陸前高田の泰君

29日、高橋泰(やすし)君から、ブログのメールフォームを通じて連絡をもらいました。大島の熊谷雅裕君から教えてもらい、この気中20のブログを見ているとのこと。泰君は、気仙沼高校時代の同級生です。メールを紹介します。

「 私は、陸前高田市から通学していた応援団長の高橋です。大学以来、仙台で中学校教員をしており、現在は仙台市立五橋(いつつばし)中学校の校長をしています。定年退職まで、残り2か月ですが……。小田君のこの毎日のブログを見て、自分も元気づけられています。仙台の地でも、教員10名程度ですが、気仙沼高校OB会を「香久留が原(かくるがはら)会」という名称で、交流会を開催しています。また、連絡します。
自分は、五橋中学校のウェブページに「校長通信」を掲載していますので、興味のある方は、どうぞご覧ください。なお、弁護士の小松亀一も仙台市内で頑張っていますよ。」

泰君からのメールは以上です。
すっかり忘れていました。泰君は陸前高田から通っていました。いわゆる「汽車通/きしゃつう」。学力優秀で人望もあり応援団長が本当に似合う男でした。ほめすぎか(笑)。

ちょうど同じ日の夕方に、NHK総合テレビで「証言記録 東日本大震災」の放送がありました。第1回「岩手県陸前高田市~消防団が見た巨大津波~」。

1800人以上の死者・行方不明者を出した陸前高田市の、消防団長や団員の証言記録です。この番組を見て、あらためて陸前高田の被害状況のものすごさを感じました。メールには書いてありませんが、泰君も高田には親族をはじめ多くの知人・友人がいたはずです。その被災の状況はあらためて聞いてみようと思います。

NHKの「証言記録 東日本大震災」シリーズは、1月7日から放送されている5分版番組「あの日 わたしは」とは別の45分の長編版。次回は、2月26日「宮城県女川町~われらの港を襲った大津波」です。

五橋中学校「校長通信」
NHKテレビ「証言記録 東日本大震災」ホームページ
スポンサーサイト

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20

けせもい会報告

一昨日28日は「けせもい会」でした。
「けせもい会」は、気仙沼中学だけでなく、大島、階上、唐桑、津谷、鹿折など、気仙沼地区の各中学出身者の同年会です。鈴木徳一君が会長、事務局を菊田裕美君がつとめてくれています。もう20年以上続いているんじゃないかな。

震災直後に気仙沼中学の同級生に向けての支援活動とさせてもらったことから「気中20支援会」の名称としているものの、義援金をはじめ支援母体はこのけせもい会といってもよいでしょう。だから「気中20プラス」なのです。

さて28日夕方。新橋駅銀座口で待ち合わせた23人ほどが会場の銀座「喜いち」へ。入口で記念撮影。私が撮ったら少しぶれました。

けせもい会1

気仙沼の大島から熊谷雅裕君が奥さんと一緒に上京、参加してくれました。気仙沼の酒「福宿」もいただきました。その後も斉藤恒四郎君ほかも到着、30人以上の参加となりました。
並木(鈴木)美代子さん(3年8組)、龍崎経子さん(5組)、笹野(内海)登記江さん(3組)などは、たしかはじめての参加じゃなかったかな。みんなとっても楽しかったと言ってくれたのは、なによりのこと。

雅裕君の挨拶と乾杯のあと、千葉憲二君からは2月2日の新横浜ラーメン博物館での「気仙沼かもめ食堂」のオープンまでの経緯やこれまでの気仙沼訪問時の様子の紹介がありました。
あとはもう、わきあいあい、わいわいがやがやと。親や兄弟、そして同級生の被災の話、気仙沼に帰ったときの様子、思い出話、なんやかや、あれやこれや。4時半から9時まで、「喜いち」の美味しい料理と気仙沼のお酒などもいただきながら、ゆっくりと話すことができました。

気仙沼の状況はいまだ厳しいものがあります。会でもそうした話も多くありましたが、気仙沼のみんなのことに〈思いをいたしながら〉、楽しい時間を過ごすことができました。後日、スナップ写真なども届くでしょうが、本日は速報ということで失礼いたします。

いつも思う。同級生っていいもんだなって。
またやろう。まだやっぺし(笑)。

11月21日ブログ「忘年会の季節」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

本日けせもい会

本日28日夕方から、新年はじめての「けせもい会」です。

「けせもい会」は、気仙沼中学だけではなく、気仙沼高校や気仙沼水産高校(現向洋高校)、鼎が浦高校などを含めた、東京など首都圏に住む同年生の親睦会です。これまで、年2回ほど集まっていました。会場は、銀座8丁目の千葉憲二君(3年4組)のお店「喜いち」(きいち)です。

憲二君は、ラーメン店「ちばき屋」の店主として、東京の江戸川区葛西をかわきりに、仙台、アリオ亀有、川崎ラゾーナ、横浜ポルタなどにも出店しています。そして一昨年、銀座にこの「喜いち」を開店したのです。

憲二君は「喜いち」のホームページに「店主より」として次のように記しています。



「店名の〈きいち〉は四十二歳で逝去した父の名前からとりました。オシャレでハイカラな人でした。今の私は父が亡くなった年齢を過ぎて二十年近くが経ちますが、それでもなお憧れの男です。

そんな父も好きだった銀座。私自身、いつか自分の店を出してみたいと願った夢の場所です。五十歳の時に出版した本の中で、〈六十歳になる頃には自分の技術をすべて出し切れる店を開きたい。たとえば場所を銀座かもしれない〉と語りました。その夢が実現したことの喜びを今かみしめながら、〈叶えてくださったみなさまへの感謝の思いを、一品、一品に込めていこう〉と心を新たにしております。

どうかみなさま、食が好きで、人が好きな千葉憲二が真心を込めてつくりあげた料理に、ぜひとも会いにいらしてください 」

憲二君のメッセージは以上です。実は私が「喜いち」を訪れるのは今日がはじめて。30人に近い同級生や仲間と会えることはもちろん、この憲二君の店も大変楽しみにしているのです。

