内湾の苦渋の選択

気仙沼の内湾地区(魚町・南町)の防潮堤計画について、復興町づくり協議会のワーキングが防潮堤高を3.8mとする提言書案をまとめたことについては、11月13日のブログで紹介しました。そして11月26日(火)には、復興町づくり協議会の全体会が市民会館で開催され、提言書案を確認、正式に市と県との協議に入ることになりました。

内湾防潮堤
11月27日三陸新報記事の一部イメージ

毎日新聞が26日と27日にニュースを配信しています。27日の内容を紹介しておきます。

「気仙沼防潮堤、復興計画へ第一歩 確定にはさらに時間も

 26日に宮城県気仙沼市で開かれた気仙沼内湾地区の復興町づくり協議会の全体会は、県の当初案より低い高さ3.8mでの防潮堤建設を軸とした提言書案を確認した。県が進める計画に最も強硬な姿勢を示していた「気仙沼の顔」といえる同地区が、建設受け入れの方向を示したことで同市中心部の復興計画は大きく動き出した。防潮堤をめぐる話し合いが難航している県内他地区にも影響が広がりそうだ。
 提言書は、県の示したシミュレーションの中から、「湾口防波堤採用と余裕高1mを除く3.8m防潮堤」のプランでの整備を前提とすることを明記。余裕高を確保するため、防潮堤上には津波時の水圧で自動的に上がるフラップゲートなどを採用するよう求めた。
 内湾北側の魚町地区については、地盤をかさ上げし防潮堤の圧迫感を軽減することを要望。内湾最奥部の南町地区では、内陸側にセットバックした位置での建設を前提に、緑地や通路と一体となった防潮堤整備を提言した。また、内湾南側の港町地区は、後背地の崖を防潮堤の代用とすることによる無堤化を前提に、防潮堤の外側にある「堤外地」として住宅は設けず、水産関連事業所や店舗の整備を図る考えを盛り込んでいる。」

毎日新聞11月26日配信記事
毎日新聞11月27日配信記事

13日のブログで紹介したように、陸から見た防潮堤の高さが1.6mというところがポイントなのでしょう。冒頭の画像で紹介した三陸新報の記事では次のように書いています。

「協議会としての意向はまとまっても、湾口防波堤の整備には、水質への影響、船舶の安全航行などの課題がある。海底に設置する浮上式防波堤を否定した県が、陸上設置のフラップゲートを認めるかどうかの問題もあり、提言通り実現するかどうかはまだ不透明だ。県、市ともに湾口防波堤以外の手法も模索している。」

まちづくり協議会の会長は、魚町〈男山本店〉社長の菅原昭彦さん。この11月に気仙沼商工会議所の新会頭に就任しました。〈スローフード気仙沼〉の理事長ほか、気仙沼の次世代のリーダーとして活躍してきました。〈防潮堤を勉強する会〉でも発起人代表的な役割を担い、抑制をきかせながらも巨大防潮堤計画に疑問をなげかけてきました。その菅原さんら魚町や南町の人たちが選択した提言案〈3.8m〉は、まさに〈苦渋の選択〉といってよいでしょう。

気仙沼では、この内湾だけでなく、各浜での防潮堤計画が進行しています。それらの動きがどうなっていくのか。11月19日の〈防潮堤を勉強する会〉では、今後の活動についての相談が行われたと聞いています。今回の内湾地区の動きとどう関係しているのか。魚町で生まれ、あの内湾を見て育った私は、新聞記事を読みながら〈やっきもっき〉するばかりです。

11月13日ブログ「内湾防潮堤の高さ」
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NHK「震災遺構」

気仙沼の鹿折地区に打ち上げられていた第18共徳丸の解体作業が10月27日で終了し、1カ月がたちました。新聞などでは、被災のシンボルがなくなったせいか、鹿折地区の仮設店舗などの来客数が減少しているなどとも伝えられています。そうした被災の記憶を刻み込んだ〈震災遺構〉をNHKスペシャルがとりあげます。

震災遺構
番組サイトの一部イメージ

◎NHKスペシャル:シリーズ東日本大震災
震災遺構
~悲劇の教訓をどう伝えるか~
NHK総合テレビ
11月29日(金)
午後10:00~10:49

番組サイト

以下は番組紹介から。

「人が亡くなった建物…。震災の爪痕を色濃く残す「震災遺構」が、東日本大震災の被災地で次々に解体されることが決まり、この秋、象徴的とされていた「遺構」の解体作業が相次いで行われることになった。家族をなくした人や地域の住民の中には辛い記憶を思い出す遺構をみたくないという声も多い上、巨額の保存費用がまかなえないなどして解体を決めるケースが相次いでいるのだ。一方で、震災の記憶を後世に引き継いでいくために「遺構」を残していくべきだという声も多く、遺族の間にも「亡くなった人感じられる場所だから残してほしい」という声があるなど、遺構のほとんどがなくなってきている現状に危機感を覚えている人たちもいる。日本がかつて経験したことがない甚大で広範囲の被害が出た東日本大震災。その場所で震災の記憶をどうつないでいくべきなのか、震災遺構をめぐる議論を見つめることで考える」

気仙沼の共徳丸保存をめぐる議論はすでにおわったことですが、被災の記憶を次世代にどう伝えていくかは今後の大きな課題です。この番組はその議論の参考になるでしょう。

10月28日ブログ「共徳丸の解体終了」

あ、それから今日は、NHK/Eテレの〈東北発☆未来塾〉梅原真さんの最終週ですね。こちらもよろしく。気仙沼高校の同級生、唐桑観光協会会長三上忠文君も再登場すると思います。

NHK/Eテレ〈東北発☆未来塾〉
デザインのチカラ 梅原真さん
第4週「デザイン発表!あなたは、それを選びますか?」
11月28日(木)23:00〜23:20
再放送:
11月30日(土)11:20〜11:40

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ウーマン of 2013

ファッション誌「VOGUE JAPAN」が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」9名のひとりに気仙沼出身のパラリンピアン佐藤真海さんが選ばれました。きのう26日が授賞式。今朝のニュースショーの映像ではじめて知りました。

