気仙沼湾横断橋!

今日は、気仙沼の新しい橋の話。国が整備する三陸自動車道のうち、気仙沼道路(気仙沼〜唐桑南)約9kmの工事は、事業費670億円で、今年3月に着工。そして同区間中の大川と気仙沼湾をまたぐ「気仙沼湾横断橋」(仮称)の着工式がきのう6月29日、市内川口町にて行われました。気仙沼の人たちは既にご存じの話題ですが、簡単にまとめておきます。

気仙沼架橋
横断橋の位置とイメージ(2013年9月11日付 気仙沼市記者発表資料より)

架橋区間
架橋区間(河北新報配信記事から)


河北新報の6月30日配信記事によれば、横断橋は全体の長さ1344mで、海上部分は680m。海面から橋げたまでの高さは船の往来に配慮して32mです。放射状に延びた鋼のケーブルで橋げたを支える斜張橋としては、青森市の青森ベイブリッジ(498m)を抜いて東北最長となるそうです。国としては本年度から7年以内、2021年度までの完成を目指しています。

着工式で、菅原茂市長は「気仙沼湾横断橋は市民にとって20年来の悲願。復興のシンボルとして観光や産業振興への期待は大きく、一日も早い完成を願う」とあいさつしたそうです。以上が河北新報から。

気仙沼をはじめ、三陸地区における自動車道の整備は、まさに〈悲願〉でしたが、なかなか実現せずにおりました。それが、東日本大震災からの早期復興に向け重点的に整備する復興道路として計画されたのです。横断橋の工事が無事かつ順調に進み、気仙沼の〈復興のシンボル〉となってくれることを願っています。

なお、宮城県が事業を進めている大島架橋のほうは、昨年1月に着工式が行われ、2018年度の完成を目標にしています。
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気仙沼の魚の未来

ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)で先週月曜から興味深いシリーズ記事が連載されていました。糸井重里さんと勝川俊雄さんの対談、テーマは〈日本の魚は「世界一」じゃない !? 〉。昨日で8回シリーズが完結。気仙沼の人にはぜひ読んで欲しい内容ですのでご紹介します。

勝川対談

同記事サイトのトップイメージ

ほぼ日「日本の魚は「世界一」じゃない !? 」

目次(各回リンク)
第1回 日本の魚は「世界一」じゃない。
第2回 個別漁獲枠制度。
第3回 はじめはみんな猛反対。
第4回 魚食というソフトウェア。
第5回 楽しめる「魚ムーブメント」に。
第6回 三陸から漁業を変える。
第7回 「誇り」が商品力を上げる。
第8回 やっぱり魚が好きだから。

勝川さんは、水産資源管理と水産資源解析を専門とする、三重大学 生物資源学部准教授。記事のプロフィールでは、〈年々、少なくなっている海の魚を持続的に利用する「資源管理」の研究で日本水産学会論文賞など、受賞多数〉と紹介されています。

詳しくは〈ほぼ日〉の対談記事をお読みいただきますが、話の中で紹介されるのが、ノルウェーとニュージーランドの事例です。両国の漁業は一時衰退しましたが、〈持続的に漁獲する〉ことを狙いに漁獲規制・資源管理の方向にいち早く舵を切り成功しているというのです。

気仙沼市は、ことし5月に漁業・水産業の関係者による欧州水産業の視察団を派遣しています。この様子はいくつかのテレビニュースでも紹介されました。ノルウェーの漁船を見学したときに、シャワー設備もある乗組員の個室や、応接ルームを備えた幹部の部屋など、ホテルを連想させる設備の充実に、見学者も本当に驚いたようです。〈ここまで必要なのかなあ〉と思わず感想をもらすほど。私も驚きました。この欧州視察については、三陸新報で内海太県議による報告記事が連載されています。

こうした先進国の事例を知ると、漁業がやりようによっては多くの可能性を秘めていることがよくわかります。それと、日本の漁業・水産行政がいかに遅れているかも。多くの課題があることは承知していますが、よき方向に舵を切り、気仙沼をはじめ日本の漁業が〈持続的〉に発展して欲しいと願わずにはいられません。

そのためにも、漁業関係者だけでなく、消費者である私たちも日本の漁業の現状と将来性に知らなければいけないと感じます。この〈ほぼ日〉での糸井さんと勝川さんの対談記事は、そのためのよき道しるべになったと思います。ありがとうございました。

勝川俊雄公式サイト

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笠原さん推薦の街

〈気仙沼漁師カレンダー〉が発売されたのが昨年11月16日。このブログでも紹介しました。もう7か月も経つのですね。広告関連雑誌『ブレーン』6月号の記事中に、この〈漁師カレンダー〉や〈気仙沼〉の文字がありましたので紹介します。

ブレーン2

『ブレーン』2014年6月号の記事イメージ

この記事は、〈クリエイターズ アンケート〉というシリーズ。月ごとに質問が設定され、複数の広告クリエイターが回答するのです。そして6月の質問はこれ。

〈外国人に案内したい、とっておきの日本の街を教えてください〉

これに対し6名の方が答えているのですが、そのひとり株式会社サン・アドの笠原千昌(かさはら ちあき)さんが〈宮城県気仙沼市〉と答えてくれています。その回答内容を引用します。

「昨年、気仙沼の漁師カレンダーを作ったのがきっかけで、撮影や取材を通して気仙沼の人の深さに触れることができました。昔からの営みや祖先を大切にする気持ち、人を思いやる心、そして強い意志と行動力。被災した現場を見てもらいたいのではなくて、あの大津波にも流されることのなかった日本の大切なものを、人を通して知ってもらいたいなあと思います。お酒も、魚も、牡蠣も、わかめもみんな味わってもらいたいしね。」

引用は以上です。笠原さんは、文中にもあるように漁師カレンダーのデザインを担当してくれた株式会社サン・アドのクリエイティブディレクター/コピーライターです。漁師カレンダーの各月コピーも笠原さんによるものと思います。

