気小卒業記念写真

きょうは3月31日。学年末ということもあり、ここ1〜2週間のテレビや新聞では、各地の卒業式の様子が報じられていました。母校気仙沼小学校の卒業式は3月19日だったそうです。気中20回生の小学校卒業は1964(昭和39)年3月(当初は1年早く記していました。亀一君の指摘を受けて修正)ですが、本日紹介する写真はその時の一枚。

気小卒業写真
1963(昭和38)年3月撮影(クリックで拡大)

気仙沼小学校の卒業式の日に、私が持っていったカメラで撮った写真です。後列左から、誠太郎君、利春君、茂君、善郎君、勉君。前列左から和夫君、私 明紀、政道君、康雄君。

私が立ち膝というか中途半端な姿勢になっているのは、カメラのセルフタイマーをセットしてから慌てて列に加わったからだと思います。うまくシャッターがきれるかどうか心配で表情も少し硬い。カメラは兄が買ってもらった二眼レフの〈ヤシカ44〉。千葉和夫君も、写真館の息子だけになんかよさげなカメラを手にしています。

しかしなんというか当然なんだけど、みんなまだ幼い。たぶん同じクラスだったのでしょう。6年2組、担任は菅原暉子(てるこ)先生でした。後ろにうつる気小の校舎もなつかしい。後方が東校舎で、左側が教室のほか職員室や作法室があった校舎です。

50年前、みんながまだ〈めんこかった〉ころの一枚。この写真を見ていると中国の古い言葉を思い出します。「少年易老学難成」。

その心は〈少年ハゲやすく、学なりがたし〉(笑)。
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気中 31回生さん

3月24日のブログ「八日町やまざきや」に、〈気中31回生 3年11組 20番〉さんからコメントを頂いています。気付かない方もいると思いますので、下記に再録します。まずは、リヤカー屋台についての三陸河北の記事の紹介から始まります。

「りっつあんについては、下記の記事がヒットしました。 2009年の三陸河北からの引用です。

◎懐かしいねリヤカー屋台復活

(前略)もう一台は駄菓子やおもちゃの屋台「十円店(みせ)」にする。十円店は昭和30?40年代に市内を巡回したリヤカーで、子どもに大人気だった。当時とは交通事情や物価が大きく異なるため巡回や10円均一販売はできないが、10円の駄菓子や、平成のベーゴマ「ベイブレード」の販売、懐かしいおもちゃの展示を行う。木製の看板は市内に住む初代「十円店」経営者の三浦理一さんに書いてもらった。 (後略)記事引用は以上

いろいろレスを付けたい記事は多いのですが、なかなかできません。(笑)前の記事、『昭和27年の内湾』で27年と言う年は、たけちゃんたちが初出場を勝ち取るまでは、一番甲子園に肉薄した年で、当時は宮城、山形と福島の3県の代表校で南東北代表を決定しました。

気高は、県大会決勝で仙台二高に敗れましたが、ともに宮城代表となり、気高は山形南と決勝を戦い1-2で惜敗。後一歩で出場を逃しています。

ただ、この年は山形・宮城の共催で国体が行われ、気高は宮城代表で出場し、第3位となってます。当時はベスト4にとどまらず、3位決定戦をしていたようです。

熊谷猛郎さんは、気高の監督もされていますが、私たちが1年の時に投手コーチのようなかたちでチームに関わっておりました。その時の監督はこのブログにもたびたび紹介されていた貝塚晴一さんで、甲子園出場をピークに、ベスト4常連がベスト8、3回戦と下降をたどる昭和50年頃に就任され指揮を執っていました」

コメントの引用は以上です。以前にも何度かコメントを頂いているのですが、いつも実に詳しいし、面白い。

〈気中31回生 3年11組 20番〉さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

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目黒の「さくら祭」

3月25日に東京でも桜の開花が発表されました。いよいよ春の到来かと思ったのですが、今朝の東京は冷たい雨が降っています。満開は31日から4月1日だというのですが。

さて、昨年もご紹介した「目黒イーストエリア・桜まつり」が今年も開催され、例年どおり気仙沼からも物販メンバーが上京して気仙沼産品を販売します。

桜まつり

◎目黒イーストエリア・桜まつり
 4月5日(土)10:30~~19:00
 4月6日(日)10:00~~19:00
 場所:田道広場公園

会場は目黒のサンマ祭と同じ。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

今年は、あさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が都合で来られないとのこと。商品の販売はするそうなのですが、会えないのが残念です。

また、この5日6日は中目黒の「ナカメアルカス春祭り2014」でも気仙沼産品が販売されます。場所は、中目黒駅前のタワービル「ナカメアルカス」広場です。

一昨年は、満開だったこともあり、同級生らが集まって目黒の桜まつりから中目黒まで足をのばし楽しいひとときを過ごしました。両会場とも気仙沼からの上京メンバーはもちろんのこと、多くの気仙沼出身者がお手伝いしていたのが印象に残っています。

4月5日6日、ご都合の許す方はどうぞお出かけください。

一昨年の桜まつり報告ブログ

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高校生の夢を支援

2011年の震災後から毎年おこなわれている「気仙沼 メッセージ鯉のぼり」をご存じでしょうか。鯉のぼりの形をした白い布に、支援者の皆さんのメッセージや絵を描いてもらい、年に一度、気仙沼で掲揚しようというもの。賛同くださった方々から鯉のぼり一匹につき千円からのご支援をいただいて活動を行っています。今年のメッセージ鯉のぼりは4月下旬に紫市場で掲揚予定です。

皆さんからの賛助金は、鯉のぼり掲揚の活動にかかった費用を差し引いて、気仙沼の復興に役立てられます。2011年は約64万円を気仙沼市へ、そして2012年約39万円、2013年約74万円は〈鹿折復幸マルシェ〉を通じて鹿折地区の復興のために役立ててもらったそうです。そして4年目となる今年は、気仙沼の次代を担う高校生の夢の実現を支援するとのこと。これは、気仙沼の高校生から実現したい夢を募集し、審査の上で支援するという企画です。

高校生チラシ修正
高校生からの夢募集案内(クリックで拡大)

詳しくは公式サイトをご覧いただきますが、要点を紹介しておきましょう。

 気仙沼の高校生応援企画
「キミの夢、応援します!」

◎応募条件
 気仙沼市在住の現役高校生に限ります。
 最終面接(4月26日午後~)に気仙沼市南町紫市場にお越し頂ける方
 支援金を使っての活動内容を写真や文章で報告して頂ける方
◎応募期間
 2014年2月11日~4月11日まで
◎贈呈式
 2014年4月27日(予定)気仙沼市南町紫市場
◎お問い合わせ
 気仙沼 メッセージ鯉のぼり事務局
 message.koinobori@gmail.com
◎エントリー
 公式サイト中のエントリーページからお願いします。