佐藤真海vogue
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」公式サイトより。左端が真海さん

「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」公式サイト
サイト内には真海さんのインタビュー映像もあります。

一方、「日経ビジネス」11月25日号でも、真海さんのインタビュー記事が掲載されています(オンライン版も25日に配信)。「車いすだったら、日本に住みたくない〜五輪招致の顔、佐藤真海氏が語る7年後の東京」というちょっと刺激的な見出し。これは、インタビューのなかで真海さんがぽつりとこぼした一言だといいます。「もし私が車いすだとしたら、日本に住みたいとは思わないですね……」。長文の記事から一部を紹介します。

〈(真海さんは)2004年にアテネパラリンピックに出場。その後、北京、ロンドンとパラリンピックを経験した。22歳から10年間、世界各国を回る中で、佐藤氏は「世界との違い」に何度も愕然とした〉

海外では、障害者が「特別扱い」されることなく健常者と共生しているのに、なぜ東京では、そして日本では、と感じることが多かったというのです。

そして真海さんは語ります。
〈私が一番これから大事だなと思うのは、障害者に対してという目線じゃなくて、すべての人に対して配慮の視点を持つ、ということだと思うんです。例えば超高齢化社会の日本を見渡せば、足が不自由なお年寄りや弱視のお年寄りもたくさんいると思います。バギーを持っているお母さんたちも街にはたくさんいます。
 いつ自分がそういう立場になるか分かりませんし、皆必ず年はとります。そういう点では、他者への配慮ということを考えれば、障害者だけでない身近な問題と考えられると思うんです。「おもてなし」を訴える日本だからこそ、こうした配慮が大切になってくると思います〉

オリンピックにくらべてパラリンピック選手の練習環境整備が遅れているといった話におわることなく、海外遠征などを通じて感じた今後の日本社会のあり方について率直に語る佐藤真海さん。プレゼンテーション直後の〈ときの人〉としての紹介ではなく、充実したインタビュー記事であると感じました。日経ビジネス記者 染原睦美さんの署名記事です。

登録すれば無料で全文をお読みいただけます。是非に。

日経ビジネスONLINE記事

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NAMIとUMI

11月8日のブログで、気仙沼漁師カレンダーがサン・アドの制作と知ってびっくりと書きましたが、夏にも同じようなことがありました。同級生小山(斎藤)容子さん(3年5組)の実家〈角星〉さんが7月に発売した日本酒のデザインがKIGI(キギ)によるものと知り驚いたのです。


「NAMI」と「UMI」。角星ウェブサイトより

KIGIは、デザイン会社「ドラフト」で活躍していた二人のアートディレクター植原亮輔さんと渡邉良重さんが昨年1月に独立してつくったデザイン事務所。ドラフトが49%を出資していますからドラフト系列ということですね。ドラフトは、宮田識(みやたさとる)さんが率いるクリエイティブカンパニーで、キリンをはじめ多くの仕事が高い評価を得ています。

角星の新しい商品は、低アルコール純米吟醸酒。その誕生の経緯が、ほぼ日の「NAMIとUMIの物語。」に詳しく紹介されています。物語は角星さんがアンカーコーヒーとほぼ日のコラボ商品を見て、ほぼ日に相談したことから始まります。かつてあった〈まなみ〉という低アルコール純米吟醸酒をリニューアルできないかと。そしてほぼ日さんからJR東日本「行くぜ、東北。」などもてがけたCMプランナー高崎卓馬さん、そしてKIGIへとつながり、すごいプロジェクトチームができあがりました。みなさんがなんと〈ボランティア〉でのお手伝いです。

ほぼ日「NAMIとUMIの物語。」

2カ月ほど前に見たデザイン雑誌にもKIGIの記事が掲載されていましたが、そこにも最近の仕事としてこの〈NAMIとUMI〉が紹介されていました。大変注目されているお二人なのです。こうした人たちへの仕事の依頼は、お金を出せば誰でもできるということではないでしょう。あらためて、縁というものの大事さ、ありがたさを感じます。

最後に 〈NAMI〉と〈UMI〉について高崎卓馬さんが書いたコピーを紹介させてください。

ここ気仙沼は、
それでも海と生きていく。
それでも波と生きていく。
なにひとつ忘れずに、
乗り越えていく。
このお酒がその証になりますように。
ナミとウミ。
美しい姉妹の物語をもった
新しくて飲みやすい
低アルコール日本酒を
どうぞよろしくお願いします。

〈ほぼ日〉さんはじめ、関係者の皆様に御礼を申し上げます。ありがとうございました。

角星オンラインショップ

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同級生の恵比寿顔

11月22日の三陸新報に「今日、えびす講」の記事。そして左側の写真を見ると、ありゃま、平塚君じゃないの!

えびす請平塚
三陸新報記事イメージ

〈えびす講は旧暦10月20日。気仙沼地方では恵比寿様をまつり、縁起の良い魚とされるドンコを神棚に供え、ドンコ汁にして食べる風習がある〉との記事の最後に、〈気仙沼さかなの駅(田中前)内に店を構える平塚商店の平塚一信社長は「最近は若い人たちはあまり食べなくなったが、ドンコ汁だけでなく、みそ焼き、刺身などにしてもおいしい」と話していた〉とコメントが紹介されています。

楽天イーグルスのキャップをかぶってドンコを手にする平塚一信君(3年1組)。なんとなく縁起の良い顔に見えてきたのは気のせいでしょうか。

さかなの駅「平塚商店」サイト

同級生といえば、このブログでも紹介した21日のNHK/Eテレの〈東北発☆未来塾〉に気仙沼高校のたぶん2年のときに同じクラスだった三上忠文君が登場していました。唐桑観光協会の会長です。これまでも新聞などで名前を見たことがあったように思うのですが、同級生とは思いませんでした。しかし、今回のテレビにうつった三上君の笑顔を見てすぐに思い出しました。

三上君
三上忠文君。〈東北発☆未来塾〉画面から

三上君は、今週木曜の〈東北発☆未来塾〉デザイナー梅原真さんの最終回にも登場するのではないでしょうか。第4週目は、唐桑の桑の葉茶、カキの燻製、カツオ照り焼きバーガーのパッケージデザインの発表です。

