千葉和夫君の訃報

同級生の訃報です。千葉和夫君(3年11組)が4月26日に亡くなりました。

和夫君は昨年3月にモルディブに旅行しましたが、3日目から発熱し残りの4日間は頭痛、関節痛がひどくてベッドで寝て過ごしたそうです。そして6月には食道ガンと診断され、順天堂大学付属病院に2度入院し治療を続けていました。10月からは自宅で療養していましたが、3月末には緩和ケア病棟に入院。いわゆるホスピスです。

先週なかばに病状がおもわしくないという病院からの連絡を受けてお兄さん夫婦が2度上京するなどしましたが、4月26日土曜日の午後10時ごろ、みんなに見守られながら静かに逝きました。そしてきのう29日に堀ノ内斎場にて火葬式を執り行い、気仙沼からの親戚なども含めた近親者そして友人らで和夫君を送りました。

千葉和夫君の実家は、気仙沼市古町にあった千葉写真館。和夫君も長く写真をとり続け、広告制作会社を退職した後も自身のブログで作品を紹介してきました。その最後の写真は3月7日の〈水路の春〉。その後はカメラが重く感じられて撮れないと見舞ったおりに語っていました。

もう更新されることがなくなったブログを、時をさかのぼるように見ていくと、やりたいことや楽しみたいことが沢山あったろうになと、和夫君の無念を感じます。

和夫君のお兄さんと私は、妻同士が姉妹という関係、いわば身内です。そんなこともあって、都合がゆるせば病院や自宅をたずね、とりとめもない思い出話などをして過ごしました。私の目にも和夫君の体力の衰えは明らかで、ほかにしてやれることもあまりなかったのです。

4月22日の〈明日1時にうかがいます〉という私のメールに、和夫君から〈いつも、ありがとう〉という返信がかえってきました。私のスマホに残る最後のメッセージが感謝の言葉であったことに、今すこしホッとしています。

千葉和夫君がその生前に、同級生はじめ多くの方々から賜りました友情とご厚情に対し、友人としてそして身内として、深く感謝いたします。ありがとうございました。


千葉和夫君のブログ「Kazu Photo Note」
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「海の市」再建支援

気仙沼の人はすでにご承知のことですが、震災で大きな被害を受け休業していた〈海の市〉が4月2日にプレオープンしました。1階の海鮮市場は今年6月にオープン予定で、今回は2階の「シャークミュージアム」と「気仙沼市観光サービスセンター」2カ所のお披露目となりました。

UMINO
プレオープンの様子(宮城県公式ウェブサイトより)

「海の市」サイト/シャークミュージアム

魚市場に隣接する〈海の市〉は、気仙沼市や宮城県が出資する第三セクター〈気仙沼産業センター〉が運営する施設。気仙沼市が約48%を出資しています。そのオープンは1997(平成9)年です。私も魚町の実家への帰省時、東京に帰る前日あたりには、ふかひれスープはじめ土産物の購入でずいぶんお世話になりました。

この〈海の市〉の再開にあたっては、きのう紹介した三菱商事復興支援財団の大きな支援がありました。気仙沼産業センターに5000万円を出資したのです。将来の配当収入は、同財団と気仙沼市および気仙沼信用金庫で昨年設立した〈気仙沼きぼう基金〉を通じて地元産業に再投資するということです。三菱商事の昨年8月の報道資料には、〈地元の活力を地域全体の復興に繋げる循環型の支援〉とありました。

そして今年1月27日には、三菱商事の小林健社長が気仙沼を訪れ、気仙沼市に電気自動車(三菱自動車 i-MiEV)3台の贈呈も行っています。きのうのブログで〈今年1月末には三菱商事の小林健社長自ら弊社を訪れ、激励して下さった〉というヨシエイ加工 村上社長の言葉を紹介しましたが、この時期のことだったのでしょう。

震災後、気仙沼をはじめ被災地の復興のために多くの皆様からのご支援をいただいております。国を問わず、わずかな小遣いから捻出したであろう幼い子供たちからの義援金、そして何千万や億といった額の企業・団体からの支援。そこに共通する多くの人の〈善意〉が、妙に身にしみるこのゴールデンウィークです。

三菱商事報道資料

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三菱商事復興支援

週刊新潮4月3日号に、気仙沼のヨシエイ加工(株)の紹介記事が掲載されていました。昨年紹介した、〈気仙沼地域エネルギー開発〉や〈三陸飼料〉の記事と同じく三菱商事のPR記事。三菱商事復興支援財団は、気仙沼信用金庫と「気仙沼きぼう基金」を設立し、復興のための企業支援活動を行っているのです。同財団は、さきに紹介した2社のほか、〈気仙沼ケーブルネットワーク〉も支援しています。

ヨシエイ画像
週刊新潮2014年4月3日号掲載記事のイメージ

記事内容を要約して紹介します。
ヨシエイ加工株式会社は、平成2年の創業。震災当日、村上芳二郎社長(61)は、事務所の2階で取引銀行の担当者と打合せの真っ最中だったといいます。そして津波は、会社も加工場も天日干ししていたフカヒレも全て流し去ります。3週間後、1人を除き43人の作業員の無事は確認できました。

しかし会社の再建は容易ではありません。取引銀行との融資交渉も徒労に終わりました。万策つきた村上社長は地元の信用金庫(気仙沼信用金庫でしょう)の扉をたたいたところ、融資が実現。さらに三菱商事復興支援財団の出資も決定したというのです。

記事はその最後に村上社長の言葉を紹介しています。
「昨年4月、高台に移転した新加工場も稼働しました。今年1月末には三菱商事の小林健社長自ら弊社を訪れ、激励して下さった。こうやって一過性ではなく、継続して地元復興に目配りをして頂くことに感謝しています。今後は気仙沼のブランドを守り、水産業全体の活性化につなげて行きたいと思います」

