高すぎる堤防

今日は堤防の話です。ちょっと固め、コンクリート(笑)。なお、このブログでは「堤防」と「防潮堤」というふたつの言葉が混在していますが、本日は国や県の用語にしたがって「堤防」とします。

さて、5月25日の三陸新報に、震災で被災した堤防の復旧について、宮城県が概要を公表したとの記事。見出しには、〈最大は小泉 14.7メートル〉とありました。

ピクチャ 1 (クリックで拡大)
宮城県土木部河川課ホームページからの気仙沼関連地域の計画堤防高

http://www.pref.miyagi.jp/kasen/higashinihon_fukkyu/pdf_fukkyu/gaiyou__kaigan_teiboudaka.pdf

これまで堤防の高さなどについて、県からの情報発信は決して多くはありませんでした。新年度になって5月あたりから、地域住民に対して県と市の堤防計画の説明会などがなされるようになってきました。宮城県河川課ホームページでの計画概要の公表も、5月17日になされています。その中身は、そんなに新しい内容が含まれているようにも思えませんが、これまでは市の計画文書に〈参考資料〉として示されている形でしたから、一歩前進かもしれません。

しかし説明会に関する新聞記事を読んでいると、地域住民の理解を得るように努力するだろうけれど、意見を聴いて、その高さなどの計画を練り直すとはどうも思えないのです。

堤防の高さはどのような法律に基づいているのでしょうか。調べてみると、昨年11月に国土交通省と農林水産省による有識者検討委員会「海岸における津波対策検討委員会」の提言が示されています。これが、〈参考〉として被災各県に通知されたというわけです。この提言は、国会の議決を経た法律に基づいているわけではなく、あくまで関係省庁が定めた内容です。

国交省などは、これはあくまで参考ですよというのでしょう。しかし、地域住民の意見を受けて県が異なる計画にしようとすれば、相当のエネルギーがいることでしょう。

しかし不思議だ。以前、あれだけダムの建設に反対する声が高まったことがあったのに、この堤防の問題については静かなものです。市や県の役所や議会になにかを求めても難しい。やはり国会で議論してもらわなければいけないのでしょうね。国会で、気仙沼の堤防の高さを決めてくれと言ってるわけではありませんよ。有識者検討委員会の提言の実質的な拘束力をゆるめて欲しいのです。そうすれば、県や市の担当者も、単に計画を説明するだけでなく、地域住民の声をさらに真剣に聴きとってくれるように思うのですが。

いまの私には、昨年11月の「海岸における津波対策検討委員会」の提言が巨大な堤防のように思えてならないのです。
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大島ランフェスタ

気仙沼の大島で毎年おこなわれていた「気仙沼つばきマラソン」。昨年は震災によって開催をあきらめざるを得ませんでした。しかし今年は、関係者の努力によって「気仙沼大島ランフェスタ」として、先日の日曜日5月27日に開催され、無事終了しました。天気にも恵まれたようで、なによりでした。

県内外から集まったランナーは1200人。ボランティアの皆さんや支援関係者を含めると2000人以上がこの大会に参加したとのことです。

大会の様子を5月27日のTBSニュースが伝えていました。ネット配信もされていましたのでご紹介しましょう。取材を受けているのは、気仙沼出身の小山利英子さんです。

(配信終了)

小山さんは、魚町で育ち、現在は東京でIT関連の会社を経営。今月で創立20周年を迎えたといいます。そして、忙しい毎日を送りながら、さまざまな気仙沼復興支援の活動もしています。昨年10月に東京・恵比寿で開かれた〈気仙沼を元気にする会〉では実行委員長をつとめました。

海岸通りにあった小山さんの実家は津波で被災、すでに解体されて今はなにもありません。震災前であれば、実家のすぐ近くエースポートから船にのり、私もそして小山さんも大好きであろう、魚町海岸通りのまるでミニチュアのようにも見える風景をみながら大島に向かったでしょうに。そんなこんな、さまざまな思いをめぐらせながらのハーフマラソンだったに違いありません。

参加者そして関係者、ご支援を頂いた皆様、ありがとうございました。

気仙沼大島ランフェスタのホームページ

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牧恵さんの母上

先日のブログで川島秀一さんのことを書いているときに思い出したことがあります。3月のことだったでしょうか、五右衛門ヶ原の仮設住宅に入っている同級生、昆野牧恵さんに電話をしたら、〈昨日は、秀ちゃんのお母さんのお別れの会だった〉というのです。3月は、震災から一年たって、そうした会や式が多くありました。

〈秀ちゃん〉とは川島秀一さん。牧恵さんも小学校一年生までは、魚町にいましたから、秀一君のこともよく知っているのでしょう。

先週金曜日、菊田裕美君からメールが届きました。牧恵さんのお母さんが、今月19日に亡くなったというのです。三陸新報の訃報を見落としていたようです。まだ一週間。落ち着いていないだろうし、どうしようかなと迷いましたが、電話をしてみました。

牧恵さんの話では、お母様は1月末に大学病院に入院し、3月9日に市立病院へ転院。19日に亡くなったとのことです。告別式は5月23日に日本バプテスト教会にてとりおこなわれました。

牧恵さんとは気仙沼小学校1年8組の同級生でした。そのころの牧恵さんの実家〈昆東電気〉は魚町のカクダイさんの隣あたりにありました。そして1年生の途中、魚市場前に新しい店と自宅ができて引っ越したときには〈お呼ばれ〉して、ごちそうになったことを覚えています。お母様の道子さんがいろいろとつくってくださったのでしょう。

電話での牧恵さんは、やはりちょっと気落ちした様子。それでもいろいろと話をしてくれました。なんとか元気を取り戻してくれればと思います。
お母様は、享年93歳だったとのことです。ご冥福をお祈りいたします。

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がれき処理計画

5月24日に開会した宮城県議会に、気仙沼ブロックのがれき処理の業務委託が提案されています。実行には県議会での議決が必要ですが、新聞各紙の報道を総合して計画案を紹介しておきます。

処理業務を担当するのは、大成建設東北支店を代表とする10社からなる共同企業体(ジョイントベンチャー)です。県の公募に対する複数の企画提案から4月に選定されました。地元雇用の推進など地域経済への貢献策などが評価されたとのことです。

処理施設(2次仮置き場)は、階上地区の気仙沼向陽高グラウンドなど20.4ha(ヘクタール)と、小泉地区の農地など39.5ha。用地確保が難航し、2カ所での分散処理となったため、それぞれに2基ずつ焼却炉を設置します。借用する民有地は事業終了後に原状回復し返却されます。