メッセージ鯉のぼり2014公式サイト
公式フェイスブック

この活動の代表は、気仙沼出身の畠山雅枝さん。実家は気仙沼〈斉吉商店〉さんです。こうした支援活動を継続して4年目を迎えるというのはなかなかできることではありません。頭が下がります。そんな主催者そして支援者のご厚意に応えるためにも、気仙沼の高校生から多くの応募があればいいなと思っております。お子様やお知り合いに、支援にふさわしい夢を持つ高校生がいたならば是非この企画を教えてあげてください。締め切りは4月11日。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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3年前の支援活動

3月11日から2週間経ちました。3年前の3月25日、東京から気仙沼に向け、支援物資をのせたトラックとワゴン車が出発しました。メンバーは、鈴木徳一君(3年3組)、小山達朗君(9組)千葉憲二君(4組)、それと板橋和夫君(9組)に加え、津谷出身のけせもい会メンバー諸橋茂君、協力スタッフの計6名でした。

この気仙沼の同級生支援について、3月27日の河北新報も報じています。

河北2
2011年3月27日付け河北新報記事(クリックで拡大)

当日の支援物資輸送についての小山達朗君のメール内容をこのブログでも紹介しましたが、3年ぶりに再録します。

「3年9組の小山達朗です。とり急ぎご報告させていただきます。3月25日、鈴木徳一君、千葉憲二君の運転するトラックとワゴン車に支援品を満載し気仙沼に向かいました。深夜は吹雪になってしまいましたが、悪天候のなか心待ちにしている気仙沼の皆さんのため、とにかく道を急ぎました。

26日朝7時30分頃に小山隆市君の避難先である古町「貝塚商店」に到着。あいにくの冷たい雨になりましたが、9時30分頃から同級生約30名と吉田大吉先生もお見えになり、また市議会議長の臼井真人君も見えました。10時頃から荷おろしを始め、支援物資の配布を開始しました。

準備した生活品を見ると、みんなの暗い顔が明るい笑顔に変わり、「本当に本当に来て良かった!」との実感が押し寄せ、涙がにじむ感動に言葉もなく胸がつまる思いでした。それからは皆さんから口々にお礼の嵐となり皆で涙を流す再会の場となりました。

私のつたない表現では全部をうまくお伝えできず大変申し訳ありません。とにかく、今回の支援が好評だったことは間違いありませんので、「けせもい会」を中心に在京の方でさらに支援の輪を拡大したく、また、しなければ気仙沼は立ち上がれないと思います。皆さんの支援が希望です。

代表の鈴木徳一さんのお気持ちを代わりにお伝えいたします。今回ご支援をいただいた皆様には心からの感謝を申し上げますと共に今後のご支援とご協力をさらによろしくお願いします。皆様今回は本当にありがとうございました」

達朗君の報告は以上です。
首都圏同年会「けせもい会」の有志による募金と物資調達などによって、この支援活動が実行されたわけですが、あらためてありがたいと感じるのは、津谷中学出身で気仙沼高校同窓の諸橋君の参加です。河北新報記事写真では、米の段ボール箱を持っています。気仙沼中学の同級生を中心とした支援であるにもかかわらず、快く力を貸してくれました。諸橋君は、気高卒業後に防衛大学から進んだ自衛隊幹部としての経歴があります。非常時にあっての彼の協力をほかのメンバーも心強く思ったことでしょう。

この支援活動の報告会を兼ねた会合が新橋でもたれ、〈気中20回生支援会〉という形で活動することを決めたのは4月2日。そしてこのブログを開始したのが4月20日のことになります。その名を〈気中20プラス〉としたのは、気中だけじゃないよという気持ちを込めたのです。

3年前、気仙沼に向かう途上の深夜は吹雪だったとのこと。まだまだ寒い季節だったのですね。気仙沼に向かってくれた6名はもちろんのこと、ご協力いただいたすべての方に、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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八日町やまざきや

昨日のセンバツ。東陵高校は残念な結果でした。甲子園初戦突破の壁はやはり高い。これをよい経験として、夏の大会を目指し、東陵高校だけでなく気仙沼高校も頑張って欲しいと思います。選手とチーム関係者、そして多くの応援の皆さん、ご苦労さまでした。

得点

甲子園の話で、本日はひとつ修正を。20日のブログで、気仙沼高校野球部の熊谷猛郎さんが〈タカヤの息子さん〉と書きましたが、これは誤りで正しくは〈ヤマザキヤの息子さん〉でした。気中31回生さんがつぎのコメント投稿で教えてくれました。

「オバンです。 同じ町内だったので、(熊谷猛郎さんは)今でも英雄であり、レジェンドです。何せ甲子園出場時は、同級生の何人かは産まれいてたものの、私は産まれる前の話ですからね。
記事中のタカヤとは、今はタカヤさんですが、元々はどの町内にもあった駄菓子・生活雑貨を扱うお店屋さんで、やまざきやという八日町を代表するお店です。十円店のりっつぁんも、お昼をとるためによく立ち寄りました。(私が) 野球部に入ってからはさすがにそうは呼べませんでしたが、当時はやまざぎやのたけちゃん呼ばわりしてました」

投稿引用は以上です。このコメントで〈やまざきや〉という名を目にしたとき、すぐにそうだったと思い出しました。熊谷投手ではなく山崎投手と思っていたかもしれない。母に電話して確かめてみるとやはりつぎのようなことでした。

「猛郎さんは〈ヤマザキヤ〉の息子さんだよ。タカヤさんは、高定(たかてい)の息子さんだったかが、その場所で開いたカバン屋さん。しかし、あの甲子園の時はすごかった。52年も経つのかねえ。気仙沼中が大騒ぎ。試合には負けたものの、チームのみんなが気仙沼に帰ってきたとき、パレードがあって、見に行ったような気がする」

パレードか。ま、91歳の母の記憶なので、あまりあてにはならないのですが。というよりも、もっとあてにならないのは昨日62歳になった私の記憶。〈やまざきや〉と〈タカヤ〉が完全に入れ替わっていました。このブログで〈私の記憶によれば〉というところは、怪しいと思ってもらったほうがよさそうです。

