ほぼ日気仙沼支社

8月27日の読売新聞に糸井重里さんのインタビュー記事。「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)の気仙沼支社「気仙沼のほぼ日」の活動を紹介しています。見出しは〈「ほぼ日」気仙沼 見守る〉。

読売糸井さん
読売新聞8月27日配信記事の一部イメージ

読売新聞8月27日配信記事


詳しくは、配信記事をお読みいただくとして、インタビューの一部を引用紹介します。

〈ウェブサイトの情報紙「ほぼ日刊イトイ新聞」初の支社を、2011年11月に宮城県気仙沼市に設立しました。同年7月に初めて訪れて地元の人と縁ができ、一か所でじっくりお付き合いしたいと思ったからです。
被災地以外の人が被災地を忘れてしまうのは、残念ながら現実にはあることです。でも、現地に「場所」をつくることで、僕ら自身、忘れるわけにはいかないようにしたんですね。「また来るよ」ってみんな言うけれど、約束できるわけじゃない。でも、「場所」をつくれば、「糸井はいるんだ」って気仙沼の人にわかってもらえますよね〉

この後、〈目黒のさんま祭〉の費用を稼ぐ企画「さんま寄席」や、世界の一流品と認められる編み物を気仙沼で作る〈気仙沼ニッティング〉のことを語り、つぎのように続けます。

〈今も月1回ほどのペースで気仙沼に行っています。「全てを失ったが、逆にやり直すチャンスなんだ」とみんなが思う時期は過ぎ、何もしないと元の町になっちゃう感じがする。せっかく僕のような“外国人”がいるのだから、僕が通っている限りは「それはだめだよ」ってどんどん言いたい〉

〈「ほぼ日」の支社は2年の予定だったけれど、延長するつもりです。真剣にやるのは、子供を育てるのと同じで時間がかかる。それに、将来支社がなくなっても、気仙沼の人たちは親戚とか友達だと思っています。「最近どうしてる?」「それじゃあだめだよ」って互いに言い合える関係をずっと続けたいですね〉

そして記事は、「ほぼ日刊イトイ新聞」気仙沼支社の現地スタッフである佐藤由実さんを紹介しています。その活動はウェブサイト「気仙沼のほぼ日」で紹介されていますので、ぜひご覧ください。

「気仙沼のほぼ日」ウェブサイト

このブログでも何度も紹介してきた糸井さんらの「ほぼ日」の活動。いつもいろいろとありがとうございます。あらためてお礼を申し上げます。
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憲二君の炊き出し

おとついの話題は〈かもめまつり〉。本日はご存じ千葉憲二君の〈かもめ食堂〉。

〈ちばき屋〉千葉憲二君(3年4組)が気仙沼で何度も行った炊き出しは、このブログでも紹介していますが、昨年10月3日の様子が新横浜ラーメン博物館の公式映像で〈気仙沼「かもめ食堂」復興までの道のり〉として公開されていましたので紹介します。2つのパートに別れています。

パート1(約11分)


パート2(約9分)


パート1では〈福寿水産〉臼井弘君(4組)が、2度目の炊き出しのときに一緒にラーメンを食べた82歳のお母様のエピソードを語っています。憲二君のラーメンを〈おいしい、おいしい〉と言って食べたあと、1週間もたたないうちに亡くなったというのです。笑ってはいけないのですが、〈憲二のラーメンのおかげで〉みたいな、弘ちゃん流のジョークも感じられます。憲二君が言うには、炊き出しのとき、何十年ぶりにあった息子の旧友憲二君の頬を〈憲ちゃん、憲ちゃん〉と言いながらなでたといいます。過去のブログを調べてみたら2度目の炊き出しは2011年6月11日。弘君のお母様が亡くなったのが6月16日ですから、5日後のことだったのですね。最後の美味しいラーメンだったかもしれません。

パート2では〈澤井製作所〉澤井充君(4組)のインタビューや〈市議会議長〉臼井真人君(2組)はじめ多くの同級生の姿がうつっています。気仙沼の人たちを応援しに駆けつけた憲二君。そしてそれに対して〈ありがとう〉と伝えるために出向いた多くの友人たち。映像を見て、ホント、同級生ってありがたいもんだなと、あらためて感じました。

2011年 6月23日ブログ「天寿をまっとうし」
2012年10月10日ブログ「かもめの炊き出し」

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本日のテレビ紹介

今朝の東京は、日差しは強いものの、湿度が低く気持ちのよい暑さです。そんな朝、〈あまちゃん〉を見たあとに新聞のテレビ番組欄を見ていたら、以前このブログでも紹介した番組名が目に入りました。8月2日に宮城県のローカル番組として放送された、東北Z「サンドウィッチマンのどうなってる?防潮堤」です。これが、〈ローカル直送便〉として本日午後3:15から全国放送されます。

サンドイッチマン
ローカル放送時の「東北Z」番組サイトイメージ

◎NHK総合テレビ〈ろーかる直送便〉全国放送
◎東北Z「サンドウィッチマンのどうなってる?防潮堤」
◎本日8月28日(水) 午後3:15~午後3:59(44分)

「東北Z」番組サイト

番組サイトでは、内容をつぎのように紹介しています。

「次の津波に備えて、全国で防潮堤の建設が始まっている。計画は壮大で岩手・宮城・福島の3県だけでも総延長360km、総工費8000億円を超え、防潮堤の高さは最大15mに達する。この計画をめぐって激しい議論が起こっている。防潮堤で津波から命を守れるのか。景観や生態系を壊すことにならないのか。国の財政は大丈夫なのか。番組では複雑なこの問題を、サンドウィッチマンと徹底的に解きほぐして考え分かりやすく伝える」

もっと早く紹介できればよかったのですが、まずは取り急ぎ。外で仕事中の方は、自宅に連絡するなどして録画してもらってはいかがでしょうか。

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かもめまつり復活

きのう8月26日配信の河北新報に、気仙沼市鹿折(ししおり)地区の「かもめまつり」復活の記事がありました。25日の日曜日、3年ぶりに開催されて大勢の家族連れでにぎわったといいます。

かもめまつり河北
8月26日河北新報配信記事のイメージ

記事は祭の様子をつぎのように伝えています。

〈 メーンの「はしご昇り虎」では、虎に扮(ふん)した大人が高さ13メートルのはしごの上で舞を披露。子どもたちによる迫力ある打ちばやしも演奏され、会場は活気に包まれた。津波で流された長さ200メートルの綱を引っ張り合う「大綱引き」もあり、約500人の参加者が豊漁や豊作、地域の復興を願って綱を握った。かもめまつりは「かもめ通り」と呼ばれた同市新浜町で30年ほど前に始まった。気仙沼の夏祭りを締めくくる行事として親しまれてきたが、震災で一帯が壊滅したため中止されていた〉

これはうれしいニュースですね。10数年前でしょうか、気仙沼への帰省時にこの〈かもめまつり〉を見に行ったことがあります。実家があった魚町から鹿折は、坂をのぼって下ってすぐですからね。そこで見た〈浪板(なみいた)の虎舞〉には本当に感心しました。その終盤、はしごの上で虎の口から紙吹雪が吹き出されるのですが、その間合いや吹雪の加減が絶妙なのです。