皆様も、どうぞごひいきに。

ちばき屋ホームページ

まかない「喜いち」ホームページ
東京都中央区銀座8丁目6-19 銀座渡辺ビル5F

電話:03-6255-6388
 定休日:日曜・祝日

1月20日ブログ「かもめ食堂復活」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 ちばき屋 けせもい会 千葉憲二

ダボス会議

25日から、スイスのダボスで「世界経済フォーラム」年次総会(ダボス会議)が開催されています。俳優の渡辺謙さんの大震災についてのスピーチは皆さんもご存じのことでしょう。

このダボス会議で、気仙沼と関連する動きがあるのでご紹介します。

世界経済フォーラムによる世界140カ国の若手リーダーたちの「Global Shapers Community(グローバルシェーパーズコミュニティ)/GSC」というグループがあります。2011年10月には、日本にも拠点ができ30名がメンバーとなっています。

この日本のGSCが「東北復興(Re-Generate TOHOKU)」プロジェクトをたちあげたのです。そして3月には、世界各国の世界経済フォーラムGSCのメンバーに被災地を見てもらおうと計画しているのです。それが被災地ツアー「TOHOKU gathering(東北ギャザリング)」。

すでに2度にわたりGSCのメンバーが、気仙沼を中心に被災地を視察しています。その視察時の取材をもとにした映像が公開されました。ご覧ください。(約4分)


その後、非公開となり現在は視聴できません。

GSCのメンバーは、20代を中心にした若い人たちです。鹿折地区でGSCメンバーに説明しているのは気仙沼の斉藤茶補(八日町)の斉藤道有さん。私たちの1学年上気仙沼中学19回の證明(あかし)さんの息子さんです。
今回のダボス会議には、日本のGSCから5名のメンバーが参加しています。新聞記事で、会議では被災地の映像も紹介される予定と書かれています。たぶんこの映像のことを指しているのでしょう。

このプロジェクトについては、またあらためて紹介しましょう。

GSC東北復興プロジェクト/ホームページ

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : ダボス会議 GSC 気仙沼

学卒の秋山さん

昨日のブログは「豚のもの」ということで、「生もの」でした。
今日の話は「乾きもの」。

私が気仙沼小学校に通っていたころ、つまり50年ほど前のことと思ってください。家の前には木のゴミ箱がありました。「豚のもの」以外はそこにいれておくわけです。回収はどのようにおこなわれていたのだろうか。よく覚えていないのですが、たぶんトラックが回ってきたのでしょう。

そんな記憶のなか、今でもはっきり思い出せる人がいます。それが「アキヤマさん」。どのような字を書くのかわからないのですが、これから先は「秋山さん」。

秋山さんは、いつもねずみ色のぼろ服を着てリュックを背負ってほぼ毎日、各家のゴミ箱をあさるというか、ひろうというか、まあそんなことです。でもね、秋山さんは、そんじょそこらの乞食(こじき/こつじき)の人たちとは違うんです。大学出で、山師だったといううわさでした。詐欺師ではないよ、鉱山師の〈やまし〉。たしかに気仙沼にはむかし「モンスターゴールド」を産出した鹿折金山もあったから、鉱山師という経歴もまんざら嘘ではないかもしれません。

そう言われると、かぶっているつばの広い帽子といい、上背(うわぜい)といい、秋山さんにはなんか普通の乞食さんたちとは違うおもむきというかふんいきがありました。

私の父は、ヘビースモーカーでした。さきっちょをちょっと吸うだけでやめるんだ。そんなこともあってか、母はその吸い殻を日めくりの暦の紙に包んでゴミ箱のはしっこに置いておきます。秋山さん用にね。

ある日、母がいつものように、吸い殻をゴミ箱に入れようと玄関を出ると、そこに秋山さんがいたのだそうです。そして母が吸い殻の包みを直接わたそうとしたら、秋山さんが言いました。

「まずは捨ててください。私はこじきじゃありませんから」

ま、気仙沼の言葉でしょうがね。言うよねえ。やっぱ秋山さんはちょっと違うよ。プライドというか誇りというか。大学卒、間違いなし!

秋山さんのほかにも気仙沼の有名人が結構いましたね。
「鍋っこずんつぁん(鍋爺さん)」「しげかっつぁん(しげかつさん)」そして「かっつ(これは何の略かわからない)」。
「かっつ」はちょっとこわい感じもしたけれど、「しげかっつぁん」はいつも鰹やさんまを入れたばんじょうを引っ張りながらニコニコ笑っていたような記憶があります。いい人なんだな。

そんなみんなも、今はもういないらしい。
「ホームレス」などという言葉がない時代。秋山さんをはじめ、みんなは一体どこに住んでいたのでしょうか。不思議です。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

豚のもの

先週のある日、夕食をとりながら妻がいいました。
「ブタノモノって覚えてる?」

妻はその日、「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画を見てきました。瀬戸内海の山口県祝島。その島の豊かな自然の恵みや、対岸に計画されている原子力発電所に反対する人々の暮らしのドキュメンタリー映画です。

mitsubachi.jpg
同映画公式サイトより
http://jamcafejp.exblog.jp/13480044/


祝島はビワが特産物ですが、色が悪く出荷できないものは豚のエサにします。畑に放たれている豚は、フガフガいいながらそのビワをおいしそうに食べるのですが、その鼻先が畑の土を耕します。ナイスアイデア。そして家から出る野菜や果物の皮などの生ゴミも豚のエサにします。

そのシーンを見た妻の頭の中で次の式が成立。
生ゴミ×豚のエサ=豚のもの

私たちが気仙沼の小学生のころ、各家庭で出た肉や魚、野菜などの生ゴミは、容器にまとめて家の外に出しておきました。それを「豚のもの」と呼んでいたのです。そして私の記憶では、夜に養豚家のおじさんかおばさんがリヤカーを引いて家々を回って回収していくんだ。

そんな〈豚のもの〉を食べた豚は豚肉となります。そして魚町でいえば「白幡」や「亀山」などのお肉屋さんで売られ、料理となり、私たちの口に入りました。
〈持続可能な社会〉とか〈エコ〉といった言葉など聞いたこともなかった時代の話。

