汽船乗り場の津波

7月18日のブログ「気仙沼の映画館史」について、一年下の曽根さん(このブログへの投稿名は「エーノス」さん)からメールをもらいました。曽根さんも、「鼎座」「旭」、そして「東映」「南映」、さらに「第2東映」のこともよく覚えているそうです。鹿折の映画館については、その経営者で〈活動弁士〉だった小松さんという方の孫が同級生で、彼はその鹿折の映画館も「鼎座」と呼ばれたと語っていたそうです。

曽根さんのメールに写真が添付されていました。54年前 1960(昭和35)年5月24日のチリ地震津波のときの汽船乗り場です。以前このブログで紹介した津波被災写真と同じく『目でみる気仙沼の歴史』に掲載されていたもの。

レストハウス前

この場所は、震災前でいえばエースポート前というか喫茶〈亜紀〉の向かい側。この場所に〈レストハウス〉が建設されたのは津波の5年後1965(昭和40)年。さらに〈エースポート〉として開設されたのは、1984(昭和59)年のことです。

この写真で懐かしいと思ったのは、牡蠣筏(いかだ)の樽。筏の浮きとして使われていました。たしか腐らないようにコールタールが塗られていたのではないでしょうか。それと〈汽船〉という言葉。〈気帆船タクシー〉か〈汽船タクシー〉というのもあったような気がする。曽根さんの実家は、この向かいにあった魚屋さんの〈唐桑屋〉。ですから、魚町や南町の古い写真には、ことのほか郷愁を誘われるようです。ま、私もですが。

曽根さんは、同級生若山君(「紅梅の前にあった甘太郎のせがれ」とのこと)が持っていた『目でみる気仙沼の歴史』でこの写真を目にしたようです。〈甘太郎〉という言葉にもそそられますが、これはまた別の話。

曽根さんはもう一枚の写真を送ってくれていますが、これは日をあらためて紹介します。曽根さん、ありがとうございました。

6月4日ブログ「チリ地震津波写真」
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1日限定 珈琲山荘

きのうの夜、臼井真人君(3年2組)からメール。25日のブログに、気仙沼の〈みなとまつり〉で各家の軒先にかざった竹の話を書きましたが、それについての情報でした。

「あれは、みなと祭を祝い、盛り上げるための〈軒花/のきばな〉です。竹を割って棒状にしたものに、ピンク色の紙で花の形に折ったものを付けました。大堀銀座の高定さんの向かいにあったエビス表具店でつくっていました。3年2組の内海強志君の生家です」

〈のきばな〉。そう言われると聞いたことがあるような気がしてきた。それと、内海君ちの表具店も、たしかに昔は高定の向かいにありました。東条皮膚科に入っていくところの左側だったかな。それと、その軒花が実家の物置に入れてあったことも思い出しました。毎年、新しいものが配られたとは思うのですが。

(追記:この軒花については、魚町に実家のあった1年後輩〈エーノス〉さんからのコメント投稿がありました。幼いころ、兄弟でこの軒花づくりを手伝っていたことがあるというのです。〈コメント〉をクリックして是非お読みください)

さて、その〈気仙沼みなとまつり〉は今週末の土日。その初日2日(土)に、故 小山隆市君(3年6組)の〈コヤマ菓子店〉駐車場で、いま店を受け継いでいる長男 裕隆さんが〈一日かぎりの珈琲山荘〉を開くとのことですのでお知らせします。

珈琲山荘
昨年の出店の様子(裕隆さんのブログから)

同級生には説明の必要がありませんが、〈珈琲山荘〉はコヤマの2階にあった喫茶店です。隆市君のご両親がまだ元気なころ、東京から帰ってきた隆ちゃんが、菓子店の上に喫茶店を開いたのです。小・中とボーイスカウト、そして気仙沼高校では山岳部で活躍するぐらいの山好きでしたから、店にも〈山荘〉の名を付したのです。

当日は、懐かしいバナナジュースも用意されているようです。どうぞ皆様、田中前での港まつり見物のついでに〈コヤマ菓子店〉にもお寄りください。隆市君もきっと喜んでくれることでしょう。

コヤマ菓子店ホームページ

コヤマ菓子店:気仙沼市田中前1-4-8
TEL/FAX 0226-22-0868
営業時間 10:00~18:00(日曜日定休)

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震災後の肺炎の謎

昨日28日、気仙沼も梅雨が明けたとのこと。いよいよ気仙沼の夏が始まりますね。

さて本日はテレビ番組情報。あした30日のNHK BS1「TOMORROW」で、震災直後に気仙沼で急増した肺炎をとりあげます。〈震災直後、気仙沼では肺炎患者が急増。特に避難所で高齢者に増えていた。これを救ったのは他県から救援に駆けつけた歯科医師たちだった〉

トモロー
番組ホームページから


◎NHK BS1「TOMORROW」
◎7月30日(水)午後2:00〜2:28
◎肺炎急増の謎 ~ 避難所を襲った次なる危機
◎再放送
 8月3日(日)午前4:00〜4:28

以下は、番組紹介から。
「震災直後、気仙沼では肺炎患者が急増。死亡者が続出した。重油が乾いて生じるダストや新種の細菌が疑われる中、医師たちがこの謎に挑んだ。ある呼吸器科医は泥だらけのカルテを調査し、震災後の3か月間で肺炎発生率は5.7倍に、死亡率は8.9倍にも上っていたことが判明した。しかし、肺炎急増の原因はダストなど特定の病原体ではなかった。一方、他県から救援に来た歯科医師らは、阪神淡路大震災、中越沖地震の経験から、避難所生活にその原因があるとして口腔ケアを推進。これにより、肺炎の急増は6月に終息した。なぜ避難所で肺炎が急増したのか、なぜ口腔ケアに効果があるのか、モーリー・ロバートソンが探る」

番組紹介は以上です。
モーリー・ロバートソンさんは、ジャーナリスト、作家、ミュージシャン。1963年にアメリカ人の父と日本人の母との子としてニューヨークで生まれ、5歳で日本へ。日本語で受験した初のアメリカ人東大生となりましたが、1学期で中退してハーバード大学に入学し電子音楽を専攻するなど、ちょっと変わった経歴の持ち主。私もツイッターでフォローしているのですが、DJなどをやりつつ、政治から社会問題、音楽をはじめとするアートまで幅広いテーマをカバーする奇才です。