大勢の人で賑わうかもめ通りで、高橋(藤代)雅巳(まさし)君に会いました。商店街の世話役として、この祭でも忙しくしていました。雅巳君は、2学年下になりますが、気仙沼高校美術部と多摩美術大学の後輩です。東京で就職しましたが、その後に気仙沼に戻り、お母様の店「みよし」やフィッシング用品などの「ストリーム」という店をきりもりしていたのです。

その雅巳君は一昨年の津波で亡くなりました。そのことは2度ほどこのブログでも書きましたので詳細は略しますが、この「かもめまつり」復活の記事を読んですぐに、まつり会場で会った雅巳君の表情を思い出しました。河北新報の記事の最後は、実行委員会の渡辺耕良委員長(69歳)の言葉で結ばれています。

「待ちに待ったまつりの復活で胸がいっぱいだ。天国に行った仲間に、まつりが開けることの喜びと感謝をささげたい」

かもめまつりの関係者の皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。

2011年6月6日ブログ「友人雅巳君の死」
2012年10月25日ブログ「雅巳君の遺志」

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美加さんの幼き日

三陸新報の2004年当時のシリーズ企画「とっておき この一枚」。7月のブログでは、1983年4月の矢野顕子さんを囲む吉田(岩渕)恵子さんたちの写真を紹介しました。そして本日は、武山美加(みゆき)さん(3年9組)の〈とっておき〉をご紹介。これも私のスクラップから。

武山美加
三陸新報2004年1月18日付けより(クリックで拡大)

背景は気仙沼小学校の校舎。板壁やガラス窓が本当に懐かしい。記事を一部引用します。

〈桜舞う校庭を、父(故・光夫さん)に手を引かれて------。昭和33年春、気仙沼小学校での入学式。木造校舎の前で撮った一枚だ。「亡き父とのいろいろな思い出が、走馬灯のように巡ってきます」。洋服は、藍色を基調に、襟の部分には刺しゅうがある。古町にある洋裁学校「増子学園」の教壇に立っていた父が、この日のためにわざわざ誂えてくれた。当時は珍しかったパーマも父の自慢だった。〉

そして記事は、〈胸元の大きな名札は、白のてぬぐいで作った〉と続くのですが、私の記憶では、綿の布に藍色で氏名記入欄が染め抜かれていたと思います。写真でも〈気小校…年…組〉の文字があるように見えます。ちょっと話が細かくなりすぎたか(笑)。

記事の末尾にも書いてありますが、美加さんはいま、書道教室「苑書会」を主宰し、雅号は櫻子(おうし)。8月17日の「偲ぶ会」でも彼女の揮毫(きごう)による「友偲」の文字が正面に掲げられていました。その2日後には、つぎのメールが届きました。

〈開催までお世話役の皆様にはご苦労かけました。とりわけ小山謙ちゃんは大変だったと思います。当日はとっても良い集まりだったと思います。みんなのスピーチに思わず涙が……。「友偲」の書に想いを沢山込めました。もう、毎年みんなに会わずにいられません(>_<) 〉

美加さんのお父様も書家で書道教室を主宰していました。号は櫻光(おうこう)。教室に通った南町近辺の同級生も多いのではないでしょうか。『気仙沼文化史年表』によれば1946年に〈苑書会〉を創立とのこと。美加さんが継いでいまに至っています。櫻光先生は1998年11月、76歳でお亡くなりになりました。

ブログでの写真紹介を承諾する8月20日のメールに、〈今日、東新城に新しい教室が完成し、みなさんにお披露目しました〉と書いてありました。また、9月15日午後2時には、仙台メディアテークで開催される毎日書道展/東北仙台展会場で揮毫するとも。なかなかに頑張っていますね。

美加さん、新教室の完成、本当におめでとう。ますますの活躍を期待しています。

7月8日ブログ「とっておきの1枚」

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感謝とお別れの辞

小松亀一(きいち)君(3年6組)のブログに、8月17日の「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」の報告が掲載されていましたので紹介します。亀一君は仙台で弁護士として活動しています。

亀一君ブログ
小松亀一法律事務所HP/ブログ記事の一部イメージ(クリックで拡大)

同年会で亀一君は、小山隆市君を偲ぶスピーチを行いました。詳しくは〈小松亀一法律事務所〉のブログでお読みいただくとして、その一部を以下に紹介します。

「同年会では,各物故者の思い出の写真を会場の大型スクリーンに映し出した後、各物故者と親しい友人が思い出のスピーチをすることになっており、小山隆一君については、同じクラス代表として私にスピーチをするよう役員の方から指示されていました。口べたな私は、スピーチに代えてフラメンコギター曲でしんみりした曲調の曲を演奏するつもりで、会場にフラメンコギターを持参していました。しかし、スピーチの時点で、会場内は、喧騒の場となっており、中途半端な私のギター演奏では耳を傾けて貰えないと判断して、スピーチに切り替えました。小山君との間には尽きない思い出があり,話す材料は山ほどあったからです。短時間で多くのことを話そうと思う余り、大変な早口となり、私の後に阿部君の思い出を語った同年生から、「亀一君の話は良い話でしたが、余りに早口で半分も判りませんでした」とズバリ指摘されてしまいました(^^;)」

亀一君ブログ「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会 開催報告」

二人が気仙沼中学3年6組で同じクラスであることは知っていましたが、気小6年のときも同級だったそうです。先週のスピーチは早口でわかりづらかった(?)ようですが、亀一君は、隆市君が亡くなった今年1月14日の翌日、自身のブログで「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」を記しています。隆市君から世話になったことをつづった後、震災のときの話を記しています。後半部を引用します。A君が小山隆市君です。

「A君自身は、店も自宅も流され、悲惨な状況となったにも拘わらず、不屈の精神で震災から5ヶ月後には他の場所で菓子店の復活を果たし、これからだという平成24年2月、数ヶ月ぶりにA君の店を訪れた私は、A君の健康状態に異変を感じ取り、ずけずけと意見をしてしまい、しばらく、メールで健康談議を続けました。4月下旬、A君から胃ガンが発見され、胃の全摘手術をするとの連絡を頂いたときは仰天しながらも、これでA君の身体から厄介者を摘出し、健康体に戻って欲しいと心から念願しました。
胃ガン摘出手術後、A君は厳しい抗癌剤治療の様子を自ら主催するサイト〈気仙沼ネットデリバリー〉に掲載してくれましたが、ついに力尽きて帰らぬ人となりました。痛恨の極みです。A君から、〈震災後、胃痛に悩まされてその薬も処方して飲んでいます〉とのメールも貰っています。大震災の激動の中、精密検査をする余裕もなく、大震災で店も家も失うとの甚大なストレスが、知らず知らずガンを増殖させたものと思われ、A君は、大震災の犠牲になったとも言えます。その理不尽に怒りがこみ上げましたが、息子さんのブログによると〈苦しむことなく、家族に看取られて幸せな旅立ちでした〉とのこと。今はガンによる痛み等の苦しみから解放され、ゆっくりお休みしていることと思います。
A君、貴君から頂いた数々のご恩は決して忘れません。安らかにお休み下さい。」

