明るくなった駅

今朝の東京、かなり雪が降っています。積雪10cmはいかないでしょうが、5cmは確実に越えています。電車の遅れも出ていました。

私の通勤時の電車乗り換えは、自由が丘、渋谷、表参道、代々木公園。その4つの駅(当初3つと書きましたが表参道を忘れていました)で、気になっている変化があります。以前にくらべ〈明るくなっている〉のです。
震災後の節電で、秋頃までは東京の駅はどこでもかなり照明量をおとしていました。暗くなった駅を不便とは感じずに、〈なんだ、これで問題ないじゃない。かえって照明が効果的になったし〉ぐらいに感じていました。

それがここ1~2カ月、以前の明るさに戻ってきているような気がするのです。LED化などもされているかもしれませんが、節電しなくていいのでしょうか。ニュースをみれば、原発の再稼働問題や電力料金値上げの問題がとりざたされているのに。

先週金曜日に気仙沼に帰り、昨日帰京した妻から南町や魚町などの様子を聞きました。なんだりかんだり。なんやかやと。

なかなか厳しい気仙沼の現実。その一方で、明るさをとりもどす東京。
〈そんなに明るくなくていいのにな〉
そんなことを考えながら雪の坂道をゆっくりとのぼり、仕事場に着きました。
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小山裕隆さん

昨日の午後6:15からのテレビ朝日(気仙沼は東日本放送)「スーパーJチャンネル」で、気仙沼で小山隆市君らの「甚六鬼の会」が先日18日に行った「海神様」の紹介があったのですね。見逃してしまいました。当日は、ずいぶん取材も入っていたとのことですから、その映像も紹介されたのでしょう。

25日(土)の朝日新聞朝刊の〈千人の声〉欄にも、隆市君の長男である裕隆さんらの「気楽会」の活動と共に、「海神様」や「3月11日からのヒカリ」プロジェクトが紹介されていました。

その小山裕隆さんですが、今週木曜日3月1日にテレビ東京の「Go Forward」に登場します。番組サイトではつぎのように紹介しています。

「宮城県気仙沼で創業120年の菓子店を父とともに経営する小山裕隆。あの東日本大震災で家族の思いが詰まった店は濁流の中に…。その店を再建するまでに至る彼を支えた言葉とは?」

番組名「Go Forward(ゴー・フォワード)」は、〈先へ進め〉という意味でしょうね。番組のコンセプトとして、つぎのように記してあります。

「人は生きていると、いくつもの困難に出会う。そこで立ち止まるか、「先へ進むか」で人生は変わる。この番組では、「成功者」の「先へ進む」勇気や原動力に迫ります。」

仲町のコヤマ跡など、気仙沼現地の取材だと思います。是非ご覧ください。

テレビ東京: 3月1日(木)22:54~(5分間のスポット番組だそうです)
再放送 BSジャパン:3月4日(日)22:55~

コヤマ菓子店の小山裕隆を支えた言葉とは?
60歳の父親小山隆市君(3年6組)の厳しくも愛情あふれる言葉でした、ってことはないと思うけど。ちょっと心配です(笑)。

『Go Forward』番組サイト
小山裕隆さんのブログ

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唐桑の北杜夫展

週刊新潮のコラム「窓際OLのすってんころりん日記」は、私も愛読している人気連載です。筆者は、斎藤由香さん。昨年10月24日に亡くなった作家、北杜夫さんの長女です。

そして同誌2月23日号の連載タイトルは「気仙沼の〈北杜夫展〉」。昨年11月24日から12月30日まで気仙沼市唐桑で開催された「追悼~北杜夫展」の紹介でした。

北杜夫展

この追悼展は、気仙沼市唐桑の医師、菊地淳一先生が開催したもので、北杜夫さんのほぼ全著作にわたる蔵書や、自筆原稿、そして菊地先生が学生時代に北さんに出したファンレターへの返信葉書なども展示されたとのこと。

菊地先生は、手紙で斎藤さんの了解を得たのち追悼展を開催しました。そして今年、斎藤さんは、菊地さんから無事に開催できたことの報告の手紙を受け取ったということです。私もこの追悼展の開催を三陸新報の記事で見ておりましたが、会場がどこだったか。

斎藤さんのコラムでは、菊地先生の手紙をもとに唐桑のことをつぎのように紹介しています。要約です。

唐桑町は2006年に気仙沼市と合併した宮城県最北端の漁村で人口約7千人。今回の震災で約100名の方々が亡くなりました。現在、被災した多くの方が中学校校庭などに建てられた仮設住宅で生活しています。
来館者のひとりで85歳になるおばあさんがいらっしゃいました。その方は昔、校長先生をされており、昭和22年に昭和天皇が東北巡行された折に、北杜夫さんの父上で歌人の斎藤茂吉に会ったことがあると話されたそうです。茂吉のふるさと山形県上山(かみのやま)の村山旅館でのご進講のときのことのようです。

以上のようなことを紹介しつつ、斎藤さんは次のように結んでいます。

「菊地先生が送ってくださった気仙沼のフカヒレスープと、震災にも負けないで醸造された「喜祥」を有難く味わう。復興を祈りつつ。」

7月9日ブログ「追憶を語る理由」
11月3日ブログ「北杜夫さん逝く」

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気仙沼のがれき

2月17日、震災による気仙沼のがれきを青森県の東北町と六ケ所村(ろっかしょむら)が受け入れてくれることが決まり、20日には、第1便の約600トンを船で搬出しました。事前の空間放射線量調査結果に問題はないとのこと。23日の陸揚げ前にも放射線量測定が行われましたが、問題のない数値だったとのことです。