記事紹介は以上です。気仙沼高校の同窓会名簿を見ると、村上社長は気高23回生。私たちのひとつ下の学年です。また、ヨシエイ加工も名を連ねている〈気仙沼ふかひれブランドを守る会〉メンバー6社には、私たちの同級生が経営する福寿水産(代表 臼井弘君/3年7組)、カネヒデ吉田商店(代表 吉田久雄君/6組)も含まれています。いずれも、多くのご支援をいただきながら事業再建に取り組んでいます。

本日紹介した三菱商事さんはじめ、気仙沼のフカヒレ関連各社の再建をご支援くださっている多くの企業・団体の皆様にお礼を申し上げます。いろいろとありがとうございます。


三菱商事の支援を紹介したブログ2件
2013年6月7日「気仙沼エネルギー」
2013年2月14日「三陸飼料の復旧」

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ラーメンの義援金

4月11日、〈ラーメンの鬼〉とも呼ばれた〈支那そばや〉店主 佐野実さんが亡くなりました。その経歴のなかに日本ラーメン協会第1期理事と記されていたので、久しぶりに同協会のウェブサイトをのぞいてみました。

そして、次の記事が目に入りました。本年2月6日のトピックスに、昨年おこなった〈東京ラーメンショー2013〉の義援金のことがつぎのように記されていたのです。

ラーメン協会

「2013/11/15〜24に行われた『東京ラーメンショー2013』の義援金を「日本赤十字社」に、3,780,000円納付しました。
東京ラーメンショー2013実行委員会を通じて少しでも震災復興のお役に立てたことを心より嬉しく思います。
皆様のご協力ありがとうございました」

〈東京ラーメンショー〉は、実行委員会主催・日本ラーメン協会共催で、2009年から駒沢公園で毎年開催されています。2011年に千葉憲二君が「気仙沼 新かもめ食堂」を出店したときには、私も出かけていき、このブログでも紹介しました。

日本ラーメン協会の理事長は同級生の千葉憲二君(3年4組)。こうしてラーメンショーが被災地支援を継続してくれているのも、憲二君の存在が大きいのではないかと、勝手に想像しているところです。ちょっと同級生びいきが強すぎるかもしれませんが、ラーメンショー売上の一部が被災地復興の義援金として寄付されたことを知らない人も多いのではないかと思い、紹介しました。

日本ラーメン協会はじめ日本ラーメンショー関係者の皆様、そしてショーにご来場くださった多くの皆様にお礼申し上げます。

2011年のラーメンショーについては次のブログにて。
2011年11月4日ブログ「憲二のラーメン」

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ほぼ日気仙沼バス

震災後の気仙沼をいろいろとご支援くださっている〈ほぼ日刊イトイ新聞〉(ほぼ日)さんが、6月6日に創刊16周年を迎えるとのことです。そして節目のこの日に、気仙沼の各地をめぐる1泊2日のバスツアーを企画。その発売が本日4月24日午前11時から始まりました。バス1台、限定45名のマジカル気仙沼ツアーです。

01_tour2014_0422.jpg

ほぼ日バスに乗り込もう。
マジカル気仙沼ツアー2014


詳しくは、上記の〈ほぼ日〉ツアー専用サイトをご覧いただきますが、いろいろと企画が進んでいるようです。たとえば、魚市場でカツオの競りを見学し、気仙沼名物の魚屋さん(あそこだな。Rさん/笑)でのまかない丼や、斉吉商店の食堂で海の幸、そしてアンカーコーヒー。その後は徳仙丈のツリーハウスでのワークショップなど。

旅行代金:48,000円(税込・1名様)

6月6日(金)
 7:16 東京駅出発(新幹線利用)
 9:33 一ノ関駅着
 ほぼ日貸切バスで気仙沼へ
 アコモイン気仙沼宿泊
6月7日(土)
 16:37 一ノ関駅発(新幹線利用)
 18:52 東京駅着

こうして気仙沼をいろいろと応援してくださる糸井重里さん率いる〈ほぼ日〉の活動は、本当にありがたいことだなあと、いつも感じています。6月6日、45名の皆様がその16周年をお祝いしつつ、気仙沼の良さを満喫してくれるツアーになればと心から願っております。

追記:11時に発売を開始して間もなく完売とのこと。ありがとうございました。

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ようこそ畠山先輩

さまざまなジャンルの第一線で活躍する著名人が、ふるさとの母校を訪ね、後輩たちのためにとっておきの授業を行うNHK・Eテレの〈課外授業/ようこそ先輩〉。今週25日(金)の放送に気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんが登場します。

ようこそ先輩
番組サイトのイメージ

◎課外授業/ようこそ先輩
◎NHK Eテレ(2ch)
◎4月25日(金)19:25〜19:48
再放送4月28日(月)12:25〜12:48

「ようこそ先輩」番組サイト

美由紀さんが訪ねるのは、母校の気仙沼市立松岩小学校。テーマは「美しい風景を心に刻んで」。番組サイトの紹介文を以下に引用します。

「今回の授業のテーマは、“気仙沼の風景を見つめ直すこと”。
 まず、最初に畠山さんは後輩たちの前で「わが美しき故郷よ」の詩を朗読し、歌います。この詩と歌は、震災直後に自ら作詞作曲してできたもの。近所や通学路の美しい風景や、畠山さんの小さいころの思い出、そして、故郷への想いが込められています。
 3年生の時に震災を経験した子どもたちに畠山さんが出した課題は、自分たちの通学路をテーマに詩を書くこと。普段、何気なく通っている道のりのはずなのに、なかなか風景が思い浮かびません。そこで、自分の通学路を見つめ直そうと、子どもたちはそれぞれの道のりを帰っていきます。改めて歩いてみることで、自分の通学路に大切な風景を見つけてきた子どもたち。さて、子どもたちは、どんな風景を詩にするのでしょうか?」