それにしても、ずいぶんほめてくれています。まさに過分なお言葉。私は〈気仙沼の人の深さ〉という言葉に感じいりました。

今回の笠原さんはじめ、外の人から気仙沼をほめていただくと、私はうれしさを感じると同時に、〈いやあ、それほどでも〉と照れ、次第に〈本当にほめてもらうほどのものだろうか〉と心配になってきます。気仙沼を離れて44年経っても、地元意識が抜けません。

〈オダクン アンダ ハンブン ケセンヌマデナイノ〉

ま、そんなところです。ところで、本日26日の三陸新報に「離れて知る気仙沼の魅力」と題する私の投稿文が掲載されております。

コイヅモ、ヨンデケライ(笑)。

2013年11月8日ブログ「漁師のカレンダー!」

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親友 佐藤千晶さん

サッカーW杯対コロンビア戦、残念。さ、気持ちを切り替えて。でも眠い。

さて、6月20日の読売新聞夕刊にTBSの人気アナウンサー枡田絵理奈さんが寄稿していました。〈枡田絵理奈の福ばなし〉ということで、見出しは〈親友と憧れの2人暮らし〉。その〈親友〉とは、気仙沼出身のアナウンサー佐藤千晶さんです。先日の〈気仙沼を元気にする会〉でも司会をつとめてくれました。

千晶読売
6月20日売新聞夕刊記事の一部イメージ

佐藤千晶
元気にする会。左端が千晶さん。(隆市君三男アキヒロさんのブログから)


枡田さんは、学生の頃、気の合う親友と過ごす時間がとても楽しく、たまに行われる〈お泊まり会〉は最高のイベントだったとのこと。大人になったら、親友とルームシェアをして毎日お泊まり会気分を味わいたいとの夢もほのかに抱いていたそうです。そして、その夢がこの春に実現したというのです。文章は次のように続きます。

「実は、4月から6月までの2カ月間、期間限定で親友と2人暮らしをしていたんです。親友は、大学時代の同級生で、同じアナウンサーの仕事をしている佐藤千晶ちゃん。宮城と名古屋で局のアナウンサーとして勤めてきましたが、この春からフリーで活動することになり、東京へやって来ました。

退社ギリギリまで忙しく、東京で家を探す暇もないと困っていた親友の姿を見て、慌てて家を決めるよりも、「とりあえず我が家に身を置いて、ゆっくり東京生活の準備をしたら?」と提案し、始まった2人暮らし。いっぱい語って、たくさん笑って、学生時代に戻ったよう。でも、楽しいだけではなくて、ちょっとだけ成長を感じられる2か月だったなぁと思います。」

この後も、千晶さんとの楽しいやりとりが紹介されるのですが、略します。 佐藤千晶さんは、気仙沼市出身。松岩小・中学校から鼎が浦高校(現 気仙沼高校)に進み、東京の成城大学を卒業。2008年に東日本放送(KHB)に入社しました。2010年には〈ANNアナウンサー賞〉ナレーション部門 優秀賞を受賞しています。そして2011年4月に名古屋テレビ放送(メ〜テレ)に移籍しました。両局ともテレビ朝日(ANN)系列。

そして今春4月から東京に活動の場を移しフリーアナウンサーとしての新たな活動を始めました。所属は〈オーケープロダクション〉。同社は2009年にイースト グループの傘下に入りましたが、我々の世代にとっては、元 大橋巨泉事務所といったほうがわかりやすいかもしれません。小倉智昭さんが取締役のひとりです。

枡田さんの文章を読んで感じたのは、新たなステージでの活動を始めた親友を、なんとか応援しようという強い思いです。テレビ局をやめてフリーとなり、いろいろと不安もあるだろう千晶さんには、なによりの励ましの言葉となったでしょう。

東京での新たな形での仕事と暮らしを始めた佐藤千晶さん。益々の活躍を願っております。なお、佐藤さんは、7月12日の気仙沼高校関東同窓会でも司会をつとめます。どうぞ皆様も、千晶さんの激励も兼ねて、同窓会にお出かけください。

6月10日ブログ「気高の関東同窓会」

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今日はUFOの日

本日のブログは、別の話題を用意していたのですが、さきほど〈けせんぬまさいがいエフエム〉のツイートを見ていたら、本日6月24日は〈UFOの日だそうです〉と書いてありました。ということで、話題を変更。

実は3年前 2011年7月14日に〈6月24日のUFO〉というタイトルで次のブログを書いたのです。私にとっては本当に懐かしい記憶。以下に再掲します。

「 昨日のブログで気仙沼中学校の体育館にちょっと触れました。5月にその体育館の避難所をたずねたとき、昔と変わってないなと感じた一方、気中のグラウンドには仮設住宅がならび、風景が一変していました。今日は、その気中グラウンドにまつわるお話です。

中学2年生のときだと思いますが、空飛ぶ円盤がちょっとしたブームでした。何人も「見たことがある」というのです。「そんなばかな」という私に、UFO体験者の一人が「実は空飛ぶ円盤を研究する会があるんだ」と。
〈おだも いぐが ? 〉。

半信半疑でしたが、4~5人でその研究会に行ってみました。第2校舎を河原田方向に抜ける道の途中にその家はありました。そして20代なかごろの若い人(松下さんっていったかな)がいろいろとスライドや機関誌を見せてくれたのです。

そして研究会に2回くらい行った後の6月24日の夜、気仙沼中学校のグラウンドに研究会メンバー10人ぐらいが集まりました。その日は、「国際円盤デー」。1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が自家用機で飛行中に空飛ぶ円盤を発見したとされています。

私たちはグラウンドの中央で手をつなぎ円陣を組みます。そして、みんなが心のなかで、こうつぶやくのです。

「地球付近を航行中の空飛ぶ円盤がいましたら、地球人にそれとわかるようにコンタクトしてください」

これを1時間くらいやってたかな。一時は、雲のうしろでぼーっと光った月を「来たっ!」といって喜んだときもあったんだけど。結局、円盤は来てくれませんでした。

研究会の団体名は「CBA」。いまネットで調べてみるとCosmic Brotherhood Association(宇宙友好協会)の略称なんですね。まあ、なんというかある種伝説的な団体だったみたい。