7月2日の「TOMORROW」でも「支援物資の山に挑んだプロたち」と題し、モーリーさんが震災時の気仙沼での救援物資や物流対応をとりあげていたようですが、見逃しました。5月下旬のツイッターでも大麻に関する話題にまじって気仙沼訪問の情報があったので、なんのための訪問かと思っておりました。これらの番組の取材だったようです。

放送は今週水曜日の午後2時からなので録画ですね。なお、再放送は日曜ですが、午後ではなく「午前」4時からですのでお間違えなく。それではこのへんで。今日も暑い。水分補給を忘れずに。

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NHK「のど自慢」

土曜日の夜、気仙沼の臼井弘君からメール。「明日のNHKのど自慢、松本英人君の娘(たぶんデュエット?)が出るそうです。応援してやってください」
弘君も英人君も気中3年4組。すぐに菊田裕美君にメールして、東京近辺の同級生たちに連絡網で伝えてもらいました。

そして昨日。私は急な仕事があったので、録画で視聴しました。今か今かと思いながら見ていたら〈18番〉で登場。はじめに妹さんが〈お姉ちゃんの結婚祝いに歌います〉と言ってデュエットが始まりました。曲目は水樹奈々さんの「ONE」。

写真 1 写真 3
写真 2 写真 4
「のど自慢」放送画面から

そして結果は、チャイムが連打され見事に〈合格〉。司会のインタビューを受け、さいたま市からやってきた3歳違いの姉妹であることや、お姉さんが10月に結婚することなどが話されました。そういえば松本英人君が、4月29日に行われた千葉和夫君(体操部の仲間でした)の火葬式に参列してくれた時、娘さんが結婚すると語っていたことを思い出しました。

きのうの昼、生放送の二人の歌が終わったころに弘君からメール。「ヤッタヤッタ~ \(^O^)/\(^O^)/見でだすか? いやぁうまかったねぇ。誰に似たのかな?」

ヤンキース田中の戦線離脱、サッカーWカップの予選や気高硬式・軟式の敗退などで〈楽しみが全てなくなった〉と落胆していた弘ちゃんも、あの合格のチャイムで少し元気が戻ったようです(笑)。

のど自慢の会場には松本君も来ていたのでしょうか。きっとそうでしょうね。結婚祝いにと歌うふたりの歌声を聴いて、泣いていたと思う。

英人君、のど自慢の合格と10月に控えた娘さんのご結婚、どちらも本当におめでとう。

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昭和の振商会通り

本日紹介するのは、気仙沼近辺の地域情報誌「浜らいん」の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー7月8月の写真です。

振商会通り2
浜らいん〈昭和の風情〉カレンダー2014より(クリックで拡大)

キャプションには、〈昭和40年代半ば頃の南町振商会通り〉とあります。しかし、振商会通りは八日町だと思っておりましたが。それはともかく、撮影時期は〈港まつり〉の時ですね。この写真ではちょっとわかりにくいのですが、あの頃の港まつりでは、各家の軒先に紙の花を付けた竹を取り付けていました。1本に5つほどのピンクのちり紙でつくったような紙の花がついていて、それを各家に4〜5本ずつ。あれはなんだったんだろう。

通りの右側ににうつっている〈たにむら〉は蒲鉾や仕出し、その左隣は瀬戸物屋さんの〈佐々木〉でしょう。その向かい側の〈カネボウ毛糸〉のサインが付いている店の名が思い出せません。(追記:「すずらん」でした)気仙沼中学の女子生徒が着ているのは〈制服〉ではなく〈奨励服〉と呼ばれていました。強制ではないよということだったのでしょう。左下の綿飴を持っている子の帽子も、なんか時代を感じさせますね。

そんなに古い写真ではないのですが、そんなこんな、あの頃の気仙沼の夏を思い出させる一枚です。

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気仙沼 港まつり

震災の年は中止となったものの、一昨年に復活した〈気仙沼みなとまつり〉が、8月2日(土)、3日(日)に開催されます。最近2回は、震災月命日の11日に合わせての開催でしたが、今年は震災前と同じ8月第1土日曜日に戻す形で開催します。

公式ホームページから、みなとまつりのガイド内容を紹介します。気仙沼を離れている人に、少しでも雰囲気を知ってもらえればと。(いずれもクリックで拡大します)

港まつり1

港まつり3

2日(土)午後のパレードには14団体・約700人、そして17:30から田中前大通りで始まる〈はまらいんや踊り〉には60団体・約3100人が参加するとのことです。

ホームページによれば、「気仙沼みなとまつり」のルーツは、まだ気仙沼町だった昭和24年に行われた「気仙沼湾振興まつり」です。このまつりでは、気仙沼地域に伝わる一本釣り漁法の「カツオ一本釣り実況」、「仮装行列」、賞金つきの「花火師競演」を開催し、人出は延べ約10万人とのこと。そして、翌々年の昭和26年に第1回「気仙沼みなとまつり」が開催されます。気仙沼地域に伝統的に伝わるカジキマグロを豪快なモリで射止める「突きん棒漁実況」、「和船競漕」といった水産漁業都市としての文化を織り込み、新たな第一歩を踏み出したのです。

調べてみたら、第1回は昭和26年の7月26日開催ですから、気中20回生と同じ周年となります。港まつりと共に今年で63周年。

気中20回生と同じく年をとった〈気仙沼みなとまつり〉、還暦を過ぎたとはいえまだまだ元気で面白い、ということでどうぞヨロシク。私は今年も行けないのが残念です。

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ヴィトン家5代目

今日の気仙沼は、天皇皇后両陛下をお迎えします。午後には「はまなすの館」、そして岩井崎を視察し、宿泊は気仙沼プラザホテル。明24日は、気仙沼魚市場を視察した後に、気仙沼市役所で会食です。

本日の話題はひさしぶりに畠山重篤さん。またまた月遅れの話で恐縮なのですが、図書館で借りてきた「週刊文春」6月19日号に目を通していたら、モノクロ最終頁に気仙沼市唐桑の畠山重篤さんがうつる写真が掲載されていました。

文春ヴィトン
「週刊文春」2014年6月19日号の記事イメージ

「ルイ・ヴィトン家当主が訪ねる〈気仙沼の山と海のいま〉」との見出しが付された記事内容を以下に引用します。

〈 「相変わらず何とも気持ちのいい男です」と、世界に名だたるブランドの5代目当主パトリック・ルイ・ヴィトン氏は、畠山重篤氏との再会を喜んだ。

気仙沼で牡蠣養殖業を営む畠山氏。東日本大震災では大きな被害を受けた。だが、NPO「森は海の恋人」代表でもある氏は、豊かな山が豊かな海を育むという信念の下、今なお熱心に植樹活動を続けている。その活動を長らく支援しているパトリック氏が、6月1日、植樹祭に訪れたのだ。ファッションと森や海。縁遠くも思えるが?