気中31回生3年11組20番さん、ご指摘ありがとうございました。

話は変わりますが、コメントにあった〈10円店〉も懐かしい。〈りっつぁん〉という名は知らないのですが、リヤカーで市内を回っていた〈10円デパート〉ですよね。いや〈10銭デパート〉だったかな。ちょっと自分の記憶に自信が持てない今日この頃です(笑)。

3月20日ブログ「甲子園の熊谷投手」

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昭和27年の内湾

今朝の気仙沼は昨日からの積雪の影響で、広範囲での停電や断水が起きたり、唐桑トンネル付近の倒木による国道45号線の通行止めや規制などがなされていたようです。早く復旧してくれるとよいのですが。心配しています。

さて、1月28日のブログで、地域情報誌「浜らいん」の「昭和の気仙沼風情」カレンダーを紹介しました。その中の、内湾の写真について〈私たちが生まれた昭和26、27年ごろかもしれませんね〉と書いたのですが、やはり昭和27(1952)年の写真だったようです。昭和52年発行の『けせんぬま写真帖』(編集・発行:気仙沼商工会議所)に同じ写真が掲載されており、そこに〈昭和27年〉と記されていたのです。

昭和27年内湾
『けせんぬま写真帖』p47掲載写真(クリックで拡大)

この撮影年の記載が下の写真だけなのか、上も含んだものなのかは微妙なのですが、この見開き頁に掲載されている魚市場がまだない頃の写真に昭和10年という記載があることから考えて、どちらも昭和27年撮影と考えるのが自然でしょう。私の生まれた年。

下の写真は、柏崎から撮ったものでしょうね。旧魚市場前の建物にはまさに昭和の風情を感じさせるものがあります。右端には〈男山〉の建物も見えています。

上の写真について、説明文には〈通称“ハモニカ長屋”が見える。これは昭和4年の大火のあとできたものだ〉と記されています。1月のブログでは、ここに平塚一信君(3年1組)や斎藤恒四郎君(6組)の家もあったと記しましたが、その後に、菅谷茂広君(9組)の家もあったと教えてもらいました。菅谷君は、冠婚葬祭会社のアーバンに勤めていたものの早くに亡くなったとのこと。知らずにおり失礼いたしました。

しかし、こうして写真を見ると、旧魚市場はさほどの大きさではありませんね。それだけに、この写真撮影の4年後昭和31(1956)年に新しい魚市場が現在地にできた時、〈東洋一〉とその規模を誇った漁業関係者の気持ちがよくわかります。

漁業や水産加工業の発展によって変貌していった気仙沼の内湾風景。今後は防潮堤をはじめとする新しいまちづくり計画によって、大きく変わることになります。その新たな風景が、気仙沼の多くの人が誇れるようなものであって欲しいと願っています。

1月28日ブログ「昭和の気仙沼風情」

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甲子園の熊谷投手

はじめにテレビ番組情報。本日20日午後10:54からの「NEWS23」(TBS/東北放送)で〈気仙沼から甲子園へ 東陵初めてのセンバツ〉が放送されます。気仙沼での取材映像などもあるのではないでしょうか。

さて、昨日のブログで〈52年前の気仙沼高校、26年前の東陵高校が果たせなかった気仙沼勢初の甲子園勝利を〉と書きました。その気仙沼高校が夏の甲子園に出場したときの投手、熊谷猛郎さんが昨日の三陸新報の東陵高校特集に写真入りでコメントを寄せています。

気高熊谷さん
3月19日三陸新報の記事イメージ

熊谷さんは〈私が甲子園のマウンドに立ってから半世紀以上が経ちますが、いまだに周囲から「甲子園で投げた人」と呼ばれます〉と語っています。これはよくわかります。熊谷投手はそれほどに有名でした。母が、熊谷投手は〈タカヤの息子さん〉だと教えてくれたことを今でも覚えています。タカヤは八日町のカバン屋さんです。(追記:これは私の誤解でした。正しくは「やまざき屋」の息子さん。後日、修正記事を記します)

当時の私は10歳。甲子園に応援団を送るための寄付金を募集する車が拡声器で呼びかけながら魚町にも回ってきました。坂口の交差点、以前マルハチ/神白さんがあったあたりに車をとめて寄付金を受け付けていました。あっという間に目標金額に達したそうです。

初戦の対戦相手は栃木の強豪校 作新学院。延長戦11回の末に2対1で惜敗したものの、気高の健闘ぶりは大いに讃えられました。そして作新学院はこの大会で優勝し史上初の春夏連覇を達成したのです。当時、県立高校で野球の強いチームはそんなに多くない中、気高は優勝校を相手に健闘したチームということで広く名前を知られるようになりました。県外でも気仙沼高校といえば〈あの野球の強い学校ね〉と言われたりしたものです。

三陸新報の記事で熊谷さんの住所は〈気仙沼市八日町〉となっています。家業を継がれているのでしょう。年齢69歳。甲子園のマウンドに立ったのは、1962(昭和37)年8月13日のことです。当時、気仙沼からバスにのって応援にいきスタンドから声援をおくった、その暑い日を思い出す人も多いことでしょう。52年が経ちました。

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頑張れ!東陵高校

第86回選抜高校野球大会が今度の金曜日3月21日に始まります。気仙沼からは東陵高校が出場。対戦相手は、栃木県の白鴎大足利高校です。両校ともに春のセンバツ初出場となります。三陸新報紙面から大会の組み合わせを紹介しておきましょう。

対戦表
3月19日三陸新報より(クリックで拡大)

初戦を勝ち抜けば、報徳学園(兵庫)×沖縄尚学(沖縄)の勝者と対戦することになります。なんとか頑張って、52年前の気仙沼高校、26年前の東陵高校が果たせなかった気仙沼勢初の甲子園勝利を勝ち取って欲しいものです。選手は14日に現地入りしているとのことです。

なお、東北地方からはほかに、青森県の八戸学院光星高校が出場します。東陵高校は秋季東北大会決勝で同校と対戦し敗退、準優勝となった経緯があります。

東陵高校の試合は3月23日(日)午前11:30から、試合会場はもちろん阪神甲子園球場。頑張れ!東陵!

