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柿の種で思い出す

季節が秋めいてきました。昨日も今日も、朝の果物は柿。大好きなんです。リンゴやミカンよりも、柿や梨。そして、柿の実を食べ、種を小皿に置きながら、そうだ今日は〈柿の種〉の話を書こうと思いつきました。
柿の種
浪速屋ホームページより(http://www.naniwayaseika.co.jp/item/kan/k08.php)

私の母は新潟県柏崎の出身。その関係で小さな頃から浪速屋の柿の種の缶が身近にありました。柏崎の母の実家、まだ元気だった祖母がいろいろ送ってくる品のひとつだったのでしょう。浪速屋は柏崎の近くの長岡のお店。

母とこの柿の種の話をすると必ず登場する、私が小さなころの思い出話があります。つぎのようなことです。

気仙沼の魚町坂口(ホテル望洋にのぼっていく坂)の私の家の隣が竹輪や薩摩揚げをつくっていた〈カネサ〉斉藤家。その長男で一歳年上のセイちゃんが私の遊び相手でした。

そのセイちゃんが私の家に遊びに来ていたある日、母がおやつに柿の種を出しました。はい、ふたりで食べらいん。すると、年上のセイちゃんがつぎのように一つひとつ配りはじめたというのです。

〈こいづはアキちゃん、こいづはオレ。こいづはアキちゃん、こいづはオレ〉。そして最後に残った一個。セイちゃんはその半分をかじって、残りを私に配りました。母はこれを見て、子供のすることって面白いなあと思ったそうです。

以上が定番の柿の種の思い出話。と終わるはずだったのですが、途中でこの話は、柿の種ではなく、新野屋(あらのや)の〈網代焼〉(あじろやき)だったかなと思い始めました。柿の種よりも大きく2センチぐらいの小魚の形をしたせんべいです。新野屋は柏崎の店。黒ようかんも大変おいしい。

柿の種か網代焼か。母に電話して聞いてみようとも思いましたがやめました。たぶん〈どっちだったかなあ。忘れてしまったなあ〉。ま、どちらでもいいでしょう。この話で思い出すセイちゃんの表情は、どっちにしたところで同じなのです。坊主頭で笑っています。半世紀以上前の魚町坂口のある日のできごとです。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 浪速屋 柿の種 網代焼

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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