がれきは青森県六ケ所村むつ小川原港を経て同村内で1次集積し、東北町の処理業者がチップに破砕してボイラー燃料に活用されます。受け入れ対象となるのは1次仮置き場に集めた木クズ。週1~2回のペースで搬出し、3月末までに約3960トンを処理し、4月以降も継続する計画です。

むつ小川原港のある六ケ所村では、原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料の再処理工場が建設され試運転が進められています。しかしトラブルが相次ぎ、その先行きが不透明です。そうしたことがあり「六ケ所村」は、原子力発電の推進派・反対派双方にとっての象徴的な存在となっているのです。

その六ケ所村のホームページで、江戸時代後期の旅行家・菅江真澄が1793年の冬、およそ2週間をこの村で過ごしたことを知りました。菅江真澄は1786年に気仙沼も訪れています。魚町の五十鈴神社の管弦窟前には菅江真澄の歌碑もありました。気仙沼を訪れた7年後の六ケ所村村訪問。ずいぶんとゆっくりとした旅です。

気仙沼の現実をもっと知ってくれと語ることが多いのですが、六ケ所村のことをあまり知りませんでした。原発問題も含め、知っているふりをしていたものの、大事なことは何も知らなかったなあと気づかされたのです。

六ケ所村ホームページより交通アクセス

この青森県町村の受け入れに先立ち、これまで山形県村山市と福島県喜多方市に計約1万2300トンをすでに搬出しているとのことです。いろいろな声があるなか、各地域関係者の皆様、本当にありがとうございます。

気仙沼市のがれき1次仮置き場は現在、約150万トンのがれきで満杯の状態だそうです。
150万トンです。

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仮住まいの現実

2月19日の三陸新報に次の見出しがありました。

「1万人超が仮住まい」

記事の内容を要約するとつぎのようなことです。
気仙沼市の仮設住宅には1月末現在で、3153世帯8277人が暮らしている。仮設住宅扱いの民間賃貸住宅、一関市の雇用促進住宅を合わせると5000世帯、推計1万3000人が仮住まいの状態にあり、これは市民7万人の「5人に1人」にあたる。仮設住宅団地は81カ所にあり、五右衛門ヶ原広場一帯は、市営球場、テニスコート用地と合わせて最多の298世帯716人が暮らしている。

5人に1人が仮住まいときいて、あらためてその多さに驚きました。
私の妻の母は、入居していたケアハウスも南町の実家も全損状態となりました。そして今は焼津の義姉宅に身を寄せていますが、上に示した数字には含まれていません。同じ状況の人たちを加えれば、仮住まいのような暮らしをおくる人の数はさらに大きくなるはずです。

気仙沼市のホームページで、2月23日現在の大震災被害の状況を確認してみました。死者数は1,032人、身元不明者は86人だということです。この数字も直接的な被害であって、震災が間接的な要因となって命を失った人はもっともっと多くなるに違いありません。
行方不明者は、326人にのぼっています。

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映像: 3.11気仙沼

おとつい2月21日のブログで、気仙沼の2月17日現在の映像を紹介しました

hiranoさん(平野君かな)からは、拍手コメント欄につぎの投稿をいただきました。

「はじめての、近くからの港の動画を、目をこらして見ました。記憶していた場所が、あまりにもすさまじく変貌していたことがとてもつらく、ショックを受けています。愛する気仙沼の未来を心より見守っております。映像をとってくれた方、ありがとう」

音声もなく淡々とした映像でしたが、気仙沼をよく知る人が見れば、失われたものの大きさがすぐにわかります。しかし、がれきがほぼ片付けられたあの風景を、よその人が見ても被災のすごさがわからないかもしれません。私などは、高い建物が残っているのを見ても、〈あの建物の屋上近くまで津波がきたんだ〉と、その〈水の深さ〉を感じてしまったのですが。

そうした津波のおそろしさは、つぎの映像を見てもらえば、よく理解できるのではないでしょか。3地点、1:気仙沼土木事務所 2:ホテル望洋付近 3・4:河北新報社前からの4画面映像です。

気仙沼市内3地点における同時刻津波映像(約10分)

この映像は、nbsn1979さんによって2011年04月22日にアップロードされました。

すべて既に見た映像なのです。2のホテル望洋付近からの映像には避難する私の母もうつっています。しかし、時間を同じにして並べられると、3月11日のその時の緊迫感が、見ているこちら側にも伝わってきます。伝わりすぎるぐらいに。

津波の映像は、被災者のつらい記憶を思い起こさせるので紹介を迷うところです。しかし、その記憶の風化が早くも語られるなか、記録としてここにも記しておきます。

21日に紹介した映像にうつる風景の多くは、この津波のなかにあったのです。

2012年2月16日ブログ「映像: 気仙沼の今
2011年9月10日ブログ「母の見た風景

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ヒカリへの協賛

2月16日のブログで紹介したプロジェクト「3月11日からのヒカリ」に、私たち気仙沼中学20回生支援会も、ほんのわずかですが協賛することにいたしました。

HIKARI.jpg

協賛の趣旨としてつぎのように記しました。

「震災で亡くなった私たちの大切な人たちの鎮魂と追悼のため、このプロジェクトに協賛いたします。どうぞ、私たちの気持ちがみんなに届きますように」

気中20回生では及川保規君と鷺(庄司)良子さんを失いました。お父さんお母さん、兄弟姉妹、そしておんちゃんおばちゃんなどと数えていくと、本当に多くの人が亡くなっています。気中だけでなくけせもい会の仲間、ほかの中学同窓でも事情は同じでしょう。プロジェクト実行委員会の斉藤道有さんの学年(たぶん気中46回)では7名を失い、いまだ行方不明の方もいるとのことです。

