君が、ほほえめば

TBS系で放送される小田和正さんの「クリスマスの約束」を毎年楽しみにしています。録画しておいた12月25日深夜の放送を昨日見ました。これまで14年間の総集編といった内容で、新収録はオープニングの井上陽水「最後のニュース」とエンディングのチャールズ・チャップリン「スマイル」の2曲のみでした。

新収録が少なくて残念というところも確かにあるのですが、コーラスで聞かせてくれた「最後のニュース」も細野晴臣さんと小田さんの「スマイル」も、とてもよかった。ということで、今年最後のブログは「SMILE」に決定!



この曲は、チャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」(1936年)のテーマ曲としてチャップリン自身が作曲しました。タイトルと歌詞は1954年につくられたそうです。ナット・キング・コールが歌ったこの曲は今にいたるスタンダードナンバーとなっています。以下に、歌詞と和訳を。和訳はネットにいろいろあったのを参考にした総集編です(笑)。

Smile even though your heart it is aching
Smile、どんなに苦しくても
Smile even though it's breaking
Smile、どんなに辛くとも
When there are clouds in the sky
空に雲が立ち込めても
You'll get by
君ならきっと切り抜けられるから
If you smile through your fear and sorrow
笑顔さえあれば、不安も悲しみも乗り越えられる
Smile and maybe tomorrow
Smile、そうすれば明日は
You'll see the sun come shining through for you
きっと太陽が顔を出す、君のために
Light up your face with gladness
喜びに顔をほころばせて
Hide every trace of sadness
どんな悲しみの跡も見せずにいよう
Although a tear may be ever so near
もう少しで泣いてしまいそうな時

That's the time you must keep on trying
そんな時にこそ精一杯
Smile, what's the use in crying
Smile、泣いてばかりじゃダメだよ
You'll find that life is still worthwhile
生きていてよかったと思えるはず
If you'll just smile
君が、ほほえめば

(*くりかえし)

このブログ、明日からの年末年始は一休み。本年もご愛読いただき、ありがとうございました。皆様、どうぞ良い年をお迎えください。
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「大人の迷子たち」

ソチ五輪・フィギュアスケートの浅田真央選手やスキージャンプ女子個人ノーマルヒルで惜しくもメダルを逃した高梨沙羅選手について、このブログで書いたのは今年2月。コピーライター岩崎俊一さんの東急電鉄PR誌〈SALUS/サルース〉連載「大人の迷子たち」を紹介しながら書きました。〈不幸な体験は、ある日、財産に変わっている。〉というタイトルでした。そして最新号〈SALUS〉1月号の記事タイトルは〈昭和30年代を目撃した人間の責任。〉

岩崎さん記事

文章はつぎのように始まります。〈この連載が始まって丸5年になろうとしている。書籍化するための打合せをしていた時、尽力してくれた人に指摘されたことがある。「このシリーズの重要なテーマは、昭和ですね」〉

岩崎さんはそれまで、昭和というテーマを特別に意識することはなかったそうですが、鋭い指摘だと思ったそうです。そして次のように続けます。

〈(この連載を)書きながら、確かに僕は、少年時代にあたる昭和30年代と今の生活の、とんでもない落差に驚いていた。それはさながら、異なる世界に住むふたりの人間の、違う人生を見るようだった〉

岩崎さんは10年ほど前、東急沿線で、谷内六郎さんの週刊新潮の表紙絵を使ったポスター広告を手がけました。遺作1300枚の絵から選んだ作品に岩崎さんの言葉を添えて3年あまり続いたそうです。私はその広告をいつも感心してながめていました。絵はもちろんのこと、岩崎さんと知らずに読んでいた言葉もすばらしかった。

そして、その過去につくったポスター30点に新たな31点を加えた61枚が掲出される「昭和展」という展覧会が12月27日から来年1月5日(月)まで、西武池袋本店で開催されると記されていました。これは、かならずいかなくちゃ、と思っていたやさきでした。岩崎さんの訃報〈かねてより療養中のところ12月20日、満67歳にて永眠されました〉。

ことし10月、〈SALUS〉連載からの49話をまとめた『大人の迷子たち』(廣済堂出版)が刊行されたばかりでした。手元にある同書の目次。第2話は〈同窓会のあと、同級生のことが、少し好きになっていた〉。最後の49話は〈帰りたい故郷がある国の、幸福〉。あまり泣かせないでください、岩崎さん。

丸5年になるという連載最後の文章、第54回目はつぎのように結ばれています。〈昭和30年代と平成20年代の両方を知る人生。僕が書き残すべきことはとても多いと思っている〉

私も、もっともっと岩崎さんの文章が読みたかった。残念です。合掌

2月20日ブログ「財産に変わる経験」


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気仙沼の 2014年

2014年の「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」の候補26項目がきのう12月25日の三陸新報に紹介されていました。気仙沼市教育委員会と市立公民館が主催するもので、投票は1月8日から21日まで。投票箱は、学校などの公共施設、仮設住宅集会所など80カ所に設置されています。

候補となっているニュースは次のとおりです。長い文章を簡略にしたものがありますが、ご了承ください。

1:県の防潮堤計画で要望・議論活発化。大谷に第1号完成
2:大島架橋で5トンネル貫通。愛称は「鶴亀大橋」に
3:気仙沼女子高が閉校。45年の歴史に幕
4:防災集団移転団地の第1号が本吉町登米沢に完成
5:東陵高校が春の甲子園大会に出場
6:落合小学校が閉校。4月から新城小と統合
7:気仙沼市が国の「過疎地域」に指定
8:市長選で菅原茂氏が無投票当選。市議選定数は24に削減
9:ブログをきっかけに全国から若者の漁船乗組員が集まる
10:水上不二の詩「アスナロウの木」がNHK「みんなのうた」に
11:気仙沼湾を横断する三陸道「気仙沼湾横断橋」着工
12:「海の市」がグランドオープン
13:天皇・皇后両陛下が気仙沼をご訪問
14:ケー・ウエーブに土俵完成。落成式に白鵬、鶴竜関
15:平成29年度の開院に向け、新気仙沼市立病院起工式
16:ツール・ド・東北2014年に気仙沼コース新設
17:フェンシングの千田健太さん、アジア大会団体で金、全日本2連覇
18:気仙沼中の佐藤楓選手が全・日本拳法総合選手権大会で優勝
19:県道気仙沼唐桑線の東舞根トンネル貫通
20:アジアパラリンピック陸上で加藤由希子さん2種目優勝
21:産業まつりが魚市場で復活。ジャンボのり鉄火巻きが日本一奪還
22:生鮮カツオの水揚げが18年連続日本一
23:気仙沼市民会館の大規模改修工事を終える
24:リアス・アーク美術館が「地域創造(総務大臣賞)」を受賞
25:衆院選で小野寺五典氏が6度目の当選
26:小泉川サケ、採卵数過去最高