「ルイ・ヴィトンの初代は、森に住み、木工を極めました。革で包んだ木箱からビジネスを始めたのです。ルーツには森があり、畠山さんの考えに共感します。それに彼の牡蠣は本当に美味しいですからね」

植樹の後は養殖場で、初挑戦のホヤにも舌鼓。そして、津波に呑まれて3年、今春ついに完成した木造舟「梓丸」に乗り込む二人。交代で櫂を操る姿は、親友のようなたたずまいだった。 〉

写真キャプションは、上「岩手県・矢越山の植樹祭で、タモの木や山桜の苗を植える畠山氏とパトリック氏」下「牡蠣筏が浮かぶ湾内を梓丸で一周。名前の由来・梓は神事用の弓になるほど強い木材で、櫂には最適なのだとか」となっています。

記事の引用は以上です。

上の写真は岩手県室根町で行われた「第26回森は海の恋人 植樹祭」。約1400人が集まり、矢越山に1500本程の苗木を植えたそうです。下の写真もいいですね。パイプをくわえ櫂を操るルイ・ヴィトン家五代目パトリックさんの姿は、まさに仏国版〈カントリージェントルマン〉の趣があります。

週刊文春は、もちろん文藝春秋の発行。畠山重篤さんは同社とのおつきあいが深いようです。2003年に文藝春秋から発刊された『日本〈汽水〉紀行』は、同社のオピニオン誌「諸君!」に「汽水の匂う洲(くに)」として2年間連載したものをまとめたもの。同書は翌年、第52回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。また、2006年刊の『牡蠣礼賛』も同社の文春新書の一冊です。

どちらの著書も震災前の発刊で、大津波による被災や復興などが書かれているわけではありませんが、時が経っても古くならない優れた本であると思います。是非お読みいただければと。



2012年8月22日ブログ「パトリックLVさん」
2011年7月25日ブログ「牡蠣とヴィトン」

そして最後になりましたが、きのうの高校軟式野球、気仙沼高校は2対1で仙台青陵に破れました。気高軟式OBの〈福寿水産〉臼井弘君(3年4組)にいわせると〈ヤンキースの田中が戦線離脱し、Wカップも予選敗退、気高の硬式・軟式の短い夏も終わり、これで全て楽しみがなくなりました〉とのことです。かなり落胆が激しいようなので、誰か励ましてやってください(笑)。

東京は今日も暑い。本日はこれまで。

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還暦野球メンバー

昨日お伝えしたように、今日22日の軟式野球宮城大会2回戦で、気仙沼高校が仙台青陵と戦います。13:30から松島運動公園野球場。頑張って欲しいですね。ということで、本日も野球の話題。

今夏、気高硬式の甲子園出場はなりませんでしたが、すでに全国大会出場を決めた気仙沼の野球チームがあります。7月16日の三陸新報にこんな記事が出ていました。

7月16日還暦野球
7月16日付け三陸新報記事の一部イメージ

気仙沼のチーム「気仙沼フィッシャーズ」が宮城県還暦軟式野球春季大会で2位に入り、来年10月に開かれる全日本選手権大会への出場を決めたといいます。9年ぶりの全国大会出場だそうです。17チームがA、Bの2グループに分かれてのリーグ戦で、フィッシャーズはAブロックで8チームでの総当たり。結果は、5勝2敗での2位。1位の宮城ドリームズと共に全国大会出場を決めました。

メンバーには、気仙沼高校22回生3人の名がありました。臼井真人君(気中3年2組)、斉藤康雄君(9組)、伊藤丈人君(唐桑中)です。真人君と康雄君はよく知っているのですが、丈人を思い出せず真人君に聞いたところ、気仙沼市の健康福祉部長をつとめていたのですね。なお、監督は熊谷猛郎さん。言わずと知れた52年前の気仙沼高校甲子園出場時に投手をつとめました。

この還暦野球チームについての三陸新報記事は私も見てはいたのですが、記事の中の同級生の名には気付きませんでした。土曜日の朝に菊田裕美君がメールで教えてくれたのです。あらためて記事を読み、臼井真人君ら62〜63歳の同級生の元気な様子を知り、大変うれしく思いました。

今日の東京は暑いけれども良い天気。梅雨も明けました。さあ、今日もラジオ体操を元気よく!(笑)。

3月20日ブログ「甲子園の熊谷投手」

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気高軟式も頑張れ

昨日の高校野球、気仙沼高校は残念でした。利府5×気仙沼1。しかし、相手追加点のチャンスを何度も土壇場でこらえるなど、気仙沼も本当に頑張りました。ベスト4は立派な戦績。選手、そして応援の皆さん、ありがとうございました。ご苦労さまでした。

さて、この硬式野球戦の一方では、軟式野球の宮城県大会も行われています。気仙沼は初日18日に第2シードの仙台育英と対戦。7―6で接戦を制し、2回戦進出を決めています。そしてその2回戦がきのう20日に予定されていましたが雨天により順延し、明日7月22日(火)松島運動公園野球場にて、本日20日の尚絅学院-仙台青陵戦の勝者(追記:仙台青陵が7−0で勝利)と戦います。育英を破り2回戦に進んだ気高軟式。こちらも、楽しみな戦いです。是非、みなさまの応援をお願いします。

念のため、気高がらみの試合予定を整理しておきます。

7月22日(火)2回戦 13:30〜
 仙台青陵-気仙沼
7月23日(水)準決勝 12:30〜
 《東北学院・泉》-《尚絅学院・仙台青陵・気仙沼》
7月25日(金)決勝 10:00〜
 (仙台市民球場)


なお、気仙沼高校の軟式野球部は、一昨年に全国大会に出場しています。2回戦で敗退はしたものの、その実力を示しました。概要は下記のブログにて。

2012年8月27日ブログ「気高初戦劇的勝利」

さあ、明日は気仙沼高校の軟式を応援しよう! 頑張れ気高!

