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松茸への思い入れ

昨日は柿(の種だけど)、本日は松茸の話。

ちょうど10年前、2003年10月の三陸新報〈リレー随想〉に、気仙沼高校美術部の一年先輩である小松良四郎さんが文を寄せていました。良四郎さんは気仙沼の大島出身。筆者紹介によれば、良四郎さんは1984年に歯科医の夫人と気仙沼市田中前に〈ファミリー歯科〉を開業しています。
良四郎さん
三陸新報2003年10月8日付記事のイメージ

寄稿文の一部を紹介します。

「今から40年前のことですが、私が育った大島の外浜には赤土と赤松の林が多く、亀山の北側斜面では松茸がたくさん採れました。その頃は松茸採りをする人は多くなく、子どもたちが学校の行き帰りに、道路のそばの松林に入って採るぐらいなものでした(大島では松茸狩りとはいわず、松茸採りといっていた)。
私が松茸採りに本格デビューしたのは、三歳年上の兄に連れられて山に入った小学四年生の頃だったと思います。休みの日、まだ薄暗い早朝に、早足で歩く兄の後ろを寝ぼけ眼で必死についていったものです。
兄は、今まで入ったことのないような所にまでどんどん進んでいきました。あの道路のあの場所から左に入って、ずーっと下ったあの松の下、それから右に曲がってあの松の周り、というように道順を覚えながら探していくと、そこにはちゃんと松茸が生えているのです。
「おめえー、この辺を探してみろ」と言って、兄はどこかへ行ってしまいます。言われた通りに探してみるのですが、一本も見つけられないでいると、「あったがあー」と言いながら兄が現れてその辺を探すと、そこにはやはり松茸が生えているのです。
(中略)
午前中回ると、だいたい20本ぐらい採れたように記憶しています。家に帰ると、さっそく採り立ての松茸を縦に割って、フライパンで少し黄色になるまで焼き、しょうゆをちょっとつけて食べます。口に入れた瞬間の、あの香りとコキコキする歯ざわりは最高のものでした。今なら、さしずめここで日本酒をキュッと一杯というところでしょうか。」

〈緑の真珠〉大島は〈松茸の宝庫〉でもあったのです。今はどのようになっているのだろう。大島のことは浦の浜〈宮古屋〉に聞け。気仙沼高校の同級生 熊谷雅裕君に電話で聞きました。

「俺たちのときは、通学路のわきでいくらでも採れたんだよ」(なるほど)「昔は松林の下草を刈って燃やしたりしていたんで、松茸にとっての環境がよかったんだろうね。でも今はそれをしないんで林がすっかり荒れちゃって」(やっぱりね。いまはだめなんだ)「それでも商売にしている人は結構採ってるんじゃないかな。今日もちょっと寄ったら、いいとこに来たと言われて5〜6本もらってきたけどね」(なんだ、採れてんじゃん)

ということのようです(笑)。ま、あまり売り物にならないものをもらってきたということでしょうけれど。

〈松茸への思い入れ〉と題された良四郎さんの文をもう少し。

「私を連れて山歩きをしてくれた兄も、50歳という若さであの世へ行ってしまいました。そんな思い出がある松茸だからこそ、人工栽培などで簡単に育ってもらいたくないという思い入れがあります。(中略)秋の長雨がしとしと降る日の朝などは、空を見上げて「あー、こんな日は松茸がよく採れんだよなー」と、ふっとあの頃を思い浮かべます。」

引用は以上です。
いい文章ですよね。10年前に読んだときもそう思って切り取っていたのでしょう。先輩良四郎さんは、油絵よりも文章のほうがうまいのかも。ということで今週はこれにて。良い週末を。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 気仙沼高校 ファミリー歯科 小松良四郎

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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