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本吉響高校の校名

2月27日の三陸新報に、同級生の姿が。武山美加(みゆき)さん(3年9組)。書家で雅号は桜の子と書いて〈櫻子(おうし)〉。

武山書

2月27日付け三陸新報の記事イメージ(クリックで拡大)

記事の内容は、武山さんが本吉響高校に、校歌の書を寄贈したことの紹介。〈昭和61年に父の櫻光(おうこう)さんが、校歌1番の歌詞を寄贈したのに続き、平成11年には津谷高校から本吉響高校に校名が変更した際に、桜子さんが2番を記念に贈った。今回は、2番と3番の歌詞を仕上げており、校歌1曲を親子2代で完成させた〉とのこと。

写真の右にうつる千田健一校長は、フェンシングのロンドン五輪代表だった千田健太選手のお父さん。ご自身もモスクワ五輪フェンシング日本代表でしたが日本の参加ボイコットで〈幻の代表〉となってしまったことは皆さんご存知のとおりです。

ところで、この本吉響高校ですが、私たちの世代は〈津谷農林〉の名の方になじみがあります。いつ校名が変わったのだろう。沿革を調べてみました。

1946年 宮城県津谷農林学校として創立
1948年 宮城県立に移管され宮城県津谷農林高等学校と名称変更
1973年 宮城県津谷高等学校と名称変更
1999年 宮城県本吉響高等学校に名称変更

なるほど。本吉響高校のホームページものぞいてみました。そしてその住所を見てびっくり。〈気仙沼市本吉町津谷桜子〉。美加さんの書だけでなく、住所にまで〈桜子〉と記されている。なかなかやるな武山櫻子(笑)。

今日の東京はとても温かく春の到来を思わせます。ということでちょっとした桜の話題。本日はこれまで。

2013年8月26日ブログ「美加さんの幼き日」

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魚町のアメリカ車

本題に入る前に、テレビ番組情報。明日18日のNHKテレビ「歌謡コンサート」に、畠山美由紀さんが出演し、「わが美しき故郷よ」を歌います。午後8時からです。

さて、宇津井謙さんが3月14日に亡くなり、テレビではその出演番組などを紹介していました。「赤い〜シリーズ」や「渡る世間は鬼ばかり」をほとんど見ていなかった私にとって、宇津井謙といえば「ザ・ガードマン」。こう書くだけで、あのテーマ音楽が頭にうかぶほどです。

〈ザ・ガードマンとは、警備と保障を業務にし、大都会に渦巻く犯罪に敢然と立ち向かう、勇敢な男たちの物語である。昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ。自由と責任の名において、日夜活躍する名もなき男たち…。それは、ザ・ガードマン〉

このナレーションも含め、ウィキペディアによれば、1965年4月から1971年12月まで放映されました。TBS系ですから、気仙沼ではTBC東北放送。

このドラマに登場するパトロールカーも印象的でした。米フォード社のTAUNUS(タウヌス/タウナス)。そして〈気仙沼のカクダイさんでも、このTAUNUSにのっていたな〉と思い、ネットで画像検索しました。しかし、どうもカクダイさんの車とはちょっと違う。たしかフロントグリルに走る馬がついていたような気がする。

そしてまた調べてみると、走る馬の車は同じフォード社の〈マスタング〉(当時はムスタング)でした。タウナスとマスタングの私の記憶がごちゃまぜになっていて本当のところがわからない。

いずれにしても、私が中学生か高校生のはじめの頃、魚町のカクダイ(菅長水産)さんが、〈ガードマンに出てくるような外車〉にのっていたという記憶です。カクダイさんは当時、何艘もの長功丸を所有し遠洋漁業を営んでいました。菅原市長の祖父である菅原長之助さんが経営者だった時代。

気仙沼小学校に通っていた頃に外車といえば、気小同級生タカシ君ち佐々木小児科のフォルクスワーゲンぐらいしか知らなかった私に、魚町を走るアメリカ車が強い印象を残したのでしょう。その何年後かには、同じく魚町で遠洋漁業を営む会社がドイツ車メルセデスを走らせていました。

気仙沼の魚町に何社もあった遠洋漁業会社の景気もよかったのでしょう。しかしその後は燃油代の高騰や各種規制などもあり、気仙沼の遠洋漁業は衰退していきました。

以上、テレビの中のガードマンがかっこ良く、気仙沼の魚町でも外国車が走り出した50年近く前の記憶です。かなりあやふやだけど(笑)。

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魚町・南町の現在

2月27日、佐々木徹君(3年1組)からメールをもらいました。〈明ちゃん、お変わりございませんか。今日、暖かかったので、震災から3年経とうとしている魚町と南町を歩いてみました〉。

同級生の徹君/徹ちゃんは私の実家があった魚町の幼なじみ。気仙沼高校を卒業した後、国立山形大学の理学部に進んで化学を専攻、メーカーの研究所を経て、現在はお姉様良恵さんが嫁いだ村上力男さんが営む〈あさひ鮨〉の役員として忙しくしています。

メールに添付されていた、その日2月27日に撮影された魚町の坂口から南町までの写真をコメントと共に紹介します。写真はクリックすると、わずかですが拡大します。方向感としては、お神明さん近くの魚町坂口交差点から、海側ではなくひとつ内側の通りを大堀銀座交差点まで行き、左折する感じです。

2.jpg
1)魚町の自宅を出たところ。右側前方の黒い四角の建物は、カネシメイチの事務所。その左の茶色の2階建ての建物は、お豆腐の「瓣龍屋」(べんりゅうや)さん。その奥は、気仙沼女子高校。左前方の三角屋根の白い建物は、「福よし」さんです。

3.jpg
2)瓣龍屋さんまで歩いてきました。左の建物は、海産物を扱っている「かねじゅう」さん。右側の端に細谷青果の跡地に建った仮設店舗、酒の「すがとよ」。左の奥は、「村田水産」。

4.jpg
3)「すがとよ」の隣で営業している「たいわ食堂」、その隣が「ブリアン」、蒲鉾の「かねせん」。そして太田の入り口、震災にあった山友薬品を直して営業している葬儀屋の「吉花堂」。左の電柱の陰に写っているのは、「昭和軒」。元気に理容を行っています。

5.jpg
4)「昭和軒」まで歩いてきました。向かい側の高台に女子高の理事長宅が見えています。通りにあった建物、確か「入駒時計店」、「たからや」、「加幸」だったけれど、なくなってしまいました。左の緑の建物は、「大鍋屋旅館」です。

6.jpg
5)大鍋屋のところまで歩いてきました。右がわ前方に見える建物は、宮崎さん、修理して暮らしています。その隣は、仮設店舗、1階は「マルコウ」、洋品屋です。2階は「鈴木金物店」です。