亀一君ブログ「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」

まさに「痛恨の極み」だったのでしょう。亀一君はこの文章の冒頭で、大好きな舟木一夫さんの「はるかなる山」の2番の歌詞「こころの怒り 思いきり叫べば 叫べば かえるあのこだま」を引用し、〈一日中涙がこみ上げ仕事も手に付かない状況でした〉と記しています。

少し長くなりましたが、亀一君の心のこもった追悼文を皆さんにも読んでいただきたく、紹介いたしました。


なお、亀一君の中学・高校同年会関連のほかのブログは、こちらからお読みいただけます。

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歴史民俗博物館へ

今年3月から9月23日まで、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館では、「東日本大震災と気仙沼の生活文化」と題し、気仙沼市小々汐(こごしお)地区の旧家である尾形家住宅の一部再現や漁労文化関連の展示を行なっています。

民俗博物館
国立歴史民俗博物館HPの一部イメージ

その展示を気仙沼出身の川島秀一さんの話を聞きながら見て気仙沼を勉強する「おとなの遠足」ツアー企画をご紹介します。

◎川島秀一先生と行く大人の遠足

・日 時:平成25年9月7日(土)
・参加費:6,000円(予定:昼食代、見学費、バス代、高速代込み)
・定 員:20名(小型バス使用)最少催行15名
・申込締切:本日8月22日(木)
・日 程:
 08:30 集合(大手町予定)
 10:00 千葉県佐倉市「国立歴史民俗博物館」見学
 13:00 昼食 酒々井「酒々井のまがり家」でお弁当
 15:30 阿波大杉神社(アンバ様信仰の総本宮)http://www.oosugi-jinja.or.jp/
 18:00 解散・懇親会(人形町予定)

川島秀一さんは気仙沼市魚町出身の気中21回生で、本年4月から東北大学災害科学国際研究所の教授として活動されています。また、歴史民俗博物館の後に訪れる茨城県稲敷市の阿波大杉神社は、気仙沼の安波山の名前の由来ともなったアンバ様信仰の総本宮とのことです。小型バスをチャーターして川島秀一さんと共に行くこの〈大人の遠足〉、関心がある方は是非ご参加ください。

本件の申込み、お問い合わせは、気仙沼サポートビューローのメンバーで幹事の阿部さんまで下記のメールアドレスまでお願いします。
takayuki9db@yahoo.co.jp

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内湾の防潮堤問題

きのう20日の河北新報に気仙沼の内湾地区における防潮堤問題についての記事が掲載されていました。

河北内湾堤防
河北新報配信記事のイメージ(一部)

リード文はつぎのとおりです。
「東日本大震災後、宮城県内で建設が計画されている防潮堤のうち、気仙沼市中心部の内湾地区での計画が暗礁に乗り上げている。宮城県は海面からの高さ5.2メートルの防潮堤整備を目指すが、住民は「港町の風情を損なう」と強く反発。有効な打開策を見いだせないまま、議論は足踏み状態が続いている。」

河北新報8月20日配信記事

詳しくは、配信記事を読んでいただきたいと思いますが、要旨を紹介しておきます。

まずは8月6日に気仙沼市役所の会議室で行われた村井嘉浩知事と約50人の住民との3時間にわたる意見交換会の紹介。〈知事と住民による対話は、見解の隔たりだけを確認して終わった〉としています。そして次に、気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭や、知事など県関係者の話を紹介しています。

〈臼井会頭は「魅力あるまちづくりを進める上で防潮堤は要らない。コンクリートの構造物ができれば、このまちは死んでしまう。容認できる堤防高はせいぜい腰の高さだ」と言い切る。
県は「防潮堤は生命や財産を守るために不可欠だ」と譲らない。堤防高は、数十年から百数十年に1度の割合で発生が予想される明治三陸津波級に対応するために設定されており、「妥協の産物で、科学的な根拠がないのに下げるべきでない」(村井知事)という。
ある県関係者は「国の復興予算があるうちに整備しなければ、今後造りたくても造れなくなる」と懸念する。5.2メートルの堤防高は変えず、堤防上に遊歩道を整備したり、壁面に透明のアクリル板を設けたりすることで海への眺望を確保する案を住民に示している。〉

記事は、間に立つ気仙沼市も対応に苦慮していると続けます。内湾の防潮堤計画は県の事業として行われるからです。余裕高(1メートル)分を下げる案や、住宅のない一部地区を無堤化する案を県に投げ掛けているものの、県は難色を示しているといいます。そして最後に気仙沼市幹部の言葉を紹介しています。

「柔軟性を持って議論しないと、まとまるものもまとまらない。われわれは合意を形成しようと頭を悩ませているので、県は少なくとも市の案ぐらいまでは譲歩してほしい。住民にも市から話をして合意点を探りたい」

記事の紹介は以上です。まさに〈暗礁に乗り上げている〉とか〈足踏み状態〉ということなのでしょうが、私は県の姿勢があまりにもかたくなであるように感じます。そして、県の提案に対して魚町や南町の多くの人が〈壁面に透明のアクリル板を設けてどうすんのっさ〉と感じているのではないでしょうか。

7月22日ブログ「防潮堤高引き下げへ」(市の要請内容)
8月9日ブログ「県知事の強硬姿勢」

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気仙沼の出船送り

今日8月20日は、大型サンマ船の漁の解禁日だそうです。この日の漁場を目指して気仙沼を出港するサンマ漁船を見送る「出船おくり」が17日(土)に行われました。この出船送りを率先して行ってきた〈気仙沼つばき会〉の方々をはじめ約1千人が、各船の大漁を祈りながら見送ったそうです。この様子を伝えるANN(テレビ朝日系列)とFNNローカル(フジテレビ系列)ニュース映像がYouTubeで公開されていました。





河北新報はつぎのように報じています。

「大勢の水産関係者や観光客が駆け付け、航海安全や大漁を願う「福来旗(ふらいき)」を振って11隻(朝日新聞とFNNでは10隻)のサンマ漁船の出港を見送った。勇壮な太鼓の演奏や大漁うたい込みを披露するグループもあり、会場を盛り上げた。サンマ漁船の出船送りは以前、乗組員の家族らによるささやかな行事だったが、市内の女性グループ「つばき会」が2010年に一斉出漁を見送るスタイルに改めた。」

YouTubeには〈気仙沼つばき会〉による映像もアップされていましたので、これもご覧ください。2012年11月の投稿で約7分の映像です。



大漁唄い込みや太鼓のうちばやし。大漁と安全な航海を祈願して出船を見送る人の表情。気仙沼らしさを感じさせるとても良い風景だと感じました。いよいよ気仙沼のサンマの季節が始まりましたね。各船の大漁を祈っております。

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友を偲ぶ会の報告

8月17日(土)は、気仙沼プラザホテルで「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」が開催されました。100名近い出席者だったそうです。会場には武山美加さんの筆になる「友偲」の文字。二人をはじめとする〈友を偲ぶ〉という会の趣旨を表しているのでしょう。