3月11日に、現地気仙沼で追悼したいと強く思いながらも、なかなか難しい。そんなことから、とりあえず気中20として、ここに記すみんなの気持ちを込めての〈ヒカリへの協賛〉です。

(気仙沼中学校)鈴木徳一、板橋和夫、熊谷武敏、菊田裕美、小山達朗、秋山(斉藤)裕子、佐々木(金野)真紀、小田明紀、中井殖、岩淵勉、熊谷薫、斉藤恒四郎、田口(三浦)文男、及川誠、中野美幸、及川喜世隆、千葉正俊、赤崎(斉藤)栄子、児玉(藤田)道子、森(森田)恵子、山本(上田)裕子、清水利恵、斎藤謙一、千葉憲二、秋元(小原木)直義、木下(菊田)郁子、千葉和夫、渡辺まさえ、河野進、玉山司、藤村進、栗原(小野寺)幸恵、龍崎経子、並木(鈴木)美代子、笹野(内海)登記江、佐藤厚、小林(小野寺)幸恵、加藤公明、熊谷和徳、矢崎暢一
(大島中学校)熊谷雅裕(階上中学校)西城健也(津谷中学校)諸橋茂(鹿折中学校)田川耕三(唐桑中学校)鈴木修、村上教行、千葉健二
(知人・友人)洗濯船/吉成由貴子、古今亭志ん弥、ユコラ/宮本優子、伊豆の国市/鈴木貴子、菅原喜平治、ダンさん/渋谷健三、寺田恵子、A5有志/林森三、千田理恵(気中26回)(敬称略)

なお今回のプロジェクト協賛は、当会代表の鈴木徳一、事務局の菊田裕美・斉藤恒四郎・小田明紀で協議、決定いたしました。ご了承ください。

2月16日ブログ「3.11からの光」
「3月11日からのヒカリ」公式サイト

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映像: 気仙沼の今

昨日紹介した、NHKテレビ「お元気ですか 日本列島」。〈気仙沼中心街の復興未来図は 市がアイデアを公募ほか〉と番組案内にあったので期待してみたのですが、通常のニュース映像と変わらない程度の扱いでしたね。肩すかし。

さて、ユーチューブに2月17日現在の気仙沼の映像が投稿されていましたので紹介します。撮影と投稿は、and273jpさんによるものです。いずれも映像のみで音声はありません。

1:2012 2/17現在の南気仙沼(気仙沼市)(約8分)


2:2012 2/17現在の気仙沼郵便局→気仙沼港→鹿折(気仙沼市)(約12分)


気仙沼をあまり知らない人のために少し説明しておきますと、1つめの南気仙沼地区というのは、水産加工の会社、工場などが多く立地している地区でした。津波に加えて大火事も発生し、多くの家屋や事業所が失われました。映像の最後は魚市場です。

2つめの映像は気仙沼郵便局の前から始まります。左方向に市役所があります。前半は比較的被害の少なかった地域ですが、魚市場を経由して気仙沼の内湾方向へ行って魚町あたりになると、残った建物があったとしても全損状態です。そして、私の実家跡を左に見ながら鹿折地区に入ります。ここも南気仙沼と同じく壊滅的な被害を受けた地域です。映像の最後に、1月28日にプレオープンした鹿折の仮設市場「鹿折 復幸マルシェ」がうつっていました。

南気仙沼地区にしても鹿折地区にしても、気仙沼を知らない人が見たら、閑散とした工業団地や減反後の農村の風景と変わらないかもしれません。しかし、私が被災後に見たときの印象を一言でいえば〈なにもかもやられてしまった〉。まさに壊滅的な状態でした。どちらの地域も以前は住宅や事業所が立ち並んでいたのです。

11カ月経って、何が変わって、何が変わっていないのか。
ふたつの映像を見て、私は複雑な気持ちになってしまいました。

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海神様無事終了

このブログでも紹介した気仙沼の「海神様」が2月18日に無事終了しました。
この気仙沼版「なまはげ」は、小山隆市君(3年6組)が代表をつとめる「甚六鬼の会」の主催ですが、隆市君らの世代はサポート役に回り、その息子さんら次世代が活躍してくれたようです。

隆市君のブログに写真も紹介されていますので、ご覧ください。
それとNHKテレビのサイトで映像も見ることができます。

隆市君のブログ「気仙沼ネットデリバリー」
NHKニュースサイト

隆ちゃんはじめ関係者のみなさん、お疲れさまでした。無事の終了、なによりです。
最後にテレビ番組情報。

本日20日午後2:05~55 NHKテレビ「お元気ですか 日本列島」で〈気仙沼中心街の復興未来図は 市がアイデアを公募ほか〉の放送予定です。ぜひご覧ください。

2月9日ブログ「26回目の海神様」

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気仙沼信用金庫

2月11日午後9時からのNHKスペシャル「シリーズ東日本大震災」
“魚の町”は守れるか
~ある信用金庫の200日。見ていただけましたでしょうか。反響がかなり大きかったようで、16日の深夜には再放送されました。

NHKの再放送案内にはこう書いてありました。

「震災で不良債権寸前になった中小企業を救うため、リスク覚悟で次々と実行される“異例の融資”。自らも存続の危機に立つ信金の、瀬戸際の融資に密着するインサイドルポ」

フカヒレを扱うヨシエイさんのメインバンクの〈冷たい対応〉に、あの銀行はどこだ!という声がネットでもわきあがりました。

このブログでも、番組を紹介した2月8日のブログ「信用金庫の200日」にたくさんのコメントをいただきました。記事の一番下の「コメント」をクリックするとお読みいただけますが、ここに当方の返信内容も含めてご紹介します。