作業最盛期の就労人数は1日約1000人に達するとのことですが、このうち最大640人を地元から優先雇用します。また売店や食堂などが入る地元連携プラザの開設や資材調達で地域振興に貢献するとしています。市内24カ所の1次仮置き場から、階上と小泉にがれきを輸送する必要がありますが、交通渋滞を避けるために、商工岸壁から階上への海上輸送も導入するとのことです。

処理量は約111万トンで、事業費は約484億円。財源は環境省の補助金や総務省の交付金などでまかなわれ、実質的に全額が国の負担となります。2014年2月までに作業を終える予定です。

がれきを全国の地域に輸送しておこなう広域処理がさまざまな議論を巻き起こしています。しかし、4月の復興フォーラム勉強会での菅原茂市長のお話では、気仙沼は他地域での処理をお願いしなくともこの2年間で処理が可能とのこと。宮城県内では、石巻ブロックのがれき量が突出して多いのです。

気仙沼の処理計画では、2カ所の処理施設から出る焼却灰やコンクリートくずを復興資材として活用するなど、リサイクル率95.8%達成を目指すとしています。なんとか〈がれきも資源〉の発想で、気仙沼の復興に役立つ処理がなされるよう願っています。

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安波山の植樹祭

明日の日曜日5月27日、気仙沼の安波山(あんばさん)で植樹祭が行われます。

安波山 (クリックで拡大)
震災前の安波山と魚町の風景。気仙沼プラザホテルHPより拝借。http://www.pkanyo.jp/

この植樹活動は安波山を四季折々の花が咲く山にしようと、官民一体の〈安波山お色直しプロジェクト〉として2000年に始まりました。昨年は震災で中止となりましたが、今年で10回目の開催となります。今年も、例年通り市と東北電力グループが主催し、支援団体なども苗木を寄贈して、オオヤマザクラやヤマツツジなど計96本を東側斜面に植えます。

そして今回は、このブログでもご紹介してきた建築家の石山修武さんらが構想する気仙沼「鎮魂の森」計画の第1弾となる植樹も、お色直しプロジェクトと連動して行われます。山頂付近から登山道沿いにシダレザクラやオオヤマザクラを各25本、斜面には二重のサークル状にサルスベリ100本を植える予定です。

東日本大震災の犠牲者を慰霊する〈鎮魂の森〉構想は、政府の震災復興構想会議委員でもあった建築家の安藤忠雄さんなどが提唱してきたもので、石山修武さんらが気仙沼での実現を支援し計画を進めています。気仙沼市も、国が被災地に配置を検討している「震災復興祈念公園」に安波山周辺が位置付けられるよう震災復興計画に盛り込んでいます。

1月12日ブログ「気仙沼「鎮魂の森」」

27日の植樹祭が無事に開催され、今後の〈鎮魂の森〉計画の良いスタートとなることを願っています。

早稲田大学の石山修武研究室のウェブサイト〈東北の計画〉に、5年後の森のイメージ図が掲載されていますので、ご覧ください。
石山修武研究室のウェブサイト〈東北の計画〉

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川島秀一さん2

昨日、川島秀一さんの著書『津波のまちに生きて』を紹介した後、ネットで周辺情報を調べていたら、東京新聞のサイトに4月21日付の川島さんの紹介記事がありました。
見出しは〈独特の自然観 丹念に 漁師たちの生活を調査 川島秀一さん(民俗学者)〉

サイト画面はこんな感じ。下のサイト名をクリックして是非ご覧ください。

川島君
東京新聞 TOKYO Webサイト「土曜訪問」4月21日配信

『漁撈伝承』『カツオ漁』などの著書を紹介した後にはこのように書かれています。
〈 そこで紹介されるのは、勇壮な漁師像でもなければ、資源・環境保護を訴える社会的メッセージでもない。過去から綿々と受け継がれてきた生業の細部や、時には迷信深く臆病ですらある漁師の日常を丹念に描くのが、川島民俗学の真骨頂だ 〉いいね!

この東京新聞の取材は3月末。記事はつぎのように続きます。
〈大震災で家族を失い、戻る家もなくなった。本や資料も流された。仕事ももうすぐ定年を迎える。何十年も歩いてきた三陸だが、思い悩んだ末、これを転機に気仙沼を去り、本年度から神奈川大の日本常民文化研究所への奉職を川島さんは決めた〉

日本常民文化研究所(常民研)は、渋沢敬三(渋沢栄一の孫)の私設博物館をルーツとする民俗学の歴史ある研究所。現在は、神奈川大学の付属研究所となっています。中世日本史に関する独特の歴史観で知られる網野善彦さんが大学卒業後に勤めたのもこの研究所。

たぶんこの常民研の話だったと思うのですが、気仙沼・小々汐(こごしお)の旧家である尾形家から借用していた古文書を、40年以上もたった1994年に網野善彦さんが返却しにきた話を、川島さんがたしか三陸新報に書いていました。その記事を読んだとき、おお、あの網野さんが気仙沼を訪れていたかと、ちょっとうれしく思いました。川島さんが同行している写真も掲載されていたはずです(その記事を切り取っていたはずなのですが、みあたりませんでした)。これについては、私は未読なのですが網野さんの著書『古文書返却の旅』(中公新書)に詳しく書かれているということです。

網野善彦『古文書返却の旅』(中公新書)クリックでAMAZON

魚町のあの自宅でともに暮らしていたお母様を失い、これまで収集してきた多くの文書資料や蔵書も流された川島さん。その絶望の深さは想像をこえています。気仙沼を離れる決断は、どんなにかつらかったことでしょう。しかし、秀一君も〈還暦〉のはず。なんとかこれを転機としての新たな〈川島民俗学〉への発展を期待したい。私もあの魚町で同じ風景を見ながら育ったものとして、かげながら応援しています。

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川島秀一さん

以前から紹介しようと思いながらきっかけがなかった気仙沼人のひとりが川島秀一さんです。私たちの一年後輩、気中21回生。川島さんは、私と同じく魚町で育ちました。家はホテル望洋の下。気仙沼市の市史編纂室などを経て、リアス・アーク美術館の副館長もつとめていましたが、定年退職し、現在は神奈川大学特認教授です。

彼は、気仙沼はもちろんこと、全国の漁港・漁村をたずね歩き、多くの漁師の話をていねいに聞き取り、その生活と文化、漁業史などを記録してきました。私は三陸新報での連載記事などを通じて、そのすぐれた活動を知っておりました。