友偲
同級生の書家 武山美加さん(号 櫻子)の揮毫による〈友偲〉

菊田裕美君が会の様子を伝えてくれました。

「吉田久雄君と武山美加さんの司会で、実行委員長臼井真人君の挨拶のあと、献杯は熊本の阿蘇から参加した畠山誠太郎君が行いました。その後、亡くなられた方々の思い出の写真をスライドで映し出しながら、小松亀一君が小山隆市君を、平塚一信君が阿部健樹君を、そして続いて?越宏一君が及川保規君、加藤(渡辺)喜代子さんが鷺(庄司)良子さん、澤井充君が名村信夫君、斉藤(広沢)高志君が秋月幸夫君、小野寺(萩原)実木枝さんが尾下(小野寺)律子さんをと、それぞれが思い出を話してくれました。そして気高22回生を代表して熊谷雅裕君も話をしてくれました。仙台から参加した小山達朗君は、10月25日の仙台の同年会について説明、続いて東京からの人とリクエストがありましたので、気中20のブログなどについて私が話をしました。 」

佐藤淑子さん(3年11組)も、メッセージとともに冒頭に紹介した「友偲」などの写真を送ってくれました。

実行委員長挨拶
実行委員長 臼井真人君の挨拶
校歌
これから校歌斉唱。平和の象徴、波安の〜

「お久しぶりです。今日は同年生を偲ぶ会でした。アルバムから取り込んだ写真の数々をスクリーンで見ながら、お一人お一人のことを偲んで親しかった方からスピーチして頂きました。おかげさまで立派に(ちょっとフライングもあったけど)校歌歌いましたよ。写真は、実行委員長の挨拶・美加ちゃんの書いた「友偲」・校歌を歌っているところの3枚。」

吉田(岩渕)恵子さんも、われらが3年8組の写真を送ってくれました。

3年8組
3年8組の面々。前列左端が高史君

「私たち8組はこの6名が参加。辰悦君、雄三君、広沢君、山口君、中里さん、私です。学年全部で97名ということで大変にぎやかです。みんなからも小田君に宜しくとのことです。次は絶対来てね (^^)v 」

震災後、3年8組では昨年6月に秋月幸夫君を失っています。高史君が思い出を語ってくれたとのこと。皆で偲ぶことができて本当によかったと思います。関係者の皆様、いつもいろいろなお世話ありがとうございます。

つぎの集まりは、いつどんな形でやるのかわかりませんが、またみんなに会いたいです。次は絶対行くからね。 (^^)v

2012年7月2日ブログ「秋月幸夫君の訃報」

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気仙沼中学校校歌

あした8月17日(土)は、気仙沼中学20回生を中心とした「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」。おふたりの名前が掲げられてはいるものの、震災後に亡くなられた同年生を皆で偲ぶ会となることでしょう。私は残念ながら東京にいて参加できないのですが、よい会になればと思っております。

気中 卒業アルバム
第20回生卒業記念アルバム(昭和42/1967年3月発行)より(クリックで拡大)

気中の同年会ではいつも最後に校歌をうたっていました。今回がどのような式次第になっているかわかりませんが、その歌詞を以下に記しておきましょう。「へ・い・わの〜しるし な・み・や〜すの〜」と元気に歌い始めるものの、二番、三番となると、〈オラ、ワガンネモノ〉と声が小さくなっていく人もいるもので、念のため。

気仙沼中学校校歌
 上坂酉三 作詞 山田耕筰 作曲

  平和の象徴(しるし)波安の
  山影うつす鼎浦(かなえうら)
  生(いのち)の芽生え育みて
  あたらしき時代(よ)の礎と
  理想かざしてみがきあう(おう)
  学びの園ぞ わが母校

  五つの信条(おしえ)いただきつ
  磯うつ濤(なみ)に心練る
  浜見が丘の高楼(たかどの)に
  天翔る(あまかける)意気たぎらせて
  若き瞳の励みあう(おう)
  学びの園ぞ わが母校

  文化の潮(うしお)東西の
  一つに融けん海の郷(さと)
  世代も同じ若人が
  うるわしき社会(よ)を創らんと
  愛と光に和みあう(おう)
  学びの園ぞ わが母校

〈あう(おう)〉としたところは、〈おお〉と歌ってください。わかっているとは思いますが(笑)。それではみなさん、大きな声で歌いましょう。

6月14日ブログ「同級生を偲ぶ会」

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気仙沼の8月15日

きょうは終戦記念日。お盆ということもあり、気仙沼の人にとっては、震災前にも増して、いろいろな思いがこもった一日になるでしょう。

2011年6月のブログに、同月23日の沖縄戦終結の日や3月10日の東京大空襲、そして1993年7月の奥尻島の被害について、「記憶の風化」という見出しで記事を書きました。そこに、震災前の8月15日に気仙沼の南町で見た風景についてのつぎのような一文を記しています。

「4~5年前の8月15日、気仙沼でいまでも忘れられない光景に出会いました。紫さんをのぼって気仙沼小学校側から墓地に入り、亡くなった門馬亨君(3年11組)のお墓に線香をあげたあと、青龍寺の下に抜けました。ちょうどその時、正午のサイレンがなったのです。すると、うなぎの扇屋さんの前を歩いていた人が立ち止まり、帽子を腕にはさんで黙祷したのです。その先、石川写真館の前でも同じように頭をたれている人がいます。そしてそれをみた私も、あわてて黙祷したのです。

間違いなくあの人たちは深く祈っていた。

毎日はむずかしいと思う。ただ、しかるべきときに思いをいたし、深く祈る。タニンゴトとしてではなく。そうありたいと思います」

本日15日の正午、あの時と同じく気仙沼の多くの人が、さまざまな思いを込めてこうべをたれることでしょう。私も。

2011年6月25日ブログ「記憶の風化」

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My橋幸夫メモリ−

NHKドラマ〈あまちゃん〉。今週月曜12日の若き日の橋幸夫さんの登場には驚きました。橋さんが登場すると聞いてはいましたが、こうしたストーリーとは思いませんでした。若き日の橋さんのステージのバックバンドでギターを弾いていたのは、〈あまちゃん〉の音楽を担当している大友良英さんでしたね。芸が細かい。ということで、本日は私の〈橋幸夫メモリー〉。とはいうものの、私の思い出の曲はドラマで歌われた〈いつでも夢を〉ではなくて〈僕等はみんな恋人さ〉。


http://nishim.blog.ocn.ne.jp/sixty/cat10233671/ から拝借
(このブログは懐かしい画像が満載です)


私が気仙沼中学2年生の冬、学校市長選挙がありました。気中(けちゅう)以外の人に説明しておくと、生徒会が〈学校市〉で生徒会長が〈市長〉です。私はその〈市長選挙〉に立候補したというか、させられたのです。校舎内を巡り廊下での〈立会演説会〉をしたり、体育館で全校生徒約1200人を前にしての演説会も行いました。

私はその全校演説会で、3つの公約を説明しました。〈ベルマークを集めてブラスバンドをつくろう〉とかね。そして最後にこう語ったのです。
〈みんな仲良くやっていきましょう。橋幸夫も歌っているではありませんか。僕等はみんな恋人さ〉そして、この演説の〈橋幸夫効果〉か、めでたく当選。この後のことは一昨年のブログにも書いたので、以下に再録。