引用は以上。畠山美由紀さんは、松岩小学校卒業のあとは、松岩中学、鼎が浦高校(現在は気仙沼高校に統合)へと進んだことは皆さんご存じの通りです。今週金曜の午後7時25分。微妙な時間なので、予約しておきましょうね。美由紀先輩は、松岩小学校でどんな授業をおこなうのか。なお、「わが美しき故郷よ」の詩を後輩たちの前で朗読し、歌も披露するとのこと。これも楽しみですね。

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気仙沼大使に御礼

昨日は、新たな〈みなと気仙沼大使〉6氏を紹介しました。この気仙沼市の〈大使〉委嘱は、2006年9月に〈リアスさんりく気仙沼大使〉としてスタートし、2010年に本吉町合併に伴って、名称を〈みなと気仙沼大使〉に改めています。

今年2014年2月時点では、気仙沼市にゆかりのある方が42人、そして気仙沼市の発展に関心をお持ちの方が40人、計82人の方々にお願いしているそうです。

たとえば次のような方々です。

◆ 気仙沼市にゆかりのある方

◎東 孝/国際空道連盟 理事長 ◎生島 淳/スポーツジャーナリスト ◎生島 ヒロシ/フリーアナウンサー ◎岩手 佳代子/フリーアナウンサー ◎熊谷 育美/シンガーソングライター ◎佐藤 真海/パラリンピックアスリート ◎菅原 智恵子/フェンシング選手 ◎橘 洋子/東京音楽大学常勤講師,声楽家 ◎千田 健太/フェンシング選手 ◎長峯 純一/関西学院大学教授 ◎バイソン片山/ジャズドラマー,作曲家 ◎畠山 美由紀/歌手 ◎花柳 寿々菊/日本舞踊家,花柳流師範 ◎マギー審司/マジシャン,タレント ◎村上 茂雄/漫画家◎村上 教行/イオン(株)専務執行役 ◎村上 弘明/俳優 ◎守屋 洋/中国文学者,SBI大学院大学教授

◆ 気仙沼市の発展に関心をお持ちの方

◎阿川 佐和子/作家・エッセイスト ◎内館 牧子/脚本家 ◎大西 隆/日本学術会議会長 ◎小林 政広/映画監督 ◎サンドウィッチマン(伊達みきお)(富澤たけし)/芸人 ◎外尾 悦郎/彫刻家 ◎滝田 栄/俳優 ◎日高 良実/イタリア料理シェフ ◎三國 清三/シェフ(敬称略)

以上は、全82人の中から私が勝手にピックアップさせていただいた方々です。たとえば、声楽家の橘洋子さんについては、私の親戚ではないのですが旧姓が〈小田〉。2学年下の気中22回生で、〈ベルマーク〉収集整理でお世話になったこともあり、大変なつかしく思いました。

〈みなと気仙沼大使〉の皆様、これからも気仙沼のことをよろしくお願いいたします。そしてさらに、気仙沼には誰に頼まれたわけでもなく、さまざまなかたちでかげながら応援してくださる多くの〈気仙沼大使〉がいます。それらの方々にも、引き続いてのご支援をお願いするとともに、深く御礼を申し上げます。

気仙沼市公式サイト/みなと気仙沼大使一覧

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みなと気仙沼大使

気仙沼市の公式フェイスブック〈はまらいんや!気仙沼〉は写真も豊富で、気仙沼を離れて暮らしている私にとって、〈故郷の今〉を感じることのできるサイトです。

気仙沼市公式フェイスブック〈はまらいんや!気仙沼〉

その4月5日の記事は、新「みなと気仙沼大使」のご紹介〉。2月1日付けで新たに委嘱された6人を紹介していました。そのなかに、このブログで何度も紹介している唐桑の鮪立(しびたち)出身で同年会〈けせもい会〉のメンバー村上教行(のりゆき)君の名がありました。

気仙沼大使
〈はまらいんや!気仙沼〉からの画像

まずは、新大使6人を紹介します。

◎阿川佐和子(作家・エッセイスト)復興支援「やっぱ銀座だべ」プロジェクトで実行委員長として尽力 ◎サンドウィッチマン(伊達みきお、富澤たけし)震災後の当市の状況など継続的に広くPR ◎滝田栄(俳優)被災者供養,より良い未来を祈るためのお堂を建立し「気仙沼みちびき地蔵」を安置 ◎親斗(ちかと)(シンガーソングライター)気仙沼市出身。復興支援を目的としたライブ活動を実施 ◎村上教行(イオン(株)専務執行役)気仙沼市出身。商業振興などで地元を支援 (敬称略・五十音順)

新大使/村上教行君の役職について、少し補足しておきましょう。イオン株式会社は、イオングループ各社の純粋持株会社で国内小売業トップの営業収益をあげています。その中にあって村上君は、社長・副社長を支える9名の専務執行役のひとり。以前 社長をつとめていたイオンモール(株)の代表取締役も兼務しています。また〈イオン東北 代表〉でもあるのですが、これについては、昨年10月の商業施設新聞インタビュー記事で説明されていました。

商業施設新聞/村上教行氏インタビュー

イオン東北は〈会社・企業体ではなく、長期的な視野に立って生産地としての東北地域と仕入や物流、販売などの連携を強化することと、東北復興を側面からサポートするための組織〉とのことです。なお、この記事中に〈気仙沼市の離島で生まれ育ち〉とありますが、これは誤り。唐桑の鮪立(しびたち)は島ではありません。記者は、〈船で高校に通った〉という話を聞いて、離島と勘違いしたのでしょう。

