黒田さんの20年

今日の東京、朝は雪でしたが、いまはみぞれに。寒いです。とはいっても気仙沼に比べればどうということもないでしょう。きのう29日の気仙沼は、この冬一番の寒さで氷点下7度2分だったそうです。

本日もテレビ番組情報です。1月19日のブログで、気仙沼の仮設住宅に暮らす被災者支援にも尽力された黒田裕子さんが昨年9月に亡くなったことを紹介しました。その黒田さんの活動を特集したNHKスペシャルが本日放送されます。

黒田裕子さん
番組ホームページのイメージ

◎1月30日(金)午後10:00〜10:49
◎NHKスペシャル/シリーズ東日本大震災
◎傷ついた人に寄り添って
 ~黒田裕子さん・被災者支援の20年

番組ホームページの紹介文を引用します。

「去年9月、元看護師の黒田裕子さんが肝臓がんで亡くなった。73歳だった。黒田さんは、阪神・淡路大震災の仮設住宅で高齢者の見守りや災害看護といった活動を開始して以来、災害支援の道をつねに現場で切り拓いてきた人物である。その後、能登、中越、四川、ハイチ、そして東日本大震災に見舞われた東北と、20年にわたり、多様な被災地の課題に向きあいつづけてきた。去年8月に末期がんと診断されてから急激に衰弱していく中、黒田さんは、20年の活動を通して募った思いや、苛酷な体験の数々、未練が残る現在の現場や積み残した課題について、絞り出すように語りはじめた。
兵庫県西宮市の病院で体調が悪化し、たっての希望でふるさと・島根県の病院に空路で転院、やがて昏睡状態になるまでの3日間、カメラは黒田さんを記録しつづけた。黒田さんは最期の3日間何を語ったのか。どんなメッセージを私たちに遺そうとしたのか。黒田さんの20年を過去の映像や証言などで振り返りながら、その峻烈な生き様と、浮かび上がる被災者支援の課題を見つめていく」(引用は以上)

気仙沼市面瀬中学の仮設住宅を中心とした支援活動も紹介されることでしょう。私は黒田さんのこれまでの支援活動を断片的にしか知りませんでしたので、この番組を必ず見ようと思っています。皆さんも是非に。

1月19日ブログ「黒田裕子さん追悼」
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野見山さん再放送

今度の日曜日2月1日に昨年11月のブログで紹介したNHK「日曜美術館」での野見山暁治さん特集のアンコール再放送がありますので、ご案内します。

◎2月1日午前9:00〜10:00
◎NHK Eテレ「日曜美術館」
◎〈行き暮れてひとり~画家 野見山暁治のアトリエ日記〉

番組では、2011年6月に気仙沼の鹿折地区を訪れたときの映像も紹介されます。以下に、昨年11月26日のブログ内容を再録します。

◎画家の野見山さん

11月3日文化の日、7名の受章者に文化勲章が授与されました。そのうちの一人、洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんが気仙沼を訪れたことがあるのをご存じでしょうか。私は、今年3月に放送されたNHK「日曜美術館」の〈行き暮れてひとり~画家 野見山暁治のアトリエ日記〉で、野見山さんが気仙沼の鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸をスケッチする姿を見て驚きました。あの野見山さんが気仙沼に!

共徳丸

スケッチ

ある歳月

近影
以上、NHK「日曜美術館」放送画面より

野見山暁治さんは93歳。日曜美術館の言葉を借りれば〈75年にも及ぶ画業の中で身近な自然や風景を描きながらその本質を見極めようとする不思議な造形はいつも新鮮なエネルギーに満ち、多くの人々の心を捉えている〉アーチストです。

気仙沼をはじめ、東北の被災地に向かったのは2011年6月のこと。女川や福島も訪れたようです。そしてその心象は「ある歳月」という作品となりました。

アトリエに閉じこもり、評価の定まった画風のなかにおさまりかえるそんじょそこらの画家とは大違い。ジーンズをはいてキャンバスに向かう姿はとても93歳には見えません。そしてその言葉も、飄々(ひょうひょう)というか淡々と語っているようで、力を感じさせるものでした。

野見山さんはエッセイもお書きになり名文家として知られています。文芸評論家の福田和也さんは、週刊新潮の連載エッセイで〈正直なところ、私は野見山さんの絵よりも文章のほうが好き〉と書いていました。著書「四百字のデッサン」は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。福田さんによれば、野見山さんは、女性に実によくもてるとのこと。おふたりの夫人に先立たれていますが、周りにはいつも世話をしてくれる女性がいらっしゃるらしい。「どうして、そんなにもてるのですか?」と聞いたところ、「私が頼まなくても、女の人が勝手にお世話をしてくださるんです」と、淡々とおっしゃっていたそうです。

この話、本題には関係ないのですが、93歳にして野見山さんのこのエネルギー、我々もあやかることができればと(笑)。

再録内容は以上です。日曜の朝は少し朝寝坊という方には、予約録画をお勧めします。

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ラーメンあたみ屋

1月24日の三陸新報に気中同級生の大友(小野寺)つき子さん(3年9組)が紹介されていました。「今を伝える〜震災から復興へ 歩む人たち」シリーズ記事の77回目。タイトルは「私にはラーメンだけ」。

1:24あたみ屋
2015年1月24日三陸新報記事のイメージ

記事を引用します。
〈 気仙沼市階上地区の国道45号線沿いで40年近く「五右エ門ラーメン」を営んできた。60歳の誕生日を迎えた23年3月11日、大波によって、思い出が染みこんだ店舗と平穏な日常が一瞬にして奪いさられた。店舗は、基礎部分だけを残して全て流された。跡地にたたずみ、「ただぼうぜんと眺めることしかできませんでした」と当時を振り返る。