2003年のある日曜日、朝日新聞の書評欄に、川島さんの著書『漁撈伝承(ぎょろうでんしょう)』(法政大学出版局)が大きくとりあげられていました。私は彼の仕事が評価を得たことと、漁業や漁労といったどちらかといえば地味なテーマの書籍がとりあげられたことを大変うれしく思ったことをおぼえています。

そして先月、この川島さんの著書『津波のまちに生きて』が冨山房(ふざんぼう)インターナショナルから刊行されましたので、ご紹介します。

『津波のまちに生きて』クリックでAMAZONサイトへ

本書は、『東北学』ほかの研究誌に発表した津波に関連する内容に、「序 流されたものたちへ ~ 家・母・漁港・漁村」と題してこの本のために書き下ろされた文章を加えたものです。序文は、自分の半生をつづったものですが、これがとってもよかった。両親のことや、小々汐(こごしお)の〈仁屋(にんや)〉尾形栄七翁との関わり、そして震災のことなどが書かれています。いたるところに、私にとっても懐かしい魚町の風景が描かれています。

昨年の震災時、川島さんは勤務先であるリアス・アーク美術館にいました。そして魚町の自宅には、鼎が浦高校の先生を以前なさっていたお母様が残っていました。その日の夜、山のほうから家に近づこうとしましたが果たせず、そばまで行けたのは翌日の午前中でした。しかし、眼下にはいつもあるはずの家がありません。

行方不明だったお母様が亡くなっていたことがDNA鑑定で判明したとの連絡があったのは本年3月19日でした。本書のあとがきの日付は3月21日。〈行方不明の母と対面した日に〉との一行が添えられていました。

ぜひ多くの人に読んでいただきたい一冊です。


川島秀一さんのほかの著書『漁撈伝承』『カツオ漁』『追込漁』(法政大学出版局刊)

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BRUTUSさん

遅くなりましたが、雑誌「BRUTUS(ブルータス)」(マガジンハウス刊)に気仙沼関連の記事が3頁にわたって掲載されていましたので、紹介します。

2012年5月15日号「居住空間学2012」です。この「居住空間学」は毎年の恒例特集となっていて、私の大好きなシリーズ。この号の内容も素晴らしい。



気仙沼の記事はこの特集ではなく、後半の〈SUPREME BRUTUS〉というレギュラーページで扱われています。まず1頁目で立川志の輔さんをキーパーソンとして紹介。2頁目では〈気仙沼さんま寄席〉の様子が詳しくレポートされています。

ブルータス
ブルータス誌面イメージ。関連記事の2頁・3頁目。

3頁目は、写真家の若木信吾さんが気仙沼高校写真部の生徒たちとおこなった2回目の撮影会についてです。1回目は昨年7月に、ワークショップ「MEETS」として行われました。これは、斉藤茶補の斉藤道有さんや若木さんをはじめ、復興支援の多くのボランティアの協力によって実現しました。これについては、2月にこのブログでも紹介しました。

BRUTUS誌で3頁にもわたる気仙沼の紹介。まさに特別扱い。〈さんま寄席〉には同誌の編集長である西田善太さんも参加されていました。糸井重里さんとのつながりで以前にも一度気仙沼を訪問しているはずです。西田さんのお父様は、われわれ還暦世代には懐かしいNHKの名スポーツアナウンサー西田善夫さん。覚えておくといつか役に立つ豆知識ということで(笑)。

ブルータスさん、ありがとうございました。
さんまは目黒。雑誌はブルータス!
あおとがよろしいようで。

2月15日ブログ「斉藤道有さん」

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気高蹴球部史

昨年8月19日のブログに、気仙沼高校でサッカー同好会を創設した藤村俊範君(3年7組)のことを書きました。今日は、そのサッカー同好会の話です。昨日のブログで紹介した千葉正俊君が、4月7日の目黒の桜まつりで会ったとき、この同好会のことについて、つぎのように話してくれたのです。

サッカー同好会の創設を計画した俊範君でしたが、なかなかメンバーが集まりません。スポーツ好きのめぼしいメンバーはすでにほかの運動部に属しているからです。そんな中で俊範君が誘ったのは正俊君。フェンシング部の部員だった正俊君は俊範君の住む本町のとなり化粧坂の住人です。まあ、近所のよしみということもあったのでしょうか。そして、フェンシング部員兼サッカー同好会員になったといいます。剣を持ちつつリフティング(笑)。

そしてなんとかメンバーを集めて、顧問をお願いしたのが広野武蔵先生だったそうです。広野先生は、旧制気仙沼中学の第1回生で、長く気高の教壇にたたれていました。俊範君が頼みこんで力を貸してもらったのでしょう。こうしてなんとかメンバーも顧問の先生も決まって、気高サッカー同好会がスタートしました。

私たちが気高3年のときのはずなので、1969年のことかな。今では想像もできないのですが、この当時、サッカーは市民権を得ているとはいえず、いわばマイナースポーツでした。調べてみたら、1969年には読売サッカークラブが創部されています。「東京ヴェルディ」の前身、というよりも、日本のサッカーの歴史をつくった〈あの読売〉です。東京ヴェルディと同じ歴史をもつ気高サッカー部ということになります。計算上はね。

そんなこんなも今から43年前の話。サッカー同好会は、その後サッカー部に昇格し、現在に至ります。そのサッカー部の歴史のはじまりのときにいた藤村俊範君、千葉正俊君、そして広野武蔵先生の名をどこかに記しておきたいと思い書きました。

今日の東京は一日中つめたい雨が降っています。

2011年8月19日ブログ「謎のインカ少年隊」

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千葉正俊君から

先週末、千葉正俊君(3年3組)から封書が届きました。
正俊君は、3月末に長年つとめた生命保険会社を定年退職し、この5月はじめに足利市から仙台市太白区に転居しました。その計画は、4月7日、奥さんと一緒に目黒の桜まつりに来てくれたときに聞いておりました。

封筒には、挨拶状と一緒に、千葉憲二君のお店・銀座〈喜いち〉で1月に行ったけせもい会のスナップ写真が〈機会があったらみんなに渡して欲しい〉と同封されていました。

挨拶状にはつぎの一文がありました。
〈長い歳月、大過なく勤めることができましたのも、皆様のご厚情のおかげと深く感謝いたしております〉

以前でしたら、退職の挨拶の常套句(じょうとうく)として気にもしなかったのでしょうが、最近は〈大過なく勤めることができた〉という言葉に、ある種の感慨をおぼえるようになりました。