◎東北発☆未来塾
デザインのチカラ 梅原真さん
第4週「デザイン発表!あなたは、それを選びますか?」
11月28日(木)23:00〜23:20
再放送:
11月30日(土)11:20〜11:40

是非ご覧いただければと。

唐桑町観光協会公式サイト

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魚町のチンドン屋

先週15日のブログで、気仙沼の魚町で水を飲む昭和の子供を紹介しました。あれは昭和33年。今日はその2年後、昭和35年の魚町海岸での一風景をご紹介。
表紙
左側の裏表紙写真が気仙沼の魚町海岸

ちんどん屋
同じ写真が、本文頁では見開きで(クリックで拡大)

この写真集は『昭和の仙台〜懐かしの宮城県あの街この街』(アーカイブス出版編集部編・西潟正人 著)2007年刊。ネット上の解説には〈宮城スウィート・メモリーズ。街には市電が行き交い、港はサンマの水揚げ日本一を記録、子どもたちは路上で元気に遊んでいた。そんな時代の思い出写真集〉とありました。

これは、私の兄が仙台の県立図書館で借りてきたのですが、弟らしき子供が写っていてびっくり。母に見せたら〈間違いない〉。チンドン屋の先頭のおじさんの後ろ、カメラの方を向いてちょっと笑っているのが私です。魚町海岸をお神明さん方向に歩いています。

チンドン屋さんが持つノボリには〈気仙沼スーパー〉、そし小さな文字で〈皆様の台所と暮らしのセンター〉。気仙沼スーパー(後のハマダ)の開店は、『気仙沼文化史年表』によれば1960(昭和35)年10月6日。私が気仙沼小学校3年生のときのことです。

写真左下のキャプションには〈スーパーの大安売りや、パチンコ店の新装開店には、チンドン屋が付き物だった。意味がわからぬまま、たのしげな楽団に子どもたちは付いて歩いた。気仙沼港にて(昭和35年)〉とあります。〈意味がわからぬまま〉ってのがいいね。実際、綿入れを着たりしている〈ちゃっこい〉女の子が、わけもわからないままはしゃいでいるように見えます。もらったチラシはカアちゃんにちゃんと見セダベガ(笑)。

魚町海岸の道路はアスファルトではなくコンクリートだったように思います。岸壁沿いは未舗装だったので、石を拾って海に浮かぶ電球を割ったりできました。そして船は木造だし、左にはダイハツのミゼット。先日の魚町の水飲みの写真もそうでしたが、そこに写る細部がそれぞれに懐かしい。

この写真の時から53年が経ちました。しかし、カネや太鼓の音を聞くと、わけもわからずついていきたくなる性格は、今でも変わっていないように思います。

11月15日ブログ「水を飲む昭和の子」

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デザインのチカラ

サンドウィッチマンが司会するNHK/Eテレの〈東北発☆未来塾〉。今月の講師は、デザイナーの梅原真(うめばらまこと)さん。4回にわたり気仙沼を訪れ「デザインのチカラ」というテーマでの未来塾を開講します。先週14日は、第2週「風景を残すためにできること」というテーマで、気仙沼の唐桑の「Tシャツアート展」を紹介していました。そして本日21日は、第3週「手の届くデザインとは?」です。

梅原
番組サイトイメージ(クリックで拡大)

◎東北発☆未来塾
デザインのチカラ 梅原真さん
第3週「手の届くデザインとは?」
11月21日(木)23:00〜23:20
再放送:
11月23日(土)11:20〜11:40

番組サイトより)デザイナーの梅原真さんと7人の若者たちが、宮城県気仙沼市唐桑町の特産品を食べまくります。デザインと食べ歩き、一見関係がないように見えますが、これは情報収集。デザインにとっても重要なことなんです。今回から、この特産品のパッケージを塾生たちがデザインする実践編!梅原さんが今まで表に出したことのない“売れるデザイン”の秘密を大公開します!

梅原真さんは1950年生。高知県高知市出身。1980年梅原デザイン事務所を設立し、日本の原風景を守るためには農林漁業こそが重要だと、第一次産業の再生をテーマに活動を開始。1987年には土佐のカツオ一本釣り漁師と共に「一本釣り・藁焼きたたき」をデザインし、8年間で20億円の市場を作り出した。以後、売れない商品から数々のヒット商品を生み出し、今や地域・地方活性化の請負人として大きな注目を集めるデザイナーである。

第4週「デザイン発表!あなたは、それを選びますか?」
11月28日(木)23:00〜23:20
再放送:
11月30日(土)11:20〜11:40

以前も梅原さんを紹介した番組を見たな。「情熱大陸」だったろうか、と思い調べてみたら、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でした。ネット情報によれば、〈情熱大陸〉の取材も依頼されたそうですが、断ったらしい。そんな、大変魅力のある面白い人ですよ。

気仙沼の唐桑での未来塾。本日と来週木曜の番組を是非ご覧ください。

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中井英一氏の挺身

11月7日に佐藤真海さんのアエラ誌の表紙を紹介したら、その日の夜に臼井弘君(3年4組)からメール。〈今、寝酒飲みながらブログ見ました。真海ちゃんは気仙沼の誇りですね。10月30日発売の「中古車ガイド」という月刊誌の表紙に恥ずかしながら何故か私がうつっている写真が使われました。もし書店にでも行く時があればさがして見てください〉

おいおい弘ちゃん、〈真海ちゃんだけでなく、俺だって表紙に出てるんだぜ〉ってか(笑)。ネットで調べてもよくわからなかったので、表紙画像を送ってもらいました。

中古車ガイド
『中古車ガイド』2013年10月31日号表紙

左が弘君。右側は誰だろう。あらためて雑誌記事のコピーも送ってもらって読んだところ、つぎのような話でした。右の方は中井英一さん。気仙沼市の鹿折(ししおり)の出身で、三井物産を経て1996年に中古車のオークションをてがける(株)オークネット副社長に、そして現在はオークネット総合研究所最高顧問などをつとめ、中古車取引業界の指導的立場にある方です。私たちよりも3歳ほど年上かと思います。そして震災後にご縁を得て、2012年8月に弘君の福寿水産をはじめ会員社で設立した「気仙沼鹿折加工協同組合」(現18会員社)の顧問についていただいとのことです。組合は現在、水産加工工業団地を計画しています。そして中井さんの助力で、三井物産や住友商事の会長、社長らに面談し協力を要請することもできました。