参考まで、昨年2013年のニュースを10位まで紹介しておきましょう。

◎2013年
1:東京五輪誘致活動で佐藤真海さん千田健太さんが大活躍
2:「第18共徳丸」を解体
3:気仙沼港、生鮮カツオ水揚げ17年連続日本一
4:大島架橋、平成30年度供用へ向け盛大に着工式
5:高校野球秋季東北大会で東陵高校が準優勝
6:気仙沼市で記録的豪雨。市内2千世帯に避難勧告
7:少年の主張全国大会で小原木中の梶川裕登君が総理大臣賞
8:浦島小学校で最後の卒業式、63年の歴史に幕
9:交通死亡事故多発で非常事態宣言
10:大川桜並木見納め、市民有志が感謝の集い

「第18共徳丸」の解体作業が終了したのは、2013年10月27日。あれからもう1年と2カ月が過ぎたのですね。この2014年がどんな年であったか。大みそかにでもふりかえってみようと思っております。我が家の10大ニュースを。

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「おらほの第九」

おとといの夜、NHKのニュースウオッチ9を見ていたら、年末恒例となったベートーベン第九のコンサート映像が。妻が〈気仙沼だったりして〉とつぶやいたら、ピンポ〜ン! その日23日に気仙沼市民会館で行われた「おらほの第九 気仙沼」演奏会を伝えるニュースでした。

おらほの第九
NHK配信ニュース画面より

12月23日NHK配信ニュース内容(ニュース映像の動画あり)

ニュース内容を引用します。
「 気仙沼市民がベートーベンの第9を合唱する音楽イベント「おらほの第九 気仙沼」演奏会が23日、気仙沼市民会館で開かれた。早期復興を願い、市民団員141人(男性44人、女性97人)が、仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏で力強い歌を披露。会場を埋めた聴衆から惜しみない拍手が送られた。
 仙台フィルの演奏の後、フィナーレで登場した市民団員。指揮者の大井剛史さん(仙台フィル)の指揮に集中し、躍動感たっぷりにを歌い上げた。
 「おらほの第九 気仙沼」は市制30周年(昭和59年)と、気仙沼市と唐桑町の合併(平成18年)記念として過去2回行われ、今回は8年ぶり。団員は7月から週1回のペースで練習を続けてきた。」引用は以上。

会場となった市民会館は、全面リニューアル工事でしばらく閉館していました。その関係で、立川志の輔さんの「さんま寄席」も今年はお休みとなりました。工事が終了してのこけら落としは、11月23日の気仙沼市民文化祭「歌謡の祭典」。カラオケ歌謡から第九まで、気仙沼市民会館の幅広い活用がまた始まったようで、なによりです。

なお、〈けせんぬまさいがいエフエム〉では、12月31日正午より、特別番組でこの「おらほの第九気仙沼」の模様を放送するそうです。こちらも是非に。

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盛り土のイルミネ

今日は12月24日、クリスマスイブ。プレゼントを思案していた同級生も多いのではないでしょうか。お孫さんへの(笑)。

12月21日の三陸新報に、イルミネーションの写真が紹介されていました。

幸町イルミネーション
三陸新報12月21日配信記事より

これは、かさ上げが進む気仙沼市幸町の盛り土斜面に飾られたイルミネーションです。記事を引用します。

「 復興事業でかさ上げが進む気仙沼市幸町地内で、盛り土部分の斜面を利用してイルミネーションが飾られている。震災で光を失ったままの被災地を明るく照らそうと、工事業者からの温かい贈り物だ。この業者は南気仙沼、鹿折地区の土地区画整理事業などで地盤改良工事を担当しているキャドテック(福岡市)。工事部次長の山本公夫さんを中心に作業員8人でLED電球約3千個を使用した。海抜約7メートルの盛り土斜面の幅約20メートルにわたって、「絆」やクリスマスツリーが闇に浮かぶ。24日からは、作業に使う高さ約40メートルの重機も「大型ツリー」に変身させる。」引用は以上。

幸町(さいわいちょう)といえば小山隆市君の自宅もあったところ。〈海抜約7メートルの盛り土〉が、以前の地面から何メートルの高さになるのかわかりませんが、震災前の魚市場近くが、大潮時に冠水していたことを考えれば、5〜6メートルはあるのではないでしょうか。

震災前の風景とのあまりの違いに複雑な気持ちもあるのですが、この工事会社の方々の心づかいが本当にうれしいですね。気仙沼の人たち、以前の幸町を知る人たちのために何かできないかと考えてくれたのでしょう。なかなかできることではありません。

イルミネーションの輝きに加え、山本公夫さんをはじめキャドテックさんの気持ちが気仙沼の人の心を暖かくしてくれることと思います。Merry Christmas。

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熊谷育美「旅路」

映画監督の堤幸彦さんが、震災後の気仙沼を様々な形で応援してくれていることは皆さんご存知のとおりです。

その堤監督の映画「悼む人」が、来年2月14日に公開されます。そして、その主題歌「旅路」を気仙沼在住のシンガー・ソングライター熊谷育美さんが担当しています。堤監督作品の主題歌としては4作目となります。その曲も流れる予告編が先日公開されたので紹介します。


映画「悼む人」予告編1

予告編に流れる育美さんの「旅路」、とてもいいですね。彼女の歌声は聴く者の気持ちにしみとおってくるような気がします。それと同時に、育美さんのお父さんで今年3月4日に亡くなった同級生 熊谷孝良君(3年3組)のことも思い出します。

育美さんは、昨年10月に仙台で行われた「KSS42(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)」の懇親会でも孝良君のご縁もあって歌ってくれました。参加者によれば、本当に素晴らしく感動したとのこと。間近に聴く熊谷育美の歌声。本当にうらやましい。