教行君は、川柳を趣味としており、三陸新報にも投稿しています。インタビュー記事では、つぎの2作が紹介されていました。

◎孝行の真似ごとと 被災の親を呼び
◎子はかすがい 孫は瞬間接着剤

1句目は、鮪立から教行君宅へ避難し10カ月間の生活を共にした母親への想いを、2句目は、昨年誕生したお孫さんを詠んだもの。あたかも鮪立に始まる川の流れのように、4世代が詠み込まれています。次回の〈けせもい会〉、大使/村上教行君の新作川柳の披露を楽しみにしております。

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6年2組卒業写真

3月31日のブログで、気仙沼小学校卒業の日に同級生9人で撮った写真を紹介しましたが、本日は気小の全8組中6年2組全員の卒業記念写真です。

気小6年2組卒業写真
気仙沼小学校6年2組卒業記念写真(クリックで拡大)

最前列の左から5人目が担任の菅原(旧姓/十二村)暉子(てるこ)先生。その右側は村上六太郎校長でしょう。私は暉子先生の上部3列目。妙に顔が大きい(笑)。村上校長の右隣に石垣琴子さんがうつっています。4年でも一緒でしたが6年でも同じクラスだったと、この写真を見て思い出しました。以前も書きましたが、残念なことに琴ちゃは亡くなっています。鈴木みき子さんも。

この写真は左右12センチほどなのですが、スキャンした画像をパソコン上で見ると倍以上のサイズになり、一人ひとりの表情がよくわかります。人に歴史あり。この写真をながめていると、実にさまざまなことを思い出します。

1964/昭和39年3月。ちょうど50年前に撮影されたこの写真は、見ていて飽きることがありません。

2012年4月26日ブログ「琴ちゃんのこと」
3月31日ブログ「気小卒業記念写真」

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震災記録展示図録

川島秀一さんから『小々汐仁屋の年中行事』が届いた4月10日の朝、気仙沼・魚町の同級生 佐々木徹君(3年1組)から電話がありました。〈今日、リアス・アーク美術館の震災展示図録が発売されるので、これから美術館に買いにいきます〉とのこと。〈一冊、プレゼントすっから〉。

そして翌日、徹君からの『リアス・アーク美術館常設展示図録〜東日本大震災の記録と津波の災害史』が届きました。

図録表紙
図録表紙(表裏)
図録内容
被災写真の一部。左下は、小山修司君(5組)の家 魚町〈カネシメイチ〉(クリックで拡大)

リアス・アーク美術館の被災記録の展示はまだ見ていないのですが、このB5判180頁からなる図録はよくできていると感じました。被災現場や被災物の写真に加え、過去の津波に関する歴史資料もおさめられています。

108点の被災写真を見ていると、あらためて〈記憶の風化〉ということを感じます。他人のことではなく、私自身が、あふれるほどの被災映像を見せつけられた震災直後の感覚や記憶が薄れてきていることを実感するのです。それだけに、リアス・アークでの震災記録展示や今回の図録発行は大変に意義のあることだと思いました。

リアス・アーク美術館 学芸員として、展示の企画や図録の編集を担当した山内宏泰さんは、後書きをつぎのように結んでいます。

〈我々の目的は風化を食い止めることでもなければ忘れさせないことでもない。知らなかったことに出会い、心を動かし、思考を巡らせ新たに記憶してもらうことである。
同一の経験がなくても、相似する経験を組み合わせ、想像力を働かせれば記憶は獲得できる。人間にはそういう力があると信じている。一人でも多くの人に、我われが経験したこと、我われが気付いてしまったことを共有してほしい。そして大切な人が暮らす未来を守ってほしい〉

そして、徹君からの宅急便に図録と一緒に入っていたのは、魚町・南町地区の復興土地区画整理事業の説明資料。中を開いてみると、平成30年までの事業計画や〈事業完了後の理想の完成予想図〉なども示されていました。

〈被害〉と〈未来〉を一緒にしてのプレゼント。徹ちゃん、いつもありがとう。


図録の購入等についての詳細は下記にて。1冊800円。是非に。
リアス・アーク美術館HP

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「仙河海」の物語

きのうは4月19日(土)に気仙沼のマルト齊藤茶舗で開催される〈みなとのがっこう〉を紹介しました。本日は、その講師 熊谷達也さんについてです。

以前、このブログでも紹介した熊谷達也さんの小説「リアスの子」は、気仙沼をモデルとした仙河海(せんがうみ)市を物語の舞台にしています。先月発売された熊谷さんの最新刊「微睡みの海」も、仙河海市の美術館で働く女性〈笑子〉が主人公。同書の紹介文には〈2010〜2011、北の港町。3・11を目前に、生命を燃やし求め合う男女三人、肉体の純愛小説〉とありました。

このように熊谷達也さんは、仙河海(気仙沼)にまつわる小説を連作し、現在も雑誌と新聞でふたつの〈仙河海もの〉を連載中です。そのひとつが、「別冊文藝春秋」1月号から始まった「鮪立(しびたち)の海」。隔月刊ですので、現在発売中の5月号に3回目が掲載されています。

鮪立の海
「別冊文藝春秋」2014年1月号の連載1回目から

これがなかなか面白い。物語は昭和5〜6年頃から始まります。舞台は、仙河海町の五十集町(いさばまち)。モデル地区は気仙沼の魚町でしょう。〈五十集〉(いさば)とは魚問屋や仲買など、魚を扱う商売のことです。私が小さな頃、魚町坂口にあった〈五十鈴タクシー〉のおばあさんが〈だれそれさんちは昔、イサバヤだったのっさ〉と語っていたのをかすかに覚えています。五十集屋とか五十集商とか。以前、図書館長をつとめ、三陸新報のコラム〈万有流転〉の筆者だった菅野青顔さんも、自分のことを〈魚町の五十集屋のせがれ〉となにかに書いていたような記憶も。

