おやつは毛ガニ

おとついの〈毛ガニの思い出〉に昆野秀男君からコメントをもらいました。秀男君というよりヒデオちゃん。魚町坂口の鼈甲屋(べっこうや)さんの息子三人兄弟の一番下、私たちの2~3学年下で、小さいときには一緒に遊びました。このブログを読んでくれていると知ってびっくり。今は東京かな。

コメントのタイトルが〈私もおやつに毛がにを食べてました〉。すごいよね。毛ガニがおやつ。たしかに、小さなころ毛ガニをおかずにした記憶はないのです。南町が実家だった妻も〈おやつ〉という言い方をしていました。

秀男君のコメント〈アキちゃんの隣の小梨君のお父さんが小舟で毛がにを取って来た時には、いつでも毛がにを食べてましたよ。今思うと、すごく贅沢でしたね〉

これを母に伝えたら〈そうだそうだ、小梨さんだった。サイトウさんはその後のはなし〉。小梨さんは魚の仲買いをやっていました。母に寄れば、ずいぶん前には小さな船でお神明さんの近くで小魚などもとっていたとのこと。同級生小梨恒夫君(3年9組)の親戚です。正月近くになるといただくタコなんかも最高でした。私の60年の人生のなかで一番おいしいタコ(笑)。

小舟のことは〈ダンベコ〉と呼んでいました。
さて、「蟹や蛸は、小舟でとったものでないと美味しくない」これを気仙沼ではどのように言うか。気仙沼弁テレビ講座ならこう言うね。それではスキットをご覧ください。

「だれ、カニやタゴはダンベコでとったやづでねえど、うまぐねえもの」

2~3度くりかえせば、気分はもう気仙沼。それではまた来週。
Same time, same channel.

7月23日ブログ「小梨君のエレキ」
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同級生の2店

3月18日から20日まで気仙沼に帰った事務局の菊田裕美君(3年1組)が現地で会った同級生の写真を届けてくれました。そのなかから2枚を紹介します。裕美君の南町の実家は被災して今はもうありませんから、ホテル泊だったとのこと。

まず一枚目は、昨年12月に田中前の「気仙沼さかなの駅」で営業を再開した平塚一信君(3年1組)。平塚商店は、鰹・鮪・鮮魚の専門店。長年の経験で選ぶ魚の質は折り紙つきです。電話での注文、地方発送もできますので予算を伝えて相談してみては。いいやつをみつくろってもらってさ。

平塚
平塚商店の平塚一信君(クリックで拡大)

(有)平塚商店 気仙沼市田中前2丁目12-3 電話:0226-24-1531
さかなの駅HP

二枚目は、南町の復興屋台村「気仙沼横丁」で「あたみ屋」を出店している大友(小野寺)つき子さん(3年9組)。店では東京からの板橋君ともばったり会ったそうです。つきちゃんは以前、階上で五右衛門ラーメンを営んでいました。津波ですべてを流されて失意の時期もありましたが、一人息子と店を再開したのです。味はネットでも評判ですよ。

つきちゃん
左から つき子さん、板橋君、裕美君(クリックで拡大)

復興屋台村「気仙沼横丁」気仙沼市南町4丁目2-19
「あたみ屋」紹介サイト あたみ屋/電話:090-6785-1991

3月11日は、俳優の渡辺謙さんがわざわざ来店して激励してくれたとのことです。この日はつきちゃんの誕生日。気仙沼小学校は生年月順にクラス編成ですから私と同じ1年8組でした。23日が私、たしか28日は中井君。みんな〈ちゃっこくてめんこい/小さくてかわいい〉クラス(笑)。31日や4月1日生まれはいなかったと思うので、今日で気中20回生は全員が満60歳。オール還暦です。

年度末。新聞紙面の気仙沼市職員や学校関係者の退職者名のなかには懐かしい名前がならんでいましたね。民間企業でも同様でしょう。皆さん長い間お疲れ様でした。

あさってから4月。気分をかえてまた元気にやっていきましょう。

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毛ガニの思い出

昨日のブログで〈しらす〉の話を書いたら、〈毛ガニ〉を思い出しちゃった。これも気仙沼の思い出の春の味。

私たちが小学生の頃、つまり50年も前の記憶です。夕方、座敷のテーブルというか、まだコタツかな、その上に小ぶりのゆでた毛ガニが5~6はい置かれます。包装紙とか新聞紙を敷いた上にね。

家族みんなで箸かなんかを使いながら、もくもくと蟹の肉をほじくります。〈ちゃんと、ふんどしをとりなさいよ〉という母の声を聞きながら、〈お、みそがいっぱい入ってる〉とか〈これは、みそがない〉とか言いながらね。〈ふんどし〉とは、あの三角形の部分の下の白いところ。念のため。

母に聞くと、あの毛ガニは店で買ったというよりも、大島が実家の近所のサイトウさんからもらったんじゃないかなとのこと。そうだとしたら、サイトウさんちには、どんだけ毛ガニが届いていたんだろう。

余談ですが、私たちが小さなころ、カツオにしてもマグロにしても、買うものではなく貰うものでした。〈こいづは冷凍だがら、うまいがどうが、わがんねえけんとも〉といいながら緑色の紙に包まれたまぐろのブロックを渡される感じでしょうか。返すお礼の言葉は〈ばば、なんだべ~〉で始まります。まぐろのお返しは、後日カツオでとかね。

大きくなって東京で暮らすようになり、〈毛ガニの市場価値〉を知ると、気仙沼で食べたあのカニは、毛ガニではなく〈毛ガニもどき〉だったんだろうなと勝手に思っておりました。しかし、いろいろ調べてみると、あれは立派な毛ガニだったんですね。気仙沼の毛ガニさん、ごめんなさい。

しかしなんですね、こうしてシラスをはじめ気仙沼の懐かしい味を思いだすのも、春めいてきたせいでしょうか。
あ、それから、〈毛ガニの思い出〉と聞いて、伊藤ゆかりさんの〈小指の思い出〉を思い出したあなた。ちょっと疲れてますよ。

あなたが噛んだ毛ガニがうまい(笑)。

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私のしらす物語

今日の東京は暖かく、いよいよ春の訪れを感じさせます。

気仙沼の春の味。そのひとつが〈しらす〉です。
私たちが小さなころの魚町の朝。家の外から〈しらす、よござりすか~〉という声が聞こえてきます。これは、「しらすの用はございませんか」という意味ではないかと勝手に思っていますがどうでしょう。〈ござりす〉というのは、〈ございます〉という意味の丁寧な言い方。気仙沼の言葉には、あらっぽい言葉も多いのですが、こうしたきれいな響きを持った丁寧語も多いのです。

このしらす売り、気仙沼の鹿折地区浪板(なみいた)でとれたしらすを朝早く釜揚げしての行商です。
声をかけるとしたら、なんて言ったんだろう。「しらす、けらい(ください)」か「しらす、もらうがら」あるいは「しらす、もらえっぺが(もらえますか)」か。なじみの家にはガラッと戸をあけての訪問販売かも。「おくさん、しらす、どうだべ」母「んで、もらうがな(それでは、もらいましょうか)」的な(笑)。