母「豚のもの、出してきてくれる」私「はーい」。
ALWAYS~魚町5区の夕日(笑)。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

今日のダーリン

気仙沼の防潮堤問題はその後どうなっているのでしょう。

昨日1月23日、糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)の「今日のダーリン」で「高い防波堤」のことについて書いてくれました。

糸井さんは、人の命のことを考えれば、危険な波を防ぐことは大事なことでしょうがと前置きして、「ただ、そこに住んでいて、家や工場や畑や田んぼや、親しい人たちの命まで失った人たちは、どうも、その「巨大な防波堤」という安全対策に、賛成しているわけでもないようなのです」と、やさしく語ります。

そして、自分は〈その場で生きるわけじゃない人間〉だけれどもとしながら、また、〈その地に住む人、住んできた人たち〉が、津波について、納得のいく方法を模索しているのだろうと思いつつ、疑問を示します。

「でも、ぼくが聞くかぎりでは、ふーむ…。海との間に「高い防波堤」をつくるという方法には、反対という人ばかりなのです。」

糸井さんは現地の人たちの声をつぎのように紹介しています。

「『津波に対立的に向わない、どう逃げるかという道をしっかり計画する。海とは仲よくしていきたいから、海が見えなくなるような壁はいやだ。できるだけ、緑化するような方向で海の景観を』  大きな津波に、負けて勝つというようなことを、熱く語ってくれる人たちが多いんですよね。」

糸井さん、ありがとうございました。「今日のダーリン」は毎日更新されて以前のものは読めませんので、長い引用となりましたが、紹介させていただきました。

「コンクリートから人へ。ダム建設をはじめとする公共事業の大幅な見直し。ゼネコン政治からの脱却」以前なら声高に叫ばれたこうした声が、巨大防潮堤計画に対して聞こえてこないのはなぜでしょう。

糸井さんの23日「今日のダーリン」は、そんな私たち、そして気仙沼の多くの人の〈静かな反対の声〉をうまく紹介してくれたように思います。

ほぼ日「今日のダーリン(毎日更新されています)
気仙沼のほぼ日

10月28日ブログ「ほぼ日in気仙沼」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

夜行バス物語

昨日1月22日のNHK総合テレビで、「池袋発三陸行き 夜行バス物語」の再放送を見ました。9日の放送を見逃していたのです。

毎日夜9時、東京の池袋駅から三陸地方へ出発する夜行高速バス「けせんライナー」。震災の後、その利用者は例年の2倍に増え、震災から12月までで約4万人が利用したとのこと。気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、終点の山田町までは10時間です。

震災で父親と祖母を亡くしてお墓参りに向かう人。気仙沼でのボランティア活動に向かう若者。陸前高田の仮設住宅に住む親戚2家族にと言いながらいちごを手にして乗り込む女性は「姪っ子が喜ぶと思って」。大船渡に向かう男性は、〈亡くなった親父の墓前にそなえる〉カップ酒(「八海山」でした)をもっています。でも、墓は津波で流されてもうないのです。そんな「人々の様々な思いを乗せて被災地に向かう夜行バスの物語」です。

約30分の番組の冒頭、気仙沼に帰るひとりの若い男の人が紹介されました。佐々木智行さん。あれっ、もしかして「シェ・ササキ」の?

やはりそうでした。「シェ・ササキ」は、南町の紫さんの入口の右側にある洋菓子店。文信堂書店に向かって左側にありました。以前は茶まんじゅうなどの和菓子を扱っていました。10年近く前になるでしょうか、3代目となる息子さんが東京かどこかで修行して帰郷、洋菓子店として新たにスタートしたのです。

帰省時にはじめてその店をみたときには、「すっかりこじゃれた店になっちゃって」と、その行く末をちょっぴり心配した(失礼)のですが、シュークリームなどとても美味しくて、小さかった私の息子も、気仙沼に帰ったときの大好物になりました。「リアスシュー」でしたかね、注文を受けてから、シュー皮にクリームを注入します。

その店も津波ですっかりやられてしまいました。その後、私は妻と〈ササキはどうしたかねえ。聞かないねえ〉などと話しておりましたが、仮設店舗「福幸小町~田中通り」8店舗のなかに、その名を発見したのです。

NHKの番組で佐々木さんは、一時はあきらめたときもあったけれど、復活を望む声を聞き、〈その言葉に力をもらって〉再開にこぎつけることができたと話していました。流されてしまった製菓用具を東京で入手しての帰りにこの夜行バスを利用したのだそうです。「なんとかクリスマスまでに再開しようと思って」
お店の再開には、500万円もの新たな借金をしたとのこと。新幹線ではなく、少しでも安いバスを利用したのでしょう。

番組の映像では、私も見覚えのある智行さんのお母様が元気に接客する姿もうつっていました。あの家族でやっている雰囲気がとってもいいんだよね。
場所は、田中前のモスバーガーとソフトバンクの向かいとのこと。アンカーコーヒーさんなども入っている仮設店舗「福幸小町」の田谷前店舗です。

同級生小山隆市君の「コヤマ菓子店」を紹介することが多いこの気中20ブログですが、本日は特別に「シェ・ササキ」のご紹介ということで。まずはよろしく。

1月4日ブログ「復興店舗の紹介」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

門馬君の思い出

一昨日の夕方、ダイアリーの1月20日のところに「門馬命日」と記しているのをながめて思いました。何年たつのだろう。門馬亨(とおる)君(3年11組)は、南町の中華料理店「新京」が実家でした。

すぐに、亨君と気仙沼高校剣道部の仲間であった大島の熊谷雅裕君に電話で聞いてみました。雅裕君「あれ、何年だったかな。エックに聞いてみるよ」。

「エック」とは、門馬(千葉)恵久子さん(3年1組)。亨君のお兄さん束(つかさ)さんと結婚しました。束さんが亡くなった後も息子さんと新京の本郷店をきりもりしています。すぐに雅裕君から連絡がありました。「わかった。平成9年1月18日」。

