物館に出店していた「気仙沼かもめ食堂」についてです。2012年2月2日にスタートしたこの店が4月5日(日)で卒業(退店)しました。同時に、3月6日からラー博で行われていた気仙沼酒場の出店をはじめとする〈気仙沼の笑顔ウィーク〉も大勢のお客様をお迎えして無事終了しました。

この最終日の様子を、情報サイト「All About」で横浜の観光・旅行情報をガイドしている田辺紫(たなべゆかり)さんが、ご自身のブログ〈横浜ウォッチャー〉でレポートしてくれました。

オールアバウト
ブログ「横浜ウォッチャー」のイメージ(画像クリックでブログにジャンプ)

憲二君がかもめ食堂の厨房に入ったり、料理を運んだりしている様子がうつっていてとてもいい。田辺さんはこれまでも、3月8日の気仙沼関連イベント記者発表会の様子や気仙沼酒場のメニューなどについて、2回にわたって詳しく紹介してくれています。

◎ラー博・かもめ食堂が卒業前に「気仙沼」をPR
◎ラー博・気仙沼「かもめ食堂」の帰郷メニューってどんな味?

3月の記者発表会でラー博の岩岡洋志館長は、本年2月までの3年間でかもめ食堂は37万3146杯のラーメンを販売し、卒業までに38万杯に到達するでしょうと語っていました。気仙沼の名を冠する人気店だったのです。

この3年以上にわたる岩岡館長をはじめとするラーメン博物館関係者の皆様のご厚意とご支援に深く感謝いたします。そして、かもめ食堂を訪れてくれた沢山のお客様、また田辺さんはじめ様々な形で応援してくださった多くの方々に、気仙沼出身者のひとりとして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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奇跡のような「会」

第3回気仙沼さんま寄席の日程が、先週発表となりました。5月30日(土)です。

さんま寄席タイトル

「気仙沼さんま寄席」公式サイト(ほぼ日)イメージ

このさんま寄席は、その利益を〈目黒のさんま祭〉のサンマ代にあてようとのことで2012年に始まりました。過去2回のサンマ代はこのブログでも紹介しました。第1回が348万9597円、第2回が465万1068円です。昨年は会場の市民会館が改修工事中でお休みとなりましたが、第3回目がいよいよ来月に開催の運びとなりました。

◎第3回気仙沼さんま寄席
◎出 演:立川志の輔、サンドウィッチマン、糸井重里 他
◎公演日:2015年5月30日(土)
     開場14:30 開演15:30
◎会 場:気仙沼市民会館 大ホール
     宮城県気仙沼市笹ヶ陣4-2
◎料 金:全席指定 6,500円(税込)
     気仙沼チケット 3,500円(税込)

ネットでのチケット発売は、4月8日(水)午前11時。なお、地元の方にご覧いただくために用意された3500円の〈気仙沼チケット〉はネットではなく、つぎの各所にての販売となります。斉吉商店、アンカーコーヒー、御誂京染たかはし、ラ・ペ・マツイ、畠良薬局、武山米店、気仙沼市民会館、横田屋本店、観光コンベンション協会、気仙沼のほぼ日

さんま寄席の詳しい内容については〈ほぼ日〉さんの公式サイトをご覧いただきますが、同サイトに昨日から生島淳さんの想いをつづった文章が掲載されています。タイトルは〈ひょっとしたら、そこに奇跡があるかもしれません。〉

「志の輔らくご」のすごさ。生島淳さんの想い。(ほぼ日)

この文章によれば、淳さんは、第1回目のさんま寄席に行こうとチケットも入手済みだったのですが、当日ほかの用事がはいって行けませんでした。そして翌日、志の輔師匠の『中村仲蔵』がとにかく素晴らしく〈とんでもないことになってました〉と聞き、〈市民会館で師匠の噺を聴いた人たちに嫉妬した〉というのです。

生島淳さんはスポーツだけでなく、歌舞伎や落語にも造詣の深いジャーナリスト。気仙沼出身で、生島ヒロシさんの弟という説明はもう不要でしょう。気中36回生です。その淳さんは、お姉さんのことにも触れてつぎのように書いています。

〈 そして私は、津波で流された姉が、志の輔師匠を聴けなかったことが、悔しいのである。近くの公民館まで数百メートル逃げていれば、奇跡を体験できたのに。やっぱり、生きて、たくさんの「いいもの」に触れないと、せっかく生まれてきたのにもったいないじゃないか、と私は姉に言いたい。 〉

ぜひ、全文をお読みいただければと。志の輔師匠の噺のすごさと、その落語会が気仙沼で連続して開催されることの有り難さについて書かれたすばらしい文章です。生島さんは文章をつぎのように結んでいます。