幸いなことに、大きなあやまちやひどい失敗はありませんでした。これもひとえに皆様の……。正俊君にもいろいろな苦労があったに違いないのです。でも、無事に定年退職を迎えることができた。昨年の震災を経験してみると、こうした一見ふつうのことやあたり前のことも、なかなか得難いことのように思えてくるのです。

正俊君
中央が千葉正俊君。左が憲二君、右が小田。後ろに鈴木徳一君。
2012年1月28日 銀座〈喜いち〉にて。


昨年から今年にかけて定年を迎えたのは正俊君だけではありません。多くの同級生が、新しい環境での暮らしを始めています。長年の仕事の疲れが出たりもするでしょう。どうぞ皆さん、くれぐれも健康に留意し、新しい日々を元気に過ごされますように。

正俊君、長い間ご苦労さまでした。そして、いろいろとありがとう。
また会いましょう。

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1958年の日食

5月21日(月)は、日本列島全域で日食を観測できるとのこと。地域によって欠け方が違い、気仙沼では部分日食となりますが、東京では金環日食となります。

みんな覚えているだろうか、気仙沼小学校の校庭で日食を経験したときのことを。

私の記憶ではこうです。まず、授業かなにかで観測用のフィルターを作成しました。顕微鏡用のガラス板〈スライドガラス〉をろうそくの火であぶり、ススをつけるのです。ピンセットではさんだんでしょうね。先生から〈手でもづんすなよ。やげどすっから〉などと言われながらね。

日食当日は、その〈スス付きガラス〉か、黒など色のついた下敷きをもって、校庭に出ました。ガラスは大変なんだよ、手にススがついてさ。またそれが着ているシャツについたりして。日食が始まるまでは、手についたススを〈ツゲッツォ〉と友達を追いかけたり〈ヤメロ〉と逃げる男子、そして〈ヤメライン〉と注意する女子といった風景がくりひろげられたのでしょう。

日食が始まると、あの広い気小の校庭がだんだんと暗くなっていきます。不思議な光景。昼なのに夕方の気分。ただの夕方とも違うだよね。そんな風景を静かにながめていたか、わけもなくみんな走り回ったか。いま思い出せるのは、なにか神秘的な雰囲気だったということだけです。5分くらいもそんな感じが続いたでしょうか。

いつのことだったろうかと調べてみると、1958年のことのようです。気小1年生。私の記憶では3年生とか4年生なのですが。1957年や1963年にも日食がありましたが、早朝のことで時間の記憶とあいません。

1958年4月19日、仙台のデータによれば、午前11時37分から日食が始まります。そして午後1時22分に太陽の欠けは最大となります。食分0.82といいますから、直径の82%まで欠けました。

日食
1958年4月19日、仙台での最大食分イメージ http://star.gs/njkako/njkako.htm より

2時57分、日食は終わりを迎えます。私たちはまたいつもの時間に戻って、遊んだか、教室に戻ったか。とにかくそれは、自然、宇宙がつくりだす神秘的な時間でした。
ま、私の記憶が確かであればですが(笑)。

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1959年の流行歌

気仙沼小学校の2年生だった昭和34年(1959)ごろの思い出の続きです。
今日は流行歌を3曲紹介します。

まずは「南国土佐を後にして」。1953年頃にほかの歌手のレコードが出ていたそうですが、1959年にペギー葉山さんが歌い大ヒットしました。映画化もされ、そのヒットを受けて製作されたのが、小林旭主演の「ギターを持った渡り鳥」などの「渡り鳥シリーズ」であるとのこと。知らなかった。

つぎの曲は「黒い花びら」。水原弘さんの歌でこの年の第1回レコード大賞を受賞しました。ユーチューブに68年のテレビ映像がありましたので紹介しておきましょう。バックのフルバンドは、〈宮間利之&ニューハード〉ですね。これもなつかしい。



三曲目は「黄色いさくらんぼ」。歌ったのは「スリーキャッツ」の3人娘。あまり記憶がありません。むしろ、同曲を1970年にカバーした「ゴールデンハーフ」の印象が強い。

歌詞を紹介しておきましょう。

若い娘は(ウッフン)お色気ありそで(ウッフン)なさそで(ウッフン)ありそで(ウッフン)ほらほ~ら 黄色いさくらんぼ~~
つまんでごらんよ ワン しゃぶってごらんよ ツー 甘くてしぶいよ スリー
ワン・ツー・スリー (ウーン)黄色いさくらんぼ~~~

作詞は星野哲郎さん、曲は〈バラが咲いた〉の浜口庫之助さん。
しかし、こんな〈オイロケ歌詞〉をよく書くねえ。ウッフンとかさ(笑)。

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少年漫画の時代

きのう紹介した気小2年のときの学芸会「浦島太郎」の記念写真。アルバムに記された日付は昭和34年(1959)10月19日。どんな年だったのか調べてみました。「少年マガジン」や「少年サンデー」が創刊されていますね。サンデーが30円、マガジンが40円だったそうです。マガジンは5号から30円に値下げしたとか。

しかし、小学校2年ごろにサンデーやマガジンを読んでいた記憶はありません。漫画週刊誌は、小学校の高学年か中学生になってから、分担して買った記憶があります。〈おれがマガジン買うがら、おめはサンデー〉みたいな(笑)。

小学校低学年のときは、「少年画報」や「少年」「ぼくら」「冒険王」といった月刊誌の漫画を楽しみにしていました。たとえば「少年画報」では、武内つなよし「赤胴鈴之助」、桑田次郎「まぼろし探偵」。「少年」では、手塚治虫「鉄腕アトム」、横山光輝「鉄人28号」、堀江卓「矢車剣之助」、関谷ひさしの「ストップ!にいちゃん」など。こうタイトルを並べるだけでなつかしい。

こうした月刊誌は、付録も楽しみでした。漫画の小冊子や、紙の組み立て付録。正月号なんか特にすごいよ。各誌が、「20大付録」とか「21大付録」とかその数を競います。私なんかも、〈これのほうが、ひとつ付録が多い〉などと、まんまとその数にだまされました。

その付録で今でもおぼえているのは、蓄音機っていうかレコードプレーヤー。小さな〈ソノシート〉にとがった金属板のさきっちょを置いて回すと、アルミホイルの振動板から音が出てくるのです。すごいと思いました。