育美さんの「旅路」が流れる堤幸彦監督「悼む人」の大ヒットを願ってやみません。


なお、主題歌「旅路」が収録されている育美さんのアルバム『PROCEED』は、来年1月21日に発売されますが、この曲「旅路」のみ、12月17日から先行配信されています。こちらからどうぞ。

堤幸彦監督については何度も紹介していますが、震災の年5月の気仙沼でのボランティア活動についてはつぎのブログで書きました。

2011年5月31日ブログ「堤監督、ありがとう!」

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イエスタデイ再び

紹介が遅くなりましたが、11月下旬に仙台に住む吉野信雄君(3年1組)からちょっと重さのある封筒が届きました。開けてみると、中から出てきたのは、2枚のCDとコンサートのプログラム。

吉野君cd

吉野君とその仲間5人からなる合唱グループ〈アンサンブルB〉が、10月18日に仙台市宮城野区文化センターで開催したコンサート。でも、なんで私に送ってくれたのだろう。その疑問は、プログラムを読んで氷解しました。〈ビートルズ曲集〉の曲目解説で、吉野君がつぎのように書いていたのです。

〈 私がビートルズのレコードを初めて手にしたのは、中学2年生の昭和40年1965年のこと、「のっぽのサリー」のSP盤でした。中学から高校にかけて夢中になって聴き、多くのレコードを買い求め、1966年日本武道館での来日コンサートのテレビ生放送もかじりつきでした。同じ思いをされた方も多いことと思います。

洋楽ファンの私より少し上がプレスリー世代、少し下がカーペンターズ世代と思われますので、現在還暦を少し過ぎたビートルズ世代も、そんなに長い期間ではなかったと思われますが、ビートルズの影響力がいかばかりか、現代の皆様はよく御承知かと思います。ビートルズの公式録音は213曲と言われており、ビートルズ世代の私達としてはその隅々まで酔いしれております。

She loves youは、1963年の発表、全米チャート1位の記録とともに、ビートルズの初期を代表する1曲です。Yesterdayは、1965年の発表。ビートルズの作品を代表する1曲として、言わずもがなの名曲・実績・評価ですが、個人的には、中学生時代、約1500人の生徒の昼休み時間に、校内放送のMCで、ロックポップス系の曲としては初めてこの曲を紹介したのがよき思い出です。日本の田舎町の隅々までビートルズが流れていた、そんな記念すべき作品でありました。 〉引用は以上です。

吉野君は、大学を卒業してから宮城県に奉職しました。中学から現在に至るまで合唱を続けています。県庁退職後も週3日ほどの勤務を続けているとのことです。

なお、プログラムの文章にある〈SP盤〉は〈EP盤〉の誤りだと思います。SPは30センチ78回転、そしてEPが17センチ45回転です。秀才の吉野君らしからぬ痛恨のミス。満点かと思ったけど、98点でした(笑)。

吉野君の文中にある、気仙沼中学の校内放送の話は、2011年8月のブログ「イエスタデイ」に書きました。私にとってもなつかしい思い出なのです。今は、3年前のブログを書いたときと同じ気持ち。その一節を再録して本日はおしまいにします。吉野君、ありがとう。また会える機会を楽しみにしています。

気中にイエスタデイが流れた日。あの日のことも、こうして思い出してみると、まさに〈オンリー・イエスタデイ〉。つい昨日のことのようです。

2011年8月11日ブログ「イエスタデイ」

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小泉防潮堤着工へ

きのう12月18日のブログで、今川悟市議の本吉町野々下地区の防潮堤に関するHP記事を紹介しました。そしてその後に三陸新報(デジタル版)を見たら、そこにも防潮堤の記事。県議会で、行政側と住民側とで様々な議論があった本吉町中島海岸防潮堤の工事契約議案を可決という記事でした。

中島海岸防潮堤
2014年12月18日三陸新報記事の一部イメージ

これによって、今年度内の着工が確実となりました。記事を引用します。

「12月16日に開かれた県議会で、気仙沼市本吉町小泉地区に計画されている中島海岸防潮堤(海抜14.7m)、津谷川左岸河川堤防の工事請負契約締結についての議案が、可決された。これによって防潮堤工事が着手される。工事は、約122億円で五洋建設など3社の共同企業体(JV/ジョイントベンチャー)が、防潮堤と一体的に整備する河川堤防は約35億円で竹中土木など3社のJVがそれぞれ請け負う。工期はともに平成30年3月23日までで、本年度内に着工する。」引用は以上。

本吉町での防潮堤計画はいくつかあり、昨日のブログでの写真は野々下地区(海抜9.8m)、上記の防潮堤は中島海岸で海抜14.7mです。この高さは県内最大となります。これまでの報道で、〈中島海岸〉という名称があまり出ておらず、私自身もちょっとわかりにくかった。

今年10月には入札手続きが始まっていましたから、この流れは既にわかっていたことですが、県議会での決議で着工確定ということになりました。

宮城県としては、昨年11月の住民説明会で合意が得られたという立場。しかし、今年7月の住民説明会では、防潮堤の是非論が再び議論されたといったことがありました。この経過については下記のふたつのブログで少し書きました。

〈ただやみくもに反対しているわけではない〉という姿勢で計画の再検討を願っていた関係者の方々の心情を思うと、あらためて複雑な気持ちがいたします。外野からの物言いで恐縮ですが、なんとか、防潮堤計画をめぐっての意見の衝突が今後の禍根とならないようにと思うばかりです。

10月21日ブログ「小泉地区の防潮堤」
10月23日ブログ「防潮堤計画着々と」

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防潮堤の下の岩場

気仙沼市の市議会議員今川悟さんのホームページは以前も紹介しましたが、12月10日の記事に防潮堤に関する気になる記事がありました。気仙沼市につくられている防潮堤の「水際のイメージ」が、説明会で思い描いていたものと違うというのです。

水際のイメージ
今川悟議員HP記事一部イメージ

今川悟議員HP12月10日記事内容

上で紹介した記事の画像は、本吉町野々下地区で完成した防潮堤(海抜9.8m)です。海側に岩場が広がっていますが、住民の多くは防潮堤の下は海になると思っていたようです。

この岩場は、工事のための「仮設堤防」に使った岩なのだそうです。海の中の地盤工事では波を防ぐための「仮設堤防」を沖に設置しますが、防潮堤完成後にはその堤防に積んだ岩を陸上に撤去するのは難しく、海側でならすのが一般的とのこと。その結果、新しい岩場が出現したというわけです。説明会での資料に図面は示されているのでしょうが、こうした岩場出現の可能性についての説明が不十分であるようです。