中古車ガイド誌には、3頁にわたって気仙沼の被災状況や水産加工業の現状が紹介されています。同誌の取材にあたって、中井さんと共に車で気仙沼の各地区を案内したのが臼井弘君だったのです。3名の組合副理事長の一人です。なおカネシメイチの小山修司君(5組)も副理事長です。

弘君は、震災前に中井さんのことは知らなかったといいます。そして〈津波でずいぶん沢山のものをなくしたけんと、逆に沢山の人との新しい縁ができた。ほんとにありがたい〉と。

中古車ガイドの記事の見出しには「オークネット・中井英一氏、故郷復興に挺身(ていしん)」とありました。ほかのネット記事によれば、震災で中井さんのお身内は無事だったそうですが、生まれ育った家は流されたそうです。

中井さん、いろいろとありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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海と緑の大島宣言

きのうは、熊谷雅裕君の三陸新報投稿内容を紹介しました。その中で引用されていた「輝け!海とみどりの大島宣言」は、11月4日(月)に大島公民館まつりで大島中学1年の菊地海成さんと菅原碧さんが読み上げ、来場者の大拍手で承認されたものです。ここに全文を紹介します。


輝け!海とみどりの大島宣言


1.大島の海と緑を守っていきます

 大島には、詩人・水上不二がかつて「緑の真珠」と喩えたように、美しい海と緑に囲まれた自然環境があります。震災では自然からきびしい試練を与えられました。でも、そのことで自然を恨むのではなく、傷ついた海と緑の自然環境を再生し、再び美しい大島を取り戻します。再生した大島を守っていくことを私たちの使命とします。
 私たちは大島の自然再生から復興へ向けて一歩ずつ踏み出すことをここに宣言します。

2.大島を日本一安心・安全な島にします

 震災では壮絶な経験をしました。その経験を次の世代に引き継ぎ、再び自然災害が襲ってきたときには被害を最小限に食い止める知恵に活かします。震災では地域や人のつながりの大切さに気づかされました。地域ぐるみの自主防災の仕組みを作り上げていくことも大切です。震災の経験と地域のつながりを将来の防災に活かし、大島を日本一安心・安全な島にしていきます。

3.大島の人と地域のつながりを大事にします

 大島は、地域でつながった島民がお互いの家族のように支え合い、助け合ってきました。このような地域のつながりはだんだん薄れていく時代にありますが、震災はそのことの大切さを気づかせてくれました。安心・安全な島にするため、また高齢社会を支え合いによって乗り切っていくため、地域・世代を超えて人と地域のつながりを大切にしていきます。

4.大島の歴史と文化を伝えていきます

 大島には離島ゆえの古くからの歴史や文化があり、島民はそれを受け継いできました。その中には自然災害の記録を伝えるものもありました。大島の歴史と文化を守り、次の世代へ、そして大島を訪れる人たちへもそれを伝え、地域のつながりや産業の復興に役立てていきます。

5.大島をもてなしの心で元気にします

 大島の中心産業は水産業と観光です。これは大島の人と自然、大島でとれた物を好きでひいきにしてくれる人たち(ファン)がいて、成り立つものです。震災でもこれまで大島を訪れてきた多くの大島ファンの人たちに、助けられ勇気づけられました。これからも大島を訪れる人たちにもてなしと感謝の気持ちをもって、愛される島となるように努めます。そのことを通じて大島を元気にしていきます。


宣言文は以上です。これは気仙沼市の大島地区振興協議会(柴田君子会長)が発表したもので、内容の検討にあたっては、大学教員や学生による〈気仙沼大島未来チーム〉(代表:長峯純一 関西学院大学教授)の支援がありました。

長峯教授というと、ちょっと堅苦しい感じがするかもしれませんが、私たちより6学年下の気中26回/気高28回生。三日町にあった愛耕幼稚園/バプテスト気仙沼教会が実家(教会が実家という言い方はちょっと変か?笑)といえば親しみがわくでしょう。気仙沼市震災復興会議の委員でもあります。

宣言文はちょっと長いのですが、ネット上にみつからなかったので、あえてここに掲載させていただきました。

2月13日ブログ「大島未来チーム」

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大島になにを残す

11月15日(金)の三陸新報に大島〈宮古屋〉熊谷雅裕君の投稿が掲載されました。気仙沼高校の同級生である雅裕君の巨大防潮堤に反対する投稿掲載はこれで4度目となります。