その記憶が正しいかどうかわかりませんが、ソノシートを回すための頼りないアルミニウムのピンの質感が、今でも懐かしく思い出されます。

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弘君の浦島太郎

昨年5月、臼井弘君(3年4組)についての話のなかで、気仙沼小学校2年のときの学芸会「浦島太郎」のことを書きました。弘君が浦島太郎(の若いとき)を演じました。今日はそのときの記念写真を紹介します。

浦島太郎6 (クリックで拡大)
1959年10月19日

中央付近に釣り竿を持っている二人の浦島太郎の左側が弘君。その左は乙姫様の森(旧姓森田)恵子さん(2組)。右の方で亀の甲羅を胸にしているのがわたくし小田。

この学芸会の会場は、気仙沼中学の体育館でした。会場には多くの父兄が集まっていました。その会場で浦島太郎を演ずる息子を見ていたであろう弘君の母上が亡くなって今日でちょうど一年。あれからもう一年かと私は思うのですが、弘君にとってはどうだったか。福寿水産は来月の業務開始に向けて工事等を進めているとのことです。

無事の業務再開とお母様のご冥福をお祈りいたします。

(追記)
と、ここまで書いたのですが、弘君のお母様の命日を確認したら、6月14日でした。一カ月ほど早くしてしまいました。昨年のブログでは、訃報広告の内容から6月16日と書きましたが、それも二日ほど違っていたようです。弘君、大変失礼いたしました。

2011年5月20日ブログ「フカヒレの臼井弘君」
2011年6月23日ブログ「天寿をまっとうし」

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BRT気仙沼線

今日は、JR気仙沼線の話。

被災し不通になっている気仙沼線(気仙沼~柳津)については、昨年12月にJR東日本からBRTによる復旧の提案がなされ、今年3月には具体的な運行ルート案も示されました。
「BRT」とは、Bus Rapid Transit/バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送のこと。バス専用道路を使うなどして、通常の路線バスよりも高速に定時運行する輸送システムです。

3月、登米市と南三陸町はこのBRTによる仮復旧に一定の理解を示したものの、気仙沼市は「鉄道による再建を確約してほしい」と反対というか、態度を保留していました。それに対し4月中旬、JRが「検討協議を継続する」としていた資料の文言を「安全が確保された鉄道の復旧」に変えるなどしたのです。そして5月7日、沿線自治体とJR東日本が仙台で開催した復興調整会議で気仙沼線のBRT導入で合意しました。

しかし、これを報じた5月8日朝日新聞朝刊の見出しは、「同床異夢」。同じ寝床に寝ていても、それぞれ違った夢を見ているというのです。

気仙沼線 5月8日朝日新聞朝刊の見出し

気仙沼市の菅原市長は〈JRの(鉄道復旧の)意思が明確に示された〉としているものの、JRは〈安全を確保するための路線変更などには多額の費用など非常に高いハードルがある〉とちょっと違うニュアンスなのです。以前の情報では気仙沼線を鉄道で復旧させると数百億円もの巨費が必要とされていました。

JR東日本は、株式会社。赤字が続いていた路線の復旧を、上場企業として株主に説明できないという立場も理解できるのです。同様に国のお金、つまりは税金を使うには法改正も必要であるし、国民の理解が得られるかどうか。

私は、このBRT導入による気仙沼線の〈仮復旧〉に賛成です。〈鉄道でなければ、わがんね〉という声が地元にあることも十分承知していますが、議論や交渉に時間をかけるよりも、少しでも早く移動手段を回復することのほうが大切ではないでしょうか。

ここはひとつ、いろんな気持ちを飲み込んで。〈異なる夢を見ながら〉でもいいから、より良き路線の実現や収益向上のための意見を出し合うほうが得策ではないでしょうか。

JRは年内にも一部で運行を始めるそうです。気仙沼線の不通区間のうちバス専用道は6割。残りは一般道を走ります。さまざまな夢をのせて。

3月6日ブログ「未来的気仙沼線」

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漁港区域の拡大

今週はちょっと固めの話でスタートです。
5月2日の三陸新報に「気仙沼の漁港区域拡大が6月に前倒し」という記事。

ピクチャ 1 5月2日三陸新報紙面イメージ

私がこの記事に関心をもったのは、4月の復興フォーラム勉強会で菅原茂市長が漁港区域の問題について触れていたからです。魚市場周辺地域のかさ上げなどが石巻市などに比べて遅れているのは、この区域指定の違いも理由のひとつだというのです。

石巻の場合、魚市場周辺はかなり広域にわたって漁港区域に指定されていたため、国の予算を使っての早期の復興対応ができました。これに対し気仙沼は、市場周辺のごく狭いところしか指定区域となっていないのだそうです。記事によれば、市では今年10月ごろまでに拡大手続きをおえる予定でしたが、国や県の協力もあり6月に前倒しできるめどがついたとのこと。

これにより、区域内では地盤沈下した民有地を含めて国(水産庁)の水産基盤整備事業でかさ上げができ、道路や水道などの復旧も進めやすくなります。
でもね、いいことづくめの話ではないのです。漁港区域で漁港施設用地に指定されると、水産関係施設以外は原則として立地できません。そのため、すでに復旧した水産関係以外の建物は、立て替えなどに合わせて移転してもらうことになるのだそうです。

対象区域は、魚市場周辺18ha(ヘクタール)と鹿折地区11ha。地権者は約550人。市では、区域拡大への同意や売却/継続所有などの意向調査を急いで行っています。

5月2日の三陸新報1面には、この記事のほかにも、〈近海マグロはえ縄船の集団操業〉や〈遠洋マグロはえ縄漁業の収益性向上や省エネ化実証〉プロジェクトなど、今後への期待を感じさせる話が紹介されていました。

〈 気仙沼にもちょっと遅い春の訪れが 〉と書くと、少しきれいごとに聞こえるかもしれません。でも、こうした記事や同級生の事業再開のニュースを聞くと、本当に少しずつですが、みんなの懸命の努力によって物事が動き始めているように感じられるのです。

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息子世代の活躍

5月8日のブログで、NHKテレビ「仮設作業場でさめ肉加工始まる」というニュースに登場した吉田久雄君(3年6組)を紹介しました。ただ、このNHKニュースのネット配信は即日終了なので皆さんにご覧いただくことができませんでした。

残念に思っておりましたら、きのう11日に同じテーマでTBSテレビニュースのネット配信がありましたのでご紹介します。1週間ほどは視聴できるはず。

TBSニュースサイト「気仙沼、仮設の水産加工場完成」

久雄君の会社「カネヒデ吉田商店」が仮設水産加工場で業務再開というニュースなのですが、TBSは久雄君の息子である健秀さんを中心に紹介しています。父ちゃんは背景です(笑)。健秀さんは〈震災による取引中断で、得意先を同業者に奪われてしまっている〉と語ります。