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気仙沼の映画館史

7月11日のブログでは、魚町にあった映画館ロマンス座の写真を紹介しました。そして本日は、気仙沼の映画館の変遷を追ってみました。基本資料は、『気仙沼市史』第6巻「教育・文化編」(1992年2月発行)ですが、『気仙沼文化史年表』(同2003年12月)で一部を補完しております。

◎前史
常設の劇場としては明治35年、沢田に曽根留五郎が〈気仙沼座〉を創設しましたが、大正4年の大火で焼失。また、明治35年当時の河北新報には、〈鼎浦座〉という名も見られるそうですが、詳細は不明とのこと。そして〈気仙沼座〉に続く〈鼎座〉の創立から、気仙沼の映画館の歴史が始まります。

◎鼎(かなえ)座
大正3年8月、遠間章次らが株式会社鼎座を創立し、南町(後の丸光デパート付近)に鼎座を新築したが、開館をまたず大正4年3月の大火で焼失。その後、仮小屋で営業した。(文化史年表には、昭和4年6月〈松竹直営となる〉との記述あり)。その後、昭和5年11月に、新たな建物を落成し、多くの映画や芝居・演劇を上演したが、昭和39年4月に閉館。

◎恵比寿館
大正7年2月、現在の南町2丁目付近に映画専門館として開館。社長は松山平兵衛(後の気仙沼町長)、経営は広野貞助(3代目広野太兵衛)。大正末年頃から経営不振となり休館となった後、昭和4年の大火で焼失した。

◎ロマンス座
昭和25年2月、魚町2丁目付近に開館。2階にロマンスシートがあった。経営者は富士章子。昭和33年4月に閉館。

◎鹿折文化劇場
昭和25年7月に、浜区(その後の新浜町1丁目)に開館。経営者は田川与兵衛。昭和34年に閉館。

◎旭映画劇場
昭和30年8月に開館。南町の鼎座と隣接して建てられた。旭産業株式会社(代表 高橋正男)が経営。昭和40年頃から不振となり、関東共栄産業に経営を委ねたが、昭和52年8月に閉館。

◎東映
昭和33年4月、南町新中山通りに建てられ、主として時代劇を上映した。経営者は佐藤廉平。昭和43年3月閉館。(市史で南町新中山通りとしている場所は、その後の八日町仲山通りと思います)

◎第二東映(日活)
昭和34年11月に開館。場所は港町で、のちに日活と改名。昭和39年、閉館。

◎南映画劇場
昭和40年10月、仲町に開館。昭和60年1月に閉館した。これを最後にしばらく気仙沼での映画専門館は姿を消したが、昭和62年7月からジャスコが映画館を開いた。

市史からの情報は以上です。
この中で、〈南映画劇場〉についての記述には疑問があります。以前このブログで紹介した昭和35(1960)年5月のチリ地震津波の写真に、〈南映〉と〈第二東映〉の両方がうつっています。左奥に見えるのが南映で、河原田の通りに面していました。そして右が第二東映です。

南映
6月4日ブログ「チリ地震津波写真」より(クリックで拡大)

私の理解では、〈南映〉ができたのは昭和40年ではなく、〈東映〉と〈第二東映〉の間で、場所は写真にうつっている港町の河原田側。その後、仲町に移転してポルノ映画館のようになりましたが、それは日活が〈ロマンポルノ〉をスタートさせた昭和46年を過ぎたあたりのことではないでしょうか。また、第二東映の開館が東映の一年後というのもちょっと違うような気がする。もう少し後ではないか。細かなところで何かが違っているようです。

以上、話が長くなってしまいましたが、とりあえずの調査報告ということで(笑)。

さあ午後4時からは、気仙沼高校と石巻高校の戦い。宮城県ではNHK Eテレでのテレビ中継があります。私は今日もツイート〈感戦〉です。みんなで応援しましょう。フレッ!フレッ!気高!フレッ!フレッ!気高!

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気高がベスト8!

きのうの高校野球宮城県予選、気仙沼高校と石巻商業の戦いは、6−5で気高が勝利! 3点差からの逆転勝利は見事でした。私はツイッターの文字情報による〈感戦〉でしたが、1点差を守りきって勝利が決定したときは本当にうれしかった。

ということで、喜びついでに今後の対戦表を作成してみました。イメージを共有することが大事だと思いますので、気仙沼高校の勝利への道筋を赤色にしております(笑)。

気高優勝
気仙沼高校 勝利への道筋イメージ共有図

きのうの試合には、仙台周辺地区の同年会「昭和42年中学卒業気仙沼・仙台三陸会」(ちょっと長いので略してKSS42)のメンバー3名も応援に駆けつけました。そして、仕事で仙台を訪れていた菊田裕美君(気中3年1組)も合流して、仙台駅構内の店で祝杯をあげたそうです。裕美君撮影の写真を送ってもらいました。

祝杯

左から、斎藤修司君(気中3年2組)、千葉正俊君(3組)、佐々木壽(ひさし)君(歌津中)。みんな気高22回生。正俊君が携帯で話している相手はわたくし小田です。

昨夏の高校野球では、東北高校を破ってベスト8に進んでいます。今回は、準決勝で東北高校と対戦でしょうか。

2013年7月25日ブログ「気高が東北を撃破」

しかし、まずは7月18日(金)16時から楽天koboスタジアム宮城で行われる石巻高校との戦い。27年ぶりの4強を目指します。皆さんの応援、よろしくお願いいたします。

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中央防災会議提言

7月10日(木)に、東京・有楽町の外国特派員協会で防潮堤問題に関する記者会見が行われました。その内容がわからずにおりましたが、やっと昨日15日に、ニュースサイト「BLOGOS」の記事として配信されましたのでご紹介します。

海外特派員協会
会見時の菅原昭彦氏(「BLOGOS」記事より)

「BLOGOS」7月15日配信記事

この会見に出席したのは、気仙沼市の「防潮堤を勉強する会」の発起人のひとりである菅原昭彦さん、そして中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」の座長をつとめた河田恵昭(よしあき)関西大学教授と、海岸生態工学の研究者である清野聡子 九州大学大学院准教授の3氏です。気仙沼の人に説明は不要ですが、菅原昭彦さんは酒造会社〈男山本店〉の社長で気仙沼商工会議所の会頭でもあります。