深い悲しみの中にあったが、生きていくために働かなければ——との思いを深くした。震災半年後の9月、南町に復興屋台村「気仙沼横丁」がオープンすることを聞き、「私にはラーメン屋しかない。もう一度やってみたい」と入居を決意。店名を「ラーメンあたみ屋」に改め再スタートを切った。

屋台村のグランドオープン初日、市内外から多くの客が訪れ、「あたみ屋」には長い行列ができた。あまりの客数に「とても一人では対応できない。店を開けるのは無理……」とパニックになりかけていたとき、様子を見に来ていた市内の飲食店仲間が厨房に入り、手伝ってくれた。

店が落ち着くまで毎日通ってくれた。涙が出るほどうれしかった。「調理器具やカウンターなどはすべて支援品。内装は2人の息子が手伝ってくれました。震災で、自分一人では何もできないことをあらためて思い知らされ、人の温かさをひしひしと感じました。

店名は「明るく、楽しく、未来の気仙沼」の頭文字からとった。「私に何ができるか分かりませんが、気仙沼の子供たちに明るい未来を残すため、今を精いっぱい頑張りたい」と前を向く。 〉引用は以上。

つき子さんは小学校で同じクラスになったこともありよく知っています。1年ほど前、あたみ屋を訪れた同級生が店から電話をくれてつきちゃんにも代わってくれました。携帯電話から聞こえてくる〈オダくん!?〉という声は、50年ぶりに聞く声でしたが、よく聞き知っている声のように感じられました。

三陸新報の記事にあるつき子さんの写真は、笑顔がとてもいいですね。明るく、楽しく、未来の気仙沼。ラーメンは、気仙沼横丁「あたみ屋」ということで、どうぞよろしく。

復興屋台村気仙沼横丁HP「あたみ屋」

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福寿のふかひれ煮

1月8日のブログで、三陸新報の連載「できました自慢の逸品」2回目の記事、植木実君(3年9組)のマルナリ水産〈秋刀魚昆布巻〉を紹介しました。そして1月22日、臼井弘君(3年4組)の福寿水産〈鮫匠 ふかひれ煮〉がとりあげられていました。

1:22福寿水産
2015年1月8日付け三陸新報記事

詳細の引用はしませんが、この商品、弘君の息子さんである臼井祐介専務が頑張って商品化したとのこと。販売は、福寿水産も参加している気仙沼鹿折加工共同組合はじめ、下記のサイトで扱っています。価格は2個入り送料込みで5千円程度。詳しくは各サイトを見てもらいますが、3個入りだと6千円、5個入りは9千円にそれぞれ送料といったところ。1個2千円見当ということでしょう。

ご注文は下記サイトにて

気仙沼鹿折加工共同組合
けせんぬまーけっと
食べモール

専務の祐介さんが気仙沼に戻って父親の福寿水産の仕事をし始めたのは、震災の1年前だったはず。震災後2011年5月、私が魚町の実家にはじめて帰ったとき、たまたま家の前を通った弘君が息子さんについて、「景気のいいときより、こんな大変なときから始めるほうがいがったかもな」と語っていたのです。そして、福寿水産が業務を再開したのは2012年6月20日のことでした。そんなこんなの話は下記のブログに書きました。

植木実君もそうでしたが、臼井弘君のところも、息子さんが父親を支えて頑張っている。なによりのことです。ただ、息子さんからすると、大変なことがたくさんあるでしょうね。オヤジが〈わげわがんないごど、かだってばがり〉とか(笑)。

それはともかく、福寿水産のふかひれ煮、くれぐれもよろしく!

2012年7月18日ブログ「福寿水産・再起動」
2011年5月20日ブログ「フカヒレの臼井弘君」

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親友A君の思い出

先週の金曜日、仙台で弁護士として活躍している小松亀一(きいち)君(3年6組)のブログをのぞいたら1月15日記事のタイトルが目に入りました。「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞2」。

そこには、このブログの1月25日記事の気仙沼中学3年6組の卒業写真とともに、「親友A君」として3年6組のふたりの同級生の思い出がつづられていました。

3年6組
気中20+1月25日ブログ掲載写真(クリックで拡大)

ふたりの「親友A君」とは、小山隆市君と藤代乙典(いちのり)君。上の集合写真で、亀一君は男子中段の左から5番目、右隣が小山隆市君。前列左から5番目が藤代君です。

ブログの後半部を紹介します。

「 残念ながら故人となられた方が、私が知っているだけで44人中、男子3人、女子2人の5人も居ます。亡くなられた男子3名の内2人には、生前、筆舌に尽くせぬ程、大変お世話になりました。一方は「映画『おくりびと』を観て-親友A君の思い出1」、「同2」、「同3」に記載したA君こと藤代乙典君で平成12年1月23日肝臓ガンのため48歳の若さで亡くなりました。

 もう一方は、前述の「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」に記載したA君こと故小山隆市君です。小山隆市君は、平成25年1月14日胃ガンのために亡くなりましたが、東日本大震災後の心労と過労が重なったためのもので震災の犠牲者とも言えます。

 亡くなられた藤代君、小山君に共通することは、お二人とも大変世話好きで、「自分より他人を大切にする正に気配り人間」ということです。私も友人として、お二人には大切にして頂きました。お二人を思い起こすと、改めて、「映画『おくりびと』を観て-親友A君の思い出3」記載の通り、「A君を思い出すと、人間、一人では生きられない、実に多くの方々に助けられて生きていることを痛感します。」
お二人の命日に当たり、改めて生前のご恩に感謝申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。」(引用は以上)