ここまで書いて、大震災のときにこそ宇宙人が円盤にのって飛来していたのではないかと思い、検索してみました。

やっぱりね。結構たくさん来てるようですよ(笑) 」

以上が3年前のブログです。文中に〈昨日のブログ〉と書いているのは〈ベルマークの時代〉という文章です。こちらも、お手すきのときにぜひ。

2011年7月13日ブログ「ベルマークの時代」

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三井物産総会土産

6月後半、多くの上場企業が株主総会を開催します。その話題のひとつが出席株主に対するお土産ですが、6月29日に開催された三井物産の株主総会では気仙沼産品が土産として配られたそうです。それも、鹿折(ししおり)地区の商品だというのです。

ネットで調べてみたら次の写真が見つかりました。

物産土産
三井物産株主総会土産(ブログ「Spartakiada」より許諾を受けて掲載)

ふかひれスープやワカメなど5品。箱にはしっかりと〈気仙沼鹿折加工協同組合〉の名とロゴマークが表示されています。さらに調べてみると、昨年の総会でも鹿折の商品が土産として配られています。つまり2年連続です。

このブログで、鹿折出身で三井物産出身の中井英一さんが、鹿折地区の水産加工業の復興を支援していることを紹介しました。中井さんの助力で、三井物産や住友商事の会長、社長らに面談し協力を要請することもできたというのです。協同組合の設立にあたっては、三井物産と住友商事の支援があったそうです。この三井物産の総会土産についても、協同組合の顧問もつとめる中井さんのご尽力もあったのでしょう。

紹介した写真を掲載していたブログ〈Spartakiada〉では、この土産を、次のように紹介しています。

〈お土産は、気仙沼鹿折加工協同組合の加工食品セットでした。豪華! 調べてみると住友商事などと連合を組んで支援しているようです。このようなお土産でもなんでも、いいものであればリピーターも出てくるでしょうし、復興の足掛かりになるといいと思います。震災以降、スーパーから見かけなくなった三陸のカットわかめが嬉しいです。ありがたく頂戴いたします〉

うれしい応援の言葉。また、このブログの管理人の方に写真掲載の許諾をお願いしたところ、快諾していただきました。ありがとうございます。

気仙沼鹿折加工協同組合には、同級生同年生の会社3社が加盟しています。臼井弘君(3年4組)の福寿水産、小山修司君(5組)のカネシメイチ、そして気仙沼高校の同年生 高橋千尋(ちひろ)君の高長商店です。組合の公式ホームページにはネットショップも用意されていますので、是非ご利用ください。

気仙沼鹿折加工協同組合ホームページ

それにしても、日本を代表する総合商社のひとつ三井物産が、こうして気仙沼市鹿折地区を応援してくれているのは本当に心強い。なかなかできないことだと思います。三井物産さんのご支援に、気仙沼出身者として、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2013年11月20日ブログ「中井英一氏の挺身」

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内視鏡検査の勧め

本日20日の午前7時は、サッカーW杯の日本対ギリシャ戦のキックオフ。

実は私、本日9時すぎに病院で大腸の内視鏡検査を受ける関係で、このブログ記事も事前予約。なんとか日本代表に勝利して欲しいと思っておりますが、果たして結果がどうなっているか。

2年前に上部(いわゆる胃カメラ)、下部(大腸)ともに初めての内視鏡検査を体験しました。楽観していたものの、大腸に小さなポリープがあり切除しました。(良性でしたが)そんなこともあって、2年に一度は定期健診として内視鏡検査をすることにしたのです。5月には上部を終了しましたが問題なしとのこと。そして本日が下部(大腸)という段取りです。

震災後に亡くなった小山隆市君(3年6組)と千葉和夫君(11組)は、それぞれ胃がん、食道がんの治療を続けていました。ふたりのことを思い出すにつけ、もっと早くの検査で病気がわかっていればなあと、心から残念に思うのです。

我々の同級生はみな62歳とか63歳。話を聞いてみると皆、あそこが悪いのここがイマイチと。つまり、還暦を過ぎれば、どこかがおかしくなって当然ということなのでしょう。それだけに、自分だけは健康だと安心せず、どこかに潜んだ病を早期に発見するようにしたい。健康でさえあれば、これからもっと楽しい人生をおくることができるはずです。

〈 健康診断、忙しくてもちゃんとやれよ。たまには内視鏡もな 〉

同級生への隆市君や和夫君からのメッセージが私には聞こえます。

2012年6月9日ブログ「還暦内視鏡」

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グーグルの海の道

きのう6月18日に発表されたグーグル(Google)社「海からのストリートビュープロジェクト」には本当に驚き、そして感心しました。

グーグルの〈ストリートビュー〉については説明不要と思いますが、今回のプロジェクトは、三陸海岸の景観を海から撮影するというのです。グーグルジャパン社の公式ブログから発表内容を以下に引用します。

「Google では、2011年から東日本大震災で地震・津波の大きな被害を受けた地域をストリートビューで撮影、その被災の様子をパノラマ画像で記録する「東日本大震災デジタルアーカイブプロジェクト」を行っています。今回の「海からのストリートビュー」は、2011年から続く取組みの一環として、陸からのストリートビューに加え、新たに海側から三陸海岸を撮影します。

グーグル
グーグルジャパン公式ブログからの写真

「海からのストリートビュー」は、三陸海岸の田老、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻、松島・塩竈エリアを中心に撮影する予定で、撮影期間は数カ月程度を予定しています。撮影は、船からの撮影用に新たに開発した「船上トレッカー」を使用。今回は、通常のGoogle のストリートビューオペレーターによる撮影に加え、東北地方で地域に根ざした様々な活動をされているコミュニティの方にストリートビュー撮影機材「トレッカー」を無償で貸し出し、上記のエリアを撮影します。公開は来年初頭を予定しています。」