● 金融機関本来の姿に感動しました!
突然のメールで失礼します。 たまたま気仙沼信金のホームページを検索していたところ、貴ブログを見つけ投稿させていただいた次第です。

小生も本日のNHK番組を視聴して心が震えました。折しも連日の国会中継にもどかしさとやり場のない怒りに悶々としていたなかでの放送だっただけに、現場の決断が何より大切であることが痛いほど判りました。
「気仙沼ブランド」を絶やすな! 信金スタッフをはじめ地元の方たちの熱い思いに、心よりエールを送ります。 そして微力ながらも関西の地から東北の復興を支援し続けたいと思います。 乱文失礼いたしました。
2012-02-11 23:24 茨木市 林さん


● Re: 金融機関本来の姿に感動しました!
林さま  コメントありがとうございました。あのNHKの番組はとてもよかったですね。気仙沼の事業復興のきびしい現実がよくとらえられていました。また、わずかながらも今後への希望が感じられるおわりかたにも、正直すこしホッとしました。茨木におすまいとのこと。今後とも気仙沼のこと、よろしくお願いいたします。
2012-02-13 14:21 気中20小田

● No title
今回のメインバンクは宮城県に本店のある銀行ではなく、岩手県に本店のある銀行らしく、気仙沼の経済界の上層部は把握しているらしいが、一般的には宮城県内の銀行と思ってしまう…
これで地元から預金が下ろされたりしたら、マスコミによる風評被害…
岩手県の銀行自体の被害も大きかったとはいえ、誤った印象を与えることでの宮城県内への影響は結構大きいかもしれない…
それでも頑張れ!気仙沼信金!そして七十七銀行&仙台銀行!
2012-02-15 03:32 地元を愛する宮城県民さん

● Re: No title
コメントありがとうございました。なにか気仙沼の人を敵に回した感もあるあの銀行。私もどこかと思っておりました。ネットの情報でも岩手県に本店のある銀行のようですね。信金、銀行の皆さんもひと踏ん張りしていただきたいところです。
2012-02-15 14:56気中20小田

● 偶然…ではないのでしょう。
昨夜、偶然テレビのチャンネルをそのままにしており、番組を拝見しました。
とても素晴らしい内容で、NHKさんやなぁ。と思う一方で、現場がもっともっと活性化することを願わずに居られませんでした。
人と人との支援、保身、そして前進する姿からは、銀行が悪いとか、信金がよいとかの基準ではなく、三者全員が必死であることが伝わってきました。何度も見たくなる内容でした。
気仙沼の企業の方の本気と比べると、関西の地は、まだまだヌルイ状況と言わざるを得ませんが、心の底から応援しています。 素晴らしい番組でした。
2012-02-17 18:1 8兵庫県 稲澤さん

● Re: 偶然…ではないのでしょう。
稲澤様 ありがとうございました。おっしゃる通り、みんな必死なのですね。単純な善悪で捉えることは慎みたいと思います。と言いながら、なんだよあそこの銀行はと思ってみたりもするのですが。これからもよろしくお願いいたします。
2012-02-17 18:25 気中20小田

投稿コメントは以上です。気仙沼信用金庫へのエール、そしてまたメインバンクのほうも思いやる発言など、皆さん、本当にありがとうございます。

いろんなご意見があるでしょう。しかし、とにかく、それぞれみんな生き残るために必死なんだ。
それだけは間違いないでしょう。

2月8日ブログ「信用金庫の200日」

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唐桑物語Part3

2月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)3月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第3回目は「潜水艦に学んだ名船頭」。

世界,jpg (誌面イメージ)

気仙沼市唐桑・鮪立(しびたち)地区の「恵比寿棚」畠山一族の長男で、北洋鮭鱒流し網漁に命をかけた伝説の名船頭〈こんつぁん〉こと畠山耕治さんの話です。

畠山さんが伝説の名船頭(漁労長)と呼ばれる理由のひとつが漁獲実績です。なんと1961年から9年連続で中型鮭鱒流し網船の水揚げ金額日本一を達成したのです。船員一人頭に換算すると3カ月で100万円。陸(おか)のサラリーマンが月給3万円の時代の話です。北洋に2年出ると「家がたつ」といわれたそうです。

なぜそれほどの漁獲ができたのか。それは、畠山さんが勘に頼ることなく、客観的なデータにもとづいて漁をおこなったからだといいます。そして、その科学的な知識は、戦時中に広島の海軍潜水学校で潜水艦の機関長をめざす特訓によって得たものだったのです。海底図と水温の分布図を重ねあわせて分析する手法を漁場においても活用したのです。

そうしたさまざまな工夫のほか、戦時中に北洋で目にした鮭や鱒のひれで海面が埋め尽くされた〈この世のものと思われない驚くべき光景〉など、興味深い話が紹介されます。そして、1675年に唐桑の「小館(こだて)」鈴木勘右衛門らが紀州の70名余りの漁師集団を招き学んだカツオ「釣りため」漁法導入の歴史なども紹介されます。

畠山さんは、昨年3月の震災時は市立病院に入院中でした。鮪立の海岸近くの自宅や貴重な記録類は津波ですべて失ったといいます。そして9月14日に他界。87歳でした。

文章中に、つぎの記述がありました。
「〈低気圧の墓場〉と呼ばれるこの北洋海域で、彼(畠山さん)が北洋漁にデビューしてからの15年間に、海難事故で命を落とした日本の船員は、唐桑関係も含めて120名を下らない。」