詳しくは今川さんのホームページをご覧ください。ちょっとややこしい話ですが、防潮堤関連の資料記事ということで紹介しました。

同じ今川さんのホームページ12月13日の記事では、「防潮堤説明会。ついに「模型」登場!」と題して、気仙沼魚市場と「海の市」の間につくる海抜5mの防潮堤の説明会が、模型を使って行われたことを紹介していました。担当の宮城県気仙沼地方振興事務所の水産漁港部がいろいろと工夫したようです。こちらの記事もあわせてお読みいただければと。

防潮堤の計画においては、最初の説明がていねいに行われないと、その後にかえって面倒なことになることがあるようです。いろいろと大変でしょうが、行政からのていねいな説明と住民との充分な議論がなされるようにと願っております。

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気仙沼の大谷鉱山

12月14日の三陸新報に興味をそそる記事が掲載されていました。気仙沼の大谷鉱山で働いていた元従業員が石碑を建立したという話です。

大谷鉱山

三陸新報2014年12月14日記事の一部イメージ

記事を引用します。

〈古くは奥州藤原氏の黄金文化を支えたとされ、昭和初期には日本屈指の金産出量を誇った気仙沼市の大谷鉱山。昭和51年に閉山して以降、高齢化などで徐々に歴史を知る人が少なくなる中、元従業員有志が沿革を記した石碑を制作した〉

そして記事は、鉱山の歴史をつぎのように紹介しています。大谷鉱山は、明治38年に試掘工区に設定されて開発が進み、昭和4年に日本鉱業が経営に当たっていました。同13年には岩尻、赤牛などの各鉱を含めて従業員1303人を抱え、坑道延長55km、立坑深さ450m、年間1トン余の産金量を誇っていたそうです。鉱山の周囲には、社宅や出稼ぎ者用の合宿所、幼稚園などもあり多くの人でにぎわいました。昭和37年には大谷鉱山株式会社が鉱業権を継承しましたが、次第に埋蔵鉱量が枯渇していき、昭和51年5月に全面閉鎖されました。

従業員が1303人もいたというので驚きました。その家族も含めると、鉱山周辺のにぎわいというのも相当なものだったでしょう。

気仙沼で金山といえば、すぐに鹿折金山が頭にうかびます。「目で見る気仙沼の歴史」には、日露戦争の軍需景気にのって鹿折金山の最盛期には作業員300名と記してありました。同書では他にも、新月鉱山や岩倉鉱山(階上、松岩)などの金山が紹介されています。

12月12日のブログで、熊谷武雄が暮らした新月の廿一(二十一)集落が、明治の中頃まで近郷きってのにぎわいを見せていたと紹介しましたが、この地区も、廿一川での砂金とりや新月鉱山で働く人たちが多かったのでしょう。

大谷だけでなく、気仙沼の金鉱について、もう少し調べてみたくなりました。この話、またあらためて。

なお、大谷鉱山の石碑は高瀬ケ森の同鉱山歴史資料館前に設置とのこと。本日17日に、現地で除幕式が行われるそうです。

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「今朝沼」語源説

きのう12月15日の三陸新報に、日曜日14日に行われた〈ば!ば!ば!の場!〉の様子が紹介されていました。この催しについては、12月8日のブログでも紹介しました。

三陸・ばばばの場

2014年12月15日三陸新報記事の一部イメージ

気仙沼の古地図と現在の様子を比べながら内湾地区を巡るこのワークショップ、当初の参加者定員は15名ということでしたが、記事によれば20人が参加したとのこと。一年後輩で気中21回生のSさんは仙台からご夫婦で参加したと聞きました。その気持ち、よくわかる。三陸新報記事の写真で右上に写っているのは、「冷蔵庫発祥の地」の碑。右上に見えるのが〈磯屋水産〉さんでその後ろにちょっと見えるのが渡辺健さんの〈K-port〉でしょう。

記事で紹介された講師山内繁さんの説明のなかに、初めて知る次の話がありました。

〈ワークショップでは、気仙沼という地名の語源として、アイヌ語の「ケセ・モイ(入り江)〉が由来という説や、山城・赤岩城にあった沼の「今朝沼」(けさぬま)からとった説があることなどを説明しながら、町の移り変わりを紹介した〉引用は以上。

記事にある〈山城・赤岩城〉というのは、気仙沼の新月地区にあった山城「赤岩館」のことでしょうか。アイヌ語源や、古文書に記された「計仙麻(けせま)」の地名などについては知っておりましたが、「今朝沼」というのは初めて知りました。諸説あるのでしょうが、これもなんか面白い。

こうしたさまざまな郷土の歴史の魅力にはまるとなかなか抜け出せないかもしれません。講師・案内役の山内繁さんもそんな一人なのでしょう。

私が中学や高校生だった頃、妻の実家に集まっていた模型仲間のひとりが2年先輩の山内さん。(妻は今でも〈ヤマウチクン〉と呼びます/笑)。あれから40年以上経ちます。そんな山内さんから、なんやかやと気仙沼の歴史話を聴くことができた方々がちょっとうらやましい。そして記事は、山内さんのこんな説明も紹介しています。

〈市内には「浦田」「片浜」「浪板」など、かつてその土地が海だったことを示す地名が残っていることも示し、「東日本大震災の津波は、以前には海だった場所に海が帰ってきたとも言える」と語った〉

大きな歴史の観点からするときっとそうなのでしょうね。鹿折にしても南気仙沼地区にしても。郷土の歴史を知ることは面白いだけでなく、その未来を考えるためにもとても大事なことだなとあらためて感じました。

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衆議院議員選結果

きのう14日に投開票された衆議院議員選挙。気仙沼地区を含む宮城6区は、防衛大臣もつとめた小野寺五典さん(気中29回生)が圧倒的な支持を集めて、鎌田さゆり候補、内藤隆司候補を破り6回目の当選を果たしました。

今回の選挙から宮城6区には、旧古川市(現大崎市)が編入されています。気仙沼を離れていると、宮城6区に含まれる自治体がよくわからないので、三陸新報掲載の市町別得票数表で見てみましょう。