1997年。15年も経ったのか。享年45歳。
私の1月20日とした記録は、訃報を受け取った日だったのでしょう。こんなに寒い季節に亡くなったのかと、本当にかわいそうに思ったことを覚えています。

葬儀には残念ながら参列できませんでした。その後、本郷に線香をあげにいくことはなかったのですが、お盆の帰省のおりに気仙沼小学校正門近くの墓に線香をたむけるなどしておりました。

門馬亨君は、小学校のころから私たちのリーダー的存在、人気者でした。気仙沼小学校の生徒会「安波会」の前期会長。私は後期の会長。気仙沼中学校では、そうした経緯もあって二人が生徒会長〈学校市長〉選挙に立候補(させられて)、私が会長。気仙沼高校では亨君が生徒会長といった関係でした。その後も、村上良君、牧野操君らみんなと一緒に仲良くさせてもらいました。

亨君をはじめ、今回の震災と関係なく、若くして亡くなった同級生がいます。一昨年2010年の8月、昨年2月の還暦祝いに先立ち観音寺でとりおこなわれた物故祭でその数を知り、自分たちがなんとか還暦を迎えられそうなことをありがたく思ったのです。

亨君、当時はなんの役にもたてずごめんなさい。そして亡くなった同級生の皆さん。我々もいろいろあるけれど、なんとかやっているよ。みんなの分までというとおこがましいけれど、精一杯、みんな仲良くやっていければと思っています。

ありがとう。合掌。

11月21日ブログ「忘年会の季節」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

かもめ食堂復活

ラーメンの名店「ちばき屋」千葉憲二君(3年4組)が計画する気仙沼「かもめ食堂」復活構想については、このブログでもたびたびお伝えしてきました。
はじめは気仙沼での開店を計画していましたが、まずは新横浜ラーメン博物館への出店からスタートし、その後に気仙沼での復活をめざすことになりました。そして、そのラーメン博物館での開店が2月2日(木)と決定しました。


kamome2
ありし日の気仙沼「かもめ食堂」(同博物館ニュースリリースより)

昨日19日配信の新横浜ラーメン博物館のニュースリリースによれば、つぎのような経過があったとのことです。

憲二君は気仙沼での「新・かもめ食堂」の開店をめざしましたが、港の周辺の復旧状況や建築制限によってすぐに復活させるには「早くても1年以上はかかるだろう」。そんな状況を聞いた新横浜ラーメン博物館の館長が「ならばラーメン博物館でかもめ食堂をオープンしましょう!」と提案してくれました。ラーメン博物館で「気仙沼」そして「かもめ食堂」の魅力を全国の人に知ってもらい、その後3年をめどに気仙沼で店舗を構える計画としたのです。憲二君は3年の間に、気仙沼出身の従業員を募集・育成、気仙沼での店舗候補地選定をして、店舗の営業を目指すとしています。そして将来的には店舗の運営も気仙沼出身者に任せる構想です。気仙沼出身者で、この計画に関心のある方は、このブログのメールフォームにてご連絡ください。

憲二君には、今月28日のけせもい会で会うことになっています。くわしい話を聞かせてもらい、みんなで激励したいと思っています。

この「かもめ食堂」構想のほか憲二君は、これまで数度にわたる気仙沼での炊き出しなど、様々な支援活動を展開しています。その活動を支えているのが、私たちを育ててくれた気仙沼への熱い思いであることは間違いありません。

新横浜ラーメン博物館ニュースリリース
交通アクセス
新横浜駅(JR東海道新幹線・JR横浜線、横浜市営地下鉄線)より徒歩5分
横浜市営地下鉄8番出口より徒歩1分

11月4日ブログ「憲二のラーメン
10月13日ブログ「新・かもめ食堂」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

コメントの方法

このブログの「コメント」投稿の仕方がわからないという問い合わせがありました。よい機会なので、その方法を記しておきます。

記事の一番下(場合によっては広告が入ることがありますが、その下)の「コメント」というところをクリックすると、つぎのような投稿画面があらわれます。

投稿画面 (クリックで画像拡大)

「名前」:本名でもニックネームでも可。無記入でも投稿できますが、名前ぐらいは書いてくださいね。
「タイトル」:記入しなくてもOKです。
「メールアドレス」「URL」:記入せずともOKです。記入すると公開情報となります。
「本文」:この欄にメッセージを書き込みます。この「本文」のみ必須内容です。
「パスワード」:利用者自身がこのパスワードを設定すると、後で利用者が削除したり修正することができます。記入せずともOKです。
「非公開コメント」:ここにチェックを入れると、一般公開されずに管理者(小田)のみが見ることができます。
「送信」:最後にこの送信ボタンを押して完了。

以上です。極端な話、本文さえ書き込めば投稿可能です。コメントが投稿されると、左側の「最新コメント」欄に表示されるとともに、記事下の「コメント」表示に件数として示されます。

本文に「テスト」とでも書いて、試してみてください。明らかにテストとわかる投稿は、あとで私が削除しておきますので。

みなさまからのコメント投稿、お待ちしております。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

御崎さんの風車

昨17日の夕方、仙台のケアハウスにいる母に電話。月末には89歳になります。「いま風呂に入ろうかどうしようかと迷っていたところ」と母。「東京も最近はずいぶん寒くなったよ。お母さんも風呂にでも入って温まったほうがいいよ」と私。孝行息子(笑)。

そして、近くに住む兄が母に見せてくれているこのブログの話。
「7日の御崎さんの話がなつかしかった」。

1月7日ブログ「御崎神社パワー」

御崎神社
御崎さんの風車ほかの写真(再掲)クリックで拡大

母の話はつぎのようなことです。
私が小さいころ、岩手銀行のあたり。背中に御崎さんのはじき猿や風車を刺したものをせおった男の人がいたのだそうです。そして、私がそれをすごく欲しがった。
母はその人に「それはどこで売っているのですか」とたずねます。新潟の柏崎生まれの母ですから、「そいづは、どごで、売ってんのっさ」とは言いません。というか気仙沼弁がうまく使えません。