以上が発表の基本内容。そして驚いたのはつぎの一節。

〈第一弾として本日より、「東北ツリーハウス観光協会」の事務局長 斉藤道有さんが気仙沼、唐桑半島エリアの撮影を開始します〉

気仙沼市沿岸の撮影は、八日町のマルト齊藤茶舗の道有さんが担当するというのです。道有さんは、このブログでもたびたび紹介しています。東北に100のツリーハウスを造ろうという〈100のツリーハウス〉や、震災の年から例年行っている〈3月11日からのヒカリ〉など、様々なプロジェクトで中核メンバーとして活動しています。〈気楽会〉メンバーのひとり。宮城教育大学で美術を学んだアーチストでもあります。

そういわれて発表写真を見ると、船(第二十八海宝丸)に設置された撮影機材の下に座っているのは確かに道有さん。なお、操船している方が着ているのは〈唐桑御殿〉をモチーフとした〈GOTEN〉Tシャツですね。

今回のプロジェクトは、三陸地方の今後の復興のあり方を考えるうえで、大変に意義のあること。グーグルさん、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

グーグルジャパン公式ブログ6月18日配信記事
この公式ブログには菅原気仙沼市長と斉藤道有さんのコメントも紹介されています。

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31回生さんから

すでにお知らせしたように本日18日午後7:30からのNHK BSプレミアム「きらり!えん旅」は演歌歌手中村美律子さんの気仙沼訪問編です。ぜひご覧ください。

さて、きのうのブログ〈気仙沼小学校全景〉に、〈31回生3年11組20番〉さんから久しぶりのコメントをいただきました。私たちより11学年後輩の方。目につきにくいので、以下に再掲します。

「ここ2、3日、閲覧ずぼらしてました。このアングルは珍しいですね。火事の記憶はなく、私が入学したときは、既に新校舎として君臨してました。7組・8組が入り、6組の私は木造の旧校舎。1年・4年の時がプールのある側で、3年が職員室の隣の校舎。2年・5年の時は、中学校のある方でしたね。複数学年入居はいずれも上級生が上階でしたね。校舎の位置は、方角で表現してましたっけ? 新校舎は6年になって初めて入ったくらいの感じで、一応水洗トイレだったしステータスが高かったですね。

西控室が体育館になったのは、6年の時で、卒業式はそこで行いました。
確か西控室の裏側で薪割りをしてもらって、ストーブの時期に薪運びをした記憶があります。 廊下に積み重ねてましたよね。

学芸会は、1年の時だけ気仙沼中体育館で、その後は市民会館でやりました。芸能人のショーが中学校体育館から、市民会館開催に変わったのもこのころでしょうか? 中学体育館では黛じゅんショーの記憶がありますわ。雲に乗りぃ~たいぃ~♪言うてましたね。

中1の時に、市民会館でチェリッシュショーがありましたが、何故か最前線に陣取れて同級生たちと鑑賞。アトラクションのコーナーになり舞台に上がることになったのですが、決め手が悦ちゃんと誕生日が同じで、一緒にいた同級生たちが、「こいづ誕生日おんなじだ!」って司会者に強烈指さしアピール。結果、てんとう虫のサンバをデュエット♪し、サインいりLPをゲット。ただ、その誕生日は3年前から誕生日ではなく悲しい日となったとさ」


〈31回生〉さん、ありがとうございました。〈薪運び〉など懐かしい記憶は私たちと同じですね。校舎名は、〈東校舎〉〈西校舎〉は間違いありませんが、職員室などもあった校舎はなんと呼んでいたか。火事についての年表記述に〈中央東校舎〉とあるのですが、これが〈中央・東校舎〉の意味とすると〈中央校舎〉でしょうか。方角的には〈北校舎〉となるのですが。

なお、気小の火事については、一昨年に旧校舎玄関の写真とともにブログに書きましたので、ご覧いただければと。

2012年9月13日ブログ「気小の旧校舎玄関」

〈気仙沼ゆかりの店〉にもコメントを頂戴しました。記事の〈コメント〉や〈最新のコメント〉クリックでもお読みいただけますが、あらためて紹介させてもらいます。

それにしても、〈31回生〉さんは3月11日が誕生日か。特別な日であることに違いはありませんが、ちょっとね。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

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気仙沼小学校全景

〈完全給食〉の話のときに気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』の表紙を紹介しました。気小の全景をうつしたこの写真、実は裏表紙にも続いているのです。今日は、その全体をあらためて紹介します。

気小全景2
気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』表紙写真(クリックで拡大)

裏表紙にうつっているのは気仙沼の内湾です。気中の南西方向から内湾をのぞんだ写真というのはこれまで見たことがありませんでした。すばらしい。写真右上の白いビルが全漁連の冷凍庫。その後ろに私の実家の2階部分がうつっている(ような気がする)。気仙沼を知らない人のために説明しておくと、気仙沼小学校は坂をのぼった小高いところにあります。

『三十年のあゆみ』の発刊は1978(昭和53)年2月ですから、その頃の撮影と考えてよいでしょう。私たちの多くが26歳だったころ。目次頁には「表紙の写真 三陸印刷株式会社」とあるのみで撮影年月の記載がありません。

この写真には、私たちが在校していたときにはなかった建物がうつっています。鉄筋コンクリートの新校舎とかまぼこ屋根の屋体。同冊子中の年表でしらべてみるとつぎのような経過がわかりました。

東控室付近から出火して中央東校舎を焼失したのが1966(昭和41)年9月28日。気仙沼中学3年生のときの午前3時すぎ、騒がしいので起きて外に出ると、魚町の我が家から浜見山ごしに学校が燃えているのが見えました。そして翌年11月に新校舎が落成。西控室を解体し、屋内運動場が完成したのは、1974年(昭和49)年5月です。

この『三十年のあゆみ』には、私たちにとって懐かしい写真がほかにものっています。折を見てまた紹介します。

なお、冊子名にある〈三十年〉というのは、あくまで父母教師会(PTA)の設立周年で、開校から数えると〈105年〉のときの発刊です。気仙沼小学校の前身である鼎ヶ浦小学校は1873(明治6)年1月26日に開校していますから、今年で開校141周年ということになります。念のため。

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きらり!えん旅!