〈 気仙沼さんま寄席。気仙沼生まれの私にとっては、震災が縁を取り持った奇跡のような「会」に思える。特別な一日を求めて、さあ、北へ行こう。〉


淳さんのお姉様については、以前つぎのブログに書きました。私たちの2学年下、気中22回生です。
2011年7月13日ブログ「ベルマークの時代」

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ご苦労さまでした

4日土曜日、目黒のさくら祭に行ってきました。菊田裕美君、熊谷薫君らと昼過ぎに会場へ。気仙沼からマイクロバスで上京した物販チームのひとり佐々木徹君(3年1組)と会いました。徹君を囲んで、あさひ鮨〈さんま姿寿し〉をつまみながらビール。なんやかんや1時間近くゆっくりと話すことができたのはなによりでした。が、ほろ酔い気分のまま写真を撮るのを忘れてしまいました。そんなことで、会場に向かう途中で撮った目黒川沿いの風景を一枚。ちょっと葉桜気味です。

目黒川

会場には大きな気仙沼物産テントが設営されていました。その手伝いの多くの人が目黒のさんま祭で支援してくれている方々だとのこと。あらためて、さんま祭で培った目黒と気仙沼の結びつきの強さを感じました。それも一朝一夕にできあがったものではなく、双方の関係者の方々の努力によるものでしょう。関係者の皆様、いつもありがとうございます。

そしてきのう、気仙沼では〈熊谷育美コンサート〉が開催されました。ネット情報ではチケットも完売で、とてもよいコンサートだったようです。実行委員長の同級生吉田恵子さん(3年8組)もホッとしていることでしょう。ご苦労さまでした。

4日には、仙台のKSS42(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)代表でもある小山達朗君から、このブログへのコメントが入っていました。

〈 KSSでは仙台の同年生約50名に「熊谷育美ちゃんのライブとお茶のみ会」のご案内をハガキで出しました。女性4名男性2名の計6名の参加となりますが、明日乗用車2台で気仙沼に行ってきます。ライブ終演後に渡辺謙さんのKポートでおこなう地元同年生と一緒のお茶のみ会も楽しみです。桜の季節は最高です。行ってきます 〉

〈たっちゃん〉達朗君は、先月30日に上京し、新横浜ラーメン博物館へ。裕美君、恒四郎君が同行してくれました。ラー博〈気仙沼酒場〉で供された〈さんま昆布巻き〉は達朗君と同じ3年9組、植木実君の会社の製品。メニューへの採用は、千葉憲二君の店で開かれた〈けせもい会〉の新年会に、達朗君が〈みんなで味見してください〉と送ってくれたことがきっかけとなっています。そんなこともあっての〈表敬訪問〉だったのではないかと推測しています。

達朗君
気仙沼酒場にて。右端が達朗君。女性は祖母さんが大船渡出身のあまちゃん〈あゆゆ〉さん。

千葉憲二君の〈気仙沼かもめ食堂〉も昨日でラー博を〈卒業〉しましたね。桜の季節はいろんな別れがある一方で、新しい出会いも。東京の桜は散り始めましたが、これからは気仙沼の開花のたよりを楽しみにすることにします。みなさん、この土日、ご苦労さまでした。お疲れさまでした。いろいろとありがとう。

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60年前の出船送り

きのうのブログで、4日放送のNHK「目撃!日本列島/かあちゃん笑って!笑って!~島に笑顔がもどる日まで」を紹介しましたが、本日も気仙沼大島の話です。

下の画像は、〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダー3月4月の写真。

浦の浜出船

〈浜らいん/昭和の気仙沼風情〉カレンダーより

キャプションは〈大島浦の浜から出漁するマグロ船と見送る家族たち〉(昭和30年頃)と記しています。私たちが3歳か4歳ごろという計算になります。もうちょっと後のような感じもするのですが。漁船名は〈健勝丸〉。

大きく手を振る船上の男たちに、手を振り返すご婦人たち、奥さんやお母さんがたでしょうが、その服装に時代がみてとれます。もんぺに割烹着、背中には赤ん坊。地面に束ねられた枝木の上には風呂敷包みが置かれています。

左側には男の子がふたり。乗組員の息子さんか、それとも近所の子どもたちでしょうか。勝手な想像ですが、手を振っていないことが、かえって別れのせつなさを感じさせます。〈父ちゃん、早く帰ってこねがなあ〉

この写真を見ていて、29年前1986年に放送されたNHKテレビ「ぐるっと海道3万キロ」シリーズ「父さんがケセン語」の1シーンを思い出しました。魚町の一学年先輩〈ヤマジュウイチ〉佐藤秀一さんが遠洋の漁船に送り届けるビデオレターを撮影します。その中でひとりの老母が、息子の名を呼んだあと、カメラにこう語りかけます。〈元気にやってだすか〜。こっちはみんな元気でやってっからね〜。大漁(だいりょう)してだいよ〜。待ってっからねえ〜〉