藤代君についての「映画「おくりびと」を観て-親友A君の思い出」は1〜3まであり、3回目には亀一君の弔辞の一部も記されています。小山隆市君について書かれた「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」と共に、是非お読みいただければと。いずれも上記文中にリンクをはってあります。

それにしても、亀一君のブログを読んだ先週金曜日1月23日が藤代君の命日だったことには本当に驚かされました。藤代君は長男として、小学6年から高校まで新聞や牛乳配達などをし、女手ひとつで4人の子供を育てたお母さんを支えていたそうです。まったく知らなかった。

亀一君のブログのおかげで、何十年ぶりに、いつもにこにこ笑っていた乙典君の表情やしぐさを思い出すことができました。享年48。すでに15年経ちました。あらためて、藤代乙典君のご冥福をお祈りいたします。

小松亀一法律事務所ホームページ

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猪瀬さんの「救出」

猪瀬直樹さんの著書『救出』が、きのう1月22日に発売されました。

救出表紙
下記AMAZONサイトよりの画像

猪瀬さんはきのう、ご自身のメールマガジンでつぎのように書いています。

「 阪神・淡路大震災から20年を迎え、今年3月には東日本大震災から4年が経過する。多くの犠牲をともなう自然災害に、作家ができることはなにか、ずっと考えてきました。
 3.11、宮城・気仙沼――。湾から押し寄せた津波で水没した公民館の屋上に446人の被災者が取り残されていました。生後間もない赤ちゃんがいる。隣接する保育所から避難してきた71人の園児と保育士たち、そして近所の水産加工場や製氷工場など町工場や住宅から避難してきた人びと。東京消防庁のヘリで救出されるまでの一昼夜、被災者たちは必死に声をかけあい、知恵と力を合わせます。
 災害に立ち向かう希望のよすがになればと証言を編み、記録として残すことにしました。手にとっていただければ幸いです。」(引用は以上)

そして続いて、本文の一部を紹介しています。引用します。

「三階屋上から気仙沼湾を見渡すと、大島のあたりに炎が立ち上っている。火種に見えたものが津波に乗って、みるみる内湾へ拡がった。海水の上でなぜ火が燃えるのか、意味がわからないのだ。火災は一カ所ではなくがれきに燃え移って赤い炎が点在している。煙を吐きつづける燻った塊も漂っている。

 子どもたちはカーテンの下に隠れているが、半身をカーテンの下にさらしていた菅原保育士には大人たちのざわめきが聞こえている。火のついたがれきが波に揺られて中央公民館にぷかぷかと近寄ると「来た、来た、来た……」「来ないで、来ないで」、波が引くと「行った、行った、行った……」と、悄然と力ない声が重なり唱和している。為す術がない。小型の重油タンクも流れて来た。林小春所長は、両手を突き出し、手で押さえるようなしぐさで「来るなあ!来るなあ!」と叫んだ」(本文より)(引用は以上)

この文中の保育所長は、気中20回生同級の林小春さん(3年2組)。小春さんの献身的な活動や猪瀬さんのご支援については、つぎの記事をはじめ何度もこのブログで書きました。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」
2013年2月15日ブログ「小春さんの3.11」

週刊新潮1月29日号にも猪瀬さんの記事が掲載されていました。この記事では、1月中には『救出』という著書も刊行されるとして、猪瀬さんの次のコメントを紹介しています。

〈大震災の時、宮城県気仙沼市で、園児や妊婦、高齢者を含めた446人の方が、周りを炎で包まれた中央公民館に避難しているのをツイッターで知りました。それで東京消防庁のヘリを飛ばし、全員を救助した顚末を描いたもの。この2冊を、僕は夢中で書いた。ランニング・ハイという言葉があるけど、ライティング・ハイというのもある。書いているうちは、辛さが紛れる〉

2冊というのは、『救出』と五輪招致活動や急逝された奥様の思い出などをつづった『さようならと言ってなかった』です。週刊新潮は、記事を〈権力の座にしがみついた際の苦渋の色は消えていた〉と結んでいました。

この猪瀬直樹さんの『救出』が、気仙沼の人はもちろんのこと、ひとりでも多くの方に読まれることを願っています。


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ここ何だったっけ

紹介しようと思いながら、いつのまにか遅くなってしまうことがよくあります。この河北新報の配信記事もそのひとつです。遅ればせながら。

小野里海さん
河北新報2015年1月5日配信記事の一部イメージ

河北新報2015年1月5日配信記事

記事を引用します。
「 東日本大震災前の気仙沼の街並みや暮らしの営みを、多くの人の心にしっかり刻もうと、気仙沼市出身の慶応大大学院生、小野里海さん(23)ら気仙沼の若者6人が、地域社会の記憶を伝える本作りに乗りだした。「震災前」にこだわって取材や編集を進め、震災から4年を迎える前日の3月10日の完成を目指している。

「ここ何だったっけをなくしたい-気仙沼の皆の記憶を本にする」。小野さんは昨年11月末、こう題する書き込みをウェブで発信し、本作りを思い立った心情をつづった。以前の気仙沼には普段着の暮らしがあったこと、いま目に映る景色はがれきすらない更地だったりすること……。父が市内で一緒に車に乗っていたときに「ここ何だっけなあ」と言うのを聞き、ちょっとショックを受けたことも書いた。