7.jpg
6)入沢の交差点から海側を見ています。営業しているのは、お茶の「ひみこ園」と「やまと食堂」です。

8.jpg
7)左前方に目を移すと、営業をやめている「相馬屋」。その先にあった建物は、岩手銀行を含め何も残っていません。「イコーレ」の建物もなくなっています。

9.jpg
8)振り返ってみると、営業している「鈴木歯科」と、仮設店舗で営業している「お茶の角星園」と「片桐電気」。

10.jpg
9)岩手銀行跡地までやって来ました。左に見えているのは、営業している「日山」です。遠くに猪苗代病院が見えています。

11.jpg
10)右手前方には、信用金庫。白いシートで覆われているのは、文化財の「武山米店」。

12.jpg
11)大堀銀座交差点を左に曲がりました。右端に紫市場が見えています。猪苗代病院の姿が大きくなってきました。

13.jpg
12)道の左側は、広大な空き地です。右側後方に「プラザホテル」が見えています。ここを右に曲がります。

14.jpg
13)右側の「テイリョウ」跡地に建設中の建物は喫茶「マンボ」です。4月に開店します。その左隣方向に、明ちゃんの奥さんの実家跡地があります。その隣で「カヂワラ瀬戸物店」が営業しています。

15.jpg
14)つきあたりを左に曲がると、左手に「いちまる蒲鉾店」。そして、いよいよ 右手に「あさひ鮨」。

16.jpg
15)これが「あさひ鮨」の跡地です。

徹君からのメールは以上です。なお、店舗名にはていねいに〈さん〉付けされていましたが、当方で適宜省略させてもらいました。ご了承ください。

岩手銀行跡地からの〈日山〉方向(9)や、その先の元〈フヂノ薬局〉前あたりから左方向を見た風景(12)など、本当に〈すっかりなにもなくなっている〉。話には聞いていたものの、あらためて驚きました。

しかし、そんな私の驚きや感傷などは何の役にもたちません。最後の写真にあった〈これが「あさひ鮨」の跡地です〉という言葉にこそ、徹君の万感の思いを感じました。

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雅裕君が市議選へ

3月11日関連の話が続きました。本日はちょっと話題をかえましょう。

先週金曜日の7日、気仙沼・大島の熊谷雅裕(まさひろ)君からメール。今度の気仙沼市議会議員選挙に立候補するという知らせでした。当日の三陸新報もそれを伝えています。

雅裕 三陸
3月7日三陸新報の記事

雅裕君は、大島中学出身で気仙沼高校のときに同級生でした。大島・浦の浜〈宮古屋〉が実家。震災の津波で店舗・自宅を流されましたが、現在はプロパンガスの販売などを再開して頑張っています。住まいは大島中学の仮設住宅。母上すん子さん、そして奥さんと3人で暮らしています。たしか父上の熊谷勝治郎さんは市議会議員を9期だったかつとめ議長経験もあったと思います。

このブログをお読みいただいている方々はすでにご存じのように、雅裕君は気仙沼の巨大防潮堤計画について三陸新報に投稿を続け、5度にわたって掲載されています。下記のブログで紹介しております。

1回目2012年 6月20日投稿
2回目2012年 8月 9日投稿
3回目2013年 2月20日投稿
4回目2013年11月18日投稿
5回目2014年 2月 1日投稿

大島のみならず気仙沼市のかかえる問題や課題は、防潮堤問題だけでなく、市全体の復興など多様で複雑です。選挙運動にあたっては、雅裕君の考えをていねいに説明して、地域のみなさんの賛同を得て欲しいと思っています。

上に紹介した三陸新報の記事によれば、市議選の告示は4月6日、投票日は4月13日です。定数24に対し、7日段階では現職23、元職1、新人3の合わせて28人が立候補を予定しているとのこと。

おっと忘れちゃいけない、この記事中の現職23のうちの一人は、気仙沼小・中・高の同級生で市議会議長をつとめている臼井真人(まこと)君(気中3年2組)です。こちらもお忘れなく。

真人君と雅裕君の両方を知っている人は困っちゃいますね。私はどちらも応援していますよ。東京におり、この市議選の投票権がないのでかえって気楽です(笑)。

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それぞれの3・11

きのう3月11日、皆様はどんな一日だったのでしょうか。私は午後に仕事の打合せがありましたので、外出前に線香を一本あげてお祈り。夕方、仕事場に戻ってからネットで気仙沼の様子などを見たりしておりました。6時からはFMヨコハマの番組に畠山美由紀さんが出演し、〈わが美しき故郷よ〉を生で歌ってくれました。歌う本人もそうらしいのですが、聴いているこちらも気仙沼のなつかしい情景が心にうかび、たまらない気持ちになってしまいました。そして6時半を過ぎ、7時近く〈3月11日からのヒカリ〉が無事にたちあがった様子を見て、よかったと一安心。

3本の光
下記〈テキスト中継〉サイトより

このプロジェクトでは、9日からネット上でテキスト中継を行ってきました。多くの写真やコメントをいまも見ることができますので、是非ご覧ください。

3月11日からのヒカリ/テキスト中継

〈ほぼ日〉の糸井重里さんもこの3月11日を雑誌『BRUTUS』編集長の西田善太さんらと共に気仙沼で迎えてくれました。大谷海岸では、東北ツリーハウス観光協会として同協会企画委員である気仙沼齊藤茶舗の斉藤道有さんらと一緒に「大谷 未来の思い出の木」の植樹をおこなっています。糸井さんらの3月11日の様子は〈ほぼ日〉のつぎのサイトでご覧ください。

あの日から3度目の今日。(気仙沼)

こうして気仙沼を応援してくれるたくさんの方がいらっしゃるということを大変ありがたく思っています。そして〈3月11日からのヒカリ〉や10日の〈はまらいんや気仙沼! 2014フェスティバル/さだまさしコンサート〉の各実行委員はじめ、すべての関係者のみなさま、本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。今日からまたつぎの1年が始まっているのですね。

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3.11からのヒカリ

今日で震災から3年。気仙沼の人にとっては、あの大津波から3年といったほうがよいでしょう。現地気仙沼では、午後2時30分から総合体育館「ケー・ウエーブ」で「気仙沼市東日本大震災追悼式」が開催されます。そして本日午後6時30分には、気仙沼の内湾に3本の光が立ち上げられます。

ヒカリのイメージ
〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトHPイメージ

3月11日からのヒカリ公式サイト
公式facebook

3回目となる〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクト。公式サイトではつぎのように記しています。

「東日本大震災が発生した3月11日に、三陸沿岸の都市・気仙沼市内湾(鼎が浦)から、日の入り後の夜空へ静かに3本のひかりを立ちあげつづけます。
それは世界中の人々の気持ちを寄せ合いながら震災の記憶を刻む碑となり、そして私たちの未来を照らす灯になることでしょう」