すると浪板のおばちゃんは、背負った荷から升(ます)でしらすを計ります。家のどんぶりかなにかに入れてもらったのでしょう。

私の記憶があいまいだったので、震災後は仙台で暮らす母に聞いてみました。
「値段は、結構したよ。でも、美味しいからね。うちで買っていたおばちゃんは、なにかゆで方に秘訣があるといって〈おらいのが、いぢばんうまいがら〉って自慢しながら、箸を使って一合升にフワッと空気をまぜるようにいれるんだよ。買うほうからすると、もう少し押し込んでもいいのになと思ったりして。そんなこともいまは懐かしいねえ(笑)」

〈浪板〉というのは、ホテル観洋とか気仙沼プラザホテルの対岸に見える地域です。その浪板のしらす売りの声もずいぶん前に聞かなくなったと母は言います。私も、2年ぐらい前になるでしょうか、実家から送ってもらっていた三陸新報で、浪板地区小々汐(こごしお)でしらす漁を続けていた最後の一軒が漁をやめたという記事を読みました。そこには、浪板地区で釜揚げしたしらすを朝に売りに出たのはたしか50~60年ぐらい前のことと書かれており、そんなに古い話ではないのだと驚いた記憶があります。

25日の「さんま寄席」の打ち上げは、2カ所で行われました。市民会館では八幡太鼓、アーバンでは浪板の虎舞が披露されたとのこと。その浪板は、気仙沼の春の〈しらす漁〉でも知られる地域だったのです。

浪板のしらすの思い出をなんやかやと話す母。最後は〈私のしらす物語はこれでおしまい〉といって笑いました。

春が近づいています。

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幻の南町復興案

連日、気仙沼の「魚町・南町まちづくりコンペ」の話で申し訳ありません。コンペの審査結果も出ることだし、そろそろおとなしくしようと思ってはいたのですが、きのう伝えたように審査は延期とのこと。それで本日もこの話。

3月15日の朝日新聞朝刊の「社説・余滴」という署名コラム。政治社説担当の松下秀雄論説委員が「復興へ、「緩さ(ゆるさ)」の勧め」と題し、南町紫市場やまちづくりコンペについて書いていました。〈社説・余滴〉とは、社説こぼれ話といったところでしょうか。

朝日松下 3月15日朝日新聞朝刊の紙面イメージ

まずは南町紫市場の話。これは中小企業基盤整備機構の事業として行われましたが、同機構の融通のきかなさはNHKスペシャル「気仙沼 人情商店街」を見た人ならおわかりでしょう。
そしてつぎは、まちづくりの話。南町紫市場の法人理事長で地区の自治会長もつとめる(あさひ鮨の)村上力男さんは、ほかの自治会長らと、にぎわいのあるまちづくりの勉強を始めたのだそうです。
〈スーパーや福祉施設をコンパクトに配置。マンションを建て、家を失った他地域の人にも入居してもらう。県が示す6.2メートルの防潮堤の代わりに、同じ高さの親水公園を設けて、人が行き交うようにする。そんな案を練った。「これなら、自分たちで一軒一軒説得する」。自治会長らから声があがった〉

しかし村上さんらは、この案を市の「魚町・南町まちづくりコンペ」に応募することは見送りました。応募条件にある復興交付金など国の制度の活用方法の明記が難しかったからです。
松下論説委員は〈これはもったいない。国が出せる総額を決め、その枠内で地域が自由に使える仕組みにできないのか。復興で大切なのは、地域の自治の力だ〉と述べ、〈国はもっと「緩く」働いてはどうか〉と結んでいます。

南町の人たちが応募をあきらめざるをえなかった〈まちづくりコンペ〉。私も応募要項をよく読みましたから、そのハードルの高さがよくわかります。
しかし、南町の人達が構想した復興案はどんなものだったのでしょうか。その〈幻の復興案〉をぜひ見てみたい。コンペで選ばれた案もあくまで参考案であるというならば、町のひとたちが考えた構想も今後のまちづくりの参考にしてはいかがでしょうか。

そういえば、昨日紹介したTBSのニュース映像に、NHKスペシャル「気仙沼 人情商店街」で紹介された坂本副理事長の顔や、あさひ鮨の村上力男さんがうつっていましたね。

TBS関連ニュース映像
12月10日ブログ「防潮堤のその後」

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コンペ審査延期

昨日の気仙沼の「さんま寄席」は無事終了というよりも、まさに「大成功」だったようでなによりです。関係者の皆様、そして遠くから気仙沼においでいただいた大勢の皆様、本当にありがとうございました。

さて、一昨日24日に予定されていた「魚町・南町まちづくりコンペ」審査委員会ですが、毎日新聞によれば4月2日までに投票を延長し、その後、審査会を再び開くことになったそうです。住民代表の審査委員が「書類が送られてきたのが2日前。投票しろと言われてもできない」などと反発したことが理由とのことです。

私が気になったのは、菅原市長の「コンペの提案は行政や地元が検討するまちづくりの参考にしたい」との説明。毎日新聞は、〈これに対し一部の住民代表が「提案が素案になると曲解している住民もいる」と指摘するなど、地域との意識のずれも目立った〉と報じています。

私が「コンペ」という言葉に感じた疑問を思い出しました。応募案を参考にするだけならば、ただのアイデア募集ではないですか。住民だけでなく、応募した大学や企業の人達も、〈選ばれた提案が素案になる〉と思っていると思うのですが。

この〈まちづくりコンペ〉、ちょっとごちゃごちゃしていることが気になります。

TBS関連ニュース映像
毎日新聞ニュースサイト
12月30日ブログ「復興計画コンペ」

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大西隆教授の話

3月18日の三陸新報に興味深い記事がありました。

17日に、日本計画行政学会の復興フォーラムが気仙沼で開かれたというのです。
この学会の大西隆会長は、東京大学教授で国土計画や地域開発、都市開発が専門です。政府の東日本大震災復興構想会議委員もつとめるなど、この分野での権威者のひとりといってもよいでしょう。昨年10月には、日本を代表する科学者団体「日本学術会議」の会長にも選出されました。そして大西教授は、気仙沼市の震災復興会議の委員もつとめてくださいました。

復興フォーラムについて三陸新報はつぎのように伝えています。
菅原市長は基調講演で、内湾で高さ5~7メートルになる防潮堤については「堤防は必要だが、位置や形状は工夫できる。県を入れて各地域に合ったものを協議していく」と。

大西教授は、過去の大津波の教訓が生かされなかった事例を紹介しながら、「宮古市田老の巨大防潮堤のように、津波を人工的に防ごうとしてもできなかった。防災施設と避難、まちづくりを合わせた『減災』の考え方が重要」とアドバイスしたといいます。また、公的資金を活用して新産業を立ち上げる「復興まちづくり会社」の設立も提案したとのこと。

市長は、防潮堤の位置や形状について語っていますが、高さは?
また、〈県を入れて協議〉というものの、防潮堤は国の予算を使って県がおこなう事業でしょうから、むしろ〈市もなんとか入れてもらって〉高さも含めて協議して欲しいところです。新聞の伝え方もあるとは思いますが、そんな細かなことが気になる今日この頃です。