北洋海域での流し網漁は、唐桑に多くの冨と繁栄をもたらしました。しかし、この過酷な北の海で失われた命も少なくはないのです。

12月21日ブログ「世界の唐桑物語」
1月16日ブログ 「唐桑物語Part2」

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3.11からの光

本日は、きのうのブログで紹介した斉藤道有さんらが気仙沼で進めているプロジェクト「3月11日からのヒカリ」をご紹介します。

HIKARI.jpg

このプロジェクトは、震災から1年となる本年3月11日、気仙沼の内湾(鼎が浦)の夜空に3本の光の柱をたちあげようというもの。3本の光を放射する場所は、柏崎・神明崎・蜂ヶ崎です。このプロジェクトの主旨を、公式サイトではつぎのように述べています。

【ひかりの柱】現在、被災地では犠牲者を悼み、手をあわせるために人々が集う場所や慰霊碑がありません。しかし、震災から一年をむかえる日には、限りなく多くの人々にとって、心を寄せあえるモニュメントが必要です。ひかりの柱はその慰霊碑の役割とともに、「ひかり」が私たちに与える根源的なイメージ(未来、希望、あたたかさ)を併せ持ちます。
【たちあがる場所】柏崎・神明崎・蜂ヶ崎の3ヶ所で囲まれた気仙沼湾を、古来より先人たちは「鼎が浦」と呼んできました。鼎(カナエ)とは、三つの足に支えられた器のことです。三陸沿岸は海と山と人がつながりあって生きてきた場所です。それは過去、現在、未来を示しあう3本の光の柱によって表されます。

開催日:2012年3月11日(日)
時間 :日の入り後から午前0時まで
会場 :気仙沼市内湾(鼎ヶ浦)
主催 :3月11日からのヒカリ実行委員会

なお、実行委員会では、このプロジェクトを実行するための募金の協力をお願いしています。詳しくは、このプロジェクトの公式サイトをご覧ください。

「3月11日からのヒカリ」公式サイト

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tag : 気仙沼 気中20 斉藤道有 3月11日からのヒカリ

斉藤道有さん

雑誌「GQジャパン」。米国の男性向けライフスタイル雑誌の日本版です。コラム記事の執筆者が充実しているので、私も一応チェックを入れております。立ち読みか図書館ですけどね。

そのGQ誌の昨年10月号の若木信吾さんの連載頁「PEOPLE」に、気仙沼鹿折地区に津波でうちあげられた船を背景にしたひとりの若者の写真があってびっくり。GQ誌は、ファッションや若手経営者などの記事が多い、ま、簡単にいえばおしゃれな雑誌。そこに気仙沼の被災現場の写真があったことに驚いたのです。その記事はこんな感じ。

斉藤道有

若木信吾さんは、広告や雑誌などで活躍する人気写真家。映画の制作などもしています。そして写真にうつっている若者は、気仙沼八日町にある斉藤茶舗の斉藤道有(みちあり)さん。私たちの一年先輩である斉藤證明(あかし)さんの息子さんです。記事には1977年生まれ。アーティスト。とあります。

若木さんは、富士フィルムから提供を受けた「写ルンです」を被災地に届ける支援活動をおこなっていました。そして道有さんは、「ほぼ日」スタッフとBRUTUSなどの編集者伊藤総研さんを通じて「写ルンです」を受け取りました。それが縁となって、若木さんが気仙沼を訪れたときに気仙沼高校の写真部員らとのワークショップもおこなわれたようです。

道有さんは、気仙沼高校から宮城教育大の美術に進みました。その後も仙台で活動を続けていましたが、15年ぶりに気仙沼に戻った直後に震災にあいました。いまは、気仙沼高校の進路指導役をつとめながらアート活動を続けているとのこと。
若木さんの記事のなかに道有さんの言葉が紹介されています。
「その先はわからないけどひとまず10年はここでやっていこうと思う」

GQマガジンにたぶん気仙沼人としてはじめて登場した斉藤道有さん。気仙沼高校では美術部だったのかなあ。そうだとちょっとうれしいです。先輩として(笑)。

道有さんのブログ「ぼくのあたまのなかの斉藤道有」

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国連の畠山さん

本ブログでも何度も紹介してきた気仙沼市唐桑の畠山重篤さん。2月9日には、国連森林フォーラム(UNFF)事務局が実施している森林保護に貢献した「フォレストヒーローズ(森の英雄)」に選ばれ、国連本部で開かれた国際森林年閉会式で表彰されました。

畠山さんは唐桑の舞根「水山養殖場」でカキを養殖しながら、「森は海の恋人」の活動を続け、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山で植林活動を進めてきたことは、皆さんすでにご存じのとおりです。
「フォレストヒーローズ」は、去年が国際森林年だったことに合わせて国連が初めて設けた賞で、アジア、アフリカ、欧州、中南米、北米の世界5地域41か国から6人が選出され、アジア地域では畠山さんが選ばれました。

この表彰の様子は、各テレビ局も紹介していましたからご覧になった方も多いでしょう。ここでは、TBSの映像をご紹介します。


(配信終了しました)

畠山さんは次のように語っています。
「去年3月の津波でカキの養殖施設も船もすべてが流され、絶望の淵に立ちましたが、1か月後には海に魚が戻り、以前にも増して豊かな海になりました。海に流れ込む川と森がしっかりしていたからです」

畠山さんの提唱によって始まった「森は海の恋人」の活動は20年以上にわたります。すでに高い評価を得ているこの活動ですが、こうして国際的な評価を得るまでになったことを本当にうれしく思います。
はじめは小さな芽であったろう畠山さんの志が、気仙沼の地の誇るべき精神として、さらに大きく育っていくことを心から願っています。