〈当選後、当時の気仙沼のローカル紙『宮城タイムス』の1面下コラムで「伝統ある気中の学校市長選で、流行歌の一節を絶叫して当選した生徒がいる」と書かれました。その日の朝、校長に呼ばれて「なにかの誤解だから、気にするな」となぐさめられました。私たちが中学2年生、44年ぐらい前のころの話です〉

ドラマ〈あまちゃん〉中の北三陸〈橋幸夫歌謡ショー〉は、1964(昭和39)年のこと。〈夏ばっぱ〉天野夏19歳、橋幸夫20歳。歌謡ショーの画面は寒い季節とは見えませんでしたので、私が気仙沼中学校の1年生、12歳ごろの設定ということになります。ドラマ中で歌われる〈いつでも夢を〉は1962年9月発売とのことですから、当時のヒット曲というのはずいぶん長い間うたわれたのですね。

そして〈僕等はみんな恋人さ〉は、1965年発売とのことなのですがどうしても曲が思い出せない。頭に浮かんでくるのは〈ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ〉。私の脳内メモリーでは宮城まり子さんの〈手のひらに太陽を〉が上書きされてしまったようです。還暦を過ぎたとはいえ、困ったものです(笑)。

2011年9月8日ブログ「僕らは恋人?」

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絵本原画展の紹介

7月13日の気仙沼高校関東同窓会で後輩のひとりから声をかけられました。吉田貴幸さん。気高57回生とのことですから、私たちよりも35年下。26〜27歳でしょう。

そして吉田さんは〈8月14日から気仙沼で行う米倉健史さんという方の絵本原画展の開催を手伝っており、気中20のブログで紹介してもらえないか〉というのです。数日後、つぎの展示会内容を送ってくれました。

米倉さん展示会
展示会リーフレットの一部イメージ

・キルティングアーティスト
 米倉健史 絵本原画展
・8月14日(水)〜16日(金)
・午前11時〜午後6時
・会場:南町CADOCCO(カドッコ)

以下は吉田さんの紹介文です。

「キルティングアートとは、500色以上に手染めされた布を縫い合わせて一枚の絵にした作品です。絵具などを使用せずに、布の質感がとても暖かい作品となっております。今回は、キルティングアートの創始者の米倉建史さんを南町の「かどっこ」に迎えて、彼の作品の一つでもある“絵本の原画展”を行います。ただ、原画展と言っても、来場者との一対一の交流を主目的として、米倉さんと来場者との会話などを通し、交流を生む場を作ることを考えております。米倉建史さんとは、一緒に企画を進めている者を通じて今回知り合うことができました。

米倉さんは、デザイナー、カメラマンというキャリアを経てキルティングアートを創作し、30年以上作品を作り続けている方です。御年72歳です。全国で展示会等の活動を続けていましたが、東北だけはきっかけがなく今まで足を運んでいなかったとのこと、震災からの復興支援として何かできることを模索されていたことから、今回の企画を提案し実行することととなりました。

油絵や水彩からとはまた違うとても優しく暖かみのある絵ですので、来場した方には穏やかな作品の世界観を楽しんで頂ければと考えております。特に若い世代には、米倉建史さんと交流することで、作家としての生き方や大切にしていること、今の道にたどり着いたいきさつを知り、その在り方から、大袈裟な表現ですが、何かしら生き方の一つのヒントとなる時間になればと考えております。子供から大人まで全年齢層に楽しめる作品ですので、多くの方に来場してもらえればと 」

自分が内容をよく知らない催しの紹介はあまりしていないのですが、吉田さんのこの展示会の開催にかける熱意を感じたもので紹介させていただきました。

吉田さんのメールに、開催にあたっては会場の〈南町CADOCCO〉を運営する南町・柏崎青年会の皆様に協力を頂いていると記してありました。港まつり(今、変換ミスで〈皆と祭〉となりました。言い得て妙)もそうですが、気仙沼での多くのイベントが、ボランティアの方々をはじめ様々な人の協力を得て開催されています。あらためてお礼申し上げます。

3日間の期間中、米倉健史さんはもちろんのこと吉田さんも会場にいらっしゃるとのことです。ぜひ声をかけてみてください。

米倉健史さんのホームページ

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みなとまつり終了

気仙沼のみなとまつりが終わりました。私はといえば、10日(土)の午後は〈けせんぬまさいがいエフエム〉(気仙沼災害FM)の生放送特番〈ラジオではまらいんや!〉をパソコンで聴いておりました。東京にいながらもちょっとだけ〈みなとまつり〉。

港まつり
8月11日三陸新報のイメージ

三陸新報配信記事

8日のブログに書いたとおり、災害FMには、私の港まつりの思い出とリクエスト曲を投稿しました。つぎのような内容です。

けせんぬまさいがいエフエム様

私はいま61歳。小中学生だったころの港まつりは、本当に華やかでした。気仙沼の景気が今とは比べようもないほどに良かったのでしょう。水産関係の会社や漁協、銀行、婦人会など様々な団体の趣向をこらした山車(だし)がつぎからつぎへと私たちの前を通り過ぎていきました。そして、その当時はなんとも思っていなかったのですが、50年近くたった今になって懐かしく、そして得がたく思われるのが太鼓の音。10数人ほどの小中生らがトラック後方の木の枠に取り付けられた太鼓を、笛の音に合わせてたたきながら進んでいきます。気仙沼の各地域伝統の太鼓として、それが何組も続きました。

震災の年の9月18日、東京の「目黒のさんま祭」に気仙沼出身の同級生らと連れだって行きました。そこでアトラクションとして行われた気仙沼の虎舞と太鼓学舎「ね」の演奏。そのからだに響いてくるような太鼓の音を聴いたとたん、気仙沼の港まつりの当時の記憶がよみがえってきました。不思議なものですね。はずかしいので人には言いませんでしたが、思わずグッときてしまったのです。

もうひとつの思い出は港まつりの花火の音。高校生のころだったでしょうか、祭の夜に父や母との夕食を終えたころ、外から「ドーン、ドーン」と花火の音が聞こえてきます。「花火が始まったね。見てくるかな」と私。そして「たまには花火でも見にいったら」と父にも勧めるのですが、いつもと同じく「行かない」といいます。その理由は「戦争の記憶」。打ち上げ花火の音を聴くと、戦地での大砲の音を思い出すからいやだというのです。
震災後は、夏の花火に込められた鎮魂の意味が語られることが多くなりました。そうした話に触れたときに必ず思い出すのが、この父が語った大砲の音の記憶なのです。

今年も港まつりの日に気仙沼に帰ることはできませんが、東京にいて、そんなこんな、自分がまだ小さかったころの港まつりを思い出しながら、ひとときを過ごせればと思っております。

吉田拓郎さんの「祭りのあと」をリクエストします。
「祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら」というタクローの歌い出しを聴くだけで、一気に高校生! 還暦を過ぎたせいか、〈祭の楽しさ〉よりも〈祭のあとのさびしさ〉にしみじみとしたものを感じるようになりました。「もう怨むまい、もう怨むのはよそう 今宵の酒に酔いしれて」と繰り返されるエンディングも泣かせます。