歌手やタレントなどが東北を応援し、その魅力を再発見するNHK BSプレミアム「きらり!えん旅」。この番組ではこれまで、2012年10月に森昌子さん、昨13年の5月に加藤登紀子さん、10月に天童よしみさんと、3人の歌手が気仙沼を訪れてくれました。

そして今週水曜日6月18日には、4人目となる東大阪市出身の演歌歌手 中村美律子(なかむら・みつこ)さんの気仙沼訪問が放送されます。

きらりえんたび
番組ホームページのイメージ


◎きらり!えん旅
◎中村美律子 宮城・気仙沼市へ
◎NHK BSプレミアム
◎6月18日(水)午後7:30~7:59
 再放送
 6月25日(水)午前11:05~11:34

番組ホームページから紹介文を引用します。

「歌手の中村美律子さんが宮城県気仙沼市を訪れました。港町ならではの珍味「もうかの星」と「ハーモニカ」をごちそうになりました。果たしてどんな料理なのでしょう? 港近くで今も営業を続ける一軒の銭湯がありました。中村さん、銭湯には特別な思いがあるとか。気仙沼湾内の大島では、津波に飲まれ一度は沈没しながらも翌朝奇跡的によみがえった漁船に出会いました。地元では「奇跡の船」と呼ばれています。この船と中村さんの不思議な縁とは?旅の終わりに中村さんはミニコンサートを開き「河内おとこ節」などのヒット曲を熱唱し、みんなを励ましました」

銭湯は、魚町の〈亀の湯〉さんですね。久しぶりに、ご主人と奥さんの元気な様子を拝見しようと思います。皆様も是非どうぞ。

番組ホームページ

もうひとつ、追加情報。
13日のブログで〈リアス気仙沼〉の〈勝手に応援団〉を紹介しましたが、昨日14番目となるお店「餃子和心」さんが追加されました。気仙沼の高校生たちが開発した〈なまり節ラー油〉を使った餃子のほか、6月末まではなまり節ラー油と納豆・卵黄を使った〈ばばばっ!丼〉という限定メニューもあるそうです。丸の内線 南阿佐ヶ谷駅近くということですので、こちらへも是非。

気仙沼勝手に応援団 vol.14~餃子和心

それでは今週も、梅雨空に負けず頑張っていこう!

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気仙沼ゆかりの店

1週間があっという間にすぎ今日は金曜日。週末をどう過ごすか思案している方もいらっしゃることでしょう。ということで、本日は気仙沼に縁のある東京の飲食店を掲載した「Re:us.気仙沼/勝手に応援団」を紹介します。

リアス応援団
「勝手に応援団」ページイメージ

Re:us.気仙沼/勝手に応援団

「Re:us.気仙沼(リアス気仙沼)」は、「今自分にできることからはじめよう」をモットーに、震災直後3月21日に結成されたプロジェクトです。出身者をはじめ、気仙沼を応援しようという多くの若者が活動しています。先日の〈気仙沼を元気にする会〉でもメンバーがお手伝いしていました。

この〈勝手に応援団〉では現在のところ、次の14店が紹介されています。
(店名クリックで各頁へ)

1:代々木魚がし(代々木)
2:すしの磯春(調布・仙川)
3:BAR KEITH(新宿歌舞伎町)
4:ビストロマルセイユ(茅場町)
5:旬炉あわい(自由が丘)
6:KENTO' S(銀座8丁目)
7:おだいどこ(渋谷・宇田川町)
8:田なか屋本店(飯田橋)
9:炭火家おだづもっこ(高円寺)
10:けむり 新宿店(新宿)
11:気仙坂(新宿ゴールデン街)
12:Bar GREGOR(高円寺)
13:GOGUN' S BAR(新橋)
14:餃子和心(南阿佐ヶ谷)(6月15日追加)

私はこれまで、代々木の〈魚がし〉と、一年先輩の梶原さんが営むゴールデン街〈気仙坂〉しか行ったことがありませんでした。自由が丘〈あわい〉は近くでもあることだし、今度行ってみようと思います。

皆様もお近くのお店などに、ぜひお立ち寄りください。

安くなるかどうかはわかりませんが、お店にいったら次の合い言葉をそっとつぶやいてみてください。
ケ・セ・ン・ヌ・マ(笑)。

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人文字撮影年月日

昨年11月のブログで紹介した、気仙沼小学校校庭に描かれた人文字〈コクリツコウエン〉の空撮写真。

コクリツコウエン写真

昨年のブログでは次のように書きました。

「1964年5月に気仙沼湾と唐桑半島が国立公園に編入されたことを記念して、気仙沼小学校の校庭に人文字をつくったときの空撮写真です。東京オリンピックの年ですから気仙沼中学一年のときだと思うのですが。なぜ気小での写真なのか、よくわかりませんが」

撮影年月がよくわからず、気中1年のときの写真かと思っていたのです。しかし先日、気仙沼小学校〈完全給食〉のことをに調べていたときに、詳しい年月日が判明しました。気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』(1978年2月1日発行)の年表に次の記載があったのです。

「昭和38年度2月4日:毎日新聞社が航空写真を撮影(コクリツコウエンの人文字)」

つまり昭和39(1964)年2月4日の写真だったのですね。私たちが気仙沼小学校6年生3学期のことでした。

たったそれだけのことなのですが、疑問が氷解してとてもうれしい。その喜びを皆さんと分かちあえればと、再度の空撮写真掲載とあいなりました。

なお、昨年5月に陸中海岸国立公園が再編されて改称し「三陸復興国立公園」となっています。なんかまだ慣れませんね。念のために再度記しておきます。

2013年11月5日ブログ「コクリツコウエン」

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ホテル望洋に感謝

きのう6月10日の三陸新報に〈ホテル望洋に厚労大臣賞〉との見出し。全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会主催の第17回「人に優しい地域の宿づくり賞」で、最高賞となる厚生労働大臣賞を受賞したとの記事でした。