12月6日ブログ「畠山さんのTV」

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還暦祝い一周年

土曜日は震災から11カ月。でも気中20の同級生にとっては、あの還暦祝いからちょうど一年となった昨日のほうが感慨深かったのではないでしょうか。
去年の今頃は、あんなに沢山の同級生が集まって、本当に楽しかったなあと。

この還暦祝い、気仙沼以外の方にはちょっと説明が必要ですね。
気仙沼では10数年に一度、中学の同級会(同年会)を「厄払い」と称し、かなり盛大に行うのです。私たちも、男の厄年、女の厄年、そしてなんかほかにも〈そんな厄払いがあったっけ〉みたいな名目の会をやりました。それはもう一大イベントです。そして、その厄払いの集大成みたいな催しが「還暦祝い」です。

私たち気仙沼中学20回生の「還暦を祝う会」は、昨年の2月12日(土)に気仙沼ホテル観洋で開催されました。約200名の参加。中学は11クラスで約450名でしたから半数近くが集まったことになります。一昨年8月14日には物故祭の法要や法宴も催されました。

30頁近い記念誌アルバムとDVDも制作されました。そのアルバムから記念写真を紹介しましょう。一枚には入りきらないので2グループに分けての撮影です。震災で亡くなった同級生ふたりもうつっています。

還暦1 3年1組~5組

還暦2 3年6組~11組
(クリックで拡大)

あれから一年。みんなどうしているだろうか。
なんとか元気にやっていてくれればと。そう願うばかりです。


毎月一回、ご案内をさせていただいております。
義援金振込口座はここから

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さんま寄席詳細

2月4日の本ブログで紹介した立川志の輔さんの「気仙沼さんま寄席」の詳細が8日に発表されました。

出演:立川志の輔・糸井重里 and more
日時:2012年3月25日(日)
   開場 13時30分 開演 14時30分
   終演予定時刻 18時ごろ(延長する可能性あり)
会場:気仙沼市民会館 大ホール(1164席)

チケット・ツアーの発売は2月17日(金)の午前11時から

気仙沼さんま寄席 公式サイト

詳細内容は、上記の公式サイトをご覧いただくとして、簡単に紹介しておきましょう。料金はすべて税込、大人一名です。

●宿泊プラン
・カレイコース 42,400円 土曜平泉観光付き
・タラコース  40,400円 平泉観光なし
・ヒラメコース 38,700円 月曜平泉観光付き
●日帰りプラン
・カツオコース 25,600円 往復新幹線
・サメコース  27,700円 往/新幹線・復/深夜バス
●フリープラン
・チケットS席 6,300円
・チケットA席 1,575円

チケットA席は、気仙沼近郊在住、在勤のかた向けのチケットで、地元の特設プレイガイドでのみ販売します。宿泊日や宿泊場所の違い、平泉観光のあるなしなどの違いがあります。お間違えのないように。

それとついでに。
本日2月11日(土)午後9時からのNHK?総合テレビ
NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災」
“魚の町”は守れるか?~ある信用金庫の200日~

気仙沼信金の200日間の記録です。どうぞお忘れなく。

2月4日ブログ「立川志の輔さん」

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海神様ポスター

昨日のブログで紹介した今月18日の甚六鬼の会「海神様」ですが、小山隆市君(3年6組)の長男裕隆さんのブログにポスターや写真が掲載されていました。了解を得て紹介します。

kaizin2012-1.jpg

2月18日(土)午後2時に五十鈴神社(お神明さん)を出発とあります。たしか出発前に「魂入れ」だったかを行うんですよね。
訪問したご家庭や商店にお渡しする木札には、今年の干支「辰/龍」の文字が書かれています。この書は、書家の武山美加(みゆき)さん(3年9組)によるもの。美加さんの雅号は「櫻子(おうし)」です。

201202071756187b5.jpg

訪問家庭、商店、施設など、まだ募集しているとのこと。
お申し込みやお問い合わせは
090-5235-6641(小山裕隆さん)まで。

甚六鬼の会。様々な世代のみんなの協力があって、26回も続いているのですね。

小山裕隆さんブログ

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26回目の海神様


2月4日の三陸新報に「今年も海神様参上」の見出し。

海神さま

海神様は、気仙沼版「なまはげ」。小山隆市君(3年6組)が代表をつとめる「甚六鬼の会」が毎年2月に行ってきました。昨年で25回目になるといいます。60-25=35。隆ちゃんが35歳ぐらいの時に仲間と一緒に始めたのですね。いろいろ大変なこともあったでしょうが、ここまで継続しているというのは本当に驚きです。大したものです。

隆市君の気仙沼ネットデリバリーのブログや、息子さんの裕隆さんのブログにも書いてありましたが、今年の〈海神様〉をどうするかについてはいろいろ悩んだようです。
でも、階上地区の倉庫に保管されていた木彫りの面や漁網、衣装などが残ったこともあり、2月18日(土)の実施を決めたとのことです。三陸新報記事の隆市君のコメントに「風物詩を続けることで、自分たちも日常生活に戻るための一歩にしたい。気仙沼を少しでも活気づけたい」とあります。

「自分たちも日常生活に戻るための一歩に」という言葉には、さまざまな思いが込められていると感じました。

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信用金庫の200日

本日は、2月11日(土)午後9時からのNHK
総合テレビの番組予告です。
NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災」