開催日:2014年3月11日(火)
時 間:18時30分から深夜0時まで
会 場:気仙沼市内湾(鼎が浦)
主 催:3月11日からのヒカリ実行委員会
後 援:気仙沼市/気仙沼商工会議所/河北新報「リアスの風」/(株)三陸新報社/K-NET

私たち気仙沼中学20回生支援会も、プロジェクトにこれまで同様ささやかではありますが協賛させて頂きました。協賛・協力団体の詳細は以下をご覧ください。また、当支援会に浄財をお寄せいただいた支援者の皆様にもあらためて御礼申し上げます。

協賛・協力団体

また、9日から〈39_311 気仙沼をとどけよう〉というインターネットでのテキスト中継も行われています。こちらも是非ご覧ください。

〈39_311 気仙沼をとどけよう〉テキスト中継

私たち気仙沼中学校20回生は、震災・津波で及川保規君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(8組)を失いました。その後に亡くなった同級生にしても、〈震災がなければ〉とつい考えてしまいます。そして同級生だけでなく、親族、親戚、友人・知人と、かけがえのない人を失ったも多いのです。

本日6時半、防災無線から流れる「見上げてごらん夜の星を」のメロディを合図に3本の光が点灯されます。昨年同様、その歌詞を以下に。作詞は永六輔さん、曲がいずみたくさん、唄は坂本九さんです。



 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

 手をつなごう ぼくと
 追いかけよう 夢を
 二人なら 苦しくなんかないさ

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

この震災でお亡くなりになったすべての人のご冥福を 謹んでお祈りいたします。

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3・11テレビ情報

昨日のテレビでも気仙沼の防潮堤問題なのどがずいぶんと取り上げられていました。そして明日は3月11日。テレビ各局で震災を特集した番組を放送するようです。私が知っている範囲で、10日11日の気仙沼関連番組を紹介します。録画予約をお勧めします。

◎東京FM(ラジオ)「アポロン」
3月10日(月)午後1:00~2:55

番組サイト紹介文「日本大震災から明日で丸3年。渡辺謙さんが気仙沼にカフェをオープンさせたその思いを語ります。みなと気仙沼大使であり、渡辺謙さんのカフェでメニューを監修した三國清三さんと齊藤美絵が現地を取材。港町気仙沼の「海」と生活をレポートします」

◎震災から3年“明日へ”コンサート
3月10日(月)午後7:30~8:45
NHK総合テレビ

本日10日の午後6時から気仙沼市民会館で〈はまらいんや気仙沼! 2014フェスティバル/さだまさしコンサート〉が開催されます。この番組中、気仙沼のコンサート会場からの生中継があるようです。

さだまさしコンサート公式サイト

◎生島ヒロシのおはよう一直線
3月11日(火)午前5:30〜6:30
TBSラジオ/東北放送TBCラジオ
気仙沼から生島さんが生放送。菅原茂 気仙沼市長も出演。

◎震災3年・復興と未来~“これから”のために
3月11日(火)午後2:00〜3:50
TBS/東北放送(JNN系列)

TBS特番
番組サイトからの画像

番組サイト紹介文「番組では、宮城県の被災地・気仙沼に集会所型カフェを立ち上げた
俳優の渡辺謙さんに密着取材。渡辺さんは震災直後から頻繁に避難所などに足を運び、「自分にできること」を常に考えてきました。長期的な視野で被災地に寄り添い、
出会った仲間とともに“生きる”真摯な取り組みです。このほか、幅広いテーマの特集を東北からの全編生中継でお伝えします」

◎Nスタ
TBS/東北放送(JNN系列)
3月11日(火)午後3:50〜19:00
放送時間等の詳細不明ですが、気仙沼出身の漫画家村上茂雄さんがネットで配信している「3.11 気仙沼紫市場物語」が紹介されます。紫市場や茂雄さんの実家であるあさひ鮨も紹介されるのではないでしょうか。

◎NHK 特集ドラマ「生きたい たすけたい」
3月11日(火)午後10:00~午後11:15
NHK総合テレビ

NHKドラマ2
番組サイト予告映像から

番組サイト紹介文 「2011年3月11日、東日本大震災発生。宮城県気仙沼市で、着の身着のままで公民館に避難した、446人。避難した人々を容赦なく襲う、10メートルを超える津波。小さな命を守るため、障害児施設の園長を務める真佐子(原田美枝子)や保育所所長・つつじ(余貴美子)をはじめとする大人たちは子供らに優しく語りかけ、身をていして、寒さや火災、そして恐怖と必死に闘い続けた。そんな時、ある奇跡の絆が彼らの窮地を救う」

これは、気仙沼の人にとって必見のドラマですね。気仙沼市潮見町にあった中央公民館からの奇跡的な救出劇。上記の紹介文にある余貴美子さん演ずる保育所所長は同級生 林(奥玉)小春さん(3年2組)、っていうか奥玉屋の小春ちゃんです。そのほか、地元気仙沼の人が見れば〈これはあの人だでば〉という登場人物がたくさんいるのでしょう。

この中央公民館からの救出活動の大恩人は当時東京都副知事だった猪瀬直樹さん。都知事辞任は残念なことでしたが、気仙沼の人はそのご恩を忘れないと思います。これとあれは別。あらためてお礼を申し上げます。なお、気仙沼市立中央公民館からの救出については、以下のブログにて。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」
2013年2月15日ブログ「小春さんの3.11」

◎Kesennuma,Voices.3~2013 堤幸彦の記録
CS/TBSチャンネル1
3月11日(火)午後9:00~午後11:00
3月23日(日)午後8:00~午後10:00

番組サイ紹介文「「ケイゾク」や「SPEC」など数多くの人気作を手がけた堤幸彦監督が描く被災地・気仙沼を舞台にしたドキュメンタリードラマの第3弾。出演は、生島勇輝と生島翔。妹夫婦を津波に流されたアナウンサー生島ヒロシ氏の長男と次男で、自ら被災家族という運命を背負っての出演である。震災から3年。生島兄弟は再び気仙沼へ…。3年の月日がどれだけあの日から変化を与えたのか」

番組紹介は以上です。
これらの番組を録画予約するときに、震災後1年そして2年の録画番組を見ました。気仙沼湾に流れ込む圧倒的な津波のエネルギー。自分が生まれ育ちよく知っている風景だけに、高さというよりも深さを感じさせる津波の映像を見ていると、3年前のときの大きな不安の感覚がよみがえります。私でもそうなのですから、直接被災した人は一体どのような気持ちがするのでしょうか。