以上が投稿内容。10日の午前10時からの生放送〈GoodDay気仙沼〉でパーソナリティの横田真美子さんが紹介してくれました。私は12時からの再放送で聴きましたが照れくさいもんですね。

そしてきのうも、ネットで気楽会のテキスト中継〈気仙沼の夏休み〉をながめながら過ごしました。3年ぶりに海岸で行われた〈うちばやし競演〉には26団体750名の参加があったそうです。帰省した妻からの午後7時頃の電話からは太鼓の音が聞こえてきました。〈スマホ中継〉(笑)。

酷暑の東京でしたが、いつになく気仙沼のまつりを楽しんだ二日間でした。

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県知事の強硬姿勢

8月6日、気仙沼の内湾地区防潮堤計画について、市民と村井知事との意見交換会が気仙沼市役所で開かれました。気仙沼市からは内湾地区の関係者や「防潮堤を勉強する会」の発起人ら約50人が出席。非公開でしたが、三陸新報はつぎのように報じています。

意見交換会
三陸新報8月8日付け記事の一部イメージ

8月8日三陸新報デジタル版(無料「立ち読み」可能)

防潮堤を勉強する会が提出した質問のひとつである〈地域が合意したと判断する根拠〉について県側は、「地域の総意で了解したところを「合意形成」と判断するものの、個人的に反対しているケースもあり、最終的には知事の判断で決める」とし、建設用地の強制執行の可能性も否定しなかったといいます。

魚町・南町の内湾地区防潮堤(計画高5.2m)について村井知事は、国の指針に基づいて高さを決めており、気仙沼市が要請している余裕高(1m)の引き下げには応じられず、海中に設置する浮上式防潮堤は実験段階であることを理由に「私の目が黒いうちは絶対に採用しない」と完全否定したそうです。

知事は、会の終了後にあらためて「年内に合意形成できるように努め、国に計画を提出したい。県全体の計画であり、この地域だけ後回しにはできない」との方針を示しました。

三陸新報は最後に、気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭のコメントを紹介しています。
「震災前よりも素晴らしい内湾を夢見ているのに、防潮堤ありきの知事の姿勢にガッカリした。知事は堤防がなければまちづくりができないと言っているが、私たちは堤防があるとまちづくりができないと考えている。完全に食い違っている」

いやあ驚いた。なんで村井知事はここまで強硬なんだろう。内湾地区に限らず、「防潮堤を勉強する会」の活動は、いたずらに反対運動に片寄ることのないよう配慮されていたと思います。そうした丁寧な議論のうえでの意見交換会だったわけですが、こうした知事のかたくなな姿勢に対しては大きく防潮堤反対の声をあげていくのではないでしょうか。3時間にわたったこの意見交換会は市民の知事に対する失望と対決姿勢を強めたように感じます。

「オレの目の黒いうちは絶対に」といって防潮堤に反対する声が大きくなったら、県はいったいどうするつもりなのでしょうか。

7月22日ブログ「防潮堤高引き下げへ」
河北新報8月7日配信記事

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気仙沼の夏まつり

8月10日11日の2日間は〈気仙沼みなとまつり〉。私は気仙沼に行くことができませんが、東京にいてもインターネットでその様子を知ることができます。当日はつぎの2つの方法で楽しもうと思っています。

◎けせんぬまさいがいエフエム

気仙沼災害FM
「けせんぬまさいがいエフエム」HPトップページから

ひとつめは「けせんぬまさいがいエフエム」(気仙沼災害FM)です。8月10日(土)の午後2時から5時まで、つまり〈はまらいんや踊り〉が始まる前まで田中前にサテライトスタジオを設け、松岩のスタジオと街頭を結ぶ3元中継での生放送を行うとのこと。

〈けせんぬまさいがいエフエム〉は、気仙沼では77.5MHzでのFM放送ですが、インターネットでも聴くことができます。同局HPのトップページ上の「Simul Radio(サイマルラジオ)」をクリックして、各局表示のなかの〈けせんぬまさいがいエフエム〉の「放送を聴く」をクリックすればOK。私のMACでは「Flip4Mac」というプラグインが必要でしたがちゃんと設定できて聴けています。

〈けせんぬまさいがいエフエム〉HP

スマートフォンの場合には、「TuneIn Radio」(チューンインラジオ)という無料アプリをダウンロードして〈けせんぬまさいがいエフエム〉を選局すれば聴くことができます。ただ、私のiPhone5ではエラーが出てうまくいきませんでした。なにか問題があるようで後で調べてみます。

◎気仙沼の夏休み

もうひとつは〈気仙沼の夏休み〉プロジェクト。気仙沼〈気楽会の観光案内課〉が主催、〈3月11日からのヒカリプロジェクト〉の協力で行われるこの企画は、みなとまつりをはじめ、気仙沼の夏の様子をみんなの携帯やスマホで撮影した写真と言葉でレポートする〈テキスト中継〉です。

期間:8月9日(金)15:00〜8月11日(日)21:00
メール送付先:kesennuma.summer2013@gmail.com

期間中のテキスト中継や詳細内容は「気仙沼の夏休み」プロジェクトサイトをご覧ください。

今週の土日、私はこうしてネットでの〈脳内みなとまつり〉を楽しみます。けせんぬま災害エフエムにリクエストや投稿もしてみようかな。高校生気分で(笑)。

7月31日ブログ「みなとまつり催事」

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ウナギよりアナゴ

紹介するのが大変遅くなりましたが、先月25日に大島〈宮古屋〉熊谷雅裕君からメールが届きました。

「〈ウナギよりもハモ〉のブログ記事をみました。この辺でハモと言っているのはアナゴのことですよ。だから骨切りをせずに蒲焼きにするのです。筒を海に仕掛けて獲ります」

そうだったのか。あれはアナゴ(穴子)だったのか。私もちょっと変だなとは思っていたのです。ハモ料理では骨切りが必要となりますが、私の記憶では食べた蒲焼きに切った骨のなごりなどもありませんでした。ただふっくらとした美味しさだけ。

さかな風土記
『三陸のさかな風土記』表紙(三陸新報社1985年刊)

そこで取り出したのが斉藤民夫さんの著書『三陸のさかな風土記』(三陸新報社刊)。この本では四季別にさまざまな魚が紹介されているのですが、夏の章に「アナゴ」がありました。そしてその〈地方名〉として、たしかに「ハモ、ハム」との記述。説明文を一部紹介します。

〈ウナギ目には、ウナギ科、ハモ科、アナゴ科と区別されていますが、当地方ではアナゴも、ハモも、ハムも、余り気にせず呼んでいます。(中略)夏の夜のハモ釣りは遊漁のたのしみの一つ。プロはネズミ取りと同じ要領で、竹や合成樹脂の筒やカゴを使います。餌はイワシなどのすり身を中に入れて、夜、海底に沈め、翌朝引きあげます〉