「街の記憶はこうして少しずつ私たちの頭の中から消えていくんだと思った」と小野さん。震災で犠牲になった人は震災以前の気仙沼でしか生きていないことにも、あらためて気付かされた。「かつての景色がなくなってしまった今、『あの時、あの人』を思い出させてくれるきっかけをつくりたい」と考え、「みんなの記憶を集めた本」の刊行を思い立った。気仙沼の友人らに話を持ち掛けたところ輪が広がり、20~30代の5人がスタッフとして参加することになった。

気仙沼市在住のメンバーが取材を始めており、気仙沼で暮らす60人ほどに話を聞く予定だ。記憶を聞き書き風にまとめ、内容に沿ってかつての風景の写真を集めて添えていく。本はA5判で、数十ページの構成とする。600部ほど作り、市内の公共施設や仮設住宅集会所、飲食店に置いてもらう計画。ウェブで広く賛同者を募るクラウドファンディング「READYFOR?」で、制作費の協力を呼び掛けている。」引用は以上。

記事で〈ここ何だっけなあ〉と語った里海(さとみ)さんのお父さんは、気仙沼市魚町の名店〈福よし〉の店主 村上健一さんの弟さん。ご兄弟でお店を営んでいます。こう聞くと、話がグッと身近に感じられるでしょう。

里海さんを知ったのは、たしか2012年の「復興フォーラム」。菅原市長を招いて復興計画などを聞く集まりで隣の席に座っていました。〈私の実家は魚町で〜〉と声をかけて聞いてみたら、〈福よし〉さんの名が出てきたというわけです。

記事にも紹介されているクラウドファンディング「READYFOR?」(レディーフォー)による資金調達は昨年の11月30日開始されました。1月3日に目標金額の60万円を既に達成していますが、さらに増額できれば頁数や制作部数を増やすことができます。1月24日午後11時が締め切りです。

下記のプロジェクトサイトをご覧いただき、一人でも多くの方のご協力が得られればと。どうぞ、よろしく。

「READYFOR?」プロジェクトサイト

追加情報:
本日1月22日(木)19:58〜20:54 テレビ東京「木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~」に畠山美由紀さんが出演します。どうぞご覧ください。

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熊谷育美新譜発売

きょう1月21日は、気仙沼在住のシンガーソングライター熊谷育美さんのニューアルバム「PROCEED」の発売日。先日このブログでも紹介した堤幸彦監督の映画「悼む人」主題歌「旅路」を含む全8曲のミニアルバムです。

熊谷育美
熊谷育美「PROCEED」イメージ(下記AMAZONより)

育美さんは、このアルバム発売に向け、各地でのミニライブやイベント出演を一所懸命に行ってきました。1月17日(土)午前11時からのFMヨコハマ「Travelin'Light(トレベリンライト)」へのゲスト出演もそのひとつ。このラジオ番組は、同郷気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんがDJをつとめています。

生放送で正午ごろに育美さんが登場。美由紀さんとの気仙沼弁でのやりとりがとても面白かった。そして生で、「春の永遠」「流星」そして「旅路」の3曲を歌ってくれました。どれもが素晴らしかった。

当日の朝9時頃には、吉田(ぶっちゃん)恵子さん(3年8組)からメールがありました。〈ご存知かと思いますが、今日の美由紀の横浜FMの番組に育美が出ます。小田君だけには是非聞いてほしくてメールしました〉

恵子さんが〈美由紀〉〈育美〉と親しく呼ぶのには理由があります。ふたりとも、恵子さんのピアノ教室〈吉田ミュージックセンター〉の生徒さん、つまり教え子です。そんなこともあって、美由紀さんはもちろんのこと、育美さんのこともなにくれとなく応援しているのです。

恵子さんのメールには〈4月5日の市民会館まで頑張るね〉とも。4月5日には、気仙沼市民会館で育美さんのコンサートが開催されます。これについてはまた詳しくお知らせしましょう。

おっといけない、アルバム購入案内を忘れていた。アマゾン利用が便利でしょう。下記のリンクをクリックしてご注文ください。価格は2160円です。プライム商品なので、アマゾンに登録すれば送料無料です。

本日のブログタイトルは、いつもの8文字にするために〈新譜〉という言葉を使ったんですが、「熊谷育美新譜発売」とやたら固くなっちゃった。ごめん(笑)。




熊谷育美オフィシャルサイト
熊谷育美オフィシャルブログ

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真海さんおめでた

きのう1月19日、産経新聞が気仙沼出身のパラリンピアン佐藤真海さんが第1子を妊娠し、5月末に出産予定であると伝えていました。

真海さん妊娠記事

1月19日産経新聞配信記事の一部イメージ

1月19日産経新聞配信記事

記事を引用します。
「2020年東京五輪・パラリンピック招致に貢献したパラリンピック女子走り幅跳びの佐藤真海さん(32)が第1子を妊娠し、5月末に出産予定であることが18日、分かった。16年リオデジャネイロ大会は出場が難しくなるが、20年東京大会へ向けて復帰し、競技と育児の両立を目指していく。

佐藤さんは、12年のロンドン大会まで3大会連続出場。昨年9月7日に広告代理店に勤務する一般男性と結婚した。安定期に入った現在、本格的なトレーニングは休養している。女性アスリートが出産後に競技復帰する例は国内ではまだ少なく、妊娠中のトレーニング本もほとんどないという。このため、海外の事例を英語の文献で勉強しているといい、佐藤さんは「20年には、生まれてくる子供も5歳になっている。新しい家族とどのように東京大会を迎えられるか楽しみ」と述べた。」引用は以上。