大正15年生まれの主人公 菊田守一少年が、連載3回目ではカツオ船に乗り組みます。物語はこの後どのように進行するのか。小説のタイトルにある〈鮪立〉は、唐桑(小説中では唐島)の鮪立なのだろうか。今後の展開がいろいろと楽しみです。

そしてもうひとつは新聞「河北新報」で昨年5月から連載されている「潮の音、空の色、海の詩」。私は読んでいないのですが、震災後の気仙沼市をモデルにしているとのこと。2月頃には〈小川菓子店の啓道(ひろみち)さん〉が代表をつとめる〈楽仙会〉が登場したと聞きました。これは同級生 小山隆市君の長男〈小山菓子店の裕隆さん〉と〈気楽会〉がモデルでしょう。そんなこんな、気仙沼の人には別の楽しみもある小説になっているのではないでしょうか。

熊谷達也さんがどんな思いで、これら〈仙河海〉の物語を紡いでいるのか。19日の〈みなとのがっこう〉で話されることでしょう。著者を間近にしてゆっくりと話が聴ける仙河海、じゃなかった気仙沼の皆さんがうらやましい。って、話の最後がわざとらしかった(笑)。


追記:19日の〈みなとのがっこう〉は、16日で参加申込みが定員に達したのことです。

昨日4月15日ブログ「みなとのがっこう」
1月21日ブログ 小説「リアスの子」

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みなとのがっこう

今週土曜日の催しを遅くならないうちにご紹介します。〈みなとのがっこう〉です。

昨年4月と10月の2回、「vol.0 ROOT~気仙沼のルーツ・なりたちを知る」として川島秀一さんを講師に開催された〈みなとのがっこう〉。今度のシリーズは「vol.1 STORY」として作家・熊谷達也さんが、その視線とそこから描き出された物語について語ります。以下、講座内容を〈みなとのがっこう〉のフェイスブックから引用します。

◎みなとのがっこう vol.1 STORY

第1回 作家・熊谷達也から見た気仙沼(仮題)
~『リアスの子』から『微睡みの海』

気仙沼中学校で教師を3年間勤められた経歴がある直木賞作家・熊谷達也さんの講座を下記のとおり開催します。

熊谷達也さんは、昔と今の気仙沼を知る稀有な現役作家で、震災後は、気仙沼をモデルにした「仙河海市」を舞台にした年代や登場人物を変えながら複数の物語を描かれています。

そんな熊谷達也さんの描く「仙河海(せんがうみ)」の物語は、気仙沼人の人柄や気質、気仙沼の風土、文化、風習……そして、昔と今の気仙沼の違いや変わらないところなどを深く知り、感じることができる貴重な読み物になっています。

第1回目となる今回は、昨年から今年にかけて書籍化された、仙河海シリーズ「リアスの子」「微睡みの海」の2冊を中心に、気仙沼でこそ話せる小説にまつわる背景や裏話を交えながら熊谷達也さんの視線で見た気仙沼を存分にお話しいただきます。

書籍をすでに読まれた方はもちろん、まだ読まれていない方も、この機会をお見逃しなく、ぜひご参加ください。(当日は数量限定でサイン本の販売もいたします!)

<開催概要>
■ 日時:4月19日(土)
■ 開場:18:30 開催:19:00〜20:40
※受付は18:50分までにお願いします
※18:30から熊谷達也さんの著書「リアスの子」「微睡みの海」のサイン本を数量限定で販売いたします。

■ 場 所:マルト齊藤茶舗/気仙沼市八日町2-2-17
■ 参加費:1000円/人
■ 定 員:20人(先着順)
■ 講 師:熊谷達也(作家)

(1)趣旨説明(5分)
(2)講師紹介(5分)
(3)熊谷達也さんによる講座(60分)
(4)質疑応答・フリートーク(20分)
(5)参加者からの情報提供など(10分)

■ 懇親会:21:00から「第二笑口会議処」で開催予定
(一人3千円程度)
====================================
<参加申し込み>
minatonogakko@gmail.com

以下内容明記のうえ、
みなとのがっこう事務局までお申込みください。
1.氏名
2.メールアドレス
3.懇親会参加の有無

【主 催】みなとのがっこう(担当:山田)

引用は以上。
熊谷達也さんのお話を親しく聴くことのできる絶好の機会です。関心のある方は、ぜひ早めにお申し込みください。

追記:19日の〈みなとのがっこう〉は、16日で参加申込みが定員に達したのことです。

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同級生2名が当選

きのう13日に投開票された気仙沼市議会議員選挙。気仙沼中学・気仙沼高校の同級生、臼井真人(まこと)君(気中・気高)と熊谷雅裕(まさひろ)君(大島中・気高)が、めでたく当選しました。

市議選けっか
4月14日三陸新報より

雅裕君は初めての選挙、新人としての当選です。この結果を得てホッとしていることでしょう。真人君は3期目で市議会議長もつとめていましたから、私などは安心して見ておりましたが、本人からすればそう簡単なものではなかったようです。真人君の出身地区である魚町は津波で多くの家屋が流失し、いわゆる〈地盤〉と呼べるものがなくなっている状況でした。そうした中で当選を果たしました。

真人君、雅裕君、当選おめでとう。大変とは思いますが、これからも気仙沼のために頑張ってください。そして、二人を応援してくださった多くの皆様にもお礼申し上げます。ありがとうございました。

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小々汐仁屋の記憶

きのうの昼、事務所のポストに川島秀一さんからの郵送物が。さっそく開封すると、冊子『小々汐仁屋の年中行事』が入っていました。

小々汐仁屋
『小々汐仁屋の年中行事』(B5判・全56頁)