このニュース映像を見ていて、ここでも私たちの息子世代が頑張っているなという印象を強くしました。フカヒレの会社/福寿水産の臼井弘君(3年7組)にしても、息子の祐介さんが頑張っているしね。コヤマ菓子店/小山隆市君(6組)の長男裕隆さんの活躍はこのブログでも何度も紹介しています。

まあね、考えてみれば還暦を過ぎた気中20世代は、サラリーマンであれば退職が始まったり、少し早めに年金でももらおうかなどという年代。まだまだ元気といいつつも、結構いい年であることはまちがいありません。

健秀さん、祐介さん、裕隆さん。お父さんたちは〈なんだが、まだまだわがんねもの〉と言いながら、かなり皆さんをあてにしてると思いますよ。記憶力や視力の衰えはもちろんのこと、血圧、体脂肪、コレステロール関係もかなりあやしい父ちゃんたちですが、どうぞよろしくお願いいたします。みなさんもいつかは通る道ということで(笑)。

5月8日ブログ「吉田久雄君の話」

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畠山美由紀 onTV

今日で震災の日から14カ月。

さて明日4月12日(土)、「MUSIC FAIR」に畠山美由紀さんが出演します。

フジテレビ系列「MUSIC FAIR」(気仙沼は仙台放送)
5月12日(土)午後6:00~6:30
演奏:笹子重治(Guitar)、織原良次(Bass)、黒川紗恵子(Clarinet)

歌う曲は「わが美しき故郷よ」。震災後に美由紀さんが故郷気仙沼を想いながらつくった曲です。気仙沼の「3月11日からのヒカリ」プロジェクトのオープニングイベントでも歌ってくれました。たしか、あの日のギターも笹子重治さん。私は東京におり、ユーストリームでの映像中継を見たのですが、通信環境が悪かったせいか、ちょっと画像がぎくしゃくしていたのが残念でした。12日はミュージックフェア伝統のきれいな画面で、美由紀さんの美しい歌声を聴かせてくれることでしょう。

「わが美しき故郷よ」については、このブログで何度も書きました。念のため、今回もユーチューブ映像を紹介しておきましょう。キリスト品川教会グローリア・チャペルでのライブ。約4分間のオフィシャル映像です。



「MUSIC FAIR」での畠山美由紀さん。ぜひご覧くださいますように。
とっても素敵ですよ。

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仮設の宿泊所

気仙沼市鹿折地区の仮設商店街「復幸マルシェ」の空き室に設けられたボランティア専用の宿泊所が、市などから「目的外使用」と指摘され、やむなく閉鎖したとのニュースが9日の読売新聞オンラインにありました。

3月にオープンした仮設商店街「復幸マルシェ」は、南町紫市場と同様に国の予算を使って中小企業基盤整備機構が建設し、市を通じて商店会に無償で貸し出されています。そして、2室が未入居だったために、この空室を有効活用しようと、11台の2段ベッドを設置してボランティア専用の宿泊所にしました。利用料はシーツの洗濯などにかかる実費の1泊500円で、連日満員だったそうです。

しかし4月中旬、市から「宿泊所利用は目的外使用にあたる」との指摘があり、このたびの閉鎖となりました。中小企業基盤整備機構も「税金で建てている以上、目的外使用は黙認できず、安全性も確保できない」との立場だということです。

この鹿折の宿泊施設の話は知っておりました。私も妻も、いつでも泊まれた実家がすでになく、気仙沼の厳しい宿泊事情は他人ごとではないのです。ただ、この仮設商店街での宿泊所というのは、ちょっと微妙だなとは感じていたのです。ボランティアの方々に向けてという条件付きではあっても、宿泊サービスの提供というのは、安全ほか様々な条件の確保が必要になるからです。(私は少々の安全は自分が負うリスクとしてもいいから、500円で泊まりたいと思っていましたが)

4月21日の復興フォーラム勉強会で、菅原茂市長もこのことについて話していました。「ボランティアの人たちが泊まろうにも、宿泊するところがなく、みんな本当に困っている。県や国に対して、仮設の宿泊所などを設置しやすくするように働きかけているところだ」という主旨の発言でした。

今回の仮設宿泊所の閉鎖は、気仙沼市としても苦渋に満ちた指導だったでしょうね。いわゆる〈お役所仕事〉として批判することはたやすいのですが、むしろ県や国に対しての被災地における宿泊所設置についての特例処置を求める気仙沼市の応援をしたいと思いました。とにかく、気軽に気仙沼に帰れる宿泊施設が欲しいのです。

オダクン、ナンダベ、エンリョシテ。オライサ、トマッテイガイン。
ありゃどうしたの、遠慮して。私んちに、泊まっていきなさい。

ありがとうございます。気持ちだけいただいておきます(笑)。

5月9日読売新聞オンライン「気仙沼の仮設商店街 宿泊所閉鎖」

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昭和の子供 3

震災の津波で自宅も店も流された同級生。小山隆市君(気中3年6組)もそのひとりです。
仲町の店〈コヤマ菓子店〉は2階が喫茶店〈珈琲山荘〉でした。自宅は幸町だったかな。〈珈琲山荘〉に飾ってあったアルプスの写真や自宅にあったであろう記念写真なども流されてしまったでしょう。そこでこの一枚をご紹介します。

気小3年8組写真2 (クリックで拡大)

気仙沼小学校3年8組。たしか担任の小野寺孝允先生が撮ってくれた写真です。
まんなかで、両脇の友達に手を回しているのが、隆市君。その右は〈ちばき屋〉の千葉憲二君、左はわたくし小田です。

なつかしい顔がならんでいますよ。東京の〈けせもい会〉で顔を合わせていた千葉正俊君や小山達朗君もうつっています。なぜか男子生徒だけの写真ですね。撮影場所はどこだろう。気小3年は現在の市民会館の場所にあった第2校舎で学びましたが、そこではありません。左にちらっとうつっているのはプールの建物のような気もする。

この写真に写っている隆市君はまさに〈クラスのリーダー〉って感じ。実際そんな感じでした。絵もうまくてね、それと戦艦長門の主砲はなん門あってなんインチといった、今ではなんの役にもたたない軍事知識も豊富でした。

そんな隆ちゃんもすでに61歳。この写真当時から半世紀が過ぎました。
思えば遠くへきたものです(笑)