斉藤さんのいう〈ハモ釣り〉は〈アナゴ釣り〉ということなのでしょう。ちょっと曖昧な感じもありますが、私が小さなころに食べたのはハモではなくてアナゴで間違いはないでしょう。50年近く誤解していたことになります。しかしあの美味しさの記憶に誤りはありません。今日からは、〈ウナギよりハモ〉ではなく〈ウナギよりアナゴ〉ということで、あらためてよろしく。

斉藤さんの文章はつぎのように続いています。〈 「ハモも一期、エビも一期」のたとえがありますが、これは「貴賤賢愚の別はあっても、人の一生はたいてい同じ」とのこと。長いものも、曲がったものも、みんな一度は「さようなら」ということでしょうか 〉

その斉藤さんは、2010年6月に亡くなられました。気仙沼市議を4期、副議長もつとめ、気仙沼の水産業振興に大変貢献された方でした。享年82歳。

7月23日ブログ「ウナギよりもハモ」

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揺れる「防潮堤」

先日の日曜日8月4日の午前11時過ぎ、TBS〈サンデージャポン〉からテレビ朝日〈報道ステーションSUNDAY〉にチャンネルをかえたら、気仙沼の唐桑・舞根(もうね)の畠山信さんが森というか林のなかで長野智子キャスターからインタビューを受けていました。あわてて録画。特集「賛否に揺れる〈防潮堤〉」の中の〈もう防潮堤はいらない!街が計画撤回した理由〉。

テレビ朝日防潮堤
8月4日テレビ朝日〈報道ステーションSUNDAY〉

以下は、録画した内容から小田が発言を書き起こしたものです。

(畠山信さん/NPO法人「森は海の恋人」副理事長)一番重要なのは腐葉土ですね。落葉樹林帯というのは、一年に一度葉っぱがドサッと落ちますので、それが何層にも重なって、発酵するというか腐っていくわけですけれども、その層を通った水というものが非常に海の食物であるプランクトンを育てるには重要な役割を担っていると…。森は森だけとか、海は海だけっていう切り離した考えというものは、もう、自然の中にはないですので、「流域」という海から山までひとつの単位になる…。

(ナレーション)海と山はつながった一つの環境のなかで息づく。それをさえぎる防潮堤はそのあり方を十分議論する必要があると語る畠山さんに、防潮堤問題はどううつっているのか。

(畠山)全部の防潮堤がいらないと言っているわけではなくて、必要な場所にはつくる、不要だと思える場所にはつくらないという、そういう選択の幅が、いま住民には与えられてないので、住民の意向がそこに反映されないのはいかがなものかなあと思いますが、一方で、住民の中でもそれを自分たちでまとめようという、そういう輪ができないというところにも問題があると思いますね。(長野智子さん/メインキャスター)必要か必要でないかを決めるのはまず住民の意思であると。(畠山)もちろんです。(長野)そのためには、住民同士でまず意見をまとめなければいけないと。(畠山)それが一番の近道でありますし、みんなが納得いく形、角がたたない形だと思いますね。
(ナレーション)復興の足かせのひとつとも言われる防潮堤問題。それは今、大きな転換期を迎えている。

以上がビデオ取材内容で、以下はスタジオでの4名の発言要旨です。

(長野)奥尻島の田中副町長は「復興というものにはゆっくりやるべき事と急いでやるべき事の両方がある。急いでやるべき事は衣食住や町並み、ゆっくりやるべき事は一次産業を考えた防潮堤を含めた復興もあるんです」と語っています。田中副町長は「ゆっくり考えなかったことの反省」、それを東北の人に教えてあげたいとおっしゃっていました。
(後藤謙次さん/コメンテーター、政治ジャーナリスト)相馬の防潮堤林計画の紹介など。
(星 浩さん/朝日新聞社特別編集委員)防潮堤があれば安心というところもあれば、いらないけど高台に移転しましょうとか、地域の人が議論して防災のあり方を決めていくといったやり方があって、国はどちらかといえば、それにアドバイスしていくという役割に徹底した方がいい。あんまり、国土強靱化でまたじゃぶじゃぶお金を出して、浜辺が全部コンクリートだらけになるっちゅうのもどうかという気がしますよね。
(長野)地域の方には、ばらばらに住まわれている方もいて、これをまとめるのもひとつの課題かなというふうに強く思いますしね。
(富川悠太さん/アナウンサー)その間に行政がやっちゃうというようなことがないようにして欲しいですよね。

以上で、番組はつぎの話題に移りました。

見られなかったところでどんな話があったのだろう。ネットで調べてみると、つぎのサイトに要旨が紹介されていました。資料ということで以下に引用しておきます。

テレビ情報サイト「TVでた蔵」

〈賛否に揺れる「防潮堤」 奥尻20年目の真実〉
「津波の被害を受けた奥尻島では14キロに渡って防潮堤が作られている。そしてこのような防潮堤が震災で被害をうけた東北にも建設されようとしているが賛否両論がでているということで特集をした。

宮城・気仙沼市の三陸復興国立公園では防潮堤の建設が予定されていた。約9.8メートルの高さの壁を約2キロの海岸線に渡って建設する予定でこのようなところが78か所あるといいそのうち56か所で住民の合意を得ているという。
村井嘉浩県知事は許された時間の範囲内でやるなどと述べており岩手県では約2810億円かけ64.8キロに渡って防潮堤の計画がされている。そして宮城県でも約5000億円、228.6キロに渡って計画されており、福島県もいれると約368キロの規模となり予算も未定の福島を除き7810億円となっていた。

防潮堤の計画は賛否両論あるというが同じ事が奥尻島でも起きていた。1993年に起きた津波で被害をうけ島では住人の流出を避けるため見舞金などを配布していた。しかし若者の都会への流出もあり4711人いた人口も2972人まで減っていた。そして防潮堤などの建設に770億円かかりそのうち島では158億円を負担したため財政を圧迫する事態となっていた。
防潮堤の建設で島では失うものも大きかった。高い壁のせいで景観が悪くなり、そしてウニなどが捕れ宝の島ともいわれた島だったが建設後に漁獲量が激減。防潮堤の影響で海に異変が起きていた。

防潮堤の建設以降漁獲量が激減したということで北海道大学・松永勝彦教授が海を調査した。海岸から100メートルのあたりには岩が真っ白になっており生物もほとんどいなくなっていた。松永教授は「磯焼け」が起きていると話し、ウニなどは海藻で育つため磯焼けがおきると育たないという。
原因を松永教授は「表面地下水」が流れていないためと分析。そしてその理由を防潮堤以外考えられないと話した。そこで表面地下水のことを詳しく解説した。海の生物に必要な栄養素を含んだ地下水のことで通常は山などから栄養を含んだ地下水が海に流れこむのだが防潮堤がせき止めてしまい海へ栄養分が流れなくなっているという。
こうした中、防潮堤計画を撤回させた町があった。気仙沼市舞根ではカキの生育が盛んなこともあり養殖業者の畠山信さんは生育にはプランクトンの育成が必要だといいそのためにも自然の流れが保たれている必要があると話した。そして防潮堤建設も不要な場所には造る必要がないと話したが住民にはその選択幅がないと語った。」