防潮堤の限界と〈減災〉の考え方の大切さを語る大西教授。そのアドバイスは、きょう24日午後一時からの「魚町・南町まちづくりコンペ」審査にどのように反映されるでしょうか。

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コンペ審査会

明日24日午後1時から、気仙沼市役所で「魚町・南町まちづくりコンペ」の審査委員会が開催されます。
3月21日の三陸新報によれば、寄せられた案は99件。明日の審査は、この中から、都市計画、企画政策、商工課などの職員が絞り込んだ20件を対象におこなわれます。
審査委員は、魚町1~3区、南町1~4区各自治会の会長をはじめ、震災復興会議委員、市民委員会委員、商工・観光関係者ら26人。菅原市長、気仙沼地方振興事務所の宮原所長も加わるとのことです。

案の絞り込みや審査にあたっては、応募要項に示された<提案の前提条件>をクリアしていないものは事前にはじかれています。応募要項なかの防災・減災についての条件を下にまとめました。

◎比較的発生頻度の高い津波(レベル1)により浸水が想定される土地には、旅客船関連施設、水産関連施設、交流・レクリエーション関連施設、商業施設等以外の建築物は設けない。参考:県が提示した人命・資産を守るための防潮堤の高さは、TP+6.2m

◎今回のような最大クラスの津波(レベル2)の津波により浸水が想定される土地に住宅等を設ける場合は耐浪化を図る。また、浸水が想定される高さには居室を設けない。参考:県が提示した人命を守るための防潮堤の高さは、レベル1対応の防潮提整備を前提としてTP+7m

県の示している防潮堤の高さは、〈参考〉とされてはいるものの、それを踏まえていない、たとえば〈あえて防潮堤を設けないまちづくり〉提案が認められるのかといえばそれは難しいでしょう。防潮堤に関するかぎり、市が作成したコンペの応募要項の内容で、まちづくりの大きな枠組みが決められているような気がします。

そんなことあんなことを思いつつも、明日の審査会で、未来のわが魚町そして南町のためのより良い計画案が選出されることを心から願っています。

12月30日ブログ「復興計画コンペ」

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杉目先生を偲ぶ

きのう3月21日は、私たち気中20回生なら誰でもが知っている杉目(すぎのめ)俊夫先生の命日でした。気仙沼中学校で英語を教え、3年5組の担任でした。先生は、昨年の震災時は入院中でした。あの日の10日後に亡くなりました。

杉目先生 卒業アルバムのなかの杉目先生

震災後に杉目先生はどうしただろうと思いつつも、自宅は海から離れているから大丈夫のはずと勝手に思い込んでいたのです。しかし、その考えは甘かった。先生は病を得て入院しており、震災直後は停電その他かなりつらい状況があったようです。その後、佐々木徹君から〈杉目先生が亡くなった〉と聞き、10月6日、仙台の先生の実家に電話して、3月21日に亡くなっていたことを知ったのです。

さまざまな思い出があります。でもいまは静かに、杉目先生のあの口笛を吹く姿を思い出しながら、冥福を祈るばかりです。

10月6日ブログ「杉目先生の口笛」
10月15日ブログ「太ももの傷の話」

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復興計画勉強会

昨年10月22日に開かれた東京・恵比寿での「気仙沼を元気にする会」。本年はまず4月21日に、菅原茂市長においでいただいての気仙沼市震災復興計画の勉強会「復興フォーラム」として開催されます。

日時 :2012年4月21日(土) 午前10:00~11:45 (開場 9:30)
会場 :日本青年館 国際ホール(東京都新宿区)
参加料:一般1,000円 学生500円(会場受付にて)
定員 :210名(定員になり次第、申込み受付終了)

この日、勉強会終了後に懇親会もおこなわれます。
時間 :午後12:30~14:00
会場 :アーリーズ・テラス 外苑前(東京都港区北青山)
参加料:一般 3,000円 学生 2,000円

会の詳細および参加申込みは下記のホームページから

「気仙沼を元気にする会」HP

お問い合わせや上記サイトでの申込みができない方は下記にメールで。
genki@ksn-b.com

復興計画の内容は、公開されている文書を読めばすむことですが、現地気仙沼での最大の関心は、復興計画に明示されていないことにあるでしょう。気仙沼市の現状と将来ビジョンを知り、そして語る、良い機会になると思います。是非、ご参加ください。

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牡蠣の本当の旬

〈牡蠣の旬はいつか〉と聞かれたら、多くの人は冬と答えるのではないでしょうか。あるいは、英語の月名にRがついている時とか。

月名の〈R〉の話は、「Rのつかない月は牡蠣を食べるな」という英国のことわざからきているようです。MAY(5月)からAUGUST(8月)はだめだよと。この期間は、牡蠣の産卵などがあって身がやせてしまうというのです。
そして、牡蠣は冬のものという季節観に対応するかたちで、宮城県漁協も以前は3月中で剥き身(むきみ)牡蠣の出荷を終えていたのです。

でも実際の牡蠣の旬はちょっと違うようです。

昨日のブログで紹介した「唐桑物語」。そのなかに、次のような記述がありました。
卵が入る寸前の牡蠣はグリコーゲンを蓄えていて格段にうまく、畠山政則さんは、「一年で一番うまい、4月と5月の牡蠣を広めたい」と前々から訴えてきたというのです。つまり、牡蠣の旬とは春、卵が入る寸前。気仙沼では4月、5月。たしか同じような話を、「森は海の恋人」水山養殖場の畠山重篤さんも著書『牡蠣礼賛』で書いていました。なお、これは、通常の真牡蠣(まがき)の場合です。いわがきの場合は夏も美味しいとか、また違ってきます。念のため。

そうした声を受けてか、宮城県漁協も昨年からやっと春の出荷を認めるようになったとのこと。しかし、政則さんが今年春の出荷用としていたイカダ4台分の二年物の牡蠣はあの大津波で海に消えました。

そんな春のふっくらとした牡蠣にちょっと小麦粉をふり、オイルで焼いて食べたらどんなに美味しいだろうか。想像するだけでたまりません。〈生牡蠣はやはりキリッと冷やしたシャブリで〉ってなことばっかり言っている方も是非お試しください。日本酒でも焼酎でもビールでも、もちろん白ワインでも。どこからでもかかってきなさい的なおいしさ、のはずです。

3月19日ブログ「唐桑物語Part4」

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唐桑物語Part4

3月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)4月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第4回目は「〈もまれ牡蠣〉へのまなざし」。

唐桑物語4(誌面イメージ)

今回は、牡蠣養殖家である畠山政則さんの話です。政則さんは57歳。文章は、つぎのように始まります。
〈庭先に立てば宿浦の入り江が右に、舞根(もうね)の湾口が正面に、大島と唐桑半島を隔てる急流・大島瀬戸が左に望める。そんな地先で牡蠣とホタテとワカメを育ててきた〉
きれいな風景が目に浮かびます。

政則さんは気仙沼水産高校を卒業後、北洋漁船に乗り込みます。しかしその6年後の帰省中、近海の船で父上が事故にあいます。それを機に畠山さんは船を降り、24歳の冬から牡蠣養殖業に専念するのです。

その後、牡蠣にまつわる様々な話が紹介されますが、略します。
表題にある〈もまれ牡蠣〉とは、牡蠣に対する〈ショック療法〉。まず、タネ牡蠣の初期段階で日光にあてたり、一年過ぎた牡蠣を30秒ほどお湯に浸したりします。そして、はじめは内湾で育てた牡蠣を徐々に沖合に移し潮の流れで刺激することにより、身を引き締めるのだそうです。だから〈もまれ牡蠣〉。

唐桑の牡蠣の養殖いかだ600台のうち、津波にあいながらも4台だけが残りました。そのうち2台は伊豆の潜水士10名が回収した政則さんのいかだでした。

政則さんら漁協唐桑支所は、一口オーナー制度などの支援を受け、昨年6月にはタネ牡蠣の仕込みと、膨大なロープ類やアンカー手配を無事にすませました。そして夏には、広島から、牡蠣いかだ100台分の資材提供と人員応援があったそうです。

3月7日深夜のNHKテレビのドキュメント「フェイス」〈カキ屋たちの復興〉でも、この広島の牡蠣養殖家たちの唐桑支援を紹介していました。支援作業をおえて唐桑から去る日、広島のまとめ役だった人が、唐桑側の世話役のTシャツに「これからもライバル」と書いていたことを思い出しました。

筆者の瀬戸山玄(せとやま・ふかし)さんは今回の連載記事を〈全国からの資金と物資とボランティアたちに支えられ、唐桑のプロたちは新しいまなざしで養殖の世界と向き合いはじめている〉と結んでいます。

市場では競争関係にあるだろう広島からの応援。そしてオーナー制度やボランティアの方々の支援。本当にありがとうございます。

3月18日NHKニュース映像(畠山政則さんがコメントしています)

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3.10 東京大空襲

今日の朝、朝日新聞を読んでいたら、林(奥玉)小春さん(3年2組)、内海直子さんらが昨日の午後、東京都庁に猪瀬直樹副知事をたずね、震災時の東京消防庁による救出について謝意を伝えたとの記事。直接お礼を言えて本当によかったですね。

テレ朝ニュース(動画)
産経ニュース関連記事
訪問についての猪瀬さんのブログ
いずれも小春ちゃんが写っています。

さて、大震災11日の前日、3月10日は、〈東京大空襲の日〉でした。
アメリカ軍は1944年11月以降、東京を100回以上も空爆しました。そのなかでも、1945年3月11日の焼夷弾による爆撃はすさまじく、これによる死亡・行方不明者は10万人以上とも言われています。

毎年、テレビや新聞がこの日のことについてあまり伝えないことを残念に思っておりました。今年も、東日本大震災から1年を迎える日の前日ということもあってか、例年と同じ程度のとりあげられかたでした。

終戦から67年。こうして戦争、戦災の記憶が風化していくのか。そして東北大震災のことも、50年もすれば同じように、と心配にもなってくるのです。
そんなことを思っていた私でしたが、昨日見たNHKの番組予告に〈東京大空襲〉の文字をみつけ、ちょっとホッとしました。必見番組と思いますので、ご紹介します。

NHKスペシャル「東京大空襲 583枚の未公開写真」
2012年 3月18日(日)午後9:00~午後9:50(50分)

番組紹介サイトではつぎのように紹介しています。
「10万人余りの市民の命が奪われた「東京大空襲」。67年をへて、新たに空襲直後の市民の姿を捉えた580枚余りの写真が発見された。写真を撮影したのは、陸軍参謀本部の指示を受けた従軍カメラマンたちだ。カメラマンは、爆撃直後に逃げ惑う市民や、火の海と化した街並みなどの地上被害を記録していた。こうした空襲下を生き抜く市民の貴重な記録はこれまでほとんど見つかっていない。写真に記録された東京大空襲の真実に迫る」

忘れないように今すぐ録画予約。
忘れてはいけない日。それは3月11日だけではないのです。

6月25日ブログ「記憶の風化」

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小春さんから

3月11日に放送されたテレビ朝日系列の〈ツイッターが救った気仙沼中央公民館の400人〉は大変大きな反響があったようです。このブログの3月12日「猪瀬さんに感謝」も、多くの方に読んでいただきました。

あの日、気仙沼市立中央公民館に避難した446人のなかには、一景島保育所の幼い子らも含まれていました。その子供たち71人をひきいた保育所長は、林(奥玉)小春さん。っていうか気中3年2組、奥玉屋の小春ちゃん(笑)。

その小春さんから昨日、12日のブログへのコメントをもらいました。皆さんへの感謝の言葉がつづられていますので、ここでも紹介します。

「 同級生の皆さん、たくさんの支援を頂き心から感謝です。 あの悪夢から一年が過ぎました。 今現在、元気でいられるのも多くの皆さんの支えがあったからこそと思います。

あの日、中央公民館でのことはまさに奇跡でした。地震、津波、火災と襲いかかる猛威に生きる術を失ったのも確かです。しかしながら、私には71名の子ども達を守らなければという使命がありました。どうしてもこの尊い命を救いたいとの一念で、あの極限状態を乗り越えることができました。3日目、ヘリコプターで母校の気仙沼小学校の校庭に降り立ったあの土の感触は一生忘れることが出来ないでしょう。

同級生の皆様にはどんなに励まされ、希望を失わず生きる力を頂き、とても嬉しいです。これから気仙沼は復旧復興の正念場に向かいます。どうか気仙沼をこれまで以上に応援してください。
明日、副知事の猪瀬さんに御礼にまいります。」

小春さん、ありがとうございました。

どんなに怖かっただろう。そして、生きて還れたことを実感したときの気持ち。
〈母校の気仙沼小学校の校庭に降り立ったあの土の感触〉
気小のあの校庭を知る人ならば、その感覚をリアルに想像することができるでしょう。

3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」

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0310の三陸新報

先日届いた3月10日の三陸新報を開いて驚きました。見開き2面にわたってならぶ小さな文字。気仙沼市と南三陸町で震災によって亡くなられた方々のお名前でした。

三陸3

気仙沼市は死亡1032人(うち身元不明者82人)行方不明324人。南三陸町は死亡565人、行方不明280人。(3月8日現在)

そのなかに、同級生の及川保規君(3年5組)や、気仙沼高校美術部の2年後輩だった鹿折の高橋雅巳君の名前もありました。しかし、〈しょんつぁん〉こと鷺(庄司)良子さん(8組)の名が見つかりません。そんなはずはない、という不思議な感覚。そして、探している途中で彼女の嫁ぎ先が陸前高田だったことを思い出したのです。

先日読んだ新聞の文章のなかに、〈亡くなった人を思い出すとき、その人は心のなかでよみがえる〉といったような言葉がありました。ホントダナ。思い出すことを忘れてはいけないな。