明日はそれぞれの3年間を思い出しながら、様々なことを考える一日になりそうです。

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藤城清治さんの絵

妻が図書館から借りてきた雑誌『いきいき』2月号に、影絵作家 藤城清治さんの作品が紹介されていました。その中に、気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸の絵が。

藤城清治

雑誌『いきいき』2014年2月号記事の一部イメージ(クリックで拡大)

記事によれば、昨年2月に気仙沼を訪れた藤城さんは大雪で気温0度の中、夢中でデッサンしたといいます。マストの上には、おなじみの子供が描かれています。ピッコロを吹いているのでしょうか。降る雪は、まるで川瀬巴水の新版画のような情緒を感じさせます。

ネットで調べたら、昨年8月のNHK「日曜美術館」〈影絵作家・藤城清治 89歳の“風の又三郎”〉でもこの絵が紹介されています。9月そして12月29日にも再放送されたとのこと。番組サイトには、つぎのように記してあります。

〈そして、東日本大震災。藤城は何度も被災地を訪れ、復興の祈りを込めた影絵を制作。去年11月には防護服を着て福島第一原発をデッサン。完成した影絵には、がれきの中に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の言葉を添えた〉

さらに調べると、藤城清治美術館の2014年カレンダーのひとつにこの絵が使われていることを知りました。

11枚の童話的な世界が続いたあとの2014年12月。そこに共徳丸の絵を配したことに、藤城清治さんの強いメッセージを感じました。第18共徳丸の解体作業は昨年10月27日で終了。1年前に藤城さんが描いた船はすでにそこにはありません。

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熱血!高田延彦さん

3月2日(日)お昼からのテレビ朝日「サンデー!スクランブル」。その中の「熱血!高田延彦のニュース道場」で防潮堤問題を取り上げていました。「震災企画・巨大防潮堤は本当に必要か?」。

元プロレスラーの高田延彦さんが、気仙沼市唐桑の鮪立を訪れ、巨大防潮堤計画に反対する〈鮪立まちづくり委員会〉会長の鈴木伸太郎さんと一緒に歩きながら話します。一昨日の柏崎についてのブログでも紹介しましたが、鈴木さんは鮪立の旧家〈古館/こだて〉の38代目当主です。

スクラン1
高田さんと鈴木さんが歩きながら話します
スクラン2
鮪立に計画されている防潮堤の高さイメージ


ネットのテレビ放送要約サイト〈JCC〉の記事を基に補足し、放送内容を以下に紹介します。

〈 東日本大震災から3年、被災地で聞こえてきたのは巨大な防潮堤建設に「待った!」の声だった。被災地に約370km、約8千億円をかけて建設予定の巨大防潮堤。高さは場所によっては最長15.5m。しかし高さによっては住民の合意が得られず説明会が続いている地区がある。宮城県気仙沼市唐桑の鮪立(しびたち)。

「鮪立まちづくり委員会」の鈴木伸太郎委員長は行政側に決められた湾を囲むように建設されるという防潮堤の高さに反対している。平地がなくなり海が見えず漁労がしづらい。5mで十分と見ている。これに対し宮城県・村井知事は「計算すると7.5mまでせり上がりプラス余裕高が必要」と話す。(小田注:この村井知事の発言映像は報道ステーションの古舘さんのインタビューだと思います)

防潮堤の是非が問われているもうひとつの地区は気仙沼市本吉町小泉地区。住民は高台移転を決めておりそこに守るべき住民は存在しない。行政は住民の合意をとれているというが問題がある。九州大学工学部・地球環境工学科・清野聡子准教授は生態系などに影響が出るとコメント。(小田注:ここで、野々下海岸の防潮堤の映像が紹介されます)

そして気仙沼市大島にある小田の浜。環境庁が設定する「快水浴場百選」で特選に選ばれるほど美しい場所。ここに11.8mの防潮堤計画が明らかになったのは去年。
(大島観光協会・白幡昇一会長のコメント)
住民たちは反対する。美しい砂浜を残してほしいという。観光業がメイン、美しい景色には防潮堤はそぐわない。巨大防潮堤がなくても津波からの被害が防げると主張した。そして3.9mの原形復旧にとどめることに。

(気仙沼市唐桑町鮪立、明治三陸地震について)
(加藤登紀子、黒鉄ヒロシのスタジオコメント)

巨大防潮堤の是非が問われている。専門家・首都大学東京・横山勝英准教授は「高い防潮堤を作ると海が消え、地域の魅力が減る。人が街を離れれば過疎や税収減が進み街の衰退につながりかねない」と指摘する 〉

放送内容は以上です。全体として、巨大防潮堤計画に大きな疑問ありという論調でした。防潮堤計画に賛成する声も紹介されていましたが、〈防潮堤計画が早く決まらないと、復興計画が進まない〉というもので、10mを超えるような高さが必要と語っているわけではないのです。それと、鮪立の住民が巨大防潮堤よりも避難道の整備をと望んでも、防潮堤は県の事業、避難道は市の事業という予算の壁があると番組の中で語られていました。これもなんとかならないものなのかといつも思うのです。

この放送を事前に知ることができず皆さんにお知らせすることができなかったのが残念ですが、概要だけでもご理解いただければと。

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早大シンポの報告

今日の東京はつめたい雨。そんな朝に気仙沼の佐々木徹君から電話。同級生の訃報でした。熊谷孝良君(3年3組)が昨日3月4日に亡くなりました。体調が思わしくなく、透析を受けていると聞いてはおったのですが。

・火 葬 3月6日午前10時〜 気仙沼市斎場
・本通夜 3月7日午後2〜7時 アーバンメモリアルホール
・葬 儀 3月8日午前11時〜 アーバンメモリアルホール

孝良君は、気仙沼の南郷で写真スタジオを営んでいました。一昨年11月に南三陸ホテル観洋での同年会で久しぶりに会い、シンガーソングライターの娘さん熊谷育美さんの活躍について言葉を交わしたのが最後になりました。享年62歳。

孝良君のご冥福を謹んでお祈りいたします。


さて、話題を変えます。3月1日に開催された、早稲田大学平山郁夫記念センター(WAVOC)主催のシンポジウム〈震災復興と市民参加〜防潮堤問題から考える海との暮らし〉については、このブログでもご案内しました。これに参加した菊田裕美君(3年1組)がその様子を報告してくれましたので以下に紹介します。