川島秀一さんは気仙沼市魚町出身で、私たちの1学年下 気中21回生。昨年4月からは東北大学災害科学国際研究所の教授として活動しています。そしてこの冊子は、東北芸術工科大学東北文化研究センターが文部科学省の助成を受けた研究プロジェクトの一環として発行されたもの。川島さんは、このプロジェクトに平成24年度から共同研究員としてかかわっています。プロジェクト名は「環境動態を視点とした地域社会と集落形成に関する総合的研究」(平成24~28)。

私は先日の三陸新報でこの冊子のことを知り、東北芸術工科大学に送付を依頼したばかりでした。それだけに川島さんから届いたこの〈プレゼント〉には本当に驚きました。

気仙沼市小々汐(こごしお)は、商港岸壁の対岸にあたるところ。藩政時代より続く漁村地区でした。そして〈仁屋(にんや)〉尾形家はこの地区の旧家です。川島さんは、1983年にはじめて「仁屋のおじいさん」尾形栄七翁に会って以来、およそ10年にわたり仁屋に通い続けます。冊子には、そのときに撮影した写真が解説付きで56頁にわたって紹介されています。

正月から12月までの小々汐そして尾形家の年中行事の内容も大変興味深いものですが、秀一さんのあとがきにも感ずるものがありました。少し長くなりますが、引用します。

(前略)「その仁屋があった小々汐という集落は、2011年3月11日の東日本大震災による大津波で、ほとんどが失われた。私が仁屋に通い続けていたころ、この行事は代が変わっても、永遠に続いていくだろうと誤解をしていた。

 栄七翁は、1997年の2月に他界した。2005年の9月には、孫の交功君が第18漁栄丸から突風に煽られて海に飛ばされ、甲板にいた父親の賢治さんの目の前で海に沈んでしまい行方不明になった。翌月、おばあさんの、はる子さんが後を追うように亡くなった。そして、震災による津波は、賢治さんを漁栄丸ともども呑み込んだ。翌年、夫を亡くしたサダ子さんも病気で他界された。仁屋は少なくとも漁業という生業は継承できなくなっている。小々汐は少しずつ養殖などが復活しているが、漁船を用いた漁業は難しい状況である。

 私は、どんなにあの時代を懐かしみ、それらを壊滅させた津波に対して悔しい思いをしたとしても、大きな自然の営みのなかでは無力であることを知った。それでも、私の家の外に置いてあったために残った写真と、複写されたフィールド・ノートから、かろうじて粗々でも、当時の仁屋の年中行事を確かなものに定めておきたいと願わずにはいられなかった。もしかしたら私は、この永遠に消えてしまった事柄を残すために、ただただ通っていたのではないかとさえ思うことがある。」(後略)

引用は以上です。
このあとがきを読んで、時の移ろいによる小々汐地区そして尾形家の暮らしの変遷と、大津波によって流出した川島秀一さんの研究資料のイメージが重なりあいました。失われたものの大きさをあらためて感じたのです。


なお、本日確認したところ、配布用冊子の残部があるようです。ご興味がある方は、下記までお問い合わせください。無料ですが、郵送料分の切手負担となります。

東北芸術工科大学 東北文化研究センター
FAX (023)627-2155 TEL (023)627-2168

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ジャンル : 福祉・ボランティア

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沖ノ鳥島での事故

4月3日の三陸新報〈記者席〉というコラム記事に目がとまりました。3月30日に起きた沖ノ鳥島での桟橋転覆事故で亡くなった人のなかに、気仙沼に関わりがあった人がいるというのです。

4月3日おきの鳥島
三陸新報4月3日記事イメージ

記事の前半部を引用します。

「5人が死亡し2人が行方不明となっている東京都沖ノ鳥島の港湾係留施設現場の事故。犠牲になった人の中に、東日本大震災後に気仙沼市の復旧に汗を流した人がいる。
深田サルベージ建設の平信雄さん(63)。同社は港町や鹿折地区に打ち上げられた漁船や旅客船などの撤去作業に当たった。平さんは現場のリーダーとして気仙沼に赴任。2年余り行ったり来たりしながら気仙沼で仕事をした」

この後、気仙沼市港町で明神丸を海に戻す作業を平さんと一緒におこなった菅原さんという方の話が続きます。「(亡くなった平さんは)これからの気仙沼の復興を楽しみにしていた。明神丸が海に戻った時の平さんの笑顔が今も忘れられない」というコメントも紹介されています。

今回の工事は8月末まで5カ月間の予定でした。多人数が上陸できる陸地はないため、大型船を母船として船医や気象予報士を含め87人が乗り組んでいたそうです。

東京都心から約1700kmも離れた海上での今回の死亡事故。亡くなられた平さんが気仙沼に関わりがあったことや、年齢が63歳で気中20回生と同じ世代であることを知って、ご本人の無念さやご遺族の深い悲しみがより身近なこととして感じられました。亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、残るお二人の安否が早く知れることを願っております。

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ランドセルの匂い

きのう4月8日は、気仙沼市内の多くの小・中・高校で入学式が行われたようです。みなさん、入学おめでとうございました。

調べてみましたら、私たちの気仙沼小学校入学式も同じ8日だったようです。アルバムの中にある入学記念写真のそばに日付が書いてありました。ネットで調べたら、今年と同じ火曜日です。1958(昭和33)年4月8日。さすがに入学式の記憶はありません。

さて先日は気小卒業時の写真を紹介しましたが、本日は小学校入学を目前にした私の写真。3月に私の母が撮影したものです。

ランドセル

父が出張した時に東京で買ってきてくれたランドセル。勤務する会社の漁船の水揚げのために、父は築地、焼津、清水などへよく出張していました。このランドセルもそんな時のおみやげのひとつでしょう。なんか立派なカバンを買ってもらったと喜んでいるのだと思います。どんなことを思って、中をのぞいているのでしょう。

