おかみのさんま

すでにご存じですね、気仙沼の斉吉商店/斉藤和枝さんの著書「おかみのさんま」。日経BP社刊。この本、4月のはじめには読んでいたのですが紹介が遅くなりました。とても面白かった。和枝さんが語る斉吉商店のストーリーは、ネットの「ほぼ日」サイトなどでも読んでおりましたが、新しい話やエピソードが満載で充実した内容となっています。編集・構成も良く、一気に読み通すことができました。

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ここでは、斉吉商店3代のヒストリーを要約して紹介しましょう。

まずは曾祖父の吉之進が魚町でお芋やリンゴを売る食品小売店「斉吉商店」を開きます。この本の口絵で紹介されている写真にその魚町の店がうつっています。なつかしい。エースポート〈港町ブルース〉の碑の向こう側。たしか入沢方向への道路の右の角にありましたね。私の記憶では〈個人仕込み〉という表示があったようななかったような。

祖父の藤太郎も店を継ぎますが、そこに嫁いだ〈みさほ〉は、つきあいのあった船主さんの勧めもありなんと廻船問屋を始めます。そしてその子、つまり和枝さんの父・健一と問屋業を発展させていきます。本では、祖母みさほの、和枝さんの母・貞子に対する厳しい態度や和枝さんのお稽古事への対応なども描かれていますが略します。

和枝さんは仙台の短大に進みます。祖母みさほはすぐに仕事をさせたかったようですが、母・貞子が説得しました。そして仙台の市場を経営する水産会社に就職。社長秘書となります。しかしその後、実家に戻されての〈家事手伝い〉へ。

気仙沼では、長靴をはいて市場に出るなど家業にせいを出します。そして26歳の秋に結婚。中学時代の同級生である純夫さんが婿に入ったのです。現在の斉吉商店3代目社長です。ここに至るまでの数度のお見合いや、中学1年のころの純夫さんに対する秘めた思いについては、ぜひ本書にて。

紹介がちょっと長くなりました。急ぎます。
父の健一さんは、大きな決断をします。〈海から陸へ〉の転換です。魚問屋業から魚の加工品販売に大きく舵をきったのです。ここから現在の斉吉商店への流れができあがるのですが、そこには多くの苦労がありました。そしてそれは貴重な教訓、経験となっていくのです。そして最終章は〈震災が教えてくれたこと〉。要約はやめておきましょう。ぜひこの本をお読みください。

本書では、和枝さんが大切にしている言葉のひとつとして、〈進化論〉で知られるチャールズ・ダーウィン『種の起源』の一文が紹介されています。

〈 最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化する者である 〉

世の中の変化に応じ自らも変化していく。変化していかなければならない。斉吉さんの三代にわたるヒストリーの底に流れているのは、自ら変化していくチカラです。私は本書のなかに、和枝さんのあの笑顔とエネルギーの源を感じることができました。『おかみのさんま』は、以前ご紹介した生島淳さんの『気仙沼に消えた姉を追って』と同じく、ぜひ皆さんに読んでいただきたい一冊です。

なお、今回はじめて、AMAZONサイトとのリンクを行ってみました。これを利用して書籍を購入いただくと、わずかですが手数料が当方に入ります。いわゆるポイントみたいなものですね。収益を主目的にはしておりませんが、そのすべては支援会の義援金といたします。ご了解ください。

11月29日ブログ「生島淳さんの本」

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黄金さくら週間

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今日はゴールデンウィーク初日。久しぶりに気仙沼に帰る人も多いでしょう。当方、妻が気中26回生の追悼会があるので帰りますが、私は留守番です。

さて、22日から開催されている気仙沼大川の〈さくらまつり〉。明日29日までとなりました。べつに明日で桜が散るということではなく、イベントとしてはということですが。

本日28日と明29日(日)の午後6時から9時までは、〈ミラーボーラー・光のオブジェ『DEPARTURE』〉というイベントが開催されます。DEPARTUREの意味は〈出発〉。DEPARTURESと複数形になると小室哲哉さん/globeのヒット曲タイトル。これは1996年のリリースです。

〈ミラーボーラー〉は、数百個のミラーボールを使って「宇宙と和式美」をテーマに光と反射の空間作品を創りだすアート集団。公式サイトでは、〈ミラーボールの光吹雪で、静かに、艶やかに、たくさんの亡くなられた方たちへの鎮魂の祈りをも捧げ、気仙沼の皆様の心の復興の応援となれば、幸いです〉と記しています。どうぞお出かけください。

そのほか、28日・29日の催しについては、つぎの公式サイトから。
気仙沼大川さくらまつり公式サイト/催し物案内

気中20回生支援会も、このさくらまつりに協賛させていただきました。
この機会に、ご支援いただいている皆様を紹介いたします。新しいお名前があります。ヨシオカアツシさん、ありがとうございました。

(気仙沼中学校)鈴木徳一、板橋和夫、熊谷武敏、菊田裕美、小山達朗、秋山(斉藤)裕子、佐々木(金野)真紀、小田明紀、中井殖、岩淵勉、熊谷薫、斉藤恒四郎、田口(三浦)文男、及川誠、中野美幸、及川喜世隆、千葉正俊、赤崎(斉藤)栄子、児玉(藤田)道子、森(森田)恵子、山本(上田)裕子、清水利恵、斎藤謙一、千葉憲二、秋元(小原木)直義、木下(菊田)郁子、千葉和夫、渡辺まさえ、河野進、玉山司、藤村進、栗原(小野寺)幸恵、龍崎経子、並木(鈴木)美代子、笹野(内海)登記江、佐藤厚、小林(小野寺)幸恵、加藤公明、熊谷和徳、矢崎暢一(大島中学校)熊谷雅裕(階上中学校)西城健也(津谷中学校)諸橋茂(鹿折中学校)田川耕三(唐桑中学校)鈴木修、村上教行、千葉健二(知人・友人ほかの皆様)洗濯船/吉成由貴子、古今亭志ん弥、ユコラ/宮本優子、伊豆の国市/鈴木貴子、菅野喜平治、ダンさん/渋谷健三、寺田恵子、A5有志/林森三、気中26回/千田理恵、ヨシオカアツシ(敬称略)

皆様、いつもありがとうございます。心からお礼申し上げます。

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担任の先生がた

気仙沼小学校4年9組の写真。はじめは、自分が何組だったのか思い出せなかったのです。しかし、昨年の震災後にわが家が気仙沼を引き払うにあたり、母が私と兄の小中学校時代の書類をまとめて渡してくれていたことを思い出しました。作文や新聞のスクラップ、そして通信簿。それを調べて9組とわかったのです。

そして、ちょっと思いつき、私の小中高12年間の担任の先生がたを書き出してみました。どうぞご覧ください。同じクラスだったことがあるかもしれませんね。

気仙沼小学校
1年8組 高宮冨士子先生
2年8組 高宮冨士子先生
3年8組 小野寺孝允先生
4年9組 菅原暉子先生
5年2組 尾形正雄先生
6年2組 菅原暉子先生

気仙沼中学校
1年10組 千葉泰二先生(英語)
2年7組 小松勝幸先生(体育)
3年8組 金野宗雄先生(英語)

気仙沼高等学校
1年3組 若松武徳先生(数学)
2年?組 穂積達郎先生(倫社)
3年6組 大槻良文先生(物理)

ほかの人にとってはただ教師名がならんでいるにすぎないでしょう。しかし、私にとっては、なんていうんだろう、ヒストリーでもあるし、それぞれの年にさまざまなストーリーもひそんでいる。

何度でも読め、読むたびに新しい発見のある味わい深い私小説。ま、その読者は私ひとりなのですが(笑)。

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琴ちゃんのこと

昨日の「昭和の子供2」で紹介した気仙沼小学校4年9組の学級写真。そこに写っている一人ひとりの顔を見ていると、本当にいろんなことを思い出します。

たとえば、石垣琴子さん。琴(こと)ちゃんは、本来はひとつかふたつ上の学年ですが、小さいときにかかった病気のために少し体が不自由で、妹の栄子さんとともに私たちと同じ学年になりました。実家は南町の石垣魚屋さんです。

気小4年
後ろから2列目、まんなか付近にいるのが石垣琴子さん(クリックで拡大)

琴ちゃんは、何度かクラスが一緒だったためか、私のことを親しく感じていたようでした。そして、ここからは母から聞いた話と私の記憶の混合になるのですが、たぶん小学校4年か6年の話。

父兄参観日のことです。教室のうしろにはお母さんがたが並んでいます。そして菅原暉子(てるこ)先生がなにか質問した後に言います。〈わかる人〉。すると、みんなが親にいいとこを見せようと思うのか競って手をあげます。〈はい!はい!はい!〉。そしてそれにつられたか琴ちゃんも手をあげたのです。先生がそれを珍しく思ったのか、指で指しながらいいます〈はい、琴ちゃん〉。

しかし、琴ちゃんは立ち上がったものの、なかなか答えません。そして困ったあげくにいいます。〈オダさんと同じこたえです〉。それを聞いてクラスのみんなが大笑い。私は照れくさかったけれど、まあ、一緒に笑ったのでしょうね。いいクラスというか、いい時代だった。

私が27歳のとき、勤めをやめてインドやネパールへ4カ月ちょっとの旅にいきました。そして帰国し気仙沼で数ヶ月を過ごしたのですが、そのときに琴ちゃんが亡くなっていたことを聞いたのです。ずいぶん早いけれど、体が弱かったからなと受け止めました。そして南町の佐々木写真館のならびにあった石垣家にうかがいました。お母様が私をおぼえてくれていて、仏壇に線香をあげさせてもらいました。〈琴子も喜んでくれる〉との言葉を聞いて、ちょっと迷ったけれど来てよかったなと思ったのです。

いま写真をみて思い出す風景のなか、琴ちゃんのまわりにはいつも誰かがいます。
琴ちゃんはみんなと一緒に笑っています。

昨日4月25日ブログ「昭和の子供 2」

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昭和の子供 2

「昭和の子供たち」と題して、千葉和夫君の小学4年生のときのクラス写真を紹介したのが、昨年11月15日でした。私の学級の写真もあるはずだと探しておりましたが、ちゃんとありました。気仙沼小学校4年9組。小4のときも8クラスと思っていましたが、11クラスになっていたのかもしれません。担任は菅原暉子(旧姓じゅうにむら・てるこ)先生。

気小4年
(クリックで拡大)

写真の裏に「37・3 小野寺孝允(こういん)先生(写)」と書いてありました。やはり写真を撮ってくれたのは孝允先生だったんだ。昭和37年(1962)3月撮影。私は前列右から3人目。紺のジャンパーを着て腕を前で組んで笑っています。しかし、和夫君のクラスの写真もそうだったけど、みんないい表情をしてますね。昭和の子供たちPart2。

先月のある日、気仙沼から帰ってきた斉藤恒四郎君が電話をくれました。
「いやあ、まいったよ。家を流されてるから、記念写真なんてのは震災後に配布された去年2月の還暦祝いのアルバムだけだって言うだもんな」。
新京の本郷店に集まった何人かの同級生の言葉に、いたく心を動かされたようです。

気小4年9組。この写真のなかにも、思い出多き写真の大半を流された同級生がきっといるのでしょう。

11月15日ブログ「昭和の子供たち」

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台湾慈済写真展

台湾仏教慈濟(ツーチー)基金会。昨年の7月と10月、気仙沼で見舞金配布をはじめとする支援活動を行ってくれた団体です。11月には、その支援へのお礼を一言申し上げたいと、斉藤恒四郎君、鈴木徳一君と新宿の支部を訪問しました。

その慈濟基金会による復興支援活動の写真展「心でつながろう」が4月19日から21日まで東京・代々木の全労災ホール・スペースゼロで開催されました。ご丁寧にご案内をいただき、20日の午後に会場にうかがいました。オープニングセレモニーでは、平野達男復興大臣も訪れて謝意を述べてくれたといいます。

会場では、謝富美さんがいろいろと説明してくれました。被災地での支援活動の様子に加え、世界中での募金活動の様子も紹介されています。アフリカの幼い子供が募金する写真もありました。謝さんはその写真を見ながら、〈金額ではないのです。その気持ちが、心がなにより尊いのです〉と語ります。

台湾3名
ご案内いただいた謝さん(左端)とスタッフの皆様。

そう紹介した後でなんなのですが、今回の震災で、慈済基金会は被災地の約10万世帯に総額50億円を超える見舞金を配布。気仙沼市での配布額は4億円にものぼります。

会場をあとにするとき、謝さんから家族分3個の缶詰を頂きました。おみやげ。ぜんざいのような小豆のデザートなのですが、その缶が貯金箱として使えるようになっています。説明書きに10円硬貨なら2460円、100円ならば2万7300円などと書いてあります。〈一杯になったら新宿の日本支部にお持ちください。それが難しかったら、近所の困った人にさしあげてください〉と謝さんは言います。

説明文の冒頭に「One Day One Coin」の文字。〈一日一善〉ならぬ〈一日一銭〉。こうした形での多くの人々の善意による見舞金を気仙沼の人たちも頂戴したのですね。

慈濟基金会、そして写真に写っていたあのアフリカの少年も含め、世界各国の多くのご支援をいただいた皆様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

10月17日ブログ「台湾からの支援」
11月19日ブログ「慈済基金会訪問」

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復興計画勉強会

今日の東京、午前中は冷たい雨模様。

一昨日21日は、気仙沼を元気にする会が主催した復興フォーラム「気仙沼市震災復興計画勉強会」でした。菅原茂市長から、市の復興計画の内容と、実施の現状や今後の見通しなどをご説明いただこうという催しです。

午前10時、神宮外苑の神宮球場そば日本青年館のホールに集まった約200人を前にして説明が始まりました。市長は、50枚ほどのスライドを用いて説明。出席者にはその映写内容の縮小資料が配られています。

市長説明 市長2
菅原市長から復興計画の説明。前方は少しあいていますが約200名が集まりました。

細かな内容は略しますが、印象に残ったのは菅原市長の率直な話しぶりでした。国との交渉、法律や制度の大きな壁、そうした多くの困難を、〈こんなに大変なことがあるんだから、わかってくれよ〉ということではなく、長期的な目標を掲げ〈その実現のための現在の問題はこうです。そして今後はこうしていきます〉としっかりと話します。
たとえば、国の計画として示されている内湾地区でのTP6メートルの防潮堤計画については、国の計画をくつがえすことの困難さを前提に、基本としてはそれを受け入れつつ、知恵をしぼっていきたいという姿勢です。防潮堤に対して、私の周囲では賛否両論というよりも、反対する人が圧倒的に多いのです。しかし、市長の話を聞いていると、私の実家近く魚町の海岸端で育った菅原茂さんもその心情はみなと同じだろうと。ただ、孫やその子、そしてそれに続く孫子の代に、また気仙沼の町が波にさらわれていいのかという問いかけを聞いていると、自分自身のうまい回答が見つかりませんでした。

そんなこんな、新聞などで知る断片的な情報ではなくて、市長の考えを直接聞き、感じることのできるとても良い機会となりました。

1時間半の予定を大きく超えて2時間にもなった市長の説明でした。最後は、来場者に〈気仙沼の復興は、地元の人たちだけでは難しい。壊滅した気仙沼の産業基盤の構造改革/イノベーションのためにぜひ皆さんの力を貸して欲しい〉という主旨のお願いがありました。ついでの話ではなく、それをお願いしにこの場に来ましたという気持ちがこもっていたように思います。

勉強会のあとは、会場を移しての懇親会でした。私たちの話の輪に市長も加わってくれて、防潮堤やがれきの処理などについてもなんやかやと。また、気中26回の市長の同級生は10人以上が集まっており、〈茂クン〉の労をねぎらっていました。

記念写真 千葉憲二
左:懇親会にて 右:挨拶を求められて〈かもめ食堂〉のことなどを話す千葉憲二君(3年4組)

この勉強会、とてもよい集まりになりました。菅原市長はもとより、この会の企画と運営をお手伝いくださった方々にお礼申し上げます。

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さんま代発表!

今日は結構いそがしい。午前10時からは日本青年館で、菅原茂市長をお招きしての「気仙沼を元気にする会」主催の〈復興フォーラム〉です。

さて今日の話題は、3月25日に行われた「気仙沼さんま寄席」。大盛況だったようでなによりでした。この催し、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)の糸井重里さんが「気仙沼の人がスタッフとして働いて、稼いで、稼いだお金で東京の目黒にさんまを送ろう!」と発案し実現。1000人にもおよぶ方々が全国から集まってくれたのです。

そして4月18日付けで実行委員会から「利益=さんま代」が「ほぼ日」で報告されました。その額、なんと348万9597円。すごいね。うれしいね。金額よりもなにより、皆さんの気持ちがね。さんま寄席にお集まりいただいた多くの方々、本当にありがとうございました。そしてお世話いただいた皆様にも心から御礼申し上げます。

ほぼ日刊イトイ新聞「気仙沼さんま寄席」

この「ほぼ日」の「気仙沼さんま寄席」サイトでは、利益金額の報告のほか、さんま寄席の様子が矢野顕子さんの『気仙沼においでよ』にのせたスライドショーとして紹介されています。ユーチューブ公開映像、約4分。とっても素敵ですよ。



今年の「目黒のさんま祭」は、9月16日(日)とのこと。みなさん、また目黒で会いましょう。

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「福よし」の再開

昨年4月20日から始めたこのブログ、今日でちょうど一年となります。数えてみたら324記事になっていました。今後ともご愛読よろしくお願いいたします。画面左の「全ての記事を表示する」をクリックすると、全記事の見出しが表示されますが、念のため下にもリンクをはっておきましょう。

全記事見出し表示

さて、4月15日のNHKテレビ「明日へ」渡辺謙 “僕に、できること” 第2回「ただひたすら被災地へ」。謙さんは、男山本店の菅原昭彦さんや磯屋水産の安藤竜司さんらとお酒をいただきながら語ります。そして画面右側の人は誰だろうと思っていたら、〈福よし〉の店主、村上健一さんでした。〈福よし〉は気仙沼の魚町にあったお店です。いろりでの焼き魚は日本一とも言われました。しかし、その店は昨年の大津波で被災しました。

以前このブログでも紹介しましたが、昨年12月のビッグコミックスピリッツ「美味しんぼ」のなかで、村上さんは「絶対に再開するよ」と語ります。そして、先日の渡辺謙さんとの話のなかでも、すでに海の近くに土地を確保して開店の届けも出していると話していました。

ネットで調べてみましたら、新しい店の基礎工事も始まり、7月の再開を予定しているとの情報がありました。先日の「明日へ」では、渡辺謙さんらはいろりで魚を焼きながら語るのですが、そこは被災をまぬがれた村上さんのご自宅だったようです。

名店「福よし」の再開。気仙沼を訪れる人の楽しみがひとつ増えることになりそうです。

12月22日ブログ「魚町 福よし」

この「渡辺謙 “僕に、できること” 」第2回は、今週土曜日の深夜に再放送されます。見逃された方は録画などして是非ご覧ください。

◎NHK総合テレビ/再放送情報
4月21日(土)深夜(22日)午前2:25~午前3:15(50分)
「明日へ」渡辺謙 “僕に、できること” 第2回「ただひたすら被災地へ」

4月16日ブログ「安藤さんの言葉」

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造船所復興の夢

4月14日の三陸新報に、気仙沼港の造船・鉄工所の団地化構想についての記事が掲載されていました。この構想は、関連業者による復興協議会が検討しているもので、国から委託を受けたコンサルタント団体「日本能率協会」からの報告が13日になされたというのです。

造船所 4月14日付け三陸新報

団地の候補地としては、朝日町、浪板、潮見町の3地区があげられましたが、報告では朝日町地区がもっともふさわしいとされたそうです。水深などの問題がクリアされており、すぐに着工可能であることがメリットとされています。朝日町は、いわゆる〈岸壁〉がある地区ですね。あの地区にあった石油タンクは津波で流されて大きな被害を生みました。

示された団地化イメージ図には、約7万2千平方メートルの土地に造船、修繕、艤装(ぎそう)などの各スペースが設けられています。従来よりも大型船を扱え、官庁船、練習船などを手がけることも可能となります。投資規模は218億円(浪板地区の場合は117億円)。売上拡大が不可欠で、各種支援制度などをフルに活用する必要があるそうです。

巨額の投資を必要とする計画で、その実現は簡単なことではないでしょう。しかし、TPプラスなんメートルものかさ上げといった話ばかりのなかで、久々に気仙沼の〈明るい未来のイメージ〉を感じることができました。国や県の支援も受けてなんとか実現して欲しいと心から思います。

追記
本日19日の夕方、気仙沼の〈ふかひれの福寿水産〉臼井弘君(3年4組)から電話をもらいました。「朝日町地区の造船所構想は、オダ君がいうような夢のある計画でもないんだよ」というのです。

弘君の話はつぎのようなことです。朝日町は、気仙沼湾の入口にあたる地区。波もあって、造船、修理作業にはあまり向かないのではないか。また、造船作業による塗料ほか粉塵などの発生を考えると、川口町や潮見町に今後立地するであろう水産加工業への影響も懸念される。造船業の早期の復興は自分としても強く望むところ。むしろこれまでの浪板地区での団地化のほうが費用も約半分だし現実的じゃなかろうか。

以上のような話でした。なるほど。話は聞いてみるもんですね。
弘君の工場再開ですが、もう1カ月ほどでなんとかなりそうだということです。いい形で再スタートできることを願っています。
弘ちゃん、わざわざどうもね。ありがとう。

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大川の桜まつり

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大川のさくらまつりが4月22日(日)から開催されます。
このさくらまつり、30数年前からの催しだということです。しかし昨年は大震災で周辺地域が壊滅状態となり、まつりや花見どころではありませんでした。それでも、桜の木はなんとか生き残り、今年も花を咲かせてくれました。そして地元有志の努力によってこの復活開催となりました。しかしこれが最後の開催になるかもしれません。この場所は、復興計画のかさ上げ対象地域となっているのです。

開催日:4月22日(日)~29(日)
時間 :提灯点灯は18時~21時
会場 :気仙沼市内の脇地区、大川河川敷付近
主催 :気仙沼大川桜並木を保全する会・気仙沼大川さくらまつり実行委員会

なお、私たち気中20支援会もこのさくらまつりに団体協賛させていただきます。協賛金はほんのわずかで桜の一枝にも足らないのですが、気持ちだけはたっぷりと。
桜の花の満開の下、ビールでも飲みながら〈柿の種〉じゃなかった〈話の種〉にでもしていただければと(笑)。

大川さくらまつりホームページ〈協賛・協力〉のページで、渡辺謙さんのメッセージや、堤幸彦監督、みのもんたさんらの応援動画も見られます。

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唐桑物語Part5

4月7日発売の雑誌『世界』(岩波書店)5月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第5回目は「漁業が培う造船魂」。これが最終回となります。

今回、紹介されるのは、江戸時代から続く船大工一族の七代目で、今はエンジニアとして建築界との協業で活躍する「高橋工業」の高橋和志(55歳)さんです。

世界5 (誌面イメージ)

高橋さんの一族は、唐桑の船主さんの依頼で木造の大型鰹船を戦前から多くてがけてきたそうです。大正初めに、この地方で頭領と呼ばれた「船匠」六名のひとり曾祖父の千松。この時代は木造和船。関東大震災後には小笠原諸島父島で15トン級の漁船を10隻完成させたといいます。祖父清志の代にはミッドウェイ沖で尾長鮪の漁場が見つかり、気仙沼でも150トン級の大型漁船が造られていきます。そして戦時中は、地元造船所7社は気仙沼造船鉄工所として統合されるのです。

戦後、祖父と父の吉四郎は、鮭鱒漁用の北洋船を造ります。まずは96トン級の木造船です。その後は鉄船へ。その仕事を通じて気仙沼に腕のいい溶接工が育ったのです。
鰹の一本釣りから近海での木肌鮪を追う延縄(はえなわ)漁への移行。そして遠洋へと漁場が遠くなるなかで、造船所は船頭たちと知恵を絞り漁船に多くの工夫をこらします。そして1970年代、高橋造船は従業員100人を超す当地最大の造船所となります。半数は溶接工だったといいます。

しかし、1977年の海洋法条約締結で、各国は200海里宣言をして漁場が制限されていきます。そして80年には第2次オイルショック。重油価格は暴騰し、多くの船主が廃業しました。そして売掛金を回収できず高橋造船は黒字倒産するのです。

その後、高橋和志さんは1985年に兄弟で高橋工業を設立。造船でつちかった鉄板の加工技術は多くの建築家からも信頼されていました。その仕事と活躍ぶりは別の機会に紹介しましょう。そして昨年の大津波。波路上(はじかみ)地区の社屋工場は崩壊したのです。

高橋和志さんはいまたった4人で新しい一歩を踏み出そうとしています。筆者である瀬戸山玄(せとやま ふかし)さんは、連載の最後をその高橋さんの言葉で結んでいます。

「故郷は人の繋がりで存在できる。そこで家系を繋ぐためにも、生き抜かなければなりません。その為の仕事なのです」


この連載には、唐桑を中心とした気仙沼の漁業の歴史とそれを紡いだ多くの人の物語がまとめられていました。はじめて知ったことも沢山あり、学ぶところの多い力のこもった連載でした。瀬戸山さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
「唐桑物語」。副題の「海と生きる100年の知恵」という言葉が胸にしみます。

唐桑物語1
唐桑物語2
唐桑物語3
唐桑物語4

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安藤さんの言葉

昨日4月15日のNHKテレビ「明日へ」渡辺謙 “僕に、できること”第2回「ただひたすら被災地へ」をご覧いただけましたでしょうか。前半が気仙沼関連の紹介でした。本日はその中から、防潮堤に関する磯屋水産の安藤竜司さんの言葉を紹介します。安藤さんは、6メートルといった防潮堤計画に納得がいかないのです。

安藤さんは渡辺謙さんを、内湾に面した約430坪の土地(柏崎の下、復興屋台村の隣方向)に案内します。この地区の復興プランがまだ定まらないなか、ほかの仲間も含めての店舗再建を計画しているといいます。そしてそこで、渡辺謙さんと魚町方向の景観をながめながら、つぎのように語ります。

「 海の恩恵を受けて、われわれ気仙沼の人間は生活してきて、大体80%ぐらいの人たちが何らか関連して海と生きてるんですけど、それがなかったら気仙沼じゃなくてもいいんですよね。〈気仙沼で生きる〉ってことは、〈海と生きる〉ってことなんです。

(ナレーション:気仙沼市の復興計画が昨年10月にできたことの紹介)

外洋から(津波が)ここの中に入ってくるまで、どんなにすごい波でも20分かかるんです。私だって、ただ無茶なだけでなくて、従業員の命ってのは大事なんです。後ろを見てください。この後ろはすぐ高台になってますから、たとえここに建物を建てても逃げ道はすぐあるんです。

(ナレーション:内湾に6メートルもの高さの防潮堤計画があることを紹介)

〈私たちは、ここで生活するんですよ〉と。生活する人間をまずさておいて……。命を守る、これは当然。国としても、ま、国か県かわからないですけど。命を守るのは当然としても、その方法論がね。〈今、21世紀で、この間だめだったんじゃねえの〉と。〈また同じことやるの〉と。

津波が、たとえば1000年にいっぺんだったら残りの999年、私たちは我慢して生きるの?って。いつ来るかわかんないことに対して、そうやって〈あんたたちは、我慢しなさい、面倒おこすんじゃないですよ〉と言われているような気がしてならないんですよね 」

紹介は以上です。このやりとりのなかで、渡辺謙さんは安藤さんを〈竜ちゃん〉と呼んだりして、すでにいい仲(笑)。これまでに何度も会っているようです。そして、内湾の景観をながめて〈6メートルといったら向かいのビルの上のほうしか見えなくなるよね〉となかばあきれるのです。

安藤さんの言葉。それは気仙沼で生きようとする多くの人の気持ちであると私は思うのですが、気仙沼以外の人たちにはまだよく知られていないようです。

3月13日ブログ「防潮堤反対の声」

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NHK再放送情報

8日に放送された気仙沼関連の番組2本が本日14日の深夜に再放送されます。見逃した方はぜひご覧ください。一部時間が重なっています。録画なさってはいかがでしょうか。

◎NHK総合テレビ「明日へ」
渡辺謙 “僕に、できること” 第1回「世界に震災を伝える」
本日14日の深夜(15日)午前1:20から。
第2回「ただひたすら被災地へ」は明日15日(日)午前10時05分から。

◎NHK Eテレ「ETV特集」
「気仙沼の人びと 2009~2012」
本日14日の深夜(15日)午前0:50から。
気仙沼に暮らす「普通の人々」の震災前から現在までの3年間を見つめたドキュメント。

4月13日ブログ「15日の必見TV」(「明日へ」の紹介)
4月13日ブログ「8日の必見番組」(「気仙沼の人びと」の紹介)

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ジャンル : 福祉・ボランティア

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南気仙沼の将来

4月8日に気仙沼で行われた南気仙沼地区の復興事業説明会については、10日のブログで小山隆市君の報告を紹介しました。そして同日の三陸新報にもその内容が掲載されていました。なかなかわかりにくい記事なのですが、4つのポイントに分けて要約してみました。

ポイント1◎幸町や内の脇の一部など28ha(ヘクタール)を「盛り土かさ上げゾーン」として3.5~5.2m(現在の地盤からだと2.5~4m)にかさ上げして住居系市街地を形成。要する期間は通常で事業化から3~4年。(土地区画整理事業)
ポイント2◎内の脇の残りの区域10.5haは「グラウンドエリア」とし、用地を買い上げて防災緑地と運動施設を整備。(都市公園事業)
ポイント3◎朝日町の臨港地区を除く57haは標高1.8mのかさ上げにとどめ、災害危険区域として居住を制限する「低地ゾーン」に区分け。潮見町を中心とした18haは漁港区域拡大によって水産加工場などを集積させる。
ポイント4◎土地区画整理を行う仲町の一部1.7haを除いた残り34.1haの「低地ゾーン」は、事業所再開を急ぐため、時間を要する大規模な区画整理は基本的に行わない考え。このゾーンではかさ上げに活用できる国の事業がなく、市は「防災集団移転団地の造成で出る残土を処理する形で、かさ上げできるように国に求めていく」とし、「自力で先にかさ上げする人は、不公平にならないようにしたいので写真や領収書を保管しておいてほしい」と呼びかけた。

これらの市街地整備計画はJRの南気仙沼駅が残ることを前提に策定されているが、JR気仙沼線の復旧方針はまだ決まっていない。住民からは、その方針によって計画が大きく変わってしまうとの指摘があった。

記事要約は以上です。
上記のポイント4中に「このゾーン」というのがありますが、ポイント3も含むのかどうかがちょっと不明確です。ポイント3の区域のかさ上げが国の事業なのかどうか。

下に昨年10月7日に策定された「気仙沼市震災復興計画」に示された南気仙沼地区の資料地図を紹介しておきます。細部はともかくも基本的な考え方はここに示されています。また、21日に東京で開かれる「気仙沼を元気にする会」復興フォーラムの復興計画勉強会で、菅原市長から詳しい話を聞くことができるでしょう。

南気仙沼
「気仙沼市震災復興計画」p47 南気仙沼地区等地図資料(クリックで拡大)

この南気仙沼の将来図が描かれた震災復興計画策定が昨年の10月。国の予算措置などが決まってやっとここまできたのですが、すでに半年たちました。

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15日の必見TV

今週日曜日の午前10時5分からのNHKテレビは必見です。
まずは番組情報から。

◎NHKテレビ
 4月15日(日)午前10時05分~10時53分
 渡辺謙 “僕に、できること” 第2回「ただひたすら被災地へ」

この番組は、先週8日から始まった新シリーズ「明日へ 支えあおう」の第2回目です。予告映像を見ると、男山本店の菅原昭彦さんや磯屋水産の安藤竜司さんなども登場しています。番組サイトではつぎのように紹介しています。

〈 “復興”で大切にすべきことは何か……。そんな疑問を胸に、渡辺さんは、被災地で多くの人に会い、対話を重ねる。気仙沼では、海の男たちと酒を酌み交わしながら本音トークを展開。また陸前高田では、避難所で会った夫婦を再訪、ここには秘められたストーリーがあった。さらに全村避難している福島の葛尾村を訪ね、住民たちの思いを聞く。〉

NHK「明日へ」番組サイト
このサイトから予告動画も見ることができます。

8日の第1回目は「世界に震災を伝える」でした。渡辺さんが、11月にニューヨークの被災地支援オークションで朗読した「雨ニモマケズ」や、1月のダボス会議でのスピーチを紹介しています。

実をいうとこの番組を事前に知りませんでした。当日、TBSの〈サンデージャポン〉からチャンネルをきりかえたら、男山の菅原昭彦さんが渡辺謙さんを醸造所に案内し、仕込みに使う井戸水を飲んでもらっているところでした。番組はすでに10分ぐらい過ぎたところ。その後はオークションやダボス会議の話でしたが、最後のシーンは、私の縄張りというか、地元魚町のお神明さん(五十鈴神社)を参拝する渡辺謙さんの姿でした。この1回目の再放送予定は今のところないようですが、気仙沼の映像は15日にも紹介されることでしょう。

気仙沼での渡辺謙さんの姿は、ネット上でもいろいろと語られていました。私がテレビ映像でみた渡辺さんも、番組のタイトルじゃないけれど〈僕にできることはなんなのか〉を一所懸命に考えているように感じました。そして以前よりずっと好きになりました。

これからは、〈世界の〉とか〈ハリウッド俳優の〉といった形容ではなく〈気仙沼の謙さん〉ということで、ひとつよろしく(笑)。

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21日は全員集合 !

来週土曜日4月21日は「気仙沼を元気にする会」復興フォーラム。先月21日にもお知らせしましたが、知らなかったという方も多いようなので再度のご紹介です。

午前10時からの復興計画勉強会の会場は「日本青年館」。地下鉄の外苑前やJR千駄ヶ谷・信濃町などから徒歩8~10分です。そして、懇親会は会場を近くの北青山に移して午後12:30から行われます。気仙沼出身者はもちろんのこと、気仙沼を応援してくれている多くの方々のご参加をお待ちしております。

◎気仙沼市震災復興計画勉強会「海と生きる」
菅原茂市長から気仙沼市震災復興計画について解説していただきます。
日時 :2012年4月21日(土) 午前10:00~11:45 (開場 9:30)
会場 :日本青年館 国際ホール(東京都新宿区霞ヶ丘町7-1)
参加料:一般1,000円 学生500円(会場受付にて)
◎懇親会
時間 :午後12:30~14:00
会場 :アーリーズ・テラス 外苑前(東京都港区北青山)
参加料:一般 3,000円 学生 2,000円

会の詳細や参加申込みは下記のサイトから
「気仙沼を元気にする会」HP

お問い合わせや上記サイトでの申込みができない方は下記の「気仙沼を元気にする会」へメールで。
genki@ksn-b.com

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1年と1カ月

毎月11日となると、あれから何カ月と数えてきました。
でもなにか今日は、3月11日からもう一カ月かという気持ち。先月11日は、テレビも新聞も〈震災から一年〉の特集ばかり。気仙沼をはじめ被災現地からの報告などがめじろおしでした。でもその後は、学校や企業の新年度開始、そして気候も春めいてきて。先日の土日は花見で盛り上がったり、なんか被災地復興の声が小さくなっているような。他人のことじゃないよ、自分のことを言ってるんです(笑)。

昨年の今ごろはどうしていたんだろう。ダイアリーからひろってみました。

3月25日 母が避難先のホテル望洋から仙台の兄宅へ
3月28日 義母が東京のわが家へ。5月4日には焼津へ
4月 2日 新橋にて気中20回/けせもい会有志会合

そうでした。4月2日に新橋の店に20人ほどが集まって3月25日のトラックによる同級生支援物資輸送の報告と、今後の支援についての話し合いを持ったのです。そして、4月20日にこのブログを開始。方針については次のように記しました。

「当面の活動方針」

◎気中同級生+その仲間
支援活動の対象は、まずは気中同級生としていますが、私たちには周辺中学校出身の多くの仲間もいます。支援会の活動を現地でも広く伝えると共に、窓口の判断で柔軟な対応ができるようにします。

◎お金・モノ+気持ち
義援金や支援物資の調達は非常に重要ですが残念ながら限界があります。これらに対し、心や気持ちに限りはありません。私たちの仲間を心から支えようとする気持ちをなにより大事にしようと思います。

◎即応的支援+持続的活動
震災直後には生活必需品の供給など現地ニーズに即応する対応が求められました。今後は現地ニーズに的確に応えながら、長期的な視点で、静かではあるけれど仲間を思う熱い心を持ち続けるよう努力します。

小さいかもしれないけれど、一つでも多くのプラスを。ブログ名「気中20+PLUS」(けちゅうにじゅうプラス)には、気中20回卒の同級生を軸に支援の輪をさらに広げていきたいという気持ちと、いつもプラス思考でという自戒の念を込めています。


一年たってもこの方針には変わりありません。というか、一年たった今こそもう一度この方針をみんなで共有したいと強く思います。静かではあるけれど仲間を思う熱い心を。

2011年4月20日ブログ「3月25日支援物資輸送レポート」

毎月11日にご案内しております。
義援金口座情報はここ

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復興計画説明会

4月8日の日曜日。気仙沼では南気仙沼地区対象の復興事業計画の説明会が行われました。4日には鹿折地区、7日には松岩・面瀬地区を対象にそれぞれ行われています。
8日の様子を小山隆市君がブログで紹介していましたので、転載してご紹介します。

「 陽射しが温かい今日の気仙沼です。ただ昨日までの寒気の影響で、気温は上がっていません。寒いくらいの気温です。

寒いと言えば、今日、市民会館大ホールで、今後の復興計画の概略説明がありました。南地区が対象の説明会は10時から、その後対象地区を変えて3回ほど開かれました。

説明会

様々な説明がありましたが、国の予算の関係がからむ事業であり、なおかつ不完全な条例でもあり、市職員の説明には、今ひとつ明確な言葉がなかなか出てきませんでした。

言質(げんち)をとられることを極端に恐れている感じがアリアリと見えました。菅原市長はその点では、ここまでは決まっているがこの後に関しては国に働きかけることで活路を見出したいと、明確に説明していました。

私の土地に関しては、幸町の自宅はかさ上げをした後に建物を建てることは可能とわかりましたが、気仙沼大橋付近から4車線道路をつくる予定路線にかかり、ほぼ以前の場所に建てることは不可能とわかりました。

魚市場前の店舗の土地は、約2メートルのかさ上げを自己負担で行った後に、規制に合う建物を建てて、商売を再開することはできるとわかりました。そのかさ上げ費用は、国に働きかけているので、多分(?)補助されるであろうという話でした。

国が行う幸町のかさ上げが完了するまで約5年、魚市場前の店舗を再開するには、まずもって個人的に膨大な費用がかかります。

いやはやわかっていたこととはいえ、本格的復興には、本当に長いスパンが必要。それまで待てるのか、どうなのか。様々な思いが頭の中を駆け巡った今日の説明会でした。」

隆市君のブログは以上です。

幸町のかさ上げが完了するまで約5年。そして個人で負担しなければならない多額の費用。〈それまで待てるのか、どうなのか〉。この隆市君の言葉を読んで、臼井弘君が電話で語っていた言葉を思い出しました。〈気持ちが持つかどうか〉。

新聞の文字やテレビからの音声ではなく、小さなころからよく知る同級生の言葉。それを聞いても、返す言葉がすぐには見つからないのです。

小山隆市君のブログ「気仙沼ネットデリバリー」数日で更新し読めなくなります。

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桜まつりの報告

7日8日の目黒と中目黒の桜まつりの報告です。

7日(土)午前11時に目黒駅に集合し、田道広場公園の桜まつり会場へ。メンバーは、会長の鈴木徳一君、菊田裕美君、千葉正俊夫妻、佐々木(金野)真紀さん、秋山(斉藤)裕子さん、及川喜世隆君の親戚のルワング芳子さん、小田の8名。正俊君夫妻は足利市からの参加でしたが、退職を機にこの4月末には仙台に転居します。ちょっとさびしくなりますね。

会場はすでに沢山の人出。気仙沼からやってきた佐々木徹君(3年1組)を探すと、物販テントの下であさひ鮨の〈さんま姿寿し〉を売っていました。早速みんなで購入。聞けば、前日にあさひ鮨仙台店でこのイベントのためにつくった限定150本とのこと。
会場の中央にはテントの下にテーブルとパイプ椅子が設置されているのですが、なかなか席がとれない状態。少しずつ椅子を確保してなんとか全員が着席できました。
そのうちに徹君がやってきました。東京にいる息子さんが応援にきたのでまかせたとのこと。この目黒の桜まつりには以前から参加しているらしいのですが、人出が少なかったり天候に恵まれなかったりと苦労した時期があったといいます。しかし、最近はなかなかの人気で〈さんま姿寿し〉を楽しみにしていると語ってくれる人も増えてきたそうです。
そして最後にみんなで記念撮影。

3人 記念写真
左写真:徹君を中央に左 小田、右 徳一君(クリックで拡大)

つぎは目黒川沿いに桜をながめながら中目黒へ。駅前の広場で気仙沼産品の物販をおこなっているのです。会場では在京気仙沼出身者を中心としたボランティアグループ「気仙沼コンシェルジュ」10数人が販売スタッフとして頑張っていました。このグループは、斉藤岳大さん(気中46回生)がお世話役となって銀座TSビルの気仙沼復興応援ショップの販売支援などをおこなっています。コヤマの小山裕隆さんや斉藤道有さんの同級生ですね。ここで樽酒などをいただいた後は近くの店で3次会(笑)。そして本日は解散。

翌8日、日曜日。この日の中目黒会場は〈気仙沼ホルモン〉の提供です。用事があったのでちょっと寄ってみました。お昼ごろの中目黒駅はものすごい混雑、駅を出ても同じ。
会場に行くと、同級生鈴木(佐々木)真知子さんの次女亜紀さんが元気にお客さんの呼び込みをやっています。昨年の〈気仙沼を元気にする会〉のときにお会いしました。亜紀さんもコンシェルジュメンバー。そして同級生佐藤淑子さんの親戚の岩手さんも連日のお手伝いです。

ホルモン キャベツ
左:気仙沼ホルモン販売テント 右:キャベツ担当のみなさん

私たちは、同級生激励といいつつも、ま、どちらかといえば花見の気分(って、それはオダクンだけか?)。その一方では多くのボランティアの皆さん。いつも本当に頭が下がります。

徹君はじめ気仙沼からの皆様、お疲れさまでした。
そして多くのお手伝いの皆様、ありがとうございました。

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8日の必見番組

明日8日のNHK/Eテレ「ETV特集」で気仙沼がとりあげられます。

ETV特集「気仙沼の人びと 2009~2012」
放送日 :2012年 4月 8日(日)
放送時間 :午後10:00~午後11:00(60分)

番組サイトではつぎのように紹介しています。
〈大震災から1年が過ぎた宮城県気仙沼。港町を襲った巨大な津波は、人々の暮らしを一変させた。人々のなりわいや、人と人との絆は取り戻すことは出来るのか。港近くの銭湯の夫婦、漁師と保育士のカップル、夜のスナックのママ、雑貨屋さんの店主など、気仙沼に暮らしてきた「普通の人々」が、震災前の2009年から2012年の現在に至るまで、どのような運命をたどったのか。その3年間を見つめた。〉

銭湯の夫婦、スナックのママなどと聞くと、〈ああ、あの人たちか〉と思い出す人も多いでしょう。すでに紹介された内容に最近の映像を加えて再構成した番組だと思います。必見ですね。

番組の録画を予約して、私はこれから目黒へ。田道広場公園の桜まつりから中目黒に回ろうと思います。それでは行ってきます。

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澤井充君、上京

今日の東京もよい天気でした。気温は昨日ほどではありませんが、とっても気持ちいい。午前中は大手町に直行して一仕事。午後1時の待ち合わせまで、少し時間がありましたので、お堀端ぞいに歩き日比谷公園をのぞいたりしながら銀座まで。

澤井充君(3年4組)が、娘さんの大学入学のため昨日上京、本日気仙沼に帰るのです。それで、菊田裕美君と一緒に昼飯でもという段取りです。
澤井君は息子2人と娘2人の4人の子供がいます。本日は大学に入学したての次女れいこさんと、すでに東京で働いている長男としみつさんの3人で登場です。銀座TSビル近くのビアホールでまずは乾杯。あとは、あれやこれやと気仙沼の話です。

震災当日、充君は気仙沼にはおらず古川のほうに出かけていたそうです。しかしれいこさんは、ふたりの小さな子供と帰省中だったお姉ちゃんと一緒に中央公民館に避難し、みなヘリコプターで救助されたといいます。あの東京消防庁の奇跡の救助劇のなかにいたのですね。
澤井君の潮見町の家は津波で流されました。写真アルバムも。先日写真館で撮ったという家族写真を見せてもらいました。澤井君夫婦、子供4人、孫2人。震災後に新しくつくる初めての記念写真だそうです。

澤井4人 澤井3人
左写真:左から菊田裕美君、澤井充君、次女れいこさん、長男としみつさん

あれから1年と1カ月。澤井君の会社澤井製作所の仕事は幸いなことに忙しいといいます。そして末の娘さんは4月から大学生。生きていれば春も来る。

澤井君、れいこさん、おめでとう。

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花見の日程など

午前中は中目黒方面にでかけ、今もどりました。今日の東京はとても暖かく、まさに春の到来。中目黒でも祐天寺でも、随所に桜が咲いていて、今週の土日はまさに花見日和となりそうです。

昨日紹介した目黒と中目黒の桜のイベントですが、私は7日(土)に菊田裕美君らと一緒にでかけることにしました。午前11時にJR目黒駅改札で待ち合わせです。ご一緒できるかたは是非どうぞ。