ホテル望洋6月10日
三陸新報6月10日記事の一部イメージ

この受賞は、東日本大震災の発生後からホテルを再開する5月まで、約70日間にわたり施設を開放し、被災者の1次避難所として住民を受け入れ、貢献したことが評価されたもの。記事によれば、震災当日の避難者は約100人、2日目には孤立した鹿折地区の建物から逃れてきた人も含めて200人以上にふくれあがったといいます。

このホテル望洋への避難者の中に私の母もおりました。3月13日の夜に、テレビ朝日の番組がホテル望洋のロビーに置かれたホワイトボードに記された避難者名をゆっくりとうつしてくれました。そこに母の名前を発見したときの驚きと喜びは今でも忘れられません。

そして3月25日に兄が仙台の自宅に連れ帰るまでの2週間、ホテル望洋さんにお世話になったのです。電気や水道は止まったものの、ホテルですから部屋や布団などの心配はなく、本当にありがたかったといいます。同級生〈福寿水産〉臼井弘君(3年4組)一家もここに避難していました。被災した福寿水産の倉庫に残ったフカヒレをスープかなにかでご馳走になったこともあったと母が語っていました。

〈ホテル望洋〉は、気仙沼市魚町坂口の実家から50mほど坂をのぼったところにあります。いわばご近所。私の小さなころは、旅館〈望洋館〉でした。〈ホテル望洋〉として新築開業したのは1967年4月といいますから、私たちが高校1年生のとき。実家前のせまい坂をのぼっていく大型バスの記憶はこの高校時代のことだったのですね。

三陸新報の記事のなかに、加藤社長のコメントが紹介されていました。
「当時は無我夢中で避難者の対応にあたったが、あらためていろんな支援や出会いがあったことに感謝している。今後は、震災前以上に観光客が訪れるよう一層努めていきたい」

いま仙台に暮らす母は、ホテル望洋さんに避難当時のお礼をいわないままに気仙沼を引き上げてきたことを気にしておりました。これを機会に、加藤英一社長ご夫妻そしてホテルスタッフの皆様に、母に代わり心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、このたびの厚生労働大臣賞受賞、本当におめでとうございました。

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気高の関東同窓会

一昨日8日、〈気仙沼を元気にする会〉が盛会のうちに終了。会の帰りぎわ、多くの人が〈また来月お会いしましょう〉と声をかけていました。気仙沼高校関東同窓会があるのです。会員にはすでにご案内が届いているとは思いますが、ここに概要を紹介します。

なお、気仙沼高校は、2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)となり、同窓会も同じく統合されています。

気高同窓会

気仙沼高校関東同窓会
総会・懇親会

◎日 時:2014年7月12日(土)
◎総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
◎懇親会:12::10〜(着席ビュッフェ形式)
◎場 所:九段下・ホテルグランドパレス
◎会 費(懇親会費):
 〜平成14年卒業:9,000円(年会費込み)
 平成15年〜24年卒業:3,000円(年会費込み)
 平成25年〜25年卒業:無料(年会費込み)

詳細は次のサイトをご覧ください。

気仙沼高校関東同窓会サイト

本年も、懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同して行います。また、昨年もそうでしたが、気仙沼のほかの高校卒業生の懇親会参加も可能なはずですので、事務局にご相談ください。

多くの同窓生の参加をお待ちしております。会場でお会いしましょう。

関東同窓会事務局
TEL 03-5925-8033 (株)イーシンコミュニケーションズ内

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元気にする会報告

きのう6月8日(日)、東京・神保町での第6回「気仙沼を元気にする会」に行ってまいりました。簡単にその報告を。

神保町の会場〈エスペリア〉には、あいにくの雨にもかかわらず大勢の人が参集。今回も気仙沼サポートビューローの皆様はじめ多くのボランティアの方々が受付や案内などをお手伝いしていました。

午前11時に開会し、まずは「気仙沼ナウ。」をテーマに、気仙沼から迎えた4名のゲストから10数分ずつのお話し。菅原茂気仙沼市長からは、気仙沼復興の現状説明がありました。気仙沼市の人口減少が大きな課題となっていることがあらためてよくわかりました。それもあって、旅行者・長期滞在者など〈第二市民〉の創出、交流人口の拡大が必要なのだと。

その後は、他地域から気仙沼に移り住んだいわゆるIターンのおふたり伊藤拓也さん(タクビー代表/千葉県出身)、加藤拓馬さん(からくわ丸 事務局長/兵庫県出身)の話。そして気仙沼出身でUターンした佐藤春佳さん(VOAR LUZ(ボアラズ)代表/気仙沼市出身)から気仙沼に帰って展開している食品や雑貨の仕事の紹介がありました。これで1部を終了。

市長 タクビー
からくわ 女性
写真は順に菅原市長、伊藤さん、加藤さん、佐藤さん。

休憩後の2部は、立食形式で軽食とお酒なども頂きながらの歓談とゲストの方々を囲んでのQ&Aタイム。そして、日頃から気仙沼に対してのご支援を頂いている様々なグループの紹介がありました。また、マギー審司さんもこの会に来てくれて挨拶、会場のみんなを笑わせていました。

トーク マギーさん
写真は順に、Q&Aタイムとマギー審司さん。

この会に出席していつも感ずるのは、気仙沼の出身ということではなく、なにかのご縁があって気仙沼を応援してくれる方々がとても多いことです。本当にありがたい。

なお、会の様子については、同級生小山隆市君の三男で会のお手伝いもしていたアキヒロさんのブログで本日9日と明10日に詳しく紹介されます。こちらをどうぞご覧ください。

アキヒロさんのブログ

私たち気中20回生&けせもい会メンバーの写真も一枚。左から、裕美君(3年1組)、徳一君(3組)、諸橋君(津谷中)、小田(8組)。おかげさまで元気にやっております。写真はクリックで拡大します(笑)。