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吉田久雄君の話

昨日、ツイッターで知ったNHK仙台放送局ローカル「仮設作業場でさめ肉加工始まる」というニュースのネット配信を見ていたら、同級生が登場。おっ、吉田久雄君(3年6組)じゃないの。

このニュースは、中小企業整備機構が気仙沼市松崎前浜に建てた小規模水産加工業者向けのプレハブ式の施設で、さめ肉加工会社が加工作業を始めたというもの。それが久雄君の会社でした。〈南町紫市場〉の建設も中小企業整備機構。こうした生産施設の支援・整備も行っているのですね。

この施設ではいま、地元の水産加工会社など10の事業者が仮設の加工場として使うための準備を進めているといいます。久雄君の会社は、機械の搬入や休憩所の設置など操業を始める準備が整ったために昨日から加工作業を始めました。

この日7日、気仙沼港で水揚げされた750キロ余りのさめが運びこまれ、およそ1年2カ月ぶりの作業が始まりました。さめ=ふか。フカヒレをとった後の肉を処理・加工するという、ある意味「フカの再処理サイクル」みたいな連携プレーがあるのでしょう。久雄君が加工機械にさめ肉を通していく姿も紹介されていました。加工されたさめ肉は、東京の築地市場などに出荷されるということです。

インタビューにこたえ、久雄君はこう語っています。「皆さんのおかげだと思っています。本当の復興に向けて、また、ここから頑張りたいなと思っています」

4月25日のブログ「昭和の子供 2」で紹介した斉藤恒四郎君が語る〈津波で自宅も記念写真もすべて流された同級生〉のひとりはこの吉田久雄君でした。

久雄君の気持ちを勝手に想像すれば、〈写真だのなんだのを流されだがらって泣いでばかりいられないがらね。やっぱ稼がなくてはだめなのっさ〉といったところでしょうか。
吉田久雄君の事業再開。これからが本番でしょうが、まずはおめでとう。なんとかこの難局をのりきって欲しいと思います。


上記のNHKニュースは、すでに配信が終了していますが、本日8日の三陸新報が同じ話題を紹介していましたのでご覧ください。久雄君が社長をつとめる会社は「かねひで吉田商店」でした。

5月8日三陸新報記事
4月25日ブログ「昭和の子供 2」

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大堀銀座の現在

連休後半、5日の〈銀座柳まつり〉そして6日の〈自由が丘スイーツフェスタ〉では、「気仙沼・南三陸震災復興キャンペーン(首都圏誘客キャラバン)」も行われ、両日とも大谷の保存会による大漁唄い込みやドヤ節が披露されました。〈ホヤぼーや〉の人気も急上昇中。私は行けなかったのですが、妻が手伝いにでかけ、両日とも多くの人が集まって大盛況だったと語っておりました。

さて今日は、連休前半に気仙沼へ帰った妻が撮った写真を紹介しましょう。

大堀銀座2 大堀銀座1
2012年4月30日撮影(クリックで拡大)

魚町から八日町方向に撮った大堀銀座の交差点です。妻の親戚の建物から撮ったもの。写真右下、角にナガサワがあったあの一画がいまはなにもありません。右上角には、左から同級生鈴木(佐々木)真知子さん(3年4組)の実家〈佐々木金物店〉や〈武山米店〉などが一階を津波でさらわれながらもかろうじてたっています。

私たちが小学生のころは、ここは気仙沼の一等地でした。大堀丁の銀座だから〈大堀銀座〉。昔は三日町、八日町から海まで堀があったのでその名がついているのでしょう。明治から大正時代にかけてその堀にふたがかけられて現在に至ります。

玩具店〈ナガサワ〉のショーウィンドウには、欲しいものだらけ。特にクリスマス近くになると、それはもう。映画で、貧しい少年がオモチャ屋のウィンドウの中で走る機関車をじっと見ているシーンなんかがよくありますが、まさにあれです(笑)。
ナガサワに向かって右側には、龍崎果物店。龍崎経子さん(5組)の実家です。小学生当時の高級果物バナナが店頭にぶらさがっていました。1本60~70円したんじゃないかな。その並びの中川食堂。特製アイス最中(もなか)が最高でした。

交差点の左上の角は、もとは藤野食料品店。それがデパート〈丸藤〉そして〈藤崎〉気仙沼店となります。エレベーターはあったけれど、エスカレーターはなかった。気仙沼初のエスカレーター設置はその後開店した〈丸光〉(まるみつ)でした。

そんないろんな思い出のある〈大堀銀座〉も今や昔話になってしまいました。この写真を見て、あらためてそう思いました。

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変わる商業地図

4月29日のTBSテレビで放映された気仙沼関連のニュース映像を紹介します。
「被災地・気仙沼、変わる〈商業地図〉」。約2分の映像です。

(配信終了)

沿岸部は多くの店が移転・廃業するなか、以前2~3割が空き店舗だった田中前地区は現在すべてが埋まっています。そして、〈復興計画が実施された後は新しい沿岸部の方がお客さんを引きつける可能性がある〉と語る菅原茂市長のコメント。わずかな紹介でちょっともの足りない編集です。

そのあと、南町から田中前に店を移した店主の方の「あっち(沿岸部)は、がれきの山」というコメントは、私の印象と違うなと思いました。たしかに〈住んでいる人が少なく、店を出しても商売にならない〉のは間違いないでしょう。しかし南町も魚町もほとんどのがれきの山はすでに撤去され、鉄筋のビルなどが残るものの、建物があまりない空間が広がっているように思うのですが。

映像の最後に「気仙沼市の復興計画/集中復興期間5年、目標期間10年」の文字。
これからかかるであろう時の長さを思い知らされました。

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大吉先生の受章

昨日の気仙沼の大雨では川沿い地域をはじめ避難勧告も出ました。今日の気仙沼は少し落ち着いたようですが、浸水・冠水などの被害が心配されます。(避難勧告は、4日午後1時近くにようやく解除されたようです)

さて、4月29日の三陸新報に気仙沼・本吉地区の春の叙勲受章者の記事。そこに、私たちが気仙沼中学でご指導いただいた吉田大吉先生のお名前がありました。42年間の教育功労をみとめられての瑞宝双光章です。

吉田先生、というよりは〈だいきっつぁん〉(大吉さん)。記事によれば、先生の母校でもある気仙沼中には教頭、校長時代も含めて計15年勤務したとのこと。その気中時代の思い出として〈全校生徒2000人での運動会〉〈大型バス14台を連ねての修学旅行〉などをあげています。私たちよりも4年ほど上の団塊の世代のころの話でしょう。気中20回生でも11クラスありました。