男の人は答えます。たぶんこんな感じ。
「こいづはみせのうりもんではねえのっさ。おさきさんさいがないと」
これは店の売り物ではないんだよ。御崎さんに行かないと買えないよ。

そして、それを聞いた私がごねたんでしょうね。ナンダリカンダリ。なんやかや。
そうしたら、その男の人が背中にせおったものから風車をひとつ抜いて私にくれたのだそうです。
「んで、しょうがねえがら、こいづ、やっから」
それでは、しようがないから、これをやりましょう。みたいな。
その風景の記憶。母もすっかり忘れていたのですが、私のブログを読んで思い出したとのこと。

風にのせて福を呼び込むという御崎さんの風車。旅の途中で、風車という最強アイテムをゲットしたオダ君は、その後、村一番の幸せ者になりましたとさ。めでたしめでたし。
オシマイ。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

鮪立の鈴木修君

唐桑中学出身で、気仙沼高校で同級生だった鈴木修君が、1月11日のブログ「和夫君の写真」にコメントをくれました。和夫君のブログでほかの写真を見ていたら、津波で流された唐桑・鮪立(しびたち)の実家跡がうつっていたというのです。拍手欄のコメントだったのでわかりにくいと思いますので、ここに再録します。

「 千葉和夫君の写真に、震災で流失した我が実家の跡地が写っていました。
唐桑半島2011.12.8。鮪立港の写真です。

唐桑半島(宮城県気仙沼市)2011.12.8
(上から3枚目の写真が鮪立港の写真)

手前のコンクリートの四角い基礎は作業場納屋です。
その右隣りにある楕円形のものは井戸です。
その右側の土の部分が母屋跡です。
海岸から30mぐらいのところだったのでひとたまりもありませんでした。
8月に帰った時と比べきれいに片付いていますね。
この鮪立港の右の奥の船着場から毎日気仙沼高校に通っていました。
いつも海岸からこの風景を見ていました。
本当に飽きない風景です。
この自然を何とか残しておきたいと思うのは私だけではないでしょう。」

修君のコメントは以上です。修君とは、昨年10月の「気仙沼を元気にする会」で会いました。この会には同じ鮪立出身の村上教行君も来ていました。
修君はいま千葉市に住んでいます。最寄り駅は「稲毛海岸」だとのこと。鮪立育ちはどうしても海岸に引き寄せられるのでしょう(笑)。

1月11日ブログ「和夫君の写真」
4月22日ブログ「村上教行君から」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

唐桑物語Part2

1月7日発売の雑誌『世界』(岩波書店)2月号に、「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第2回目が掲載されています。筆者は、瀬戸山玄(せとやま・ふかし)さん。今回は「リアスをなぞる船づくり」。前回に続き、船大工 岩渕文雄棟梁の話です。

 岩波書店「世界」ホームページより

今回の話のさわりをちょっとだけ。
岩渕さんは16歳で唐桑の船大工に弟子入り。19歳のときに、唐桑の小鯖造船所へ。小型船の仕事をまかされるも、経験がありません。そこで岩渕さんは、新造船を頼まれると周辺の浜で同じ型の船を探し、夜に懐中電灯で照らしながら、寸法や構造などをくまなく記録して船づくりに挑んだのだそうです。その経験から、唐桑の浜ごとの特徴と船型の関連性に気づいたといいます。
「(当時、)唐桑の浦には船大工が14人もいて、それでも細々と食べていけるのは、自分の浜に見あう船が作れるからだと腑に落ちました」

岩渕さんは、塩釜の造船所にも一年出向するなどした後、1958年、27歳のときに独立して宿浦にて「大原造船所」の看板を掲げるのです。

そのほか、「唐桑御殿」や「船魂入れ」の話などが続きます。

12月21日のブログで、2004年のINAXギャラリーで開催された展示会「唐桑・森と海の大工展」を紹介すると書いてそのままにしておりました。このサイトをぜひご覧ください。

唐桑・海と森の大工 展
進水式イベント
展示内容

2004年の展示会なのですが、こうしてインターネット上に情報を残してあるのは、本当にすばらしい。ありがとうございました。

12月21日ブログ「世界の唐桑物語」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

宝船「五十鈴神社」

12月28日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」に建築家石山修武さんが寄稿していました。そのタイトルを見てびっくり。

「気仙沼五十鈴神社は宝船である」

五十鈴神社

五十鈴神社の空撮写真(きれいだね)気仙沼プラザホテルさんのHPから拝借 http://www.pkanyo.jp/
(もちろん震災前の写真です。空撮とかきましたが、もしかしてプラザホテルからの撮影?)

五十鈴神社は、魚町の神社。私たちは「お神明さん(おしんめいさん/おしめさん)」と呼んでいます。実家も、ひきはらった昨年9月までは氏子でした。私も小さいころはここでさんざん遊びましたし、結婚式もここであげたのです。上の写真でも、左側の旧全漁連の建物に隠れながら実家の屋根だけがうつっています。

石山さんの文章はこんな話です。
開催を手伝った1988年の唐桑臨海劇場で出会った郷土芸能が「唐桑七福神」。七福神は船に乗ってやってきます。その船が宝船。石山さんは「今も昔も幸福を祈念する人の気持ちに変わりはない。七福神や宝船こそ今に生き続けてほしい深い深い夢なのだ」と書いています。

そして、五十鈴神社総代で気仙沼商工会議所会頭でもある臼井賢志さんや台湾の建築家李祖原さんと共に温めている計画があるといいます。海の女神である媽(ま)祖神を、五十鈴神社の一角にお迎えしようというのです。媽祖は台湾を中心に、アジアで2億人以上が信仰しているのだそうです。

計画は現在進行形のようですので、紹介はこれくらいにしますが、石山さんの文章は次のように結ばれています。

「 幸いにして五十鈴神社が座す浮島はまるで宝船そのものだ。インドネシア大統領も大変な気仙沼びいきだと聞く。バリ島の神々だって呼んだらいい。南の島の媽祖神を迎える北の海気仙沼の神々は黒潮親潮の合流点、海の道で魚たちと同様に出会うことになったらよい。来年も小さくとも灯りをともす努力を続ける。 」

これまでも気仙沼のみんなに、セルビアやバルセロナなど地球的な視点を与えてくれている石山さんですが、今度はアジアだ。媽祖のお迎えもまずは五十鈴神社にということだとは思いますが、安波山の「鎮魂の森」構想と連続しているに違いありません。宝船にのった世界中の海の神様。いいじゃないか!