気中

最後になりましたが、気仙沼サポートビューローの皆様はじめ会の企画と運営をお手伝いいただいた多くの皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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日曜日は神保町で

きのう5日に関東も梅雨入り。東京は今日も朝から雨が降っています。

さて、明後日6月8日の日曜日、東京・神保町(じんぼうちょう)で第6回「気仙沼を元気にする会」が開催されます。すでに本ブログでご紹介しておりますが、内容を以下に再掲してご案内といたします。
気仙沼なう
「気仙沼を元気にする会」公式サイトからの画像

昨年の10月に東京・飯田橋で開催を予定していた第5回「気仙沼を元気にする会」は、台風27号の接近による影響を考慮して残念ながら中止となりましたが、10月8日に第6回として開催されます。

今回は「気仙沼なう。」をテーマに、気仙沼市長と東京から気仙沼に移り住んだ3名の若者たちを気仙沼から迎えます。気仙沼にUターン、I ターンした方々の、それぞれの「気仙沼なう。」を語っていただくとのことです。

◎第6回「気仙沼を元気にする会」概要

◎日時:平成26年6月8日(日)
11:00〜14:00(開場 AM10:30)

◎会場:神保町ダイニングカフェ エスペリア
東京都千代田区神田神保町2−4 太平電業ビルB1
地下鉄神保町駅A2出口より徒歩20秒
地下鉄九段下駅5番出口より徒歩3分
JR水道橋駅より徒歩7分(TEL : 03-3234-2588)
◎ゲスト:菅原 茂(気仙沼市長)
伊藤拓也(タクビー 代表/千葉県出身)
加藤拓馬(からくわ丸 事務局長/兵庫県出身)
佐藤春佳(VOAR LUZ 代表/気仙沼市出身)
◎会費:一般:3,000円 学生:1,000円
(ランチ・飲み物込み)
◎主催:気仙沼を元気にする会実行委員会
◎共催:一般社団法人 気仙沼サポートビューロー

参加申込みや詳細情報はつぎの公式サイトより。なお、FAXでのお申し込みは本日6日(金)午後5時までとなります。

気仙沼を元気にする会公式サイト

なお、会場の「エスペリア」は、靖国通りに面しており、地下鉄神保町駅A2出口より徒歩20秒、地下鉄九段下駅5番出口より徒歩3分
JR水道橋駅より徒歩7分です。

多くの皆様のご来場をお待ちしております。会場でお会いしましょう。


あ、それから本日6日と7日は、以前ご紹介した(ほぼ日)さんの〈マジカル気仙沼ツアー〉です。(ほぼ日)創刊16周年を迎えた本日、バス1台限定45名の方々が気仙沼を訪れています。その様子は下記の〈テキスト中継〉サイトでご覧いただけます。こちらもどうぞよろしく。

マジカル気仙沼ツアーテキスト中継

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トニー谷in気仙沼

2日続けてチリ地震津波のときの写真を紹介しましたが、津波の2日後、〈トニー谷〉が気仙沼に来ていたのをご存じでしょうか。

チリ地震津波当時のことを『気仙沼文化史年表』で調べていたら、1960(昭和35)年5月26日〈喜劇タレントのトニー谷来演〉と記してあったのです。私は知りませんでした。津波被災の混乱が残る気仙沼のどこで、あのソロバン芸を披露したのだろう。

本日はYouTubeにあった〈トニー谷〉の映像を紹介します。



映像中に昭和57年1月30日放送とのクレジットがあります。1982年。番組は日本テレビのタモリさんの番組「今夜は最高」です。

私たちの世代でトニー谷といえば、テレビ番組〈アベック歌合戦〉。ウィキペディアによれば1962年10月から68年3月まで放送されました。

「レディース&ジェントルメン、アンド、おとっつぁん、おっかさん、おこんばんわ」で始まる視聴者参加番組でした。トニー谷が拍子木をたたきながら〈あなたのお名前なんてえの〉と聞くと、出場者が〈やま〜だ たろ〜と申します〉などとリズムにのりながら答えます。

また、トニーさんの〈〜ざんす〉という語りはその後、赤塚不二夫さんの漫画〈おそ松くん〉中の〈イヤミ〉のセリフとして復活しました。〈イヤミ〉はトニー谷をモデルにしたとの説もあり。

トニー谷さんが気仙沼を訪れたのは、〈アベック歌合戦〉開始でその人気が復活する2年前のことです。不遇時代の地方巡業/ドサ回りだったのでしょうか。

トニーさんは1987年、69歳で亡くなっています。このブログでも紹介した大瀧詠一さんのラジオ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」で〈トニー谷特集〉などをやっていたころはまだご存命だったのですね。

いやはや、チリ地震津波のことからトニー谷を思い出すことになろうとは、考えてもみなかったザンス。ちょっと違うか(笑)。

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チリ地震津波写真

きのうのブログで、54年前 1960(昭和35)年5月24日のチリ地震津波の被災写真を紹介しました。本日はその続き、『目で見る気仙沼の歴史』(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)からの3枚です。写真をクリックすると拡大します。

南映

1枚目は、〈港町第二東映(現カンダ用品店)付近〉。〈歩けない病人を背中にオンブして〉とのキャプションが付されています。右側に映画館〈第二東映〉、左後方に〈南映〉の側面がうつっています。

谷村

2枚目は、〈南町気小校登り口(谷村菓子店)付近〉。気仙沼小学校にあがっていく〈紫さん〉の坂を背にして〈男山〉方向を撮影。〈谷村〉の店はうつっていませんが、右端が工場と自宅でしょう。左は〈藤崎〉。

魚市場前

3枚目は、〈旧魚市場前〉。〈右側の海面は埋め立てられ、市営駐車場となった。人の肩あたりまで浸水したので、家々がその部分から下は、黒ずんでいる〉とのキャプション。

津波の被災写真ではあるのですが、54年前の家並みは懐かしい風景に感じられます。この日は火曜日だったようですが、学校が休みになったかどうか。長靴を履いて通学したような気もするのですが、翌日のことだったかもしれません。