“魚の町”は守れるか
~ある信用金庫の200日~

NHKスペシャルの番組サイトではつぎのように紹介しています。

「東日本大震災で被災し、不良債権寸前となった中小企業への融資をどう進めるか。
被災地に基盤を置く金融機関の姿勢が問われている。その中で、宮城県の気仙沼信用金庫は震災直後からリスク覚悟で、地元企業の再生に全力で取り組んできた。
有力な取引先のほとんどが津波被害の影響を受け、不良債権の総額は震災後すでに50億円を超えた。この期に及んでは、可能性のある企業に希望にかなう融資を進めなければ、地域の衰退は止められず、信金そのものの存続も危うくなる。
番組は、信金の瀬戸際の融資に密着。他の金融機関とは一線を画し、震災破綻を乗り越えようと抗い続ける、被災地経済の苦闘を伝える。」

紹介文は以上です。
実は先週土曜日の放送と勘違いして、菊田裕美君から気中20のみんなにメール連絡してもらったんですが、早とちりでした。ごめんなさい。

地元企業の経営を支える気仙沼信金の200日間の記録。
今週土曜日11日午後9時からです。お忘れなく。

必見。

NHKスペシャル番組サイ
9月6日ブログ「信金OBの活躍」

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伝説の人びと

1月26日の「学卒の秋山さん」を読んだ皆様から、さまざまな情報をいただきました。

兄からはこんなメールが。
「やっせのまんずろうおんつぁん」(八瀬の万次郎おじさん?)を知ってるか?」

すっかり忘れていましたが、50年ぶりに思い出しました。しかし、兄も私も聞いたことがあるだけで、見たことはないのです。

先日の日曜日、焼津の義姉夫婦と、被災してそこに身を寄せている義母の3人が東京の我が家に。なつかしい写真などをながめながら思い出話でもりあがりました。
義兄さんも「〈八瀬のまんずろうおんつぁん〉は、聞いたことはあるが見たことはない」とのこと。伝説の人か? 気仙沼近郊の八瀬というところに、万次郎という名の男がいました。みたいな。

そして義姉さんからは、「鍋っこずんつぁん(鍋爺さん)」に関する新たな情報が。なんと、彼の住まいはカトリック幼稚園の入口近くにあったらしいのです。住まいというか、小屋というか。気仙沼弁でいえば「小屋こ」か。しかし、教会の近くに居をかまえるとは、なかなかやりますね。

そして、カトリック幼稚園に通う義姉は、毎朝、こう声をかけていたといいます。

「鍋っこずんつぁん、おはよう!」

マリア様に祈りをささげるだけでなく、鍋っこずんつぁんにも朝のあいさつを。
まだ幼かったえりちゃんは、そんな優しい心をもった女の子でしたとさ。

本日の「ちょっといい話」はこれにて(笑)。

1月26日のブログ「学卒の秋山さん」

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臼井弘君の悩み

1月21日の三陸新報のトップ記事の見出し。
「復旧急ぐ水産加工場に壁~再建とインフラ整備かみ合わず」。

福寿記事

記事の冒頭は、フカヒレ加工会社社長・福寿水産の臼井弘社長のコメント。
「完成を前に、本当なら光が差し込んでくると思っていたが…」
臼井社長とは、先週、私の実家解体のことでわざわざ電話をくれた3年4組の弘(ひろし)ちゃん。

記事の要点をまとめるとこのようなことです。
福寿水産は大津波で全壊状態になり、従業員23人をやむなく解雇。しかし昨年10月に修繕工事に着手し、この2月中に完成の見通しがもてるところまできた。しかし新たな問題が浮上している。
まず、工場の前の県道は1メートルかさあげされているが、今後さらにかさあげされる可能性がある。そうなると荷物のスムーズな搬入ができなくなる。
次に工場排水の処理問題。6月に処理施設が鹿折の浜町に完成予定だが、それ以前の処理をどうするか。3~4カ月のために浄化施設を整備すると1000万円かかる。そうしなければ、生産量を半減させて水の使用量を減らすしかない。さてどうするか。

臼井君は先日の電話でも言ってました。「復興の理想を求めるのも結構だけれど、それに要する長い期間を待てるかどうか。待てないんだ。こっちの気持ちも折れてしまうんだよ」

この三陸新報の記事が掲載された日、大島の熊谷雅裕君が電話をくれました。
「今日の三陸に福寿水産の弘のコメントが出ている。大島の状況もまったくあのとおり。早期の復興をといいながら、役所は平時の決まり事を掲げて物事が簡単には進まないんだ」

私なども東京にいて、理想というか〈あるべき論〉をつい語りがちですが、現地、現場の声はまた違いますよね。
どっちが正しいというよりも、いろいろな考えを出し合って、言い合って、100点ではなく、75点ぐらいのところでおさまってくれればいいのですが。
これも〈理想論〉でしょうか。

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立川志の輔さん

糸井重里さんの「ほぼ日」が、気仙沼での落語会を計画していましたが、開催日程などがきのう正式に発表されました。

「気仙沼さんま寄席」
3月25日(日)開催。会場は、気仙沼市民会館です。

演者はなんと、立川志の輔(たてかわしのすけ)さん。落語会のチケットがなかなかとれない落語家のおひとりです。これはすごいよ。

志の輔さんは1996年から、「志の輔らくご in パルコ」を渋谷PARCO劇場で例年開催しています。今年も1月5日から明日2月5日まで、水・木曜をのぞく毎日の高座を一カ月ものあいだ続けています。志の輔さんの人気のすごさがこれでもわかるでしょう。

「歓喜の歌」(かんきのうた)も2004年の「志の輔らくご」で初演されました。はなしが終ると高座の後ろの幕が開き、本物のママさんコーラスグループが「歓喜の歌」を合唱して志の輔さんが指揮をする。その演出は大変な反響を呼びました。いまでは志の輔さんの代表作のひとつとなっています。2008年には小林薫主演で映画化、また大泉洋主演でテレビドラマ化もされました。