また、昨日のサンケイエクスプレス紙では、真海さんの連載コラム「佐藤真海のパラリンピアン・ライフ」に〈わが子と迎える東京大会〉と題して寄せた文章が掲載され、ネットでも公開されています。

真海さんが昨年9月に婚姻届けを提出とのニュースはこのブログでも紹介しました。サンケイエクスプレスのコラムには、〈昨年9月7日に入籍し、その約1カ月後に妊娠していることがわかりました〉と記しています。そして今年1月11日には、ハワイでウェディング。真海さんのツイートには、ご主人とふたりでの幸せそうな写真も紹介されていました。

出産予定は5月末。真海さんが無事に元気な赤ちゃんを産んで、喜びの笑顔を見せてくれるのを楽しみにしています。

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黒田裕子さん追悼

1月17日(土)は、阪神大震災から20年。新聞やテレビでも多くの特集が組まれていました。そして1月18日の読売新聞の社会面では、気仙沼市の仮設住宅でも犠牲者の冥福を祈る集まりがあったと紹介していました。

読売黒田裕子氏
2015年1月18日読売新聞記事の一部イメージ

記事を引用します。
〈 阪神と東日本の被災者への長年にわたる見守り活動から、「仮設のマザー・テレサ」と呼ばれ、昨年9月に73歳で亡くなった「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」(神戸市)前理事長、黒田裕子さん。黒田さんゆかりの宮城県気仙沼市の仮設住宅では、住民たちが集会所に「1・17」の形にキャンドルを並べ、犠牲者の冥福を祈った。

黒田さんは、東日本大震災の直後から避難所で支援活動を始め、仮設住宅に看護師らが常駐する態勢を作って見守りを続けた。ラジオ体操やお茶会を開いてコミュニティーづくりにも力を注ぎ、多くの被災者から慕われた。

この仮設に住むパート従業員小山明美さん(54)は震災後、避難生活のストレスで体調を崩したが、黒田さんから「頑張ってね」と優しく声をかけられ、元気を取り戻したという。「黒田さんが寄り添ってくれたから私たちは前を向けた。阪神の被災者に、感謝と鎮魂の思いが届いてほしい」。小山さんはそう話すと、キャンドルの前で手を合わせた。〉引用は以上。

黒田裕子さんが亡くなったときには、三陸新報や河北新報でも彼女を追悼する気仙沼の人達の声を紹介していました。昨年10月4日の河北新報の配信記事によれば、黒田さんは、東日本大震災の2日後に宮城県に入り、3月下旬には気仙沼市で活動を始めたそうです。「津波で助かった命が失われることがあってはならない」と、面瀬(おもせ)中学校の避難所を拠点に避難者を支えました。校庭に約150軒の仮設住宅ができると、看護師スタッフを常駐させて24時間無休の見守り活動を続けたといいます。きのう18日の読売新聞記事で紹介されたのも、面瀬中の仮設住宅でしょう。

2014年10月4日河北新報オンラインニュース

阪神大震災6434名の犠牲者の冥福を祈るとともに、黒田裕子さんの気仙沼における献身的な活動に感謝申し上げます。

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鹿折地区かさ上げ

三陸新報の連載〈再興するまち〜上空から見る〉、1月8日の第3回目は〈鹿折地区〉。

鹿折空撮
2015年1月8日三陸新報記事より

記事を引用します。
「津波と火災で大きな被害を受けた鹿折(ししおり)地区。土地区画整理事業による大規模なかさ上げが本格化している。事業の進捗に欠かせない盛り土の搬入率は4割を超えて順調に推移。海抜1.8〜5.5mの地盤高を基本とする新たな市街地が、29年度完了に向け着々と形作られている。2度目の入札で建設業者が決まった災害公営住宅は、今春から工事が始まる見通し。一方、南側区域10.8haは別事業による水産加工施設集積地の造成が完了し、被災した加工場の再建が急ピッチ。集積地内には22社の立地が決定している。」引用は以上。

空撮写真だと、かさ上げの規模がなかなかわからないのですが、海抜1.8〜5.5mの地盤高といいますから、相当な高さです。この地区に打ち上げられていた第18共徳丸は、2013年10月27日に解体を終了して今はありません。〈あれっ、どこにあったんだっけ〉と思われる方も多いのではないでしょうか。

鹿折地区では、鹿折中学31回生が中心になって被災した家屋跡地などにヒマワリを植えていました。この「鹿折に花を」プロジェクトについては、以前も何度かこのブログで紹介しました。そのヒマワリが植えられていた跡地の多くで今、かさ上げが進んでいるのです。鹿中31回生のブログを見ると、昨年は、鹿折唐桑駅付近のほか、ホーマックさんや浄念寺さんの場所を借りて、ヒマワリを育てたようです。鹿折唐桑駅では発泡スチロール箱をプランターにして、チューリップや水仙、ギガンジュームなども。その球根は、また浄念寺などに植えられました。今年もきれいな花を咲かせてくれることでしょう。

あと2カ月で震災から4年。鹿折のかさ上げが進む地域に育ち、暮らしていた人達の気持ちはどんなだろう。この空撮写真をながめていると、〈復興のつち音〉とは別の、もっと複雑で深さと重さを持った、多くの人の思いが伝わってくるようです。