私たちが小さな頃の気仙沼駅は、現在とはちょっと構造が違っており、駅舎に向かって右側に出口専用の金属柵がありました。父が出張から帰ってくるときは、おみやげを楽しみにしてそこで待っていたものです。この写真を見ていると、ランドセルの皮の匂いとともに、跨線橋の階段を微笑みながら降りてくる亡き父の姿を思い出します。

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気仙沼市議選開始

きのうのブログでもお伝えしましたが、気仙沼市の市議会議員選挙が4月6日(日)に告示され、各候補の選挙活動が始まりました。市長選挙も同時に告示されましたが、現市長の菅原茂候補以外に立候補がなく、即日再選となっています。

市議選候補者
4月7日三陸新報記事掲載の立候補者(クリックで拡大)

市議選は定数24に対し26の立候補。2名が落選となります。これを激戦というのかどうかわかりませんが、私たち気仙沼中学や気仙沼高校の同級生も2人が立候補しています。

まずは気仙沼小・中・高の同級生、臼井真人(うすい・まこと)君(気中3年2組)。現職で市議会議長もつとめています。そして新人として気仙沼高校同級生の大島〈宮古屋〉熊谷雅裕(くまがい・まさひろ)君。雅裕君の出馬については、以前このブログでも紹介しました。

3月13日ブログ「雅裕君が市議選へ」

今年4月から、いわゆる〈インターネット選挙解禁〉となったわけですが、このブログで同級生の二人を応援するメッセージを書いていいのかどうか、よくわかりませんでした。そこで、総務省の関係ホームページをのぞいてみましたら、電子メールアドレスや返信用フォームのURLなど〈その者に連絡をする際に必要名情報〉の表示が義務づけられているのですね。今回の記事は〈選挙運動又は当選を得させないための活動〉にも該当しませんし、ブログ内に返信メールフォームもありますが、念のため電子メールアドレスも記しておきましょう。これです。

こうした条件を満たせば、〈何人も、ウェブサイト等を利用する方法により、選挙運動を行うことができる〉ようになりました。冒頭の〈何人〉は、〈なんにん〉ではなく〈なんぴと〉って読むんでしたね。この言葉、久々に目にしました。

投票は、今度の日曜日 4月13日です。

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目黒さくら祭報告

このブログでも紹介した、土日曜日の〈目黒イーストエリア桜まつり〉と中目黒の〈ナカメアルカス春祭り2014〉の報告です。

鈴木徳一君らは例年どおり土曜日に、私夫婦と菊田裕美君、熊谷薫君は日曜日に出かけました。日曜日の午後は雨が降ったりやんだりというあいにくの空模様。

目黒の田道広場公園はかなりの人出でした。中央のテント下にテーブルと椅子が置かれ、その近くに気仙沼産品の販売ブースが設営されていました。今回は佐々木徹君の上京はありませんでしたが、あさひ鮨の商品は前日で完売とのこと。私たちも早速買い物。〈斉吉商店〉さんの〈だし〉や魚町のご近所だった〈ケイ〉さんのつくだ煮などを購入。

目黒買い物 中目黒へ
左)目黒の会場で買い物 右)目黒川沿いに中目黒へ

気仙沼は6日が市議選の告示日となり選挙戦が開始になったこともあって、気仙沼からの上京スタッフは例年より少なかったようですが、多くのボランティアの方々がお手伝いしていました。

テント下でビールを飲みながら、なんやかやとみんなで話をした後は、目黒川沿いに桜をながめながら中目黒へ。ナカメアルカス広場でも気仙沼産品の販売ブースが設営されていました。見知った学生さんもお手伝い。

雨が本降りになっており、お客さんが建物内で雨宿りしている状態でしたので、私たちも早めにひきあげ。目黒も中目黒も、桜は少し葉桜になりかけていましたが、なんとか花見気分を味わうことができてなによりでした。

いつものことながら、ボランティアの方々など、関係者の方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。以上、簡単ですが桜まつりの報告ということで。

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「霜ばしら」の記憶

『週刊文春』での平松洋子さんの連載〈この味〉を毎回楽しみにしています。その2月20日号の文章のなかで懐かしいお菓子が紹介されていました。〈霜ばしら〉。

霜柱
『週刊文春』2月20日号記事の一部イメージ

仙台の老舗菓子店〈九重本舗 玉澤〉の商品です。小さなころ、来客の手土産で何度かいただいたと思います。飴なのですが、まるで霜柱を食べているかのようなサクサクとした食感。繊細なお菓子ですから、くだけないよう缶に充たされた白い粉のなかに入っています。あの白い粉は〈らくがん粉〉とのこと。ちょっと大きめの〈さらしよし飴〉も懐かしい。

平松さんの〈この味〉に毎回添えられるのが安西水丸さんのイラストレーション。軽やかなタッチの洒落た味わいは私も大好きでした。村上春樹さんの本のイラストとしてご存じの方も多いことでしょう。

その水丸さんが、3月19日に亡くなりました。71歳。親しかった嵐山光三郎さんが昨日の読売新聞に追悼文を寄せていました。お二人の交友の思い出をつづった後に、次のように結んでいます。

〈水丸と過ごした楽しい日々の記憶が、バラバラと満開の桜のなかへ散っていく。〉

この追悼文を読み、〈霜ばしら〉の食感、そして同じ玉澤の看板商品〈九重(ここのえ)〉の色とりどりの粒を、お茶碗にこぼしいれたときに聞こえてくる音の記憶がよみがえってきました。

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丸藤屋上壁画大会

本日も、気仙沼小学校時代の写真を紹介します。

壁画大会
1962年9月29日 千葉写真館 撮影(クリックで拡大)