雅裕投稿1
2013年11月15日三陸新報掲載投稿の一部イメージ

本人の許可を得て、以下に投稿内容の全文を掲載します。


大島になにを残すのか

 先日の投稿に「なぜ奥尻の話をしないのか?」が掲載されました。本当にその通りだと思いました。大島を「夢の島、宝の島」と言っていただき、島民のひとりとして感動、感謝して読ませていただきました。ありがとうございます。
 その大島ですが4日に行われた公民館祭りで「輝け!海とみどりの大島宣言」が採択されました。詳細は6日の三陸新報に掲載されていますので省きますが、長峰教授をはじめ多くの方の協力をいただき、宣言にいたりました。
 その宣言の第一が「大島の海と緑を守っていきます」です。
 「大島には、詩人水上不二がかつて『みどりの真珠』と喩(たと)えたように、美しい海と緑に囲まれた自然環境があります。震災では自然からきびしい試練を与えられました。でも、そのことで自然を恨むのではなく、傷ついた海と緑の自然環境を再生し、再び美しい大島を取り戻します。再生した大島を守っていくことを私たちの使命とします。私たちは大島の自然再生から復興へ向けて一歩ずつ歩み出すことをここに宣言します」と島民の前で中学生が読み上げました。
 自然環境を再生するためになにが必要か。コンクリートで造られる防潮堤は自然環境を破壊することはあっても、再生することはできません。奥尻島だけではなく、全国津々浦々で自然破壊による漁業資源減少が見られます。それにもかかわらず、海岸線をコンクリートで覆ってしまう計画が当然のように進んでいます。
 以前行われた島民アンケートで、防潮堤の建設に対する結果は、計画通りに賛成が1割、反対もしくは見直しが6割、分からないが3割でした。つまり9割の島民が現行案に賛成していません。
 過日、新聞で市内各浜の賛否一覧が出ていましたが、多くの浜で「建設合意」となっていました。しかし合意とされている浜の多くに「俺は反対だ」「聞いていない」「いつ決まったんだ」という声が多いのです。市や県が一方的に説明し、それに対し質問や意見がないと、合意したとされるようですが、出席している多くは、公的な場所で発言することに慣れていない年寄りで、声が出せないのです。仕事を抱える現役世代は出席できず、未来を託す子供たちは参加していません。これでどうして賛成と言えるのか不思議です。
 気仙沼は三陸復興国立公園の中にあり、三陸ジオパークに認定された中にあります。コンクリートの防潮堤を造ることが「復興国立公園」の意味なのでしょうか。コンクリートの壁のむこうにジオパークの地層がありますと観光客に説明するのでしょうか。
 県知事は巨大防潮堤を造ることに、ものすごい使命感をお持ちのようです。なにしろ県の進める防潮堤整備計画には、浦戸諸島(松嶋)の無人島4島も含まれているのです。
 大島も全島で防潮堤が計画されています。さらに大島架橋からの道路計画があります。その道路は海沿いに、浦の浜の高台十字路に来るのですが、なんと9mの高さで建設予定です。そして防潮堤は7mの高さで計画されており、それぞれの部署が一所懸命にそれぞれ造る計画のようです。なにしろ道路と防潮堤の間はどうなるのか、浜への出入りはどうするのかを聞いても答えはなく、遺跡や工事の都合が優先で、今生活している住民の意向は二の次です。
 震災後、「花は咲く」という歌がつくられ、歌詞に「私はなにを残しただろう」「いつか恋する君の為に」とうたわれています。「輝け!海とみどりの大島宣言」を読み上げた中学生に、いつか恋する未来の子供たちに、なにを残したら良いのでしょう
 唐桑から小泉まで、コンクリートの巨大防潮堤で囲われた気仙沼を残すのか、豊かな海に囲まれた風光明媚な気仙沼を残すのか、いま大きな分岐点です。
 私は防潮堤のない、豊かな海に囲まれた「みどりの真珠」を残したいと思っています。

気仙沼市髙井
熊谷雅裕


引用は以上です。なお、気仙沼市髙井という住所は、雅裕君がお母様と奥様3人で住む大島中学校仮設住宅のもの。電話で話す雅裕君の声はいつも元気ですが、この大島を囲もうとしている防潮堤計画には静かな怒りが感じられるのです。

これまで3回の投稿内容を紹介したブログ記事は下記に。

1回目2012年6月20日投稿
2回目2012年8月 9日投稿
3回目2013年2月20日投稿

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水を飲む昭和の子

10月に紹介した気仙沼旧魚市場での鰹水揚げ写真を見たときに、その跡地でとった写真があることを思い出しました。これです。題して〈港で水を飲む昭和の子供〉。私です。

水飲み
1958年(昭和33)撮影「港で水を飲む昭和の子供」

この「水飲み」、魚町や南町の人ならば、〈あった、あった〉と懐かしんでくれるのではないでしょうか。震災前でいえば、〈港町ブルースの記念碑〉のあたり。魚町と南町が切り替わる角という感じでしょうか。何枚かある写真から推測すると、撮影年は1958年(昭和33)、私が気仙沼小学校1年生のとき。一年上の隣家カネサのセイちゃんと一緒に、兄か母が撮ってくれたものの一枚です。

後ろにうつる桟橋(さんばし)。これも懐かしい風景。木でできていて結構ぼろぼろのものがありました。海面は今よりずっと下にあったような気がします。こんなところで遊んでいたんですね。私は下駄をはいています。ほかの写真ではセイちゃんも下駄。いま見ると、なにか不思議な感じ。

しかしなんというか、終戦直後の貧しい家庭に育った少年の雰囲気がただよっています。食べるものがないので水を飲んでいる、みたいな(笑)。

この写真を見ていたら、左上方向に4つか5つ続いていた桟橋の風景や、漁船から捨てられ海面に浮かぶ電球に石を投げて割りながら帰宅した、小学生のころを思いだしました。

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時は流れて幾千秋

11日のブログで紹介した気仙沼高校1年生のときの写真。〈遠足〉でしょうかと書いたものの記憶が定かではありません。そこで、気仙沼高等学校同窓会50年史『時は流れて』を調べてみました。この年史には〈学校日誌から〉という名で、開校以来の年度行事が記されています。

時は流れて
気仙沼高等学校同窓会50年史『時は流れて』(1988年2月発行)
題字は、武山〈櫻子〉美加さんの父君〈櫻光〉光夫さんの揮毫。

私たちは昭和42年度(1967年4月)の入学です。その年5月3日「遠足」。この年度は遠足の行き先もちゃんと書いてありました。1年大島龍舞崎、2年唐桑御崎、3年碁石浜。これだな、大島の龍舞崎。気仙沼大島の南端にあるこの景勝地に行った記憶はあったのですが、美術部の夏の合宿時のことだと思っていました。遠足のときの記憶だったのか。

ブログを書いた11日に気高1年3組の同級生、熊谷〈宮古屋〉雅裕君に電話して、〈これは大島の浦の浜あたりで撮った写真ではないか〉とたずねました。雅裕君は〈背景の山の稜線が亀山とはちょっと違うような感じもするしなあ〉と、はっきりしません。そして、気高の1年生のときは誰それと一緒だったはずだけれどうつっていないとか、本当に一年生のときの写真かとも言い出します。その後に電話した同級生臼井弘君も同様で、〈1年だったら真人や徳一がいたんではないかな〉とか。