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入居時期が遅れる

本日1月15日の三陸新報一面トップ記事に、気仙沼市の災害公営住宅への入居時期が、最大9カ月遅れるとの記事が掲載されていました。

入居時期遅れ

2015年1月15日三陸新報記事の一部イメージ

この内容はきのう14日、市議会の東日本大震災調査特別委員会で市から説明が行われました。遅れる戸数は全体約2200戸のうち、約4割にあたる856戸。最大の遅れは入札不調で9カ月遅れの28年12月となる鹿折地区第3工区。そのほかは2カ月から6カ月ずれ込む見通しとのことです。市によれば、この遅れは作業員や資材の確保、宅地配置に伴う工程の変更など当初の計画を修正する作業が必要になったことが主な要因。

河北新報によれば、昨年6月にも14地区(16工区)856戸の入居時期が遅れると発表しているとのことですので、その後の状況がさらに苦しいものになっているということなのでしょう。

また、2014年5月のブログでも、平成27年度内の入居を目指していた気仙沼駅前の災害公営住宅200戸の入居時期が最大で約1年遅れることを伝えました。今回の発表内容に気仙沼駅前の住宅は含まれていませんが、大丈夫なのだろうかと心配にもなってくるのです。

2014年5月2日ブログ「災害公営住宅」

一方、完成した災害公営住宅もあります。入居時期が遅れるとの記事の下には、南郷地区の先行区(2・3号棟)74世帯については、今月31日から入居が始まり、引越業者との日程調整が進んでいるとの記事がありました。まさに悲喜こもごも。誰にお願いしたらよいのかわかりませんが、これ以上の遅れが出ずに一日でも早い入居が実現するようにと祈るばかりです。

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小山隆市君の命日

きょう1月14日は、小山隆市君(3年6組)の命日。早くも2年経ちました。気仙沼中学20回生の卒業アルバムから、6組の集合写真を紹介します。

3年6組
気仙沼中学校第20回生卒業記念アルバム/3年6組(昭和42年3月)(クリックで拡大)

男子まんなかの列、右から3番目が隆市君。三回忌は、昨年11月9日に行われました。お菓子屋さんは年末年始が忙しいからね。たしか観音寺です。長男の裕隆さんは、11月11日のツイートに次のように記しています。

「日曜はコヤマパパの三回忌。天国へ行ったのは去年の1月14日だから、まだ2年も経ってないんだけどね。まだまだだけど、頑張りますと言っておいた。コヤマ菓子店は五代目、小山家で言えば、十七代目になる。詳しく知らないけど、立派で広いお墓はご先祖が頑張ってたからだ。ぼくもご先祖に恥じぬ生き方をするぞ。今日も1日頑張りますp(^^)q...」引用は以上。

裕隆さんは実によく頑張っていて、彼のブログを見ていると、体が大丈夫かなと心配になるぐらいです。隆ちゃんのDNAがかなり効いている。効き過ぎか(笑)。

震災後に亡くなった同級生の命日をいつも記しているわけではないのですが、12月7日は阿部健樹君の命日でした。2012年でした。そして、今度の日曜日1月18日は門馬亨君。平成9(1997)年のことですから18年前。享年45。

亨君については以前、つぎのブログでも書きました。

2012年1月21日ブログ「門馬君の思い出」
2014年1月17日ブログ「明日は門馬君命日」

こうして思い出すことが、少しでもみんなの供養になればと思っています。合掌。

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気仙沼を元気に!

第7回「気仙沼を元気にする会」が、2月11日の建国記念の日に開催されます。

元気にする会

今回のテーマは「食で気仙沼を元気にしよう!! 」。以下に同会ホームページの案内文を紹介します。

日本初のスローシティ気仙沼市では、いま「食」を中心に据えたまちづくりが進んでいます。今回は4名のゲストをお招きし、その代表的な取り組みを紹介しながら、東京でできる応援のひとつとして「食」を通じた活動を提案します。当日は気仙沼の料理人さんが、気仙沼直送の冬の食材を調理します! 話を聞いて、味わって、みなさんも気仙沼の食の案内人になりませんか? ご参加を心からお待ちいたします。

◎日 時:平成27年2月11日(水・祝)建国記念の日
    11:00 〜14:30(開場 AM10:30)
◎会 場:神保町ダイニングカフェ エスペリア(立食・貸切)
    東京都千代田区神田神保町2−4 太平電業ビルB1
    TEL : 03-3234-2588
◎ゲスト:
  菅原 茂(気仙沼市長)
  菅原昭彦(スローフード気仙沼理事長/(株)男山本店代表取締役)
  髙橋 滉(サメの街気仙沼構想推進協議会/中華高橋水産(株)代表取締役)
  遠藤利憲(気仙沼食材の料理担当/鮨処えんどう)
◎会 費:一般 4,500円 学生 1,000円(ランチ・飲み物込み)
◎主 催:気仙沼を元気にする会実行委員会
◎共 催:一般社団法人 気仙沼サポートビューロー

気仙沼を元気にする会ホームページ
参加申込みページ
お問い合わせは下記メールでのご連絡をお願いいたします。
genki@ksn-b.com

多くの方々の参加をお持ちしております。会場でお会いしましょう。

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復興住宅価格上昇

きのう1月11日で、震災から3年10カ月。夕方のテレビニュースでは、気仙沼の市民会館で行われた成人式の様子と新成人のインタビューが紹介されていました。新聞でも震災関連の記事が多かった。読売新聞の社会面で、「復興住宅価格が大幅上昇」との見出しで、気仙沼を含む被災地の現状を紹介していましたので紹介します。

 読売 復興住宅
 2015年1月11日読売新聞記事の一部イメージ

記事を引用します。
「 東日本大震災の被災地に建設される災害公営住宅(復興住宅)のうち、住民が入居して5年後から買い取りも可能となる戸建てタイプの売却価格が、建設資材高騰のあおりを受け、当初予定より大幅に値上がりする見通しとなった。6割以上も高騰したケースもある。震災から11日で3年10か月。復興住宅の建設は進むが、買い取りを予定していた被災者にとって、今後の生活設計に大きな影響が出そうだ。(中略)