この〈五十鈴神社╳安波山〉計画と〈魚町・南町復興プラン〉がうまく結びついてくれますように。正直、お神明さんにお参りにいきたいくらいの気持ちです。

12月12日ブログ「気仙沼「鎮魂の森」」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

4組の仲間たち

一時お休みしていた小山隆市君(3年6組)の気仙沼ネットデリバリー中のブログが再開しています。1月9日には、東京から中野美幸君(4組)が気仙沼に帰省したときの集まりのようすが書かれていました。そのブログはいま、更新されており読めませんが、ここに再録します。

いつまでも忘れずに

先週末、東京在住の友人が気仙沼に来ました。震災後初の帰省です。夜行バスで気仙沼に早朝着、その足で市内を様々見てまわったそうです。震災の凄まじさを改めて実感し、涙があふれてしまったと話していました。

7日、彼のクラス4組の有志が集まり、小さな歓迎会を行いました。クラスは違いますが、せっかくの機会なので私も末席に参加しました。

当初友人は、被災した仲間と会って、どの様な話をしたらよいのか困っていると話していました。その気持ちは、全国の多くの仲間が感じることと思います。励ましたらよいのか、〈頑張れ〉の言葉は禁句ではないのかと、さまざま気をつかっています。
でも我々被災した人間は、そのようなことは全くといっていいほど、気にしておりません。

ましてや、同級生、どのような話でも大丈夫と話しました。それもあり、歓迎会は盛会のうちに終わりました。友人も久々の仲間との再会を、心から喜んでいました。

被災した者にとって、震災、津波があったことを忘れ去られることが一番苦痛なのです。
どうぞ全国の皆さん、気仙沼に気軽においでください。震災の凄まじさを実感してください。そして、いつまでもそのさなかにいる我々を忘れないでください。
それが一番の励ましや応援となるのですから。

以上、ひさびさの隆ちゃんレポートでした。ありがとう。

炊き出し1
左:鈴木(佐々木)真知子さん、中野美幸君、小山隆市君  右:左端は菅原幸喜君

topics2.jpg 炊き出し2
左:右側奥から、山田(中澤)千代子さん、小野寺(萩原)実木枝さん、高橋一哉君、澤井充君
右:右奥は臼井弘君


隆市君のブログ「気仙沼トピックス」(いまは、渡り鳥の話です)

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

気仙沼「鎮魂の森」

「気仙沼市に〈鎮魂の森〉第1号」と、昨日11日の共同通信が伝えています。「鎮魂の森」は、政府の東日本大震災復興構想会議が犠牲者慰霊のために提言していましたが、その第1号が気仙沼の安波山に計画されているというのです。

1月11日共同通信

「鎮魂の森は最終的に被災地10カ所程度に設けられる見通しで、安波山は他の場所に先駆けて3月に植樹が始まる。鎮魂の森は、津波の際の避難場所となる高台などに草花や木を植えて育てながら、津波の脅威を伝承していくのが目的。復興構想会議の議長代理で建築家の安藤忠雄さんらが発案した」

これを追いかける形で、河北新報も本日付で伝えていました。
この記事では、気仙沼市は畠山重篤さんが理事長を務めるNPO法人「森は海の恋人」の植林活動とタイアップする形で、さらにもう1カ所の森整備も検討しているとしています。

1月12日河北新報

このブログでも紹介した、石山修武さんらの安波山の植樹祭や「鎮魂の御堂」計画が着々と進行しているようですね。石山さんのブログでも、安藤忠夫さんが協力を約束してくれたと書いていたので、注目していました。

〈安波山計画〉は動きはじめた。それにしても気になるのは、国と県が計画している巨大防潮堤。政府復興構想会議の議長代理、安藤忠雄さんの考えを聞いてみたいと思うのは私だけではないでしょう。

12月7日ブログ「追悼と鎮魂の祭」
12月17日ブログ「続/石山修武さん」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

和夫君の写真

震災から10カ月。

9日のブログ「昇竜コンテスト」に千葉和夫君(3年11組)がコメントしています。記事下の「コメント」をクリックすると投稿を読めますし、「URL」をクリックすると和夫君の写真を見ることができます。岩井崎の辰の松を撮影していたというのです。

コメントには「たまたま年末に撮影した話題の辰の松です。 秀ノ山もよくよく考えると、いじらしく残ったなと感じ入りました」とあります。

千葉和夫君撮影「秀ノ山像と龍木」

本日紹介するのは、おなじく和夫君撮影の被災した気仙沼の風景。彼のブログにアップされています。同級生には説明不要ですが、和夫君の実家は古町の「千葉写真館」です。

気仙沼 2011.12.9
気仙沼 2011.12.10

いずれの写真も、私にとっては〈奇妙にきれいな風景〉。
余計な説明はやめておきましょう。

和夫君は長く広告制作の仕事をしてきました。そしてこのブログの写真を見たデザイナーなど以前おつきあいのあった方々が気仙沼への義援金を集めてくれました。和夫君がこの「気中20」を紹介してくれたのです。

お世話役の林さんからのメール。
「年末に有志の集いがありまして、ほんの少しですが募金が集まりました。少しでも気仙沼のお役に立ちたいと思い、気持ちだけですがお受け取りくださいませ。寒い日が続きますがお身体に気をつけてお過ごしください」

林さんはじめ有志の皆様、本当にありがとうございました。
皆さんのお気持ちを気仙沼のみんながとても喜ぶと思います。

毎月11日にお知らせしております。 義援金振込口座はここから

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

牧恵さんの賀状

このお正月、気仙沼からも多くの便りが届きました。
そのなかに、昆野牧恵さん(3年11組)からの賀状がありました。
そこに支援会のみんなにあてたメッセージが記されていましたので、お伝えします。

「 あったかぁ~い、あったかぁ~い、お心遣い、本当にありがとう!!
 東京のみんなに感謝です。家がなくても、気仙沼はみんなを待ってるからね。 」


〈東京のみんなに〉とありますが、もちろん埼玉も千葉も神奈川も含んでのこと。また、同級生、同窓生だけでなく、多くの支援者の方々への感謝の気持ちが込められています。

牧恵さんは、小学校1年8組時代の同級生で、実家の昆東電気が当時は魚町海岸通りにありましたので、まさに〈ちゃっこがった〉ころから知っている幼なじみ。2年生ぐらいのときに、魚市場前に店と自宅を新築して引っ越しました。結婚してからも去年の3月まではずうっと魚市場近辺でしたね。

はがきに記された住所は、下八瀬「五右衛門ヶ原運動場住宅」。
それを見て私は、〈ずいぶん海から離れちゃったんだなあ〉と思ってしまいました。

11月9日ブログ「仮設の牧恵さん」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

昇竜コンテスト

気仙沼・岩井崎の松が、今年のえと「辰」の形に見える。すでにご存じですよね。津波で枝は流されたものの、残った松が角度によっては、辰/龍に見えるという話。

でもね、NHKの映像を見ると、松の先はチェーンソーかなんかできれいにカットされています。自然の力というよりも人の技だよね、これは。私の見立てでは、このカットは草月流。間違いない。
そこで、気中20主催「昇り竜フォトコンテスト」開催! それぞれクリックしてご覧ください。

NHK「たつ形の松」(動画が見られます)(配信終了)
河北新報「辰の松」
読売新聞「昇り竜」
朝日新聞「昇竜」2種

いかがでしょうか。私は、読売新聞の稲垣政則さんの作品が1等賞。光の処理のわざとらしい感じも正月にふさわしい。それを7日に遅れて追った朝日新聞は、海側からの角度で竜をほえさせますが、後のまつり。それと、下あごにあたる松がたれすぎ。ほえた感じにするため“いじってんじゃないだろうな”とか思う私は考えすぎでしょうか。

最後に。「岩井崎の辰」といえば、池波正太郎「鬼平犯科帳」。「岩井崎のお龍」といえば、藤純子「緋牡丹博徒」。還暦世代的連想(笑)。

ついでに業務連絡。
「本日9日午後7時からの日本テレビ系列(気仙沼はミヤギテレビ)〈全日本仮装大賞〉で、マギー審司さんらが気仙沼の大漁をイメージした「魚のまち気仙沼、元気な気仙沼」で出演します。気中20関係者はかならず見るように。よろしく」

了解。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

御崎神社パワー

5日のブログ「銀座の初売り」で紹介した御崎神社の縁起物がこれです。どうですか、いいでしょう。自宅に飾って写真をとりました。御崎神社は、気仙沼の唐桑にある千年の歴史を持つといわれる神社です。

御崎神社 (クリックで拡大)

この縁起物、古くから御崎神社の祭典で郷土玩具として売られていたそうです。「風車」は福がくるくる廻ってくるといい、「はじき猿」は1年中のわざわいをはじき去ると伝えられています。

それと、一昨日の写真に小さく写っている「早波(さっぱ)舟」は、昔、大時化(しけ)にあった漁船を1頭の鯨が御崎神社まで導き救ったことから小型の模型船を作り献納したものにちなむとのことです。いずれも、航海安全の願いがこめられ、海に生きる唐桑の人々の厚い信仰をあつめています。

私は「はじき猿」がとても懐かしい。写真ではわかりにくいけれど、Uの字を横にしたような形の竹をはじくと小さな猿がピョンと上にとぶんだ。小さなころに、隣家「カネサ」のセイちゃんが持っていて、それなに?と聞いたら、「オサキサンのやづだ」と言うんだけど、「オサキサン」がよくわからない。当時の私にとって、唐桑は遠かったのです。

「御崎さん」は1月中旬の御崎神社祭典です。さきほど、御崎神社に電話して確認したところ、今年の祭典は1月14・15日とのこと。14日(土)のどんと祭、宵祭り、演芸披露、夜店出店、そして15日(日)の本祭りへと続きます。

被災などは?とおそるおそる聞く私に、神社の方は「おかげさまで被災はなかったんですよ」と答えてくれました。
御崎神社。唐桑きってのパワースポットかもしれません。

参考サイト「宮城の旅」御崎

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

あせるぜ!

昨年12月28日の朝日新聞朝刊につぎの見出しがありました。
「防災、ソフト面に軸足~国の基本計画」

12月27日、国の防災基本計画が「津波災害対策編」を新設するかたちで修正されたというのです。堤防などによるハード対策の限界を指摘し、住民避難を軸にしたソフト対策へかじをきったとのこと。

その修正要旨の冒頭には次のように記されています。
「津波を〈比較的発生頻度が高い〉ものと〈あらゆる可能性を考慮した最大級〉のものの2種で想定。前者は堤防などハード面で対策を講じるが、後者は被災を完全に防ぐのは難しいため、防災教育や訓練などのソフト面を組み合わせた住民避難で対応する」

私はこれに納得しました。3月11日規模の津波に防潮堤で対応しようとすることに、なかばあきれていたからです。そして、この国の方針修正が、県(と国)による気仙沼の防潮堤計画にどのように関わってくるかが大変気になってきました。気仙沼市が年末に発表した「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」にも大きな影響があるでしょう。

もし私がこの魚町・南町のまちづくりコンペに応募するなら、「あえて防潮堤をつくらないまちづくり」をそのコンセプトにします。でもね、募集要項をみるとそれは前提条件からはずれるみたい。

コンペの書類受付締切は2月24日。審査が3月上旬。入選発表/表彰も3月上旬。今日が1月6日でしょ。なんか心配になってきます。

ま、建築家 石山修武さんがこうした動きと無関係でいるとは考えにくいし、私としてはひそかに期待しているところです。

それにしても、気仙沼の復興計画のキャッチフレーズを「海と生きる」としたことは本当によかった。これからは気仙沼市民がそのことを覚悟するかどうかにかかっているな。と、東京で勝手に思ったり感じたり、あせったりしているというわけです。

オダクン、ソンナニアセルンスナ。ログナゴドナイヨ。

わかってます(初笑)。

12月30日ブログ「復興計画コンペ」
12月7日ブログ「追悼と鎮魂の祭」
12月17日ブログ「続/石山修武さん」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

銀座の初売り

本日5日。気仙沼産品を扱う応援ショップ、数寄屋橋のTSビル「銀座いきなり市場」の新年はじめての営業開始。初売りですね。店頭はこんな感じになっているはず。

銀座初売り (クリックで拡大)

正面に五枚貼られた、寿の文字や海老、松竹梅などが描かれた「星の玉」がいいですね。気仙沼の正月の神棚を思い出します。それと「さっぱ舟」や、風車・はじき猿などが束ねられた唐桑・御崎神社の縁起物も飾られています。この縁起物は数量限定で販売とのこと。

この写真は、妻が昨年末に年始店頭飾り付け時に撮影したもの。Facebook(フェイスブック)でつながった「銀座いきなり市場」などを支援するボランティアグループ「気仙沼concierge(コンシェルジュ)」のお手伝いでした。

今年もこの銀座のショップがにぎわうといいですね。
そのためにも、皆様がたの〈お手を拝借〉。イヨーッと。
よろしくお願いいたします。

地図はこちらから

東京メトロ丸の内線、日比谷線、銀座線「C2」出口すぐ
JR有楽町駅下車 徒歩3分

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

復興店舗の紹介

昨年は、11月に「気仙沼横丁」、12月に「南町紫市場」と、復興店舗のオープンが続きました。ただ、私にとって全体像がつかみにくかったのが「福幸小町」でした。なんかいろんなところに「福幸小町」があるなと。しかし、三陸新報の元旦号をみて、やっとわかりました。3カ所に分かれているのですね。

よい機会なので、気仙沼の商店街や店舗復興のようすをまとめてみましょう。

◎気仙沼復興飲食組合「福幸小町」

昨年5月に組合を結成。はじめは一カ所で40店舗の開設を目指しましたが、利用者の避難など安全性を考えて、田谷通り・田中通り・南が丘通りの3カ所に分けたのだそうです。12月上旬から順次オープンし、今月中に全店開店とのこと。

〈田谷通り〉飲食店を中心にして10店舗。一階には、同級生斎藤(広沢)高史君(3年8組)の奥様みき子さんの店「喫茶エスポアール」が再開しています。
〈田中通り〉8店舗。以前は南町の紫さんの入口にあったシェ・ササキや、アンカーコーヒーさんなど。それと鮮魚の磯屋水産も。
〈南が丘通り〉美容・理容店3店舗など6つの店や事務所が入居予定。飲食は福祉支援カフェNONOKAのみ。

◎復興屋台村「気仙沼横丁」

南町4丁目「漁業用冷蔵庫発祥の地」(柏崎の手前、木下冷蔵があったり駐車場だったところ。旧・宮常マーケットの向かい)で、飲食を中心に19店舗が出店。大友(小野寺)つき子さん(9組)のラーメン店「あたみ屋」も入っています。つき子さんは、震災で階上の店「五右衛門ラーメン」を失いました。

◎気仙沼復興商店街「南町紫市場」

南町に、7棟(イロハニホヘト)51店舗で12月24日グランドオープン。あさひ鮨はホ棟1階、喫茶マンボはニ棟1階、とんかつ勝子はロ棟1階です。

◎気仙沼さかなの駅

12月10日に田中前2丁目に、以前の水産物流通センターで営業していた店など9店が出店。平塚一信君(1組)の平塚商店(鰹・鮪・鮮魚)も出店しています。

◎鹿折復幸市場商店会(予定)

鹿折地区中みなと町のどさん子ラーメン跡付近で、全3棟に20店舗が入居予定。5店舗や事務所などが入居する1棟目が先日完成し、1月21日にプレオープン予定。3月の全3棟グランドオープンを目指すとのことです。

オープン当初や年末年始の賑わいはなによりのことですが、本番はこれからということでしょう。各店の商売繁盛を願っております。

12月12日ブログ「同級生の店再開」

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

2012年の「時代」

年があらたまり2012年となりました。
昨年がなんていうかああでしたし、そしてこうですからね。今年はすこしでも明るいきざしを感じられる年にと願っております。

気仙沼のみんな、このお正月をどのように過ごしているのでしょうか。くつろぎがあり笑顔がある、そんな正月であって欲しいと心から思います。

私の大晦日、めずらしくNHK紅白歌合戦をしっかりと見ました。おもしろかった。
森進一さんの「港町ブルース」も、もちろん良かったですよ。っていうか、前奏が始まったあたりで、「み~や~こ~、みやこ、かまいし~~~」が頭に浮かんできちゃってさ。すでにそこできていますから、森さんがさんざんためにためて「け・せ・んん・ぬ・ま~~~~~~」と歌うあたりでは、こみあげていたものが一気に(笑)。

陸前高田/千昌夫さんの「北国の春」もやはりいい。そして長渕剛さんの「ひとつ」は石巻からの中継でした。2分44秒におよぶメッセージ付きです。長渕さんには今まであまり関心をもっていなかったんですが、昨年4月17日の航空自衛隊松島基地での隊員激励ライブから、「ありがとう、ナガブチ」的心境。

そして気中20ベストワンは、徳永英明さんがうたった「時代」に決定! 「ボーカリスト」っていうものの紅白でカバー曲っていうのもなんだかなあと思いつつ、とてもよかった。
それではちょっと長いけれど読んでいただきましょう。中島みゆきさんの作詞・作曲による「時代」です。


時代

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顏には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ

旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても

めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いをくり返し 今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いをくり返し 今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ

今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩きだすよ



こうした歌詞の引用が著作権の問題があることを知らないわけではないのですが、中島さんの詞がとってもいいものでつい。歌は世につれ、世は歌につれ。そういうことで、本年もよろしく。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/64~65歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
12 | 2012/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示