小沢昭一的こころ
10日(月)、俳優の小沢昭一さんが10日に亡くなりました。83歳。
小沢さんと聞くと、私はすぐにTBSラジオの人気番組「小沢昭一的こころ」を思い出します。仙台で2浪していたときのことです。夕方になると、あの軽妙なオープニングの音楽とともに小沢さんのおしゃべりが始まりました。
当時は、同級生の佐々木徹君(3年1組)のお父さんが仙台に単身赴任しており、そのお宅の一室を借りておりました。あまり勉強もせず、本を読んだり映画を見たりという生活。自分の将来に大きな不安を感じていました。いったい自分はどうなっていくんだろう。そんな気持ちをかかえながら、6時ごろに番組を聴き終えて夕食の準備でもしたのでしょう。
私は、仙台で長くこの番組を聴いていたように思っていたのですが、ネットで調べてみると、番組が始まったのは1973年(昭和48年)の1月8日。案外みじかかった。その数か月前には志望校を美大に変更していました。
聴取期間は短くとも、記憶はしっかりとしています。そして、その記憶とセットになって思い出される情景があります。6畳の自室の様子、徹君のお父さんが丹前を着てくつろぐ姿。そして同時に、浪人生だった自分がかかえていた大きな不安も。
しかし今は、そんなすべてを懐かしく思い出すことができます。40年も経ったのですね。
小沢さんと聞くと、私はすぐにTBSラジオの人気番組「小沢昭一的こころ」を思い出します。仙台で2浪していたときのことです。夕方になると、あの軽妙なオープニングの音楽とともに小沢さんのおしゃべりが始まりました。
当時は、同級生の佐々木徹君(3年1組)のお父さんが仙台に単身赴任しており、そのお宅の一室を借りておりました。あまり勉強もせず、本を読んだり映画を見たりという生活。自分の将来に大きな不安を感じていました。いったい自分はどうなっていくんだろう。そんな気持ちをかかえながら、6時ごろに番組を聴き終えて夕食の準備でもしたのでしょう。
私は、仙台で長くこの番組を聴いていたように思っていたのですが、ネットで調べてみると、番組が始まったのは1973年(昭和48年)の1月8日。案外みじかかった。その数か月前には志望校を美大に変更していました。
聴取期間は短くとも、記憶はしっかりとしています。そして、その記憶とセットになって思い出される情景があります。6畳の自室の様子、徹君のお父さんが丹前を着てくつろぐ姿。そして同時に、浪人生だった自分がかかえていた大きな不安も。
しかし今は、そんなすべてを懐かしく思い出すことができます。40年も経ったのですね。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア