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琴ちゃんのこと

昨日の「昭和の子供2」で紹介した気仙沼小学校4年9組の学級写真。そこに写っている一人ひとりの顔を見ていると、本当にいろんなことを思い出します。

たとえば、石垣琴子さん。琴(こと)ちゃんは、本来はひとつかふたつ上の学年ですが、小さいときにかかった病気のために少し体が不自由で、妹の栄子さんとともに私たちと同じ学年になりました。実家は南町の石垣魚屋さんです。

気小4年
後ろから2列目、まんなか付近にいるのが石垣琴子さん(クリックで拡大)

琴ちゃんは、何度かクラスが一緒だったためか、私のことを親しく感じていたようでした。そして、ここからは母から聞いた話と私の記憶の混合になるのですが、たぶん小学校4年か6年の話。

父兄参観日のことです。教室のうしろにはお母さんがたが並んでいます。そして菅原暉子(てるこ)先生がなにか質問した後に言います。〈わかる人〉。すると、みんなが親にいいとこを見せようと思うのか競って手をあげます。〈はい!はい!はい!〉。そしてそれにつられたか琴ちゃんも手をあげたのです。先生がそれを珍しく思ったのか、指で指しながらいいます〈はい、琴ちゃん〉。

しかし、琴ちゃんは立ち上がったものの、なかなか答えません。そして困ったあげくにいいます。〈オダさんと同じこたえです〉。それを聞いてクラスのみんなが大笑い。私は照れくさかったけれど、まあ、一緒に笑ったのでしょうね。いいクラスというか、いい時代だった。

私が27歳のとき、勤めをやめてインドやネパールへ4カ月ちょっとの旅にいきました。そして帰国し気仙沼で数ヶ月を過ごしたのですが、そのときに琴ちゃんが亡くなっていたことを聞いたのです。ずいぶん早いけれど、体が弱かったからなと受け止めました。そして南町の佐々木写真館のならびにあった石垣家にうかがいました。お母様が私をおぼえてくれていて、仏壇に線香をあげさせてもらいました。〈琴子も喜んでくれる〉との言葉を聞いて、ちょっと迷ったけれど来てよかったなと思ったのです。

いま写真をみて思い出す風景のなか、琴ちゃんのまわりにはいつも誰かがいます。
琴ちゃんはみんなと一緒に笑っています。

昨日4月25日ブログ「昭和の子供 2」
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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