〈早稲田大学でのシンポジウムに行ってきました。気仙沼市からは、本吉町前浜〈前浜建設委員会〉委員長の畠山幸治さんと、「前浜おらほのとっておき」の実行委員で気仙沼市議会議員の及川一郎(かずろう)さんのおふたりが被災地の現地報告者として参加。畠山さんは津波で流出したコミュニティーセンター再建に向けた住民活動について、及川さんは前浜地区での防潮堤問題について、それぞれが軽妙な気仙沼弁で語ってくれました。

防潮堤フォーラム 1 防潮堤フォーラム 2

また、東北学院大学講師で南アジアの地域文化を研究している千葉一さんからは、前浜地区の風土や生態系について、ご自身の研究内容をからませ詳しく説明していただきました。千葉一さんは、前浜地区出身の気高31回生で震災復興市民委員でもあります。

講演者の九州大学准教授 清野聡子さんの講演「自然公物のかたち・海と人の関係と表象としての海岸」も大変勉強になりました。シンポジウムの最後には、「大谷大漁唄い込み保存会」の副会長でもある及川一郎さんが、大谷大漁唄い込みを自慢のしぶい声で披露してくれました。

シンポジウムに参加して、被災地の出身者として感じたのは、行政関係者がなぜこんなにも急いで巨大防潮堤を建設しようとしているのかということです。

現行の災害復旧法や河川法・海岸法などいろいろな法律のしばりがあるなか、行政関係者は復興予算が使える期間中に画一的な防潮堤を建設すれば、誰からも文句は言われないし、責任を取ることはないと考えているのではないか。地域ごとに個別に住民の意向を取入れたりしたら、後で問題が生じたときに責任を言及されるのを嫌がっているように思えました。

行政と被災地域住民がお互いに意見交換しながら、生態系を考慮し地域にあったオーダーメイドの防潮堤ができるように取組んで欲しいとあらためて感じました 〉

報告引用は以上です。裕美君、忙しいなか、いつもありがとうございます。ご苦労さまでした。

なお、3月15日(土)には、東北学院大学土樋キャンパスで、公開シンポジウム「海岸と人間〜防潮堤を考える市民フォーラム」が開催されます。あらためてご案内いたしますが、まずは下に公式サイトのリンクを記しておきます。

公開シンポジウム「海岸と人間」

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昭和の気仙沼柏崎

1月28日のブログで、地域情報誌〈浜らいん〉のカレンダー〈昭和の気仙沼風情〉を紹介しました。本日紹介するのは、その3月4月分の写真です。

昭和の柏崎

昭和40年代はじめ頃の柏崎(かしざき)付近。なつかしいねえ。現在、柏崎の崖の上には気仙沼プラザホテルが、その下には〈お魚いちば〉があります。右側の工場風の建物の場所に渡辺謙さんの〈k-port〉があるのではないでしょうか。そのまた右側が、〈復興屋台村気仙沼横丁〉。

柏崎にホテルができたのはいつの頃か。『気仙沼文化史年表』には、昭和48(1973)年7月7日 気仙沼プラザホテルオープン、そして平成3(1991)年3月31日 柏崎にホテル気仙沼プラザ開業とありました。このふたつの記述の違いがなんだったかよく思い出せないのですが、現在の建物になったのが平成3年ということでしょうか。

私の記憶によれば、柏崎でプラザホテルの経営を始めたのは、唐桑・鮪立(しびたち)の旧家〈古館/こだて〉鈴木家です。そして、その後の詳しい経緯は知りませんが、ホテル観洋も営む阿部長商店がその経営を継承しました。同社のホームページによれば平成18年のこと。

中学生の頃、魚町から魚市場のほうに行くときは、あの柏崎の下のたいして広くもない道路を通っていきました。写真にうつっているオイルタンクは気仙沼商会のものだったと思います。そんなこんなを思い出させる、この柏崎の写真。多くの人をのせて唐桑や大島から来たであろう汽船も懐かしく、まさに〈昭和の気仙沼風情〉を感じさせる一枚です。

1月28日ブログ「昭和の気仙沼風情」

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読売の防潮堤記事

今日はひなまつり3月3日。11日を間近にして、新聞やテレビでは震災、復興関連の記事や番組が増えてきました。3月1日の読売新聞朝刊の一面もそのひとつ。シリーズ企画〈転機の復興〉の第1回目です。

読売防潮知恵
2014年3月1日読売新聞の記事イメージ

記事の見出しは〈巨大防潮堤「待った」/住民不安「海見えない」〉。記事の冒頭は、岩手県大槌町南部の赤浜地区の事例。県が今ここに計画してる防潮堤は震災前と同じ高さ6.4mですが、2011年10月の最初の案では2倍以上の14.5mだったそうです。当初は、「高い防潮堤の方が安全」と県の案を支持する住民が多数を占めたそうですが、だが話し合いを重ねるうちに「防潮堤が高すぎると海の変化がわからず、かえって逃げ遅れる」と考えるようになったといいます。

そして次は、気仙沼市唐桑の鮪立(しびたち)を取り上げています。記事を引用します。

「宮城県気仙沼市の唐桑半島の漁港の町、鮪立地区でも今、県の計画に反対の声が上がる。湾を囲むすり鉢状の傾斜地に120戸ほどが立つ地区は最大12メートルの津波に襲われ、16人が亡くなった。12年7月以降、県が示した計画では、震災前は1.2mだった高さを9.9mまで引き上げる。底部の最大幅は60m。堤上には片側1車線の道路を通す。

13年2月に住民組織「まちづくり委員会」が行った全戸アンケートでは、県の9.9m案を住民の35%が支持し、高さを5メートルとする委員会案への賛成約20%を大きく上回った。それが同12月の再調査で5m案への賛成が80%へと急増した。「津波への恐怖心から高い防潮堤を望んだが、実際にできたのを想像したら、地区がなりたたなくなると思った」と県の案への反対に転じた男性(81)は言う。

数少ない平地が防潮堤の用地に充てられると水揚げ後の作業場も確保できず、漁業従事者もいなくなり、地区が衰退する。海が見えなければカキやワカメの養殖棚が見えず、何より津波が来てもわからない――。

海と生きてきた地区だからこその悲鳴。「命を守るために必要な高さ」を巡り、県と住民の模索が続く」

記事の引用は以上です。読売新聞が防潮堤問題を日曜日の一面トップでとりあげたことにはちょっと驚きました。もっと早くとりあげてくれていればなあとも思うのですが、この問題を全国の人に知ってもらうよいきっかけになってくれればなと願っています。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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