魚町にあった私の実家は、坂を少しのぼったところにありましたから、この津波での被害はなにもありませんでした。母は〈この家が津波でやられるようだったら、魚町は全滅だ〉とよく笑いながら話していました。チリ地震津波の51年後にあれほど大きな津波が襲ってくることなど、当時、誰も想像していなかったのです。

6月3日ブログ「チリ地震津波の時」

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チリ地震津波の時

5月25日の三陸新報に、〈静かに黙とう〜南三陸町 チリ地震津波54年〉という見出しの記事がありました。当時、南三陸町志津川では県内最多の41人が犠牲になったとのこと。

チリ地震津波は、1960(昭和35)年5月24日の午前3時前ごろ、三陸地方に襲来しました。私たち気中20回生が小学校3年生のちょうど今頃の季節。最大6メートルの津波で国内での死者行方不明者は142人にのぼったといいます。

ネットで調べたところ、つぎの写真がありました。いずれも気仙沼市魚町海岸の被災風景。気仙沼市が平成22年度防災教育支援事業の一環として作成したウェブサイト〈津波フィールドミュージアム〉に掲載されていた20枚中の2枚です。

チリ津波左 チリ右
「津波フィールドミュージアム」掲載写真(クリックで拡大します)

気仙沼「津波フィールドミュージアム」

左の写真は、引き波状態のときでしょうか。懐かしい家屋が並んでいます。左端が〈臼福〉さん。右の写真は逆方向からの撮影。右端が〈斉富商店〉さん。

津波がまだ道路上にあがっていた朝方、一年下の〈鼈甲屋のタカオちゃん〉こと昆野隆男君が、この斉富さんの前でジャブジャブと海の方に歩いていったあげく、ストンと海にはまってしまいました。道路と海の境がわからないのが面白かったのでしょう。禁じられた遊び(笑)。すぐ近所の人に助けてもらいましたが、あぶないところでした。

そんなことをいま懐かしく思い出すように、気仙沼のチリ地震津波の被害は東日本大震災の大津波にくらべれば、さほどのものではなかったとの記憶。しかし、『目で見る気仙沼の歴史』(気仙沼ライオンズクラブ発行)には、当時の気仙沼市内の死者は2名、5億1千万円の損害と記しています。

〈3.11〉は決して忘れないだろうと思うのですが、〈5.24〉はすっかり忘れておりました。あれから54年が経ちました。東日本大震災から54年後の2065年3月11日、その時代の人々はどのようにあの日をふりかえるのでしょうか。

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波座物産熟成塩辛

また月遅れ雑誌記事の話題です。週刊文春の5月1日号(4月24日発売)の本文最終ページ〈おいしい!私の取り寄せ便〉に気仙沼の品が紹介されていました。

波座物産
『週刊文春』5月1日号記事イメージ

今回の推薦者は太田和彦さん。全国の居酒屋を巡り、雑誌などで多くの紹介記事を書いている方です。そして、その太田さんが推奨する取り寄せ便は、気仙沼〈波座(なぐら)物産〉の〈昔ながらの濃厚熟成塩辛〉。その記事を引用します。

「居酒屋を巡ると必ず頼むのが塩辛です。シンプルだからこそ作り手の個性が現れるし、値段も手頃。かれこれ40年食べ続け、一昨年、人生最高のものに出会いました。気仙沼の復興屋台村で買った「昔ながらの濃厚熟成塩辛」です。長期熟成ならではのどっしりとした重さで、程よい酸味と濃醇な香りのバランスも完璧。

酒肴は“食べる”んじゃなくて、“味わう”もの。少しずつつまみながら、ちびちび飲めるよう、豆皿に盛って晩酌用の盆に載せます。ここに愛用の酒器を持ってくれば自分だけの酒場ができあがる。

この塩辛はその辺のやわな日本酒では太刀打ちできません。互角に渡り合えるのは神亀、竹鶴など重量級の名酒のみ。塩辛の冷たさを引き立てるため手間を惜しまず燗にしたところで晩酌開始。ひと切れつまみ酒をすすれば、口の中で塩辛と酒とががっぷり四つに組んで、横綱相撲が始まります。家飲みをかくも贅沢なものに仕立ててくれる肴は、この塩辛以外ありません。」

引用は以上です。まさに大絶賛。

これをもし広告として掲載したならばどれくらいの費用がかかるのか。週刊文春の広告媒体料金を調べてみましたら、カラー1頁で185万円。今回の記事は下部5センチほどがほかの広告スペースになっていますから150万円といったところでしょう。これに通常の広告であれば、写真撮影費、太田さんの原稿料、ページデザイン料などが加わってきますから、今回の紹介記事の価値は大変大きなものがあります。

専務の朝田慶太さんには、一昨年の気仙沼に縁ある人の集まり〈あがらいんでバー〉でお会いしたことがあります。この週刊文春の紹介記事を、朝田専務もよろこんでいることでしょう。

そして波座物産のサイトにある専務のコラムには、週刊文春の記事が掲載された後は、注文が多く品薄になったと書かれていました。通信販売サイトで確認しましたら、〈ただいま熟成中でご注文の受付をお休みしております〉。6月中旬までに受付再開予定とのことです。待ちきれないという方は、ほかの商品もございますので、下記サイトを是非ご覧ください。

波座物産通信販売サイト

なお、糸井重里さんの〈ほぼ日〉でも2012年の〈東北の仕事論。〉で、4回にわたって波座物産の話を紹介しています。こちらもご覧ください。

ほぼ日/東北の仕事論:波座物産篇

週刊文春の〈おいしい!私の取り寄せ便〉では、昨年の5月に、矢野顕子さんが故 小山隆市君の店〈コヤマ菓子店〉の〈はまぐりもなかくっきー〉を推奨してくれました。そして今回の波座物産の塩辛。引き続いての気仙沼産品の紹介を大変うれしく思いました。

2013年5月20日ブログ「顕子さんご推薦」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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