衆議選結果

表でおわかりのように、宮城6区は、気仙沼市、登米市、栗原市(築館地区など)、大崎市(旧古川市など)、南三陸町(志津川など)の5市町から構成されているのですね。なお、登米市は〈とめし〉、市内の登米町は〈とよままち〉ですのでお間違えなく。

きのう初雪があった東京、今日は晴天ですが寒さは続いています。気仙沼も午前11時でも氷点下の寒さとか。どうぞ暖かくしてお過ごしください。本日はこれにて。

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田園歌人熊谷武雄

10月6日のブログで、首相夫人安倍昭恵さんが、米国ニューヨークでおこなった講演の内容を紹介しました。

安倍昭恵さん講演
産経ニュースサイトからのイメージ画像

10月6日ブログ「昭恵さんスピーチ」

昭恵さんは、「森は海の恋人」の活動を紹介しながら、その活動名が、熊谷龍子(りゅうこ)さんの歌「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの 愛紡ぎゆく」から名付けられていることを語っています。熊谷龍子さんは、昭和18年生まれで熊谷武雄のお孫さんです。

熊谷武雄は、気仙沼市久保(旧 新月村)の手長山の麓に生まれた歌人です。市の広報誌によれば、手長山の麓には廿一(二十一/にじゅういち)川が流れ、廿一の集落を形成していました。明治の中頃まで近郷きってのにぎわいを見せていたとのこと。

熊谷武雄は生涯をこの地で過ごしながら、前田夕暮(ゆうぐれ)が主宰する「白日社」同人となり、その歌誌「詩歌」に作品を発表します。そして大正4年に第一歌集『野火』を発行し、田園歌人として全国にその名を知られるようになりました。大正10年には、推されて新月村の村会議員にもなりました。昭和11年に54歳で亡くなっています。そして、武雄の孫 熊谷龍子さんは、前田夕暮の長男で「詩歌」を引き継いだ歌人 前田透に師事しています。

畠山重篤さんが代表をつとめていた「牡蠣の森を慕う会」は1994年、朝日新聞社が創設した「朝日森林文化賞」を受賞しました。そして重篤さんは、同年7月25日に受賞者代表として皇居に招かれ天皇皇后両陛下に接見する機会を得るのです。著書『日本〈汽水〉紀行』(文系春秋刊)によれば、その際に、つぎのように述べたといいます。

〈気仙沼地方はとても短歌の盛んな土地柄です。落合直文の生誕の地でもあり、毎年、落合直文全国短歌大会が盛大に開かれております。(中略)「森は海の恋人」というフレーズは、前田透の秘蔵っ子である熊谷龍子の「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から生まれました。(中略)「森は海の恋人」という宝石のような言葉は、落合直文から連なる百年の系譜のなかから生まれました〉

歌をよくする両陛下は、短歌革新で知られる落合直文はもちろんのこと、〈歌会始〉の選者もつとめた前田透についてもよくご存じのはずです。重篤さんは、上記の話の後、熊谷武雄の歌を紹介するなどしたそうです。その話はまた次の機会に紹介しましょう。

重篤さんは、『日本〈汽水〉紀行』の最終章で、武雄の孫 熊谷龍子さんの歌集について語りながら、つぎのように書いています。

〈熊谷家は気仙沼湾に注ぐ大川支流の二十一川を渡り、樹齢八百年といわれる桂の大木を見下ろす高台にある。祖父は落葉広葉樹の森を愛し、クヌギを植えた。歳月は流れ、いまや樹齢八十年を超える木々となり、四季折々の姿を見せる〉

とても深い印象を残す一節です。各章の冒頭に畠山重篤さんの短歌が記されているこの著書は、短歌のもつ情緒にあふれており、2004年には第52回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。

それにしても、〈「森は海の恋人」という宝石のような言葉は、落合直文から連なる百年の系譜のなかから生まれました〉という言葉はとてもいい。私はしびれました。

なお、ネットに廿一出身者による故郷紹介ホームページがありました。こちらも是非ご覧ください。

故郷案内 廿一村

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 廿一 新月 熊谷武雄 熊谷龍子 森は海の恋人

なつかしの喫茶店

きょう12月11日の〈コヤマ菓子店〉小山裕隆(おやま ひろたか)さんのブログを見たら、なつかしい店内の写真が掲載されていました。〈珈琲山荘〉。昨年1月14日に亡くなった小山隆市君(3年6組)がコヤマ菓子店の2階で営んでいました。裕隆さんは隆市君のご長男。

珈琲山荘
ありし日の珈琲山荘(オリジナル画像はこちらから)

隆市君がまだ若かったころは、菓子店をご両親が、喫茶店を隆ちゃんがという役割分担だったのでしょう。私も気仙沼に帰省したときには必ず顔を出しておいしいコーヒーをいただきました。

そんな懐かしい珈琲山荘もコヤマ菓子店も、震災の津波ですべて流されてしまいました。その跡地はいま、土が盛られてかさ上げが進んでいます。気仙沼の田中前で再開したコヤマ菓子店を継いだ裕隆さんのブログには、以前の場所でまた店を開く場合には〈カフェはやりたいし、必須だと思っている〉とつづられていました。まだ時間はかかるのでしょうが、あの場所での再開を私も楽しみにしています。

小山裕隆さん12月11日ブログ

もうひとつ、懐かしい喫茶店の写真を紹介しましょう。

ヴァンガード
震災後に再開したヴァンガード(クリックで拡大)

南町の〈ヴァンガード〉です。今年4月26日に亡くなった千葉和夫君(3年11組)の撮影です。彼のブログから拝借しました。和夫君のお姉さんがヴァンガードのマスターと結婚したこともあって、和夫君も店を手伝っていたことがありました。ヴァンガードは津波で被災しましたが修復して再開しました。この写真も再開後に和夫君が訪問したときの撮影です。ブログには震災直後の写真も掲載されています。

和夫君ブログ2012年3月18日「復活ヴァンガード(気仙沼)」

そのブログに〈ブレンドコーヒーがいまだに260円で、昔ながらの旨さを保っています〉とありました。まだこの価格でやっているんですね。私がヴァンガードに行き始めたのは大学に入ってからのこと。夏休みで気仙沼に帰っているときには毎日のように行きました。その頃に聴き始めていたジャズがかかるこの店に行けば友人知人の誰かに会うことができました。