詳細内容は配信記事をお読みいただくとして、私が感じたことを少し記しておきます。それは、中央防災会議の専門調査会に対する〈なんだかなあ〉という不満というか不信というか、まあそんな感じ。

専門調査会の座長をつとめた河田教授はこう語ります。
「津波に対しては避難するということが大原則で、構造物で命を守ることはできないんだという発想です。『多重防御』と呼んでいますけれども、防潮堤だけでなく、防潮林、それから盛り土をした道路や鉄道、そしてどうしても避難できない場合は高台に移転するというように、いろいろなメニューを組み合わせて街づくりをやるということが、基本として提言されました。津波に対しては、面的に防御するという考え方で対処するということになったわけです。(中略)そこで生活する人たちが、『どういう街を作らなければいけないか』という議論をする中で、防潮堤の高さや高台移転といったものが議論されるべきであって、『初めに防潮堤ありき』ではないということなんです」 そして「地方自治体は決して焦るべきではないと思います」とも。

なんで今頃になって言うのだろう。それとも、どこかで語っていただろうか、ちょっと方向が違っていますよと。この〈BLOGOS〉の記事では文字になっていないのですが、〈Think Seawall 防潮堤を考える〉のfacebookでは、菅原さんの「そのお言葉を2年前にお聞きしたかった」という河田教授へのコメントが紹介されています。私も同感。

一方、宮城県というか宮城県知事は、〈国の中央防災会議の提言にしたがって粛々と〉という立場を強調しています。しかし、その硬直的とも思える姿勢は提言の本質と少し違っているのではないでしょうか。中央防災会議の〈避難が基本〉との考え方は以前、新聞の大きな見出しになったこともあるのですが、その後の宮城県の動きにはそうした提言の主旨が反映されていないように感じるのです。

この外国特派員協会での記者会見が、巨大防潮堤計画を再考するきっかけになってくれればと思っています。


さて、話題を変えます。12時30分からは高校野球宮城県ベスト8をかけた気仙沼高校 対 石巻商業高校戦。東京にいてツイッター情報で得点を追うのがホントじれったいのですが、みんなで応援しましょう。私のツイッターアカウントは〈@kechu20〉。得点情報を随時リツイートしようと思っていますので、まずはよろしく。

(追記)
本日16日午後3時、気仙沼高校が見事逆転勝利!5対6でベスト8。次戦は石巻高校と。

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同窓会の追加写真

きょうは3つの話題。

◎気高同窓会・懇親会

12日の気仙沼高校関東同窓会の様子はきのうも書きましたが、菊田裕美君(3年1組)も写真を送ってくれたので追加でご紹介。

市長と2

私たち気高22回生と菅原市長です。きのうの柔道部の写真で紹介した諸橋茂君が席をはずしていてうつっておらず残念。菅原市長は、気高28回(気中26回)で私達の6学年下となります。

◎天皇皇后両陛下の気仙沼訪問

懇親会では菅原市長から、7月23日・24日の天皇皇后両陛下の気仙沼訪問(行幸)についての報告もありました。会場には知らなかったという方もいらっしゃったので、報道資料から簡単にまとめておきます。

両陛下は22日に宮城県入りし、登米市の国立ハンセン病療養所「東北新生園」を訪問し、南三陸ホテル観洋に宿泊。23日には、南三陸町の仮設商店街「南三陸さんさん商店街」などをたずねた後、午後には「はまなすの館」、そして岩井崎の視察。宿泊は気仙沼プラザホテル。24日は、気仙沼魚市場の視察の後に、気仙沼市役所で会食という予定になっています。この会食には、菅原市長と守屋議長もご一緒するとのこと。そして午後には一ノ関に向かいます。

以上は7月1日に正式発表されました。

◎高校野球 宮城県予選

高校野球の宮城県予選。気仙沼・本吉勢は東陵や向洋などもすでに破れ、気仙沼高校だけが三回戦に進むことができました。そして昨日14日の午後1時半すぎ、岩ヶ崎高校に3対5で見事勝利しベスト16へ。明日7月16日(水)の四回戦で石巻商業高校と戦います。楽天Koboスタジアム宮城(旧 宮城球場)で12:30からの第2試合です。

気高対岩ヶ崎高校戦の河北新報記事

気仙沼高校硬式野球部の明日の活躍を期待しております。是非ともベスト8へ!

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気仙沼高校同窓会

7月12日(土)、東京・九段下のホテルグランドパレスで、気仙沼高校関東同窓会の総会・懇親会が開催されました。この日、台風の心配はすでになくなっていたものの、午前4時過ぎの地震による津波注意報なども発令され、気仙沼の様子が心配されましたが、6時過ぎには解除されました。

まずは午前11時半から30分ほどの総会を終え、12時からは気仙沼向洋高校の関東同窓会と合同での懇親会が持たれました。100名近くの参加者に菅原茂気仙沼市長はじめご来賓は11氏。

来賓挨拶を終えてからのアトラクションでは、高校時代の懐かしい映像も紹介され、会場からのコメントをもらっていました。それと、気仙沼高校のラグビー部、硬式野球部、柔道部のOBを壇上に呼んでの紹介なども楽しい企画でした。何枚か写真を紹介します。

まずはラグビー部。左端で挨拶しているのは、今期から気仙沼市議会の議長をつとめている守屋守武さんです。
ラグビー

次は、硬式野球部。スライドでは、甲子園出場時の行進なども紹介されました。
野球

最後に柔道部。左端は気高同級生の諸橋茂君。マイクを持っているのは、同級生〈大鍋屋〉熊谷昇君の兄上 眞憲さん。会場には柔道部のコーチ〈ぎっこさん〉こと伊藤毅一先生の息子さんもいらしており挨拶してくれました。
柔道

会の最後は、各校OB・OGによる校歌や応援歌の斉唱でした。順に紹介します。

まずは気仙沼向洋高校(旧 水産高校)
向洋

鼎が浦高校。
鼎が浦

鼎が浦高校の前身 気仙沼高女、実科女などの方々。
鼎前身

気仙沼高校。大人数なので組み合わせ写真でパノラマ風に。(写真はクリックで拡大)

気高パノラマ


以上の懇親会は、3時過ぎに終了。私たちは新橋に流れて、2次会からの参加者らと一緒に楽しい時間を過ごしました。

最後になりましたが、関東同窓会事務局メンバーをはじめ、準備や運営をお手伝いいただいた方々にお礼を申し上げます。なお、当日の司会は、先日の〈気仙沼を元気にする会〉に続き佐藤千晶さんがつとめてくれました。

また来年の同窓会でお会いしましょう。ありがとうございました。

(追記)13:45pm
 高校野球宮城県予選 三回戦
 気仙沼高校は岩ヶ崎高校に3-5で勝利しました!