引用は以上です。最後の畠山信さんの発言が冒頭に紹介した書き起こし内容につながります。かなり力の入った特集ですね。スタジオでの話などを聞いていると〈ちょっと違うな〉と思う部分もあったりするのです。たとえば〈浜辺が全部コンクリートだらけになるっちゅうのもどうかという気がしますよね〉の〈浜辺〉っちゅうのが気になったりね。ま、細かいことなのですが。

〈サンジャポ〉のバカ話を見て笑っていずに、もっと早くから見てればよかった。と反省した日曜日の午前11時半(笑)。

2012年6月27日ブログ「舞根の防潮堤計画」

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仲町の七夕まつり

先日のブログでも紹介した気仙沼みなとまつり。震災前には、みなとまつりの協賛行事として仲町の七夕まつりが行われていました。本日紹介する写真もその時のもの。

コヤマ七夕
三陸新報2005年4月2日付けの記事イメージ(クリックで拡大)

これは私のスクラップ、2005年4月2日付けの三陸新報。気仙沼人「活き粋」写真展という連載記事の47回目です。真ん中が同級生 小山隆市君、左がその長男裕隆さん、右が次男の貴史さんです。

私自身が仲町の七夕まつりに行ったのは、もう20年以上前のことになるかもしれません。帰省するお盆休みの前に行われるのでなかなか見ることができませんでした。調べてみると、正式には「仲町・漁の七夕祭り」。2002年には第39回として開催されていますから、ずいぶんと回を重ねてきたのですね。仲町大通り会が中心となって開催されてきましたが、そのお世話役が隆市君でした。

2011年の震災の大津波で仲町は壊滅的な被害を受けました。同地区の復興のめどはまだたっていないといってよいでしょう。そして隆市君のコヤマ菓子店は2011年の8月に市内の田中前で店を再開することができました。ほかの店の多くも仮設店舗などでの営業再開を果たしたようですが、なかには被災によって廃業したところもあるようです。

しかしコヤマ菓子店再開から5カ月経った今年1月14日、隆市君は惜しくも亡くなりました。その死を知った同級生の多くがあの大震災さえなければなと思ったことでしょう。生きていれば、いつの日か復興をとげた新・仲町商店街できっと七夕まつりをやっていたに違いないのです。

裕隆さんが継いだコヤマ菓子店。昨日でちょうど2年経ち、本日5日から3年目の営業が始まったということです。隆ちゃんがいないのが残念だけれど、コヤマ再開2周年、本当におめでとう。これからもいろいろと大変だとは思いますが、頑張って。かげながら応援しています。

2011年8月5日ブログ「隆市君からの御礼」

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朝日のオピニオン

7月30日の朝日新聞朝刊のオピニオン面「耕論」に大きな見出し。〈防潮堤から見える風景〉。〈まるで要塞のような巨大防潮堤の建設工事が、津波に襲われた東北沿岸の各地で始まっている。しかし、海とともに生きる人々には抵抗感も根強い。それでも進む巨大プロジェクトで何が得られ、何を失うのか。これでいいのか〉というリード文の左右に、NPO法人「森は海の恋人」理事 田中克(まさる)さんと、NPO「立ち上がるぞ! 宮古市田老」理事長 大棒(だいぼう)秀一さんの意見が紹介されています。

朝日防潮堤
朝日新聞7月30日朝刊記事のイメージ(一部)クリックで拡大

気仙沼市の防潮堤問題を語る田中さんは、1943年生まれで国際高等研究所チーフリサーチフェロー、京都大学名誉教授。森から海までの多様なつながりを研究する「森里海連環学」を2003年に提唱したと紹介されています。

田中さんの意見の一部を以下に引用します。

〈「防潮堤はいらない」と決めた地区が、宮城県気仙沼市にあります。カキ漁師らの植林運動で知られるNPO法人「森は海の恋人」が拠点とする舞根地区です。(中略)ただ、これは極めて珍しい例外です。いま東北では、人が住む浜という浜で続々と、巨大防潮堤の工事が始まりつつあります。(中略)宮城県の意向を受けた市は昨夏、各地で住民に「高さは国が決めたもので変更できない」「つくらないと後背地の開発はできない」「2015年度末までの時限予算なので話し合う時間はない」という趣旨の説明をしました。問答無用という感じで、多くの住民が無力感に襲われたのです。(中略)海辺に暮らし、津波で大きな被害を受け、それでも海ととともに生きていこうと決めた人たちがいます。その当事者の判断、経験をこそ、大切にしてほしい。いま問われているのは、足元の民主主義が本物かどうかだと思います。〉

引用は以上です。
お二人の意見は朝日新聞朝日新聞デジタル版の配信記事で全文をご覧いただけます(無料会員登録が必要です)。

朝日新聞デジタル版記事

なお、このサイトにも全文が引用されています。ご参考まで。

新聞紙面の4分の3をさいてのこの大きな記事。朝日新聞のオピニオン/意見は〈国の巨大防潮堤計画に大きな疑問あり〉とみてよいでしょう。

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またも防潮堤の話

明日8月2日の夜、NHKテレビで防潮堤問題を取り上げた番組が放送されます。仙台放送局のローカル番組なので東京では見られませんが、気仙沼をはじめ宮城県の人は是非ご覧ください。

サンドイッチマン
「東北Z」番組サイト画面イメージ

● 東北Z「サンドウィッチマンのどうなってる?防潮堤」
● 2013年8月2日(金)午後8:00~8:43
● NHK総合テレビ(宮城ローカル)
(再放送/8月13日(火)午前10:30~11:13)

「東北Z」番組サイト

番組サイトの紹介文を以下に。

〈 次の大きな津波に備えて、今、全国各地で巨大な防潮堤の建設が始まっている。その計画は壮大で、岩手・宮城・福島の東北三県だけでも総延長約360㎞、総工費8000億円におよび、防潮堤の高さは最大15mに達する。
この巨大防潮堤計画をめぐって激しい議論が起こっている。これで命を守ることはできるのか? 景観や生態系を壊すことにならないのか? 国の財政は莫大な建設費と維持費をまかなえるのか? 番組では、複雑なこの問題を司会のサンドウィッチマンと徹底的に解きほぐして考え、防潮堤と復興後の町のあるべき姿を探る 〉

もうひとつ、防潮堤問題についての催しを紹介します。7月13日に仙台の東北学院大学で行われた「防潮堤を再考するシンポジウム」に関するニュースの中で〈来月には東京で開催〉と紹介されていたのがこれでしょう。残念ながら私は参加できませんが、都合がつく方は是非に。

●「 三陸の未来を語ろう 〜防潮堤問題から日本の未来を考える〜」
● 8月4日(日)12:30〜17:00
● 東京海洋大学 品川キャンパス 楽水会館
● 参加費:500円
● 主催:一般社団法人環境復興機構

詳細内容や参加申込みは下記のfacebookサイトから(プログラム内容中の「もっと見る」をクリックすると詳細を見られます)。

三陸の未来を語ろうfacebookサイト

明日は7月30日の朝日新聞の記事を紹介します。またまた防潮堤の話で恐縮です(笑)。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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