この2葉の写真。店の様子もなつかしいのですが、元気だったころの隆市君と和夫君も思い出してしまうので、ちょっと困ります。

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ありがとうの蒲鉾

きのう12月9日の午後2時頃だったと思います。うれしいツイートを目にしました。猪瀬直樹さんの投稿です。

猪瀬さんツイート
‪猪瀬直樹さん(@inosenaoki)2月9日ツイート画像

「3.11で気仙沼中央公民館に避難して救出された人から笹かまぼこをいただきました。ありがとう。」

東日本大震災当時、東京都副知事であった猪瀬さんは、気仙沼市立中央公民館に避難した保育園児を含む約450人の救助を東京消防庁に指示してくださいました。その詳細はあらためて繰り返す必要もないでしょう。猪瀬さんは、気仙沼にとっての大恩人なのです。

その後、猪瀬さんが都知事を辞任することになったのは残念なことでしたが、そのことで、気仙沼の人の感謝の気持ちが減じることはなかったと思います。一時は死を覚悟しながらも救出された方々にとってはなおさらのことでしょう。

猪瀬さんに対する感謝の気持ちを蒲鉾の文字に託した気仙沼の人。そしてその気持ちに〈ありがとう〉と返した猪瀬さん。双方の心情がとてもよく伝わってきて、私までうれしくなってしまいました。

猪瀬さんは執筆活動を再開され、突然の病に倒れた奥様のことや東京五輪招致、そして都知事辞任に至るまでの経緯などを書いた新著『さようならと言ってなかった』(マガジンハウス刊)も好評であるとのことです。次の著作は気仙沼の中央公民館の救出をめぐるものになるとの記事も目にしました。

きのうの東京は冷たい風がふく天候でしたが、猪瀬さんのツイートを目にして、なにか気持ちが温かくなるような気がしたのです。あらためて、ありがとうございました。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」

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大堀銀座風景比較

先週金曜5日のブログで、1955(昭和30)年撮影と思われるの大堀銀座の写真を紹介しましたが、本日はほぼ同じ角度からとった別の写真を紹介します。

昭和20年代大堀銀座
〈昭和の気仙沼風情〉2014年カレンダーより(クリックで拡大)

これは、何度も紹介している〈浜らいん〉の〈昭和の気仙沼風情〉2014年カレンダー1月2月の写真です。左端が吉田履物店、その右が三束商店(ふとん店)、そして鼎座に向かう通りをはさんで右側が和泉自転車屋の建物(写真からは店名がわかりませんので撮影当時の業種等は不明)。

キャプションは〈昭和30年代の大堀銀座〉とされています。でも、ちょっと気になりました。前回紹介した写真よりも少し前の時代のように感じるのです。5日に紹介した写真、1955(昭和30)年の風景をもう一度見てみましょう。

大堀銀座
「浜らいん」2014年初冬号より(たぶん昭和30年撮影)(クリックで拡大)

下の写真では、三束ふとん店さんが2階建てになっているし、歩いている人の服装が上の写真よりちょっと新しい。ですから上の写真は昭和30年代ではなくて昭和20年代の風景だと思います。それも後半というよりは前半ではないでしょうか。

あ、それと念のために申し上げれば、知ったかぶりしてケチをつけているのではありませんよ。こうした歴史写真の撮影時期を特定するのはとても難しいのです。それは知っているつもり。

さて上の写真に戻りますが、右端にうつっているのは眼鏡店。名前を思い出せませんが、私たちの時代にもありましたよね。(追記:玉屋ではないかとのコメントを頂きました。たぶんそうでしょう)写真にうつる看板に公立病院眼科指定という文字が見てとれます。もうひとつの指定眼科名は〈三上眼科医院〉かなあ。そしてその左に見える看板は〈鈴木時計店〉。あったようななかったような、記憶が定かではありません。そしてそのまた左の3階建ての建物は大堀銀座の角にあった玩具店〈長沢〉のはず。

このあたりには、私たちの同級生の経子さん(3年5組)の実家である龍崎果物店がありましたが、昭和20年代はどうだったのか。鈴木時計店と眼鏡店の間に見える看板が龍崎さんかもしれませんね。私たちが小学生のときには、高級品だったバナナが店頭につるしてありました。

この気仙沼の目抜き通り〈大堀銀座〉をうつしたこの2つの写真を見ていると、いろんなことを思い出します。そして同時に、震災後の風景もそこに重なって、ちょっと複雑な気持ちにもなってくるのです。

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ば!ば!ば!の場

気仙沼市全体の観光戦略推進を目的に2013年6月に設立された、一般社団法人「リアス観光創造プラットフォーム」は、これまでも〈漁師カレンダー〉や総合観光パンフレット〈気仙沼じゃらん〉の発行やモニターツアーの企画など多彩な活動を展開しています。そして、同プラットフォームの〈ば!ば!ば!プロジェクト〉が主催する体験プログラム〈ば!ば!ば!の場!〉が、今年8月に始まりました。

これまでの講師は、1回目が八葉水産社長の清水敏也さん、2回目と4回目が第十八一丸船頭の佐々木夫一さん、3回目は元気仙沼図書館長で日本古生物学会会員の荒木英夫さんでした。そして5回目となる今回は、気仙沼市文化財保護審議委員会委員長山内繁さんによる〈気仙沼、古地図の旅。〉。

ばばばの場
ば!ば!ば!の場!案内チラシ(クリックで拡大)

以下、案内文から引用します。

私達が住む街、気仙沼は江戸時代には一体どんな姿をしていたのでしょうか?それを解読するヒントは”地名”に隠されています。今回の講座では、地名の由来が分かるスポットを過去と現在、2つの地図を見ながら巡ることで、気仙沼の歴史を紐解いていきます。古地図の旅に参加して、”ば!ば!ば!”という驚きとともに、新しい気仙沼を発見してみませんか?