 岩ヶ崎 0 0 0 0 2 1 0 0 0
 気仙沼 2 0 0 0 0 1 0 2 ×

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映画館ロマンス座

その行方が心配された台風8号は、今朝には温帯低気圧に変わったとのこと。まずはよかった。

さて、本日紹介するのは、6月末に届いた気仙沼の街の情報誌「浜らいん」の〈昭和の気仙沼風情〉シリーズ第19回の写真です。

ロマンス座2
「浜らいん」2014年7・8月号より(クリックで拡大)

見出しには〈町に「ローマの休日」がやってきた〉〜昭和29年、魚町大通りにあった映画館「ロマンス座」〉とあります。私たちが2〜3歳のころの写真です。

4歳上の兄は、この「ロマンス座」のことをよく覚えていて、東映の時代劇をよく見たといいます。〈クライマックスの場面で中村錦之助や大川橋蔵が出てくると、みんなで拍手して応援した〉と。あとは、大友柳太朗、片岡知恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門など、懐かしい名前が続きます。

私も時代劇を見て拍手したのは覚えているのですが、八日町の仲山通りにあった〈東映〉で見たとの記憶。兄に連れられてロマンス座にも行ったのかどうか。

ロマンス座の場所ですが、兄によれば〈坂本商会〉や〈長井時計店〉の向かい、岩手銀行があったところです。左隣にうつっているのは、茶舗〈ひみこ園〉。

この写真、60年前のものですから私の記憶にある風景ではないのですが、じっと見ていると、当時の魚町の繁栄が目に浮かびます。〈ローマの休日〉にしても予告看板にある〈デカメロン夜話〉にしても、話題の洋画が日本公開後さほど遅れることなく上映されていたようですし。

右側にちょっと行けば〈大堀銀座〉の交差点。この界隈のにぎわいは、当時の気仙沼にとって、まさに〈銀座〉だったのでしょう。

1月28日ブログ「昭和の気仙沼風情」

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気中4回生の寄付

きのう7月9日の三陸新報に〈母校のために〉という小さな見出し。読んでみると、気仙沼中学4回生が母校へ寄付したという記事でした。

sannju
7月9日付三陸新報の記事一部イメージ

記事を引用します。

「気仙沼中学校第4回生が3日、同校に約8万円を寄付した。先日、市内のホテルで開いた傘寿(さんじゅ)を祝う会の会費の中から贈ったもので、生徒会活動で活用する予定。当初は「喜寿」の祝いで同級会を開く予定だったが、震災の影響で80歳を祝う「傘寿」まで集まりを延期。13日に気仙沼プラザホテルで祝う会を開き、95人が旧友と親睦を深めた。吉田大吉さん、岩手範夫さん、小野寺良男さんが学校を訪問。8万1167円を小松康雄校長に手渡した。」

よく知る名前がありました。〈だいきっつぁん〉こと吉田大吉先生。3年6組の担任でもありました。岩手範夫さんは、南町煎餅坂の岩手園茶舗のご主人だと思います。

大吉先生は、一昨年の春に42年間の教育功労をみとめられ瑞宝双光章を受章しています。このブログでも紹介しましたが、受章を伝える新聞記事で大吉先生は、気中時代の思い出として〈全校生徒2000人での運動会〉〈大型バス14台を連ねての修学旅行〉などをあげています。たぶん先生が30歳ぐらいのころの思い出です。

それにしても、80歳の同級生が95人も集まったとは。なかなか元気な気中4回生。私たちもやりましょうか、傘寿の会。16年後だけど(笑)。

2012年5月14日ブログ「大吉先生の受章」

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マンモス校の現在

きのう7日のブログに頂戴したコメントの中に、〈子育て世代の流出のあらわれか、気小の新入生は35人を切り1学級だったとか〉とありました。たしかにこの春、そんな話をきいて驚いたような気もします。

7月8日ブログ「仮設暮らしの延長」(下部にコメント)

気仙沼小学校の児童数をネットで調べてみたら、今年度の数字は見当たらなかったものの、2012年度と2013年度の生徒数がわかりました。まずはグラフから。

気小児童数
学校教育情報サイトGACCOMより


児童数の減少傾向がはっきりとわかりますね。2013年度の実数も記しておきましょう。1年55人、2年45人、3年61人、4年46人、5年81人、6年92人です。1〜4年が2学級、5〜6年が3学級。全児童数は380人。これに特別支援2学級の5人が加わります。なお、気仙沼小学校と南気仙沼小学校が統合されたのは2012年4月ですから、これらの数字は南小の約200人が加わってのものなのです。

私たちが気仙沼小学校に通っていたころは、児童数3000人の〈マンモス校〉と呼ばれていました。気小6年のときの後期児童会長(前期は門馬亨君)だったので、校庭に置かれた台(朝礼台というのだそうです)にあがって挨拶する機会が何度もありましたが、校庭いっぱいに広がる生徒の群れはまさに壮観でした。ちなみに児童会の名は〈安波会〉。

ブログへのコメントの主旨も、児童・生徒数が少なくなった気小や気中をそのままにしておかず、その敷地を復興に活用できないかということのようです。気小児童数減少のグラフを見ていると、〈それもありか〉という気にもなってくるのです。

あの〈マンモス校〉も今ではすっかり小さくなっちゃって。まさに半世紀前の、記憶の中だけにある風景となりました。

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仮設暮らしの延長

7月4日の三陸新報に、仮設住宅の入居が1年延長されるとの記事がありました。

仮設延長

7月4日付三陸新報記事の一部イメージ

宮城県は、気仙沼市、南三陸町を含む沿岸14市町で応急仮設住宅の供与期間を1年延長して5年とすることを決めたというのです。災害公営住宅や防災集団移転の進捗に時間がかかるための措置だそうです。記事を少し引用します。

「 仮設住宅は、当初2年だった供与期間を国が1年延長。その後の延長については、沿岸市町村の復興状況を考慮して県が判断できると通知しており、昨年8月に4年までの延長が決まっていた。(中略)入居延長の手続きは自動更新だが、アパートなどを借り上げるみなし仮設は、再契約が必要となる。」