担任の若松武徳先生が一緒にうつっているので気高1年3組の写真に間違いないでしょう。しかし我々の記憶のなんとあやふやなことか。46年も経つとみんなこうなるのか。還暦をすぎてぼけはじめているのか(笑)。

まさに、同窓会50年史のタイトルでもある気仙沼高校応援歌「時は流れて」の心境です。

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内湾防潮堤の高さ

きのう11月12日、河北新報が、気仙沼内湾の「復興まちづくり協議会」が防潮堤高を3.8mとする提言書案をまとめたと報じていました。そして本日13日の三陸新報も同様の内容を1面に掲載しています。

三陸防潮堤
11月13日三陸新報記事の一部イメージ

「復興まちづくり協議会」は気仙沼の魚町や南町の地区関係者から構成されています。この提言案も、あくまで住民から市や県へのお願いというか提案という位置づけです。河北新報のデジタル版記事を以下に引用しておきます。

「宮城県気仙沼市内湾地区の「復興まちづくり協議会」は11日、湾口防波堤の建設により防潮堤高を海抜3.8mに下げる整備案を盛り込んだ提言書案をまとめた。
 県は10月、海抜5.2mの防潮堤計画に対して、湾口防波堤を整備した上でなら3.8mに下げることが可能とするシミュレーションを提示。提言書案は「3.8mの整備案を前提に復興まちづくりを進めることを提案する」と明記した。
 防潮堤上に、津波の水圧を受けて無動力で立ち上がるフラップゲート敷設も要望した。湾口防波堤の建設で懸念される水質悪化や、景観が損なわれることへの対策を講じることも求めた。
 県の当初計画に住民らが「景観が損なわれる」と反発したことを受け、協議会が5.2~3.8mの3案を検討していた。3.8mの防潮堤を2.2mにかさ上げした地盤上に整備した場合、地面からの堤高は1.6mになる。協議会は各地区で提言書案を議論し、今月末に提言書をまとめて県と市に提出する。」

引用は以上です。県の提案中の一番低い堤高を受け入れて、そこに注文をつけたという感じでしょうか。

防潮堤高については海抜の数値が用いられます。しかし、地盤沈下やかさ上げの関係で地面からの高さがどうなるのか。今回の提言案は、2.2mにかさ上げした場合には地面からの堤高が1.6mという解説はわかりやすい。しかしこれでも結構な高さでしょう。私の身長でいえばちょうど目の高さあたり。

なお、これらの数値からすると、現在の地面高は海抜0メートルということになるのですが、それが正しいのか、それともわかりやすい単純計算にしたのか。道路に潮があがることを考えれば、海抜ゼロでも不思議はないか。

今月末の市や県への提言後のなりゆきが気になるところです。

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東洋経済の第2弾

昨年の9月、このブログで『週刊東洋経済』の「気仙沼市を揺るがす巨大海岸堤防計画」という4頁にわたる特集記事を紹介しました。あれから1年2カ月。同誌11月9日号で「気仙沼住民を泣かす“高すぎる”防潮堤計画」という記事を掲載していました。

東洋経済防潮堤
週刊東洋経済11月9日号記事イメージ

ネットでオンライン版記事が公開されていますので、詳しくはそれを見てもらうことにして、要点のみ紹介します。気仙沼市内湾地区について。

「10月28日の集会(内湾地区復興まちづくり協議会)で配付されたA3版カラー刷り資料では、20ページにわたって3案が示されたが、「内容は専門家が見ても理解が難しい」(東泰規・内湾地区復興まちづくり協議会コーディネーター、E.A.S.T.建築都市計画事務所代表取締役)。
その概要は、内湾入り口部分の岬に「湾口防波堤」を別に建設することや、「余裕高」として設定されていた1メートル分を省くことで、防潮堤の高さを下げられるというもの。ただし、防潮堤でも防げない東日本大震災級の巨大津波(=レベル2)が押し寄せた場合、市街地の浸水域が大幅に広がるというシミュレーション結果も明らかにされた。

防潮堤の高さを下げたシミュレーションに基づくと、内湾地区の大部分が「災害危険区域」(=浸水区域)に指定されるという問題が新たに浮上したのだ。そうなると現行法では、厳しい建築制限が導入され、建物の1階部分での居住が困難になる。防潮堤を低くすることが、町づくりに深刻な影響を及ぼす。」

記事はこの後、唐桑町鮪立地区の9.9mの防潮堤について述べています。そして、こう結びます。

〈住民の意向を尊重して、立派な防潮堤の代わりに避難経路を整備するなど、その予算を他の用途に振り向けてもいいはずだ。県には「高い防潮堤」にこだわらない柔軟な対応が求められている〉

昨年9月と同じく、「東洋経済」編集部岡田広行さんの署名記事。こうした継続しての取材に基づく要を得た報道は貴重です。ありがとうございます。

昨年9月の記事オンライン版
9月19日ブログ「防潮堤勉強会2」

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隆ちゃんの一周忌

今日の東京は曇り空のせいもあって、ちょっと肌寒い。初冬。喪中欠礼のはがきが届き始める季節になりました。

11月3日(日)、小山隆市君(3年6組)の一周忌が気仙沼で執り行われました。隆市君が亡くなったのは今年1月14日ですが、年末年始は〈コヤマ〉の仕事も忙しくなるので、少し早めにおこなったとのこと。そしてその日の夜、東京の気仙沼関連イベントでよくお会いする三男アキヒロさんから、〈父の懐かしい写真があったので送ります。いつの写真かおわかりになりますか〉と2枚の画像をメールで送ってくれました。

気高1
1967年ごろの気仙沼高校1年3組(2枚ともクリックで拡大)
気高2

わかりますよ。気仙沼高校1年3組。担任は若松武徳先生(数学)でした。この写真は記憶にありません。私はなぜか持っていませんでした。学校ではなくどこか遠足にでもでかけたのでしょうか。

上の写真の右端が隆市君。2枚とも撮影者をなにかからかっているのでしょう。まさに隆市君の声が聞こえてくるような感じがします。私は前列中央、なぜかスケッチブックを持っています。美術部でした。隆ちゃんのからかいに反応して笑っています。それぞれの顔が本当に懐かしい。みんなどうしてるだろう。いいクラスでした。