開催日:2014年12月14日(日)
時間:9時30分~12時
場所:紫会館(気仙沼市浜見山1−1)
講師:山内繁氏(気仙沼市文化財保護審議委員会委員長)
募集人数:15名(先着順)
参加費:500円
その他:雨天時は中止となります。当日は座学を行った後、内湾地区を散策します。動きやすく、暖かい服装でお越し下さい。
参加方法:12月12日(金)までにメールかお電話にてお申込み下さい。
MAIL:info@rias-kanko.com  件名「ば!ば!ば!の場!」
TEL:0226−22−4560(観光コンベンション協会)
※申込みなしでの当日の参加はできません。

内容の引用は以上です。
講師の山内繁さんは、私たちより2コ上の気中18回、気高20回生。お父様は気中の山内先生です。大学を卒業して市役所に勤務し、市民生活部長をつとめた後、2010年の春に退職。その後も郷土史の研究や文化財保護の仕事を続けているようです。私は中学生のときからよく知っており、元気な様子を知ってなによりです。

そんな私にとっても懐かしい山内さんが話してくれる気仙沼の地図や地名の話。私が気仙沼にいたならばぜひにも聴いてみたいテーマです。定員15名とのことですので、どうぞお早めにお申し込みいただければと。

ば!ば!ば!の場!、これからもどうぞよろしく。

ば!ば!ば!の場!公式Facebook

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大堀銀座 in 1955

ブログで紹介しようと思っていながらも、ほかの話を書いているうちに忘れてしまうことがよくあります。本日紹介するのもそんな写真のひとつ。気仙沼の地域情報誌「浜らいん」初冬号(11・12月)の連載〈昭和の気仙沼風情〉掲載写真です。

大堀銀座
「浜らいん」2014年初冬号(11・12月)より(クリックで拡大)

〈大堀銀座は大賑わい〜昭和20年代大堀銀座〉との見出しで〈写真中央は和泉自転車屋、その右には森廣(もりひろ)湯が写っている。ここがのちに丸光デパートが建てられ、ビブレに変更、更にイコーレと変わっていった〉との説明があります。盆市の風景でしょうね。森廣は銭湯です。左端の店は、三束ふとん店だと思います。

左方向にある映画館の看板は「銀座令嬢」、上方にある横断幕には「渡り鳥いつ帰る」とあります。「鼎」や「9・3」の文字がありますので、和泉自転車屋の左側を入ったところにあった〈鼎座(かなえざ)〉で9月3日から上映される映画の告知でしょう。

映画の名前がわかるので、写真の撮影年を特定できるのではないか。そう思い調べてみると、月丘夢路主演「銀座令嬢」も田中絹代・森繁久彌主演「渡り鳥いつ帰る」も、製作年は1955年、昭和30年でした。それぞれ1月と6月です。ですから、この写真は昭和20年代後半ではなくて、昭和30年代初期。当時の気仙沼の繁栄から考えて封切り映画が一年遅れということは考えにくいのでたぶん昭和30年と考えてよいでしょう。

この当時、私は3月生まれなのでまだ3歳。記憶にはないのですが、この結構な人出には驚かされます。まさに大堀〈銀座〉の名にふさわしい風景です。

なお、浜らいん「昭和の気仙沼風情」のカレンダーに掲載された盆市の懐かしい写真は、このブログでも2度紹介しました。こちらも再度ご覧ください。私は何度見ても飽きることがありません。

1月28日ブログ「昭和の気仙沼風情」
8月29日ブログ「昭和の気仙沼風情」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 浜らいん 昭和の気仙沼風情

伊勢丹さんに感謝

一昨日2日、妻が〈新宿伊勢丹のチラシに気仙沼ニッティングが出ていたよ〉と教えてくれました。〈Life is a Gift〉と題された伊勢丹 新宿店のクリスマスキャンペーンの新聞折り込み広告。こんな感じです。

伊勢丹チラシ
折り込み広告一部イメージ(右下に気仙沼ニッティング商品)

気仙沼ニット
気仙沼ニッティング 商品部分拡大

伊勢丹の新宿店は、都内というか日本で一番おしゃれな百貨店といってよいでしょう。そのクリスマスキャンペーンに取り上げてもらえるというのは、そう簡単にできることではありません。驚きました。商品説明文を紹介します。

「1着ずつ手編みで仕上げた、宮城県気仙沼市生まれのセーター。編み手さんの名前とシリアルナンバーが入ったカード付き。〈KESENNUMA KNITTING〉男女児セーター各54,000円(毛100%/110・130cm)12月3日(水)〜16日(火)新宿店本館6階ウエストパーク」引用は以上。

商品は「こどもエチュード」。気仙沼ニッティングさんのツイートによれば、売場は本館6階エスカレーター脇の子ども服売り場。上りエスカレーターを降りて左手です。

なお3日から9日(火)まで、気仙沼の〈斉吉〉さんも伊勢丹新宿店本館地下1階フードコレクション(催しもの場)に出店しています。こちらにも是非お寄りください。「キンキの煮付け」なども販売とのことです。

〈Life is a Gift〉という伊勢丹のキャンペーンテーマには、〈せかいのすべてが、おくりもの。〉というコピーが付されていました。たしかに、世界は贈り物で満たされているのかも。だれかのおかげで生きることができている。おかげさまで。

〈伊勢丹〉を展開する三越伊勢丹グループさんの被災地支援に、気仙沼出身者のひとりとしてお礼を申し上げます。

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水上不二 記念詩集

気仙沼大島出身の詩人・童話作家で、大島を〈緑の真珠〉と讃えた水上不二(みずかみふじ)のCD付きの詩集が制作されたと、11月29日の河北新報が伝えています。

水上不二
河北新報2014年11月29日配信記事の一部イメージ

河北新報11月29日配信記事

記事を引用します。

「 気仙沼市大島出身の詩人、童謡作家水上不二(1904~65年)の生誕110年を記念したCD付き詩集「海の少年」が出来上がった。水上不二誕生110年記念事業実行委員会(菊田栄四郎会長)が自費出版した。
 「海の少年」「ぼくは地球の船長だ」「いわし」「昆虫列車のうた」「アスナロウの木」など代表的な35編の詩を掲載。各編には、市内の児童から毎年募集している水上不二作品感想画コンクールの入選作や、大島の風景写真などが添えられた。
 不二の詩は約50編が童謡になっている。CDには、大島住民と交流を続ける山口県周防大島町の兄妹デュオ「マウンテンマウス」作曲の歌など12編を収録した。
 元気仙沼市図書館長の荒木英夫さん(83)が不二の作品の成り立ちや特徴を解説。ことし8~9月にNHK「みんなのうた」で「アスナロウの木」(CD未収録)が放送された経緯をNPO法人「緑の真珠・アスナロウの会」の保田全(やすだ・あきら)代表理事(73)が紹介している。
 記念事業実行委の菊田会長は「ことしは『みんなのうた』にもなり、詩集出版を機に不二の作品世界を全国にアピールしていきたい。生きもの、弱いものを応援する不二の詩の温かさに触れてほしい」と話す。2000冊製作し、1冊900円(税込み)で販売する。連絡先は編集責任者の堺健さん090(9741)6468」引用は以上です。