三陸新報のおとつい6日の記事には、気仙沼市が計画する災害公営住宅の約7割で完成・入居が遅れることの説明会が5日から始まったとの記事がありました。整備予定約2200戸のうち、約900戸で2カ月から1年1カ月以上遅れる見込みです。この遅れについては、以前このブログでもお伝えしました。

5月2日ブログ「災害公営住宅建設」

4日の三陸新報記事には、5月末現在での仮設入居者の数が記してありました。気仙沼市では91カ所の仮設住宅に2936戸・6496人が入居。みなし仮設では952戸・2484人が生活しているとのことです。合計すると8980人。

約9000人。この数字を見ていると、仮設住宅やみなし仮設で暮らしている私の同級生や知り合いの顔が浮かんできます。元気にやってるよとはいうのですが。当初は3年間とされていた仮設での暮らしがまだまだ続いていくのです。

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テレビ番組情報等

今日は七夕。新しい一週間が始まりました。今週は、テレビ番組と気高同窓会について2件のお知らせから。

1:テレビ番組情報    

ひるブラ
番組ホームページのイメージ

明日7月8日のNHKテレビ「ひるブラ」で気仙沼のフカヒレがとりあげられます。25分間の番組ですが、気仙沼から中継とのことですので、録画予約などしてご覧いただければと。

・ NHK総合テレビ「ひるブラ」
・ 7月8日(火) 午後0:20~0:45
・ “サメ愛”あふれる港町~宮城県気仙沼市

(番組ホームページから)「フカヒレ」の町、宮城県気仙沼。高タンパクで低カロリーなサメ肉はフカバーガーに!さらにサメ皮はおしゃれなバッグに大変身!知られざるサメの魅力をご紹介。宮城県気仙沼市から中継。

2:気仙沼高校関東同窓会 

7月12日(土)午前11:30から九段下のホテルグランドパレスで開催される気高の関東同窓会、参加申込みはお済みでしょうか。って言ってる本人がハガキを出すのを忘れており、先日あわててメールで申し込みました。同類の方がいらっしゃいましたら、どうぞ次の内容をメールにて事務局に急ぎお送りください。

・12日の同窓会に出席します。
・氏名(旧姓):
・卒業年度等:
 旧制気中・旧気高・新気高・気仙沼実科女・気仙沼高女・鼎高
 大正・昭和・平成  年卒  回生
・電話番号

なお、上記中の卒業年度や回生というのがわかりにくいのですが、気中20回生(1951年4月〜1952年3月生まれ)の場合は次の内容。これを参考に換算いただければと。

気中20回生の例:旧気高・昭和45年卒・22回生

メール送付先:関東同窓会事務局
kantou@khs-doso.com

7月12日の同窓会についてはこちらをご覧ください。
それでは、今週も梅雨空に負けず、元気にお過ごしください。

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三陸新報/投稿文

先日のブログでも少し触れましたが、6月26日の三陸新報に私の投稿文が掲載されました。〈気仙沼への想い〉というシリーズ10回目にあたります。これは、気仙沼出身者に故郷への想いを書いてもらおうと、一般社団法人気仙沼サポートビューローが企画したもので、私にもお声がかかりました。少し長いのですが、以下に再掲しますので、お手すきのときにでもお読みいただければと。

三陸投稿一部

三陸新報6月26日投稿記事一部イメージ


気仙沼への想い(10)

離れて知る気仙沼の魅力

 私は気仙沼市魚町生まれの62歳。気仙沼小・中・高校に通いました。いま、高校時代の心境を思い起こせば、気仙沼を東北の片田舎のように感じていたと思います。美術部に属しており、デザインなどアート関連の雑誌を見る機会も多かったのですが、そこに紹介されている東京や海外のサブカルチャーやヒッピームーブメントの世界は大変に魅力的でした。そんな時代でした。それにひきかえ自分の暮らす気仙沼はと感じていたに違いありません。18歳で気仙沼を離れたときには、きっと大きな解放感を覚えたでしょう。

 しかし不思議なものですね、離れてみると、そこに暮らしていたときには気付かなかった気仙沼の魅力というものを徐々に感じていくのです。大学入学から始まった東京での暮らしも42年になりますが、気仙沼の魅力を新たに感ずる機会は年々増していきました。帰省時に実家や飲食店でいただく美味しくて豊富な三陸の食はもちろんのこと、子供を連れて車で帰省するようになってからの海や川での釣り、そして中学卒業以来ひさしぶりにのぼった安波山からの眺望。そして時には少し足をのばしての沿岸部や農村部の風景など、高校まで暮らしていたときには知ることがなかった、気仙沼やその周辺地域の魅力に気付かされたのです。

 そんな私にとって、気仙沼の大きな魅力が内湾の風景です。しかしそれが2011年3月11日の津波で大きく変貌することになろうとは思ってもみませんでした。私と妻それぞれの母親は幸いなことに無事でしたが、津波で中学の同級生ふたりを失いました。そして震災から2週間経った3月25日には、東京近辺の同年生有志がトラックに支援物資を満載して気仙沼に向かいました。もともと結びつきが強い学年であったとは思いますが、2月12日の気仙沼中学20回生還暦祝いに約200名が集まり、またの再会を約してからわずか1カ月後の震災でした。それだけに、有志の〈いてもたってもいられない〉といった心境がよくわかります。

 こうした震災後の同級生支援活動「気中20回生支援会」のベースには、東京近辺に暮らす気仙沼中はじめ近辺中学出身の同年会「けせもい会」の活動がありました。年に2回ほどの集まりですが、気心の知れた同級生・同年生のつながりというものは、歳をとればとるほど得難いもののように感じられます。大震災という未曾有の経験がさらにその結びつきを強いものにしたというのはなんとも皮肉なことでした。

 そして、震災後の同級生同士の連絡用にとインターネット上で始めたのが「気中20プラス」と題するブログです。私が担当して書いているのですが、平日は毎日更新し早くも3年を過ぎました。そんな、東京にいて故郷気仙沼の魅力や思い出を日々つづったブログを、お手すきのときにでものぞいていただければ幸いです。「気中20」で検索すればわかると思います。

 3年前の大津波は本当に不幸な出来事でした。しかし、悲しんでばかりでは前に進むことができません。震災がなければ得られなかった、多くの人とのご縁を大切にし、そして少しでも拡げていくことができたらなと思っております。