それが近海であろうと遠洋であろうと、航海の安全と大漁を願いながら船を見送り、見送られる。今も昔も、出船の時の気持ちに変わりはないでしょう。

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 ぐるっと海道3万キロ

大島のかあちゃん

今日もテレビ番組のご紹介。本日は、気仙沼の〈歌姫〉ではなく気仙沼大島の〈かあちゃん〉たちです。

島のかあちゃん
番組ホームページのイメージ

◎4月4日(土)午前11:30~11:54
◎NHK総合テレビ
◎目撃!日本列島
かあちゃん笑って!笑って!~島に笑顔がもどる日まで

番組ホームページの紹介文を引用します。

「女優のようにドレスアップし写真をとる“変身フォト”の撮影会が、宮城県気仙沼市大島で開かれた。震災を忘れ笑いたいと撮影会に参加する島のかあちゃんたちに密着する。

漁業が盛んな気仙沼市大島。昔は遠洋漁業に出る男性が多く、女性が家を守ってきた「かあちゃんの島」。しかし、震災は家族や財産を奪い、女性たちの心に大きな傷を残した。そんな女性を元気づけようと、毎年、東京の写真館が無料の撮影会を開いている。お年寄りが女優のように変身、笑顔の写真を撮ってくれる。女性たちはお互いの変身ぶりに思わず大笑い。“震災の体験を忘れ笑いたい”かあちゃんたちの4年を見つめる」引用は以上。

NHK仙台放送局の制作でしょう。2カ月ほど前だったかな、仙台に住む母に電話したら、〈いま、テレビで大島の話をやっていた。仮設住宅に住んでいる人たちがお化粧してもらう話。宮古屋のすん子さんも出ていた〉と語っていました。同じ番組の全国放送なのかどうか。

宮古屋のすん子さんは、気仙沼高校同級生 熊谷雅裕君の母上です。上に紹介した画像の右下の真ん中にうつっているがそうだと思うのですがちょっと自信がありません。

4月4日のお昼は〈目黒のイーストエリア・桜まつり〉に行き、物販チームのひとりとして気仙沼から上京する〈あさひ鮨〉佐々木徹君に会います。ということで、この番組は録画しておくことにします。皆様もぜひご覧ください。

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気仙沼の歌姫たち

きょうは4月1日。例外はあるにしても、気仙沼中学20回生全員が63歳になりました。明日以降は64歳になる人が増えていくことになりますね。今日はふたつの話題

1:熊谷育美さん

昨日、〈けせんぬまさいがいエフエム〉をネットで聴いていたら、〈ぶっちゃん〉吉田恵子さん(3年8組)が電話出演していました。話題はいよいよ今度の日曜日4月5日に開催される熊谷育美さんのコンサートについて。実行委員長の恵子さんは既に何度もこの電話インタビューに出ています。いよいよ追い込みということでしょう。詳細は略しますが、コンサートはいろいろと趣向がこらされ、育美さんのファンはもちろんのこと、若者から年配の方まで、幅広い客層に楽しんでもらえる演出になっているようです。

熊谷育美コンサート2015「PROCEED」
◎2015年4月5日(日)12:00開場/13:00開演
◎会場:気仙沼市民会館(気仙沼市笹が陣4番2号)
◎チケット料金:全席自由¥3,000、当日券¥4,000
◎チケット販売所:気仙沼市民会館/K-port(ケーポート)/アンカー コーヒー&バル田中前店/宮脇書店/本吉はまなすの館/その他。 同級生は、どうぞ吉田恵子さん 090-7793-7120(本人了解済)へ。

2:畠山美由紀さん

それと恵子さんと縁の深いもうひとりのシンガーの話題。畠山美由紀さんが出演して昨年の4月に放送された、NHK Eテレ「課外授業 ようこそ先輩〜美しい風景を心に刻んで〜」が再放送されます。というか、昨年すでに再放送がありましたから、再々放送、再々々放送となります。前回放送の好評を受けてのことでしょう。美由紀さんが母校である気仙沼市立松岩小学校を訪れます。

ようこそ先輩
番組ホームページのイメージ

◎課外授業/ようこそ先輩
〜美しい風景を心に刻んで〜
◎NHK Eテレ(2ch)
◎4月3日(金)19:25~19:48
◎4月6日(月)12:25〜12:48(再放送)

熊谷育美さんと畠山美由紀さん。ふたりとも気仙沼の地が生んだ、まさに〈歌姫〉です。

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 熊谷育美 畠山美由紀

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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