私も読んでみたいと思い、さっそく堺さんに電話して注文。氏名と住所を伝えれば、詩集と一緒に費用振込用紙を送ってくれるとのことです。皆様も是非に。

最後に水上不二が大島をうたった詩文を紹介しておきましょう。気仙沼の人ならすでにご存じのことと思います。(表記は、大島神社の石碑文にしたがいました)

海はいのちのみなもと
波はいのちのかがやき
大島よ
永遠にみどりの真珠であれ

この詩文、以前このブログでも紹介したなと思って調べてみましたら、大島の気高同級生で現市議会議員の熊谷雅裕君が三陸新報に投稿した文章の中にありました。こちらも是非ご覧ください。

2012年6月25日ブログ「防潮堤は誰のため」

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ステレオの美由紀

私は大学生のときに管球(真空管)アンプやスピーカーをつくったりしていたこともあり、自作オーディオは今でも好きなジャンル。そんなわけで、オーディオ専門誌「STEREO」(音楽之友社)は、図書館から借りて毎号読んでいます。記事を読んで、なんかやっている気分になる〈バーチャル・オーディオ〉なのですが。

そんな愛読雑誌 STEREO 10月号の特集は「コンポ修理と工房」。オーディオ製品の修理を手がける小さな工房がいろいろ紹介されており面白かった。そしてさらにページを繰っていくと、なんと気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんがあらわれました。

ステレオ誌
「STEREO」2014年10月号記事の一部イメージ

著名ミュージシャンが毎回登場し、その作品アルバムを〈タイムドメイン〉という独自の理論に基づく個性豊かなスピーカー「イクリプス」で試聴する連載記事。一種のPRページなのですが、取材記事仕立てになっていてなかなか読ませます。

試聴は最新アルバム「歌で逢いましょう」5曲目の「圭子の夢は夜ひらく」から。記事はこんな調子です。〈ノイマン製真空管マイクを用いた他の曲と違い、敢えてハンドマイク(ダイナミックマイク)でボーカルを収録したというこの曲は、スタジオ録音でありながらも、まるでライブかのような躍動感と臨場感溢れるトラックだ〉。ノイマンのマイクがどうしたこうしたと、なかなかにマニアックです。

美由紀さんのアルバム「歌で逢いましょう」のマスタリングは日本を代表するサウンドエンジニアであるオノセイゲンさんが担当したと記事にありました。この記事の取材も彼のスタジオで行われました。

なるほど、そうだったのかと、私は納得。アルバム「歌で逢いましょう」は、通常のCD発売の後、10月8日にはハイレゾ音源の配信開始、11月19日にはアナログ限定プレス盤発売と、マニア心をくすぐる企画を次々と打ち出してきました。なぜなんだろうと、ちょっと不思議だったのです。坂本龍一さんをはじめ著名アーチストのサウンドエンジニアリングを手がけてきたオノセイゲンさんならではの仕事ですね。たぶん。

話はちょっと長くなるのですが、アナログ限定プレス盤のセールストークはすごいよ。〈アナログ盤のためマスタリング/世界初の技術となるDSDダイレクトカッティング/重量盤180g 2枚組仕様〉。

ハイレゾやDSDとかちょっと説明が必要な言葉もありますが、すべて省略。私はこれでやられました。〈重量盤180g〉。ハイファイの世界ではレコード盤(今はバイナル(ビニール)といいますが)の重さを語るようになってきているのですね。昭和歌謡を平成の先端技術で。こいづは、グラム、なんぼだべ(笑)。

時代の先にいっているのか戻っているのか。よくわからない時代ということで。本日はオシマイ。

9月4日ブログ「畠山美由紀の新譜」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 畠山美由紀 歌で逢いましょう オノセイゲン

夏生さん食卓日記

今日から12月。なにかと きぜわしい月の始まりです。

さて。週刊新潮の連載「私の週間食卓日記」は、著名人の一週間の食事内容を日記風に紹介しながら、その日常生活も浮かび上がらせるもので、私の好きな連載のひとつです。その11月6日号のタレント岡本夏生さんの記事のなかに〈気仙沼大島〉の文字がありました。

岡本夏生
週刊新潮11月6日号より

その部分を以下に引用します。

9月24日(水)
話は変わるけど、オイラは震災後に気仙沼大島で知り合った一族13人をホテルニューオータニに招き、食事会を開いたことがあった。お会計23万超えにはさすがに痺れたけど、一生の思い出になったと喜んでもらえた。で、このとき貯まったポイントを金券1万円分と交換。その金券の有効期限が月末に迫ってたから、ホテルのレストランに行くつもりだと話すと、男たち3人は「ワリカンなら是非」と言って同伴してくれた。時代も変わったものね……。鉄板焼のお店でひとり2万3000円。アワビや牛肉のステーキ、ガーリックライスなどで、腹十二分目。

引用は以上です。岡本さんが震災後の気仙沼大島を支援していることは以前このブログでも紹介しました。

2013年3月18日ブログ「岡本夏生in大島」

ホテルニューオータニでの食事会がいつのことだったのか詳しくはわかりませんが、いかにも岡本さんらしいと感じました。へたをすると自慢話になってしまうのですが、彼女のこれまでの一所懸命な支援の姿を知っているだけに、嫌味を感じませんでした。

記事のプロフィールによれば、岡本さんは1965年生まれ。48か49歳です。レースクイーンで売り出した彼女もそれなりの歳になりました。食生活にも留意しなければいけない年齢ですが、管理栄養士の荒巻麻子さんの食事採点は63点でした。

荒巻さんのアドバイスは、カリウムの多い新鮮な果物や野菜、雑穀を毎日摂取し、リンゴ、ミカンなども取り入れて欲しいとのこと。勝手なものいいになりますが、食事をはじめ健康管理にはこれまで以上に気をつけて、気仙沼大島を末永くよろしくお願いいたします。そして末尾ながら、これまでの気仙沼へのご支援に心からお礼を申し上げます。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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