「気仙沼さんま寄席」は、遠来のお客様も大歓迎という催し。その収益を目黒の「さんま祭り」のさんま費用にあてようという計画です。遠くからの人も来やすいようにと、落語会チケット付きの宿泊ツアーの企画も進めているとのことです。

開催に向けては、「気仙沼さんま寄席実行委員会」が組織され、「気仙沼のほぼ日」はサポーターとして参加するかたちです。これも、糸井さんらが、あくまで開催の当事者は気仙沼の人たちであるべきとの考えたからでしょう。

宿泊体制の確保ほか、開催までには多くの苦労があるかと思いますが、気仙沼の関係者のみなさんの力を合わせて、なんとか成功させて欲しいと心から思います。

本日、まずは志の輔さんのご紹介。次回は2月8日に発表されるチケットやツアーの詳細のことなど。おあとがよろしいようで。

「気仙沼さんま寄席」ホームページ
「気仙沼のほぼ日」ホームページ

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かもめ食堂開店

今朝、兄からメール。「憲二君が、今日の読売の〈顔〉に紹介されているよ」
さっそく読売新聞を買ってきました。おお、出てますね。この記事。

憲二読売6 (クリックで拡大)

昨日は、千葉憲二君(3年4組)の新しいお店気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館でオープンしました。ここに至る経緯は、このブログでもお伝えしてきたとおりです。オープン近くなって、スポーツ紙などでもずいぶん紹介されていましたが、こうした全国紙での紹介はありがたいですね。
読売の記事は、1月20日のブログに書いたようなことですが、憲二君をつぎのように紹介しています。

「和食店で修行した後、東京都内でラーメン店「ちばき屋」を開業。半熟の煮卵を具に取り入れた「元祖」とされ、一代でラーメン通に人気の店に育てた。」

そして、次のように結んでいます。
「気仙沼で地元の人たちと、かもめ食堂を再開するのが目標。それが「自分にできる復旧の手助け」と信じている。」(以上、2月3日読売新聞朝刊記事より)

憲二君、開店おめでとう。商売繁盛そして気仙沼でのかもめ食堂復活を、同級生みんなで応援しています。

1月20ブログ「かもめ食堂復活」

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実家の解体工事

一昨日1月31日、臼井弘君(3年4組)から電話がありました。
「あんだい(あなた)の家、解体工事が始まったって知ってだ?」

気仙沼の魚町坂口の実家は、昨年9月4日にすべてを引き払い、もう私たちの家ではなくなっていましたから、解体の話も知りませんでした。
弘君「写真を撮ったから、息子に頼んでメールでおぐっから」。

息子さんの祐介君からメールで送ってもらった写真は5枚。そのうちの2枚はこんな感じ。

実家全景 背面から

左写真の坂を後ろにのぼっていくとホテル望洋。左奥に見えるのは陣山です。
右写真は、後ろ側から。すでに半分は壊されています。

昨日は佐々木徹君(1組)から電話がありました。
「アキちゃんちの解体が始まったよ」
同じ近所の一学年下、昆野隆男君とふたりで解体現場を見たらしいのです。〈写真を撮っておぐっか〉という徹君に、隆夫君は〈がっくりくっから、きれいになった後の写真にすっぺし〉という意見だったとのこと(笑)。

私は昨年の9月が実家とのお別れと思っていたので、写真を見てがっくりということはありませんでした。むしろ、直接見ることがなくてよかったとも思います。
むしろ、こうして〈すかすか〉となっていく魚町で、今もそしてこれからも暮らし、働くみんなのことのほうが。

弘ちゃん、徹ちゃん、隆男ちゃん。還暦前後で〈ちゃん〉づけもないけど、いろいろありがとう。みんなで遊んだ、あの魚町がこうして変わっていくのですね。
正直、さびしいです。

9月5日ブログ「 感傷的。」
9月1日ブログ「最後の帰省」

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庄司良子さん

あっという間に月が変わり2月。今日の東京、寒さはやわらぎましたが少し風があります。
気仙沼はどうかと思って調べてみると、ありゃま、お昼すぎは3度で、みぞれの予報になっています。午前中はかなりの雪で、午前9時でマイナス5度とか。

さて、先日のけせもい会では、何人かの同級生から写真をいただきました。そのなかに、この一枚がありました。

庄司良子ブログ2 (クリックで拡大)

昨年2月12日、気仙沼での気仙沼中学20回生還暦祝いでのスナップ。中央が鷺(庄司)良子(よしこ)さん、左が中井殖(しげる)君、右が恥ずかしながらわたくし小田明紀。みんな3年8組だったのです。
良子さんは仲の良い女子からは「しょんつぁん」って呼ばれていましたね。しょうじさん=しょんつぁん。「しげかつさん=しげかっつぁん」と同じ気仙沼的サ行変格活用か。

彼女の笑顔がいいでしょう。中学のときもいつもこうした明るい印象でした。
そして昨年の震災。良子さんが嫁ぎ先の陸前高田で亡くなったと聞いたときは本当に驚きました。私は、一カ月前、こうして良子さんの肩に(やさしく?)手をかけて写真を撮ったばかりだったのですから。

この震災では、良子さん、そして及川保規(やすのり)君の同級生ふたりを失いました。
昨年の今頃は、2月12日の還暦祝いの会のため、新幹線の予約などしながら、同級生との久しぶりの再会を楽しみにしていたのですが。

7月4日ブログ「ラストダンス」

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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