丸藤(その後の藤崎)デパートの屋上で開催された市内各小学校対抗の壁画大会です。写真の裏側には9月29日との記載があります。たぶん5年生のとき。これに先だって各クラスから1名か2名の候補者が教室に集められての選抜会がありました。与えられたテーマで黒板に絵を描き足していくのです。西校舎2階の気中側はしっこの教室だったことをなぜか覚えています(例によって、あてにならない記憶ですが)。

そして選ばれた4名。学生服の生徒は別として、上から和夫君、わたし明紀、隆市君、善郎君です。その下はたぶん6年生チームの女子生徒。

この写真は、和夫君ち〈千葉写真館〉の人が撮ってくれたもの。プリントをもらったときには、さすがうまく撮るもんだなと思いました。学生服の中学生をいれた構図に感心したのです。実は4つ年上の私の兄。弟の様子を見にきていて、構図の一部とされました。

4人とも河原田にあった〈広野画塾〉に通っていた仲間です。選ばれたときはみんなで喜んだものです。善郎君にしても隆ちゃんにしても絵も漫画も本当に上手でした。

小学校高学年になって広野画塾に通うのは私ひとりになりましたが、小学校1、2年のときは、画塾の教室が満員状態でした。以前も書きましたが、広野重雄先生が童話を読んでくれて、それを絵にするのです。当時は、みんながあたり前のように画塾に通っていたのです。それがかなり特別のことと思い始めたのは、かなり大きくなってからのこと。

すべてが、気仙沼の古き良き時代の記憶です。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」

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小中高各年の流行

きょうは4月2日。入学年度が切り替わる日です。このブログのプロフィールで気仙沼中学20回生を〈1967年3月卒/61~62歳〉としてきたところを本日から〈62~63歳〉に変更しました。

さて一昨日の気小卒業記念写真のブログで、当初は小学校卒業年を1963(昭和38)年3月と記してしまいました。すると、小松亀一君から昭和39年ではないでしょかとの指摘。さすがは弁護士、誤りを見逃しません。さっそく修正。

自分が早生まれのせいか、学年と年代の計算をよく間違えます。今後のためにもと思い、気中20回生の小中高各学年の4月時点での年次を整理しました。その年のブームや流行歌なども手元の年表を参考に記しました。

◎小学1年 1958(昭和33)年
 ミッチーブーム、フラフープ大流行
◎小学2年 1959(昭和34)年
 少年マガジン創刊、「黄色いさくらんぼ」
◎小学3年 1960(昭和35)年
 ダッコちゃんブーム、馬場と猪木デビュー
◎小学4年 1961(昭和36)年
 人類初宇宙飛行成功、アンネ・ナプキン発売
◎小学5年 1962(昭和37)年
 堀江謙一単独太平洋横断成功
◎小学6年 1963(昭和38)年
 テレビアニメ「鉄腕アトム」放映開始
◎中学1年 1964(昭和39)年
 東京オリンピック、切手ブーム
◎中学2年 1965(昭和40)年
 エレキギター・モンキーダンス流行
◎中学3年 1966(昭和41)年
 いざなぎ景気、「君といつまでも」
◎高校1年 1967(昭和42)年
 ベトナム特需、グループサウンズ人気
◎高校2年 1968(昭和43)年
 カセットレコーダー普及、パンスト発売
◎高校3年 1969(昭和44)年
 米アポロ11号月面着陸、安田講堂封鎖解除

流行歌やブームについては、各年にまたがったりしているので目安とお考えください。それにしても、こうして各年の流行を追ってみると、その時々のいろんな思い出がよみがえってきます。あの時君は若かった byスパイダース1968年(笑)。

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タモリと林よしお

きのう3月31日で、テレビ番組「笑っていいとも!」が終了しました。32年間続いたといいますから、私が30歳のときに始まったのですね。

タモリさんを初めて知ったのは、大学2年か3年生のころ。TBSラジオの深夜放送〈パックインミュージック〉です。結構、早かった。TBSアナウンサー林美雄(よしお)さんが担当していた木曜深夜第2部でした。第1部は野沢那智、白石冬美/いわゆる〈ナチ・チャコ〉。

私はそれが〈ラジオ初登場〉と思っていたのですが、どうも〈パック初登場〉だったようです。その時の録音がYouTubeにアップされていたので聞いたところ、同席していた高信太郎さんが自分のラジオ番組に出演していたと語っているのです。


「パックインミュージック」タモリ出演時録音 約4分間(タイトルの「水曜パック」は誤りかと)

この録音をいま聴くと、さほどの驚きはないのですが、当時は本当にびっくりしました。藤村有弘(ひょっこりひょうたん島のドンガバチョの声。彼についてはあらためて)を超えるすごい人が出てきた! と。

ウィキペディアによれば、タモリさんは1975年6月に福岡から上京し、漫画家赤塚不二夫さん宅に居候します。高信太郎さんが1975年7月〜9月に〈オールナイトニッポン〉を担当したときに出演させ、その後に高さんが親しくしていた林よしおさんに紹介、パック初登場になったというのです。

でもね、なんか変なんだよ。同じウィキペディアには、林さんがパックを担当していたのは、1970年5月から1974年8月とされています。タモリさんが上京する前のこと。何かが違っている。よくわかりませんが、とりあえずここまでにしておきましょう。

話は変わりますが、当時のサブカルチャーとして語られる深夜放送のなかで、午前3時から始まる林よしおの〈パック2部〉は特に〈サブ〉を強く感じさせるラジオ番組でした。なにかちょっと変わっていた。違っていた。ちょっとはずれていた。

そんな思い出深い林美雄さんですが、2002年7月に58歳で亡くなりました。タモリさんの「笑っていいとも!」終了が、林さんの〈パック2部〉を思いださせてくれました。
合掌。

ウィキペディア/林美雄

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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