小山隆市君だけでなく、私が知っているだけでも、何年も前に亡くなった本町の藤村俊範君(3年7組)や昨年亡くなったと聞いた気高軟式野球部ピッチャーだった唐桑小鯖の伊藤政幸君もうつっています。アキヒロ君が送ってくれたこの写真、懐かしさとともに、惜しくも早く逝ってしまった同級生を久しぶりに思い出させてくれました。合掌

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漁師のカレンダー

気仙沼の〈出船送り〉の実施や9月の〈市場で朝飯を。〉の共催などの活動を続けている〈気仙沼つばき会〉がプロデュースした〈気仙沼漁師カレンダー〉が11月16日から発売されます。販売元は7月に設立された一般社団法人リアス観光創造プラットフォーム(菅原昭彦理事長)。 収益は漁業就業支援活動や復興する気仙沼の現状を伝える展示会などに充てられます。

漁師カレンダー

サイズ:B3判(B4二つ折り)壁掛けカレンダー/1カ月1枚
価 格:2,000円(税込み)
送 料:全国一律500円
(10本以上まとめてお買い上げの場合は送料無料)
気仙沼市内の書店のほか、ネットでも販売。申込みなど詳しくはリアス観光創造プラットフォームの公式ホームページをご覧ください。

このカレンダーが、一流のカメラマンと一流の制作会社のご協力で制作していると以前から聞いておりましたが、それが藤井保(ふじい・たもつ)さんとサン・アドさんだったと知ってびっくり。

藤井さんは、「マグライト」(なんていったらいいのだろう、とりあえず米国製高級懐中電灯)の広告写真を手がけられている方です。雑誌で展開されているシリーズ広告は写真もデザインもすばらしい。その藤井さんが気仙沼に5〜6回もでかけ、12カ月分の写真を撮影したそうです。

そして制作会社の〈サン・アド〉。広告に関心のある人には説明の必要がないでしょう。東京オリンピックが開催された1964年、サントリーの宣伝部に属していた7名らを中心に設立された広告制作会社。作家の開高健さん、山口瞳さんも創立メンバーでした。私たちの世代に強い印象を刻み込んだサントリーの多くの広告やCMなどをてがけてきました。

このブログを書くにあたって、サン・アドのホームページを見たら、〈創立のことば〉として開高健さんの言葉が紹介されていました。これはぜひ読んで欲しい。開高健さんは、この文章の末尾、業務テーマ紹介の前にこう記しています。

〈 つぎのようなことができますから、美しく上質でほんとに人々の生活に役立つ製品があって訴求の方法に困っていらっしゃるのでしたら、ある晴れた朝、思いだして電話してください。 〉

いやあ、開高健さんの文章、さすがにいいですねえ。藤井保さんの写真を使った気仙沼漁師カレンダーは、このサン・アドさんの創立理念に沿った仕事というか〈作品〉になっていると感じました。すばらしい。

〈イナガクサグナクテ イインデナイベガ〉

ある晴れた朝。私もそう思いました。購入決定!

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アエラの真海さん

11月2日発売の週刊誌『AERA(アエラ)』(朝日新聞出版)11月11日号の表紙は気仙沼出身のパラリンピアン佐藤真海さん。

佐藤真海アエラ

撮影はもちろん坂田栄一郎さんです。さすがに真海さんの笑顔を上手にとらえていてとても良い。

インタビューでは、〈パラリンピアンと東北の被災者には、底抜けに明るいという共通点がある〉と語っています。結婚のことなどもたずねられています。〈五輪招致勝利の女神は、障害者スポーツの環境整備という使命感を抱きながら、刺激より癒やしの幸福感を求める〉とのこと。

まだ書店にあるはずですので、どうぞご覧ください。

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東北ツリーハウス

気仙沼がなにかとお世話になっている〈気仙沼のほぼ日〉が11月1日で2周年を迎えました。この〈ほぼ日刊イトイ新聞〉の気仙沼支社的な活動は、当初2年間という期限でスタートしたわけですが、さらに2年間の活動延長を発表してくれました。ありがとうございます。

気仙沼のほぼ日
「気仙沼のほぼ日」サイト一部イメージ

この11月1日、〈ほぼ日〉の気仙沼関連イベントがありました。そのひとつが、〈うまけりゃ売れるべ市。〉。気仙沼の斉吉商店からネット中継で糸井重里さんらが気仙沼産品の販売をおこないました。これは現在もネットで視聴・購入が可能です。

そしてもうひとつ、ツツジで有名な気仙沼の徳仙丈では、ほぼ日による新しいプロジェクトの開始式が行われました。糸井重里さんの発案による〈100のツリーハウス〉。気仙沼をはじめとして、東北に100のツリーハウスを造っていこうというもので、10月8日には、この計画を実行していく一般社団法人「東北ツリーハウス観光協会」が設立されています。

開始式には、糸井重里さんのほか、気仙沼市の大江副市長、〈徳仙丈のつつじを愛する会〉の小野寺さん、そして〈東北ツリーハウス観光協会〉の企画委員として斉藤道有さんらが出席しました。あ、それから〈ホヤぼーや〉も。

斉藤道有さんは、〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトをはじめ、〈気楽会〉のメンバーとしてもさまざまな地域活動に参加しています。私たちの1年先輩気中19回生の八日町〈齊藤茶舗〉證明(あかし)さんの息子さんです。〈コヤマ〉の裕隆さんはじめ、私たちの次の世代が頑張ってくれていますね。かげながら応援していきたいと思います。

私はこのツリーハウス・プロジェクトの第1号が徳仙丈の地にと知ってうれしくなりました。一度も訪れたことはないのですが、30数年以上にもわたってこの徳仙丈のツツジの育成・保護活動を行ってきた佐々木梅吉さんのことを思い出したからです。この話は、6月のブログにも書きました。

ちょっと長くなりました。〈100のツリーハウス〉については、下記のほぼ日のプロジェクトサイトをご覧ください。

最後に、糸井重里さんはじめ〈ほぼ日〉の皆様にあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ほぼ日「100のツリーハウス」
6月5日ブログ「徳仙丈のツツジ」