この先生の受章の話は菊田裕美君がいち早くみんなに知らせてくれました。先生は裕美君が属していたバレーボール部の顧問でした。また、小山隆市君や村上良君らがいたボーイスカウトの隊長でもありました。生徒みんなから愛された先生のおひとりでしょう。昨年の震災後3月26日、鈴木徳一君らが東京からトラックで支援物資を運んだときには、大吉先生もかけつけてくれました。

記事のなかにつぎの記述がありました。
「気仙沼育英会から奨学金を受けて大学に進んだ経験から〈地元に恩返しがしたい〉という思いが強かった。教え子の活躍がなによりうれしいという」

吉田大吉先生、現在76歳。ますますお元気で、ご活躍くださいますように。
受章おめでとうございました。

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魚町・南町未来図

28日から気仙沼に帰っていた妻が1日に帰京。「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」プレゼンテーション資料中の最優秀作の写真を撮ってきたといいます。資料は南町に住んでいた叔父が会場でもらったもので、各案とも裏表2ページでまとめられていたそうです。本日はその写真を見ながら、最優秀作の内湾まちづくり提案を紹介します。

提案1 提案2
最優秀作の提案内容。表裏2頁分(クリックで拡大)

提案内容によると直立浮上式防波堤は、平常時は海底に潜み(ひそみ)、津波襲来時に出現する〈新たなドラゴン〉と位置づけられています。これを受けて、提案コンセプトのタイトルは「ドラゴンポート」。なるほど、うまいこというね(笑)。

エースポートのあたりに見える塔〈ベイタワー〉は地震や津波の情報発信とともに、新しいまちのシンボルでもあるのでしょう。その周辺は、〈交流ゾーン〉です。そしてその南北の海岸沿いが〈ウォーターフロントゾーン〉。国が求めている堤防高TP+6.2m以上の7m(3階相当)の避難デッキをめぐらせます。このデッキ下の1・2階部分は原則として居住はできません。イメージ図で、2:ウォーターフロントゾーン〈北〉としてあるのが魚町海岸通り、同じく3:ウォーターフロントゾーン〈南〉が柏崎の下となります。4:街なか再生ゾーンは、八日町の振商会通りのイメージです。

妻の叔父さんは〈ほかの案もみんな良かったよ〉と語っていたそうです。最優秀作は、やはり〈次世代型堤防〉の威力があったのではないでしょうか。この堤防さえあれば、内湾の陸部分の計画はかなり自由になります。気仙沼市が、再優秀作以外の提案もいろいろ参考にしながら、今後の実施計画を住民の皆さんと相談したいというのは、つまりそういうことなのでしょう。

〈イメージ図〉というのは、やはり説得力というかチカラがありますね。ほかの提案内容をじっくりと見てみたいと思います。と、ここまで書いて気仙沼市のウェブサイトをのぞいてみたら、1日にはなかったコンペの審査委員会の報告が掲載されていました。優秀作候補5案、佳作候補5案、計10提案をダウンロードして見ることができます。

すべて力のこもった充実した内容です。最優秀作はある意味でシンプル。次世代型堤防の提案のわかりやすさがあったように思います。各案に描かれた魚町・南町の未来のイメージ図もそれぞれの〈夢〉を見させてくれます。ぜひご覧ください。

〈未来想像図〉ではなく、〈未来創造図〉。なんとか気仙沼の人たちが自ら選びとり創りあげる未来であって欲しいと、心から思っています。

気仙沼市公式サイト「まちづくりコンペ/審査委員会

開催結果」
5月1日ブログ「コンペ最優秀作」

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コンペ最優秀作

気仙沼の「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」の審査委員会が4月29日(日)に市民会館で開かれました。約100点の応募案から絞り込んだ優秀作候補5案、佳作候補5案について提案者からプレゼンテーション(説明発表)を受けたうえで審査委員の投票を行い、次世代型の防波堤を気仙沼湾に設置する案が最優秀とされました。

この案は、大林組と建設コンサルタント会社・エイト日本技術開発が共同で提案したもので、銅管を海底に並べて設置し、津波の時には空気を送り込み浮上させる「直立浮上式防波堤」建設案。三陸新報によれば、神明崎と柏崎を結ぶ湾奥口部(延長120メートル)の海底に設置。津波発生時は、50本前後の鋼管内に空気を送り込み、浮力によって最速2分で浮上させ、空気を抜くことで降下させるというもの。海岸に巨大堤防を建設する必要がないため、内湾地区の新しいまちづくりの自由度が高くなっています。詳しい内容はあらためてご紹介しましょう。

委員会では、菅原茂市長や有識者、地元住民ら計32人が投票し、この案が最多の12票を獲得しました。しかし、この案がそのまま実施案になるわけではなく、市は最終選考に残った5案を中心に具体的な検討に入り、住民とのまちづくりの協議に生かす考えとのこと。

次世代型堤防。そんなうまいことが本当に可能なのか。古くなったらどうする。そんな多くの疑問もあるのですが、景観を損なわずに災害に備えるという提案が評価されたことはよく理解できます。

本日は最優秀作が決定ということのみお伝えしておきます。河北新報ニュースに加え、「直立浮上式防波堤」を説明した大林組の技術情報サイトもリンクもはっておきますのでご覧ください。

河北新報ニュース
大林組サイトより「直立浮上式防波堤」

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桜まつりニュース

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今日から5月。
本日の東京はくもり空。気温予想も23度と昨日よりちょっと低くなっています。

さて、気仙沼の〈大川さくらまつり〉は29日(日)で無事終了しました。各局のテレビニュースでも紹介していましたから、ご覧になった方も多いのでは。ニュースによれば、700メートルにわたる桜並木のうち、3分の1にあたる65本が震災の津波と火災で失われました。そして今年は残った110本あまりのうち約40本が花を咲かせたそうです。津波による塩害のせいか、半分以下の開花でした。

以前のさくらまつりを知る人にとっては、ちょぴりさびしい印象もあったかもしれません。しかし、けなげに咲いてくれた今年の大川の桜は、気仙沼の人にとってひときわ深い趣があったのではないでしょうか。
さくらまつり実行委員会や関係者の皆様、企画から準備、そして終了までのお世話、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

テレビニュースを見逃した方のために、NHKとテレビ朝日のニュース映像を紹介しておきます。数日で配信がなくなると思いますので、お早めにご覧ください。

NHKテレビニュース
テレビ朝日ニュース

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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