目黒イーストエリア桜まつりの会場は、目黒のさんま祭りと同じ。目黒駅から目黒川方向に坂を下り、川にぶつかったら右方向です。徒歩12~13分ほどでしょうか。
中目黒/ナカメアルカス春祭り会場は、中目黒駅を出て横断歩道をわたって右方向、徒歩2~3分です。

私たちは、目黒の会場から目黒川沿いに中目黒まで桜を見ながら歩こうかなと。ただ、相当の人出でしょうね。

目黒会場には、気仙沼から佐々木徹君も来ます。元気な顔が見られるでしょう。
徹ちゃん、待っててね(笑)。

目黒桜まつり紹介サイト
中目黒ナカメアルカスHP

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桜イベント2件

いよいよ東京は桜の季節。今週の土日、東京の目黒と中目黒のイベントに気仙沼関連の出店があります。是非おでかけを。

◎目黒イーストエリア桜まつり

このイベントは、あさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が知らせてくれました。徹君も上京し両日とも田道広場にいるとのことです。

開催日時:4月7日(土)8日(日)午前10時~午後6時
場所:田道広場公園(目黒のさんま祭り会場と同じです)
出店内容:「気仙沼旨いもの倶楽部」として参加。
あさひ鮨/仮復興のさんま姿寿し限定150本、斉吉商店/金のさんま・海のおこわ・メカの味噌漬けなど、ケイ/さんまの佃煮など、カネマ/マグロの角煮・メカステーキなど。
そのほか次の物も販売される予定です。
特製フカヒレスープ¥400、サンマ焼き¥300、いかぽっぽ焼き¥500、ゆでたてのメカブ、ワカメの販売など。気仙沼の地酒、蒼天伝ハイボールなども。
8日は午後3時頃で終了し、気仙沼に戻る予定とのことです。

桜まつり紹介サイト

◎中目黒/ナカメアルカス春祭り2012

開催日時 4月7日(土)8日(日)午前11時~午後5時
場所:中目黒駅前ナカメアルカス広場(地下鉄日比谷線・東急線中目黒駅下車すぐ)
○4月7日(土)
・飲食屋台:炭火焼 さんまみりん干し・熟成いかの塩辛・樽酒・高級ふかひれ酒
・物産販売:マルトヨ さんまみりん干し・さんま南蛮漬け・三陸わかめ(塩蔵25%)、波座/熟成塩辛、気仙沼名物/クリームサンド
○4月8日(日)
・気仙沼ホルモン/限定500食(気仙沼から直送のホルモン)

会場には、東京在住の気仙沼出身者もお手伝いにかけつけるようです。

ナカメアルカスHP

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ミヤテレ復興祭

3月31日と4月1日の2日間、仙台市役所前の市民広場で震災復興支援を目的とした宮城テレビ主催の「ミヤテレ復興祭」が開催されました。ステージでのイベントや生放送のほか、被災した会社・商店を中心とした物産市も開かれ、小山隆市君(3年6組)の「コヤマ菓子店」も出店しました。

仙台在住の平野秀明君(3組)がメールでその様子を知らせてくれましたので紹介します。

〈 4月1日午後1時すぎ、宮城テレビの「復興祭」に行ってきました。数年ぶりに小山君に会えることと、去年の震災で岩沼から仙台に引っ越してきた義理の母にコヤマ菓子店の〈絆カステラ〉を食べさせてあげたいと……。

テレビなどでよく拝見していた息子さんとお会いして「ご苦労さま、頑張ってますね」と挨拶すると「父はまもなく来ます」とのこと。ではまずは〈絆カステラ〉をとテーブルを見たら商品すべてに「完売しました」の文字が。残念ながら買えませんでした。ほかのお客さんも残念そうでした。あとで聞いたら、ネットのオンラインでも買えるみたいなので、それを利用して購入するつもりです。

その後、赤いジャンパーを着て到着した小山君と数年ぶりの再会。握手をしながら、笑顔の中に何か想像もつかない相当な苦労を感じました。3人でうつっている写真は、人ごみの中で邪魔にならないように急いでシャッターをきりました。真ん中の黒い服の男性の方は誰かわかりません。小山君とは気仙沼での再会を約束し、会場をあとにしました。

こちら仙台は暖かかったり寒かったりの繰り返しです。私は、花粉症と楽天イーグルスの開戦試合3連敗に参っています(笑) 〉

ミヤテレ3人 ミヤテレ会場
左:小山隆市君 中:隆市君の仙台の友人 右:長男の裕隆さん(クリックで拡大)

平野君、ありがとう。お義母さんに〈絆カステラ〉を食べさせたいとか、とてもやさしいね。平野君にも拍手。

隆市君のブログ

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奥深い気仙沼弁

先週の土曜日31日の「おやつは毛ガニ」で、「蟹や蛸は、小舟でとったものでないと美味しくない」を気仙沼の言葉でいうとこんな感じと書きました。

「だれ、カニやタゴはダンベコでとったやづでねえど、うまぐねえもの」

なんかちょっと微妙に違うなとは思っていたのです。だって、私は気仙沼で生まれたものの両親は新潟の新発田と柏崎で、気仙沼ネイティブじゃないもんで。

そして早速届いたコメントに2種の表現が書かれていました。添削か!

◎柔らかい表現 「だーれ、カニだの蛸だのっつのはー、チャッコイふねこでとったのでないど、うんまぐないのっさー」
◎きつい表現 「ダレ!カニだの蛸はダンベコでとったのでねぇど、うんまぐねぇー!」

なるほどね。〈チャッコイふねこ〉、そして〈うんまぐね〉における「ん」の使用など、さすがと思わせます。

コメントはつぎのように続いています。

〈と、ここまで書いて、ふと疑問。気仙沼弁はなんでも「こ」がつくのが特徴、「紙=紙こ」「酒=さげこ」「舟=ふねこ」ならば、だんべ=だんべこ?  で、広辞苑で調べてみたら、「団平船だんべいぶね」とあって驚きました。やっぱり「こ」をつけた?!
私の母84歳は「茶碗こどコップッコどお椀こどお箸こ、とってけらいん」(茶碗とコップとお椀とお箸をとってください) 。魚の子も、人の子も「こっこ」と言います (^_^) 〉

いろいろありがとうございます。勉強になります(笑)。

それから、文章の冒頭の「だれ」ですが、これは「誰」ではありません。「だって」とかという言葉に近いでしょうか。「だれ」を頭につけるだけで、なにか気仙沼のおんちゃんだづ(おじさん達)の表情が浮かんでくるようです。

気仙沼の言葉、なかなか奥が深い。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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