亡くなられた方々のご冥福を、謹んでお祈りいたします。

7月4日ブログ「ラストダンス」
6月6日ブログ「友人雅巳君の死」

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ヒカリの映像

3月12日午後6時からのJNN系列(気仙沼では東北放送)のニュースで、「3月11日からのヒカリ」が紹介されたことを後で知りました。残念に思っておりましたら、TBSのニュースサイトに、その映像がアップされていましたので紹介します。

TBSのニュースサイト
気仙沼の夜空に「光の慰霊碑」

準備段階から同行取材をしていたらしく、関係者との打ち合わせや協議の様子が紹介されます。点灯式での実行委員長の斎藤道有さんの「ひとりで全部は背負いきれないのです」という言葉も紹介されます。

夜空にのびる光をみつめていた女性が語ります。
「天空から本当にねえ 見てるかなと思うんですけど どこにいるんだか 早く帰ってきてほしいって それだけですねえ」
お姉さんの行方がまだわからないのだそうです。

「3月11日からのヒカリ」。関係者の皆様にあらためて感謝いたします。ありがとうございました。

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防潮堤反対の声

3月11日に多くのテレビ番組をみていて感じたのは、あの規模の大津波を防潮堤で防げると思うのは大きな間違いであるということです。大津波のあの圧倒的なエネルギー、高さ、そして深さ。

しかし、それらの番組のなかで巨大防潮堤建設への疑問の声はほとんど紹介されなかったように思います。不思議だ。その一方で、市民や国民のしっかりとした議論がないままに国や県の防潮堤計画が水面下で進行しています。

本日は、防潮堤建設に反対する声を紹介します。「周回軌道」というNPO法人「森は海の恋人」事務局日誌のブログです。書いているのは畠山重篤さんの息子さんである信さん。畠山信さんは気仙沼市の震災復興市民委員会のメンバーでもあります。そして、国と県が推進している高い防潮堤計画に強い疑問をいだいています。

ブログ内容を要約して紹介します。

唐桑地区でも高い防潮堤が計画されています。たとえば宿地区は9.9mであるとのこと。畠山さんは、国、宮城県、気仙沼市の担当者に問い合わせますが、らちがあきません。
国(国交省)は、「3回もやった会議で決まったことなので…」。宮城県は「気仙沼市が自治体だから…」。気仙沼市は「宮城県の事業だから…」。共通していることは、「防潮堤はつくる」ということ。

信さんのいらだちはよくわかります。私も同じ印象をもっています。
いつ正式に防潮堤建設が決まったのか?

国と県の防潮堤建設推進の姿勢は、かなり強硬のようです。
〈堤防建設に関して「住民の方からの要望が多い」と、宮城県の方は言っている。そんなことはない。気仙沼に住んでいて、賛成意見をいまだ誰からも聞いたことがない〉〈最近多いのは「子どもを使った、堤防推進系報道」。子どもが書いた作文を掲載やCMで流している。子どもは、「でっかい堤防に守られたい」という〉

信さんは、防潮堤に反対する自分の考えは、地域のなかで浮いているのかとも思ったそうです。そして唐桑町内各地区の方々との意見交換会を開きます。信さんの思いは杞憂でした。〈防潮堤に関しては、お集まり頂いた全地域の方が不要と考えていた。海の様子が見えたことで被災をまぬがれたケースが多いようだ。防潮堤ができたら景観が完全に破壊される。防潮堤に莫大な税金を使うよりも、避難路の確保、防災教育に資するべきとの意見で完全に一致している〉

これでも、東京にいる私は、気仙沼をはじめとする被災地の復興計画のことをとやかくいうのを控えてはいるのです。しかしやはり私は、巨大防潮堤には反対です。
土建国家日本。ゼネコン政治。復興利権。そんないやな響きの言葉が頭のなかに浮かんでくるのです。

周回軌道/NPO法人「森は海の恋人」事務局日誌
12月10日ブログ「防潮堤のその後」

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猪瀬さんに感謝

昨日は、「3月11日からのヒカリ」も無事に終了しなによりでした。関係者の皆さん、ご苦労さまでした。そしてありがとうございました。

私は、静かに一日を過ごそうと思いながらも、テレビの特集番組を見つつ、録画しつつ、チェックしつつといった、なにか慌ただしい一日でした。そんな中で強く印象に残ったひとつが、午後6時すぎからのテレビ朝日系列「つながろう!ニッポン 第4部〈レンズが震えた ! 311映像の証言〉」。

気仙沼大島での米軍の皆さんによる救援活動〈トモダチ作戦〉も大変印象深いものでした。そして〈ツイッターが救った気仙沼中央公民館の400人〉には、関係者の証言映像などもあり、あらためて驚かされました。

その〈奇跡的な救出劇〉を、昨日の番組内容に震災後の新聞報道などを加えてまとめてみました。

11日の地震後、気仙沼市潮見町の気仙沼市立中央公民館には近くの保育所に通う幼い子ら71人を含む約450人が避難しました。その後の津波で3階建ての公民館は2階天井付近まで水没して完全に孤立。そして気仙沼湾に流れ出た重油が燃えてその炎は海面のがれきに燃え移り、公民館を取り囲みます。おそろしい風景です。死を覚悟した人も多かったといいます。そのひとり、市の心身障害児施設「マザーズホーム」の園長内海直子さんは11日の夕方に携帯電話で家族にメールを送ります。
「公民館の屋根 げんき」その後「火の海 ダメかも がんばる」

そのメールを読んだロンドンに住む長男のアクセサリーデザイナー直仁さんは、日本時間午後9時に投稿サイト「ツイッター」に救助を求めるメッセージを書き込みます。
「障害児童施設の園長である私の母が子供たち10数人と一緒に避難先の気仙沼中央公民館の3階にまだ取り残されています。外は津波で浸水し地上からは近寄れない模様。空から救助が可能であれば子ども達だけでも助けてあげられませんか」

そのメッセージがほかのツイッター利用者を介して作家であり東京都副知事でもある猪瀬直樹さんに伝わります。猪瀬さんはすぐに東京消防庁防災部長を呼び、救助に向かうよう指示します。そして、東京消防庁のヘリコプターが中央公民館上空にその姿を現したのは、12日午前9時40分のことでした。
途中から自衛隊のヘリも応援に加わり、この日は重病人と高齢者、子どもなど約50人を収容。残った約400人は2度目の夜を迎えました。そして13日午後1時に最後のヘリが現場を飛び立ちます。こうして、歩いて脱出した人も含め、446人全員が無事に生還を果たしたのです。

番組を見て、組織の力を活かすリーダーシップの大切さをあらためて知らされました。東京消防庁の方々には、鹿折地区での救助活動をはじめ、気仙沼支援に大変なご尽力をいただきました。猪瀬さん、そして東京消防庁はじめ関係者の皆様、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。

最後になりましたが、100m離れた公民館に幼い子ら71人を率いて避難した一景島保育所の林(奥玉)小春所長は私たちの同級生。気中3年2組です。

小春ちゃん、本当に頑張りましたね。みんなで拍手。

河北新報2011年6月20日配信内容転載サイト

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鎮魂と追悼の日

3月11日。鎮魂と追悼の日。気中20回生支援会も協賛させていただいた「3月11日からのヒカリ」が午後6時から点灯されます。

HIKARI.jpg

プロジェクト協賛の趣旨をふたたび記します。

「震災で亡くなった私たちの大切な人たちの鎮魂と追悼のため、このプロジェクトに協賛いたします。どうぞ、私たちの気持ちがみんなに届きますように」

2月22日ブログ「ヒカリへの協賛」

点灯式に続き、午後7時半からは、昨日お知らせしように陣山の気仙沼アーバンのチャペルで畠山美由紀さんのコンサートが開催されます。たぶん歌われるであろう「わが美しき故郷よ」。会場に行けない人のために、クリスマスイブにも紹介したキリスト品川教会グローリア・チャペルでのライブを紹介します。約4分間のオフィシャル映像です。



◎インターネット中継
点灯式、コンサートの様子は、インターネットUstreamで中継されます。


Live video by Ustream
今日3月11日。私は東京で静かに過ごします。
どうぞ、私たちの気持ちがみんなに届きますように。

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ヒカリの点灯式

明日の「3月11日からのヒカリ」点灯式の詳細が発表になりました。
会場は陣山の気仙沼アーバン・マリアチャペルで、午後5時30分開場です。午後7時からは気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんのコンサートがチャペルで行われます。

◎「3月11日からのヒカリ」点灯式・コンサート

期日:3月11日(日)

会場:気仙沼アーバン マリアチャペル(宮城県気仙沼市陣山1-125)
魚町地区の陣山にある結婚式などに使うアーバンの教会ですね。気仙沼の人ならみなご存じでしょう。なお、駐車場は使用できません。

◎点灯式 (チャペルの庭にて)
開場 17:30/開始 18:00/終了予定 18:45

◎畠山美由紀コンサート(入場無料)
開場 19:00/開始 19:30/終演予定 20:30

点灯式、コンサートともに、どなたでも参加できるとのことですが、定員が100名程度のため、混雑時には入場をお断りすることもあるかもしれないとのこと。念のため、参加希望の方はつぎの実行委員会メールアドレスにご連絡下さい。

info@311hikari.jp

畠山美由紀さんがどこで歌うのだろうかと思っていましたが、陣山のチャペルでしたか。私が小さなころ、あのあたりは〈谷村さんちの庭〉でしたが、5月の〈安波さん〉のときは開放され、魚町近辺の人はあそこでも花見をしたんです。

畠山美由紀さんは明日、「わが美しき故郷よ」も歌うでしょう。

〈この坂を越えたなら 青い海が見えるよ みんなの広い海が〉

このイントロ部分だけで、陣山の坂をのぼっていくと見えはじめる気仙沼湾の風景が、私の心のなかに広がっていきます。

「3月11日からのヒカリ」関連イベントサイト

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八幡太鼓の響き

3月6日のNHKスペシャル「気仙沼 人情商店街」。オープニングイベントで八幡太鼓(はちまんだいこ)を聞きながら目頭をおさえる副理事長の坂本さん。太鼓の音にこっちまでなんかぐっときて。

昨日紹介した石山修武(おさむ)さんもこの〈八幡太鼓〉のことをブログに書いています。本年1月18日に銀座TSビルの東日本復興応援プラザで開催された気仙沼支援関係者をお招きした会での演奏と20年前の思い出についてです。

1991年に英国で開催された「ジヤパンフェスティバル1991」。石山さんは、現・気仙沼商工会議所会頭の臼井賢志さんらと八幡太鼓の子供達を連れてロンドンに行きました。ビクトリア&アルバートミュージアムで行われたオープニングでの太鼓演舞。チャールズ皇太子や浩宮皇太子も列席されていたそうです。大変な評判になって、その後ハイドパークの10万人の人々の集りでも演じたとのこと。

〈なんと今宵(こよい)の八幡太鼓の子供達、小さな可愛い子供達は、その20年前の子供達の子供達であった。太鼓の先生にも久し振りにお目にかかった〉

八幡太鼓は、三陸新報などでその名を目にすることも多かったのですが、詳しいことを知りませんでした。ちょっと調べて、まとめてみました。まずは、八幡太鼓ジュニアベストチームの震災後初稽古の映像から。24秒です。



八幡太鼓は、気仙沼・鹿折地区の八幡神社の奉納太鼓として生まれ、地元の西八幡町の郷土芸能として地元民の協力により完成されたものだそうです。太鼓を打つときの振りなどは唐桑町松圃(まつばたけ)虎舞から伝習したものであるとのこと。

「八幡太鼓ジュニアベストチーム」は1988年に設立。八幡太鼓保存会で活動する気仙沼市内の小中学生らから選抜されます。2010年5月には、英国やベトナムなど4度の海外公演やレベルの高い演奏内容などを評価され、中国・上海万博にも招かれ公演。また震災後の昨年8月には北京で開催された国際児童大親睦大会に日本代表として招待されました。

石山さんが〈太鼓の先生〉と書いていたジュニアベストチームの指導者は、八幡太鼓保存会の村上寿夫さん。私たちより1~2学年上の方のようです。

調べてみてあらためて思いました。気仙沼の太鼓、なかなかすごいよ。

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安波山 鎮魂の森

政府の東日本大震災復興構想会議が犠牲者慰霊のために提言していた〈鎮魂の森〉第1号としての安波山計画は、2月11日共同通信の配信による新聞記事以降は報道がありません。どうなっているのか。このブログで何度も紹介している建築家 石山修武さんのブログをのぞいてみました。

石山さんは3月3日にこう書いています。
〈明日の気仙沼行準備。安波山鎮魂の森=お色直し100年計画の図面を用意する。明日は山に登って様々に位置出しをしなければならぬ。大変だけれど亡くなった多くの人々の事を想えば頑張らなくてはならない〉
そして4日と5日に気仙沼に来訪。安藤忠雄事務所の関係者らと、安波山に樹木で描く円の中心ポイントの仮設定をしたそうです。また、滝田栄さんの地蔵堂建設予定地も確認するなど、5月に向けての準備が進んでいます。

安波山 震災前2009年4月の安波山(クリックで拡大)
楽天/気仙沼プラザホテルHPより拝借
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/56166/CUSTOM/G5616681116142704.html


海の女神である媽(ま)祖神を、五十鈴神社(お神明さん)の一角にお迎えしようという「宝船計画」も動いているようです。石山さんは4日、五十鈴神社の管弦窟を見て、〈ワイマールのゲーテ設計の水の洞窟を思い出した。あんな風に復元できたら良い〉そして〈我々が提案している水族館の位置も再びその眼になって見直した〉とも。1月7日には〈一気に気仙沼の宝船のデザインをした〉と書いていました。

五十鈴神社「宝船計画」。
魚町に生まれ育った元・氏子のひとりとして、心から期待し楽しみにしています。

1月14日ブログ 宝船「五十鈴神社」
12月7日ブログ「追悼と鎮魂の祭」

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祝 村上教行専務

昨年4月22日のブログでも紹介しましたが、唐桑中学・気仙沼高校卒業の村上教行(のりゆき)君は、気仙沼出身者の在京同年会「けせもい会」のメンバーです。1月28日の銀座〈喜いち〉での新年会にも来てくれました。

村上君は、2007年4月にイオングループの中核企業のひとつイオンモール(株)の代表取締役社長に就任、昨年5月には取締役会長となりました。新年会で〈会長になったことで少しは楽になったのか〉とたずねましたら、笑いながらいつものように冗談を返すだけでした。しかし、イオングループとしての東北復興開発の責任者をつとめていることもあって、忙しい毎日のようでした。

その後 2月24日の朝、朝日新聞の決算・人事欄を見ていたら驚きの2行がありました。

イオン人事

イオン(3月1日)
専務執行役 社長補佐 村上教行

ありゃま大変。早速、この3月1日付けの人事異動情報を、イオン(株)のニュースリリースで確認してみました。概略つぎのようなことでした。

村上君は、イオンモール(株)取締役会長を兼務しつつ、イオン(株)の専務執行役および社長補佐に就任。グループCEO、グループCOOの下に置かれた社長補佐は6名。つまり村上君は、イオングループのトップである岡田元也グループCEO(代表執行役社長)を直接支える7名のうちのひとりに選ばれたということ。まさに重責です。なお、岡田元也CEOは、民主党の岡田克也副総理のお兄さんです。

イオン(株)は、「イオングループ」を統括する純粋持株会社です。その下にショッピングセンターを開発・運営するイオンモール(株)や、スーパーなど小売店舗を運営するイオンリテール(株)などの事業子会社が展開され、その数は国内外180余。連結売上高は5兆円を超えています。なお、イオン気仙沼店は、イオンリテール(株)の店舗。

さらに、村上君の新しい肩書きとして「イオン東北代表」という新しい職名がありました。「イオン東北」という会社はありませんから、イオングループ全体の東北における諸活動の代表という意味あいでしょうか。私はこれを、イオングループの東北被災地復興活動の代表責任者と読み取りました。

村上君は昨年の4月22日に紹介した日本経済新聞への寄稿でこう書いています。
〈ふるさとの風景は絵はがきに出てくるような本当に美しい海と山でした。その港町がこの大津波で、私の実家も含め海岸に隣接する家屋はすべて流されました〉

昨年3月6日付け日本経済新聞への村上君寄稿文

〈これからも気仙沼をよろしく〉とのお願いは露骨すぎるでしょう。しかし、いまの気仙沼にとって、唐桑町鮪立(しびたち)出身の村上教行君が、イオンモール(株)取締役会長そしてイオン(株)専務執行役 社長補佐であることの意味は大変大きいと思います。

教行君は、4月になると61歳。還暦を過ぎてさらに重責を担います。通常のサラリーマン社会における出世階段という意味では〈おめでとう〉というところでしょうが、彼の負う役割や責任の重さを考えると、〈ご苦労さま〉という言葉が適当かもしれません。

本当に大変だと思いますが、これからの気仙沼、くれぐれもよろしくお願いします。

4月22日ブログ「村上教行君から」

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未来的気仙沼線

震災で気仙沼線は、一部が運休というか線路も流されて不通になっています。この気仙沼線について、JRが「BRT」による復旧を考えていることはすでに報道されていました。そして先週土曜日の3日、JR東日本が具体的な運行ルート案などを示したことで、新聞やテレビがこの問題をとりあげています。

「BRT」とは、Bus Rapid Transit/バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送のこと。バス専用道路を使って、通常の路線バスよりも高速に定時運行する輸送システム。つまり、震災で失われた線路部を舗装してバス専用道路にしようという計画です。

JRの気仙沼線「BRT」案は、新聞などの報道を総合するとつぎのようなことです。

・バス専用道を使うのは運休区間約55キロのうち6割
・気仙沼市中心部は時間帯でバス専用道と一般道を使い分ける
・常に一般道を走行するのは志津川駅、本吉駅周辺
・一般道では、地元の要望に応じて仮設住宅や病院を経由
・バスは定員70人で、運賃は鉄道と同程度
・本数を大幅に増やし20~30分に1本の運行が可能
・乗客が多い時間帯には複数台の同時運行も可能
・普及費用が鉄道では数百億円かかるが、BRTなら数十億円

登米市と南三陸町はBRTによる仮復旧に一定の理解を示したものの、気仙沼市は「鉄道による再建を確約してほしい」と反対したとのこと。背景には、鉄道よりも遅くなり、既存JR線との接続問題もあるようです。

河北新報によれば、JR東日本の清野智社長は次のように語っています。
・安全のため防潮堤などが整備された後でないと元の場所にレールを敷設できない
・BRTなら着手から1年以内で一部の運行を再開できる
・鉄路か否かという入り口の議論をするより、まずは沿線住民の足を確保したい
・ハイブリッドや電気走行のバスによる次世代型BRTの導入を目指す

私は「BRTによる仮復旧」ではなく、次世代型新交通システムとしてのBRT導入による本格復旧でいいと思っています。線路だったところに砂利を敷き、古くさいバスが走るのではないのです。新交通システムは世界各地でさまざまな試みがなされており、その経験を踏まえ、世界で一番新しい地域に密着した輸送システムを早期に実現して欲しい。

同じ「BRT」でも、ラピッド(高速)ではなくリジョナル(地域の)と言い換えてみたらどうでしょう。
Bus Regional Transit 2.0/バス・リジョナル・トランジット=次世代型バス地域輸送。
ミライの気仙沼線であり、オライの(私たちの)気仙沼線。的な。

オダクン。キョウハ、ナンダガ、カダガナガオオイヨ。ナガイシ。

すみません(笑)。

テレビ朝日ニュースサイト映像 (配信終了)

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うれしい誤算

3日4日と、東京・品川の「ざくろ坂プロジェクト」で小山隆市君の店コヤマ菓子店の商品を販売。私は初日の午後1時過ぎに行き〈絆カステラ〉を購入してきました。上京した長男の裕隆さんには会えませんでした、次男、三男のふたりが頑張って接客していました。

3日夕方には、菊田裕美君からメール。裕美君は3時ごろにざくろ坂に行ったとのこと。そしてそこで、3年2組だった小島茂君にばったり会ったというのです。
〈小島君は、5年前に市役所を早期退職後上京したのだそうですが、思いがけない40年ぶりの再会に、自分自身驚いています。これも、気仙沼がとりもつ縁なのでしょうか〉

昨日は裕美君が、ざくろ坂の店の前で撮った写真を送ってくれました。

ざくろ坂2
右から小島君、菊田君、小山裕隆さん

小島君は、一緒のクラスになったこともあるし、家が魚町の近所である入沢だったので、仲良くしておりました。写真をみると、少し歳はとったものの表情が昔のままですね。

小山隆市君のブログによれば、ざくろ坂の方は二日目早々に商品が完売したとのこと。そして、気仙沼の店もひな祭りの日は超繁忙となり、クリスマスと開店初日の売り上げに次ぐ結果になったそうです。隆市君〈今年はひな祭りどころではないだろうと予想していたのですが、まったくの的外れ、うれしい誤算でした〉

40年ぶりの同級生との再開、そして予想を超える売上。
「うれしい誤算」この言葉、耳に心地よく響きます(笑)。

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堤監督に感謝!

TVドラマ「トリック」などの作品で知られる堤幸彦監督制作の気仙沼を舞台にしたドキュメンタリードラマがCSで放送されます。

「Kesennuma, Voices. 東日本大震災復興特別企画~堤幸彦の記録~」
2012 年3 月11 日(日) CS・TBS チャンネル 午後9時30分~午後11時
(スカパー! では無料放送を実施)

主演は生島勇輝さんと生島翔さん。私たちの一学年先輩気中19回生でもある生島博さんの長男と次男です。博さんは、妹の喜代美さんを震災で亡くしています。
物語は、ボランティア活動のため気仙沼に向かう勇輝・翔兄弟の出発から始まるそうです。おばさんを失いながらも、どう対処すべきか答えを見いだせない二人。ボランティア活動をしていても感じる無力感と喪失感。そんな状況の中で変化していく二人の心が、気仙沼の人達とのやりとりの中で描かれるようです。

撮影現場での堤監督(TBSチャンネル・ニュースリリースより)

TBSチャンネルのニュースリリースに堤監督のコメントが紹介されています。その一部を抜粋して紹介します。
〈二人は、立場的に自分と似ているなと思ったんです。気仙沼にルーツを持ちながら、東京で育ち暮らしている。気仙沼との距離感を計りかねている私と、おばさんのことをどう捉えていいのか分からないお二人。その共通する悔しさや限界を主軸にすれば、映像が撮れるかも知れないと思ったんです。そこで2 人を主人公にした準架空の物語を縦軸、被災地の現実を伝える〝顔が見える人達の声〟を横軸にしたドキュメンタリードラマにしました〉

堤監督は、これまで何度も気仙沼ロケを行っている気仙沼LOVEのおひとり。そんな経緯もあり、この作品を撮影するまで、気仙沼で4回ものボランティア活動をなさっています。以前、このブログでも紹介させてもらいました。

生島勇輝さんは、2011年より俳優として活動。翔さんは、ダンスほかの活動を行いながら昭和大学医学部の研究生となっています。また、主題歌「春の永遠」は、気仙沼出身・在住のシンガーソングライター、熊谷育美さんが歌っています。

2月26日には、この作品の試写会が、堤監督や生島兄弟も参加して気仙沼プラザホテルで開催されました。そしてその翌日、監督をはじめとする堤組の皆さんは5回目となるボランティア活動を、生島兄弟と共にされたとのこと。本当に頭が下がります。

何度でも言いますよ。堤監督、ありがとうございます!

5月4日ブログ「熊谷育美さんを知ってる?」
5月31日ブログ「堤監督、ありがとう!」
堤監督のボランティア活動関連ブログ(気仙沼での試写会が紹介されています)

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南町 人情商店街

昨年9月9日のNHKテレビ「めげでられねっちゃ~気仙沼 南町・人情商店街の奮闘」。現在の「気仙沼復興商店街 南町紫市場」開設に向けての動きが紹介されました。

そして3月6日(火)のNHKスペシャルで、ふたたび南町紫市場が紹介されます。

<3.11 あの日から1年> 気仙沼 人情商店街
3月6日(火)午後10:00~10:49 NHK総合テレビ

NHKの番組紹介を引用させてもらいます。

「宮城県気仙沼市南町。漁港のほど近くに位置するこの地区は数々の商店が立ち並ぶ、市内随一の繁華街だった。震災後、見る影もなくなったこの場所で、復興への第一歩として、仮設のテナントをいくつも連ねた「仮設商店街」を作ろうと商店主たちは動き出した。 津波に全てが流され、資金もない中、いかにお金をかけずに、商売を再開させるのか。人々は商店街のリーダーを中心に知恵を絞り、目の前の問題をひとつずつクリアしていく。いよいよ迎えた、オープンの日。ほとんどの住民がいなくなった場所で、かつてのにぎわいを取り戻すことができるのだろうか。 さまざまな壁にぶつかりながらも、行動力と人情を武器に奮闘する、商店街の人々の姿を追いかけた。」

昨年の番組から約半年。12月末のオープン、そして震災から1年となるこの3月までのさまざまな動きが紹介されるでしょう。仮設商店街の多くは苦戦しているとも聞きます。紫市場も例外ではないでしょう。6日の夜、NHKテレビで南町のなつかしい店、なつかしい顔をみつつ、声援をおくりたいと思います。


NHKスペシャル<3.11 あの日から1年>はシリーズ企画で、つぎの5番組が予定されています。すべて午後10時からの49分間番組です。
3月5日(月)38分間~巨大津波 いのちの記録(釜石)
3月6日(火)気仙沼 人情商店街
3月7日(水)仮設住宅の冬~いのちと向き合う日々(岩手県大槌町)
3月8日(木)調査報告 原発マネー~“3兆円”は地域をどう変えたか
3月9日(金)南相馬 ~原発最前線に生きる

NHK番組サイト

9月9日ブログ「必見!NHK22時」
9月14日ブログ「紫の文字に託す」

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コヤマonざくろ坂

今日から3月。
さて、作家の吉永みちこさんらが立ち上げた「ざくろ坂プロジェクト」を8月にご紹介しました。東京の品川区高輪(たかなわ)のグランドプリンスホテル新高輪の一角にある5坪ほどのスペースで、東北の被災地復興を支援するプロジェクトです。

昨年8月には、その後南町紫市場に出店したお店などが出品して「気仙沼復興商店街 復興市」が開催されました。そして、この3月のイベント企画として3日と4日、気仙沼のコヤマ菓子店と、気仙沼駅前の土産物店斉隆商店の商品を販売します。

コヤマ菓子店は、小山隆市君(3年6組)経営のお店。残念ながら隆市君は上京せず、長男の裕隆さんが店頭にたつようです。在京のふたりの息子さんも応援にかけつけるのでしょう。昨日、隆ちゃんに電話したところ、3月3日は、ひな祭りケーキで大忙しの一日となるらしく、東京は息子らにまかせるとのことでした。

東京のみなさま、今年のひな祭りはコヤマの絆カステラとかで、いかがっすか(笑)。

<日時>
3月3日(土)4日(日)午前11時~午後6時(売り切れ次第閉店 )
<会場>
「グランドプリンスホテル新高輪」内
 ざくろ坂に面した約5坪のスペース(通称:ざくろ坂スペース)

<コヤマ販売予定商品>

・絆カステラ 1本1,350円

・はまぐりもなかくっきー (10個箱入)1,470円

・さんまパイ 1箱(10枚入)1,050円

・人気焼き菓子セット 1箱(6個入)1,000円

・マカロンロール 1本630円

<斉隆商店販売予定商品>
・おさしみわかめ(300g)900円

・めかぶとろろ(40g)530円 ほか

JR線・京浜急行品川駅(高輪口)、都営地下鉄浅草線高輪台駅が最寄り駅です。
ざくろ坂プロジェクト案内地図

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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