 魚町の実家はすでになく、気軽に〈ただいま〉と言いながら帰れるところがなくなってしまいました。それだけになおさらのこと、気仙沼がいつまでも〈帰りたくなる故郷〉であって欲しいとの思いがつのるばかりです。


投稿文は以上です。ちょっと照れくさいのですが、〈三陸、読んだよ〉との同級生からの連絡は正直うれしかった。お読みいただき、ありがとうございました。

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「行くぜ、東北」

先週の木曜6月26日、打合せで東京駅八重洲口へ。地下鉄丸の内線を降りてから八重洲口へ向かう連絡通路に、JR東日本〈行くぜ、東北。〉2014年夏のポスターが掲出されていました。

行くぜ、東北。

このシリーズのポスターはいつもよいけれど、これもいい。2連貼りされたことで、別の魅力が加わりました。〈行くぜ、東北。〉というキャッチコピーのほかに、今年の春・夏は、〈メールじゃ会えない。レールで会おう。〉というコピーが付されています。

これらのコピーは、一倉弘広告制作所(一倉弘さん・坂本和加さん)の仕事です。このブログでも紹介した高崎卓馬さんがキャンペーンのエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター(ECD)をつとめているはず。

行きは急いでいたので、帰りにポスターを撮影しました。照明のうつりこみを避けたりして何枚かとったのですが、それなりに通行者もいるので、ちょっと恥ずかしかった。東北出身者であることが一目瞭然です(笑)。

そして地下鉄へ。丸の内線ホームへの階段を降りるとき目に入った停車駅名に〈東高円寺〉〈中野富士見町〉の文字がありました。千葉和夫君(3年11組)の自宅マンションやホスピス病棟の最寄り駅。4月26日に和夫君が亡くなるまで、見舞いで何度も利用した駅の名です。あれからちょうど2カ月、この日は月命日だったのです。

自宅で療養していたときに和夫君は、〈また気仙沼に行きたいけれど、ちょっと難しそうだ〉と語っていました。私は〈そんなことはないよ〉と返すことしかできませんでした。

6月7日には、気仙沼からお兄さん夫妻も上京し、四十九日法要と納骨式がとりおこなわれました。親戚と共に私も参列しました。この場を借りて、すべてつつがなく終えたことを報告させていただきます。

その和夫君はいま、14年前に亡くなった愛妻と一緒に、文京区小日向の霊園で静かに眠っています。〈明日は、気仙沼へ〉。そんな夢を見ているかもしれません。

4月30日ブログ「千葉和夫君の訃報」

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気高と西校を統合

きょう2日の三陸新報のトップ記事を見て驚きました。気仙沼高校と気仙沼西高校が統合されるというのです。

気高統合

7月2日三陸新報記事一部イメージ

記事によれば、統合時期は2018(平成30)年4月。宮城県の教育委員会は、両校のPTAや同窓会の代表者らと懇談し〈おおむね理解が得られた〉としています。しかし、両校関係者が統合方針の報告を受けたのは6月1日のことで、事前の意見交換の場がなかったことに不満の声もあるようです。記事では、西校関係者の声を紹介していますが、やはり少子化などの事情は理解しつつも〈西校がなくなってしまう〉ことへの心情があるようです。

気仙沼西高校は、地域の要望を受けて1985(昭和60)年4月、74校目の県立高校として開校し、本年度で創立30周年を迎えたといいます。これまでの卒業生は3963人。

現在、気仙沼高校は1学年6学級、西校は3学級。これを両校とも1学級を削減しつつ、2018年に普通科6学級で新たに開校する方針です。

旧気仙沼高校と旧鼎が浦高校が再編統合されたのは2005年4月。この統合のときにも反対の声などさまざまな議論があったように思います。あれからすでに9年が経ちました。その新気仙沼高校は4年後2018年、さらに新しい時代を迎えることになりそうです。

宮城県気仙沼西高校ホームページ
同テーマ河北新報7月2日配信記事

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熊谷雅裕君の質問

きょうから7月ですね。今日の東京は、今のところ晴天。
さて、6月25日の気仙沼市議会6月定例会で6名の市議による一般質問が行われました。その中で、気仙沼高校同級生で新人議員となった熊谷雅裕君が初質問。26日付け三陸新報から、その質問と市長らの回答を紹介します。

6月26市議会
6月25日三陸新報記事の一部イメージ

◎質問1:大島で一部地権者の声だけで防潮堤建設が始まっているところがある。差し止めすべき

・菅原市長:海岸管理者が全体説明会などを、それぞれ複数回開いており、参加者に確認をとりながら説明してきている。市としては利便性、磯根資源の保護、砂浜、海水浴場の再生、景観への配慮〜の四つの視点に立ち、地域の実情を勘案しながら、十分に意見交換を行うよう各管理者と調整している。引き続き丁寧な合意形成に努める。

◎質問2:防潮堤説明会で意見を言えない人もいる。一人一人意向を聞かないか

・佐藤建設部長:現実的には難しい。地域としてどうした方がいいか意見をいただき、対応できるものはしていく。

◎質問3:漁港の岸壁復旧工事が高すぎ、船の乗り降り、荷揚げに支障を来している。対応を。

・菅原市長:原形復旧が基本だが、利用者から岸壁の高さについて調整の要望があり、国と協議した結果、高さを下げる復旧も認められ、一部階段状に下げるなど利用者の実情に合わせて施工している。
・広瀬産業部参事:施工後、使ってみて高い場所ははしご、ステップなどを地元として検討したい。

◎質問4:国、県を含めた防潮堤予算は市内全体でいくらか

・菅原市長:3月31日現在で約1600億円だ。

質問と回答内容は以上です。防潮堤予算が、気仙沼市内で1600億円であることは、紹介した三陸新報記事1面の見出しにもなっていることから、新しい情報だったようです。

市長や幹部からの返答に対して、雅裕君がそのまま納得しているとも思えません。今朝、本人に電話して聞いたところ、新聞の記事は実際の質疑の10分の1ほどの内容だとか。しかし、これまでの市議会で防潮堤に関する議論があまりないことに大きな疑問を持っていた私にとっては、この記事内容でも一歩前進という印象。

7月13日の気仙沼高校関東同窓会には、雅裕君も上京して参加するとのことなので、そのときに詳しい話を聞いてみようと思っています。

3月13日ブログ「雅裕君が市議選へ」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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