 戸建て550戸の建設を予定する宮城県気仙沼市は2012年7月、標準的な床面積55平方メートルの木造平屋の売却価格を約940万円と試算した。しかし、建設資材の高騰に加え、沿岸地域の人手不足が人件費を大幅に押し上げ、14年11月の試算では6割増しの約1510万円に跳ね上がった。市内の仮設住宅に暮らす会社員の赤間祐子さん(35)は買い取りを希望していたが、考え直すようになった。子供3人は高校生と小学生。「こんなに高かったら息子の学費が払えなくなる」とこぼす。(後略)」引用は以上。

この問題は昨年からすでに語られていました。今回の記事は戸建てタイプの復興住宅の買い取り価格についてですが、住宅建設業者の入札においても応札する業者がなくて、不調となるケースも多いようです。当初の予算で受注しても資材や人件費の高騰で赤字となってしまうといいます。

全国紙でこの問題がとりあげられるのは珍しいと思い紹介しました。河北新報は、昨年11月に「気仙沼市の一戸建て災害公営住宅 譲渡想定価格1.6倍に」との見出しで記事にしています。こちらもご覧ください。

河北新報2014年11月12日記事

国のお金、税金によってまかなう復興住宅の建設、そしてその払い下げ。市など行政側もいろいろと苦労しているようです。もっと安くしろといって済む簡単な問題ではないことはよくわかります。でもなあ、あまりにも巨大すぎるように見える防潮堤に回す予算を少しでもこっちのほうにとか。少し愚痴っぽくもなってしまうのです。

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南気仙沼地区空撮

三陸新報の連載〈再興するまち〜上空から見る〉。一昨日は第1回目の〈気仙沼湾〉を紹介しました。そして1月6日の2回目は〈気仙沼魚市場〉でした。

魚市場空撮
1月6日付け三陸新報記事より(クリックで拡大)

記事を引用します。
「水産業の拠点、気仙沼魚市場は震災で地盤が約1m沈下。盛漁期を避けるなど工夫しながら岸壁や荷さばきのかさ上げを行い、震災から約3年後の昨年5月に完全復旧した。
現施設の南側には、計330mにわたって高度衛生管理型の新施設を建設する。総事業費は約160億円で、完成予定は28年度。
場内には閉鎖型荷さばきや低温売場を整備。見学スペースやクッキングスタジオなども兼ね備え、朝日町で計画する造船団地と合わせ、産地間競争で生き残れる気仙沼港を目指す。(撮影協力:NPOオールラウンドヘリコプター)」引用は以上。

上空からの写真だとかさ上げの高さをあまり感じませんが、海抜7mといいますから、以前の地面から5〜6mはあるでしょう。〈おらいの店や家が、あそこにあったのっさ〉と語る同級生も多いことでしょう。

右側のまんなかから少し上方に見えるのは気仙沼中学校。第1回目の「気仙沼湾」にもうつっていましたが、その校庭にたちならぶ仮設住宅の屋根の連なりにはあらためて驚かされます。まだまだ時間がかかるなとの印象はぬぐえないのですが、復興・再興に向けた歩みが確実に進んでいると前向きに考えたいと思います。


なお、いつもこうして勝手にお世話になっている三陸新報さん。私や菊田裕美君などが購読しているのはデジタル版です。購読申込みやお試しの〈立ち読み〉は下記のサイトから。たまにはこうして宣伝しないと怒られてしまいそうなので(笑)。

三陸新報デジタル版購読サイト

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植木実君の昆布巻

今朝、出勤途中に菊田裕美君(3年1組)からメール。「今朝の三陸新報3面に、気中3年9組の植木実君が紹介されてました」。事務所に着いて急いで確認。三陸新報の新商品や再開商品を紹介する連載記事「できました自慢の逸品」の第2回目に植木君が登場していました。マルナリ水産の〈秋刀魚昆布巻〉です。

秋刀魚昆布巻
2015年1月8日付け三陸新報記事

記事を紹介します。

「骨まで愛して」をキャッチフレーズに、頭と内臓を取り除いたサンマを丸ごと1匹コンブで巻いた。柔らかく食べやすいことから、子供からお年寄りまで幅広く支持されている。子供たちのカルシウム不足や魚食離れを解消しようと、骨ごと食べられるようにソフトに仕上げた。気仙沼に水揚げされたサンマと三陸産コンブを使い、手作りにこだわる。1本800円〜900円。
全国水産加工品総合品質審査会(平成4年)で水産庁長官賞を受賞。縁起物のコンブを使っていることから、土産や贈答などに使われている。
東日本大震災の津波で川口町の工場と自宅が被災した。県内で働いていた息子が手伝うといってくれたことや、地元販売店からの励ましに奮起。24年10月に市内松崎前浜の仮設の水産加工団地で伝統の味は復活した。
植木実社長は「今後、カツオなどを使った気仙沼ならではの昆布巻きに挑戦したい」と意欲を燃やす。

引用は以上です。早速、植木君に電話してみました。受話器からは聞き覚えのある実君の元気な声が。聞けばこの商品、気仙沼の〈お魚いちば〉や〈さかなの駅〉そして〈横田屋〉さんなどでも販売しているとのこと。下記の住所・電話で直接注文も可能とのことです。新聞記事をきっかけに中学の同級生と久しぶりに話すことができたのはなによりのことでした。