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コクリツコウエン

今年5月、陸中海岸国立公園が再編、改称されて「三陸復興国立公園」になったときに探したものの見つからなかった写真がやっと出てきたので紹介します。

コクリツコウエン
(クリックで拡大)

1964年5月に気仙沼湾と唐桑半島が国立公園に編入されたことを記念して、気仙沼小学校の校庭に人文字をつくったときの空撮写真です。東京オリンピックの年ですから気仙沼中学一年のときだと思うのですが。なぜ気小での写真なのか、よくわかりませんが。

気小の木造校舎、プール、気中の体育館、植物園、すべてが懐かしい。当時でも全校生徒は2500人ぐらいはいたのではないでしょうか。

今ではこれだけの人文字は無理でしょうね。一文字ぐらいか(笑)。

5月30日ブログ「三陸復興国立公園」

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東北の美しい未来

まずは楽天イーグルスの日本一! おめでとう! きのうは仙台だけでなく、気仙沼も大騒ぎだったでしょうね。

さて、このブログでも紹介した10月31日(木)の巨大防潮堤問題についての「東北の美しい未来を考えるフォーラム」。私は仕事があり会場にいけなかったので、Ustreamでの生中継を視聴しました。とはいうものの、当方の通信環境のせいか、断片的にしか見ることができませんでした。現地からの報告者として登壇した磯屋水産の安藤竜司さんも見られず。残念。

7時すぎのフォーラム終了時には、司会者が会場にいる気仙沼からの関係者5人に登壇するよう声をかけてくれました。そのときのUstreamのキャプチャー画像を紹介します。

フォーラム1

フォーラム3

フォーラム2

一番上の画像、左側から紹介しましょう。
安藤竜司さん(磯屋水産)、臼井壮太郎さん(臼福本店)、高橋和江さん(京染たかはし/つばき会)、畠山信さん(森は海の恋人 副理事長)、三浦友幸さん(気仙沼市大谷地区)です。この5名の皆さんは、気仙沼の〈防潮堤を勉強する会〉の29人からなる発起人メンバーでもあります。そして臼井さんから右に一人ずつ順に聴衆へ語りかけました。皆さん落ち着いた語り口で、とてもよかった。

会場の永田町・衆議院議員会館のホールには300名近い方々が参集していました。冒頭には、〈アッキー〉こと安倍昭恵総理夫人からの挨拶もありました。Ustreamでカメラの前が〈お待ちください〉というボードでふさがれたときがあったのですが、たぶん昭恵さんの話は中継NGということだったのでしょう。

直接の話を聴けなかったのは残念でしたが、気仙沼からの5人のメッセージは会場の皆さんに確実に届いたと思います。ありがとうございました。ご苦労さまでした。

10月21日ブログ「防潮堤フォーラム」

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KSS42懇親会報告

明日2日、楽天の日本一をかけた日本シリーズ第6戦は本当に楽しみですね。試合開始前の国歌斉唱は気仙沼出身の畠山美由紀さんが歌うということで、これもすごい。

さて10月25日(金)には、仙台地区の第2回同年会「KSS42懇親会」が開催されました。本日はそのご報告。まずは幹事のひとり平野秀明君から届いた写真から紹介しましょう。

まずはみんな揃っての記念写真。中央女性の右が代表の小山達朗君(クリックで拡大)
仙台記念写真
これは幹事の皆様の勢揃い
幹事会
亀一君のギター演奏と熊谷育美さん
亀一君 育美さん
各テーブルの写真。全部ではありませんが、雰囲気を感じてもらえればと
仙台0 仙台4
仙台3 仙台2
仙台5 仙台6-4

KSS42代表の小山達朗君からも当日の概況報告をいただきました。

「久しぶりの同年会でしたが、49名(男性35女性14)と大勢の方々の参加をいただきました。仙台地区以外にも気仙沼をはじめ福島や盛岡そして東京など遠方からもおいでいただきました。あいにくの雨の日でしたが、会場はなぜか晴れ晴れとして和やかな雰囲気が感じられました。

武山美加さんの書「海と生きる」を正面に飾りながら、まずは小松亀一さんの素晴らしいフラメンコギター演奏。その後は気仙沼からお招きした熊谷孝良君のお嬢さん熊谷育美さんのコンサートで、故郷を感じさせる素敵な歌を4曲聴きました。自然に涙が流れるほどのみごとで感動的な歌と演奏でした。

その後は、旧交をあたためながらのスピーチを関東同年会であるけせもい会/気中20支援会の菊田裕美君、気仙沼から臼井真人君、一年後輩の仙台安波山の会から曽根三明君からもいただきました。その後も歓談が続きましたが早くも終宴の時間となってしまいました。

今回の同年会KSS42は、気仙沼で被災しながらも頑張っている同年生の情報を調べ24社の事業紹介カタログを作成し会場で配布。支援活動を続けるための義援金の協力も皆さんにお願いしました。懇親会ではありますが、気仙沼を愛する人たちが早い復興を願って支援を続けようと絆を深める場所になったかと思います。

今回驚いたのは、テレビ局の撮影や河北新聞社の取材も入ったことです。もちろん熊谷育美ちゃんの取材が目的なのですが予想もしていない初めての経験でした。育美ちゃんに感謝です。また、斎藤恒四郎君からお酒を提供してもらい美味しくありがたく飲みました。

還暦を過ぎましたが、同年生の若さと元気はまだまだパワーがすごいですね。これからも、一人ではなく皆で元気で頑張って行きたいと実感しました。

皆さんまたお会いしましょう。」

KSS42代表 小山 達朗 

達朗君からの報告は以上です。ありがとう。

平野君から「幹事以外は肖像権も考慮して小さくお願いします」とのことで、各テーブル写真は小さく掲載しておりますのでご了承ください。小松亀一君のブログでも当日の様子を紹介しています。金土日曜、どうぞゆっくりとご覧ください。

亀一君のブログ
10月1日ブログ「気仙沼仙台三陸会」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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