植木実君父子の〈秋刀魚昆布巻〉、どうぞよろしく。

(有)マルナリ水産
気仙沼市松崎前浜36の1の2
電話0226−22−6523

横田屋本店ネットショップ

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空から見る気仙沼

1月1日の三陸新報に〈再興するまち〜上空から見る〉という連載の第1回目「気仙沼湾」が掲載されていました。
気仙沼復興全景
1月1日付け三陸新報記事より(クリックで拡大)

遠くは唐桑半島、そして大島をのぞむこの写真を見ていると、いろんなことを感じます。右側に見えるかさ上げが進む南気仙沼地区、そして左下の魚町や南町。あらためて、大津波で被災した地域の広さを思わずにはいられません。

記事に次の一節がありました。〈今年は国が定めた東日本大震災の集中復興期間(5年)の最終年度に入る〉。4月から来年3月末までが最終年度。それを過ぎるとどうなるんだろうと思ってしまうのですが、なんとか、集中復興期間の予算措置などを活かしきって、復興を進めて欲しいと思います。

この三陸新報の写真、NPOオールラウンドヘリコプターの協力で撮影されたそうです。この視点からの最近の写真がめずらしく、勝手ながら拝借し紹介させていただきました。余計な説明のいらない一枚の写真です。

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浮見堂いつできた

きのうのブログで、〈昭和29年の気仙沼内湾の風景〉を紹介しました。この写真を見た妻が私にたずねました。〈浮見堂がうつってないね〉。お神明さんの木々に隠れているのだろうとは思ったものの、ちょっと自信がありません。浮見堂はいつできたのだろう。気仙沼市史の第5巻 産業編(上)にその答えがありました。以下に引用します。

◎浮見堂
気仙沼の内湾に臨む神明崎にある浮見堂は、いわば町の観光施設第一号である。前述した「日本百景気仙沼湾」の石柱を建てた気運の中で、地元魚町の青年有志の間から「百景記念に、琵琶湖にある浮御堂のようなものをつくろう」という声が高まった。浮御堂は近江八景の一つ。大津市本堅田町にある海門山満月寺で、岸から湖上へ約25メートル突き出して、阿弥陀仏一千体を安置している。気仙沼はあずま屋風で、青年有志などの労力奉仕で昭和7年6月に完成した。同10年開設の旧魚市場への出入船を目の前にした観光の目玉として、とりわけ納涼の町民で賑わった。
風波や衝突などのため改修を重ねたが、昭和63年、東北電力がみなとまつりの一週間ライトアップ。さらに平成6年3月、ヒノキ材を使って全面改装工事を行うとともに、ライトアップも8基から15基に増やしている。

引用は以上です。昭和7(1932)年6月の完成でした。旧魚市場と向かい合わせになっていたわけで、内湾の独特の風景となっていたことでしょう。なお、市史文中にある〈日本百景〉は、東京日日、大阪毎日が主催したもので、昭和2年7月に気仙沼湾も当選したのです。そして昭和5年11月、五十鈴神社境内に「日本百景気仙沼湾」の記念碑が建立されました。

こうした70年近くの時を経た浮見堂でしたが、震災の津波で全壊しました。今後の内湾地区のまちづくりの中で、どのように再建されるのかわかりませんが、内湾のシンボル的な役割を負うことは間違いないでしょう。

最後に、故千葉和夫君が撮影した被災後の浮見堂の写真を。2012年8月のブログでも紹介しました。

浮き見堂カラー3
2012年6月 千葉和夫君撮影(クリックで拡大)

2012年8月23日ブログ「浮見堂いまはなく」

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謹賀新年2015

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

年明けのブログは、気仙沼の地域情報誌「浜らいん」の購読者や協賛会員に配布される〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー2015の写真から。
昭和29年内湾風景

浜らいん〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー2015より(クリックで拡大)

〈昭和29年の気仙沼内湾の風景〉です。陣山(じんやま)からの撮影ですね。左側には製氷工場がうつっています。ちょっとわかりにくいのですが、〈氷〉の表示がある鉄塔から道路をまたいで、砕いた氷を漁船に積み込むのです。私たち魚町に育った者にとっては、とても懐かしい風景。全漁連の冷凍庫の建物はまだできていないようです。

写真の下部に魚町の通りがあるわけですが、真ん中から少し右に寄ったあたりの家と家の間にちょっと空いているところがあります。これはたぶん海岸通りに抜ける路地でしょう。途中の右側には井戸があった。

昭和29年(1954)ということは、私たち気中20回生が2〜3歳くらいだった頃。当時の記憶はほとんど残っていないのですが、この内湾の写真は、小さな頃の風景を思い出させてくれる鍵やヒントに満ちています。このカレンダーの写真は、また折を見て紹介しようと思います。

なお、浜らいん「昭和の気仙沼風情」カレンダーは、540円で販売中とのこと。また今年は、隔月刊「浜らいん」でも、昭和時代の気仙沼をシリーズでとりあげるそうです。1月号には、南町の気仙沼スーパー開店の写真など、懐かしい写真が沢山紹介されていました。購読申込み等はホームページをご覧ください。

浜らいん公式ホームページ

今年の気仙沼は、災害公営住宅の建設やかさ上げ工事の進行など、新しい町の姿がすこしずつ目に見えてくる年になると思います。私自身も、昔の風景を懐かしむだけでなく、新しい気仙沼の姿を共に考えていければと思っています。

今日の東京は寒いものの気持ちの良い晴天。本年がより良い年となることを願いながら、仕事を始めようと思います。この2015年もどうぞよろしく。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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